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文化批判の理論の可能性

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(1)

文化批判の理論の可能性

著者 大森 一三

出版者 法政哲学会

雑誌名 法政哲学

巻 8

ページ 1‑12

発行年 2012‑06

URL http://doi.org/10.15002/00008214

(2)

︑問 題 設 定 本 研 究 の 目 的 は カ ン ト 哲 学 に お け る 文 化(Kultur)

概 念 が有 する 文化 への 批判 的視 点を 抽出 し︑ カン トが どの よ う な立 場で 文化 に対 して 批判 を行 って いる のか

︑そ の立 場 を 明ら かに する こと によ って

︑カ ント にお ける

文 化批 判 の 理論」 ()

を 析出 する こと を目 指す もの であ る︒ カン トの 文 化 概念 がも って いる 批判 的視 点に 注目 した もの とし ては

︑ 近 年で は美 学的 観点 から S・ ケマ ル()

︑ま た︑ 環境 倫理 的 学 的側 面か らは Y・ キム() やS

・A

・ゴ ール ド() に よっ て研 究 が 行わ れて きた

︒し かし

︑い ずれ の研 究も 美学 や目 的論 と い った カン トの 文化 概念 が現 れる 一側 面に のみ フォ ーカ ス

し てし まっ てお り︑ 総合 的な 文化 批判 の視 座を 得る 研究 と は いえ ない

︒と いう のも

︑カ ント は美 学的 関心 や目 的論 的 関 心と いう 文脈 に特 化し て︑ 文 化に つい て語 るの では なく

︑ 歴 史哲 学︑ 教育 論や 宗教 論と いっ たさ まざ まな 実践 領域 に 渡 って この 概念 を論 じて いる から であ る︒ カ ン ト は 文 化(Kultur)

と い う 言 葉 を 様 々 な 著 作 で 用 いて いる

︒こ こで 語ら れて いる 文化 とは

〜文 化」 と言 う 場 合の よう に何 らか の客 体化 され た事 象だ けを 指す ので は な くて

︑人 間の あら ゆる 自然 的素 質・ 能力 の開 発を 意味 し て おり

︑一 八世 紀ヨ ーロ ッパ の哲 学者 にと って 文化 につ い て 語る 事は ひと つの トレ ンド であ った とい える

︒こ のよ う な 潮流 の中 で︑ 多く の啓 蒙思 想に 代表 され るよ うに 文化 は 人 間の 自然 状態 と人 間が 目指 すべ き完 成状 態へ の媒 介装 置

大 森 一 三

カ ン ト にお け る 文化 批 判 の理 論 の 可能 性

カ ン

ト 哲

学 に

お け

る 文

化 と

自 律

(3)

と して 捉え られ るか

︑あ るい は逆 にル ソー に見 られ るよ う に

︑人 間の 道徳 性を 疎外 する 要因 とし て否 定的 に捉 えら れ て きた()

︒カ ント もま た文 化を 自然 状態 と道 徳化 の間 に位 置 づ ける とい う点 にお いて 同時 代人 と見 解を 共有 して いる

︒ し かし

︑文 化に 対す るカ ント の立 ち位 置は そう 単純 では な い

︒カ ント にと って は文 化と は︑ 最高 善の 実現 のた めの 準 備 と さ れ て い る 一 方で

︑「 輝 かし き 悲 惨(Dasgl

anzende

Elend)」

と 語 ら れ る よ う に 人 間の 道 徳 性 そ の も の を 掘 り 崩す 危険 をも つも のと して 批判 的に 語ら れて いる

︒本 研究 が強 調し たい 事は

︑カ ント はこ のよ うな

文化」

の 両面 性 を 強く 意識 して おり

︑こ の事 態を 用意 に解 決可 能と は考 え て いな い とい う事 であ る︒ そ の上 で

︑カ ント は この

準備」 と「 輝 かし き悲 惨」 とい う文 化が 有す る両 面性 を︑ 歴史 哲 学 や教 育論

︑宗 教論 とい った 具体 的に 文化 が現 れる 文脈 の 中 で繰 り返 し取 り上 げ︑ この 構図 を反 復し てい る︒ 文化 は歴 史哲 学の 文脈 では 最高 善の 実現 のた めの 準備 と さ れ︑ 教育 論に おい ては 人間 性の 完成 のた めの 一プ ロセ ス と して 位置 づけ られ

︑宗 教論 にお いて は根 本悪 から 脱す る た めの 要素 とし て積 極的 なも のと 捉え られ る︒ だが 同時 に 同 じ 局 面 に お い て

︑ 様 々 な 悪 徳 と 悲 惨 を 産 み 出 す も の

(「

輝 か し き悲 惨」)

と され

︑ 教 育論 で は 人間 を「 未 成年 状 態 に 止 め る 足枷

(Fussschelle)」(

Ⅷ︑ 三六) ()

と 語 り

︑ 宗

教 論 で は「 教 階 制 の 光 彩(GlanzderHierarchie)」

と さ れ

︑ 人 間 を「 奴 隷的 信 仰(fidesservilis)」

へ と 追い 込 む も のと して 否定 的に 捉え られ てい る︒ 本研 究で は批 判期 以降

︑カ ント がさ まざ まな 文脈 で繰 り 返 して きた 文化 に対 する 両義 的視 点の 反復 の中 に「 文化 批 判 の理 論」 の可 能性 を見 出す 事を 目指 す︒ その ため に︑ カ ン ト が 文 化 に つ い て 語 る 際 の

︑ 人 間 の 道 徳 性 と 文 化 と の

秩 序(Ordnung)」

に つ い て 着 目 す る

︒ と い う の も

︑ カ ン トは いず れの 文脈 にお いて も人 間の 道徳 性と 文化 がそ の 位 置 を「 転 倒(Verkehrheit)」

さ せ て し ま う こ と に 対 し て批 判的 立 場を とっ てい ると いう こと がで きる から であ る︒ 道徳 的自 律を 促し

︑準 備す るは ずで あっ た文 化が 本来 の位 置を 逸脱 し︑ 人間 の自 律を 阻害 する こと にカ ント の文 化批 判の 理論 は存 して いる

︒よ り正 確に 言う なら ば︑ カン トの 文化 批判 の理 論と は文 化に 対し

︑単 に批 判的

・否 定的 な立 場を とる こと では なく

︑道 徳的 理性 の統 制の もと に文 化の 越権 を指 摘し

︑批 判哲 学の うち で文 化に ふさ わし い権 利と 位置 を付 与す るこ とを 目的 とし てい る︒ そし てこ のよ うな カン トの 視点 は現 代に おい て技 術批 判を 行う 重要 な論 拠と して 活用 しう るも ので ある と考 えら れる

︒ こ の点 を明 らか にす るた めに 本発 表で は︑ 従来 あま り取 り上 げら れる こと が少 なか った カン トの 教育 論と 宗教 論に

(4)

お ける 文化 概念 に着 目す るこ とに よっ てカ ント の文 化概 念 の 中か ら文 化批 判の 理論 を取 り出 すこ とを 目指 す()

︒ 第一 に教 育論 にお ける 文化 と道 徳と の「 秩序」

に つい て 着 目す る︒ そも そも

教 育」 とは 人類 が自 らの 自然 素質 を 開 化さ せ︑ その 開化 させ た諸 性質 を遺 産と して 伝承 して い く 営 為 で あり

︑キ ケロ が「 農 地の 耕 作(agricultura)」

と の 類 比に おい て「 精神 の耕 作(animicultura)」

と 表現 し た「cultus」

即ち

︑文 化 の営 みと 伝承 にほ かな らな い()

︒従 っ て

︑教 育論 にお ける カン トの 文化 への 批判 的ま なざ しを 考 察 する

︒様 々な 著作 に散 見さ れる カン トの 教育 論() に は主 に 教 育学

で 見ら れる 個人 の人 間形 成に 関わ る教 育と

︑ 宗 教 論 やい くつ かの 歴史 哲学 に見 られ るよ うな 人類 一般 の 教 育と いう 二つ の側 面が ある のだ が︑ とり わけ 人類 への 教 育 とい う文 脈に おい て「 文化」

が問 題と なる

︒カ ント にと っ て教 育の 場面 にお ける 文 化と は「 自ら 考え る(Selbstden-

ken)」

こと を 促 し

︑ 自 律 と し て の 自 由 に 目覚 め さ せ て い く 営み であ ると され る︒ しか し︑ 他方 でカ ント は往 々に し て「 秩 序」 を失 った

教 育」 が人 間の 自律 的思 考を 損な う

足 枷」 と なる 危 険 性を 指 摘 して い る

︒ こ のよ う なカ ン ト の教 育論 にお ける

文化」

の 両義 性を 確認 した 上で

︑こ の 転 倒を 起こ さな いた めに

︑カ ント が︑ 教育 論の 中で の教 育 プ ロセ スの 秩序 に文 化へ の批 判的 視点 を腹 蔵さ せて いた こ

と を指 摘す る︒ 第二 に︑ 文化 と道 徳と の転 倒と はカ ント が 宗教 論 で

根 本悪」

と 呼ぶ 事態 と密 接な 関係 を有 する 事を 指摘 する

︒ 後 述す る よう に「 根 本悪」

とは 人倫 性の 秩序 の転 倒と され

︑ 個 人の レベ ルに おい ては

︑道 徳法 則よ りも 特定 の目 的を 目 指 す仮 言命 法を 選択 しう る「 人間 の選 択意 志の 性癖」

と さ れ るが

︑人 類の レベ ルに おい ては 適法 的行 為の 集積 であ る 文 化・ 文 明の 中 に「 文化 の悪 徳(DieLasterderKultur)」

と して 現れ るも のと され る︒ 従っ て︑ 宗教 とい う文 脈に お い て︑ カン トは 文化 に対 して もっ とも 強い 批判 的な 立場 を 保 持し てい たこ とを 明ら かに する

︒と いう のも

︑文 化は 人 間 の根 本悪 に対 抗す るた めの 倫理 的公 共体 の準 備と して

︑ い わ ば「 見 えざ る 教会

(UnsichtbareKirche)」

の 象徴 と し て必 要と され るの だが

︑他 方で もっ とも 悪質 な「 輝か し き 悲惨」

と して 道徳 的秩 序を 転倒 させ るも のと して あら わ れ るか らで ある

︒ そし て最 後に カン トの 文化 概念 に込 めら れた 文化 批判 の 理 論が 道徳 との 秩序 を軸 に展 開さ れて いる こと を確 認し

︑ 様 々な 形で の歴 史的

︱社 会的 実践 の場 にお ける 技術 批判 と し て解 釈可 能で ある こと を示 す︒

(5)

︑教 育 論 にお け る

文 化

への 批 判 教育 論 にお い てカ ント は「 個人 の 教育」

と「 人 類の 教育」 と いう 二つ の局 面に 関し て︑ 文 化の 問題 を取 り上 げて いる

個 人 の 教育」

に お ける 文 化 とは

︑ 狭 義 に はカ ン ト が立 て た実 践 的教 育の 中 での

開 化(Kultur)」「

文明 化」「

道 徳 化」 と いう 教育 の段 階的 プロ セス のひ とつ とさ れる が︑ 広 義 に は 個 人と し て 心的 能 力 を開 化 し

︑「 熟練 の 技 能を 獲 得 す る 事」(

Ⅸ︑ 四 四 九) で あ る「 開 化」 と︑ 世 間 的 怜悧 を 身 につ け︑ 市民 とし て公 共的 価値 を獲 得し てい く「 文明 化」 の 両方 を指 す︒ この よう な文 化・ 開化 の段 階は 人間 の粗 暴 さ を抑 制し

︑市 民社 会の 構築 を進 める と言 うか たち で︑ 教 育 の 最 終目 的 で あり

︑「 あ ら ゆる 人 に も是 認 さ れ

︑ 同時 に あら ゆ る人 の 目 的」(

︑ 四 六 九) で あ る よう な 目 的だ け を 選択 す る心 術の 獲得 とさ れて いる

道徳 化」 を 準備 する

︒ こ の際 に重 要な こと は教 育に おい ては

自 ら考 える こと」 と いう 働き が鍵 とな って いる とい うこ とだ

︒個 人の 教育 に お いて

道 徳化」

は 何ら かの 既存 の( 道徳 的と 思わ れる) 行 為や 習慣 を記 憶に よっ て強 制す るの では なく て︑ 自ら 考 え るこ とを 要求 する とい う点 に最 大の 特徴 があ る︒「

み ず か ら 考え るこ とと は︑ あら ゆる 行為 が由 来す る原 理を 志

向 し て いる」(

︑ 四 五〇)

と カン ト が 語る よ う に︑ 道 徳 化 に 関 する 教 育 の場 合 に は 自ら 考 え るこ と に よっ て

︑「 最 大 の驚 嘆を もっ て」 自ら の内 なる 人倫 的諸 法則 に出 会い

︑ 観 察す るこ とに なる ので ある

︒カ ント はこ のよ うに

自 ら 考 える」

こ とに よっ ても たら され る内 なる 人倫 的諸 法則 の 発 見 と人 間 形成 を「 理 性 の開 化(KulturderVernunft)」

(

︑四 八四)

と 呼ん でい る︒「 理 性の 開化」

と はい わば

︑ 理 性自 身に よる 自己 認識 へと 理性 を促 すこ とを 意味 する

︒ 他方 で

︑教 育に お ける 文化 の概 念を 正確 に捉 える なら ば︑ この よ うな

個 人 の教 育」 に留 ま ら ない

︑「 人 類 の教 育」 に おけ る含 意が 含ま れて いる こと がわ かる

︒カ ント にと っ て

︑「 人 類の 教育」

と は「 啓蒙」

に 他な らな い︒ 啓 蒙と は 何 か の中 での 有名 な定 義で は︑ 啓蒙 とは 人間 が「 他人 の 指 導な しに

︑自 分の 悟性 を用 いる 能力 がな いこ と」 であ る 未 成年 状態 から 抜け 出る こと であ ると 語ら れて いる

︒啓 蒙 の 標語 は「 自分 自身 の悟 性を 用い る勇 気を 持て

!」 であ り

︑ つ まり 教育 論に おい て鍵 とな る「 自ら 考え るこ と」 と同 一 で ある

︒こ のよ うに カン トの 啓蒙 につ いて の議 論に はい わ ば 人類 の教 育で ある

啓 蒙」 に関 する 視点 と︑ 一人 の人 間 形 成に 関す る教 育学 的視 点と が混 在し てい る点 に注 意せ ね ば なら ない()

︒ そし てこ の中 でと りわ け着 目す べき 事は

人 類の 教育」

(6)

「 啓 蒙」 と いう 局 面 にお い て こそ

︑ 文 化 へ の批 判 的 視点 が 鮮明 に現 れて いる とい うこ とで ある

自 ら 考え る こ と」 を 適 切 に促 す 教 育に よ っ て︑ 自 律 的 存 在者 の育 成の 可能 性は ひら かれ るの であ るが

︑し かし

︑ 教 育が

道 徳化」

へ と連 なる とい う自 らの

秩 序」 を転 倒 し

︑ 開 化 や 文 明 化 そ の も の を 目 的 と し て し ま う 場 合 に は

自 分 の 才 能を 誤 用 させ る 習 慣化 し た 道具」

と な るの で あ り

︑ 人 間 の「 未 成 年状 態 を 存続 さ せ る足 枷」(

Ⅷ︑ 三 六) と なる ので ある

︒教 育が

自 ら考 える こと」

を 促す とい う 本 分か ら離 れ︑ 何ら かの

習 慣化 した 道具」

や「 制 度」 に な って し まう なら ば︑ 理性 は「 自ら 考 える こと」

を放 棄し

︑ 他 人が 課す る法 則に 従わ ざる を得 なく なり

︑結 果と して 他 律 に陥 って しま うの であ る︒ 教育 その もの が他 律的 な強 制 力 とし て働 くこ とに なり

︑理 性の 自律 とし ての 自由 を失 調 さ せて しま うこ とに なる

︒ カン トは 個人 の教 育よ りも 啓蒙

︑す なわ ち人 類の 教育 に は より 大き な困 難が 付随 する と考 えて いる()

︒こ の困 難は 教 育 がそ の目 的で ある

人 間性 の完 成」 とい う理 念を 何ら か の 形で 基準 化し

︑教 育の 方法 が規 定的 な言 説と して 示さ れ る こと によ って

︑教 育そ のも のが 他律 的な もの とな った と き に現 れる

︒こ のよ う にカ ント の教 育論 には 文化 によ って

︑ 市 民と して の価 値を 獲得 し︑ 道徳 化へ とつ なげ てい く「 文

化 道 徳 主義

(Kulturmoralismus)」

的 な 系譜 と

︑「 他人 の 指 導」 であ る教 会権 力や 国家 教育 制度 に対 して 批判 的に 距 離 を取 る「 文化 の批 判者」

と して 近代 的主 体を 確立 して い く とい う二 つの 系譜 が織 り合 わさ れて いる

︒ 従っ て︑ 教育 にお いて 鍵と なる

自 ら考 える こと」

に も 二 つの 様相 があ ると いう こと がで きる

︒即 ち︑ 教育 によ っ て 個人 が獲 得す ると ころ の「 自ら 考え るこ と」 と︑ 人類 の 教 育と して

︑一 人の 市民 が道 徳的 存在 者と して 自由 に振 舞 い

︑ 場 合 に よ っ て は 既 存 の 諸 制 度 や 文 化 を 批 判 し て い く

自 ら考 える」

営 みで ある

︒ この よう に見 るな らば

︑カ ント の 教育 論 で語 られ て い た「 文化」「

文 明化」「

道徳 化」 とい う教 育の プロ セス は

人 類 へ の 教育」

が 抱 える 文 化 の問 題 に 対す る 批 判的 思 考 を 可能 にす るプ ロセ スで あっ たと 捉え るこ とが でき る︒ つ ま り

︑「 文 化」 と「 文 明化」

と は 人間 を 市 民社 会 の一 員 と し て 育 てる こ と を意 味 す るの だ が

︑「 道徳 化」 の 段階 で 最 も 重視 され るの はそ の市 民社 会の 枠組 みを 越え て既 存の 文 化 を批 判 する 視点 をも つこ とで ある

︒教 育に お ける

文化」

文 明 化」 が「 道 徳 化」 の 下 に 位置 す る 順序 を 転 倒し

︑ 教 育 の目 的そ のも のと なる とき に自 律と して の自 由を 失わ せ る こと にな る︒ この 点に 教育 にお ける カン トの 文化 批判 の 視 座を 確認 する こと が出 来る

(7)

︑宗 教 論 にお け る

文 化

への 批 判 そも そも 教育 の場 面に おい て︑ カン トは 従来 の宗 教教 育 と 密接 に結 びつ いた 教育 のあ り方 を批 判す るこ とを 通し て︑ 教育 にお ける 文化 批判 の視 座を 確立 して いっ た()

︒即 ち教 育 に おけ る文 化批 判は

︑こ の時 代︑ 同時 に宗 教に おけ る文 化 批 判を 意味 して いた

︒ 宗教 の次 元で

文 化」 がど のよ うに 現れ てく るの かを ま ず 確 認 して み た い︒

純 粋 理 性批 判 の 中で の 有 名な 三 つ の問 いと いえ ば︑「 私 は何 を知 るこ とが 出来 るの か」「

私 は 何 を 行 うべ き か」「

私は 何 を 望み う る のか」

で あ るが

︑ こ の う ち の第 三 の 問い は 前 者二 つ を 含 んだ

︑「 知 を獲 得 し

︑ な すべ きこ とを なし た上 で何 を望 みう るの か」 とい う総 合 的 な問 いと され

︑こ の問 題に 答え るの が宗 教で ある とさ れ て きた

︒カ ント の 宗教 論 には 外的 な自 由に 関す る法 秩 序 の完 成と して の倫 理的 公共 体の 確立 を目 指す 側面 と︑ 内 的 自由 と関 連す る徳 福一 致に 関わ る側 面が ある のだ が︑ と り わけ

︑宗 教に おけ る文 化の 問題 は前 者に 関連 して 登場 す る こと にな る︒ カン トは

宗 教論

第 三編 にお いて 人間 の共 同性

︑つ ま り 人間 が社 会を 形成 しよ うと する とき に必 然的 に敵 対的 な

傾 向性 に陥 り︑ 互い に道 徳的 素質 を腐 敗さ せざ るを 得な い

文化 の悪 徳」 を 確認 した 上で

︑そ れ に対 し次 のよ うに 語っ て いる

人間 の 内 なる 善 を 目 指す 統 合 は︑ 道徳 性 の 維持 だ け を 意図 して

︑永 続的 で常 に広 がっ てい くよ うな 社会

︑力 を 一つ にし て悪 に抵 抗す るよ うな 社会

︑そ のよ うな 統合 を創 立す る手 段が もし 見つ から ない とす れば

︑個 々人 は⁝

(

中略)

⁝ 悪の 支配 に逆 戻り する 危険 にた えず さら され 続 ける」(

︑九 四)

︒ カン トは 明ら かに 人間 の統 合︑ つま り人 間社 会と 文化 に 対 して 両義 的な 立場 を示 して いる

︒一 方で は「 人間 達が そ こ に複 数い るだ けで 互い に腐 敗さ せる」

と 語り

︑他 方で は 人 間が 善の 原理 に生 きる ため には

徳 の法 則に 従う 社会 を 起 し広 め る」 ほか な い︑ と語 る︒ この よ うな 共同 体的 な 善︑ 倫理 的公 共体 の設 立の ため には

︑純 粋理 性宗 教を 基と した

教 会」 の 設立 が 求 めら れ る こと に な る

︒ ここ で 注意 し て おか ねば なら ない こと があ る︒ まず

︑カ ント にと って

宗 教」 と「 教会

・信 仰」 とは 異な るも ので ある

︒カ ント にと っ て宗 教と は「 単 なる 理性 の限 界内」

に おけ る宗 教で あり

最も 素 朴 な 人(Einfaeltigste)

にと っ て も

︑ 最 も学 識 の

(8)

あ る 人(gelehrteste)

に と って も

︑ 劣ら ず明 白」(

︑ 八 九 八) なも ので ある

︒こ れは 純粋 宗教

︑も しく は純 粋理 性 宗 教等 と呼 ばれ る︒ カン トに とっ て宗 教の 名に 値す るも の は「 人 間の すべ ての 義務 を神 の意 志と して 受け 止め る」 こ と に他 なら ず︑ それ 以 外の あり 方な どは 考え られ なか った

︒ こ れに 対し

︑「 信 仰に はい ろい ろな 様式 があ りう る」(

︑ 一

〇 七) と語 ら れ る︒「

イ ス ラー ム」「

カト リ ッ ク」「

プ ロ テ スタ ント」

等 は信 仰の 区別 とさ れ︑ それ ぞれ に歴 史的 経 緯 と 教 会 法 規 を 持 つ が

︑ い ず れ も 純 粋 宗 教 信 仰 の た め の

乗 物(Vehikel)」(

Ⅵ︑ 一 一 八) と さ れ る

︒ 従 っ て

︑ カ ント に倣 って 言う なら ば「 宗 教紛 争」 なる もの は存 在し 得 な い︒ これ まで のあ らゆ る宗 教紛 争は すべ て教 会信 仰を め ぐ る闘 争で あっ たこ とに なる

︒ カン トに とっ て宗 教と は純 粋理 性宗 教が ひと つあ るの み で あ っ て︑「

乗 物」 で ある 信 仰 のあ り 方 は歴 史 的

︑ 地理 的 に制 約さ れた 文化 的形 式に ほか なら ない ので ある

︒そ して ここ で「 乗 物」 とさ れ てい る信 仰な いし 宗教 共同 体こ そが

︑ 宗 教論 にお ける 文化 とし て名 指し され てい る事 は明 らか で あ ろう

︒ さて

︑教 育に おい ては 人間 の道 徳性 の次 元と 文化

・開 化 の 次元 の「 秩序」

を 転倒 させ るこ とに カン トの 文化 批判 の 眼 目が ある こと を前 節で 確認 した

︒こ の「 転倒」

と いう 事

態 は「 宗教 論」 でい われ ると ころ の「 根本 悪」 に他 なら な い

「 ︒

根 本悪」

は「 人 間の 心 の 邪悪 さ」 と も言 い か えら れ て おり

︑道 徳法 則に 基づ く動 機よ りも

︑そ うで ない 動機 を重 視し

︑ 選 択 する こ と とさ れ

︑「 自由 な 選 択意 志 な るも の の 動機 に関 して

︑道 徳的 秩序 を転 倒さ せる」

もの であ ると さ れ てい る︒ この 道徳 的秩 序が 転倒 した 事態 をカ ント は多 く の 適法 的行 為の うち に見 出し てい る()

︒ ここ で適 法的 行為 の 集 積で ある 文化

・文 明と 道徳 との 背理 的関 係に 注意 せね ば な らな い︒ 我々 が文 明化 され た社 会の 中で 生き ると いう こ と は適 法的 行為 によ って 秩序 付け られ た社 会で 生活 する こ と であ る︒ 我々 はそ こで 道徳 的= 適法 的行 為を 行お うと す る

︒し かし それ は自 らの 社会 生活 を維 持す るた めで あり

︑ 自 己の 幸福 を満 たす 範囲 で行 うの だ︒ その 中で

︑道 徳的 行 為 はい つし か単 なる 適法 的行 為と 化し てし まい

︑そ の源 に あ った 道徳 法則 の声 はも はや 聞こ えて こな い︒ そし てそ の 適 法的 行為 にお いて は「 内な る道 徳法 則」 の声 は積 極的 に 無 視さ れる こと にな る︒ この 事が 根本 悪と され る事 態な の で ある

︒ さて

︑こ のよ うな 根本 悪は 宗教 にお ける

文 化」 の場 面 で もっ とも 最悪 な形 で現 れる こと にな る︒ カン トに よる 教 会 批判 は︑ 一言 で言 うな らば

教 会と いう 文化 の悪 徳」 へ

(9)

の 批判 とい うこ とが でき る()

︒ カン トの 教会 批判 のす べて は

乗 物」 であ り︑「 文 化」 たる に過 ぎな い教 会信 仰が

︑そ の 本 質で ある 道徳 信仰 との 位置 を転 倒さ せて いる とい う点 に 集 約で きる

︒カ ント は宗 教の 名の もと に行 われ たあ らゆ る 紛 争や 抑圧 をす べて これ らの 転倒 によ るも のと し︑ 彼の 教 会 で あ る キ リ ス ト 教 の 歴 史 を 一 枚 の 絵 画 に す る な ら ば

「「

宗 教は これ ほど 多く の災 いの きっ かけ とな りえ たの か!」 と い う 叫び 声 を 正当 化 し かね な い」(

Ⅵ︑ 一 三 一) ほ ど の も ので ある とし てい る︒

文 化 の悪 徳」 と は適 法 的 行 為に お け る人 倫 性 の秩 序 の 転 倒で あ る︒ 可視 的 教会 が本 来︑ 純粋 宗 教の ため の啓 発的

︑ 教 育的 装置 であ るに すぎ なか った 制度 や啓 示的 教義 を自 ら の 本質 と転 倒さ せる なら ば︑ 上述 の叫 びを 正当 化し かね な い も の とな る

︒「 輝 かし き 悲 惨」 は 教 会 にお い て は「 教 階 制 の 光彩

(GlanzderHierarchie)」(

︑一 六 五) とし て 登 場 す る︒「

輝 か し き教 階 制の 光 彩」 の下 で は「 文化」

た る にす ぎな い啓 示信 仰あ るい は歴 史信 仰を 純粋 宗教 信仰 に 先 行さ せる こと にな り︑ 道徳 的秩 序が 転倒 され る︒ 本来

︑ 一 人ひ とり の理 性か ら発 せら れた 自律 的な 義務 は他 律的 な 戒 律と して 現れ るこ とに なり

︑そ こで は「 道徳 的規 定根 拠 な し で も浄 福 に なれ る 信 仰」(

︑ 一 六 五) と な っ てし ま う

︒道 徳的 な理 性信 仰に 基づ いて 様々 に行 われ る「 教会 の

奉 仕」 は「 教会 の支 配」 へと 転じ

︑一 人ひ とり の義 務へ の

自 由 な 信 仰(fideselicita)」

は 命 題 へ の「 奴 隷 的 信 仰

(fidesservilis)」

に なっ てし まう ので ある

︒ しか し︑ カン トは 一切 の戒 律や 制度 とい った 教会 文化 の 装 置を 無用 なも のと する わけ では ない

︒教 会が 持つ 戒律

︑ 制 度は 道徳 信仰 のた めに 有用 とさ れる から であ る︒ この 点 に カン トの 宗教 にお ける 文化 批判 の視 座を 認め るこ とが 出 来 る︒ 啓示 は教 会の 基礎 とさ れる が︑ その 解釈

・伝 承に は 十 分な

歴 史的 知識」

と「 批 判力」

を 持っ た「 学者」

が 必 要と され る︒ 彼ら の批 判に よっ て︑ 啓示 論は 素朴 な人 にと っ て も「 普遍 的人 間理 性を わか りや すく し︑ それ を広 め︑ 恒 常 的な もの にす るた めに 単な る手 段と して

︑と はい え︑ こ の 上な く尊 い手 段と して 愛さ れ洗 練さ れな くて はな らな い」

(

︑ 一 六 五) も の と され る

︒ 宗 教共 同 体 が有 す る 教義 や 制度 を道 徳的 心術 のた めの 手段 とす るに 留め

︑人 倫性 の秩 序を 守 るこ の よ うな 区 別 を「 真 の 啓蒙」(

︑ 一 七九)

と 呼 ぶの であ る︒ 四

︑カ ン ト によ る

文化 批 判 の理 論

の 可 能 性 さて

︑こ れま でみ てき たよ うに カン トに おい て文 化は 教

(10)

育 の場 面に あっ ても 宗教 の場 面に おい ても

︑人 間 の道 徳化

︑ あ るい は倫 理的 公共 体と いっ た人 倫性 の次 元へ の媒 介あ る い は感 性的 図式 とし て理 解さ れて おり

︑そ の人 倫的 秩序 が 転 倒さ れた とき に批 判の 対象 とし て現 れて きた

︒カ ント に よ る文 化批 判の 理論 は「 文化」

と「 道 徳性」

と の秩 序を 軸 に して 展開 され てい るこ とが 明ら かに なっ た︒ この よう な構 図の 萌芽 は 判断 力批 判 の第 八三 節「 目 的 論的 体系 とし ての 自然 の最 終目 的に つい て」 で示 され て い る︒ すな わち そこ では

究 極目 的で ある ため に人 間自 身 が 為さ ねば なら ない こと に対 して 人間 を準 備す るた めに

︑ 自 然が 果た しう るこ と」 は何 で ある か? とい う問 いの 下に

自 然 を 人 間の 自 由 な諸 目 的 一 般の 格 率 に適 合 し て手 段 と し て 使 用す る 有 能性」(

︑ 四 三一)

が そ の答 え と して 挙 げ られ

︑こ の よう な有 能性 と熟 練の 産出 こそ が文 化で ある

︑ と 語ら れて いた

︒つ まり

︑文 化と は人 間が 自然 の外 にあ る 究 極目 的の ため に︑ 自然 を調 整す る働 きを 担う もの とさ れ て いた ので ある

︒し かし

︑同 時に 文化 はま さし く自 然の 最 終 目的 であ るが 故に 人間 の自 由の 側に は位 置づ けら れず

︑ 自 然の 側に 位置 づけ られ る︒ そし てこ の点 にカ ント の文 化 批 判に 込め られ た技 術批 判の 含意 を汲 み取 るこ とが 出来 る︒ 判 断力 批 判 への 第 一 序 論 の 中 で「 技 術」 は 彼の 哲 学 体 系の 内に 明確 に位 置づ けら れて いる

︒カ ント 哲学 にお い

て は自 然の 領域 と自 由の 領域 は原 理的 には っき りと 峻別 さ れ てお り︑ それ に伴 って 理論 哲学 と実 践哲 学も 区別 され て い る︒ ここ でカ ント は「 実践」

の 意味 を非 常に 狭い 範囲 に 限 定 し て おり

︑「 諸 法 則の も と で自 由 を 考察 す る 諸命 題 だ け が

︑ 実 践的 な ので あ る」(

︑ 一 九 六) と 語 り

︑ それ 以 外 の実 行に 関す るほ かの 全て の命 題は

技 術的 命題」

と さ れ「 存 在す べき であ ると 欲す るも のを 実現 する 技術 に属 す る」(

︑ 二

〇〇)

と され る()

︒ 従 って

︑ こ れま で 我 々が 見 てき た「 文 化」 もや はり

存 在す べき であ ると 欲す るも の を 実現 する 技術 に属 する」

こ とに なろ う︒ とい うの も文 化 と は「 有 能性 と 熟 練」(

︑ 四 三〇)

の 産 出と さ れて い る の だが

︑熟 練 に関 す るあ らゆ る指 令も また

技術 に属 する」

(

︑ 二

〇〇)

と 語ら れて いる から であ る︒ しか し︑ 文化 と技 術は どこ まで も理 論哲 学の 内に 位置 づ け ら れ てい る と はい え

︑「 究 極目 的 の ため に」 自 然的 諸 条 件 を調 整す ると いう 意味 を持 つ限 りで 自然 と自 由と の間 に 働 きの 場を 与え られ てい ると いう こと がで きる

︒こ こに

︑ 道 徳的 実践 理性 によ る技 術批 判の 視点 を認 める こと がで き る

︒ また

︑文 化の 進歩 は直 ちに 究極 目的 の準 備と なる わけ で は なく

︑文 化が 道徳 性と の「 秩序」

を 転倒 させ るな らば

︑ 人 間の 不和 と不 平等 をも たら す「 輝か しき 悲惨」

と して 現

(11)

れ る

︒ 判 断力 批 判 で展 開 さ れた 文 化 に 対す る こ のよ う な両 義的 視点 をカ ント は教 育論 や宗 教論 とい った 具体 的な 歴史 的

・社 会 的 次元 に お いて 展 開し()

︑「 悲 惨」 と「 準 備」 の 転回 点を

秩 序の 転倒」

と いう 点に 見出 して いる ので あ る

︒そ して この 点に 技術 批判 とは 異な る側 面で の「 文化 批 判 の理 論」 の可 能性 を認 める こと がで きる

︒こ の「 文化 批 判 の理 論」 は人 間の 内的 な陶 冶・ 自己 形成

(

開 化) に関 し て も︑ 外的 開発

(

文 化) に関 して も「 道徳 性と の秩 序」 の 転 倒を 厳し く戒 める

︒文 化と はど こま でも 有用 性の 観点 の も とで 捉え られ る限 り︑ 仮言 命法 の次 元に 属す る事 柄で あ る

︒ し か し︑「

文 化」 に つい て の カン ト の 視点 に 示 唆さ れ てい るの は道 徳性 の実 現と いう 定言 命法 のも とで

︑さ まざ まな 歴史 的︑ 社会 的現 実の 中で 仮言 命法 をど のよ うに とら え︑ 実行 して いく べき かと いう 実践 的な 問題 なの であ る︒ ここ でこ の問 題を 詳細 に追 及し てい くこ とは でき ない

︒少 なく とも

︑開 化と 文化 は道 徳性 とい う制 約の もと に調 和的 なあ り方 をと る必 要性 をカ ント は文 化概 念に 腹蔵 させ てい たと はい える

︒カ ント の文 化概 念に 込め られ た「 文 化批 判 の 理論」

の 中に は︑ 人間 の内 的自 然と 外的 自然 の調 和と い う 古代 以来 のモ チー フを 看取 しう るの であ る︒

(

)1

こ の言 葉 は G

・ クレ ム リ ン グの 以 下 の 論 文か ら 引 用 した

GerhardKraemling,DiesystembildendeRollevonAest-

hetikundKulturphilosophiebeiKant(Reihepraktische

PhilosophieBd.23),Freiburg/Muenchen,1985.

ク レ ム リン グ はカ ン トの

判 断力 批 判 に お ける 目 的論 を歴 史 的︱ 実 践 的 理 性 の 問 題 と し て 捉 え る こ と に よ り

︑ 美 的 な も の の 社 会 的 な 重 要 性 を あ ぶ り 出 し

︑ 美 学 と 目 的 論 は 実 践 哲 学 と 結 び つ い て 相 互 に 連 関 し て い る と 主 張 す る

︒ そ の 際

︑ ク レ ム リ ン グ は「 目 的 論」 で 扱 わ れ た カ ン ト の 文 化 概 念 の 中 に

文 化 批 判 の 理 論」 を 導 出 し よ う と 試 み る

︒ 目 的 論 に お い て

︑最 終 目 的 であ る 文 化 は「 自 由 に 基 づ く究 極 目 的 の 実現」 を 条 件 と し て 求 め ら れ る

︒ 自 由 に 基 づ く 究 極 目 的 の 実 現 を 基 準 と し て

︑ 批 判 的 な 文 化 解 釈 の 論 理 を 求 め る こ と が で き る と 主 張 す る の で あ る

︒ だ が

︑ ク レ ム リ ン グ に お い て は 美 学 の 分 野 こ そ が 批 判 的 文 化 解 釈 の 現 場 と さ れ

︑ 美 学 的 関 心 の み が 先 行 さ れ

︑ 本 発 表 が 取 り 扱 う よ う な 文 化 概 念 の 歴 史 的

︑ 教 育 学 的

︑ 宗 教 的 な 意 義 に 触 れ て は い な い

(

)SalimKemal,KantandFineArt:AnEssayonKant2

andthePhilosophyofFineArtandCulture,Oxford,1986.

(

)Kim,Yang-Hyun,KantischerAnthropozentrismusund3 okologische

Ethik,M

unster,

1998.

(

)SharonAnderson-Gold,ThePurposivenessofNature:4

KantandEnvironmentalEthics,in:RechtundFriedenin

derPhilosophieKants.AktendesX.InternationalenKant-

Kongresses,Berlin/NewYork,2008,S.3

13.

︽ 注

(12)

( )AnaMartaGonzalez,Kant’scontributiontosocial5

theory,in:Kant-Studien,Bd.100,2009,S.85.

(

)6

以 下

︑ 本 文 中 で の カ ン ト か ら の 引 用 は

︑ 原 則 と し て ア カ デ ミ ー 版 カ ン ト 全 集 の 巻 数 を ロ ー マ 数 字 で

︑ 頁 数 を 漢 数 字 で 表 し

︑ 本 文 中 に 出 典 を 記 す

(

)7

こ こ で「 教 育」 と「 宗 教」 と い う 領 域 に 関 し て 文 化 に つ い て触 れ よ う と する 事 は 恣 意 的な 選 択 に よ るも の で は ない

︒ 人 間 学 遺 稿 で は 悪 徳 か ら の 改 善 の 手 段 は「 教 育

︑ 立 法

︑ そ し て 宗 教 で あ る」(

︑ 八 九 八) と 語 ら れ

︑ こ れ ら 三 つ は 悪 徳 の 状 態 か ら 道 徳 化 へ 到 る た め の 重 要 な 手 段 で あ る と 考 え て い た

︒ し か し

︑ 興 味 深 い こ と に カ ン ト が 改 善 の 諸 手 段 と し て 提 示 し た こ れ ら 三 つ が

︑ 同 時 に 人 間 性 の 諸 素 質 の 調 和 的 発 展 に 対 し て

︑ 反 対 に 働 く 危 険 性 に つ い て 警 鐘 を 鳴 ら し て い た こ と で あ る

︒ こ れ は 判 断 力 批 判 で 語 ら れ て い た「 輝 か し き 悲 惨」 と 同 じ 指 摘 で あ る

(

)GeorgPicht,HIERUNDJETZT:Philosophichennach8

AuschwitzundHiroshima,BandⅡ.Stuttgart.1981./

・ ピ ヒ ト

︑ 続

・ い ま

・ こ こ で

︑ 斉 藤 義 一 他 訳

︑ 法 政 大 学 出 版 局

︑ 一 九 九 二 年

︑ 五

︱ 五 一 一 頁

(

)9

し ば し ば 指 摘 さ れ る よ う に

︑ カ ン ト は 教 育 論 に つ い て の 体 系 的 著 作 を 残 し て は お ら ず

︑ 教 育 論 に つ い て の ま と ま っ た 著 作 で あ る 教 育 学 も 編 纂 に ま つ わ る 問 題 や

︑ 教 育 学 の 講 義 時 期 が カ ン ト の 思 想 上 の 転 換 期 に 位 置 す る と い う 事 実 に よ っ て そ の 不 鮮 明 さ が 指 摘 さ れ て い る

︒ し か し

︑ 他 方 で カ ン ト は 教 育 に 対 し て 明 ら か に 体 系 性

︑ あ る い は 学 問 性 を 要 求 し て い る こ と も 事 実 で あ る

︒ こ の 点 に 関 し て は 以 下 の 拙 論 を 参 照「 カ ン ト 教 育 論 に お け る 自 由 と 開 化 の ア ン チ

ノ ミ ー」

︑ 日 本カ ン ト 研 究 12 所 収

︑ 理 想社

︑ 二

〇 一 一年

(

10) 鈴 木 晶 子 氏 は カ ン ト の 同 時 代 人 達 の「 啓 蒙」 と

︑ カ ン ト の「 啓 蒙」 観 を 比 較 し

︑ カ ン ト の 啓 蒙 の 中 に

︑ 近 代 的 市 民 の 育 成 と 彼 ら に よ る 近 代 国 家 の 設 立 と い う「 啓 蒙 の 物 語」 に は回 収 し き れ ない 個 人 の 形 成と 変 容 を 問 う「 教 育 の 物語」 が 含ま れ て い る と 指摘 し て い る

︒鈴 木 晶 子

︑ イ マ ヌ エル

・ カ ン ト の 葬 列

︑ 二

〇 六 年

︑ 春 秋 社

(

11)「

そ れ 故

︑ 教 育 に よ っ て 啓 蒙 を 個 々 の 主 体 の う ち に 根 付 か せ る 事 は 非 常 に 容 易 で あ る

⁝( 中 略)

⁝ と こ ろ が

︑ あ る 時 代 を 啓 蒙 す る に は 非 常 に 時 間 が か か る

︒ 何 故 な ら ば

︑ そ の よ う な 教 育 方 法 を あ る 時 は 禁 じ た り

︑ 困 難 に す る 多 く の 外 的 な 障 害 が 存 在 す る か ら で あ る」(

︑ 一 四 七)

(

12)M.G.FelicitasMunzel,Menschenfreundschaft:

FriendshipandPedagogyinKant,in:Eighteenth-

CenturyStudies32,pp.247

259.

(

13) R

・ バ ー ン ス タ イ ン も 根 本 悪 を「 義 務 に か な っ て は い る が

︑ 義 務 そ の も の の た め に 行 わ れ た の で は な い 行 為」 す な わ ち

︑ 人 間 の 適 法 的 行 為 の う ち に 見 出 し て い る

︒R.J.

Bernstein,RadicalEvil.APhilosophicalInterrogation,

Cambridge,2002.

(

14)

宗 教 論 に お い て

︑ カ ン ト は「Kultur(

文 化)」

と い う 言 葉 よ り も「Kult」

あ る い は そ の 由 来 と な る ラ テ ン 語 の「cultus」

と い う 言 葉 を 多 用 す る

︒「Kultur」

は ラ テ ン 語 の「cultura」

の 訳 語 と さ れ て い る が

︑「cultus」

も「cul-

tura」

も 元 々 は 同 じ「 耕 す」 と い う 意 味 で あ る

︒ し か し な が ら

︑「cultura

=Kultur」

が そ の 意 味 を 先 の「cultura

animi」

に も 見 ら れ る よ う に

︑ 人 間 の 心 の 開 発 や 諸 能 力 の

(13)

開 化 と い っ た 用 法 に 展 開 さ れ て ゆ く の に 対 し

︑「cultus

Kult」

は「 礼 拝」 や「 祭 祀」 と い っ た 宗 教 的 文 脈 に そ の 意 味 を 限 定 し て ゆ く

W.Wundt,V

olkerpsychologie

:eineUntersuchung

derEntwicklungsgesetzevonSprache,Mythusund

Sitte.Bd.10,Leipzig,1920.J.Ritter,“Kult”,“Kultur”,

HistorischesWorterbuchDerPhilosophie,Basel,1976.

そ し て

︑ カ ン ト は 宗 教 論 の 中 で

︑ 特 に 純 粋 宗 教 に 対 す る 文 化 の 悪 徳 を 指 摘 す る 文 脈 に お い て は「cultus」

と い う ラ テ ン 語 表 記 の ま ま で 用 い て い る

︒ す な わ ち

︑「cultus」

が 用 い ら れ る 箇 所( 一

〇 六

︑ 一 一 五

︑ 一 五 三) は 全 て 純 粋 宗 教 に 対 す る「 教 会 信 仰」 を 批 判 す る 時 に 使 用 さ れ て い る

︒ な お

︑「Kult(us)」

と ド イ ツ 語 表 記 さ れ る 場 合 に は 必 ず し も 批 判 的 な 文 脈 で の 使 用 に 限 ら な い

(

15) 実 際 に カ ン ト は「 国 家 戦 略」 や「 力 学 に お け る 実 験 の 技 術」 な ど を 例 に 挙 げ

︑ こ れ ら は「 自 然 が 含 み う る も の を 原 因 と し て 選 択 意 志 か ら 導 き 出 す 実 践 的 命 題」 と さ れ

︑ 実 践 的 命 題 と は 厳 し く 峻 別 さ れ「 自 然 の 哲 学 の 実 践 的 部 門 だ け を 形 成 す る」(

︑ 一 九 七) と 語 ら れ て い る

(

16) 教 育 論

︑ 宗 教 論 だ け で は な く

︑ 永 遠 平 和 の た め に を は じ め と す る 後 期 の 歴 史 哲 学 的 著 作 の 中 に も 文 化 批 判 の 理 論 の 展 開 を 読 み 取 る こ と が 出 来 る と 筆 者 は 考 え て い る が 紙 幅 の 関 係 上

︑ こ の 問 題 に つ い て は 次 回 に 譲 る こ と に す る

参照

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