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アメ リカにおける通学制公立聾学校 の設立 について

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(1)

アメ リカにおける通学制公立聾学校 の設立 について Ont h eFo un d a t i o no fPu b l i cDa yS c h o o l sf o rt h eDe a fi nU.S.A.

安 藤 房 泊 半

FusajiAndo

は じめに

アメ リカ合衆国 (以下, ア メ リカとす る)において盲,聾学校は,"Asylum"〃Ⅰnstitution"の名称が示す よ うに,社会事業 の一環 として19世紀前半に設立 され た。一万,19世紀後半か ら今 世紀 にかけての義務就学 法 の制定,公教育の拡大は盲,聾 児をは じめ障害 を有す る児童 の教育機会の拡大を促す と同時に,伝統的な 寄宿制学校 とは異な る通学制学校を都市部中心に生成 させた。 まず,聾児を対象 とした ホ レ ー ス ・マ ン 校 (HoraceMannSchoolfortheDeaf,1869年)を皮切 りに して,肢体不 自由児学級 (Chicago,1899)午,点 字学級 (同,1900年)が続 き,精神薄弱児学級は1900年以降急速に設立 され た。通学制障害児学校 (学級) の成立要 因を解 明す ることは, アメ リカにおけ る障害 児学校史研究 のための基礎的作業の一つであ る。

すでに荒川は通学制聾学校に言及 し,その設立に よって 「寄宿制 の学校 との間にその得失 を廻 って論争」

1)

が生起 した ことを指摘 し,論争の経過 を も明 らかに してい る。荒川の場合,必ず しも通学 制成立の背景を解 明す ることを意図 してはいな いが,荒 川の解 明 した論争点 の中に,通学制成立 の論理が示唆 され てい る。 ま た,加藤 は盲教育での通学制の成立過程を分析 している。加藤 は通学制成立の背景 として,公教育制度の拡 大,伝統的な盲教育の改革運動,地方教育当局の教 育費削減政策を指摘 し,その思想は 「機会均等理念 よ り

2)

もむ しろ社会適応主義を立脚点 とした もの」 としてい る。聾教育におけ る通学制学校設立の背景を検討す る にあた って,加藤 の指摘か ら重要な示唆が与 え られ るだ ろ うC この場合,盲教育 との共通性,聾教育 の独 自 性 を明 らかにす るとい う視点か ら検討が必要にな る。

1 通学制の特徴およびその発展 (1)通学制公立聾学校 の特徴

一 口に 「通学制聾学校」 と言 って も,蓑 1に示 され るよ うに,都市に よ り異 な った名称が使用 され てい た。 しか し,①公費に よる維持,②通学制, とい う点で共通 していたo また, シ カゴ市 で はCity政)ar°of Education, ボス トン市 ではCitySch001政)ardに よって監督 されてい るよ うに,〟municipalsch001authori ties"の監督下におかれ ていた (Report oftheCommissionerofEducationfortheYear,1881.p.ccxi) 以下, シカゴ市 を例に してその実態 を見てみ よ う。

イ l)ノイ州においては,既設 の寄宿制聾醍学校が存在 していた (1846年創設)が,1870年当時その在籍人 3)

員は224名にす ぎなか った。人 口急増のイ リノイ州内には,80年代にな って も20歳未満 の未就学 児が500名以 4)

上 いた。すでに1870年には,Greenberger,D.に よって市内の小学校 の校 舎の中で聾児の教育が始め られ るな ど, これ ら児童‑ の教育を保障 しよ うとす る動 きが 出ていた。 また,1874年聾唖者団体お よびP.A.Emery

(後 のシカゴ通学制聾学校 々長) よ り通学制聾学校設立 の請願書が議会に提 出 された。1875年,その維持が 困難 とな った Greenbergerの教室 をEmeryが継承す る形で通学制聾学校が開設 された。 この学校 に対 して は,州の援助が得 られず 「学校 は明白に シカゴコモ ンス クール制度の一部 とみ な され,全面的に市に よって

5)

維持」 され ていた。 また, これ らの学校 は小規模で市内に散在 していた ことを蓑 2は示 している。

*弘前大 学教育学部特殊教育学科教室

(2)

Cincinnati,Ohio Cincinnati,Ohio Cleveland,Ohio Providence,R.Ⅰ. EauClaire,Wis. LaCrosse,Wis. Manitowoe,Wis. Milwaukee,Wis. Oshkosh,Wis, Sheboygan,Wis. Wausau,Wis.

OralSchoolfortheDeaf PublicSchoolforthe加af ClevelandDaySchoolforthen氾f RhodeIslandInstitutefortheDeaf EauClaireDaySch(泊lforthe地 f LaCrosseOralSchoolfortheDeaf ManitowoeSchoolfortheDeaf

MilwaukeePublicDaySchoolfortheDeaf OshkoshDaySchoolfortheD姐f

SheboyganDaySchoolfortheDeaf WausauOralDaySchoolforthe地 f

資料 :ReportoftheCommissionerofEducationfortheYear1894‑95.p.2257.

2 シカゴ市通学制聾学校の教師数 と生徒数

l教 師 数 l生 徒 数

1. BurrPublicDaySchoolfortheDeaf 2. DarruinPublicDaySchoolforthen泊f 3.DeafDepartment,clarkSchool

4. DorePublicDaySchoolfortheDeaf 5. FroetklPublicDaySchoolfortheDeaf 6. HammondPublicDaySchoolforthe地 f 7. KozminskiPublicDaySchoolfortkaf 8. LymanTrambullDaySchoolfor地 f 9. 0gdenDaySchoolfortheD姐f 10. PrescottPublicDaySchoolforDeaf ll. P.D.ArmourPublicDaySchoolforD姐f 12.5kwardPublicSchoolfor触 f

13. WinfieldScottSchley PublicDayschoolfortheDeaf 14. YaleDaySchoolfortheDeaf

22111222211115 4090624816966812111124

資料 :ReportoftheCommissionerofEducationfortheYear1904.

(2)通学制公立聾学校の発展

1860年代末にその端緒を見た通学制公立聾学校 は,その数において,1895年か ら1905年の15年間に急速に 増加 した (図1)。表3は通学制聾学校が,19世紀後か ら人 口急増地域 とな っていた中北部 (NorthCentral) 地域を中心に開設 されていることを示 している。なかで も, ウ ィス コンシ ン州は在籍数において通学制が寄 宿制を凌賀す るに致 った点で注 目で きる (図2)。通学制聾学校が中北部地域 の都市部中心に設立 されてい

6)

った ことは,その背景にはアメ リカ資本主義の急激な発展に よる都市人 口の急増,お よびその下での聾教育 要求の高 ま りとそれに対す る公的施策, とくに都市教育行政か らの対応があ った と考え られ る。

(3)

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l

1 聾学校数 の変遷

資料 :ReprtOftheCommissionerofEducationよ り作成 3 通学制公立聾学校数 ・生徒数 (1905年) i l 学 l 生

NorthCentral

Illinois Michigan Missouri Ohio Wisconsin

03177211 95753864052112

NorthAtlanticIMassachusetts 1 1 149 Western JCalifornia t 5 I 85 資料 :ReprtOftheCommissionerofEducationfortheYear1905よ り作成

oooooooooo

通 学 判 学 校 艶

音訓 生徒数

. ̲ . ‑ . . . . : ' , L / . . J . L L ' . ' I

2520̲5̲0 5

八 八 八 八 八 八 八 八 八 八 八 八 八 八 八 九 九 九 九 九 七 七 七 七 七 八 八 八 九 九 九 九 〇 〇 〇 〇 〇

〇 二 四 六 八〇 二 四 六 八 〇 二 四 ^ 六 八

2 ウ ィス コンシ ン州におけ る聾学校数,生徒数 の変遷

※寄宿制学校は一校 のみ

(4)

い と信 じている」 との意見に示 され ているよ うに, マサチ ューセ ッツ州内の聾教育者の間には,‑ー トフ ォ ー ド校に対す る教育方法上の不満,すなわち当時伝統的に使用 され てきていた手話法に対す る不満があ った。

すでに,1843年, ホ レース ・マン(HoraceMann,1796‑1859)と ‑ ウ(SamuelGriedley Hove,1801 1876)は,聾教育方法研究のために ヨー ロッパ各校を視察 してまわ り,帰国後 マ ンを中心に報告書を出版 し, 当時 ドイ ツで 普及 していた 口話法の採用 を強力に唱導 し始めた。

マ ンや‑ ウの 口話法導入に衝撃を うけた‑ー トフォ‑ ド校や ニ ュ‑ ヨ‑ク校 (InstitutionfortheInstruc tionoftheD飽fandDumb.New York,N.Y.)もヨー ロッパに視察を送 ったが,その結果, 口話法の導入

8)

に否定的な結論を出 し, ます ますサイ ン法に固執す ることにな った。 マサチ ューセ ッツ州の 口話法支持者た ちは, 「理事老たち (‑‑ トフ ォー ド校 の‑ 筆者注)が全権を握 り,かた くなに古い方法に固 執 し て い

9)

る」‑ー トフォー ド校に対す る期待を捨てて, 「彼 らが非常に よい教 育方法だ と信 じている方法の利益 をマ 10)

サチ ューセ ッツ州の畦老たちに得 させ る努力をす る」 ことになるoた とえば,‑ ウが議長を していた州慈善 委員会は, 「聾唖教育体制の変革」についての プラン,具体的には州内に聾学校を開設す ることを州議会に

1

提案 した。 こ うして,州内に聾学校開設の気運が高 ま り,その後 クラ ー ク 聾 学 校 (ClarkeInstitutionfor DeafMutes.Northampton,Mass.) とホ レース ・マ ンス クールの開設に至 るのであ るが,その経過について は後述す る。 ここでは,ホ レース ・マ ンス クール開設 の一要因 となる口話法の理念について検討す る。 なぜ な らば, 口話法の理念が通学制聾学校開設の教育方法上の動機を形成 し,その性格を規定す ると考え られ る か らであ る。

(2)口話法の理念

アメ リカへの 口話法導入の代表的推進者であ ったマンは, ドイ ツで隆盛を極めていた 口話法に よる指導を 直接 目に して,聾畦者が会話で きることに驚博 し,帰国後 「発音のカ‑ 他人が話す よ うに話す こと‑ れのみが,彼を社会へ回復 させ るのであ る。 これは可能だ し,実際あ らゆ る場合な され てお り,私は多 くの

12)

証拠を得た」 と報告 した。 マ ンは tt公教育の父" として知 られ, マサチ ューセ ッツ州の初代教育長 として公 立学校 の普及 ・発展に寄与 した。 マ ンは 「万人の平等 とか,独立 とい うこと,あ るいは教育の本源的権利や あ るべ き姿について説得す るときは, 自然法を主張 してや まないが, しか しいったん入関の現実行動や基準

13)

に説 きお よぶやいなや,忽ち功利主義の原則を と り出 して説 き始める」 と評 されているよ うに,功利主義の 立場か ら教育を考えていた。だか らこそ,聾者 の教育について もその 目標を tt社会への復帰を可能にす る"

ことにお き,そのための最善の方法 として 口話法に よる教育を唱導 したのであ る。

(3)クラー ク聾学校の開設

幼児期に失聴 した子 どもを持つ親たちの間か ら,早期教育に よ りスピーチ能力を保持 させ るための訓練 を 望む声が高 まってきた ことが, 口話法に よる学校設置運動に一層拍車をかけ ることにな った。なぜ な らば,

14)

既存の寄宿制学校は入学年齢が高 く, またその教育方法 も手話法に よっていたか らであ る。

15)

この よ うな親の一人であ ったHubbardは,1866年に私的な学校 (Chelmsford校)を発足 させていた が, その後 口話式学校の設立を州議会に請願 した。18677凡 ノーサ ンプ トンに,聾児のための学校を法人の

16)

下に設立す る法案は議会を通過,同校は20名の生徒を もって同年10月スター トした。 ここに クラーク聾学校 が設立 された。 クラーク校は 「純粋 口話法への志向性を有 した「関係者 と父母たちの熱意に動か された実

17)

験教育」 として設立 され,その後 アメ リカにおけ る口話法に よる教育発展の出発点 とな った。

(5)

(4)寄宿制学校批判 と通学制の成立

ホ レース ・マンス クールの開設 された1869年には, クラーク聾学校設立に象徴 され るよ うな 口話法導入, 普及運動があ ったが,通学制聾学校の開設は,それに加えて既存の寄宿制聾学校に対す る批判の運動を背景 に していた。 ‑ ウはすでに19世紀半ば,盲教育において寄宿制に対す る批判 と,生徒を近隣の家に住 まわせ,

18)

教育のみを一緒に集めて行な うとい う一種の通学制を示唆 した。聾教育において も彼の寄宿制に対す る批判 の立場は変わ らず,州慈善委員会議長 として委 員会年報で も論及 している。た とえば,1866年には 「唖者 も

19)

盲人 もコモ ンス クール内で教育す るプラン」を提案 している。 ‑ ウが寄宿制を批判 し, ttコモ ソス クールで の教育"を主張す るのは, 口話法を聾教育の方法 として採用す ることを主張 した マンの主張 と共通す るとこ ろがあ る。それはすなわち一般社会‑の適応をスムーズに し,聾者,盲人の 自立を促す ことであ った。た と えば1867年は次のよ うに報告 している。

「教育の主な 目的が,患者 (障害を有す る子 ども‑ 筆者注)に対す る特 別な疾患の好 まし くない影響を 打ち消す ことであ り,彼 らの性格 をそれが乱す ことを防御す ることであ り, さらにで きる限 り彼 らを正常 な人間に し,そ して通常の社会生活の準備を させ ることである場合,彼 らは幼児お よび青年期全般にわた って普通の人 々と一緒に訓練 され,教育 され,交わ され るべ きであ り,で きる限 り一般社会の中で生活す べ きである。そ して彼 らは隔離 され,一つの階層に分け られ,そ して彼 らだけで交流 させ られ るべ きでな

20) い」

口話法運動 と寄宿制に対す る批判が どの よ うに通学制聾学校設立に結びつ くのであろ うか。 ここでボス ト ン市内に通学制聾学校が設立 され る経過 とその背景について検討 してみ る。

ボス トン市内に聾学校が必要 とされた背景には,先 の クラーク聾学校開設後においても市内に多数の未就 学聾児が放置 され ていた事実をあげ ることがで きる。た とえば, 学校開設の中心的な担 い手 とな ったKing, D.(ボス トン市学校委員)が学校委員会に対 して 「この種の学校を設置す るほ どの教育の手段の欠けてい る

21)

聾唖児が市内に十分いる」 と訴えていることで もわか るであろ うoKingは,公立通学制聾学校 の開設 を 主 22) 張 したが,その主要な理 由は,通学制に よ り聾児に家庭教育 と公立学校教育を同時に保障で きる点にあ った。

ボス トン学校委員会は,1869年11月,TheSchoolfortheDeaf Mutesの名称で市内に一教室を開いた。

学校委員会は, この学校 の教育は 口話法に よることを決定 し,1877年には, 口話法の主唱者で もあ ったホ レ ース ・マンの名を冠 し,校名をTheHoraceMannSchoolと改称 した。同校は,「クラー ク校 と共に,わが

23)

国ではそれ まで知 られ ていなか った教育方法の導入 と幕明け」 とな った。

以上の よ うに,ホ レース ・マソス クール開設の背景には,寄宿制学校‑の批判 と口話法導入 とがあ った。

同様の背景は,他の通学制聾学校の場合 も指摘で きる。

ウ ィス コソシ ソ州は通学制の在籍生徒数が寄宿制のそれを上まわ った点で,通学制聾学校が少な くとも量 的には最 も発展 した州であ ることは前節で述べた。 ウ ィスコソシソ州では,通学制聾学校設立運動 の中心に な ったのは,当時 ドイ ツで広 まっていたArticulation法に よる聾教育を身につけていた ドイ ツ人たちであ っ た。 ミル ウ ォ‑キー市に住む博愛家 PeterL.DohmenMr,CarlTrieschmannは, まず ドイ ツ人の貧 困

251

児童を対象に した私的な学校を18781月に開設 した 、その後,同校 とその教育方法に関心を示 した ドイ ツ 120名の メンバ ーで 「貧困児童の援助 と聾唖児教育の 口話法拡大を促進す るための協会」を設立 し,財 政 的援助を与えた。一方で,市内に住む聾児の教育の必要性に迫 られていた市教育委 員会は,協会 との と りき

26)

めに よ り,1883年 この学校 を基盤に して通学制聾学校 を開設 した。 同校 の設立趣意書に よれば,設立の 目的 は(1)口話法に最適であること,(2)AsylumInstitutionに閉 じこめる不幸か ら保護す ること,の二 点 で あ た 。

3.Bell,A.Gの通学制学校理念

本節では,19世紀末か ら20世紀初頭にかけて 口話法導入運動 の中心 とな っていた A.G.ベ ル (Alexander 27)

Grahamlkll)の通学制公立聾学校に関す る見解を検討す る。ベルは18877 シカゴ市教 育委員会 の 招

28)

きで行な った講演の中で,公立学校内で聾児を教育す ることに関す る利点 を述べた。ベルの意見を検討す る

(6)

的には 「公立学校校舎の中に小 さい教室を (普通 の学級 とは‑ 筆者注)分けて設け「多 くの健聴児 と同

●●●

じ校舎で教 育す る(傍点筆者),すなわち 「聾児を遊びの時間健聴児 と一緒にす ごさせ ることに よって, さらに情報が 目で得 られ る学科の授業 のために健聴児 と一緒の クラスに聾児を入れ ることに よって交流を促 そ うとした。 またベルは,必ず しも寄宿舎制に反対 し,通学制‑の一本化を主張 していない。通学制は可能 な ところに建 て られ るべ きであ り,通学制聾学校に出席で きない聾児を収容す るための補助施設 としての育 宿制の役割を主張 し,それぞれ の発展を提案 している点は特筆すべ きであ る。

それでは,ベルはいかなる教育理念に よって上述の よ うな提案を行な ったのであろ うか。 何 よ りもまず, 州や市の経済的負担 の軽減が主眼におかれ ていた。すなわち,公立学校内の教室を利用す ることは 「設備が 特別の費用な しに得 られ るので経済的」であ り, 「通学制 プランは両親が扶養費に責任を持つ」ので州や市 の負担がそれだけ軽減 され るとい うのであ る。 また, 「無教育の聾唖は社会の危険な メンバーとなるし,そ れ故に社会は 自己防衛の点か ら,聾児が教育 され なければな らない」 とい う社会防衛の観点に立脚 していた。

この点か らみれば,ベルが 口話法や通学制が 「すべての聾児に適用可能が ど うか とい うことは別問題であ っ

29)

た」 とFayが評す る理 由も理解で きるだろ う。

以上の点か ら見 る限 り,ベルが通学制聾学校 を提案 したのは独占資本主義の確立期におけ る支配者層の公 教育に対す る要求、た とえば社会防衛的立場か らの公教育‑の期待が反映 しているといえ る。

ベルの提案が, シカゴではあ る程度受け入れ られていることは.表2が示す よ うに, シカゴ市内に通学制 聾学校が散在 し,それぞれ の規模が小 さい ことで もある程度理解で きる。

まとめ

通学制公立聾学校は,第1に人 口急増地域において高 まる教 育要求に対す る都市教育行政 の支持,第2に, 寄宿制学校批判,第3に 口話法導入運動を背景に して19世紀後半か ら急増 した。寄宿制学校批判は盲教育の 場合 と共通の背景 と言えるが, 口話法導入が通学制設立の背景 とな った点は聾教育の独 自的要因であると言 える。 ウ ィス コンシン州の例で示 されているよ うに聾児の教育機会の拡大に対 しては州立の寄宿制聾学校 よ りも通学制の方が頁献 した。 この点は,通学制に対 して消極的だ ったイ リノイ州の場合 も共通 している。 こ うい う意味で,通学制は州よ りも都市教育行政 の方か ら支持 され ていた と言え る。 ただ この場合, ベルの指 摘にあ るよ うに,寄宿制に比 して通学制の方が よ り教育費の負担が少な くてすむ とい う理 由 もあ った ことが 考え られ る。

(汰)

1)荒川勇,欧米聾教育通史,峯文闇,1970.pp.405‑413.

2)加藤康昭,盲教 育史研究序説,東蜂書房 .1972.p,211.

3)RefnrtOftheCommissionerofEducationfortheYear 1870. p.530.

4)AmericanAnnalsoftheDeaf.γol.29.1884.p.313.

5)Vaught,L.0.,ShortSketchoftheChicagoDaySch00lsfor the Deaf 1870‑1893. E.A.Fay, HistoriesofAmericanSchoolfortheDeaf,181711893.1893. なお, シカゴの通学制聾学校設 立 の 経達は本資料に依拠 した。

6)アメ リカの入国移民数は1860‑70年に230万に達 し, これに次 ぐ10年間は300万人に及んだが,その3 分の1は ドイ ツ人であ った。 これ らの移民たちが, この当時開拓 されつつあ った中北部に移 り住んだ こ

(7)

とは想像にかた くない。

7)AnnualReportoftheBoardofStateCharities.2th.1865.p.lviii.

8)マ ンに よ り ドイ ツ口話法導入に関す る報告 の出 された翌年, ‑〜 トフ ォ‑ ド校はLewisWeldを, ニ ュー ヨー ク校 は George,E・Dayを ヨー ロッパに派遣 した。彼 らの報告は 「サイ ンは フランス, イ タ リ ア,英国で使用 され てお り, 口話法は ドイ ツにおいてだけであ った。 多 くの場合,機械的な発音の教育 は多 くの努力に報 いるにはほ とん ど利益はみ られない,それ故に アメ リカの学校では実質的な変革はな され るべ きでな」(Fuller,S.,TheHoraceMannSchoolfortheDeaf.pp.17‑18. E.A.Fay,His toriesofAmericanSch00lfortheDeaf,1817‑1893.1893.)とい う内容であ った。

9)AnnualReportoftheBoardofStateCharities.2th.1865.p.lvlii. 10)ibid.p.1viii.

ll)ibid.p.1viii.

12)An nualReportoftheSecretaryoftheBoardofEducationofMassachusettsfortheYear,1839‑

44.p239.(上野益雄, アメ リカ聾教育におけ る口話法の成立につ いて,東京教育大学教育学部 紀 要, 第22巻,昭和51年 .p・118.よ り引用)

13)海後勝雄 ・広岡亮蔵 (編),近代教育史 I,誠文堂新光社.1949年,p.189

14)‑ ‑ トフ ォー ド校 の創設か ら47年間 の平均入学年齢は14歳 にやや満 たない ものであ った。 (荒川勇, 前掲書,p.367.)

15)Hubbard,G.G.には提紅熱で聾にな った娘があ り, 「多 くの聾唖児が ス ピーチを獲得で きない不幸な 位置にあ るのを思 い,生後の獲得聾にはス ピーチの保存 と改善にすべ ての努力を払 い,先天聾に もその 心的条件が可能 であ るな ら,読唇, ス ピ‑チを教 える学校 の設置 を思いた っ た」(荒 川 勇,前 掲 書, p.363)のである。

16)Hubbardの開いたChelmsfordの学校 は新 しい学校に吸収 され た。

17)上野益雄,前掲害,p.123.

18)加藤 東昭,前掲書,p.206.

19)AnnualReportoftheBoardofStateCharities.2th.1865.p.1ix.

20)ibid.4th.1867.p.1Xi. 21)Fuller,S.,op.°it.p.4.

22)Fuller女史は 「ボス トンとその近効 の聾児に対 して コモ ンス クール教育を受け てい る間,彼 らの両親 の保護下で, 自分の家庭 で生活す る権利を獲得 した栄 誉 は,Rev.DexterS.Kingに 与 え ら れ る」

(Fuller,ibid.p.3)と述べ てい る。

23)ibid.p.16.

24)WisconsinPhonologicallnstituie,TheWisconsinSystem ofPublicDaySchoolsforpeatMutes.In E.A.Fay.op°it.ウ ィス コンシ ン通学制学校 の設立経過については この文献を参考に した。

25)開設時,Articulationの教師であ ったProf.Adam Stetlnerが教師に迎 え られ,4名 の児童を教育す る ことか ら始 まった。 なお,当初 同校は寄宿制 と通学制 の併設であ った。

26)設立趣意書は要 旨以下 の と うり。

この学校では,純 口話法 もし くは ドイ ツarticulate法に よ り教育が行なわれ る。 これに よ り聾唖者は 口唇か ら話 し,読む ことを学習す る。 この教育方法は聾畦老たちを聞 き話す ことので きる人 々と平等に す ることがで きる唯一の ものであ る。通学制学校は 口話法に最適であ り, また聾唖者の一般的成長 と福 祉に とって最 も適 してい る。 なぜ な らば,それは,彼 らに聞 き話す ことので きる人 々との 自由な交流を 保障 し,そ して聾醍老 同志 の絶え間 ない交流か ら不可避的に生 じる不幸,す なわ ち この不幸 は これ らの 子 どもたちをAsylums,Institutionsお よび寄宿制学校に閉 じ込め ることについての重大な欠点 であ るが,

この不幸か ら彼 らを保護す るのであ る。

27)Bellは, ス ピーチ指導法の確立,難聴 児教 育,そのための残聴利用の必要を説 き,聾の統計的研究か ら,彼等を手話,身振語 の世界に閉 じこめ ることは,相互結婚,遺伝聾 の出現を増す と説 き, また 口話 教育を始め種 々の学習,発達に,収容制 の学校 よ り通学制 の学校 を推奨 した。 1890年には,主 として, 彼 の努力で 〃AmericanAss∝ationforTeachingSpeech totheDeaf"が設置 された。 これは 口話 指導 促進 の全国的な教 員組織に発展 したo (荒川勇,前掲書,p・373.なお,Bellにつ いて は 同 書pp.370‑

373で詳細に説 明 され てい る。)

28)Fay,E.A.DiscussionatChicago Concerning DeafClassesin Public Sch00ls.American Annals oftheDeaf.γol.29.1884.pp.312‑317

29)ibid.p.316.

表 2 シカゴ市通学制聾学校の教師数 と生徒数

参照

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