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の念仏義について
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︵ 金 沢 大 学 ︶念仏道の普遍性
﹁ 歎 異 紗 ﹄ 第 七 節 に は 、 ﹁念仏ば、無碍の一道なり﹂と示されてある。その無障碍の大道たる念仏法門の究克義を 直ちに明かすことが、ここで当面させられた問題ではないにしても、親驚教における念仏の実義を最も奥底ふかく問 い尋ねることに動機づけられてこの研究は始まったと言ってよい。初めにしばらく﹁念仏﹂の語義やその由来につい て 考 え て み た い 。 宗教的実修または実践道としての念仏SE
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認 可 自 己 目 白 田 口 門 町 向 ロ ・ 同 ︶ と は 、 本 来 、 偉 大 な ブ ヅ ダ 釈 尊 の 現 身 を 目 の あ た り 拝 し 、 その偉大な人格に触れ、 限りない感動と感激を経 験さぜられた仏弟子たちの極めて自由で日常的な、 また豊富な内感から発したものに相違ない。 やがてそうした感動 や感激は常時ブッダの側近におり朝夕これに随従する教団内の仏弟子たち以外の、 一般在家信者においても経験され る に 至 っ た で あ ろ う 。 いな、比丘・比丘尼におけるよりも優婆塞、優婆夷におけるブッダに対するこの感激とそれに ﹁ 勝 血 室 経 ﹂ の 念 仏 義 に つ い て一
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﹃ 勝 重 経 ﹂ の 念 仏 義 に つ い て 四 もとづく人格的影響は一層大きかったのではないか。 いずれにしても生身のブッダにつけてかようなことがあり得た とすれば、滅後のブッダに対してはなおさら純粋にしてはげしい思慕と追憶の至念が寄せられたものにちがいない。 長 阿 含 守 遊 行 経 ﹄ ︵ 南 伝 で は り −
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︶ 以下ブヅダ入滅前後の模様をしるした諸経典を 読めば、このことは明瞭である。 したがって念仏が単に現身仏に直接した教団内外における仏教徒の素朴にして実直 な対仏的態度や経験であったものから 一一層教理的な深化や実修上のはげしさを加えたのは仏滅以後のことであった と 考 え ら れ る 。 しかしながら、思想的内容的に言ってブッダの成道正覚に直接し当面することが念仏の宗教的実際的 意義であるから、次第に三十二相八十随形好等の果上の仏相を念じ、あるいは十号等の仏名を観念し称念することが 念仏道の具体相として展開したものであろう。大乗仏教に至つての﹁維摩経﹄などにもこの種の念仏的形相があるの で あ る 。 つまり仏身観の発達とともに、念仏道は教理的な深さと実践上の広がりを加えたとしてよいであろう。ある いは逆に、念仏的な実修こそが仏陀観を深め、仏身の論議を推進したものと言えるかもしれない。 一 方 、 念 仏 の 秘 訣 は 、 まさしく衆生たるわれらのブヅダに対し救助を乞う一念にかかっているから、大慈大悲が念 仏の当体であると言われよう。そして利他真実の大悲心への信心は、 ひ い て ﹁ 一 切 衆 生 、 悉 有 仏 性 ﹂ ︵ 大 般 浬 畑 地 経 ︶ の 確止となり、仏性・如来蔵︵Z
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出 ︶ の 顕 説 へ と 仏 教 徒 の 思 惟 の 歩 一 み を 尚 め て き た 。 念仏は仏教徒にと って宗教的実修の基底たるとともに、救済の己証、報謝の実道であり、その芳一泌的意義は絶えず学びとられていかね ギ i h 工 、 つ 工 、 o p U 4 J 戸 V 一 千 / ﹃ 維 序 経 ﹄ 弟 子 品 第 一 二 ︵ 大 目 程 遠 章 第 二 ︶ に 寸大悲心を以て大乗を誼え、仏恩を報ぜんと念じて三宝を 断たず L と あ る ご と き は 、 ひとしく念仏の徳を明白にしたものとして、三顧にあたいするであろう。勝室経の念仏的形相
念仏の由来やその意義にして前述のごときものとすれば、大乗、小乗、仏教経典はそのいずれにおいても底意に念 仏の趣意をひそめていゐものに相違ない。 まして明らさまに念仏による三昧道を説く﹁般舟三味﹄︵行日間︶ ﹁ 大 阿 弥 吃 ﹂ ︵ 下 巻 ︶ で 父 殊 般 若 L ︵ 船 舟 三 味 見 仏 口 問 ︶ で ハ L 1 華 厳 ﹄ ︵ 四 六 、 入 法 界 日 間 ︶ 等 の 諸 経 や ﹂れらにもとづく﹃大切度論﹄ ﹁ 十 住 毘 婆 沙 論 ﹂ J m 大乗論﹄吋浄土論﹂ ぷ 序 詞 止 観 ﹄ 寸 観 経 疏 ﹄ ︵ 苔 導 ︶ ﹃往生要集﹂等はいずれも念仏義に関説し ま た は こ れ を 高 調 し て い る 、 か いまその成立は四世紀後半と推測される︵註 1 ﹀大乗の一経﹃勝室経﹄、具名、勝雪印 子 肌 A 采大庁便方広経
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巳 酌 田 訂 正 区 乱 含 l 叩 門 吉 田 ︶ についてその教理的特色をさぐり、その思想的意義を明白に し た い 。 け だ し 、 四 世 紀 と い え ば 、 インド仏教としてはほぼ発達の極に近く、 ﹂とに、この経が背景としたコ l サ 一 フ ︵ 問 。 白 色 白 ︶ 国 や ア ヨ l ジ ア l ︵ ﹀ 可 。 門 口48
胃 へ の 説 話 的 田 畑 山 に は 、 当 代 グ プ タ ︵ の 五 ︶g
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の 統 治と繁栄からの直接反映が見られるのであり、 とりわけ王宮の新夫人︵買百円g
田 ︶ ﹁ 勝 童 L を主人公とした叙述形態 には、大乗経典としても全く異数なものがあるのであり、 ひとえに在俗者の一信仰、世間の一道として念仏の本義がそこ にあまりなく発揚されたと考えゐからである。 ま ず コ l サ 一 プ 1 闘の王波斯匿Q28
包日︶とその夫人末利︵冨白EE
︶とが相談して、近く隣国アヨ l ジ ア 1 の 友 称 ︵ 冨 仲 昨 日 ] 片 山 片 江 ︶ 王 の も と に 嫁L
たわが娘勝霊に仏教への入信を勧めて信書を遣わすことにこの経ははじまるのであ る。そこにすでに大きく念仏の舞台は広げられたと言えるであろう。両親からの信書は彼女を大乗道に導入する一大 機縁であるとともに、 より深くは彼女白身にこの信書を求めしめる宗教的機縁の兎動と全人的円熟があったと考えら れ る 。 経 に は 勝童、書を得て歓喜し、頂受し、読諭し、受持して希有の心を生じ、 ︹使者︺栴提羅に向って備を説いて言わく、 我、仏の土日戸を聞くに、世に未曾有なあ所なり。告一口わゆる真実者には、応に供養を修すベし。仰いで惟んみれば、 ﹃ 勝 髪 経 ﹂ の 念 仏 義 に つ い て 一 三 五﹃ 勝 賞 経 ﹄ の 念 仏 義 に つ い て 一 一 二 六 仏世尊は普く世間のために出でたまう。亦応に哀感を垂れて、必らず我をして見ることを得せしめたまうべし と とあり、勝量のこの念に応じ、ブッダが空中に現じられ、普く浄光明を放ち、無比の身を顕示されたこと、 お よ び 、 これによって勝霊らが頭面に接足礼し、 みな清浄心で、仏の真実功徳を讃歎しまつったことが記されている。勝室経 を読み、これを理解するうえにおいて見のがされない一段である。 進 ん で 本 文 に 入 り 、 いわゆる十大受、コ一大願等の勝重夫人の自誓︵戒︶から、摂受正法の志願表白の箇条に分け入 り、格調高いその大乗的理説に耳を藷すならば、勝重そのひとが未だボサツ七地以下の低位にありながら、仏威神力 の ゆ え に 、 八 地 以 上 の ﹁ 他 分 行 ﹂ ︵ 聖 聴 太 子 ﹃ 勝 童 疏 ﹄ ︶ にも漸向し得た次第を知り分けることも決して困難でない。経
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仏 、 勝 霊 に 告 げ た ま わ く 、 ﹁ 汝 今 更 に 、 一 切 諸 仏 の 所 説 の 一 摂 受 正 法 を 説 け ﹂ と 。 勝 童 、 仏 に 白 し て 言 さ く 、 ﹁ 益 ロ い かな、世尊よ。唯然り﹂と。教を受けて即ち仏に白して言さく﹁世尊よ、摂受正法とは、是れ摩詞街︵大乗︶なり。 何を以ての故に。摩詞前は、 一 切 の 声 問 、 縁 覚 、 世 間 、 出 世 間 の 議 官 法 を 出 生 す ︵ 下 略 ど と 。 と あ る 。 ︵ 一 乗 章 ︶ 以下、無辺聖諦・如来蔵・法身等の諸章は、 いずれも本経の中心思想をのベた部分であるので項を改めて論ずるが、 ここで考うべきことは、原始仏教あるいは根本仏教以来説かれて来た四諦説中の苦滅の一諦が極端なまでに高揚し拡 充されている一事である。経には 世尊よ。此の四聖諦は、三は是れ無常、 一は是れ常なり。何を以ての故に、三諦は有為の相に入る、有為の相に入 る者は、是れ無常なり。無常なる者は、是れ虚妄の法なり。虚妄の法なる者は、諦に非ず、常に非ず、依に非ず。とし、︵一諦章︶したがって苦諦、集諦、道諦の三は第一義諦でなく、右のごとき三諦のもつ有限性を離れた一苦滅諦 こそ衆生の絶対依住すべき第一義諦であるとしている。さらに衆生の仏語を信じて常・楽・我・浄の四想を起すのが 正見で、そのもとは苦滅、浬提の徳たる常・楽・我・常の四波羅蜜を回向した如来法身にあるからである。そしてかよ うな正見の成就者が仏の真子であるとする。 さきに念仏の基本形相は、ブッダの成道と浬襲にあるであろうとした。 四諦は金剛宝座から起って鹿苑に最初説法 したときの転法輪の内容とされる。それは五比丘に対して為された。けれども、 四諦説の意義は、道諦の実修を通じ て誠諦を現成するにある。仏教の発達とともに形式化し固定化した出家道を離れ、 かえって真にプッダの救済を全人 ハ 一 乗 ︶ の 道 理 の う え に 実 証 し よ う と す る に 至 っ た が 、 それが勝霊経を以てほぼ初説とする﹁如来蔵﹂ の 説 で あ り 、 そこにはながきにわたった念仏の実修に由来する理論的自覚の反映が見られるものとしてよいであろう。 ︵ 註 2 ﹀
一乗への要請と如来蔵教理
勝童経は教理思想内容として内包的には前述のように極めて格調高いものではありながら、外延的には全仏教、 ¥ , な全人類を包括するほどの広汎なものである。 そ れ が こ の 経 の ﹁ 一 乗 ﹂f
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︶ 説 で あ る 。 すでに摩詞街︵B
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大乗︶の名で﹁摂受正法﹂が説かれたのであったが、それは二乗が不究寛で、怖畏あり、 恐怖の故に如来に 依ることを要し、浬襲界を去ること遠いが故であった。成道において仏はすでに如来であり、般浬柴を得たまい、 切の功徳を成就したまう。それによって如来は一切衆生の膳仰する所となり、生死を離れ、煩悩を断じていたまう。 経 に は 、 声問、縁寛の乗は、皆、大乗に入る。大乗とは即ち是れ仏乗なり。是の故に、三乗は即ち是れ一乗なり。 一 乗 を 得 ﹃勝重経﹄の念仏義について 一 三 七﹃勝室経﹄の念仏義について ;¥ る者は、阿蒋多羅三貌三菩提︵無上正等覚︶を得るなり。阿持多羅三貌三菩捉とは、即ち是れ担架界なり。浬提界と は、即ち是れ如来の法身なり。究克の法身を得とは、即ち究克の一乗なり。異の如来なく、異の法身なし。如来は 即ち是れ法身なり。究党の法身を得とは、則ち究克の一乗なり。究克とは即ち是れ無辺、 仁 い 巳 川 二 ム 7
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︵ 一 乗 章 ︶ ル 三 日 っ て い マ 心 。 かくて如来は限斉なく住するから、大悲も亦、限斉あることなく世間を安慰するのである。無限の大悲で、無限に 世間を安慰する所から、 ﹁常住の帰依しの説が出ている。経に 法とは即ち是れ一一束道を説くなり。僧とは走れ三乗の衆なり。此の二の帰依は究克の帰依に非ず、少分の帰依と名 づ く 。 ︵ 一 乗 章 ︶ と あ り 、 そ の わ け は 、 法 の い 力 で は 一乗の道法のみ究克の法身を得ると説いて、その上に更に一乗の法事を説かない し、憎の方では、前述のように、 二乗、三乗の衆になお恐怖があって、 ただ如来に帰依して出離合求め、修学して阿 持 多 羅 ⋮ 三 親 コ 一 菩 提 に 趣 向 す る か ら で あ る 。 この帰依仏に究克させていくこころに一乗義の全趣意があったのである。 次にひるがえって如来蔵義をかえりみるであろう。経には、 如来蔵とは、是れ如来の境界なり。 一切の芦問、縁覚つ蚕︶の知る所にあらず。 如来蔵処に聖諦の義を説く。 立 口 来蔵処、甚深なるが欣に、 ﹁聖諦も亦、甚深なり﹂と説く。微細にして知りがたし。思量の境界にあらず。是れ智 者 の 所 知 に し て 、 一 切 世 間 の 信 、 ず ァ O 能 わ ざ る 所 な り 。 ︵ 如 米 蔵 章 ︶ と 一 一 コ 口 一 っ て い る 。 さきの一乗義が、遠心的に全衆生を網羅しつつ、帰依仏、 したがって念仏の一道に帰向させる趣意で あったとすれば この如来蔵義は、求心的にその救済原理の所在を的示するものかのごとくである。経にはさらに、若し無量の煩悩蔵に纏わるる如来蔵に於て、疑惑せざ為者は、無量の煩悩蔵守出でし法身に於ても亦、疑惑なかる ベ し 。 ハ 如 来 蔵 章 ︶ とのベて、如来蔵への確信が、 さ き の 苦 一 械 を 証 す る も の で あ る と し て い る 。 しかもユ切の苦滅は、唯、仏のみ得証 したまう﹂︵空義隠覆真実章﹀ところである。衆生の生死は如来蔵に依り、如来蔵あるが故に生死を説くのである。 願 倒真実章﹀世間の言葉として生を説き死を語るので、如来蔵自体には生もなく死もない。その常住不変の如来蔵こそ、 かえって生死を生死として可能ならしめている根拠である。この如来蔵ゆえに、衆生われらに苦を厭い浬撲を楽求す る道理がある。そこが如来蔵の法界蔵、法身蔵、乃至自性清浄蔵たるゆえんである。それは不思議如来の境界である。 自 性 清 浄 で は あ り な が ら 、 ﹁ 然 も 煩 悩 あ り 。 煩 悩 の 、 心 を 染 す る こ と あ り ﹂ ハ 自 性 消 浄 晶 君 。 その理は、実眼、実智の 仏、世尊をおいては如実に知見することができない。衆生にはただ仏語を信ずる一路があるばかりである。 勝霊夫人の仏前における表白は、 ﹁如来の真子﹂たるものとしての三種の善男子、善女人あるを説くことに終るも のであるが、それらの三種とは、第一に、自ら甚深の法智を成就するもの、第二に、法智に随順するもの、第三に、 諸深法に於て自ら了知せず、仰いで如来を推したてまつるもので、その意趣たるや、この第三の、 ﹁ 我 が 境 界 に 非 ず 、 唯、仏のみ知りたまう所﹂とする善男子、善女人の部類において真の仏子、あるいは仏の真子を語ろうとするもので あ る こ と い う ま で も な い 。
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以上、これを要するに勝童経は、その経題がすでに示しているように、仏の真実が﹁一乗大方便﹂の名義で語り出 さ れ た も の で あ っ た 。 しかも経典の体裁としては在俗の一女性が全く﹁獅子肌﹂︵ロo
民 田 宮 内 百 ︶ の 能 弁 者 と し て 登 場 ﹃勝量経﹄の念仏義について 一 三 九﹃ 勝 霊 経 ﹄ の 念 仏 義 に つ い て 一 四 O するという類例すくないものであった。教理思想的にはその如来蔵、仏性説を中心としてインド、中国でも、 ま た チ ベットでもわが国でも広く研究されて来たが、信仰の書としてこの経をもっ意義は、 やはり人間勝量がブッダ釈尊に 直対して感得信受した利他真実の信心にあり、帰依仏の一念一行に万善を備修する行善の義こそ、聖徳太子がつとに この経底にその深義、真意としてこれを発見されたごとく、勝室経の真に不滅な生命でなければならない。 経の流通分の、舎街国に還りたまう釈尊を見送りまつる勝霊のさまを記した、 時に勝霊夫人、諸谷属と与に合掌して仏に向いまつり、観て厭足なく、目、暫くも捨てず。眼の境を過、ぎ巳りて踊 躍歓喜して各各に如来の功徳を称歎し、具足して念仏しき。 の 一 段 、 および城中に入ってわが夫、友称王に向い、大乗を称歎し、城中女人七才以上は大乗を以て化さんと誓い、 友称大王も亦、大乗を以て諸男子七才以上なるを化さんと言ってこれに応え、国を挙げて人民、皆、大乗に向ったと するこれにつづく一段には、 いかにもこの経がその成立背景としたであろうグプタ王朝の文化的宗教的繁栄の実際を しのばしめるものがある。宗祖親需が﹁念仏は無碍の一道なりしとされた理由は、 ﹁信心の行者には天神地祇も敬伏 し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたはず、諸善もおよぶことなき﹂ほどの念仏道の無障 碍 性 に あ っ た 。 いまは勝室経を参酌してひとしく大乗仏教の松本信念に由米すろそうした信心や念仏道の基木構造の 理解に資しようとしたものにほかならない。そのことの思想的もしくは実践的立義については改めて深く考摂したい。 ︿註﹀ ①拙﹂楠﹃勝蛍宝 w M ﹂ の 一 考 山 口 百 五 作 教 学 の 現 代 的 ι以 h おについて︵宗教研究、第 m 引 を 、 第 2 斡 、 一 九 六 回 、 一 ︶ 同﹃勝髭経研究序説﹄|人間的形成への理論について|︵金沢大学法文学部論集、析史編第日巻、一九六四、一二︶参照。 舟橋一哉博士﹃仏教における浄土教の位置﹄|出家近のレ l ルの上に私﹂気近の列車を走らせたのが浄土教である|︵大谷学報 第必巻、第 4 号 、 一 九 六 回 ︶ 参 照 。 ②