――目次――
1,
全真教団成立に関する一考察, 窪徳忠, A Study on the Formation of the Sect of Chuan-chen-chiao,
Noritada KUBO, pp.1-29.
2,
アリストテレスの純粋観想(θεωρία)についての聖トマスの解釈(上), 東光寛英, St. Thomas’
Interpretation of “
θεωρία” in Aristotle (1), Kan’ei TŌKŌ, pp.30-43.
3,
カントにおける Kritik と Metaphysik:一つの序説として, 阿部正雄, “Kritik” and “Metaphysik” in Kant,
Masao ABE, pp.44-62.
4,
福音書における伝達の問題, 川端純四郎, Das Problem der Mitteilung der christlichen Botschaft,
Junshir
ō KAWABATA, pp.63-79.
5,
宗(pratijñā, pakṣa)に対する陳那の見解:集量論の所説の紹介, 北川秀則, Dignaga’s Theory of
Pak
ṣa (or Pratijñā) according to the Statement of the Pramāṇasamuccaya, Hidenori KITAGAWA,
pp.1-21.
全真教団成立に 関する一考察 西ヨーロッパにおいて法王権が では、漢人王朝をたおした塞外尾 大道となづける三つの道教々団が 族 王朝治下の地域においてであつ 直前まで、おとろえながらもその せる基礎をぎづいた立役者として 名が 、大 ぎく ク p ーズアップされ 伸長 族が あら トヒ 。。 。 命脈 ま、 てい 初頭にあたって 、 た 。そうして、 全 劃 したのは、まさ ほこり、中華人民 ﹂の教団をかくの 方法をといた長春 祖 王重陽のあと 東 のかた中国 真 ・太一・真 にその塞外局 共和国成立の ことく発展さ 真人 丘処機の なう げて教団 二
はしが
ぎ 二 、教団成立の背景と教団の概要 三 、開祖の略伝 と 立教 四 、第二 祖 の活躍 五 、開祖と第二 祖 の 教説 六 、教団成立の 一 要素 セ、か す・ び 一はしが
ぎ全真教団成立に関する
考察
窪
徳
忠、
く 117 Ⅰ
王族の
、 金に 続行した。 め ぎ ことと 統治に 正 させ
力 範囲 れた。王重陽二十寸のときのことである。 一人ほ江南に 対する戦いを して、はじめ した 0 これら 服すのをがえ
られた斎国
として与え ろかつてさらに南下 体 化していた北宋 軍
して、北宋はあえな
二教団成立の背景と教団の概要
らな 里皇要
性をも
れが果した役割とに 内容について、一応ごく簡単にふれる 程 (118)@ 2
斉 国は、北宋の組織や制度にならうたために、
。 げ れども、その
廃止されてからの ち
方を舞台として兵を
したのほ、この皇統 の 和議の前後のことであったのである。
そのものであった
の 苦悩をまざまざと
﹂︵賈人的 撰 ︶に は
もともにおとろ
かったために、
申ハ ⅠⅠ。
︵ 趙堆撰 ︶にも 察 考
たために、盗賊がおこうた。
堆 墓誌﹂︵李果 卿撰 ︶にも 関
びくびくしなが 立
ので、これを 義 成 団 士 と称して群盗を防いだ。 教
︵賈人的 撰 ︶のなかにも、 3@ (119)
記 のなかには
ている王重陽の伝
しばおこうたた めに、人々はついに 相 食むにいたった 、
まり誇張した文章で
あった。さきの﹁ 孟
て ぎたので、人々が ついに盗賊に捕え ろ
た 、などという話も 題する王重陽の伝記に ょ とである。これらの︵ 2 ︶
いたことが明らかに 十の ﹁ 葉令 劉君徳政 拮東類藁巻の ﹁法事 しない、清康年間に おそらくしば /h あ っ たのでほなかろうか。 で ぎなかった。 安心することが
安 にかられて動揺し
ぎに、このような
地
察 考
第二期である。
て
立
第一期草創時期
戊
第二期道俗混合時期
教団
真
第三期全盛時期
全
(121)
期 ﹂という ょび 方に
信仰をとり入れた 点 を 重視して、このように名づげたのであろう。
混合とよぶことはで
に ﹁ 俗 ﹂化したとみ るのはあやまりである。
るが、 こム で一言
揚 して人を救 う 精神
ひらいて人心の安定
い たが、実現がむ づ
が 中心である、との
において 陳垣氏 がと
ない 0 棟 垣氏 の 見界 @5 ︶
陳氏 は 、全真教団は
も 全真教団のみに 限
治下にはじめておこ
化を保存し、中原 民
ればならない。︵ 6 ︶
道教は糖 太 で儒仏
、こュ でごくかん た (1%)
んにふれておぎたいと思 う
。
綜合しなければ 明︵
7ノ
ておく。全十五章か
よ
う に、たしかに 儒 をたづ ねて道を求め 必要なことだが、 そ とと、体外の朱楼の 行 である れ 坐すなわ も が動揺しない真生 仙位 につらなってい
らない。 に心が湛然として げればならない、と
合 と同じく、中をえな げ をこえょ
、とある。 上 、第十四条でほ、無形 にあらず﹂と説明している (123)、従来の道教がお
長生薬をつくる方法
で 性命の奥義をさぐ 命 とは人間の生命の ても、一向さしつかえはあるまい 様 のことがとかれている。王重陽 には、それに類する考え方が随処 ても差支えないようなものもあれ 場合の﹁ 仙機 ﹂を﹁禅機﹂とおき
と
、
外助 である夏行とにわげたの かなるまい。 かにょ わい。正教十五論で、 中 ば 、仏教の中道精神ということも も一般的に孝を人々に すュ めて 行 をするために入道せよ
とといし
とが大切だとしている。たとえ 側 であろう。と
評していることなどは、教理に である。王重陽が孝経をよ
ものを 道を力説しているのほ
、一方からい できる。正数十五論には、右にのべ 、孝子の家にこそ よい 道士がでると ている。また忠の心や、
仁の心が必 ば 、病気をなおし、さまざまな苦し すュ めたこと、金元時代の人々が、
儒教的な面のあったことをしめす一
。禅の根本は自己自身の徹 見 にある をはじめ、俗に全真教の七真人とい にみ いだされる。また玉壺 陽が 弟子 ぱ 、かれの言動を﹁飲食起居ことご かえても、そのいみするところは 少 も 、自利と利他にならうたものに は (124) 8全真教団成立に め が え ら 糖 に れ 次 対 て な し い の て る で 新 全 あ し 真 つ い
教 孫 や 理 克 説 閲 覧 明 係 氏 を の の 施 資 説 し 料 と た を は と ク ま ま し、 と さ ぅ ん に こ ど 逆 と み な が
も で る っ あ ば ら る 。 す な 史 孫 わ
詩 あ あ 文 や く 集
、
まま
つで
金 た 道 石 結 教 立 論 に な に 中 ど お ら に ち が よ い お つ っ かね
たこたの
、
とは 儒 佑 一
9 (125)
摩
の
法 、服
気 また
ほ
たものである。そ
う
ち 長生の根本方法な
げればならない。
げ
ていた。全真教にお
であれば、真の神仙
︵
8
︶
あるが、
か
上る例
は
、その目的は﹁百年
察
かれが入った府学や応じようとし ︵ⅡⅡ︶ ある。ところが 孫克寛氏は 、金史の の説をひいて、 斉 国が 府 試を行った 書物に ょ れば、 斉 国がそのころ科挙 ある。 府試 に応ぜられない破目におちい 武 学 に応じた。武学とは、軍人の登
めて、金の煕 宗 の元春年間に 、 たかな偉丈夫で、武略にもたげて とは 、すでに発表したとおりで がなかったとのべている 姥 健吾 氏 ︵ 蛇 ︶ 予伝 や背 国 割干 録 、偽 予 伝などの 孫 ・ 姑 両氏の態度はあやまりで
和 二年︵二
%
︶
十
九脚といったかれは
試験をさげようとし
とき礼法や祭礼をつ
詩の内容がいかなる性質のものであったかは、
その詩が現存してい
煮 にふれて、かれは
たといわれている。
てほ 、三教調和思想のほかに、なお合理 二月、陳四省の 威 陽の近くの大数 村 で、 、幼少のころから書物にしたしみ、孝経 て成 陽の府学に籍をお き 、さらに勉学を かむ 暁西 地方が斎国の勢力範囲 下 に入れ かさどる春官に、ある詩を づ くって贈っ ないから不明であるが、とにかく春官の ついに京兆席の 府試 に応ずる資格を失 っ 的 、実践 一荘園地 などの 傭 っづける られたと た。その 感情を害 てしまう ( Ⅰ 26) 10全真教団成立に 関する一考察
両国の戦いたげな わ
ぅ して、かれが応じ
え 否定しているが、 ゆ づって 、 こムで 。 は はぶⅠてお 、、, 苅 待 。 ︶
んだ王重陽は 、将
、 おづ かに 感陽 附近 なかった。
して、当時の社会
な っくり、臆の古手よ ダィす
ような日々を送るよ
る 。 市︶ 1 陳西 地方でま 十 狂
あるから、この一事
自負がつよく、自己
から他人を威圧する
ろ う 。
たくなったのであ
からが い 。けれど
ぇ られる。けれども、
年官 し 8 、終南山の ll Wl 打 )
Q128) Ⅰ 2
|
にあい、金丹 道 陽子と号したのほこ ぎほ 川中のほなれ すること二年に及ん せき づいて、一面 修 いる。前にわげた 全 らほ じまるのである。 めて少なかつた。 たる有様であった。 陽 真人 碑 ﹂のなかに ︵ 騰 ︶ どく敵視した禅僧の の 一句に関するかぎ 伯 と季 霊 陽の二人に 入っている和正 塘と 伝 によれば、いま 一 り ﹁大衆 は 三人より 、その言葉には耳も お まし者だった ねげ
察
している。
だことは事実であったで
甘
た 。おしえを理解し
んだことがわかった
ある。後世、その ぎ
逃げだしたという 一
し とごとく 仙 機を示し た ﹂のは、このころのことである。
弟子たちをきびし
動は きわめて短い期
双肩にになわれるこ とになったのである。 四
第二祖の活躍
(130) 14か各
篤 と く あ れ 地 球 倒 考 な ろ布 ぐ 方 た れ と そ 散 り と こ る ほ う を 歩 は と 。 い し
て、
行38
う まついて など 至重一桁
た は 陽 の さあ 行 な の っ な か る つ 宗 こ た お な い た 教 と の そ が ほ 。 活 を ち の ら 凹 か 動 物 、 基 も 中 れ の 話 ぃ 礎 教 で の 成 る く ほ 団 、 セ 功 も ば 徴 的
は弟
い ろ く 多 が痛ほ
ほ う し く そ に 、 気 。 て の な ぉ そ を 五 人 わ い の ょ 会 々 り が の 始も 活 た 微 を た し 勤 王 し し こ く の 重 た つ と ク ま う 陽 旅 ち は
こかも
とり
" " と さ叶っ
一 ぎそ れ 智 で に 成 れ に 明 泊 は 立 ら 従 と っ 至 か
のつ
政たつ
ら 弟 た め 宿 て み 千 人 る 合 い て た 々 と の な 想、 ち で と 主 か 像 を あ も 入 っ に お る にし
か た から
甘井 Ⅰ全真教団成立に 関する一考察
前の経歴について
真人馬宗師道行 碑 ﹂
示兆 の披風に家があ
が 、返却することがで
、ある人が突然やっ
としたら金だった。
を 盗んで殺した事件
かれの家は商人と高
家 となれたのにちが いない。
っ たかれ ば 、三重
籍 をおいていたらし
考えて、かれも至重
方は やはり 宋金 交戦
き らめて官仕を求め
いたのであろう。 か
測 を助ける一証であ
に 対しての心中の不 l5 (131)
(132) Ⅰ 6 満を、 酒にまぎらせていたのかも知れない。
その 教説 とに う た
段 なっくして、かれ
でひ ぎとめたのは、
ちぎられ、 寧 海州 随
、、 丹 陽子と号する 一 貧道となったのである。
暮 した。さきにの
の 入信と前後して 弟
さらにおくれて 劉長
八が、全真教の セ 真人と よ ばれる人々である。
その附近で師の仮
はまだ付場 だ げしか て 師の遺骸をこ ュ に
との
秋 、おのおの 今った 。王重陽は死に
念頭 卜卜 おかなかったⅠ
が、セ 真人の中では
配 はない。 処機 の 学 ︵ 勿 ︶
っ たのは、けだし 当
また大宅十四年以 になって、 内修 につ になったのである。 短期間であったにか さに﹁重陽の酷 教 ﹂ のたまものであったといわなければならない。 常 にわたって宗教 ある。 度人 とは人を 信徒の獲得と自派の んだとのしらせが 郷 たかを物語る一証で では、一時に百人あ にもなった。こ うし 察 突然京兆府から道士をそ 陽 にとっても、球面地方 。これはおそらく、日に このころにはすでに為政 ていたことの傍証となるであろう。 あたたまるひまもなく 半 Ⅰ 7 て Ⅰ 33)
(134) 18 らの詩集などは、 ない。けれども、 そ
と 思われるものを 選
ておく。
、儒仏二教に対す
8 十二月、 莱陽 の 遊
の 伝記が収められて
であろう。このよ う
中心になった第三期
つ までに発展するの
、正長春によって 見 展 はなかったであろ @o
た よ う に、教団の
しとや社会状勢という
。そこでつぎに、 こ みることにする。 五 開祖と第二 祖 の 教説
全真教団成立に 関する一考察 識 と 京 の れ る と 譚 し の あ ょ 人 渉 く は か る
あったらしい。
真 集のなかに
して太守にお
はほとんど 交
までもなく、
衆 に対しては かないためで
などをも布教 Ⅰこに 卜 ﹁峯君 木 ﹂
古は売卜者、
陽が 主な対象 人材を、かか 求めたのほ無理ならぬところであろう。
蓮 正宗 記にょ
み、気を松 峯 九転 なって 南
い 理解するこ 他の道教の知 詞 詩を通じて 19@ (135)
その 教説 をみると、なかなか難解である。
ろ もろの俗縁をた
白材 気 、 茸 粧や賭銭
、卑近なことをの べ
る 詩のなかで﹁金丹
どという金丹 道 の 用 ︵何 れ ︶
に 恋々としないのが
がでム くる。また ﹁ 金 公は神で、 黄 婆は気である。嬰児は陽気で、
気であるⅠとか、﹁
といつている D この ︵ % ︶
儀を 学ぶのには師は
どと、禅ににたとぎ方もしているのである。
足 によめないよう
苦しんでいた当時の
ることであったにち
れる。またかれの と
か 0 この点は、おそ
原因の一つほ、この ような点にも求められるのではなかろうか。 (136) 幻
たであろう。現に
、
、その名をしたって
の
推測を助ける一証であろう。
︵ ㏄ 4
う
︶
または真理をいみ
す
︵ あ
︶
る、
財をむさぼる
心
0
人は神々が家門の
︵ お
Ⅰ
などといつているこ
ュ
︵明
@
福
にかぞえてとくにのそ
ぞ
げて、
内修
をすしめて
如いるが、その場合に
、
山の中においても、
さらに、粗食のなかにこ
つってやれば地獄からほ
真
おそらくかれを知る
っ たにちがいない。
告白し
の 教養を
であった 、かれの 友 身にっ げ ということ 2l WI 繍 )
できる、︶︵ % ︶子が入信
、大衆にとって身近
れていることにほか
つどいている祖先 崇
て 、その難解な言葉
しくほしたしまれ
王重陽がまったくふれなかった ね げではない。 けれども、その量 か
中でふれているのは
めているのである。
たかがにじみだして
源境 をさす
|
・、春、大衆にとって身近か な 感じをもつて迎えられるにちがいない。
に手を携えていこ
の 楽しみを えようと
あるといつてい
とがわれわれの目を (1 ㏄ ) ル
全真教団成立に 関する一考察 23 ( Ⅰ 199)
は 、このような傾向
、農民出身などの 人
ても、山地主や網元
僚 属 に対しても、 積
する一策であるとと
しの方策は、のちに 丘
るのである。
はだ多くのべられ
つんでいたのに対し
がいない。王重陽はっ
じめにこつこつと 努
あるとの説をつくり
ない 0 このように、 のである。 六
教団成立の
一要素
げ のこのごとく ぞ
た宗教団体 は三セセ
セ 00 に上るという
とろえ、いまでは
ある。多摩墓地に現
の 典型的な例として 数多い に教祖が 要なこと び、すぐ 火の ょう いまのと あげてみ 宗教集団の 偉大で魅力 は。布教の れた組織 者 に消えさ つ ころでは、 よ う 。 か 重 い 花
、わずか二、三十人
ば
、幾分停滞気味の
級だ
げに
3
げいれ
ら
れているものもあれば、その逆な場合もある。
っ
0
集団には必ず教
などが、それである。
くは教理などが、
必
0
人格や言動がとる
ず
、あまり我勢がの
びない例もある。
(140) 24正文 成 会の長沼妙佼に対する庭野目敏である。 メ シヤ教の岡田茂吉 一人で両者をかねて 日域聖などがその好適例であろう。 テリ L 癩 摘など きない。けれども、 熱 のあること、人々 ﹂と、他人にはない 時 ほ 教祖的性格の持主 ということができる。 場合が少くない。 解 できないものだつ ︵ 絃 ︶ ある。かれは短気 ということである。 が 、組織者である。出口 、呪術宗教家である英数 つた。このような 組絃者 教祖としての 一 資格をそ 25 (141)
を 転々としたあげく
っ 豪気雄弁で、他人
与えやすかったであ
0 日本の信徒たちか
い 混乱のさなかであ
たにちがいない。 従 た 、ということができる。 つた。そうして、
ほ 、第二期になって
極 的に働きかけてい
ねば 、かれに は 企業 ゆ 期の全真教団にお あたる よう に思われる。
とえば、創価学会
をもった戸田城 聖が
の 苦しい人などが ふ
、官僚 属 にも入信者
はあるまい。この ょ
、政府もしくは他の (142)@ 26
全真教団成立に 関する一考察
セむ
び す示教々 団 成立の際の
陽は 教祖的性格の持
綴音的性格の持主で
立場にた ュ されたの
ての役割を十分に果
に 、見事に活用され
こ やような性格をも
たればこそ、正長春
きな意義をもって い るのである。
みると、意外にも
い 0 後漢のころ成立
返 するといわれてい ﹂とができる。
とんど注意をほら いつて、馬打 陽は教 織 者の好適例であったということができよう。 ぼ (1 ㏄ )
も 、キリストに対し
題は 、日本や中国だ の 問題といえるのでほなかろうか。 ︵昭和一一一一一一・一一・一一一穂︶
感謝の意を表わす。
的な役割の研 究 ﹂の報告の一部である。
還暦記念東洋史論叢︶参照。 2 、 甘 水仙 源 録は上海坂道蔵第六一一冊所収。
真教団の 一 性格﹂︵東方 学 第一 輯 ︶参照。 5 、 註 3 回 稿 参照。 4 、 孫克寛 氏の論文は大陸雑誌 八ノ 十所収。
冊 所収。 7 、立教十五論は道蔵第九八九冊所収。 8 、 丹陽 真人直言は道蔵第九八九冊所収。 9 、 註 d. 、 同稿 参照。
u 、 註 3 回 稿 参照。 u 、 註 4 回 稿 参照。 は 、 註 3 回 稿 参照。 M 、重陽 全 募集 巻九 ︵道蔵第七九四冊︶参照。
参照。 M 、 弁偽 録は大正新修大蔵経巻五二所収。 (144)@ 28
全真教団成立に 関する一考察
道蔵 第セ 六冊所収。
前掲 書 参照。この場合にも多少の異論がある。 m 、 今蓮 正宗 記は 道蔵 第セ 五冊所収。
︶参照。 % 、重陽真人今関 玉鎖訣は 道蔵 第セ 九六冊所収。 % 、重陽真人 授丹 陽二十四 訣は 道蔵 第セ 九六冊所収。
は 道蔵 第セ 九五 | 七九六冊所収。
第セ 二八冊所収。 お 、 丹陽 漸悟 集 奉上参照。 % 、以上四項は洞 文 金玉葉参照。 w 、骨湯漸悟葉巻不参照、 % 、以上四項は丹 陽 漸悟 集 参照。 % 、胴立金玉葉巻 四 参照。
直言には元祖 がセ祖 となっている。 ね 、 註 Ⅱ 同稿 参照。
祖 名を秘した。 ㌍、 註 6 回 稿 による。 29 (145 の
る 。 づ す 8 つオ B%o の り 、その系統を引い 質から離れてあって と 考へて超越 説 をと ,オ 0 目㏄ 口 ・ い 目印 の 臼ぜ 。弓の ヰ 0 トせ Ⅱ︵ お 0 の・ 現代まで続いてゐる。 に士以る ︵ せ ︵Ⅰの q もかこ める﹂ 十 官 ㏄ 0 。 - 亡
こと
% げ、又、古来、様 シアスの レ鮭 Ⅹの 戸由 no の東
光
寛
英
解釈
工
︶
(146) 帥
アリストテレス
の 純粋観想についての 望
ット の 解 程に従ひ 、 31 (1 仰 )
のの 解
程に営って
て アヴェ p エス 学スと は げ しく対立 拐 もののⅠす いトい の︶とを 区
% 分に属し能動理性
、かュ 6 人間的理性
一一 % 拠参 mw ︶。
粋
観想定
8% も 乱せ q 捺ン Ho Ⅱ ち ㌣︶でⅠ ひ あせ 而せトセ柁 市ト 自 ・日日日㍉。
の 純粋観想を解 理 す トマス の 解釈
プ Ho Ⅱ めヲ ︵の・ 田 。 オりづ
捜を受取り得るもの
るが、﹁思惟せられる
6 所が現 實 的に働く ︵ 3 ︶
が 一つの規寛態とな
& サま 接を受取り、 そ
である。この場合 受
% 相公のめ 0q め ∼ の も と
心ま
とは、思惟 せる
思惟せられるも
實
となって能動
理 性 と一 % となり、両者は一つの 現實 態となり、、同一のものとなる
のとなり、かくして
れを思惟する︵Ⅰもも とは同一のものとな 、 而も理性はそれを 的なるものも 鶴 。 も
帥萌 。 あ 心のふ㌔。めのものⅡ。 モ 01 鵠 ) 32
實態的
活動︵
ま
甘言、
し囲
スの 純粋観想につ しG
連理高
) 畳 り は で 醒 で 最 あ し あ 高 る て る 善 な ゐ 。 に ら る 理 関
惟 き 丁 」 を 現 度 と 続 實 睦 め げ 態 れ ァ る で る リ こ ち 者 ス と っ の ト が て 如 テ 理 可 く レ 性 能 阿
の
ス も思態でに言
と,
っ な 椎 葉 て い し が は 場 て あ労合
昔、
ゐる
なが
と 最 い 如く
なるなら
善 な、
(の ぱ 最
P な
衰 態 ㌔ の
は
次の如きである。﹁
最
聖ト本質的 實罷 である マス
見られるが如く
、が
思惟の最高段階で行は
うない。前述の受動理性
その認識対象であ
るが、その家は建築
料 をもたないものの
而して思惟 ? 田斉︵ し
かくの如く理性が m ゅ
な 認識に於ては質料
テレスが物語って ゐ
である。理性は 、時
られるものをもって
實は
、能動理性が
なって 現實 的に活動
の場合、思惟せられ
︶は 、かュる 最高
なり得るのである。 @5 イ
の方である、 とァリ
に 於て、神的性格を
性 にも興り得るので
の 一 % 化とは両者の
人間理性は神たる
現實 態となり、今ま を
性が
景一一貫
現 0 %(150)@ 34
アリストテレス の 純粋観想についての 聖 トマ スの 解釈
て 且 つ
最高のも
円 8 ︶は
我々仁は少時
として︵
弍 0 ﹁ 5とは出来ないので る 。 あ 又 間 の ︵ 7 ︶
神と 云ふ
最善なる
性 であると 云ふ 風に
れは思惟する 働 ぎを
である。思惟の思惟
るものそのものが 思
ある。即ち自己が 自
した人間理性は 、自
0 本性︵ 神 ︶を分取 す
思惟の思惟に
於 は 思惟そのものであ では人間理性とその思惟対象た る。﹁理性は思惟せられるもの る ﹂とアリストテレスが 云ふが れるものであり乍らそれ自身の 現實態に 於ては一つのものとなってくよって思惟せられるもの︵ 神 ︶ とな れるもので od よ こであり、思惟せら 。かくの如く、理性の最高段階に於て 35 (151)
によって神の認
みよう。
世の人間では神の
三巻、第四十六章
三章︶の﹁精神官,の 年 ︶は、身縄の感覚によ って切籠 的
事物の知
に 精神は自ら自身に
ぬ るが、それに つ い
丼 物 罷 師事物の認識
々の精神は自己認識
し 乍ら﹁それは、 精
﹁︵の 0 ︵⑧認識すると
︶ 臣旺 0 に。 0 ︵甘のち 0 のの ロ 安元こ
︶ 汀 c ︵ ロのつ 0 のの手い ま ︶に
い っ曲の︶知解すること
スティ ヌス の引用文
らを愛する 宙 ョ目こ
へ 到達するとの理由
ら 自身によって 、自 ︵縛の・の・∼︵Ⅰ・ か e 。 か く Ⅰ 52 Ⅰ 36
アリストテレスの 純粋観想に
精 ・ 決 ゲ あ
類に
押 し め る に の現 る ) 的 あ 度 實 に そ な る 第
で 自 自 色 は も 37 C153) ついての 聖ト っ 知 る て る 様 宮 様 な 己 な 場 自 情 合 見 神 で を の あ も 眞 る
れ 識 戸 の で 甲
㏄
み はみな み は。
ぺ父 神 Ⅰ
にし
時に にしる 現 を
が實
そ人雙塞
間 あ 質 め れ に 知 は ょ 性 " つ は そ て 可 の 自存 に 身 花 ょ を の
自己認識に開し
釈 pq ︵ pn 三のきのⅠ︶自己認識で 魂 をもってみると 知貫する 。が然し、これに 。 ロ ・㏄ べ 。 a ﹁︵ ,い 。 オ ︶。 9% ご 。従って 精
日性荘 Ⅱ ざ ︶ によって 知
。即ち人間の知性
、精神は本貫によっ神 が他のものとは 如
p の・ H 二色。我々人間の認識と 云 ふものは、 る ﹁理性が自己 自
一組、或る場合に
繍あるのではない。
そ鰻
如き人間精神の自己
惟 ﹂の純粋観想の引
かを見てみよう。
まュに 解碍 して ゐ
る 第一思惟対象なる ︵ 蛉 ︶
惟対 象とはトマスで ︵Ⅱ︶
分有することに
ょ一 思惟対象には、
。而して理性が何
ヨのコ の c ︵ g の ︶ と云 ふも - は ︶
自己認識とを 匝則 し
みない。これは 凡
碍
してゐることに
第九章の﹁。思惟の
理性は: ぎ ︵の け ec 三の
らである。トマスで
アリストテレス の 純粋観想についての 聖 トマ スの 解釈 見 の に 純 で で
0 課題ではないの
畢び 取れば よ いの
惟の思惟﹂と 云ふ 粋 観想に至って神を認識することは出来ない。
思惟﹂に到ること
ると共に、トマス
粋
襯を論及して
よ う 。性 と﹁ 凡 ゆるもの
可能理性 ? 。 ぢ
or ︵のは﹁ 凡 ゆる
その受動理性とは
︵ セ 6 つ Ⅰ 可描 申せ ヰ ︵沫も w..
nO 。 ュ 0 はこれを 善にして正文最も快いものだが、その観想を 、
自認識的観想とは 解 ︵ @u ︶ 揮 してみない。
りも後者の方である﹂の 解 澤は次の如くなす。 即ち 神 的にして高生貝
而してその観想は最 ︵ B ︶
らない﹂と述べてい
0
更にトマスは
、るのである。トマ 39 (155)
0 ゴ ez ら 九 %
舌即
クイナス 9 知性論⑥ ︵ 2 ︶ ロッス の解釈に従 ふ 。詳細は註 5 を見よ。
アレクサ ソド ロスに
し 、ジャク ソソ
のものが自らに 於
惟 せられるものであると 云ふ 理由からして: 帖 Ⅹ e Ⅰ の 言葉を用ふる と
づ ⅠⅡⅠ︶
し ︵ オ 0 のの、円安田︶ 、
の 実体であると
、自存的 可 知的実
どと云ってゐる
・Ⅰの nn ぃ e 。
ス 様々の解釈が生
の読方 によって こ
のをもつと考へ
としてのみこの
ではなくて神の観
者︵ 現 佳熊︶より
㏄の 0. ㏄の ト ︶ 0 ロ ツ
入して不明瞭な 代
接モ かり 文描 こ よ めノ ンっせ
アサストテレス の 純粋観想についての 聖 トマス の 解釈
下荷 日 五か︵ wo 口口︶ 41
対象は神︵早口の︶と呼ばれる。トマスでは は 第一思惟対象 た
に :のⅠ ec 三三 ざ, ㏄
㏄ 邑曲 円仁Ⅱ け 口目ののⅠ 宙 @
ついてもつと 考
ド ㏄︶ 0 この解釈
To 串 oc, にするか
に
、かの究極的 原
ある。
れば、
化する様になるの
的なるものを所有
最善のものである﹂ 父 0 のの, ま Ⅰ⋮㌧・ 蓮 S 。
ぬめラテソ 訳の
る 。これはア ン
片戸 ヰ Ⅱ ぎ田 凹田 @W ハ Ⅱ片戸 レの "
釈は古 訳の方に
そうである。即ち
宜 0 目の乙の ra ︵ ざ ︶ は に 於て見出される
よ れ ば、、 ∼ x 。︵ vo 。 ,ば
様で、 , ン田 し の 、
ヒノ 。 づ 。 コの
0 円捨ゴ ハツ , 10
日ツ 宙のの円 c ⅠⅡ ツ 0 のⅠ
に
完全なる至福な
るものを取扱
ふ
場合⑧
動や思惟作用であ
ってはならない
りミ
0
日Ⅰ
ゴ ・
キ ・
田ト
のま
F.
ぉ ・の。︶
能
的理性︵
ぁ
:
q.
は神的理性そのも
授
㏄Ⅱ
ゅ ︶。
ポ一
白つと
。トマス
日
・︶︵∼︶
e
緯
Ⅰ ア
・ キ、
るに、それは神のものか人のものかに問題があるが、
両者を包含する
意
神は現実態であり
その快楽の為にこれ
ぬ
るのであるが、
快楽であると云は
りそうであるが
如
究極的完全に至
。観想の活動は快
﹂に最高の快楽がある。
象に肋
きかけるの
で、
やほり
質料に関係する。
アリストテレスの 純粋観想についての 聖 トマスの解釈 ︵Ⅱ︶ 註 5 を参照せよ。
日 ︶ 局 Ⅰ e ∼∼ ト 内の目 円 e e ︵
︵Ⅰ 笘臣 の絹目さく e ヰ こ 0 コ 0p ㌧ ヌ ︶ 臣 ㏄の 曲 二戸 由 ︶ 隼 ︶ 臣圧 0 二︶㏄ ざ臣 0"
コ のの しす卑 曲目 ヱ p ヨ 日神色二の 0 口 零ヨ 9 日さ年何 % ︶ 汗ヨ ︵ M ︶ 註 5 を参照せよ。 43@ (159)
三才の t 田のの プ の Cr ︵のⅠ︶の 純粋理性の一般的課 理性からの認識門下 で 云いかへられてゐ 従って﹁理性のあら はもともと﹁形而上 る 。 一 ・形而上学の立つ 工学の主張をどれほ しその人が予めこの 問題を十分に解決することが出来ないならば、 空疎な根拠なぎ哲学 禾 wW 面上学の成否 卜レ
0%
申せ
ゴ
せゑ
片
|
一つの序説として
||
阿部正雄
(1 ㏄ ) 44
矛盾との動揺せる
状
せられねばならぬ﹂
口 ・ちとも彼は云ってゐる。
さに我々の熟知す
の屈 ︵ ぃガ、ロ
・いりに外なら
円 ののの コ の
0 ゴ簿 よの出現を
学の出現を促進する
直したのである
0 形
性の能力自体を批判
45 (161)
の 関係にあるものと 定し 去り、認識の対
け れ ば
ならないと
邸のであらうか﹂とい℡
へた。さきにのべた
紙 に現はれた 間ひ
て 云い 現は された﹂ の Ⅰで す出 0 の 0 で ダ援ゃア の パ Ⅰ ぎ ふの 日臣ダ ㏄・肚の印Ⅱ e もし人間理性にとって知的直観が可能であり、
、思惟するがま ム
表象であり、何らの
正しいであら う 0 し
てゐる対象のみが 初
からの抽象ではな
ぅ 如き純粋に能動的
のでありつ L 、対象
象は予め感性に与へ
必然的に合致し ぅる
たのであった。従っ
象 と認識の原理とを
識の原理︵源泉︶を
関係に入りさるかを
ぎな
モティーフであ
口口ロⅠ︵なる書名・
|
1が初めて現はれる
性 のみならず悟性と
を 確実に
、
且つ明瞭
て 、如何に甚大な影
的に切りほなし、
原
ik
47 (1 ㏄ )
な 学問としてその
現
可能か否かを
間ふ
0 サ
早 必要でほない
i@
、それの可能根拠を問
ふ
臣
%
安⋮・
ヨび笹
ずて
意味ではなく・
|そ
味
でなければならな
許されないのであら
守口
pnE3
戸︶現実的
止み難い要求として
なく,
ヨ ﹁オ田
も 数学、自然科学
︶︵
ず
"
下の
05
ヨの目
審屯
ね 、その可能性さえ
﹁如何にして
としての形而上学の
づ 注意しなければな 48
のである。それなれ
をなさんがため、
いふ、間
ひの
共
@O
識の事実としてなのであ
ぬ学
、純粋自然科学に
お
が
原理としてふくんで
ゐ
を間
ふと云っても、それ
︵
ず のの
ず
E 臣
ト
くのお
舘
ずの
講学﹂の可能制約の
誌
されてゐたのであ
リラ
ると同時に
、他
ての形而上学の可能
性
の一般的課題が
49は ぎ は の 、 の て づ 礎 要 ン は れ 試 図 然 と つ 数
が の に な
ま 政 し般、 を た % 没
判地
専 、 の の一純
て て 優 先 べ 可 の と と し L と 即 ん
科に
て 田 中しな。
、
し新
なに
さす
るも(1 ㏄ ) 50
か
。﹁私の位置は経験と
旺
粋 理性批判の深 き 理解の
を
確実な学の事実として
ぬ
]
ダ
この問題は、これで十分
一 一棄
して独断の愚を繰返すことになるであらう。
ト により
袖条
の ㏄
0 コ
の
。ゴ曲
由 二の
ゴ の
れる。彼は﹁
数
口コ
のの・
ト
㏄Ⅱ︶
と
派 曲解釈を否定
ことは厳に戒められなければならない。
ない、問題をはら
める学の事実であったのである。
純粋理性批判の究極意図は﹁形而上学の源泉、 しての形而上学の 田 ののの下の c ア簿よは 如何に
のものの出発点をも
それの可能根拠を間
としくその可能根拠
いことはそのことで
ふ
点である。
基礎をなすもの
0
日
0
天目。
プ 。
田 ㍉ ヰ卸ア
Ⅰ口ロ
ぬ
れないであらう。
さ
いては経験の事実を
のか。そして両者は
楽章へとその
モテ,
1
7
を
展開してゆくのであらうか。
(168)@ 52カソ
かし我々の直観が単品 ト にお け
丈 に自体的に存在す 然 をその存在性に関 瑚 Kritik
日か
O す ム ㏄ る 出 自 し 然 の産存
こ Ⅴ こ と 与 は へ
ず て い た な ビ け
れば
我々なら
対 に し なま な ぎ る S 我
象 し 4 て
Ⅱの
円ネ
0
いト一ハドのⅠ 目 し認しS
曲のの 日 と Me ね phy 舖 k
立
不可能であらう。
又
主体的地盤たる我々㎝
に
止まらず、同時に
存
的であると同時に
論
的解決を示唆し先
ので目オ
宙
0 口口・
パコ
の
。︵高坂
正
顕著﹁
カソ
の
問題の認識論的解
悟性概念としての
範
ものの可能を問ふこ
撫
づげられるのである。
、
必ずしもそれ自体
び
形而上学を学一般
を
解明せんとする。
、主体的な経験の事
する学の認識論的基
備
工作として、それ
カソト における Kritik と Metaphy ㎡ k
るために、 まづ学
制約が求められてゐ
の事実を前提としっ
認識、即ち形而上学
な 学の道を歩める数
り 、これとの並行的
経験の事実を前提 し
を 踏んで﹁ 学 として
理性批判なる一大 シ
どのべた如く形而上
学 たらしめえた、 そ
的 方法とも 云ふ べ き
﹂ そ、 彼のいはゆる 批 判 的方法を形作るのである。そしてこの両面、
、学的万法の導入に
ための前提をなす
Ⅰ 目黛ダ 0 隼の ロ ・Ⅹ パコ の 故に外ならないのであらう。 四 55 (171)
それほ形而上学に対 る 相貌を呈するのでほ あふ ま いか 。 暫 らく差し控へ、 面上半といふような ふ 問を提出すること メナ L 冒頭の言葉はこ
、 巧まずして物語っ 面上羊一般の可能 不 ォの 意味であった。 ものとみなし﹂ 、まづ も去 ふ べ き 特殊の運
誠 において理性は自
は 理性の二律背反に
却 せんとしてすべて
てゐる。﹁::私の
初めて独断の微睡 か
の 如き観を呈する 障
︶形而上学の歴史は
れは果しなぎ闘争の戦場であり、長き迷ひの道 であった。かっての 方 (172)@ 56
した理性の二律背反 妄 くのⅡ ヴ 。Ⅰ的の臣の H
﹁﹁Ⅰ
宙・
出発点に立つむ カン を 歩める学をかへり み、人間の理性能力 学の可能を問 ふ蒔、 移して、人間自然の 問題として深く主体 く 0 目リ 二の﹁ し ﹁︵リア㍉目口ぬ 性 批判であるが、それの前提としてま づ 経験 口 ㍉︵の ァ﹁ 目品そ
ハツ
もか り
る ﹂ し・
デ からであ ある。 る 。経験的認識こそ ph 五 げ お 疑 ひもなく我々の悟性が 識を与ふるものは経験で 57 (173)の 我々に示すところ
い ふことではない。
、しかも無尽蔵の源
であって 、 必ずしも
釆かュる 普遍性を欠
理性の求めてやまぬ
提供しないならば、
られんがためには、
ない。超越的なもの
ればならない。果し
ぎ な い のでほたから
あらうか。
経験を多様なる 個
別 的経験の如何なるものをも可能ならしめる
全地平を開く如き
0 としてこれを把握
験的 認識と目される
語るならば ヵソト の
のは種々なる白飲、
(174)@ 58
カソト における Kritik と M8taphysik
に 批判は経験の事実
認識される限りの 自
様 性、個別性の次元
った 抽象的次元では
あり、しかもこのこ
う に多様な経験や種
﹂で経験一般の可能
れられるのであり、
ュる 一つの経験色目 の
ものはあくまで日常
しからばか上る一 つ
のであるか、そして であるか。
主張する如く因果
すれば 1 1自然科学
る 経験論的主張には
もう 。数学は ギリ
てぬ るのである。
能 ならしめる地盤 59
であるはずの経験もま ても l 1ふくまねばな る 経験、理性に対し 権 @@ を 究明し検証せん ると 云 へよう。 経験は単に偶然的な とは 云ふ までもなく 直 感性論及び分析論は 、 念に 媒介する純粋直観 い ふこと 0 二つには、 ればならぬ。対象の所 えないといふこと。﹁ はれるのが、このこと 原理とする普遍的必然 つュ 、感覚の多様を統 時に、直観の協同なく いふ 、人間認識の限界 さてこのように感性 は 、経験が広く認識 一
割を果し、従って経験一般を可能ならしめると
偶然性を免れしめ、むしろ先天的綜合判断を
の 可能根拠を見出した。しかしこのことは 同
如何なる認識も客観的実在性を持ちえないと をも示したことを意味する。
(179)@ GO
即ち形而上的認識の
を
明らかにすること
げてもその横網
論に
の
多様の綜合統一の
んとなればこしに
一の必然的制約﹂の
経験的使用ならぬ
超
る
所以が明かにせ
認識を越へ七道徳的
の事実を前提とすると
を
前提とし学の事実
事実を前提とするとい
学の事実をば単に客観的
しっ
L
主体的立場
1@
た
工学の中に導入せんとす
6 Ⅰ (177)してそれの可能根拠 にする。﹁幾何学者 ﹂れまでの万法を変改 たのは主として第一 識の源泉と限界とを ﹁純粋理性批判 L が 、 は 、 相 表裏するこれ 的 認識成否の鍵をな された先天的綜合判 い 0 カソト も 云ふ 。 ㏄と。禅杖つて 云 ふこ その形式的原理を間 んとするものが形而 工学三の︵ 笘 チセの目に外ならないと。 11九五五・六・十五 || 妄 不良学芸大学助教授︶ (178) 62
福音書における 伝達の問題 ほ 参与宮田︵・︵の 戸 すし
実存への参与の招き
るような教理の授受
る 事が出来るような
である。新約聖書も 伝達史書なのである。
く 。福音書に限 っ
式 が一見何の統一 も
もなく、 たビ 時と処
何か首尾一貫したり
いられねばならな
川端
純
四郎
63 (179)な 伝達の様式がキリ
達は 必然的にこの ょ う な伝達の諸様式を生み出すのであろうか。
としているところ
出来ない 人 ぎなひら
に
耐えないのであ
験の内証というもの
宗教的境地や宗教的
﹂で経験せられる対象
域が 、日常普通の経
言説や論理をもって
である。・﹂︵石津教授
中にほ、あきらかに
そこからあの多様な
ト教 的実存の究極の
伝達論を福音書記者
の 立場からの解釈な
盾 関係が実際に存し
しろ福音書記者があ (1 ㏄ ) 64
は神が終末時にあ
も
は、このイェスが
メシ
どこに存するのであろう
る オ 如く﹁十字架のこの救い
:
し 曲の
Cre
ず ﹁
ず
3
三口
ョ
・
在
にあてがって見れば、
あるに体ならない。十字
一 一って、伝達されん と
れてか ム る伝達様式
自覚していたと思わ
は 、それ 程 明瞭な 自
の真の意味を伝達さ
者の本来の意図の方
我々の立場から道観
解 が日 標 なのである。
もあるので、特に
事 にしたい。 65 ( Ⅰ 81)
架は 古 き 人にとっては 死 以外の何もの 固執せず、 己 れを放ちやる者にはそれ 去なるもの、そして何よりも自己自身 がそこにおいて死ぬところのこの真の り 、この生命を受ける 事は 地上の死を 彼岸の生命であり、過去的なるもの ュ 人間にとっては決して手もとに所持さ ない﹂ 宙 on 甲ツ ⅠⅠ pn 吊ツ Ⅰ︶ものであ イハワ 。Ⅰ 1 レか を 断念したものとしてその古き自己は ﹁時の間﹂定考 ドの 0 二の目 隼 0 戸 い 0 品。 臣 ︶に の 生である。これは﹁古い物は過ぎ去 生であり、この﹁時の間﹂の間一髪に エ スのために絶えず死に渡されている なのである。彼は、この世にありつ ュ い 。彼は世にありつ ふ も世に属さない なものへの関与は﹁あたかもないもの 彼は自己自身から本末の自己自身へと エ スのキリストた人 リ 事の生口 丸 で士の スリメル 未読的に実存せしめることにあると三二口 欲 とを十字架につげ 、 此の世に げるもの、世につけるもの、 過
する道である。人間の自己願望
る 。それほ死における生であ
棄 において与えられるところの
のである。その限りこの生命は
のとして、それは常に﹁いまだ
き 自己を放ちやり、此岸の生
はやなく﹂﹁いまだない﹂無の 期待する生が、十字架を負 う者
かの終末を常に己が身に負 う イエスの死をその身に負い、 イ
宙し %p の︵ 臼 こと呼ばれるもの
心せよせず、世に支配されな
彼にとっては一切のこの世的
る ︵ コリソト前 セリ 十 九 | 三一︶。
0 便信の中心は対象的には、 ィ
間 をしてキリストにあって 終 え よ う 。 ( Ⅰ 82) 66
よ る伝達が我々の当面の
のせるに足りるであろう 6 ア (1 ㏄ ) お げる伝達の問題 る 終 末 伝 達 を も つ て そ の
に や 、 ぃ の っ は し 在 は と ろ の キ @ ス よ の か か い 手 サま り い う 本 の の ケア 目 @ て り,そ さ 外 ら ま 未 し
在従
, なれへ 的終
あ 要 の の し 。常直
の に
常にある時代、ある国において、特定の世界、
自然、人間理解の規定の下
る
事柄について、
そ
本質において過去的
論
的実存は
、かュる
真に終末論的なもの
において在るのであ
るのでほない。歴史
に 述べうくす事の出
来ないのほ当然であろう。それは真に将来的、
︵ 0 一 0
ぬい
の 臼じ
、過去的、
えないのである
0
し
には成立
屯ず
、逆説
して、常に新たに
歴
(184)@ 68
福音 吉 における伝達の 問題
に
左伝
を 含 ま 指で背
な ど 近 と来す
、 伝」
の は 一 3 倍 セ キ つ キ か
伝本
約 言 を そ セ な ほ ッ リ て り に 達 質 さ 葉」 」 に を 、 史 紀
ら て ね い 後 る
者 も は の と
69 (1% )
あって、文体様式と
口 ったように、 七 ⅠⅡ ノス
それ
ム
Ⅰ何かに ょ せこにおいて実現され
、一切の歴史がその
アッピールとしての
口 、接話:論争、十字
エ スが 、或 いほ福音
論 的実存へと呼び出
ら 遊観しての伝達の段階なのである。
察を加える事にしたい。 1 、告知・宝寺一口
る 。それは福音書
れを捨て ュ 我に従え
を 信ぜよ﹂二・一四︶
釆 なさい。自分の
︵八・三四以下︶
いる事は決して 出 臼 ㏄ 70
来ない﹂︵ 一 0. 一五︶ 、一四・一八二等が あげられるであろう。 よさに、聞く者の
たすらな招ぎであり、 又 約束である。この﹁ め 旦茜 、告知﹂をもって
接 的伝達ではなく、
ような驚きである。
煩いが彼を支配して 彼にとって一つの 驚
、 負 い 切れない過去 彼は日常の生活と 労
り 動かした。それは
心 れよ う としても忘れ
もはやこのショックを 受
えたのである。告知 は聞
ある。
教えているにすぎない よ
もない格言 風 の 智 恵が 、 71 (1 打 )
ながら、しかも 聞
出されたこれらの二言 口
れは ヒストリ,シュ
聞く者をして思わず 反 擬せしめるような不可解な矛盾は存しない。
し 、この 近 づきやす
これを間接的伝達と
はこュ に手がかりを
はそこに隠された 真 ﹂ろの隠されたもの、
ぅ 。史的な言葉によ れるであろ クし ︵ 四 ・ 廿 五︶ 廿
な
「 ん で も 隠 れ て Ⅰ ヤ る も の で 現 わ れな
し五も
の クま な く、 秘 密 Ⅴ ウ し p さ れ て い る も の で 明 る み ひァ ヒ 出 な い も の 十ま な い 」 四 いている。マルコ 福 ものをあげれば次の如くであろう。 る ﹂︵二・一七︶ い ﹂︵ 二 ・ 廿 二︶ (188) 72