ドラマトウルギ一におけるアリア(エール)
‑18世紀フランス・オペラ
《ロラン》 と
はじめに
一体オペラとは演劇の一種なのだろうか。あるいはそ れとは一線を画した音楽芝居入りスペクタクルなのだろ うか。知識人を常に騒がせるこの永遠のテーマについて、
フランスの場合、その創成期から2つの論争を通して長 い間議論され続けて来た。
17世紀の後半に頂点を築いた、初めてのフランス・オ ペラであるトラジェデイ・リリックは、同時期のイタリ ア・オペラと比較すると実に演劇的なオペラに思える。
リュリLullyの音楽はエール・ド・クール時代より磨き 抜かれた宮廷趣味を反映したものであったが、台本に対
してそれは控えめである。イタリア・オペラのように一 人の歌手が長々とダ・カーポ・アリアを披露し、その技 巧を見せつけるような場面はほとんどない。台本を犠牲 にして勝手にアリアを挿入したり、順番を入れ替えたり などということもない。
18世紀に入り、 1752年のペルゴレージPergolesi 《奥 様女中LaServapadrona》パリ上演に始まるイタリア.
オペラ・ブッフア導入によって、オペラにおけるリュリ 風の古いフランス音楽の使用を見直そうという方向性が 示される。その結果フランスでは、イタリア式エール(ア リア) ‑の興味が強くなっていくのだが、このエールの 特徴とはまず第‑に、シンメトリカルな美である。しか しながら、プロットを犠牲にせずにこれをオペラに導入 することが大きな課題となり、当初は困難に思われた。
ブフォン論争(1752‑54)も、その後に起こったグルッ ク、ピッチンニ論争(1777‑79)も、政治的な様相を呈
しつつ、やはりどちらにおいてもフランスの美学を守る か否かという争点が提示されていた。しかしながらグ ルック、ピッチンニ論争期になると、以前に比べれば、
すでにイタリアの音楽はオペラに深く浸透していたので ある。例えば独唱部分において、徐々にフランス式は廃 れ、イタリアのアリエツトやレシタティフ・オブリジェ
(レチタティーヴオ・オブリガ‑ト)を採用するように なっていた(1)。また、ヴォカリ‑ズを用いた技巧的な作 曲法も、イタリアから得たものであった。つまり、オペ ラにおけるフランスとイタリアの融合は成されつつあっ たのだ。そして次の段階として、筋を一旦止めてしまう ダ.カーポ・アリアのようなイタリア式エール(アリア) を悲劇の中へどのように挿入していくかか、オペラにお けるドラマ性を重視したフランス人たちにとっての大き な課題となるのである。
《アテイス》の場合
森 佳 子
本稿ではイタリア派として知られ、グルック、ピッ チンニ論争の影の立役者でもある台本作者、ジャン‑
フランソワ・マルモンテルJean‑FranQoisMarmontel (1723‑1799)の2作品におけるエール(アリア)に焦点 を当て、どのようにイタリア式エールが採用されている か、そしてグルックと比較した場合、一般に言われるよ うに彼のオペラが真にイタリア的と言えるかどうかにつ いて検証する。
1.マルモンテルとその著書『文学の諸要素』
ジャン‑フランソワ・マルモンテルは文学者、思想家 でもあり、百科全書派として知られている。彼のオペラ 台本作家としてのキャリアは、実はラモーRameauとの 4つの共作から始まっていた(2)。ピッチンことは1778 年から1785年の間にコンビを組み、リュリ作曲、キノー Quinault台本《ロランRoland≫および《アテイスAtys≫
の改作を行ったD それ以外に2つのオリジナルのトラ ジェデイ・リリックを書き(3)、またグレト')Gretryと はオペラ・コミックのために6つもの作品を残し、成功 した(4)。
一説によれば(ジヤングネGingueneの言)ピッチン 二がパリにやって来た当時、彼はフランス語が理解出来 なかったようである。しかしマルモンテルはこれを手取 り足取り教え、ピッチンことの共作を実現したのだと言 われる。グルックGluckはその才能を恐れ、ピッチンこ のパリ入りに震えあがったという(5)。ちょうどピッチン 二と《ロラン≫を制作していたころ、マルモンテルは『フ ランス音楽の変遷に関する考察Essai sur les revolutions de la musique en France,』 (1777)において、グルックを 激しく攻撃し、イタリア音楽を賞賛している。
マルモンテル著『文学の諸要素Elemens de Htterature,』
の中には、音楽、オペラに関するあらゆる項目が設けら れているが、そこで述べられる思想は百科全書派の中で も特殊なものであろう。非常に興味深いのはバロック・
オペラ特有のメルヴェイユーについての考え方である。
彼は<メルヴェイユー>という項目を設け、長い説明を 加えているが、すべての主題(喜劇、悲劇を含めて)に おいてメルヴェイユーは排除されないとしている。ただ し、超自然、神話、魔法は興味を半減させるものと見な し、自然のなかで起こる驚異をメルヴェイユーとして尊 重した(6)それでいながら、リュリの台本作者キノーを 高く評価し、例えば《ロラン》のバストラールの場面(村 の婚礼)には大そう感心していたため、改作する場合に
なるべくこれを維持するよう心がけたという(7)ここ で触れる 《ロラン≫《アテイス≫以外に、同じくリュリ、
キノーの《ベルセPersee≫の改作にも乗り出し、フイリ ドールPhilidorに作曲を担当させたが、こちらは成功出 来なかったという。
マルモンテルは、エール(アリア)はイタリア人によ る優れた発見であり、このように音楽モチーフを膨らま せ、左右対称化する芸術はフランス人が今まであまり知 らなかったことで、大いに取り入れるべきだと述べてい る(8)その一方で彼は『文学の諸要素』の中で、客観的 にイタリア的手法の欠点も指摘しているのである。例え ばその<オペラOpera>の項目の中で、 「私は美化する 代わりに、彼ら(イタリア人)が悲劇(トラジェデイ) を駄目にしたという事実を支持します。それは、彼らの 詩が音楽家に従うことを強要されていたという犠牲によ るだけでなく、音楽には真実や迅速さ、そして表現の情 熱に対して、それがなす誤りを埋め合わせることが出来 か、からです。」(9)「なぜ私たちは、表現の真実が音楽 的抑揚によって休みなく変化づけられているスペクタク ルを取り入れたのでしょうか?詩人はこの強制に従っ たのでしょうか?‑‑彼(詩人)はイタリアの詩人が知 らない他の悩みを課せられていなかったのでしょうか?
答えは間違いなく‑是、です。しかし観客は、他のジャ ンルの喜びによって償われるのです。これが、イタリア の方法よりフランスの方法がより理に適っているところ なのです。」 (10) 「音楽的な表現は、荒々しい場面や情熱的 な動きにしか合わないと言います。しかし荒々しい表現 だけが、単純なデクラメーションより優位に抑揚が達す る唯一のものなのでしょうか。心(鶴)が動いている全 ての場合・‑‑落ち着きのある冷静な語法よりも、より快 活で目立った表現が生じるのでしょうか?ここにはと
くに、エールをレシタティフ・サンプルと区別するもの があります。 ・・‑・それはメルヴェイユーという方法の中 で、歌の性格における尽きることのない多様性から繊細 なオペラを取り戻すものなのです。」 11などと述べてい る。つまり彼は、イタリア式エール(アリア)はレシタ ティフと違って真実の描写方法としてはかなり限定され たものであり、その挿入を上手く解決するには、フラン スでより好まれて来たメルヴェイユーを利用することが 有効だと主張しているのである。
2.フランス・オペラとイタリア式エール(アリア) イタリア式エール(アリア)の導入
啓蒙思想家たちはフランス・オペラ‑のイタリア音楽 導入をどう考えていたのか。例えばルソーRousseauが
『フランス音楽への手紙Lettre sur la musiquefrangaise.』
(1753)の中で「フランス音楽には拍子も旋律もない」 「フ ランス語の歌は先入観のない耳には絶えられない叫び声 の連続でしかない」(12)などと述べ、フランス音楽への絶 望感を示しているのは有名な話である。また彼はここで リュリの《アルミ‑ドArmide》批判を徹底的に行い、イ タリア語から生まれた旋律をフランス語に結びつけるこ
‑ 52
とは難しく、喜劇の分野でいくつか成功出来たとしても、
悲劇のジャンルでは全く不可能だろうと予告している。
そして手紙の終わりにおいて、彼はオペラ・コミック座 で喝乗を受けたある作曲家を評価し、 「喜劇のジャンル をできるだけ仔細にフランス語に翻訳した」と書き、か ろうじて喜劇オペラにおけるフランス語の可能性を示し ている。また彼は、当時の大作曲家であるラモーに見ら れるような複雑さ‑とくにその和声を否定し、 「単純性
(サンプリシテSimplicite)」を主張した(13)っまりこれ は、イタリアのオペラ・ブッフアに見られるメロディー 重視と意味を同じくしていた。
一方デイドロDirdrotは『ラモーの甥LeNeveude Rameau』の中で、ドウニDuniやフイリド‑ル(オペラ・
コミックの作曲家)のエ‑ルの分析を行い、 「デクラメー ションの模倣はメロディーラインを生み出す」ことを理 論化しようと試みている。ドウニはイタリア人である が、イタリアのアリアやアンサンブルをフランスの舞曲 やヴオ‑ドヴイルに当てはめて見せた作曲家である(14)。
デイドロは新しい「詩的ドラマ‑オペラ」が生まれるこ とを望んでいたし、ドウニやフイリドールはその先鞭を 付けた作曲家であった。しかしながら当時はまだ、そこ に達するには遠い道のりがあると彼は感じていたようで ある。ルソー同様、喜劇の分野ではフランスとイタリア の融合が可能であるが、悲劇ではまだ難しいという認識 が彼にもあったのである。
また和声に関しては、デイドロはルソーと異なり、こ れを全面否定することはしていない。ラモーが「和声は 自然なもの」と捉えていたのに対し、デイドロは難解な 音楽とは和声的であり、メロディーだけの庶民的かつ原 始的な音楽とは対照的であると考えた(15)彼によれば、
和声の複雑さはその国の文化的発展の段階に応じていく ものであり、メロディーラインによる単純性は「自然 な」性格を証明するもので、逆に和声は教育され、訓練 された耳だけが受け入れられるという。デイドロは一見 ラモーを支持しているようで、暗に「和声は自然である」
というラモーの考えは拒否しているのである。
マルモンテルも、悲劇と喜劇の両分野においてイタリ ア音楽を導入するにあたり、喜劇のほうでは上手く行き 始めたと語っている。例えば彼は、オペラ・コミックの 作曲家グレトリはある程度、イタリア音楽の導入に成功 したとしている。また、彼の音楽にピッチン二やサッ キーこ、パイジェッロのような魅力や豊かさがないとし ても、そのリズムや抑揚、韻律法は使えたとしている。
彼はそれゆえに、喜劇の分野ではフランス語にイタリア 音楽と同じスタイルを当てはめることは可能だと証明出 来るなどと述べている。一方悲劇の方でそれを証明する のは難しく、それは「高貴な言語に音楽はあまり適さな い」からだと述べており、その理由として、 1 :悲劇に は、歌の表現に喜劇のように快活で、抑揚のある、従順 な言い回しがない。 2 :悲劇には、表現の選択において、
広がり、豊かさ、自由がない、としている(16)。
おそらく、イタリアの音楽語法を悲劇に持ち込んだ最
初の成功作は、オペラ・コミックの作曲家フイリドール による《ェルヌランドErnelinde》 (1767年初演)であっ たと思われる。デイドロが絶賛したこの作品ではイタリ アからもたらされたレシタティフ・オブリジェが多用さ れ、デイヴェルテイスマンの中ではあるがアリアも使わ れるようになった。しかしながら、イタリア式エール(ア リア)を筋の展開に活用することはまだ蹟蹄われていた のである(17)
『百科全書』の<エール>の項目
マルモンテルは、真実を措く方法としてのエールをど う捉えていたのだろうか。彼は『百科全書』の<エール Air>の項目も執筆しているが(18)、ここからも多くのこ とが覗える。そこで彼は、声楽によるジャンルは(ヨレシ タティフ・サンプル、 ②レシタティフ・オブリジェ(19)、
③エールの3つに分かれ、 ①は静かな、あるいは速度を 持った全ての場面で使われ、 (参はより活発な場面で使わ れ、情熱の衝撃、心(魂)の中断された動き、理性の錯乱、
思考の優柔不断、そして舞台上で起こる全ての動揺と中 断による出来事を表現すると述べている(20)。
では、 (歪エールはどんな場面に置かれるべきなのだろ うか?マルモンテルによれば、心(魂)の決心がつき、
その動きも安定してしまった場面、またはただ1つの情 熱によるか、せめぎ合い交互に現われる2つの情熱によ る場面に使われるという。その場合交互にそれを表現す るが、ある場合では1つの直接的な連続性、落胆から興 奮へ、苦しみから絶望‑といった1つのパッセージにな り、最初の感情は2番目とコントラストを持った楽節を 作るのである。これは2つのモチーフによるエールと言
えるが、もとのモチーフ‑戻ることはないという。また 別の場合では心(魂)それ自身‑の回帰が現われ、エー ルはロンドの形式を取る。例えばそれは怒りで始まり、
哀れみの気持ち‑と続く。そして新しい恨みの気持ちは 消え、もっと荒々しく最初の感情‑戻るのである。この 例によれば、ロンドによるエールはより活発な感情で始 まり、第2の部分でそれが緩む。そして最後に、より情 熱と敏速さを伴って目覚めることになる(21)。つまり、イ
タリアでは普通使われるロンド形式(ABACAのような 形式)をエールに用いるかどうかにおいても、かなり慎 重を期しているのだ。当時悲劇において、音楽の主題が 何度も巡って来るロンド形式はドラマティックな場面に ふさわしくないと考えられ、敬遠されて来た。彼はこの
「旋転する」エールの性格を、ドラマに上手く利用する ことを考えたのである。
さらにマルモンテルは、 「しかしエールが自然に置か れるためには、表現の真実がそれを求めるときを正しく つかむ必要があります。」(22)と述べている。エールは冷 静な場面では人工的な装飾になるが、もっとも活発な場 面ではそれにふさわしい表現を選ばなくてはならず、そ
れも自然の中から得られるものでなくてほならないとも 言っている。つまり感情がクライマックスに達した場面
でもエールは使えるが、その使い方を誤ってはならない
というのである。実際のところ彼は、歌が場の途中にお いて会話を中断し、筋の進行を遅くしたり関心を冷まし たりしないかどうか心配だと告白している(23)。そのため、
イタリア人は大体においてこれを場の終わりやモノロー グの中に追いやってしまうのだという(24)。しかし彼の言 うように、もっとも活発で迅速な会話の場面の最中でも、
そのような魂の激しいほとばしりがエールによって居場 所を見つけることは出来るのだろうか。さらに彼は、悲 劇的場面がある荒々しい情熱からもたらされた場合、登 場人物はそれを忘れ、動きに身を委ねるのだと語る。筋 に活気付けられた登場人物たちは冷めることも平静にな ることもない。そのような場合に、それらを損なわずに エールを当てはめる方法はあるのだろうか。
項目の最後で、マルモンテルは筋の情熱にとって真実 を妨げるものとして、器楽による長いプレリュードと長 いエピローグを挙げている。これらはリトルネロと呼ば れる器楽のみで演奏される部分のことである。彼によれ ば、エールに続く魂の動きを予告したり、あるいは後に 続く沈黙の中に残った情熱を表現するには有効だが、一 般にこれは音楽家が詩人を犠牲にして目立つために与え られた自由であり、わずらわしい長さを作るに過ぎない と述べている。しかし器楽の部分以外において、筋の活 気を弱めないために、彼は具体的にどのような方法を 取ったのだろうか。
3. 《ロラン≫ (1778)と《アテイス≫ (1780) 作品と論争
リュリ、キノーによる人気のトラジェデイ・リリック であり、ピッチンニ作曲、マルモンテル台本によって改 作された《ロラン≫ と 《アテイス〉は、グルック、ピッ
チンニ論争において大きな物議を醸し出している(25) 作曲者ニコロ・ピッチンニNicoloPiccinni (1728‑1800) の名はルソー全集において一度しか出て来ないのだが、
それが見過ごされることはなく、ピッチン二はルソー の精神を生み出した者であるという解釈も存在してい る(26)。ピッチン二は1776年にパリにやって来たが、ル ソーは彼の出現を歓迎したと思われ、和声よりも優位を 占めているメロディーを賞賛したという(27)。ルソーは バーニー‑の手紙の中で、メロ▲デイ‑の一致という大原 則への新しい説明を求めるのだが、これは同時代のイタ リアの作曲家によって引き継がれるが、ドイツの作曲家 に引き継がれることも大変まれにあると述べている(28)。
ドイツの作曲家とは、暗にグルックのことを示している と思われる。ルソーはラモーと敵対していたが、グルッ クとはそのような関係になかった。むしろ彼は、グルッ クのオペラにも深く感動しており、そのためかグルック、
ピッチンニ論争に加わることはなかった。
ピッチン二を支持するラ・アルプLaHarpeは、 「1751 年にパリにやって来たブフォンの音楽は、耳に全く新し い喜びを与えてくれた」のであり、その喜びとは全く新 たに「すべてを歌で表現するというイタリア人の方法の 容易さ」から生じたものだと述べている(29)当時ピッチ
ンこはまだナポリで勉強中であったが、その後1760年 になって喜劇《チェッキーナ、または、良い娘LaCec‑
china ossia La Buona鬼Iiola≫を作曲し、これが成功して その名を轟かせる。しかし彼が来た頃のパリの雰囲気は ブフォン論争時とは異なり、もはやイタリア・オペラ・
ブップアは目新しいものではなく、 《良い娘≫ (1771年に パリで初演)はすでによく知られていた(30)。ラ・アルプ は、ピッチン二が非難されたのは有名だからというだけ でなく、喜劇の音楽家であるとしか思われていなかった からだと述べている(31)。
まず、 《ロラン≫の改作は論争の火付け役となった。
実はグルックもこの『ロラン』をオペラ化するつもりで あったが、ピッチン二がこれを先にやり遂げたという噂 が聞かれ、 JournaldeParisに攻撃されたのが始まりで あった。ここで、ピッチンこの《ロラン》はイタリアの
「Orlandinoと名付けられた滑稽で小さな詩」に、グルッ クがやろうとしたそれはアリオストAriosteの『怒りの オルランドOrlandeカnoso』にそれぞれたとえられた(32)。
つまりピッチン二は《ロラン≫を完成する前から中傷さ れたのであり、初演後もむろん、この作品は長い間議論 の的となったのである(33)論争末期にあたる《アテイス》
に関しては、ピッチンニ支持者のジヤングネ(ペンネー ムMelophile)が概ねこれを評価し、 Mercure de France の記者に対して長々と反論をしており(34)、論争は鎮まる 気配がなかったようだ。
《ロラン≫は1778年に初演され、パリでは1793年ま で上演されていたという(35)。一方《アテイス》は2年後
≪ロラン≫と《アテイス≫におけるエール(アリア)の配置
の1780年に初演され、 1792年までにパリで64回上演さ れたという(36)タイトルロールはどちらも高貴な男性で あり,彼らは愛を取るか栄光を取るかの狭間に心が揺れ る(リュリのトラジェデイ・リリックにおける典型的な 主題)が、その結末は正反対となる。ロランは愛する婚 約者アンジェリクの裏切りを知り、自らは名誉に生きる
ことを決心し、愛を捨てる。一方アテイスはサンガリー ドとの愛を取り、女神シベールに約束された名誉を捨て、
最後にサンガリードを殺して自らも死ぬ。
以下、実際にエールがどのように配置されているかつ いて考察を行う。
分析
図の見方: 《ロラン》 と 《アテイス》のドラマ進行を 比較するため、幕ごとに並列した形で表に示した。それ ぞれの右枠にエールの歌詞冒頭、左枠に分析結果を挙げ
てある。
分析結果において、エールはA、レシタティフ・サン プルはRS、レシタティフ・オブリジェはROと表記した。
例えばRS‑Aとある場合、レシタティ7.サンプルから エール‑移行することを表す。また分析結果を3種類に 分け、わきに数字で分類番号を示した。 ①はレシタティ フからエールに入り、そのまま場を締めるタイプ、 ②は レシタティフからエールに入り、場面を変えずにレシタ ティフなど‑移行するタイプ、 (参はその他のタイプ、で
も蝣'D.、
アテイス
第1幕 IHH
Quel trouble, helas! quelle rigueur!
(Angelique)
Oui, je le dois, je suis reine (Ange‑
lique)
第2場
Je la verrai, c'est assez pour ma flamme (Medor)
韓こV>v,
Vous servir est ma seule envie (Cantabile) (Medor)
第4場
Non! rien n egale mon Malheur!
(AngeliqueJ
Je renonce a ce que j'aime (Ange‑
lique)
RS‑A‑RS
RS‑A (∋
RO‑A ①
RS‑A‑ AngeliqueのRSへ
(∋
RO‑A‑ThemireのRSへ
②
ThemireのRS‑A‑ (RS)
①に近い②
第1幕 第1場
Brule d'une flamme (Atys)
第2場
Vous veillez lorsque tout sommeille!
(Idas)
La paix des coeurs indifferents (Atys)
第3場
L'Amour fait verser trop de pleurs
(A亡ys)
第4場
Est‑il un destin plus cruel? (Sanga‑
ride)
第6場
Dechirez ce coeur infid占Ie (Atys)
RO‑A‑ (RS)‑ensemble ^ ゥ
RS‑A‑A(次のAtySの・Aを 予告) ②
A‑A‑IdasのRS‑ (参
SangarideのRS‑A‑ Sanga‑
rideのRO‑ (か
RSA ①
RO‑A‑SangarideのRSへ ゥ
‑ 54‑
第 2 幕
R S‑A ‑(R S) ① に近 い②
R O ‑A ‑(R S)‑R O ‑A ‑R O ②
R S ‑A ①
③ (装飾 的)
第 2 幕
R S ‑A ‑R S ②
C elo enu s の R S ‑A ‑R O C参
R O ‑A ‑R O ‑合 唱 (参
C y b 占le の R S ‑A ①
R S‑A ①
第 1 場 第 1 場
N on ,je n e ch erch e plu s cette so urce Je re ssen s u n p laisir ex trem e (C y ‑ terrib le (A ng eliqu e) b らle)
第 3 場 第 2 場
T u sais c e q u e j'a i fait p o u r elle (R o lan d「A は 2 つの 部分 に分 か れ る) 第 4 場
Q u 'u n in differen t esth eu reux ! (A ty s)
第 3 場 C 'est 1 am o u r q u i p ren d s om lu i‑
m em e (.山一g eliq u e) 蝣ft 9 W
Q u el tro ub le agite m o n coeu r? (A ty s)
第 5 場 E n b u tte a u x fu re u rs d e F o r ag e
(M e do r)
Je su is com b le de v os b ien faits (A ty s)
第 8 場
T re m b le z in g ra ts, d e m e tra h ir (C yb とle 、 幕 の最後)
第 3 幕
R S ‑A ‑T he m ire の R へ ②
R O TA ( 次 は 村 の 婚 礼 の 第 3 幕
R S ‑A ‑R S ② ■
R S ‑A (∋
en sem b le】(R S)‑A
‑ n "│lヘ +
第 1 場 第 1 場
D e l'aim a ble ob jet q u i m 'e n ch an te (R olan d)
第 2 場
M alh eu reu se ,h 占las! (S ang aride)
第 3 場 Q ue "in solen t qu im 'ou trag e (R olan d )
第 6 場
Je va is p o sse d er S an g arid e ! (C elo e‑
場) ①
R S ‑A 長 い後奏 ) 一R 0 (∋
n u s) 第 8 場
Je su is trah i! (R olan d) Je veu x la su ivre (A ty s)
使用楽譜: Roland de Piccinni, Chefs‑d'oeuvre classiques de l'opera血 an^ais 29, New York: Broude Brothers, 1971/Niccolo Piccinni, Atys, 1780; 2 edition, Paris: Des‑Lauriers 1783; rep., New York: Pendragon Press.
考察の1 ‑全体の概観
《ロラン》ではそれぞれの登場人物にエールを均等に 振り分けて、その性格描写に努めているのがまず特筆す べき点である。エールの分析結果では(臥②のタイプが 同程度見られ、 (丑に近い(参というのもあるが、これは後 に続くレシタティフなどが短いために、 (∋同様にその場 をすぐ締めてしまう方法に近いものである。また1つだ け③のタイプがあるが、これは従来のフランス・オペラ で行われていた方法と同じく、エールを装飾としてドラ マから全く独立させてしまう方法である。一方《アテイ ス》では主人公のエールが9つもあり、物理的にも大き な部分を占めるのに対し、他の登場人物のエールはずっ と少ない。そのため、主人公の心理変化を中心に筋が展 開していく印象を受ける。エールの分析結果では(参のタ イプが主流と思われ、それもェ‑ルからレシタティフに 続くだけでなく、リュリのトラジェデイ・リリックのよ うに合唱へ続いたり、あるいは別のエール‑続くものも あり、より多彩な方法が取られている。また両作品に言 える事だが、 ②の場合、同じ人物がモノローグとして歌 い続けるものだけではなく、他者との会話としてレシタ ティフからエールに引き継がれたり、他者のレシタティ
フがその後に続いたりすることも多い(これについては 後述する)0
両作品とも主人公の悩みとその決心において2つのク ライマックスが形成され、それぞれ独自の方法でエール が使用されている。
悩みのクライマックスは、 《ロラン》では第2幕第3 場「私が彼女のためにしたことをお前は知っているTu sais ce quej'aifaitpourelle」で来る。主人公のレシタ
ティフ・オブリジェからエール(ニ長調)に入り、短い レシタティフ・サンプルをはさんでレシタティフ・オブ リジェへ続く。その後別のモチーフによるエール「私 は自分を知っているJemereconnais」 (変ホ長調)に入 り、レシタティフ・オブリジェに続く。これは主人公一 人だけのモノローグの形を取る。 《アテイス》でも同じ く第2幕第3場「どんな悩みが私の心を興奮させるのか Quel trouble agite mon coeur?」でやって来る。主人公の レシタティフ・オブリジェからエール(ニ短調、 Allegro agitato)に入り、オーケストラは主人公の心の高揚を表 現する。その後短いレシタティフ・・オブリジェを挟んで、
そこで彼は眠気を感じ、眠りにつくのである。続いて合 唱(同じ調、同じモチーフ)に切れ目なく入る(この部
分は「眠りの場」と呼ばれる)が、彼はここで夢を見る (幸福な夢と不吉な夢が戦う)のであり、それは最後の 決断をするための要因となる。ここでは合唱が自然に、
主人公がエールで表現した心に答える形を取っている。
主人公の最終的決心はどちらも第3幕で行われる。 《ロ ラン≫では、第6場「私は裏切られたJesuistrahi'.Jで それが表現される(後出一語例の1を参照)。主人公の レシタティフ・オブリジェからエール(ヘ短調)に入 り、長い後奏が続く。その後再びレシタティフ・オブリ ジェに入り、ここで長い主人公のモノローグが続き、こ れも長い後奏で終わる。この器楽的な部分はただの間奏 ではなく、主人公の心を映し出す描写を行う部分となる。
《アテイス》では、第8場「私は彼女の後を追いたいJe veuxla suivre」でその決心が行われる。主人公のレシタ ティフ・オブリジェからエール(ハ短調)に入り、その 終わりで彼は自害する。あまり間を空けずに合唱が始ま
り、その痛ましさを客観的に歌い上げる。
どちらの作品においても、エールがドラマ進行におい て果たす役割はリュリ時代よりもはるかに大きく(37)、時 間的にもかなり長い部分を占めている。しかもマルモン テルはここで、舞台を中断しかねないエンターテイメン ト的なアリアにならないような工夫を凝らしている。例 えばレシタティフから感情の高ぶりに応じてエールへ続 くのはごく自然な方法であるが、前述したようにイタリ アではこのエールで場を締めてしまう場合が多い。しか しその方法を取らずに、分析結果②の場合のように、活 発で迅速な会話の場面の最中でも、登場人物の魂の激し いほとばしりをエールによって表現しようと試みてい る(後出一語例の2を参照)。また、エールの後に長い 器楽の間奏あるいは後奏などをむやみに配置することは ないが、ロランの決心の場面では例外的にエールの後に 長い後奏が入る。しかしそれは装飾的な舞踊などではな く、ドラマの重要な結末がここに措かれるのである。一 方《アテイス≫では、そのような器楽部分と同様の役割 を合唱が受け持ち、他の声によって主人公の感情を反審 させることによりテーマの一貫性を想起させる。しかし このような合唱の手法は、実はリュリの時代から行われ てきた伝統の継承とも思える(38)。
考察の2‑②のタイプについて
上記の②のタイプ(レシタティフからエールに入り、
場面を変えずにレシタティフなどへ移行するタイプ)は、
本稿において注目すべき大変重要な要素と思われる。そ こでプロットと照らし合わせた詳しい解釈を、紙面の都 合もあるため、各作品から一例ずつ挙げておく。
\ c."‑"" ; \芋:''崇'voや、ロコ∴「I=‑ ∫/ "fi.'i.fti!7 られfzJesuis trahi!] (語例の1 )
前の場で、ロランはテルサンドルによって、婚約者ア ンジェリグが彼からもらったブレスレットを捨て、恋人 メドールを追って出て行ってしまったことを知らされ る。第3場(場全体がキノーからの引用)に入って一 人きりになったロランは、レシタティフ・サンプルに
よって自分自身に向かって「私は裏切られた!」と語 りかける。台詞の最後「なんと恐ろしい地獄に、お前は 私を突き落としてくれたのだ。耐え難い炎を表そう‑・
Dans quel abirae affreux m'as‑tu precipite. Tをmoins d'une
odieuseflamme ‑」の、 「表そうTemoins」から自然に エールへ入る。
エールはヘ短調4/4拍子、 「快活に速くAllegrovifJと 指示されており、この間主人公の心の高揚は持続してい る。 「あなたはあまりにも私の目を傷つけた‑Vousavez tropblessemesyeux 」の、最後の「私の目をmes yeux」で旋律が増2度上行するが、これは当時としては
大変稀な例である(39)。調性は一旦平行調にある変イ長調
‑移り、再び「表そう」が繰り返されるが、前と同じ和 声は使われず、経過的に変ロ短調の属和音が付けられて いる.さらにもう一度「表そう」を繰り返すが、このと
きは不協和音である滅7度の音程が使われる。続けて、
同様に繰り返される「あなたはあまりにも私の目を傷つ けた‑」にも前と違なる、不協和音の増7度が使われる。
つまり同じ台詞が何度か繰り返されるときに、音楽は前 と同じモチーフを残しながらも、和声を機能的に違うも のに置き換えることで変化をつけている。こうして、変 化に富んだ不協和音によって心の興奮が掻き立てられた まま器楽の後奏に入るが、 (ト書きによれば)主人公は ここで岩をひっくり返し、木を抜いてしまう。後奏は23 小節もの間続き、最後に属和音が鳴り、完全終止せずに レシタティフ・オブリジェに続いていく。
レシタティフ・オブリジェには「重々しくGrave」と の指示があり、 「ああ!私は墓場の夜に沈んでしまっ たAh! je suis descendu dans la nuit du tombeau」と、主 人公の自問自答が始まる。再び「速く、活発にAllegro anime」の指示により、音楽も嵐のような上行の音階を 伴って激しさを表現するが、 「悪魔たちは私に冷酷な怒 りを向けて来るLes enfers arment contre moi une impi‑
toyablefurie」でその頂点に達する。激情は続くが、 「私 は死すべき愛の苦しみの恐るべき教訓を示さなくてはな らないJe dois montrer un exemple terrible des tourments d'un血ineste amour」で、主人公は心の落ち着きを取り 戻す。ここで音楽も、 「やや歩くような速さで愛らしく Andantino amoureux」の指示どおり、変ホ長調3/4拍子
に変わって穏やかになり、次の場へ向けて長い後奏に入
i">、‑
(:アテイス:)夢1募夢3場、アテイスのエーjL,仁愛は あまりにも多(の涙を癒させるL'Amourfait verser trop depleursj (語例の2 )
この第3場は女神シベールの到来を告げる四重唱から 始まるが、切れ目なく自然な形でサンガリードのレシタ ティフ・オブリジェに入り、アテイスとの対話の形を取 りながら進行していく。アテイスの「恐れ多く、愛情深 く、優しい王があなたの夫になるのです。すべてはあな たへの愛について話しているに違いないでしょうUnroy
redoutable, amoureux, aimable, devient votre epoux, tout
doitparler d'amourpourvous」という言葉に、サンガリー
‑56‑
ドはアテイスの自分‑の愛を疑う。彼女は「ええ、私は、
自分の勝利を大事にしなければならないわ。愛が支配さ せるのなら、それがより大きな幸福なのかしら Oui,je dois cherir ma victoire. Quand l'amour fait regner, est‑il un plusgrandbien?」 「アテイス、あなたは何も愛してらっ しゃらない。そしてあなたは名誉を誇りにしているPour vous, Atys, vous n'aimez rien, et vous en faits gloire」と答
?M9
アテイスはサンガリードに返答する形で、エール「愛 はあまりにも多くの涙を流させる L'amourfaitverser tropdepleur‑」を歌う(キノーからの引用)。これは
ト長調3/4拍子「やや歩くような速さで、急がすAndan‑
tino sanspresser」の指示で、穏やかに歌われる。そして 彼は「女などを見てはならないのだ、きれいな花を見る
ように‑ II ne faut regarder les belles, que comme on voit
d'aimablesfleurs ‑」と、彼女への愛を隠し、無関心を 装おうとするのである。エールの中間部「私は新しいバ
ラが好きだ‑J'aimelesrosesnouvelles, 」で、 「速く Allegro」の指示とともに3/8拍子に変わる。ここでむろ ん音楽の雰囲気も変わるのだが、再び「愛はあまりにも
‑」が繰り返されるときにもとの楽想に戻る。つまりこ のエールは先のロランの場合と異なり、 ABAの三部形式
を取る典型的なアリアである。
エールは完全終止せずに、次のレシタティフ・オブリ ジェに入る。前と同様、アテイスとサンガリードの対話 の形式が続く。サンガリードがアテイスのエールに答え る形で、 「そうやって、あなたは一番魅力的なものに抵 抗するのですね、それはどうにもならない無関心なのか
しら Ainsi, vous opposez aux plus touchans appas, une
indiffさrence invincible?」と返答する。その後、 「やや歩 く速さでAndantino」の指示とともに弦楽器が32分音符 による上行型の音階を幾度も奏でる。その間アテイスは サンガリードに、愛を優先できない自分の立場を訴え続 ける。 「速く、活発にAllegroanime」の指示とともにト ランペットとホルンが入って、場の最初で歌われた四重 唱へ戻り、場の最後を締める。
この2例からわかるのは、同じ②のタイプといっても、
音楽的に全く異なる方法が使用されていることである。
前述したとおり、ロランのエールはレシタティフを前後 に挿入した独白の形を取るが、感情的に非常に赦した場 面であるためか、エール自体にモチーフが「旋転」する 印象が残らないように不協和音によって和声に大きな変 化を与えている。それに対して、アテイスのエールはサ ンガリードとの対話の中に自然に取り込まれる形を取る が、エール自体はサンガリードの感情を落ち着かせよう とする役割を負っているためか穏やかで、目立った形で の不協和音の使用も控えられている。作曲者と台本作者 はおそらく、このような場面では同じモチーフが回帰す る通常の三部形式でもよいと考えたように思える。また エールに限らず、この第3場全体がシンメトリカルな構 造を里しており(四重唱‑レシタティフ(対話) ‑三部 形式のエール(アリア)‑レシタティフ(対話)一四重
唱)、注目に値すると思われる。
4.結論
《ロラン≫ と 《アテイス≫の考察を通して、ピッチン ことマルモンテルはイタリア式エールの導入において、
彼らなりに成功を遂げたと言えるのだろうか。
18世紀後半のフランスでは、新しいイタリア式エー ル(アリア)を悲劇に導入することは、長い間蹟賭され てきた。それだけに、 18世紀の自然観に合うようにこれ を導入しようとマルモンテルが取った手法は、一見大胆 なイタリア派としての試みに見えたかもしれない。つま り彼が有名なイタリア・オペラ・ブップア作曲家である ピッチン二を起用したことで、フランス語による悲劇に イタリア式エール(アリア)は合わないという従来のタ ブーを打ち破った形に思えたのであった。しかしこの試 みは結果的に、フランス・オペラの原点へと回帰するこ とにもなった。つまりフランスにおいてはどんな音楽を 便おうとも、 「オペラは演劇の一種である」というリュ リ以来の発想が、マルモンテルらによって悲劇のジャン ルでも再確認されたわけである。
フランス派‑ドラマ重視、イタリア派‑音楽重視、と 単純に公式化されることが多い2度の論争において、実 はイタリア派に対する当時の人びとの誤解が生じてはい なかっただろうか。残されている記事には政治的なから みや感情的な部分も多く、純粋な美学的部分のみを検証 することはなかなか難しいO しかしあえて大胆な結論を 試みるならば、台本作者マルモンテルは当時イタリア派 の典型とされた作曲家ピッチン二を使って、実際は、 「音 楽過多」と言われて来たイタリア風の方法を生かしたフ ランス的な新しいドラマの美学を実現したと思われるの である。
マルモンテルがなぜ、啓蒙主義的な「自然」とは程遠 く、時代遅れであるはずのリュリ、キノーによるトラ ジェデイ・リリックの台本を好み、採用したのか、この 点について詳しく語られることは少ない。しかし、実は 18世紀後半になっても、フランス派、イタリア派の両者
ドラマ
ともに「フランス・オペラはすべて演劇でなければなら ない」という暗黙の前提があり、作劇法の重要性を無視 出来なかったのだと仮定するならば、それはその理由の 一つになり得るのではないだろうか。
漢(1)典型的イタリア式アリアであるアリエツトane仕e は、まず喜劇の中に組み込まれるようになっていっ たが、レシタティフ・オブリジェrecitatifobligeは 悲劇に導入された。
(2)そのRameauの作品 と は、 LaGuirlandeouLes Fleurs enchantees (1751) 、 Acante et C顔hise ou La Sympathie (1751)、 Lysis etDelie (音楽は紛失、初 演?)、 LesSibarites (1753)である。
(3)そのPiccinniの作品とは、 Didon (1783)、 Penelope (1785)であり、その他、 LeDormeureveilleとい うコメディもある(Marmontel, Correspo兜dance I (1744‑1780) 、 texte etabli par J. Renwick, L'Universite
de Clermont‑FerrandのChronologie de Marmontel を参照のこと)。
(4)そのGretryの作品とは、 LeHuron (1768)、 Ludle (1769)、 Silvain (1770)、 L'Amide la maison (1771)、
Zemire etAzor (1771)、 La Fausse Magie (1774)で ある(P. Vendrix, ed., L'Opera‑Comique en France au X W siecle, Liとge: Mardaga, 1992所収、 K. Pendle,
̀L'opera‑comique a Paris de 1762え1789'を参照のこ と)。
(5) A.Pougin, ̀Introduction', Roland de Piccinni, Chefs‑d'oeuvre classiques de l'opera francais 29, New York: Broude Brothers, 1971, p. 3.
(6 ) J. ‑F. Marmontel, Elemens de litterature, 1787; rep.,
CEuvres compl∂tes, TomdV, Gen占:ve: Slatkine Reprints,
1968, pp. 698‑704、 (merveilleux)の項目。
(7) ibid.,pp.781‑807, (Opera)の項目を参照のことO冒 頭において彼はフランス・オペラのジャンルを2つ に分け、一方をメルヴェイユーという仮想世界から 生じるもの、他方をただ自然に帰するものとした。
前者はQuinaultによって発明されたとして、例を 挙げて説明を試みている。この項目全体を通して、
Quinaultの名は頻繁に出てくるが、 《ロラン≫のバ ストラールに関してはp.; を参照のこと。
( 8 ) Encyclopedie, Supplement, 1751‑76; rep., Elms ford, New York: Pergamon Press, 1969, p. 238.
( 9 ) Marmontel, Elemens de litterature, p. 794.
(10) ibid.
(ll) ibid., p. 795.
(12) J.‑J. Rousseau, Ecrits sur la musique, 1838; rep., Paris:
Stock, 1979, p. 322.
(13) P. Brunei, ̀Piccinni, Jean‑Jacques Rousseau et La Harpe', Piccinni e la Francia, Atti del Convengo internazionale Maritina Franca, 21‑22 luglio 2000, Schena: Fasano, 2001, p. 22. Rousseauは『音楽事典 Dictionnaire deMusique,』の中で、 「音楽はメロディー
によってしか措かれず、そこからすべての力を得る」
と述べている。
(14) D. Heartz, ̀Diderot et le Theatre lyrique: 《le nouveau stile》 propose par Le Neveu de Rameau', Revue de musicologie, 1978, p.239‑43を参照のこと。 Duniは FavartのNinette a la cour (1755)やLa Chercheuse d'Esprit (1756)に作曲し、 1757年、露intreamou‑
reuxdeson mod.∂leでオペラ・コミックデビューを遂 げた。
(15) B. Durand‑Sendrail, La Musique de Diderot, Paris:
Kime, 1994, p. 136.
(16) J.‑F. Marmontel, Memoires, Paris: Mercure de France,
1999, pp. 321‑22.
(17)この作品については、筆者論文「バロック・オペラ からの脱却‑フイリドールの挑戦《エルメランド≫」、
九本隆編『初期オペラの研究』、彩流社、 2005、
p. 50‑64を参照のこと。
(18) Encyclopedic, Supplement, pp. 237‑239.
(19)レシタティフ・サンプルrecitatifsimple レシタティ フ・オルデイネールrecitatifordinaireとも呼ばれる) とレシタティフ・オブリジェのrecitatifobligeの決 定的違いは伴奏にある。前者は通奏低音のみである
‑58‑
のに対し、後者には歌い手の感情描写に合わせた表 現を細かく行うオーケストラ伴奏が付く。オーケス トラ伴奏によるレシタティフはLullyの《ベレロフォ ンBellerophon〉 (1679)以後、すでに多用されてい た。しかしその当時はレシタティフ・アコンパニェ recitatifaccompangeと呼ばれ、レシタティフ・オブ リジェに比べるとオーケストラの感情描写がそれほ ど多彩ではない。
(20) Encyclopedie, Supplement, p. 237.
21) ibid.
22 ibid.
(23) ibid., pp. 237‑8.
(24) ibid., p. 239.
(25) Gluckがパリに来たのはPiccinniより2年前の1774 年であった。論争の発端は皇太子妃マリー‑アント ワネットMarie‑Antoine仕eとデュ・バリーDu Barry 夫人の敵対関係が原因だと言われている。 Gluckは
《オーリードのイフイジェニーIphigenieenAulide≫
(1774)上演においてパリで大成功を収め、 Marie‑
Antoinetteのお気に入りであった。そこでDu Barry 夫人はMarmontelとナポリの大便(Caraccioli)を 通して、 Piccirmiをパリの舞台に出現させるよう嘆 願させたという。その後フランスで初めての日刊 紙JournaldeParisが1777年1月に創刊され、これ がGluckの側についたことで論争はますます激化し ていった。 Querelk des Gluckistes et des Piccinnistes, 1774‑1783, Gen占ve: Minkoff Reprint, 1984, Tome Iの
̀Introduction'によれば、 《アルミ‑ドArmide》が論 争に挙がった時のグルツキストとしてArnaud、 Su‑
ard、ピッチンニストとしてMarmontel、 LaHarpeの 名が挙げられているが、実際はほとんど匿名性が保 たれており、各人が発表した文章は偽名で載せられ msam
(26) Brunei,p.21を参照の こ と 0.PotはLettrea M.Burney, les fragments d'observations sur VAlceste de Gluck, I'Extrait d'une reponse du petitfaiseur sur I'OrpheedeGluckを紹介する中で、 「ここにルソー の音楽に関する遺言」があるとし、 6回もPiccinni の名を登場させているという(Rousseau, Oeuvres
completes, tome V ) 。 (27) ibid., p. 22.
(28) Rousseau, p. 382‑3.
(29) ibid., p. 25.
(30) La QuerelledesBouffonsにある資料を見ると、イ ンテルメッツォLa Servapadrona以後、 LaFinta camenera、 LaDonna superbaなどのような本格的な オペラ・ブップアが次々と上演されている。
(31) Brunei,p.25を参照のこと BruneiはLaHarpe, Coursdelitteratureから引用して、説明を試みて いる。ちなみにLaHarpeはRousseauと違って Rameauを評価しており、一方でGluckに見られる イタリア的な要素(例えば《オルフェウス≫)も評 価していた。
(32) A.Pougin, ̀Introduction', Roland de Piccinni,
Chefs‑d'oeuvre classiques de l'opera血‑ancais 29, New
York: Broude Bro払ers, 1971, p.4を参照のこと。こ のジョークを理解するには、 Merlin Coccaieの作者
であるTheophile FolengoのOrlandinoを知る必要 があろう。
(33) A. Bemetzrieder, ̀Le tolerantisme musical'; Cl. Ph.
Coqueau, ̀Entretiens sur l'etat actuel de FOpera de Paris', Querelle des Gluckistes et des Piccinnistes, Tome
Ⅱ.
(34) L. P. Ginguene, Melophile a I'homme de lettres, Querelle des Glukistes et des Piccinnistes, Tome E.
(35) A. Loewenberg, Annals of opera, 1597‑1940, Gen占ve:
SocietasBibliographica, 1955を参照のこと。ま Tz A.Pougin, 'Introduction', Roland de Piccinni, Chefs‑d'oeuvre classiques de l'opera francais 29, New York: Broude Brothers, 1971, p. 11によれば、 《ロラ
ン》は1779年、 1780年、 1783年、 1792年に上演さ れたという。さらにPouginは、 1778年4月1日付 Journal de Parisから得たという初演時の売上につい て言及している。これによれば、 12回に及ぶ各公演 の平均売上はおよそ5千リーブルである。残念なが ら再演についての情報は、 Pouginはその出典を明ら かにしていない(おそらく、同紙より得たものなの だろうか)。
36 ibid.
37 フランスで独自に発展してきたエールとは、エー ル・ド・クールの伝統を引き継いだもので、イタ リアから借用したものはないとされる。リュリ〜
ラモー時代のエールはモノローグや対話あるいは舞 曲において使われ、そのほとんどが二部形式か短 いロンド形式であり、すぐに重唱や合唱あるいは舞 曲(歌のない)へと切れ目なくつながるものが多い。
ドラマ進行を司るのは主にレシタティフであり、舞 曲につけられたエールはデイヴェルテイスマンの中 で歌われることになる(当時のエールについては、
P. ‑M. Masson, L'Opera de Rameau, New York: Da capopress, 1972を参照されたい)0
(38) BalletcomiquedelaReineから続く、フランス.オ ペラにおける合唱の重要性は言うまでもない。フ ランス音楽を徹底的に非難したRousseauでさえ、
1750年のGrimmへの手紙(Lettre surla musique francaiseの2年前)において、イタリア音楽に は本物の合唱が欠けていると嘆いているのである (J. Anthony, La Musique en France a I'epoque baroque,
traduction francaise, Paris: Frammarion, 1981, p. 124
を参照のこと)0
Marmontelは 自 著Elemens de litteratureの、
< Choeurd'Opera>の項目において、合唱団の声 はきちんと揃えばよいが、さもなければ騒音のよう
にしか聞こえないとした後で、その美しさの一つと して、展開のための広がりや、丸みや調和をもたら す一貫性を求める構想にあるとしているO
(39)和声学の常識では、増2度音程の上行は非常に耳障 りであり、普通旋律には使われない。
譜例の1
《ロラン≫第3幕第6場、ロランのエール「私は裏切られた! Jesuistrahi!」 (この場の詩は全てキノーからの引用)とその前後
①ロランRoland独自のレシタティフ
「私は裏切られた、天よ!だれが信じられるだろうか!‑」
J& suis廿蝣a‑h了 Giel i?ui I'a伽it pu‑ cSroトre! o Cie! i
レシタティフから続けて
②ロランのエール(表そうTさmomsから)
加や <M
i払is en‑c/ia什絃
patir fuel x‑Hi叱Elf‑ ftMX( ヽ ▲
rnI郎ン'prJu.pト
十 Te一 Tn; 4.'unz.D‑dトeォ‑ ∫巳ヂ/oM ‑ 〝凡よcm* 0‑A!eu‑sz
榊m ‑ me Voits a‑VeL七rpF ♭k‑∫e mes yeux
「ああ、私が魅せられていた甘美な希望よ。なんと恐ろしい地獄に、お前は私を突き落としてくれたのだ。耐え難い炎を表そう。
あなたはあまりにも私の目を傷つけた‑」 (終わりの2小節ラードーラーシードのシが半音上がったため、ラとシが増2度の関 係になっている)
このエールの後、後奏、レシタティフ・オブリジェヘ続く‑本文を参照のこと 語例の2
《アテイス》第1幕第3場、アテイスのエール「愛はあまりにも多くの涙を流させるL'Amourfaitversertropdepleurs」とその前後
①サンガリードSangaride会話のレシタティフ
「・=ええ、私は、自分の勝利を大事にしなければならないわ。愛が支配させるのなら、それがより大きな幸福なのかしら?あな たは、アテイス、あなたは何も愛してらっしゃらない。そしてあなたは名誉を誇りにしている」
0比Je如Cはir ma /i:foire.Q‑u‑atii lamoar‑fa托噂ner(ォSf‑il ukplus汁卿イ貼れ〜
poof伽1, A・ヤi, Vomsh'aimel h'eh, eiv<n*S軌*ォY色S錘トre この後すぐに続けて
②アテイスAtysのエール(キノーの詩から引用)
「愛はあまりにも多くの涙を流させる/しばしばその優しさは酷いものになる 女などを見てはならないのだ/きれいな花を見るように... (以下続く)」
L'a柵けfettf '仰‑Seトそ呼 c{z plantsz Sou一仰叶?eS cfe伽‑cewwsonf加卜馳
③サンガリード会話のレシタティフ(そうやってAinsiから)
「(上に同じ) ‑きれいな花を見るように」
「そうやって、あなたは一番魅力的なものに抵抗するのですね。それはどうにもならない無関心なのかしら?」
‑アテイスのエールの最後の一節(以下、二段日まで)
W(es, <Jォe ‑仰c oh vol‑t d a!仙b│ォ刊fcwrSp
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110. hl卜,サc/ ¥ :I
cjU.e. cj仙Pte琳Vo d i nう叫 ,‑..蝣 .*サ、、亡 '.'.s** いいyy.叫ォfltuK.
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間奏(半小節)を挟んで‑ここからサンガリード
‑60‑