• 検索結果がありません。

『宗教研究』157号(32巻2輯)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『宗教研究』157号(32巻2輯)"

Copied!
121
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

――目次――

1,

全真教団成立に関する一考察, 窪徳忠, A Study on the Formation of the Sect of Chuan-chen-chiao,

Noritada KUBO, pp.1-29.

2,

アリストテレスの純粋観想(θεωρία)についての聖トマスの解釈(上), 東光寛英, St. Thomas’

Interpretation of “

θεωρία” in Aristotle (1), Kan’ei TŌKŌ, pp.30-43.

3,

カントにおける Kritik と Metaphysik:一つの序説として, 阿部正雄, “Kritik” and “Metaphysik” in Kant,

Masao ABE, pp.44-62.

4,

福音書における伝達の問題, 川端純四郎, Das Problem der Mitteilung der christlichen Botschaft,

Junshir

ō KAWABATA, pp.63-79.

5,

宗(pratijñā, pakṣa)に対する陳那の見解:集量論の所説の紹介, 北川秀則, Dignaga’s Theory of

Pak

ṣa (or Pratijñā) according to the Statement of the Pramāṇasamuccaya, Hidenori KITAGAWA,

pp.1-21.

(2)

全真教団成立に 関する一考察 西ヨーロッパにおいて法王権が では、漢人王朝をたおした塞外尾 大道となづける三つの道教々団が 族 王朝治下の地域においてであつ 直前まで、おとろえながらもその せる基礎をぎづいた立役者として 名が 、大 ぎく ク p ーズアップされ 伸長 族が あら トヒ 。。 。 命脈 ま、 てい 初頭にあたって 、 た 。そうして、 全 劃 したのは、まさ ほこり、中華人民 ﹂の教団をかくの 方法をといた長春 祖 王重陽のあと 東 のかた中国 真 ・太一・真 にその塞外局 共和国成立の ことく発展さ 真人 丘処機の なう げて教団 二

はしが

ぎ 二 、教団成立の背景と教団の概要 三 、開祖の略伝 と 立教 四 、第二 祖 の活躍 五 、開祖と第二 祖 の 教説 六 、教団成立の 一 要素 セ、か す・ び 一

はしが

全真教団成立に関する

考察

忠、

く 117 Ⅰ

(3)

王族の

、 金に 続行した。 め ぎ ことと 統治に 正 させ

力 範囲 れた。王重陽二十寸のときのことである。 一人ほ江南に 対する戦いを して、はじめ した 0 これら 服すのをがえ

られた斎国

として与え ろ

かつてさらに南下 体 化していた北宋 軍

して、北宋はあえな

二教団成立の背景と教団の概要

らな 里皇要

性をも

れが果した役割とに 内容について、一応

ごく簡単にふれる 程 (118)@ 2

(4)

斉 国は、北宋の組織や制度にならうたために、

。 げ れども、その

廃止されてからの ち

方を舞台として兵を

したのほ、この皇統 の 和議の前後のことであったのである。

そのものであった

の 苦悩をまざまざと

﹂︵賈人的 撰 ︶に は

もともにおとろ

かったために、

申ハ ⅠⅠ。

︵ 趙堆撰 ︶にも 察 考

たために、盗賊がおこうた。

堆 墓誌﹂︵李果 卿撰 ︶にも 関

びくびくしなが 立

ので、これを 義 成 団 士 と称して群盗を防いだ。 教

︵賈人的 撰 ︶のなかにも、 3@ (119)

(5)

記 のなかには

ている王重陽の伝

しばおこうたた めに、人々はついに 相 食むにいたった 、

まり誇張した文章で

あった。さきの﹁ 孟

て ぎたので、人々が ついに盗賊に捕え ろ

た 、などという話も 題する王重陽の伝記に ょ とである。これらの︵ 2 ︶

いたことが明らかに 十の ﹁ 葉令 劉君徳政 拮東類藁巻の ﹁法事 しない、清康年間に おそらくしば /h あ っ たのでほなかろうか。 で ぎなかった。 安心することが

(6)

安 にかられて動揺し

ぎに、このような

察 考

第二期である。

第一期草創時期

第二期道俗混合時期

教団

第三期全盛時期

(121)

(7)

期 ﹂という ょび 方に

信仰をとり入れた 点 を 重視して、このように名づげたのであろう。

混合とよぶことはで

に ﹁ 俗 ﹂化したとみ るのはあやまりである。

るが、 こム で一言

揚 して人を救 う 精神

ひらいて人心の安定

い たが、実現がむ づ

が 中心である、との

において 陳垣氏 がと

ない 0 棟 垣氏 の 見界 @5 ︶

陳氏 は 、全真教団は

も 全真教団のみに 限

治下にはじめておこ

化を保存し、中原 民

ればならない。︵ 6 ︶

道教は糖 太 で儒仏

、こュ でごくかん た (1%)

(8)

んにふれておぎたいと思 う

綜合しなければ 明

7

ておく。全十五章

う に、たしかに 儒 をたづ ねて道を求め 必要なことだが、 そ とと、体外の朱楼の 行 である れ 坐すなわ も が動揺しない真生 仙位 につらなって

らない。 に心が湛然として げればならない、

合 と同じく、中をえな げ をこえ

、とある。 上 、第十四条でほ、無形 にあらず﹂と説明している (123)

(9)

、従来の道教がお

長生薬をつくる方法

で 性命の奥義をさぐ 命 とは人間の生命の ても、一向さしつかえはあるまい 様 のことがとかれている。王重陽 には、それに類する考え方が随処 ても差支えないようなものもあれ 場合の﹁ 仙機 ﹂を﹁禅機﹂とおき

外助 である夏行とにわげたの かなるまい。 かにょ わい。正教十五論で、 中 ば 、仏教の中道精神ということも も一般的に孝を人々に すュ めて 行 をするために入道せ

ととい

とが大切だとしている。たとえ 側 であろう。

評していることなどは、教理に である。王重陽が孝経を

ものを 道を力説しているの

、一方からい できる。正数十五論には、右にのべ 、孝子の家にこそ よい 道士がでると ている。また忠の心や

仁の心が必 ば 、病気をなおし、さまざまな苦し すュ めたこと、金元時代の人々が

儒教的な面のあったことをしめす

。禅の根本は自己自身の徹 見 にある をはじめ、俗に全真教の七真人とい にみ いだされる。また玉壺 陽が 弟子 ぱ 、かれの言動を﹁飲食起居ことご かえても、そのいみするところは 少 も 、自利と利他にならうたものに は (124) 8

(10)

全真教団成立に め が え ら 糖 に れ 次 対 て な し い の て る で 新 全 あ し 真 つ い

教 孫 や 理 克 説 閲 覧 明 係 氏 を の の 施 資 説 し 料 と た を は と ク ま ま し、 と さ ぅ ん に こ ど 逆 と み な が

も で る っ あ ば ら る 。 す な 史 孫 わ

詩 あ あ 文 や く 集

まま

つで

金 た 道 石 結 教 立 論 に な に 中 ど お ら に ち が よ い お つ っ か

たこ

たの

は 儒 佑 一

9 (125)

法 、服

気 また

たものである。そ

ち 長生の根本方法な

げればならない。

ていた。全真教にお

であれば、真の神仙

8

あるが、

上る例

、その目的は﹁百年

(11)

かれが入った府学や応じようとし ︵ⅡⅡ︶ ある。ところが 孫克寛氏は 、金史の の説をひいて、 斉 国が 府 試を行った 書物に ょ れば、 斉 国がそのころ科挙 ある。 府試 に応ぜられない破目におちい 武 学 に応じた。武学とは、軍人の登

めて、金の煕 宗 の元春年間に 、 たかな偉丈夫で、武略にもたげて とは 、すでに発表したとおりで がなかったとのべている 姥 健吾 氏 ︵ 蛇 ︶ 予伝 や背 国 割干 録 、偽 予 伝などの 孫 ・ 姑 両氏の態度はあやまりで

和 二年︵二

%

九脚といったかれは

試験をさげようとし

とき礼法や祭礼をつ

詩の内容がいかなる性質のものであったかは、

その詩が現存してい

煮 にふれて、かれは

たといわれている。

てほ 、三教調和思想のほかに、なお合理 二月、陳四省の 威 陽の近くの大数 村 で、 、幼少のころから書物にしたしみ、孝経 て成 陽の府学に籍をお き 、さらに勉学を かむ 暁西 地方が斎国の勢力範囲 下 に入れ かさどる春官に、ある詩を づ くって贈っ ないから不明であるが、とにかく春官の ついに京兆席の 府試 に応ずる資格を失 っ 的 、実践 一荘園地 などの 傭 っづける られたと た。その 感情を害 てしまう ( Ⅰ 26) 10

(12)

全真教団成立に 関する一考察

両国の戦いたげな わ

ぅ して、かれが応じ

え 否定しているが、 ゆ づって 、 こムで 。 は はぶⅠてお 、、, 苅 待 。 ︶

んだ王重陽は 、将

、 おづ かに 感陽 附近 なかった。

して、当時の社会

な っくり、臆の古手よ ダィす

ような日々を送るよ

る 。 市︶ 1 陳西 地方でま 十 狂

あるから、この一事

自負がつよく、自己

から他人を威圧する

ろ う 。

たくなったのであ

からが い 。けれど

ぇ られる。けれども、

年官 し 8 、終南山の ll Wl 打 )

(13)

Q128) Ⅰ 2

にあい、金丹 道 陽子と号したのほこ ぎほ 川中のほなれ すること二年に及ん せき づいて、一面 修 いる。前にわげた 全 らほ じまるのである。 めて少なかつた。 たる有様であった。 陽 真人 碑 ﹂のなかに ︵ 騰 ︶ どく敵視した禅僧の の 一句に関するかぎ 伯 と季 霊 陽の二人に 入っている和正 塘と 伝 によれば、いま 一 り ﹁大衆 は 三人より 、その言葉には耳も お まし者だった ねげ

(14)

している。

だことは事実であったで

(15)

た 。おしえを理解し

んだことがわかった

ある。後世、その ぎ

逃げだしたという 一

し とごとく 仙 機を示し た ﹂のは、このころのことである。

弟子たちをきびし

動は きわめて短い期

双肩にになわれるこ とになったのである。 四

第二祖の活躍

(130) 14

か各

篤 と く あ れ 地 球 倒 考 な ろ

布 ぐ 方 た れ と そ 散 り と こ る ほ う を 歩 は と 。 い し

て、

38

う まついて など 至重

一桁

た は 陽 の さ

あ 行 な の っ な か る つ 宗 こ た お な い た 教 と の そ が ほ 。 活 を ち の ら 凹 か 動 物 、 基 も 中 れ の 話 ぃ 礎 教 で の 成 る く ほ 団 、 セ 功 も ば 徴 的

は弟

い ろ く 多 が

痛ほ

ほ う し く そ に 、 気 。 て の な ぉ そ を 五 人 わ い の ょ 会 々 り が の 始

も 活 た 微 を た し 勤 王 し し こ く の 重 た つ と ク ま う 陽 旅 ち は

こかも

とり

" " と さ

叶っ

一 ぎ

そ れ 智 で に 成 れ に 明 泊 は 立 ら 従 と っ 至 か

のつ

たつ

ら 弟 た め 宿 て み 千 人 る 合 い て た 々 と の な 想、 ち で と 主 か 像 を あ も 入 っ に お る に

か た か

甘井 Ⅰ

(16)

全真教団成立に 関する一考察

前の経歴について

真人馬宗師道行 碑 ﹂

示兆 の披風に家があ

が 、返却することがで

、ある人が突然やっ

としたら金だった。

を 盗んで殺した事件

かれの家は商人と高

家 となれたのにちが いない。

っ たかれ ば 、三重

籍 をおいていたらし

考えて、かれも至重

方は やはり 宋金 交戦

き らめて官仕を求め

いたのであろう。 か

測 を助ける一証であ

に 対しての心中の不 l5 (131)

(17)

(132) Ⅰ 6 満を、 酒にまぎらせていたのかも知れない。

その 教説 とに う た

段 なっくして、かれ

でひ ぎとめたのは、

ちぎられ、 寧 海州 随

、、 丹 陽子と号する 一 貧道となったのである。

暮 した。さきにの

の 入信と前後して 弟

さらにおくれて 劉長

八が、全真教の セ 真人と よ ばれる人々である。

その附近で師の仮

はまだ付場 だ げしか て 師の遺骸をこ ュ に

との

秋 、おのおの 今

った 。王重陽は死に

念頭 卜卜 おかなかったⅠ

が、セ 真人の中では

配 はない。 処機 の 学 ︵ 勿 ︶

っ たのは、けだし 当

(18)

また大宅十四年以 になって、 内修 につ になったのである。 短期間であったにか さに﹁重陽の酷 教 ﹂ のたまものであったといわなければならない。 常 にわたって宗教 ある。 度人 とは人を 信徒の獲得と自派の んだとのしらせが 郷 たかを物語る一証で では、一時に百人あ にもなった。こ うし 察 突然京兆府から道士をそ 陽 にとっても、球面地方 。これはおそらく、日に このころにはすでに為政 ていたことの傍証となるであろう。 あたたまるひまもなく 半 Ⅰ 7 て Ⅰ 33)

(19)

(134) 18 らの詩集などは、 ない。けれども、 そ

と 思われるものを 選

ておく。

、儒仏二教に対す

8 十二月、 莱陽 の 遊

の 伝記が収められて

であろう。このよ う

中心になった第三期

つ までに発展するの

、正長春によって 見 展 はなかったであろ @o

た よ う に、教団の

しとや社会状勢という

。そこでつぎに、 こ みることにする。 五 開祖と第二 祖 の 教説

(20)

全真教団成立に 関する一考察 識 と 京 の れ る と 譚 し の あ ょ 人 渉 く は か る

あったらしい。

真 集のなかに

して太守にお

はほとんど 交

までもなく、

衆 に対しては かないためで

などをも布教 Ⅰこに 卜 ﹁峯君 木 ﹂

古は売卜者、

陽が 主な対象 人材を、かか 求めたのほ無理ならぬところであろう。

蓮 正宗 記にょ

み、気を松 峯 九転 なって 南

い 理解するこ 他の道教の知 詞 詩を通じて 19@ (135)

(21)

その 教説 をみると、なかなか難解である。

ろ もろの俗縁をた

白材 気 、 茸 粧や賭銭

、卑近なことをの べ

る 詩のなかで﹁金丹

どという金丹 道 の 用 ︵何 れ ︶

に 恋々としないのが

がでム くる。また ﹁ 金 公は神で、 黄 婆は気である。嬰児は陽気で、

気であるⅠとか、﹁

といつている D この ︵ % ︶

儀を 学ぶのには師は

どと、禅ににたとぎ方もしているのである。

足 によめないよう

苦しんでいた当時の

ることであったにち

れる。またかれの と

か 0 この点は、おそ

原因の一つほ、この ような点にも求められるのではなかろうか。 (136) 幻

(22)

たであろう。現に

、その名をしたって

推測を助ける一証であろう。

︵ ㏄ 4

または真理をいみ

︵ あ

る、

財をむさぼる

0

人は神々が家門の

︵ お

などといつているこ

︵明

@

にかぞえてとくにのそ

げて、

内修

をすしめて

如いるが、その場合に

山の中においても、

さらに、粗食のなかにこ

つってやれば地獄からほ

おそらくかれを知る

っ たにちがいない。

告白し

の 教養を

であった 、かれの 友 身にっ げ ということ 2l WI 繍 )

(23)

できる、︶︵ % ︶子が入信

、大衆にとって身近

れていることにほか

つどいている祖先 崇

て 、その難解な言葉

しくほしたしまれ

王重陽がまったくふれなかった ね げではない。 けれども、その量 か

中でふれているのは

めているのである。

たかがにじみだして

源境 をさす

・、春、

大衆にとって身近か な 感じをもつて迎えられるにちがいない。

に手を携えていこ

の 楽しみを えようと

あるといつてい

とがわれわれの目を (1 ㏄ ) ル

(24)

全真教団成立に 関する一考察 23 ( Ⅰ 199)

は 、このような傾向

、農民出身などの 人

ても、山地主や網元

僚 属 に対しても、 積

する一策であるとと

しの方策は、のちに 丘

るのである。

はだ多くのべられ

つんでいたのに対し

がいない。王重陽はっ

じめにこつこつと 努

あるとの説をつくり

ない 0 このように、 のである。 六

教団成立の

要素

げ のこのごとく ぞ

た宗教団体 は三セセ

セ 00 に上るという

(25)

とろえ、いまでは

ある。多摩墓地に現

の 典型的な例として 数多い に教祖が 要なこと び、すぐ 火の ょう いまのと あげてみ 宗教集団の 偉大で魅力 は。布教の れた組織 者 に消えさ つ ころでは、 よ う 。 か 重 い 花

、わずか二、三十人

、幾分停滞気味の

級だ

げに

3

げいれ

れているものもあれば、その逆な場合もある。

0

集団には必ず教

などが、それである。

くは教理などが、

0

人格や言動がとる

、あまり我勢がの

びない例もある。

(140) 24

(26)

正文 成 会の長沼妙佼に対する庭野目敏である。 メ シヤ教の岡田茂吉 一人で両者をかねて 日域聖などがその好適例であろう。 テリ L 癩 摘など きない。けれども、 熱 のあること、人々 ﹂と、他人にはない 時 ほ 教祖的性格の持主 ということができる。 場合が少くない。 解 できないものだつ ︵ 絃 ︶ ある。かれは短気 ということである。 が 、組織者である。出口 、呪術宗教家である英数 つた。このような 組絃者 教祖としての 一 資格をそ 25 (141)

(27)

を 転々としたあげく

っ 豪気雄弁で、他人

与えやすかったであ

0 日本の信徒たちか

い 混乱のさなかであ

たにちがいない。 従 た 、ということができる。 つた。そうして、

ほ 、第二期になって

極 的に働きかけてい

ねば 、かれに は 企業 ゆ 期の全真教団にお あたる よう に思われる。

とえば、創価学会

をもった戸田城 聖が

の 苦しい人などが ふ

、官僚 属 にも入信者

はあるまい。この ょ

、政府もしくは他の (142)@ 26

(28)

全真教団成立に 関する一考察

セむ

び す

示教々 団 成立の際の

陽は 教祖的性格の持

綴音的性格の持主で

立場にた ュ されたの

ての役割を十分に果

に 、見事に活用され

こ やような性格をも

たればこそ、正長春

きな意義をもって い るのである。

みると、意外にも

い 0 後漢のころ成立

返 するといわれてい ﹂とができる。

とんど注意をほら いつて、馬打 陽は教 織 者の好適例であったということができよう。 ぼ (1 ㏄ )

(29)

も 、キリストに対し

題は 、日本や中国だ の 問題といえるのでほなかろうか。 ︵昭和一一一一一一・一一・一一一穂︶

感謝の意を表わす。

的な役割の研 究 ﹂の報告の一部である。

還暦記念東洋史論叢︶参照。 2 、 甘 水仙 源 録は上海坂道蔵第六一一冊所収。

真教団の 一 性格﹂︵東方 学 第一 輯 ︶参照。 5 、 註 3 回 稿 参照。 4 、 孫克寛 氏の論文は大陸雑誌 八ノ 十所収。

冊 所収。 7 、立教十五論は道蔵第九八九冊所収。 8 、 丹陽 真人直言は道蔵第九八九冊所収。 9 、 註 d. 、 同稿 参照。

u 、 註 3 回 稿 参照。 u 、 註 4 回 稿 参照。 は 、 註 3 回 稿 参照。 M 、重陽 全 募集 巻九 ︵道蔵第七九四冊︶参照。

参照。 M 、 弁偽 録は大正新修大蔵経巻五二所収。 (144)@ 28

(30)

全真教団成立に 関する一考察

道蔵 第セ 六冊所収。

前掲 書 参照。この場合にも多少の異論がある。 m 、 今蓮 正宗 記は 道蔵 第セ 五冊所収。

︶参照。 % 、重陽真人今関 玉鎖訣は 道蔵 第セ 九六冊所収。 % 、重陽真人 授丹 陽二十四 訣は 道蔵 第セ 九六冊所収。

は 道蔵 第セ 九五 | 七九六冊所収。

第セ 二八冊所収。 お 、 丹陽 漸悟 集 奉上参照。 % 、以上四項は洞 文 金玉葉参照。 w 、骨湯漸悟葉巻不参照、 % 、以上四項は丹 陽 漸悟 集 参照。 % 、胴立金玉葉巻 四 参照。

直言には元祖 がセ祖 となっている。 ね 、 註 Ⅱ 同稿 参照。

祖 名を秘した。 ㌍、 註 6 回 稿 による。 29 (145 の

(31)

る 。 づ す 8 つオ B%o の り 、その系統を引い 質から離れてあって と 考へて超越 説 をと ,オ 0 目㏄ 口 ・ い 目印 の 臼ぜ 。弓の ヰ 0 トせ Ⅱ︵ お 0 の・ 現代まで続いてゐる。 に士以る ︵ せ ︵Ⅰの q もかこ める﹂ 十 官 ㏄ 0 。 - 亡

こと

% げ、又、古来、様 シアスの レ鮭 Ⅹの 戸由 no の

解釈

(146) 帥

(32)

アリストテレス

の 純粋観想についての 望

ット の 解 程に従ひ 、 31 (1 仰 )

のの 解

程に営って

て アヴェ p エス 学

スと は げ しく対立 拐 もののⅠす いトい の︶とを 区

% 分に属し能動理性

、かュ 6 人間的理性

一一 % 拠参 mw ︶。

観想定

8% も 乱せ q 捺ン Ho Ⅱ ち ㌣︶で

Ⅰ ひ あせ 而せトセ柁 市ト 自 ・日日日㍉。

の 純粋観想を解 理 す トマス の 解釈

(33)

プ Ho Ⅱ めヲ ︵の・ 田 。 オりづ

捜を受取り得るもの

るが、﹁思惟せられる

6 所が現 實 的に働く ︵ 3 ︶

が 一つの規寛態とな

& サま 接を受取り、 そ

である。この場合 受

% 相公のめ 0q め ∼ の も と

心ま

とは、思惟 せ

思惟せられるも

となって能動

理 性 と一 % となり、両者は一つの 現實 態となり、

、同一のものとなる

のとなり、かくして

れを思惟する︵Ⅰもも とは同一のものとな 、 而も理性はそれを 的なるものも 鶴 。 も

帥萌 。 あ 心のふ㌔。めのものⅡ。 モ 01 鵠 ) 32

(34)

實態的

活動︵

甘言、

し囲

スの 純粋観想につ し

G

連理高

) 畳 り は で 醒 で 最 あ し あ 高 る て る 善 な ゐ 。 に ら る 理 関

惟 き 丁 」 を 現 度 と 続 實 睦 め げ 態 れ ァ る で る リ こ ち 者 ス と っ の ト が て 如 テ 理 可 く レ 性 能 阿

ス も思態でに

っ な 椎 葉 て い し が は 場 て あ

労合

ゐる

なが

と 最 い 如

なる

なら

善 な

の ぱ 最

P な

衰 態 ㌔ の

次の如きである。﹁

聖ト

本質的 實罷 である マス

見られるが如く

思惟の最高段階で行は

うない。前述の受動理性

その認識対象であ

るが、その家は建築

料 をもたないものの

而して思惟 ? 田斉︵ し

かくの如く理性が m ゅ

な 認識に於ては質料

テレスが物語って ゐ

(35)

である。理性は 、時

られるものをもって

實は

、能動理性が

なって 現實 的に活動

の場合、思惟せられ

︶は 、かュる 最高

なり得るのである。 @5 イ

の方である、 とァリ

に 於て、神的性格を

性 にも興り得るので

の 一 % 化とは両者の

人間理性は神たる

現實 態となり、今ま を

性が

景一

一貫

現 0 %

(150)@ 34

(36)

アリストテレス の 純粋観想についての 聖 トマ スの 解釈

て 且 つ

最高のも

円 8 ︶

我々仁は少時

として︵

弍 0 ﹁ 5

とは出来ないので る 。 あ 又 間 の ︵ 7 ︶

神と 云ふ

最善なる

性 であると 云ふ 風に

れは思惟する 働 ぎを

である。思惟の思惟

るものそのものが 思

ある。即ち自己が 自

した人間理性は 、自

0 本性︵ 神 ︶を分取 す

思惟の思惟に

於 は 思惟そのものであ では人間理性とその思惟対象た る。﹁理性は思惟せられるもの る ﹂とアリストテレスが 云ふが れるものであり乍らそれ自身の 現實態に 於ては一つのものとなってく

よって思惟せられるもの︵ 神 ︶ とな れるもので od よ こであり、思惟せら 。かくの如く、理性の最高段階に於て 35 (151)

(37)

によって神の認

みよう。

世の人間では神の

三巻、第四十六章

三章︶の﹁精神官,の 年 ︶は、身縄の感覚によ って切籠 的

事物の知

に 精神は自ら自身に

ぬ るが、それに つ い

丼 物 罷 師事物の認識

々の精神は自己認識

し 乍ら﹁それは、 精

﹁︵の 0 ︵⑧認識すると

︶ 臣旺 0 に。 0 ︵甘のち 0 のの ロ 安元こ

︶ 汀 c ︵ ロのつ 0 のの手い ま ︶に

い っ曲の︶知解すること

スティ ヌス の引用文

らを愛する 宙 ョ目こ

へ 到達するとの理由

ら 自身によって 、自 ︵縛の・の・∼︵Ⅰ・ か e 。 か く Ⅰ 52 Ⅰ 36

(38)

アリストテレスの 純粋観想に

精 ・ 決 ゲ あ

類に

押 し め る に の

現 る ) 的 あ 度 實 に そ な る 第

で 自 自 色 は も 37 C153) ついての 聖ト っ 知 る て る 様 宮 様 な 己 な 場 自 情 合 見 神 で を の あ も 眞 る

れ 識 戸 の で 甲

み はみな み は

父 神 Ⅰ

にし

時に にし

る 現 を

が實

人雙塞

間 あ 質 め れ に 知 は ょ 性 " つ は そ て 可 の 自

存 に 身 花 ょ を の

自己認識に開し

釈 pq ︵ pn 三のきのⅠ︶自己認識で 魂 をもってみると 知貫す

る 。が然し、これに 。 ロ ・㏄ べ 。 a ﹁︵ ,い 。 オ ︶。 9% ご 。従って 精

日性荘 Ⅱ ざ ︶ によって 知

。即ち人間の知性

、精神は本貫によっ

神 が他のものとは 如

(39)

p の・ H 二色。我々人間の認識と 云 ふものは、 る ﹁理性が自己 自

一組、或る場合に

あるのではない。

そ鰻

如き人間精神の自己

惟 ﹂の純粋観想の引

かを見てみよう。

まュに 解碍 して ゐ

る 第一思惟対象なる ︵ 蛉 ︶

惟対 象とはトマスで ︵Ⅱ︶

分有することに

一 思惟対象には、

。而して理性が何

ヨのコ の c ︵ g の ︶ と云 ふも - は ︶

自己認識とを 匝則 し

みない。これは 凡

してゐることに

第九章の﹁。思惟の

理性は: ぎ ︵の け ec 三の

らである。トマスで

(40)

アリストテレス の 純粋観想についての 聖 トマ スの 解釈 見 の に 純 で で

0 課題ではないの

畢び 取れば よ いの

惟の思惟﹂と 云ふ 粋 観想に至って神を認識することは出来ない。

思惟﹂に到ること

ると共に、トマス

襯を論及して

よ う 。

性 と﹁ 凡 ゆるもの

可能理性 ? 。 ぢ

or ︵のは﹁ 凡 ゆる

その受動理性とは

︵ セ 6 つ Ⅰ 可描 申せ ヰ ︵沫も w..

nO 。 ュ 0 はこれを 善にして正文最も快いものだが、その観想を 、

自認識的観想とは 解 ︵ @u ︶ 揮 してみない。

りも後者の方である﹂の 解 澤は次の如くなす。 即ち 神 的にして高生貝

而してその観想は最 ︵ B ︶

らない﹂と述べてい

0

更にトマスは

るのである。トマ 39 (155)

(41)

0 ゴ ez ら 九 %

舌即

クイナス 9 知性論⑥ ︵ 2 ︶ ロッス の解釈に従 ふ 。詳細は註 5 を見よ。

アレクサ ソド ロスに

し 、ジャク ソソ

のものが自らに 於

惟 せられるものであると 云ふ 理由からして: 帖 Ⅹ e Ⅰ の 言葉を用ふる と

づ ⅠⅡⅠ︶

し ︵ オ 0 のの、円安田︶ 、

の 実体であると

、自存的 可 知的実

どと云ってゐる

・Ⅰの nn ぃ e 。

ス 様々の解釈が生

の読方 によって こ

のをもつと考へ

としてのみこの

ではなくて神の観

者︵ 現 佳熊︶より

㏄の 0. ㏄の ト ︶ 0 ロ ツ

入して不明瞭な 代

接モ かり 文描 こ よ めノ ンっせ

(42)

アサストテレス の 純粋観想についての 聖 トマス の 解釈

下荷 日 五か︵ wo 口口︶ 41

対象は神︵早口の︶と呼ばれる。トマスでは は 第一思惟対象 た

に :のⅠ ec 三三 ざ, ㏄

㏄ 邑曲 円仁Ⅱ け 口目ののⅠ 宙 @

ついてもつと 考

ド ㏄︶ 0 この解釈

To 串 oc, にするか

、かの究極的 原

ある。

れば、

化する様になるの

的なるものを所有

最善のものである﹂ 父 0 のの, ま Ⅰ⋮㌧・ 蓮 S 。

ぬめラテソ 訳の

る 。これはア ン

片戸 ヰ Ⅱ ぎ田 凹田 @W ハ Ⅱ片戸 レの "

釈は古 訳の方に

そうである。即ち

宜 0 目の乙の ra ︵ ざ ︶ は に 於て見出される

よ れ ば、、 ∼ x 。︵ vo 。 ,ば

様で、 , ン田 し の 、

(43)

ヒノ 。 づ 。 コの

0 円捨ゴ ハツ , 10

日ツ 宙のの円 c ⅠⅡ ツ 0 のⅠ

完全なる至福な

るものを取扱

場合⑧

動や思惟作用であ

ってはならない

りミ

0

日Ⅰ

ゴ ・

キ ・

田ト

のま

F.

ぉ ・の。︶

的理性︵

q.

は神的理性そのも

㏄Ⅱ

ゅ ︶。

ポ一

白つと

。トマス

・︶︵∼︶

e

Ⅰ ア

・ キ、

るに、それは神のものか人のものかに問題があるが、

両者を包含する

神は現実態であり

その快楽の為にこれ

るのであるが、

快楽であると云は

りそうであるが

究極的完全に至

。観想の活動は快

﹂に最高の快楽がある。

象に肋

きかけるの

で、

やほり

質料に関係する。

(44)

アリストテレスの 純粋観想についての 聖 トマスの解釈 ︵Ⅱ︶ 註 5 を参照せよ。

日 ︶ 局 Ⅰ e ∼∼ ト 内の目 円 e e ︵

︵Ⅰ 笘臣 の絹目さく e ヰ こ 0 コ 0p ㌧ ヌ ︶ 臣 ㏄の 曲 二戸 由 ︶ 隼 ︶ 臣圧 0 二︶㏄ ざ臣 0"

コ のの しす卑 曲目 ヱ p ヨ 日神色二の 0 口 零ヨ 9 日さ年何 % ︶ 汗ヨ ︵ M ︶ 註 5 を参照せよ。 43@ (159)

(45)

三才の t 田のの プ の Cr ︵のⅠ︶の 純粋理性の一般的課 理性からの認識門下 で 云いかへられてゐ 従って﹁理性のあら はもともと﹁形而上 る 。 一 ・形而上学の立つ 工学の主張をどれほ しその人が予めこの 問題を十分に解決することが出来ないならば、 空疎な根拠なぎ哲学 禾 wW 面上学の成否 卜レ

0%

申せ

せゑ

一つの序説として

||

阿部正雄

(1 ㏄ ) 44

(46)

矛盾との動揺せる

せられねばならぬ﹂

口 ・ちとも彼は云ってゐる。

さに我々の熟知す

の屈 ︵ ぃガ、ロ

・いりに外なら

円 ののの コ の

0 ゴ簿 よの出現を

学の出現を促進する

直したのである

0 形

性の能力自体を批判

45 (161)

(47)

の 関係にあるものと 定し 去り、認識の対

け れ ば

ならないと

のであらうか﹂とい℡

へた。さきにのべた

紙 に現はれた 間ひ

て 云い 現は された﹂ の Ⅰで す出 0 の 0 で ダ援ゃア の パ Ⅰ ぎ ふの 日臣ダ ㏄・肚の印Ⅱ e もし人間理性にとって知的直観が可能であり、

、思惟するがま ム

表象であり、何らの

正しいであら う 0 し

てゐる対象のみが 初

からの抽象ではな

ぅ 如き純粋に能動的

のでありつ L 、対象

象は予め感性に与へ

必然的に合致し ぅる

たのであった。従っ

象 と認識の原理とを

(48)

識の原理︵源泉︶を

関係に入りさるかを

ぎな

モティーフであ

口口ロⅠ︵なる書名・

1が初めて現はれる

性 のみならず悟性と

を 確実に

且つ明瞭

て 、如何に甚大な影

的に切りほなし、

ik

47 (1 ㏄ )

(49)

な 学問としてその

可能か否かを

間ふ

0 サ

早 必要でほない

i@

、それの可能根拠を問

%

安⋮・

ヨび笹

ずて

意味ではなく・

|そ

でなければならな

許されないのであら

守口

pnE3

戸︶現実的

止み難い要求として

なく,

ヨ ﹁オ田

も 数学、自然科学

︶︵

"

下の

05

ヨの目

審屯

ね 、その可能性さえ

﹁如何にして

としての形而上学の

づ 注意しなければな 48

(50)

のである。それなれ

をなさんがため、

いふ、間

ひの

@O

識の事実としてなのであ

ぬ学

、純粋自然科学に

原理としてふくんで

を間

ふと云っても、それ

ず のの

E 臣

くのお

ずの

講学﹂の可能制約の

されてゐたのであ

リラ

ると同時に

、他

ての形而上学の可能

の一般的課題が

49

(51)

は ぎ は の 、 の て づ 礎 要 ン は れ 試 図 然 と つ 数

が の に な

ま 政 し般、 を た % 没

判地

専 、 の の

一純

て て 優 先 べ 可 の と と し L と 即 ん

科に

て 田 中

しな。

し新

なに

さす

るも

(1 ㏄ ) 50

(52)

。﹁私の位置は経験と

粋 理性批判の深 き 理解の

確実な学の事実として

]

この問題は、これで十分

して独断の愚を繰返すことになるであらう。

ト により

袖条

の ㏄

0 コ

。ゴ曲

由 二の

ゴ の

れる。彼は﹁

口コ

のの・

㏄Ⅱ︶

派 曲解釈を否定

ことは厳に戒められなければならない。

ない、問題をはら

める学の事実であったのである。

(53)

純粋理性批判の究極意図は﹁形而上学の源泉、 しての形而上学の 田 ののの下の c ア簿よは 如何に

のものの出発点をも

それの可能根拠を間

としくその可能根拠

いことはそのことで

点である。

基礎をなすもの

0

0

天目。

プ 。

田 ㍉ ヰ卸ア

Ⅰ口ロ

れないであらう。

いては経験の事実を

のか。そして両者は

楽章へとその

モテ,

7

展開してゆくのであらうか。

(168)@ 52

(54)

カソ

かし我々の直観が単品 ト にお け

丈 に自体的に存在す 然 をその存在性に関 瑚 Kritik

日か

O す ム ㏄ る 出 自 し 然 の

産存

こ Ⅴ こ と 与 は へ

ず て い た な ビ け

れば

我々

なら

対 に し な

ま な ぎ る S 我

象 し 4 て

Ⅱの

円ネ

0

いト一ハドのⅠ 目 し認し

S

曲のの 日 と Me ね phy 舖 k

(55)

不可能であらう。

主体的地盤たる我々㎝

止まらず、同時に

的であると同時に

的解決を示唆し先

ので目オ

0 口口・

パコ

。︵高坂

顕著﹁

カソ

問題の認識論的解

悟性概念としての

ものの可能を問ふこ

づげられるのである。

必ずしもそれ自体

形而上学を学一般

解明せんとする。

、主体的な経験の事

する学の認識論的基

工作として、それ

(56)

カソト における Kritik と Metaphy ㎡ k

るために、 まづ学

制約が求められてゐ

の事実を前提としっ

認識、即ち形而上学

な 学の道を歩める数

り 、これとの並行的

経験の事実を前提 し

を 踏んで﹁ 学 として

理性批判なる一大 シ

どのべた如く形而上

学 たらしめえた、 そ

的 方法とも 云ふ べ き

﹂ そ、 彼のいはゆる 批 判 的方法を形作るのである。そしてこの両面、

、学的万法の導入に

ための前提をなす

Ⅰ 目黛ダ 0 隼の ロ ・Ⅹ パコ の 故に外ならないのであらう。 四 55 (171)

(57)

それほ形而上学に対 る 相貌を呈するのでほ あふ ま いか 。 暫 らく差し控へ、 面上半といふような ふ 問を提出すること メナ L 冒頭の言葉はこ

、 巧まずして物語っ 面上羊一般の可能 不 ォの 意味であった。 ものとみなし﹂ 、まづ も去 ふ べ き 特殊の運

誠 において理性は自

は 理性の二律背反に

却 せんとしてすべて

てゐる。﹁::私の

初めて独断の微睡 か

の 如き観を呈する 障

︶形而上学の歴史は

れは果しなぎ闘争の戦場であり、長き迷ひの道 であった。かっての 方 (172)@ 56

(58)

した理性の二律背反 妄 くのⅡ ヴ 。Ⅰ的の臣の H

﹁﹁Ⅰ

出発点に立つむ カン を 歩める学をかへり み、人間の理性能力 学の可能を問 ふ蒔、 移して、人間自然の 問題として深く主体 く 0 目リ 二の﹁ し ﹁︵リア㍉目口ぬ 性 批判であるが、それの前提としてま づ 経験 口 ㍉︵の ァ

﹁ 目品そ

か り

る ﹂ し

デ からであ ある。 る 。経験的認識こそ ph 五 げ お 疑 ひもなく我々の悟性が 識を与ふるものは経験で 57 (173)

(59)

の 我々に示すところ

い ふことではない。

、しかも無尽蔵の源

であって 、 必ずしも

釆かュる 普遍性を欠

理性の求めてやまぬ

提供しないならば、

られんがためには、

ない。超越的なもの

ればならない。果し

ぎ な い のでほたから

あらうか。

経験を多様なる 個

別 的経験の如何なるものをも可能ならしめる

全地平を開く如き

0 としてこれを把握

験的 認識と目される

語るならば ヵソト の

のは種々なる白飲、

(174)@ 58

(60)

カソト における Kritik と M8taphysik

に 批判は経験の事実

認識される限りの 自

様 性、個別性の次元

った 抽象的次元では

あり、しかもこのこ

う に多様な経験や種

﹂で経験一般の可能

れられるのであり、

ュる 一つの経験色目 の

ものはあくまで日常

しからばか上る一 つ

のであるか、そして であるか。

主張する如く因果

すれば 1 1自然科学

る 経験論的主張には

もう 。数学は ギリ

てぬ るのである。

能 ならしめる地盤 59

(61)

であるはずの経験もま ても l 1ふくまねばな る 経験、理性に対し 権 @@ を 究明し検証せん ると 云 へよう。 経験は単に偶然的な とは 云ふ までもなく 直 感性論及び分析論は 、 念に 媒介する純粋直観 い ふこと 0 二つには、 ればならぬ。対象の所 えないといふこと。﹁ はれるのが、このこと 原理とする普遍的必然 つュ 、感覚の多様を統 時に、直観の協同なく いふ 、人間認識の限界 さてこのように感性 は 、経験が広く認識 一

割を果し、従って経験一般を可能ならしめると

偶然性を免れしめ、むしろ先天的綜合判断を

の 可能根拠を見出した。しかしこのことは 同

如何なる認識も客観的実在性を持ちえないと をも示したことを意味する。

(179)@ GO

(62)

即ち形而上的認識の

明らかにすること

げてもその横網

論に

多様の綜合統一の

んとなればこしに

一の必然的制約﹂の

経験的使用ならぬ

所以が明かにせ

認識を越へ七道徳的

の事実を前提とすると

前提とし学の事実

事実を前提とするとい

学の事実をば単に客観的

しっ

L

主体的立場

1@

工学の中に導入せんとす

6 Ⅰ (177)

(63)

してそれの可能根拠 にする。﹁幾何学者 ﹂れまでの万法を変改 たのは主として第一 識の源泉と限界とを ﹁純粋理性批判 L が 、 は 、 相 表裏するこれ 的 認識成否の鍵をな された先天的綜合判 い 0 カソト も 云ふ 。 ㏄と。禅杖つて 云 ふこ その形式的原理を間 んとするものが形而 工学三の︵ 笘 チセの目に外ならないと。 11九五五・六・十五 || 妄 不良学芸大学助教授︶ (178) 62

(64)

福音書における 伝達の問題 ほ 参与宮田︵・︵の 戸 すし

実存への参与の招き

るような教理の授受

る 事が出来るような

である。新約聖書も 伝達史書なのである。

く 。福音書に限 っ

式 が一見何の統一 も

もなく、 たビ 時と処

何か首尾一貫したり

いられねばならな

川端

四郎

63 (179)

(65)

な 伝達の様式がキリ

達は 必然的にこの ょ う な伝達の諸様式を生み出すのであろうか。

としているところ

出来ない 人 ぎなひら

耐えないのであ

験の内証というもの

宗教的境地や宗教的

﹂で経験せられる対象

域が 、日常普通の経

言説や論理をもって

である。・﹂︵石津教授

中にほ、あきらかに

そこからあの多様な

ト教 的実存の究極の

伝達論を福音書記者

の 立場からの解釈な

盾 関係が実際に存し

しろ福音書記者があ (1 ㏄ ) 64

(66)

は神が終末時にあ

は、このイェスが

メシ

どこに存するのであろう

る オ 如く﹁十字架のこの救い

し 曲の

Cre

ず ﹁

3

三口

にあてがって見れば、

あるに体ならない。十字

一 一

って、伝達されん と

れてか ム る伝達様式

自覚していたと思わ

は 、それ 程 明瞭な 自

の真の意味を伝達さ

者の本来の意図の方

我々の立場から道観

解 が日 標 なのである。

もあるので、特に

事 にしたい。 65 ( Ⅰ 81)

(67)

架は 古 き 人にとっては 死 以外の何もの 固執せず、 己 れを放ちやる者にはそれ 去なるもの、そして何よりも自己自身 がそこにおいて死ぬところのこの真の り 、この生命を受ける 事は 地上の死を 彼岸の生命であり、過去的なるもの ュ 人間にとっては決して手もとに所持さ ない﹂ 宙 on 甲ツ ⅠⅠ pn 吊ツ Ⅰ︶ものであ イハワ 。Ⅰ 1 レか を 断念したものとしてその古き自己は ﹁時の間﹂定考 ドの 0 二の目 隼 0 戸 い 0 品。 臣 ︶に の 生である。これは﹁古い物は過ぎ去 生であり、この﹁時の間﹂の間一髪に エ スのために絶えず死に渡されている なのである。彼は、この世にありつ ュ い 。彼は世にありつ ふ も世に属さない なものへの関与は﹁あたかもないもの 彼は自己自身から本末の自己自身へと エ スのキリストた人 リ 事の生口 丸 で士の スリメル 未読的に実存せしめることにあると三二口 欲 とを十字架につげ 、 此の世に げるもの、世につけるもの、 過

する道である。人間の自己願望

る 。それほ死における生であ

棄 において与えられるところの

のである。その限りこの生命は

のとして、それは常に﹁いまだ

き 自己を放ちやり、此岸の生

はやなく﹂﹁いまだない﹂無の 期待する生が、十字架を負 う者

かの終末を常に己が身に負 う イエスの死をその身に負い、 イ

宙し %p の︵ 臼 こと呼ばれるもの

心せよせず、世に支配されな

彼にとっては一切のこの世的

る ︵ コリソト前 セリ 十 九 | 三一︶。

0 便信の中心は対象的には、 ィ

間 をしてキリストにあって 終 え よ う 。 ( Ⅰ 82) 66

(68)

よ る伝達が我々の当面の

のせるに足りるであろう 6 ア (1 ㏄ ) お げる伝達の問題 る 終 末 伝 達 を も つ て そ の

に や は し 在 は と ろ の キ @ ス よ の か か い 手 サま り い う 本 の の ケア 目 @ て り,そ さ 外 ら ま 未 し

在従

, な

れへ 的終

あ 要 の の し 。

常直

の に

(69)

常にある時代、ある国において、特定の世界、

自然、人間理解の規定の下

事柄について、

本質において過去的

的実存は

、かュる

真に終末論的なもの

において在るのであ

るのでほない。歴史

に 述べうくす事の出

来ないのほ当然であろう。それは真に将来的、

︵ 0 一 0

ぬい

の 臼じ

、過去的、

えないのである

0

には成立

屯ず

、逆説

して、常に新たに

(184)@ 68

(70)

福音 吉 における伝達の 問題

左伝

を 含 ま 指

で背

な ど 近 と

来す

、 伝

の は 3 キ か

伝本

約 言 を そ セ な ほ ッ リ て り に 達 質 さ 葉

」 」 に を 、 史

ら て ね い 後 る

者 も は の と

69 (1% )

(71)

あって、文体様式と

口 ったように、 七 ⅠⅡ ノス

それ

Ⅰ何かに ょ せ

こにおいて実現され

、一切の歴史がその

アッピールとしての

口 、接話:論争、十字

エ スが 、或 いほ福音

論 的実存へと呼び出

ら 遊観しての伝達の段階なのである。

察を加える事にしたい。 1 、告知・宝寺一口

る 。それは福音書

れを捨て ュ 我に従え

を 信ぜよ﹂二・一四︶

釆 なさい。自分の

︵八・三四以下︶

いる事は決して 出 臼 ㏄ 70

(72)

来ない﹂︵ 一 0. 一五︶ 、一四・一八二等が あげられるであろう。 よさに、聞く者の

たすらな招ぎであり、 又 約束である。この﹁ め 旦茜 、告知﹂をもって

接 的伝達ではなく、

ような驚きである。

煩いが彼を支配して 彼にとって一つの 驚

、 負 い 切れない過去 彼は日常の生活と 労

り 動かした。それは

心 れよ う としても忘れ

もはやこのショックを 受

えたのである。告知 は聞

ある。

教えているにすぎない よ

もない格言 風 の 智 恵が 、 71 (1 打 )

(73)

ながら、しかも 聞

出されたこれらの二言 口

れは ヒストリ,シュ

聞く者をして思わず 反 擬せしめるような不可解な矛盾は存しない。

し 、この 近 づきやす

これを間接的伝達と

はこュ に手がかりを

はそこに隠された 真 ﹂ろの隠されたもの、

ぅ 。史的な言葉によ れるであろ クし ︵ 四 ・ 廿 五︶ 廿

「 ん で も 隠 れ て Ⅰ ヤ る も の で 現 わ れ

し五

の クま な く、 秘 密 Ⅴ ウ し p さ れ て い る も の で 明 る み ひァ ヒ 出 な い も の 十ま な い 」 四 いている。マルコ 福 ものをあげれば次の如くであろう。 る ﹂︵二・一七︶ い ﹂︵ 二 ・ 廿 二︶ (188) 72

(74)

明らかとなる, 3 、甘諾 を 数え得るのみであるり

﹁種まきの 接 ﹂︵四・三 | 九︶ ﹁葡萄園の農夫の警﹂ 二 二・一 | 一一︶

﹁ か ㌦ し 種の昏﹂︵四・三 01 三 二︶

廿 九︶ 見れども見えず、 悔 瞭 な形では次の五 つ を 告げている。 し ﹁いちじくの木の讐﹂二三・ 廿八|三 0 ︶

た " あなたがたに

らが見るには見るが

にはかく記されてい

では語られなかった

解する二体これらの⑱

取り上げられている て接 話は、この観点

彼らの誤りがあるの 穏 福音 言 における伝達の 問題

参照

関連したドキュメント

We then con- sider CM abelian extensions of totally real fields and by combining our earlier considerations with the known validity of the Main Con- jecture of Iwasawa theory we

When one looks at non-algebraic complex surfaces, one still has a notion of stability for holomorphic vector bundles with respect to Gauduchon metrics on the surface and one gets

Graph Theory 26 (1997), 211–215, zeigte, dass die Graphen mit chromatischer Zahl k nicht nur alle einen k-konstruierbaren Teilgraphen haben (wie im Satz von Haj´ os), sondern

一九四 Geschäftsführer ohne schuldhaftes Zögern, spätestens aber drei Wochen nach Eintritt der Zahlungsunfähigkeit, die Eröffnung des Insolvenzverfahrens

Dies gilt nicht von Zahlungen, die auch 2 ) Die Geschäftsführer sind der Gesellschaft zum Ersatz von Zahlungen verpflichtet, die nach Eintritt der

), Die Vorlagen der Redaktoren für die erste commission zur Ausarbeitung des Entwurfs eines Bürgerlichen Gesetzbuches,

Greiff, Notwendigkeit und Möglichkeiten einer Entkriminalisierung leicht fahrlässigen ärztlichen Handelns, (00 (; Jürgens, Die Beschränkung der strafrechtlichen

Radtke, die Dogmatik der Brandstiftungsdelikte, ((((