『書 評 松枝辿夫編
『ある学生寮物語 一青春の軌跡
100年』
(ア ドス リー・2001年・1500円)
神奈川大学経営学部教授 稔 岡 紀 雄
編者の松枝迫夫 さんには,少 な くとも3 つの顔がある。 1つ 目は もちろん国際法務 や国際取引法 を講 じる神奈川大学経営学部 教授 とい う顔 であ り,2つ 目は40年 に及ぶ 弁護士 とい う顔である。 もうひとつ,最近 まで松枝 さんが最 も情熱 を注いで きたに違 いない と思われるのが
,
「財 団法人上越学 生寮」の理事長代行 とい う顔である。上越 とい うのは新潟県上越地方のことだが,同 地方か ら上京 して きた青年たちのために設 け られた学生寮 の誕生 か ら閉鎖 に至 る約 100年 間の波乱万丈 の ドラマ, これが本書 のテーマである。この寮は,夏 目淑石が 「吾輩は猫である」
を発表 した明治38年 (1905)に,上越舎 と 呼んで本郷区 (現在の文京区)西片町の借 家で6名の学生が 自炊生活 を始めたのが発 端 とい う。当時は地方出身者のための学生 寮 も珍 しくなかったようだが,この寮 には
2つの特筆すべ き点があった。
1つは,学生 による完全 な 「自治制」 を とった とい う点である。発足の当時,上越 出身者のあいだで寄宿舎 を設 けて舎監 をお こうという計画があったのに反発,学生た ちだけで一足先 に自治制の寄宿舎 をス ター トさせた。寮生のことを舎生 と呼んでいた が,自分たちで入寮者の選考か ら,食事時 間や門限など規則 も定め,毎学期運営 にあ たる各委員 を改選 していたとい う。
もうひとつの特徴 は,地元の旧藩や 自治
体,企業 などがスポンサー とい うのではな く,在京の上越出身者が支援者 となった点 である。当初 は,毎月舎生が在京の諸先輩 を訪ねて家賃分の援助 を受けて回った とい う。明治42年 には財団法人 を設立 し,以後 90年以上 に もわたって この学生寮 を支援
し,運営 に当たって きた。
「名誉 にも権力 に も金 に も全 く無縁 の, この小 さな学生寮の僅 かの人数の学生の為 に, 目立たぬ寄付 をし,運営のため無償で 世話 を し,多忙の中寮 を訪れて寮生 に訓育 の話 を して きたことに特色があ ります」 と 松枝 さんは記 している。愛郷心がベース と なってはいるが, 日本版のフィランソロピ ーの記録 と見 ることもで きる。
今 ごろなぜ この本が編纂 されたか とい う ことだが,100周年 を目前 に した平成12年, 遂 にこの学生寮の歴史に幕が閉 じられるこ
とになった。最近の学生が集団生活 を嫌 っ てアパ ー ト暮 ら しを好 む ようになった こ と, さらには昨今の経済事情か ら建物の修 理や維持管理の資金の確保が望めな くなっ たことなどが指摘 されている。葛飾区金町 にあった,鉄筋4階建て,50人収容の寮の 建物 は取 り壊 され,300坪の土地 は葛飾 区 に一部 は無償 ,一部 は有償 で譲渡 されたO この譲渡代金2億円は,上越市 に 「上越学 生寮奨学金基金」 として寄付 され,財団法 人 も解散 となった。
東大法学部の学生時代 に自ら2年間を過 311
ご し,昭和47年以来財団の常務理事, さら には理事長代行 として学生寮 に情熱 を注い で きた松枝 さんが中心 とな り,万感の思い を込 めて編 んだのが本書 とい うわけであ る。巻末の年表 には,寮の増築や移転,香 や秋の旅行,先輩 を囲む座談会や工場見学, 戦争 中の灯火管制で遮光幕 を作 ったこと, 昭和20年の大空襲で炎上 したこと,寮歌の 制定,新潟大地震の際には寮生全員が駅前 で義指金活動 を行 って新潟市へ寄付 をした こと,寮の玄関にブロンズ像 「少女」 を設 置たこと,女子大生 との合同ハイキ ングの こと,最後 には財団法人の解散,清算 に至 る手続 きなど,実に詳細 に記録 されている。
関係者の並 々ならぬ熱情 を感 じないではい られない。
時々に寮のあった都 内の地名 を とって, 弓町案,野方寮,金町寮などと呼ばれるが, これ らで青春時代 を過 ご した学生の数は約 1000人 に及ぶ。本書 には延べ100人近 くの 在寮経験者が寄稿 しているが,ほ とんどが 50周年や60周年 など記念誌か らの再轟であ る。おかげで初代寮生の綴 った体験談 まで 含 まれてお り,100年近 くも昔の寮や学生 生活の様子 か ら,戦 中,戟後 の模様 まで,
まるで 目に浮かんで くるようである。
同 じ学生寮の雰囲気が,時代 によって大 きく異 なっているの も自治のなせ る業であ ろう。深酒 に始 まって,夜間に寮生の寝込 み を襲 って喝 を入れた り,食堂の器具 を破 壊 した り, 2階か ら封筒 に入れた尿 を道路 に撤いた りといった,いささか度 を過 ぎた 蛮行が 日常茶飯事だった時代 も描かれてい る。 そ の一方 で, 昭和 の初 め の寮生 は,
「全 ての面で規律正 しく,婦人の訪問者 は た とえ姉妹 で も必ず2階の12畳位 の応接室 にて歓談する事,夜10時門限,各室内での アルコール類 は厳禁等 々。万一寮規 を乱す 者がある と寮長 は直 ちに舎生全員 を招集 ,
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制服 または袴 を着 けて集合,多数決で処分 した ものであ ります」 などとい う記述 も残 っている。
本書の頁 を繰 りなが ら最 も深 く考 えさせ られるのは,教育のあ り方である。多感な 時代 に学生寮で,大学や学部 を異 にす る先 輩 ・後輩が,文字 どお り同 じ釜の飯 を食 う ことが,人間形成の上で どれほど大 きな意 味 を持つか を思い知 らされる。 こればか り は,たとえ少人数の演習形式のゼ ミといえ ども, とうていかなうものではない。現代 の学生の多 くがアパー トで一人住 まい をし ている姿が,なん とも哀れに思 えて きてな らない。
考 えてみれば,アメリカに しろ, ヨーロ ッパ諸国に しろ, とくに将来エ リー トと目 される若者 は,現在で もほとんどが何年 も の寮生活 を体験 している。その多 くは, 日 本人学生が見 て も驚 くような狭い部屋 で, 質素な共同生活である。そ うした環境の下 で,周囲の人への思いや りや 自制心,マナ ー,幅広い教養 を身に付 けてい くのである。
豊かな人間性や社会性, リーダーシップと いった もの も磨かれてい く。
20世紀の 日本の社会の姿 を振 り返 り,大 学のあ り方や学生時代 の過 ごし方,先輩 ・ 後輩の関係 などを考 えさせて くれる得がた い 1冊である。教職員 はもちろん,学生諸 君 にもぜ ひ読 んでほ しい と願 っている。