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〈関係〉のなかにたつ教師(3):―ある高校教員の教育実践を題材にしてー

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〈関係〉のなかにたつ教師

―ある高校教員の教育実践を題材にして―

齋 藤 尚 志

はじめに

本稿は、前稿に続き、元高校教師・伊田哲朗氏(以下、敬称略。)の教育実践を題材にして、

「さまざまな人間の〈関係〉の網の目のなかにたつ教師」について考えていく。前稿では、伊 田が正教員として最初に勤めた兵庫県立湊川高校(以下、湊川高とする。また、生徒と教員も 含めて湊川高校の独特の雰囲気ないし教育のありようを指して 湊川 と表記する。)時代を 対象にした。湊川高は、伊田が意図的にテキストを書き始めた場所であり、「逃げだしたくな る程、やさしく、きびしく問われ続けた歴史」「新しい出会い」 ページ数なし)を刻んだ場 所であった。本稿では、湊川高から兵庫県立神戸甲北高校(以下、甲北高とする。)へ転勤し て以降の、「人間として」「一人前の教師」として生徒に向きあいつづけようとした伊田の語り をみていく。

〈関係〉のなかにたつ教師」について考えようと思い至った本稿の問題意識については、前々 稿「〈関係〉のなかにたつ教師」において次のように述べた。

私の問題意識は、先の神戸市の小学校や湊川高校の教育実践(課題や問題を抱える子ど もたちへの10年代の取り組み―筆者注)が今現在の教育状況を考える上で、どのような 歴史的意味や意義をもつのかを問い、その上で今現在の教育状況をとらえ返し、これから の教育のありようを見据えるところにある。とくに、教師と子ども、教師と子ども集団、

教師集団と子ども集団、教師同士、教師と保護者・地域の人びとなどのさまざまな人間の

〈関係〉の網の目のなかにたつ教師に焦点をあてて追究していきたい。(p.8)

合わせて、今現在の子どもたちに注がれる「共感や理解に欠けた眼差し」、それに基づく生 徒指導における「規範意識の醸成」と「毅然たる対応」に立たない子ども理解や子どもの問題 行動への対応の必要性、すなわち、次のような「見方」が大切であることを述べた。

「問題を抱えた子どもに問題の責任を押し付けること」なく、「貧困などの社会構造か ら派生した社会問題までをも子どもになすりつけること」のない見方、やはり「親や子ど

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もの責任にしてしまうのではなく、そんな子どももふくめて、ひとりひとりの子どもを生 かすために最善を尽くさなければならないという見方」(p.8―9)

このような「見方」に立って、「かつて、子ども、教員、保護者、地域の人びとなどからな る〈関係〉の網の目のなかにたちいり、子どもの背景にあるものをつかんでいった数々の教育 実践に学んでいかなければならない」(同上)と結んだ。そこで、4年に湊川高に着任し、 年に同校を定年退職した伊田の教育実践を題材にしたわけである。小学校助教諭・講師時代を 含めれば36年半の教員生活のなかで著されたのべ60本以上のテキストのなかには、家族や友人 関係に悩む生徒から、被差別部落出身・在日コリアン・障がい者(児)であることなどによっ て差別を受け苦しむ生徒まで、実にさまざまな問題や課題を抱える生徒たちが登場する。

前稿で対象とした湊川高時代の伊田は、そこで出会った想像を超える問題や課題を抱える生 徒やそのような生徒に真摯に向きあおうとする同僚との関わりのなかで、時に自分の存在や立 ち位置を見失い、時に浮遊し、湊川高へ赴任する以前の に出会い直すのであった。それ は、 私 を否定し再構築しつづけ、「自分をつくりかえながら次第に生徒と向きあえるところ までたどりつく」(林竹二『学ぶこと変わること』 p.2)ものであった。その過程で、当 初「逃げ道を封じられ……こわくても何でも、必死に生徒に向きあってい」(同上)くことを せまった 湊川 は、次第に が何かができていると感じることができる場、 私 の実 践を支える場へと移り変わっていった。湊川高に着任して数年後、同校を離れて「ひとりにな った時」のこと、すなわち、教師として一人立ちする新たな が模索されはじめる。そし て、12年に甲北高への転勤を迎えた。

甲北高時代に書かれたテキストの論題は、その時々の の心情を示すような魅力的な、

興味深いものが多い。たとえば、「少しだけつながり始めた」(13)「生徒達に励まされて」

(14)「厳しさに裏打ちされたやさしさを」(14)「まだまだ、頑張れそうです」(15)

「いつか安心して語り合える場を」(15)「厳しくやさしい生き方の生徒たちにふれて」(15) などである。この時期、伊田は最も多く文章を書き残し、エピソードとして登場する生徒も最 も多い。甲北高時代のテキストを基にして、 湊川 から離れ、「人間として」「一人前の教師」

になろうとした の語り(伊田の教員生活の軌跡)をたどってみることにする。

1.「新しい出会い」を求める

2年に湊川高から甲北高へ転勤した際の、高友会報に載せられたあいさつには、「人間く さい教師としてありたい、一人ひとりの生徒の生命を大切にできる教師でありたいと思ってい ます。まだまだ未熟ですがよろしく願います。「甲北高あいさつ」 ページ数なし)とある。

「人間くさい教師」「一人ひとりの生徒の生命を大切にできる教師」でありたいとすることば

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は、7年半勤めた湊川高での生徒や同僚との関わりのなかで刻んだ「逃げだしたくなる程、や さしく・きびしく問われ続けた歴史」に裏づけられたものとしてある。別のところでは、甲北 高へ転勤する上での「決意」が次のように述べられている。

私はこの四月に湊川高から甲北高へ移った。初めての全日制普通科に勤めるにあたって、

「学校がかわっても、またこれから先どこへ行っても、学校体制によって自分のあり方を ころころ変えることだけはすまい。湊川高のときの部落出身生徒・在日朝鮮人生徒・障害 者生徒達から、定時制の約八年間私が何を学んできたのか、ということが問われ続けるだ ろうけど誠実な教師として、少しでもおれる様に生きていこう」という決意だけはしてい た。「少しだけつながり始めた」 p.6)

は、湊川高で「逃げだしたくなる程、やさしく・きびしく問われ続けた歴史」を刻ん だ。それは、生徒や同僚の支えがあったからこそ刻み得たものであった。そのような支えを得 られなかった教師、生徒や同僚との関係が「支え」に至る前に彼・彼女らから「やさしく・き びしく問われ続け」ることに疲れ、あるいは拒否し、「逃げだし」てしまった教師などにとっ ては、湊川高を去った後、「学校体制によって自分のあり方をころころ変える」者もいた。

同じく湊川高の教員であり、同僚であった登尾明彦は、「湊川の不幸は、湊川を去って行っ た教員が、湊川のことをよく言わないことだ。中には湊川に勤務していたという経歴を隠す御 仁もいる。それはその教員の湊川への係わりの薄さに由来しているし、部落や朝鮮に対する偏 見の表れでもある。「善意が転げてきたような人―伊田哲朗さん(1) ページ数なし)と 述べている。「学校がかわっても、またこれから先どこへ行っても、学校体制によって自分の あり方をころころ変えることだけはすまい」ということばには、 湊川 という生徒と教員も 含めて湊川高校の独特の雰囲気ないし教育のありようから離れ、 湊川 でないところで「逃 げだしたくなる程、やさしく・きびしく問われ続けた歴史」を一人ででも刻み続けていくとい う「決意」の表明といえる。

また、後半の「湊川高のときの部落出身生徒・在日朝鮮人生徒・障害者生徒達から、定時制 の約八年間私が何を学んできたのか、ということが問われ続けるだろうけど誠実な教師として、

少しでもおれる様に生きていこう」ということばには、湊川高を去る際の具体的なエピソード

「少しだけつながり始めた」 p.6)がある。伊田の転勤に際して生徒たちが送別会を開い てくれたという。その席で、彼・彼女らから、「先生、甲北へ行っても生徒だけは大事にしい よ」という励ましをもらっている。それは「私にはきびしい注文の様に聞こえた」とある。生 徒からの「きびしい注文」が「誠実な教師として、少しでもおれる様に生きていこう」という

の「決意」になって表れたのである。

このような「決意」をもって、伊田は甲北高へ転勤した。伊田の目に映った最初の甲北高の

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印象は、「生徒が非常にまぶしく見えた」「新しい出会い」 ページ数なし)とある。しかし、

その印象は、次第に変わっていく。

まぶしく見えていた生徒達の中に、影を見始めたのは、私が校門の立ち番にあたり、服 装検査をした頃からだと思う。校門のそばに立ち、遅刻者をチェックし、服装のみだれを チェックする役割としての私(教師)を前に、生徒達は一様に固い表情をしている。少な くとも私にはそう思えた。校門に立ち、「おはよう」とか、包帯をしている手を見て「ど うしたんや」とか声をかけるだけであっても…。そして、逆に私が生徒達から見張られて いるような、重い気持になっている。(同上)

0年代の学校を描写した鎌田慧は、「子どもたちにたいする管理が徹底されるにつれて、生 徒の管理をおこなう教員自身が、校長、教頭(副校長)に管理され、校長、教頭たちがこんど は教育委員会の官僚に支配されるようになる。「はじめに」 p.v)と指摘している。この指 摘は正しいが、補足がいる。すなわち、 私 のことばに示されているように、教師は、みず からが管理する生徒たちの冷淡にして、ときに冷徹なその視線によっても管理されるのである。

「しつけの甲北」と称された甲北高の現実を目の前にし、伊田は生徒との出会い方を模索しは じめる。

しかし、もっと別な出会い方をしないと、私にとっても生徒にとっても不幸なことであ ると感じていた。何度も多くの先生に注意されながら、規則が守れない生徒に対して、「な まいきだ」「いい加減だ」ではすまされない何かがある様な気がするし、表面的に目立た なくてもいっぱい問題をかかえて来ている生徒もいるはずである。生徒と深いところでつ ながらないと、生徒が見えないし、生徒も私(教師)も変わりようがないはずである。そ う思い始めると、あせりを覚えてくる。生徒に本当につながれない寂しさを私も感じてい た。「新しい出会い」 ページ数なし)

「生徒達から見張られているような、重い気持になっている」 私 は、その状況を「私に とっても生徒にとっても不幸なことである」と感じる。そして、 私 は「もっと別な出会い 方」を求めようとする。次第に、指導を受ける生徒たちに対して、『なまいきだ』『いい加減 だ』ではすまされない何かがある様な気がする」と思いはじめ、「表面的に目立たなくてもい っぱい問題をかかえて来ている」生徒もいるのではないかと感じるようになっていく。そして、

「生徒と深いところでつながらないと、生徒が見えない」と思い至る。生徒と深いところでつ ながれるようになってはじめて、生徒も 私 も変わることができる。それは、まさに 湊川 が刻んできた歴史であった。ここにおいて、改めて 湊川 が思い起こされる。

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ふり返ってみると、教師になってこの間、私にいっぱい人間として大切にしなくてはな らないことを教えてくれたのは、部落出身生徒、在日朝鮮人生徒達であった。逃げだした くなる程、やさしく・きびしく問われ続けた歴史ではあったが、少しはましな人間になれ たように思う。私は今、私自身のために彼らと出会いたいと素直に思う。出会えるか否か で私自身を検証していきたい。いつまでもあまえてばかりはいられないと思いつつ、あま えてばかりできた。甲北高校の中で、はやく一人前の教師として自立し、部落や朝鮮を初 め、差別を背負って生きている生徒達ときちんと向きあい、それらの生徒達に応えていけ るものを持とうと決めた。(同上)

は、「人間として大切にしなくてはならないこと」を 湊川 で「部落出身生徒、在 日朝鮮人生徒達」に教わった。その過程は、 私 自身の存在が、思想が、人間性が「逃げだ したくなる程、やさしく・きびしく問われ続けた歴史」であった。そのおかげで、「少しはま しな人間になれたように思う」と述べられる。そして、「少しはましな人間になれた」 私 は、

甲北高においても「逃げだしたくなる程、やさしく・きびしく問われ続けた歴史」を自ら刻も うと決心する。同時にそれは、「一人前の教師」としての「自立」を意味する。「人間として」

の成長やより「ましな人間」になることは、「一人前の教師」としての「自立」になるという ことである。 私 にとって、「人間として」の成長と「一人前の教師」としての「自立」は同 じこととしてある。

今現在、教員に求められる資質能力は、教育者としての使命感、人間の成長・発達について の深い理解、幼児・児童・生徒に対する教育的愛情、教科等に関する専門的知識、広く豊かな 教養、これらに基づく実践的指導力として示されている。「人間として」の成長はもちろんの こと、それ以上に教師としての専門的なあり方が必要とされている。教師としての専門的なあ り方については、ドナルド・ショーンの専門性の概念によって秋田がより実践に引きつけて、

「複雑な問題状況に身を置きながら、経験から形成した実践的知識を用いて、実践過程を省察 し、授業を創出していく」(秋田喜代美 p.1)ことと定義している。

このような資質能力や専門性を備えた者を「一人前の教師」とするならば、伊田が「人間と して」の成長と「一人前の教師」としての「自立」を結びつけていることにより丁寧な説明が 必要となる。さらにいうと「一人前の教師」が「人間くさい教師」のことでもある点を思えば、

専門性と非専門性についてなおさら言及しなければならない。詳細な検討は今後改めて行うが、

の語りにおいて「人間として」の成長と「一人前の教師」としての「自立」が結びつけ られていることは、いわゆる教員に求められる資質能力や実践的知識の活用および「省察」な どの用語を用いて説明される教師の専門性を考察するうえで、より具体的実践的な材料を与え てくれると考える。

同じように、教師と生徒との関わりが人と人との出会いとして示されているものがある。伊

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田は甲北高に赴任して、次章で紹介するサッカー部顧問という立場や授業を通して何人かの被 差別部落出身・在日コリアンの生徒と出会い、彼・彼女ら同士をつなげようと試みる。伊田の 予想をはるかに超えて、生徒同士は「自分の生き方を見定め、自分で自分を問いきびしいとこ ろでつながろうとしている」「新しい出会い」 ページ数なし)という。そのような生徒たち をみて、伊田は次のように語る。

部落出身生徒Y子の「はやく集まれる場を創って欲しい」という願いと、在日朝鮮人生 徒Tの、「早く会いたいんや」という願いは、私には同じに聞こえてくる。それは、私がお たおたすることを許さないきびしいものだ。日々の生徒指導の中で、生徒の中に入ってい けば、その分私も問われる。授業の中で、部活の中で、私の立居振舞の中で問われていく。

この頃、人と人とが出会うのに楽なだけの出会いというのはないのではないか、と思えて きた。これからも生徒に学びながら、少しでも誠実な生き方をしていこうと思う。」(同上)

前半部分は、 湊川 を思い起こさせるような、生徒との「きびしい」関係、 私 が「問わ れる」姿を描いている。生徒指導、授業、部活という教師の教育実践のなかで、「生徒の中に 入って」いく。教師―生徒関係がその関係の深まりにより、「人と人との出会い」となる。そ のような「出会い」は「楽なだけの出会い」ではなくなるという。なぜなら、「生徒と深いと ころでつながらないと、生徒が見えないし、生徒も私(教師)も変わりようがない」とあった ように、「深いところ」での「つながり」は他者だけでなく も変わることをせまられる からである。

前稿や前々稿で紹介した神戸市立吾妻小学校や 湊川 は、まさにそのことを示していた。

教師は、問題や課題を抱える生徒をよりよい方向へ変えようとする。しかし、教師が生徒と「深 いところ」での「つながり」を持ち始めると、その生徒の問題や課題がその生徒個人の心がけ やがんばりだけではどうすることもできないこと、その生徒が差別の結果として問題や課題を 抱え込まざるを得なかったことに気づいていく。それは、教師自身の人間観、教育観、人権意 識、差別意識などをきびしく問うてくる。そして、教師は「問題を抱えた子どもに問題の責任 を押し付けること」なく、「貧困などの社会構造から派生した社会問題までをも子どもになす りつけること」のない見方を獲得していく。すなわち、生徒がよりよい方向へ変わっていくの ではなく、まずは教師が変わっていくのである。

甲北高で数年を過ごし、多くの生徒と出会った伊田は、「出会い」について次のように述べ る。

私はまた、生徒と出会えるのも同僚と出会えるのも同じことだと思えるようになった。

これまで被差別生徒や彼らの親達と出会うことで、本当のやさしさとは、厳しさに裏打ち

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されたものであることを学んだ。親しんでもなれ合いにならない、厳しい関係をつくって いく中で、はじめて人と人とが出会っていくということだろうと思う。「出会う」という ことが、生き方を変えるということである以上、あたり前のことだと思う。「いつか安心 して語り合える場を」 p.7)

は、生徒、同僚、保護者たちと「出会う」ことで、「本当のやさしさとは、厳しさに 裏打ちされたものであること」を学んだという。その「出会い」とは、「親しんでもなれ合い にならない、厳しい関係」なのであって、それこそが人と人との「出会い」であると述べる。

そして、『出会う』ということが、生き方を変えるということである以上、あたり前のことだ と思う」というように、「出会い」は、「生き方を変える」ものとされる。これについて、在日 コリアンの康玲子が高校時代に本名を名乗ったときのエピソードを少し長いが紹介したい。康 の「私はみんなに変わってほしかった」という悲痛に似た思いには、伊田が「出会い」を「生 き方を変える」ことと述べていることに通じるものがある。

この時のことは、ふりかえってみて、今なお私にとっては難題だ。なぜ、あんなにすれ 違ってしまったのか。みんなが、「名前が変わっても同じ。」と言ったのは、彼らなりの誠 実な答えだったのではないのか。「谷山さん」が「康さん」に変わっても、僕らは態度を 変えたりしない、それで態度を変えたら差別になってしまう、と彼らは考えたのではない のか。……しかし、私はみんなに変わってほしかった。

私はみんなに何を期待していたのだろう。今ならわかる。言葉にできる。私は、私が朝 鮮人だということを表明したのだから、それをそのまま受け取ってほしかった。その決心 を尊重してほしかった。せめて、「ああ、そうか。よく打ち明けてくれたね。じゃあ、こ れからはちゃんと本名で、『康さん』と呼ぶようにするよ。」と言ってほしかったのだ。さ らに、この社会に在日朝鮮人差別というものがあるのだから、そして、私が、自分も将来 その差別を受けることになるのではないかと、不安に怯えているのだから、そのことにつ いて、みんなにも知ってほしかったし、一緒に考えてほしかった。解決への手立てがある なら協力してほしかった。もちろん解決なんて、高校生には難しいことだけれど、それで もそんな差別を許している社会の一員としての、応分の責任は自覚して、その責任を引き 受ける姿勢だけでも、見せてほしかった。せめて長田高校の中だけでも、朝鮮人生徒が本 名で当たり前に過ごせるような、そんなみんなの理解がほしかった。(p.9―71)

康は本名を告げることで、同級生たちに変わってほしかった。在日コリアンである康、彼女 の境遇、彼女の「不安」を知ることは「深いところ」での「出会い」を意味する。そこにおい て、同級生たちは「名前が変わっても同じ。」といい、それまでの「生き方」を変えないので

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はなく、「せめて長田高校の中だけでも、朝鮮人生徒が本名で当たり前に過ごせるよう」、康と 一緒に考えるという「生き方」に変わらなければならなかった。少なくとも康には「生き方」

を変えてほしかった。「深いところ」での「出会い」は、それに関わる人々の「生き方を変え る」のである。

湊川 を離れ、「深いところ」での「出会い」を求める伊田は生徒とどのような「出会い」

をしていくのであろうか。その「出会い」のなかで、 私 はどのように「私自身を検証し」

「誠実な生き方」をしていったのであろうか。

2.さまざまな「出会い」と

(1)「悪いことをせんでも家に来る変わった教師」としての

甲北高に赴任した一年目の伊田は、一年生の副担となり、主に教科の授業とサッカー部の顧 問として生徒たちと関係を築こうとする。サッカー未経験の伊田は、部員約40名に対して、次 のような目標を掲げた(「今、自己をふり返る時」 p.2)

へたでも熱心に練習しているものは試合に出すこと

部活の時のみのつながりでなく生活全般にわたってつながる部にすること 上級生は下級生に自分のすべきことをおしつけないこと

いわゆるゴンタな生徒もかかえ込める部にすること 実力的にも強くすること

とくに、〜については、言い続けたという。具体的な例を挙げれば、「生徒が休んだり していると、私が連絡するのでなく、そのつど『今日、お前電話したれや』と言って、生徒と 生徒をつなげるようにするとか、入院したら、私も他の生徒も見舞に行くとか、元気がない者 がいれば、『お前、あいつ元気ないから話聞いたれや』と指示したりしてきた」「少しだけつ ながり始めた」 p.6)などである。さらには、家庭訪問まで行い、「悪いことをせんで家に 来る変わった教師」(同上 p.7)と生徒たちに評されている。に示されているように、伊 田が生徒に求めたのは、「つながり」、いいかえれば、「人と人との出会い」を大切にすること であったといえる。

夏の合宿では、一人の生徒との何気ない話に始まり、最後は合宿参加者全員が話の輪に入り、

被差別部落(同和)・在日コリアン・障がい者問題などについて話し込んだという。その話を 通して、 私 は、『どうせ全日制普通科高校の生徒や、いいかげんな奴が多いんだろう』と いう偏見」(同上)をもっていたことを素直に生徒たちに述べ、「校則を守らないとか、授業中 無気力とか聞いていた生徒程、話し合いに集中して真剣に討論に加わってきたことで、この生 徒達は『うえてるんだなあ』『ごっつぅまじめなんだなあ』」と感心し、「私の見方の一面的な ことを正直に出して生徒にわびた」(同上)のであった。

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この合宿で被差別部落出身の生徒Sと出会う。生徒Sははじめて部落のことを聞かれたと話 し、「私の目をにらむように見つづけて聞」(同上)き、「逃げないで自分に何ができるか考え る」(同上)と言ったという。「私も彼と拮抗できる教師でありつづけるためにしっかりと生き るから」(同上)と伝えている。翌日の生徒Sについて次のように述べている。

Sは、「仏さん見ていて、問いつめられてしんどくなった」と、部屋に帰って大きなた め息をついた。前夜話した部落出身者としての自己を、仏像を通して見つめていたんだな あと思った。十六、七歳で、仏についてこんなに深く考えられることは、必死で生きてい る者でしかできないことだ。……サッカー部の中で、一日も早くSのことをはっきりさせ て、みんなで考えていけるようにしたいと思う。(同上)

翌日に仏像を見て「しんどく」なるようなことを生徒にあえて聞き、「生徒の中に入って」い く。生徒Sと「深いところ」でつながろうとし、生徒Sを、生徒Sの必死さを見ようとしてい る。そして、みずからには生徒Sと他の生徒をつなげることを課すのであった。この後、生徒 Sと同じく被差別部落出身の生徒Yとをつなげることができた。

また、あるとき、サッカー部から退学者が出ることになった。その生徒はすでにある問題を 起こし停学になっていた。そのときも退学になるところを伊田の働きにより停学で済んでいた。

伊田は、サッカー部内でも彼を迎え入れる体制が取れるよう、準備にかかる。しかし、再度、

問題を起こし、退学に至ったのである。伊田はその生徒が学校に残した荷物を取りに来た日に、

部のミーティングを開き、別れのあいさつを交わさせている。「私としては、一人の生徒が学 校を去るとき、『いつの間にかいなくなっている』ことだけはさけたかったのだ。「今、自己 をふり返る時」 p.3)と、そのときの の心境を明かしている。退学した生徒の担任か らは、「とても自分の部では、ああはいかない。正直に言って感動した。」と伝えられた。しか し、「私の力不足で一人退部させてしまった」「少しだけつながり始めた」 p.6)という思 いが に残った。

しかし、「部内の対立にしても、私はとことん議論させた。『言いたいことは言え、ただし決 して後に残すな。スポーツマンらしくさわやかになれ。』と言ってきた。よく議論して良く泣 いた。「今、自己をふり返る時」 p.3)という。卒業を控えた3年生のサッカー部員が手 紙を書いている。書道の時間に毛筆で書いたものである。

私も先生のおかげで卒業となりました。部活動では言葉にできない程の感謝の気持でい っぱいです。先生ははじめ、ぼくたちを見たときどうお思いになったんでしょうか。私は、

先生を見たというよりは声を聞いたとき、やさしそうな先生だと思いました。でも先生は やさしいだけではなかったと思います。私も先生の言葉にははっとしたときが何回もあり

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ました。そのたびに自分のうかつさと勉強のたりなさを痛感しました。突然ですが、後輩 とても強いですね。先生の指導がよかったのだと思います。心の指導かも知れません……。

「生徒達に励まされて」 p.6)

この生徒は、部活動で出会った伊田と生徒たちとの関わりを「心の指導」であったと述べて いる。伊田から発せられたその時々のことばに何度も感心させられ、そのたびにみずからを省 みている。それは、伊田と被差別部落出身の生徒Sや退学することになった生徒とのつながり を周りで見ていたのか、あるいは、そのような生徒と他の生徒たちがつながれたからなのか。

いずれにしても、「つながり」「人と人との出会い」を求めて、伊田はさらに生徒たちに向き あおうとしていく。

(2)特別授業〈縁〉―語り出す

前章で記したように、伊田が甲北高にて生徒との「もっと別な出会い方」を求めた際、改め 湊川 以前のこと、 湊川 のことが思い起こされた。大学卒業後のアルバイトの時に出 会った沖縄青年Uは、本当の年齢が分からず、両親の離婚の際には父親についていき、父親か ら暴力を伴うきびしいしつけを受けて育った。しかし、彼はそんな父親を嫌いではなかったと いう。「なぜこんな風に父が見れるのだろうか、どうしてこんなにやさしくなれるのだろうか、

……こんな話をどうして私にしたのだろうか」「生徒達に励まされて」 p.8)と、 私 自問し、沖縄への関心を強く抱いた。また、教育実習で出会い、小学校助教諭時代に手紙をく れた生徒Nは、教育実習を終え伊田と別れた後、問題を起こし少年院に入った。仮出所間近と なり、伊田に手紙を出してきた。伊田は、生徒Nの手紙を読んで、「助教諭でしたが、その時 本当の教師になる決意ができたように思えます。Nのような生徒とつながれる教師でありたい と思いました」(同上)と「決意」を述べている。 湊川 時代に思い返した人たちとの「出会 い」も含め、このような数々の「出会い」を語り出したのが特別授業〈縁〉である。この授業 に込めた伊田の「願い」とは次のようなものであった。

甲北高校では、多くの生徒達が困難な状況をかかえて登校しています。彼らが困難な状 況に自己を見失うことなく、たくましく生きて欲しいという願いをこめて話します。さら に偶然何かの縁で出会った生徒達が、クラスの友人をはじめ人を大切にして生きて欲しい、

深いところで人と出会って欲しいという願いがあります。(同上)

このような「深いところで人と出会って欲しいという願い」のもと、特別授業〈縁〉は年6 回、うち3回は同僚教員も入り、行われた。何名かの生徒は泣きながら授業を聞いていたとい う。授業に対する生徒の反応は、「先生は、同和教育は大事だというけど、知らなければ差別

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はないのでしない方が良い」「いつか安心して語り合える場を」 p.6)と伊田の「願い」が 届かぬ感想を書いた生徒もいたが、なかには次のような感想を記してくれる生徒もいた。

在日朝鮮人の話をはじめとして、色々な話をしてくださったことに感謝します。現在同 和問題にふれることすらけむたがる人がいますが、これからも機会があればそんな話をし て下さい。差別に関する偏見のない世界は、どんな世界になるんでしょうか。私は、そん な世界に近づきつつある時代に、偏見のある時代に、何をするべきなのか考えさせられ、

今もまだ考えています。あと二年よろしくお願いします。「今、自己をふり返る時」 p.6)

教育する側の考えや思いをすべて教育される側に伝えるのは無理なことであり、教育の限界 の一つである。しかし、無理だから、限界だから、伝えることをあきらめるのではなく、そう だからこそ、伝えつづけなければならない。「深いところで人と出会」うためには、伝えつづ けることがなおさら必要である。伊田も「こんな風に受けとめてくれていたのかと胸が熱くな ってくる」(同上)と吐露している。そして、「授業が、単に知識の伝達のみでなく、教師と生 徒の人格的なふれあいがいかに大切であるかということを感じる。(同上)とも述べている。

別のところで、社会の授業について次のように述べている。

私は社会科を担当しています。社会科の目標は、〈どんな問題が起こっても、逃げない で対処していく力を養うこと〉と、〈人を大切にすること〉だと思います。知識の量が多 くても、現実に目の前に起こっている問題に何一つ対応できないような生徒を育ててはだ めだと思いますし、人を平気で傷つけたりするような生徒を育てては、すべての教育の基 本にすえるべき同和教育の理念から、もっとキョリのある「教育」に手をかすことになる と思います。「生徒達に励まされて」 p.7)

「困難な状況に自己を見失うことなく、たくましく生きて欲しい」「人を大切にして生きて 欲しい」「深いところで人と出会って欲しい」という の「願い」は、特別授業〈縁〉だ けでなく、通常の授業においても貫かれている。生徒と生徒が、生徒と が、 私 と同 僚が、「深いところで人と出会」う。特別授業〈縁〉や通常の授業で、授業が「単に知識の伝 達のみで」終わってしまわぬよう、「教師と生徒の人格的なふれあい」として過去から今にい たる が語り出されたのである。それによって、さらなる「深いところ」での「出会い」

へと深まっていく。教師から生徒へ伝えるという授業の形ではなく、図書部と生徒会の一部の 生徒からの「私の話が聞きたい」(「まだまだ、頑張れそうです」 p.2)という要望により「伊 田を囲む会」も設けられた。

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(3)弟を疎ましく思う生徒U

生徒U(テキストによってY、Mとも表記。)は、「少しだけつながり始めた」(12)「生 徒達に励まされて」(14)「今、自己をふり返る時」(15)に登場する。生徒Uの結婚式に は、伊田が父親役として出席している。卒業後も伊田とつながりつづけた生徒であり、甲北高 で最初に「きびしく」「深いところ」でつながった生徒であると思われる。二人が出会った頃、

生徒Uは、伊田のことを「けむたい存在」「少しだけつながり始めた」 p.8)であると母 親に話している。「私は、それまでの授業で、Y(生徒Uのこと=筆者注)に伝えるつもりで

『勉強する目的は、究極のところ何があっても生きつづけていく力をつけることだ。何があっ ても決して逃げたり死んだりしてはだめだ』と言ってきた」(同上)という。このこともあり、

生徒Uは少しずつ自分や家族のことを話し始めていく。あるとき、伊田は生徒Uに厳しくせま る。彼女は、両親の離婚で父親についていった弟を受け入れられないという。弟が長期の休み に生徒Uの住む母親のところへ来ることを「家の中が重苦しくなる」といった。そのような生 徒Uに対し、伊田は次のようにただしていく。

長期間の休みの時に、弟が遊びにくると、家の中が重苦しくなるというUに、弟の気持 をくみとって欲しいと思い、「両親が別れる時に、何故お前はお母さんのとこへ行ったん や。弟は何故お父さんのとこへ行ったんや」と聞いていった。「下の弟は小さかったし、私 は、お母さんとこへ行くと言うた」と言う。「弟はなんでや」とたずねると、「お父さんが かわいそう思うて.」と応えた。Uは泣き始めていた。「それみろ、お前よりやさし い子ちがうか、その弟が家に来て、うっとうしいとしか思えないお前は冷たいのとちがう か、お母さんかて、お前と弟の両方に気がねせなあかんやないか」と問うてきた。「今、

自己をふり返る時」 p.1)

ここには、決してなれ合いにならない「きびしい」関係がある。生徒Uのつらい境遇を思い やり、弟を疎ましく思う彼女の心境を聞き入れるのはたやすい。しかし、それはもの分かりが いいだけなのかもしれない。「先生、甲北へ行っても生徒だけは大事にしいよ」という 湊川 の生徒たちの注文を胸に刻み「決意」した以上、あるいは、「困難な状況に自己を見失うこと なく、たくましく生きて欲しい」「深いところで人と出会って欲しいという願い」を抱き、特 別授業〈縁〉でそのことを伝えようとする伊田にそのようなことができるはずがない。伊田は、

「Uが本当の意味でやさしく、たくましい生徒に育っていく」(同上)ことを望む。そのため、

その後、生徒Uとの「きびしく」「深いところで」つながりながら、彼女を被差別部落出身の 他の生徒たちに出会わせ、高校部落研集会につなげていった。そして、「私の要求を正面から 受けとめて、きびしい選択を自らに課していっているUに恥じないよう、私もまたきびしく生 きていかねばと思う。(同上 p.2)と、甲北高においても「きびしく生きていかねば」と

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みずからを律するのであった。

(4)在日コリアンの生徒Yと不登校の生徒M

4月初めのホーム・ルームで、生徒Mは「もう一度頑張る」「きびしい選択を課すこと」

p.2)と自己紹介した。生徒Mは、出席日数が足らず留年したのである。その後、生徒Mのそ ばに在日コリアンの生徒Yが「はりついている」ことに は気づく。生徒Mに対する生徒 Yの行動に「救われた」と感じ、次のように礼を述べた。

「お前、この前M子が自分のことを伝えてから、ずっとM子のそばにいてくれていて、

うれしく思っている。お前が、在日朝鮮人の子やからM子の痛みがわかるのかもしれない な。(同上 p.3)

感謝の気持ちを素直に伝える伊田であるが、「お前が、在日朝鮮人の子やから」とは気にな る表現である。実は、生徒Yは、両親が「北」と「南」と別々の籍であることで奨学金取得に 迷いを感じていること、病弱な母に代わり家事を担っていること、経済的なしんどさ、などの 問題を抱えていた。生徒Mを支え、自身の経済的に苦しい生活のことは話せても、在日コリア ンであることは打ち明けられない生徒Yであった。生徒Yも、生徒Mと同じように、大きな課 題を胸に秘めていたのである。

しばらくすると、生徒Mが休みがちになる。生徒Yは何度も生徒Mに連絡を取るが、生徒M は変わらなかった。ついに、生徒Yは「明日来んかったら縁を切るから」(同上 p.4)と「き びしく」「深いところで」生徒Mに向きあおうとする。生徒Mから相談を受けた伊田は、次の ように返していく。

「Y子は、しんどい問題をかかえてきている。お前は、聞いていることもあるかも知ら んが、Y子がまだ言ってないこともあるんや。そやけど、お前がしっかりしてないから言 えんこともあるんや。お前が頑張っていったら、Y子は改めてお前に話すことがあると思 う」。M子は黙ってうなずいてこうつぶやきました。「あんな子はじめてや。私はうらぎっ てばっかりなのに……。(同上)

生徒Mは、生徒Yのことばに追いつめられたかもしれない。しかし、生徒Yは生徒Mと関係 を絶とうとしているのではない。生徒Yは生徒Mに「きびしい」要求を突きつけることで、生 徒Y自身もみずからを「きびしく」律し、みずからに向きあおうとしているのであると、伊田 は理解する。生徒Mが「しっかり」することで、彼女も生徒Yに向きあい、支えあっていける ようになる。生徒Mも、「私はうらぎってばっかりなのに……」と、今まで生徒Yに支えても

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らうだけだった自分に気づく。「きびしく」「深いところで」つながろうとする生徒Yと生徒M、

彼女たちが「深いところ」でつながれることを願い、それぞれに向きあう伊田であった。

(5)「先生は日本人や」とせまった在日コリアンK

甲北高4年目の15年に「朝鮮人生徒の会」が発足する。伊田が甲北高で出会えた生徒たち が確かな「つながり」を持てたのである。同じ年に、在日コリアンの生徒Yが民族団体の文化 祭で民族舞踊を披露した。それに刺激された生徒Kも朝鮮奨学会の文化祭で民族舞踊を披露し たいといい、三年生の生徒Pも加わり、練習に励むことになった。そして、彼女たちは見事に 文化祭で民族舞踊を披露し、各自それぞれの思いを伊田に伝えた。

在日コリアンであることを隠していた生徒Yは、「民族の誇り」をもって周囲の人々に感謝 のことばを表した。最初に踊りたいといった生徒Kは、踊ることもチマ・チョゴリを着ること も初めてであったが、「理屈じゃなくて、『私は朝鮮人だ』という血が騒ぐのです。」と自分の 存在を根本から見つめ直した。三年生の生徒Pは、伊田の妻に手紙を書き、自分たちのせいで 伊田が家族サービスできないことを詫び、後輩たちのためにもまだまだ伊田が必要であること を告げた。

三者三様それぞれにユニークな生徒たちである。彼女たちと伊田との関係のなかで、伊田が 彼女たちに伝えたことがあるという(「公立高校における朝鮮人生徒の位置」 p.3―4)。一つ は、「朝鮮人生徒が朝鮮をかくさず生きて欲しいという」こと、もう一つは、「朝鮮人であるこ との位置からのみ人をうつような、なまいきな人間にならないようにということ」である。後 者について、次のようなエピソードがあげられている。

Kとの出会いの中でこんなことがあった。話の途中でKが、「先生は日本人や。日本人 に朝鮮人の気持がわかるんか。」と、すごい形相で返してきた。私は、「良心的な多くの日 本人は、そう言われると何も言えなくなる。黙らして何をしたいんや。確かにわからない こともあるだろう。だからといって、初めからそういう言い方はないだろう……。」と返 した。Kは、踊りの練習の合間に「あの時、先生が黙ってしまっていたら、先生を信用し てなかった。先生が負けないで言い返してきたから、ちょっとちがうなと思った。」と告 白してくれた。(同上 p.4)

湊川 以来の、生徒との「きびしい」関係、 私 が「問われる」姿がここに示されてい る。「日本人に朝鮮人の気持がわかるんか」と詰問され、伊田のように言い返すことはなかな かできない。伊田が述べるように、黙るか、せいぜい感情的に言い返すだけであろう。ここに、

伊田が刻んできた 湊川 における「逃げだしたくなる程、やさしく、きびしく問われ続けた 歴史」を垣間見ることができる。また、それは、甲北高で「親しんでもなれ合いにならない、

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厳しい関係」のなかで、「深いところ」でつながろうとしてきたから出会えたともいえる。伊 田は、生徒Kのことばに逃げずに「誠実な生き方」を示した。だから、伊田は信用されたので ある。

(6)「先生はきらいです。でも……尊敬します。」と書いた生徒

生徒に応じて「きびしい」関係を築こうとする伊田は、一人ひとりの生徒だけでなく、生徒 集団に対しても独特の関わりをもとうとする。

たとえば、一年生のオリエンテーション合宿では、入学時に提出した作文(テーマ「何のた めに高校に入学したのか」)を素材にして、自分の生き方(進路)を班・クラス討議を通して 考えていく活動がある。ときに、議論が深まらず、議論が中断し、表面的な意見に終始するこ とがある。その際、伊田は、あらかじめ目を通した作文を参考にして、一人ひとりに問いかけ ていく。ある者には、中学の時に人間関係で苦しんだことを高校でどうするのかと問い、また ある者には集団就職で関西に来た父親がそのことを自分に話した意味をどう考えるのかとただ していく。きちんと答える者、泣きながら必死で答えようとする者、考え込む者などいろいろ な反応であった。何人かの生徒は、みんなの前で、個人的な事情を話したことで、「伊田はは がゆい」「きびしい選択を課すこと」 p.2)という感想をもった。

また、クラスにおいては三つのクラス目標を掲げた。「勉強すること」「人を大切にするこ と」「自分に与えられた仕事に責任を持つこと」である。これらの目標に近づくために、伊田 は、「クラスの中では、できるかぎりかくしごとをしないで話しあえる関係をつくることが大 切だ」(同上)と考え、生徒に向きあった。たとえば、欠席者の扱いについては、クラス全員 の前で欠席理由を伝える。そうすると、後日「先生、なんで発疹で休んだなんて言ったんです か」といって泣き出す生徒がいる。伊田には、「生徒達が何故必要以上に自分のことをかくし たがるのか」(同上)分からない。話をしていくと、そこには「かっこわるい」「かわいくな い」「くらいと思われる」などの生徒の思いがあった。

「私は、もっと深いところで生徒が考え、行動していけるように願っています。そうしない と、部落問題も在日朝鮮人問題も生徒の中にいすわるはずがないと思うからです。(同上)と いう願いや思いが伊田にはある。しかし、生徒には、「そんな生徒の気持をくまない私は、『は がゆい』(同上)と映る。伊田もみずからの意図を伝えようと、すでに述べてきたように、個 別にあるいは通常授業や特別授業〈縁〉など集団的な対応を考え取り組んだ。そういう伊田の 姿勢をみた生徒からの評価がある。

私はせんせいはきらいです。でも信念を持って生きていることには尊敬します。「公立 高校における朝鮮人生徒の位置」 p.6)

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