Agreement ─ Syntax と Semantics の接点から
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タイトル(英) Aspect and Grammatical Agreement in
Mundari: Semantics Meets Syntax at Aspect (in Japanese)
著者 藤井, 文男
雑誌名 茨城大学人文社会科学部紀要. 人文コミュニケーシ
ョン学論集
号 5
ページ 51‑75
発行年 2019‑09
URL http://hdl.handle.net/10109/14321
『人文コミュニケーション学論集』 5, pp. 51-75. © 2019茨城大学人文社会科学部(人文社会科学部紀要)
─ Syntax と Semantics の接点から─ 藤井 文男
1. ムンダ語に於ける Transitivity と “Grammatical Agreement”
いわゆる「文法上の一致」現象を示す言語の中でも,英語などのように Subject Agreement に留まるタイプが多数を占める中,Object Agreement まで示す言語としてムンダ語はよく知 られる(cf. 藤井 2014)。
一種の統辞現象である「文法的一致」を示す多くの言語がそうであるように,ムンダ語で も agreement のマーカーは基本的に文中の動詞定形に接辞の形で付加され,主語との一致を 示す接辞は語末に,1) そして目的語と一致する接辞は動詞語幹に続き,法のマーカーの直前 に位置する形で語中に現われる。
ムンダ語に於いて,「文法上の一致」を誘発するのは主語もしくは目的語として機能する 名詞表現の意味的属性としての animacy であり,これが [+ animate] を示す時に動詞定形は 当該名詞表現の「人称」と「数」に従った接辞をとる:
(1) a. Amag minyad kitab naqa eskul -re tain tan -a -φ.
b. Amag bariya kitab naqa eskul -re tain tan -a -φ.
your one/two book now school -loc be:kept prs -ind -agr/sbj c. Mangra naqa eskul -re tain tan -a -e.
d. Mangra har Somri naqa eskul -re tain tan -a -kin.
Mangra and Somri now school -loc stay prs -ind -3sg/du 要 旨
Subject Agreement に加えて Object Agreement まで 完備 したムンダ語に於いて,
ある意味で Transitivity の 発露 とも言える「文法上の一致」という統辞現象は,
一見すると文表現中で「項」と位置づけられた名詞表現の示す animacy という意味 属性を単に動詞定形の形態に反映させる機械的オペレーションとしか見えないが,
この言語体系に於いて文表現の「アスペクト」をマークする助動詞システムの機能
性を Transitivity の観点から探ることで,「アスペクト」という第一義的には Verbal
Seman tics の範疇に位置するシステムが語用論的側面に於いて Syntax に対して多大
な貢献を果たしている実態を覗い知ることができる。本研究は “Grammatical Agree-
ment” という統辞現象の示す体系的機能性に Syntax と Se mantics の接点から迫る。
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上掲したのは Subject Agreement の例で,(1a-b) のように主語を表わす名詞表現 (amag) kitab
‘(your) book[s]’ が animacy を示さないので動詞定形 tan-a “cop-ind” が接尾辞を欠くのに対
し,Mangra (人名)を主語とする (1c) では同じ定形 tan-a に「三人称単数」をマークする
接尾辞 -e が付加され,2) (1d) の Mangra har Somri ‘マングラとソムリ’のように主語が「三 人称双数」となると -kin が接辞される... といった具合だ。同様に Subject Agreement を示し つつもこの統辞現象に於いては animacy が関与しない英語による意訳はそれぞれ ‘Your one/
two book(s) is/are kept at the school now’ 及び ‘Mangra/Mangra and Somri is/are staying at the school now’ となって,その実態はムンダ語の場合とは大きく異なる。また上でも暗示した ように,接辞の付される動詞定形内の形態的位置は異なるものの,trigger が animacy である ことと接辞の形態的形状は基本的に Object Agreement の場合であっても同一である。3)
1.1. ムンダ語に於ける “Transitivity” を巡る動詞形態上の対立: Object Agreement とその“脱落” ムンダ語に於ける「文法上の一致」現象で極めて興味深いのが,文中で用いられる動詞語 彙が意味的には明らかに“他動詞”であり,文中で用いられる目的語が animacy を示して当 然ながら一致を示す構文法がとれる傍ら,特定の状況では目的語として機能する名詞表現を 指し示す接辞が動詞定形から脱落し,恰も自動詞構文のように扱われるケースが少なからず 存在する,という実態である。
藤井 (2009) で主に取り扱った問題だが,本稿が対象とするトピックとも密接に関連する ので以下簡単に紹介し,ポイントを整理しておきたい:
(2) a. Mangra naqa Somri har Budhua -ke ru lad -kin -a -e. (“Prs.Continuous”) b. Mangra naqa Somri har Budhua -ke ru tan -φ -a -e. (“Prs.Continuous”)
Mangra now Somri and Budhua -obj beat aux -3du -ind -3sg ‘Mangra is beating Somri and Budhua now.’
ここで重要なのは,意訳でも示したように,(2a) (2b) の各文で表出される,いわゆる「命題」
に違いがないことで,英語の学校文法で言うところの “Present Continuous” に相当するような,
言わば「進行相」のアスペクトで捉えられる概念である。4) 動詞定形の基盤となる語基5) はそ れぞれ lad- vs. tan- といった形態的差異を示すが,この定形によってどちらも Mangra によ る行為「殴る」が発話時に進行中である,という事態がマークされる。
動詞語彙の ru ‘to beat’ は,「殴り始め」 (“ingressive”) と「殴り終り」 (“egressive”) のフェー ズの中間は「パンチが繰り返される」 Frequentative のアスペクトで捉えるのが妥当かも知 れないが,何れにしても Eng. to begin や Eng. to finish など abruptive の動詞語彙とは違っ て Eng. to read, Eng. to eat などと同様,Aktionsart は [+ durative] と考えていい。要するに,
Mnd. ru ‘to beat’ が「進行相」と共起すること自体,意味論的には全く問題はない,という
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ことだ。では,(2a) と (2b) で何がどう違うのか?
統辞論的に見れば,動詞語彙 ru ‘to beat’ は同一なのだから,Object Agreement を示す (2a) はそうした文法的一致を欠く (2b) に対しては単に [+ agreed] がマークされているに過ぎない。
問題はだから,「文法上の一致」という“形態”で如何なる“機能”がこの文表現に付与さ れているのか,ということになる。
既に藤井 (2009) で論じているのでここで詳細に繰り返すことはしないが,インフォーマン トに拠れば agreement を示す文,例えば具体的には (2a) の発話からは「話し手は“被害者”
の Somri と Budhua に対する“同情の念”を持っている」と感じる... のに対し,agreement を欠く (2b) を使う時,「話者は主語の Mangra にしか興味を示さない」と理解する... という。
語用論的にはつまり,(2a) に於いて主語の Mangra も目的語の Somri har Budhua のどちら も文要素としての(対等の)“独立性”が担保されるのに対し,(2b) のように Object Agree- ment を欠く文表現では目的語はそうした文要素としての“独立性”は認知されず,もうひ とつの文要素である動詞表現と共に(“唯一”の)独立した要素たる主語に対する「述語」を 構成する,という位置づけになると解釈したらいいのではないか?
このことは即ち,動詞語彙としては同じ“他動詞” ru ‘to beat’ を用いながらも(敢えて言 うなら「語用論的には」)文表現全体として (2b) は Transitivity の度合が低く,対して高い
Transitivity を示す文表現 (2a) はそのことを agreement が統辞論的に担保している,という ことになるわけである。逆に言えば,他動詞語彙を用いながらも agreement の欠如は当該文 表現が語用論的に見ればある種の“自動詞構造”をとっていることを意味していて,基本的 には主語に対する陳述のみを行なう (2b) のような文表現は agreement を示す (2a) に比べて
Transitivity が低いという実態に鑑み,本稿では藤井 (2009) のこうした捉え方を “Syntactical Intransitivisation” と呼ぶこととしたい。動詞語彙には直接,(grammatical agreement を除くと)
形態的には現われない意味属性 [± transitive] の対立を Syntax が顕在化させる,という理解で ある。
1.2. Syntactic Intransivisation とアスペクト助動詞の“タイプ”
ムンダ語では,(2a-b) のような言わば「現在時制」以外でも Syntactical Intransitivisation と捉え得る agreement の“脱落現象”が観察できる。次の例は tam を標示する助動詞とし て ken-/ked- を使う「完了過去」のアスペクトを持つ他動詞構文だが:
(3) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ked -kin -a -e. (“perfective Past”) b. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -φ -a -e. (“perfective Past”) [c. *Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -kin -a -e. (“perfective Past”)]
[d. *Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ked -φ -a -e. (“perfective Past”)]
‘Mangra beat Somri and Budhua yesterday.’
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やはり ken- のように助動詞語基が -n で終るような形態の方で agreement が誘発されず,「三 人称双数」の目的語との一致を示す接辞 -kin は動詞定形に付加されない。実際,この接辞を とる ken-kin は (3c) のように非文法的となるが,逆に Transitivity が統辞的にマークされる
ked- “Prf.Past” が当該接辞を欠くと (3d) のようにやはり非文法的である。要するに,(2a) の lad- “Prs.Cnt.” も (3a) の ked- “Prf.Past” も正に agreement 接辞を受けるためにこそ存在する,
つまり transitive に特化した助動詞なのだと理解するしかない。6)
しかしながら,tam 標示の助動詞で語基が -n で終るもの全てが構文的に自動詞構造に於 いて他動詞語彙と共起するか,と言えば必ずしもそうなるわけではない:
(4) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru led -kin -a -e. (cf. 3a) b. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -φ -a -e. (cf. 3b) [c. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -kin -a -e. (cf. 4a-b, 4d)]
[d. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru led -φ -a -e. (cf. 4a-b, 4c)]
len-/led- は機能上,(3) で取り上げた ken-/ked- と同じくアスペクト的には「完了」をマー
クするが,ken- と違ってそもそも len- が他動詞語彙と共起することはない。従って,agree-
ment の接辞を伴った (4c) が非文法的となるのはもちろんのこととして,ken- であれば問題
のない (4b) も len- だとアウトなのだ。また他動詞用の led- も (3d) の ked- と同じく,言って みれば agreement 用接辞を受けるためにこそ存在し (cf. 4a),接辞を欠いた (4d) も当然,非文 法的である。要するに,len-/led- のペアは自他で職掌分担が明確であり,完了過去の ken-/
ked- のように -n の場合に動詞語彙との関係で自動詞性もしくは他動詞性が neutralisation を 起こすことはないわけだ。何がこうした差異を形作っているのか? 7)
1.3. Object Agreement に見る,ムンダ語に於ける「Transitivity の本質」とは?
この問題に取り組む前に,まずは上で示した tam 標示の助動詞の,他動詞語彙との共起 関係の実態を整理しておきたい:
(5) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -φ -a -e. (= 3b) b. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -φ -a -e. (= 4b)
c. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -kin -a -e. (= 3c; cf. 5a, 5d) d. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -kin -a -e. (= 4c; cf. 5b, 5c) e. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ked -kin -a -e. (= 3a; cf. 5a, 5f) f. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru led -kin -a -e. (= 4a; cf. 5b, 5e)
他動詞語彙を用いた構文に於いて [+ animate] を示す目的語との agreement を構成して必ず接
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辞をとるのは語基が -d に終る ked- (5e) と led- (5f) で,語基末子音が -n の ken- (5c) と len- (5d) は接辞をとれないことが判り,この言語事実だけからすると -n は自動詞構造の,そして -d は他動詞構造のマーカーと考えていいことになる。ここで問題なのはだから,何故に語基末 子音が -n の ken- が ru ‘to beat’ のような“典型的”な他動詞語彙と共起できるのか,という ことだった。8)
そもそも -n vs. -d の対立がほんとうに Transitivity に連動するものなのか? 9) 確かに,動詞 語彙として“典型的”な自動詞 senog ‘to go’ などを用いた構文では:
(6) a. Mangra hola Ranhci senog len -φ -a -e b. * Mangra hola Ranhci senog led -φ -a -e.
Mangra yest. Ranchi go prf -ind -3sg ‘Mangra went to Ranchi yesterday.’
c. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -φ -a -e. (= 3b; cf. 6b) d. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -φ -a -e. (= 4b; cf. 6a)
‘Mangra beat Somri and Budhua yesterday.’
led- と共起させると (6b) のように非文法的となることから,少なくとも len- に関しては,
専ら他動詞と共起するのが“仕様”である led- とは対極にある,自動詞に特化した“アスペ クト・マーカー”だと捉えて問題はないと思われるが,両者の関係は基本的には ken- vs. ked- と同じはずだから,互いに「完了過去」をマークする助動詞である ken- と len- では前者だ けが Syntactical Intransitivisation を誘起して他動詞語彙と共起できるという現実は,一般的 な意味での Transitivity とは異なる要因に基づく,と判断するしかないことになる:
(7) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken-φ -a -e. (= 3b, 6c; cf. 7b) b. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -φ -a -e. (= 4b, 6d; cf. 7a)
本稿ではこの差異を ken- と len- のマークする「アスペクト」の違いと解釈したい。10) この 解釈が妥当だとすると,上の (3b) で示した ken- による “Syntactical Intransitivisation” も実態 としては“統辞的”な Transitivity の問題と言うより,むしろ「アスペクト」と捉えられる
“Verbal Semantics” の範疇に属すものと解釈すべきだ,ということになる:
(8) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ked -kin -a -e. (= 3a; “transitive”) b. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -φ -a -e. (= 3b; “intransitive”)
‘Mangra beat Somri and Budhua yesterday.’
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要するに,これまでは [± transitive] をマークすると捉えられてきた,アスペクト標示に際し て典型的に用いられる助動詞に特徴的な -n vs. -d という形態上の対立も,その内実は実は「ア スペクト対立」だった,ということになるわけである。
本稿は以下,ムンダ語では Object Agreement として統辞論的に構造化されている Transi- tivity の概念を理論的に構成する“要素” (cf. Hopper/Thompson 1980) のひとつとして「ア スペクト」が意味論的に如何なる関わりを持つかを論じるための基盤構築を図ることを目的 とする。
2. “Syntactic Intransitivisation” とムンダ語に於ける二系統のアスペクト助動詞
2.1. ムンダ語に於ける Transitivity と“アスペクト”
前節では藤井 (2009) が取り上げた “Syntactic Intransitivisation” という統辞現象を基軸に,
ムンダ語の示す統辞論的 irregularity について問題を掘り起こしたわけだが,整理するとポ イントは次の二点に集約される:
(9) a. 自動詞性をマークする -n を語基に示しながら,ken- などのアスペクト助動詞は
何故に他動詞語彙と共起できるのか?
b. 例えば ken- と len- のように同じ自動詞性のマーカー -n を共有し,アスペクト的 にも「完了過去」を示すのに何故,後者は他動詞語彙と共起できないのか?
最終的には (9a) (9b) どちらも,具体的には「ken- と len- では何がどう異なるのか?」を明ら かにすることに収束していくわけだが,ムンダ語に於いてはそもそも概念的にもイマイチ明 確とは言い難い Transitivity を前提とした,-n vs. -d という形態的側面のみが強調される形で 議論が推移してきた経緯(cf. Osada 1992; 長田 2001 etc.)に鑑みて本稿では以下,前節で も暗示したように議論の軸足を Verbal Semantics に移し,具体的には (9a-b) に対してはそれ ぞれ次のような解釈を示したい:
(10) a. 他動詞を暗示する -d を示す ked- が “Perfective” をマークするのに対し,-n の方を 持つ ken- は寧ろ “Imperfect” として捉えられ,実はアスペクト的対立がある。
b. 動詞語彙が“他動詞的”であっても ken- がアスペクト的には “Imperfect” をマー クして動詞句は主語(「主題」)の置かれた状況を説明する「陳述」の内容を示す のに対し,len- の方は常に「完了過去」を示し,両者の間にはやはりアスペクト 的対立がある。
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(10a) (10b) の両方に通じることだが,Object Agreement を欠く実態が示すように,ken- 系 の助動詞は動詞語彙が意味論的に内包する“目的語”は統辞論的には「項」ではなく,自動 詞にも付属し得る単なる「補語」もしくは adjunct に過ぎない,という理解である。要するに,
ken- を助動詞に用いる構文は典型的に Topic-Comment Structure を示すわけで,「主題」をマー クする主語に対し,語彙的意味上の“目的語”も動詞語彙と共に動詞句全体が Comment を 形成して主語に対する「陳述」を為す文構造をとるわけだ。11)
このように,統辞論的な観点から言えば確かに「“項”の有無」という対立に過ぎないわ けだが,より重要なのは“語用論”的視座から見た “Topic-Comment Structure“ に於ける動 詞語彙が示す,意味論的カテゴリーとしての「アスペクト」上の位置づけである。上で取り 上げてきた ken- をアスペクト助動詞として用いる構文に於いて,動詞語彙が如何なる意味 組成を示そうが当該構文が統辞論的には Intransitive であることは藤井 (2009) 等で問題にし ただけでなく本稿でも繰り返し指摘してきたところであるが, “Topic-Comment Structure” の 統辞論的中核が「主題」に対する「陳述」を構成する動詞句,つまり述語表現の意味論的 特性が名詞的もしくは形容詞的表現となる点にあるという意味で,動詞語彙が意味論的には 典型的な他動詞表現であっても微塵も変わりない。要するに,語用論的カテゴリーである
「主題」と意味論的には名詞もしくは形容詞的な属性を示す「陳述」は統辞構造上は言わば Copula で結びつけられている,と捉えていいわけである。
こう考えると,Transitivity に関して ken- のカウンター・パートである ked- は統辞論的に も「項」と位置づけられる「目的語」を内包することから,動詞語彙は意味論的には当然な がら「主語」と「目的語」の“意味役割的関係”を描写する機能が前面に出てくる,と考え ざるを得ない。要するに,動詞語彙の意味論的位置づけはいきおい「動作」や「行為」を示 すものに限定されてくるわけで,同じ他動詞的動詞語彙を用い,純粋に意味論的には当該動 作が発話時から見て既に“過去”に位置する時点で完了しているという事態を描写している にしても, ken- で導かれる,統辞論的「自動詞構文」はアスペクト的には “Imperfect” と位 置づけられるのに対し, ked- を擁す統辞論上の「他動詞構文」の場合は,同じ動詞語彙が寧 ろ “Perfective” をマークする,と解釈するのが妥当ということになる。つまり,上では 単に Tran sitivity の対立としか捉えていなかった ken- vs. ked- は,ある種の「アスペクト対立」(「未 完了相」 vs. 「完了相」)をも内包している,と理解すべきなのだ。12)
「アスペクト的対立」はしかし,Transitivity に関しては同じ「自動詞構文」をマークする はずの len- vs. ken- のペアの方が大きいとも言える。大雑把に言えばどちらも「過去」もし くは「完了相」を示すが,len- の方は単に自動詞とのみ共起するという Transitivity に絡ん だ属性が中核にあると言うより,第一義的にはアスペクト的に(他動詞用の助動詞である
led- と同様)常に「完了過去」をマークして,ken- のように“形容詞的”に静的状態を描 写するのに特化した “Imperfect” 的解釈を許容しない点でこれと根源的に異なるからである。
こうした際を踏まえ,以下 Transitivity の概念と「アスペクト」の接点を探ることにしたい。
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2.2. ムンダ語に於ける “Transitivity” と-n/-d 対立を示すアスペクト助動詞
ムンダ語に於ける Transitivity を巡り,自動詞構文をマークするはずの -n を語幹末子音に 持ちながら他動詞語彙とも共起する “Syntactic Intransitivisation” を示すアスペクト助動詞の 雛形としてこれまで ken- (vs. ked-) を取り上げてきたが,実は第一節で触れた“現在時制”(未 完了相)の tan- (vs. lad-) に加え,「近接過去」をマークする tain- という助動詞がある。こ の形態素にはしかし,“Transitivity” で対立する *taid- という異形態はなく,“現在時制”で 進行相をマークする lad- を本動詞に付加させてこれを前置する“複合形”をとる:
(11) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru -φ tain -a -e.
b. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru -lad -kin tain -a -e.
Mangra yest. Somri and Budhua-obj beat -dur -2du/objptc -ind -3sg/sbj ‘Mangra was beating Somri and Budhua yesterday.’
(11b) は本動詞に -lad が接辞されているので「過去進行相」となるが,これを perfective に 変えるには -lad の代わりに -kad を置けば「既に完了した『殴る』という動作の結果が過去 の時点で持続していた」,つまり英語の「過去完了形」的な意味となる。13)
上でも簡単に紹介したが,ここで改めて異なる時制で “Syntactic Intransitivisation” を許容 するアスペクト助動詞をまとめて示しておきたい。先ずは「現在進行相」の tan-/lad- である:
(12) a. Mangra naqa Somri har Budhua -ke ru tan -φ -a -e. (= 2b) b. Mangra naqa Somri har Budhua -ke ru lad -kin -a -e. (= 2a)
Mangra now Somri and Budhua -obj beat aux -3du -ind -3sg ‘Mangra is beating Somri and Budhua now.’
上でも暗示したように,tad- という他動詞に特化した形態は「現在進行相」ではなく真逆 の「現在完了相」をマークし,統辞的に必ず Object Agreement を誘発する助動詞の形態は
“Syntactic Intransitivisation” を許容する tan- と語基自体が形態を異にする lad- の形となる。
次が,これまで雛形として使い続けてきた「完了過去」の ken-/ked- だ:
(13) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -φ -a -e. (= 3b) b. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ked -kin -a -e. (= 3a)
‘Mangra beat Somri and Budhua yesterday.’
(11a-b) で示した tain- との違いは,ken-/ ked- は「完了相」であり,14) tain- は基本的に「未 完了相」という点だ。この点で,ムンダ語の“過去時制”にはラテン語などと同様,いずれ
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にしても「完了過去」と「未完了過去」の対立がある,と考えていい。15)
以上が基本的に,自動詞構文をマークする -n を語幹末にとりながら語彙的には他動詞と 共起し,統辞論的に全文を自動詞的に扱うバリエーションを許容する助動詞群である。
必ずしも網羅的ではないが,次に -n/-d の対立が語彙的にもそのまま「自動詞」と「他動詞」
の対比に連動する助動詞を例示する。最初は「未来」もしくは「現在時制」に於いて,話法 的に「計画」をマークする,強いて言えば「話法の助動詞」として機能する tan-/taq- である:
(14) a. Mangra gapa Ranhci senog ta -n -a -e.
b. * Mangra gapa Ranhci senog ta -q -a -e.
c. * Mangra gapa Somri har Budhua -ke ru ta -n -a -e.
d. Mangra gapa Somri har Budhua -ke ru ta -kin -a -e.
Mangra tom. Ranchi/Somri & Budhua-obj go/beat pf -obj -ind -3sg/sbj ‘Mangra is going to Ranchi/to beat Somri and Budhua tomorrow.’
上で紹介してきた「統辞的自動詞化」を許容する助動詞の場合と違い,いわゆる自動詞形の ta-n- を ru ‘to beat’ のような他動詞語彙と共起させたり (= 14c) ,senog ‘to go’ のような自動 詞語彙を Object Agreement の接辞を代替する -q と共に用いると当然,非文法的となる。16) いわゆる「計画未来」をマークするこの助動詞は形態的に若干特殊で,Transitivity に関す る典型的な -n/-d の対立を示さない。ここではこれ以上,詳しくは立ち入らないが,語基を 締め括る子音は基本的に -q だけで,Object Agreement が誘起される場合は対応する接辞が この位置に挿入されることにより,-q は音韻的に消滅する。その意味では,“自動詞形”の
-n も -q を置き換えるような形で“挿入される”と理論的には理解され,そう考えると -n は
Eng. self のような位置づけの,機能的には「再帰代名詞」と解釈しても良いと思われる。17)
次に取り上げたいのが上でも簡単に紹介した len-/led- で,このペアはやはり典型的に -n vs. -d の対立を示す:
(15) a. Mangra hola Ranhci senog len -a -e.
b. * Mangra hola Ranhci senog led -a -e.
c. * Mangra hola Somri har Budhua -ke ru len -a -e.
d. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru led -kin -a -e.
Mangra yest. Ranchi/Somri & Budhua -obj go/beat pft -obj -ind -3sg/sbj ‘Mangra went to Ranchi/beat Somri and Budhua yesterday.’
(14c) の ta-n- “Planning Future” と同様,(15c) が如何なる場合でも文法的にならないことから,
「完了」の助動詞 len- も “Syntactic Intransitivisation” を許容しないことが判る。
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最後に挙げるのが,「結果相」をマークする kan-/kad- である。この助動詞も Transitivity に関して典型的な -n vs. -d の対立を示す:
(16) a. Mangra Ranhci senog kan -a -e.
b. * Mangra Ranhci senog kad -a -e.
c. * Mangra Somri har Budhua -ke ru kan -a -e.
d. Mangra Somri har Budhua -ke ru kad -kin -a -e.
Mangra Ranchi/Somri & Budhua-obj go/beat pft -obj -ind -3sg/sbj ‘Mangra has already gone to Ranchi/beaten Somri and Budhua.’
学校文法で言う英語の「完了時制」と同様,「結果相」をマークするムンダ語の kan-/kad- も 基本的に「動作時」を示すような,いわゆる「時の副詞」の類の時間表現を伴わない。その 意味では (16a-d) は英語で言えば「現在完了形」であって,時制的にはあくまでも「現在」
である。連動して,例えば (16) が hola ‘yesterday’ などの時の表現を伴ってもそれは「動作 時」を指示するのではなく,あくまでも Reference Point としての過去の特定時期を示すだ けで単に「時制」を「過去」に固定する役目を担うことになり,つまり英語で言う「過去完 了」にしかならないわけだ。
2.3. ムンダ語に於ける Object Agreement と “Animacy”
前節では,ムンダ語の「アスペクト助動詞」には二つの系列があることを示した: ひとつ は ken-/ked- のように「自動詞をマークする」とされる -n を語幹末に配しながらも統辞的 には典型的な他動詞語彙と共起しながら Object Agreement を欠く系列,そしてもう一方は
len-/led- のように -n を伴う“自動詞形”の形態が “Syntactic Intransitivisation” を許容しない タイプである。そのどちらもがしかし,基本的には Transitivity に関して -n/-d の対立を示す。
Transitivity に連動して対立するこれらの子音の形態的位置づけはただ,これまでの議論で もさほど明確にはなっていない(cf. Osada 1992; 長田 2001)。判断に苦しむのは,理論的に 解釈の可能性がある,1) 「-n/-d は当該助動詞の語基の一部をなし,単一形態素が子音交替を 起こしている」,あるいは 2) 「アスペクト助動詞の語基は Transitivity の対立を示す -n/-d の 直前までの形態で,交替するこの子音は“接辞”として位置づけられるべきである」のどち らなのか,という点であろう。18)
もちろんのこと,本稿の射程からは若干,外れることもあってこの問題に決着を付けよう とするものではないが,-n/-d の理論的位置づけに有機的に連動する,アスペクト助動詞の 形態的特質について簡単に触れておきたい。それは,ムンダ語ナグリ方言のアスペクト助動 詞では“自動詞形”の -n に“他動詞形”の -d が必ずしも対応しないペアが幾つか存在する ことである。その代表が “Planning Future” をマークする他動詞形の ta-q- だが,以下で取り
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上げる「完了過去」の他動詞形で,le-d- の異形態 la-q- などもそのひとつである。
典型的ではないにしても,語彙的には他動詞であれば何れにしても ta-n- や le-n- とはど ちらも共起できないが,目的語の [- animate] によって「一致」が構築できない場合,動詞定 形は如何なる形態をとるか? その時のアスペクト助動詞の「他動詞形」が ta-q- や la-q- なのだ:
(17) a. Mangra gapa bariya sim -ke kiring ta -kin -a -e. (cf. 18a) b. * Mangra gapa bariya kitab (-ke) kiring ta -kin -a -e. (cf. 18b) c. Mangra gapa bariya kitab (-ke) kiring ta -q -a -e. (cf. 18c)
Mangra tom. two chicken/book -obj buy pf -obj -ind -3sg/sbj ‘Mangra is going to buy two chickens/books tomorrow.’
(17a) が示すように,Object Agreement を誘発する ta-kin-a-e からも [+ transitive] をマークす るはずの -d が欠落しているが,これは上でも暗示したように「現在完了形」を示す,別の アスペクト助動詞 tad-kin-a-e との差異化を図るため... といった解釈も可能かも知れない。
もうひとつの,「完了過去」をマークするアスペクト助動詞 len-/led- は,Transitivity に関 して他動詞性をマークする -d が全く姿を現さない ta- “Planning Future” と違って,典型的な
「自動詞語彙」「他動詞語彙」と結びついて他動詞形では Object Agreement が誘発される場 合には -n/-d の対立が形態的にも明示されるが,目的語が animacy を欠いて Agreement が成 立しない場合,-d は音韻的に脱落して -q に置き換わる:
(18) a. Mangra hola bariya sim -ke kiring led -kin -a -e. (cf. 17a) b. * Mangra hola bariya kitab (-ke) kiring led -kin -a -e. (cf. 17b)
c. Mangra hola bariya kitab (-ke) kiring la -q -a -e. (cf. 17c; *led-a-e) Mangra yest. two chicken/book -obj buy prf -obj -ind -3sg/sbj
‘Mangra bought two chickens/books yesterday.
とは言え,これはどうやら方言差によるものに過ぎず,隣のハサダ方言では Object Agree- ment が成立しない場合でも助動詞の語幹は led- のままとなると言われ,語根母音も /e/ から /a/ へと変音することはないという (Osada 1992)。
2.4. ムンダ語に於ける “Transitivity” と動詞語彙
前節までの議論では,ムンダ語では “Object Agreement” という統辞現象に典型的に現わ れる「意味論的概念」としての Transitivity の記号論的実態を体系的に浮き彫りにすべく,
形態的にはアスペクト助動詞の語幹末尾に於いて -n/-d と交替する子音についての考察を進 めてきた。これまでのところ:
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(19) a. 自動詞性をマークする -n を語基に示しながら,ken- などのアスペクト助動詞は 何故に他動詞語彙と共起できるのか? (= 9a)
b. 例えば ken- と len- のように同じ自動詞性のマーカー -n を共有し,アスペクト的 にも「完了過去」を示すのに何故,後者は他動詞語彙と共起できないのか? (= 9b)
(19a-b) が指摘する疑念自体は解決していないし,議論の方向性もまだ (10a-b) として暗示し ただけだが:
(20) a. 他動詞を暗示する -d を示す ked- が “Perfective” をマークするのに対し,-n の方を 持つ ken- は寧ろ “Imperfect” として捉えられ,実はアスペクト的対立がある。(= 10a) b. 動詞語彙が“他動詞的”であっても ken- がアスペクト的には “imperfect” をマー
クして動詞句は主語(「主題」)の置かれた状況を説明する「陳述」の内容を示す のに対し,len- の方は常に「完了過去」を示し,両者の間にはやはりアスペクト 的対立がある。(= 10b)
ここで取り上げる表現群が総体として「アスペクト助動詞」と位置づけられ,ムンダ語に於 ける意味概念的体系であるアスペクト・システムの中核を構造化している現実に鑑みれば,
表層的には “Grammatical Agreement” という,この言語の“典型的統辞現象”の一環として しか観察されないように感じられるにしても,少なくとも「アスペクト」の概念が Transi- tivity の概念ともある意味で表裏一体の関係にあるのでは... ? と思量するだけのモティベー ションを与えてくれることだけは確かかと思われる。
以下,次節では本第二節で取り上げた幾つかの「アスペクト助動詞」の記号論的機能の詳 細を比較検討することを通し,上掲 (19a-b) で設定した問題点に対して (20a-b) が示すよう な理論的知見を構築することとしたい。ただ,この作業に正面からの取り組みを始める前に,
本節の残りの部分では,ムンダ語に於いては「アスペクト助動詞」が担うと考えられる文法 的カテゴリーとしての「アスペクト」と個々の動詞語彙の示す Aktionsart がどのように関わっ ているか,簡単に整理しておこうと思う。
と言うのも,ムンダ語に於いて統辞論的には構造上,中核的位置づけを持つ Agreement が
Transitivity の基幹部分を担うのだとすれば,「アスペクト助動詞」がそれを形態上で担保す
るのがあれほどシステマティックな -n/-d 交替であることが判明している以上,そうした「ア スペクト助動詞」を用いない構文に於いても,動詞語彙自体が何らかの代替措置を講じてい ることは想像に難くないからだ。もちろんのこと,例えば Transitivity の問題を偏に,いわ ゆる「目的語」を構文上で明示して語彙上の動詞表現自体は基本的に無標示というケースも あり得るが,ムンダ語でそれに当たるのは “Object Agreement” という統辞現象自体で,この 現象の trigger となっているのは寧ろ動詞語彙本体の方にも「アスペクト助動詞」に“共通”
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する -n/-d の交替に相当する何らかの alternation が観察されて然るべきなのではないか?
既に藤井 (2009a) でも部分的には取り上げていることだが,動詞の語彙表現に於いて Transitivity に連動している形態的対立は,個別の動詞語基に対してある種の“拡張接辞”と して機能する -oq/-eq という「母音交替」,言わば印欧語などに見られる Ablaut にも通じる「造 語メカニズム」である:
(21) a. Mangra gapa mailax -o(q) -a -e.
b. Mangra gapa maila(x) -e(q) -a -e.
Mangra tomorrow get/make:dirty -tr/intr -ind -3sg/sbj ‘Mangra will get/make dirty tomorrow.’
これらの構文は「現在時制」もしくは「未来時制」で話法的には“推量”的意味を持つこ とから典型的な「アスペクト助動詞」は用いられていない。しかしながら,英語の意訳 (cf.
Eng. to get vs. to make) が暗示するように,(21a) は言うならば「自動詞構文」で (21b) の方 は明確な「他動詞構文」である。この対立を担保するのが mailax ‘to be dirty’ という語基に 接続して形態的に対立する“派生接辞”-oq/-eq だ。
Glotal Stop で終る両接辞は Indicadive Marker -a の前でほとんど無音となって Mnd. /mai- lax-oae/ と発音するネイティブ・スピーカーもおり,特に他動詞形の -eq の /-q/ は落ちやすく,
更には動詞語基 mailax ‘to be dirty’ 本体の語幹末子音の /-x/ まで -a に飲み込まれるケースも しょっちゅうだが,方言的には聞こえにくいらしくはあるものの,少なくともナグリ方言で は特に Indicative Marker -a が脱落して Subjunctive 標示される場合には他動詞形の /-eq/ も明 確に聞き取れる。
重要なのは,上でも暗示したように Object Agreement が当該構文の Transitivity を的確に 担保するムンダ語では一般に目的語標示を必須とはしないものの,「他動詞構文では -e(q) の 接辞が欠かせない」という事実で,このことは特に当該他動詞構文に於ける“直接目的語”
が animacy を欠いて Object Agreement が誘発されないケースでは (22b) のように決定的となる:
(22) a. Mangra gapa maila(x) -e(q) -a -e.
b. Mangra gapa nia kitab maila(x) -e(q) -a -e.
c. Mangra gapa Somri -ke maila(x) -i -a -e.
Mangra tom. this book/Somri make:dirty -agr/obj -ind -3sg/sbj ‘Mangra will make this book/Somri dirty tomorrow.’
d. * Mangra gapa nia kitab mailax -o(q) -a -e.
e. * Mangra gapa Somri -ke maila(x) -e(q) -a -e.
(‘Mangra will make this book/Somri dirty tomorrow.’)
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しかしながら,目的語が animacy を示して (22c) のように Object Agreement が構成される場 合,[+ transitive] をマークする -e(q) は言うまでもなく,目的語の人称と文法上の数を指示す る接辞で置き換えられることになる。
当然ながら,他動詞構文で動詞定形に -o(q) を接辞させるとそれは (22d) のように明ら かな非文法性を示すし,目的語が [- animate] を示すのにも拘わらずに -e(q) をそのままに して Agreement を成立させないと,その他動詞構文もやはり非文法的となる。要するに,
Transitivity の概念はムンダ語に於いては Object Agreement の形で統辞的に具現化されるが,
それを trigger しているのは偏に動詞定形に埋め込まれた(何らかの)形態的マーキングな のだ。そのことは動詞定形が「アスペクト助動詞」によって示されようが個別の動詞語彙に よろうが基本的に変わりはない。つまり,Object Agreement の脱落も含めて Transitivity の標 示はムンダ語の文法体系の根幹を形成している,ということなのである。
こう考えれば,Transitivity の概念は「文法のカテゴリー」として記号化されているとい うことから,「記号の恣意性」の原則に基づいて同じ [± transitive] という »signifié« を単一の
»signifiant« が標示しなければならない必然はないこととなって,「アスペクト助動詞」の中
にも -n/-d の交替以外,例えば個別の動詞語彙で Transitivity の対立をマークする -oq/-eq の 交替を用いるペアも想定できるし,逆に同一動詞語彙を -n/-d で“活用”させるケースも理 論的には考え得るわけだ。
実際,具体的には話法の助動詞 koae vs. keae などはそうした Ablaut による Transitivity の 対立をパターン化した例だと考えられるわけだし:
(23) a. Mangra gapa Ranhci senog k-o-a-e.
b. * Mangra gapa Ranhci senog k-e-a-e.
‘Mangra shall go to Ranchi tomorrow.’
c. * Mangra gapa mandzi jom k-o-a-e.
d. Mangra gapa mandzi jom k-e-a-e.
‘Mangra shall eat rice tomorrow.’
動詞語彙の領域でも“自動詞性”をマークする -n を再帰的に接辞にとって:
(24) a. Mangra naqa ume -n -a-e. ‘Mangra will take a bath now.’
b. Mangra naqa Somri-ke um -i -a-e. ‘Mangra will bathe Somri now.
c. Mangra gapa goje -n -a-e. ‘Mangra will commit a suicide tomorrow.’
d. Mangra gapa Somri-ke goj -i -a-e. ‘Mangra will kill Somri tomorrow.
自動詞を造語するのも,言わば“アスペクト助動詞”風のメカニズムを語彙化したものと考
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えることもできる。何れにしても,ムンダ語に於いては Transitivity 標示は文法的には高度 に体系化されている,と捉える必要があろう。
3. ムンダ語に於ける Transitivity とアスペクトの関連性
3.1. 本稿の射程について: ムンダ語に於いては Agreement を張る NP のみが「項」である! さて本節ではいよいよ,ムンダ語に於ける Transitivity の実態がと文法のカテゴリーとし ての「アスペクト」とどのように関係しているか,紐解いてみることとしよう。繰り返しに なるが,本稿で取り組む具体的対象は:
(25) a. 自動詞性をマークする -n を語基に示しながら,ken- などのアスペクト助動詞は
何故に他動詞語彙と共起できるのか? (= 9a, 19a)
b. 例えば ken- と len- のように同じ自動詞性のマーカー -n を共有し,アスペクト的 にも「完了過去」を示すのに何故,後者は他動詞語彙と共起できないのか? (= 9b, 19b)
という問題意識であり,理論的に目指す proposals は:
(26) a. 他動詞を暗示する -d を示す ked- が “Perfective” をマークするのに対し,-n の方を 持つ ken- は寧ろ “Imperfect” として捉えられ,実はアスペクト的対立がある。(=
10a, 20a)
b. 動詞語彙が“他動詞的”であっても ken- がアスペクト的には “imperfect” をマー クして動詞句は主語(「主題」)の置かれた状況を説明する「陳述」の内容を示す のに対し,len- の方は常に「完了過去」を示し,両者の間にはやはりアスペクト 的対立がある。(= 10b, 20b)
ということだった。
これまでの議論でも幾度となく指摘してきたことだが,ムンダ語に於いて特定の構文の Transitivity は具体的には Object Agreement を以て明示的に示される。藤井 (2009) でも示し たように,“同一命題”でも:
(27) a. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ked -kin -a -e. (= 3a, 8a; “tr”) b. Mangra hola Somri har Budhua -ke ru ken -φ -a -e. (= 3b, 8b; “intr”) ‘Mangra beat Somri and Budhua yesterday.’
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のように,Object Agreement の成否で特定の NP に何らかの(意味論的)プロミネンスが当 たるか否かがコントロールできる実態は,「主語」と同様,目的語も動詞定形と文法上の一 致が統辞論的に裏付けられて初めて「目的語」がその意味で主語に対する文法的“対等性”を 担保できることと表裏一体の関係にあることから,動詞語彙の潜在的・意味的“存在感”以 上に,文法体系上の「項」としての位置づけがハッキリする,と認識して良いものと思われ る。要するに,Object Agreement という統辞現象が「目的語」の「主語」との対等性,潜在 的存在感を顕在化させる,と捉えるわけである。
このことは,藤井 (2015) などで示した Mnd. em ‘to give’ のように,理論的(つまりこの 場合は意味論的)には「直接目的語」と「間接目的語」の両方の目的語が潜在的に存在して も,構文上で実際に Object Agreement を動詞定形と組んで初めて当該構文に於ける「目的語」
として機能するなどの現象からもハッキリと認識できるはずだ:
(28) a. Mangra gapa Somri har Budhua -ke sim em lad -kin -a -e. (io) b. Mangra gapa Somri har Budhua -lain sim-ke em la-j (< lad + i) -a -e. (do)
Mangra tom. Somri and Budhua -to chicken give prc -3du/sg -ind -3sg/sbj ‘Mangra is going to give a chicken to Somri and Budhua tomorrow.’
典型的な Object Marker である後置詞 -ke が移動していることからも判るように,動詞定形 の agreement の接辞は -ke が付加された“構文上”の「目的語」としか一致せず,そのこと は Mnd. kiring ‘to buy’ のような「直接目的語」しか構文上の目的語とは認識しないような 大多数の他動詞語彙と違い,潜在的には io と do の何れもが「主語」と同様,統辞体系に於 ける「項」としての位置づけを主張できる仕様となっている動詞表現では容易に納得できる。
詰まるところ,ムンダ語に於いては Object Agreement だけが当該構文の Transitivity を担 保できるのであって,理論的には「意味論」の枠組みでしか検証できない動詞語彙の意味的 組成,あるいは「統辞論」的に見ても目的語 NP の標示そのものが構文上の Transitivity を支 えることはできない,ということなのだ。
こうした知見を“前提”に,本節では以下,ムンダ語に於ける Transitivity の内実を文法 のカテゴリーとしての「アスペクト」の観点から浮き彫りにすることとしたい。
3.2. “Transitivity” とは何か?
ムンダ語に限ったことではないが,“Transitivity” の概念を理論的に定義するのはそれほど 易しいことではない。そもそも「何のための定義か?」という観点からしてややもすると抜 けやすいからだが,だからと言ってこの点を疎かにすると議論は忽ち不毛なものとなり,学 術的コミュニケーションには途端に支障を来たすこととなる。
その点,本稿での Transitivity についての議論には明確なモティベーションがあると言っ
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ていい。それは,本稿に於けるここまでの議論でも既に度々,言及してきたように,ムンダ 語では Transitivity が「文法のカテゴリー」としてこの言語の体系的屋台骨の奥深くまで食 い込んでいるように思えるのに,つまりムンダ語の機能の仕方を有機的に把握するためには この言語に於けるこの概念のあり方について理解を深める必要をヒシヒシと感じさせるにも 拘わらず,ムンダ語で遭遇する Transitivity の内実には我々がこれまでに馴染んでいる概念 とは懸け離れた部分が多々あるように思えるからだ。
一例を挙げよう: 日本語や英語などの学校文法的な解釈に従えば,動詞語彙の意味組成か らしてある意味では“普遍的”とさえ判断できそうな,日本語の〈泣く〉や〈笑う〉といっ た動詞は普通,基本的には「自動詞」と位置づけられる。しかしながらムンダ語では:
(29) a. * Mangra hola Somri -loq bohut landa len -a -e.
b. Mangra hola Somri -loq bohut landa laq -a -e.
Mangra yest. Somri -with much laugh prt -ind -3sg/sbj ‘Mangra laughed much with Somri yesterday.’
(29a) のように,言わば“典型的”な自動詞語彙である senog ‘to go’ を完了化するようなア スペクト助動詞と共に用いると非文法的となってしまい,語彙的には [+ animate] を示す目的 語が構文上,存在しないことから Object Agreement こそ誘起されないものの,寧ろ他動詞語 彙と共起するしかない laq- という「完了過去」をマークするアスペクト助動詞と共に文構 造を組むのである。
もちろんのこと,“Unaccusative Hypothesis” (Perlmutter 1978) を援用していわゆる「自 動詞」を “unaccusative verbs” と “unergative verbs” に分けることにより,「完了過去」をマー クするアスペクト助動詞の分布を:
(30) a. len-a-e: “unaccusative verbs”.
b. laq-a-e: “unergative verbs” + transitive verbs ([- animate]) c. lij-a-e/led-kin-a-e/led-ko-a-e... : transitive verbs ([+ animate])
のように整理することで理解が進む部分は相当あるとは思う。しかし,“unaccusative” や
“unergative” の概念自体は結局のところ英語の学校文法の教える,「一項動詞」という統語論
的枠組みでの「自動詞」を前提としているわけで,この概念の定義からして「特定の動詞表 現に対してひとつの名詞表現を宛がうことで『文表現』という『文要素』とは別の次元の 言語表現が生成される」という,理論的には極めて Syntax に偏った発想に基づく,つまり は「英語」という言語類型の“世界観”による認識方法が底流にあるのだ。これだと結局,
具体的には例えば Mnd. landa ‘to laugh’ や Mnd. raqa ‘to cry’ を「他動詞」,あるいは少なく
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とも lenae で「完了過去」を構成する,「“典型的”『自動詞』の対極にある語彙カテゴリー」
と認識するにはあまりにもハードルが高くなってしまう。
いわゆる「言語の類型」に関する話になるが,英語と同じゲルマン語派に属する言語でも,
英語とは異なる Transitivity を認識する言語も存在する。例えばドイツ語がそうだ:
(31) a. Eng. The father gave the daughter a flower.
b. Eng. The daughter was given a flower by the father. c. Eng. A flower was given the daughter by the father.
(31) で用いられている動詞語彙は Eng. to give で,いわゆる「三項動詞」として「主語」の 他に「直接目的語」と「間接目的語」の二種類の目的語をとる動詞である。
上でも触れたように,英語に於いて「他動詞」とは基本的に「主語」以外の「項」とし て「目的語」をとる動詞語彙のことを言うわけだが,Eng. to give のように意味役割上,「直 接目的語」と「間接目的語」を必要とするものの,統辞的に見ればどちらの目的語も「目的 語」に変わりはないから,(31a) のような能動態の構文を受動態化すると,受身文は二種類 できてしまう。意味役割上の「間接目的語」 the daughter を主語とする受身文 (31b) と,意味 役割上の「直接目的語」 a flower を主語とする受身文 (31c) がそれらだ。英語に於いて Pas- sivisation という文法的オペレーションとは,能動文に於いて目的語だった「項」を主語と して構文するプロセスだから,それは当然のことである。
これに対し,統辞的には Passivisation として英語と基本的に同じオペレーションを施すド イツ語は,そのプロセスを経て生成される受身文のあり方で英語とは若干,違ってくる:
(32) a. Ger. Der Vater gab der Tochter eine Blume. (=ˆ 31a) b. Ger. * Die Tochter wurde von dem Vater eine Blume gegeben. (cf. 31b) c. Ger. Eine Blume wurde von dem Vater der Tochter gegeben. (=ˆ 31c)
英語の (31b) に相当するはずの (32b) はドイツ語では何と非文法的なのだ。繰り返すが,
Passivisation の文法的オペレーション自体,基本的にはドイツ語も英語と同じで,能動文に 於ける「目的語」を受身文では「主語」として構文するだけである。
ドイツ語にあっては要するに,統辞体系的に「目的語」として位置づけられ,Passivisation に際して「主語化」の対象となるのは“意味役割上”の「直接目的語」のみであって「間接 目的語」は受身文では主語とはなり得ないのだ。当該オペレーションの出発点となる能動文 からして,「目的語」はそもそも形態的に言うところの「対格」でしかないのだから,この ことは当然の帰結である。
Transitivity の概念規定の困難さはつまり,Transitivity 自体がある意味で「文法のカテゴ
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リー」であることと表裏一体の関係にあるという実態に起因する。“Transitivity“ と同じ名称 で呼ぶことが可能と判断され,現実にそれを実践しつつも,その内実は言語ごとに微妙に異 なる... 。当たり前の日常なのだが,我々は得てしてそうした現実を無視してしまいがちだ。
ずいぶんと回り道をしたような部分もあったが,本稿で取り上げるムンダ語に於ける
Transitivity の概念規定は明確である: 実は冒頭部分から暗示しているように,ムンダ語では
文中の名詞表現が動詞定形との Agreement を張って初めて統辞体系的に「項」と位置づけ られると判断できることから,「主語」の他にもうひとつの Agreement が確立し,ふたつの
perspectives が一文中で“交差”する文表現のことを「他動詞構文」と位置づけたい。そして,
そうした構文を構成する動詞語彙の当該文中での“使用法”のことを「他動詞」と呼ぶのが 妥当なのではないだろうか? その意味で,問題の「他動詞構文」もしくはそれを具現化する
Transitivity の理論的位置づけ自体,verbal semantics 的扱いを全体枠としつつも,相当程度
に Syntax もしくは Pragmatics からのアプローチに近づくものとなろうかと思われる。
このように考えると本稿の課題は,Transitivity の確立に文法のカテゴリーとしての「アス ペクト」が如何にコミットするかを浮き彫りにしようとする,という性格を帯びてくるわけだ。
3.3. 二系統の「アスペクト助動詞」
ムンダ語に於ける Transitivity と深く関わる「アスペクト助動詞」の“二系統”とは,藤 井 (2009) が取り上げている “Syntactic Intransitivisation” に関し,このプロセスを許容するグ ループとこれを許容しないグループの二つを言う:
(33) a. tan-, tain-; ken- b. tan-, len-; kan-
この内,(33a) の tan- と (33b) の tan- は形態的には同一だが,前者が “Present Continuous” を マークするのに対して後者は “Planning Future” を示し,この後者の用法だといわゆる自動詞 としか共起しない: 19)
(34) a. Mangra gapa Ranhci senog ta -n -a -e. (cf. 34b, 35a) b. * Mangra gapa Somri har Budhua -ke ru ta -kin -a -e. (cf. 34a, 35a)
Mangra tom. Somri and Budhua -obj go/beat aux -agr/obj -ind -3sg ‘Mangra is going to Ranchi tomorrow.’ (=ˆ 34a)
(‘Mangra isgoing to beat Somri and Budhua tomorrow.’ [=ˆ 34b])
逆に,前者の “Present Continuous” の方は時制的に「現在」に限定されていて,未来を表わ す時間表現とは共起できない:
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(35) a. Mangra naqa Somri har Budhua -ke ru tan -φ -a -e. (cf. 35b, 34b) b. * Mangra gapa Somri har Budhua -ke ru tan -φ -a -e. (cf. 35a, 34b)
Mangra n./t. Somri and Budhua -obj beat aux -agr/obj -ind -3sg ‘Mangra is beating Somri and Budhua now.’ (=ˆ 35a)
(‘Mangra is going to beat Somri and Budhua tomorrow.’ [=ˆ 35b])
ru ‘to beat’ は典型的な他動詞として,「計画未来」の (35b) では taq-a-e を使うところなのだ。
時制的に見ると (33a) と (33b) で接点が持てるのは「完了過去」と見なされる len- と ken- だけなので,同じ命題を表出させて対比してみたい:
(36) a. Mangra hola Ranhci senog len -a -e. ‘Mangra went to Ranchi yesterday.’
b. Mangra hola Ranhci senog ken -a -e. ‘Mangra went to Ranchi yesterday.’
Mangra yest. Ranchi go prt -ind -3sg
表出される「命題」に関して言えば (36a) も (36b) も完全に同じで,確かに英語の意訳には 用法上の違いが反映されない。
しかしながらインフォーマントに拠れば,(36a) と (36b) とでは使われるコンテクストに 大きな違いがあると言う。即ち,最初の“純粋”な「情報提供」に際しては必ず len- を用 いた (36a) が使われるのに対し,一度,話し相手に対してそうした情報提供を行なった者が
「ウソだ!」「そんなことないのを自分は知ってる!」などと反駁された時など,自分の情報が 的確であることを強調する形で自己主張する場合に特化して使われるのが (36b) のような
ken- で len- を言い換えた表現様式なのだという。英語で言えば差し詰め,Mangra DID go
to Ranchi yesterday! (Believe me!!) とでも言うところか... ?
そうした捉え方が妥当なのだとすると,表出される命題の構成要素としての「動作」 to go に関しては確かにその行為自体は終了していることから「完了過去」と捉えて構わないわけ だが,「その行為が既に済んでいるのは厳然たる事実だった」ということを主張するのがこ の文表現なのだという意味では,命題レベルでの len- による「完了過去」というアスペク トと一緒くたにしてしまうのはかなり問題のように思う。(36b) のような ken- による過去時 制表現は,寧ろ “Imperfect”(「未完了過去」)とでも捉える方が妥当なのではないだろうか?
そう考えてみると確かに,ken- による陳述を一律に「完了過去」と見なしてしまうのは些 か尚早だと思わせるような事態に遭遇する:
(37) a. Mangra hola Ranhci-re tain ken -a -e. ‘Mangra stayed at Ranchi yesterday.’
b. * Mangra hola Ranhci-re tain len -a -e. (‘Mangra stayed at Ranchi yesterday.’) Mangra yest. Ranchi-loc stay prt -ind -3sg
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Mnd. tain ‘to stay’ は基本的に動作は表わさず,ある種の「状態動詞」である。そうした動 詞語彙の Aktionsart に対して「完了過去」は的外れだ。動作・行為を表わさないのだから「完 了」のフェーズもないはずで,ここは典型的な「未完了過去」の出番だろう。実際,(37b) の非文法性が示すように,len- による「完了過去」はアウトだ。
そう考えると,ken- の表わすアスペクトに「未完了過去」を充てた方が相応しいと思える,
極めて生産的な複合表現は幾らでも出てくる:
(38) a. Mangra hola mandzi jom -tain ken -a -e.20) ‘Mangra kept eating yesterday.’
b. Mangra hola mandzi jom tain -a -e. ‘Mangra was eating yesterday.’
Mangra yest. rice eat -durprt -ind -3sg
Mnd. jom ‘to eat’ の Aktionsart は “Durative” で語彙的に「持続フェーズ」を内包しているが,
jom-tain は複合動詞的に「食べ続ける」を表わしており,これにアスペクト助動詞の ken- が「そういう事態が過去にあった」と被せるわけだから,構文全体は当然のこと「未完了過 去」と言うしかないだろう。
実際,ken- で支えられた,この複合動詞的構文は (38b) のパラフレーズとしても多用され るわけだし,アスペクト的には確かに「未完了過去」と理解すべきと思われる。結局のとこ
ろ,ken- による陳述は本動詞が語彙的に動作・行為を表わす意味内容を持っていてもそれは
ある種の“補文”的位置づけにしかなく,“主節”の陳述は「そうした事実が存在した」と いう極めて静的な,寧ろ“名詞構文”に近いものと認識すべきなのではないだろうか?
3.4. “Syntactical Intransitivisation” とは何だったのか?!
前節で述べたような,ken- による陳述は構造的には「名詞構文」に近いという解釈が妥当 であれば,そうした陳述は語用論的には Topic-Comment Structure を体現し,当該文表現の 発話は(中核的には)「主語」を「主題」として位置づけ,それ以外の部分表現の総体を「判 断内容」とした「判断文」(三尾 1948)として機能している,と考えることができるように なる。
そうした,「名詞構文化」の要となるのが,当該文表現が体現する Transitivity の低さだ。
Transitivity が高いということは取りも直さず,当該文表現にはある種の“焦点”となる名詞 表現が複数(最低はふたつ)存在することになり,そうなってしまっては構文の残りの情報を 掻き集めてマッピングする対象に聞き手は迷ってしまうことになる。それを整理して,最終 的には明確に「主題」と位置づけられる名詞表現を,基本的には主語だけに絞り込み,その マッピングの妥当性を聞き手に判断させる... ,そのプロセスにいちばん馴染みやすいのが表 示内容が時間的に推移しないことが期待される名詞表現,最低でも「状態が一定している」
形容詞であり,何れにしても「名詞構文」であれば聞き手も容易く判断を下せる,というわ
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