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駒澤大学佛教学部論集 49 008永井 俊道「「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について」

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Academic year: 2021

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駒澤大學佛教學部論集   第四十九號   平成三十年十月 一九一 は じ め に 江 戸 時 代 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 に お い て ︑ 大 き な 力 を 持 っ て い た の は 関 東 三 箇 寺 と 呼 ば れ る 寺 院 で あ っ た ︒ ま た ︑ 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 の 支 配 を 任 さ れ た 江 戸 三 箇 寺 も 早 く か ら 設 置 さ れ ︑ さ ら に そ の 下 に 下 三 箇 寺 も 整 備 さ れ て い た と さ れ る ︒ 横 關 了 胤 は ︑﹃ 江 戸 時 代 洞 門 政 要 )1 ( ﹄ に お い て 次 の よ う に 記 し て い る ︒     江 戸 橋 場 総 泉 寺 ・ 貝 塚 青 松 寺 ・ 高 輪 泉 岳 寺 の 三 箇 寺 は 江 戸 触 頭 で あ っ て ︑ 府 内 三 箇 寺 と 稱 し 關 三 刹 の 會 議 に も 列 し ︑ 關 三 刹 と 合 わ せ て 之 を 關 府 六 箇 寺 と 稱 し た ︑ 更 に 四 谷 天 龍 寺 ︑ 三 田 功 運 寺 ︑ 麻 布 長 谷 寺 を 下 三 个 寺 と 稱 し ︑ 府 内 三 箇 寺 の 副 役 を 勤 め た )2 ( ︒ そ の 上 で ︑ 関 東 三 箇 寺 系 統 を 概 ね 次 の よ う に 捉 え て き た )3 ( ︒   総 寧 寺         総 泉 寺         四 谷   天 龍 寺     総 持 寺 直 末 ) ( 総 寧 寺 末 ) ( 遠 江   法 泉 寺 末 )   龍 穏 寺         青 松 寺         三 田   功 運 寺     最 乗 寺 末 ) ( 龍 穏 寺 末 ) ( 三 河   長 興 寺 末 )   大 中 寺         泉 岳 寺         麻 布   長 谷 寺     龍 泰 寺 末 ) ( 大 中 寺 末 ) ( 泉 岳 寺 末 ) ま た ︑ 宇 高 良 哲 は ︑ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 の 設 立 が 寛 文 ・ 延 宝 年 間 ( 一 六 六 一 ~ 一 六 八 〇 ) に 集 中 し て い る こ と か ら ︑「 曹 洞 宗 の 関 東 三 箇 寺 は ︑ 諸 宗 に 先 が け 徳 川 家 康 に よ っ て 制 定 さ れ た が ︑ 当 時 の 教 団 内 部 の 實 情 に 即 し て 選 出 さ れ た た め ︑ 江 戸 幕 府 の 寺 院 政 策 に 迅 速 に 対 応 す る こ と が で き な く な り ︑ 江 戸 幕 府 の 諸 制 度 ・ 諸 機 構 の 整 備 に 伴 い ︑ 必 然 的 に 江 戸 常 駐 の 必 要 性 が 生 じ た 」 と し ︑ 関 東 三 箇 寺 の 成 立 を 宿 寺 の 成 立 時 期 と し て い る ︒ そ の 上 で ︑ そ れ ま で の 体 制 に つ い て は ︑ 後 に 「 江 戸 三 箇 寺 」 と な る 総 泉 寺 や 青 松 寺 が ︑ 徳 川 家 康 と の 関 係 に よ り ︑ 天 正 ・ 慶 長 こ ろ か ら 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 の 支 配 を 任

「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について

  

  

  

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九二 さ れ て い た と し ︑ こ の こ と が 後 の 「 江 戸 三 箇 寺 」 の 成 立 に つ な が っ た と し て い る )4 ( ︒ こ の よ う に ︑ こ れ ま で 当 然 の よ う に 論 じ ら れ て き た 関 東 三 箇 寺 や 江 戸 三 箇 寺 で は あ る が ︑ そ れ ぞ れ い つ 設 置 さ れ た の か ︑ な ぜ 関 東 三 箇 寺 は 江 戸 か ら 離 れ た 寺 院 が 任 命 さ れ た の か ︑ 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 の 役 割 と 支 配 関 係 は ど の よ う に な っ て い た の か な ど ︑ は っ き り し な い 部 分 が 多 い ︒ 本 稿 で は ︑ こ れ ら の 点 に つ い て 考 え て い き た い ︒ な お ︑ 史 料 中 に は 「 関 三 箇 寺 」・ 「 関 三 刹 」 と い う 表 記 が 一 般 的 で あ る が 本 稿 に お い て は 「 関 東 三 箇 寺 」 と す る ︒ 合 わ せ て ︑ 史 料 中 に は 「 江 戸 三 个 寺 」「 江 戸 三 寺 」 と い う 表 記 が 多 い が ︑ 本 稿 で は 「 江 戸 三 箇 寺 」 と す る ︒ 一 、 関 東 三 箇 寺 の 成 立 時 期 関 東 三 箇 寺 の 成 立 に つ い て ︑ 横 関 了 胤 は ︑﹃ 江 戸 時 代 洞 門 政 要 ﹄ の 中 で ︑「 徳 川 幕 府 が 諸 宗 本 山 本 寺 に 先 ん じ て ︑ 曹 洞 宗 に 對 し 一 宗 統 理 の 法 度 を 制 定 し た の は ︑ 本 宗 に は 一 宗 を 統 ぶ る に 足 る 寺 院 ︑ 總 寧 ・ 龍 穩 ・ 乘 國 ・ 大 中 ・ 吉 祥 等 が 旣 に 關 東 に 在 り ︑ 宗 政 運 營 の 機 關 と し て 實 動 し ︑ 自 ら 案 を 具 し て 法 度 制 定 を 幕 府 に 建 議 し て い た か ら で あ る )5 ( 」 と ︑ 関 東 三 箇 寺 の 設 置 を 「 曹 洞 宗 法 度 」 の 発 布 状 況 か ら 分 析 し て い る ︒ そ れ を 示 す も の と し て ︑【 史 料 一 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 】    ※ 以 下 ︑ 史 料 中 の 傍 線 は ︑ 筆 者 記 入 ︒           天 下 曹 洞 宗 法 度     一 不 在 三 十 年 修 行 成 就 之 人 ︒ 立 法 幢 事     一 不 在 二 十 年 修 行 ︒ 致 江 湖 頭 事     一 寺 中 追 放 之 惡 比 丘 僧 於 諸 山 許 容 事     一 致 江 湖 頭 不 經 五 年 轉 衣 之 事 ︒ 幷 修 行 不 熟 之 致 衣 事     一 為 末 寺 背 本 寺 之 掟 事       右 條 々 ︒ 若 於 背 此 旨 者 ︒ 可 追 放 寺 中 也 ︒             慶 長 十 七 年 五 月 廿 八 日       御 判                           龍 穩 寺 武 州 ヲ コ セ                           總 寧 寺 下 總 關   宿                           大 洞 院 遠 州 可   睡         右 從 曹 洞 宗 出 案 書 也 ︒ )6 ( 【 史 料 一 】 よ り ︑ 龍 穏 寺 ・ 総 寧 寺 ・ 大 洞 院 の 三 个 寺 が ︑「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 の 案 文 を 幕 府 に 提 出 し ︑ そ れ を 基 に 「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 が 制 定 さ れ た と さ れ る ︒ こ の 法 度 を 建 議 し た 三 个 寺 は ︑ 互 い に 遠 距 離 に あ り ︑ 案 文 を 作 成 す る 際 に は 江 戸 に 詰 め て い た 可 能 性 も あ る ︒ す る と ︑ 御 府 内 に 曹 洞 宗 の 有 力 寺 院 が 宿 寺 と す る 施 設 も し く は 寺 院 が 既 に 設 け ら れ て い た の で は

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九三 な い か と 考 え る こ と も で き る ︒ ま た ︑【 史 料 一 】 の 徳 川 家 康 と の 関 係 が 深 か っ た 三 个 寺 は ︑ の ち の 関 東 三 箇 寺 の 原 点 と な っ た と も い え る ︒ こ の 日 付 の 「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 が ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 ・ 大 洞 院 に は 残 っ て い る と さ れ ︑ 大 中 寺 も 同 日 付 の 「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 を 所 持 し て い る 旨 の 記 録 が あ る ︒ こ の こ と か ら ︑ 大 中 寺 で は 曹 洞 宗 僧 録 任 命 を ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 と 同 じ 慶 長 十 七 ( 一 六 一 二 ) 年 五 月 二 十 八 日 と し て い る )7 ( ︒ 次 に 【 史 料 二 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 二 】               曹 洞 宗 法 度     一 非 三 十 年 修 行 成 就 之 人 而 立 法 幢 事     一 不 遂 二 十 年 修 行 ︒ 致 江 湖 頭 事     一 寺 中 追 放 之 惡 比 丘 於 諸 山 許 容 事     一 致 江 湖 頭 不 經 五 年 ︒ 或 轉 衣 ︒ 或 修 行 未 熟 之 僧 轉 衣 事     一 為 末 寺 背 本 寺 掟 事         右 條 々 於 違 背 之 輩 者 ︒ 速 可 追 放 寺 中 者 也 ︒             慶 長 十 七 年             將 軍 樣                 十 月 朔 日               御 朱 印                                           總 寧 寺                                           龍 穩 寺         右 之 御 法 度 書 ︒ 山 脇 五 月 三 日 に 冩 ヲ 被 持 來 ︒ 留 書 置 也 )8 ( ︒ 【 史 料 二 】 は 発 布 の 七 个 月 後 ︑ 崇 伝 の 元 に 届 け ら れ た 「 曹 洞 宗 法 度 」 の 写 し を ︑ 崇 伝 が 日 記 に 書 き 写 し た も の で あ る ︒ 【 史 料 一 】 と は 文 面 に 多 少 の 違 い は あ る が ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 の 二 个 寺 宛 に 朱 印 狀 が 出 さ れ た こ と に な る ︒ し か し ︑ こ の 法 度 状 に つ い て も 大 中 寺 が 所 持 し て い る 旨 の 記 録 が あ る ︒ 次 に 【 史 料 三 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 三 】           祿 役 定     一 両 御 所 樣 被 仰 出 曹 洞 宗 御 法 度 ︑ 若 松 領 中 ︑ 於 被 背 諸 山 者 ︑ 堅 可 為 御 仕 置 事 ︑     一 諸 山 江 湖 被 差 置 惠 倫 寺 可 被 及 其 理 事 ︑     一 江 湖 頭 惠 倫 寺 江 被 遂 談 合 可 被 請 事 ︑     一 不 致 修 行 僧 長 老 成 事 ︑     一 諸 山 公 事 於 惠 倫 寺 相 窮 ︑ 其 上 就 事 餘 者 ︑ 御 奉 行 所 へ 可 為 披 露 事 ︑       右 之 條 々 ︑ 於 違 背 者 任 御 朱 印 之 表 ︑ 寺 中 可 為 追 放 者 也 ︑         慶 長 十 八 年               丑 桃 始 三 日                     總 寧 寺                                             吉 祥 寺                                             龍 穩 寺 )9 (

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九四 【 史 料 三 】 よ り ︑ 総 寧 寺 ・ 吉 祥 寺 ・ 龍 穏 寺 の 三 个 寺 が ︑ 奥 州 会 津 領 の 恵 倫 寺 へ の 録 役 に つ い て 定 め て い る ︒ 慶 長 十 八 ( 一 六 一 三 ) 年 に は ︑ 既 に 全 国 に い く つ か の 僧 録 が 設 置 さ れ て い た こ と ︑ 総 寧 寺 ・ 吉 祥 寺 ・ 龍 穏 寺 が 会 津 領 の 僧 録 で あ っ た 恵 倫 寺 へ 「 祿 役 定 」 を 発 給 し た こ と が 分 か る ︒ こ の 時 期 ︑ 【 史 料 三 】 に あ る 三 个 寺 が 各 地 の 僧 録 支 配 を 担 い ︑ の ち の 関 東 三 箇 寺 的 役 割 を 果 た し て い た の で は な い か と 考 え ら れ る ︒ 次 に 【 史 料 四 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 四 】     一 正 月 八 日 ︒ 江 戸 吉 祥 祥 寺 よ り 折 紙 來 ︒ 則 﨤 書 遣 ス ︒ 案 左 ニ 有 之 ︒     一 尊 翰 熟 閱 欣 然 之 至 に 候 ︒ 如 貴 意 一 昨 日 者 於   御 前 得 御 意 本 望 に 存 候 ︒   上 意 之 趣 ︒ 摠 寧 寺 ︒ 龍 穩 寺 被 仰 談 候 由 尤 に 存 候 ︒ 猶 御 使 僧 へ 申 入 候 間 不 能 縷 陳 候 ︒ 恐 惶 頓 首 ︒                 正 月 八 日                     吉 祥 寺 侍 衣 閣 下         猶 々 ︒ 紫 衣     御 法 度 之 儀 ︒ 各 へ     上 意 之 趣 御 双 談 之 由 尤 に 存 候 ︒ 猶 樣 子 承 候 者 可 申 上 候 ︒ 以 上 )10 ( ︒ 【 史 料 四 】 よ り ︑ 吉 祥 寺 と 崇 伝 の 間 で 御 法 度 に 関 し て 相 談 が な さ れ た ︒【 史 料 四 】 か ら で は 詳 し い こ と は 分 か ら な い が ︑ 吉 祥 寺 が 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 と 相 談 す る 立 場 に あ っ た こ と は は っ き り す る ︒【 史 料 三 】 と 合 わ せ て ︑ こ の 時 期 に は ︑ 吉 祥 寺 が 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 と と も に の ち 関 東 三 箇 寺 的 な 地 位 に あ っ た と い え る ︒ 次 に ︑【 史 料 五 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 五 】             曹 洞 宗 法 度     一 非 三 十 年 修 行 成 就 之 人 者 ︒ 不 可 有 法 幢 事     一 不 遂 二 十 年 修 行 者 ︒ 不 可 致 江 湖 頭 事     一 寺 中 追 放 之 惡 比 丘 ︒ 於 諸 山 不 可 有 許 容 事     一 致 江 湖 之 後 不 經 五 年 ︒ 幷 修 行 未 熟 之 僧 不 可 轉 衣 事     一 末 寺 不 可 違 背 本 寺 之 法 度 事         右 堅 可 相 守 此 旨 者 也 ︒                                 大 御 所 樣         慶 長 二 十 年 六 月 廿 八 日         御 黒 印                                   大 中 寺     右 こ れ は ︒ 松 薰 大 中 寺 へ 入 院 候 而 ︒ 御 禮 に 上 洛 候 ︒ 先 年 總 寧 寺 龍 穩 寺 に 御 朱 印 を 被 遣 候   將 軍 樣 之 御 朱 印 之 案 ︒ 慶 長 十 七 年 に 被 遣 候 を 山 脇 被 持 來 ︒ 案 紙 九 册 目 に 冩 置 ︒ 其 文 言 少 々 不 可 然 候 に 付 而 ︒ 右 の こ と く 案 紙 書 直 ︒ 上 野 殿 へ 相 渡 ︒ 去 年 大 中 寺 へ は 御 朱 印 不 被 取 候 に 付 而 ︒ 今 度 被 遣 候 也 ︒

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九五       右 之 案 六 月 晦 日 に 認 無 遣 ス ︒ 但 廿 八 日 吉 日 に よ っ て ︒ 廿 八 日 之 書 付 渡 ス 也 ︒     此 淸 書 は 富 田 勝 兵 へ 被 認 候 ︒ 後 六 月 晦 日 に 御 印 被 為 押 ︒ 二 條 御 殿 に て ︒ 淺 井 七 平 持 て 被 出 ︒ 則 大 中 寺 松 薰 へ 渡 候 也 )11 ( ︒ 【 史 料 五 】 で は ︑ 慶 長 十 七 年 に 【 史 料 二 】 の 「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 が 朱 印 狀 の 形 で 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 に 発 給 さ れ た の に 遅 れ ︑ 大 中 寺 に は 慶 長 二 十 ( 元 和 元 ・ 一 六 一 五 ) 年 に 「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 が 下 さ れ た こ と が 分 か る ︒ こ れ に よ り ︑ の ち の 関 東 三 箇 寺 体 制 が 完 成 し た と 考 え ら れ る ︒ し か し ︑ 先 に 触 れ た よ う に 大 中 寺 で は 「 曹 洞 宗 僧 録 職 」 へ の 任 命 を ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 と 同 じ 慶 長 十 七 年 五 月 二 十 八 日 と し て い る ︒【 表 一 )12 ( 】 は ︑ こ れ ま で 示 し た 史 料 か ら 関 東 三 箇 寺 が 成 立 す る ま で の 主 要 寺 院 の 変 遷 を ま と め た も の で あ る ︒ し か し ︑【 表 一 】 で 問 題 と な る の は ︑﹃ 本 光 國 師 日 記 ﹄ に よ れ ば 【 史 料 五 】 に あ る よ う に ︑ 大 中 寺 宛 の 「 天 下 曹 洞 宗 法 度 」 は ︑ 朱 印 狀 で は な く 黒 印 狀 で あ っ た と い う 点 で あ る ︒ 大 中 寺 と し て は 同 じ 関 東 三 箇 寺 で あ り な が ら ︑ 朱 印 狀 と 黒 印 狀 に よ る 任 命 の 違 い が あ れ ば ︑ 黒 印 狀 に よ っ て 任 命 さ れ た 大 中 寺 の 寺 格 が 低 い と み ら れ る 可 能 性 が あ る こ と を 嫌 っ た の で は な い か ︒ そ の た め ︑ 後 日 ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 と 同 日 の 朱 印 狀 の 発 給 を 求 め ︑ 関 東 三 箇 寺 の 対 等 性 を 主 張 し た か ︑ 寛 永 六 ( 一 六 二 九 ) 年 に 全 国 に 僧 録 が 設 置 さ れ た 際 に ︑ 関 東 三 箇 寺 は 対 等 な 寺 格 に よ り 再 制 度 化 さ れ た と も 考 え ら れ る ︒ こ れ ま で の 史 料 を 見 て も ︑ 大 中 寺 へ 慶 長 十 七 年 五 月 二 十 八 日 付 の 朱 印 状 が 発 給 さ れ た と い う 事 実 は 確 認 で き な い ︒﹃ 寺 社 書 上 )13 ( ﹄ の 総 寧 寺 宿 寺 の 記 述 を 見 る と ︑「 権 現 様 御 朱 印   総 【表一】 資   料   名 発 布 年 月 日 関 東 三 箇 寺 に 相 当 す る 寺 院 名 出         典 ① 天 下 曹 洞 宗 法 度 慶 長 十 七 年 五 月 廿 八 日 龍 穏 寺 ・ 総 寧 寺 ・ 大 洞 院 本 光 國 師 日 記 七 ② 曹 洞 宗 法 度 慶 長 十 七 年 十 月 朔 日 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 本 光 國 師 日 記 九 ③ 祿 役 定 慶 長 十 八 年 桃 始 三 日 総 寧 寺 ・ 吉 祥 寺 ・ 龍 穏 寺 寺 宗 教 制 度 調 査 資 料 二 〇 ④ 曹 洞 宗 法 度 慶 長 二 十 年 六 月 廿 八 日 大 中 寺 本 光 國 師 日 記 十 七

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九六 寧 寺 与 有 ︑ 東 照 大 神 君 御 法 度 御 朱 印 曹 洞 宗 僧 録 被   仰 付 拾 六 代 一 峰 専 道 和 尚 江 被 下 置 候 ︑ 写 シ 左 之 通 )14 ( 」 と あ り ︑ 龍 穏 寺 宿 寺 の 記 述 に も ︑「 権 現 様 御 法 度 御 朱 印 曹 洞 宗 僧 録 被   仰 付 拾 四 代 大 鐘 良 賀 和 尚 江 被 下 置 候 写 左 之 通 )15 ( 」 と あ り ︑ 両 寺 と も に こ の 後 に ︑ 慶 長 十 七 年 五 月 廿 八 日 付 の 徳 川 家 康 か ら の 朱 印 狀 及 び 慶 長 十 七 年 十 月 朔 日 付 の 徳 川 秀 忠 よ り の 黒 印 狀 の 写 し が 載 せ ら れ て い る ︒ 大 中 寺 宿 寺 の 記 述 に は ︑「 慶 長 十 七 年 五 月 二 十 八 日 ︑ 従   東 照 権 現 樣 天 下 曹 洞 宗 僧 録 職 被   仰 付 候 ︑ 御 條 目 御 朱 印 頂 戴 仕 候 ︑ 同 年 十 月 朔 日 ︑ 従   台 徳 院 樣 天 下 曹 洞 宗 僧 録 職 被   仰 付 候 御 條 目 御 黒 印 頂 戴 仕 候 )16 ( 」 と あ る が ︑ 徳 川 家 康 か ら の 朱 印 状 の 写 し も 徳 川 秀 忠 か ら の 黒 印 狀 の 写 し も 記 載 さ れ て い な い ︒ こ の 記 載 の 違 い は ︑ 大 中 寺 が 慶 長 十 七 年 五 月 二 十 八 日 付 の 朱 印 状 及 び 同 年 十 月 朔 日 付 け の 黒 印 狀 も 所 持 し て い な か っ た こ と を 示 し て い る の で は な い か ︒ こ れ が 事 実 か ど う か の 証 明 は 難 し い が ︑ こ れ ま で 示 し た 史 料 か ら ︑ 大 中 寺 の 関 東 三 箇 寺 へ の 任 命 は ︑ 他 の 二 个 寺 よ り 遅 れ た 慶 長 二 十 年 と す べ き で あ ろ う ︒ し か し ︑ 江 戸 よ り 離 れ た 三 个 寺 が な ぜ 任 命 さ れ た の か そ の 理 由 は は っ き り し な い ︒ そ こ で ︑【 史 料 六 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 六 】     九 世 柏 堂 和 尚 代 ︑ 天 正 十 九 辛 酉 年 東 照 宮 樣 江 戸 江 初 而 御 移 り 被 遊 ︑ 関 八 州 御 領 地 ニ 相 成 候 ニ ︑ 同 年 冬 十 一 月 初 而 関 八 州 曹 洞 宗 僧 録 ニ 被   仰 付 候 ︑ 依 之 其 時 よ り 今 尓 至 リ 関 三 个 寺 与 申 候 ︑ 此 時 ニ 御 朱 印 頂 戴 之 事 ︑ )17 ( 【 史 料 六 】 か ら ︑ 大 中 寺 は 徳 川 家 康 が 関 東 に 入 国 し た 天 正 十 九 ( 一 五 九 一 ) 年 に ︑ 関 八 州 の 曹 洞 宗 寺 院 を 支 配 す る の た め に ︑ 関 八 州 曹 洞 宗 僧 録 に 任 命 さ れ ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 と 合 わ せ て 「 関 三 个 寺 」 と 呼 ば れ る よ う に な っ た と あ る ︒ ま た ︑ 龍 穏 寺 に は ︑「 権 現 様 御 法 度 御 朱 印 曹 洞 宗 僧 録 ︑ 被   仰 付 拾 四 代 大 鐘 良 賀 和 尚 江 被 下 置 候 )18 ( 」 と あ り ︑ 十 三 世 ま で が 天 正 十 五 ( 一 五 八 七 ) 年 ま で に 示 寂 し て い る こ と を 考 え る と ︑ 十 四 代 大 鐘 良 賀 が 天 正 十 九 年 に 龍 穏 寺 住 持 と し て 関 八 州 曹 洞 宗 僧 録 に 任 命 さ れ た と も 考 え ら れ る ︒ 天 正 十 九 年 は 江 戸 幕 府 成 立 以 前 で あ り ︑ 徳 川 家 康 の 関 東 入 国 に よ り 新 領 地 と な っ た 関 八 州 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 の た め に 設 け ら れ た の が 「 関 東 三 箇 寺 」 の 始 ま り だ っ た の で は な い か ︒ そ う で あ れ ば ︑ 関 東 三 箇 寺 は 江 戸 に あ る 必 要 は な く ︑ 江 戸 か ら 離 れ た 場 所 に あ っ て も そ の 役 割 は 果 た せ た と 考 え ら れ る ︒ つ ま り ︑「 関 東 三 箇 寺 」 と は ︑ 「 関 八 州 の 曹 洞 宗 寺 院 を 支 配 す る 三 つ の 寺 」 と い う 意 味 で 使 わ れ た も の が ︑ そ の 後 も 一 般 的 な 呼 称 と し て 江 戸 時 代 を 通 じ て 用 い ら れ 続 け た の で は な い だ ろ う か ︒ つ ま り ︑ 関 東 三 箇 寺 は 徳 川 家 康 の 関 東 入 国 に 合 わ せ て ︑ 関 八 州 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 の た め に 設 置 さ れ た も の が ︑ 徐 々 に 全

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九七 国 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 に 関 わ る よ う に な り ︑ ま ず 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 に ︑「 曹 洞 宗 法 度 」 が 下 さ れ ︑ 全 国 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 の 役 割 を 任 か せ ︑ 少 し 遅 れ る 形 で 大 中 寺 に も 「 曹 洞 宗 法 度 」 が 下 さ れ ︑ 関 東 三 箇 寺 に よ る 全 国 曹 洞 宗 寺 院 支 配 の 基 礎 が 固 ま っ た と 考 え ら れ る ︒ 二 、 関 東 三 箇 寺 宿 寺 と 成 立 時 期 寛 永 六 年 に 曹 洞 宗 の 僧 録 制 度 が 確 立 し て も ︑ 関 東 三 箇 寺 は 御 府 内 に は な く 比 較 的 遠 方 に あ っ た ︒ つ ま り ︑ 幕 府 の 置 か れ て い る 江 戸 で の 宗 政 を ど の よ う に 担 っ て い く か が 問 題 と な り ︑ 関 東 三 箇 寺 は 御 府 内 に 宿 寺 を 設 け る こ と に な る ︒ ま ず ︑ 総 寧 寺 宿 寺 に つ い て ︑【 史 料 七 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 七 】                               小 日 向 水 道 端 新 堀 下     一 拝 領 寺 七 百 六 拾 八 坪 余             総 寧 寺 宿 寺       右 者 曹 洞 宗 大 僧 録 関 三 箇 寺 之 内 ︑ 下 総 国 国 府 台 総 寧 寺 宿 寺 地 面 前 書 絵 図 面 之 通 ︑ 寛 文 十 三 丑 年 當 寺 前 住 一 閑 祖 峰 和 尚 代 拝 領 仕 ︑ 御 役 義 相 勤 候 処 ︑ 手 狭 ニ 付 文 政 二 己 卯 年 十 一 月 十 八 日 右 絵 図 面 朱 引 之 通 ︑ 打 廻 壱 百 弐 拾 九 坪 余 ︑ 四 拾 二 代 智 海 恵 帆 和 尚 代 添 地 拝 領 仕 候 ︑ 但 当 地 面 往 古 之 義 并 寛 文 年 中 之 記 録 等 者 ︑ 享 保 年 間 両 度 之 類 焼 ニ 而 ︑ 諸 記 録 過 半 焼 失 仕 候 ニ 付 ︑ 巨 細 ニ 相 分 不 申 候 ︑ 尤 添 地 拝 領 之 義 者 ︑ 水 野 左 近 将 監 殿 寺 社 御 奉 行 御 勤 役 中 御 掛 ニ 御 座 候 ︑     一 宿 寺 開 闢 者 ︑ 當 寺 廿 二 代 智 堂 光 紹 和 尚 ニ 御 座 候 ︑ )19 ( 【 史 料 七 】 よ り ︑ 総 寧 寺 宿 寺 は 寛 文 十 三 ( 延 宝 元 ・ 一 六 七 三 ) 年 に 一 閑 祖 峰 が 拝 領 し た 寺 を ︑ 二 十 二 代 智 堂 光 紹 和 尚 が 開 闢 し た と あ る ︒ そ の 後 ︑ 宿 寺 が 手 狭 と な り ︑ 文 政 二 ( 一 八 一 九 ) 年 に 四 十 二 代 智 海 慧 帆 和 尚 に よ り 百 二 十 九 坪 の 添 地 が 行 な わ れ て い る ︒ ま た ︑ 総 寧 寺 宿 寺 に 関 し て は ︑「 此 所 へ 寺 地 を 賜 ひ し ハ 寛 文 十 三 年 癸 丑 二 月 十 八 日 の 事 な り ︑ 古 く ハ 百 姓 行 田 八 左 衛 門 の 所 持 の 地 な り )20 ( 」 と ︑ 寺 地 拝 領 の 日 付 も 知 る こ と が で き る ︒ 総 寧 寺 宿 寺 は 独 唱 ( 勝 ) 院 に 置 か れ た と あ る こ と か ら ︑【 史 料 七 】 の 「 拝 領 寺 」 の 寺 院 名 を 継 承 ︑ あ る い は 改 称 し た も の と 考 え る こ と も で き る ︒ ま た ︑【 史 料 八 】 を 見 て み た い ︒ 【 史 料 八 】           小 日 向 役 屋 鋪   御 拝 領 之 間 坪 数 之 覚     寛 文 十 三 癸 丑 二 月 十 八 日 ︑ 御 公 儀 よ り 御   拝 領 仕 候 屋 鋪 者 ︑ 本 多 長 門 守 御 月 番 ニ 而 ︑ 被 仰 付 屋 鋪 者 ︑ 東 西 江 者 表 廿 六 間 ︑ 裏 者 南 北 江 廿 四 間 三 尺 五 寸 ︑ 此 坪 数 六 百 三 拾 九 坪 ︑ 右 之 分 町 年 寄 樽 屋 藤 左 衛 門 手 代 勘 兵 衛 ︑ 喜 多 村 彦 右

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九八 衛 門 手 代 清 右 衛 門 ︑ 奈 良 屋 市 右 衛 門 手 代 三 郎 兵 衛 三 人 立 合 ︑ 三 月 廿 三 日 ニ 相 渡 候 ニ 付 而 ︑ 此 方 よ り も 請 取 之 手 形 右 之 町 年 寄 三 人 江 相 渡 置 候 ︑ 于 今 屋 鋪 之 絵 図 間 数 共 ニ ︑ 罇 屋 藤 左 衛 門 所 ニ 御 座 候 ︑ 其 後 四 月 之 内 ︑ 屋 鋪 之 絵 図 水 帳 ニ 相 違 之 儀 御 座 候 ニ 付 而 ︑ 橋 場 郷 総 泉 寺 と 申 上 候 得 者 ︑ 即 本 多 長 門 守 樣 ・ 戸 田 伊 賀 守 樣 ・ 小 笠 原 山 城 守 樣 御 三 判 ニ 而 ︑ 首 尾 好 埒 明 候 之 御 状 被 下 置 候 ︑ 只 今 所 持 仕 候 ︑ 願 者 永 代 之 々 御 座 候 間 ︑ 御 拝 領 帳 面 ニ 御 載 被 下 候 ハ ゝ ︑ 難 有 可 奉 存 候 ︑ 巳 上       戌   孟 冬 十 三 日           寺 社 奉 行 所                 御 役 人 中 )21 ( 【 史 料 八 】 で は ︑ 総 寧 寺 宿 寺 は 寛 文 十 三 年 二 月 十 八 日 に 御 公 儀 よ り 拝 領 し た 屋 鋪 と す る ︒ し か も ︑ 坪 数 は ︑【 史 料 七 】 に 比 べ る と 百 二 十 九 坪 も 狭 く ︑ そ の 後 に 敷 地 の 拡 大 が 図 ら れ た と 考 え ら れ る ︒ ま た ︑ 宿 寺 の 拝 領 は ︑ 町 年 寄 手 代 三 人 が 立 合 で ︑ 受 取 証 文 の 受 け 渡 し な ど 事 務 的 な 手 続 き が 行 な わ れ ︑ 総 泉 寺 が 屋 鋪 絵 図 と 水 帳 の 確 認 を 行 な っ た 上 で ︑ 寺 社 奉 行 本 多 長 門 守 ら の 三 判 に よ っ て 実 現 し た と あ る ︒ こ の こ と は ︑ 江 戸 三 箇 寺 で あ る 総 泉 寺 の 支 配 寺 院 と し て ︑ 総 寧 寺 宿 寺 が 開 闢 し た と い う こ と で あ ろ う か ︒【 史 料 八 】 に あ る よ う に ︑ 拝 領 し た 建 物 が 一 般 の 屋 鋪 で あ れ ば ︑ 総 寧 寺 宿 寺 が 独 唱 ( 勝 ) 院 に あ っ た と さ れ る こ と か ら ︑ 寺 院 を 新 築 も し く は 改 築 し た 建 物 を 寺 院 と し た と も 考 え ら れ る ︒【 史 料 七 】 と 【 史 料 八 】 で は 若 干 違 い が あ る ︒ 次 に ︑ 龍 穏 寺 宿 寺 に つ い て ︑【 史 料 九 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 九 】                                     麻 布 新 堀 端 御 薬 園     一 拝 領 地 七 百 六 拾 六 坪 七 合           龍 穏 寺 宿 寺 境 内         外 三 拾 三 坪 之 所 譲 請 地       右 者 曹 洞 宗 大 僧 録 関 三 箇 寺 之 内 ︑ 武 蔵 国 越 生 龍 穏 寺 宿 寺 境 内 前 書 絵 図 面 之 通 ︑ 延 宝 七 未 年 當 寺 弐 拾 六 世 耕 屋 普 春 和 尚 代 拝 領 仕 御 役 儀 相 勤 罷 在 候 外 ニ ︑ 三 拾 三 坪 之 所 ︑ 文 化 三 寅 年 八 月 中 五 拾 世 慧 楷 和 尚 代 百 姓 地 面 譲 請 申 候 ︑ 且 当 宿 寺 地 面 往 古 之 義 并 延 宝 年 中 之 記 録 等 者 ︑ 延 享 宝 暦 両 度 之 類 焼 ニ 而 ︑ 諸 記 録 過 半 焼 失 仕 候 ニ 付 ︑ 巨 細 ニ 相 分 不 申 候 ︑ 尤 譲 請 地 願 済 之 儀 者 ︑ 大 久 保 安 芸 守 殿 寺 社 御 奉 行 御 勤 役 中 御 掛 リ ニ 御 座 候 ︑     一 宿 寺 開 闢 者 當 寺 廿 五 代 耕 屋 普 春 和 尚 ニ 御 座 候 )22 ( ︑ 【 史 料 九 】 よ り ︑ 龍 穏 寺 宿 寺 は 延 宝 七 ( 一 六 七 八 ) 年 ︑ 二 十 六 世 耕 屋 普 春 の 時 に ︑ 麻 布 新 堀 端 御 薬 園 に 設 け ら れ ︑ 文 化 三 ( 一 八 〇 六 ) 年 に 手 狭 な た め ︑ 三 十 三 坪 の 譲 請 地 が 加 え ら

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 一九九 れ た と あ る ︒ ま た ︑【 史 料 一 〇 】 を 見 る と ︑ 龍 穏 寺 が 宿 寺 の 土 地 を 入 手 し た 経 緯 が 分 か る ︒ 【 史 料 一 〇 】           借 上 个 申 屋 敷 之 事     一 御 公 儀 樣 江 差 上 申 候 繪 圖 之 面 坪 數 八 百 參 坪 貳 合 ノ 所 金 子 百 参 拾 兩 ニ 相 定 借 上 个 申 所 實 正 也 ︑ 則 右 之 金 子 百 三 拾 兩 加 判 之 共 立 合 不 殘 受 取 申 處 實 正 也 ︑ 但 御 年 貢 之 儀 ハ 壹 个 年 ニ 付 ︑ 金 子 貳 兩 銀 七 匁 三 分 地 主 方 へ 御 濟 可 被 成 候 此 屋 敷 御 公 儀 樣 御 用 地 ニ 罷 成 候 ハ ゝ 無 相 違 御 差 上 可 被 成 候 為 後 日 證 文 仍 如 件         延 寶 六 年 午 ノ 三 月 廿 二 日 安 左 布 村   賣 主   善 右 衛 門   判 同     五 左 衛 門   判 同     小 兵 衛   判 同     作 左 衛 門   判 名 主   又 左 衛 門   判                 越 生   龍 穩 寺 樣 )23 ( 【 史 料 一 〇 】 に よ れ ば ︑ 延 宝 六 ( 一 六 七 八 ) 年 三 月 二 十 二 日 に ︑ 宿 寺 の 土 地 八 百 三 坪 弐 合 を 百 三 拾 両 で 公 儀 が 購 入 し ︑ 龍 穏 寺 が 拝 領 し た と あ る ︒ た だ し ︑ こ の 時 の 購 入 面 積 と そ の 後 の 宿 寺 の 敷 地 面 積 に は 違 い が 見 ら れ る ︒ 最 後 に ︑ 大 中 寺 宿 寺 に つ い て ︑【 史 料 一 一 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 一 】   ( A)               覚     一 大 中 寺 宿 寺 上 高 輪 之 内 久 保 三 田 天 暁 院 境 内 ︑ 表 廿 五 間 裏 江 廿 七 間 ︑ 此 坪 数 六 百 七 拾 五 坪 ︑ 起 立 者 寛 永 十 六 巳 酉 年 ︑ 當 年 迠 七 拾 年 ニ 罷 成 候 ︑ 右 者 内 藤 能 登 守 殿 先 代 百 姓 地 ヲ 相 調 ︑ 先 祖 位 牌 所 ニ 被 致 ︑ 大 中 寺 十 六 世 門 解 長 老 越 ︑ 開 山 ニ 被 定 置 候 ︑ 江 湖 を も 執 行 仕 候 ︑ 十 八 代 月 洲 大 中 寺 現 住 之 節 ニ ︑ 天 暁 院 住 持 下 野 皆 川 傑 岑 寺 江 ︑ 化 山 仕 候 に 付 ︑ 開 基 江 申 入 宿 寺 ニ 仕 ︑ 自 是 別 住 無 御 座 候 ︑ 拝 領 地 ニ 罷 成 候 儀 者 ︑ 寛 文 十 三 丑 之 春 ︑ 大 中 寺 十 九 世 好 覚 御 訴 訟 申 上 ︑ 如 頼 被     仰 付 候 ︑     右 之 通 少 し も 相 違 無 御 座 候 ︑ 以 上 ︑         寶 永 五 戊 子 年                           富 田               三 月 十 六 日                         大 中 寺             寺 社           御 奉 行 所               御 役 人 中 )24 (   ( B)                               三 田 小 山

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇〇     一 拝 領 地 表 弐 拾 六 間 ︑ 裏 口 弐 拾 七 間 大 中 寺 宿 寺           此 坪 数 六 百 七 拾 五 坪 天 暁 院 境 内       右 者 曹 洞 宗 大 僧 録 関 三 箇 寺 之 内 下 野 国 都 賀 郡 富 田 大 中 寺 宿 寺 天 暁 院 境 内 前 書 絵 図 面 之 通 ︑ 寛 永 十 六 己 卯 年 内 藤 備 後 守 殿 先 代 内 藤 市 政 殿 百 姓 地 を 相 調 先 祖 位 牌 所 ニ 被 致 起 立 ︑ 大 中 寺 十 六 世 門 解 和 尚 を 請 侍 し て 為 開 山 ︑ 其 後 寛 文 年 中 大 中 寺 十 八 世 尊 海 和 尚 代 ︑ 天 暁 院 住 持 下 野 国 都 賀 郡 皆 川 傑 岑 寺 江 移 転 仕 ︑ 其 砌 開 基 内 藤 家 江 申 入 大 中 寺 宿 寺 ニ 仕 ︑ 従 是 別 住 御 座 無 候 ︑ 拝 領 地 ニ 相 成 候 儀 者 ︑ 寛 文 十 三 年 丑 春 大 中 寺 十 九 世 解 厳 和 尚 ︑  公 儀 江 御 訴 訟 申 上 候 處 ︑ 願 之 通 拝 領 地 ニ 被 仰 付 候 )25 ( 【 史 料 一 一 】 の ( A)・ B) よ り ︑ 大 中 寺 宿 寺 と な っ た 天 暁 院 は ︑ 内 藤 能 登 守 殿 位 牌 所 と し て ︑ 寛 永 十 六 ( 一 六 三 九 ) 年 に 大 中 寺 十 六 世 門 解 蘆 関 に よ り 開 闢 と あ る ︒ 大 中 寺 十 八 世 月 洲 尊 海 代 に ︑ 天 暁 院 住 持 が 下 野 皆 川 傑 岑 寺 へ 移 転 し た の を 機 に ︑ 開 基 に 申 入 れ て 宿 寺 と し ︑ 別 住 を 置 か な い こ と に な っ た と あ る ︒ 寛 文 十 三 年 に 十 九 世 好 覚 解 厳 が ︑ 公 儀 に 訴 え 出 て 拝 領 地 と な っ た こ と も 分 か る ︒ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 に つ い て ま と め る と ︑【 表 二 )26 ( 】 の よ う に な る ︒ こ の よ う に ︑ 寛 文 十 三 年 か ら 延 宝 七 年 に か け て 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 が 整 備 さ れ た ︒ こ の 宿 寺 に は ︑ 建 物 内 に 評 席 が 設 け ら れ て お り ︑ 関 東 三 箇 寺 の 役 儀 を 遂 行 す る た め の 建 物 で あ っ た こ と が 分 か る ︒ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 の 完 成 が ︑ 僧 録 に よ る 幕 府 と 一 体 と な っ た 本 格 的 な 宗 教 政 策 の 展 開 に つ な が る ︒ そ し て ︑ 宿 寺 が ほ ぼ 完 成 し た 延 宝 五 年 に ︑「 三 箇 寺 月 番 書 付 写 )27 ( 」 に あ る 内 容 が 発 せ ら れ ︑ 曹 洞 宗 僧 録 の 活 動 が 定 ま っ て い っ た ︒ ま た ︑ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 に は ︑ 鑑 主 ・ 奏 者 と 呼 ば れ る 役 僧 【表二】 宿   寺   名 宿   寺   開   闢 開 闢 時 の 住 持 場           所 総 寧 寺 宿 寺 寛 文 十 三 ( 一 六 七 三 ) 年 総 寧 寺 二 十 二 世 智 堂 光 紹 小 日 向 水 道 端 新 堀 下 大 中 寺 宿 寺 寛 文 十 三 ( 一 六 七 三 ) 年 大 中 寺 十 九 世 好 覚 解 厳 三 田 小 山 天 暁 院 境 内 龍 穏 寺 宿 寺 延 宝 七 ( 一 六 七 九 ) 年 龍 穏 寺 二 十 六 世 耕 屋 普 春 麻 布 新 堀 端 御 薬 園

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇一 が 置 か れ て い た ︒ 各 地 の 僧 録 寺 院 に 残 さ れ て い る 史 料 を 見 る と ︑「 山 中 鑑 寺 ・ 山 中 鑑 司 」 と 区 別 し て 「 宿 寺 鑑 寺 ・ 宿 寺 鑑 司 」・ 「 宿 刹 鑑 寺 ・ 宿 刹 鑑 司 」 か ら 発 給 さ れ た も の も 多 く 見 ら れ る ︒ ま た ︑ 宿 寺 間 の 書 類 確 認 の 際 に は ︑ 宿 寺 の 奏 者 間 で や り と り さ れ て い た こ と を 伝 え る 史 料 も 残 っ て い る ︒ 宿 寺 が 整 備 さ れ ︑ 執 務 内 容 が 確 立 す る 過 程 で ︑ 宿 寺 の 役 割 が 高 ま り ︑ 同 時 に 宿 寺 鑑 寺 ( 司 ) の 地 位 も 高 ま っ て い っ た と 考 え ら れ る ︒ 三 、 江 戸 三 箇 寺 の 成 立 と 役 割 江 戸 三 箇 寺 の 成 立 に つ い て ︑ 宇 高 良 哲 は 次 の よ う に 述 べ て い る ︒     江 戸 三 ヵ 寺 の 制 度 が で き た の は ︑ 延 宝 五 年 ( 一 六 七 七 ) と か な り 時 代 は 下 る よ う で あ る が ︑ 総 泉 寺 や 青 松 寺 は 徳 川 家 康 の 関 東 入 国 後 ま も な く 触 頭 に 任 命 さ れ た と 記 さ れ て い る ︒ お そ ら く ︑ 関 三 箇 寺 よ り も 早 く か ら 江 戸 の 中 心 的 な 役 割 を 果 た し て い た の で あ ろ う )28 ( ︒ そ れ で は ︑ 江 戸 三 箇 寺 に つ い て ︑ 具 体 的 な 成 立 時 期 を 考 え た い ︒ ま ず ︑ 総 泉 寺 に つ い て 【 史 料 一 二 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 二 】   ( A)                         総 泉 寺 触 下   七 十 一 个 寺     一 ︑ 御 府 内 三 箇 寺     青 松 寺 触 下   六 十 四 个 寺                         泉 岳 寺 触 下   五 十 二 个 寺                 尤 三 箇 寺 ニ 定 リ シ 時 代 ツ マ ビ ラ カ ナ ラ ズ ︑         ( 中 略 )     一 ︑ 天 正 十 八 年 東 照 神 君 小 田 原 御 陣 之 節 ︑ 當 寺 境 内 之 竹 簱 竿 ニ 差 上 則 御 利 運 ニ 而 ︑ 関 八 州 初 而 御 手 ニ 入 御 喜 悦 之 餘 ︑ 御 書 并 御 制 札 御 朱 印 拝 領 之 ︑         翌 天 正 十 九 年 卯 十 一 月 境 内 二 万 八 千 坪 并 御 朱 印 高 二 拾 石 新 規 ニ 被 下 置 ︑ 猶 又 御 府 内 一 宗 之 支 配 被 仰 付 之 叓 ︑ )29 (   ( B)     下 総 國 國 府 臺 総 寧 寺 末                     浅 草 橋 場     妙 亀 山   總 泉 寺                 境 内 拝 領 地 貳 万 八 千 坪     ○ 御 朱 印 寺 領 貳 拾 石     ○ 御 府 内 曹 洞 宗 觸 頭 三 箇 寺 之 一 當 寺 觸 下 寺 院 七 拾 壱 个 寺 ︑ 末 寺 十 三 个 寺 内 一 个 寺 三 州 西 尾 十 二 个 寺 武 州 之 内       ( 中 略 )     ○ 天 正 十 八 年       東 照 神 君 小 田 原 御 陣 之 節 ︑ 當 寺 境 内 之 竹 簱 竿 ニ 差 上 則 御 利 運 ニ 而 ︑ 関 八 州 初 而 御 手 ニ 入 御 喜 悦 之 餘 ︑ 御 書 并 御 製 札 御 朱 印 拝 領 之 ︑ 翌 天 正 十 九 年 辛 卯 十 一 月 境 内 二

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇二 万 八 千 坪 并 御 朱 印 高 二 十 石 新 規 ニ 被 下 置 ︑ 猶 又 御 府 内 一 宗 之 支 配 被 仰 付 之 ︑ 御 朱 印 御 奉 書 二 代 将 軍 樣 御 代 替 之 節 御 老 中 松 平 出 雲 守 殿 江 差 上 置 候 処 ︑ 其 節 御 屋 敷 ニ 而 焼 却 ︑ 尤 相 違 無 之 ニ 付 ︑ 三 代 将 軍 様 ヨ リ 御 代 々 之 御 朱 印 賜 之 候 )30 ( ︑ 【 史 料 一 二 】 の ( A)・ B) に は ︑ 総 泉 寺 が 天 正 十 九 年 十 一 月 に 境 内 地 二 万 八 千 坪 と 朱 印 高 二 十 石 を 徳 川 家 康 よ り 賜 わ り ︑ 御 府 内 一 宗 の 支 配 を 仰 せ 付 け ら れ た と あ る ︒ し か し ︑ 【 史 料 一 二 】 は い ず れ も ︑ 後 世 に 編 纂 さ れ た も の で あ り ︑「 尤 三 箇 寺 ニ 定 リ シ 時 代 ツ マ ビ ラ カ ナ ラ ズ 」 と あ る な ど ︑ 江 戸 三 箇 寺 と し て の 成 立 時 期 は は っ き り し な い ︒ 青 松 寺 に つ い て は ︑【 史 料 一 三 】 に 次 の よ う に あ る ︒ 【 史 料 一 三 】   ( A) 一 ︑ 御 府 内 曹 洞 宗 触 頭 之 儀 者 ︑ 神 君 様 御 入 国 以 後 ︑ 慶 長 年 中 蒙 上 意 候 事 ︑ )31 (   ( B) 天 正 の 頃 此 所 へ う つ さ る と ︑ 江 戸 洞 家 三 个 寺 の 内 也 ︑ 開 山 よ り 当 住 ま で 十 五 世 尓 お よ へ り と や )32 ( ︑ 【 史 料 一 三 】 の ( A)・ B) よ り ︑ 青 松 寺 は 天 正 期 に 現 在 地 に 移 転 し ︑ 徳 川 家 康 よ り 慶 長 年 間 ま で に は 御 府 内 の 曹 洞 宗 触 頭 に 任 命 さ れ て い た と 考 え ら れ る ︒ た だ し ︑( B) の 下 線 部 に あ る よ う に ︑ 青 松 寺 が 現 在 地 に 移 転 し た 時 よ り ︑「 江 戸 洞 家 三 个 寺 の 内 也 」 と あ る が ︑ 天 正 年 間 よ り 「 江 戸 三 箇 寺 」 と い う 状 況 だ っ た と す る の は 難 し い ︒ 次 に ︑ 泉 岳 寺 に つ い は 【 史 料 一 四 】 に 次 の よ う に あ る ︒ 【 史 料 一 四 】   ( A) 延 宝 五 年 巳 十 一 月 ︑ 御 府 内 曹 洞 一 派 江 戸 三 箇 寺 触 頭 御 定 蒙   仰 ︑ 関 三 箇 寺 ニ 相 代 リ 遠 国 之 諸 寺 院 迄 諸 般 取 計 仕 候 )33 (   ( B) 延 宝 五 年 巳 年 十 一 月 ︑ 御 府 内 曹 洞 一 派 江 戸 三 个 寺 触 頭 尓 御 定 蒙 仰 ︑ 関 三 箇 寺 ニ 相 代 リ 遠 国 之 諸 寺 院 迄 諸 般 取 計 仕 候 )34 ( 【 史 料 一 四 】 で は ︑ 泉 岳 寺 が 延 宝 五 年 十 一 月 に ︑「 御 府 内 曹 洞 一 派 江 戸 触 頭 」 に 任 命 さ れ た と あ る ︒ ま た ︑( A) と ( B) の 傍 線 部 に 「 関 三 箇 寺 ニ 相 代 リ 遠 国 之 諸 寺 院 迄 諸 般 取 計 仕 候 」 と あ る 点 に は 注 目 し て お き た い ︒ こ の よ う に 見 て く る と ︑ 総 泉 寺 は 天 正 十 九 年 ︑ 青 松 寺 も 天 正 年 間 に 徳 川 家 康 か ら 朱 印 狀 と 御 府 内 の 曹 洞 宗 の 寺 院 支 配 を 任 さ れ て い た と 考 え ら れ る ︒ つ ま り ︑ 徳 川 家 康 の 関 東 入 国 以 来 ︑ 御 府 内 で は 総 泉 寺 と 青 松 寺 に よ る 曹 洞 宗 寺 院 支 配 が 行 わ

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇三 れ ︑ 江 戸 二 箇 寺 体 制 と も 呼 ば れ る 状 況 が 生 ま れ ︑ 泉 岳 寺 が 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 の 支 配 を 任 さ れ た 延 宝 五 年 十 一 月 以 降 に ︑ 江 戸 三 箇 寺 体 制 に 移 行 し た と 考 え ら れ る ︒ 関 東 三 箇 寺 宿 寺 は 延 宝 七 年 に ︑ 江 戸 三 箇 寺 は 延 宝 五 年 に ほ ぼ 完 成 し た ︒ そ し て ︑ 延 宝 九 年 の 関 東 三 箇 寺 分 国 の 鬮 引 き と 評 定 が 行 な わ れ ︑ 曹 洞 宗 僧 録 制 度 の 全 国 的 展 開 が 本 格 化 し た と 考 え ら れ る ︒ 四 、 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 と の 関 係 性 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 ・ 大 中 寺 が 天 正 十 九 年 十 一 月 に ︑ 初 め て 関 八 州 曹 洞 宗 僧 録 に 任 じ ら れ た と 考 え ら れ る こ と ︑ 江 戸 三 箇 寺 の う ち 総 泉 寺 が ︑ 天 正 十 九 年 に 府 内 一 宗 支 配 を 任 さ れ ︑ 青 松 寺 も 天 正 年 間 に 府 内 一 宗 支 配 を 任 さ れ た と あ り ︑ 二 个 寺 体 制 に よ る 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 支 配 が 天 正 十 九 年 頃 か ら 始 ま っ た と 考 え ら れ る ︒ つ ま り ︑ 関 八 州 曹 洞 宗 僧 録 と 江 戸 三 箇 寺 の 基 と な る 二 ケ 寺 の 任 命 が 同 時 期 だ っ た 可 能 性 が あ る ︒ こ の こ と は ︑ 徳 川 家 康 が 関 八 州 と 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 を 別 々 の 系 統 と し て 任 命 し た こ と を 示 し て い る ︒ つ ま り ︑ 当 初 設 定 さ れ た 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 は 支 配 寺 院 が 異 な り ︑ 両 者 の 間 に は 上 下 関 係 の な い 並 列 的 な 立 場 で 設 置 さ れ た と 考 え ら れ る ︒ や が て ︑ 寛 永 六 年 以 降 全 国 に 僧 録 が 設 置 さ れ ︑ 関 東 三 箇 寺 を 中 心 と す る 曹 洞 宗 寺 院 支 配 が 確 立 し て い く ︒ 当 然 ︑ 江 戸 か ら 遠 隔 地 に あ る 関 東 三 箇 寺 が 幕 府 の 要 請 に 応 え る こ と は 難 し く ︑ 御 府 内 に 宿 寺 を 設 け て 宗 政 に あ た る 必 要 性 が 出 て き た の で あ る ︒ 第 二 節 で 触 れ た よ う に ︑ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 が 整 う の は 寛 文 ・ 延 宝 年 間 で ︑ そ れ ま で は ど う で あ っ た の か と い う 疑 問 が 起 こ る ︒ そ こ で ︑【 史 料 一 五 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 五 】     寺 僧 云 ︑ 當 寺 地 拝 領 巳 前 御 用 之 時 ハ ︑ 貝 塚 青 松 寺 ニ 滞 留 し て 御 用 を 奉 り し な り ︑ 大 中 寺 ハ 芝 泉 岳 寺 ︑ 総 寧 寺 ハ 橋 場 総 泉 寺 尓 滞 留 す る な り )35 ( ︑ 【 史 料 一 五 】 よ り ︑ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 が 整 う ま で の 期 間 は ︑ 関 東 三 箇 寺 は そ れ ぞ れ の 末 寺 で あ り ︑ 御 府 内 の 大 寺 院 で も あ っ た の ち の 江 戸 三 箇 寺 に 宿 泊 し て 公 用 等 に あ た っ て い た と あ る ︒ こ の た め 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 は ︑ 関 東 三 箇 寺 が 不 在 の 際 に は 関 東 三 箇 寺 に 代 わ っ て ︑ 幕 府 や 全 国 の 僧 録 な ど と の 公 用 や 届 ・ 訴 訟 に 関 す る 事 務 な ど を 担 当 す る 必 要 性 に 迫 ら れ る こ と に な る ︒ こ の こ と が ︑ 結 果 と し て 三 个 寺 の 地 位 を 押 し 上 げ ︑ 江 戸 三 箇 寺 成 立 の 要 因 と な っ た と 考 え ら れ る ︒ 延 宝 五 年 に 関 東 三 箇 寺 の 職 務 に 関 し て ︑ 次 の 【 史 料 一 六 】 が 出 さ れ る ︒ こ の こ と は ︑ 関 東 三 箇 寺 の 制 度 が ほ ぼ 整 い ︑ そ の 制 度 を 固 め る た め の も の と 考 え ら れ る ︒【 史 料 一 六 】 を 見 て い き た い ︒

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇四 【 史 料 一 六 】                 覚     一 総 寧 寺 ・ 龍 穏 寺 ・ 大 中 寺 者 ︑ 為 僧 録 之 間 ︑ 不 立 我 意 三 个 寺 令 和 融 ︑ 諸 事 遂 吟 味 無 依 怙 贔 負 可 有 其 沙 汰 ︑ 若 不 及 了 簡 儀 者 ︑ 奉 行 所 江 申 達 之 上 ︑ 相 談 之 上 可 受 差 図 事 ︑     一 三 个 寺 致 月 替 ︑ 当 番 之 方 ニ 寄 合 仕 ︑ 訴 状 之 裏 判 或 召 狀 触 狀 或 万 証 文 等 ︑ 当 番 之 輩 可 為 先 判 ︑ 但 軽 儀 者 月 番 一 判 ニ 可 仕 候 ︑ 不 依 何 事 落 着 之 儀 者 三 个 寺 立 合 ︑ 当 番 之 方 ニ 可 書 留 置 事 ︑     一 御 用 之 儀 ︑ 於 奉 行 所 三 个 寺 江 令 内 談 ︑ 未 申 出 以 前 一 切 他 言 無 仕 間 敷 候 ︑ 依 其 品 壱 人 江 相 通 儀 有 之 者 残 二 个 寺 江 不 可 洩 之 事 ︑     一 従 公 儀 住 職 被 仰 付 寺 之 後 住 御 吟 味 之 時 者 ︑ 三 个 寺 存 寄 之 通 互 申 出 之 ︑ 遂 評 議 隨 多 分 ︑ 相 応 之 僧 可 書 上 之 ︑ 勿 論 ︑ 三 个 寺 相 計 申 付 住 職 茂 僉 議 之 上 可 定 之 事 ︑     一 於 諸 本 寺 ︑ 末 寺 之 僧 仕 置 申 付 之 處 ︑ 彼 僧 軽 之 三 箇 寺 江 訴 之 族 有 之 者 ︑ 其 本 寺 江 委 細 相 尋 ︑ 裁 許 之 趣 理 至 極 之 儀 者 不 可 取 上 之 ︑ 若 本 寺 非 道 有 之 者 ︑ 急 度 奉 行 所 江 相 達 僉 議 之 上 可 有 落 着 事 ︑       附 三 个 寺 在 寺 之 時 者 ︑ 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 ニ 諸 事 申 置 ︑ 差 当 用 事 者 可 調 之 事 ︑     右 之 條 々 堅 相 守 三 个 寺 令 一 同 可 相 計 者 也 ︑       延 宝 巳 年 十 一 月 十 八 日                 太   摂 津 守                                           板   石 見 守                                           小   山 城 守                 総 寧 寺 )36 ( 「 延 宝 巳 年 十 一 月 十 八 日 」 付 で ︑ 関 東 三 箇 寺 の 執 務 覚 が 寺 社 奉 行 名 で 定 め ら れ た ︒「 延 宝 巳 年 」 と は ︑ 干 支 か ら 「 延 宝 五 年 」 で あ ろ う ︒ そ の 附 則 と し て ︑「 附 三 箇 寺 在 寺 之 時 者 総 泉 寺 ︑ 青 松 寺 ︑ 泉 岳 寺 ニ 諸 事 申 置 ︑ 差 當 用 事 者 可 調 之 事 」 と あ り ︑ 関 東 三 箇 寺 が 在 寺 の 場 合 に は ︑ 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 で 差 し 当 た り の 用 事 を 調 え る よ う に と あ る ︒ 関 東 三 箇 寺 住 持 が 自 分 の 寺 に 帰 っ て い る 際 に は ︑「 江 戸 三 箇 寺 」 が そ の 代 わ り を す る こ と に な っ て い た の で あ る ︒ そ の 後 ︑ 江 戸 宿 寺 が 整 備 さ れ る と ︑ 宿 寺 に 置 か れ た 「 鑑 寺 ( 司 )・ 奏 者 」 な ど が ︑ 宿 寺 の 運 営 を 行 な う よ う に な り ︑ 江 戸 三 箇 寺 と の 関 係 は 薄 れ て い っ た と 考 え ら れ る ︒ 延 宝 五 年 は 【 史 料 一 六 】 に あ っ た よ う に ︑ 関 東 三 箇 寺 体 制 と 江 戸 三 箇 寺 体 制 が ほ ぼ 整 っ た 年 と し て 重 要 な 年 と い え る ︒ 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 が 成 立 す る ま で の 約 七 〇 年 の 間 ︑ 宿 寺 の 役 割 は 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 が 担 っ て い た ︒ こ の こ と が 江 戸 三 箇 寺 成 立 に と っ て 重 要 で あ っ た ︒ 関 東 三 箇 寺 の 宿 所 で あ っ

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇五 た た め ︑ 先 に 述 べ た よ う に 幕 府 や 寺 社 奉 行 な ど か ら の 通 知 や 全 国 の 僧 録 よ り の 訴 え や 届 が 出 さ れ ︑ 文 字 通 り 関 東 三 箇 寺 的 な 役 所 と し て の 機 能 を 果 た し て い た こ と に な る ︒ そ の た め ︑ 宿 所 で あ っ た 三 个 寺 の 役 割 は 徐 々 に 高 ま り ︑ 江 戸 三 箇 寺 成 立 の 基 盤 と な っ た と 考 え ら れ る ︒ 次 に 【 史 料 一 七 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 七 】             御 尋 ニ 付 申 上 候     一 拙 寺 共 常 府 同 前 罷 在 候 儀 ︑ 凡 何 時 頃 よ り 之 儀 ニ 候 哉 之 訳 ︑ 御 分 明 ニ 御 座 候 ︑         凡 延 宝 年 中 天 和 之 頃 者 ︑ 三 箇 寺 在 寺 仕   御 用 向 江 戸 三 寺 取 計 候 趣 相 見 候 得 共 ︑ 以 後 何 時 よ り 御 尋 仕 候 と 申 儀 者 ︑ 確 と 相 知 不 申 候 ︑ 別 而 元 禄 前 後 之 頃 よ り 御 用 多 に 相 見 候 得 共 ︑其 節 よ り 無 帰 府 ニ 罷 成 来 候 哉 と 被 存 候 ︑ 尤 度 々 類 焼 二 付 外 ニ 記 録 等 相 見 不 申 候 得 共 ︑ 今 以 参 府 之 御 届 御 奉 行 所 江 申 上 来 候 ︑           十 二 月 廿 日                           総 寧 寺                                               龍 穏 寺           寺 社                                 大 中 寺             御 奉 行 所                   御 役 人 中     一 三 箇 寺 在 寺 仕 候 付 ︑ 江 戸 三 寺 御 用 向 取 計 候 留 書 弐 冊 并 在 寺 之 節 ︑ 従   御 奉 行 所 被 下 候 書 状 見 当 候 哉 ︑ 奉 入 高 覧 候 ︑ 以 上 ︑       曹 洞 宗 諸 法 度 條 目 留 書 之 内     一 延 宝 五 年 巳 十 一 月 十 八 日 ︑ 三 箇 寺 月 番 御 定 書 之 内 ︑ 附 三 箇 寺 在 寺 之 時 者 ︑ 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 ニ 諸 事 申 置 ︑ 差 當 用 事 者 ︑ 可 調 事 と 有 之 御 文 言 之 処 ︑ 延 宝 八 月 九 月 廿 七 日 江 戸 三 寺 御 奉 行 所 江 被 差 上 候 終 之 文 言 ニ ︑ 総 寧 寺 ・ 龍 穩 寺 ・ 大 中 寺 江 ︑ 相 尋 候 迠 者 候 間 ︑ 三 寺 寄 合 候 而 相 認 申 候 逐 一 之 儀 者 ︑ 重 而 三 箇 寺 出 府 之 節 ︑ 明 約 被 成 候 与 有 之 所 ︑     一 寬 保 弐 壬 戌 年 ︑ 江 戸 三 寺 よ り 御 奉 行 所 江 被 書 上 候 留 書 之 末 ニ ︑ 江 戸 三 寺 よ り 國 僧 録 江 触 書 差 遣 候 留 書 之 所 ︑               右 ︑ 帳 面 ニ あ り し を 付 差 上 候 )37 ( ︑ 【 史 料 一 七 】 よ り ︑ 関 東 三 箇 寺 が い つ 頃 か ら 常 府 の よ う な 状 況 に な っ た の か と 寺 社 奉 行 か ら 尋 ね ら れ ︑ 先 に 示 し た 【 史 料 一 六 】 に あ る よ う に ︑ 延 宝 か ら 天 和 の 頃 に は 三 箇 寺 が 在 寺 の 際 に は ︑ 江 戸 三 箇 寺 が 差 し 当 た り の 用 事 は 取 り 計 る こ と に な っ て い た が ︑ 元 禄 の 頃 よ り 職 務 が 繁 多 と な り 関 東 三 箇 寺 が 常 府 の よ う な 状 況 と な っ て い っ た と 答 え て い る ︒ ま た ︑ そ の 際 に 江 戸 三 箇 寺 が 取 計 ら っ て い た こ ろ の 留 書 や 寺 社 奉 行 か ら 下 さ れ た 書 状 は 有 る か と の 問 い に は ︑ ご 高 覧 に 入 れ る と あ り ︑

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇六 【 史 料 一 六 】 に あ っ た よ う に 江 戸 三 箇 寺 に よ り 関 東 三 箇 寺 の 在 寺 中 の 業 務 が 執 行 さ れ て い た こ と を 示 す 証 拠 が あ っ た こ と も 記 し て い る ︒ ま た ︑【 史 料 一 六 】 の 関 東 三 箇 寺 在 寺 に 際 し 江 戸 三 箇 寺 が 取 計 ら う 点 に つ い て は ︑ 延 宝 八 ( 一 六 八 〇 ) 年 九 月 二 十 八 日 に 江 戸 三 箇 寺 か ら 寺 社 奉 行 所 に 差 出 し た 書 状 に ︑ 江 戸 三 箇 寺 寄 合 い で 認 め た こ と は 関 東 三 箇 寺 出 府 後 に 明 約 す る と あ り ︑ 従 来 よ り 江 戸 三 箇 寺 の 権 限 が 縮 小 さ れ た こ と が 分 か る ︒ し か し ︑ 寬 保 二 ( 一 七 四 二 ) 年 に 江 戸 三 箇 寺 よ り 国 僧 録 へ 遣 わ さ れ た 触 書 が あ る と も 記 さ れ て い る ︒ つ ま り ︑【 史 料 一 七 】 よ り ︑ 関 東 三 箇 寺 の 江 戸 常 府 は 元 禄 頃 か ら で あ っ た こ と ︑【 史 料 一 六 】 の 三 箇 寺 在 寺 の 際 に は 江 戸 三 箇 寺 が 実 際 に 用 事 を 取 計 っ て い た こ と ︑ ま た 延 宝 八 年 に そ の 内 容 が 一 部 訂 正 さ れ た こ と ︑【 史 料 一 四 】 に あ る よ う に ︑ 江 戸 三 箇 寺 が 国 僧 録 に 触 書 を 遣 わ し た と い う 事 実 も 寛 保 二 年 に は あ っ た と い う こ と な ど が 確 認 で き る ︒ 次 に 具 体 的 な 江 戸 三 箇 寺 の 職 務 や 関 東 三 箇 寺 と の 関 係 に つ い て 考 え た い ︒ そ こ で ︑【 史 料 一 八 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 八 】     一 御 府 内 之 諸 寺 院 ︑ 御 公 用 之 儀 者 不 及 申 ︑ 江 湖 興 行 其 外 不 寄 何 事 關 三 箇 寺 江 訴 出 之 節 は ︑ 其 觸 頭 ニ 相 逹 ︑ 可 受 差 圖 勿 論 ︑ 隱 居 他 山 迁 化 之 節 者 早 速 其 届 可 被 致 候 ︑ 以 上 ︑       右 之 通 ︑ 急 度 可 被 相 觸 候 ︑         寶 永 八 年 卯 正 月 大 中 寺   判                                             龍 穩 寺   判                                         總 寧 寺 )38 (   判 【 史 料 一 八 】 よ り ︑ 関 東 三 箇 寺 は 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 に 対 し ︑ 公 用 ・ 江 湖 興 行 ・ 訴 訟 な ど に つ い て は 御 府 内 の 触 頭 に 届 け 出 て ︑ 御 府 内 の 触 頭 を 経 て 関 東 三 箇 寺 に 伝 え る よ う 命 じ て い る ︒ 宝 永 八 ( 一 七 一 一 ) 年 の 段 階 で は 関 東 三 箇 寺 の 下 に 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 を 管 轄 す る 触 頭 が あ り 機 能 し て い た こ と が は っ き り す る ︒【 史 料 一 八 】 に 出 て く る 「 触 頭 」 と は 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 の 江 戸 三 箇 寺 を 指 す の で あ ろ う ︒ こ こ で は ︑ 明 ら か に 関 東 三 箇 寺 の 下 位 に 江 戸 三 箇 寺 が あ る こ と に な り ︑ 任 命 当 初 の 二 箇 寺 体 制 の 頃 と は 支 配 関 係 が 異 な っ て い る ︒ 江 戸 三 箇 寺 の 後 住 に つ い て は ︑ 宝 永 七 ( 一 七 一 〇 ) 年 十 二 月 十 八 日 の 「 寺 社 奉 行 裁 許 状 )39 ( 」 で ︑「 総 泉 寺 青 松 寺 泉 岳 寺 者 ︑ 達 於 関 東 三 箇 寺 ︑ 従 三 箇 寺 告 来 於 奉 行 所 事 旧 例 也 」 と あ り ︑ 関 東 三 箇 寺 の 吟 味 を 受 け る こ と に な っ て い た ︒ こ の 他 に も ︑ 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 へ の 触 に 関 し て は ︑ 関 東 三 箇 寺 か ら の 文 書 に 江 戸 三 箇 寺 が 副 署 を し ︑ 更 に 添 え 状 を 附 し て 触 流 し て い る ︒ こ れ は 各 地 の 国 僧 録 と 同 様 で あ り ︑ 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 は ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 役 目 と な っ て い る が ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 地

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇七 位 は ︑ 全 国 各 地 に 設 置 さ れ た 僧 録 と 同 じ よ う に 関 東 三 箇 寺 の 支 配 下 に あ っ た の で あ る ︒ つ ま り ︑ 設 立 当 初 の 関 東 三 箇 寺 は 関 八 州 ( 御 府 内 を 除 く ) の 曹 洞 宗 寺 院 を ︑ 江 戸 三 箇 寺 は 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 の 支 配 を 任 さ れ ︑ 本 末 関 係 を 除 け ば 役 割 的 に は ほ ぼ 対 等 な 立 場 で あ っ た が ︑ 時 代 と と も に 関 東 三 箇 寺 の 支 配 下 に 江 戸 三 箇 寺 が 入 る と い う 図 式 と な っ て い っ た と 考 え る こ と が で き る ︒ 次 に 関 東 三 箇 寺 の 後 住 選 定 の 変 遷 か ら 江 戸 三 箇 寺 と の 関 係 を 考 え た い ︒ 江 戸 三 箇 寺 と の 関 係 に つ い て ︑【 史 料 一 九 】 を 見 て い き た い ︒ 【 史 料 一 九 】   ( A) 一 當 五 月 富 田 大 中 寺 無 住 之 節 ︑ 後 住 之 儀 相 伺 候 ニ 付 ︑ 其 砌 申 渡 候 通 ︑ 向 後 關 東 三 箇 寺 明 候 は ︑ 江 戸 三 寺 之 内 ニ 而 二 箇 寺 外 之 寺 院 よ り 遂 吟 味 ︑ 相 應 之 僧 壹 箇 寺 三 寺 可 書 出 之 ︑ 但 シ 江 戸 三 寺 先 役 次 第 初 筆 ニ 可 相 記 之 ︑           右 之 通 可 被 相 心 得 候 ︑ 以 上             寶 永 四 年 八 月 )40 (   ( B ) 一 龍 穩 寺 ︑ 此 度 隱 居 後 住 願 出 候 事 ︑ 先 年 本 多 弾 正 少 弼 申 渡 候 通 ︑ 江 戸 三 寺 よ り 貳 箇 寺 ︑ 外 寺 隱 居 存 寄 之 者 一 箇 寺 書 出 し 可 被 申 候 ︑ 向 後 共 ニ 其 趣 可 被 心 得 事 ︑               但 ︑ 江 戸 三 箇 寺 之 内 ︑ 吟 味 次 第 可 被 順 次 候 ︑         一 江 戸 三 寺 後 住 吟 味 之 事 ︑ 向 後 役 寺 相 應 之 者 ︑ 隱 居 存 寄 を 以 書 出 し ︑ 同 役 吟 味 之 上 關 三 箇 寺 へ 差 出 ︑ 吟 味 を 受 ︑ 關 三 箇 寺 吟 味 有 之 ︑ 若 不 相 應 ニ 存 候 は ゝ 書 付 差 戻 相 改 ︑ 相 應 之 者 書 出 し 候 上 ︑ 奉 行 所 へ 相 伺 後 住 相 定 可 申 事 ︑           右 之 通 ︑ 江 戸 三 箇 寺 へ も ︑ 蒹 而 申 含 置 可 申 事 ︑             享 保 十 一 年 午 四 月 )41 (   ( C) 一 關 三 箇 寺 後 住 之 儀 ︑ 只 今 迄 は 江 戸 三 箇 寺 之 内 ︑ 住 職 之 順 を 以 ︑ 二 箇 寺 外 ニ 一 箇 寺 願 上 候 樣 ニ ︑ 先 年 申 渡 候 處 ︑ 向 後 は 國 僧 録 ︑ 常 會 ︑ 隨 意 ( 會 脱 カ ) 寺 格 有 之 寺 院 之 内 ︑ 世 壽 法 臘 高 年 ニ 而 役 寺 可 相 勤 器 量 有 之 者 を 相 撰 ︑ 三 箇 寺 書 出 可 申 候 ︑ 尤 順 次 之 儀 は 法 臘 を 以 相 認 可 申 候             元 文 五 年 申 十 月 二 十 七 日 )42 ( 【 史 料 一 九 】 を も と に ︑ 関 東 三 箇 寺 の 住 職 選 定 と 江 戸 三 箇 寺 と の 関 係 の 変 遷 を ま と め た も の が 【 表 三 】 で あ る ︒ 【 表 三 】 の ( A) と ( B) で は ︑ 関 東 三 箇 寺 の 後 住 は ︑ 江 戸 三 箇 寺 か ら 二 个 寺 ・ そ の 外 の 寺 か ら 一 个 寺 の 三 个 寺 よ り 選

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇八 ぶ と し て い る が ︑( A) で は 江 戸 三 箇 寺 の う ち 住 職 期 間 の 長 い 者 を 初 筆 と す る が ︑( B) で は そ の 規 程 を な く す と し て い る ︒( C) で は ︑ 諸 国 国 僧 録 ・ 常 会 隨 意 会 の 寺 格 の 寺 か ら 三 个 寺 を 選 び ︑ 後 住 を 決 め る と 変 更 に な っ て い る ︒ ま た ︑ 宝 永 四 ( 一 七 〇 七 ) 年 に は 江 戸 三 箇 寺 か ら 選 ば れ た 者 が 初 筆 と さ れ て い る が ︑ 元 文 五 ( 一 七 四 〇 ) 年 以 降 は 関 東 三 箇 寺 の 後 住 は ︑ 制 度 上 全 国 か ら 器 量 あ る 僧 が 選 ば れ る と な っ て い る ︒ こ の よ う な 改 定 は ︑ 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 の 結 び つ き が 徐 々 に 希 薄 と な っ て い っ た こ と を 示 し て お り ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 地 位 が 低 下 し て い っ た と 考 え ら れ る ︒ 【表三】 史 料 年   月   日 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 の 後 住 選 定 規 定 ( A) 宝 永 四 ( 一 七 〇 七 ) 年 八 月 関 東 三 箇 寺 の 後 住 に つ い て は ︑ 江 戸 三 箇 寺 よ り 二 ケ 寺 ︑ そ の 外 の 寺 よ り 吟 味 相 応 の 僧 を 一 ケ 寺 書 き 出 す こ と と す る ︒ た だ し ︑ 江 戸 三 箇 寺 よ り 選 ん だ 二 ケ 寺 に つ い て は ︑ 住 持 期 間 の 長 い 寺 を 初 筆 と す る ︒ ( B) 享 保 十 一 ( 一 七 二 六 ) 年 四 月 関 東 三 箇 寺 後 住 に つ い て は ︑ 江 戸 三 箇 寺 よ り 二 ケ 寺 ︑ そ の 外 に 先 住 存 じ 寄 り の 僧 を 一 ケ 寺 書 き 出 す こ と と す る ︒ さ ら に ︑ 江 戸 三 箇 寺 よ り 選 ん だ 二 ケ 寺 に つ い て ︑ 住 持 期 間 の 長 短 の 区 別 を な く す ︒ 江 戸 三 箇 寺 の 後 住 を 決 め る 場 合 ︑ 其 の 寺 の 先 住 の 意 志 に 任 せ て 他 の 二 个 寺 と 吟 味 の 上 ︑ 関 東 三 箇 寺 へ 書 き 出 し て 吟 味 を 受 け ︑ 不 相 応 と さ れ た 場 合 に は 差 し 戻 し ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 内 当 寺 以 外 の 二 个 寺 で 人 選 し て 書 き 上 げ ︑ 寺 社 奉 行 所 へ 伺 っ た の ち に 後 住 を 定 め る と し て い る ︒ ( C) 元 文 五 ( 一 七 四 〇 ) 年 十 月 二 十 七 日 関 東 三 箇 寺 後 住 に つ い て は ︑ 江 戸 三 箇 寺 よ り 住 持 期 間 の 長 い 寺 か ら 二 ケ 寺 ︑ そ の 外 に 一 ケ 寺 を 選 ん で き た が ︑ 今 後 は ︑ 諸 国 僧 録 ︑ 常 会 隨 意 会 の 寺 格 の 寺 よ り ︑ 世 寿 ・ 法 臘 の 早 い 者 か ら 器 量 の 有 る 者 を 三 ケ 寺 選 ん で 書 き 出 す こ と と す る ︒

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二〇九 さ ら に ︑( B) で は 江 戸 三 箇 寺 の 後 住 選 出 は ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 意 志 を 重 視 し ︑ 関 東 三 箇 寺 の 影 響 が 抑 え ら れ て い る こ と に 注 目 す る 必 要 が あ ろ う ︒ つ ま り ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 後 住 に つ い て ︑ こ れ ま で 以 上 に 江 戸 三 箇 寺 の 考 え に 任 せ る と い う こ と は ︑ 元 文 五 年 以 降 ︑ 関 東 三 箇 寺 に と っ て 江 戸 三 箇 寺 の 重 要 性 が 薄 れ ︑ 江 戸 三 箇 寺 と 関 東 三 箇 寺 の 結 び つ き が 薄 れ て い っ た こ と を 示 し て い る と い え る ︒ ま と め 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 に つ い て 述 べ て き た 内 容 を ま と め る と ︑ 次 の よ う に な る ︒ ① 天 正 十 九 年 ︑ 関 東 三 箇 寺 は 関 八 州 曹 洞 宗 僧 録 と し て 任 命 さ れ た の が 始 ま り で ︑ 江 戸 三 箇 寺 の う ち 総 泉 寺 と 青 松 寺 も 同 じ 年 に 御 府 内 一 宗 支 配 を 任 じ ら れ ︑ 二 个 寺 体 制 に よ る 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 支 配 が 成 立 し た ︒ つ ま り ︑ 関 東 三 箇 寺 は 御 府 内 を 除 く 関 八 州 の 曹 洞 宗 寺 院 を 支 配 す る 僧 録 と し て ︑ 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 は 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 を 支 配 す る 僧 録 的 存 在 と し て ︑ 設 立 当 初 は 支 配 管 轄 の 異 な る 二 つ の 支 配 系 統 と し て 成 立 し た ︒ そ の た め ︑ 関 東 三 箇 寺 は 江 戸 か ら 離 れ た 地 に あ っ て も 職 務 に 支 障 は な く ︑ そ の 名 残 り と し て 江 戸 時 代 を 通 じ て ︑ 関 東 三 箇 寺 と 呼 ば れ る こ と に な っ た ︒ ② 関 東 三 箇 寺 が 全 国 の 曹 洞 宗 寺 院 の 支 配 を 任 さ れ る よ う に な っ た 寛 永 六 年 以 降 ︑ 関 東 三 箇 寺 の 職 務 は 繁 多 と な り ︑ 江 戸 に 詰 め る 必 要 性 が 高 ま っ て い っ た ︒ そ の 際 ︑ 関 東 三 箇 寺 の 末 寺 で も あ っ た 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 ・ 泉 岳 寺 が 関 東 三 箇 寺 の 宿 所 と な り ︑ 本 山 ・ 寺 社 奉 行 ・ 各 地 の 僧 録 と の 結 び つ き を 強 め る こ と に な っ た ︒ こ の こ と が 江 戸 三 箇 寺 成 立 の 基 盤 と な り ︑ 徳 川 家 康 の 関 東 入 国 当 初 よ り 御 府 内 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 を 行 な っ て い た 総 泉 寺 ・ 青 松 寺 に ︑ 泉 岳 寺 を 加 え て 江 戸 三 箇 寺 体 制 が 延 宝 五 年 に 成 立 し た と 考 え ら れ る ︒ ③ 延 宝 七 年 ま で に 関 東 三 箇 寺 の 宿 寺 が 御 府 内 に 整 備 さ れ る と ︑ 宿 寺 を 通 し て 関 東 三 箇 寺 の 職 務 が 執 行 さ れ る よ う に な り ︑ 江 戸 三 箇 寺 の 地 位 が 低 下 し た ︒ か つ て は 関 東 三 箇 寺 と 並 立 的 な 地 位 で 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 支 配 を 行 な っ て い た 江 戸 三 箇 寺 は ︑ 元 禄 年 間 以 降 関 東 三 箇 寺 の 下 に 組 み 込 ま れ ︑ 御 府 内 曹 洞 宗 寺 院 支 配 を 行 な う 存 在 と な っ て い っ た の で は な い か ︒ 特 に 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 の 後 住 選 任 の 変 遷 を み る と ︑ お 互 い に 密 接 な 関 係 を 維 持 し て き た に も 関 わ ら ず ︑ 享 保 十 一 年 以 降 徐 々 に 距 離 を 置 き ︑ 関 東 三 箇 寺 と 並 列 的 な 存 在 だ っ た 江 戸 三 箇 寺 が ︑ 各 地 の 国 僧 録 と 同 様 な 立 場 と な り ︑ 関 東 三 箇 寺 の 支 配 下 に 入 っ て い っ た と 考 え ら れ る ︒ そ し て ︑ 互 い の 後 住 選 任 に 関 し て は ︑ 比 較 的 自 由 意 志 に 任 さ れ る よ う に な っ て い っ た の で あ る ︒

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「関東三箇寺」と「江戸三箇寺」の成立について(永井) 二一〇 本 稿 に お い て は ︑ 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 と の 成 立 時 期 を 中 心 に ︑ 両 者 の 関 係 な ど に つ い 考 え て き た ︒ し か し ︑ 関 東 三 箇 寺 と 江 戸 三 箇 寺 の 関 係 に つ い て は ︑ ま だ 不 明 な 点 が 多 い ︒ 今 後 ︑ 江 戸 時 代 の 曹 洞 宗 寺 院 支 配 に お い て ︑ 全 国 に 設 置 さ れ た 僧 録 と は 区 別 さ れ る 形 で 扱 わ れ て い る 江 戸 三 箇 寺 が ︑ 曹 洞 宗 寺 院 支 配 の 中 で ど の よ う な 役 割 を 果 た し た の か 検 討 す る 必 要 が あ ろ う ︒ 註 ( 1) 關 了 胤 著 ﹃ 江 戸 時 代 洞 門 政 要 ﹄( 昭 和 五 十 二 年 一 月 三 十 日 第 二 版 ︑ 東 洋 書 院 発 行 )︒ ( 2) 右 書 ︒ 二 四 頁 ︒ ( 3) 右 書 ︒ 二 五 頁 ︒ 栗 山 泰 音 著 ﹃ 總 持 寺 史 ﹄( 昭 和 十 三 年 三 月 二 十 五 日 ︑ 大 本 山 總 持 寺 発 行 ) 七 九 六 頁 ︒ ( 4) 高 良 哲 著 ﹃ 触 頭 制 度 の 研 究 ﹄( 平 成 二 十 九 年 十 一 月 二 十 日 ︑ 青 史 出 版 発 行 ) 二 一 ~ 二 四 頁 ︒ ( 5) 関 前 掲 書 ︑ 二 三 頁 ︒ ( 6) ﹃ 本 光 國 師 日 記 一 ﹄ 二 六 四 頁 ︑ 慶 長 十 七 年 七 月 十 一 日 条 (﹃ 大 日 本 仏 教 全 書   一 三 八 ﹄  昭 和 五 七 年 一 月 三 十 一 日 復 刻 一 刷   名 著 普 及 会 発 行 )︒ ( 7) ﹃ 大 中 寺 資 料 ﹄ 典 № 37「 御 由 緒 幷 起 立 書 宿 院 記 録 帳 」 な ど ︒ 以 下 ︑ 特 に 断 り の な い 資 料 に つ い て は ︑ 曹 洞 宗 文 化 財 調 査 委 員 会 に お い て 調 査 ・ 撮 影 し た も の を 閲 覧 し 使 用 し た ︒ な お ︑ 本 稿 に お い て は ︑ 旧 字 な ど は 一 部 新 字 に 改 め て 表 記 し た ︒ ( 8) ﹃ 本 光 國 師 日 記 一 ﹄ 四 一 五 ~ 四 一 六 頁 ︑ 慶 長 十 八 年 五 月 三 日 条 (﹃ 大 日 本 仏 教 全 書   一 三 八 ﹄) ま た ︑﹃ 宗 教 制 度 調 査 資 料 一 六 ﹄ 一 二 頁 ( 昭 和 二 年 十 一 月 十 五 日 ︑ 文 部 省 宗 教 局 発 行 ) に は ︑ 総 寧 寺 宛 の ほ ぼ 同 文 の 「 曹 洞 宗 法 度 」 が 載 っ て い る が ︑ こ こ に は ︑「 秀 忠   黒 印 」 と あ る ︒ ( 9) 「 曹 洞 宗 惠 倫 寺 定 」( ﹃ 宗 教 制 度 調 査 資 料   二 〇 ﹄ 一 二 二 頁 ) ( 10) 本 光 國 師 日 記 二 ﹄ 五 七 二 頁 ︑ 慶 長 十 九 年 正 月 八 日 条 (﹃ 大 日 本 仏 教 全 書   一 三 九 ﹄) ︒ ( 11) 本 光 國 師 日 記 二 ﹄ 九 二 〇 ~ 九 二 一 頁 ︑ 慶 長 廿 年 六 月 廿 八 日 条 (﹃ 大 日 本 仏 教 全 書   一 三 九 ﹄) ︒﹃ 宗 教 制 度 調 査 資 料 一 六 ﹄ 二 七 頁 に は 大 中 寺 宛 「 曹 洞 宗 法 度 」 が 載 っ て い る ︒ ( 12) 表 一 】 は ︑ 前 掲 【 史 料 一 】・ 【 史 料 二 】・ 【 史 料 三 】・ 【 史 料 五 】 よ り ま と め た も の で あ る ︒ ( 13) 国 立 国 会 図 書 館 ホ ー ム ペ ー ジ : デ ジ タ ル コ レ ク シ ョ ン ﹃ 寺 社 書 上 ﹄ 参 照 ︒ 以 下 ︑ 本 稿 に お け る ﹃ 寺 社 書 上 ﹄ は ︑ 全 て 国 会 以 図 書 館 ホ ー ム ペ ー ジ の デ ジ タ ル コ レ ク シ ョ ン の 画 像 を 参 照 し た も の で あ る ︒ ( 14) 寺 社 書 上 ﹄( 「 25   小 日 向 寺 社 書 上   壱 」 四 三 ~ 四 四 コ マ ︑ 総 寧 寺 宿 寺 )︒ ( 15) 寺 社 書 上 ﹄( 「 24   麻 布 寺 社 書 上   八 止 」 四 五 コ マ ︑ 龍 穩 寺

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