研究資料 メトロポリタン本天神縁起絵巻 上
著者 村瀬 実恵子
雑誌名 美術研究
号 247
ページ 28‑31
発行年 1967‑03‑27
URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006655/
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美
術 研
究
四 七
号
研
資
l r
d q
り
h 丸
Jリメ タト ンロ 本ポ
上
天 神 縁 起 絵 巻
村 瀬 実 恵 子
ニ ュ
1 ヨ l グ市のメトロポリタン美術館に早くから入った(一九二五年購入﹀
三巻本の天神縁起絵巻(図版
IIW
﹀は色々な意味で問題点の多いものであるの
で︑詞書校刊及び簡単な紹介を試みる︒三巻仕立のこの絵巻は当美術館の機関紙
a u
唱 ーに発表の記事によぷと︑神戸附近の大山寺の所蔵であったもので︑大山寺を出
町田久成並びに井上侯の所有を経た後メトロポリタンに入った 註 2 もので︑井上侯売立目録(売立は一九二五年十一月に行はれたと言はれる︒﹀によれ た
後 前
田 香
雪 ︑
ば絵は慶恩︑詞は慈鎮となってゐるとの事︒題祭も奥書も何もなく︑只﹁大山
寺宝寿院文庫﹂の角印(挿図)が各三巻共第一紙(白紙)の裏に押されてあり︑
叉紙継の随所に裏に表具師のものと思はれる﹁森正﹂の印がある︒この大山寺
は
神戸附近グとあるので神戸市垂水区の太山寺(大山寺とも書かれる﹀ M M と思は
れ る
︒ 宝寿院はその塔頭であらうが︑目下不明︒
損失︑損傷の個所が非常に多く︑ 叉順序移動の個所も多い︒順序移動は特に 第三巻 ︑ 当美術館で グ
c g
巻と呼んでゐるものに甚だしく見られるが︑この巻
は後述の如く︑他に全く例を見ないものなので
その研究︑復元は一段と困難なものになる︒紙は鳥
子紙︑全面にド l サを引き︑随所に非常に紙巾の違
ったものをつなぎ合はせて使用したもので︑最も巾
の広い紙は四九・五糎最も狭いものでは二・一糎と
いふ不規則なもので
この点でも特殊なものであ
二八
る︒紙つぎの諸所に縦に金粉で引かれた線が目立つがこれは何の為か目下不
明
7 2
当絵巻は現在は三巻仕立にはなってはゐるが︑その分け方も他の天神縁起絵
巻に見られる分割法とは関係なく︑最近の修理の際に取られた応急措置の結果
に よ る と 思 は れ る ︒ 大体において 今当美術館で
H︐
A d
巻と呼んでゐるも の
は︑通例三巻本の天神縁起絵巻においては第一巻及び第三巻に含まれてゐる挿
話︑即ち菅公の死までの一生と︑綾子託宣以下の北野天神の霊験を示す利生記
グ B H
H 巻と呼ばれてゐるものは菅公の残後の怨 霊謂及び 利生記の 残り
を 含
み ︑
の部分を含んで居り M M C g 巻と呼ばれてゐるものは日蔵六道巡りの挿話となっ
て ゐ る ︒紙の傷みの激しさ ︑叉詞 書の字が巻初では 他の部 分より大きくなると
いふ詞 書筆者の癖から判断 して︑当絵巻は原形では四巻本といふ珍らしい形 を 討 3 とってゐたと考へられる︒即ち第一巻は第一段より第十二段(恩賜御衣﹀ ま で
を含んでゐたと思はれ︑この想定に基づいて現在欠損の部分を上げると左記の
様 に
な る
︒
欠損部分
第 二 段
( 少 時 詩 作 ﹀
3 司 第 三 段
(大戒論序) 詞の始りの部分約半分程とその絵
第 五 段
( 五
十 賀
)
詞と絵
第 六 段
( 任
大 将
拝 賀
﹀ 詞
と 絵
第 九 段
(紅梅離別) 詞と絵
第 十 段
(配流│牛車﹀詞の最後の一行と絵
第十一段
︿ 配
流
l
船 出
﹀ 詞
第十二段
( 恩
賜 御
衣 )
五 五
道真の一生謂は総てグ
A g
巻 に
含 ま
れ ︑
エピソードの順序は﹁大戒論序﹂の詞
と﹁少時詩作﹂の絵とが入れ代って順序が逆になってゐる以外は正しくなって
ゐ る
︒第 十三段(送詩長谷雄)の詞書は他の部分と比べて一きは傷みが激しく︑
明らかにこの段が第二巻々頭にあった事が分る︒この点でもメトロポリタン本
は他の諸本と違った形を取ってゐる︒諸種の天神縁起絵巻を通じて見ても︑第一
巻と第
二 巻
六巻仕立の場合は第二巻と第三巻﹀を区切る方法は必らずしも一定し (
て は
居 ら
ず ︑
﹁送詩長谷雄﹂の段(第十三段﹀又は﹁配流 l
船 出
﹂
( 第
十 一
段 ﹀
等が第一巻々末におかれる事が多いが︑これに反して当本では第十二段が第一
巻々末におかれ第十三段で第二巻が始まってゐる︒
通常第二巻に収められる菅公怨霊謂は当絵巻の中では一番よく保存されてゐ
る 部
分 で
︑
その欠損の部分は僅かに左記の二個所のみである︒
第十四段 (天拝山﹀
示 会
第十六段 ( 柘 摺 天 神 ﹀ 詞 の 後 半 と 絵
但しこの怨霊諦は現在ではグ
A S
巻とグ
B d
巻 と
に 分
散 し
︑
天拝山の詞と延喜
帝落飾の絵はグ
A g
巻に︑他は総て グ
B J
巻に入れられて 居り ︑ この他第十七
段 ( 清 涼 殿 落 雷 ﹀ と 第 十 八 段 ( 尊 意 渡 水 ﹀ は順序が逆になってゐる︒ この順序移
動は絵巻製作当時に生じたものである︒この事は﹁渡水﹂の段の絵に続いて同
一紙上に﹁落雷﹂の詞が書かれてゐる事によって明らかである︒猶﹁落雷﹂の
詞 書には 他の天神絵巻には見られぬ追加分子があり︑これに附随して絵の部分
に異状に長い附加要素がある︒この詞書の附 加要素の出所は明らかでない ︒ こ
の追加部分は後世のつけ足しではなく︑その筆跡を見ても
︑ 同
一
筆者の手によ
って書かれたものと思はれるが︑追加の部分が紙のつぎ自の上から初まり
︑ し
か
も絵の中のすやりの上にも書かれてゐる事から見て︑これは当初からの計画に
よるものではなく︑何等かの特殊事情により詞の追加を要請された結果生じた
ものと見られる ︒ こ の段の絵の中心部をなす場面は通例の天神縁起絵巻に現は
れるものと同様の図柄をなすが︑この場面の前後に長い追加場面がある︒しか
しこの絵における附加要素は必らずしも新たに加へられた詞書の説明といった
ものではなく︑詞の作者の意図と絵の作者の意図は一致してゐるわけではない︒
他の天神縁起絵巻はその分類如何に拘らずすべてこの菅公死後の怨霊謹のあ
天
縁
上 起 絵 巻
宇 1
1とに続いて日蔵六道巡りのエピソードが一場面乃至二︑三場面となって怨霊謂
巻末を飾るのが習はしであるが︑ メトロポリタン本は唯一の特例で︑ 日蔵六道
巡りの巻は落大なもので︑ しかも独立に一巻をなしてゐたと思はれるが︑果し
てこれがこの絵巻の第三巻として取扱はれてゐたか︑ 又はや
tA
別格のものとし
て 第
四 巻
︑
即ち最後の巻として扱はれてゐたかは︑他に比較資料のない現在で
は確言は出来かねるが︑便宜上こ L では第四巻として取扱っておく︒
通例の天神絵巻では︑第三巻︑ 即ち﹁綾子託宣﹂以下の天神の利生記は︑独
立した一巻として仕立てられるが︑当絵巻も同様な形をしてゐた事は︑
京 支
子﹂の段の詞書の紙が甚だしく傷んでゐる事から明らかである︒但し現状では
利生諌は
M M A g
巻とグ
B g
巻に約半 分位づつの割合で分割されてゐる︒この巻
の欠損の部分は次の通り︒
第二十九段 ( 官 位 追 贈 ﹀
言 司
第三十三段
( 西
念 往
生 ﹀
詞と絵
第三十四段 (銅細工女参龍﹀詞と絵の約半分程
第三十五段
( 銅
細 工
女 利
生 ﹀
絵
修理の際にこの利生語の順序は全く乱れ︑同一エピソードが幾個所にも分散し
て ゐ
る 例
も 多
い が
︑
この点については法量表を参照せられたい︒
最後の日蔵六道巡りは ︑ 現在損失部分が相当量に上ると見られるにも拘ら
ず︑紙数回十四枚︑全長十一米五 O 糎といふ長編のもので︑他の天神縁起絵巻
には見られぬものであるが︑明らかに製作時より一巻として独立したものとな
ってゐたと考へられる︒
一 司
4 ﹁王城鎮守:・:﹂の句で始まるメトロポリタン本は梅津氏の分類による甲類に
属するものであるが︑ この詞書は第一段より第七段(任右大 仔細に調べると
臣﹀まではよく甲類承久本の詞書と一致し︑ その系統を強く保持するものであ
る事で分るが
第 八
段 (
朱 雀
院 行
幸 ﹀
以下は甲類に属し乍らも承久本より派生
し一つの
Jグループを作った荏柄本に非常に近くなってゐる︒この事情ある為︑
二 九
差 一 ︿
術
七 号 研 究
四
既に全文の出版をみた承久本よりも︑ むしろ未公刊の荏柄本詞書とメトロポリ
タン本との校合を行ふ事にした︒諸種の天神縁起絵巻を通覧して誰しも気付く
事は︑梅津氏も処々に指摘して居られる通り︑ 乙類と丙類︑特に丙類は詞及び
絵の伝統を正しく且相当長期間に百一って守ってゆくが︑甲類に属するものには
種々異 っ た 分 子 が 混 入 し ︑ 詞も絵も数多くの変形を取る事が多い︒これは詞の
中に含まれた色々な史実を比較してもよく分る事であり︑ メトロポリタン本が
荏柄本に近いといふのも他との比較の問題であり︑決して直接関係 l モデルと
コッピ!との関係 l を持つものではなく︑承久本から派生した詞に依って一方
には荏柄本が出来︑ 又他方にはメトロポリタン本の系統が生じた︑ といふべき
であらう ︒ そしてこの系統を後世に純粋な形で残してゐるのが応永三十四年
(一四二七) こうしてメトロポリタン本は大体に の奥書を持つ菅生本である︒
おいて甲類に属する詞に依ってはゐるが︑ その製作の場合に特別な事情と要求
が介入した事は日蔵六道巡り及び第二十一段ハ第一回清涼殿落雷﹀でも明らかで
あ る
︒
日蔵六道巡りの巻は詞も絵も共に他の二巻の作者と同人の手になるもの
と思はれるが︑共に他の天神縁起絵巻には見られぬもので︑これが果して他の絵
巻において短縮される以前の日蔵エピソードの原形として作られたものを写す
も の
で あ
る か
︑
又は光信本等に見られる如く︑天神縁起絵の伝統成立以後︑或
は作者の自由な好み︑ 又は何等かの特別な事情により既成の形を含めてそれを
更に拡大したものであるか︑ これは現在のところ確言はさし控へたい︒只︑今
言へる事はこの巻の詞 書 は他の既に絵巻として完成してゐたものを写したもの
で は
な く
︑
むしろ絵無しの︑詞のみとして存在したものを写し乍ら随意に詞を
切断しつ L 絵を挿入して行った
J 3
のであるらしい事は︑ その詞と絵との組合せ
方法に応急措置的なものが多く︑ まだ組織化される以前の形を止めてゐるとい
ふ事によって明らかになる︒これは曽て源氏が承久本についても指摘された事
註 5 であり︑メトロポリタン本製作以前には同種の日蔵絵はなかったとの解釈も出
註 6
来ると思ふ︒この日蔵六道巡り巻の詞は漢文の﹁道賢上人冥途記﹂と殆んど全
。
文一致するもので︑絵巻の詞書も冥途記も共に損失部分は多量ではあるが︑残
7 4
存の部分を比較する時︑両者の欠損部分を或程度補充する事が可能である︒但
し絵巻の絵の部分は他に例のないもので︑ この復元は容易な住事ではなく︑殊
に他の天神縁起絵巻に必らず現はれる日蔵エピソードの最初の場面︑即ち金剛
蔵王の加護により日蔵天空を駈けるところはよく似た場面となって当絵巻に現
は れ
乍 ら
も ︑
日蔵自身の姿を紋き︑この場面が詞のどの部分を説明するものか
判 然 と し な い ︒
尚通常第三巻目をなす天神利生の挿話は当絵巻では欠損部分が非常に多い 註 7 が︑殊に絵の部分は白描本﹁北野本地﹂により大部分の復元が可能である︒こ
の一巻本は始めの二巻を失い最後の第三巻のみ現存するものであるが︑各挿話
は切り離され︑筆者の知る限りでも︑三面まで米国の蒐集家︑美術館の所蔵にな
斗 斗 は 白
︒
っ て
ゐ 一
配 ︒
こ
eh
で注意しておかなければならぬ事は︑メトロポリタン本の詞書
は第八段以下は非常に荏柄本に近いが︑同様の事は絵の構図については言へず︑
全巻を通覧する時この二本の絵の図柄には大きな相違のある事におどろかされ
る︒メトロポリタン本の図柄は利生記及び日蔵の巻を除いてはむしろ承久本に
近く︑承久本の構図から説話の主題描写の部分のみを抽出し︑主題の伴奏とも
いふべき部分を取り除くと︑ 非常にメトロポリタン本に近いものとなる ︒
.
,.. l̲
れは又前述の如く︑長年月に亘って何回か模写された絵画が果して複雑な構図
を持つものから単純な物へと展開するか︑又は全く逆の過程を経るかの問題に
ふれてくるのであるが︑現在のところでは日蔵の巻と第一回清涼殿落雷の場面
を除いては︑承久本の複雑な構成が何回かの模写を経て漸次簡素化されたもの
がメトロポリタン本以下の甲類の図柄となったと云ひ得ょう︒ メトロポリタン
本以下の甲類の典型的な図柄を留めるもの L 作例としては前掲の菅生本の他に
応永二十六年(一四一九﹀ の奥書を持つ杉谷本が上げられる︒ 就中菅生本は全
巻を通じて詞及び絵の構図はメトロポリタン本に近似し乍ら一段と簡素化さ
れ︑承久本から派生したある本が︑更に一方においては荏柄本となり︑他方に
メトロポリタン本を生み︑ それに続いて︑杉谷︑菅生の様な室町時代の稚気溢
る
tAものにつながって行ったと思はれる︒この点でもメトロポリタン本は鎌倉
時代の作であるだけにその重要性はます/¥重視さるべきであらう︒
絵自体については︑補筆のあとが諸所に見受けられはするが︑ それとても図
柄︑人物等を根本的に変更する様な事は全くない︒色は大部分剥落し︑現状で
は淡彩画の如き様子を呈する場面も多くあるが︑尚当初の筆致︑色彩をよく残
してゐる︒人物は割合に小さく︑ その描写の筆はや L 固いきらひもあるが︑山
水は柔軟な筆でこなし︑十三世紀後期の様式を伝へると言へょう︒
(詞在校刊は編集の都合により次号に掲載の予定︒﹀
1 註
ω ・ の
・ 回 o m n v ・ 同 色
N 門
¥ 斗 2 ι 5
開