) を読んで (続)
著者 円尾 健
雑誌名 仏語仏文学
巻 37
ページ 247‑261
発行年 2011‑03‑15
URL http://hdl.handle.net/10112/00017278
(1957年)を読んで(続)
円 尾 健
1
先号において、頭書のようなタイトルを掲げて渡辺一夫のフランス・
ユマニスムに関する著作を取り上げて論評することとなったが、その時 にもお断わりしたように、内容そのものよりも研究のアプローチのあり 方を中心に論ずるという、いとも変則的なものとなってしまった。それ はそれなりに無意味ではなかったと思う。でも、今回、この問題を続け て扱うにあたって、順序は逆となったが、まず内容、すなわちフランス・
ユマニスムなるものの簡単な紹介から始めることとしたい。
『フランス・ユマニスムの成立』は、まず序章「ユマニスムhumanisme という語について」に始まる。このフランス語は、「ヒューマニズム
humanismという英語とほとんど同義語だと思うが、恐らく双方とも、後
で記すように、その意義を決定する場合には、多くの疑義を残す言葉で ある」。このように、この語の問題性を指摘しながら、著者は本書でその 意味を決定するつもりはないが、「少くとも、フランスにおけるユマニス ムのありかを探ねる緒を私流に求めることにはしたいと思う」。ともあ れ、フランスにおいてこの語はルネッサンス期にはなかったけれども、
その内容となる思潮ないし態度は存在していたし、それにそれらの思潮 や態度はそれ以前の中世から糸を引くとはいえ、ルネッサンス期になる とすでに近代的な意味内容をそなえるにいたっている。ここで渡辺は、
ユマニスムの類語ユマニタリスムhumanitarisme(人道・博愛主義)、そし て日本で流布しているヒューマニズムをあげてその違いに触れ、本書で
扱うユマニスムは、ユマニタリスムと無縁でなくとも、決して同義語で はない、という。
最新刊(当時の)仏和辞典によれば、この語の訳は次の通りである。
humanisme n.m.
⑴ [哲]人本主義
⑵ [文]⒜(文芸復興期の)人文主義 ⒝ 古典語・古典文学の研究
ついで、これらの訳語に検討が加えられていて、「古典語・古典文学の 研究」については、それが、日本で用いられているヒューマニズムとい う語にはほとんど無縁であるにもかかわらず、ルネッサンス期のユマニ ストと呼ばれる人間には、その思考方法・探求方法の上で、きわめて密 接な縁があったことが指摘される。ただし、単なる「古典語・古典文学 の研究」ならばすでに中世に存在するが、ルネッサンス期に入って新し い、生々しい人間的課題に直面し、今までにない目的と意識―漠然と
「人本主義」、「人文主義」と呼ばれる―を自覚することになったのであ った。
このようにして、中世神学の世界から、広汎な人間の問題として、信 仰と理性・思想と人間との課題を近代世界の人々に提供することになっ たのはルネッサンスのユマニスム運動なのである。humanismeという語 は、humanitismeという語とともに―フェルディナン・ブルュノによれ ば―1765年ごろからフランス語として存在したらしい。18世紀に一度 出現したこのことばは、その後忘れ去られたようで、再び姿を見せるの は十九世紀末期で、こんどはドイツ語のHumanismusのフランス語化し たものとして、と考えられている。ただし、リットレの『フランス語辞 典』が示すように、18世紀とは違った内容がこの語に与えられるように なっている。この時期、およびそれ以後の、この語の取り扱いとその変 遷については当の本書の記述にゆだねるとして、20世紀になってこの語 がとくに取り上げられて再検討される機会は、著者の渡辺によれば少く
とも二回―一度は第二次大戦前の一時期、そして次は大戦後―あっ た。
1933年、ヒットラーが政権を掌握、その時期から第 2 次世界大戦にい たる1930年代に、この切迫した、風雲急な状況において、ユマニスムに ついての論議が盛んとなる。狂信的なものに対する理性の抵抗として、
こうした動きを代表するのは1935年、ニースで、1936年ブタペストで国 際知的協力委員会によって開かれた討論会であって、後者はポール・ヴ ァレリーの司会で行われ、その速記録は『新らしいユマニスムに向けて』
(Vers un nouvel humanisme)と題して、一巻の書にまとめられている。
ルネッサンス期のユマニスムと違って、1930年代のユマニスムは宗教問 題に直接触れず、近代社会の問題―思想・文化を中心とした―を対 象とするが、しかし人々がユマニスムに期待したことは昔と変っていた わけではない。すなわち人間的なものへの愛情と努力、人間の、人間を 歪めるものからの擁護などがそれである。人間を歪める教会の制度や慣 習にたいして、ルネッサンス期のユマニストたちは、「これはキリストと 何の関係があるか?」と問いかけたと伝えられるが、新らしい時代のユ マニスムの探求者たちは、周囲の狂乱や愚行にたいして、「それは人間で あることと何の関係があるのか?」と問いかけたろうし、それは大戦後 においても続けられることになるのである。
ユマニスム論議は、第二次大戦後ふたたび盛んとなる。大戦前の論議 の延長とともに戦前には見られなかった深刻な問題―米ソの対立、資 本主義と共産主義をめぐる論争、原子力の発見にともなう科学と人間の 問題など―が発生、ユマニスムも混迷の様相を示すが、いずれも現代 世界の、そしてその文化の危機を告げるものだ。
著者としては、ユマニスムの定義を目的としているわけではなく、フ ランスにおいてその探求者たちが、人間疎外現象にどのように反応し、
それらに対して何を試みたか、に注目し、その試みが始まった16世紀前 期、すなわちフランス・ルネッサンス前期にそれを探ろうとするだけで あり、それによって、ユマニスムという語の内容が少しでも明らかにな
れば幸いである。
以上、渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』の序章の部分をかい つまんで紹介した。それに続く本篇で、その成立の事情が詳細に追及さ れているが、それは当の著作にゆだねるとして、本書は、著者が「結語」
でいうように、その内容となる問題が、「最近まで少くとも我が国のフラ ンス文学研究者の世界ではあまり取りあげられていなかったので」、せめ て先人たちの業蹟を紹介し、今後の有為な研究者の参考にでもなれたら 幸いであるとする以上、それ以上を期待するのは無理というものだろう。
とはいえ、「序章」では、すでに見たようにフランス語のユマニスムに関 連して、日本で用いられているヒューマニズムなることばとの意味のず れが言及されているし、またユマニスムに含まれる「古典語・古典文学 の研究」という意味は、この、日本でのヒューマニズムには「ほとんど4 4 4 4 無縁である4 4 4 4 4にもかかわらず」(傍点筆者)、ルネッサンス期のユマニスト たちにとって密接な関係があったことが指摘されていて、ユマニスムが われわれ日本人にとって何を意味するのか、日本文化とどうかかわるの かという問題を抜きにして論じても、その本格的な理解にはとうてい達 しないことは明らかであろう。
というわけで、ここに『ユマニスムと日本文化』と題する論文がある
(高階秀爾『日本近代の美意識』(1978)青土社に所収)。もとは雑誌『自 由』(1966)に掲載されたもののようで、いわゆるユマニスムと日本文化 との関係をさらに突っこんで論じていて、この問題に関心を持つ人間に は不可欠の文章と思われるので、以下にその骨子を紹介することにする。
2
本論文は、あの大学紛争の時期―と思われる―に、早稲田大学で 起きたある事件に関する著者の所感から始まる。学生との、夜を徹して の団交のあげくのはてに、当時の阿部総長代行は疲労のために倒れ、救 急車で運び出される。著者の高階は、この事件を新聞報道で知って、晩 年のカントにまつわる、あるエピソード―カントは、老令と病気とに
苦しめられながらも、最後まで「人間性の感覚」というものを失わなか った―を思い出す。人間は動物だが、他の動物と違って単なる肉体的 条件を超えるところに意味があり、カントが「人間性の感覚」と呼んだ ものも、まさしくそういうものであった。さらに広く西欧において「ユ マニスム」と呼ばれているものも、根底において、この感覚に根ざして いるとして、高階はこの報道に接し、さらにこの事件が学生側の意図的 なものであったらしいことを知って何よりも感じたのは、学生の側にお ける、以上のような「人間性の感覚」の完全な欠如である、という。こ の事件が暴露したものは、「単に私学の経営の困難だけではなく、「ユマ ニスム」の伝統の欠如である」。では、西欧においてしばしば問題となる この「ユマニスム」とは、本質的に、いったいどういうものだろうか。
以上のような問いから初めて、高階はプリンストン大学の美術史の教 授パノフスキーの「人間学としての美術史」という論文(1940)を援用 し、「ユマニスム」の本質を語る。この「ユマニスム」という概念は、そ の、ルネッサンス期における成立当初からはっきりと二つの面を持って いた。一つは人間を、人間より低い4 4存在と比較することによって認めら れる「人間としての特質」を強調しようとし、もう一つは逆に、人間を 人間よりも高い4 4存在と比較することによって認められる、その「本質」
を強調しようとする。いずれにも、それぞれ歴史的背景があり、前者は ギリシャ・ローマの古典古代の伝統に由来し、後者は中世キリスト教世 界に由来する。
ギリシャ人は、人間を「万物の尺度」として、その「価値」において とらえた。人間は、生物学的には動物の一種であるが、理性と言葉を備 えているという点で、他の動物たちとはっきり違う。ところで、キリス ト教の支配する中世になると、こんどは「神性」との対比においてとら えられるようになる。そこではすべての人間は原罪の重荷を背負された
「罪人」であり、全能の神の前で「不完全な」、「力なき」存在である。古 代における人間性肯定の精神に対して、人間は、その「限界」において 考えられるようになった。
西欧の文化が、古典古代と、キリスト教中世の伝統から成り立ってい るというのは広く知られているが、ルネッサンス期に成立した新しい人 間観も、当然この二つの、一見相反する考え方が反映している。十五世 紀の、フィレンツェの代表的ユマニストたち―マルシリオ・フィチー ノやピコ・デラ・ミランドラなど―が、人間を動物と神との、あるい は動物と天使との中間の存在と見なしたのも、そういった思想の流れの 中にある。つまり、そこには、「理性」と「自由意志」の持主としての人 間の価値にたいする誇りと、「不完全」で、「誤ち」を犯し得る存在とし ての人間の限界の認識という二つの面が共存しており、それが「ユマニ スム」の二本の柱となっているのである。パノフスキー教授が、そこか ら「ユマニスム」の基本的精神として「責任」と寛容の精神が生れて来 ることを指摘するのも当然なのだ。
このようにして、ユマニストは自分の言行にはっきりと責任を持ち、
また人間の限界を知るが故に、他人に対して寛容である。いいかえれば、
権威主義や、狂信的独善主義ほど「ユマニスム」の精神から遠いものは ない。だがしかし、これほど言うは易くして行うに難しいものはない。
ルネッサンス時代の代表的人物でユマニストであった、エラスムスの立 場がそのことを十分に証明しているのである。西欧の「ユマニスム」は、
このような歴史的背景と厳しい試練を受けて今日まで育って来たことを 指摘し、高階はついでわが国に目を向けて、わが国は近代化によって西 欧の文化を受け入れて来たが、はたして「ユマニスム」の精神と伝統は 十分に理解され、受け入れられて来ただろうか、と問いかける。
「ユマニスム」または「ヒューマニズム」も、本来人間にかかわるもの であるが、同じ「人間」といっても、西欧での人間と、わが国での人間 とでは、単にニュアンスにとどまらない、そのとらえ方や見方に大きな 違いがある。「その差異をはっきりと認識しなくては、ユマニスムを理解 することはできない」。すでに見たように、西欧のユマニスムの中心とな る人間は、動物、そして神との対比においてとらえられ、そのいずれか らも峻別された存在であるのに、わが国の人間は、西欧と違って人間以
外のものとの対比という契機を持たない。つまり、わが国における人間 観は、人間以外の存在との対比によって形成されたものではなく、人間 同志の間の関係によって規定されているのである。もちろん、わが国に おいても人間を超えた、より高次の存在に対する観念がなかったわけで はないが、わが国では、それらの人間以上の存在も、人間以下の存在も、
「人間」にとって否定的契機としては作用しなかった。このように見て来 て、西欧世界において、人間であることの誇りも悲しみも、人間以外の ものからの断絶から生れて来るのに反し、わが国では、それは人間との 連続によって支えられているのである。だとすれば、わが国での「人間 主義」の受け取り方が、西欧世界でのように行動原理としてのきびしさ を持たず、情緒的な色彩を帯びているのも当然といってよいのであろう。
以上見てきたように、「ユマニスム」ということばが輸入されても、そ の精神が西欧世界と同様の意味で受けとめられなかったのは明らかだが、
そういった言語上の分析とは別に、現実にも、明治以来、大々的に近代 化を推進してきたわが国が、西欧の技術文明を習得したと同じように、
その「ユマニスム」の精神を受け入れたかどうかは、はなはだ疑わしい のである。エラスムスが、「われわれは古いものを復興するのであって、
新しいものを伝えるのではない」といったように、精神的価値の領域に おいては、「ユマニスム」は、基本的態度として権威を否定しながら、伝 統を尊重する。ところがわが国の近代化は、その文化政策を含めて伝統 を否定しつつ、権威に頼ることによって推し進められてきたのである。
とくに敗戦によって伝統がすっかり影を薄くした戦後においてしかりで ある。
「ユマニスム」が伝統を尊重するのは、その中にこそ人間の人間として の価値が集約されているからである。事実、あらゆる動物のうちで人間 だけが意味のある記録を残し、それらにもとずいて物質的存在から独立 した観念の世界を持つことができる。このような、広い意味での記録の 総体が、「文化」と呼ばれるものに他ならない。したがって「ユマニス ム」が、まず最初は、そのような古い記録を調べる古文書学、ないしは
文献学として登場してきたのは決して偶然ではない。そしてそのように して、いわゆる「人文科学」が、「自然科学」とははっきり別のものとし て、このルネッサンス時代に登場することになる。ニュートンやレオナ ルドは近代科学にとってすでに過去の人間であるが、かれらをそれ自体 の価値のために読む時は、人は自然科学者ではなく、「ユマニスト」とな り、「ユマニスト」の扱う対象は時の流れを越えた価値を持つ。そのよう な価値の総体が文化というものだ。かつてのフランスの文化相アンドレ・
マルローが、国会の演説で、「文化とは、死の中においてなおかつ生命で あるもの」といったのも、おそらく同じような意味であったろう、と高 階はいう。その意味で、マルローは「ユマニスト」の一員といってよい。
文化の生命力も形式を離れて受けつぐことはできない。「ユマニスト」た ちが、広い意味での、過去の人間の残した記録を大切にするのも、それ によってのみ、文化の生命力が生き続けて行くことができるということ を知っているからだ。つまり、「ユマニスト」たちは、多かれ少かれ、つ ねに歴史家であり伝統派なのである。戦後、日本の多くの「文化政策」
―国語問題にせよ、メートル法の強制にせよ―が、文化の生命を守 ることよりもむしろ、それを台なしにするような方向に進められている のは、その背後に、このような「ユマニスム」的価値観が欠けているか らなのだ。
わが国が明治とともに西欧の先進国の文明を受け入れるようになった 時、受け入れたのがまず自然科学のめざましい成果であり、それにもと ずく技術文明であった。そのため、自然科学的価値観が支配的となり、
「ユマニスム」的価値観はわきに押しやられるという形になった。つま り、わが国の近代化のパターンはいちぢるしく「自然科学的」であって、
「ユマニスム的」ではなかった。しかも、それは、自然科学の成果を受け 入れる場合だけではなく、精神的価値、すなわち「文化」一般の受容に おいてもそうだったのである。そして、すでに見たように、わが国の人 間観が、西欧の「ユマニスム」の人間観と異っていたことが、この傾向 にいっそう拍車をかけたことは疑い得ないところであろう。
ついで、芸術のあらゆる領域における、西欧文化輸入のパターンに見 られる「ユマニスム的」価値観の欠如に触れたあと、著者は論文を次の ように結んでいる。
われわれは明治以来すでに百年に近い年月を経て、「近代化」をほ とんど完全に成し遂げたかに見える。そしていうところの「近代化」
が純粋に技術文明の面にかぎられるものであるなら、あるいはそれ はたしかにその通りだといってよいかもしれない。しかし、わが国 においては、「近代化」はすなわち「西欧化」であり、しかもその
「西欧化」から「ユマニスム的」価値観がすっぽりと抜け落ちている とすれば、われわれはあらためて「ユマニスム」の持つ意味を問い 直すところから始めなくてはなるまい。そしてそのことは、一見い かに迂遠なものと見えようとも、われわれの伝統をもう一度ふり返 って見ること以外にはあり得ないであろう。
3
以上が、渡辺一夫『フランス・ユマニスムの成立』に引きつづき、高 階秀爾の論文『ユマニスムと日本文化』のあらましである。以上の簡単 な紹介を通しても、「ユマニスム」―「フランス・ユマニスム」に限ら ず―の本質とは何か、そして、それは日本文化にとって何を意味する かということが、かなりのていどに明らかになったのではないかと考え る。とくに後者にあっては、早稲田大学での騒動という現実に触発され て書かれたためか、文章に熱気があり、問題の根元に迫ろうとする気迫 が感じられて、きわめて示唆に富むと同時に啓発されるところの多い仕 事であったということができる。本論文の功績は、日本では―フラン ス文学の世界でさえ―何かのついでに言及されるていどのユマニスム が、実はヨーロッパの人間観そのもの、そしてその文明そのものに根ざ すこと、そして人間の記録の能力と文明の関係に着目し、ユマニスムが まず最初に古文書学ないしは文献学―渡辺が、その著書で触れている
「古典語・古典文学の研究」!―として登場してきたのは決して偶然で はなく、それが「自然科学」に対して「人文科学」に発展することを明 らかにしたこと、といってよいだろう。さらに重要なのは、ユマニスム が、基本的態度として権威は否定しながら、伝統を尊重することに触れ ていることである。この点について、年来評者に取り付いて離れなかっ たあるエピソードがあり、個人的なことながら以下に述べることを許さ れたい。
大戦以前から劇作家として、ついで戦中から戦後にかけて小説家とし て活躍した人物に獅子文六(本名:岩田豊雄)という文学者がいたこと を、今どれだけの人が知っているだろうか。手元にある、十返肇『五十 人の作家』(昭和30年、講談社ミリオン・ブックス)にもちゃんとあげら れてあるし、また朝日新聞社からも全集十六巻(1968~1970)が出てお り、また最近この作家を取り上げた本『獅子文六の二つの昭和』(牧村健 一郎、朝日新聞出版)が出版されている。戦中『海軍』という新聞小説 を書いて一躍有名となるも、戦後は「戦犯作家」というリストにあげら れ、かろうじて投獄のうき目にあわずにすんだ。ユーモア作家として知 られ、戦後は『自由学校』、『てんやわんや』などで大当りを取り、映画 化もされて、筆者も見た記憶がある。松本清張に先がけて、いわば国民 作家としての人気を博した人で、若い時に演劇の勉強にパリに留学した 経験がある。その時、知り合ったフランス女性と結婚、共に帰国して結 婚生活を送るが、彼女は病いを得て帰国、そのまま他界する。その時の ことは『娘と私』という自伝小説の中に描かれている。
何分、数十年前のことなので記憶はあやふやだが、当方がまだ高校生 か大学初年ぐらいの時に、父親が講読していた雑誌『芸術新潮』だった かで、その獅子文六が、パリ留学中に経験したエピソードについて書い た文章を読んだ記憶があり、その内容だけは、はっきりとおぼえている のである。あるとき、かれがパリの、前衛映画などを扱う小屋をのぞい てみた。映写がすんで電気がつき、場内が明るくなってあたりを見廻す と、何人かいた観客は、みな日本人だった。かれはとたんに恥ずかしさ
を覚えて、そのまま小屋を飛び出した、という。
さて、このエピソードをどう見るか。日本人の進取の気象の現れとで もいえば聞こえはいいが、獅子自身認めているように、「恥ずかしくなっ て、小屋を飛び出した」とあり、日本人として、決して自慢できるよう なものとはいえないのではないか。このような、日本人特有の新し物好 き―何でも新しいものと見れば飛びつく傾向―に対して、繰り返し ていうが、高階は、明治以来の近代化に際して、わが国が西欧の技術文 明と同様に、その「ユマニスム」の精神を受け入れたか、どうかは極め てうたがわしい、として、エラスムスのことば「われわれは古いものを 復興するのであった、新しいものを伝えるのではない」やマルローのこ とば「文化とは、死の中においてなおかつ生命であるもの」を引きなが ら、少くとも精神的価値の領域では、「ユマニスム」は基本的態度とし て、権威を否定しながら、伝統を尊重することを指摘している。
以上、代表的な著作と論文を通してユマニスムの何たるかを探ってき た。今、文化のあり方をめぐる西欧との落差を前にして、次に、高階論 文の驥尾に付して、丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)から教わった、
日本人の思考の特徴―ユマニスムそのものには直接関係はないが、少 くとも無関係ではないだろう―を通して問題を考えてみたいと思う。
丸山の、この広く知られた本を最近読み返してあらためて色々考えさ せられたが、その中で丸山は、豊かな西洋思想史の知識を背景にして日 本の思想を論じている。丸山の、日本の思想へのアプローチの核心は、
日本では、中国における儒教のような、自己を歴史的に位置づけるよう な、中核あるいは座標軸に当る思想的伝統は形成されなかったという認 識であり、そこから来る問題を包括的に考察していて、その中の「思想 受容のパターン」で取り上げている問題は、当面の問題にとってとくに 重要と思われる。
日本の近代において、ヨーロッパの哲学の思想がしばしば歴史的構造 性を解体され、あるいは思想的前提から切り離されて部品4 4としてドシド シ取り入れられて来たことを取り上げて、丸山はそれがはらむ問題性を
単刀直入に指摘していう。
……ちがったカルチャーの精神的作品を理解するときに、まずそ れを徹底的に自己と異なるものと措定してこれに対面するという心 構えの稀薄さ、その意味でのもの分りのよさから生れる安易な接合 の「伝統」が、かえって何ものをも伝統化しないという点が大事な のである。とくに明治以後ドンランな知的好奇心と頭の回転のす早 さ―それはたしかに世界第一級であり、日本の急速な「躍進」の 一つの鍵であったが―で外国文化を吸収してきた「伝統」によっ て、現代の知識層には、少くとも思想にかんする限り、「知られざる もの」への感覚がほとんどなくなったように見える。最初は好奇心 を示しても、すぐ「あゝあれか」ということになってしまう。過敏 症と不感症が逆説的に結合するのである。たとえば西欧やアメリカ の知的世界で、今日でも民主主義の基本理念とか、民主主義の基礎 づけとか、ほとんど何百年以来のテーマが繰り返し「問わ」れ、真 正面から論議されている状況は、戦後数年で、「民主主義」が「もう 分ってるよ」という雰囲気であしらわれる日本と驚くべき対照をな している。
(ついでながら、丸山はここで日本人の、ドンランな知的好奇心と、頭 の回転のす早さに触れ、それは世界第一級のものと持ち上げているが、
話はそれほど簡単でもないようだ。というのは、同じ側面を、別の目で 見ている外国人の証言もあるからだ。その外国人とは、1976年(昭和51 年)に「ミレー、コロー、クールベ展」の会場作りに初来日したルーヴ ル美術館員のクロディーヌ・レソール。たまたま、手元に当時の新聞の、
彼女へのインタヴュー(10月 9 日㈯の、「毎日新聞」夕刊のコラム「十 字路」に掲載)があるが、そのインタヴューの中で、レソールはその初 来日の感想を語っている。ルーヴルで接する日本人を通じて、未知の国・
日本、とくに西欧との違いには大いに興味を抱いていたらしいが、その
違いについて彼女は、次のような、するどい観察を述べている。
館内での作品模写が、日本人はなぜあんなに早いのか不思議です。
例えば、アングルの《トルコ風呂》を他の外国人は三ヶ月もかけて じっくりと模写するのに、日本人は一週間から十日で仕上げてしま う。器用というのでもない。パリ滞在が長くないので急ぐのかとも 考えてみたが、そうでもないらしい。模写する作品の解釈抜きで、
ただコピーしているだけの人が多いようです。
さらに、フランス人は旅先でそれほど写真を取らないが、館内で一番 写真を取るのは日本人。口から先に生れて来たフランス人と違い、無口 な日本人は、写真で自分の印象を説明する方がいいのかも、といった感 想も聞かれるが、いずれにしろ、丸山が世界第一級と持ち上げる、日本 人のいわゆる《勘のよさ》も、その底の浅さを見透されているといって よいだろう)。
ところで、丸山は以上の文中で、驚くべき対照として、欧米の知的世 界では今日なお、民主主義の理念などほとんど何百年以来のテーマが、
繰り返し正面から取り上げられ、問い直されているのに反して、わが国 では戦後数年にして、「民主主義なんかもう分ってるよ」という雰囲気で あしらわれていることをあげていて、それはこの筆者にしても常々痛感 するところであるが、ここで、思想の分野だけでなく、他の分野でも事 情は変らないことを確認しておいてよいだろう。佐伯彰一「比較文化論 の系譜」(講座・比較文化第八巻『比較文化への展望』、1997年、研究社 に所収)で引用されている一節で、日本の近代文学のあり方に触れてい る。
わが国の近代、特に明治期では、その文芸思潮は、ほとんど五年 ごとに新らしい動向を迎えながら変遷していったといわれている。
ヨーロッパで自然発展的に数世紀をかけて展開していった文芸思潮
が、わが国では五十年間という短期間に、それもある時には自然の 展開をまつというよりも外来の刺激から基盤の成熟を待たないで生 起し経過していったあととも見えるのであって、その錯雑した様相 は、まことに特異な、問題多い近代文学史を形成している。
( 「講座・日本文学史」第十一巻、『近代』、1958年、岩波書 店に所収)
結び
フランスのユマニスムの後を追っているうちに問題は彼我の人間観、
そして文明論に発展し、最後はユマニスムと伝統の関係に及ぶこととな ったが、前半は比較的抽象的な議論に終始したのに対して、後半は作家 の経験や政治学者の考え方を通して、多少は具体的な議論になったので はないかと考えている。そして今、この書評を閉じるに当って、あらた めて日本の近代化、そしてこの百数十年の間に何が起きたのか、考えを 迫られている。時あたかも日本の第三の開国―明治維新、太平洋戦争 の敗北に次いで―といわれる時期に当り、多少過去を振り返るのも無 意味ではないだろう。
高階もいうように、わが国の近代化は何よりもまず自然科学のめざま しい成果の受け入れに始まり、その成果にもとずく技術文明であった。
そのため自然科学的価値観が支配し、「ユマニスム」的価値観はわきへ押 しやられたかのようであった。精神的価値についても事情は同じで、か くて物質的で能率本位の社会が実現する。わが国の人間観が、西欧のそ れと異っていたことが、この傾向にいっそう拍車をかけたことは疑い得 ない、と高階はいう。
これはあまり指摘されることがないだけに注目に価する。ついでなが ら、元フランス大統領の故ミッテランは、日本を何度か訪問し、昭和天 皇の葬儀にも列席して、とくに日本通ではなくてもフランスの最高指導 者として十分な知識と判断を持っていたと考えられるが、そのミッテラ ンが在職中に、関西の財界の代表団が訪仏、大統領を表敬訪問したこと
があった。大統領は代表団を引見し、あいさつをしたが、その時、代表 団に向かって、「日本は理解し難い国だが、進出するのもむづかしい国 だ」といった、という。筆者はそのことを、新聞の府下版で読み、その 記事はもはや手元にないが、その話はそれ以後忘れられないでいる。
ともあれ、わが国においては近代化は、すなわち西欧化であり、その 西欧化からユマニスム的価値観がすっかり抜け落ちていたとすれば、わ れわれは高階と共に、「ユマニスム」の持つ意味を問い直すところから始 めなくてはならないだろう。そして、この書評が、ごくささやかながら その再認識に多少の寄与をなすことができるとすれば、これにまさる喜 びはない。
了
(元本学教授)