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真宗研究10号全

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Academic year: 2021

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異宗連合拳曾研究紀要

一 一 第 十 輯 一 一

幅 制 40串 10月

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〈口絵解説〉 蓮 如 上 人 筆 御 文 ( 山 科 建 立 〉 大 谷 派 本 願 寺 蔵 蓮如上人は文明7年 8月吉崎を退去してより, しばらく主として河内出口に滞在した が,同 10年正月には山科に移って,御堂の再建に着手された。 11年秋にまず、寝殿が完成 し,ついで中心の御影堂の建築にかかり,翌12年 8月に至って大凡出来上った。同28日仮 仏壇をしつらえて御絵像をかけ,喜びをもって一夜をその前に通夜されたが,まことに寛 正6年東山の御堂破却以来16年にして成ったわけで,その感懐は一入のものであった。本 書はその間の推移をつぶさに述べられており,その年の「報恩講七ケ日中によそへて」と あるから,もうその執筆の日時も明らかである。幾箇所も挿入の文字があり,草稿と考え られるが,その完成の感激が素直に表現されており,門信徒への所謂御文とは,全く趣を 異にしたひたむきな趣致にあふれている。悶みに真筆本は他に願泉寺にも蔵されており, 稲葉昌丸師編「蓮如上人遺文」 (315頁)には,諸本との校異を施してのせられている。 縦 26

2cm 横 118・ 7 cm

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に顕われた本願・名号に就いて・:

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明治時代の仏教音楽仏教唱歌を中心に:

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石山戦争の結末とその背景

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蓮如上人の用語上の問題:

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タスケタマへを中心として

に於ける諸仏本縁と無量寿仏本願文:::・

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−特にせ背骨願を対象として

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宗祖晩年の信仰思想

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人間能力の開発における宗教の役割::

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宗祖の神祇観からみる諸天善神の守護について:::−

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宗祖の行状と宗風

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河地方旧跡寺院巡拝紀行 四

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︵ 仏 光 寺 派 ︶ は じ め に 現 在 、 日本人の宗教思想は混迷の状態にある。真実の救済を欣求するのではなく、真実なる教えを利用して邪偽の 教化指導がなされていることは誠に遺憾である。今日の如く宗教上の所談が素乱している折、人間本来の強い欲求で ある現世の利益を今一度真宗の立場から考察することによって、真仏弟子の自覚を深めてみたい。

現生十益の出拠について

﹁信巻﹂末亡の現生十益の出拠所依について石芝宗暁の編輯せる﹁楽邦文類 L 巻 二 一 け 一 一 に 収 録 さ れ た 慈 雲 遵 式 の ﹁往生西方略伝﹂序文によるという説と、今一つは﹁妙法蓮華経勧発品﹂二十八の四益によるという説がある。この 二説と現生十益との関係について論をすすめてみよう。 確かに、前者の宗暁は四明智礼の後学、月堂悲詞の法嗣として、天台の教観二門を相承し乍ら、 一 方 ﹁ 楽 邦 文 類 ﹂ 五巻は浄土教に関する経、論、讃、頭、等凡そ二百五十文を十四文に分類して処々に私釈が施されている。即ち、今 現 世 利 益 考

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現 世 利 益 考 ‘ 十 二 問題になるのは﹁楽邦文類﹂巻ご了の文である。 それが﹁信巻﹂の現生十益の文と頗る類似している。 その箇所 を見るに 四 十 、 付﹁行巻﹂丁右ノ総管張論の﹁結蓮社並日勧文﹂の一部

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﹁行巻﹂咽計七の一乗海釈の条下 伺﹁信巻﹂本の終りの楽邦文類後序発端の文 十 二 帥﹁信巻﹂末丁右に﹁楽邦文類 L 巻五の智覚禅師延寿の神棲安養賦の結句 十 二 回﹁同巻﹂丁右﹁楽邦文類﹂巻三の大智律師元照作無量院造弥陀像記の一節 的﹁化巻﹂末主計八に文類巻二の慈雲遵式の往生西方略伝の一節 以上の引用箇所からもっ楽邦文類﹂と﹁教行信証しは密接な関連をもっていると考えてよい。特に往生西方略伝序 の一節﹁然祭組之法、天笠寧陀、支那杷典、既未レ逃ニ於世論﹁真誘レ俗之権方 L や 此 文 の 前 の 文 ヰ 早 か ら す れ ば 、 切 の所作、祈願の法は権方であって邪偽の法なる旨を示し、最勝法たる念仏の勝益を十種に分別して勧説されたと窺え る。この慈雲の十益説中、第一は冥衆護持の益、第二、第一二︵前半︶は諸仏護念の益、第二一︵後半︶は心光常護の益、 第八は心多歓喜の益とそれぞれ宗祖の十益と同一視して差しっかえないものもあるが、その他には見えないところか らすれば﹁楽邦文類﹂が現生十益の所依として挙げられる訳は内容の面からよりも、 むしろ﹁十種しという数量と、 その分類方法であると思える。然し﹁文類﹂が権万邪偽の念仏現益観を廃して、十勝益を説かれたことからすれば、 当然化身土巻に於て扱はれるものが﹁信巻 L 現生十種の益として取り挙げられているし、先述した両十益説の聞に同 意義と認めてよい箇所があるということからすれば、真実の利益を精神的利益として扱われたと窺える。今一つ﹁妙 法蓮華経 L 勧 発 ロ 問 第 二 十 八 の 四 益 ︵ 諸 仏 護 念 、 植 諸 徳 本 、 入正定菜、発救一切衆生之心︶は開権顕実の四仏智見を一不

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見、①と@は他力の庇護 す も の で あ る 。 即 ち ① 諸 仏 護 念 ← 開 仏 智 見 ④ 植 諸 徳 本 ← 一 万 仏 智 見 一 ⑨ 入 正 定 緊 ← 入 仏 智 見 一 例 一 発 救 一 切 衆 生 之 心 ← 悟 仏 智 れるかというに ④と④とは自力修行を意味すると考えられる。今その四益に信巻の十益がどのように配さ 一 1 冥 衆 護 持 益

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諸 仏 護 念 | | 諸 仏 護 念 益 | 一 諸 仏 称 讃 益 ー 心 光 常 護 益 入 正 定 東 一 一 転 悪 成 善 益 丁 植 諸 一 心 多 歓 喜 益 一 ﹁ 知 恩 報 徳 益 ﹁ 発 救 以上の如くである。ここで注意すべきことは、 切 衆 生 之 心

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− 常 行 大 悲 益 四 益 中 、 入正定取水益が総益であり、此益を中心として残り三益が展 四益中の入正定棄を以て弘願他力の入正定緊の益とされたと窺える。換言すれば、法華法門 関 さ れ て い る 。 宗 祖 は 、 を念仏法門と同種異名と見られたのであろう。 一 一 一 ﹂ 。 ﹁ 同 ﹂ 信 解 品 第 四 に は ﹁ 開 示 悟 入 仏 之 知 見 ﹂ 。 その裏付けとして ﹁ 法 華 経 ﹂ 方 便 口 問 第 二 に は ﹁ 唯 有 一 乗 法 無 二 亦 無 ﹁ 同 ﹂ 勧 発 品 に は ﹁ 入 正 定 家 ﹂ の 四 益 。 の各文は﹁唯有一乗しの ﹁ 唯 有 一 乗 L を宗相は 法門を説き、仏の知見に開示悟入せしめて、最後に入正定緊の益を得しめるというのである。 ﹁ 行 巻 L 四十四の一乗海釈に﹁一乗者即第一義乗、唯是誓願一仏乗也 L と説かれ、﹁仏之知見しを﹁太子讃﹂に﹁仏 智不思議の誓願﹂といわれ、更に入正定葉益を﹁入正定衰の身となれる﹂といわれている点などから、太子の法華法門 現 世 利 益 考 の弘通を、宗祖は念仏法門と同意に解されたと思える。その観点から③と④の自力修行の知見も凡て他力の庇護へと

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現 世 利 益 考 四 十 一 改められてゆく、即ち②は善導の妙釈を承けて﹁信巻﹂真仏弟子釈の末丁 獲ニ得喜悟信之忍乙と開顕され、名号の廻向により諸仏等同、便同弥勤となるという大転換が行われた。更に④につ に ﹁ 獲 ニ 金 剛 心 一 者 則 与 二 重 , 提 一 等 、 即 可 レ いては、菩薩道の根基である自利の廻向を発展させ、諸仏等同の人は、自覚覚他、自利利他の廻向を行ぜしめられる ことになる。即ち本願名号自爾の自行化他行であり、発願廻向の真随と解釈されたのである。従って常行大悲益とし て配されたのである。この様に考えてゆけば宗祖の現生十益は、その源頭は第十一願文、及び本願成就文によられた のであるが、その内容の構成は寸法華経勧発品 L の四益に基づいて展開発展されたと思われる。従って現生十益出拠 に関する両説は、宗祖にとって有用な資料として扱われたと考えてよい。

現生正定棄の意味

た類棄は決して下位に退転することのない身分になれることが誓われである。 如来廻向の行信による救済の結果を誓えるものは第十一願︵必至滅度の願︶である。即ち、正しく報士往生に定つ 三 十 ﹁ 尊 号 真 像 銘 文 ﹂ 二 一 丁 に ﹁ 不 退 ト イ フハ仏ニカナラズナルベキミトサダマルクラヰナリ。 コレスナハチ正定莱ノクライニイタルヲムネトスト、 ト キ タ マ へルミノリナリ﹂とあるのはこの意である。そこで十一願文の﹁定棄に住し、必ず渡度に至らずば﹂の誓願、或はそ の成就文の中の ﹁ 彼 の 国 に 生 ず る 者 は 、 皆悉く正定棄に住す L といわれていることからすれば、 ﹁ 住 正 定 豪 ﹂ は 浄 土の益︵当益︶と考えられる。然し宗祖はこれを現生の益︵現益︶として説かれている。即ち﹁証巻しの努頭に 然 煩 悩 成 就 凡 夫 、 生 死 罪 濁 群 商 、 獲 一 一 往 相 廻 向 心 行 ﹁ 即 時 入 一 一 大 乗 正 定 緊 之 数 ﹁ 住 ↓ 一 正 定 粟 一 故 必 至 ↓ 一 滅 度 一 と あ る 。 正定棄は他力廻向の信心を獲得する一念と同時に得る益であり︵現益︶滅度は浄土において得る益である ︵当益︶ことが己証されている。宗祖は十一願文の正定一栄も現益の立場から見られてユ多証文﹂百に ﹁ ク ニ ノ ウ

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チ ノ 人 天 正 定 褒 ニ モ 住 シ 、 カ ナ ラ ズ 滅 度 一 一 イ タ ラ ズ 、 ハ し と 読 ま れ て い る 。 死 後 は 必 ら ず 滅 度 に 至 る の で あ る か ら 、 h れ以前に正定棄に住するものも必ず滅度を得る。即ち、現当二世の利益を説かれ、現生において正定褒不退の位に住 す る と い う こ と に な る 。 先述の如く、聞信の一念において他力廻向の行信を獲得し、同時に正定棄に入るというのであるが、その日肢も有力 な理証となる根拠は第十八願の成就文である。第十八願より直接現生正定棄の得益を見出すことは悶難であるが、宗 祖はそれを﹁乃至十念﹂の味合いから見出されたのである。即ち﹁尊号真像銘文﹂の﹁乃至十念釈﹂に﹁タダ如来ノ 至心信楽ヲフカクタノムベシト也、 コノ真実信心ヲエムトキ、摂取不捨ノ心光ニイリヌレパ、正定緊ノクラヰニサダ マルトミエタリ﹂とあり﹁乃至十念﹂を﹁真実信心ヲエムトキ﹂とされ﹁信一念 L と解されたところに正定莱の得益 一念と同時に﹁即得往生住不退転﹂の

利益を得ゐとされており、現実の救済と認められたのである。今﹁一多証文﹂丁の成就文を解釈する一部を見るに が定まるのである。それを更に本願成就文によってみると一層明らかである。 ﹁真実信心ヲウレパスナハチ無碍光仏ノ御ココロノウチニ摂取シテステタマワザルナリ、摂ハオサメタマブ、取ハム カ ヘ ル ト マ ウ ス ナ リ 。 オサメトリタマフトキ ス ナ ハ チ 、 トキ日ヲヘダテズ正定豪ノクラヰニツキサダマルヲ往生ヲ ウトハノタマヘルナリ﹂とある。即ち、 一念の一信心に名号を廻向されて光明の摂取にあずかり、浄土に往生すべき身 一 乗 真 実 之 利 益 ︵ 行 巻 四 ︶ たる名号を たる正定棄の位に定まるという趣旨である。正に現生正定棄とは浬架の真因、 聞信の一念に廻向されて、必ず往生成仏するに間違いない身に定まるということである。この往生必定の身に定った とはいえ一事も煩悩を断滅することのない人間であり乍ら、究克目的たる往生成仏という大理想実現の希望と充足に 満ちあふれることのできる人である。即ち、浄土往生に対るす業因の充足と確認を意味するものであり、現世におい て大利益を得た人でもある。正に平生業成の現実を顕わすものである。のって、現生十益の入正定緊は信心の総益で 現 世 利 益 考 五

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現 世 利 益 考 ム , 、 、 あり、前九益は別益として行人の得益となるのである。

真仏弟子の風格

凡そ、正定棄は仏果を得るに定った位であるが、信心の法徳より云うのであるから密益である。 ﹁ 御 一 代 聞 書 し に ﹁ 一 念 帰 命 ノ 時 、 不 退 ノ 位 ニ 住 ス 、 コレ不退ノ密益也 云々﹂とあるのはこれを証する文である。然し今、十益中の 前九益を詳細に検討してみると顕密の両益がある。即ち第一の冥衆護持益、第四の諸仏護念益、第五の諸仏称讃益、 第六の心光常護益の四益は能護であって目に見えぬ外からの加護であるから密益である。次に、第二の至徳具足益と 第三の転悪成善益は信心の法徳︵信心の価値︶で所護の益ではあるが密益である。更に第七の心多歓喜益、第八の知 恩報徳益、第九の常行大悲益は所護で行人に相発する益であるから顕益である。 してみると、総益である入正定棄は 法徳よりすれば密益であるが、 機相よりすれば顕益となる面があると思われる。 今 問 題 と な る の は 、 念仏行者即ち ﹁守られるもの﹂の心身に備わる益についてである。 先ず至徳具足益は﹁南無阿弥陀仏の主﹂になることであり、聞信の一念に至極名号の功徳が我身に円満具足される 益である。真仏弟子釈下に引用してある。第三十四聞名得忍の願がこれに相応し、仏の名号を受領するとその具徳と して無生法忍を得ることを示している。即ち、往生安堵の身となった現生正定緊の人は、この無上の功徳を領納する ことによって充足感を得るのである。これを﹁浄土和讃﹂に﹁五濁悪世ノ有情ノ選択本願信ズレパ不可称、 不 可 説 、 不 可 思 議 ノ 功 徳 ハ 行 者 ノ ミ で 、 、 テ リ ﹂ と う た わ れ 、 叉 、 ﹁現世利益和讃﹂には﹁一切ノ功徳一一スグレタル、南無阿弥 陀仏ヲトナフレパ、三世ノ重障ミナナガラ、 カナラズ転ジテ軽微ナリ L と 歌 嘆 さ れ て い る 。 本願を信じ、名号を唱える人︵正定家の機︶には無上の功徳が身に充ち、現実の生活を限りなく喜ぶことになり、

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宗教的絶対価値を身に体得することになるのである。 次 に 、 転 悪 成 善 の 益 は 、 至 徳 具 足 益 を 根 拠 と し 、 その用として他力自然に得る益である。名号の力によって凡夫の 罪障を転じて功徳とせられ往生成仏するに間違いない身になさしめられる益である。これを﹁高僧和讃しに﹁:::罪 障功徳ノ体トナル コ ホ リ ト ミ ヅ ノ ゴ ト ク シ テ 、 コ ホ リ オ ホ キ ニ ミ ヅ オ ホ シ 、 サハリオホキニ徳オホシ L と和讃され たのも法徳の功徳を述べられたものである。これか﹂﹁伝巻﹂真仏弟子釈下に見れば、第一一一十三触光柔軟の願に相応す る。即ち、仏の光明に照摂されると、自ら身心柔棋になることを示したものである。叉、これを﹁無量寿如来会﹂に は﹁身心安楽しの語で柔鞍の益を顕わしている。 以上の両益は所護の益ではあるが、信心の価値についてのことであるから衆生は依然として罪悪生死の凡夫である が 故 に 密 益 で あ る 。 かかる信心の具徳者は充足感より当然、 心多歓喜、知思報徳、常行大悲の益を得る。それは機相に顕われる。即ち 機の三業︵身口意︶上に表発する益である︵顕益︶。 心多歓喜はやがて間違いなく往生成仏するに対して現実を喜 P ﹂ ぶ心であり、吉凶禍福を超えた法悦である。知思報徳益は恩を知り徳に報ゆる益である。常行大悲益は報徳の実践行 で常に如来の大悲を伝える聖業に参加することつまり、自信の溢れるところに自ら教人信が行なわれる益で、自利利 他の相資相依を顕わす益である。結論を急ぐならば、真仏弟子の釈下を見ると二十一二文が引用してあるが、その中、 触光柔頼の願と聞名得忍の願に浄土真宗の利益を考えることができる。即ち、一二十一二願文中﹁十方無量不可思議諸仏 世 界 衆 生 之 類 蒙 一 一 我 光 明 一 触 ニ 其 身 一 者 身 心 柔 鞭 趨 − 一 過 人 天 一 し と あ る 文 で あ る 。 十 方 無 量 の 数 限 り な い 衆 生 が 、 清 浄 光 、 歓喜光、智慧光の光明を蒙ってその身に触れるならば、身もやわらかになり、 心もやさしくなって、人天に超え勝れ る風格を具えるという意味である。柔鞍心は信心の具徳として具有されるものであるから大菩提心であり、金剛心で 現 世 利 益 考 七

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現 世 利 益 考 A もある。又、正定楽に住する念仏行者の上求菩提、下化衆生の心でもある。常に間違いなく浄土に往生することがで きるという自覚に安住せしめられている人︵真仏弟子︶の機相に柔頼心は顕われる。 ﹁ 敷 田 宍 紗 L に﹁わろからんにつ け て も 、 いよ/\願力をあをぎまひらせば、自然のことはりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし﹂とあるのは廻向 された願力をあおぐにつけても、自然に柔和忍辱の心が機相に起り来ることを明らかにした文と見てよかろう。眠議 の心を離れ、怒らず、争わず、能く物を容れて同化し、罪障を常に機悔する、身心ともにやわらいだ心と忠われる。 この風格こそ真仏弟子の機相に顕われた風格といえるであろう。叉、 この姿こそ往生安堵の身となった現生正定緊の 得益であり、信の具徳として与えられる大安堵心である。柔頼心、大安堵心は煩悩具足の凡夫としての自覚の上に立 つ真宗教徒の現実における精神的利益と考えてよいであろう。 念仏に援災招福の本質があるのではない。名ロザはあくまでも禍福を超えた往生の因であるから、一撲災招福の現益は 我々の努力によって達し得る。然し、信の一念は人生生活の原動力であり、 エネルギーである以上、全然無関係でも あるまい。金剛心をいただいて機悔と歓喜と、 たゆまざる感謝に生かされて努力すれば、自然に生活に福利をもたら すこともあろう。念仏と嬢災招福等の物質的現益とは蓋然的関係にあると考えられる。 註 ﹁ 親 鴛 の 現 世 利 益 ﹂ 福 、 一 勝 美 著 ﹁ 浄 土 教 の 現 実 的 展 開 ﹂ 梅 原 真 隆 著 ﹁ 顕 真 学 報 ﹂ 第 三 十 九 号 、 第 二 十 一 号 、 第 一 号 、 第 二 十 号 ﹁ 真 宗 教 学 の 諸 問 題 ﹂ 普 賢 大 円 著 ﹁信仰と実践﹂同右 ﹁ こ れ か ら の 倫 理 ﹂ 大 島 康 正 著 ﹁ 仏 教 倫 理 の 研 究 L 遊 亀 教 授 著 ﹁ 現 代 倫 理 思 想 の 研 究 ﹂ 務 台 理 作 著 ﹁ 現 代 の 不 安 と 宗 教 ﹂ 高 山 岩 男 著

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に顕われた本願・名号に就いて

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古来より浄土論は三経通申論と一一一口われる。即ち論註につ無量寿是安楽浄土如来別号釈迦牟尼仏在一主舎城及舎衛 ざ ア ニ キ 玉 ヘ リ 国 一 於 ニ 大 衆 之 中 一 説 二 無 量 寿 仏 荘 厳 功 徳 一 即 以 一 一 仏 名 号 一 為 二 経 鉢 こ と あ る に 依 り ﹁ 無 量 寿 経 優 婆 提 舎 願 生 偏 ﹂ の 無 量 寿 経とは王舎一城所説が大・観二経を指し舎衛国所説が小経を指す事は明白である故一雇を総称している事、か解る︵捕戦績 編 、 ﹁ 曇 種 目 教 学 〆 0 の 研 究 ﹂ 七

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頁 ︸ 然り三経の深意を夫々巧みに引用して浄土教の真意を開顕せる書と言われるに到ったのは実に曇驚大師の註釈に依 って其真髄を発揮するものであって、宗祖は註主の意は山中す迄もなく論主の意をも論註を通して掬取されたと窺うの である。即ち本典中に夫を拝見出来る。故に論・論註を同視されて註論と言われ、亦曇驚菩薩と仰がれた事もむベな りと拝察するのである。勿論註も多くの個所につ一経を引文して論意の開顕に努めてある事は論ずる迄もない。 然らば如何なる処に於て夫が首肯されるであろうか。勿論理々叙述する迄もない事であろうが多くの先哲の意を藷 ﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て 九

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﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て

りて其所在を明らかにして見たい。 即ち差別門に於ては三経各別であるが一致門に就いて言えば観・小二経は大経に統摂せられる。其大経も一つには 第 十 八 願 に 収 ま る 。 然して其論の骨子は一心五念を以て法門とするのであるが其法門は何を根拠として居るかと言えば、第十八願の三 信十念が其根拠と明かしたのが此論註である。即ち上巻末八番問答の第一問答に於て註主は殊更に第十七願と第十八 願の然も成就文を引用しておられる。 惟うに其引意は浄土往生の正因が信心にある事を示すものであって然も巻頭十住引文を引き立てるものであり﹁但 ル 二 信 仏 因 縁 一 風 勺

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一 束 心 仏 願 札 一 位 争 一 往 一 一 色 伎 清 浄 土 一 L とあるのは易行道なる事を証左するものである︵間酬明

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o ひとえに上巻巻頭の十住引意と同巻末の八番問答とを以て此上巻は信心正因を明白に論述 せるものである。殊に十念釈義に於ける註述は後に宗祖をして正信偏龍祖の項に﹁憶念弥陀仏本願しと言わしめた処 と 拝 察 す る の で あ る 。 然り而して大尾に於ては論主の深音却を愈々発揮し他利利他釈に於て深義を開顕し三願的証に ナ ラ ム ヒ ト シ タ テ ヲ テ セ ム ノ プ 便 是 徒 設 今 的 取 ニ 二 一 願 一 用 一 説 ↓ 一 義 意 一 L と言えるのは実に如来の正覚は衆生の往生にあり、 ﹁ 若 非 一 一 仏 力 一 四 十 八 願 衆生の往生は如来の正覚 にある事を力強く示すものに外ならぬ。 先 ず 第 十 八 願 意 の つ 縁 一 一 仏 願 力 一 故 十 念 ﹂ と は 他 力 に よ る も の で あ っ て 衆 生 の 無 作 を 一 不 し 、 ス レ ハ チ ム ヲ ﹁念仏便得二往生一しと は十住論意によって米るものであって龍樹菩薩を浄土教鼻祖と註主が定められたものである。叉是が即ち論の 2 日 利 シ テ ユ 玉 ヘ ル ガ ン 玉 ヘ ル コ ヲ ヲ ニ 利 他 速 得 z成一一就阿縛多羅三窺三菩提一故﹂とある速得を釈したもので、三信十念を説ける第十八願願意が論に言う一 心五念門行と同じものである事を示したものである。

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稲葉円成師は第十八願的証下に十念念仏と出してあるのを上巻は一心偏を釈するに念仏を信心に収め、 下巻は長行 の五念を釈するから信心を念仏に摂めたもので、 亦下巻は五念門行の正因を明す為の引用なれば十念を出し、 上 巻 は 普共諸衆生の往生を説く為である故行を隠して信を出したのであろうと言つであるのは注目すべきである︵雅一一削減鰐 要 、 十 戸 0 四 ↓ 員 、 然り十念念仏の当相は論主は五念門の讃嘆と見られ、 註主は称名の十念と見られている。 勿論此称名は一心 から流出した念仏ではあるが此文の当分は念仏往生と見られる。蓋し第十八願願事は信心・称名・往生の一一.である。 ﹁ 観 二 仏 本 願 力 一 遇 無 一 一 空 過 者 一 能 令 互 速 満 一 一 足 功 徳 大 宝 海 一 L と あ る の を 論 註 に 寸 又 人 間 一 一 仏 名 号 一 ﹂ と 見 遇 を 聞 ム 間 ? ﹂ 一 一 三

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遇としてある。宗祖は銘文に観仏の偏を釈して﹁本願力を信楽する人はすみやかにとく功徳の大宝海を信ずる人のそ の︵恥︶に満足せしむる也﹂と間即信の形で示された。一多証文に﹁観は願力をこころにうかベみるとまふす、またし るといふこ L ろなり遇はまうあふとまふすは本願力を信ずる也 L とあるのも同じ意である。即ち観は観知の義で本願 力を心に浮べて信知する事で元祖は和語灯録四につ遇うといへども若し信ぜずば遇はざるが如し﹂とあるのと全く同 じ で あ る 。 聞は名号を聞くのであるから至心は尊号を鉢とし信楽は至心を鉢とし欲生は信楽を駄とすと言う宗祖の指図に従う 時此偏は本願他力を示したものとき口う事が解る。然し既述の如く註主は三信を妓いて十念を以て示されてある、是が 十念念仏便得往生である。因に宗祖の本願とは根本願を意味し論註は因本願を指している事は三願的証釈に於て知ら れ る 。 然り十住論点目却を以て筆を染め始め八番問答に於て文勢を昂揚して白身の信心歓喜の心底を開陳し震本釈を以て註を ク ク オ ロ カ ナ ル カ ナ ノ テ ノ コ ト ヲ ス ニ ズ タ レ ト ラ ス ル コ ト 載 り 、 の み な ら ず ﹁ 愚 哉 後 之 学 者 間 一 一 他 力 可 下 乗 当 レ 生 二 信 心 一 勿 一 一 円 局 分 一 也 ﹂ と の 勧 誠 の 辞 を 残 し て 摘 筆 さ れ て あ る 事は自信教人信の如実な姿と思うのである。 三翌日﹄に顕われた本願・名号に就いて

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﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て ひとり註主によって龍樹菩薩を浄土教法門相承の始祖とし天親菩薩を次祖とした事は極めて大きな功績である。唯 仏与仏の知見と言う辞があるが此註主の微意を知る者はひとり宗祖にして出来得た事であって余人の知り得る所では ﹁自名目ニ親驚一測知曇驚化現也﹂を味うのである。従って論註を指針として浄土論を拝読し、十住論を : 、 。 品 十 ∼ B L V 身読し、亦三経を色読するのが後の学者殊に他力廻向を味う者の務であろうかと思う。若し論註を離れて学解のみを 以て行う事は無明の暗夜に航路を求めるのと全く等しい。 かくして極めて大略乍ら大経殊に第十八願を開顕した書が此論・註である事を知り得た。其中の本願と名号に就て 討 究 し て 見 る 。 大 経 第 十 七 願 に 日 く ﹁ 設 我 得 レ 仏 十 方 世 界 無 量 諸 仏 不 亘 悉 谷 瑳 称 一 一 我 名 一 者 不 レ 取 一 二 止 覚 こ と 。 重 誓 備 に 日 く ﹁ 我 建 一 一 超 世 願 一 必 至 一 一 無 上 道 一 斯 願 不 一 一 満 足 一 誓 不 レ 成 4孟 覚 ﹁ 我 於 一 一 無 量 劫 一 不 下 為 コ 大 施 主 一 普 済 申 諸 貧 苦 主 誓 不 レ 成 ニ 正 覚 ﹁ 我 至 レ 成 ニ 仏 道 一 名 声 超 一 一 十 方 一 究 寛 擁 レ 所 レ 聞 誓 不 レ 成 一 二 止 覚 こ と 。 シ 玉 ウ ノ ナ ル ヲ 第十七願成就文に﹁十方恒沙諸仏如来皆共讃ニ嘆無量寿仏威神功徳不可思議こと日く。 又 諸 仏 讃 勧 段 に 日 く ﹁ 無 量 寿 仏 威 神 鉱 山 レ 極 十 方 世 界 無 量 無 辺 不 可 思 議 諸 仏 如 来 莫 レ 不 呈 称 一 一 嘆 於 彼 こ と 。 キ テ ヲ ヘ パ h r ン ト ク リ テ ノ ニ ラ 叉 聞 名 不 退 の 益 を 示 し て 日 く ﹁ 其 仏 本 願 力 聞 レ 名 欲 ニ 往 生 一 皆 悉 到 コ 彼 国 一 白 致 ニ 不 退 転 こ と 。 以上は本典行巻初頭に宗祖が引用なられである経文であるが斯様に続けて拝読すると多くの言葉を費す事なく、仏 願の生起・名号の成就から始まって一切十方諸有の衆生を他力廻向に依って救済せんとする如来の大悲独用の所以を 一 不 さ れ て あ る と 見 る 事 が 出 来 る 。

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宗祖眼に依る第十七・八願及び成就文を味うのである。古来より第十七願は大行を、第十八願は大信を一不すものと して宗祖は夫を行信両巻に明細に説かれてあり亦行信半学と言い真宗学の極めて重要な論題とされ先哲の研究蘭菊美 を競うの観ある処である。 今は行信に就て論ずるのではなく八番問答に雁門が引用されてある第十七・八願成就文殊 に其の意義を如何に宗祖が之を展開されてあるかと言う事に焦点をしぼって見たい。 ト ハ 玉 フ ト ノ ヲ ヤ 八番問答第一問答に﹁同日天親菩薩廻向章中言一一並日共諸衆生往生安楽園一此指レ共ニ何等衆生一耶。 ヲ ゲ 玉 パ ク ユ ノ ニ シ 玉 フ ノ 、 、 、 、 、 、 、 、 ナ ル ヲ ノ テ o ノ ヲ セ ン コ ト 所説無量寿経一仏告二阿難一十方恒沙諸仏如来皆共称↓一嘆無量寿仏成神功徳不可思議一諸有衆生間一一其名号一信心歓喜乃至 セ ン ヱ シ 玉 ヘ リ ハ ト ノ ニ エ ォ J E ム ニ 0 0 ク 卜 0 0 ト 0 0 0 0 トヲヲヲテク 一念至心廻向願レ生一一彼国一即得一一往生一住コ不退転一唯除二五逆誹諒正法一案レ此而言一切外道凡夫人皆得二往生!中 テ ノ ヲ ス ル エ エ ヌ ノ シ ム レ パ セ ヲ ノ ヲ シ テ ヱ ヲ 略 以 コ 此 経 一 証 明 知 下 日 間 凡 夫 但 令 下 一 小 三 誹 一 一 語 正 法 一 信 仏 悶 縁 皆 得 中 往 生 主 ﹂ と あ る 。 テ ク ズ ル ニ 答 日 案 一 一 王 舎 城 此問答に於ては天親菩薩の一百へ る並日共諸衆生に就て問題を提起してあるが其答として第十七・入願両成就文を連引されてある処に意を注、ぎたい。 第十八願は不取正覚と結んだ後に唯除五逆誹詩正法とある。従って其成就文に此辞の有る事に別に不自然は感じな い。今の聞は普共諸衆生と言う衆生に就てであるから十悪五逆を一不さんが為のものであると言うのであれば第十八願 成就文だけで事足りると考えられるのに何故註主は第十七願成就文迄続けて用いられたのであろうか。 惟うに法体大行説の思想的萌芽はこれを論註の上に求める事が出来、讃嘆門下に称名破満を明しその破満の用を名 号に帰して﹁彼無碍光如来名号能破ニ衆生一切無明こ等と述べてある。市して三一在釈のこころを宗祖は行巻大行釈に 引用されてある。之等は明らかに名号に力用を認めた釈相であって称名を侯つ迄もなく名号そのものに価値を認める 意向である事は明らかである。之は論註が五念門往生を上品生の行法とし、称名を以て五逆の悪人の肉法とする釈相 であるから自然にその称えものの名号に力用を認めるに至ったものと思われると神子上恵龍博士は言って居られる ︵開直臨時点差脇陣の︶其事を考える時、論主と言い註主と一一一一口うも普共諸衆生の意味は上品上生の衆生を言うが為のも ﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て

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﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て 四 のではなく諸有衆生、十方衆生、即ち下品下生の者を目的の本願なる事を知らしめる仏意を光闇せんが為の論であり 註であるから、信仏因縁によって皆得往生なる事を論理的に一不す為に此処に第十七願成就文迄連引されてあると思う の で あ る 。 先述の如く三経を真仮に或は差別門より眺めて隠顕に分ける時は観・小二経は一往当面は権仮に入り、大経こそ真 実 教 で あ る 事 は 宗 祖 の 指 南 の 通 り で あ る ︵ 牢 話 一 一 ︶ 0 日渓法諜師の言を借りる迄もなく一代仏教は浄土三経に収まり ν サ パ ノ ヲ テ 其 三 経 は 大 経 に 摂 ま る ﹁ 夫 顕 ニ 真 実 教 一 則 大 無 量 寿 経 是 也 ﹂ 。 事は実に仏出世の本意を端的に言ったものである。 号 一 為 一 一 経 駄 一 也 ﹂ 。 一切経中の大経と言うよりは大経中の一切経云々と言う チ テ ノ 其大経は第十八願に摂まり夫も亦名号六字に納まる﹁即以コ仏名 換言すれば一切経も名号の体・相・用を開陳せんが為で名号こそ如来より廻向と衆生に差し向けられ テ ノ ヲ シ 玉 ヘ リ ノ ヲ テ ノ ヲ シ 王 ヘ リ 信 巻 三 一 問 答 に ﹁ 如 来 以 ニ 清 浄 真 心 一 成 ニ 就 円 融 無 碍 不 可 思 議 不 可 称 不 可 説 至 徳 一 以 コ 如 来 至 心 一 回 一 一 施 諸 ニ チ レ ア ラ ハ ス ノ ヲ ユ シ コ ト ノ ハ チ レ ノ ヲ セ ル ノ ト 有 一 切 煩 悩 悪 業 邪 智 群 生 海 一 則 是 彰 ニ 利 他 真 心 一 故 疑 蓋 無 レ 雑 斯 至 心 則 是 至 徳 尊 号 為 ニ 其 鉢 一 也 ﹂ る も の で あ る 。 とある指図を仰ぐので ある。実に大経こそ如来の本願を説いて経の宗致とし如来の至徳尊号を以て経の駄とするものである。 然らば其名号とは一体如何なるものか、宗祖は本奥行巻に其説明を己証を通して示されている。 名けられる其本を説いて摂諸善法具諸徳本と名号の量徳を示され、極速円満と用徳を表され、 真. 如. ー.即 実.ち 功.名 徳.号 宝.が 海.大 と 行 性 と 徳 を 言 わ れ で あ る 。 此大行出体釈に於て名号に就て斯様な量・用・性の三徳を挙げられたのは論註の真実功徳を菓けられたものであろう 九 神 子 上 恵 龍 著 真 宗 学 J o 一 = 口 う 学 者 も あ る ︷ の 根 本 問 題 一 五 三 頁 ︶ カ か る 宗 祖 の 着 眼 は 実 に 第 十 七 願 及 び 其 関 連 の 経 文 か ら 感 得 さ れ た も の で あ るが雁門の八番問答に於て此第十七・八願成就文の連引は大阿弥陀経にある四番目の願は此両願が一願文になってい る事と平等覚経も亦二願が一つになっている事に注意しなければならぬ。勿論雁門の典拠としての大経は魂訳である

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が異訳経典に就て宗祖は着眼されたのではないかと窺うのである。 第十八願往相信心之願が全うずる為には第十七願往相廻向之願が無ければならないのは必然であると宗祖が味得さ れた処に今日の浄土真実の教としての真宗が存在するのであって、西銀等浄土余流の見解の相違は此処にあるのでは ないかと思うのである、即ち今家独達の真実五願開示こそ真実宗の中心である。 シミテズルニ 行巻初に﹁謹按ニ往相廻向一有ニ大行一有一一大信こと示されて往相廻向の中に大行大信ありと仰せられた事は、少な く共当時としては仏教一般の廻向思想と相当な聞きを示すものではなかったろうかと想像する。行信共に廻向される のであるから同じ浄土門の人達にも奇異の念を懐かしめた事であろう。然るに宗祖は行信共に如来より廻施される故 に 大 行 大 信 だ と 仰 せ ら れ で あ る 。 例 え ば 此 行 巻 に ﹁ 斯 行 即 是 摂 ニ 諸 善 法 一 具 ニ 諸 徳 本 一 極 速 円 満 真 如 一 実 功 徳 宝 海 故 名 − 一 大行﹂と大の意を解釈されてある。行巻を標挙するに諸仏称名之願と第十七願を以て為された事により大行とは法体 名号を意味せるものと見られる。 此標挙を概観すれば是山恵覚師は行巻一部の物体を顕示する為に諸仏称名之願と標挙し第十七願名を標して諸仏所 讃の法体名号が今所明の大行と示すもので、法体名号は常に普流行して衆生に称せしめつつあるものであるから自ら 能行亦大行である義を持つ、子註の二句は即ち此義を示すものである。叉第十七願に二途あって所讃を全うじて能讃 とすれば教で十方諸仏各々弥陀仏徳を嘆じて衆生を教化するからである。能讃を全うじて所讃とすれば即ち行で諸仏 の讃嘆も亦名号の威力本仏の口業説法であるから、と言い亦続いて子註の二句の初は宗に就て示し後は法に就て明す。 初旬は外諸行に対する時は能行に約し内大行に対する時は所行に約す能所並含する故に、後句の選択本願とは第十八 ﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て 五

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﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て 一 六 願の別目即ち乃至十念を指して本願の行とする。十念は其相より言えば能行の称名であるが衆生の称名は名号の他に ないのだから全是法体である故に能所を含む、即ち二句共同じく所行で能所を兼含すると言える夫は所行は常に能行 と な る か ら 云 々 と 言 っ て い る ︵ 訴 品 川 唯 一 鵡 ︶ 。 蓋 し 法 徳 よ り 言 う 時 元 祖 の ﹁ 名 札 者 匙 万 徳 土 所 レ 民 宮 町 内 パ 肌 弥 陀 一 札 所 有 四智三身十力四無畏等一切内証功徳相好光明説法利生等一切外用功徳皆悉摂ニ在阿弥陀仏名号之中一故名号功徳最為レ 勝也﹂の仰せに依り名号その憧が行と言う事を知るのである。この意は既に神子上博士の弁として述べておいたが此 処に単復の悪人であり諸仏の悲願に洩れた衆生が救済される論理がある。叉機受で言えば覚師の﹁弥陀他力の行をも て凡夫の行とし弥陀他力の作業をもて凡夫報土に往生する正業としてこの積界をすててかの浄刺に往生せよとしつら の仰せられである意である。即ち是こそ為衆開宝蔵広施功徳宝であり令諸衆生功徳成就と ﹁ 言 ニ 弘 願 一 者 如 ニ 大 経 説 二 切 善 悪 ひ た ま ふ を も て 真 宗 と す ﹂ 宜う処であって他力の根源を此経文に見出す事が出来るのであり、亦宗祖の仰せの 凡 夫 得 レ 生 者 莫 レ 不 下 皆 乗 ニ 阿 弥 陀 仏 大 願 業 力 一 為 中 増 上 縁 主 也 ﹂ と あ る 処 な の で あ る 。 然 し て 六 字 の 名 号 中 に 十 願 十 行 具 ト レ ナ リ レ ナ リ フ ハ ト レ ノ ナ リ ノ ノ ヲ ニ ズ ル ヲ 足 し て い る 事 は ﹁ 言 ニ 南 無 一 者 即 是 帰 命 亦 是 発 願 廻 向 之 義 言 コ 阿 弥 陀 仏 一 者 即 是 其 行 以 一 一 斯 義 一 故 必 得 一 一 往 生 己 と 続 い て ト ス デ 品 ヨ テ 司 王 ﹁ 言 ニ 発 願 廻 向 一 者 如 来 己 発 願 回 二 施 衆 生 行 一 之 心 也 L とある終南の六字釈を其憧衆生に廻向されてあると指南になっ た の で あ る 。 唯光寿二無量の覚体たる万善万徳が名号中に具足するのみではなく衆生が建立すべき願も行ずべき行も具足されて あるので願行具足の名号と言えるのである。 如レ是宏大と言うも言い尽せぬ大功徳を持った名号である処から十方恒 沙の諸仏如来が皆共に称喫されるのである。無善何枯無徳何侍の衆生をして浄土に生ぜしめる力が威神功徳不可思議 なのである。此理を持つ名号を指して其名号と言うのである。斯様に深い意味を持つ其であるから第十七願成就文 に多くの意を語らしめん為に雁門は殊更に第十七・八願成就文を連引されたと窺うのである。換言すれば言ニ弘願一者

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如ニ大経説一と一亦された如く他力廻向の源を論註の上では此第一問答に潜在していると見る事が出来るのではあるまい か。助かろうと祈る前に如来は救おうとされ、生れようと願う前に生れさせたいと働かれてあるのが如米の本願・名 号 で あ る 。 因に本願と名号の区別は宗祖の上では之を見る事は出来ない。 常に名 U V と本願を同じ心で使われている。 即 ち 名 号 と 願 力 と に 区 別 を つ け て お ら れ な い と 大 江 淳 一 誠 博 士 は 言 つ て い る ︵ 一 新 制 一 誠 一 崎 市 信 ︶ 0 閣の字に他力の意味を包蔵している事は宗祖の言に依って知られる。尚之に就ての藤原教授の説を参照されたい へ藤原凌雪著念仏恩怨の研 J

f v 究 、 五 六 頁 及 び 六 一 頁 ﹂ 又其の字にも悪人正機・他力救済の根拠と論理が筆舌を以て表現し伴ぬ程含まれていると味われる。 実に無量寿仏 の威神無極は十方世界無量無辺不可思議の諸仏如来が称嘆せざるはない処である。 ク r 工 A ウ ヲ ’ レ 能満ニ衆生一切志願一称名則是最勝真妙正業正業則是念仏云々しとの仰せの如く下々口聞の衆生に普流行して信ぜしめつ ﹁ 雨 者 称 レ 名 能 破 一 一 衆 生 一 切 無 明 一 つ行ぜしめつつ浄土へ生れしめるのである。 其は成上起下の字であり、第十七・八願成就文を不二のものと結びつける極めて重要な意味を持つものであって、 第十八願が第十七願と不離の関係を示すものである。 救われざる者が救われ、生れざる者が生れて行く姿こそ本願・名号の独用である。まさに宗祖の仰せられた ズ レ パ 悩 成 就 凡 夫 生 死 罪 渇 輩 萌 獲 ↓ 一 往 相 廻 向 心 行 一 即 時 入 一 一 大 乗 正 定 莱 之 数 己 の 姿 こ そ ﹁ 真 宗 案 一 一 教 行 信 証 一 如 来 大 悲 回 向 之 利 益 ﹂ な の で あ る 。 ﹁ 然 煩 尚 参 照 し た お 聖 教 は 全 て 真 宗 聖 教 全 書 に 依 っ た 。 ﹃ 論 註 ﹄ に 顕 わ れ た 本 願 ・ 名 号 に 就 い て 七

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明治時代の仏教音楽 A

1 1 仏 教 唱 歌 を 中 心 に | |

︵ 高 田

8

明治時代に新しく西洋音楽により発展した仏教音楽は、すでに、今日までに八十年あまりの月日を経過しているが、 その概略なりとも明らかにされてよい時期である。若干の研究はあるといっても、多くはその発端のごく一部につい ① て ふ れ て い る に す ぎ な い 。 また、昭和三十年前後には、現代日本音楽界において、注目すべきいくつかの勝れたさきの仏教育業作品が、作曲 ① 者自身の内的思索から生まれ出たこと、さらに、昭和三十六年を中心に、仏教各宗における宗祖のご遠忌法会で、こ @ ういった仏教音楽の重要性が再検討された問題などからして、西洋音楽による仏教音楽の本質と歴史が明らかにされ なければならないと考えた。 そういった意味から、以下において、明治時代における仏教音楽の歴史の一端を、私の集めた資料によって明らか @ に し た い と 思 う 。

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年 一 八 八 一 八 八 八 一 八 八 九 一 八 九

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仏 教 昔 及 び 主 要 事 項 A 斗 4

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i 寸 斗 − A V E − 2

5 お ・ 5 明治時代の仏教音楽 楽 作 品 1 .文部省編﹁小学唱歌集 L 初編第十五・慈円︵一一五五

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一 二 二 五 ︶ 作 歌 、 ︵ 曲 は 雅 楽 ﹁ 越 天 楽 L に よ る ︶ H ﹁ 春 の や よ ひ ﹂ 。 歌詞/春のやよひのあけぼのに/四方のやまベを見わたせば/はなざかりかもしらくもの /かからぬみねこそなかりけり/ 2 .土岐善和︵一八四九

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一 九

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六︶作詞︵作曲者不詳︶ H 唱 歌 今 様 四 章 ﹁ 法 の 雨 、 以 下 略 。 法 の 友 、 法 の 花 、 法 の 燈 ﹂ 。 その詞書に﹁この調ととなはぬ唱歌も又讃仏乗転法輪の因縁ともならば幸甚﹂とある。 3 . 松 田 円 実 作 詞 作 曲 町 H ﹁ 仏 教 唱 歌 L 。 特に児童を対象とした作品。 ﹁四明齢層酢誌上において、編集子、松田円尭の作品を提示して、 近来小学校で用い 4 る唱歌には仏教的なものがないから、 教家は仏教唱歌を認識して、今後小学校で仏教唱歌 が歌われるよう働きかけなければならない旨を説く。

5

.土岐善静作詞︵曲はっ立太子式 L の 曲 に 倣 う ︶ H ﹁ ︵ 見 真 大 師 ︶ 降 誕 会 唱 歌 L ︵ 古 岡 田 本 山 に お け る 降 誕 会 の た め 向 ︶ 。 九

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明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 八八 九 九

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一 八 九 二 一 八 九 四 一 八 九 六 3 ︸− 4 9 山 tq 白 お ・ 4 27 4 29 27 1 8

この世にひらくるのりのかと/この世にわたせるのりのふね/真俗二たいの大導師/われ らをすくわんがために/やまとしまねにいでたまふ/いはへやいはへけふの日を/のりの ためくにのため/ 以 下 略 。 6 .土岐善静作詞︵曲は雅楽﹁越天楽﹂による︶

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﹁ 法 の 深 山 L 法の御山のさくら花/昔のままに匂ふなり/道の枝折の跡とめて/さとりのみねの春を見 よ/以下略。 7.四月八日釈尊降誕会東京府下公私立大学六校において営まれる。 歌風に折中して讃歌となし、 釈迦八相を今様と軍 @ 一般市民に﹁四月八日﹂と題して数万部印施。その具体的な 内 容 は 不 詳 。 8 .土岐善静作詞︵作曲者不詳︶ H ﹁ 見 真 大 師 降 誕 会 の 唱 歌 ﹂ ⑨ 誕 会 の た め に ︶ 。 ︵東京大谷教校における降 主催大谷派の有志。参会者高僧紳士多数。教校の学生は﹁かねて土岐師のものせられたる 左の唱歌を節面白く謡った L と 言 う 。 承安三年笑巳の歳/四月の一日誕生し/化縁の年間満九十/草駐竹杖いとひなく/末世を 利益の見真大師/

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.多国道ぬ作詞作曲 H ﹁ 法 の 道 イ ロ ハ 唱 動 向 ﹂ 。 ⑫ ⑬ 目、大和田建樹︵一八五八|一九一

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︶作詞、納所弁次郎︵一八六五|一九一二六︶作曲リ ⑭ 日、黒川真頼︵一八二九|一九

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六︶作詞、小山作之恥︵一八六三 以 下 略 。 ﹁ 戦 死 者 を 弔 う 歌 ﹂ 。

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一 八 九 八 一 八 九 九

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− 6 位 ・ 5 泣 ・ 5 回 ・ 9 ヮ “ ・ A v q O 1 ム 明治時代の仏教音楽 !一九二七︶作曲リ﹁戦死者を弔う歌 L 。 日清戦争直後で戦死した同胞のために教家から作者に委嘱されたものと考えられる。 ⑬ 日.暁烏敏作調︵作曲者不詳︶ H ﹁ 報 思 講 ﹂ 。 ﹁音楽と教家﹂と題して、教家は声明と西洋音楽を融合し ⑪ た新しい仏教音楽を今こそ認識して教化に利用すべき好機が到来していると説く。 ⑮ ⑩ 日.頓阿法師︵一二八九

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一三七二︶作歌、竹田竹窓、岩井一水編曲︵雅楽より︶リ仏教 @ 普 通 唱 歌 ﹁ あ さ ひ か げ ﹂ 。 12 ﹁ 無 壷 燈 ﹂ 誌 上 で 編 集 子 、 @ 日、四月入日東京神田錦輝館にて大日本仏教青年会の釈尊降誕会。 ﹁仏の遺弟雲の如く風を望んで集り、午後二時に至り遂に門を閉じて傍聴を謝絶するに至 れり﹂という盛大さ。午後一時ピアノ弾奏により﹁荘厳なる降誕会は開かれぬし。 奥田貫 昭 師 の ﹁ 十 善 戒 ﹂ 、 釈宗演師の﹁余が誕生仏﹂などの講演の後、滝、桜井両民により、ピ アノとヴァイオリンの合奏︵曲目不明︶がなされた。 日.仏教式の婚礼︵愛知県幡豆郡富田村願専寺副住職︶ H 小学生によるヴァイオリン奏楽 @ で ﹁ 法 の 深 山 ﹂ 。 この頃﹁法の深山﹂は相当に普及していたと考えてよい。 @ @ rm.土岐善静作詞、恒川錦之崩作曲 H H ﹁ 高 田 の 松 し 。 高田派二十二代尭猷法主ドイツ留学より帰国の折歓迎のために作歌されたものである。 17 ︵ 作 調 作 曲 不 詳 ﹀

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﹁高田派法嗣殴御得度奉祝歌 L

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三 明治時代の仏教音楽 ヮ “ − A v q J

1 つ 山 1 ょ っu

i お ・ 5 お ・ 9 担・ 5 P 0 ・ ハ リ q u 1 ム 36 10 ︽ h リ ・ ワ 白 Q d 4 1 i 同じく尭猷法主が十月二十二日に得度された折に歌われたものである。 めぐみつきせぬしもつけの/ながれをくまぬものぞなき/たかだのやまはいやたかく/あ ふがぬものぞなかりけり/以下略。 ﹁ 道 の 友 L 誌上において、土岐善静﹁無絃琴﹂と題して、 ⑧ あ る 旨 を 述 べ る 。 18 仏教と音楽は密接な関係に 19 ︵ 作 詞 作 曲 者 不 詳 ︶

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﹁ 四 思 の 動 向 ﹂ 。 国 王 、 父 母 、 衆 生 、 三 一 宝 の 思 を 歌 う 。 @ @

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.水野道秀作詞作曲 H 仏 教 唱 歌 ﹁ 一 ニ 恩 の 歌 L 。 忠君愛国、父母、仏陀の思を歌う。 21 @ ︵ 作 詞 作 曲 者 不 詳 ︶ H 教 団 唱 歌 ﹁ 女 子 の 道 ﹂ 。 女の道の在り方と険しさが歌われている。 ︵ 作 詞 作 曲 者 不 詳 ︶ H 家庭唱歌﹁朝のう伊。 明 る く 童 話 的 な も の 。 @ 泊、浅草東光会主催 H 仏教音楽講習会。東京音楽学校教授山田源一郎を講師に迎え二週間 22 の講習。東光会は今後仏教音楽の革新を目的として時時時好に適する仏教音楽書を編集す @ る旨を約する。その後の消息不明。 @ M .小比賀輝政作詞作曲リ仏教幼年会唱歌﹁親の思﹂ ︵ 父 母 恩 重 経 を 根 拠 と し て J 。 ぉ.細馬卓雄編 H ﹁通俗仏教唱歌集﹂刊。全三十曲。体裁

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六判。総頁四

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。広島洗心書

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四 一 訂 ・ 7 一 九

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一 九 一 二 却 ・ 1 却 ・

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2 d 吐 唱 i 必 ・ 5 姐 ・ 8 4

2 4 生 T よ 必 ・ 2 明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 房一刊。明治四十年には五版を重ねた。編者は呉の人。広島県安芸郡吉浦村誓光寺住職。曲 は 真 宗 に 関 し た も の が 多 い 。 @

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.常磐井尭猷︵一八七二|一九五一﹀作調、宮島春松作曲

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﹁ 見 真 大 師 降 誕 会 唱 匹 。 @ @ 幻、山口巧有作調︵一八八一ーー一九一一︶、竹内宜啓︵一八六七

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一 九 三 六 ﹀ 作 曲

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﹁ 弥 @ ﹁ 無 常 ﹂ 。 陀 の 救 い L 弥陀の救い/みめぐみふかきわが父の/弥陀の誓いのあればこそ/つみとが深きわれ人も /無為のみやこにいたるなれ/以下略。 @

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.暁烏敏作調︵作曲者不詳﹀

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﹁ 御 法 の つ ど ひ ﹂ 。

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.五月二十一日宗祖降誕会H仏教大学講堂において﹁宗祖降誕会の歌﹂、 @ ︵ 作 者 不 詳 ︶ な ど を 合 唱 。 ﹁ 仏 徳 讃 仰 の 歌 L 卵 、 仏 教 大 学 学 生 の 伝 導 旅 行 ︵ 広 島 ︶ で 、 オルガン伴奏﹁仏教唱歌﹂を広島育児院や各寺 院などにおいて歌う。また船中では船客に﹁仏徳讃仰の歌﹂を配り讃唱。 @ 担.三栗孤桐編

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﹁ 通 俗 仏 教 唱 歌 集 ﹂ 刊 。

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六 判 和 本 。 全 七 五 曲 。 洗 心 書 房 刊 。 32 ﹁六係学報﹂誌上において、編集子﹁新布教法の疑問﹂の中で、 近時真宗各派と浄土 宗は革新的な布教法、すなわち唱歌、音楽などでもって大衆に呼びかけているが、 ⑬ は夕立ちの如きものであって一時的な効果より望めないと批難している。 ﹂ れ ら ぉ.西村護法館編集局編

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﹁ 仏 教 唱 歌 集 ﹂ 刊 。

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六 判 。 全 三 十 七 曲 。 @ @ M .松居松葉作詞、ウエルクマイスタ 1 作 曲 日 歌 劇 ﹁ 釈 迦 ﹂ 。

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明治時代の仏教音楽 四 東京帝国劇場において初演。出演柴田環、清水金太郎他で行われたが、 ⑬ げしい不評を蒙った﹂ばかりか、再演もされなかった。 ﹁ 一 般 観 衆 か ら は 以上白項目にわたり、明治時代の西洋音楽による仏教音楽の大要を見てきたが、その発端とでもいうべき作品は、 ニにおける 1 の、明治十四年と見てよかろう。それ以前に二、三の作品があったと考えられるし、文部省編っ小学唱 @ 歌集﹂初編の草稿の中には、仏教的なものが、若干ふくまれていたことも事実である。 明 治 十 四 年 、 ﹁小学唱歌集﹂初編の刊行とともに、仏教家は、唱歌を仏教的に応用することを考えたが、 一 面 に お いては、積極的に西洋音楽を受け入れようとする心構えは、明治時代を通して、 そ れ ほ ど に 、 まだできていなかった ょ う で あ る 。 所で、この時代の仏教音楽を代表するものは、前述の﹁小学唱歌集﹂から影響を受けた、 ﹁仏教唱歌しであったと いうことができよう。歌われている内容としては、釈尊、見真大師降誕会に関したものが多く、次に、父母思重経を わかりやすく歌ったものということになる。理論的な面においては、 4 12 国、認の四つの論説があるが、仏教音 楽の問題点を具体化したものとはほど遠く、感想文程度のものであることが惜しまれる。 さらに、作者を分類するな らば、僧侶、地方の学校につとめている音楽教師、その当時著名な音楽家の作の、一二つに分けることができよう。以 上のような立場からの、明治時代の仏教音楽の、 そのほとんどは、教家側から布教を目的として、 一 般 民 衆 に 、 単 に 上から与えられたものであったことにも注意しなければならない。中でもただ一つ、仏教の道を謙虚に歩み、そのよ

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ろこびを音楽化した、山口巧有の﹁弥陀の救い﹂、 持尾を飾ったと考えたい所の、 ﹁無常﹂については、留意する必要があろう。 ドイツか ウエルクマイスタ l の歌劇﹁釈迦しは、評判の悪るかった点は別として、 ら日本の音楽学校の教師として、就任間もなく、音楽的に﹁釈迦﹂を理解したことだけでも、称賛されなければなら かったことをも、考えておかなければならないと思う。 ないし、後年の、弘田龍太郎﹁仏陀三部曲 L、細川県のつ仏陀 L、民士山康一の﹁仏陀の生涯﹂などの作品が生まれえな

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、 6 、 目 稿 ︶ 註 ①例えば、土岐善麿﹁摂取の能面 L。権藤円立﹁仏教背楽 L ︵ 現 代 仏 教 講 座 四 ︶ 。 教 化 研 究 所 編 ﹁ 仏 教 讃 歌 ﹂ 。 東 本 願 寺 編 ﹁ 音 楽 法 要 1 ﹀ 。 長 闘 寿 ﹁ 声 明 と 音 楽 ﹂ ︵ 教 化 研 究 四 四 ︶ 。 塩 田 良 平 ﹁ 明 治 の 仏 教 文 学 ﹂ ︵ 現 代 仏 教 一

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五 ︶ な ど で は 、 仏 教 音 楽 の 発 端 は 、 明 治 の 中 期 ま た は 後 期 に は じ ま る と 述 べ て い る に す 、 ぎ な い 。 ②黛敏郎︵一九二九|︶の﹁浬繋 L ﹁ 憂 茶 羅 L な と 。 拙 稿 ﹁ 新 仏 教 音 楽 ・ 序 説 ﹂ ︵ 東 海 仏 教 七 ︶ 参 照 。 ③資料は、明治時代に発刊された諸雑誌、楽譜などを中心と す る 。 ④本願寺派僧侶。 ③岡山県真如院住職。生没年未詳。 ⑥四明徐霞、十七号。 ⑦ 揮 善 命 同 雑 誌 、 十 四 号 。 ① 揮 議 口 曾 雑 誌 、 三 十 六 号 。 道 の 友 、 二 十 五 日 乃 。 ⑥道の友、五十一号。 明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 ⑧ ⑧ ⑧ @ @ ⑫ ⑩ ⑩ ⑬ ⑬ ⑬ ⑬ ⑩ ⑩ ⑩ ⑪ ⑩ 九 州 赤 間 関 市 真 宗 少 年 会 を 主 宰 。 道 の 友 、 五 十 四 、 五 号 。 文 学 者 、 歌 人 。 創 作 に ﹁ 明 治 唱 歌 ﹂ 、 作 曲 家 、 教 育 家 。 国 学 者 。 著 書 に ﹁ 日 本 文 典 大 意 ﹂ な ど 。 音 楽 教 育 家 。 道 の 友 、 七 十 一 号 。 無 謹 燈 、 一 ノ 七 。 生 没 年 未 詳 。 生 没 年 未 詳 。 道 の 友 、 九 十 九 号 。 松 の み ど り 、 一 一 一 号 。 道の友、二三号。 生 没 年 未 詳 。 三 重 師 範 学 校 教 師 。 松 の み ど り 、 四 号 。 道 の 友 、 一 一 五 号 。 道 の 友 、 一 二 ハ 号 。 ﹁ 鉄 道 唱 歌 ﹂ な ど 。 五

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明 治 時 代 の 仏 教 音 楽 一 一 六 ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑧ ⑨ ⑩ ⑫ ⑫ 生 没 年 未 詳 。 道 の 友 、 一 二 二 号 。 道 の 友 、 二 一 五 号 。 道 の 友 、 二 一 三 号 。 東 光 会 の 活 動 内 容 不 明 。 無 重 燈 、 七 ノ 十 。 生 没 年 未 詳 。 道 の 友 、 二 ハ 二 号 。 生 没 年 未 詳 。 樹 心 会 報 、 三 号 。 小 学 校 教 師 。 高 田 派 鑑 学 。 樹 心 会 報 、 三 号 。 ⑩無蓋燈、十二ノ一。 @六篠学報、六十八号。 ⑩生没年未詳。 @六係学報、一八

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⑭生没年未詳。 ⑬白色ロ江口

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同 町 ﹃ ︵ 一 八 八 一 一 一 一 九 三 一 六 ︶ 。 ⑩野村光一﹁洋楽﹂︵明治文化史九︶六一七頁。権藤円立前 掲 書 四 一 頁 な ど 。 ⑩一山住正己﹁小学唱歌集初編の成立﹂︵文学、昭和四十年四 月 ︶ 参 照 。 ⑩拙稿﹁現代仏教への課題!

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仏 教 音 楽 を 中 心 に l l L 朋 大 学 新 聞 一 一 ︶ 参 照 。 ︵ 同 楽譜、歌詞、作者などの考察については、紙面に制限があるため、後日に譲ることにした。

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石山戦争の結末とその背景

︵京都女子大学︶ 天 正 七 年 ︵ 一 五 七 九 ︶ 冬 ご ろ に な っ て 、 本願寺側にも漸く疲労の色、が見えてきたのを機に、織田信長は朝廷に和の 交渉を奏請し、十二月二下五日 正親町天皇は庭田重保、勧修寺晴豊の両勅使を大坂に下向させられることにより、本 願寺と信長の和議は進み、天正八年一二月十七日、信長は構和条件の覚書に血判の起請文を添えて朝廷に呈上した。本 願寺はこれの受諾について異議を唱えるものもあったが、同年間三月五日、信長の購和条件を容れ、顕如教如父子は 誓紙を朝廷に呈上、ここに元亀元年九月︵一五七

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︶に始まる石山戦争は十一年目に漸く和議の成立をみたのである。 本 願 寺 は 一 五 亀 二 年 ︵ 一 五 七 一 ︶ の 叡 山 の 焼 打 ち 、 天 正 三 年 ︵ 一 五 七 五 ︶ の長島の一向一授に対する残虐非道な仕打ち に鑑み、信長の策略に擢らんことを恐れたのであろう、退城のことを決し兼ねたが、誠仁親王は正親町天皇の聖旨を ① 奉じて退城を促し給うたので、顕如はっ内輪之乱﹂が敵方に聞えんことを恐れ、約月よりも早く同年四月九日、開山 祖像を奉じ大坂を退出し、紀州雑賀鷺の森に移った。 一方教如はっ対御門主毛頭如在之段無之事候。当寺退城之刻無 石山戦争の結末とその背景 一 一 七

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石 山 戦 争 の 結 末 と そ の 背 景 御越度様−一と存事偽﹂とて顕如に退城について再考すべきことを訴え﹁此上者、聖人之御座所にて相果候とても、満 ご 八 足と存置斗候﹂と篭城して、あくまで信長に抵抗する決意を明かにした。 しかし信長は兵庫尼崎を落し、次いで大坂 東表の辻・安田両城も陥れたので、教如は周囲の形勢より大坂の支うべからざるを察し、大坂退城を決意し、信長に 和平を申し入れた。信長は七月十七日、五か条の構和条件を示したが、七月二十四日、近衛前久の斡旋で和議は成立 し、八月二日雑賀淡路よりの迎え船により教如は大坂を退出したのである。退出後、焼けるように仕掛けてあったの か、数多の伽藍は一宇も残さず灰燈に帰した。 かくして蓮如上人以来数代開山の御座所は法敵信長の手に渡ることと なったのみらず、このことのため顕如教如父子の聞に不和を招く結果ともなったのである。 間三月五日に教如は父顕如と共に信長と和する誓紙を朝廷に呈上しながら、何故俄かに別心をおこし、顕如の大坂 退城に反対し、自らは強引に龍城に踏切ったのであろうか。 ﹁本願寺史﹂には教如が退出に不賛成であった理由とし て 、

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蓮如宗主以来の聖地を信長の軍に渡すこと、

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信長の表裏別心を恐れたこと、制東の武田、西の毛利との和解 なくして本願寺だけが信長と和平を結ぶことは不当であるとしたことをあげている。これは当を得たものと考えられ るが、更に教如をして寵城を決意せしめたものは、教如円身の意志によるものであったか、或は何者かの使臓によっ てなせるものむあったかについて考察してみる必要がある。信長が本能寺に艶れたのは天正十年六月二日︵一五八二﹀ であるが、それから一か月も経ない六月二十七日、教如の顕如にあてた、父の命に背いた罪を謝す誓紙に﹁今度之始末、 @ @ 徒者之中成令同心事後悔千万ノ\:::﹂とあるところや、信長公記の﹁近年山越を取取り、妻子を育み候雑賀・淡路島 の者ども、霊を取離れては、迷惑と存知、新門跡を取立て候はんの問。先づ本門跡、北の方を退き申され、 一 先 相 拘

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へ ら れ 、 元 も 由 、 様 々 申 に 付 き て 、 若 門 跡 此 の 儀 に 同 じ 事 、 右 之 趣 、 返 事 候 : : : 。 ﹂ から察すると、教如が退出に反 対し、龍城の挙に出たのは教如自らの意志によったものでなく、前者からは、それが果して何者であったかは判然し : 、 : 、 ちしカ ﹁いたずら者﹂の使倣に同心しての行動であったと窺われ、又後者からは、雑賀淡路島の者どもの生活問題 にからんでの反対運動が教如の心を動かしたかの如くにも察せられる。 しかしながら閏三月五日の和議の成立から四 月九日の顕如の大坂退出に至るまでの問、諸国の門徒及び顕如にあてた教如の消息の内容からは、 かかる﹁徒者﹂の 訴え、或は雑賀・淡路島の者どもの生活問題に対処しての出城反対ということよりは、 むしろ信長の表裏二心に対す る警戒とひたむきな愛山護法の精神によるものであることが窺われるのである。即ち閏三月十三日雑賀惣中あての消 @ 息には﹁:::結句当寺を彼方へ相わたし退出候はば、表裏は眼前候。さやうに候ときは、数代聖人の御座どころをか の者どもの馬のひづめにけがし果てんこと、あまりにくちおしく歎入候。さいが衆寺内の衆は数年の龍城かたメ\に くたびれ、すでにつづき難きこともちろんながら、なにとぞ今一たび可成ほど当寺相か L へ、聖人の御座所にて可相 果かくごに候。然ば御門主にたいし申、自余の和曲をかまへ申鉢、ゆめ/\無之候。 ただひとへに、当寺無退転、仏 法相続候様にとおもひたち候斗候。各同心候は Y 仏 法 再 興 と 、 あ り が た か る べ く 候 : : : し と い ま 石 山 中 一 信 長 に 渡 し 退 出すれば、必ず信長は本願寺の潰滅をめざして攻撃するであろう。決して父顕如に対しやましい気持を持つものでは ない。本願寺が潰滅の憂き目をみないよう、仏法相続に支障がなきようにと念ずる気持から、敢て退城に反対するの @ であると訴えており、又下間刑部卿を経て顕如に送った書に﹁今後存立之義、対御門主毛頭如在之段無之事候。当寺 御退城之刻無御越度様一一と存事候。叉蓮如上人以来数代開山之御座所、今度法敵−一渡置、馬の蹄にけがすべき段、子 余歎入存候之問、叡慮へも何とぞ申理、信長一一懇望いたし、当寺相続候之様にと存一儀候:::﹂とあるが﹁当寺相続 候之様にと存一儀候﹂は本願寺を従来通り石山に存続させようというのではなく、 ﹁ 当 寺 御 退 城 L することを前提に 石 山 戦 争 の 結 末 と そ の 背 景 九

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石 山 戦 争 の 結 末 と そ の 背 景

して、なおその上、信長が本願寺の根を断ち、葉を枯らすような挙に出るようなことのなきょう叡慮をわずらわし、 信長に懇望すべきと訴えている。即ち教如は長島の轍を再び踏まざらんよう、顕如に信長の表裏別心を警告したもの ⑦ であると考えられるのである。閏三月二十五日、教如にあてた顕如の書に、 ﹁紙面の趣披見候。連々敵可為表裏と覚 倍せられ、内輪之騒被思立候事、不覚不可過之候:::﹂とあるところから推しても、教如が如何に執劫に信長の表一裏 一 を警戒すべきであると顕如に訴えていたかが想像できるのである。 ③ 偶 然 で あ っ た の で あ ろ う 、 か 、 ︵信長に必ず表一裏別心あり︶とする教如の予想は的中していたのである。和議の成立 した日から四日後の閏三月九日、柴田勝家が加賀に攻め入り、添川、手取川を越え、宮の腰に陣し、所々に放火し、 野々市の一段を追払い、数多を切捨て、数百般の舟に兵粧を取入れ分捕させ、進んで越中に入り、白山の麓、能登境 @ 一撲を数多切り捨てることがあった。教如はこれを苛貨として、叡慮をわずらわし の谷々に放火し、光徳寺を陥れ、 ての和平なるが故に、約に背くことを樺る顕如に、 ﹁既に禁裏へ御請被成儀難成相違、思召儀、是又御尤一一存候。然 共信長はや令表裏、加州如斯罷成候上は更に従此方御相違候段には成間敷候﹂とて信長が既に表裏ある行動に出た以 上、約に相違することを恐れる要はないとし、更に﹁併人々敵之表裏を申かくし御肝煎成中事、無勿林候。暗御思案 を加へられ候事、肝要候。当寺相果候へば、雑賀も程ある間敷候。是ほど眼前の表裏をも思食付られぬ事は、能々の @ 時刻到来と存候。哀れ御心得参候市、御退出之儀思食被留、今少御拘様も被及思食かしと念願斗候:::。﹂ と必至と みられる信長の表裏に対して、無策の顕如に再考を促すと共に、 退城を思い留るよう念願するのである。以上から 教如をして大坂退出を反対せしめたものは、 周囲の使臓による教如の動揺というよりは、 若き︵二十三才︶教如自身 の純粋な愛山護法の精神の発露によるものと見るべきであろう。 しかして﹁武略誼き猛将﹂信長から本願寺を護る道 は、如何にして信長の表裏一別心に対処するかにかかっていたのである。教如には信長の表一畏はもはや過去の経験に鑑

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