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中央学術研究所紀要 第42号 002西山茂「日本宗教の教団組織論 ―組織選型とその要因―」

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1.問題提起

 本論は、既成仏教や新宗教⑴等のキリスト教を除く日本の成立宗教、なかでも日本の 新宗教の教団組織を研究対象として独自の組織類型を示すとともに、当該教団が何故 そうした組織類型を選択するにいたったのかという類型の決定要因の追究をも試みる ものである。なお、本論の着想の基礎には、有賀喜左衞門の重層的「公と私」論⑵と、 森岡清美の日本自生え(土着)の宗教組織モデル論⑶および与力結合論があることを 付言しておきたい。  さて、一般社会であれ宗教集団であれ、組織というものは、いったい、何によって 規定されるものと考えられているのであろうか。集合行動論者のスメルサー(Smelser, N. J.)は、人間の社会的行為の構成素として価値−規範−組織(役割)−便益の4つを あげ、これらは頂→底の規定関係にあるものと位置づけている⑸。これによれば、組織 は、まず、社会で最優位を占めているとされている価値によって決定されるものとな る。いま、一般社会の価値を宗教集団の教義(信念体系)に置換すると、その組織は 最頂部の教義によって最も強く規定されるということになろう。  他方、これとは違った見方も存在する。たとえば、ブリューワー(Brewer, E. D.)の 宗教集団の構成素論を下敷きにして、教義、儀式行事、信者(の組織)、施設の4つを 宗教集団の構成素と定めて、その間の規定・被規定関係を図示した森岡清美によれば、 信者(の組織)は一方的に教義によって規定されるものではなく、信者(の組織)も また、教義を規定するものとして相互規定的に捉えられている⑹。とはいえ、ここで も、信者(の組織)に対する教義の規定性が否定されているわけではない。

― 組織類型とその決定要因 ―

西 山   茂

1.問題提起 2.下敷とした先行研究 3.教団組織型の提示 4.組織型選択の決定要因 5.教団組織型の問題点

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 次に、話を成立宗教の組織類型に限って、それに対する教義の規定性の検討に入ろ う。すると、いずれの成立宗教をみても、教義の刻印が認められない組織は存在しな いことがわかる。仏教の出家僧がつくる僧伽組織や、キリスト教の使徒継承の聖職者 組織⑺などの実態をみても、それは明らかである。  しかし、日本仏教史を紐解くと、そこには、仏教の伝統的な戒律観や僧侶・組織観 からの驚くべき「逸脱」を見出すことができる。日本仏教は、早くから肉食飲酒や妻 帯蓄髪、寺院の世襲等に寛容であったし、1872(明治5)年の肉食妻帯蓄髪勝手の太 政官令以後は、なし崩し的にこれらが公然化し、法的にも真俗境界を喪失した。  また、非僧非俗の同朋主義を説いたはずの親鸞浄土教が組織の巨大化に伴って門主 を中心としたピラミッド状の組織と堂々たる伽藍を誇るようになったとか、世界一列 みな兄弟であるという平等主義的な教祖の教えにもかかわらず、それと矛盾するかの ような本部−大教会−各級分教会−末端分教会というハイラーキカルな系統教会制⑻ を採用した天理教のような場合もある。  これらには、日本という地域的な民族文化や近世・近代という歴史的な時代文化の 刻印が大きいと思われるが、他方では、使命預言⑼的な特徴のために比較的ビリーフ (教義信仰)中心主義を維持してきた欧米のキリスト教と、近世の檀家制のもとで長い 間プラクティス(儀礼慣習)中心を余儀なくされてきた仏教その他の日本宗教との違 いも、反映しているであろう⑽  こうした東西の宗教事情の違いをふまえて、森岡清美は、「日本地生えの宗教の組織 モデルは、事実上の教えや活動とは整合的親和的であるにせよ、教団が公然と掲げる 教義によっては既定されておらず、むしろ時代によって歴史的に規定されている」⑾ 述べている。要するに、日本宗教は、自らのビリーフによってよりも、時々の一般社 会のドミナントな組織モデルの影響を受けて教団組織の類型を決めるのである。

2.下敷とした先行研究

 本論が下敷にした先行研究の第一のものは、有賀喜左衞門の重層的「公と私」論、 とりわけ、注⑵に示した「公と私−義理と人情−」論文である。この論文の初出は『現 代道徳講座』(河出書房、1955年)第3巻所載の「義理と人情−公と私−」であるか ら、『有賀喜左衞門著作集』Ⅳ(未来社、1967年)に所載されている論文と比べると、 主題と副題が正反対になっている。しかし、有賀にとっては、「公は義理であり、私は 人情であった」⑿のであるから、両者に大した差はないともいえよう。  さて、この論文のうち、本論が下敷にした箇所はどの辺りであったのであろうか。 下敷にした箇所の摘出は本論の意図に沿ったものであるが、以下に、それらを箇条書 にしてみたい。

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 ①  公への義理の観念と遂行は、個人と制度体、時代と階級・分野を問わず、日本 の民族的慣行として連綿として続いてきた。  ②  封建社会における公への義理の観念と遂行は、とくに封建社会の主従関係に集 中的に表現された。  ③  主従関係の場合、日本社会の「最上層」から「中層」を経て「最下層」にいた るまで、何層にもわたる公私一双(上位の主人に対しては従者、下位の従者に対 しては主人という二つの立場をもつ同一者)の重層構造があった⒀  ④  この重層構造において、公への義理の観念と遂行(忠)には、常に「上位優先」 という原則があった。  ⑤  にもかかわらず、(家永三郎の指摘を待つまでもなく、中世の武士の)主人や主 家への従者の義理の遂行の「究極の目的は一家・子孫の繁栄にあった」のであり、 「決して主君への奉仕自体を究極の目的とするものではなかった」⒁  ⑥  主従間には恩顧と奉公の比較的対等な「相互給付関係」がみられたが、この関 係が崩れると、主人への義理の遂行が途絶えて、主従関係も切れる可能性があっ た。  ⑦  すなわち、主人の「恩顧に信頼するだけの実利が伴わぬと(従者が)思うと」、 従者が主人に対して「寝返り」を打ったり「下剋上」に出たりして、旧来の主従 関係が消滅することもあった⒂  ⑧  直近の公への忠誠とより上位の公への忠誠とが対立した場合、たとえば、赤穂 浪士のように、従者は直近の公(赤穂藩)に忠誠を尽し、より上位の公(幕府) に逆らうこともあった。  これらのうち、本論が特に示唆を受けた点は、たとえ、「上位優先」という原則があ ったとしても、主従間で実質的な「相互給付関係」が失われるような場合には、重層 的な主従関係が途中で切れる可能性があることを有賀が指摘していることである。こ れは、同族団における本家の威信について考える際に、「系譜の本源」(喜多野精一) という観念的なことよりも「生活連関」という実質的なことを重視した、いかにも有 賀らしい指摘であるが、本論は、「中層」の公を結集軸とした新たな宗教類型ができる 可能性を示しているものとして、これに注目するものである。  次いで本論が下敷にした先行研究は、森岡清美の日本地生え(土着)の宗教組織モ デル論と与力結合論である。  森岡の組織モデル論は、まず、1981(昭和56)年に「宗教組織−現代日本における 土着宗教の組織形態−」のタイトルで『組織科学』の第15巻第1号に発表された。そ して、それを立正佼成会に当てはめたものが1989(平成元)年に出版された著書『新 宗教運動の展開過程』の終章第3節の「佼成会における組織モデルの展開」である。 両者には大きな違いがみられないが、若干の違いはある。本論は、執筆の新しい後者

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をテキストにすることにしたい。  また、森岡の与力結合論は、1962年の主著『真宗教団と「家」制度』(創文社、1962 年)の第5章「末寺関係」(241−392頁)に、中間的本末関係の廃止後であっても、政 治的に有力寺院に依存する小坊等の非主従的な組寺結合の類型として既に示されてい たが、1978年の著書『真宗教団における家の構造』(御茶の水書房)とその増補版(御 茶の水書房、2005年)の二と三では、本山の本坊と寺中の比較的平等な寺院関係の類 型として描き直され、その事例を示すものとして佛光寺教団や真宗浄興寺派のモノグ ラフが示されている。  与力結合をめぐる「平等性」に関しては、両著の同じ概念間に微妙な違いがみられ るので、本論が参考にした与力結合の概念が後者のものであることを、ここで明確に しておきたい。  では、有賀の場合と同様、以下に、本論が下敷にした森岡の日本宗教の組織モデル 論(ここでは『新宗教運動の展開過程』で紹介されているもの)と与力結合論のポイ ントをまとめてみよう。下敷きにした箇所の摘出は、例によって、本論の意図に沿っ たものであるが、以下、それらを箇条書きにしてみる。  ①  日本地生え(土着)の成立宗教の「原組織」は、教導した者とされた者の間の 個人的な「おやこ関係」(手次関係、タテ線)である。  ②  この「原組織」が制度化される際には、一定の時代社会で優位を占めていた組 織モデルを鋳型として、時々の社会のなかに独特の宗教的な組織形態を発現させ る。近世社会で優位であった組織モデルは「いえ」であったから、政治や経済の 組織も一様に「いえモデル」を採用した。宗教もまた、この「いえモデル」によ って組織化された。既成仏教教団の本末関係は、その好例である。  ③  だが、近代社会を迎えると「いえモデル」の組織形成力が衰えて「原組織」が 露出し、個人的な「おやこモデル」が出現して、新たに発展してきた宗教運動体 (教派神道等の新宗教)によって採用された。なかには、これを近世の本末関係 (永世的関係)に近いかたちで制度化する新宗教もあった。  ④  現代社会になって新たに発展した新宗教も「おやこモデル」による組織化をは かったが、やがて、短時日のうちに大規模化した新宗教教団を中心として、新た に「なかま−官僚制連結モデル」を採用する新宗教教団が生まれた。これは、信 者間の平等関係の実現と事務管理や情報伝達の利便性向上(合理化)を同時にね らったものと考えられる。  ⑤  以上を要約すると、「近世に組織化をなしとげた宗教にはいえモデル、近代のそ れはおやこモデル、現代のそれにはなかま−官僚制連結モデル」⒃が、それぞれ、 採用された、ということになる。  ⑥  組寺類型のひとつとしての与力結合とは、たとえば、中間的本末関係の廃止後、

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生存のために小さな下寺が有力な上寺に政治的に依存するような、主従結合でも 組結合でもない寺院結合のことである(『真宗教団と「家」制度』第5章)。この 場合の与力結合は、主従結合(本末関係)の亜型とみられる。  ⑦  もうひとつの与力結合には、本山の本坊と寺中の比較的平等な関係としての与 力結合がある。寺中は本山を頂いているが、そこには寺中が本山の経費の「持ち 合い」や収益の分配に関わるなどの本坊との平等性がみられる(『真宗教団におけ る家の構造』および同増補版の二、三)。この場合の本山の本坊と寺中の間の与力 結合は、主従結合の亜型とも組結合の亜型ともみられる。  本論は、以上に示した森岡の日本宗教の組織モデル論を下敷にして、その発展を試 みようとするものである。  それでは、次に、以上のような先行研究をふまえて、本論独自の教団組織型を提示 してみたい。組織型の立て方やネーミングのなかに、本論の独自性や工夫の跡を読み 取って頂ければ幸いである。

3.教団組織型の提示

 本論の教団組織論は、まず、有賀の重層的な「公と私」論に注目する。そこでは、 主従間の「相互給付関係」のほころびを機縁として主従関係が切れる可能性について 触れられていたが、これは、教団における「中層」の公(上層の手次幹部)が「最上 層」の公(教祖・開祖とその後継者)との主従関係を断つかそれを無力化して、非主 従的な「中層」連合による新たな宗教類型ができる可能性を示唆している。この非主 従的な「中層」連合という着想は、森岡のいう本山の本坊と寺中の与力結合(上記の 箇条書の⑦)と連動して、本論の教団組織型を立てる際に重要な意味をもつにいたる。  また、本論は、以後、教えの本源にいる「最上層」の公のことを元親(もとおや)、 「中層」の公より風下にある組織や信者に教えの手次をする元親直下の「中層」の公の ことを中親(なかおや)といい、この元親と中親の結合の違いによって新たな教団組 織型を構想しようとするものでもある。  ところで、本論の教団組織論は、森岡のいう以下の大原則を認めるところから出発 する。繰り返しになるが、ここで森岡の組織モデル論を再確認するとすれば、森岡は、 日本地生え(土着)の成立宗教の「原組織」は教導した者とされた者の間に生まれる 個人的な「おやこ関係」であるが、この「原組織」は時々の社会で優位を占めていた 時代社会の組織モデルを鋳型として、歴史社会のなかに独特の宗教的な組織形態を発 現させるものとされている。その上で、森岡は、近世に発現した教団の組織モデルを 「いえモデル」、近代のそれを「おやこモデル」、現代のそれを「なかま−官僚制連結モ デル」であるとしている。

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 だが、森岡の組織モデルを慎重に検討すると、これでは一つの時代に一つのモデル しか存在しないような誤解を与えかねないことがわかる。森岡は、川島武宣の説を受 けて、近世(前近代)における武士の「いえモデル」と庶民の「おやこモデル」の同 時的並存を認めている⒄から、当然、他の時代においても、複数のモデルの同時的並存 があってもいいのではあるまいか。  また、森岡によると、近代の組織モデルは個人的な「おやこモデル」であり、これ が近世の「いえモデル」(本論で後述する系統型)と基本的に違うところは、「本末は いえの原理に貫かれているが、親子はそうでない」⒅ところにあるという。  しかし、日本の近代に制定された旧民法には儒教的な家制度を採用してこれを庶民 に徹底させた側面があったし、天理教等の近代の新宗教も、この史潮の影響のもとに、 本末制に近い系統制を採用しているので、個人的な「おやこモデル」が近代にドミナ ントな組織モデルであったかどうかについては疑わしいものがある。  本論は、少なくとも、近代の途中までは、「いえモデル」(本論でいう系統型)が有 効であったのではないかと考えたい。なお、本論は、個人主義的な教団組織型(たと えば本論で後述する仲間型)の一般化は、現代の到来を待つべきではないかと考える。  したがって、本論では「おやこ」の用語の適用は「原組織」の「おやこ関係」に限 り、一般社会で優位を占めていた組織モデルを鋳型として時々の時代社会のなかに発 現する教団組織型は、この個人的な「原組織」がもとになって制度化されたものとし て考えたい。したがって、ここでは、「おやこ関係」(原組織)という用語は使っても、 「おやこモデル」とか「おやこ型」という表現は採用しない。  森岡の組織モデルのもうひとつの問題点は、モデルのネーミングにあるといえよう。  第一に、近世の「いえモデル」については、単純に「いえ」といってしまうと、水 平的な組結合まで含んだいえ一般を指す概念になってしまうのではないだろうかとい う疑問が生まれる。  第二に、森岡のいう近代の「おやこモデル」のなかには「この関係を本末と呼んで 永世の関係に擬する教団」⒆も含まれているが、こうした本末に近い組織までをも含め て、これに個人関係を意味する「おやこモデル」という用語を当てはめることには、 かなり、無理があるのではあるまいか。  第三に、現代の「なかま−官僚制連結モデル」についていえば、本来、教権や官僚 統制を嫌う平等主義的な特徴をもった「なかま」の組織を官僚制とワンセットにして これを論ずるのは適切であるとはいえないのではなかろうか。これらをワンセットに してしまうことによって、「なかま」という言葉も「官僚制」という用語も、ともに貧 しいものになってしまうのではないだろうか。本論は、この両者を分離して、「なか ま」には仲間型の組織型を、「官僚制」には一元型の組織型をそれぞれ設けて、両者の 特性をともに活かすように工夫したつもりである。

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 本論は、原組織としての個人的な「おやこ関係」が制度化を遂げる段階になると、 4つの組織型に結晶化すると考える。以下に、4つの組織型を紹介する。 a.系統型  これは、元親が中親の取次を経て底辺の信者にいたる重層的で世代を超えた主従の 組織型のことで、典型的には近世における本末の寺院関係や、近代における天理教の 系統教会制等のことである。これは、近世までの日本の組織の一般型であったもので、 有賀のいう重層的な「公と私」の主従関係や森岡のいう「いえモデル」に相当し、近 世や近代の途中までは、黙っていればこの型に落ち着くほどの自然型であった。  しかし、この系統型は、有賀のいう恩顧と奉公の「相互給付関係」の在り方次第で は、元親と中親の間に常に分裂の危機を孕んでいる。両者が対立した場合、中親の風 下の組織や信者は、教えの根源にいる元親への信従と、直接的な接触(指導−被指導 関係)がある中親への忠誠との間で、どちらかの選択を迫られる。  本能寺の変のときの明智光秀の従者にとって、織田信長は元親で明智光秀は中親で あったが、彼らは中親である光秀への忠誠を取った。光秀の従者にとって、信長は間 接的な親で縁遠い存在であったのに対して、直接の恩顧は光秀から被ったものであっ たから、そのようにしたのではあるまいか。  宗教教団の場合、実際の分派(元親への裏切り)に際して、中親に従って分派する か否かは、中親の風下にある組織や信者の選択にかかっているが、それは元親と中親 のどちらに納得的な名分があるかということ以外に、どちらが有利な「相互給付関係」 を保証してくれるのかということにもかかっているであろう。  この系統型は、元親と中親の間の力量関係によって2つの亜型に分かれる。すなわ ち、教えの本源にいる元親に中親が心から信服随従する型と、ただ形式的に随順して いるだけという2つの型である。この2つを見極めるのは、大変、難しい。そして、 どちらの亜型が成立するかは、元親とその官僚たちが、どの程度、元親収斂的(元親 独占的)な教義と儀礼と組織(宗教様式)を確立し、それを中親たちに、どの程度、 納得させているか否かによるであろう。  系統型は、本山−中本寺−末寺、本部−大教会−各級分教会−末端分教会という重 層的で世代を超えた主従関係を基本とするが、地域ごとに教区・宗(教)務所等のヨ コの組織を設けて末端組織への元親の管理を強化するとともに、ともすれば疎遠にな りやすい地域内の系統組織間の横の連結や活動(青年や婦人の活動など)もはかって いる。 b.一元型  これは、教えの取次のための中間的な中親の組織(中本寺、大教会など)を廃止し、 元親が直接に末端組織(末寺、末端教会、支院、会館等)を把捉するような中央集権 的な組織型(近代の真宗教団や現代の創価学会・立正佼成会など)のことで、森岡の

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いう「なかま−官僚制連結モデル」に近いが「なかま」の含意は乏しい。これを可能 にさせるものは、中本寺廃止と総本山直末化等の教団一元化である。  これによって、末端の組織や信者は中間組織としての中親の権威からは解放される が、その代わり、教えの根源にいる元親の宗教的な権威とその官僚の統制に直接的に さらされることになる。元親とその官僚による独自の宗教様式の確立とその元親収斂 性(元親独占性)の程度が、教団一元化を可能にさせるか否かの鍵となる。  教えの根源にいる元親に信服随従するような系統型の亜型は、教団の中央集権化(一 元化)の機運の高まり次第では、この一元型に変わりやすい。  一元型では、地域ごとに設けられた教区・宗(教)務所が、元親の代官となって地 域内組織を官僚制的に統括する。これは、系統組織を残したままの地域に元親が外挿 した教区・宗(教)務所とは、似て非なるもの(同名異物)である。  一元型の教団組織は、1876(明治9)年の真宗4派で定めた「宗規綱領」⒇による中 本寺廃止(重層的本末関係の廃止)・本山直末化や、戦後における創価学会・立正佼成 会のタテ線廃止とそのヨコ線化等によって具体化された。  日蓮宗の場合は、1888(明治21)年に佐野前励が全末寺の身延山帰属を訴えたが実 現しなかった 。一方、1930(昭和5)年に発会式を行って法華経による在家先祖供養 を唱導した霊友会は、元親(本部)が支部長等の中親に神懸かり等を許していたので 分派を抑え難く、教団一元化が困難であった。総じて、霊友会や世界救世教のように、 中親同士の異なる宗教様式の長期的併存を余儀なくされたり、元親が中親たちに権威 の分散を許したりした場合には、教団一元化は困難になるようである。  なお、冒頭で、一元型は森岡の「仲間−官僚制連結モデル」に近いが「なかま」と いう含意はないと述べたが、その意味は、官僚制を伴う一元型の組織と強力な教権や 官僚統制を嫌う平等主義的な「なかま」(両者は水と油)とを、一緒に表現した森岡の ネーミングが適当とは思えなかったからである。それどころか、教団一元化を達成し た大規模な新宗教教団には、「なかま」の平等主義とは対極的ともいえる、元親への極 端な指導者崇拝や宗教的権威の強化(元親=生き仏論や本仏論など)さえみられる。 c.連合型  これは、象徴的・形式的に元親を戴くか、あるいは、中親のなかからの共立によっ て中親の脅威とならない元親を選ぶなどして、実質的には複数の中親たちが水平に連 合して教団中央を差配するような組織型のことで、具体的には、佛光寺教団や真宗浄 興寺派の本山の本坊と寺中の関係(与力結合)や霊友会の御旗連合、さらには、世界 救世教の三派(いづのめ・東方之光・主之光の三教団)連合 などのことである。  この連合型を系統型の亜型とみる向きもあるが、霊友会のように由緒ある教団創始 者の長男(久保継成第2代会長)を元親の地位から中親連合が実質的に「追放」した ような事例もあるので、本論では、やはり、独立の組織型のなかに数えておきたい。

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 これは、一応、元親を推戴して尊重するかたちを取っている点では系統型に近いが、 教団中央を実質的に差配する勢力バランスをみると中親たちの力のほうが圧倒的に強 いという点で、系統型とは大きく違っている。  中親が元親に形式的に随順しているだけの系統型の亜型の場合は、「相互給付関係」 が欠けていたり元親に問題があったりすると、この連合型に変わりやすい。  森岡の組織モデルにはこの型はないが、日本の有力な新宗教教団である世界救世教 や霊友会が明らかに連合型の特徴を示していることを考慮するとき、この連合型は無 視できないものであるといえよう。とくに、久保会長「追放」以後の霊友会は、2013 (平成25)年4月の末吉将祠の第5代の会長就任で、御旗支部連合による教団運営が制 度化しつつあるものとして注目される 。  考えてみれば、中親たちが象徴的・形式的に首長(おかみ)を共立することは日本 では邪馬台国の卑弥呼以来の長い歴史(天皇制の歴史)をもっているから、この連合 型の設定には、充分、理由のあることではないだろうか。 d.仲間型  これは、タテの組織的な関係性がない、個人のフラットなネットワークを尊重する ような今日的な組織型(誌友会を基軸にした新宗教やキリスト教無教会派、スピリチ ュアリティなど)のことで、厳密には教団組織の型とはいえないようなものである。  この組織型も森岡の組織モデルにはないが、若者を中心とした近年の日本の意識と ライフスタイルの個人化傾向のなかでは、官僚制と一緒にした「なかま−官僚制連結 モデル」の一部として「なかま」を取り扱うのではなく、本論の「仲間型」のように、 この型への独立した配慮が必要であろう。事実、非教団的で個人主義的なスピリチュ アリティへの社会的関心の高まりは、マスコミだけでなく、宗教研究者をも巻き込ん だ社会現象にまでなっている。  一元型の教権支配や官僚統制を嫌う「なかま」という平等主義的な用語は、森岡の いう「なかま−官僚制連結モデル」で使用するよりも、この型の名称として使うこと のほうがより適合的であるといえよう。  他方で、この型には、その個人主義的・平等主義的な性格のために、教団存続に必 要な最低限の組織化や制度化すら敢えて否む傾向がある。それ故、このネットワーク は、一時的なきらいがあり、組織の不安定性は免れえない。したがって、これを新し い教団型として数えたほうがいいかどうかについては、慎重な見極めが必要であろう。

4.組織型選択の決定要因

 日本宗教が制度化する過程で上記のうちのどのような組織型を選ぶのかについて は、宗教的・社会的および歴史的な規定要因を慎重に分析しなければならないが、現

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時点で、本論は、それらについて、次のように考えている。 a.時代的要因  第一に、時代的要因があげられる。森岡は近世と近代に違った組織モデルを立てた が、これに対して本論は主従的な「いえ」の重視は近世と近代の途中までの共通の社 会的クライメイトではなかったかと考える。そのうえで、本論は、近世の宗教では森 岡のいう「いえモデル」、言い換えれば西山のいう系統型が採用され、他方、近現代の 宗教では中央集権的な国民国家の出現と官僚制組織の発達のもとで、西山のいう一元 型が採用され、そして、今日の教団では西山のいう連合型や仲間型のような平等主義 的なモデルが選ばれる傾向があるのではないかと考える。  このうち、仲間型は、主従関係や官僚支配を嫌う著しく個人主義的な性格を帯びて いる点で他の3つの型と異なるため、教団組織型のひとつに数えるべきでないという 意見もある。しかし、だからこそ、仲間型は優れて現代的なのであり、独立した類型 のひとつに加えるべきであるという違う見方もある。ただし、これと前三者の性格の 違いにも、当然、配慮すべきであろう。  なお、近代天皇制下における強い宗教統制が日本宗教とりわけ日本新宗教の教団組 織選択に与えたインパクトには、計り知れないものがあった 。 b.宗教様式的要因  教団は他と区別された独自の教義・儀礼・組織の宗教様式をもちあう集団であって、 この宗教様式の創始者や大成者を宗(教)祖・開祖もしくは派祖、中興の祖などとい う。また、この宗教様式が制度化されたとき、元親を中心とした一宗一派や新宗教教 団がつくられ、その宗教様式が手次の中親を通して末端までタテに伝えられ、ヨコに 広まっていく。これは、教団のきわめて自然な流れである。  だが、この宗教様式が未確立であったり元親収斂的(元親独占的)でなかったりす ると、一元型やそれに近い系統型の亜型の教団づくりは難しい。世界救世教や霊友会 等がその良い例である。  逆言すれば、こうした宗教様式の中核の元親独占をいかにキープするかという工夫 が、一元型やそれに近い系統型の亜型にとっては重要な課題になるということであろ う。その場合には、たとえば、「元親を離れて救いなし」という何らかのかたちでの元 親の神秘化装置が必要になろう。  本願寺教団の元親(門主)が親鸞の子孫で、代々、親鸞の本廟を守ってきた留守職 であり、それ故、元親は本願寺教団の聖なる中心であるとか、本願寺祖師堂の御影(親 鸞像)には親鸞の骨粉を混ぜた顔料を塗ってあるとかいう伝承は、元親を中心とした 本願寺教団の制度カリスマを確立させることに大いに役立つ。  日蓮正宗の「独一本門」という唯一正統教義と、大石寺にある「本門戒壇の大本尊」 (板本尊)、および、大石寺法主の「唯受一人血脈相承」という伝承も、「大石寺を離れ

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て救いなし」という神話を生み出し、これが門流の分派防止に役立っている 。  天理教の「ぢば」(本部)が人類「やどしこみ」(創造)の聖地であって、そこに「よ ふきぐらし」の世(ユートピア)が到来する暁に「甘露台」(場所カリスマ)が建つと いう「元の理」や、死後も教祖が本部教祖殿に「生き通し」のまま信者の守護にあた っているという「教祖存命の理」、あるいは、教祖の血筋の「真柱」を天理教教団の元 親とする制度(血統カリスマ)も、天理教教団の分派防止に役立っている 。 c.指導者資質的要因  元親や中親が人格カリスマ的な指導者性と教団の管理運営的な指導者性の双方また はどちらかに優れている場合には、元親と中親の宗教的な権威が強化されて、教団の 統合または分裂のどちらかの促進要因になる。彼らのカリスマの力は、宗教様式の独 占と維持にも、更新と創設にも寄与しうる「諸刃の剣」なのである。  日蓮正宗内の中親(法華講総講頭)だった創価学会の池田大作名誉会長が1991(平 成3)年に日蓮正宗から破門された後、彼はあらたに SGI(創価学会インターナショ ナル)の会長、創価学会の実質的な中心者として、すなわち、創価学会の元親として、 日蓮正宗と決別した在家主義的な新生・創価学会の新しい宗教様式(法主血脈否定、 日蓮直結、会館寺院、独自本尊、塔婆戒名否定、友人葬等)を編み出した 。  これに対して、立正佼成会の開祖の庭野日敬は、1956(昭和31)年の「読売事件」 を常不軽菩薩の「但行礼拝」(杖木瓦石を加える四衆に合掌礼拝した常不行菩薩の深敬 行)によって克服して、1958(昭和33)年に「真実顕現」を行い、立正佼成会の独自 の宗教様式を確立した 。  池田は戦いに「勝つ」名人であり、庭野は周囲に「調和」をもたらす名手であった といえるが、両者とも指導者資質に恵まれた人物であったことには変わりない。 d.教団発達的要因  本論は、他の条件が同じならば、短時日の間に一挙に発展した場合と長期間にゆっ くりと発展した場合とでは組織型の選択が異なるほか、組織型の転換の幅も制約され ると考える。そのポイントは、宗教運動が発展する時間と発展の仕方である。  すなわち、戦後に大規模教団化した創価学会や立正佼成会等は短期発展型であった のでタテ線組織が定着する前に一元型の教団形成に成功したが、世界救世教の場合は 時間をかけてタテ線組織(原組織のおやこ関係)が定着した長期養成型だったために、 結局、一元型の教団形成に成功しなかった。  しかし、仏教感化救済会から出発して戦後に日蓮宗の内棲宗教になった法音寺教団 のような中規模教団も一元型を達成しているので、教団の規模は教団一元化とあまり 関係がないのかも知れない 。  上記のことから、短期発展型は一元化に成功する可能性が高いが、長期養成型の場 合は、中親の既得権益が障害となって、一元化が難しいということがいえよう。

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 宗教教団が教団発達の過程で遭遇する様々な出来事(外部社会からの統制や他宗教 との対立など)も、教団組織の選択に影響する。たとえば、「読売事件」と創価学会の 攻撃は、立正佼成会の教団一元化の歩みを加速した。  なお、これらの「事件」は、新宗教教団の誕生−発展−成熟−衰滅という教団発達 的なイベントと、教団を取り巻く時代社会のイベントの交点で起こるものである。し たがって、これを捉えるためには、教団の歩みを時代社会のなかに置き、教団現象を 常に外部社会との関連で複眼的にみる「教団ライフコース論的アプローチ」が要求さ れるであろう。

5.教団組織型の問題点

 本論では、有賀の重層的な「公と私」(主従関係)論を下敷にして、教団における 「最上層」の公を元親、それを末端信者に取次ぐ元親直下の「中層」の公を中親と規定 した上で、両者の結合関係の違いに着目して4つの独自の教団組織型を構想した。冒 頭で述べたように、本論が具体的な教団組織型を考えるに際しては、森岡の組織モデ ル論と与力結合論を下敷にした。また、本論は、組織型選択の規定要因として4つの 要因をあげたが、ここでは、これらの要約はしない。  本論の提起した組織型の抱えている問題点は、以下の通りである。  ①  系統型の問題点は、近世と近代においてはともかく、現代においては、その「封 建的」(歴史学的概念と非難言葉の双方の意味)な性格の故に、当事者と周囲の積 極的な支持を得られないところにある。明治期になると、真宗教団等が逸早く一 元型に移行したが、天理教などは、この時期になってもまだ系統型を選んだ。こ の型が、たとえ、天理教の「親子の理」によって教義的に支えられているとして も、その「封建性」と非利便性は覆いがたく、しかも、今日、天理教等が他の型 に移行しようとしても、この型の固い殻に阻まれてそれが困難になっている。今 日は、もはや、教団が同族や家に似せて組織型を選ぶ時代ではないのではあるま いか。  ②  一元型の問題点は、どこにあるのであろうか。この型は、一見すると、現代に 適合的であるかのようにみえる。たしかに、一元型は利便性の高い合理的な官僚 制組織であるので、大規模な既成仏教教団や一定の発展をみた新宗教教団にとっ ては魅力的な組織なのであろう。だが、一般社会で、「冷たさ」等の官僚制組織の 非人間性が指摘されてから久しい。加えて、宗教集団の組織というものは、他の 組織と違って、ただ便利で合理的であればそれでいいというものではない。宗教 集団にとっては、情緒的・感情的な側面も無視できない側面としてあるに違いな い。妙智會等の新宗教教団は、完全なヨコ線化(一元化)を敢えてせずに、導き

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の親子間にある血の通った人格関係を尊重して、タテ線を残した組織運営を行っ ている。これも、一元型の問題点を補うひとつの方法であろう。  ③  連合型は、「相互給付関係」の不具合等の何らかの理由で、教団一元化に失敗し たり、元親と中親が対立したりした結果、やむなく選択された型で、当初から目 指されたものではなかった場合が多い。しかし、系統型の主従関係も一元型の官 僚支配もともに嫌う傾向のある現代社会において、この連合型を支持する教団関 係者は意外と多い。では、連合型の問題点は、どこにあるのであろうか。それは、 この型の中親以下の組織が非連合型(その多くは系統型)に止まっているところ にある。真宗の寺中連合の場合も、霊友会の御旗連合の場合も、そして、世界救 世教の三派連合の場合も、平等主義的な連合は中親止まりで、それ以下の組織は 昔からの主従的な系統型であるという共通の特徴を持っている。上下を貫く「筋 の通った」平等主義的な連合型の模索が待たれるところである。  ④  仲間型の問題点は何であろうか。系統型や一元型または連合型までは教団の制 度的な組織型であるといえても、仲間型は主従関係や官僚支配を嫌う個人主義的 なネットワークであるから、これを他の型と並べて教団組織型に数えていいかど うかという問題がある。このことは、緩やかな師弟結合から成るキリスト教の無 教会派や当今流行っているスピリチュアリティの集団にもあてはまるが、雑誌や 単行本の読者を組織化して中規模教団にまで発展している新宗教や新新宗教もこ れらと同じ仲間型なのかと問われると、「それはグレーゾーンにある」としかいえ なくなる。とはいえ、脱制度化と個人化・私化の現象の著しい現代の宗教状況の なかで、この仲間型の可能性には留意しておく必要があろう。  以上で4つの教団組織型の孕んでいる問題の箇条書的な指摘を終えるが、教団組織 の問題を突き詰めると、教団とはいったい何かという宗教社会学の根本問題にまで行 き着くことがわかる。一般に、教団というものは、教義・儀礼・組織という同じ宗教 様式を持ち合い、それを内外に伝えていくものであるという暗黙の前提に立っている。  だが、現実の教団をよく見ると、内部に宗教様式を異にする様々なグループがあり、 教団は性格の違う宗教集団の複合体であって、必ずしも同一の宗教様式を持ち合うも のではないことが分かる。むしろ、現実には、同一の宗教様式を持ち合っている教団 のほうが少ないかも知れない。  真言密教系の諸派が雑多な祈祷集団を内部に抱えているということはよく知られて いることだが、「一致派」であったはずの日蓮宗が、戦時中に「勝劣派」の日什門流 (顕本法華宗)や富士派の一部(本門宗)と合流したため、今日では多様な門流の複合 体としての日蓮宗になったことは、あまりよく知られていない。また、これとは違っ て、宗内にありながら独自の宗教様式を持つ内棲宗教を抱えていた(いる)日蓮宗八 品派や日蓮正宗のような宗団も、既成仏教教団のなかには沢山あった(ある)。

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 新宗教教団の場合には、比較的、同一の宗教様式を持ち合っている教団が多いとい えるが、それでも、現在の世界救世教のように、一部の宗教様式を異にする三派で元 親を推戴している教団もある。  本稿は、このように難しい日本の成立宗教の教団組織論にあえて取り組んだもので ある。そのため、本論が下敷とした有賀や森岡の先行研究の正確な理解にも、また、 本論自身の考察にも、多くの不十分性があるに違いない。諸兄姉の忌憚のないご叱正 を仰ぐものである。 【付記】  本論は、2012年の5月6日に、立教大学のマキムホールで開催された、今はなき東 京教育大学社会学教室の昔の大学院関係者の会(東教大社会学の会)で研究発表した 際のレジュメに加筆・修正して完成させたものです。当日は、森岡清美先生をはじめ、 貴重なコメントをくださった皆さまに感謝いたします。 注 ⑴  私見によれば、新宗教とは、「既存の宗教様式とは相対的に区別された新たな宗教 様式の樹立と普及によって、人間と社会の矛盾を解決または補償しようとする、一 九世紀なかば以降に世界各地で台頭してきた民衆主体の非制度的な成立宗教」であ るが、このうちの日本の新宗教は幕末維新期以降に台頭してきた日本の新しい宗教 潮流のことをいう。詳しくは、以下の拙稿を参照されたい。「新宗教とは何か」(『フ ィロス東洋』第9号、東洋大学、1993年11月、31−32頁)、「新宗教の特徴と類型」 (東洋大学白山社会学会編『日本社会論の再検討』、未来社、1995年、147−168頁)。 ⑵  有賀喜左衞門「公と私−義理と人情−」(『有賀喜左衞門著作集』Ⅳ、1967年、未 来社、187−277頁)、初出は「義理と人情−公と私−」(古川哲史ほか編『現代道徳 講座』第3巻、河出書房、1955年、104−131頁。 ⑶  森岡清美『新宗教運動の展開過程−教団ライフサイクル論の視点から−』(1989 年、創文社)の終章第3節「佼成会における組織モデルの展開」(309−318頁)、お よび、同「宗教組織−現代日本における土着宗教の組織形態−」、組織学会編『組織 科学』15 1(丸善、1981年、19−27頁)所収を参照のこと。 ⑷  与力結合とは、主従結合でも組結合でもない真宗教団の組寺結合の類型として森 岡清美によって立てられた概念で、政治的には一応上寺(本寺・本坊)に従属する が経済面では独立した立場から水平的に上寺の運営にかかわる第三の寺院結合類型 のこと。与力結合は、寺中が「一山共和制」(真宗浄興寺派)や「持ち合い」(佛光 寺教団)によって本山を水平的に連合して運営する新たな組織類型を産み出す可能 性を秘めている概念でもあるが、森岡が最初にこれを構想した段階では、あくまで

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も第三の組寺結合のなかの一類型でしかなく、本山の運営に対する寺中の平等主義 的な関与というところまでの概念の拡張はなかった。この概念については、まず、 森岡清美『真宗教団と「家」制度』(創文社、1962年)の第5章「末寺関係」(241− 392頁)を、次いで、同『真宗教団における家の構造・増補版』(御茶の水書房、2005 年)の二(39−75頁)、三(77−116頁)を参照のこと。

⑸  SMELSER, N. J., Theory of Collective Behaviour, Macmillan, 1963/(邦訳)ニイル・J. スメルサー『集合行動の理論』(会田彰・木原孝訳、誠信書房、1973年)を参照のこ と。 ⑹  森岡清美「宗教集団」(小口偉一・堀一郎監訳『宗教学辞典』、東京大学出版会、 1973年)、305−310頁を参照のこと。 ⑺  ローマ・カトリック教会や東方正教会、英国教会(聖公会)、スウェーデンのルー テル教会などは、祭司権をもつものは使徒たちとその後継者から按手により聖別さ れた主教(司教)・司祭・執事(助祭)の三聖職位に限るという教義をもっている。 なお、これを組織内にもっていると称する教会を使徒継承または使徒伝承(apostolic succession)の教会という。詳しくは、竹内寛「使徒伝承」(日本基督教協議会文書 事業部他編『キリスト教大事典』、教文館、1963年、486頁)を参照されたい。 ⑻  天理教の系統教会制は、最寄主義のブロック制に切り替える前の創価学会や立正 佼成会にみられた導きのオヤコよりなるタテ線の組織が世代を超えて制度化された もので、「オヤコの理」という同教の教義によってオーソライズされている。オヤコ の情愛で結ばれているという利点がある一方、オヤとコ、コとコが最寄主義を無視 して遠く離れて住む場合があるので連絡が不便であるという欠点もある。天理教で は、系統教会制を海外の組織にまで適用して、本部への「おぢば帰り」(団参)など も系統教会ごとに行っている。天理教が系統教会制を海外の組織にまで適用してい ることの功罪については、拙稿「系統教会制の教団組織論」(『韓・日宗教研究 国 際学術SYMPOSIUMⅠ(天理教編)共同Theme『21世紀における韓日関係と宗教文 化(予稿集)』、〔韓国学術振興財団基礎科学育成人文社会分野支援事業〕韓日宗教の 相互受容実体に関する調査 Project Team、2004年7月、29−31頁)を参照されたい。 ⑼  使命預言は、M. ウエーバー(Weber, Max)の預言の二類型のひとつである。釈迦 等にみられる垂範予言(模範預言)に対するイエスやマホメットの預言等に名づけ たもの。使命預言(倫理予言)の特徴は、預言者を神の意志を告知する道具とみて、 彼らが民衆に神の命令に従うように迫るところにある。これに対して、垂範預言は、 預言者が模範となって救済への道を示すのみで、積極的に民衆に倫理革新を訴えよ うとしないところに特徴がある。こうした預言の特徴の違いが、一方に「倫理的合 理化」(西洋)を、そして、他方には「呪術の園」(東洋)を、それぞれ、もたらし たとウエーバーはいう。大塚久雄の表現を借りるとすれば、使命預言は民衆に「顔」

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を向けて「はげしく悔い改めを迫」るが、垂範予言の場合は預言者が民衆に「背中」 を向けて垂範するにとどまるという違いが両者にはある、ということになる。この ことについては、大塚久雄『社会科学の方法』(岩波書店、1966年)、182頁を参照さ れたい。また、より詳しくは、小笠原真「使命預言/垂範予言」(森岡清美・塩原 勉・本間康編『新社会学辞典』、有斐閣、1993年)、590頁を参照されたい。 ⑽  ビリーフ中心/プラクティス中心の対概念については、磯前順一『近代の宗教言 説とその系譜−宗教・国家・神道』(岩波書店、2003年)35−36頁を参照されたい。 ⑾ 森岡清美『新宗教運動の展開過程』、前掲書、312頁。 ⑿ 有賀喜左衞門、前掲書、231頁。 ⒀ 同前、231頁を参照のこと。 ⒁ 同前、261頁。 ⒂ 同前、259頁および267頁を参照のこと。 ⒃ 森岡清美、『新宗教運動の展開過程』、前掲書、312頁。 ⒄ 同前、320頁を参照のこと。 ⒅ 同前、315頁。 ⒆ 同前、315頁。 ⒇  この時期の真宗4派の「宗規綱領」とそれをめぐる真宗各派の騒動については、 森岡清美『真宗教団と「家」制度』(前掲書)、347−368頁、同『真宗教団における 家の構造』(前掲書)、77−116頁、同増補版(前掲書)、241−292頁、赤松俊秀・笠 原一男編『真宗史概説』(平楽寺書店、1963年)第12章、471−474頁、千葉乗隆『真 宗教団の組織と制度』(同朋舎、1978年)264−311頁、柏原祐泉『日本仏教史・近 代』(吉川弘文館、1990年)52頁などを参照のこと。  戸頃重基『近代社会と日蓮主義』(評論社、1972年)72頁。  世界救世教の3派による連合教団化の過程と現状およびその背景については、隈 元正樹『療術系新宗教の教団組織論的研究−イエモト推戴的連合教団・世界救世教 の形成過程−』(2013年度東洋大学社会学博士学位論文、出版助成申請中)を参照さ れたい。  霊友会機関誌『あした』、2013年5月号、5頁、および、同、2013年6月号、21頁 を参照のこと。御旗支部とは、法華経28品の番号に因んだ番号のついた支部旗を初 代会長から貰った由緒ある大規模な支部のこと。必ずしも法華経の品数だけあると は限らず、なかには分派して欠番になっている御旗支部もある。なお、霊友会が御 旗支部連合になってからの歴代の会長は、第3代の浜口八重と第4代の大形市太郎、 それに、第5代の末吉将祠の3人である。  近代天皇制の歴史的な制約下において教団の組織化を進めざるをえなかった新宗 教教団の危機的状況については、拙稿「新宗教における教団危機の克服方法」(『中

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央学術研究所紀要』第41号、2012年11月、18−34頁)を参照のこと。  日蓮正宗の教義等については、宗旨建立750年慶祝記念出版委員会編『日蓮正宗入 門』(大日蓮出版、2012年)、および、日蓮正宗宗務院編『日蓮正宗要義』(日蓮正宗 宗務院、1978年)を参照のこと。  天理教の教義等については、西山輝夫『天理教入門』(善本社、1988年4月)、お よび、松本滋『天理教の信仰と思想1(人間の元なるもの)」(天理教道友社、1983 年4月)、同「天理教の信仰と思想2(これからの人間の生き方)」(天理教道友社、 1983年7月)、同『天理教の信仰と思想3(陽気ぐらしへの道)』(天理教道友社、 1983年10月)を参照のこと。  日蓮正宗と決別してからの創価学会の変貌については、拙稿「変貌する創価学会 の今昔」(月刊誌『世界』、岩波書店、2004年6月号、170−181頁)を参照のこと。  立正佼成会の「真実顕現」等の教団合理化過程については、まず、森岡の『新宗 教運動の展開過程』(前掲書)を参照のこと。そのうえで、拙稿「現世利益から超常 体験へ−戦後新宗教の変容過程」(『平和と宗教』第14号、庭野平和財団、1995年, 78−89頁)等も参照されたい。  仏教感化救済会始祖の杉山辰子と法音寺開山の鈴木修学については、拙稿「杉山 辰子とその教団−法華系新宗教の『失われた環』の発見−」(西山茂/小野文珖/清 水海隆『大乗山法音寺の信仰と福祉』、仏教タイムス社、2011年、9−53頁)と、同 「鈴木修学とその教団−内棲型『実行の宗教』の軌跡」(西山茂/秦安雄/宇治谷義 雄『福祉を築く−鈴木修学の信仰と福祉−』、中央法規、2005年、5−56頁)を参照 のこと。法華系新宗教であった仏教感化救済会は、戦後、日蓮宗に帰属して再出発 したが、その組織の形態は一般の日蓮宗とあまり異ならなかった。法音寺が末寺の 支院化(直末化)をはかって教団組織の一元化を達成したのは同寺二代山首の鈴木 宗音(修学の長男)の時であった。当時の法音寺の組織規模は、立正佼成会や創価 学会がタテ線組織のブロック化をはかったときと比べるとかなり小さかった。  教団ライフコース論的アプローチについては、たとえば、拙稿「運動展開のパター ン」(井上順孝ほか編『新宗教事典』、弘文堂、1990年、55−62頁)を参照されたい。

参照

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