戦時アメリカの科学技術政策と原爆開発計画
その他のタイトル Science and Technology Policy of the U.S. in the Second World War and the Manhattan
Project.
著者 岡本 哲和
雑誌名 關西大學法學論集
巻 35
号 6
ページ 1431‑1493
発行年 1986‑03‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/1560
第 一ー 一 節
目 次 序 章 原 爆 開 発 を め ぐ る 科 学 と 政 治 第一章原爆開発への歩み
第一節レオ・シラードと連鎖反応
第二節アインシュクイン書簡とウラニウム諮問
委員会
第二章プロジェクトの具体化
第一節戦前アメリカの研究開発体制
1
国立科学アカデミーと国家研究評議会ー—国防研究委員会の設置
1
組織の構造2
活動と契約形式3
機密保持体制国防研究委員会における原爆研究
戦 時 ア メ リ カ の 科 学 技 術 政 策 と 原 爆 開 発 計 画
第二節
1 0
七 資料
1
マンハックン計画機構図資料
2
原爆計画関連地図資料
3
原爆開発計画略年表 第三章マンハックン計画第一節科学研究開発局の設置
第二節科学研究開発局における原爆研究
第三節マンハックン計画
第四節計画の構造と管理連営体制
第 四 章 結 論
第一節原爆開発計画に対する評価
第二節戦後への影響 第 三 節 結
語 岡
本
戦時アメリカの科学技術政策と原爆開発計画
︵一
四一
︱︱
︱)
哲 和
自体が﹁巨大化﹂したこと︒
原 爆 開 発 を め ぐ る 科 学 と 政 治
域を抜け出しておらず︑社会との関連においても︑
︵ 一 四 = 三 ︶
近代科学の歴史は一七世紀に始まるといわれる︒当時における科学の主たる担い手は︑イギリス︑フランス等に創
設され始めたアカデミーに集まるアマチュア達である︒彼らは貴族や医師といった生活に余裕を持つ人々であり︑宮
廷の庇護を受けたごく一部の﹁特権階級﹂とでも言うべき人々であった︒そこでの科学は未だ﹁わたくしごと﹂の領
いくつかの偶発的な発明が工業上の進歩を惹起し社会生活になん
らかの影響を与えることがあったとしても︑科学の地位は他の社会的営為から独立したものに留まっていたのである︒
しかし︑以上のような状況は一九世紀後半あたりから徐々に変質を被りはじめる︒その主たる原因は︑科学に対する
国家の介入︑支援にあると言ってよい︒以前には独立的に営まれてきた科学に関連する活動が国家による介入︑支援
によってより一層体系的に行なわれるようになり︑あらかじめなんらかの成果をあげることを期待された上で進行さ
せられる︒こういった状況はすでに述べたように一九世紀後半に姿を現わしはじめ︑第二次世界大戦で決定的なもの
( 1 )
となったと言えよう︒
では︑政府がこういった活動をとるに至った理由はいかなるものなのか︒それへの回答として︑我々は次の二つを
挙げることが出来る︒第一に︑政府が科学の有用性を様々な分野において認識するに至ったこと︒第二に︑科学それ
これらについては︑後に詳しく述べることになろう︒それゆえ︑ここでは科学と政府が以前にない親密な関係を取
り結ぶことによりもたらされる﹁政治的﹂諸事態へと問題を進めることにしよう︒
序章
関法第三五巻第六号
1 0
八
科学と政府の関係の緊密化は︑双方の側に唯ならぬ影響を与える︒たとえば︑科学者の活動の自由に関する問題︒
科学者はその活動の内に広い余地が与えられてこそ︑創造的な仕事を成し遂げる可能性を有した存在となる︒ところ
が︑政府による科学への介入は︑本来ならば科学者に対して与えられるべき活動の自由が制限され︑時にはそれが完
( 2
)
全に奪い去られてしまうといった事態を招く危険性を含有しているのである︒こういった事態の招来は︑科学者にと
って︑さらには科学そのものにとって不幸なものであると言わざるを得ないであろう︒
1 0
九 次に問題となるのは従来の政治体系に科学が与える影響である︒たとえばアメリカの場合︑第二次大戦以降国家と科学との関わり合いがより密接になるに従って連邦政府から州政府への交付金の分配過程に問題が生じてきている︒連邦政府が研究開発プログラムを実施する場合︑それは主に各州における大学や企業との契約及びそれらに対する補助金の交付という形をとるが︑その配分甚準が公正さと地理的考慮によるものではなく︑連邦政府にとってのメリットによるものへと移行する傾向が現われてくるのである︒その帰結として︑より豊かな科学技術上の資力を有する州ー普通これらの州は一人当りの収入も多いーにより多くの交付金が供与されるという事態が生じてくる︒また︑連邦政府が大学や企業と契約を結ぶ場合︑その過程から州政府が排除される可能性も生まれてくる︒これは︑中央集
( 3 )
権化及び州政府の自律性の低下につながり︑合衆国憲法の基本的原則の一っを打ち破る可能性をも含んでいる︒
最後に科学者
1 1
専門家による政策形成独占の危険性を指摘しておきたい︒軍事技術における科学の有用性に対する認識や戦略研究への科学的成果の導入が進むにつれて︑これらの問題に関
連した政策の決定がごく少数の科学者達の手に集中されてしまうおそれがある︒アイゼンハワーは︑退任演説におい
( 4 )
て﹁公共政策自体が科学技術=リートの独占物となってしまう﹂という危険について警告したが︑政府が高度に専門
戦時
アメ
リカ
の科
学技
術政
策と
原爆
開発
計画
︵一
四三
三︶
︵一
四三
四︶
的な問題を取り扱う場合︑政治家や一般官僚にとってはもはや問題に対する理解そのものさえもが困難な状態が生じ
てくるのであり︑その時に頼るべき存在として︑そして問題の解決に対し判断を下すべく存在として立ち現われてく
るのは特殊な訓練を受けた﹁専門家﹂ー科学者のみなのである︒このことがデモクラシーに深刻な影響を与えるこ
( 5 )
とは述べるまでもないであろう︒
﹁現在のあらゆる先進工業社会の最も奇怪な特徴は︑重大な諸選択
( C a r d i n a l C h o i c e s )
秘密裡になされなければならないということである︒⁝⁝﹃重大な選択﹄と私が言う時︑それは言葉の最も単純な意
( 6
)
味において︑我々が死ぬか生きるかを決定するような選択を意味している︒﹂
重要なのは︑これらの現象が国家と科学の結び付きによって湧出せしめられたということだ︒だが︑科学と政治︑
もしくは科学と社会に関する問題は︑もちろん右に述べた限りの範囲には収まりきれない程の広がりを持っている︒
我々は絶えず変転する﹁科学革命﹂の時代に生きていると言ってよい︒そこに目まぐるしく現われる様々な科学技術
発展の成果は︑我々の社会に次々と新しい問題を突きつけてくる︒たとえば︑オフィス・オートメイション化やロボ
ットの導入によって生じる労働麗用問題︑遺伝子操作と生命倫理の問題︑高度情報化社会の到来がもたらす生活様式
の変革︑新技術がひき起こす国際経済及び国際政治構造の変動︑そして言うまでもなく環境保全問題と軍備拡大戦争︒
これらはほんの一例に過ぎない︒さらに︑我々は将来においてまったく新しいクイプの難問に直面するかもしれない
ので
ある
︒
リチャード
•R
・レティグの言うように、こういった状況の中では「政治的リーダーや政治制度に関わりを持たなC.P
・スノーは次のように述べている︒ 関法第 三 五 巻 第 六 号
が一握りの人々によって ︱
1 0
い科学技術上の問題はほとんど在り得ないし︑科学技術的重要性を欠いた重大な政治的問題もまずないと言ってよ
( 7 )
( 8
)
ここで︑我々は科学技術政策研究の必要性へと導かれる︒科学が社会にとっての重要なニレメントとなる以上︑そ
れが惹起する諸問題の解決のために︑そして新たに目指されるべき目標の達成のために科学技術政策についての研究
( 9
)
は不可欠となるのである︒
( 1 0 )
本稿は科学技術政策研究の更なる発展及び体系化へ向けての︱つの試みとして位置付けられる︒そこで姐上に載せ
られるテーマはアメリカにおける原爆開発計画である︒なぜ原爆開発なのか︒
我々はまず同計画が政府と科学との関係の変質を象徴するものであるとの認識から出発せねばならない︒総額一︱
1 0
億ド
ルの
資金
との
ベ︱
︱
1 0
万の人員を費して一九四五年八月六日広島に投下された原子爆弾こそ政府と科学の﹁新しい
関係﹂の所産と言えるのであり︑その発生過程の分析は当時のアメリカの科学技術政策の実態を明らかにするととも
にその﹁新しい関係﹂が含む様々な問題を浮き彫りにすることを可能にするであろう︒
また︑原爆開発計画の実施は戦後アメリカの政治︑社会︑そして科学の在り方に大きな影響を及ぼした︒それゆえ︑
同計画の分析は我々が今後の研究の日程表にのせるべき課題である戦後アメリカにおける科学技術政策の研究に必要
不可欠なものと言えるのである︒
本稿の目的は︑まず第一に政治的側面に焦点をあてた原爆開発計画についての見取図を提出し︑それによって戦時
アメリカの科学技術政策の特質を明らかにすること︑そして第二に同計画が戦後アメリカの政府と科学の関係に与え
た影響を明らかにすることである︒まず第一章では︑原子物理学の分野における諸成果が科学者の行動を介して政府
戦時
アメ
リカ
の科
学技
術政
策と
原爆
開発
計画
︵一
四三
五︶
によるプロジェクトヘと結びつけられていくプロセスを明らかにする︒第二︑︳︱‑章では︑プロジェクトの発展過程と 実施過程が明らかにされる︒ここまでに第一の目的は達せられるであろう︒ただし︑原爆の完成にともなって生じた 問題︑すなわち使用決定問題と投下までのプロセス︑そして原爆のもたらした被害状況等については本稿の論旨から︑
また紙幅の関係から割愛せざるを得ない︒続く第四章では︑計画そのものに対して評価が加えられ︑
なお︑文末には計画の機構図︑関連地図及び年表が付されている︒適宜参照されたい︒
さらにそれが戦
後アメリカの社会と科学技術政策の在り方に与えた影響が問題とされる︒第二の目的は同章において達せられるであ 今後の核問題について考える上でも︑唯一の被爆国である我国において原爆に関する研究が進められることは︑あ
らゆる面で重要な意義を持つと思われる︒本稿のアプローチがそれに対してなんらかの寄与をもたらすことを願って
( 1 1 )
止ま
ない
︒
︵中
央公
論社
︑
一九
七三
年︶
︑
︵日
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︑
( 1 )
廣重
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科学
の社
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三年
︶等
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こと
︒
( 2
) C
f . P o l a n y i , M i c h a e l . ,
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T h e G r o w t h o f S c i e n c e i n S o c i e t y " ,
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M•Grene,
ed••K·ミ08ing
a n d B e ゞ
g , U n i v . o f C h i c a g o P r e s s
1 ,
9 6 9 .
( 3 ) C f . S a p o l s k y ,
H a r v e y M .
, ' ^
S c i e n c e P o l i c y i n A m e r i c a n S t a t e G o v e r n m e n t "
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L . P o r t e r , e d s . , S c i e n c e , T e c h
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1 9 8 1 ,
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3 6 7 1 3 7 2 .
また
︑
P r i c e , D o n K . ,
T h e S c i e n t i f i c E s t a t e , H a r v a r d U n i v . P r e s s ,
1 9 6 5 . 中 ' 討 蘊 E
‑
印i
﹃科
れ学
子と
民主
制﹄
︵み
すず
書房
︑一
九六
九年
︶第
二章
も参
照︒
なお︑研究予算配分における
m e r i t
とe q u i t y
の問
題に
関し
ては
︑
C f . Z w e r l i n g , S t e p h e n . , '
^ T h e D y n a m i c s f o D o m a i n N e g o t i a t i o n "
T h e N a t i o n a l S c i e n c e F o u n d a t i o n a n d t h e G e o g r a p h i c i s D t r i b u t i o n o f R e s e a r c h A w a r d s "
, P u b l i c A d '
ろう
︒
関法第三五巻第六号
柴田
治呂
﹃技
術革
新の
担い
手は
誰か
﹄
︵一
四三
六︶
一九
八
ministration Review, Vol. 40, No. 4, 1980.
( '<1') Wohlstetter, Albert., "Strategy and the Natural Scientists", in R. Gilpin and C. Wright, eds., Scientists and Na‑ tional Policy‑Making, Columbia Univ. Press, 1964, p. 174.
(LO) Cf. Wood, Robert C., "Scientists and Politics: The Rise of an Apolitical Elite ", in Gilpin and Wright, ed., op. cit.
袖臣條以吋肉溢掘榮封Q
蒜岨茶企投ふ和トペ=入,L.旦02
ド廷'Cf. Bozeman, Barry., "Straight Arrow Science Po‑ licy and Its Dangers", Public Administration Review, Vol. 39, No. 2, 1979.
(<D) Snow, C. P., Science and Government, Mentor Book, 1960, p. 9.
( t‑‑) Rettig, Richard A., "Applying Science and Technology to Public Purpose: A Synthesis ", in A. H. Teich and R. Thornton, eds., Science, Technology, and the Issues of the Eighties: Policy Outlook, Westview Press, 1982, p. 7.
(co) >J>Jt‑''
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年〜賛「姻坦叩心叫泣心滋畔副⑲疇譴糾J,¥J
讀羞配翫終翠肉姓咲」叫幽環叩岳゜>J
字涅窓記葬『宮叡暉輝—匹如鯉〈e
応』(疇繹頭輝l
忍11 駈)' 1 ‑11
嵐拇匪゜(a,) Teich and Thornton, eds., op. cit., p. xi.
(~) 志帥眼綜旦 02pe
宮9ge1 哩悩心如脳沓 ...)¥J' 宰帥抵砦滋掘旦匡ヤ心似涯ヂ兵終心
Q悩旦
Q追 ('P 二肉゜中 e
廿や企堆怜孟終ヂ
S4,....)
ドコ←〇択毎如藁<マ...)ド兵‑v° Kuehn and Porter, eds., op. cit.; Gilpin and Wright, eds., op. cit.; Teich and Thornton, eds., op. cit.; S. Ence! and J. Ronayne, eds., Science, Technology and Public Policy: An Internatio‑ nal Perspective, Pergamon Press, 1979; Durbin, Paul T., ed., A Guide to the Culture of Science, Technology and Medicine, Free Press, 1980, Part VI; Sapolsky, Harvey M., "Science Policy ", in F. I. Greenstein and N. W. Pol‑ shy, eds., Handbook of Political Science Vol. 6: Policies and Policymaking, Addison‑Wesley Publishing Company,
1975; Tisdell, C. A., Science and Technology Policy: Priorities of Governments, Chapman and Hall, 1981; Averch, H. A., A Strategic Analysis of Science and Technology Policy, Johns Hopkins Univ. Press, 1985. Durbin, ed., op. cit.
以廷ふ終ミ批果終叔毎皿喘茶益袋ふ共P
二肉°終将'蔀晦似涯以匿,....)ド述'堀・i
忌喪蜘如起撤忌終ヂQ4,....)
ド硲たド将釜堂トペ
‑RO 宮釘肘獄匿滋嵌心巌惑匡姻土国 l l lll (1 回 Ill ギ)
マンチェスクー大学のアーネスト・ラザフォードが原子核壊変の可能性を示唆した一九一六年から一九一︱
‑ 0 年代に
かけては︑原子核物理学の領域において目ざましい成果が次々に生み出されていた︒とりわけ︑中性子︑重水素︑陽
電子の発見や加速器の出現︑それにペーク線理論の発展や人工放射能の発見といった画期的な科学上のイペントが集
( 1 )
中した一九一︳三年は﹁驚異の年﹂として我々の記憶に留めておかれるべき年である︒なかでも︑本稿において特に注
目すべき事項は中性子の発見であろう︒キャペンディッシュ研究所のジェイムズ・チャドウィックは︑
W
・ボーテとH•ペッカーによって行なわれたベリリウムヘのアルファ粒子照射実験の結果を基にして、中性子( 2 )
( n e u
t r o n
)
の存在を発見した︒この中性子の発見がいかなる重要性を持つかについては︑
( 3 )
すなわちレオ・シラードの存在と合わせて語る必要がある︒
一九=三年頃から本格的に核物理学に取り組みだしたシラードは︑後の核分裂
( 4 )
の発見に大きな貢献をなしたリーゼ・マイトナーらと討論を行ないながら独自に研究を進めていった︒
そん
な中
で︑
一九
=︱
‑︱
‑年
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月に
︱つ
の社
会的
事件
が起
こっ
た︒
人工壊変は未だ成されていなかった︒ シラードが原子核の問題に興味を抱きはじめたのは︑
第一 節
第一章
( 1 1 )
本稿
は一
九八
四年
一月
提出
の修
士論
文に
加筆
・修
正を
施し
たも
ので
ある
︒そ
の内
容は
一九
八四
年ー
ニ月
の関
西大
学法
学会
にお
いて
発表
され
た︒
原爆開発への歩み
関法第三五巻第六号
レオ・シラードと連鎖反応
一九二八年か二九年頃のことだったという︒当時は︑原子の
ヒットラーの政権獲得である︒﹁国会議事堂放火 一人のハンガリー人科学者︑
︱ ︱ 四
︵一
四三
八︶
一 九 一 ︱
‑ 0 年に
示唆しているのである︒ 事件﹂は同年の1一月二七日のことであった︒ユダヤ人である自分にとってこの事件の意味するものをシラードは即座
に理解した︒彼はそのすぐ後ナチズムを逃がれるためペルリンを離れ︑
爆の問題と関わり合う時︑その背後には常にナチスヘの恐怖︑敵慄心があったということを我々は念頭に置いておく
べき
であ
る︒
ウィーンに到着したシラードは︑その後ロンドンヘと向かった︒そこでの彼はイギリスのユダヤ人グループの助け
を得て︑ドイツの大学からの追放者が新しいボストにつけるように運動を続けていた︒
そして一九︳︱‑三年の九月︑彼はまことに異常な考えに取り憑れた︒
かんだ︒もし中性子によって割れる元素︑
︱︱
五
ウィーンヘと向かう︒シラードがこれ以降原
﹁︵道路で︶信号が変わるのを待っていた時︑そして信号が青に変わって通りを横断した時︑突然︱つの考えが浮
.
.
.
.
しかもそれが一個の中性子を吸収する際に二個の中性子を放出するような
元素が見つかるなら︑そのような元素を充分大量に集めれば原子核反応を維持することができるわけだ︒その時はど
うやってそのような元素の発見にとりかかればよいか︑どんな実験が必要かはわからなかったが︑そのアイデアは心
( 5
)
を離
れな
かっ
た︒
﹂
これが﹁連鎖反応﹂のアイデアである︒もしこれが可能であるとするなら︑アインシュクインの特殊相対性理論に
( 6
)
より︑人類は今まで手にしたことのない程の物凄いェネルギーを﹁自由に﹂出来る︒この=ネルギーは工業的目的に
用いられることが可能であろう︒しかし︑それは一方ではかつてなかった程の破壊力を有する爆弾製造の可能性をも
( 7 )
一九三八年には0・ハーンと
F
・シュトラスマンによって核分裂の発見がもたらされる︒これにより︑戦時
アメ
リカ
の科
学技
術政
策と
原爆
開発
計画
︵ 一 四 三 九 ︶
シラードの
くことになるのである︒
( 8
)
アイデアはより一層の現実性を与えられることになる︒彼の関心は︑実際の核分裂過程で中性子が放射されるかどう
ここ
で︑
なお︑指摘しておかねばならないのは︑
的状況がまず挙げられるということである︒その頃︑
ない︒プロジェクトの基礎には︑ある一定のニーズが据えられているのである︒
︵一
四四
0 )
一九
八
かということだけになった︒彼はフランスの物理学者F・ジョリオに核分裂についての論文の公表を差し控えるよう
( 9
)
勧告した︒もしドイツがこの知識を手に入れれば︑ナチスの手に恐しい兵器がもたらされる可能性があるからである︒
( 1 0 )
﹁某礎物理学の歴史において初めて︑機密政策と科学的知識の交換の拒否が生み出された﹂のである︒
シラードに原子爆弾のアイデアを﹁考えさせた﹂要因として︑当時の政治
シラードを含めた多くの人々にとって世界大戦の再度の勃発は
﹁連合国﹂がドイツよりいち早くその爆弾を手に入れるということはどのような意味を持って 不可避と考えられていた︒来たるべき戦争においてのドイツによる核ェネルギーを利用した爆弾の保有はどのような
( 1 1 )
意味を持つか︒また︑
いるか︒原子爆弾の開発に向けての出発点に︑以上のような﹁現実的要請﹂が存在していたことは見逃されてはなら
もう一っ注目しておくべき点は︑ここに至っての科学と政治との結びつきの具体化である︒これ以後︑科学者逹は
自らが従事する﹁科学的活動﹂が︑政治的及び社会的コソテクストの中でいかなる意味合い︑もしくは重要性を持つ
かを考えざるを得なくなった︒それと同時に︑国家もまた科学が自らにもたらすメリットについての認識を深めてい
(1)E
・セ
グレ
著/
久保
亮五
矢・
崎裕
二訳
﹃
X線からクオークまでー︱
1 0
世紀の物理学者たちー﹄二年
︶二
三一
ー五
頁参
照︒
( 2 )
同書
・ニ
四
OI
四一
頁及
び
C f.
S m y t , h H e n r y D . , A t o m i c E n e r g y f o r M i l i t a r y P u r p o s e s
"
T h e O f 翌
a l R e p o r t o n t h e D e
苫
l o p m e n t o f t h e A t o m i c B o m b u n d e r t h e A u s p i c e o f t h e U n i t e d S t a t e s G o v e
r n e m n t ,
1 9 4 0 1
迄4 5 ,
P r i n c e t o n
関 法 第 三 五 巻 第 六 号
︱ ︱ 六
︵み
すず
書房
︑
U n i v . P r e s s , 1 9 4 5 ,
pp.
9
ー1 0 .
( 3 )
レオ・シラード
( L e o S z i l a r d )
は一八九八年︑ハンガリーのブダペストに生まれる︒一九一六年にハンガリーエ科大学
に入学︒その後︑ペルリン大学で熱力学に関する論文で学位修得︒ヒットラーの政権獲得とともにウィーンそしてロンドン
へと渡り︑そこでドイツからの追放学者に職務を提供するための運動を展開する︒一九三八年に米国へと渡り︑原爆計画に
参加︒戦後はシカゴ大学生物物理学教授として生物学研究に専心する一方︑バグウォッシュ会議等を通じて核廃絶︑世界平
和を訴え続けた︒一九六四年心臓病で死去︒
(4)S.R•
ウィアート •G.w .シラード編/伏見康治・論訳『シラードの証言』(みすず書房、一九八二年)一四頁。
︵以後︑同書からの引用の際には﹃シラード﹄と略記する︒︶
( 5 )
同書・ニー頁︒
( 6 )
疋田強﹁自然界と原子の爆発﹂﹃現代思想﹄一九八二年八月を参照のこと︒
( 7 )
ハーンとシュトラスマンはウランを中性子で照射した際の生成物の中に︑放射性のバリウムを見つけ出した︒バリウムは
周期系列のほぼ中央付近に位置する元素であり︑ウランの約半分程の重さを持つ︒彼らは︑その結果が中性子の衝撃により
ウラン核が分裂したためにひき起こされたものであることを説明したのである︒
C f.
J u n g k , R o b e r t . , B r i g h t e r t h a n
a
T h o u s a n d S u n s
"
A P e r s o n a l H i s t o r y f o h e t A t o m i c S c i e n t i s t s , P e l i c a n B o o k s ,
1 9 6 4 ,
pp
.
6 8 1 7 2
.乃gひ︑ジョージ・ガ
モフ著/野上茂吉郎訳『ガモフ全集5•原子力の話』(白揚社、一九五四年)一四OI四八頁参照。
( 8 )
﹁原理的には核分裂から連鎖反応に向かう道はさして長くもない︒核分裂生成物は必然的に︑これと同じ質量数の安定な
核に比ぺて中性子が多すぎることになる︒この過剰を取り除くにはペーク崩壊というゆっくりした過程を取るか︑あるいは
もし充分なニネルギーがあれば直接中性子を放出するかのどちらかである︒この第二の場合には二次中性子がまた新たな核
分裂を引き起こすのに使える可能性があり︑さらにもしその数が充分多い時には︑第一世代よりもっとたくさんの中性子を
出すことになる︒このやり方でどんどん増えていく連鎖反応を達成することができる︒そこでもしもこの連鎖が制御されず
に非常に急激に進行すると︑ものすごい爆発が起こる︒こうして原子爆弾︑もっと正確に言うなら原子核爆弾ができること
になる︒﹂セグレ・前掲書・ニ七六頁︒
( 9 )
この件に関してのシラードからジョリオ宛の書簡については︑
戦時アメリカの科学技術政策と原爆開発計画
︱︱
七
︵一
四四
一︶
﹃シラード﹄九一ーニ頁に全文が掲載されている︒なお︑
の﹁行動﹂を起こすことになる︒その行動の結果が︑一九三九年八月九日付のA・アインシュクインからルーズヴェ ジョリオはシラードの勧告にもかかわらず︑が存在することを公表した︒
( 1 0 ) G o l d s c h m i d t ̀ B e r t r a n d . , T h e A t o m i c C o m p l e x :
A
W c 0 r l d w i d e P o l i t i c a l H i s t o r y o f u N c l e a r E n e r g y , A m e r i c a n N u c l e a r S o c i e t y ,
1 9 8 2 ,
p .
9 .
( 1 1 )
周知のように︑アメリカ以外の国においても原爆開発に向けての研究は進められていた︒ドイツにおける原爆開発に関し
ては
︑
G o u d s m i t S , a m u e l
A . ,
A L S O S : T h e F a i l u r e i n G e r m a n S c i e n c e , S i g m a B o o k s , 1 9 4 7 .
(
山崎 和夫
・小 沼通
1一 訳
﹃ナ チと 原爆
Iアルソス・科学情報調査団の報告﹄海嗚社︑一九七七年︶参照︒フランスに関しては︑
C f . W e a r t , S p e , n c e r
R . ,
S c
i e n t i s t s i n o P w e r ̀ H a r v a r d U n i v . P r e s s ,
1 9 7 9 .
日本に関しては︑保阪正康﹃原子爆弾完成を急げ﹄︵朝日ソ
ノラマ、一九八三年)、宮田親平『科学者たちの自由な楽園ー—栄光の理化学研究所』(文藝春秋社、一九八三年)第―ニ
ー三 章等 を参 照の こと
︒ とウランを用いて連鎖反応についての研究を続けていくうちに︑その可能性にかなり明るい見通しを持てるようにな
その問題の持つ政治的イソパクトゆえに︑彼はそれに関する論文公表の差し控えを求める運動とともに︑もう一っ ルト大統領に宛てられた書簡である︒この書簡は実際にはシラードによって起草されたものであり︑彼は著名なアイ
ンシュクイソの名を借りることによって直接大統領にウラン問題の重要性を訴え︑
起こさせようとしたのであった︒ アメリカ政府になんらかの行動を
った
︒ 一九三八年以来アメリカに滞在し︑
第二節
関 法 第 三 五 巻 第 六 号
﹃ネイチュア﹄誌に核分裂で中性子が放出され︑これが連鎖反応に至る可能性
アインシュクイン書簡とウラニウム諮問委員会
コロンビア大学で1
ー﹁無資格﹂で
1
ー研究を行なっていたシラードは︑黒鉛
︱一
八
︵一
四四
二︶
レーマン・コーボレーショソの経済顧問でありニュー・ディールの協力者でもあったアレクサンダー・ザ ックスによって大統領に届けられた︒ザックスとのつながりは︑亡命して当時ニューヨークに滞在中のドイツの経済
( 1 )
誌の発行者でありシラードの知人でもあったグスタフ・ストル︒ハー博士を介して可能になった︒我々はここで︑科学 者の側から政治への稼極的なコミットがあったことに注目せねばならない︒
書簡の内容には︑E・フェルミとシラードが行なった研究により︑
れないこと︑そのニネルギーは未だかつて存在しなかった程の破壊力を有する爆弾の製造に利用出来ること︑そして ドイツではすでにその問題に関する研究が進められているらしいこと等が含まれている︒
この書簡に対するルーズヴェルトの回答が具体的な形をとって現われたものが︑
れたウラニウム諮問委員会
(A
dv
is
or
y
Co
mm
i t
te
e
on
Uranium.
委員長
11度量衡局長リーマン
•C ・プリッグス)
( 3
)
であ
る︒
﹁原子に関する領域における最近の諸発見︑この委員会の目的は︑
( 4 )
関係についての研究﹂であった︒実際の活動内容としては︑原子爆弾の可能性を示唆したこと︑政府に対し原料とな
( 5 )
るウラニウムの獲得を勧告したこと等があげられる︒
この諮問委員会が設置されるに至る決定はいかなる過程においてなされたのか︑
階での核ニネルギーに対する個人的興味︑関心はいかなるものであったのかは︑詳しく知ることは出来ない︒しかし︑
( 6 )
彼はアイソシュタイン名義の書簡を﹁要措置﹂という指示をつけて個人秘書官ヮトソンにまわしたという︒このこと
ルーズヴェルト個人としては新型爆弾のアイデア︑そしてドイツがすでにその研究に着手しているとい
戦時アメリカの科学技術政策と原爆開発計画 からしても︑
書簡
は︑
︱︱
九
ウランが新しいェネルギー源に成り得るかもし とりわけウラソ核分裂と国防との考えられ得る
またルーズヴェルト自身のこの段
︵一
四四
三︶
一九
三九
年一
0月
二
l日に設置さ
シーズとしては︑前節で述べた核物理学の領域で成された諸発見や新理論の誕生がそれにあたるものとして挙げら
︵もちろん︑それらを可能にした要因として︑実験装置の性能向上やその頃の科学者同志の比較的自由な交
このように︑プロジェクトが具体的な形をとるためにはシーズとニーズの双方の存在が必要であるが︑当然のこと
ながら︑プロジェクトの推進にあたっては一定の実現可能性
( f e a s i b i l i t y )
が前提とされていなければならない︒ア 流を忘れてはならないことは言うまでもない︒︶ れ
得る
︒
ェクトの出発点に存在していたのである︒ 政府がプロジェクトを組み立て︑それを実行に移していくのはその出発点に何らかのニーズが存在し︑その基底には何らかのシーズが備わっているからである︒アメリカの原爆開発の場合︑戦時において強力な兵器の開発が求められているということが︱つのニーズであった︒それに加えて︑敵国が新兵器開発を進めそれを自国より先に手にするかも知れない可能性︑そしてそれに対抗するための自国における独自開発の必要性といったものがアメリカのプロジ な
がる
︒
もち
ろん
︑
ルーズヴェルトには独自にこの問題に取り組み︑具体的政策を打ち出せる程の科学的知識は備わってい
なかった︒そこで︑彼をサポートするための専門家達から成る諮問機関が必要となってくる︒それが前述のウラニウ
ム諮問委員会である︒
この委員会の設置により︑アメリカ政府は一応原子爆弾製造計画の第一歩を踏み出したと言えるだろう︒しかし︑
ここでウラニウム諮問委員会の果たした役割をあまり大きく評価し過ぎることは︑事態を見る目を誤らせることにつ う事実に対し並々ならぬ関心を持っていたと推測出来る︒
関 法 第 三 五 巻 第 六 号
ー ニ
0
︵ 一
四 四
四 ︶
たねばならない︒ メリカの原爆開発の場合︑その実現可能性については│̲少なくとも科学者以外の関係者にとって
1
当初において多くの疑問が残されていた︒このため︑
動はトリビアルなものに留まっており︑この時点でアメリカ政府が原爆開発に本腰を入れはじめたとは言い難い︒
また︑当時の軍︑特に陸軍は軍事に関する研究開発の推進よりも︑すでに開発済みの兵器の調達に重点を置く方が
( 7 )
非常時においては得策であるという認識を有していた︒このため︑ウラニウム諮問委員会は軍の充分なサボートを受
けることが出来なかった︒このこともまた︑委員会の活動が睦目すべき成果をあげ得なかった原因の︱つであると言
( 8
)
える
ウラニウム諮問委員会の設置は︑ ︒
まったのである︒ ウラニウム諮問委員会に与えられた重要性︑そしてそれが実際に行なった活
アメリカが初めて政府レベルで原子力もしくは核ニネルギー問題に取り組んだこ
との現われとして一応注目に値するものである︒しかし︑
現可能性を欠いていたということが原爆開発に対する政府の努力を稀薄化し︑委員会の活動そのものをも制限してし
これらの事態の改善のためには︑委員会の再組織化及びイギリスからのフリッシュ
1 1
パイエルス報告書の到着を侯( 1 )
﹃シ
ラー
ド﹄
一
0
九ー一
︱︱
頁参
照︒
( 2 )
同書
.︱
二四
ー一
︱一
五頁
︒
3( )C f.
S m y t h
̀ o p . c i t .
"
p .
4 7 .
委員会のメンバーは委員長のプリッグスの他に陸軍からの代表K.F・アダムソン大佐︑海
軍か
らの
G.C・フーバー中佐であった︒会合にはこれらのメンバー以外に︑科学界からの代表が出席した︒
( 4 ) S t e w a t r , I r v i n . , O r g a i n z i n g S c i e n t i f i c R e s e a r c h f o r a W r : T h e A d m i n i s t r a t i v e H i s t o r y
o f h e t O f f i c e o f S c i e n t i f i c
戦時アメリカの科学技術政策と原爆開発計画いくつかの原因︑とりわけ原爆製造の問題がその時点で実
︵一
四四
五︶
戦前アメリカの研究開発体制
ー国立科学アカデミーと国家研究評議会I
一七七六年のアメリカ合衆国独立宜言において主張されたョーロッパ的旧体制からの︑
ー特にイギリスのジョージ三世の暴政ー及び教権的専制主義からの絶縁は︑建国者達にとっての新しい拠り所が
( 1
)
自然法︑そして理性への信仰にあることを意味している︒換言すれば︑アメリカそのものが形而上学や神学の呪縛を
解かれた﹁合理主義的精神﹂の産物なのである︒このことは︑
出す土壊となるものであり︑それと同時に社会の科学への信仰を強める働きをなすものである︒
このような事情がアメリカにおける科学技術政策の基底にあることを忘れてはならない︒そこでは科学が社会に容
第一節
第1
一 章 プ ロ ジ ェ ク ト の 具 体 化
関法第三五巻第六号
三
R e s e a r c h a n d D e v e l o p m e n t ,
1 9 4 8 ,
r e p . e d . , A r n o P r e s s ,
1 9 8 0 ,
p .
9 .
( 5 ) S m y t h , o p . c i t
︑
.
p .
4 7 .
( 6 ) S h e r w i n , M a r t i n J
. ,
A
W o r l d D e s t r o y e d
"
T h e A t o m i c B o m b a n d t h e G r a n d A l l i a n c e , V i n t a g e B o o k s , 1 9 7 7 .
加藤
幹雄訳﹃破減への道程ー原爆と第二次世界大戦﹄
(T
BS
プリ
クニ
カ︑
一九
七八
年︶
四八
頁︒
(7)M
・ク
ラン
ツバ
ーグ
・
C.
︒ ^
1七ル
J r .
著/小林達也監訳﹃二
0
世紀の技術﹄︵下︶︵東洋経済新報社︑一九七六年︶ニ八 0
頁 ︒ (8)M
・シャーウィンはウラニウム諮問委員会が﹁無気力﹂であった理由として︑すでに指摘した二つの原因の他に次のもの
をあげている︒︵一︶委員長︵プリッグス︶自身が保守的な人間であったこと︑︵二︶亡命科学者に対する官僚・軍人の不
信感。(シャーウィン・前掲書•五一ーニ頁参照。)
と り わ け 政 治 的 専 制 主 義
アメリカにおいての知識に与えられる高い権威を生み
︵一
四四
六︶
一九一八年︑ウイルソン大統領は
NAS
をサ
一八
六
( 2
)
易に受容されるための条件が整っていたのであり︑政府と科学も比較的親密な関係にあったと言えるのである︒
また︑知識に与えられる高い権威が﹁専門家﹂の権威につながるものであることを指摘しておかねばならない︒こ
れにアメリカ政府における一般行政集団の脆弱性が加わって専門家はそこで高い地位を得ることができ︑きわめて強
( 3 )
い影響力を有することが可能になったのである︒科学者の行政官への任用が行なわれるのは︑これらの事情に関係が
あると言えよう︒
以上のことを念頭に置いた上で︑戦前アメリカの研究開発体制に話を進めよう︒
アメリカで軍事研究のために科学技術を組織化する努力がはじめられたのは︑比較的初期のことに属する︒
三年︑国立科学アカデミー
( N a t i o n a l A ca de my o f S c i e n c e .
以下
NAS
と略記︒︶が創設されるが︑これは南北戦
争時において優れた科学的才能をより効率的に利用するための機関であったと言える︒制定条令によれば︑
NAS
は
﹁政府省庁の要請があった場合には︑あらゆる科学もしくは技術に関する問題について調査し︑試験し︑実験し︑そ
( 4 )
して報告する﹂義務を負っている︒
NAS
の活動が戦争の結果に直接的に影響を与えたとは言い難いが︑
のは︑それが政府による科学研究の組織化の先例をつくったことなのである︒
第一次世界大戦の勃発により︑組織化への努力は拍車をかけられる︒
ボートするための組織として︑国家研究評議会
( N a t i o n a l R e s e a r c h C o u n c i l . NRC
と略
記︒
︶を
設立
した
︒ NRC
の活動は軍及び諸政府機関との協力を通じて行なわれ︑その範囲は毒ガス研究から光学機器の開発にまで至る広汎な
( 5 )
ものであった︒
( 6 )
NAS
ー
NRC
の設置は︑政府が科学の有用性に対して目を向けはじめたことの結果であると言えよう︒これ以降︑
戦時
アメ
リカ
の科
学技
術政
策と
原爆
開発
計画
:
︵一四
四七
︶
より重要な