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19世紀中葉のフランス極東政策と琉球: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

19世紀中葉のフランス極東政策と琉球

Author(s)

上原, 令

Citation

史料編集室紀要(25): 83-102

Issue Date

2001-03-16

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/8021

Rights

沖縄県教育委員会

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史 料 編 集 室 紀 要 第

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世紀 中葉 の フランス極東政策 と琉球

上原 令★ は じめ に (i)

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世紀 の極東諸国は、欧米列強の進出 に遭遇す る。 イギ リスは

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年 に、相次 いでマ カー トニー、 アマース ト使節団 を清朝へ派遣、欧米列強の極東進出は目前 に迫 って いた

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年 、清朝 はアヘ ンの輸入 に よ り国内の銀が大量 に国外 へ流出す る事態 を危供 し、 アヘ ン貿易 を禁止す る。 この決定 に対 しイギ リスは、翌年の

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年 に遠征軍の派遣 を 決定

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年 にわたるアヘ ン戦争が勃発 した。 アヘ ン戦争 にイギ リスが勝利 を収め

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年 に清朝 と南京条約 を結ぶのに成功す ると、 この戦争 に中立 を守 っていたフランス政府 は衝 撃 を受 ける。やがて フランス政府 は、 ラグルネ使節団 を清朝 に派遣す ることを決断

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年 には南京条約 とほぼ同等の内容の黄輔条約 を締結す ることに成功 した。 (2) ラグルネ使節団の護衛 として随行 したのが、 フランス ・イン ドシナ艦隊のセシル提督で ある。彼 はラグルネ使節団が北京で条約交渉 を行 う機会 を利用 して、中国周辺海域の測量 を兼 ね なが ら、琉球 ・日本 ・越南 (院朝 )・朝鮮 に艦隊 を派遣、各 国に国交 を求め る と同 時 に条約の締結 を考 えていた。そ してフランスは

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年 に琉球

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年 に日本

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年 に 越南 (第 1次 サ イゴン条約)

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年 に朝鮮 と条約 を締結 す る。極東諸国で中国 に次 いで 二番 目に条約 を締結 したのは、琉球王国であった。 フランスの帝国主義時代 は、第三共和政期 に本格 的に展 開す るため

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世紀前半∼中葉 にかけての フランスの対外拡張政策 に関す る研 究 は

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世紀後半のそれ と比べ る と層が薄 い。特 に本時期 の極東地域 に関す る研究 については、研 究蓄積がほ とん どないのが実状 で ある。 フランスの東 アジア 。極東政策 に関 して、 日本では権上康男氏の イン ドシナ銀行 を (3) 中心 に扱 った研 究や、杉本淑彦氏のジュール ・ヴェルヌの世界 を詳細 に検証 し、そ こに表 (4) れるフランス国民 の心性 となった帝国意識 についての研究等がある。 フランス と琉球の関 係 を扱 った研 究 は、琉球史 。宗教史か らのアプローチがほ とんどであるが、横 山伊徳氏が 日本 の幕末期 におけ る外圧研 究の一環 と して、 フランス側 の事情 を盛 り込み なが ら、 フラ (5) ンス と琉球の関係 を取 りあげた研究がある。そ こで筆者 は以下の視点で両者の関係 を考察 したい。 従来、 フラ ンスに とって琉球 とは、 カ トリックの 日本再布教計画 といった宗教的側面や 日本 との条約交渉の突破 口 として考 え られ、特 に宗教的側面 に重点が置かれ論 じられて き た。 またフラ ンスが琉球 と締結 した琉仏条約 について も、先 にアメ リカと締結 した琉米条

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うえは ら りょう (史料編集室)

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約 と比較 されてい るだけにす ぎず、 フランス側の琉仏条約締結の意義や背景等が ほ とん ど 論 究 されてい ない。本稿 では上述の点 をふ まえ、政治的側面 に焦点 を当て、琉球 との条約 交渉 を通 して、 フラ ンス極東政策 における琉球の位置づけを再検討 したい。

Ⅰ.1

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世 紀 フ ラ ンス の対 外 拡 張 政 策 とカ トリ ック 1.19世紀初頭 までの フランス植民地政策 (6) フランスゐ海外進 出の歴史 は、 フランソワ 1世時代 にまで さかのぼるこ とがで きる。だ が、国家主導 による本格的 な海外進出は、 リシュリューの登場 を得 た]射どな らない

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年 に新設 され た 「航海 ・商業長官」 に就任 した リシュ リューは、スペ インや オランダが弱 体化 した間隙 をぬ って、植民地政策 を産業 ・通商等 の総合的 な政策内に取 り込み、スペ イ ン ・イギ リス ・オラ ンダに対抗で きる強力 な艦隊や貿易会社 を創設 した。その結果、 アン テ イル諸 島や アルジェ リア沿岸 を確保す ることに成功す る。次 に登場 した コルベールは植 民 地 の再活性 化 を図 りつつ、 フラ ンスの活動領域 を世界全体 に拡張、有益 な領土 を確保 し、 フランスの経 済的繁栄 を確固たる ものにす るため画策 した。 アメ リカ大陸のルイジア ナ獲得 は中国進出 を視野 に入れた行動であ り、セネガル北西部地域の獲得 はイン ド航路の 確保 を目的 と していた。ルイ14世時代 になる と、 フランスの海外植民活動 はアフリカ内陸 部への進入 を果 た し、 イン ド、シャムにおいて も現地 に影響力 を及 ぼ した。 ルイ

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世時代 は、 フランソワ 1世時代 を起点 とす る 「第--次植民地帝国」 の絶頂期 となる。ルイ

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世 自 身は植民地経営 に関心が薄か ったが、海外植民地は着実 に増加 し、 アメ リカ大陸の ミズー リとニューオ リンズ、 アルジェリア、モー リシャス島等 を

得 した。 しか し 「第一次植 民地帝国」は七年戦争の敗北 によ り瓦解 してい く。七年戦争 の結果、 フランス植民地はパ リ条約 で大幅 に縮小 され ることになる。最大時 には

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万平方キ ロメ (7) ー トル を記録 した植 民 地面積が、わずか4万平方 キ ロメー トルにまで縮小 された。その 後、植民地の再拡大 に着手 し、旧体制末期 のシ ョワズールの活躍、革命期 のルイジアナ回 復等、一定 の成果 を見せ るが、帝政期 の

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年か ら

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11年 までに、再 び海外植民地 を喪失 した。 2.19世紀前半の フランス植民地政策 ナポ レオ ン帝政期 に海外植民地 を喪失 したフランスは、復古王政期 に締結 したパ リ条約 に よって、植民地の一部が返還 される

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年、アルジェ リアに拠点 を確保 したフランス は、 アフリカ、オセ アニ ア、極東 に足場 を設 け 「第二次植民地帝国」 と呼称 される時代 に 突入す る。 この時代 の初期 に当たる七月王政期 の対外拡張政策 を検証す る と、本時期 の対 外拡張政策 は、ギ ゾ-の考 えに基 因 してい ることが分 かる。ギゾ-はアルジェ リアとい っ た比較的近 隣地域 を除 き、東 アジア等 の遠隔地での植民地獲得 を放棄す る よう次の ように (8) 主張 した。 -8

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「原地住民やその他の列強と長期的戦争に陥る危険を冒すことや、フランス本土から遠 く離れた 地域 に、新たな植民計画 を始動す ることは、全 く価値がな く、時宜 にかなっていないのであ る。」 この主張の 中でギ ゾ-は、広大 な領土 の獲得 を放棄 し、軍 隊や海外貿易の ための一定数 ((り の基地 を確保 す る 「寄港 地主義」 を唱 え、海外膨 張の 目的 を限定 したのであ る。同時 にそ (10) の基地 は商業基地 とな り、「保 護領」 とい う新 しい フラ ンスの植民 地政策 を創 出 した。 ま たギ ゾ-は、列強 との対 立 を極力避 ける ことに全力 を注 ぎ、特 にイギ リス との協調路線 を 重視 した。 イギ リス との協調路線 は第二帝政時代 に も受 け継がれてい くこ とになる。消極 的 ともい えるギゾ-の対外拡張政策 に対 し、政府高官 はむ しろ海外 での活動 を積極 的 に行 うよう奨励 していた。例 えば当時 の植民 地担 当局長 は、責任者であ る海軍大 臣に積極 的 な \=・ 海外進 出 を行 うよう進言 してい る。 第二帝政期 に入 る とギゾ-の対外拡張 政策 とは異 な り、積極 的 な海外 進 出 を行 うように なる。 その契機 となったのが クリ ミア戦争 の勝利 であった。第二帝政期 の積極 的対外拡張 政策へ の転換 の背景 には、国内の不満 を外部 にそ らせ ようとしたナポ レオ ン

3

世の思惑が あ った こ とは言 うまで もない。その上、 当時期 は フランス産業革命 の完成期 で もあ り、積 極 的対外拡張政策へ の転換 を容易 に した。七月王政期 の 「海軍基地 と しての植民地」 では な く、第二帝政期 には 「通商 ・市場獲得 を主 目的 とした植民地」 の獲得 が イ ン ド洋、東 ア ジアで も進行す る。例 えば、スエズ運河 の着工 はイン ド ・東 アジアへ の短距離航路 を目的 と し、 アロー号事件 は武力 を用 いた市場獲得 を志 向 してい る。 また、 コーチ シナの支配や カ ンボ ジアの保護領化 は、東 アジアでの植民地獲得 を主眼 に置いた行動 ともいえる。注 目 すべ き点 は、 ギゾ-の政策で放棄 されていた遠隔地域 の住民 との抗争 、つ ま り積極的 に武 力 を用 い る外 交政策 を掲 げ るようになった ことであろ う。 それで は七 月王政期 か ら第二帝政期 まで、 フラ ンスは どの ように海外進 出 を進めたのだ ろ うか。 まず

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年 の アルジェ リア侵略 が挙 げ られ よう。 フランスの国家威信 のため に成 された この侵 略戦争 は

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年 に終結

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年の アルジェ リア独立 まで フラ ンス植民地 と し て維持 された。やが て アルジェ リア支配 は、第二帝政期 に軍事 的支配 か ら包括 的な政治 的 支配- と転換 し、 フランスの最重要植民 地 として組み込 まれ る。 ア フリカ南 部ではセ ネガ ル を中心 に植民活動が行 われ、リビア、 ガボ ンで も寄港地 を建設

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年 にはギニアか ら ガボ ンまでの領土 に 「黄金海岸及 びガボ ンの フラ ンス植民地」 と呼 ばれ る行 政組織が設置 され た。 さ らにイ ン ド洋 ・太平洋 に進 出、 イン ド洋ではマ ダガス カルやスエ ズ運河付近 の ジブチ に寄港 地 を獲得 し、太平洋 では捕鯨船の補給地 と して タヒチやニ ュー カ レ ドニ アを 併 合す るに至 ってい る。 そ してその矛先 は極東地域へ と変 わ る

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年 にコーチ シナのサ イ ゴンを占領 した フラ ンスは、軍事 的 .経 済的利益 のため にコーチ シナ全土 の主権 を掌握 し

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年 に保護領 であ ったカ ンボジア を編入 して

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年 に仏領 イ ン ドシナ を誕生 させ て い る。 フラ ンスはイ ン ドシナ を足場 と し、 中国南西部- の侵入 を伺 っていた。 また 「第二次植民地帝 国」時代 の推進勢力 については、以下の ようになる

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年代 以

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5-史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) 降 にな る と、 フ ラ ンス の海外進 出につ いて経 済界 ・宗教界 の両者 が積極 的 に関わ って く る。例 を挙 げ ると、 フランスのアル ジェ リア遠征後 には、卸売商人 らが南 ア メ リカ ・中国 沿岸 を訪 問 し、海 軍省 に探検 隊 を派遣す るよ う提案 してい る。 -一方 で海 軍 と宗教団体 の利 害 関係 が一 致 し、 カ トリックはガ ボ ンが植 民地 と して獲得 され る と宣教師 を早急 に派遣 し、マ ダガスカル 、オセ アニア、極東 では領 土獲得 ・条約交渉前 に現地入 りしてい る。ま た、プ ロテ スタン ト宣教団 との争 いの際 には政府 の支援 を受 けていた。 カ トリック以外 に は、サ ン-シモ ン主義者 が同主義 の伝播 のた め、 フ リー メー ソンは植 民地拡 張が文 明の伝 (12) 播 と同様 で ある と して 、植 民活動 を賞賛 してい る。 3.東ア ジアへの関心 と経済進出 七年戦争 で東イ ン ド植 民地 の大部分 を失 い、ア ジアか ら手 を引いていた フ ランスが、極 東地域 に再び 目を向け るよ うにな るのは、ア- ン戦争後であ る。 七月王政政府 は、 1843年 に全権公使 ラグル ネ を清朝 に派遣 し、黄輔条約 を締結す るこ とに成功す る。 この時 ラグル ネ に同行 していた フ ランス経 済界 を代表す る4人 の通商使節 は、 1846年 ま で清朝 に留ま り、極東地域の通 商情事則文集 を行 った。 1850年代 に入 ると、停滞気味のフランス ・アジア 諸 国間の一般貿易 に変化 が生 じ始 め る。表1に示 され るよ うに、 1854年以降 、 フランスの アジア貿易 は増加 の一途 をた どるO特 に1887-96年 の輸入総額 と比較す る と増加 率は10倍 を越 え、急速 に貿易活動が活発化 したのが確認 で きる。 またアジア諸国か ら輸入 され た品 目は、表2で提示 され る通 りであ る。 中国 ・日本 か らは生糸 と油性種チ (落花生) を、イ 表 1. フランスの対 アジア ・オセ アニア一般輸入貿易 (1827-96年) 地域別構成 の推移 -10年 ご との年平均額 - 単位 :1,000フラン 1827-36 1837-46 1847-56 1857-66 1867-76 1877-86 1887-96 英 領 イ ン ド 21,006 31,147 39,103 81,117 119,737 209,033 220,661 蘭 領 イ ン ド 2,669 6,415 7,437 9,962 6,019 30,722 27,988 仏 領 イ ン ド 2,596 6,931 8,121

l

l,181 8,814 14.174 16,382 フ ィ リ ピ ン - 47,111,2,3976452 5812,,,658636837 1,438卜4巨

;;2:;94 3,770 4,027 中 国 - 巨巨 566984 133,328 141,713 日 本 .シ ャ ム - 43,954 67,381 ■イ ン ド シ ナ - 3,915 13,450 オース トラリア .オセアニア - 19,233 58,377 仏領オセアニア諸島 - 1,798 8,315 合 計 26,271 121,960 280,778 459,927 558,294 (注) 1) フィリピンの1837-46年棚の数字は1841-46年 の期間平均. 2)仏領オセアニア諸島の1877-86年欄の数字は1881-86年の期間平均. (出典)権上康男 『フランス帝国主義 とアジアーイン ドシナ銀行史研究-』 4頁

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-86-史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) 表2・ フ ラ ン ス の 対 ア ジ ア ・オ セ ア ニ ア 一 般 輸 入 貿 易 (1827-96年 ) 主 要 品 目の 動 向 - 10年 ご との 年 平 均 額 一 単 位 :1,000フ ラ ン 1827-36 1837-46 1847-56 1857-66 1867-76 1877-86 1887-96 柄 英 領 イ ン ド - i(0.022) 140 1,843 6,963 7,062 5,326 仏 鎖 イ ソ ド --- - - 320 160 44 中イ ン ド シ ナ日 本 .シ ャ ム国 15100 ll,904 111,468 10236,,383809433 1048,6,895885762 合 計 - 13,747 118,751 146,.082 161,795

)

( -) (0.3) (ll.3) (42.3) (31.8) (29.0) (B) ( -) (0.0) (0.1) (4.2) (25,9) (39.7) (56.1) 原 綿 英 領 イ ソ ド 437 423 328 19,445 37,084 34,619 22,831 仏 領 イ ン ド■ 1 39 21 21 626 320 160 44 オ - ス トフ リア .オセアニア 444 20,0765 合

476 349 37,404 34,779 22,875 (

(1.8) (0.9) (0.6) (16.5) (13.3) (7.6) (4.1) (a) (0.7) (0.4) (0.3) (7.4) (14.5) (16.1) (ll.6) 油性種子英 領 イ ン ド - 245 3,341 15,539 24,073 71,243 87,180 仏 領 イ ン ド -- 27394 1,320 3,424 2,272 9,086 13,379 日 本 .シ ャ ム - -■- -- - 337 80 仏領オセアニア -● -...■■. - ●-- I.081 315 合 計 ●-- 4,661 18,963 26,345 81.747 100,954 (

( -) (0.6) (7.9) (15.5) (9.4) (17.8) (18.1) (B) ( -) (0.7) (18.3) (28.9) (23.5) (52.0) (58.7) インディ英 領 イ ン ド 17.051 23.988 14,497 14,711 15,617 14,655 10,435 ∫ 満 額 イ ン ド 33 686 851 1,209 53 827 555 仏 儲 イ ソ ド 1,193 1,785 2,479 3,215 2,458 659 365 フ ィ リ ピ ン -ll- 125 73 49 I-- -■■ -イ ン ド シ ナ 26.584 58 合

18,277 17,900 19,184 18,128 16,141 ll,413 (

(69.6) (56.4) (30.4) (15.7) (6.5) (3.5) (2.0) 原 毛 英 領 イ ソ ド中オ ー ス トラ リア .オセアニア国 2! 25327 333756 422 575 215 1,220 84 - 1,388 344 3,811 33,242 仏鏡オセアニア 合 計 2 711 1,894 919 4,06842 34,48826

)

(0.0) (0.1) (1.2) (1.6) (0.3) (0.9) (6.2) (B) (0.0) (0.1) (1.0) (1.0) (0.3) (1.3) (10.0) (注)1) 抑 王対7ジア ・オセアニア輸入総領に占める割合 ((%)%).脚 ま同租品 目の輸入総額に占め る割合. 2)仏領 オ七アニ7の1877-86年の数字は1881-86年 の期間平均. 3)7ィt)ピソの1837■6年の数字は184ト46年の期間平均。 (出典)権 上康 男 『フ ランス帝 国主義 とア ジアーイ ン ドシナ銀行 史研 究 -』 5頁 -87 _

(7)

史料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) ン ドか らは綿 ・インデ ィゴ ・油性種子が中心 に輸入 された。特 にイ ン ドの インデ ィゴに代 わって、生糸 (捕)や綿が大量 にフランスへ輸入 されている。 この変化 については次 の二 \lい 点が指摘 されてい る。第一 に、 フランス最大の輸 出産業である絹工業 と綿工業 を襲 った原 料危機 が挙 げ られ る。絹工業 に関 しては、当時 ヨー ロ ッパ 中に蔓延 した蚕 の伝染病 によ り、原料 である生糸が激減 し、アジア地域、特 に生糸の生産地であった中国 と日本か ら生 糸 を輸入せ ざるを得 なかった。綿工業 に関 しては、 フランスにとって原綿 の最大輸入相手 国であ った アメ リカが南北戦争 に突入 し、原料 の供給 が困難 になった。 これ も生糸 と同 様、 アジアに原料 を求めることとなる。第二 に、第二帝政政府が

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年 にイギ リス と 「自 由通商条約」 を締結 し、それ までの保護貿易主義 を基調 とす る通商政策 を自由貿易主義の 方針 に転換 したこ とが挙 げ られる。 フランス革命後、復古王政 ・七月王政政府 は保護貿易 主義路線 を採用 し、綿工業や製鉄業、機械工業等 を保護 していた。 しか しフランス工業界 が力 を蓄 え、輸 出市場 を求めて貿易 自由化 を要求す る声が高 まると

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年のイギ リス と の 自由通商条約 を皮切 りにヨーロッパ主要国 と条約 を締結 したのである。 この ような自由 貿易主義へ の方向転換 によ り、第二帝政政府 はアジア市場で原料調達 を容易 にす る手段 を 講 じることとな り、政府の積極 的対外拡張政策 によって、原材料 の短距離輸入ルー トが確 立 された。 ただ し、 アジア ・オセアニア諸国か らフランスへの総輸入量 は

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世紀後半で す ら約

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%

足 らずであ り、 アジア ・オセアニア地域 に対す るフランスの経済的期待 はそれ ほ ど過大 な ものではない。

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年代 以降 になる と、 フランスの東 アジアにおける関心 は、 イ ン ドシナ半島にスライ ドし、 イン ドシナ半 島は本格的な中国進出のための前進基地 として機能す る ようになる。 また

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世紀末 まで に、 イン ドシナを中心 とした貿易構造が形成 され、仏領 イ ン ドシナか ら は中国へ米 を輸 出 し、中国か らはイン ドへ茶 を、英領 イン ド及び他 の フラ ンス植民地か ら ilLLl は綿製品 を輸入す る三角貿易構造が確立 した。 フランス本国か らは葡萄酒や機械、鉄道資 材 を中心 に輸 出 された。だが、 フランス本 国か ら仏領 イン ドシナへ の輸入量 は、仏領 イン ドシナ総輸入量 の

1

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%

に過 ぎず、逆 に仏領 イン ドシナか らフランス本国へ の輸出量 は、総 輸 出量 の

2%

に過 ぎなかったのである。 この ようにフランスは、 イギ リスの世界市場独 占に対抗 しつつ、 アジア地域 に進出 を計 った。 この時期 の フランスの海外進出 と密接 に関わっていたのが、 カ トリックの海外布教 活動 であった。

4.

フランスの対外拡張政策 とカ トリックの海外布教 上述 した ように

、1

9

世紀の フランスの対外拡張政策はカ トリックと密接 な関係 にあ り、 カ トリックは海外布教 のため、 よ り厳密 にはフランス人宣教師の保護のため にフランス海 軍 と協力 関係 にあ った。 フラ ンス本 国 (政府 ・海軍 ・経済界)、 カ トリック、植民地、探 検 隊 ・航海船の四着の関係 を記 した次頁の図 1よ り次の ようなことが考究で きる。 まず、 フランス本 国 (政府 ・海軍 ・経済界)は植民地の獲得及 び支配のために、宣教 師

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史料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) 本国 (政府 ・経済界)- 植民地 :植民地の拡大 ・利益 - カ トリック :現地 との交渉 ・植民地支配に利用 - 探検家 ・航海船 :植民地拡大に利用 図 1. フラ ンス本 国、植民地、 カ トリック、探検 隊 ・航海船の四者の関係 図 (原拠)1997年度 日本 フランス語 フランス学会秋季大会 シンポジウム 『琉球 とフランス』 小川早百合 「キ リス ト教の再布教 における琉球の位置」 をもとに作成 を現 地情報 の提供者 、一種 の 「外 交官」 として利用す るため積極 的 に保 護 した。宣教 師 は、 国交 の ない アジア諸国で本 国政府 ・海軍 の保護 を受 ける代 わ りに、現 地情報 を提供 し、条約交渉の際 には通訳 ・「外交官」 を務 めた。 フランス本国に とって植 民地支配は国 勢 の拡大 と同義であ り、本国政府 。経済界 に政治的 ・経済的利益 を もた ら した。 さらに当 時の探検家 ・航海者 は本国政府 ・海軍 ・経済界か ら支援 を受 けるかわ りに情報 を提供 し、 政府 ・海軍 ・経済界 は彼 らを支援 しなが ら植民地拡大の際の情報提供者、あ るいは植民地 開発 の先駆 的存在 と して認容、彼 らが発見 ・獲得 した土地 をフラ ンス植 民 地 とした。一 方 、植民地 はカ トリシスムバ ージ ョンの 「文 明化 の使命 (CivilizingMission)」 を掲 げ ていたカ トリック宣教 師を通 して西洋文 明 を享受 し、カ トリックは植民地で布教 を行 い、 教勢 の拡大 を目指 した。当時の探検家 ・航海者 は植民地 を寄港地 として利用 し、植民地は 彼 らに情報 を提供 し、その情報 は彼 らが未 開の地 に向か う際 に利用 された。 そ してカ トリ ック、探検家 ・航海者 は、互いに情報 の提供 を行 っていた と推察 される。 この ように19世紀 中葉、七月王政か ら第二帝政時代 に至 るまで、 フランス政府 (海軍) ・経済界 、 カ トリック、探検 隊 ・航海者、植民地の四者が緊密 な関係 にあ った ことがわか る。 だが七月王政政府 は、 フランス革命 の原理 を内包す る性格 を有 していた。国内ではカ トリックを国教 か ら国民多数派の宗教 に格下げ し、ユ ダヤ教 に宗教予算す ら配 した。 また フランス革命期 の革命家の彫刻 を設置 した り、 自由の女神像 の議会への復 帰 を容認 してい る。それ に もかかわ らず国外、特 にアジア政策 においては、カ トリックの海外布教活動 と 連携 ・協力 しているのである。 この ような相反す る七 月王政政府の政策 は、 国内の反体制 活動 を黙認 していることか らも示唆 してい るように、七月王政期 の リベ ラル な性格 を表す 一面 と言 え よう。 また、 フラ ンスの アジア政策 について論 じた同時代 人のC.ラボ レーは、条約締結 によ って フランス人宣教 師の布教活動が安全 に行 えるようになったことを賞賛 し、重要主題 と 思 われ る市場拡大の成果 については触 れていない。彼 の主張 は、当時の フラ ンスの極東 ・ 89

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-史料 編 集室 紀 要 第25号 (2000) 東 アジア政策が経 済的動機 よ り、宗教等 の文化 的動機 の方が大 きか った こ とを示唆す る例 (1(∼) であ る。 カ トリック側 が政治権力 に保護 と現地へ の介入 を求めた例証 として、 イ ン ドシナ半 島在 の-司教 に よる、第二帝政政府へ の要求が挙 げ られ る。 コーチ シナのベ ル ラ ン司教 は、 フ (17) ラ ンス本 国 に帰 国後、政府 に次 の ような報告書 を提 出 した。 <ベルラン司教の報告> 「現皇帝嗣徳帝を退位 させ、その代わ りにカ トリック教徒の王、あるいはせめてフランス人の信 仰 にとって望ましい王を王位に就かせたい」 報告書の 中でベ ル ラン司教 は、政府 にコーチシナ におけるキ リス ト教保護 のため、 コー チ シナの元 首交代 を実行 させ る武力介入 を希 求 した。実際 にこれは、 フラ ンス ・イン ドシ ナ艦 隊 に よる1859年 のサ イ ゴン占領 に発展 す る。 また朝鮮 での江華 島侵 入事 件 (丙寅洋 擾) も、 フラ ンス人宣教 師が海軍 を要請 し、武力介入 させ た事例 であ る。本 来、宗教 的 な 活動 のみ に限定 され るべ き聖職者が、 カ トリックの海外活動 のため に政府 を動 かそ うと し たのであ る。 この ような実例 は、 フラ ンス国内で カ トリック勢力が伸 張 し、政府 に対す る 影響 力が強 ま り、政府 に対す る聖職者 の要請がたやす く行 えるようになっていたフランス の内情 を示 してい る。無論 、政府 に も宣教 師 を積極 的 に保護す る必要性 が あ った。第二帝 政期 に入 る と、宣教 師の保護 は、情報提供者 や 「外 交官」 と して必要 であ る とい う理 由以 外 に、 フラ ンス政府が該 当国での武力介入 を正当化 す るため、世論 に考慮 して準備 した、 政府 の不可欠 な説得手段 として重要視 されていた。そのため フランス政府 は 「カ トリック (18) の公式 の保 護者」 として積極 的 にカ トリックの保護 に乗 り出 し、宣教 師 も率先 して国家 の 、tlい 利益 に奉仕 したい と願 っていたのであ る。

Ⅱ。

琉 球 王 国 にお け る条 約 交 渉

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.極 東 とラグル ネ使節 団 アヘ ン戦争 の勃発後 の1841年、ギ ゾ-はアヘ ン戦争 中の清朝 の状況 を観 察す るため、広 東 に代 表団 を派遣 してい る。 ギゾ-は代 表団 に以下 の

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点 を指示 した。 ①直接広東で、清朝の政治状況 と極東におけるフランスの貿易活動及び拡大の見通 しについて、 情報を入手すること。 ②極東でフランスが果たしうる役割について、明確に提示 し報告すること。 (彰国家の威信 にかけて、フランスの存在をアピールすること。 さ らにギ ゾ-は、海軍基地 と貿易 のための貯蓄倉庫 を極東地域 で確保 す る ことを考 えて (20) いた。1843年9月のギゾ-の指令 で、 この海軍基地 は 「中国のす ぐ近 くに」建設す る よう (21) (22) 明言 されてお り、基地の条件 について以下の2点 を提示 した。 ①周辺地城の人々と政治的 。商業的接触を拡大するための施設 と、船舶の寄港地 として利用でき -9

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ること。 (参その基地は、広 くて取 り囲まれた湾であること、そして豊富な必需品と水の確保が可能な地域 であるとともに、穏やかな気候であること。 この計画 についてギゾ-は、イギ リス、スペ イン、ポル トガルが領有す る港 に、 これ ら の国々の好意で フラ ンス船 は寄港 しているが、その依存状態か ら脱却 しなければならない こと、寄港地 を通 して、東 アジア ・極東諸国 と政治的 ・商業的結合 を強めること、 この2 (23) 点 を計画の理 由 と して提示 している。 この指令 に基づ き、 さまざまな計 画が持 ち上が り検 討 された. シャム、 ビルマ、 コーチシナ等の国々を植民地化す る計画 は、大規模 な軍隊の 派遣 と多大 な出費がか さむ上 に、ギゾ-の対外拡張政策 に反す るため見送 られた.ギゾ-は当初、 イン ドシナ沖合 に在す るプ一口 ・コン ドール島を候補 に挙 げていた。 しか しこの 島はイギ リス領 シ ンガポールに比較的近いため、 イギ リスに配慮 し断念 された。次 に候補 (25) に挙が ったのはツー ラン港 である。だが ツー ランには問題があった。確 かに、港 は艦隊の 避難港 として利用 で きるが、その湾は浅瀬であ り、大型船 は集落か ら離れた場所 に投錨せ ざるをえなか った。 またツーランの集落 には有望 な資源 ・工業 も発達 していないため、経 (2(I) (27) 済的観点か らも却下 された.そ してス-ルー諸 島のバ シラン島が最有力地域 として着 目さ れ る。ス-ルー諸 島付近の海域は、中国か らアメリカへ向か う海上の道で、広東か らヨー ロ ッパ各 国への航路 で もあ った。 さらにバ シラン島の港 は良港で、気候 も適 していた。そ こで フランス ・イ ン ドシナ艦隊は

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年 に数人の水兵が現地で殺害 された ことも受 け、 バ シラ ン島へ の侵 入 を開始す る。 これ に対 し、当時 フィリピンを領有 してい たスペ イン は、 この侵入行為 に抗議 し、バ シラン島の領有権 を主張 したため、 フランス 。イン ドシナ 艦 隊は計画 を一旦 中止す る。ギゾ-は、バ シラン島をめ ぐってスペ イ ンと敵対す ることは 無意味 と判断 し、計 画 を廃 した。結局、バ シラン島の領有 も断念 されたのであ る。

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年 にイギ リス と清朝 との間に南京条約が結 ばれ る と、ギゾ-は続 いて

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月に ・・・.<L テオ ドール 。ド ・ラグルネを全権公使 とす るフランス使節団 を北京 に派遣 した。 フランス 使節団の護衛 として随行 したのが、 フランス ・イン ドシナ艦隊のセシル提督 である。セシ ル提督 は、本国政府 の信頼 の厚い人物 であ り、極東で発生す る小事件や詳細 な情報 を政府 に報告 していた。 また、本 国政府 に行動指針 を与 え、極東で フランスが積極 的 な関わ りを (2()) 持 つ よう進言 し、実際 にその政策 を推進す る機会 を与 えたのはセシル提督の書簡であった といわれている。 アヘ ン戦争の際 にフランスが中立 を守 り、戦争 に介入 しなか ったの もセ シル提督の思惟 に よる ものである。 ラグルネ使節団は、その主 目的 を清朝 との通商 と した が 、極秘任務 と して

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月のギ ゾ-の指令 に基づ き、中国周辺 海域 に領土の足場 (基地) を獲得 す る ことが挙 げ られていた

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年、 ラグルネ使節 団 は条約 の交渉 に入 り、南京条約同様 、広州等 の開港 と自由貿易、対等 な国交 と領事常駐等 を清朝政府 に認め させた。 さらに宣教 師の伝道の 自由を認 め させ、 カ トリックに関心 ・理解 を示す 中国人 を 処罰 しない よう条約 に盛 り込 んでい る。 また使節団は、条約交渉の際に琉球 を取 り上げた

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月、 フランスは中国本土 に

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-91-史料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) 香 港 に類 す る租借 地 を求め る文書 を清朝 政府 に提 出 した。 これ に対 し、清朝 政府 は清朝 が 再 びアヘ ン戦争 の ような国家 的危機 に陥 った とき、 フラ ンスが調停 に乗 り出す ことを条件 と して協定 の同意 を申 し出た。使節 団 はその条件 をその まま受 け入れ るこ とはせず、条件 を受諾す るため には、見返 りとして フラ ンス による琉球諸 島の支配 を清朝 政府 に要求 した ('!0) のである。 この件 に関 しては、 イギ リスが清朝 の賠償金 の支払 いのための担保 と して舟 山 (31) 島 を占領 していた こ とに関連 してい た。要す るにイギ リスが享受す る利権 は、 フランス に 対 して も認 め させ よ うとしていたのである。 さらに使節 団は、 フラ ンス以外 の列強 に琉球 (32) 諸 島 を譲渡 させ ない こ とを上記の代 案 として清朝側 に提示 したが、 これ も拒 否 され た。 ラ グルネ使節 団は、交 渉 に先立 つ1844年4月にセ シル提督が琉球 に分遣艦 隊 を派遣 していた (33) ため、琉 球 に関す る よ り詳細 な情報 を入手 していた と推論 で きるので あ る。 この時初 め て、 フランスが琉 球 に関心 を寄せ てい る ことが 国際社会 に表明 され たので あ った。 2,第1回対琉条 約交渉 (1844年 ・1846年) 琉球接触 の最初 の試み は1844年の ことである. セシル提督 は1843年9月の ギゾ-の指令 を受 け、 ラグルネ使節 団が北京で条約交渉 を行 う機 会 を利用 し、 フォルニエ ・デュプラン 大佐率 い るコルベ ッ ト艦 アル クメ-ヌ号 を琉球 に派遣す る計 画 を立 てる。 その際セ シル提 督 は、 自身が琉球 王府 と条約交渉 を行 う際の通訳官 と して (同時 に 日本 開国 に備 えるため の通訳官養成 も視 野 に入 れ なが ら)、宣教 師 を一 人琉球 に送 りたい とす る旨 をパ リ外 国宣 (34) (3:)) 教 会マ カオ支部 の リボ ワに申 し出た。 リボ ワは フオルカ- ド神父 と中国人伝 道士 オーギュ ス タン ・高 をセ シル提 督 に推 薦 し、1844年4月4日、 デ ュプ ラ ンと共 にマ カオ港 か ら出 発 、同年4月28日に那覇港 に到着 してい る。 デュプラ ンは二人の宣教 師 を通訳官 とい う身 (3()) 分 で上陸 させ、琉 球王府 と交渉 に入 った。 フランス と琉球 の交渉の場 は、那 覇地方官 の 自 宅 とされた聖硯寺 に設定 された。王府側 は、那覇 に近 い天久村 の聖硯寺 に那覇地方官の 自 宅 と偽 って招 き入 れたのだが、 これ には、見すぼ ら しい寺 院にデュプラン一行 を招 き、い か に琉球が貧 しいか をア ピール し、通商交渉 を諦 め させ る琉球側 の 目論見 が あった.1844 年 の交渉 は、将来 フランスが琉球 と通商条約 を結ぶ考 えのあ ること、後 にセ シル提督が条 約締結 のため来琉 す る予定 であるこ と、 さらに二 人の フランス人 (宣教 師) を通訳官 と し て育成す るため、琉 球 に滞在 させ る よう要求 した。 これ に対 し王府側 は、 フランス との通 商が認め られ ない こ とを主張 し、重 要事項 の決定権 は中国 にある と回答 している。王府 は 西洋諸国 との貿易 を禁止 してお り、 当然 キ リス ト教 の布教 も禁止 していた。 これは琉球 を 支配 していた江戸 幕府 ・薩摩 藩 と関係 してい る。 よって、異 国船 に対 しては穏便 に国外 に 退去 させ る方途 を と り、通 商要求の際 には時間稼 ぎに よる交渉断念 を狙 ったのであ る。結 局 、デュプラ ンは フ オルカ- ドらを強引 に滞在 させ

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日にはセ シル提 督 と合流す る ため、那覇港 を出発 した。 1844年の対琉球 交渉 は、 フランスが琉球 と通商条約 を締結す る用意があ る こと、二 人の 宣教 師 を通訳官 と して琉球 に滞在 させ る ことを王府 に認 め させ、再訪す る意志があ ること

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_92-史料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) を伝 え終了 した。デュプランは数 ヶ月後 にセシル提督が来琉す ると言い残 したのだが、実 際 にセ シル提督が来琉 したのは、1846年 6月になってか らである。その間セシル提督 はラ グルネ と共 に、先述 したバ シラン事件 を引 き起 こ してお り、直ちに来琉す る ことが不可能 であ った。1846年 5月 にセ シル提督 は、一隻 の コルベ ッ ト艦 を先発 として琉球 に派遣す る。 1846年 5月 1日、ゲラン率いるコルベ ッ ト艦サ ビーヌ号が来琉す る。ゲラ ンは来琉前 に 受 けたセシル提督の命令 で、運天港周辺 の調査 を行 った。セシル提督 は、ゲ ランに道夫港 (:i7) 周辺の調査 を重要 な任務 として与えていた。運天港 はバ ジル ・ホールや クラブロー トらが 「良港」 として著書 の中で紹介 した港 であ り、バ シラン島の獲得 に失敗 していたセ シル提 督 は、 この港 を調査 の上、寄港地 として適 してい るな らば 「海軍基地」 として利用 しよう とした可能性 がある。 6月5日、セシル提督率い るフリゲー ト艦 ク レオパ トラ号が那覇港 に一時入港 し、運天 (38) 港へ移動す る。運天港 を調査 したセシル提督 は、総理官 尚延柱 とクレオパ トラ号艦上で会 見 した。セシル提督 は、 フランスが イギ リス と違 って平和 的な外交政策 を押 し進 めている こと、条約 を締結す ることで フランスの協力が得 られ ること、 さらにフランス と通商 を行 うことで昔 日の中継貿易 国家 ・琉球が復活す ることを王府側 に主張 し、通商条約の締結 を は じめて王府 に提示 した。 この中で注 目すべ き点 は

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点 目の主張である。 フランス との通 商 を通 して、琉球が昔 日の中継貿易国家 にな りうる とい う主張は、セシルの 「琉球 を日本 (3()) 貿易の保税倉庫 にす る」 とい う考 えに基づ くものであった。 この構想 は琉球商人 をフラン ス商人の代理人 として、 日本か らフランスの市場需要 に合致す る品物 を輸入 し、 またフラ ンス製品や、制 限 を受 けてい るオランダ商人が 日本 に輸 入困難である品物 を、琉球商人 を (40) 介 して長崎で販売す る、 とい うものである。つ ま り、 フランス-琉球 -日本 を結ぶ 中継貿 易構想 をセ シル提督 は有 していたのである。 さらにセ シル提督 は、「黄浦条約」 と1844年 12月に清朝 で公布 された 「宗教寛容の勅令」 を王府側 に提示 している。セシル提督 は、 フ ランスが清朝 と結 んだ通商条約やキ リス ト教解禁 に関す る命令 を提示 して、宗主国 ・活 と 同様 に、琉球 も条約 を締結す るよう勧告 したのである。 これ に対 し琉球王府 は、1844年 と同様 にフランス との通商、キ リス ト教 の布教 を拒否 し ・∃て、 た.セシル提督 はなお もヨー ロッパ人 と交易す ることの有益性や フランスの保護 を受 ける ({12) 有用性 (日本 に よる琉球支配か らの脱却 を説 く) を主張 し条約締結 を迫 った。 しか し総理 官 尚廷柱 は、 ヨー ロ ッパ との通商が琉球の経済力 を越 えること、 日本 との通商が途絶 えて しまうこと、 さらに 日本 との通商関係が崩れ る と琉球が成 り立たないことを繰 り返 し、拒 (rl`i〕 絶 したのである。セ シル提督 は琉球 との条約交渉 を一旦諦め、滞在す る宣教 師 に監視人 を つ けず、 自由 に行 動 させ 、語学 を学ぶ ための本 や教 師 を与 える こと等 を王府側 に約束 さ せ、長崎 。朝鮮 に向けて出発 した。 以上の ように、第1回対琉条約交渉は琉球側 の拒絶 によって幕 を閉 じる。 しか し、 フラ ンス側 は琉球が 日本 ・朝鮮へ向か う際の寄港地 として、 日本への中継貿易のための 「保税

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-93-史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) 倉庫 」 (日本 へ の輸 出 品が制限 されてい る問題 もあ るが) と しての可能性 を琉球 に抱 いて いた。 この構 想 の背景 には、極東進 出に後 れ を と り中国 との交渉 に先 を越 された フランス 側 が、 日本 との通商 についてはイギ リス よ りも先 に通商関係 を結 びたい とす る競争心 も複 雑 に絡 んでいた と推量 で きる。

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回対琉条約交渉 (1855年) I.1い セ シル提督 の条約交渉か ら9年後の1855年 に、再 びゲ ラ ン提磨率 いるヴ イルジ二一号以 (15) 下合計3隻が来琉 す る。 ゲラ ン提督 は総理官 に通商 を要求す る書簡 を提 出、第- 回交渉が 11月10日に行 われ、以後6回にわた り条約交渉が行 われた。本交渉 はゲ ラ ン提督 に よって 強引 に進 め られ る。 ゲ ラン提督の強引で高圧 的な条約交渉 は、前 回のセシル提督 の穏健 な それ と対照 的であ る。両 者の交渉術 の差異 は、ギ ゾ-の 「寄港地」主義政策 と第二帝政政 府 の積極 的対外拡張政策 の違 い も少 なか らず あるが、 む しろ前 回 と比べ フラ ンス側 が焦燥 感 を抱 いてい た こ とに着 目 したい。 これ についてはゲ ラン提督が急速、琉球 に派遣 された ことに関連 す るの だが、考察す る前 に、本交渉で締結 された琉仏条約の内容 について検討 しよう。 、lい 琉仏 条約 は全 部 で11項 目か ら成 る。従 来 、琉仏 条約 につ いて は、琉米条約 (1854年締 結) に比べ 、最恵 国待遇条項、宣教 師- の土地 ・家屋貸借 について加筆 されてい る、 との (17) 評価 のみで、 フラ ンス側 の条約締結 の背景等が論 じられてい ない。琉仏条約 は、 フラ ンス 船 の琉球寄港 に関す る規定、 フランス人の琉球 にお ける商 品売買 に関す る規定、 フラ ンス 人脱走兵 ・脱走者 の取 り扱 いに関す る規定 、乱 闘事件が発生 した場合 の取 り扱 い に関す る 規定、最恵 国待遇 に関す る規定等 の他 に、土地や家屋 、石炭貯蔵施設の提供 ・貸借 につい て規 定 してお り、布 教 ・通 商 ・寄港基地 と して、琉 球 を利 用 す るこ とが可 能 となってい る。特 に第2条の土地 ・家屋 の王府 による提供 .貸借 の規定 は注 目に値 し、宣教 師の ため ではな くフラ ンス人のための規定 となってい る。当然、土地 ・家屋 は宣教 師以外 の フラン ス人 に も提供 され るのであ り、中継貿易構想 を実硯 す るための 「保税倉庫」 を建設す るこ とも可能 とな る。 で は、 なぜ1855年 に フランスが琉球へ ゲ ラ ン提督 を急速派遣す る必要があ ったのだろ う か。その理 由 と して、以下 の4点が挙 げ られ る。 まず一点 目 として、 アメ リカの極東進 出があ った。他 の列強諸 国に比べ て極東進出 に遅 れ を とってい た合衆 国政府 は、第- にサ ンフランシス コと中国 を結 ぶ航路 の創設、第二 に 日本 との国交樹 立 と通商 の要求、最後 に捕鯨船の寄港地の獲得 を目指 し、ペ リー提督 を 日 本 に派遣す るoペ リー提督 は 日本 と交渉 に入 る前 に琉球 を訪れ、琉球 を拠点 と して 日本へ 開国 を要求 した。彼 は琉球滞在 中 に、以 下の上 申書 を合衆 国海軍長官 に提 出 している。 <ペリー提督からケネディ海軍長官への上申書 (1852年12月14日付 マディラ島)> 「万一、日本政府が本土にかかる港 (米国の捕鯨船、その他の船舶の避難や物資補給のための 港)を承認することに反対 したならば、〔中略〕我が艦隊が日本の南にある、良港 を有 し、水や -94_

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史料編 集室紀 要 第25号 (2000) 糧食 を入手する設備 を備 えた1、2の島に艦船集合基地 を設営 し、住民 を懐柔 しなければならな い。〔中略〕琉球群 島 と呼ばれる諸島は、数百年前、 日本の武力 によって征服 されたので、 日本 の属 国であるといわれているが、その諸島の事実上の主権 については、中国政府 によって異議が 唱えられている。 〔中略〕我が艦船の補給 と、 どの国の商船であれ、その安全 な碇泊のために、 この諸島の主要諸港 を占領することは、道徳上の慣習の最 も厳格 な規範 によって、正当化 される 処置であるのみならず、 またやむを得ぬ必要がある場合の慣例 によって も考慮 さるべ きものであ る、 と私 には思われるのである。」 ペ リー提 督 は上 申書 の 中で 、那 覇 を艦 隊の基 地 とす る こ とや、 日本 との条 約 交 渉が不 調 に終 わ った場 合 、琉 球 を占領 す る意志 を海軍 長 官 に伝 えてい る。 この ペ リー提 督 の上 申書 に対 し、 国務 長 官 エ ヴェ レ ッ トは 「琉 球 諸 島 にお い て この 目的 を一番 達 成 す る こ とが で き る と考 え る こ とには、大 統 領 は貴 下 と同意見 で あ る」 と して琉 球 の 占領 に全 面 的支持 を与 えて い た。 そ の後 、 日米和 親 条 約 の締 結 に成功 したペ リー提 督 は、 1854年7月 に琉 米 条 約 を締 結 す る。 琉 米 条約締 結前 の 1854年 1月 に、 フラ ンス政府 はペ リ」 是督 が琉 球 王 府 か ら 「特 別 な利 益 を獲 得 す る」 とい う情 報 を入手 す る と、 ア メ リカの思惑 に対 し不 安 な態度 を見せ る。海 I-ト 軍 及 び植 民 地担 当大 臣 は、外 務大 臣 に次 の よ うな書 簡 を送付 した。 <海軍大臣テオ ドール-デュコか ら外務大臣への書簡 (1854年1月25E]付 パ リ) > 「親愛なる同僚、外務大臣殿。今月13日に、アメリカ合衆国が中国及び 日本海城 に派遣 した遠征 隊について、そ してコモ ドア-ペ リーが琉球王府から獲得するであろう諸権利、つ ま りアメリカ のために、小笠原諸島の二見港のような恒久的な施設 を、琉球諸島に設置することを目指 した諸 権利 についての様 々な情報 を書いて下 さった私宛の書簡を受け取 りました。 寄港及び補給の地 と見 なされたこの島々は、ホノルルを介 して中国、 日本 とアメリカの海岸 を 必然的に結 び付 けますo従 ってこの島々は、太平洋における我々の進出 と一般的な商業的利益 と い う視点で現実的な重要性 を持 っているのです。それ故私 は、コモ ドア-ペ リーが アメリカ人の 有利 になるように規定 した利権 と類似する利権 を獲得す る、必要な手段 を実行するため、私は レ ユニオ ン島及びイ ン ドシナ方面担 当局長のM.ラゲ-ル海軍准将 に、急 いで指令書 を送 りま し た

この 書 簡 の 中で 海 軍 大 臣 は、 ア メ リカの 一 連 の行 為 に対 す る懸 念 と、琉 球 諸 島の必 要 性 、 ペ リーが琉 球王 府 か ら獲 得 した利 権 と同様 な利 権 を獲得 す る よ う進 言 して い る。 さ ら に、在 中 フ ラ ンス公 使 ブ ー ル ブ ロ ン もペ リー提 督 が琉 球 を占領 す る計 画 が あ る こ とを外 務 (50) 大 臣 に伝 えて い る。 <在中フランス公使 ブールブロンか ら外務大臣への書簡 (1854年 4月 4日付 マカオ) > 「- コモ ドア-ペ リーは、最初の 日本訪問の後、合衆国政府の名 において (しか しながら完全 に 領有 してい るわけではあ りませ んが)琉球諸島を領有す る姿勢 を明 白にとってい る と断言 しま す。 しか しこれは、 日本政府が合衆国の正当な要求に満足 を与 えるまでの一種の保険のようなも のです。」 また海 軍 及 び植 民 地担 当大 臣の デ ュ コは、 6月 に再 び琉 球 諸 島の重 要性 とア メ リカが琉 (51) 球 王 府 か ら得 た利 権 を フ ラ ンス も獲 得 す る よ う次 の よ うに進 言 した。

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-95-史料編 集 室紀 要 第25号 (2000) <海軍大臣テオ ドール-デュコか ら外務大臣への書簡 (1854年6月21日付 パ リ) > 「親愛 なる同僚、外務大臣殿。先月6日にイギ リス政府 によって提案 された主題 について、つ ま り小笠原諸島を占領 し、そこにあらゆる国籍の船が避難 ・補給ので きる港 を設置するために、フ ランス ・アメリカ政府間で協議することについて、私宛の至急便 を受け取 りました。 - 私 は太平洋地域 を頻繁 に通過す る多 くの捕鯨船 を考慮 した上で、琉球諸島 と小笠原諸島に 施設 を設置する重要性 について正確 な報告 を しました。損傷 を受 けたフランスの捕鯨船が小笠原 諸島で修理 した り、水や薪、生鮮食料品を入手 しているという情事鋸ま、小笠原諸島に滞在 した遠 洋航海の船長や軍の士官か ら集めた情報 に由来 します。 またその島々に設置 される予定の施設 が、必要 な資材 や資源 を各島内で入手 し、捕鯨船 に確実に提供で きれば、大変喜 ば しいことであ ります。 また他方で、近い将来、ホノルルを介 して中国及び日本 とアメ リカ西海岸 を結ぶに違いない大 型船のための寄港地及び補給地 とい う、琉球諸島の ような島々が真 の重要性 を持 っているので す。太平洋上の基地 と我が フランスの一般的な商業的視点か らすれば、この島々は恒久的な施設 を設置す る現実 的な利益 しかあ りませ ん。私が既 にイン ド及び中国海域方面の フランス海軍基地 司令官 に指示を与 え、そ してまたコモ ドア-ペ リーが先 に琉球王府の高官か ら獲得 した諸利権 に 類する利権 を、 フランスの有利 になるよう [条約文中に]規程 しなければならないことを、今年 1月25日にあなたに伝 えま した。」 ※ []は筆者 による この よ うに フラ ンス側 は ア メ リカの極東 進 出 に対 し懸念 を抱 い てお り、 ア メ リカ に対 抗 して琉 球 王 府 と条 約 を締 結 す る こ とで、 ア メ リカ と同等 、 も し くはそ れ以 上 の権利 を獲 得 す る意志 を有 して い た。 次 に二 点 目 と して 、 ロシ ア に対 す る警 戒 心 と軍 事 的必 要性 が挙 げ られ る。 プチ ャーチ ン 提 督 率 い る ロシア艦 隊 の極 東 地域 にお け る展 開 とロシ アの 中 国北 部- の進 出 に対 し、 フ ラ (52) ンス政府 は注意 を払 ってい た。外 務 大 臣 は在 中 フ ラ ンス公使 に、次 の よ うな書 簡 を送付 し て い る。 < フランス外務大臣か ら在中フランス公使ブールブロンへの書簡(1854年1月7日付)

>

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・・反乱 [太平天国の乱]の鎮圧 を援助するため、ロシアが兵士、武器 ・弾薬 といった有効 な救援策 をタタール政府 [清朝政府] に約束 した特別 な書簡について、私 はその概要をあなたに 知 らせ る必要があると思 っています。中国政府 はロシア政府の介入 を受容することに梼蹄 してい ない し、かな りの犠牲、例 えばサハ リン沿岸部に要塞 を建設する権利 をロシア側 に認める代わ り に、ロシア政府の援助 を受 け入れることに同意す らしていることを付 け加 えましょう。私は、あ なたがで きる範囲で、サ ンク ト・ペテルブルク政府の計画 を注意深 く観察 し、この宮廷の真の意 図や中国における [ロシアの]影響力の浸透 について、我 々に教 えうる最新情報 を入手 して くだ さるようお願い します

※ []は筆者 による この よ うに外務 大 臣 は、在 中 フラ ンス公使 ブー ル ブ ロ ンに ロシ アの動 向 を監視 し、その 情 報 を流 す よ う要 請 して い る。 また ク リ ミア戦争 に伴 う作 戦 で、極 東 にお け るイギ リス ・ (r)Li) フ ラ ンス艦 隊 に よ る ロシ ア艦 隊 の迫撃 戦 が行 われ てい た。 この こ とか らロシ ア艦 隊対 策 や 極 東 にお け る フラ ンス の影 響 力保 持 の ため、軍事 的寄港 地 と して琉 球 を利 用 す る考 えが あ った と言 え よ う。 琉 仏 条 約 第2条 の土 地 ・家屋 の貸借 の規定 に よって、琉 球 へ の フ ラ ンス 海 軍 の軍 事 施設 の設 置 が 可 能 とな るの で あ る。 -9

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6-史料 編 集室 紀 要 第25号 (2000) また三点 目に海賊 船対 策が挙 げ られ る。当時、極東 ・東南 アジアでは海賊 が出没 してい た。同時代 人の

C.

ラボ レーは、バ シラン島 を獲得 で きた な らば、「フランス は海賊船が出 没す る当該地域 に警 察力 を行使 す ることがで き、 この海賊行為 の一掃 に よって文明世界 の (54) 視点か ら、 フラ ンス に多 くの名誉 を生 じさせ る」 だろ うと指摘 してい る。 イギ リス ・スペ イ ン ・オ ランダな どの商船が頻繁 に通過す るこの地域 での警察力 の行使 は、安全 な航 海が 約束 され るばか りか、 フランス に名誉 を もた らす ことがで きるのである。実 際、ゲ ラ ン提 督 は王府 に対 し、条約 を締結す ることによって フラ ンスの保護が受 け られ る ことにな り、 海敗船 か ら守 られて琉球 の船舶が安全 に航海で きる ようになる と主張 した。つ ま り、琉球 の諸港が フラ ンス海軍 の寄港地 となった場合、琉球諸 島 を中心 とす る海域 に警察力 を行使 す ることが で きるのであ る。 この背景 には、 この頃か ら増大 しつつ ある 日本 及 び中国 とフ ラ ンス を結 ぶ原料輸 入 ルー トの安全確保があ った と推測で きる。 最後 に四点 目と して、文 明国 としての使命、いわゆ る 「文明化 の使命」が挙 げ られ る。 ゲ ラン提督 の艦 隊 に随行 していたイ リュス トラシオ ン特派員 は、琉仏条約の締結 について (5[)) 以下の ように述べ てい る。 <イリュス トラシオン特派員の報告> 「ゲラン提督がフランス商人に提供 した便宜[琉仏条約のこと]を彼 らが利用するつ もりがないと しても、少なくとも条約は、フランスの名において勇敢な宣教師たちを保護することとなり (ち っとも彼 らにとっては琉球は日本の-階梯にすぎないのですが)、この遠隔の国々における我が 国の平和的な影響力と文明のための行動を続けさせるものであ ります

※ []は筆者による イ リュス トラシオ ン特派員 は、条約締結 を経済的理 由 とい うよ りも、文 明化のための行 動、つ ま り文化 的理 由が重要 であ る と報 じているのであ る。西洋近代化 の先頭 を切 った フ ラ ンス は、 フラ ンス革命 を通 じて 自由 ・平等 を創 出 した文 明 国 で あ り、「野蛮 で遅 れ た 国」 や極東諸 国の ような 「半文 明国」 に先進文 明 を伝 え る使命 が あ る とす る、「文 明化 の 使 命」論 を掲 げて い た。 フラ ンス は、海外 に市場 を求 め た イギ リス よ りも国土 が広 い た め、極東諸国 まで市場 を開拓 す る経 済的必要性 も低 か ったのである。 以上の4点か らフランスは琉球 と条約 を結 ぶ必要があ った と言 える。難産 の末 に締結 さ れた琉仏 条約 だが、実際 には フランス政府 は批准 してい ない。条約 を批 准 しなかった理 由 には諸説 あ る。 フ ラ ンス外 務省 は琉仏 条約 を取 り扱 う際 、琉 球 を独 立 国 と して扱 うべ き か、従属 国 と して扱 うべ きかで意見 が分 かれたが

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8

5

8

年 に琉蘭条約 を締結 したオラ ンダ 政府の条約 の取 り扱 い を参考 に して批 准 しなか った とす る説、大 国であるフランスが、弱 小 国琉球 と条約 を締 結す る必 要 はない と して批 准 しなか った とす る説が あ り、引 き続 き検 討すべ き問題 であ る。 この間題 についてはゲ ラン提督 を派遣 した海軍省 と、条約 を管理す る外務省両者 の動 きを追 う必要が あるだろ う。

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7

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史料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000)

おわ りに

以上 の ように、19世紀 にお けるフテンスの対外拡張政策 とカ トリックの海外布教 の関 係 、そ して琉球 との条約締結の意義 について政治的側面か ら考察 して きた。 フランスの琉 球 との条約締結 は、従来の ようなカ トリックによる 日本の再布教計画や 日本 との条約交渉 の前哨基地 と してだけでな く、様 々な理 由か ら琉仏条約 を締結す るに至 っている。第 1回 対流 条約交渉 と第2回対流条約交渉か ら2つの側面 を兄いだす ことがで きる。 初 め に、第

1

回対琉条約交渉か らは、寄港基地、「宣教師の対 日中継地 としての琉球」 以外 に、 フランス -琉球 -日本 を結ぶ 「中継貿易地 としての琉球」 とい う、経済的側面 を 兄いだす ことがで きる。 まず 「寄港基地 と しての琉球」 とは、ギゾ-が希求 していた中国 近海 における寄港基地 を意味 してお り、琉球 は 日本 ・朝鮮 との通商上の重要 な寄港地 とし て有望 であった。 フランスは当時、中国海域周辺 に寄港基地 を所有 してお らず、イギ リス 。オランダ ・スペ イ ン支配下の寄港地 に頼 らざるを得 なかったoそのためギゾ-は、 この ような依存体制か らの脱却 を計 ったのである。琉球 には19世紀初頭 か らイギ リス船 を中心 に、欧米諸国の船舶 (軍艦 ・捕鯨船等)が燃料 ・食糧補給のため多数寄港 してお り、 フラ ンス海軍 や フラ ンス船籍 の捕鯨船が寄港基 地 と して利用す るの に問題 はなか ったのであ るo「宣教 師の対 日中継地 としての琉球」 とは、従来通 り、 ローマ教皇庁の指示の もと行 われた琉球 ルー トを通 じての 日本再布教計画であるo朝鮮 ルー トを通 じての宣教 師の 日本 入国が失敗 に終 わ ったため、琉球 ルー トへの計画変更が行 われた。 フランス人宣教師は こ の計画 に従 い、1844年 に来流 したのである。最後の経済的側面である 「中継貿易地 として の琉球」 とは、セ シル提督 の フランス-琉球 -日本 を結ぶ中継貿易構想 である。条約締結 が失敗 に終 わ り、実現で きなかった として も、 フランス側 は琉球の 日本 との交易活動 に着 目 し、琉球商人 を介 して フランスの商品 を販売す る構想があ ったのは事実である。故 に条 約交渉が成功 し、琉球王府が中継貿易構想 を承諾 していれば、その可能性 は十分 にあった と推察で きる。 次 に第

2

回対流条約交渉か らは、第

1

回交渉の宗教 ・経済的側面 に加 えて、極東進 出 を 企 むアメ リカ ・ロシアへの対抗策、極東航路 の安全確保 とい った軍事 的側面が浮上す る。 フラTJス海軍大 臣のデュコはアメ リカの琉球進出に懸念 を抱 いていた。 フランスが琉米条 約 よ りも有利 な条件 (土地や家屋 の賃貸 の規定)で琉仏条約 を締結 した背景 には

、2

つの 要因が考 え られる。 まず琉仏条約 に、各種施設が琉球国内に設置 で きる条項 を盛 り込 むこ とで、 フランスの琉球進出 を準備 し、 アメ リカの極東進出に対抗 したい とす る意図。 もう 一つ は当時の極東地域で高 まっていたロシア艦隊 に対する迫撃戦等 の軍事 的緊張か らであ る。極東航路 の安全確保 に関 しては、1850年代半 ば よ り、中国 ・日本 か らの原綿 を中心 と したフランス本 国へ の輸入が増加 してお り、海賊船 ・ロシア艦隊か らフランス商船 を保護 するために、琉球諸 島周辺 の制海権の獲得 を目論 んでいた と考 え られる。ただ し宗教 。経 済 。軍事 的側面の うち、経済的側面 については1858年 に日仏条約が締結 されたため、やが

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_98-史料 編 集室 紀 要 第25号 (2000) て そ の価 値 は低 下 して い った。 この よ うな フ ラ ンス 人 の極 東 諸 国 との 条 約 締 結 や 宣教 師 の活 動 を支 え て い た精 神 的背 景 に、 西 洋 文 明 の極 東 諸 国へ の輸 出 とい う使 命 感 - 「文 明化 の使 命 」 が作 用 して い た こ とを 忘 れ て は な らない 。 (5(I)

一参考

琉 仏 条 約 (原 文 :フ ラ ン ス と琉 球 諸 島 間 の 協 約 ) 抜 粋 -<前文 > フラ ンス皇帝陛下 と琉球国王陛下 との間に、 よ り完全 な条約締結が成 され るまで、以下の協約 は、1855年11月24日に那覇 にて、以下 に署名 した フランス ・琉球両政府 の代表者 との間に承認 さ れ、決定 した ものである。 フランス皇帝陛下に代 わって レユニオン島、イ ン ド、中国及び 日本方面海軍基地司令官 ゲラン准将 琉球国王陛下に代 わって 王国摂政 尚景保 財務大臣 馬 良才 翁徳裕 <第2条 > 琉球政府 は、 フラ ンス人 による土地、住居 、事務所[bureau]の購 入や賃借 に同意す ることを断 固拒 否 したが、 フラ ンス人が必 要 とす る時、彼 らに必要 な住居や事務所 が この国の当局 によって 提供 され ることが、以下 に署名 した者 の間で合意 された。 もしフランス人 に与 え られた土地、住 居、事務所が適 していない とフランス人が判断 した場合、 よ り適切 な ものを提供 しなければな ら ない当局 にその 旨を指摘す ること。 もし当局が フランス人の正当 な要求 を認め ない な らば、 フラ ンス人 は自分 たちに都合の よい土地、住居 、事務局 を賃借す ることが許 される。 船着 き場 に近 い泊村の土地 は、石炭 の保管所 と石炭 の保存及び管理 に必要 な建造物 を設置す る ため、琉球政府 によって フランス政府 に譲与 あるいは貸借 される。 フランス人 の住 む土地或いは 事務所 は不可侵 とす る。 <第9条 > も し水夫が軍艦 か ら脱走 した り、他 の人員が フラ ンス商船 か ら脱走 した ときには、艦長の要請 によ り、前述 の脱走兵や脱走者 を発見 もしくは フランス側 に引 き渡す ため、当局 は全力 を注 ぐこ と。 同様 に もし、何 らかの罪 に問われた琉球諸 島の住民が、 フランス所有 の建物 や船舶 に逃れて き た場合 、当局 はその者の罪状 の証拠 を持 って、犯罪者引 き渡 しのため に必要 な手段 を講 じる艦長 あるいは建造物 の主 に申 し出ること。 <第10条 > 不幸 に も、 も し、 フラ ンス人 と琉球人の間で何 らかの乱 闘や論争が起 きた場合 一例 えば、 これ に類似 す る争い の経過で一人あるいは複数 の人 々が殺 された りあるいは怪我 を負 った場合 には、 この国の住民 は、必 要 とあ らぽこの国の法律 に従 い、彼 らを罰す ることので きる当局 によって逮 捕 され る。 フラ ンス人 に関 しては、来流 した フラ ンス船の船長 に引 き渡す こと. <第11条 > も し、琉球諸 島 に遭難 あるいは損傷 した船舶が到着 したな らば、当局 は急 いで彼 らを救助 し、 船 を修理す るため に必要 な材料 をあてがい、捧帆具や積荷、乗組員の衣服 を保管す る場所 を彼 ら の 自由裁量 にす ること。 最後 に次の ことは当然 のことである。 何事 が生 じようと、 フランスは常 に琉球 にあ って、最恵国待遇 を他の国家 と同 じように受 ける -9

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9-史 料 編 集 室 紀 要 第25号 (2000) こ と。 両政府 相 互 の願 いは、各 々の臣民 の間 に常 に安定 した協定 が存在 す るこ とであ る。 註 (1) 当時 の フラ ンス人が用 い る 「極 東諸 国」 とは、 イ ン ドシナ半 島以東 の国 々 を指 す。 (2)Jean-BaptisteThomas-MidgeCicille.彼 の名前 について、 日本語 で は 「セ シユ」 と表 記 され る こ とが 多 い が 、本稿 で は原 音 に近 い 「セ シル」 とす る。 これ は 「ベ ル

」 を原音 に沿 って 「ペ リー」 とす る表記法 に倣 うもので ある。 (3)権 上康 男 『フラ ンス帝 国主 義 とアジア-イ ン ドシナ銀行 史研 究-』東京大学 出版 会 1985 (4)杉 本 淑彦 『文 明 の帝 国 - ジ ュール .ヴェルヌ とフラ ンス帝 国主義 文化 -』 山川 出版 社 1995 杉 本氏 は、 この著書 の 中で 中国 とイ ン ドについ て触 れ てい る。 (5)横 山伊 徳 「日本 の開 国 と琉 球

『新 しい近世 史2-国家 と対外 関係-』新 人 物往来社 1996 366-430頁 (6) フラ ンソワ1世 は、探検 家 ・航 海者 を援助 し植民地獲得 に乗 り出 してい る。 またア ンリ4世 時代 には、サ ミュエ ル ・ド ・シ ャ ンプ ラ ンが 、 カナ ダ ・ケベ ック地 方 に植 民 地 を獲 得 した。 (7) グザ ヴ イエ ・ヤ コノ 平 野千 乗子訳 『フラ ンス植 民地 帝 国の歴 史』 白水社 1988 21頁 ヤ コノは、独 断的 と断 りなが らこの よ うな数値 を出 してい る。 尚、本 時期 の植 民 地 の行 政組織 を概 観す る と、17世紀 まで本 国政府 に植 民 地 に関す る行 政 組織 は置 か れ てい ない。18世紀 に入 る と植 民 地事 業が海 軍省 の管轄 に入 り、1710年 に海軍省 に植 民 地局 が創 設 されてい る。一方 、植民 地 で は本 国 か ら総督 が派遣 され、 さらに植 民地 に は地 方長官 、最高評議 会 が それぞれお かれ た。植 民地 の行 政組織 は本 国の行 政組織 を模倣 し てい たので あ る。 また旧体 制期 には本 国 と植 民地 は区別 されてい たが、革命 期 になる と本 国 の一地 方 と して、共和 国憲 法 (95年 憲法) を適用 しよ うとす る動 きが見 られ た。 だが革命 政 府 の崩壊 とナ ポ レオ ンの登 場 に よ り適用 は見 送 られ、 第一帝政期 ・復 古王 政期 にな る と、植 民 地 は本 国 に従属 す る こ とが確定 した。

(8)pierreRenouvin,LaQuestionD'extrameOrient,Hachette,Paris,1946p.71 (9) グザ ヴ イエ ・ヤ コノ 前掲 書 57頁 (10)pierl・eRenouvin,op clt.,P.71 タ ヒチ をフラ ンスの 「保 護 領」 にす るつ も りで あ った ギ ゾ- は、 タ ヒチ付 近 で遊七 中 の海軍 提 督 が 、 タ ヒチ在住 の イギ リス人宣教 師の抗 議 に もか か わ らず 、強引 に併 合 したため、 イギ リス に配慮 しこの提 督 を処 罰 、 イギ リス人宣教 師 に賠 償金 を支払 う旨 を伝 えた。 ここで もギ ゾ-の ヨー ロ ッパ列 強 との協 調路線 が兄 い だ し得 る。結 局 タヒチ は、第二帝 政期 に併 合 され る こ とにな る。 当時 の フラ ンス の 「保 護領」 とは、植 民 地 を強 く所望 す る海軍提督 らに対 す るギ ゾ-の妥協 案 であ った。 (ll) グザ ヴ イエ ・ヤ コノ 前掲 書 57頁 植民地担 当局 長 は以下 の よ うに進言 す る。 「行 動 した こ とに対 す る責任 とい う ものが あ るな らば、行動 しなか った こ とに対す る責任 も 問 われ るべ きだ と思 われ ます。」 (12)同上 58-60頁 第 三共和 政期 にな る と、軍 人 ・「フ ラ ンス ・ア フ リカ委 員会」・「フラ ンス植 民 地連 合」 が 中 心 となって結 成 した 「植 民 地党」 が 出現 し、村外 拡張政 策 を推進 してい く。 (13)権 上康 男 『フ ラ ンス帝 国主義 とアジアーイ ン ドシナ銀 行 研究

-

』 東京大学 出版会 1985 4-8頁 派遣 され た4人 の通商使 節 は、綿工 業代 表 オスマ ン、羊 毛工 業代 表 ロ ン ド、絹工業代 表 エ ツ ド、 パ リ工 芸 品工 業代 表 ル ナ - ル で あ り、 そ れ ぞ れ の地域 の商工 会議 所 の推 薦 を受 けてい る。 _100_

参照

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