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「『人間の本性と運命』第2巻〈人間の運命〉第10章〈歴史の終わり〉(The End of History)について」報告(2014年度第2回人文科学研究会 : ラインホールド・ニーバー研究会) 利用統計を見る

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「『人間の本性と運命』第2巻〈人間の運命〉第10 章〈歴史の終わり〉(The End of History)につい て」報告(2014年度第2回人文科学研究会 : ライン ホールド・ニーバー研究会)

著者 五十嵐 成見

雑誌名 聖学院大学総合研究所Newsletter

巻 Vol.24

号 No.3

ページ 43‑44

URL http://id.nii.ac.jp/1477/00002787/

(2)

Title

「『人間の本性と運命』第2巻〈人間の運命〉第

10

章〈歴史の終わり〉(The

End of History)について」報告(2014

年度第

2

回人文科学研究会 : ラ

インホールド・ニーバー研究会)

Author(s)

五十嵐, 成見

Citation

聖学院大学総合研究所

Newsletter

, Vol.24No.3, 2015.3 :43-44

URL

http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i d=5266

Rights

聖学院学術情報発信システム : SERVE

SEigakuin Repository and academic archiVE

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43  2014年12月 8 日(月)18:00 ~ 19:30まで、聖

学院新館[駒込] 2 階集会室にて、2014年度第 2 回人文科学研究会~ラインホールド・ニーバー研 究会~が開催された。今回は第 1 回に引き続き、

ラインホールド・ニーバー(以下、ニーバーと略す)

の 主 著 で あ るThe Nature and Destiny of Man.

Vol.2[以下、NDMⅡと略す]の翻訳発表が発題 となった。今回は、NDMⅡの最終章である“The End of History”(「歴史の終わり」)の翻訳全文及 び解題を、髙橋義文教授(聖学院総合研究所ライ ンホールド・ニーバー研究センター研究代表・聖 学院大学院特任教授)が発表・担当された。

 NDMⅡの第10章は、「歴史の終わり」という題 から明らかな通り、終末論の考察がそのメインテー マである。髙橋教授によれば、大木英夫教授(聖 学院大学名誉教授)は、かつて著した『終末論』(紀 ノ國屋書店、1972年)によって、日本の神学界に おいて他に類を見ないような、浩瀚且つ緻密な終 末論の分析と考察、そして重厚な大木神学的終末 論を提示したが、それは明確にニーバー的視点に よる終末論を前提とし見定めていた、という。そ の事実も含め、ニーバーの終末論から今日のわれ われが学ぶべきものは尚多大と言わなければなら ない、と指摘された後に、NDMⅡの最終章の翻訳 の紹介と解題を行われた。

 (以下、章要約)

 第10章の大枠の構造は、以下の通りである。

  1 .序

  2 . 新約聖書の終末思想( 1 .パルーシア  2 . 最後の審判  3 .復活)

  3 .歴史の終わりと歴史の意味

  4 . 歴史の多様性と統一性( 1 .文化と文明の 勃興と没落  2 .個人と歴史  3 .歴史の 統一性)

 

 「序」では、二種類の時間軸の弁証法的関係によ る終末論の前提が二つ示される。一つはフィニス

(終焉)とテロス(目的)、もう一つは「既に来た」

と「来るべき」の弁証法である。両者は、ニーバー の歴史神学の特質としての「中間時的歴史」に通 底する神学的根拠として重要なテーゼである。

 これら二つの弁証法的緊張関係が提示された後、

「新約聖書の終末思想」の考察として、「 1 .パルー シア」、「 2 .最後の審判」、「 3 .復活」が言及さ れる。これらの分析において特筆されるのは、ニー バーの終末的救済史的視点が、キリスト教的人間 観との折衝の中で考察されていることである。「最 後の審判」は人間の「死の恐怖」との関連において、

「復活」は、ギリシャ的な意味合いにおける霊魂不 滅説(しばしばそれはキリスト教信仰の中にも入 り込んでいる)を克服する、真正のキリスト教的 死生観としての「からだの復活」との連関を鑑み て考察されている。これらの理解は、新約の終末 思想において、個としての人間と歴史全体とが、

連続的に達成されるべき成就の関係であると共に、

決定的な断絶を持つ否定の関係でもあることを示 唆する。

 この成就と否定の関係が最終的に明らかになる のが終末である。終末は「歴史の意味」を十全に

2014 年度第 2 回人文科学研究会

〜ラインホールド・ニーバー研究会〜

「『人間の本性と運命』第 2 巻〈人間の運命〉 

第 10 章〈歴史の終わり〉(TheEndofHistory)について」報告

報 告

上段左:髙橋義文教授(発題者)

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把握する「完成」である(「 3 .歴史の終わりと歴 史の意味」)。この歴史の完成の意味の理解は、た だ信仰的認識に依る。

 歴史を理解する、ということは、その「多様性」

と「統一性」の両義を捉えることによらなければ ならない(「 4 .歴史の多様性と統一性」)。この両 義性は、「上から」(垂直)の次元と、「終わりから」

(水平)の次元の弁証法を理解することによっての み最も適切に理解される。キリスト教的歴史観は、

多元的歴史概念も含まれる複雑さを持ちつつ、究 極的なテロスの視点を把握することによる最終的 な「首尾一貫性」を伴った歴史理解である。しかし、

近代歴史主義者らの主唱する歴史の首尾一貫性の 理解と決定的に異なるのは、歴史の進歩性の讃美 ではなく、歴史における「反キリスト」との対峙 の不可避性の強調である。「最終的悪は最終的善に 依存している」ほどに、歴史は人間の自由と罪の 複雑性の中に留め置かれている。

 これらのことを人間は、自らの知識と力の限界 として謙虚に認める中において、しかし、にもか かわらず、神の「恵み」に信頼していくことが要 請されるべきである。(以上、章要約)

 

 章全体の解説の後、高橋教授は様々な所見を述 べられたが、紙面の都合上、一点だけ報告する。

 ニーバーの終末理解は、永遠と歴史の「垂直的 弁証法」(L・ギルキー)と捉えられることがある。

しかしそれは「序」で言及されているような二重 の歴史の弁証法的緊張関係を結局は弛緩させるこ とになりはしないか、またニーバーとK・バルト の神学的相違を不適切に薄める理解となってしま うのではないか、と指摘された。あるいは逆に、

水平次元を過度に強調すれば、J・モルトマンとの 違いが明白でなくなってしまう。ニーバーの歴史 理解は、その独特の弁証法的緊張関係を適切に保 持することにこそ把握されるべきである、と提言 された。

 

 今回の翻訳発表により、NDMⅡの全章が翻訳さ れたこととなる。この成果が2015年度に聖学院大 学出版会より晴れて出版される予定との報告もな された。期して待ちたい。

 

(文責:五十嵐成見 [いからし・なるみ] 聖学院大 学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科博士 後期課程 3 年)

参照

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