駒澤 大 學佛 教學 部論集第
29
號牛成10
年10
月 (1
)碑
文
で
わ
か
った
イ
ン
ド
古代 史 (
二
)
定
方
晟
私
は1997
年に「
碑
文で わ か っ た イ ン ド古
代史
」 とい う題 でニ ケ所で講 演 をお こ な っ た 。第
一 回は4
月19
日に北
海 道 印 度 哲 学 仏 教 学 会で,第
二 回は7
月9
目 に 駒 沢 大 学の 仏 教 学 部 仏 教 学 会 春 季 講 演 会 に お い て で ある。 両 所 か ら講 演 を原稿
に せ よ とい う通 知が き た 。私
は自
分の 不 注 意で北
海 道の講
演 は原 稿 に し な く て も よい と思
い こ んで い たの で慌
てた。同
じ原稿
を両
方に 送 る わ けに はい か な い 。 窮余
の策
と して, 私 はつ ぎの よ うにす る こ と を考
え, 両 所 か ら許
可 を得
た。講 演は 三 つ の テー マ か ら
成
っ て い る。(一 )
ヴ ィ ク ラマ
紀
元の起
源 (二 ) カ ニ シ カ は ウエ ーマ ・ カ ドフ ィ セ ス の子で ある(
三)
仏教
寺 院 の デー ヴァダ
ー シ ー北
海
道へ の 原稿
に は(
一)(
二 )を完
全な形で書 き,(
三 )を要約
の 形で書
く。 駒 沢へ の原 稿
に は(
一)(
二)
を要 約
の形
で書
き,(
三)
を完
全な形
で書
く。 こ れ は重 複 を避
け る た めで あ るが, その際, 講演
の内容
を, 一方
に お い て削
る とい うよ りは, 一 方に お い て増や す とい う形 に して重 複 の回 避 に努
め る 。 私の講 演の 全 貌 は両 方の学 会 誌 に よっ て 得 ら れ る こ と に な る。(
一 )ヴ ィ ク ラマ 紀 元の 起 源
現 在 イ ン ドで は
多
くの暦
に 三種
の紀
元 が併
記 さ れ て い る。 キ リス ト紀
元 , サ カ紀元
, ヴ ィ ク ラマ紀
元であ
る。 イン ド人
の認 識
に よる と, こ の 三 つ の紀 元
の うち前
二者
は外
人勢力
に由来
し, ヴ ィ ク ラ マ紀 元
はイン ドの政権
に由来
す る。 と こ ろ が , 現 代 の学 問は ヴ ィ ク ラマ 紀 元 も外 国の 政 権 に 由来 す る こ とを明 ら か に し た。 イ ン ド人 の プ ラ イ ドは傷
っ くで あろ う。 以 下, こ の事
実が知 られ る 一550
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
2
) 碑文で わ か っ たイ ン ド古代史 (二 ) (定 方 )にい た っ た い き さつ を述べ よ う。
ヴ ィ ク ラ マ 紀元 の 由 来 に つ い て ジ ャ イ ナ教の
伝 説 『
カ ー ラ カ師物
語 』に つ ぎの よ うに述べ ら れ てい る。
(
Brown
,W
.N
,:The
Story
ofKaraka
,Washin
−
gton
,1933
)マ ー ラ ヴァ の
都
ウ ッ ジ ャ イ ニ ー(
現マ デ ィ ヤ プ ラデ ー シ ュ 州の ウ ッ ジ ャ イ ン)
にガル ダビ ラ とい う 王 がい た 。 こ の都 に ジ ャ イナ教 の高僧
カ ー ラ カ師
と そ の妹
の尼僧
サ ラス ヴ ァ テ ィ ー が い た。 王 は サ ラス ヴァ テ ィ ーの美貌
に 惹か れ,彼
女 をさ らっ て 自分の ハ ー レ ム に連
れ こ んだ 。カ ー ラ カ は
彼
女 を救 出
す る た め「
サ カ族
の岸
」(
sagakUla )イ ン
ダ
ス 河 の西岸
で あ ろ うか ら百人 ほ どの サ ー ヒ (sahi , サ カ 族 の 王 )た ち連れ て きて, ガル ダ ビ ラ の都 を征 服 さ せ た。
サー ヒ た ち の 支 配 は長 くは続か なか っ た。 とい うの は イ ン ド人 の王 ヴ ィ ク ラマ ー デ ィ テ ィ ヤ (
Vikramaditya
)が 現 わ れ て, か れ ら を制圧 し た か ら で あ る。 この 勝 利 を記念
し て ヴ ィ ク ラ マ紀
元 が 始まっ た。や が て 新 しい サ カ が 登 場 し, ウ ッ ジ ャ イニ ー はふ た た びサ カ族 の支 配 下 に 入 っ た。 この と きサ カ紀 元が始 ま っ た。 ヴ ィ ク ラマ
紀
元 の開
始か ら135
年
た っ た と きだっ た。ヴィ ク ラマ 紀 元の
開
始年
はキ リス ト紀
元 との対 照
か ら西暦 前
58
年
で ある こ と が わ か っ て い る。 そ の こ ろ ヴ ィ ク ラマ ー ディ テ ィ ヤ な る 王が存 在
し た こ と を 示 す証 拠
は文献 的
に も考 古 学 的
に も存 在
し な い 。 しか し, イン ド人 は ヴィ クラ マ 紀元 が イ ン ド人 の 王 に よっ て 始め ら れ た こ と を疑っ た こ と は なか っ た 。20
世紀 初頭
, イ ギ リス の学者
マ ー シ ャ ル がパ キス タ ン北部
の タ フ テ ィバ ー イ ー仏 教 遺跡
か ら出土 し た と さ れ る一碑
文 を世 に紹 介 し た。 そ れ に はつ ぎの よ う な 日付が 記 さ れ てい た。 「大王 グ ドゥ ヴ ァ ラ の 第26
年,第 103 年
, ヴ ェ ー シ ャ カ 月, 第1
日に 」グ ドゥ ヴ ァ ラ (
Guduvhara
)の 名 は古 銭で も知 られ て い た。名
の表 記
に は い くつ か の ヴァ リア ン トが ある が, 以下
, こ の 王 を呼
ぶ の に,古 銭
の ギ リシ ャ 一549
N工 工一Eleotronlo Llbrary碑 文で わ か っ た イ ン ド古 代 史 (二 ) (定 方 ) (
3
) 式 の 表 記で ある 「ゴ ン ドフ ァ レ ス 」 を用い よ う。ゴ ン ドフ ァ レ ス は イ ン ドに
侵
入 し たパ ル テ ィ ア系の王 で タ ク シ ラ (パ キ スタ ン北 部に ある)
を支配
し た とさ れ る。 こ の王 は キ リス ト教
の伝 説
「聖 トマ ス 物 語』
に登場
す る。(
聖書 外典 偽典 第
7
巻
・新 約 外典
II
,教文 館
,1976
所収
)イエ ス の 死 後, そ の 弟 子 トマ ス が イ ン ドの 王 グ ン
ダ
フ ォ ロ ス (Gun
−daforos
)の 許 にや っ て き た 。 か れ は も と建築
士 で あっ た の で , 王 の宮
殿 を作
る た め に招か れ た の だ が , か れ の ほ うは キ リス ト教 を布
教 す るつ も り で や っ て き た。グ ン ダフ ォ ロ ス 王 は トマ ス に大 金を渡 し, そ れ で立派 な宮 殿 を造 るよ う に
命
じ た。 トマ ス は その金
を貧
しい 人 々 に施
し て し まっ た。 しばら く して グン ダフ ォ ロ ス は トマ ス に宮 殿 造 営の進捗状
況 を尋ね た。 トマ ス が「
も う で き ま し た」 とい うの で, 王 が見 よ うとす る と, トマ ス は 「そ れ は地上 に はあ りま せ ん。 天 国に あ ります。 あ な た は生 きて い る あ い だ は その宮殿
を見
る こ とはで き ませ ん」
とい っ たの で, 王 は激 怒
した。 そ して トマ ス を処
刑
しよ う として い た と き, 王 の 弟の ガ ドが 急 死 した。 王の 一族 が悲 嘆 に く れて い る と, ガ ドが息
を吹
き返
し た。 ガ ドがい うに は,「
兄
さ ん,私
は い ま天 国へ行
っ て , そ こ か ら帰
っ て き ま した。 天 国に は トマ ス が い う と お り 兄 さ んの た めの 立派
な宮殿
が立っ て い ま した」
とい っ た。 グン ダフ ォ ロ ス は そ れ を聞 い て 大 い に 喜 び, キ リス ト教徒
に な っ た。西 洋の 学 者た ち は考
古
学で知 られ る ゴ ン ドフ ァ レ ス と こ の物 語の グン ダフ ォ ロ ス が 同一人 物 で ある こ とを認 め た 。 こ の 同 定 は古
代イ ン ドの未 知の紀 元 を探
求 す る手が か り を与 えた 。 上 掲 の 碑 文の 日付 に 「大王 グ ドゥ ヴァ ラ の 第26
年, 第103
年
」 と あ る。 「大王 グ ドゥ ヴ ァ ラ の第
26
年
」 と 「第 103 年
」は同
じ年
を表 わ して い る 。前 者
は その年
が「
グ ドゥ ヴ ァ ラの統
治年
の第
26
年
」で ある こ と を 意味
し, 後 者は 「ある紀 元の 第103
年 」で あ る こ とを 示 す。グ ドゥ ヴ ァ ラ 王 は トマ ス と交 渉 を持 っ た のだ か ら, 西 暦
35
年
ごろ に は 王位
に あっ た こ と が わか る。 とい うの は, 西 暦はイエ ス の 誕 生 の 年 に 始 ま り, イエ ス は30
才
位で死 に, トマ ス は イ エ ス の 死後
ま もな くイ ン ドへ 赴 い たか らで ある。 こ の西
暦35
年
が碑
文の 「あ る紀
元の第
103
年」
に ほ ぼ相 当
す る とす れ ば, 「ある548
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
4
) 碑文 で わ か っ た イ ン ド古代 史 (二 )(定 方) 紀 元」
が始 まっ たの は西 暦 前68
年 とい うこ とに な り, ヴィ ク ラマ紀
元の開始 時
期 (
西暦 前
58
年
)に か な り近い こ と に な る。 し か し, こ の紀
元が どの よ う な事
情
の もと に始
まっ た か は依
然 と して謎で あっ た。1914
年, イギ リス の 学 者マ ー シ ャ ル が タ ク シ ラ の ダル マ ラ ー ジカー仏 寺 跡か ら碑 文を発 見 し, そ こ に記 さ れ た 日付 をつ ぎの よ うに 読ん だ 。 (Konow
,do
.p
,77
に よ る)sa
l
lOO
2010411ayasa
a$adasa masasadivase
1041
「ア ゼス 第136
年
, ア ー シ ャ ーダ
月 , 第15
日」マ ー シ ャ ル は aya をサ カ族の 王 ア ゼ ス をさ す と
見
た わ け だ が , コ ノ ウが 異義
を唱え た。 ア ゼス の名
が何
の称 号
も伴
わず
に登場 す るの はお か しい 。 aya は サ ン ス ク リ ッ ト語
adya
(
「初
め の 」)の 俗 語 形 と とる べ き で ある。 こ のadya
は後続
の asadasa masasa に つ な げて , 「初
め の ア ー シ ャ ー ダ月」
と読
むべ き で あ る。 「初め の ア ー シ ャ ー ダ 月」
は 「第
二 の ア ー シ ャ ー ダ 月 」 に対す る表
現 で あ る。 当 時の イ ン ド で は太陰
太 陽 暦 が 用 い られ てい た が, 太 陰太 陽 暦 で は数年
ご とに余
計な1
月 (閏月)を挿
入 せ ね ばな ら な い 。 その と き同 じ名の 月が二 つ 並 ぶ が, 両者
を 区別す る た め に 「初
めの」 「第二 の」 と い う形 容 句が 必 要に な る。 こ の年
は た ま た ま閏 月が置
か れ た年
で あ っ た ろ う, と。数 年
後
, マ ー シ ャ ル は タ クシ ラの カ ラ ワー ン仏寺 跡
か ら新 しい碑
文 を発 見 し た が, そ こ に はつ ぎの よ うな 日付
が記
さ れ て い た。sarpvatsare
110020104ajasa
§ravapasa masasadivase
treviSe
2011
1
「ア ゼ ス の 第134
年, シュ ラ ヴ ァ ナ 月,第
23
日に」
aja が
先
の aya と同 じ で あ る こ とに 問 題 は なか っ た。 コ ノ ウ は こ の碑
文の 出 現 に よっ て 先の自説
を撤
回 し た。 なぜ な ら, こ の aja もadya
で あ るな ら,閏
月が頻繁
に 登 場 しす ぎる か らで ある。こ う して ア ゼ ス
紀
元な る もの の存 在
が浮上 し た。 そ れ まで 発 見さ れ た碑
文の中
に無 名
の紀
元 に よ る年 号
が あ っ た が , そ のい くつ か は ア ゼ ス紀元 に よ る と考 一547
一 N工 工一Eleotronlo Llbrary碑 文で わか っ た イ ン ド古代 史 (二 ) (定方) (
5
) え ら れ るよ うに な っ た。しか し, 王 の
称
号 を伴 うア ゼ ス の 紀 元は依 然 と して 見つ か らなか っ た。 とこ ろが, 一 九 七 八年
, イ ギ リス の学 者ベ イ リイ が発 表 し たパ キ ス タ ン のバ ジ ャ ウ ル 出土の舎 利 容
器の碑
文に そ れが つ い に現 わ れ た。samvat §arae
tresathimae
2020203maharayasa
ayasa atidasakar
−tiasa
masasaedivasae
sodasae「
亡 き (atlta)
大王 (maharaja )ア ゼ ス の63
年
」もはや ア ゼ ス紀元 の 存 在 は疑 う余 地が なか っ た 。 ア ゼ スが
偉
大な 王 で あっ た た め に , そ の 統 治 年 (regnalyear
)はか れ の 後 継 者 た ちに よ っ て継続
使 用 さ れ, や が て紀
元 (era ) とな っ た の で あ る。 こ うし て, ア ゼス 紀元 こ そ ヴ ィ ク ラマ紀
元 に ほ か な ら ない こ と が確 実
に な っ た。 (二 ) カニ シ カ は ウ ェ ーマ ・カ ドフ ィ セ ス の 子で ある西
暦
一世紀
ごろイ ン ドの西 北部
に ク シ ャ ー ナ (貴 霜 )
とい う名
の王朝
が 存 在 した こ とが イン ド考古
学 お よ び中 国の 文 献 に よっ て知 られ る。ク シ ャ ー ナ 朝 は し ば し ば
第
一 ク シ ャ ー ナ朝
と第
ニ ク シ ャ ー ナ朝
にわ け られ る。同
じク シ ャ ーナ の名
を帯
び る 王 た ち が , さ まざま な特 徴
に よっ て二 つ の グ ル ー プに別れ るか らで ある。 ク ジュ ー ラ ・カ ドフ ィ セ ス と ウ ェ ー マ ・カ ドフ ィ セ ス の二 人 に はか れ ら独 特
の 共 通点
が あ り, カ ニ シ カ, フ ヴ ィ シ カ , ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ らに は クジ ュ ー ラ ら と相
違 す る別の 共 通 点が ある 。別
の共通 点
と して 特 記 すべ き もの は カ ニ シ カ紀元 の使 用で あ ろ う 。 ア ゼス 紀 元の場 合 と同 じよ う に, カ ニ シ カ の 統 治 年が フ ヴィ シ カ らに よ っ て継
続 使 用 され た ので ある。二 っ の ク シ ャ ー ナ
朝
が 発行
し た硬 貨
に も違い が あ る。第
一 ク シ ャ ー ナ朝
は 王 の称 号
に ギリシ ャ語
と イ ン ド語
の称 号 を 用い た の に対 し, 第ニ ク シ ャ ー ナ朝
は ク シ ャ ー ナ語
の称 号
の み を用い て い る。 ま た前
者 は ギ リシ ャ文 字 と カ ロ ー シ ュ テ ィ ー文 字
を用い た の に,後 者
は ギ リ シ ャ文 字
の み を用い て い る。前 者
は神 像
に名 を付 さ なか っ た の に, 後 者は付 してい る。中 国
の史 書 『後 漢 書 』 に よる と, ク ジ ュ ー ラ ・ カ ドフ ィ セ ス(
丘就
卻)
とウ 一546
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
6
)碑文で わかっ た イン ド ’ 占代史 (二 ) (定 方 ) エ ーマ ・カ ドフ ィセ ス
(
閻膏 珍 )
は父 子で ある。 で は , カニ シ カ は い っ た い か れ ら と どの よ うな関係
に あ る の か 。そ の
関
係が最
近 ア フ ガ ニ ス タ ン の ラバ タ クか ら発 見さ れ た碑
文に よっ て明 ら か に な っ た。 シ ム ス ・ウ ィ リア ム ス に よ る と, 碑 文の 中に つ ぎの 記 事が ある。「
か れ (カ ニ シ カ ) はつ ぎの 諸王 の 像 を も造 る よ うに命
じ た。 曾 祖父 ク ジ ュ ー ラ ・カ ド フ ィ セ ス 王 (kozoulo
kadphiso
) , 祖 父 ウ ェ ー マ ・ タ ク ト ゥ(ooemo
taktoo
), 父ウ ェ ーマ ・ カ ドフ ィ セ ス (oo6mokadphiso
), お よ びか れ
自身
」これ に よっ て, ク シ ャ ー ナ 王
朝
の初 期
の系 譜
が っ ぎの よ うで ある こ とが わ か る。 ク ジュ ー ラ ・ カ ドフ ィ セ ス ー…ウ ェ ーマ ・タ ク トゥ フ ィ セ ス カ ニ シ カ ウ ェ ーマ ・カ ド
ただ し, 新 た な 疑 問が 生 じ る。
中
国の 史書 はな ぜ 丘 就 卻 と閻 膏 珍 を父子 と し たの だ ろ う か。 (三 )シ ュ バ ー カ ラ デー ヴ ァ と作 清 浄
師
子 王昨
年
3
月(
平成
8
年
3
月)
,奈 良康
明先
生の 御 紹介
で オ リ ッ サ仏
蹟 視 察 団 に加
わ り, オ リッ サ の仏
蹟 を見 て き た。 そ の報 告
書 を作製
す る うち にオ リッ サ出
土 の仏
教 関 係 の碑
文に面 白い もの が あるの を知 っ た。 や や 旧聞
に属
す るか も し れ ない が, 日本
の学 界
に はニ ュ ー ス に な るか も知
れ な い の で ,紹 介
す る。 講演
で は単
一 の テ ー マ で話
し た が ,本 稿
で は二 つ の テ ー マ((
三)
と(
四)
)
に分 け る。オ リッ サ州 はベ ン ガ ル 湾 に面 し, 後 期 仏 教 が
栄
えた場 所で ある。1914
年
, オ リッ サ 州カ タ ッ ク県
の 旧 家が所蔵
する銅板
が碑 文 学者
バ ナー ジ ーの も とに もた ら され た。 銅 板 に は 寄 進 文が刻 ま れ て お り, 寄 進 者の 名は 漢訳 「四十 華 厳 」の 献 呈 文に記 さ れ たイ ン ドの 王の 名 と同 じで あっ た。以 下に バ ナ ー ジーの 解 読 (
R
.D
.Banerji
:Neulpur
Grant
ofSubhakara
:the
8th
year
,Ep
.Indica
,Vol
.XV
,1919
−
20
,pp
.9
−5
) を 示 し ,私
の試
訳 を付す。 寄 一545
一 N工 工一Eleotronlo Llbrary碑 文で わか っ た イン ド古代 史 (二 ) (定 方 ) (
7
)進
文は銅 板
の表
と裏
に合計
34
行
, ブ ラ ー フ ミ ー文 字
で記
され て い る 。 バ ナ ー ジ ー は行 ご とに番 号 を付 してい る が, 本稿
で は そ れ を無視
し,内容
に よ っ て 八 つ (1
〜Vm
)に区
分 す る 。 バ ナ ー ジ ーの古
い ロ ー マ字
表 記は 現代
式に 改め る。 か れ が 用い た 記 号 一や 一は継 承 す る。 一は 複 合 語の連 結 を意 味 し , =は ア ク シ ャ ラの 連 結 (一 文 字 を分 解 して , そ れ を連 結 する) を示 す。 言 葉 は サ ン ス ク リッ ト語
で あるが , しば し ば 文 法 上 の 誤 り が 見 ら れ, と き にhyper
−sanskritism (過度
の サ ン ス ク リ ッ ト語 化 )
が見 ら れ る (e.g
.9avda
, vahmana)
。解 読
文中
の[ ]
は文 字 を補
う こ と を意 味 し, ( ) は 文字
を読 み変
え る こ と を 示 す。(
こ の 一 と[ ]
は繁 を避 けて し ば し ば省 略 し た)。 役 職 名や特 殊 な用 語 を訳 するに あた っ て は
Sircar
:Indian
Epigraphical
Glossary
を参 照 した。(
1
)
om svasti /
jaya
−skandhavarat §ubhadeva ・patakat
/オ ーム 。
栄
えあれ。 勝利
の陣営 (
skandha −avara
) シ ュ バ デー ヴァ の 堤 よ り。(
II
)abhUd
bh
亘patir
bhaumanvayad
anvad * avapta ・janma
§arad −amala 一蠢a6adhara −
kara
−nikara −ya
§o−ra §i
−dhavalita
−dig
−ananah pratapa
−dahana
−dagdh
−arAt
−mdhanah
sva −
dharmm
−aropita
−varnn ・a
§ramahparamopasako
nr (のgatapha
(P
)−nama ≦ri−ksemahkaradevah
/
か っ て王 あ り き。 バ ウマ の 家
系
に生 を受け,秋
の澄み渡
る月
の光
の集積
(に比
し うる)名 声
の集 積
に よ っ て諸
方を照 し, 威 光 の 灼熱
に よ っ て敵 (
arati
) を薪 (
indhana
)
の ご と くに焼
きつ くし(
dagdha
)
,階 級 制 度
と住
期制 度
を 己 れ の 道 (dharmma
) と な し た (aropita
), 最高
の優婆 塞
, ヌ リガ タ ー パ な る(
あだ) 名
の所 有者
シ ュ リ〜 ・ク シ ェ ーマ ン カ ラデー ヴァ 。 * 重 複 誤 写で あろ う。(
III
)蠢rl−
bhara
−saha −§avda −gita
・mahimakaran
−anurOpa
−kaya
−janmato
pi
tatha
−vidhaeva
tad
−Atmajah
parama
−tathagato
narapatih
§ri−
§
ivakaradeva
−nama /Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University (
8
) 碑 文で わ か っ たイ ン ド古代 史 (二 ) (定方 )シ ュ リ ー (女
神
) を支
え る (bhara
) 力 ある もの とい う(
saha)
タ イ トル と歌
と で 偉 大で あ り, その よ うに な る に相
応 しい(
anurUpa)身 体
を もっ て生 れ た が故 に まさ に その よ うな者 とな り, 前 者 (シ ュ リ ー ・ク シ ェ ー マ ン カ ラ デ ー ヴ ァ)の 息子 で あ り, 最 高の 如 来 信 奉 者で あ る シ ュ リー ・シ ヴ ァ カ ラ デ ー ヴ ァ とい う名
の 王 。(
IV
)tato
pi
lavdha
−prasavah
pra
§amit −anucit
・adhipaty
−abhilasi
−durvr
tta
−dayada
−jan
−adhiyamana
−jagad
−upaplavahguna
−vinaya ・nidhihpraja
−palana
−tatpa
[
rah]
parama
−saugato mata −pitr
−pad
−anudhyata
maharaja −Sri
−§ubhakaradevahkuSali
/か れ か ら も ま た世
継
ぎが 生れ た 。 不 当な (anucita )権 勢 (
adhipatya )
への 欲 望 (abhilasi )に よ っ て 堕
落
し た (durvrtta
) 同 族 の や か ら(
dayada
・jana
)が引
き起
こ し た (adhiyamana
) 世 間 の 騒 乱 (upaplava ) を鎮
め(
pragamita
), 美 徳 と規 律 を備 え, 民衆
の守 護
に お い て最高
の者で あ り,最 高
の 善 逝信
奉 者 で あ り, 母 と父の 足 の 上 に頭 を 垂 れ る もの (anudhyatr )で あ る, 大王 シ ュ リ ー ・シ ュ バ カ ラ デ ー ヴ ァ が (生れ た )。 御機
嫌 うる わ し く あ ら せ ら れ ’ *kuSali
の訳。Sircar
に よ る と, この語は 王 が命令 を下 し たの は 正常な判 断 力 の も とに お い て で あるこ と を示 す 慣 用 句で ある。(
V
) uttara −tosalyam
varttamana −
bhavisyan
−mahasfimanta −maharaja ・ rajaputtranta[
ra]
hga
−kumary
−oparika −visayapati −tadayuktaka
−dandapaSika
・sthanantarikananyan
api raja −
pad
−opajivinagcata −
bhata
−vaUabha −jatiyam
[
n]
/ paficala
vubhyudaya −visayayoh mah 盃mahattara −vrhadbhogika ・
pustapal
−ady
−adhikaranamyath
−arham
m 互nayati samajfiapayati vodhayati ca
viditam
astu
bhavat
且metad
visaya −
dvaya
−samvaddha −parvvata
−droni
*−komparaka
−grama
・dandahkiyoka
・gramau
s ・oparikaro
[
au]
s −oddego
[
au]
sarvva −
pida
−varjitav aiklkrtya salona −puradhivasa
iti
−
543
一碑文で わか っ た イ ン ド古代 史 (二 ) (定方) (
9
)namadheyafi
krtva
matfi −pitror
atmanah
sarva −satvanafi c −a
−candr −arka
−ksiti
−samak 哀lam
punyabhivrddhaye
nana ・gottra
℃ aranebhya §caturvidya −vahmanebhyo
yathanukramena
(大 王 シ ュ リー ・シ ュ バ ー カ ラ デー ヴ ァ は) 北 トー サ リの現
在
・未 来
の大 官
,大王 , 王 子 ,
侍
医 ? (antarahga , cf.Sircar
,p
.23
), 王 女, 州 長 官 (oparika ,cf.
Sircar
, s .v . auparika , uparika ),郡
長 官, 副 長 官, 警 察 庁 長 官, 陣 営 設営
官に 対し, さ らに他
の もの , す な わ ち 王 の 足 下 に仕 え る (upajivin ) 兵卒
,傭
兵, 寵 臣の類 に対 し, ま た パ ー ン チ ャ ー ラお よびウ ビ ウダ
ヤ の 両 州の収
入 役長
官, 徴税 長 官
, 記録 官
な ど の行 政 局
(の 人々 )に 対 し, 応 分 の 敬 意 を 払 い (manayati)
,(
つ ぎの よ うに) 命 令
し, 了解
せ しめ る。 「卿
ら は了 知 せ よ。 こ の 二 つ の州 に 属 す る七パ ル ヴ ァ タの コ ー ン パ ラー カ村
とダ ン ダー ン キ ヨ ー カ村
は,(
そ こ か ら微 収
され る)特
別税
(uparikara , cf .Sircar
,p
.352
)
を伴
い , (そ の旨
を記
す)標 識
を伴
い , 一 切 の 侵 犯 を 禁 じ る布令
を 伴 い , 一括
し て (aikikrtya)
サ ロ ー ナ プ ラ住 区
と命名
し, 母 と父 と, 自分 自 身 と, お よ び 一 切 の衆
生 と の功 徳
が , 月, 太 陽, 大 地 が あ り続 け る か ぎ り (a
−candra −arka −ks
−iti
−samakalam ) 増 大 す る よ うに と ,種
々 の氏 姓 の行者
た ち, 四 ヴェ ー ダを修 得 した バ ラ モ ン た ち に (寄
進 さ れ る)。 か れ らの名
は 以 下 の とお りで あ る (yathanukramena
)。’
parvata
は面 積の 単位。droni
は7
を意 味 す る。 (VI
)*(
i
)
vahvrca
/
(
1
)Ke
§avadeva ,bhatta
(
2
)
Purusottama
,bhatta
(
3
)Vahrnana
,svami
(
4
)Samparnna
, svami(5
)Gosthadeva
, svami(
6
)Ravi
−
karadeva
,bhatta
(
7
)Sayakaradeva
,bhatta
−caturthada(
8
)Udyotakaradeva
,bhatta
−caturthada(
9
)Prabhakara
,bhatta
(
10
)Bhaskara
,bhatta
(
11
)Harideva
,bhatta
(
12
)Vasudeva
,bhatta
(
1
ノ
3
)Satadamana
,bhatta
(
14
)Purusottama
, svami(
15
)Pradyota
,sv 巨mi
(
16
)
Mahavala
, svami(
17
)Narasiihha
, svami(
18
)Ttrivi
−
kramacandra
, svami(
19
)Pagupala
, svami(
20
)Padmanabha
, svamiKomazawa University
NII-Electronic Library Service KomazawaUniversity
(10)
rwYvehthtsolzitzFthtft5tl
(=)
(tiifi)
(21)
Govarddhana,
svami(22)
Sriclhara,
svami(23)
Madhudlksita
(24)
Risabha,
svami(25)
Candradeva,
agnihotri(26)
Sridhara,
agni-hotri
(27)
Paritosa,
bhatta
(28)
Bhavadeva,
svami(29)
Vasudeva,
svami
(30)
Utpala,
svami(31)
Jivatmana,
bhatta
(32)
Varadeva,
bhatta
(33)
Kamadeva
(34)
KeSava,
svami<35)
Mahadeva,
svami(36)
GosthabhUti,
svami(37)
Prabhakara,
svami(38)
Govarddhana,
.-
.-svami
(39)
Sa(?)Sicandra,
svami(40)
Sridharabhati,
bhatta
(41)
Lokabhati,bhatta
(42)
Visnu,chattra,svami
(43)
..・.mideva,svami(44)
SAfiga,
svfimi(45)
gambhu,
svami(46)
Ttrivikrama,
svami(46)
Narakadeva,
bhatta
(48)
Darvva,
svami(49)
Madhava,
svami(50)
Vamana,
svami(51)
U(?)rnna,svami
(ii)
evaih vajasaneyi(52)
[Sarvana]ga,
gri-bhatta
(53)
Visnuvarddhana,
bhatta
(54)
t
Santivarddhana
(55)
Sthiravarddhana
(56)
Vrsabhavarddhana
(57)
gubhalaksana
(58)
Harighosa
(59)
Sakradatta,
bhatta
(60)
Pramoda,svami
(61)
Purandara,svami
(61)
Damodara,svami
(63)
Naradatta,
svami(64)
[Harsada]tta,
svami(65)
Vatsadatta,
svami(66)
Divakara,bhatta
(67)
Dinakara,bhatta
(68)
Devakunda,bhatta
(69)
Harikunda
(70)
Deukka,
svami(71)
Gomicandra,
svami(72)
Vasubhadra,
svami(73)
Risikegva
(74)
Janarddana,
svami(75)
Vedagarma,
svami(76)
Sridhara,
svami(77)
Purusottama,
svami(78)
Yajn-a,
bhatta,
svamj(79)
Dadi,
svami(80)
Udayakupda,bhatta
(81)
Damodara,
vatu(82)
gubhakara,
svami(83)
Purusottama,
bhatta
(84)
Edu,svami
(85)
PTthivl,svami
(86)
Thiro,svami
(87)
Dhruvadeva,
svami(88)
NArayana,
chAtra, svAmi(89)
Kumfirabhuti,
svami
(90)
Govinda,
bhatta
(91)
Gesthadeva,
svami(92)
DUrvva-ka!a,
svami(93)
Risinaga,
svami(94)
Manoratha,
bhatta
(95)
da,
svami(96)
Sthavara,
svami(97)
gudargana,
bhatta
(98)
Gfidadeva,
bhatta
(99)
Sthiradeva,
svami(IOO)
Vrahma,
sv2mi(iii)
evari'ichandiga(101)
Aparadeva,
bhatta
(102)
Rudradeva,
svami(103)
Mah2deva,
ewY-($hrbhDkiYFtsft;El
(=)
(E")
(1])
svami
(104)
Madhava,
agnihottri, svami(105)
Dadda,svami
(106)
Bhanda,
svAmi(107)
Sitikantha,
svami(108)
Vanamala,
svami(109)
KeSava,
svami(110)
Safika,
svami(111)
Ksiroda,
svami(112)
Rsi,
svami(113)
Mandaradeva,
svami(114)
Madhusadana,
svami
(115)
Haradeva,
svami(116)
Sridhara,
svami(117)
Ma-hadeva,
bhatta
(118)
Ttribhuvana,
bhatta
(119)
Janarddana,
bhatta
(120)
Bhavadeva,
bhatta
(12I)
NannAkona,svami
(122)
Kahnadeva,
bhatta
(123)
Govindadeva,
bhatta
(124)
Sobhanadeva
(125)
VovA,
svami
(126)
dvitiya-Vova,
svami(127)
Vellu,
svami(128)
Cacha,
svami(129)
Utpaladeva,
svami(130)
KUrmma,
svami(13I)
Vr-sabha, svami
(132)
Pruvadeva,
svami(133)
Guhadeva,
svami(134)
Edu,
svami(135)
Madhavadeva,
svami(136)
Govindadeva,
svami(137)
Kahna,
svami(138)
Valabhadra,
svami(139)
Rsibha,
svami(140)
Rsikega,
svami(141)
Dhulavrta,
svami(142)
Edudhara,
svami(143)
Bhaskara,svami
(144)
Goraksita,svami
(145)
Paduma,svAmi
(146)
Damu,
svami(147)
Rsi,
svami(148)
[Darvva],
svami(149)
Safikarabhati,
svami(150)
Vasudeva,
chatra, svami(151)
Bhayya,
agnihottri, svami
(iv)
evarb atharvva(152)
Bhavadeva,
purohita,
bhatta
(153)
Daddo,
bhatta
(154)
Arggunda,svami
(155)
Dadda,bhatta,svami
(156)
Damodara,svami
(157)
Narayana,
svami(158)
Valabha,svami
(159)
Valabhadra,
svami(160)
Padmanabha,svami
(161)
Vuddhu,svami
(162)
Dhafii,
svami(163)
IndraSarma,
svami(164)
Hansadeva,
svami(165)
Bhava,
sv5mi(166)
Pusya,
svami(167)
Bhamideva,
svami(168)
Merudeva,
svami(169)
Bhavadeva,
svami(170)
apara-Valabhadra,svami
(171)
apara-Bhavadeva, svarni(172)
Ghadi(?),
svami(173)
Govinda,
svami(174)
Soma,
svami(175)
Varppata,
svami(176)
Gayadhara,
svAmi(177)
Haladhara,
svami(178)
Maladhara,
svfimi(179)
Kegavavivma,
svami(180)
Mahidhara,
svami(181)
Vova,
svami
(182)
Bhava,
svami(183)
gitala,
svami(184)
Candra,
svamiKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
(
12
) 碑 文 で わか っ た イ ン ド古代史 (二 ) (定 方 )(
185
)
Damodara
, svami(
186
)Meru
, sv 匪mi(
187
)Bh
且da
, svami(
188
)Sagara
, sv 盃mi(
189
)Adhakadadda
, svami(
190
)Dhruva
, svami(
191
)
Kakka
, svami (192
)Madhus
亘dana
, svami (193
)Avaditadadda
,ノ
svami
(
194
)apara −Sitala
, svami(
195
)
Madhusadhana
,bhattaputtra
ノ
(
196
)
Sivadeva
,bhattaputtra
(
197
)
Pusya
,handikapati
, svami(
198
)Apa
, svami(
199 )
Prthivi
, svAmi(
200
)Jivamanda
(?), svami(
201
)Varuna
,svamiRsi
−svamibhyah ekattra vrahmana −§ata −dvayaya
tamrapatten
=akar
−atven ;盃smabhih
pratipadito
/
Stad
es 且spadatti
dharmma
−gauravat
bhavadbhih
paripalaniy
=eti /samvat8
m 巨rga vadi203
/われ ら は
(
上 記の ) リシ ・ ス ヴァ ー ミ た ち,
総 計
200
人 の バ ラモ ン た ちに,銅
板 (の記録 〉
を もっ て, ま た税
金免
除を もっ て (akaratvena ), (寄進
を)お こな う。
卿
ら は法
に対
す る尊
重に よっ て こ の 寄進
(tad
esapradattir
−) を保
護 すべ きで あ る 。第
8
年
, マ ー ル ガ月 , 黒 分23
日。 ’ 名前の カタ カ ナに よる表記は省略す る。 寄進 を受 け る者た ち はつ ぎの 四群に分か た れて い る。 (i
) リグ ・ヴェ ー ダを修め た者 (Vahvrca
[Bahvrca
]) (1
)〜 (51
)(
ii
)ヤ ジュ ル ・ヴェ ー ダを修め た者 (
Vajasaneyi
)(
52
)〜 (100
)(
iii
) サ ーマ ・ヴェ ー ダを修め た者 (Chandiga
[
Chandasa
]
)(
101
)〜 (151
> (iv
) ア タル ヴ ァ ・ ヴ ェ ー ダを修め た.者 (Atharvva
) (152
)〜 (201
) 人 名の 番 号 は.私が付 し た もの で ある。2
1
番 まで あ る が, 寄 進 文 に は総 計200
人と あ る。 ど こ か で 一 人 の 名を二 人 の 名 と読 み 誤 っ た 可 能 性が あ る。
126
番のdvitlya
は 「第二 の」,170
番,171
番 の apara は 「他の 」を 意味する で あろ う。名前に は 敬 称 や職名が付 さ れ て い るが ,
bhatta
, chatra , agnihotri は名 前の 前に, svami は後に 付け ら れ て い る。 本稿で は そ れ ら をすべ て 名 前の 後に 配 した 。
(
VII
)uktafi ca
dharmma
−Sastre
vahibhihr vasudhadatta
rajabhih sagar −adibhih
/yasya
yasya
yada
bh
亘mistasya
tasya
tada
phalam
/
ma
bhUd
aphala −§ahka
vah
para
−datt
・etipa
[
r]
thiva
[
h
]
/
svadanat
phalam
anantyam
paradatt
−anupalane
/sastimm varsa −sahasrani svarge modati
bh
員midah/
aksepta
tanurnanta
(
tv
;一
539
一碑文で わ か っ た イ ン ド古 代史 (二 ) (定 方 ) (
13
)anumanth
)
catany
eva narakam vaset/
vahun ;atra
kim
uktenasamksepad
idam
ucyate/
svalpam ayuhs(
氤yu
§)
calabhoga
dhar
−mmo
loka
−dvaya
(ye
)ksayah
/
法 典 に (つ ぎの よ うに ) 説 か れ て い る。 「サ ガ ラ を初 め 多 くの 王 が 土 地 を寄 進 し た。 土 地 は誰 が
所 有
し よ う と, い つ 所 有 し よ うと, そ の時, そ の人 に実 り を も た ら す。他
人 に施 与
し た ものか ら実 り は あ るか とい う疑 い が あ な た 方に あ っ て は な ら な い , 王 た ち よ。自
分の もの を施 与
す る こ とか ら は無 限
の実
りが も た ら され る。 他 人 に施 与 さ れ た もの を守る こ と に お い て も (同 様 で あ る)。 土 地 を与 え る者 は六万 年 も天で喜 び を味 わ う。 反 対 に, 害を なす 者, そ れ に 同 調 す る者は , 同じ年 月 を地 獄 で過 すだ ろ う。 こ こ で多
くの こ とをい っ て何
に な ろ う。 一言
で い えぼ , こ うで ある。害
を なすこ と を楽
し む者
に は(
cala −bhoge
)
寿命
は甚 だ 短 く,徳
は二 世 (現 世 ・ 来 世 )に わた っ て朽
ち た る もの となる」’ ’ 「法典」の 文は四 つ の シ ュ ロ ーカか ら成っ てい る。(
Vm
)dUtako
=ttra
mahak 寧apataladhikarap −
adhikrta
−samudradattab/
Iikhitam
mah 巨
ksapatalika
−bhogi
[
ka
]
−vrahmadattena/
tapitam
pe
讐
apala −narayapena/
utkirpparp
tatLhakara
−e(尹
adattena//
こ の (王 勅 ) に お い て (王 勅 の) 伝 達 者 は 大 法 務 局 (maha −aksapa
ala ・adhikarana )の 局 員 サ ム ド ラ ダ ッ タで ある。 大 法 務 局 員 ブ ラ フ マ
ダ
ッ タ に よ っ て 書か れ た 。 記 録保 管
係ナ ー ラー ヤ ナ に よ っ て 鍛煉
さ れ た。 金属細
工師
工 一ダ
ダ ッ タ に よっ て刻
ま れ た 。バ ナ ー ジ ー が こ の 寄
進
文 を発 表 す るやい な や, フ ラ ン ス の イ ン ド学者
シ ル ヴ ァ ン ・ レ ヴィが 直 ち に一文 を もの し
(
S
.L6vi
;King
Subhakara
ofOrissa
,
Ep
.Indica
,Vol
.XV
,1919
−20
,pp
.363
−364
)
,寄
進者
の名
で ある「
最 高
の善 逝信 奉
者
・大王 シ ュ リー ・ シ ュ バ ー カ ラデー ヴ ァ」
は漢訳 仏典 「
四十 華 厳
」末
尾の献
呈文
の中
の「
鳥荼 国 (
= オ リ ッ サ)
の最勝 善 逝 法者
・吉祥 自在 作 清浄 師
子王」 の こ と で ある可能 性
を指摘
し た。時
代 的に も符合
す る。 バ ナ ー ジ ー は文 字の特
徴か ら寄進
文 の年
代 を西 暦八 世 紀末
に 帰せ しめた が ,鳥
荼 国王 が唐 の徳 宗に ご 一538
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
14
) 碑 文で わ か っ た イン ド古代史 (二 ) (定 方) の経 典 を献呈 し た のが ま さ にそ れ と同 じ こ ろ, 貞 元 十 一 年 (西 暦795
年 )で あ っ た。「四
十 華 厳 」
の献
呈文
はつ ぎの とお り。和
訳は拙論
「
オ リ ッサ州
の仏教 遺
跡d
(
東 海大 学文 学部 紀 要
,1997
)pp
.8
−9
で試
み たの で , こ こで は省 略
す る。 注 意 すべ き言葉
に傍 点
をつ けて お く。南
天 竺烏
荼 国 深 信最
勝 善逝
法 者 修 行最
勝 大乗 行者
吉祥 自在作 清 浄 師
子王 上獻摩
訶支
那大 唐
国 大吉 祥
天 子 大 自在 師
子中大
王手 自書 寫 大 方廣佛 華 嚴經
百千 偈中
所 説 善 財童子 親近 承 事 佛 刹 極 微 塵 數 善 知識
行中
五十
五 聖者善
知識 入 不 思議解
脱境 界普
賢行
願 品謹奉
進 上 伏 願 大 国 聖王福 聚 高 大 超 須 彌 山智
慧 深 廣過 四 大海十
方 国土 通為一 家及 書 此 經 功 徳 願 集 彼 無 量 福 聚 等 虚 空 界一切世 界海 無
盡衆
生界
一 切皆 如 善
財 童 子 得 佛正 見具 足 智 慧 見 不 可 思 議 眞 善 知識
咸 生歓 喜 得佛 廣 大普 光
明照離 諸貪 著成
就無
垢普
賢 菩 薩最
勝 行 願伏
願 此大 乗
経典 進 奉 功徳 慈 氏如 来 成佛
之時龍 華 會
上 早得
奉 観 大 聖 天王獲宿命
智 瞻見便
識
同 受佛
記 盡虚
空遍 法 界 廣 度 未 来一切衆
生 速得成 佛
貞 元
十
一 年 十一 月 十八 日進
奉 梵 夾(
以 下略
) (『大正蔵 』 第
10
巻
,848
中 〜 下 )シ ュ バ ー カ ラデー ヴァ と自
在作 清
浄師
子が 同一 人物
で あ る こ と は間 違い な い だ ろ う。 こ の王 は「
四十華
厳」
に よ れ ば熱 烈
な仏 教信 者
で ある。 一方
,刻 文
に よ れ ば, 二 百 人 のバ ラモ ン に 土地 を寄 進 し て い る。 これ は宗 教 に 対す る イ ン ド の 王 の伝 統 的な 寛 容 さ を示す もの で あろ う。 ま た「
四十 華 厳 」 に よ れ ば, か れ は 華 厳 経の 入法 界 品に 関心 を持 っ てい た こ と が わか る。 とき あ たか も華 厳 思 想 が世 界 的 な ブーム を起 こ して い た。 日本
で は奈 良の東
大 寺 に華 厳 思 想 に もと つ く大佛
が作
られ(
八世 紀 )
, イ ン ド ネ シ ア で は ボ ロ ブ ド ゥ ール に善 財 童子 の 求 法を彫 刻 し た 大 塔 が作 られ た (九 世 紀 )。 こ の塔 を作
っ た シ ャ イ レ ン ドラ 王 朝 は オ リッ サ か ら移 住
した もの の子孫
らしい 。刻 文の 文 体に は ア シ ョ ー カ 王 の 刻 文 を思 わ せ る もの が あ る。 「日 月 が 続 くか ぎ り
」
(サ ン チー小 石柱 刻
文 )。 「諸
王 子,諸
王孫
,諸 曾 孫
も刧
の終
わ りまで こ の 法の 実 行 を増 進せ し め」 (十
四 章摩
崖 法勅
,第
四章)
。「
現 世 と来 世 に関 する[
果 を生 ずる]
か らで あ る」 (
同,第 十
三章
)。「
天 愛 はか よ うに告 げ
る。 サ マ ー 一537
一 N工 工一Eleotronlo Llbrary碑 文 で わか っ た イ ン ド古 代 史 (二 ) (定 方 ) (
15
) パ ー に お け る都 市 執 義 官で あ る大 官 は か よ う に命 じ られ な けれ ば な ら な い 」 (別 刻摩
崖 法 勅, 第 一 章 ) 。 「卿 らに知 ら しめ て」 (同, 第二 章 )。 オ リッ サ 州 の ダ ウ リお よび ジ ャ ウガ ダの ア シ ョ ー カ王 刻 文 の 文 体が 伝統
に な っ て影響
を与 え て い るの だろ う か。 な お,刻
文の過剰
な まで の修
飾 文 は 「四十 華厳 」
末 尾の献 呈文 の そ れ に通 じ る。 (四 )仏 教寺 院
の デー ヴ ァ ダー シ ー1908
年
ご ろ オ リッ サ州の 仏 教 遺 跡 ラ トナ ギ リか ら文字
を記 す三枚
の 銅 板 が発 見さ れ た。 そ れ ら は異 な る 三 人の 手 に 渡 っ た が , ミ トラ女 史 らの努
力で三 枚 全体
の内容
が ま と め て知 られ る に 至 っ た(
D
.Mitra
:Ratnagiri
Plates
ofSomavamsi
Karna
,
Ep
.Indica
,Vo1
.XXXIII
[
1959
−
60
]
,
pp
.263
−
266
;
D
.C
.Sircar
:Note
onRatnagiri
Plates
ofSomavamsi
Karna
,ibid
.,pp
.269
−274
)。銅 板 の
片側
には穴
が開
け ら れ てい た が, 三枚
の銅 板
は こ の穴
に よっ て綴
じ られ て い た ら しい 。 文 字 は一枚
目と三枚 目の場 合は片 面 にだ け, 二枚
目の場 合 は両 面に記 さ れ , 全 体 で68
行 あ っ た 。 文 字 は12
世 紀 頃の ブ ラー フ ミー で , 内容 は下 賜 文 で ある。 文の 形 式 は前 出の 寄 進 文 と ほ と ん ど変 ら な い 。 は じめ に 先 祖 の 名 を列 挙 し,28
行 目
以 下 に 寄 進 者 カ ル ナデー ヴ ァ王 の人 とな りを述
べ ,33
行 目以 下 に コ ー ナ ー村
を種 々 の特
典 と と もに カ ル プ ー ラ シ ュ リ ー と い う女 に 下 賜 す る こ と を述 べ ,48
行目
以下
に寄
進者
に は福
が訪
れ ,妨
害者
に は堕 地 獄 が待
つ とい う警 告
文 をの せ ,66
行
目に 日付
を記
し,最後
に刻字 者
の名
を あ げる。寄
進 文か ら知 ら れ る こ の 王家 (
ソ ー マ ヴ ァ ン シ ー朝 )
の系 譜
はJanamejaya
−Yayati
−Bhlmaratha
Dharmaratha
Nagh
幣a …Yayati
Udyo
亡akesarinJaname
−jaya
Purafijaya
Ka
卑 a (deva
)で あ る。この 下 賜 文 か ら誰 が誰 に何 を下 賜 す る か とい う部 分 をあ げて み よ う。
(行:
28
−31
)
tasy
;anujo
nija ・
bhuj
−arjjita
−9aurya
−s〔コrya −prau
(尹
ha
−prabha
−§amita −§atru −ya
§ah −§a6ahkah/
sri −karnnadeva
・nrpatihks
−itipala
−mauli −sarhlina −ratna −caya −cumvi (mbDta
−pada
−pithab
//tri
−bhuvana
−ku
ira
−pa
ale
sarpati
nijak 豆
ya
−kirtti
−valli (II
二i
)yarp
/
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
(
16
) 碑文で わか っ た イ ン ド古 代 史 (二 ) (定 方 )yasya
samunnati −bhajam
bhuja
−yuga
−nihgri (§re)nikam §ritva 〃か れ
(
プラ ン ジ ャ ヤ 王)
の弟
に し て ,自
ら の (nija) 腕 で 獲得
し た (ar −jita
)強
烈 な(
saurya)
日の 光 の(
praudha
)よ うな 威 光 で 敵 を鎮め た とい う 評 判 を も ち,(
し か も)
月 (の よ うに涼や か で 美 しい )シ ュ リー ・ カル ナ デー あ ま た ヴ ァ 王。 (他 の) 王 た ち の頭 を飾
っ て い た (sanilina ) 数多
の 宝 石に 口 づ け さ れ た (= 他 の王 か ら奪 っ た 宝 石 を取 りつ けた ) 足置
き (の所 有
者 ) 。 三 界 と い う家の 屋 根 を自家
の名
声 とい うか の ({yam
)つ る草 (valli )が 這い 上が っ て い く。 か れ の 両 腕が作 りなす 天 に導 くは し ご を登 っ て 。(行
31
−33
)svasti
/
§ri−yayatinagarata
(nagarat )/paramamahe
§va −ra −
paramabhattaraka
−maharajadhiraja −parameSvara
−soma −kula
−ti
−laka
−tri
−kali
血gadhipati
−gri
−maha §ivaguptarajadevah
ku
§ali/
栄
え あ れ。 シ ュ リ ー ・ ヤ ヤ ー テ ィ の都
よ り。 最高
の マ ヘ ー シ ュ ヴ ァ ラ信 奉者
,最 高
の 主権 者
,大
王, 王 の王 ,最 高
の自在 者
, ソ ーマ 家 の飾 り , 三 カ リン ガ の君主 , シ ュ リ ー ・マ ハ ー シ ヴ ァ グプ タ 王 。 御 機 嫌 うる わ し くあ らせ られ,(行
33
)uttara −
tosa
(sa )liya
−vra (bra
)hmo
(hme
?)
−atthavisa −khanda
−sam −
kona
−gramah
/
(中略
)(
行
41
−43
)
utkalade §
iya
−§ri−salonapura −mahavihara −vinirggatayai/
kasya
(§ya
)pa
−sagotr 氤yai
/try
−arsa
・pravarayai
/
udayamati −namnyah
pautryai
/mahari ・mahUnadevi ・namnyahputryai
/rani −9ri
−karpPara
§ri−namnau (mnyai ) / (中 略 〉(
行
45
)
sampradatta
ity
=avagatya/
北
トー サ リの バ ラモ ン の ア ッ タヴ ィ ー サ ・ カ ンダ
地区
*に属
す る コ ー ナ ー村
が ウ トカ ラ 国の シ ュ リー ・サ ロ ー ナ プ ラ の大 僧 院 の 出 身で (vinirggata ), カ ー シ ャ パ姓
に属
し, 三 聖仙
を祖
先
に もち, ウダ
ヤ マ テ ィ ー とい う女
の孫
であ
り, 遊 女マ フー ナ デ ー ヴ ィ ー とい う女の 娘で ある妃シ ュ リー ・ カ ル プ ー ラ シ ュ リー とい う女 に下
賜 され る こ と に決
し, … … 一535
一 N工 工一Eleotronio Library碑 文 で わ か っ た イ ン ド古 代 史 (二 ) (定 方 ) (
17
) * 「ア ッ タ ヴ ィーサ ・カン ダ 」は元来,28
カ ン ダ (カ ン ダは面積の 単 位) を意 味 す る。 こ の 地 区 はバ ラモ ン の 地 区 だ っ た よ う で あ り, カル ナ 王 はバ ラモ ン に 「敬 意 を表 して か ら」(apojya ), その 地区の 一 部で ある コ ーナー村を カル プー ラ シ ュ リーに与 えるの で ある。カル ナ デー ヴァ
(
デー ヴ ァ は王 を意 味
す るの で , 以下 「
カル ナ王」
と呼
ぶ ) は都ヤ ヤー テ ィ か ら命 令
を 発 して い る。 ヤ ヤ ー テ ィは カ ル ナ 王 の祖先
の 一人ヤ ヤー テ ィ に ち なんで名
づ け られ たソー マ ヴ ァ ン シ ー朝の都 で あ る。 現 在 の ジ ャ ジ プル(
Jajpur
)市
で ある。 ソ ーマ ヴ ァ ン シー朝は シ ヴ ァ 神 (マ へ 一 シ ュ ヴ ァ ラ神 )
の信奉 者
で あっ た 。 カ ル ナ王 は 「最 高
の マ へ 一 シ ュ ヴ ァ ラ信 奉 者 」 を名
乗
り, 「シ ュ リ ー ・マ ハ ー シ ヴ ァ グプ タ 王 」の 別 名 を もっ て い た。 オ リッ サ 州 の現 在の首都
ブ ヴ ァ ネ ー シ ュ バ ル に あ る有名
な シ ヴ ァ 寺 院 リン ガ ラー ジャ は こ の土朝の と き(
c .1060A
.D
.)
に作
ら れ た。カル ナ 王 か ら
破
格の 下 賜 を受け た カ ル プ ー一ラシ ュ リ ー はい っ た い 何 者 か。 彼 女 は妃 (ra耳i
) と呼 ばれ て い る か ら, カル ナ 王 の妃
の 一 人 か も知 れ な い 。 しか し, 一 方で サ ロ ー ナ プ ラ (プ ラ は「
町 」の意 )
の大僧 院
の出
で あ る とい わ れ て い る。 サ ロ ー ナ プ ラ の 名 はすで にバ ウマ(
バ ウ マ カ ラ) 朝
の シ ュ バ カ ラ デー ヴ ァ王 の寄
進 文に 登 場 する。 それ は二 百 人 の バ ラ モ ン に寄進
さ れ た 土 地に つ け ら れ た名
で あ っ た。僧
院 と い え ば 仏 教の 建 物で ある が, サ ロ ー ナ プ ラに は仏教
の建 物
も立 っ て い た(
立つ よ うに な っ てい た )の で あ ろ うか。こ の
女
は この僧 院
と ど ん な関係
が あるの だ ろ う。 ミ トラ女 史 は 「彼 女は サ ロ ー ナ プ ラの僧
院か ら き た とい っ て い るか ら仏 教 徒 であ る」 と のべ て い る。 サ ロ ー ナ プ ラ は現 在 の ソ ー ラン プ ル (Solampur
)で あ る と さ れ る 。 そ れ は ジ ャ ジ プル か らニ マ イ ル ほ ど離れ て お り, ミ ト ラ女史
に よ れ ば, そ こか ら大乗
仏 教や金剛 乗
の仏 像
が 豊富
に出
土 し て い る。サ ル カ ル は カル プ ー ラ シ ュ リー を
遊
女 とす る。 カル ナ 王 の下賜
文の 「遊 女マ フ ー ナ デー ヴ ィ ー 」は じつ は サ ル カル の 読み で あ る。 か れ 以前
に ミ ト ラ女史
が maharima −hOpadevi
と読 ん で , フ ー ナ 族 (hUna
) と関 係 が あ る よ うに考 え たの に
対
し, サ ル カ ル は mahari −maharpadevi と読
ん で , mahari を遊 女
を意 味
す る オ リ ヤー語に 関 係 させ た の で ある。 そ して カル プ ーラ シ ュ リー が
遊
女 の娘
で あるな ら, 彼 女の 出 自の 提 示が ふ つ う行 なわれ る よ うに 父や 祖 父 との 関 係 に