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真宗研究21号 002寺川幽芳「女子学生の宗教意識について」

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(1)

女子学生の宗教意識について

寺Z

か わ E E F ’

長幽す

女 子 大

き芳守

この調査の目的、 お よ び 、 これまでの経過について との研究は、社会的態度測定の方法を用いて女子大学生の宗教的態度||特に仏教に対する態度ーーをとらえるこ とによって宗教教育の基礎的資料づくりをお ζ なおうとする目的のもとに、京都女子学園仏教文化研究所の助成をう けて、昭和四十七年七月から、京都女子大学の小田義彦・大塚義孝・長安章俊・寺川幽芳の共同研究として継続して い る 研 究 の 一 部 で あ る 。 これまでの研究の経過については、すでに京都女子学園仏教文化研究所司研究紀要﹄に発表しているので、 はその詳細について述べることは差しひかえるが、参考までに今日までの経過の概略を記すと、まず第一段階として こ こ で 態度測定尺度の作成をおこない、 つ い で 、 第 二 段 階 と し て 、 その尺度を用いた第一回本調査を実施した。 すなわち、態度測定尺度の作成は、学生・宗教関係者・一般社会人等三一五

O

名を対象とする予備調査から得た一、 二 一 二 五 名 の 回 答 の な か か ら 、 仏 教 乃 至 宗 教 に 対 す る 意 見 を 抽 出 し 、 その文章表現の統合・整理など数段階の検討作業 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て

(2)

何時、許制 G 眼寺挙制緩泣かニド 資料①

宗教意識調査(

T-1) 圃お願い 1. ζ の調査は、日本のいろんな人たちの宗教{特に仏教) IC 対する考え方をありのままに把鍾するため 11: 計画されたもので、調査結果は統計的な分析に使用され、あなたにど迷惑をかけたり不利益を及ぼ すようなととは全くありません。もちろん無記名ですから、どうぞありのままの意見を記入し

τ

くだ さ L

2. 記入の方法は、左側の 1 ∼ぬまでの意見を読んで、それぞれの意見 IC 対する「あなたの意見 J を、右 側の「大いに賛成・賛成・どちらともいえない・反対大いに反対 J という五段階の答えのあてはま ると ζ ろへ C をつけてくださ L 、。 <意見> 1. 日常は仏教について特別な意識もなく、信じているとも思っていないが、苦難に遭った時や何かにすがりたい時 には、思わず手そあわせて拝みたくなる。 2. 人聞が何らかの心のささえをもつことなしに生きてゆけない ζ とは判る。しかし、それは宗教以外のものでもよ 〈、要は自分の心を豊かに生きらればよい。 3. 仏教の説く人間観や人生観には深い真実が示されているので、 ι ゅ奥底か ι 深〈感銘するととろがあり、生きて ゆくうえの究極的な心の支えである。 4. 仏教は祖先伝来の家の宗教としてかかわりはあるが、先担の供養や法事は日常の慣習のようなもので、その教え について深く考えた ζ とはない。 5. 本来の仏教はすばらしいものとは思うが、現在の寺院や僧侶、信者などのあり方をみていると、釈迦の説いた本 来の姿や成立当時の純粋さを失っているので信じられない。 6. 仏教は自己のより大いなる成長、真の自己実現を可能にし、人間を本当の意味で人間らし〈育てあげるカをもっ ている宗教である。 7. 仏教の宗教的価値はわか

ι

ないが、仏教が日本人の生活に深く結びつき、芸術や文化等 IC 測りしれ江い影響を与 えてきた点で興味と関心をもっている。 8. 一般的 IC 言って宗教の所説はいずれも非科学的であり、信ずる IC 足るだけの客観的根拠がない。科学的に証明で きないものを信じるととはできない。 9. 人生には理性や科学のみで解決できぬ問題があり、その長に関して、仏教の説く物の見方や考え方 IC は、現代人 の求めているものに応えるものがある。 10. 特定の宗教は信じていないが、宇宙や自然界に人間以上の大きな力が存在する ζ とほ信じる。しかし、それが特 定の神や仏というものには結びつかない。 11. 仏教といえば、死後の世界のものとか、線香の匂いと葬式のような陰気なイメーグしかな〈、現在の生活!と直結 した身近なものとは思えない。

11

宗教意磁調査 CT-1 He 入欄 (学校名又は職業) (学科・専功・学年) (ftgij) |(年令〕 才 (家庭の宗教) 教 出 刀=ミ (出身高校の区分) 0 をつけてください 1 1 量ー公・立 2 fl,,'r. イ 宗教に関係のある学校 f 系〕 ロ 宗教に関係のない学校 くあなたの意見> l

i1'''i

r,y

, 付附 I*''§ 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11.

(3)

12. 仏教ば日本人の生活に最も深〈浸透してい毛宗教であり、その教えは倫理道徳につながり、紅会生活の道徳的装 準となっている。 13. 人生には科学や理性で割りきれない不可知なものがあり、その点で宗教の必要性はわかるが、実際 Ir 自分がそう した場面に直面しないと何ともいえない。 14. 一つの宗教を信じると、その宗教の世界観や人間観 1r 拘束されて自由な生き方が出来な〈なり、何か心の狭い人 間になるような気がする。 15. 仏教が歴史的にも地域的にも世界的なひろがりにおいて信ぜられてきた事実は、その教えに人間の心の糧てとな る必然的な真理がある己とを示している。 16. 人間が生きてゆ

1

うえで何かにすがらねばならないような場面が生 U 毛のはわかるが、現在の自分は幸福であり、 特 1r 宗教の必要性を感じていない。 17. 宗教を信じなくても、別段毎日の生活を送るうえで何の不便も感じない。宗教はしょせん苦しい時の神だのみで あり、一種の気やすめにすぎない。 18. 仏教は日本の文学や恩惣・芸術など、その文化 lζ 大きな影響を与えてきた。日本人の心情 Ir 適した教えとして、 その精神的基盤となっている。 19. 仏教については、ある程度の理解と関心はもっているが、それ以上に“信じる”というような状態にはない。ま た特 lζ 積極的に求めようという気もない。 20. 人間は社会生活において、物質的に平等に、あらゆ毛疎外から解放された段階で初めて救われ、本当の幸福が得 られるのであり、宗教で救われるとは思えな L

21. 仏教の教えにしたがって生きる乙とで、人の世に生きる喜びと感謝が体得でき、充実した生活、明るい幸福な目 々を送る己とができる。 22. 神にせよ仏にせよ、結局は自己のうちなるものの投影であり、最後に頼れるのは自分しかない。自己 ζ そ絶対で あり、自分の力で充分生きてゆける。 2 乱宗教とか信仰という己とで仏教を考えたことはないが、仏教的な物の見方や考え方 1r は、思想的に、哲学的に関 心を抱いている。 24. 仏教は祖先伝来の宗教であり、先祖代々の家の宗教であるか色、仏を拝み、先祖を供養するととは当然のっとめ である。 25. 仏教にとどまらず、どのような宗教の教えにも各々もっともだとうなづける点があるので時に応じて神や仏を拝 み、その教えを仰いでゆけばよ L 、。 2£. 人聞には理性や良心があり、自分の力で物事を解決する方が合理的である。神や仏 l とすがればよいという安易な 考えは、人間 IC 与えられている可能性を実現してゆくうえでかえって障害になる。 27. 仏教は社会生活 Ir 深く浸透しているので、日々の生活のなかで知らず知らずのうちに仏教的な物の見方や考え方 が身についているようだ。 28. 現在の仏教は、自分の生活と遠〈かけ離れた形式だけのものであり、せいぜい日本文化の理解や古文を読むうえ で必要な知識でしかない。 2 虫 もし神や仏がおられるなら、悪人がのさばったり現世の不幸はなぜ起るのか? すべてのととに疑問をもっとと を覚えてしま勺た現代人 Ir と勺て、心底から何かを信ずるというようなととはもはや不可能になっている。 30. 仏教について深い理解もなく、また、特 IC 信じているという意識もないが、古寺を訪れたり仏像を拝することは 好きであり、そのような時は心がなごむ。 や〈トト許制 Q !民総制緩!,!やニド 12. 14EE18Q 凶 OLZ34EatBEO 111111122222222223 111

(4)

女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 四 を経て、最終的に、資料①のような、好意的意見群叩項目・中間的意見群叩項目・非好意的意見群叩項目、 合計却項 白から成る調査表﹁宗教意識調査︵

T11

どを完成した。 そして、昭和五十年度において、 乙の調査表を用いた第一回本調査を実施し、その結果については、 現在なお検討 を つ づ け て い る 。 し た が っ て 、 乙こでは、その本調査の結果の一部をとりあげて私見を申し述べたいが、 乙の本調査のさらに詳細な 結果等については、近日発行予定の京都女子学園仏教文化研究所﹃研究紀要﹄第

6

号に掲載される予定であり、是非 本稿とあわせて通覧していた忙くようお願いしたい。 本 稿 は 、 昭 和 五 十 年 度 に 実 施 し た 第 一 回 本 調 査 の 結 果 の 一 部 に つ い て 、 真 宗 連 合 学 会 第 二 十 三 回 大 会 に お い て 、 研 究 員 の 一 人 と し て の 私 見 を 発 表 し た も の で あ り 、 京 都 女 子 学 園 仏 教 文 化 研 究 所 ﹃ 研 究 紀 要 ﹄ 第 6 号 の 論 考 は 、 そ の 後 、 本 稿 の 私 見 も 交 え た 研 究 員 の 共 同 発 表 と し て 提 出 し た も の で あ る 。 し た が っ て 、 そ の 内 容 の 一 部 、 特 に 調 査 結 果 の 資 料 等 に つ い て は 重 複 し て い る も の も あ る 反 面 、 相 互 に 未 発 表 の も の も 含 ま れ て い る の で 、 そ の 点 ご 諒 解 い た ピ く と 共 に 、 前 述 の よ う に 、 本 調 査 ま で の 経 過 や 手 続 き 等 に つ い て は 本 稿 よ り ﹃ 研 究 紀 要 ﹄ 第 6 号 に 詳 し い の で 、 で き る だ け 双 方 を 参 照 し て い た だ く よ う お 願 い し た い 。

二、第一回本調査の結果について

全体の結果とその傾向

﹁宗教意識調査︵

Tl1

﹀ ﹂ による第一回本調査は、 京都女子大学文学部・家政学部・短期大学部の学生二、 八 三名︵回収実数︶を対象として実施しに。

(5)

グ ラ フ

A

は、その全体の結果をグラフにしたものであるが、 グ ラ フ の 数 値 は 、 調査表設問項目に対する回答に対し て ﹁ お お い に 賛 成 ﹂

5

点 、 ﹁ 賛 成 ﹂ 4 点 、 ﹁ ど ち ら と も い え な い ﹂

3

点 、 ﹁ 反 対 ﹂

2

点 、 ﹁ お お い に 反 対 ﹂ − 占 山 と い う評点を与えて数字化し、全体の平均値を出したものである。 尚、グラフ化に際しては 検 討 の 際 の 便 宜 上 、 資料①の調査表設問項目を、 好意的意見群︵

AIJAm

︶ 、 中 間 的 意見群︵

B1JBm

︶ 、 非好意的意見群︵

C1Jcm

︶の順に配列しなおしたが、 乙の序列は、我々が仏教への最も 強い好意的意見と考えたものから最も強い非好意的意見と考えたものへという方向で配列されている。 ︵ 乙 乙 で は 、 参 考 の た め 、 グ ラ フ の 項 目 の 末 尾 に 調 査 表 で の 番 号 も 記 入 し た ︶ グ ラ フ

A

に つ い て 、 まず注目されるのは、プロフィールが評点

3

︵ ど ち ら と も い え な い ︶ の線を中心にして、好意 的意見群から中間的意見群へかけては左方︵賛成の側︶ へ ふ く ら み を み せ 、 非好意的意見群では次第に右方︵反対の 側︶へとふくらんでいることである。 すなわち、好意的意見群や非好意的意見群においてよりも中間的意見群に対する肯定度が概ね高く、 しかも、非好 意的意見群に対してよりも好意的意見群に対しての肯定度が高いという乙とである。 乙れは、彼女らが仏教乃至宗教に対して概ね好意的な態度をもっているということを意味するが、 それは、必ずし も自己の生活経験において確立した主体的なかかわりをふまえたものというよりも、むしろ、多分に心情的あるいは 知的なレベルでの評価である乙とを示しているとみられる。 即ち、好意的意見群のなかで最も高い賛同を得ているのは

A

m

︵ 仏 教 に つ い て 深 い 理 解 も な く 、 ま た 、 特 に 信 じ て い る と い う 意 識 も な い が 、 古 寺 を 訪 れ た り 仏 像 を 拝 す る こ と は 好 き で あ り 、 そ の よ う な 時 は 心 が な ご む ︶ で あ り 、 つ い で 、 A 5

A 6 に み ら れ る よ う な 、 ﹁仏教の世界的ひろがり﹂とか﹁日本文化の精神的基盤﹂としての評価であって、 例えば A 1 や 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 五

(6)

争〈刊『許制 8~ 店幹 jIDQ 鰭~やニド 仏教の説く人間観や人生観には深い真実が示されているので、必の奥底から深〈感銘するととろがあり、生きて Al ゆくうえの究極的な心の支えである。 ( 3) 仏教は自己のより大いなる成長、真の自己実現を可能にし、人間を本当の意味で人間らしく育てあげる力をもっ A2 ている宗教である。 ( 6) 人生には理性や科学のみで解決できぬ問題があり、その点に関して、仏教の説く物の見方や考え方には、現代人 A3 の求めているものに応えるものがある。 ( 9)

A4

仏教は日本人の生活に最も深〈浸透している宗教であり、その教えは倫理道徳につながり、社会生活の道徳的基 準となっている。 (12)

AS

仏教が歴史的にも地域的にも世界的なひろがりにおいて信ぜられてきた事実は、その教えに人間の心の糧てとな る必然的な真理があることを示 L ている。 (15) 仏教は日本の文学や思相・芸術なと、その文化に大きな影響を与えてきた。日本人の心情に適した教えとして、 A6 5 その精神的基盤となっている。 (18) A7 惜の教えにしたがって生きるごとて\川に生きる喜びと感謝が附き、充実した生活、明時間

L

々を送ることができる。 (21) I A8 仏教は祖酬の宗教てもり、先祖代々の問教である料、仏問、先祖を供養すること峨のっとめト で£る。( 24) 仏教は社会生活に深〈浸透しているので、 11 々の生活のなかで知らず知ちずのうちに仏教的な物の見方や考え方

l

A9

が身についているようだ。 (27) 仏教につロて深い理解もなく、また、特に信ピているという意識もないが、古寺を訪れたり仏像を拝するごとは AlO 好きであり、そのような時は心がなごむ。 (30)

Bl

脚愉につ L 、て附鰍主〈、{員ピて には、思わず手をあわせて

t

干みたく寺る。 (1) B2 仏教は祖先伝来のまの宗教としてかかわりはある占 1 、先祖の供養や法事は日常の慣習のようなもので、その教え| について深〈考えたことはない。 ( 4)

B3

仏教の宗教的価値はわからないが、仏教が日本人の生活に深〈結びつき、芸術や文化等に測りしれない影響を与 えてきた点で興味と関心をもっている。 ( 7)

B4

特定の宗教は信ピていないが、宇宙や自然界に人間以上の大きなカが存在するごとは信ピる。しかし、ぞれが特 定の神や仏というものには結びつか在日。 (10)

ク”ヲア

A

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(7)

人生には科学や理性で割りきれな円不可知なものがあり、その点 4 宗教の必要性はわかるが、実際に自分がそう B5 した場面に直面しないと jnj ともいえない。 (13) 人間が生きてゆくうえで何かにすがらねばならないよ 5 な場面が生ヒるのはわかるが、現在の自分は幸福であり、

B6

特に宗教の必要性を感じていない。 (16) 仏教については、ある科度の理解と関心はもっているが それ以上に‘' fil1c る”というような状態にはな n 。ま B7 た特に積極的に求めようという R もない。 (19) 宗教と占、信仰というごと竹仏教を考えたことは者 H が、 iL 教的金物の見方や考え方 l ご: l 、思想的に、苦手的に関 B8 心を抱いている。 (21) 仏教にとどまらず、どのような宗教の教えにも各キもっともさとうなづける点があるので時に応じて神や仏を拝 B9 み、その教えを仰いでゆ:

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よい。 (23) 現在の仏教は、自分の生活と遠くかけ離れた形式だけのものであり、せいせ・い日本文化の理解や古文を読 t 、うえ

B10

.

て必要な知識でしかない。 (28) 人聞が何らかの心のささえをもつことなしに生きてゆけないことは判る。

u

、 L 、それは宗教以外のものでもよ Cl 〈、要: i 自先の心を豊かに生きられればよ P, ( 2) 本来の仏教はすばらしいものとは思うが、現在の寺院や僧!日、信者主どのあり方をみていると、釈迦の説いた本 CZ 未の姿や成立当時の純粋さを失っているので信じられない。 ( 5). 一般的に百って宗教の所説はいずれも非科学的であり、信ずるに足るだけの客観的根拠がな\\,科学的に証明で C3 きないものを信ヒることはできない。 ( 8) 仏教といえば、死後の世界のものとか、線香の匂いと葬式のような陰気なイメージしかなく、現在の生活に直結

C4

した身近なものとは思えない。 (11) 一つの宗教を信ピると、その宗教の世界観や人間観に拘束されて自由を生き方的 I ',来なくなり、何か心の狭い人

C5

間になるような汎がする。 (14) 宗教を信ピなくても、別段毎日の生活を送るうえで何の不便も感ヒない。宗教はしょせん苦しい時の神だのみで C6 あり、一種の気やすめにすぎない。 (17) 人聞は社会生活に台いて、物質的に平等に、あらゆる疎外から解放された段階で初めて救われ、本当の幸福が得 C7 られるのであり、宗教で救われるとは思えな日。 (20) 神にせよ仏にせよ、結局は自己のうちなるものの投影であり、最後に頼れるのは自分しかない。自己こそ絶対で

cs

あり、自分の力で充分生きてゆける。 (22) 人聞には理性や良心があり、自分の力で物事を解決する方が合理的である。神や仏にすがればよいという安易告

C9

考えは、人聞に与えられている可能性を実現して申くうえでかえって障害になる。 (26) もし神や仏がおられるなら、悪人がのさばったり現世の不幸は主ぜ起るのか? すべてのごとに疑問をもつこと ClO を覚えてしまった現代人にとって、心底から何かを信ずるというようなことはもはや不可能に在っている。 (29) ヤ tトト許制

S-0

限緩制緩 kl や

L

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(8)

女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 八. A 2 のような﹁生の究極的な依拠﹂とか﹁人間の真の自己実現巻可能にする﹂といった、 主体的なかかわりをふまえ た評価を必要とする項目への肯定度は低い。 そ れ は 、 とりわけ、好意的意見群のなかにあって唯一つ否定の側に位置づけられた A 7 ︵ 仏 教 の 教 え に し た が っ て 生 き る 乙 と で 、 人 の 世 に 生 き る 喜 び と 感 謝 が 体 得 で き 、 充 実 し た 生 活 、 明 る い 幸 福 な 日 々 を 送 る ζ とができる︶への反応にもよく示さ れ て い る 。 中間的意見群︵

BIJBm

︶のプロフィールは、 はっきりと右下りの傾向をみせており、 好意的意見に近い中間的 意見から非好意的意見に近い中間的意見へと、しだいにその賛同率が低下していることがうかがわれるが そのなか においても、例えば同じ数値を示して最も高い賛同を得ている

B

3

B

4

にみられるように、 仏教に対して日本人の 精神的基盤にかかわる役割りへの評価にもとづく興味と関心を示しながらも、 それが主体的な事態としてかかわるま でには至らない状況が読みとられる。 そ し て 、

BM

︵ 現 在 の 仏 教 は 、 自 分 の 生 活 と 遠 く か け 離 れ た 形 式 だ け の も の で あ り 、 せ い ぜ い 日 本 文 化 の 理 解 や 古 文 を 読 む う え で 必 要 な 知 識 で し か な い ︶ へ の 否 定 や 、

B

1

B

7

への高い賛同をあわせ考えるとき、 こ ζ で も 、 女子学生の宗教的関 心が決して希薄なものではないにもかかわらず、 それが具体的な私のことがらとしての宗教に結びつかないことがう か が わ れ る 。 その理由は、勿論さまままな要因が関与していると思われるが、 乙 の グ ラ フ で は 、 例えば非好意的意見群のなかで、 C 1 と C 2 の項目が他の項目とは反対に高い賛同を得ている乙とが注目される。 特に C 1 ︵ 人 聞 が 何 ら か の 心 の さ さ え を も っ ζ と な し に 生 き て ゆ け な い 乙 と は 判 る 。 し か し 、

ぃ主

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1[)、以 の、外 文、の

さ、も

(J)

必、ヱ

安 く 性 要 は 自 分 の 心 を 豊 か に 生 き ら れ れ ば よ い ﹀ は 全項目中最高の賛同を得ており、 ζ こ に は 、

(9)

を認め、生き甲斐を求めながらも、 それが理念としてもまた実際問題としても必ずしも宗教に結びついていないこと が 示 唆 さ れ て い る 。 乙 の

C

1

の数値の意味は、すでにこれまでに検討してきたと ζ ろとあわせて理解すべきであるが、更にもう一つ、 非好意的意見群のなかで

C

1

と共に肯定の側の反応を示した

C

2

︵ 本 来 の 仏 教 は す ば ら し い も の と 思 う が 、 現 在 の 寺 院 や 僧 侶 、 信 者 な ど の あ り 方 を み て い る と 、 釈 迦 の 説 い た 本 来 の 姿 や 成 立 当 時 の 純 粋 さ を 失 っ て い る の で 信 じ ら れ な い ﹀ との関連も決し て無視されてはならないであろう。 最後に、非好意的意見群のなかで最も低い賛同の数値を示した

C

3

では、彼女達が科学と宗教との関係についても、 かなりはっきりした理解をもっていることがうかがわれるのであり、 乙れも、最初に述べたような、多分に知的ある いは心情的レベルでの宗教に対する好意的態度という、女子学生の宗教意識の特徴を裏付ける一つの証左と考えられ よ 弓 ノ 。

一 回 生 と 三 回 生 の 結 果 と そ の 傾 向 グ ラ フ

B

は、第一回本調査のなかから、大学︵文学部・家政学部︶ 一回生と三回生の数値ぞぬき出して対比したもの で あ る 。 調 査 人 員 は 、 一 回 生 が 五 六

O

名、三回生四三九名であるが、 乙の二つのグラフにみられる特徴としては、前項で指 摘したような一連の傾向、すなわち、好意的意見群への肯定度の増加と非好意的意見群への肯定度の低下の傾向が、 一回生においてよりも三回生へと進むにつれてより明瞭になり、 ま た 、 これとあいまって中間的意見群のふくらみも 回生では総体的に低くなっていることである。 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 九

(10)

B 3 クリラフ 4 こ の こ と は 、 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て _., ι

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7

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川 V / パ A A A 2 8 2 2 2 2 E R g o ι ζ l l n L T J λ T ι 5 A μ ド A パ A

A

ハ パ

仁2 Z 4 r フ ︿ C C

C ,o,‘ く7 C !i' 好意的意見群においてよりも非好意的意見群において著しい。 一回生から三回生へと進むにつれて宗教への好意的態度が増加することを示しているが、 そ の 傾 向 は 、 すなわち、コ一回生にみられる宗教への好意的態度の増加は、勿論、好意的意見群においても認められるが、 そ れ に も増して中間的意見群でのあいまいな態度の減少と非好意的意見群を中心とする非好意的見解の減少という形で進行 している乙とがうかがわれる。 との場合、前項で指摘したような、 主体的なかかわりにもとづく好意的意見よりも、 心情的あるいは知的レベルで の好意的意見に対する肯定度が高いという傾向は依然として認められるが、 しかし、例えば、好意的意見群の

A

8

A9

に対する肯定度の増加、中間的意見群の

B

2

B6

B

7

に対する肯定度の低下等には、 好意的態度の増加が心 情的なあるいは漠然たる好意から一歩進んで、 かなり生活経験に根冒ざした宗教観なり仏教観が育っている ζ とをうか

(11)

が わ せ る 。 まに、特にグラフのうえで差がひろがっている非好意的意見群の変化をみるとき、

C

1

C2

C

5

が変化をみせ て い な い の に 対 し て 、

C

4

︵ 仏 教 と い え ば 、 死 後 の 世 界 の も の と か 、 線 香 の 匂 い と 葬 式 の よ う な 陰 気 な イ メ ー ジ し か な く 、 現 在 の 生 活 に 直 結 し た 身 近 な も の と は 思 え な い ︶ や 、

C

6

︵ 宗 教 を 信 じ な く て も 、 別 段 毎 日 の 生 活 を 送 る う え で 何 の 不 便 も 感 じ な い 。 宗 教 は し ょ せ ん 苦 し い 時 の 神 花 の み で あ り 、 一 種 の 気 や す め に す ぎ な い ﹀ と い っ た 項 目 の 肯 定 度 が 着 実 に 低 下 し て い る こ と も 、 いま指摘したような三回生グラフの特徴を裏付けるものであるといえよう。

a u

つ ム ﹂

a u

とのような傾向が、果していかなる要因によるものであるかということについては、未ピ結論を出せる 段 階 で は な い 。 それが果して宗門立大学としての宗教教育の結果によるものか、あるいは、年令と社会的経験の積み重ねによる一 般的傾向として他の非宗教関係学校の学生にも認められる傾向なのかといった問題も、 したがって、今後他大学での 調査毎試みる乙とによって明らかにしなければならない課題である。 @ 出 身 学 校 別 の 結 果 と そ の 傾 向 !

l

一回生について|| 次 に 、 グ ラ フ

C

は 、 大 学 の 一 回 生 ︵ 調 査 人 員 五 六

O

名 ︶ に つ い て 、 出 身 高 校 に し た が い 、 宗教関係学校出身者と非宗 教関係学校出身者に分けて、各々の特徴をみたものである。 参 考 ま で に 記 す と 、 一回生の場合、宗教関係学校出身者は一

O

五名︵一九%︶であり、残りの四五五名︵八一一%︶ は非宗教関係学校の出身者である。 グ ラ フ

C

にみられる宗教関係学校出身者と非宗教関係学校出身者のプロフィールには、相当大きな差異が認められ 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て

(12)

女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て z 与 / , ノ 一 C 3 \ \ 、、 クパラ 7 4 f J 7 F 7 午 / 2 2 2 2 b ρ E C 仁/0' 品 川 / Z Z A パ E D 5 2 守 J J サ F J / b q ノ p d 砂 / F L /L C f L C c c ( 2 マ J d 寸 F フ ノ b ヴ fpυ A 月 A μ 川 λ μ 川 A

d バ A U 円

f る 。 概して言えば、宗教関係学校出身者のプロフィールは好意的意見群の数値が高く、 中間的意見群から非好意的意見 群へはぐっと低くなっている。 そして、その度合いは、前項でみた三回生のプロフィールよりもさらに大きく、 とりわけ

A

1

A

2

A

3

のよう な、仏教への主体的なかかわりをふまえた好意的意見群での肯定度が高く、

A5・A6

も高い数値を示している。そ し て 、 ζ れに比例する形で、好意的意見のなかでは

A

8

のような﹁先祖供養は当然﹂とする考えや、

A

m

のような心 情 的 な 評 価 、 さらには非好意的意見群の

C

3

C

5

C

6

C

8

c

m

といった項目への肯定度も低くなっている。 一回の調査で宗教関係学校出身者とそうでない者との差を過大に評価することはできないが、今回の調 も と よ り 、 査に限って言えば、高校で何らかの宗教教育をうけてきたと推定される学生とそうでない学生との聞には、 その宗教

(13)

的態度のうえにかなり明瞭な差がみられるのである。 ① 出 身 学 校 別 の 結 果 と そ の 傾 向

ll

三回生について|| きて、次のグラフ

D

は 、 コ 一 回 生 の 調 査 人 員 四 三 九 名 を 、 グ ラ フ

C

の場合と同じく宗教関係学校出身者と非宗教関係 学校出身者とに分けて比較したものである。 .,

-椛鴇1~泊’イ骨4白}宇仔→}

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/ 2 3 千 F J 6 7 r 7 M / 之 了 4 f 4 7 F 7 川 / Z A d H j d A H バ バ ﹄ A J 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 c c 3 4 f t 7 f o ’ ’ ’ C C C く c c c ζ/0. D < ?、ラ 7 4 両者の比率は、宗教関係学校出身者が八十名︵一八%︶非宗教関係学校出身者三五九名︵八二%︶であり、 比 率 は 一 回 生 の 場 合 と 殆 ん ど 同 じ で あ る 。 ’ ﹄ g ’ ︼ 、 今 i + t ζ のグラフは、調査対象が同じでないという ζ と 、 つ ま り 、 ある一定の年度の入学者を追跡して調査したも のの比較ではないので、もし年度毎に学生の特徴があるとすれば、 そういった点を考慮して吟味する必要もあること 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て

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女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 四 を最初に諒解していたピいたうえで、若干の私見を申し述べる乙とにしたい。 まず総体的に言えることは、宗教関係学校出身者と非宗教関係学校出身者の差が一回生のグラフに比して著しく接 近していることである。 そして、その接近の傾向は、宗教関係学校出身者のプロフィールへむけてサヤ寄せする形で推移しており、 非宗教 関係学校出身者の態度が好意的見解の増大と非好意的意見への肯定度低下という傾向を明瞭にもちながら推移してい るととがうかがわれる。 乙 の ζ と は 、 C と

D

の二つのグラフを比較してみるとさらに明確になる。 す な わ ち 、 C と

D

のグラフを比較してみると、最も顕著な変化がみられるのは非宗教関係学校出身者のプロフィ l ル で ゐ り 、 その変化は着実に好意的態度の増加という傾向を示している。 乙の傾向は、好意的意見群から非好意的意見群に至る全体を網羅しているが、 とりわけ非好意的意見群を中心とす る 変 化 が 顕 著 で あ る 。 とれに対して、宗教関係学校出身者のプロフィールは、 いささか異った傾向を随所にみせている。 例 え ば 、 A 2 か ら A 叩に至る意見群においては概ね三回生よりも一回生の方が肯定度が高くなっており、 また、中 間的意見群から非好意的意見群においてもこうした傾向が随所にあらわれている。 一例として、その傾向の特に顕著なポイントをあげると、 C 5 ︵ 一 つ の 宗 教 を 信 じ る と 、 そ の 宗 教 の 世 界 観 や 人 間 観 に 拘 束 さ れ て 自 由 な 生 き 方 が で き な く な り 、 何 か 心 の 狭 い 人 聞 に な る よ う な 気 が す る ︶ の 数 値 が 最 も 注 目 さ れ る 。

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L E 他にも C 8 ︵ 神 に せ よ 、 仏 に せ よ 、 結 局 は 自 己 の 内 な る も の の 投 影 で あ り 、 最 後 に 頼 れ る の は 自 分 し か な い 。 自 己 乙 そ 絶 対 で あ り 、 自 分 の 力 で 充 分 に 生 き て ゆ け る ︶ へ の 反 応 も 注 目 さ れ る が 、 特 に C 5 の場合は大学全体の数値をも上回っている点、が

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注 意 を 惹 く 。 果 し て 、 乙 の

C

5

の変化が、自己の経験の深まりに伴う実感として出てきたものか、 あるいは、社会における宗教 信者の生活態度等に視野がひらけてくるにしたがって、その在り方や一部の狂信的な態度への批判が生じてきにもの か は 不 明 で あ る が 、 いすれにしてもこの項目への反応が非宗教関係学校出身者の場合は一応了解できる妥当な推移を 示している

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け に 、 この宗教関係学校出身者の数値が注目されるのである。

C

5

ほど顕著ではなくとも、概して宗教関係学校出身者の数値は、 さ き に も 述 べ た よ う に 、 一回生に比して三回生 の方が好意的態度が低下しているという、 いわば退行現象とも呼びうる傾向を示している。 乙 れ が 、 いかなる要因によるものかは、勿論乙乙で説明する

r

けの資料をもたないが、 もし勝手な推測を許してい た だ く な ら 、 いくつかの要因が考えられないわけではない。 乙の項の最初に諒解を得たような、年度毎の学生の意識の差異が考えられるのであり、第二に は、あるいは、大学生活の一種の中、たるみ期のような現象を想定することもできるであろうが、 そ の 一 つ は 、 ま ず 、 いずれにしてもこれ は全く私の勝手な推測であって、 乙うした点については今後の研究の累積によって解明してゆかねばならない。 尚、もう一つ、第三の推測としてとれは京都女子大学の宗教教育のあり方に関わる乙とであるが、 例えば仏教学講 義とか礼拝のような全体に及ぶ宗教教育の機会が、二回生にはおこなわれていないことである。 おそらく、もし宗教 教育というものが、特に学校教育のワクの中でおこなわれる場合、継続しておこなわれることが、 その成果を左右す るとするならば、少くとも三回生については、調査時期が年度初めであった乙とを考えあわせると、 二回生における 一年間の空白が影響していることも考えられよう。 そ し て 、 乙の影響は、高校時代のコ一年間に継続した宗教教育をうけてきた宗教関係学校出身者に反動的に現れてい 女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 一 五

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女 子 学 生 の 宗 教 意 識 に つ い て 一 六 る乙とも充分想像しうるところである。 乙れは、最初に指摘した通り、学生の宗教への好意的態度が多分に知的あるいは心情的な関与ぞ中心としたもので あ り 、 主体的な態度の確立にまで至ることの困難さを示していることを考慮に入れると、 学校教育における宗教教育 の一つの問題点を暗示しているとも受けとめるととができよう。

こ の 調 査 の 今 後 の 課 題 等 に つ い て 以上、京都女子大学における宗教意識調査の第一回本調査結果から、その一部について、 ささやかな私見を添えて 若 干 の 資 料 を 紹 介 し た が 、 この研究の成果は、何よりも今後の資料の集積にかかっている。 さしあたっては、京都女子大学での年次計画による調査の継続と平行して、他大学での調査を早急に実施し、 さ ら に詳細な検討を加える乙とによって、宗教教育のための基礎資料としての充実を期したいと考えている。 し か し 、 同 時 に 、 乙の調査表

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の設問項目についても再検討の余地があることぞ感じており、 これらの点もあ わせて今後の課題として研究をつづけてゆきたい。 最 後 に 、 乙の発表を機会に、本調査に対するご意見など御教示たまわりにく、また、 宗門関係の諸大学においても 乙の種の宗教意識調査の御経験をおもちの方がおられれば、種々ご指導いたピくようお願い申しあげたい。

参照

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