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勝 持 寺 薬 師 如 来 檀 像 に つ い て ︵ 上 ︶

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(1)

勝 持 寺 薬 師 如 来 檀 像 に つ い て ︵ 上 ︶

井 上 一 稔

は じ め に 京都

大原 野の 勝持 寺

に は︑ 二躯 の重 要文 化財 に指 定さ れる 薬師 如来 坐像 が 伝 わ って い る︒ 一 躯は 本 尊 とし て 祀 ら れ てき た像 で︑ もう 一躯 は白 檀材 から なる と思 われ る小 像︵ 挿図 1︶ であ る︒ この 度は

︑後 者の 薬師 如来 檀像 につ い て

︑本 体を はじ め他 例の ない 表現 をみ せる 台座

・光 背に わた って 考え てみ たい

︒た だ紙 面の 都合 上︑ 当稿 では 本体

・ 台 座と 光背 の化 仏に つい て論 じ︑ 特異 な 樹葉 形 の 光背 に つ いて は 別 稿︵

﹃ 博物 館 学 年報

﹄第 47号

︿同 志 社 大学 博 物 館 学 芸員 課程

〇一 六年 三月

﹀︶ と なる こと を許 され たい

︒ この 二体 の薬 師如 来像 の関 係は

︑檀 像が 本尊 像の 胎内 仏で あっ たと いう 伝承 もあ るが

︑そ の伝 来の 一端 は︑ 正徳 元 年

︵一 七一 一︶ の﹃ 山州 名跡 志﹄ 巻十 の次 の記 述が 参考 にな る

小 塩 山 勝 持 寺

︵中 略︶ 本 尊 薬 師 仏

同 仏 二 尊 厨 子 二 重 内 安 内

後 光 中 小 像 化 仏

︒十 二 神

︒及 三 鈷 五

︒独 鈷︒ 地紋 唐艸 彫顕

︒作 共以 伝教 大師 一刀 三礼

之修

― 233 ―

(2)

挿図1 勝持寺 薬師如来檀像

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 234 ―

(3)

伝 教大 師作 とさ れる 二尺 八寸 の薬 師像 と︑ 内仏 の二 寸八 分の 薬師 像が 二重 の厨 子内 に収 めら れる と記 され てい る︒ 二 尺 八寸 像が 像高 の点 から も現 在の 本尊 像に 当た り︑ 二寸 八分 像は 薬師 如来 檀像 に当 たる こと は間 違い なか ろう

︒そ し て

︑二 寸八 分像 には 光背 の説 明が 付い てお り︑ 後に 詳述 する よう に現 在の 薬師 如来 檀像 の光 背に ほぼ 該当 する

︒ とこ ろで 本尊 の薬 師如 来坐 像は

︑鎌 倉時 代初 期の 作風 を示 し︑ 胸前 でと もに 第一

・三 指を 捻じ た両 手を 上下 に向 か い 合わ せる とい う特 異な 印相 をと る︒ かつ て筆 者は

︑本 尊像 を印 相の 解明 を中 心に 論じ

︑慈 円が 秘仏 であ った 延暦 寺 根 本中 堂の 本尊 薬師 如来 を実 見し たこ とを 基に 述べ た薬 師行 法か ら導 き出 せる 印相 であ ると した

︒慈 円の 薬師 行法 は 他 に見 えな いも ので ある から

︑こ のよ うな 薬師 像を 造る こと の出 来た 人物 は︑ 限り なく 慈円 に近 い人 物で あっ たこ と も 述べ た

︒ これ らの 事情 から

︑本 尊像 と共 に伝 わり

︑同 じく かな り珍 しい 意匠 をみ せる 薬師 如来 檀像 も︑ 薬師 如来 像の 姿に 深 い 関心 を寄 せ本 尊像 を造 らせ た人 物の 所蔵 とい った 密接 な関 与が あっ た像 では なか ろう か︒ この 意味 で︑ 本像 は天 台 宗 に関 わる 像と いう 伝来 環境 を想 定出 来る もの と思 われ る︒ 一

姿 の 特 徴 白

檀の 一 材 から 彫 り 出さ れ る 像 高九

・二

!

の 小 像 であ る が

︑大 像 を う わ ま わ る 充 実 感 が あ る︵ 挿 図2

・3

・4

︶︒ 螺 髪を 切り つけ

︵肉 髻珠 は不 明確

︶︑ 白 毫を 彫出 し

︑三 道 相を 表 わ す︒ 耳朶 は 不 貫 とな る

︒右 手 を屈 臂 し て掌 を 正 面 に 向け て第 一・ 二・ 四・ 五指 を伸 ばし

︑第 三指 は半 ばよ り欠 失す るが

︑指 先を 折り 曲げ てい たと 思わ れる

︒た だ何 分 に も 小 像の 細 部 なの で

︑不 分 明 なと こ ろ があ る が︑ 少 なく と も 各 指先 に は 補修 が 入 り︑ また 朽 損 に よ る 痩 が み ら れ

― 235 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(4)

る︒ 左手 は脚 上で 掌を 上に して 薬壷 を乗 せる

︒右 足を 上に し て深 く両 足を 組み 結跏 趺坐 する

︒な お右 手首 と薬 壷は 別材 制 で︑ 材の 全面 に暗 紫 色 が みら れ る

︒ ま た衣 文 の 峰の 全 て に 切金 線を 置い て い た よう で

︑各 所 に痕 跡 が 残っ て い る

︒ 保 存状 態は 極め て良 いが

︑左 手第 五指 は後 補と なり

︑頭 部正 面

・両 耳輪 上方 およ び右 膝頭 に後 補の 木屎 が見 られ る︒ また 左 小鼻

・上 唇な どに 小欠

︑頭 頂か ら右 目に かけ て干 割れ が認 め られ る︒ こ の姿 を図 像的 な側 面か ら検 討す ると

︑心 覚︵ 一一 一七

挿図2 勝持寺像 本体 挿図3 勝持寺像 側面

挿図4 勝持寺像 頭部 勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 236 ―

(5)

一 一 八

〇︶ の﹃ 別尊 雑 記﹄ に 勝 定房 恵 什 の 説と し て︑ 世 間に 流 布 して い る 二 様の 薬 師 像が み ら れる と し

︑そ れ を 薬 壷 を持 たな い像 と持 つ像 に分 けて いる が︑ 本像 は勿 論後 者で ある

︒そ して 薬壷 を持 つ像 は左 手に 持つ が︑ 右手 は施 無 畏 か︑ 第四 指を 曲げ るか

︑第 一・ 三指 を捻 じる とい う三 種類 に分 けて いる

︒こ の分 類に 従え ば︑ 本像 は第 一・ 三指 を 捻 じる 像と いう こと にな ろう

︒ ここ で︑ 薬師 如来 像の 姿を 規定 する 不空 訳﹃ 薬師 如来 念誦 儀軌

をみ てお くと

︑陀 羅尼 を説 いた 後で

︑ 若

有受 持此 真言

︵中 略︶ 圓壇

︑以 種種 雜寶 莊嚴 壇︑ 安中 心一 藥師 如來 像如 來左 手令 執藥 器︑ 亦名 無價 珠︑ 右手 令 作 結三 界印

︑一 著袈 裟結 跏趺 坐︑ 令安 蓮華 臺︑ 臺下 十二 神将

︑八 万四 千眷 属上 首︑ 又令 須蓮 台︑ 如来 威光 中令 住 日 光月 光二 菩薩 と

記し てい る︒ 円壇 を荘 厳し てそ の中 心に 薬師 如来 像を 安置 せよ とし

︑薬 師如 来の 右手 は三 界印 を結 び︑ 左手 には 薬 器 を持 つと する

︒さ らに 袈裟 を着 して 結跏 趺坐 する と述 べる

︒台 座・ 光背 につ いて は後 述し よう

︒ この 記述 と勝 持寺 像の 対応 は︑ 左手 に薬 器を 載せ るこ と︑ 結跏 趺坐 する こと

︑服 制︑ そし て蓮 華座 も文 面通 りで あ る

︒問 題 は︑ 右 手 を 三 界 印 と す る 点 で あ る︒ 三 界 印 と は

︑ど の 様 な 印 で あ る か と い う と︑

﹃行 林

﹄第 二

に お い て

︑ 不 空軌 を引 用し た後 で︑ 印

方抄 云︒ 私檢 曩初 唐本 佛云

︒右 手揚 臂︒ 頭指 從第 二節 折鉤 與大 指端 相合

︒以 大指 押頭 指傍 如彈 指︒ 餘三 指直 開 立 左手 近仰 尚而 聊凹 臍下

︒掌 中心 置映 徹碧 色花 形合 子︒ 胸有 滿字

︒其 字有 焔光 云云

︒不 空軌 結三 界印 者︒ 恐今 尊

― 237 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(6)

右 手印 相歟 可尋 之云 云︒ と

述べ る︒ 印方 抄は いか なる 書物 か不 明だ が

︑ 唐本 仏を 調べ る に

︑右 手 は肘 を あ げて

︑第 二 指︵ 頭 指︶ の第 二 関 節 を 曲げ て第 一指

︵大 指︶ と相 い合 わせ るの に︑ 第一 指で 第二 指の 側面 を押 して 弾指 をす るよ うで

︑余 の三 指は 開い て 立 て て いる と 説 明す る

︒左 手 は︑ 右 手に 近 付 けて 臍 下 で掌 を や や 凹ま せ て︑ そ の中 心 に 碧色 の 花 形 合 子 を 置 く と す る

︒そ して 不空 軌の 三界 印は

︑こ の右 手の 印と する

︒ 本像 は現 状で 判断 すれ ば第 三指 を曲 げて いた と思 われ

︑第 一指 と第 二指 を 捻 じ てい た 可 能性 は な い

︒ ゆえ に 不 空 軌 の説 を本 像は 採用 して いな いこ とに なる のだ が︑ この 第一 指と 第三 指を 捻じ る印 相と みれ ば︑ 智吉 祥印 と解 釈す る こ とが でき る︒ 智吉 祥印 に関 して は︑ 本尊 像を 論じ た前 稿

で 述べ たの で参 照 し て いた だ き たい が

︑基 本 的に は 智 手 つ まり 右手 の印 で︑ 釈迦 如来 の印 であ り︑ 後述 する よう に天 台で は釈 迦如 来と 薬師 如来 の一 体説 によ り双 方に 用い ら れ る印 であ る︒ 不空 軌を 逸脱 した のも

︑こ の故 と考 える こと がで きよ う︒ 続い て︑ 左の 薬壷

︵挿 図5

︶に つい てみ てお きた い︒ 不空 軌に は左 手の 持物 は︑ 薬器 とな り﹁ 亦名 無價 珠﹂ と述 べ て いる

︒こ の点 は伊 東史 朗氏 が検 討さ れ

︑ 薬器 とす るの みで ある から

︑図 像 や 絵 画・ 彫刻 の 実 作品 に お いて は 様 々 な 形に 表わ され

︑そ れら を大 別す ると

︑鉢

・鋺 形か 壷形 の二 つに 分類 でき ると され てい る︒ また 伊東 氏は

︑無 價珠 と 名 づけ られ るこ とか ら︑ しば しば 薬師 如来 が宝 珠を 持つ こと の根 拠に なっ てい ると 述べ られ る︒ とも に首 肯す べき お 考 えで ある

︒た だ薬 壷に 関し ては

︑﹃ 行 林﹄ の先 の引 用箇 所に 続い て︑

﹁唐 佛左 掌上 安合 子︒ 尚安 壷︒ 未有 其證 云云 又 鎭 西傳 教大 師所 造四 體藥 師佛

︒皆 左手 掌持 珠玉 云云 丹州 師云

︒大 日經 義釋 中︒ 通相 佛令 持玉

︒云 件像 爲求 法傳 燈所 奉 造 也︒ 義釋 當初 無之

︒大 師説 尤貴 云云

﹂と いう よう に︑ 蓋つ きの 小型 容器 であ る﹁ 合子

﹂と いう よう な名 称が 出さ れ

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 238 ―

(7)

︵﹁ 尚 安 壷﹂ の尚 は

︑ひ さ しく の 意 味で あ れ ば︑ 壷 から 合 子 に変 化 し た 意味 か

︶︑ さ らに 珠に 関し ては 通相 の仏 が持 つも ので あ る と し

︑ 密家 の 解 釈の 展 開 が予 想 さ れ る︒ なお

︑勝 持寺 像に 関し ては

︑そ の光 背に ある 七仏 薬師 像が 左手 に宝 珠を 乗せ て いる こと を思 う と︵ 挿 図1

︶︑ 薬 器と 無 價 珠の 双 方 を 意識 し て いた と 言 うこ と が 出 来る

︒ こ こで 改め て︑ 勝持 寺像 の薬 壷そ のも のに 関し て注 意し てお きた い︒ この 薬壷 は 別材 であ るの で︑ 後補 され たも ので はな いか との 疑い も生 じる が︑ 胴の 肩張 りが 強 くそ の下 が締 まっ て いく 整 っ た形 と

︑上 部 に目 立 っ た 蓋が あ る こと が 注 目 され る

︒ この 形に 近い もの を求 めて

︑正 倉院 の薬 壷を 改め てみ ると

︑ま ず北 104倉 戎塩 壷︑ 北 倉 106薬 壷3 号︵ 挿図 6︶ など の 須 恵 器 が 目 に と ま る

︒蓋 を 被 せ

︑特 に肩 が張 って 胴が 締ま っ て いく 姿は

︑勝 持寺 像の もの に 近 い

︒し か し 勝 持 寺 像 の も の は

︑胴 の肩 から 蓋に かけ ての 上 部 も締 まっ てい く形 であ り︑ こ の 点に おい て正 倉院 の須 恵器 と は 異な って いる

︒こ の上 部の 形

挿図5 勝持寺像 薬壷 挿図6 正倉院 薬壷3号

挿 図7 正 倉 院 赤 銅 合子3号

挿図8 別尊雑記

― 239 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(8)

︑同 じく 正倉 院宝 物の 中で は︑ 南倉 28金 銅合 子や 南倉 29赤 銅合 子3 号︵ 挿図 7︶ など に近 いも ので ある

︒だ が︑ こ れ らの 合子 は︑ 台脚 が付 き相 輪形 の鈕 があ るな どは 勝持 寺像 のも のと 異な る︒ この よう に実 物資 料に 違い も認 めら れ る が︑ 近い 形が 見出 され たこ とは

︑勝 持寺 像の 薬 壷が 当 初 であ る 可 能性 が 生 ま れて く る︒ ま た図 像 に お いて は

︑﹃ 別 尊 雑記

﹄所 載の 薬師 八大 菩薩 図像

の中 尊の 薬壷

︵挿 図8

︶が

︑勝 持寺 像 の 薬 壷に 近 い︒ こ の薬 壷 は 蓋つ き で

︑摘 み が あり 胴の 中ほ どや や上 に線 がみ られ るこ とを 考慮 する と︑ 先の

﹃行 林﹄ にみ えた 合子 も視 野に 入っ てこ よう

︒ さて

︑図 像的 な検 討は ひと ま ず 置き

︑本 体 の 作風 を 見 て おこ う

︵挿 図2

・3

・4

︶︒ 頭 部 は小 さ め で︑ 髪が 額 に か ぶ さっ てい るこ とも あり

︑面 部は 寸が 詰ま った 丸顔 とな る︒ 頬が 引き 締ま り︑ 長く 引か れた 眉に

︑少 しう ねり のあ る 切 れ長 の細 く開 かれ た眼

︑小 鼻の 張っ た鼻 を表 わす 表情 は︑ 威厳 があ る︒ 体部 は︑ 肩幅 が狭 く感 じら れる が︑ これ は 両 肘を 大き く張 るこ とに よる もの で︑ さら に両 膝の 張り も十 分に とる ので

︑小 ぶり な頭 部と 相俟 って 極め て安 定し た 姿 とな って いる

︒そ れで いて

︑右 足を 上に して 深く 両足 を組 み結 跏趺 坐す るが

︑両 膝頭 を持 ち上 げ気 味に 表わ して い る ので

︑生 彩あ る印 象を 与え る︒ 右足 先は 踵の 周辺 を斜 め内 側に して 表わ すな ど写 実的 で︑ 左足 先は 衣に 包ま れて い る

︒偏 袒右 肩に 着す 大衣 は︑ 左肩 から 右脇 腹へ の折 り返 り︑ 右肩 にか かる 衣縁 の反 り︑ 背面 襟の 立ち 上が り︑ 左袖 縁 の 折れ や巻 き込 み︑ そし て左 肩か ら肘 にか かる 衣端 など

︑衣 の重 なり や折 れめ くれ を表 わす こと でそ の質 感が 感じ ら れ

︑ま た各 所の 肉付 の起 伏に 応じ た抑 揚を つけ るこ とか ら︑ 体躯 の強 い生 命力 まで 伝わ って くる

︒衣 文線 の彫 りは 鋭 く

︑や や多 めに 刻む

︒側 面観 では

︑真 直ぐ によ く伸 びた 体躯 と共 に︑ 頭部 をは じめ 体部 も抑 揚が あり 奥行 きの ある 肉 付 けが なさ れて いる のが 分か る︒ 殊に

︑小 さめ の 頭部 も

︑詰 ま った 肩 部 も︑ 側面 で の 厚 みに 目 を 見張 る も の があ り

︑ 正 面観 から 受け る全 体の 充実 感が 裏打 ちさ れて いる

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 240 ―

(9)

こ の作 風の 特徴 であ る︑ 頭部 が小 さく 丸顔 で︑ 肘の 張り と膝 の 張り が極 めて 強い とい うプ ロポ ーシ ョン を︑ 平安 初期 の八 世紀 末 から 九世 紀の 彫像 の中 に位 置づ けて みた い︒ まず 近い と思 われ る 像は

︑承 和七 年︵ 八四

〇︶ ころ と考 えら れる 広隆 寺講 堂阿 弥陀 如 来坐 像︵ 挿図 9︶ であ る︒ 比較 的低 い位 置で 両肘 の張 りを 強く と り︑ また 両脚 部を かな り伸 びや かに 表わ す点 が共 通す る︒ しか し 広隆 寺像 の頭 部は

︑体 躯の 中で 大き めで ある こと は︑ 勝持 寺像 と 異な って いる

︒広 隆寺 像と 同技 法で 造ら れ︑ 近い 時期 の神 護寺 五 大虚 空蔵 菩薩 坐像 にも 菩薩 なが ら共 通す ると ころ があ るが

︑脚 部

挿図9 広隆寺 阿弥陀如来坐像 挿図10 新薬師寺 薬師如来坐像

挿図11 金剛心院 如来立像

― 241 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(10)

の 伸び やか さに おい ては 違い が目 立つ

︒同 様 の事 は

︑仁 和 四年

︵八 八 八︶ の 仁和 寺 阿 弥 陀如 来 坐 像に も 指 摘 でき る

︒ な お 仁 和寺 像 に は顔 の 丸 さ も共 通 す るか に 思 える が

︑や は り 勝持 寺 像 ほど 頭 部 は小 さ く は ない

︒広 隆 寺 像 と の 近 さ は

︑八 世紀 末の 新薬 師寺 像︵ 挿図 10︶ と比 較す ると より 明瞭 とな る︒ 新薬 師寺 像も 極め て幅 広の 脚部 をも つが

︑肘 の 張 りは 広隆 寺・ 勝持 寺像 ほど では なく

︑肉 付き の良 い上 半身 に添 うよ うに 配さ れて いる

︒ この よう に勝 持寺 像の 広く 張っ た腕 の構 えと

︑広 い脚 部の 特徴 は︑ 承和 から 仁和 にか けて の仏 像の 範囲 に収 まる と い える

︒こ の上 で︑ 体部 に比 して 小さ な頭 部の 特徴 は︑ 坐像 では これ ほど 小さ な作 例を 見出 し難 いが

︑立 像で は京 都

・ 金剛 心院 如来 立像

︵挿 11図

︶や 奈良

・橘 寺伝 日羅 像に 共通 する 感覚 がみ られ る︒ この 二像 は︑ 九世 紀前 半に は収 ま る 像で

︑小 さめ の頭 部に

︑よ く伸 びた 下半 身と いう プロ ポー ショ ンで

︑こ れら の像 を坐 像に する と勝 持寺 像に 近い 姿 が 生ま れる こと を予 測さ せる

︒そ して この 二像 とは

︑頬 の締 まっ た面 相に 細く 長く ひか れた 眼の 表現 が共 通す るこ と も 注意 され る︒ 水野 敬三 郎氏 によ れば

︑こ の頬 の締 まっ た顔 立ち は観 心寺 如意 輪観 音像

・神 護寺 五大 虚空 蔵菩 薩像

・ 広 隆寺 講堂 阿弥 陀如 来像 をは じめ とし て承 和後 半期 の八 四〇 年代 にみ られ るこ とが 指摘 され てお り︑ 八五

〇年 代に な る と安 祥寺 五智 如来 像や 観心 寺伝 弥勒

・伝 宝生 如来 像な どは 頬が 丸く 張る 傾 向 が でて く る とい う

︒本 像 は引 き 締 ま っ た顔 立ち に近 いと いえ よう

︒ 以上 から 勝持 寺像 の造 像期 は︑ 凡そ 九世 紀前 半内 に納 まる もの と考 え ら れ る

︒ もう 少 し︑ 勝 持寺 像 と 他像 の 比 較 を して おく と︑ 九世 紀後 半と 考え られ てい る宮 城・ 双林 寺薬 師如 来坐 像

︑頭 部 が 小 さめ で 膝 張り の 強 い安 定 し た プ ロポ ーシ ョン や︑ 充実 した 側面 観が 共通 し︑ 髪が 額に 深く かか る点 など も通 じる こと が見 出せ る︒ ただ 肘の 張り は 勝 持寺 像が より 強く

︑衣 文線 は双 林寺 像が 多く なる こと など の相 違点 を考 慮す ると

︑勝 持寺 像が 双林 寺像 に影 響を 与 え てい るの では ない かと 考え るこ とが でき よう

︒ま た貞 観四 年︵ 八六 二︶ の岩 手・ 黒石 寺薬 師如 来坐 像と

︑右 肩に か

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 242 ―

(11)

か る大 衣の 折り 畳み にみ られ る渦 文が 共通 する こと が指 摘さ れて いる

︒こ の 他 黒 石寺 像 に は︑ 左袖 側 面 端に 渦 文 の く ずれ たよ うな 折返 りが みら れ︑ 双林 寺像 の同 箇 所に お い ては 明 瞭 な渦 文 が み られ る

︵右 肩 にも あ る︶

︒ この 点 も 勝 持 寺像 に共 通す る︵ 挿図 3︶

︒ この よう に︑ 東北 地方 の古 像 に 共通 点 が 見出 せ る こ とは 興 味 深く

︑八 六 二 年の 黒 石 寺 像 に共 通す る表 現が みら れた こと は︑ 勝持 寺像 が九 世紀 前半 に造 られ てい たこ とを 支持 する もの と言 えよ う︒ 尚︑ 立 像 なが ら︑ 九世 紀前 半の 元興 寺薬 師如 来像 や金 剛心 院如 来像

︵挿 11図

︶の 両袖 端に も渦 文が 認め られ るこ とを 申し 添 え てお きた い︒

二 台

座 本

体の 考 察 から 台 座 に目 を 転 じ てみ た い︒ 台 座は 蓮 華 座︵ 挿 12図 13・

︶で

︑蓮 肉 上 に 衣 と 蓮 実︑ 縁 に 蘂 を 刻 出 す る

︒蓮 弁は 十二 方三 段に 葺き

︑そ の下 に︑ 三筋 の弁 脈を あら わす 幅広 の花 葉六 枚か らな り︑ 各葉 間に 猪目 をあ らわ す 華 盤が 設け られ る︒ 敷茄 子は 四弁 花形 の刳 り抜 きを 六方 に表 わす

︒受 座は 六方 入隅 で︑ それ より 下方 は順 に︑ 山形 に 切 り込 んだ 列弁 帯︑ 六方 二段 の反 花︵ 複弁

︶︑ 円 形框 を設 けて いる

︒ 大正 七年 十月 から 翌年 三月 にか けて 行わ れた 美術 院に よる 修理 の 記 録!

に よ り︑ 構造 を 要 約し て お こう

︒台 座 は 蓮 肉 と上 より 一段 目の 蓮弁 を一 木で 彫出 し"

︑ そこ に一 枚づ つ彫 った 蓮 弁 を 二段 に 合 わせ て い る︒ 華盤

︑敷 茄 子

︑受 座 は 各一 枚制

︑そ の下 は下 框ま で一 材か ら形 成し て いる

︒そ し て 中央 に 立 てた 心 棒 は︑ 最 下段 よ り 蓮肉 に 至 っ てい る

︒ ま た蓮 肉上 面に は︑ 裳の 衣文 を彫 り出 し︑ 本体 を嵌 めこ むよ うに 少し 掘り 下げ てい るが

︑衣 文線 は本 体と は眼 違い を 起 こし てい るこ とが 指摘 され てい る#

― 243 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(12)

この 台座 の全 体の 構成 は︑ 異な る部 分 も みら れる のだ が︑ 観心 寺如 意輪 観音 坐 像

︵挿 図 14︶・

仁 和 寺 阿 弥 陀 如 来 坐 像

・ 慈 尊院 弥勒 仏坐 像の 平安 初期 の密 教像 の 蓮 華座 に近 いも ので ある

︒こ れは 奈良 時 代 の葛 井寺 千手 観音 像・ 聖林 寺十 一面 観 音 像・ 法隆 寺伝 法堂 中の 間・ 西の 間・ 東 の 間 の 各 阿 弥 陀 三 尊 像 の 蓮 華 座 の よ う に

︑華 盤を 設け ず︑ 敷茄 子が 大き く目 立 つ 姿と は明 らに 異な って おり

︑平 安時 代 初期 の作 例に 共通 する

!

︒ 平 安初 期の 蓮華 座の 構成 と目 立っ た違 いは

︑勝 持寺 像に は蓮 弁と 華盤 の間 にあ る 束が 見ら れな いこ と︑ 受座 の下 方に 当た る部 分が 山形 の縦 列を 並べ てい るこ と︑ 上 框が 見ら れな いこ と等 であ る︒ そし て全 体と して はよ り低 平な 感を 抱か せる 姿と な って いる が︑ これ は小 像で ある とい う理 由も 作用 して いる よう に考 えら れ︑ やは り 基本 的な 構成 は平 安初 期像 と共 通す ると 考え てよ い︒ この よう に台 座の 全体 的形 状 から の考 察の 結果 は︑ 先に 検討 した 本体 の様 式的 位置 づけ と矛 盾す るも ので はな い とい える

挿図12 勝持寺像 台座 挿図13 勝持寺像 台座

挿図14 観心寺如意輪観音坐像 台座 勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 244 ―

(13)

この 上で 勝持 寺像 の平 安初 期密 教像 の蓮 華座 に ない 特 質 は︑ 受座 と 框 に施 さ れ た 意匠 に あ る︒ まず 受 座 の 上面 は

︑ 敷 茄 子 の置 か れ た周 辺 が 浅 く彫 り 込 まれ た 無 文円 と な り︑ そ の外 側 に 帯︵ 縦刻 線 を 廻ら す

︶と 連 珠 文 帯 に 区 切 ら れ て

︑六 葉︵ 三重 で最 上は 七弁 半裁 花︶ が表 わ さ れ︑ その 間 に は三 鈷 が 配 され て い る︵ 挿図 13︶︒

また 受 座 の蹴 込 部 は 刻 線の 枡目

︵各 枡の 中央 に点 を打 つ︶ を地 文と して

︑六 方の 中央 に蓮 弁上 の宝 珠︑ 六方 の入 隅に 二重 弧線

・列 弁・ 三 鈷 か ら なる 文 様 を対 称 に 表 わす

︒框 の 上 面は

︑内 と 外 に浅 い 二 段 から な る 六稜 形 を 設け

︑そ の 間 を 三 条 線 で 区 切 っ て

︑各 々の 中央 に四 弁花 の左 右 に 萼と 独 鈷 から な る 文 様を 置 い てい る

︵挿 12図 13・

︶︒ 框 の 蹴込 部 は

︑弧 線・ 萼・ 尖 葉 の対 称形 と独 鈷杵 を交 互に 六つ 表わ して いる

︵挿 図1

︶︒ この よう に勝 持寺 像の 蓮華 座に は︑ 密教 法具 の三 鈷と 独鈷 の意 匠を 各所 に用 いた 荘厳 がな され てお り︑ 受座 上面 の 六 葉の 間に 三鈷 を配 した 意匠 は︑ あた かも 胎蔵 界曼 荼羅 の中 台八 葉院 を思 わせ るか のよ うで ある

︒そ の点 では

︑受 座 蹴 込部 の三 鈷︑ 框上 面や 蹴込 部の 独鈷 など も︑ 金剛 界曼 荼羅 の三 鈷界 道や 独鈷 界道

︑各 種の 仏画 に描 かれ る界 線を 思 わ せる

︒本 像の 蓮華 座は

︑平 安初 期の 密教 像の 蓮華 座に

︑さ らに 独自 な密 教色 を加 えた もの であ るこ とが 判明 する

︒ 三

光 背 の七 仏

︑ 特に 頂 上 仏 台座

に密 教的 な要 素が 濃厚 であ るこ とを 指摘 した が︑ この 傾向 は光 背に も及 んで いる

︒こ こで は論 述の 都合 によ り 光 背全 体の 検討 をす る前 に︑ 光背 の頂 上仏 に焦 点を 当て たい

︒ 光背 上に は︑ 頂上 に一 仏︵ 挿図 15︶ を置 き︑ 左 右に 各 三 体宛 て の 仏が 配 さ れ てい る

︒左 右 の仏 は

︑本 尊 と 同姿 で

︑ 右 手を 屈臂 して 掌を 正面 に向 け︑ 先述 した よう に左 手は 膝上 にて 掌上 に宝 珠を 乗せ

︑右 足を 上に して 結跏 趺坐 する の

― 245 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(14)

︑薬 師如 来と 見て よい

︵挿 図1

︶︒ し かし 頂上 の仏 は︑ 宝冠 を頂 き︑ 腹前 で定 印を 表わ し︑ 大衣 を偏 袒右 肩に 着し

︑ 右 足を 上に 結跏 趺坐 する 如来 坐像 であ る︒ これ まで 如来 形で 宝冠 を頂 く仏 が何 尊の なか とい う問 題は あま り論 じら れ て こな かっ たが

︑西 川新 次氏 はこ の像 を胎 蔵界 大日 如来 とさ れて いる

!

た だ 残 念 なこ と に 西川 氏 は︑ そ の判 断 理 由 を 述べ てお られ ない

︒ 確か に︑ 後述 する こと から 胎蔵 大日 説に は肯 ける 点が ある

︒し かし

︑大 日如 来の 着衣 は条 帛の みと する のが 通常 で あ り︑ 管見 では 如来 形の 胎蔵 大日 とさ れて いる 像は

︑高 知・ 竹林 寺像 し か 見 つけ ら れ てい な い"

︒ 竹 林寺 像 は

︑頭 部 の 毛筋 を表 わし て梳 き上 げ宝 冠を 被り

︑腕 釧・ 臂釧 をつ け︑ 大衣 を偏 袒右 肩に 着す 定印 の像 であ る︒ 尊名 は大 日如 来 と され てい るが

︑鎌 倉時 代以 降禅 宗寺 院で 多く 見ら れる よう にな る宝 冠釈 迦如 来坐 像の 可能 性が ある

︒例 えば 愛知

・ 国 分寺 の宝 冠釈 迦如 来坐 像は

︑結 髪に 宝冠 を被 り︑ 大衣 を着 し︑ 首飾 りを 着け てい た痕 跡が ある

︒こ のよ うに 竹林 寺

挿図15 勝持寺像 光背頂上仏

挿図16 駝山第一洞主尊 勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 246 ―

(15)

像 を 直 ちに 胎 蔵 大日 如 来 と する の は 危険 で あ り︑ また 仮 に そ うで あ っ たと し て も遡 っ て 鎌 倉時 代 末 の作 例 で あ る か ら

︑如 来形 の胎 蔵大 日如 来が 平安 時代 初期 に存 在し てい たこ との 確証 は得 られ ない

︒こ のよ うな こと から

︑勝 持寺 像 光 背の 頂上 仏を 胎蔵 大日 如来 とす る考 えは

︑取 りあ えず 外し てお くの が穏 当だ ろう

!

︒ そこ で︑ 如来 形で 宝冠 を頂 く尊 像を 考え てみ る と︑ 宝冠 釈 迦 如来 を は じめ

︑阿 弥 陀 如 来と 阿 閦 如来 が あ げ られ る

︒ 宝 冠阿 弥陀 如来 は︑ 金剛 界八 十一 尊曼 荼羅 中に 登場 し︑ わが 国の 早い 例と して は延 暦寺 常行 堂の 本尊 とな った 宝冠 阿 弥 陀如 来像 が知 られ る︒ そし て九 世紀 末か ら十 世紀 に入 ると

︑滋 賀・ 梵釈 寺像 や奈 良・ 当麻 寺像 など がみ られ

︑そ の 後 も宝 冠阿 弥陀 如来 像の 作例 は比 較的 多く 見る こと がで きる

"

︒し かし

︑宝 冠 阿 弥 陀如 来 像 は︑ 阿弥 陀 定 印を 結 ん で お り︑ 勝持 寺像 光背 の像 の法 界定 印と は異 なっ てい る︒ また

︑薬 師如 来の 光背 に宝 冠阿 弥陀 如来 像が 表わ され る教 理 的 な理 由も 見出 し難 いと いえ よう

#

︒ 阿閦 如来 は︑ 阿弥 陀如 来と 同様 に金 剛界 八十 一尊 曼荼 羅中 に宝 冠形 がみ られ る︒ 阿閦 如来 と薬 師如 来の 関係 は︑ 安 然 の﹃ 諸阿 闍梨 真言 密教 部類 総 録﹄ に﹁ 薬 師法 一 巻︿ 澄 和上 集 仁 珍 和上 多 依 阿閦 儀 軌 伝之

﹀﹂

︵︿

﹀ 内は 割 書

︶と あ り$

︑薬 師法 を円 仁や 円珍 は阿 閦儀 軌に よっ て伝 えて いる とす る︒ しか し︑ 祖師 た ち が 薬師 法 を 阿閦 儀 軌 によ り 行 お う と し てい た の かと い う と︑ そ うで も な い史 料 が ある

︒円 珍 の

﹃些 些 疑 問

﹄に は

﹁阿 閦 與 薬 師︑ 或 云 一 仏︑ 或 云 不 同

︑是 非 如 何﹂% と する の で︑ 九 世紀 の 天 台で は 阿 閦 如来 と 薬 師如 来 の 関係 は 決 定 的な も の では な く︑ そ の他 の 尊 格 と の関 係を 含め て揺 れて いる こと が推 測さ れる

︒た だこ こで の問 題に 関し ては

︑阿 閦如 来の 左手 は金 剛拳 で︵ 或い は 衣 端を 掴む

︶︑ 右 手は 指を 伸ば して 触地 印と する から

︑や はり 勝持 寺像 光背 像と は一 致し ない

︒ 残る 釈迦 如来 に関 して は︑ わが 国で 宝冠 釈迦 如来 像が あら われ るの は鎌 倉時 代末 から であ るこ とは 先述 した が︑ 平 安 初期 に遡 れる かの 確証 は得 られ てい ない

︒そ こで より 古い 宝冠 釈迦 如来 像の 作例 を求 める と︑ 最も 著名 なも のに イ

― 247 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(16)

ン ドの ブッ ダガ ヤの 大精 舎内 の奥 室に 祀ら れる 宝冠 釈迦 像が ある

!

︒七 世紀 後半 か ら 八 世紀 に は 中国 で そ の模 像 が 造 ら れた こと が知 られ てい る︒ しか しこ の像 も︑ 右手 を地 に垂 らし た触 地印

︵降 魔印

︶で

︑左 手を 腹前 にお さめ

︑右 足 を 上に 結跏 趺坐 した 宝冠 如来 であ るか ら︑ 勝持 寺像 の姿 には 当て はま らな い︒ では

︑定 印で 宝冠 釈迦 如来 像は とい う と

︑古 い作 例と して は︑ 高田 修氏 がボ ード ガヤ ーの 奉献 小塔 内に は︑ パー ラ朝 の宝 冠仏 の中 に︑ 禅定 印を 結ん で掌 の 上 に 鉢 を載 せ て いる 獼 猴 奉 蜜の 場 景 を表 し た もの が あ る と 述 べ ら れ て い る"

︒こ の 他

︑ス タ イ ン の 敦 煌 蔵 経 洞 将 来

﹁絹 本西 域仏 菩薩 図像 集﹂

︵ニ ュー デリ ー国 立博 物 館所 蔵

︶に お いて 宝 冠 仏四 体 が 認 めら れ

︑そ の うち 中 段 中 央像 は

︑ 膝 上で 禅定 印を 結び

︑両 肩か ら天 衣の よう なも のを 着け て︑ 上半 身は 裸形 と す る#

︒ お そら く 宝 冠釈 迦 如 来で は な か ろ うか

︒こ のよ うに わが 国の 鎌倉 時代 にお いて 宝冠 釈迦 如来 坐像 が登 場す る以 前か ら︑ この 形状 の釈 迦像 がイ ンド

・ 中 国で は準 備さ れて いた こと は確 認で きた

︒し かし

︑イ ンド

・ボ ード ガヤ ー︑ 中国

・敦 煌の 作例 では

︑定 印の 上に 鉢 を 乗せ たり

︑服 装が 大衣 を着 して いな かっ たり して

︑完 全に 勝持 寺像 光背 の頂 上仏 と同 姿の 像と する のは 困難 であ っ た

︒ そこ で最 後に 注目 した いの は︑ 中国 山東 省駝 山第 一洞 主尊

︵挿 16図

︶の 存在 であ る︒ この 駝山 像は 洞内 の造 像銘 記 で 長安 二・ 三年

︵七

〇二

〜〇 三︶ 以前 の造 営と 知ら れ︑ 螺髪 の上 に髻 を表 わし てい るの で︑ 宝冠 は失 われ てい るが も と は被 って いた と判 断さ れる

$

︒そ して

︑衣 を偏 袒右 肩に 着し

︑首 飾り 臂釧 を つ け て︑ 定印 を 腹 前で 結 ん でい る の で あ る︒ 宝冠 と定 印︑ 衣に 関し ては

︑勝 持寺 像と 同 じ姿 と な る︒ ただ 駝 山 像の 宝 冠 仏 の尊 名 に 関し て は︑

﹃ 中国 仏 教 史 蹟

﹄で は 釈 迦と し て いる も の の%

︑ こ の像 に 触 れら れ て いる 小 野 勝 年 氏 は 宝 冠 釈 迦 如 来 と 断 定 さ れ て い る 訳 で は な い

︒し かし

︑金 剛宝 座の 降魔 印の 釈迦 だけ でな く︑ 禅定 印の 釈迦 に宝 冠が あっ ても 不思 議で はな いこ とは

︑次 のよ う に 小野 氏が 述べ られ ると ころ から も認 めら れよ う︒ 小野 氏は

﹃一 切有 部毘 那耶 雑事

﹄仏 現大 神通 事品 に︑ 世尊 の円 光

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 248 ―

(17)

妙 彩は 宝山 王の ごと くで あっ たと され

︑王 に例 えら れて いる こと に着 目さ れる

︒そ して

﹃八 十華 厳﹄ 巻六 如来 現相 品 に は仏 陀の 名前 を無 礙功 徳光 明王 とよ んで い るし

︑﹃ 大 智 度論

﹄に 釈 迦 がも し 在 俗 した ら 転 輪聖 王 た るべ く

︑法 界 に あ って もま た転 輪聖 王に 比す べき 教王 であ った とい う考 えが ある こと を述 べて

︑世 俗の 権威 を示 す宝 冠が 法界 の最 高 権 威者 たる 釈迦 如来 にお くら れる とい うこ とは 必ず しも 不合 理で はな かっ たと され てい る!

︒ とも あれ

︑降 魔印 であ って も宝 冠釈 迦如 来像 は存 在す るこ とが 知ら れ︑ わず かな がら も禅 定印 を結 んだ 宝冠 釈迦 如 来 像と みな され る作 例が

︑パ ーラ 朝の 宝冠 仏や 敦煌 蔵経 洞将 来の 作品 中に 見出 され たの であ るか ら︑ 駝山 像も 宝冠 釈 迦 であ る可 能性 が高 いと みな され よう

︒ま た︑ 駝山 像が

︑僧 形と 菩薩 形の 両脇 侍を 配す る五 尊像 であ るこ とは

︑顕 教 的 な要 素と 判断 でき

︑主 尊が 釈迦 如来 であ ると する 一助 とな ると 思わ れる

︒ この

よう にイ ンド

・中 国で の宝 冠釈 迦如 来像 の検 討か ら︑ 駝山 第一 洞主 尊を この 尊に 比定 でき ると すれ ば︑ 同形 の 勝 持寺 像の 光背 頂上 仏も

︑宝 冠釈 迦如 来と でき よう

︒ま た先 に消 去法 的に 胎蔵 大日

︑宝 冠阿 弥陀 如来 及び 阿閦 如来 を 除 いた こと から も︑ 勝持 寺像 光背 の頂 上仏 は宝 冠釈 迦如 来像 が妥 当と なっ てく るの では なか ろう か︒ そし てこ のこ と を 裏付 ける よう に︑ わが 国の 事相 書の 中で 以下 のよ うな 考え のあ るこ とが 見出 せて くる

︒そ れは 天台 にお いて も真 言 に おい ても

︑薬 師如 来は

︑胎 蔵大 日あ るい は釈 迦如 来と 同一 であ ると する 考え であ る︒ この 考え につ いて は︑ かつ て 慈 円の

﹃四 帖秘 決﹄ の内 容に 沿っ て述 べた こと があ る"

︒ 改め て︑ 当稿 の内 容に 即し て関 係史 料を みて おき たい

︒ まず 台密 では

︑大 原長 宴︵ 一〇 一六

〜一

〇八 一︶ が皇 慶︵ 九七 七〜 一〇 四九

︶に 随従 して 質問 し得 た答 えを 筆録 し た

﹃四 十帖 決﹄# を みよ う︒

― 249 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(18)

永 承元 年七 月二 十日 於谷 御房

︒問

︑台 藏に 依り て藥 師の 法を 修す るに

︑如 何か 本尊 を想 ふべ き耶

︒答

︑凡 そ大 法 に 對し て一 切の 別尊 を修 する 之時

︑只 大日 即本 尊と 想へ

︒更 に別 異無 き耳

︒是 普通 師説 也︒ 又師 説云

︑無 能勝 は 即 是薬 師と 想へ と云 々︒ 又師 説に 云︑ 釈迦 薬師 は即 同尊 也︑ 故釈 迦の 忿怒 無能 勝の 明と 薬師 の明 同也 云々

︑故 に 東 門の 釈迦 即薬 師と 想ふ 可也 と︒

︵ 以下 略︶ こ

こで は︑ 両界 曼荼 羅に 入ら ない 薬師 如来 の修 法に つい て︑ 胎蔵 法に よっ て行 うべ きで ある とす るこ とや

︑そ の際 の 本 尊の こと に対 して 質問 をし た答 えを 述べ てい る︒ その 答え には

︑胎 蔵法 のよ うな 大法 で別 尊で ある 薬師 法を 修す る と き は︑ 大 日如 来 は 本尊 で あ る 薬師 如 来 と想 う べ きで あ る と する の が︑ 普 通︵ 通常

︶時 の 師 であ る 皇 慶 の 考 え で あ る

︒ま た 師 であ る 皇 慶が 説 く に は︑ 釈迦 と 薬 師は 同 尊 であ り

︑そ の 理 由は 釈 迦 の忿 怒 身 であ る 無 能 勝︵ 明 王︶! の 明

︵真 言

︶と 薬 師 の 真 言 は 同 じ で あ る か ら"

︑ 胎 蔵 曼 荼 羅 中 で 東 門 に 位 置 す る 釈 迦 は 即 ち 薬 師 で あ る と 思 え と し て い る#

︒薬 師法 は胎 蔵法 でお こな い︑ 大日 と薬 師を 同じ とみ ると いう 点に

︑先 に西 川 氏 が 指摘 さ れ た胎 蔵 大 日如 来 説 が 捨 て難 い点 が出 てく るの であ るが

︑こ こで は密 教の 中で 薬師 如来 は釈 迦如 来に 他な らな いと いう 考え が認 めら れて い る こと に注 意し たい

︒ また 東密 にお いて も︑ 覚禅

︵一 一四 三〜 一二 一三

︶の

﹃覚 禅鈔

$ にお い て は︑

﹁ 胎蔵 大 日 薬師 習 故︑ 秘 説用 法 界 定 印

︿千 手鉢 手定 印同 心也

﹀究 竟伝 也︑ 東寺 金堂 安薬 師︑ 講堂 安金 剛界 大日

︑是 即安 置両 部大 日心 歟﹂ とし て︑ 胎蔵 大 日 と薬 師が 一体 であ るこ とを 述べ

︑続 いて

﹁釈 迦薬 師同 体異 名仏 也︑ 故無 能勝 真言 薬師 呪︑ 無能 勝釈 迦也

︑又 釈迦 薬 師 形像 印契 全同 也云 々﹂ とし て︑ 先の

﹃四 十帖 決﹄ と同 じく 無能 勝真 言が 薬師 真言 と同 じで ある から

︑釈 迦と 薬師 は 同 体異 名だ とし てい る%

︒ ここ では さら に理 由と して

︑両 尊の 印契 が同 じで あ る こ とを あ げ てい る が︑ こ れは 先 に 述

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 250 ―

(19)

べ た智 吉祥 印と も関 わる 問題 であ る︒ 以上

から

︑勝 持寺 像の 光背 の頂 上部 の仏 像を 釈迦 如来 とみ るこ とが 許さ れる と考 える

︒そ うで あれ ば︑ 薬師 と釈 迦 が 同一 であ ると いう 考え に基 づき

︑密 教の 中で 薬師 を位 置づ ける 際に

︑密 教の 釈迦 とし て宝 冠釈 迦像 が用 いら れた と 解 する こと がで きる ので はな かろ うか

︒先 に指 摘し たよ うに

︑台 座に おい ては 受座 に中 台八 葉院 を思 わせ る意 匠が あ り

︑框 の周 囲に 独鈷 が廻 らさ れて いた

︒次 章で 述べ る光 背に おい ても

︑本 尊の 後頭 部に 当た る所 に︑ 三鈷 を出 した 宝 甁 があ るが

︑こ れは 胎蔵 界曼 荼羅 中台 八葉 院の 四隅 に用 いら れる 宝甁 に近 い︒ この よう に本 像は

︑薬 師如 来を 密教 の 中 に位 置づ けよ うと する 様々 な考 えに より 造ら れた 像だ と言 えよ う︒ そし て︑ 薬師 如来 と釈 迦如 来︑ 胎蔵 大日 如来 が 一 体で ある とい う考 えは

﹃四 十帖 決﹄ の皇 慶説 が古 いと みら れる が︑ 本像 が造 られ 今に 伝来 して いる 意義 は︑ 九世 紀 前 半に 遡っ て︑ 薬師 と釈 迦を 一体 とす る考 えの あっ たこ との 証と なる 点に もあ ると 思わ れる

︒ 注

﹃ 平 安 時 代 史 辞 典

﹄ に 竹 居 明 男 氏 の 解 説 が あ り

︑ 開 山 は 役 小 角 で

︑ 延 暦 十 年

︵ 七 九 一

︶ 桓 武 天 皇 勅 願 に よ り 伝 教 大 師 が 再 興 し て 薬 師 如 来 を 本 尊 と し

︑ 仁 明 天 皇 の 勅 願 で 四 十 九 院 を 建 て

︑ 仁 寿 年 間

︵ 八 五 一

〜 五 四

︶︑ 仏 陀 上 人 が 文 徳 天 皇 の 帰 依 を 得 て 大 原 院 勝 持 寺 と 改 名 し

︑ 清 和

・ 醍 醐 天 皇 も 帰 依 し 伽 藍 が 整 備 さ れ て い っ た と す る

﹃ 山 州 名 跡 志

﹄ に は 以 下 の よ う に あ る

︒﹁ 当 寺 古 へ は 諸 堂 僧 坊 備 わ り

︑ 釈 迦 堂

︑ 阿 弥 陀 堂

︑ 護 摩 堂

︑ 三 重 塔

︑ 及 び 塔 頭 四 十 九 院 あ り

︒ 其 の 所 跡 存 し 字 と 為 す

︒ 院 僧 の 中

︑ 衆 徒 と 行 人 方 の 二 流 有 り

︒ 是 れ 併 ら 中 興 已 来 の 義 な り

︒ 開 基 役 行 者

︑ こ の 時 自 作 の 不 動 を 以 て 本 尊 と 為 し 大 原 院 と 号 す

︒ 中 興 仏 陀 上 人 本 尊 薬 師 仏

︿ 今 の 如 し

﹀ 人 皇 五 十 五 代 文 徳 帝 仏 陀 上 人 御 帰 依 あ つ て 伽 藍 を 造 営 す

︒ 然 の 後 代 々 の 天 子 勅 願 御 祈 祷 所 と な し 玉 へ り

︒ 延 長 年 中 に 至 て 小 野 道 風

︑ 額 を 書 か し む 今 尚 あ り

︒ 仏 陀 の 伝 詳 ら か な ら ず

︒ 一 書 に 云 く

︑ 千 観 内 供 也 と

⁝ 是 よ り 先 伝 教 大 師 延 暦 寺 成 功 後

︑ 当 山 に 登 上 す

⁝ 手 ず か ら 数 体 の 仏 像 を 造

― 251 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(20)

立 安 置 セ リ 前 記 の 如 し

﹂︒

﹃ 新 修 京 都 叢 書

﹄ 所 収

︒ 胎 内 仏 の 伝 承 は

︑﹃ 密 教 美 術 大 観 第 二 巻 如 来

・ 観 音

﹄︵ 朝 日 新 聞 社 一 九 八 三

︶ の 解 説 な ど に み え る

⑶ 本 像 に は

︑ 五 鈷 の 表 現 は 無 い

︒ 他 の 地 誌 に は

︑ 内 仏 や さ ら に こ の 様 な 詳 細 な 記 述 は な く

︑﹃ 山 城 名 跡 巡 行 志

﹄ の 筆 者 は 実 物 を 見 て い る と 言 え よ う

⑷ 拙 稿

﹁ 京 都 大 原 野

・ 勝 持 寺 本 尊 薬 師 如 来 坐 像 考

│ 慈 円

・ 薬 師 行 法 と の 関 係

﹂︵

﹃ 仏 教 芸 術

﹄ 三 三 一 二

〇 一 三

⑸ 暗 紫 色 は

︑ 蘇 芳 に よ り 染 め て い る と 思 わ れ る

⑹ 切 金 線 は 左 脇 下

︑ 左 肩 口

︑ 両 足 脛

︑ 右 大 腿 部 外 側

︑ 右 脇 腹 に 残 り

︑ 台 座

・ 光 背 に も 認 め ら れ る

⑺ 大 正 図 三 八 七 a 世 間 流 布 像 有 二 様 一 者 揚 右 手 垂 左 手

︑ 是 東 寺 金 堂 並 南 京 薬 師 寺 像 也

︑ 但

︑ 以 右

︵ 左 カ

︶ 足 押 右 脛 坐 像 也 二 者 左 手 持 薬 壷

︑ 以 右 手 作 施 無 畏

︑ 或 右 手 曲 水 指

︑ 或 火 空 相 捻

⑻ T 一 九 二 九

⑼ T 七 六 二 一 b

⑽ 印 抄 の こ と で あ れ ば

︑﹃ 阿 娑 縛 抄

﹄ に

﹁ 円 融 坊 座 主 抄

﹂︵ 大 正 図 8 一

〇 四 六 a

︶︑

﹁ 良 真 座 主 抄

﹂︵ 大 正 図 8 一

〇 六 七 a

︶ と あ り

︑ 良 真 は 一

〇 八 一

〜 一

〇 九 三 年 の 治 山 で あ る

⑾ ま た

﹃ 三 昧 流 口 伝 集

﹄ 巻 上 に お い て も

︑﹁ 中 道 ノ 説 ニ 云

︒ 結 三 界 印 ト ハ 者

︒ 若 シ 是 大 指 頭 指 相 捻 ス ル 印 歟

︒ 所 以 ハ 何 ソ

︒ 不 動 立 印 軌 ノ 中 十 四 印 最 後 ノ 印 者 件 ノ 印 也

︒ 以 此 ノ 印 爲 辟 除 結 界 ノ 印 ト

︒ 故 云 結 三 界 ト 歟 巳 上

﹂ と し て

︑ 理 由 は 異 な る が 第 一 指 と 第 二 指 を 捻 じ る 印 と し て い る

⑿ 右 手 第 一

・ 二 指 を 捻 じ る 薬 師 如 来 像 と し て は

︑ 奈 良

・ 薬 師 寺 金 堂 本 尊 像 が あ げ ら れ る が

︑ 左 手 の 薬 壷 は な い

⒀ 注

⑷ 拙 稿

⒁ 伊 東 史 朗

﹁ 薬 師 如 来 像 の 薬 器

﹂︵

﹃ 平 安 時 代 彫 刻 史 の 研 究

﹄ 名 古 屋 大 学 出 版 会 二

︶︒ 伊 東 氏 は

︑ 理 由 を 述 べ ら れ て い な い が

︑ 勝 持 寺 像 の 薬 壷 を 当 初 と み ら れ て い る

⒂ 大 日 経 義 釈 の 説 は 確 か め ら れ て い な い

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 252 ―

(21)

⒃ 大 正 図 3

⒄ 水 野 敬 三 郎

﹁ 金 堂 本 尊 像 と 平 安 初 期 彫 刻 の 展 開

﹂︵

﹃ 大 和 の 古 寺 六 室 生 寺

﹄ 岩 波 書 店 一 九 八 一

⒅ な お

︑ 請 来 檀 像 で あ る 高 野 山 の 枕 本 尊 や 普 門 院 の 諸 尊 仏 龕 と 比 較 す る と

︑ 作 風 が 全 く 異 な り

︑ 本 像 は わ が 国 で の 造 像 と 考 え て お き た い

⒆ 特 別 展

﹃ み ち の く の 仏 像

﹄︵ 東 京 国 立 博 物 館 二

〇 一 五

︶ 解 説

⒇ 西 木 政 統

﹁ 岩 手

・ 黒 石 寺 薬 師 如 来 坐 像 と 像 内 銘 記

﹂︵

﹃MUSEUM

﹄ 六 五 九 二

〇 一 五

!

﹃ 日 本 美 術 院 彫 刻 等 修 理 記 録

﹄︵ 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 史 料 第 十 六 冊 一 九 七 九

"

注! の 記 録 で は

︑ 上 よ り 二 段 が 一 材 と な っ て い る が

︑ 誤 記 で あ ろ う

# こ の 目 違 い の 理 由 は 不 明 で あ る が

︑ 本 体 の 裳 先

︑ 台 座 の 衣 文 線 は 共 に

︑ 材 質 や 彫 口 か ら 当 初 と 判 断 さ れ る

$ 平 安 後 期 の 台 座 で あ る 平 等 院 鳳 凰 堂 像 と は

︑ 敷 茄 子 及 び 受 座 の 形 が 異 な っ て お り

︑ 勝 持 寺 像 台 座 が 平 安 初 期 像 に 近 い こ と が こ こ か ら も 知 ら れ る

︒ 奈 良 時 代 の 台 座 に 関 し て は

︑ 拙 稿

﹁ 聖 林 寺 十 一 面 観 音 像 の 台 座

・ 光 背

│ 天 平 期 荘 厳 具 の 試 論 と し て

﹂︵ 平 成 12 年 度

〜 14 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金

・ 研 究 成 果 報 告 書

﹃ 日 本 上 代 に お け る 仏 像 の 荘 厳

﹄ 奈 良 国 立 博 物 館 二

〇 三

︶ を 参 照 さ れ た い

% 西 川 新 次

﹁ 薬 師 如 来 坐 像

﹂︵

﹃ 大 和 古 寺 大 観 第 四 巻 新 薬 師 寺

・ 白 毫 寺

・ 円 城 寺

﹄ 岩 波 書 店 一 九 七 七

︶︒ ま た 冨 島 義 幸

﹁ 阿 弥 陀 如 来 像 の 大 日 光 背 に つ い て

﹂︵

﹃ 仏 教 芸 術

﹄ 三

〇 一 二

〇 八

︶ で も

︑ 胎 蔵 大 日 と し

︑ 阿 弥 陀 如 来 の 光 背 で 頂 上 の 一 体 を 大 日 と す る 形 式 は

︑ 勝 持 寺 像 の よ う な 密 教 像 を も と に し た と さ れ て い る

&

﹃ 密 教 美 術 大 観 第 二 巻 如 来

・ 観 音

﹄︵ 朝 日 新 聞 社 一 九 八 三

︶ 所 収 の 解 説 '

﹃ 日 本 美 術 全 集 4 密 教 寺 院 か ら 平 等 院 へ

﹄︵ 小 学 館 二

〇 一 四

︶ の 私 の 解 説 は

︑ 竹 林 寺 像 よ り 推 定 し た が

︑ 本 文 の 如 く 修 正 を 必 要 と す る

︒ な お

︑ 宝 冠 の な い 金 剛 界 の 如 来 形 大 日 は 韓 国 に み ら れ る

︒ ( 宝 冠 阿 弥 陀 像 に つ い て は

︑ 拙 稿

﹁ 螺 髪 宝 冠 阿 弥 陀 如 来 像 に つ い て

﹂︵

﹃ 美 術 研 究

﹄ 三 四 三 一 九 八 九

︶ お よ び

︑ そ こ で 述 べ て い る 参 考 文 献 を 参 照 さ れ た い

︒ ま た 近 年 で は

︑ 平 野 智 子

﹁ 両 脇 侍 を 伴 う 宝 冠 阿 弥 陀 如 来 像 に 関 す る 考 察

│ 鎌 倉 英 勝 寺 阿 弥 陀 三 尊 像 龕 を 中 心 に

﹂︵

﹃ 美 術 史

﹄ 五 九

︵ 一

︶ 二

〇 九

︶︑ 古 幡 昇 子

﹁ 常 行 堂 宝 冠 阿 弥 陀 如 来 像 の 典 拠 図 像 と 造 像 背 景: 鎌 倉 時 代 を 中 心 に

﹂︵

﹃ 密 教 図 像

﹄ 三 一 二

〇 一 二

︶ な ど が あ る

︒ ) 法 界 定 印 の 阿 弥 陀 如 来 が 存 在 す る こ と も 知 ら れ て い る

︵ 武 田 和 昭

﹁ 定 印 の 阿 弥 陀 如 来 像 に つ い て

│ 法 界 定 印 阿 弥 陀 如 来 像 を

― 253 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(22)

中 心 と し て

﹂︿

﹃ 仏 教 芸 術

﹄ 二 三 二 一 九 九 七

﹀︶ が 宝 冠 仏 は 見 い 出 せ な い

︒ 後 世

︑ 薬 師 と 阿 弥 陀 も 一 体 と 解 せ る 考 え が

︑ 以 下 の よ う に 出 て く る

︒ 伝 教 大 師 が 一 木 で 釈 迦 弥 陀 薬 師 三 仏 像 を 造 り

︑ そ の 余 材 で 多 聞 大 黒 の 二 天 を 造 っ た 礼 讃 文 と 言 う

﹁ 三 仏 礼 誦 文

﹂︵

﹃ 伝 教 大 師 全 集

﹄ 五 三 六 七

︶ に

﹁ 周 遍 法 界 大 日 如 来 妙 法 教 主

︑ 亦 名 釈 迦 大 悲 有 餘 亦 住 西 方 極 楽 世 界 名 阿 弥 陀

︑ 像 法 転 時 以 大 方 便 称 号 薬 師 瑠 璃 光 仏

︑ 三 世 利 益 同 體 慈 悲

﹂ と い う 文 言 が あ る

︒ 同 様 な 考 え は

﹁ 我 心 及 身 土

︑ 周 遍 清 浄 故

︑ 與 十 方 諸 仏 和 合

︑ 同 一 體 毘 盧 舎 那

︑ 舎 那 釈 迦 薬 師 阿 弥 陀 等

︑ 一 切 諸 仏

︑ 皆 悉 與 我 一 體 無 二

﹂︵

﹁ 阿 若 集

﹂ 仏 全

・﹃ 智 證 大 師 全 集

﹄ 四 一 二 一 八 a

︶ と あ り

︑ こ の 同 文 は

﹁ 自 行 略 記

﹂︵

﹃ 恵 心 僧 都 全 集

﹄ 五 五 九 九

︶ に も み え る

︒ た だ こ れ ら の テ キ ス ト が

︑ そ れ ぞ れ の 祖 師 の も の か は 疑 問 が あ る

︒ ま た 注,

﹃ 総 持 抄

﹄ に も み え る

! T 五 五 一 一 一 七 c

"

大 日 本 仏 教 全 書

﹃ 智 證 大 師 全 集

﹄ 第 三 一

〇 四 九 b

# 宝 冠 仏 に 関 し て は

︑ 高 田 修

﹁ 宝 冠 仏 の 像 に つ い て

﹂︵

﹃ 仏 教 芸 術

﹄ 二 一 一 九 五 四

︶︑ 小 野 勝 年

﹁ 宝 冠 仏 試 論

﹂︵

﹃ 龍 谷 大 学 三 百 三 十 周 年 記 念 論 文 集

﹄ 一 九 六 九

︶ が あ る

$ 注# 高 田 論 文

% 肥 田 路 美

﹁ 敦 煌 蔵 経 洞 将 来

﹁ 絹 本 西 域 仏 菩 薩 図 像 集

﹂ の 初 歩 的 考 察

│ ニ ュ ー デ リ ー 国 立 博 物 館 所 蔵 断 片 の い く つ か の 図 像 を 中 心 に

﹂︵

﹃ 早 稲 田 大 学 大 学 院 研 究 科 紀 要

﹄ 第 三 分 冊 六 十 二

〇 一 五

&

注# 小 野 論 文 '

﹃ 中 国 仏 教 史 蹟

﹄ 七 巻 六 七 頁 ( 注# 小 野 論 文 ) 注

⑷ 拙 稿

︒ こ の 拙 論 中 に

︑ 三 崎 良 周 氏 が 釈 迦 印 と 薬 師 印 の 共 通 性 を 丁 寧 に 論 じ て お ら れ る こ と も 紹 介 し て あ り 参 照 さ れ た い

* T 七 五 九 五 一 b +

﹃ 密 教 辞 典

﹄︵ 法 蔵 館

︶ に よ れ ば

︑ 無 能 勝 は 無 能 勝 明 王 の こ と で

︑ 釈 迦 が 菩 提 樹 下 で 成 道 の 際

︑ 降 魔 の 徳 に よ っ て 釈 迦 の 眷 属 と し て 随 従 す る し

︑ ま た 釈 迦 の 忿 怒 身 と も い う

︑ と さ れ る

︒ , 台 密 の 他 例 と し て

︑ 澄 豪

︵ 一 二 五 九

〜 一 三 五

︶ が 台 密 の 師

︑ 承 澄 の 口 決 相 承 を 集 め た

﹃ 総 持 抄

﹄︵ T 七 七 五 六

︶ 薬 師 法 事 に

︑ 種 字 の 解 釈 を 基 に

︑ 釈 迦 薬 師 は 異 な ら ず と す る

︒ ま た 薬 師 と 阿 弥 陀 が 一 体 と 習 う こ と が あ る と す る

勝持寺薬師如来檀像について(上) ― 254 ―

(23)

!

﹃ 四 十 帖 決

﹄ で は

︑ 本 文 で 引 用 し た 部 分 に つ づ い て

︑ や や 空 い て

﹁ 故 又 此 台 蔵 曼 荼 羅 修 薬 師 法 時

︑ 勧 請 彼 浄 瑠 璃 界 台 曼 荼 羅 故

︑ 彼 大 日 即 薬 師 智 處 身 一

︑ 東 門 即 薬 師 教 流 布 耳

﹂ と し て い る

︒ 胎 蔵 曼 荼 羅 で 薬 師 法 を 修 す る 時 は

︑ 薬 師 の 浄 瑠 璃 界 を 胎 蔵 曼 荼 羅 に 勧 請 す る の で

︑ 大 日 と 薬 師 は 同 尊 と な り

︑﹁ 彼 大 日 即 薬 師 智 處 身 一

︑ 東 門 即 薬 師 教 流 布 耳

﹂ と し て い る

"

図 四 四 一 二 b

# 建 久 五 年

︵ 一 一 九 四

︶ 成 立 の 興 然 の

﹃ 四 巻

﹄︵ T 七 八 八

〇 三 b

︶ に お い て も 同 様 で

︑﹁ 釈 迦 薬 師 同 体 異 名 之 仏 也

︑ 釈 迦 即 薬 師 故

︑ 無 能 勝 真 言 薬 師 之 真 言 用 也

︑ 形 像 印 契 倶 一 体 也

︑ 仍 作 形 像

︑ 必 此 二 尊 以 左 足 置 右 膝 之 上 結 跏 趺 坐

︑ 於 餘 尊 者 全 無 此 結 跏 義

︑ 普 通 皆 左 下 故 也

︑ 胎 蔵 之 東 方 浄 菩 提 心 門 居 給

︑ 釈 迦 即 薬 師 知 也

︑ 不 知 此 故 迷 此 義 也 保 元 元 年 五 月 四 日 奉 伝 之

興 然

﹂ と あ る

︒ ま た 東 密 の 他 例 と し て は

︑ 弘 長 二 年

︵ 一 二 六 二

︶ 成 立 の 頼 瑜

﹃ 薄 草 紙 口 訣

﹄︵ T 七 九 一 七 九

︶ に お い て

︑ 法 界 定 印 の 口 伝 に 関 し て

︑﹁ 又 深 祕 云

︒ 藥 師 即 習 胎 藏 大 日 也

︒ 此 時 定 印 即 観 藥 鉢 也

︒ 日 野 藥 師 堂 號 法 界 寺

︒ 可 思 之

︒﹂ と し て い る

︒ 挿 図 出 典 挿 図 1

・ 2

﹃ 日 本 美 術 全 集 4

﹄︵ 小 学 館

︶︑ 挿 図 6

・ 7

﹃ 正 倉 院 宝 物

﹄ 2

・ 7

︵ 毎 日 新 聞 社

︶︑ 挿 図 9

・ 14

﹃ 日 本 彫 刻 史 基 礎 資 料 集 成 重 要 作 品 篇

﹄ 二

・ 三

︵ 中 央 公 論 美 術 出 版

︶︑ 挿 図 10

﹃ 日 本 彫 刻 史 論 集

﹄︵ 西 川 新 次 中 央 公 論 美 術 出 版

︶︑ 挿 図 11

﹃ 特 別 展 仏 像

﹄︵ 東 京 国 立 博 物 館

︶︑ 挿 図 16

﹃ 中 国 石 窟 雕 塑 全 集 6

― 255 ― 勝持寺薬師如来檀像について(上)

(24)

参照