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近代都市空間に関する地理学的研究

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

近代都市空間に関する地理学的研究

遠城, 明雄

九州大学文学研究科史学専攻

https://doi.org/10.11501/3106913

出版情報:Kyushu University, 1995, 博士(文学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

(2)
(3)

近代都市空間に関する地理学的研究

1

995年

遠城明雄

(4)

童十序

問題の所在 1

【 目 汐ミ 】

第i節 「社会」 と 「空間」 の問題構制 第2節 本研究の目的と構成

《注》

270

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第1章 衛生問題と都市空間の構造変容

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第2章 消費構造の変化と 「生 活 難; J問題

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都市社会政策の展開

一防貧と啓蒙一 第1節 初期段階の都市社会事業

第2節 その後の都市社会政策をめぐって

《注》

都市空間におげる 「共向性」 とその変容 - 1900--- 1930年代の福岡市博多部- 第3

第4章

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第1節 第2節 ( 1 ) ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ) 第3節 第4節 ( 1 ) ( 2 )

《注》

8 l

まとめと展望 1

ゑ冬 章

(6)

抗J - 1表

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(7)

第4 - 4表 第4 - 6図 第4 - 7図 第4 - 5表

山笠におげる加勢の具体例 山笠にみられる諸関係 福岡市の歳入(決算額)

福岡市の歳入決算額とその構成比

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(8)

尺子手 主主

はじめに

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近年 、 「都市論」あるいは都市史研究が諸分野において活況を呈 しており、 管見の限りでも多くの理論的/経験的研究が生み出され ている 。

こうした研究動向のなかでとりわげ特徴的なことは、 その視点と して、 「空間」 への関心が著しく増大していることであり、 またそ の対象として、 従来まで手薄であるといわれていた日本近代の都市 史研究の分野で多くの研究が発表されていることである1 )。

前者についてみるならば地理学にとどまらず、 紅会学や建築学2) な どの諸 学が競 て「空間 に 関 す る言 説を取り上 げ ているが、 こ の原因のひとつには、 「ポストモダン」と呼ばれる時代状況がある

うに考えられる 。 西洋の社会思想が常に空間よりも時間に優 位を 与え、 空 間を静態的に把握してきたことは周知のことであるが \斤 年の社 会 理論で は時間と空間を社 会の枠 組 みと して同 等 に 扱おう

する理論的営為が模索されている 。 そしてこうした方向転換の背景 には時間一空間観念の変容があり、 それは資本市jの変容とも連動し ていると考えられる 。

次に後者について簡潔にみておくと、 1980年代以降日本史学にお いてとぐに都市の支配構造3 )をめぐる議論が盛んにな 当初は

官僚や(疑似)名望家、 議会の相互関係に関心が寄せられていたが 最近では「都市下層」社会をその視野に入れて、 近代国家と民衆と の関連を問い直す作業が行われている 。 また近世都市と近代都市の つながりおよび断絶を「公共事業(負担) J に求める議論など 、 時代 の転換点で都市の祉会構造がいかに変化したかとい った問題に関心 が寄せられている 。

さてここで二つの潮流の交叉点に立ち日本近代史におげる都市史

?自立を説く成田路一 氏は、日本近代都市の重層的・ 多層的空間事 読 解するためにとくに「空間分析」の必要性を訴えており、都市長

@è論などの研究成果に比べてその視点と対象はf也昭!学者にと つでも なじみ深い 。

成田氏は近代都市空間の編成原理として 、 都市法規、 病いと衛生 をめぐる場、都市「下層社会」への言説、都市施設の四つを指摘し それぞれが均質(一)化と異質化を重層的に共存させながら都市空間

(9)

を 変 容 させていく様 段 階的に論 じている が4 \ の問 題 構 制は ヨ ー ロ ッパ近代都市研究にもつながる側面をもっ5 )。

それでは以 上のような 他分野の 諸研究と問 題関 心 を 共 有しつつ 、 地理学の立場から 、 どのようにして 「都市空間」 の分析ヘ接近でき るだろうか。 次節ではこの点について検 討してみたい。

第l節 「社会」 と 「空 間」の問題構 制

1 950年代半ばから地理学で始まった 「理論 ・ 計量革命」が、 地理 学の研究対象や研究方法に多くの革新をもたらしたことは周知の事 実である。

その後 、 論 ・ 計量 地理学に対して多 くの 批 判が投 げかげられた が、 そのなかのひとつに多 の地 理 学 者がニ ー ト ン 的な 「絶対空

間」を所与として 、 「自明化」 してしまった点が挙げられる 。 í絶 対空間」 の立場では 、 「空 間」 は事物の容物あるいは事物から独立 して存在するもの、 として位置付げられ 、 事物になんら影響を与え ないし 、 事物から影響を与えられることもない 、 と考えられるよう

になる 。

この「絶対空間」 概 念に対しては、 既に今 世 紀 初 頭からいくつか オルタナテ ィヴの概念が提案されてきたが 、 絶対空間 概 念は地埋学 のみならずほとんど 全ての諸科 学 自 明 視され 、 我々の 日 常 生活 も規定してきたとい ってよかろう。

しかしながら 1 9 70年 代 降 、 計量地問! 学 内 部にいた 人々あるい は理論 ・ 計量 地 理学の影響を秘伝的に受げた人々の間で 、 理論 ・ 計 量地理学に対する認識論的反省がおこなわ れ 、 「空間」 に対するsr[

の概念化が要請されることになった6 )。

そのなかで最も注目されるのが「空間の生産」 をめぐる議論であ る。 r空間」を 「所与のもの」として把握するのではな く 、 「空間」

が物質レベル/観念レベルで 「社会的」 に生産される過程 、 および.

「社 会」 が再 生産 される 過程でこの 「空間的なもの」が演じる 役 割 が 問 題として認識 されるよ う にな っ た 。 つまり 「 時 間」と 「空間 」 は社会的な構築物であり 、 ひとつの祉会構成体はその物質的 ・ 社会

的 再 生産の必 要にあった 時 間と空間 の観念を 「客 体 的 」 に締 成し、 人々の行為を一定の方向性へ組織化することではじめて自らの再生 産が可能になるのである 7 ) 。

なお 「歴史↑生」 と 「社会性」 を刻印づげられた 「空間」をどのよ うに呼ぶかは論者によって異な っており 、 「空間性(spatialitY)J

(10)

あるいは 「領域(terri toire) J といった語奨を用いて表現されてい るが、 「問題構制」 という点では共有する部分が多いように考えら れる 。

それではこうした問題橋市jに依拠するならば、 地理学の 「理論的 対象」 はどのように定位されるであろうか 。 ユッシ ー(Hussy)はそ れを簡潔にまとめている 。 つまり地理学の理論的対象は 、 「 “ それ

自体" として認識されるような物質的あるいは社会的空間において では この現 実についての認識 そこに生 る人 によって構

成され、 同時に歴史佐を見出す認識(と慣習的所為(pratique))にお いである全てであるJ 8)ということになる 。

以上の議論からも明らかなように 、 空間の 「物質的生産」 という 言葉には 空間の 「概念」 や 「観念」 の生産をそのな かに合 意して いる点が注意されねばならない 。 スミスが的確に指摘しているよう に 「空間の生産はその物質的な生産と分 かち 難 く 結 びついてい

間の意 味、 概念 意識の生産をも意 味している」 のである 。 r 物 質性」 いたる ところ で優位ある こと は間違 いない しても 、 物 質的 なものと観念的なものがここで相 互に交叉し規 定しってい のである 。 ただ従来の地理学の問題備制ではこの両者の交叉に対す

る 関心が希 薄になりが であったことは 否 めな

「空間の生産」 という問題格制はいくつかの新しい問題を現出さ せるとになるが ここでその手 帰りとしてiルフェ ーブルによる 空間の三重の弁証法をみておく1 0 )。 ルフェ ーブルは 、 空間の概念 を以下の三つに区分する 。

1 )空間的な償習的所為(pratique) ; 生産と再生産および特定の立 j也や社会構成の空間的特徴を含んでいる 。 個人の日常的なルー テインゃある目的によって区 画 化さた区域である 。

2 )空間の表象 : 生産諸関係とこの諸関係が付与する 「秩序」 、 知 識 記 号 、 コ ー ドに 結びついている 。 概念 化 された空間 であり、

科学者や都市計画家なとによる空間である 。

J )表象の空間(想像力) : イメ ージやシンボルによ って直接的に体 験された空間であり 、 「居住者」 や「使用者」 、 一部の芸術家 にとっての空間でる 。

この三者が相互にス レを含みまた相互に影響を及ぼし合いながら、

「空間」をそれぞれの次元で作り出しており 、 またこの人間活動に よって創造された空間が新たな活動のための前提条件として作用す ることになる 。

このう空間的な 「表象」 般 への関心は 地理 学が歴 史学の諮 研究とも再び援点をもつことを可能にする 。 例えばエドワ ー ド ・ サ イー ドによる 「オリエンタリズム」 の画期的な研究1 1. )なとは 、 近

(11)

年の地理学におげるツーリズム研究や帝国主義、 新植民地研究との 結節点に位置していると言ってよかろう。 とくに表象を問題にする こととの関連で 、 「境界づげる」という行為がもっ重要性を再認す る必要がある。 なぜなら境界づげるという行為は、 ひとつの「統一 的な内部」があたかも自律しであるかのように我々に考えさせるか らである。 またこの行為がほとんどの場合に社会的なものでありな がら、 地理学では自然的ものと混同されてしまうことが多かった。

さらに留意すべきことは境界を引かれ、 そのなかに囲い込まれるこ とで、 その「内部」にいる人々が自分を内部として同一化させて考 えるようになる点であり、 この関係は紙の表裏の関係である。 人間 が意味と秩序を必要とするかぎり境界はどこかに引かれることにな るが、 境界の引き方を「歴史化すること」で、 少なくともそれを自

然なものとして自明視しないことが重要な点である1;:: )ロ

ところで「表象」への関心は、 認識論的反省を踏まえることで地 理学研究の「指示対象(レフェランス) Jがどこに位置付げられるカ\

という深刻な問題を我々につきつげることになった1:-1 )。 従来の地 理学においてこの問題への接近は大きく以下の二通りに区別できる

だろう。 一方は指示対象それ自体の存在を無条件に認めるという笑 証主義のある立場(すべてではないが〉に顕著な姿勢であり 、 他方は 指示対象があるという「認識」があれば 、 指示対象自体は必要ない という「共同主観性」のある立場に顕著な姿勢である。

しかしここでは別の立場を考えてみたい。 つまり 「指示対象」は 言語を返してしか接近できず 、 むしろ言語の働きの「効果」として 生み出されるということである。 したがって指示対象と言語は一対 ーの対応関係にあるのではなく 、 言語は自らが構成するものの一部 分に関わるということになる 。 したがって指示対象は常に 「社会的 な存在」 であり根本的に非対称的なダイアロ ーグによって成立して いることになる14 )。 指示対象はある確 定した存在としてあるので はなく、 むしろ自らが権成しているものに触れる行為によってその

つど析出されることになる。

このような立場に依拠するならば 、 独自の科学言語を有する地理 学者集団が生産するひとつの「認識」が、 紅会の再生産において経 済的/社会的に異なる位置にある他の諸集団および答級とどのよう に関連しているかが問われねばならなくなるのは自明であろう。

例えば、 「社会政策」の成立過tÊにおいて 「空間」と「社会」 と いう問題橋制の出現ー 「道館地理(moral geographies) J ーが「現 実」 とどのように結びついたのかを解明すること t 5 )が課題のひと つとされており 、 本研究でも 「対象」を作り出す 「視座」 の方に留 意したい。

以上 、 大変乱暴ではあったが 「空間の生産」という問題構制がい

(12)

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次にこうした問題意識に依拠し つ つ 、 「都市空間」 をめぐる諸問 題をみておきたい 。

「都市」 は剰余の集積であり 、 それに伴う情報、 モ ノ 、 ヒトの集 積によって造り出された物質的/社会 的な空間である 内

都市が剰余を集めしだいに機能的

空間的拡大しまん人々の空間 的集中が進むなかで 、 様々な社会問 題 が都市生活に生じはじめるが、

この過程において我々の日常生活の再生産〈資本と労働力)

規模な物理的/社会的なインフラストラクチャ ーを必要とすることはより大 になった。 ハ ーヴエイはこのインフラストラクチャ ーのなかで大地 に埋め込まれているものはとくに「建造環境(Built Environmρn什l と呼んでいるが、 それはあたかも 「第二の 自然(seca吋 iiii

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として我々の都市での生活環境を構 成しているのである16)n

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「ところで日常生活の再生産という問題がアル

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円宇のイデオロギー装置」 の議論と交叉することは明らかであろよる

っJ'o 労 働力の再生産がいかにして保証されるのかを問うたアル チユセ ールが学校や教会 、 組合 、 マ スコミなどをイデオロギ ー装置 として把握したことはよぐ知られている 。 つまり「直接的な資本制 的生産諾関係の外側で生産される商品である」労働

力への介入とそ をめぐる闘争 、 資 本 賃 労 働が直接的に対 峠する場だげではな ぐ 、 空間的な慣習行動(人々の空間利用〉と空間の表象(都市計画や

監視の空間〉をめぐっても戦われており 、 いわば都市のありとあら ゆる場が闘争の路げ金になっているわ

げである 。

ここである特之の紅会的インフラストラクチャ ーあるいは不動性 の強い建造環境か、 ある特定の量と質の 労 働力を生産することを容

易にする点18 )が地理学的には重要である。 なぜなら都市空間のザ

?過程を個別に把虚しようと場合に、 このような場所の相違が様々 低 レ ル で能 動的な役 割を果たしているからである 。 資 本と労働 力

?移

性の相違や行政による資本にとって望ましい生活環境の整備 などがある特定の建造環境を作り出すと同時にこれに制約されるの である 。

さらにこうした物的な都市空間が同時に重層的な表象の体系とし て我々に経験されることは 、 上述の議論から明らかであろう。 都市 空間はすでになんら

の意味を付与された状で我々の前に現れる のであり " r都市の記号はイデオロギーとして 、 歴 史的産物として、

過去とのジエ スチャ ーとして 、 階級社会の結果として読まれなげれ

5

(13)

ばならない J 19)のである 。 しかしながら都市空間を読むための支 配的コ ー ドは諸集団間の力関係の産物であり 、 「情報」 の量と内容 の変化によってその内示(コノテー シ ヨ ン)はある不安定さを帯びて いる 。 したがって支配的なコ ー ドが析出される過程およびそれが危

機に陥る場面を検討することが、 都市空間の記号的レベルでの変動 を理解する際に有効な方法となる 。

ここで都市空間の物質ないし表象の生産に関係する諸集団の社会 的位置が必ずしも一定していない点が重要になる 。 なぜなら都市空 間の物質的生産をおこなう諸集団の関係と 「表象」的生産をおこな うそれとの連関のズ レが 都市空間の絶え ざる変動を引き起こして いる原因のひとつといえるからである 。 都市空間の生産を主導する 優位な位置を占め る集団は経済、 政治 文化の各レベルで異なっ て おり 、 また都市空間の生産過程を通してこれらの諸集団が再編成さ れることにもなる 。

例えば 、 物質的生産に関してみるならば 、 まず最初Jに国家と地方 自治体、 地主、 資本家などの供給者間の関連が問題となる 。 しかし 同時に民衆による 「社会運動」 ー ここでは労働組合運動から借家人 運動 、 廃税運動 、 「迷惑施設」 の立地反対運動 、 公害運動などを含 むーが供給者側の論理を能動的にどのように変化させていったのか が問われなげればならない 。 そして供給者と需要者の問の対立/ 協 調によって供給者間のそれが影響をうげる場合またその逆の場合も 考えられるのであり 、 都市空間の生産をめ ぐって詩集団も動態的 に 変化していくのである 。 諸集団を前もって回定的に考えてしまうの ではなくその編成過程を考慮する必要があろう。

同じことが表象の生産に関してもいえるだろう。 例えば 、 「都市 計画」 に代表される空間の組織化/可視化は都市空間の物質的生産 を方向付げると同時に都市の行政官僚という柴田を出現させること になった 。 また新聞や雑誌などの 「 メディア」の出現や広告の急速

な拡散は 、 「情報」の集中と拡散を もたらし この 「情報」の操作 を通して 、 読者に都市空間を解説するためのひとつの共通コ ー ドを 与えることになる 。 それは従来とは-呉なって広範な人々が同ーの問 題ヘ関心をもつことを導き 、 この間一性のなかでの「差異」が脱わ れることになる 。

さらにこのような 「 自 にみえる行為」とは区別される 「溶在的行 為」 の庖もみておくことが必要であ ろう 。 つ まりは っきりとした反 対運動や抵抗運動ではなくて 、 供給者側の論理を自らの論理のなか で積極的に読み込んでいき それに対して部分的に迎合しつつ そ れを自らの慣習的ふる まいのなかで変更していく こと であ る2(l )。

したがって供給者側一受げ手側の関係は能動一受説!という関係では なく 、 能動的な相互行為として位置付げられ常にあるズレを伴っ て

(14)

いることが認識される。 しかしながらこれだげを独立して考えるこ とは危険であろう。 あくまでも行為者間が社会の各レベルでとり結 んでいる非対称的関係を考慮に入れたうえではじめて 、 こうした行 為が持つ意味が当該社会のなかに的確に位置付げられるのではない だろうか。

以 上の議 論を踏 まえて本研究では 「都 市 空 間」の物質的な い し 表象的な生産過程を 、 とくに社会諸集団の集合的ふるまいによる

「空間」の生産および重層的な空間のスケールの間の接合の過程と いう側面から考えたい。 成田氏が指摘するように都市空間には均質

性と多様性が共存しているのであり 、 保々な空間スケールでの相互 連関が問題になるからである。 なお都市空間の r (再〉構造化」とい う言菜を使用するが、 それはある秩序が成立 し 別の秩序の成立の可

能性が潜在化される過程を意味し 、 物質的/表象的な空間の変容過 程を含んだものとして使用する。 ただしそれはあくまでもたえざる 過程である点が注意されねばならない 。

第2節 本研究の目的と構成

本研究は、 このような問題関心と問題格制に依拠 し つつ 、 近代日 本の都市空間形成の一側面を論じることを目的とする 。

とくに都市空間が物質的/表象的に編成される過程とその過程か ら造り出された 「空間」 をめぐって社会話集団がいかなるふるまい を展開し 、 そこからいかなる 「秩序」が析出されるかという問題を、

できるかぎり社会諸階層が織り成す日常の社会生活の次元で明らか にすることを目指す 。

本研究では近代日本におい て 「都市空間」が椛造化/再情造化さ れる契機として 、 「病い」と 「米騒動」というこつの出来事に着目 したい r 空間」と 社 会」 の 関 係 性 を 時 間 的にみ る 立 場か ら こ の

二つの出来事を捉えるならば 、 「病い」が1890年代以降の都市空間 の構造化を規定したのに対してに 、 「米騒動」は1 920年代以降のそ れを規定しているということができる。 むろん両者は相互に密接な

関述をもっており 、 一方が他方に完全に代霞するわげでない 。 また この時間的なズレは近代日本におげる資本蓄積の段階と部分的には

照応するが 、 経済的容級によ って完全に規定されているわけではな く 、 それぞれが都市空間を情造化する際に相対的に自律した運動の 位相を有している 。

(15)

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(16)

同時期の都市計画法とならんで都市社会政策は都市全体を視野に入 れた新しい 「管理的知」 の出現であるが、 それはまた方面委員事業 に代表されるような個々の場所の差異へも関心を寄せる側面をもつo

第4章では第1 "-' 3章での認識を総括しながら 、 民衆が織りなして いる日常的な社会的つながりの構成を祭礼組織と日常的な社会的紐

帯に着目することから明らかにしたうえで 、 このつながりとそれが 展開されていた空間が都市の 「近代的J な諸施設の展開とそれの日 常生活への浸透によっていかなる変容を蒙ったのかを論じる 。

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(17)

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(18)

1 3 )歴史学においても認識論的反省から 「レフェ ランス」 の位置づ げをめぐって議論がある 。 例えば 、 ロジェ ・ シ ャルチエ(二宮宏 之訳) r表象としての世界J ,思想812,1992, 5 -28頁を参照 。

14)Turco,A.,V erso una teoria g巴O ι旦己主主de1 1 a iHplessità.

Unicop1i, 1988,pp. 73-134.

15)Driver,F. ,The historicity of human g巴ography.

p [Qg_t'__� s _s i n H u m a n G e 0 g r a p h 'i 12,1988,pp.497-5 06.,Power and p auperis皿.The νorkhouse system 1834-1881.Cambridge U.P.,

1 993 , p p . 6 - 17.

16)Harvey, 0., T he Urbanization of Cap U主1 . J 0 h n 5 H 0 p k i ns University Pr巴5s,198 5 ,239p また松原宏「マルクス主義都市理 論の新潮流J ,西南学院大学経済学論集,23(2),1988,161-187頁。

17) L .アルチユセ ール(西川長夫訳) rイデオロギーと国家のイデオ ロギー装置-探究のためのノ ートー J ,(同『国家とイデオロギー』

福村出版, 1 975 ) , 1 5 - 9 4頁。 またRaffestin,C.,Harxis皿e et geo- graphie po1itique. 包位互主s de Geogra位ie d1I QlIébec 2 9 , 1 985,

pp.271-281.o

1 8 ) 11 a r v e y 0 . T �� Limits to Capi E主1.ß1ackνe11 ,1 9 8 2, p p. 373 -4 12.

歴史的研究としてはHarvey, 0., Consc iousness and the Urban E xperienc�. Johns Hopkins University Press,1985,293p.

19)Gottdiener,M. ,Culture,Ideology,and the sign of the city.,

M.Gottdiener and A.Ph.Lagopou1os eds.,The City and the S ign. An Introduction to Urban Semioti cs. Co1u皿bia University Press, 1986,pp.202-218.

20)ド ・ セルトー(山田笠位子訳) w日常的実践のポィエティ ー ク� ,

国文社,198 7 , 1 Ð 9 - 265頁。

(19)

多需 主主主

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- 1890� 1920年代の門司港を事例として 一

はじめに

本章の目的は、 数度にわたる伝染病の発生を契機として生じた

「都市空間」の構造変容のー側面を探ることにある。 研究対象地域 は1890� 1920年代前半の門司港とする。

「病い」 、 とりわげコレラやベストに代表される伝染病の流行が、

明治前期の日本に大きな恐怖と混乱 、 損失をもたらしたことは、 多 くの研究によって指摘されてきた1 )。 伝染病は当時の社会に変動を もたらす社会秩序の「破壊者」であったが、 まさにそれを契機とし て従来とは異なる作動システムを備えた社会秩序の再編成がおこな われた点が注目されねばならない 2 )。 したがって「衛生」と「病いJ が諸社会集団によっていかに認知され 、 言説化され 、 その間にいか なる力関係の場を生じさせたのか3 )、 また社会的に構成された「衛 生」と「身体」、 それと「場所」や「空間」の関係が問題化されね ばならない 4\ これは同時に人々の「感覚」の変容-感覚の「歴史

性」 ーを問うことにもつながる5 )。

ところで以上の問題格制が、 ミシェル ・ フ - コ ーの諸研究に大き な影響を受げていることは明らかであろう。 フ ー コ ーが指摘するよ うに「ペストとは(少なぐともまだ予測状態にとどまるペストとは)、

人々が規律 ・ �Hf線的な権力の行使を期間中は理念的に規定できる 、 そうした試練のようなものであるJ 6)。 そしてこの権力の行使が日

常化し、 我々の生活規範として作用するようになった 。 この過程で 自然 ・ 社会科学の言説が大きな役割を果たしたごとは言うまでもな いが、 特に都市の生活環境に関する議論において 、 「道徳地理(誌)J という「空間」と「社会」を結びつげる新しい飢念が生じたこと 7 )

に我々は注意しなげればならない 。

また近代日本都市史の分野でも同様の問題椀制の下で研究が進め られている。 このなかで原田8 )、 安保9 )、 小林] 0 )の各氏の研究は 、

「衛生」、 「差別」 、 「空間」 のr�Jの関連が当時の行政や民衆にと ってどのように考えられていたのかを明らかにしているほか 、 三新 法期の行政の制度的枠組を都市衛生行政の形成過程から論じた馬場

12

(20)

氏1 1 )の研究などがある 。 こうした視点はヨ ー ロ ツパ近代都市史研

?

いても共有され多ぐの研究蓄を 有しており 、 ペストやコレ フ C流行が都市の既存の祉会秩序の崩壊と

「近代的」 な都市空間へ の変容を促したことが指摘されてい

る 1.2 )。

ここでは1889(明治22)年以後、 貿易港として多くの商人と労働者 を集め急速に発展すると同時に、 「伝染病の玄関口」 とも呼ばれる ことになった福岡県の門司港を事例として

、 上記の問題点を明らか にする 。

第l節 門司の都市空間と民衆の 「日常生活」

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前 向に

( 1 ) 社会的諸施設の未整備をめぐる諮問題

( a) 市街地の状況

1889

(明治22)年に、門司村が特定輸出港に指 定 され、門 百j築叫ム

祉よび港湾労働力とし?の仲仕労働者を中心とした急激な人口増加(第によ り築 料 業

開 始た 。 こ以後門司は制 業 労 働

トl表)をみるか 、 こ つした労働者の流入に諾社会施設

の整備が追い 付かない状態が続き 、 多くの問題を抱えることになった

o 例えば 、 1898(明治3 1 )年にはi月から7月末までで483戸の家屋が新築され 、 年末までには全部800戸余りに達すると予想されていたが、

も人口の急増には追い付げず、 家屋の借り入れには多くの苦労があそれで ったという

1

5)o なお1896

(明治2

9 ) 年門司同志会

いう

結J

?

れ 、 家貞の軽減と地料引下げの運動1

6 )を行っているが、 『れ は t 民衆」 による運動ではなかった 。 また 「・・・ 東本町筋には近来家

屋の新築頗ぶる多く街路の両fM共人家

建ち述なり全く!日形を-22せ んとするに至りたり此の程度

を以て進み行かば明年の三四月頃ーには

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(21)

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明治27年 32年 33年 34年 35年 36年 37年 38年 40年

門司市の人口と戸数

計 男性 女性

10078人

29290 16916 12374 34070 19531 14539 36052 20773 15443 36798 21068 157.30 38065 21944 16121 38183 22344 16823

44 113 21950 19163 49253 27787 21465 52725 .10070 22655

14

女100に 戸数 対する男

2315戸

123 5414

134 6400

134 7374

133 8074

136 8700

133 9870

130 11100

129 11520

132 11908

『門司市史J

(22)

ーの空地をも見ざる市街となるべし 。 市街地の清滝庄司畑田等も追 々各会社銀行等の社宅建築多きを加ふるより近来は地所の売買皆無 の有様にで其の地価はー坪七十円位を最高とし最低の庭も四十五六

円を下らざるが如しJ 1 7 )というように明治3 0年代前半には会社の 社宅なども建設されはじめ、 それにともなって地価も高騰している ことカ〈わカミる。

建築ラッシ ュにより一面で非常な活況を呈していた門司港である が、 無計画 ・ 無秩序な家屋の乱立により都市形態、は貧弱そのもので あった 。 例えば 、 河 上 房申(元九州鉄道建築課長〉は「門司の有志者 に一言す」と題された『門司新報』への寄稿において、 門司が「不 潔汚」 の地になってしまっている理由として、 道路の狭障さ、 家屋 の乱雑さ、 衛生に関連する事柄への無関心などを指摘している 18 )。

このよ う な 「菓 子 箱 細 工」が集った乱雑な家屋 と 道 路 形 態に対し て、 建築条例規則をめぐる問題が『門司新報』紙上でも何度か取 上

げられている 。 このなかで地主が借地料のことだげ考えていて家屋 形態と内容について考慮しない点が批判され、 行政当局が積極的に 介入することが期待されている19 )。

このほかに明治3 0年代前半の門司港をめぐる問題のうち「三大急 務」として指摘されていたのが、 上 水道と下水渠、 道路の修繕、 港 内の取締であった�0 )。

こ のう ち ここでは 上 水 道と 下 水 渠 以 外の諮 問 題について簡 潔にみ ておく 。 道路の未舗装は大きな問題であったが、 舞 上 が る煙塵や道 傍に放置されたままの牛馬糞ヌ1 )、 雨が降ると「田植え」のように なり 汚泥があ ふれるといった有 様 � 2 )は行政当局やジャ ー ナリズム、

「中流」居住者に、 いやおうなく健康 ・ 衛生問題を意識化させるこ とになった 。 門司の道路状況ではせっかく 「清潔法」を実施しでも それがかえって塵域をまき散らす結果にな っており 、 道路の掃除と 撒水を 設が担 う べき 市が直 接おこなうかあ るいは 個 人 に 依 託す る か が問 題となってい るわ }。 さらには労 働 者 の 休 憩 場 所として、

公 園 とと もに街路間の 要 性なども指摘されてい .24 )。

道路整備問題は交通問題としてと同時に衛生問題として考えられ てい るが 、 石炭イ中仕が多く居住していた白木崎や広石など門司の西 部の地区では 、 道路の問題がそこに住む人々の 「問題がある」 と認 識された生活慣 習と結 びつげ ら れて 論じられて い る 点に注 目 しな

れば. ならない 。

「門司道路の不完全なるは言ふまでもなし、 国道にあれ市街道路 にあれ、 不潔泥湾雨中殆んど歩すべからず、 … 当局者が道路の取 締 上 不注意なるより起因するに外ならず、 ・・・ ・・・白木崎近傍の如き兵 の国道に在って勝手気信に泥土を道の中央に 1ft.積し或は公道使用 の許 可 を 得ずして自 由に小 屋 掛 げ を 成 し、 土 を 盛り立 て木片を積 み

15

(23)

以て道路を狭隠ならしむるあり 、 或いは道路の中央に纏を出し幾処 ともなく石炭を燦ふらすあり、 或いは道の左右に水溜桶を据ヘ朝夕 其傍らに群集して野菜を洗ふあり米を洗ふあり 、 其の甚だしきに至 り ては道路の中央往 来の真 中とも慣らず 裸 体 湯 浴を為すものさへあ り・・・・・・ J 2 5 )。

住居の狭さや設備の貧弱さな い し居住集団それ自体の高 い 流動性 によって 、 道路が生活の場の一部として重要な位置にあったことが 伺われるが 、 この状態は道路を公共の交通路として考える立場から みた場合に 、 「逸脱した」行為として批判されるべき性質のもので あった 。 この記事で道路それ自体の未整備よりも逸脱行為により注 目が寄せられていることは 、 まさ にこのよう認識が表われているも のと い えるだろう。 さらに街路から子供たちの遊びが追放されて い

くことで、 街路の整備は「教育的」 な効果も持った 。

また白木崎にあった浅野セメント工場の煤煙が門司港の生活環境 をさらに悪化させていた 。 空気の汚濁、 井戸水の汚染や倒木の立ち 枯れ 、 家庭菜園への影響などを理由として 、 1902 (明治35)年には白 木崎 、 小森江、 広石、 清滝、 葛葉九鉄社宅の各区民総代が市長に工 場移転を請願して い る�6 )。 この請 願 書のなかで 前 年 内 務 省 によっ て門司港に検疫所が設げられたことを契機として門司内部からの

「衛生」 を確立すべきことが理由に挙げられて い ることも興味深 い 。 しかしながら「・・・ ・・・門司市の現状を顧みるに吾人は幸に門司市の 貧民窟なるものを発見せずと難も門司市それ自身が貧民窟たるやの 観あるを悲むものなり ・・・ ・・・J 2 7

)と い われたように 、 明治J 0年代後 半 になっても市 街 の状況に大き な変化はみ られなか た 。 例えば 市役所の経営による共同便所が門司市内の22ケ所に設置されて い た が 、 「近来掃除不行届の為め汚物が溢れて街路 に 流れ出て周囲は 異 臭紛々たる泥湾となりJ 28)といった状態、であり 、 とくに「衛生」

に 関わる諸 事 象 はなんら 改 善 がなされな い ままであった 日 本 銀行 支店(1898年創設)や住友銀行などの金融機関や官庁のほか明治屋な どが立 ち 並び 洋 風 建 築の 建物が集 中して い た西 本 町 や 東本町 で さ え 次のような有 様であった

「 ・・・・・・ 本年度は 該地方一帯の 居住者と通 行人は一見日mr止を催ふす

べき暗黒色の汚水と汚物の浮流するを眺め異臭紛々たる悪気を呼吸 するを忍ばざるべからず鋲西僑畔陀として消7?�と竪L[':::と壮大を極め たる港頭第一の日本銀行支店は之れが為め其美ÜlÏを汚損せらるるの みか一朝風位の東北に変すれば臭気室内に充満し行員諸氏の衛生上 に 関 係 する所幾 評 ぞや加之の みなら ず東 西 本 町の 部 と 堀 河に治 ふ たる一帯の市街は'f透かに之が為め数等の品位を落し衛生上直峰山政 に 莫 大の損 失 を 家 りつつあ り 是れ誠とに門 司市衛生 上の一大 問 題・

- ・ ・ � 9 )

16

参照

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