• 検索結果がありません。

梅田宏

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "梅田宏"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

梅田宏

A Reading of La Belle Dame sans Merci

HIROSHI UMEDA

It would be difficult in any reading of Keats' ballad not to be enthralled by the haunti喝power of its rhythm, by its delicate intermingling of the fragile and the grotesque, the tender and the weird, and by the perfect economy with which these effects are achieved/1'

引用したのは, John KeatsのLa Belle Dame sansMerciに関する, Earl Wassermanの 詳細な古典的論文の書き出しの第一文である.ここに要約されているような,このballadの 不思議な力に魅せられて,数少ない音節の行からなる,わずか48行のこの世界に遊んだ大人の 数はどれほどであろうか.その独特の雰囲気に酔うことをおぼえたが最後,ただの一皮だけで なく,人によっては,おそらくは,記憶にないほど回をかさねて,この作品の世界をおとずれ たであろう.そこに,ある魔力が確実に存在していることに驚嘆するからである.これは,ま さしく, Wassermanの̀haunting power'と言う表現のよって来たるゆえんであろう.わが 国の,神韻標渉と言う漢語なども,このような詩のおもむきを伝えるためのものなのであろ

う.

この詩は,形態面においては,もし,偶数行の詩脚の数が変則的であることにこだわるなら

ば, balladの形式そのものではないことになるが,伝統的なballadと通じる内容的なもの

を多くふくんでいる.この詩の良さは,伝統的な民謡の持つ簡潔さや劇的であるなどの特微が,

十分作者にとって自家薬龍中のものになり切っていることに発している.あわせて,民謡の持

つ,土のかおりの素朴さに代わって,これ以上は求めうべくもない,簡潔ではあるが高度に洗

練された美がある.しかし,なかんずく,この作品について指摘すべきことは,日常的な世界

と超自然的な世界との対比のみごとさである.これは,作者のodeや物語詩のあるもののな

かに,さまざまなvariationを生み出している重要な主題であるが,それがこの作品の骨子と

なっているのである.超自然的な要素と言うものは,民謡の伝統のなかに,本来,固有のもの

なのであるが,そこでは,かならずLも,日常的な世界との対比そのものに格別の力点を置き

(2)

ながら描かれているわけではない.しかし, Keatsと民謡とのきわめて数少ない出会いの一 つは,彼の生涯を通じてもっとも重要な文学上の主題を展開する場となったのであった.

対話の形式は民謡の伝統の一つである.本論で扱う詩は,二人の人物の一回ずつの発話から 成っている.最初の3連は,時節はずれに山野を排掴する一人の騎士の姿を目撃したある人物

の発話である.最初の2連の前半の2行は,目撃者であるこの人物の,騎士の行動やようすに 対する自己の観察を半ば交えた質問の体裁になっている.これらの達の後半の2行は,騎士の 行動やようすを見ての,この人物の批評的な感想である.騎士のようすに対する目撃者の観察

は第3連において敷宿される.代わって第4連以下は体験者としての騎士の発話となるが,梶 の途中での妖精との出会いにはじまり,妖精との道中の模様,案内された妖精のすみかでので きごとが第8連までに述べられている.第9連から欝11速までは,このような体験のあと,引 き続いて醸士が見たと言う夢の話である.最後の連は,目撃者の感想に応じる体験者自身の手 短かな自己分析である.以下,上述のような作品の展開を追い,考察を試みたい.

I

Oh, what can ail thee, knight‑atJarras, Alone and palely loitering?

The sedge has withered from the lake, And no birds sing.

Oh, what can ail thee, knight・at‑arms ! So haggard and so woe‑begone?

The squirrel's granary is full,

A事id the harvest's done.

Ⅲ I see a lily on thy brow,

With anguish moist耳nd fever‑dew, And on thy cheek a fading rose

Fast withereth too.

最初の2連相互のあいだには,相当明白なparallelismが存在している.しかし,これらの 2個の連も,内容的な検討を一歩深めさえすれば,そこには,ある変化が認められる.まず、

これらの連の第1行について言うならば,同一の語いを,同一の順序に羅列しながら,、これら の行が無意味にparallelに終っていないのは,第2連にある感嘆符のおかげである.また, この符号の存在は,これらの連の第2行相互のあいだでの変化と無関係ではない.これらの行 ち,騎士の状態を伝える形容詞を,それぞれ2個ずつ配してあるところはparallelだと言え るが, 4個の形容詞の効果は,かならずLも単一ではない. 2番目の行は,第1連においては,

(3)

騎士の物理的な,また,‑生理的な状態を捕捉し,第2連においては,彼の生理的な状態ばかり でなぐ,心理的な状態までも鮮かに把握している.観察の視点が,物理的な視点から心理的な 視点‑の移動を見る′ことは,.彼我の距離が接近する道理である.目撃者の心の動揺が,疑惑か

ら驚博へと移行するゆえんでもある.

最初の2連の後半の2行も,これらの各連を比べてみると相互にparallelであると言える.

しかし;ーこれらの2行の照応関係は,直接に相互を比較して見るよりも,それぞれの連におい て,前半の:2行との関係において比較して見られる、べき性質のものである.算1連においては, 湖畔のすげが枯れはて,鳥も嶋かぬ,万物が活動を停止した天地のなかを,ひとり青ざめて動 く騎士の姿がある.第8連においては,しばしの活動の停止のあとにめぐって来る新たな生へ の営みを予想させる充実した時間の意識と豊穣の心象があり,これに対して,騎士の惟悼して.

悲しげな姿は,いかにもそぐわない. ‑また,こんどは考えかたを変えて,これら告連の後半の 2行を‑つにまとめて見た場合,.その4行における心象は,自然の景物と人間の季節的な後退 と言う点において共通性を有している.つまり,ここで言及されている植物や鳥や動物や大隈 の姿は決して,この季節における自然のなかのtangibleな点景として描かれてし^)るのでもな んでもなく,それらのものの姿は, (おそらくは鳥の場合でさえ) ,自然の舞台の裏へでも号わ

?て見ない限り,::目に見えてはいないのである.このように,自然のさまざまな景物や,自然 のなかで活動に従事する人間が,.しばらくのあいだ不在を約束された空間に,いま,こ寸もらの ものに代わる,ある力の跳梁の予感があ.る.

物見遊山や収穫に適した時節も過ぎ,活動の停止した自然のなかで,言わば,季節はずれに 動き廻っていることに限れば,騎士の立場も,目撃者の立場も,あまり変わりはないはずであ る.目撃者が,騎士のようすを自分と引き比べて異様に感じたのは; ̀knight‑at‑armsが,供 もつれず(̀alone'),顔色の判別がなされてもいるように,兜も落ち,馬さえも捨ててうろつ いていることであった.それだけではない.武芸に鍛えられているはずのつわものが,やつれ はてて見え,悲しげでさえあったからである.さまざまな景物が後退し,尋常普通な心象が映 像を結ぶ可能性がいまさらなくなった異常な世界のなかをさまよう,異様な騎士の心象の上に, 形骸と化した尋常なものの変わりはてたかけらにさも似て,二つのsymbolが病的なものを 象徴するようにかさねられる.これらの二つのものそれ自体の象徴性について,ここで考え てみるならば,たとえば, ̀ばらつこついては, Miriam Allottは,これを一般に̀physical beauty'の̀emblem'だと見ている(2). Charles Pattersonは,ばらは古典的には̀sexual desire'の̀symbol'であり,他面,中世・文芸復興期の伝統に従えば̀spirituality'の̀symbol' でもあるのだと言う二元論的解釈を示している(3).っまりPattersonによれば,形容詞

̀fading'によって修飾されたこの̀ばら'は,妖精との騎士の恋が, physicalな面での consummationによって終鳶を見たこと, ‑一方では,精神的な愛によって生じるはずの

騎士の内面性の美が,恋の終鳶とともにそこなわれていくことを意味していることになる,や

(4)

や立場を変えて,一冊の英詩鑑賞のための手引書の見解を見ても, ̀symbolism'の項で,この 花については,美の象徴だと言う意味の記述がなされている(A).このように,これらの意見の あいだには,特に撞着し合うような点は見られない.しかし, ̀ゆりつこついては,ちょっとし た混乱がある.すなわちAllottは,ゆりはばらとおなじく一般に, ̀physical beautyの

̀emblem'であると見る. Pattersonは̀resurrection and continuing life'の̀symbolだ と言っている.これに対して,さきにあげた手引書は, ̀死の象徴'だと記しているのである.

ちなみに,この手引書が例としてあげているのは,本論のballadの第3連の第1行である.

したがって,われわれは,この花の象徴性については,性急な断定は避けなければならない.

しかし,これらの花の名をふくんでいる第3達の奇数行は,偶数行と相侯ってはじめてある種 のまとまりを見せているのであるから,第3連は,全体としては,やはり,騎士の病的な状態 についての描写であることには変わりはないのである・.もともとLa Belle DamesansMerci の初稿とおぼしい原稿は, 1819年4月21日付けの,作者の次弟夫妻宛てのjournnal‑letterの なかに,なんのまえおきもなしに書きとめられているものであって,あまた加筆訂正の痕跡を とどめている.作者の推寂の過程をこの原稿によって逆にたどると,いま̀lily'と̀fading rose'のまえにそれぞれある不定冠詞は最初はなく,その代わりに,これらの箇所には両方と も̀death's'と言う名詞の所有格がそれぞれ用いられていた.このことは,ここで用いられて いる̀ゆり'の象徴性を,作者が一応どのように考えていたかを示しており,さきに指摘した 混乱によって生じる疑義を,この作品の場合はある程度解消するものである.

Ⅳ I met a lady in the meads

Full beautiful, a fairy's child, Her hair was long, her foot was light,

And her eyes were wild.

V

I made a garland for her head,

And bracelets too, and fragrant zone ; She looked at me as she did love,

AI】d made sweet moan.

I set her on my pacing steed,

And nothir唱else saw all day lo喝;

For sidelong would she bend, and sing A fairy's song.

1819年7月8日に, Keatsは, Fanny Brawneに宛てた恋文のなかで,つぎのように番い

(5)

ている.

Why may I not speak of your Beauty, since without that I could never have

lov'd you. 1 cannot conceive any beginning of such love as I have for you but Beauty."

また,同年同月25日,同人宛ての手紙のなかには,つぎのようにも書かれている.

My dear love, I cannot believe there ever was or ever could be any thing to admire in me especially as far as sight goes I cannot be admired, I am not a thing to be admired. You are, I love you; all I can bring you is a swooning admiration of your Beauty.0

しかし,前年の12月,弟夫妻に宛てた手紙のなかでKeatsは, Fanny Brawneの姿をつぎ のように描いてみせている.

Shall I giveyou Miss Brawn(e)? She is about my height with a fine style of countenance of the lengthen'd sort she wants sentiment in every feature she manages to make her hair look well‑her nostrils are fine

‑though a little painful he(r) mouth is bad and good‑he(r) Profil(e) is better than her full‑face which indeed is not full put (for but) pale andthin without showing any bone Her shape is very graceful and so are her movements‑her Arms are good her hands badish her feet tolerable‑

she is not seventeen but she is ignorant monstrous inherbehaviour flying out in all directions, calling people such names that I was forced lately to make use of the term Minx this is I think no(t) from any innate vice but from a penchant she has for acting stylishly. I am however tired of such style and shall decline any more of it‑

(斜字体と括弧内の補完事項の一部は筆者による)

これと, Fanny Brawne宛ての手紙の文言とを比較してみると, KeatsがFannyにひかれ

たのは,彼自身の口説きの文句ほどromanticな理由によらないことが明白である. Fanny

Brawneは, Keatsにとっては,自分たちの未来を彼がどのような形で考えていようと,ま

どうかたなき現実の女性であった.これに対して,草地で出会って,騎士が一個の̀lady'と

見た者は,人間界において可能な日常的な官能の限度を逸脱した経験を彼に味わせてくれるよ

うな者であった.このような論理を拠りどころにすれば,相手を̀fairy'だと見た騎士の認識

はnormalなものだったと言える. ̀full beautiful'とは,少なくとも,人間界の事実ではあ

り得ないからである.相手がこの世の者ではないと言う事実をまえにして,ひるむことがなか

ったのは,蘇士の,豪勇おのれをたのむの自信であったかも知れない.あるいは,相手のおさ

なげな様が,先方の害意の有無にかかわ.らず,騎士に警戒心をさえもおこさせなかったのかも

(6)

知れない.しかし,なによりも,相手を̀full beautiful'だとする認識が,騎士の五官を呪縛 して恐怖心を忘れさせる̀incantationのように働いたと見るべきであろう.おかげで,彼は, 彼女のまげを結わぬ自然のままの髪のようす,野の草を踏むとも踏まぬとも思える彼女の軽や

かな足,独特の光をたたえた彼女の目の印象などを心にとめる余裕さえ有している.彼女が

̀fairy'であると言う認識にしても,彼女の眼の光が̀wild'だったと言う報告にしても,第4 連の妖精の印象は,事後における反省の結果あらためられた認識を伝えるものではなく,あく

まで,現場のものである.

騎士はひとりの̀lady'に̀meads'で遇ったと言う. ̀full beautiful'な̀lady.'が仙界の ものだと言う騎士の判断にあやまりはない.しかし,彼が̀lady'に出会った場所が̀meads' であったと言う認識に錯覚はないであろうか. ̀meads'の世界と̀cold hill side'の世界とを 分けへだてているものは,一体なんであるのか.たとえ,双方を分け‑だてたものが,空間で ある.にせよ,時間であるにせよ,これほど季節の差を感じさせる世界が,もしも,たった一目 騎行することによって同一人物の経験のなかに包摂されることが可能な空間内にはぼ同時的に 存在するならば異常なことである.また,双方の世界の情景における季節感の差異の自覚が, ただ一回の睡眠によって生じたものだとすれば,これまた,落命することもなく長時間の睡眠 に堪えた騎士の生理の異常さを,あるいは,短時間にこれほど季節感の異なった世界を,巨視 的に見ればほぼ同一と言ってもよい空間内において経験し得た騎士の官能の異常さを言わねば ならない.これら二つの世界のへだたりが,たとえどのようにして生じたものであろうと,冒 撃者である人物の生理や官能をわれわれの生理や官能に近いものとする限り,騎士の経験は異 常と言うほかはない. ̀meads'の世界は,仮に,目撃者をして探索せしめたとしても,どのみ

ち,いま,地上に存在する世界ではない. ̀meads'の世界には,騎士がつみ取って妖精の全身 をかざってやるほどの花が咲き,やがて妖精が騎士の活力を養うために飲食物を採取する豊か な自然があるのである.このような世界は,あたりに奇妙に人影を見ぬ孤独感と相倹って,妖 精の呪術にあやつられている幻覚の世界である疑いが濃い.しかし,騎士の側には,妖精はあ くまで尋常な自然のなかに向こうから迷い出て来たのだと言う判断から来る安堵感がある.騎 士は妖精の髪をかざるために花輪を,そして,腕輪を,帯を,作ってやる.第5連の後半の2.

行には,どのような表情と発声で妖精が騎士の好意にこたえたかが記されている. ̀as she did love'や̀a fairy's song'等の叙述のなされかたを見ても,妖精の意志伝達の様態は,か ならずLも人間のそれではない・.こうなっても,騎士の官能は,この世の者ならぬ者を恐れる, ことはなく,むしろ,異次元における感応を示すことに,まったく馴れていたのであった.

妖精に自分の意志が通じるらしいことをひたすらに喜ぶ騎士は,彼女を自分の馬に乗せ,お そらく背後から擁するような姿勢で馬を進めたのであろう.彼女を同道したことは,露骨な下 心がいくぶんかあってのことかどうかはさだかでないが,妖精ならば,一半ばねぐら・さだめぬ自 然の児であろうし,どこまで伴おうと,また,どこでたもとをわかとうと,たい、したさしつか

(7)

えもないと言う気楽な売持ちも手伝ったことであろう. ̀In stanza four it is noticeable

that the only actor is the knight. In the next stanza the‑ knight controls the action of the first two lines; and the lady that of the second two. In stanza six he truly

gノoverns only the first lihe..‑...'ォとWassermanは言っているが,それも思い返せば grammaticalな主語の問題でしかない.もはや,こうなると,妖精の文字どおりcharmの とりこになっていることが騎士の運命なのである.とにかく,鞍のまえわに乗せた彼女の娼態 に耳目を奪われて夢中なあまり,どこをどのように一日中馬が歩いたのかもわからないありさ まであった.

She found me roots of relish sweet, And honey wild, and manna dew;

And sure in language strange she said,

̀I love thee true'.

ここで妖癖が山野に採取してすすめる仙界のmenuは,騎士の好意にただ単にこたえただ けのものではなく,発展的な意味合いを持っている.この点を無視する読者には,この連の後 半の2行は,木に竹をついだ感じのものとなる.第7連の趣向は,往時のHampstead Heath あたりでの,、無邪気なpicnickingの風景とおなじもの,では決しそない. The Eve of St.

Agnesのheroineの居室に老婆がととのえるおびただしい山海の珍味の意味はなんであるの か. Let witchcraft join with beauty, lust with both./Tie up the libertine(‑Antony) in a field of feasts (Antony and Cleopatra, II, i, 22‑23) ‑二ShakespeareがPompey をして言わしめる台詞の意味もわからぬではない.食糧の調達を境にして妖精の態度はあから さまに能動的になる.老若の観念などは自然界だけにおける・ものなのか.人間の尋常普通な判 断からすれば憤然たる状況のなかにあって,騎士の心理状態は, ̀language strangeが通じ る異常ざばかりか,この恐るべき̀child'のふるまいに対してさえ,感覚の鈍麻を見る危険の1 なかにあったと言うべきである.

She took me to her elfin grot,

And there she wept, and sighed full sore, And there I shut her wild wild eyes

With kisses four.

Pattersonは,この連の第1行はdouble entendreだと言う. ̀elfin grot'の心象はそのよう なものだと言うのである色功.氏によれば,同種のことは,第5連の第1行に始まっていると言う.

なるほど, '頭髪や手首や腰部などに対する暗黙の言及はそのような性質のものであるかも知れ

ないし,第5連の後半にも,それらしい疑いは十分にある.さらに,第6連の̀pacing steed'

あたりも,同様の意味で氏の注目を引いている.これらのことは,一つの読み方として十分評

価すべきものであろうが,興味ぶかいことに,これらの表現の系列に,氏は第8連の第2行を

(8)

ふくめていない.氏は,この行には,妖精の側における騎士とのわかれの予感を見ている.こ うなってくると,もはや,両者の恋のconsum這ationに関する記述がどのへんで行なわれて いるかについて,だれかが決定的に言うことは困難となってくる.問題があいまいとなってく れば,われわれは,作品を,整理された経験と知識と思考の範囲で把握するはかない.この際,

たしかなことはと言えば,たとえ第7連までになにが書かれていようと,それは妖精の̀elfin grot'‑の道程であり,第8連以下のすべては̀And there'が4回くり返されているのを見

てもわかるとおり̀elfin grot'から始まっていると言うことだ.第8連と第9連とは,この ように, ̀And there'の書き出しになっている叙述を中心に,ある有機的なまとまりを見せて いる. ̀Andthere'と言う2語のくり返しは,単調なだけに,なにゆえにこうも執劫にくり返 されるのかと言うことに,いやでも読者は注目せざるを得ない.ここには, explicitな表現 を避けたなにかが,言外にあると見るべきである.妖精のきわめて女性的な風情,妖精のたか ぶりを鎮める騎士の所作,立場をかえて騎士を眠らせる妖精,そして,夢を見る騎士. ‑わ れわれは, St. Agnesの伝説の世界に浮遊するMadelineの美しさに魅せられて,彼女の言 葉に忘我の境に入るPorphyroの姿を思い出す.

Beyond a mortal man impassioned far At these voluptuous accents, he arose, Ethereal, flushed, and like a throbbi咽star Seen mid the sapphire heaven s deep repose;

Into her dream he melted, as the rose Blendeth its odour with the violet, Solution sweet‑ ‑

(The Eve of St. Agnes, XXXVI)

̀full sore'に溜め息をもらす̀full beautiful'な妖精の姿によって騎士が得たものは PorphyroがMadelineとの̀solution sweet'のなかで得たのとおなじく,人間のnormal

な官能の限度を越えた,この世のものならぬ愉悦であった.もしも,妖精の風情を別離を惜し むがゆえのものとするならば,そのような相手を目のまえにしてやさしい所作を見せながら, つぎには,もう,眠りこけてしまう騎士を描写することは,いかにもawkwardであると言わ ねばならない. ̀I made a garland for her head'に始まる一連の描写の系列には第8連の 第2行を加えるべきではあるまいか.

第8連の第4行に関するKeats自身の行きとどいた説明は,まさに最良の注釈と言うべき であろう. 1819年4月21日の次弟夫妻宛てのjournaトIetterのなかにあるこの詩には,さきに もふれたように,まえおきと言うべきものは‑切ないのであるが,この詩のあとには続けてつ ぎのような文言が付せられている.

Why four kisses you will say‑why four because I wish to restrain the

(9)

headlong impetuosity of my Muse‑‑she would have fain said 'score'without hurting the rhyme but we must temper the Imagination as the Critics say with Judgment.

I was obliged to choose an even number that both eyes might have fair play: and to speak truly I think two a piece quite sufficient Suppose I had said seven;

there would have been three and a half a piece a very awkward affair‑and well got out of on my side的

̀both eyes'や̀two a piece'と言う律動感覚は,いずれも2と言う数に基づいている点で, 前行にある̀wild'のくり返しなども,これと無関係ではなさそうだが,一方では,彼女の目 が̀wild'だと言う報告はすでになされていたことでもあり,いままぢかに見る印象をあらた めて伝えるためには,このようにくりかえして強調する必要があったのでもあろう.いま,き わめて女性的な風情のただなかにあるにもかかわらず,彼女の双醇の印象は,ちかぢかと顔を 寄せてのぞきこむたびに,騎士には,あらためて異様な光をたたえて見えたのであった.

IX

And there she lulled me asleep,

And there I dreamed Ah ! woe betide ! The latest dream I ever dreamed

On the cold hill side.

X

I saw pale kings, and princes too,

Pale warriors, death‑pale were they all ; They cried‑ ̀La belle Dame sans merci

Hath thee in thrall ! '

ⅩI

・I saw their starved lips in the gloam

With horrid warning gaped wide, And I awoke, and found me here

On the cold hill side.

第8連の後半の2行と第9連の第2行とを比べてみると,騎士と妖精の立場は,完全に入れ 代わっている.騎士の官能は,相ついで起こる,自然界の事象とは異質の事象に感応すること に,いつのまにかまったく馴らされてしまっていたのであろう.妖精との出遭い以来,最初の うちは,たしかにおのれの側にあった主導権が,最後にはこうして,だれが見ても完全におの れの手を離れて̀child'の側に移っていることに,本来ならば騎士の苦渋を思うべきであろう.

しかし,人は日常的な自己の役割に飽きて,あるときにはこれから逃れることを求めるのであろ うか.だが,妖精の手練手管に完全に̀child'と化すことに甘んじ,あまつさえ,眠りに落ち

(10)

た騎士に,一つの夢が現われる.夢に現われた王侯貴族たちの肌には屍色が現われている.騎 士はこの色におびえ,うすくらがりのなかでぽっかりあけられたそれらの者たちの口が, ̀自分

に対してある警告を発しているように錯覚したのであった.つまり,その口の警告は,妖精は

̀La Belle Dame sans Merci'であること,そして,妖精は騎士をとりこにして,騎士は人 界にもどることができなくなるだろうと言うのであった. 1817年11月22日,友人のBenjamin Baileyに宛てた手紙のなかで, Keatsは想像力についてつぎのように述べている.

The Imagination may be compared to Adam's dream he awoke and found it

truth. I am the more zealous in this affair, because I have never yet been abl¢

to perceive how any thing can be known for truth by consequitive reasoning‑

and yet it must be‑‑Can it be that even the greatest Philosopher ever when (sic) arrived at his goal without putting aside numerous objections‑‑However it may be, 0 for a Life of Sensations rather than of Thoughts.! It is ̀a Vision in the form of Youth'a Shadow of reality to come and this consideration has further conv(i)nced me for it has come as auxiliary to another favorite Speculation of mine, that we shall enjoy ourselves here after by having what we called happiness on Earth repeated in a finer tone and so repeated And yet such a fate can only befall those who delight in sensation rather than hunger as you do after Truth Adam's dream will do here and seems to be a conviction that Imagination and its empyreal reflection is the same as human Life and its spiritual repetition/

ならば想像力による̀finer tone'の世界こそ,想像力のなんたるかを解する者にとって,希 求して止まぬ永遠のすみかたるべき世界であるはずではなかろうか.たとえば, ̀La Belle Dame sans Mererのとりことなって,永遠に人間の世界‑の帰還を忘却することこそ,騎 士にとって至福の状態と言うべきではなかろうか.夢中の警告には随喜の涙こそふさわしいも のであるにもかかわらず,騎士にとっては,どうしてこれが脅迫であり,現実に覚醒する原因 とならねばならないのであろうか. 1818年7月,やはりBailey宛ての書簡のなかで,眼前に ひらけるBurnsの生地の光景を見て,日頃俗塵を浴びたおのれの身心を洗われて別世界にあ る気分を味わったことを述べたあとKeatsはつぎのように塀憩にふける.

Aye, if a madman could have leave to pass a healthful day To tell his forehead's swoon and faint when first began decay, He might make tremble many a man whose spirit had gone forth To find a Bard's low cradle‑place about the silent North !

Scanty the hour and few the steps beyond the bourn of care,

Beyond the sweet and bitter world beyond it unaware ;

(11)

Scanty the hour and few the steps, because a longer stay Would bar return, and make a man forget his mortal way.

Oh, horrible to lose the sight of well‑remembered face,

oメf brother's eyes, of sister's brow, constant to every place,

Filling the air, as on we move, with portraiture intense,

i

More warm than those heroic tints that fill a painter's sense When shapes of old come striding by and visages of old, Locks shining black, hair scanty grey, and passions manifold.

No, no, that horror cannot be, for at the cable's length

Man feels the gentle anchor pull and gladdens in its strength‑

One hour, half‑idiot, he stands by mossy waterfall, But in the very next he reads his soul's memorial.

{Lines Written in the Highlands after a Visit to Burns's Country, 25‑42) もしも,ここに述べら・れた,脱俗と帰還の論理によるならば,妖精の魔性のいけにえとなっ て,帰還のかなわぬ恐怖をうったえる大人は架空わも′のとなる.誤って狂気との境を踏み越え ない限り,たとえ一時的に浮き世の苦労を忘れて,現実を越えた美の世界に憧れても,人は現 世‑の愛着断ちがたく帰還するからである.騎士がうすくらがりのなかに見た者たちの姿は, 彼岸の逗留が長びいて帰還ののぞみを断たれることをなによりも恐れる騎士の側における強迫 観念の産物であった.うすくらがりのなかの者たちの口を空ろにひらかせたものは人界の金物 への飢餓感であったのかも知れない. Ode to a Nightingaleにおいて, a Nightingaleとの 心情的な'交流にふけっていた作者が,作者みずからが用いた̀forlorn'と言う言葉の二つの含 意のあいだの共鳴音を,あたかも夢を破る割れがねの不協和音のように耳にして現の世界‑も

どったように,騎士はうすくらがりのなかにひびく警告を聞いた心地がしてわれに返るので ある. ‑ここで終るならば,この詩は単なる椅談夢談とたいしてえらぶところがない.

̀meads'の世界を体験し, ̀cold hill side'の世界にみずからを発見した体験者は,自己が経 験した二つの性界の断層をどう埋めたらよいかに苦悩しているようすである.彼は,すげが湖 畔から姿を消し,鳥が鳴くことがなくなった,いま自分が身を置く空間と妖精とすごした時間 の記憶のなまなましさとをどのように調和させたらよいかに悩んでいる.だから,すげが湖畔 から姿を消し,もはや鳥も歌うことがなくなったにもかかわらず,山野を紋渉することによろ

こびを求める人の姿がまれになった山野をうろつきまわっているのである.彼がやつれはてて 見えるのは,超自然的な経験が,彼の精力を枯らしたことによるのかも知れない・しかし,彼 は生命を落とすことだけはなかったのである.せっかくとりとめた命を養うことを忘れて,自

己の体験がたしかなもの・であったと言うあかしを̀cold hill side'のどこかに求めつづける騎

(12)

士の姿のなかに,われわれは超自然の世界の存在と,そこでの彼の体験とが,彼にとってはど れほどたしかなものであったかを知る.超自然界と日常世界との断絶したへだたりを,時間的 にも,空間的にも,つなぎ合わせる論理に出道うまでは,おそらく,彼はnormalな世界 の生活のroutineのなかには永遠にもどらないであろう.これが騎士のやまいなのである.

このやまいをにわかにいやす用意は,おそらく目撃者の側にもないであろう.しかし, ‑按の 光明をわれわれは彼に見る.なぜなら,すげが湖畔から姿を消し,鳥も歌わぬ冷え切った世界 の空気を,彼も騎士同様,呼吸していた一人であり,彼には,この季節に安穏無事な炉端のぬ くもりを求める常識人にない,なにものかが感じられるからである.この目撃者は,作者が書 いたBailey宛ての書簡の文字に目をさらしたことはないであろう.しかし,もし彼をして Keatsのこの書簡を読ましめるならば,おそらく, Adamが見たEveの夢のたとえを理 解するであろうし,そのような彼は,騎士の経験談に決して冷笑的な態度をとらず,真剣に耳 を傾けることができるばかりでなく,騎士とともに考えることができる人であろうからである.

And this is why I sojourn here, Alone and palely loitering,

Though the sedge is withered from the lake, And no birds sing.

(1) Earl R. Wasserman, The Finer Tone (The John's Hopkins Press, 1953), p. 65.

(2) Miriam Allott, ed., The Poems of John Keats (Longman, 1970), p. 502.

(3) Charles I. Patterson, Jr., The Daemonic in the Poetry of John Keats (University of Illinois Press, 1970), p. 136.

(4) Robert Millar and lan Currie, The Language of Poetry (Heinemann Educational Books, 1970), pp. 66‑67.

(5) Hyder E. Rollins, ed., The Letters of John Keats II (Harvard University Press, 1958), pp.

95‑96.

(6) Ibid., p. 127.

(7) Ibid., p. 133.

(8) Ibid., p. 13.

(9) Wasserman, op. cit., p. 79.

80) Patterson, op. cit. pp. 142‑143.

Rollins, op. cit., p. 97.

09 Rollins, The Letters I, p. 185.

なお,本論文のKeatsの詩のtextは(2)にあげた詩集を用いたが, La Belle Dame sans Merci の第1連第4行と第2達第1行の末尾の形は, (1)にあげた研究書においてWassermanが用いたも のによった.

(昭和52年9月30日受理)

参照

関連したドキュメント

仮にKeatsがLamiaを描出するにあたって,神話の伝承に忠実であったとしたならば,ち

り,この幸運力罫何かの不幸で埋め合わされるのではないかという不安を感じていたらし

3.2.1[p"][p]:[pm)は両唇無声帯気破裂音で[p]は帯気という点を除けば音声

野菜作りが各農家で行われており,稲藁を飼料とする牛の堆肥が肥料として作物生産に結

家老I1記全体を(その一)(その二)(その三)の三部に大別したが、これは既に真田家に

『柔弱』といふ言葉、 『たわやめぶり』とでもいふ

水谷氏は著書を多く出しており,そこに は水谷氏の子どもたちとのかかわりやその 際に感じたこと,考えたこと,想いなどが