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政治皐に於げる経済至上主義

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政治皐に於げる経済至上主義

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一 ピ一 \

て 一 一 一

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BE−−二︑アリストテレスの非経済至上主義

l l PI

閥︑ホップスの見解

ll

l

宏︑ロックとアイヒテ

l l

六︑マルクス

11

七︑すツペシρ

八︑庚義の純済至上主義

li

九︑狭義の経済至上主義のニ代表

il

ーの見解

11

4

 

自然科皐に於ける賞験といふことを許苫れ℃ゐない枇曾科皐に於℃は︑皐説の債値を決定する唯

一の方法はその事説の提供する般説が︑歴史民残芯れたる人類の経験を︑如何なる程度まで満足に

説明し得各かに在らねばならない︒

歴史民蔑されたる人類の杢経験は極めて多量にして叉極めて複雑なものであるから︑其を単一の

偉説に依って完全に説明する乙とは勿論不可能である︑だからと一一一口っ℃初めから般説を提供せず︑

漠然と只個冷の事貫を叙述するだけでは枇曾科皐は成立しない︒

政治事に於ける経済至上主義

(2)

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故に社人目日科皐を認める乙とは位誌を認める乙とであ夕︑偲説を認める乙とはその仮説に依b

し件られぎる多くの事賓の存在する乙とを承認する之とである︒

然し斯くの如き眼識を基礎とし℃成立する串識が科事性を要求するためには︑共は人類の全経験

を可及的民説明し︑そして命説明し符苫る事買に直面した時はその不可能なる乙とを卒直に認容しτ

19

包括的使誌の提供を待たねば在らぬ︒同協設が人類経験の全面を説明し得まる時︑その仮説

の絶卦性主主張するため︑強いて経験を曲解し又はその般説に℃説明し持︑さるやうな事賓の貫在性

を否定するが如きは︑その皐識の科串性を根底から破壊する之とになる︒

私が以下研究せんとする課題は同家の本質を経済に求めんとする皐説il私は之乞便宜上経済至

上主義と和するが

li

の科皐牲に就いてビある︒

 

政治風一の元組であるプラトーンには殆んど経済至上主義の要素が見出高れ得忍い︒プフトーンは

園家の起源を﹁人間慾望の多様性と英の充足の必要に﹂ω元ど求め℃ゐるが︑彼はその﹁慾望﹂ど

別に経擁的とも物質的とも限定し℃むない︒それのみならず彼は宰ろ経演を軽蔑し︑哲人政治主以

℃理想政治となした︒

(3)

者の利盆に外ならず﹂と主張した︒仰 プラトーンの﹁理想闘﹂に現はれ来る人物のうちの一人である﹁スラスマカス﹂は﹁正義とは眠

その﹁強者﹂を経済的強者の意に解し又は﹁利盆﹂を全然経

済的意味に解轄すれば︑我冷はスラスマカスのうちに託代階級闘守の思想的茄芽を見出す乙とが出

然し近代的意味に於ける経済と閥家の本質的関連を指摘したのはア?スト−プレスである︒

の村落が完全にして且つ殆ど或ひは金3自足自給を替み得るだけの大3を存する皐一一枇曾を成立せ

しむるに至る時︑間家が存在するに至る︒岡家は置なる生活の必要にその起源を存し而して善良な

る生活を目的とし℃その存在を糠績する﹂刊︒ア官ノストアレスがプ一プトIンのやラに﹁慾望﹂といム

比較的漠然とした言葉を排し︑﹁草なる生活の必要

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Vスの政治に於ける経捕の重要な役割の承認が見出3れる︒然し我冷は彼の所謂﹁同単なる生活の

必要﹂即ち経済は岡家の起源に就℃の説明であっτ︑園家存在の意義は﹁善良なる生活﹂即ち道徳

に之を求めてゐる事責を見逃す之とは出来ね︒即ちアヲストアレスは闘家の起源とその存在債値と

を明瞭に区別し℃むるのである︒その意味に於てア氏の設は近代のマypスやオツペンA

I

によっ℃代表される経済至上主義とは本質的に匝別3

れねば−ならない︒然しア

9ストアレスは早く

昔︑階級闘争の事貨を認めてゐた︒彼の﹁政治串﹂第四巻は主とし℃政躍と階敵との闘係主説明し℃

政治撃に於ける程決選上主義

(4)

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ゐるものであって︑何故に多くの政韓が極端な衆愚政治に陥るか︑3も無くば少数者政治に堕する

傾向があるかの説明として﹁貧民?と富者とは互に相闘雫する︒その何れが勝利を特τも其は正しく

且つ公衆のための政府を樹立せずして︑その政治的優越を勝利の賞品と宥倣し︑前者は衆愚政治を

而して後者は少数政治を行ふのである︒﹂仰と言ってゐる︒客観性と現賞性を多分に持ち舎はしたア

リストアレスの自民深刻左階級闘宰の事貨が反影しなかった筈は無い︒然しアヲストアレスは共を

歴史的必然とは若倣昌ず︑却つ℃中産階級に政治の中心を置く乙とに依つ℃吾の弊告を弛れ得ると

アヲストアレスは経済の政治に於ける重要性を認めたが︑共決定力を認め忍かった

のである︒即ち彼は経済至上主義者一ではなかったのでああ︒

 

 

ローマ帝闘の時代にλってからの政治思想は盆冷軽減至上主義の反掛に傾いた︒この時代を代表

するシセロの如Bも︑岡家結合の原因を個々の人間の生活の必要とか孤摘の恐怖とか言ム消極的要

素に求めずして︑﹁人間の祉曾本能﹂といふ積極的要素に求め℃ゐる︒仰経済は現質的であると同

時に滑極的である︒

シセロは岡家の本質主︑よb積極的なそしてもっと観念的なものと看倣し℃ゐ

(5)

中世紀に入つτからの政治思想は決定的に反経済的である︒﹁神の岡﹂に現は3れたォーがスチン︑

﹁迫想﹂は在るセント・バーナードの思想︑又はセント・トマス・アキナスの﹁アヲストアレ久の政

等に揖はれてゐる思想は殆んど完全に近い経済の否定と見て差支無い︒中

世紀は神風?の時代︑物質否定の時代︑経済至上主義の王反封の時代である︒

右のやうな中世紀的唯心思想主完全に精算して︑断然近代︑経済至上主義のトップを切ったのは

マキアペヲの凪想憧系を理解する党めには彼の時代の背景を知る必要がある︒マキアペヲは一回

六九年に生れ︑会生活には入ったのは彼が廿九議の時︑即ちコロンバスのナンサY

UH島着陸ど

過る乙と僅比六年の一四九八年であった︒事︑は新航路の費見の時代︑科皐知識勃興の時代︑敬擢に

封する疑惑の時代であった︒民族的意識の費達してゐたイギヲス︑

スペインには皇帝や

法皇の権威に封抗する有力な近代周家が勃興しっ︑あった︒時代の流れに封し鋭敏在感受性を持つ

てゐる?キアペヲーは熱心な民族主義者︑愛困者はなhノ︑殺の仕えてゐるアローレンスを中心とし

てイタヲI岡︷換を建設す可く努力した︒然しイタヲーは極端な反動主義を代表してをった︒イタヲ

﹃は法皇の教擢濫用の最も甚だしい犠牲であったQ時代の趨勢に従つ℃イタリーにも民族同家を建

てる之とは︑正時国立︑漸準的手段を以て行ふのは不可能であったっ

9

Iの民衆は飴に無知でb

政治撃に於ける経済至上主義

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(6)

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b反動的であった︒そのやうま理想と現賓との極端な間際︑現貫生活に針する絶望︑

1

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キアペ?の思想の背景を形作ってゐる︒

愛園者とし℃のマキアペヲの魚す可き乙とは魚政者の意識決定に絶針的勢力となってゐる神串思

想︑信仰︑道徳観念を根底から破壊して︑其等と本質的に相卦立する人生観主役等比奥へる乙とで

あった︒彼の国

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官 山

2

85

vは斯くの如き動機に依って脅かれたのである︒

唯心論や神皐のドグ?を精算す可︿彼の提供した人生観は何であったか︒骨子︑は方法論としては歴

史主義であb︑その内容を魚すものは経済荘一上主義であった u彼は中世紀の思想主特色づけるスコ

ラ哲準的論理を杢然排斥し︑歴史を以℃唯一の真理探求の方法であると主旋し︑今まで殆んど等閑

に附せられてゐたギリシャやロi?の歴史を研究し︑歴史的事貨を以て彼の説を確謹し℃行ったω

然し彼の方法論としての歴史主義は一面に於て甚だ不徹底なものであった︒役は彼の般説︑即ち後

に述べると乙ろの経済至上主義主説明す可く都合の好いと之ろはどしどし記遺したが︑共に都合の

惑いと乙ろ︑例へば中世の如く宗教のへグモニーを無調し℃は説明の出来ないやうなと乙ろは遠慮

無く省いたのである︒彼の歴史主義は原則を見出店んがためよbは寧ろ原則を主張せλがためであ

っ た

彼の串説の内容をなす経済至上主義は先づ役の境賞絶望に原因するしV

ニンズムにその根底を置

(7)

く︒彼はアリストアレスの主張せる人間の枇曾性を否定し︑人は本質上利己的な動物であb︑枇曾

殺生の原因は個人の打算的利己心に在らと主張する︒

人類の生活は凡℃慾望に依つ℃決定詰れる︒而し℃其のうち最も強いのは私有財産に劃する慾望

﹁貨に人は遺産よbは父の死の方をよb容易に忘れるものである﹂の人が自由品︑調立を

愛し自治を喜ぶのも矢張b之の財産に劃する執着から来℃ゐる︒勿論人には擢力に卦する慾望はあ

る︒然L共は本質的なものでは無い︒人類の大部分は自己の身躍や財産にのみ関心を持つ℃ゐるも

のであるd

共和政躍は君主政関に比して︑何故によb願はしいかと言ふと︑後者に於℃は君主のみが利盆を

猫占するに反し︑前者に於ては人民の多数が利盆に興る乙とが出来るからである︒岡家の猫立は何

故に寧いか︒園家は他図の支配の下に在つてはその利盆を支配者に奪はれるに反し︑溺立を維持し

℃ゐる限b

ω

マキアペリにとっ℃は物質欲︑即ち経済が唯一の政治動機である︒経済が岡家の本

質であb︑政躍は樫持闘係に依つτのみ決定3れる︒共がマキアベηI

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政治製に於ける経涛至上主義

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企釘切·~

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近代図家の勃興は必然的に君主専政の時代であAY︑階級的には王朝︑貴族り支配時代であb

は政治思想の立場からは帝王神権説の時代であった︒然し︑近代同家の勃興とをの隆盛は資本主義

の勃興を刺戟せずにはをかなかった︒殊に多くの自然の保件に一品まれてゐる英闘に於℃は資本主義

は念蓮度に議達した J資本主義は個人主義︑自由主義︑主知主義を胤誠一生せしめユ中世紀的な︑紳皐

的な︑帝王神権説は最早事政君主政治を根擦づける力主失った︒そ乙で近代的主知主義と事政君主

政治とを結ひっけや弓としたのがトIマス︑ホップスであった︒

ホップスは共時代の産物であるい白

然科皐殊に数皐︑物問皐の影響を受け︑金然唯物論的立場から彼猫特の契約誌を編み出し︑契約説

を以て事政君主政を理論的に根擦づけゃうとした︒然しホップスの唯物論は決し℃経済至上主義で

は意かった︒彼は人間活動の源泉主﹁力に劃する欲望﹂に求め︑その﹁力﹂には富

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i即ち純粋経

済的目的ー

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外に﹁名盛ことか﹁友愛﹂とかいふ心理的君要素ど含ましめ

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︒ 制

だからホップλの皐識は唯物論的であったとし℃も︑主︿は政治の本質を全然経済に還元しゃラと

したマキアペ?とは明瞭に区別主る可きものである︒ω

政治皐者として偉大な功績を残したホップスは賞際家としては失敗者であった︒資本主義と専政

君主政

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ラとしたとこんに彼の根本的な錯誤があっl之の矛盾した一一つのものーーを結び合は3

た︒彼が事政君主政を基礎づけゃうとして提供した契約識は︑多少の修正を以て近代民主主義の盟

(9)

論に趨用されたのである︒その轄換に最も重大な役割を演じたのがジョン・ロ吋ノクであった︒

ロックはホヅプスの契約説を踏習したが︑伎の皐説のうち最も顕著なのはな有財産の到論的基礎

づけである︒人間は生命︑自由︑財産の如3自然催含有する︒然し生命︑自由の如3は虞義の意味

3もの左彼は解轄する川伎は原則としては自然の宮は共有なるととを認め

一度︑個人が自己の時労働に依って特定の宮に慣値を加ヘカ時︑その債植はその程度に於て彼

の私有財産であって︑何人も共ど奪ふ権利は無いと主践する︒山園家は斯くの如3個人の自然櫨即

ち私有財産を保護するために︑各個人の聞に結ぼれた契約である︒即ち岡家の目的は財産の保護で

ある︒故に闘家を代表する政府が財産を侵害する場合は︑政府は既にその正営なる職能を書してゐ

ないのであるから︑人民はその政府を任意に務更する擢利を有する︒即ち口ヅクにとっτは財産保

護が岡家の唯一の存花債値である︒川

園家の存在意義を財産といよ純然たる経情的目的に求めたと乙ろにロ吋ノクの経済至上主義があ

る︒然しロ吋ノグは財産への慾望一即ち経済的慾望を以℃人類の最も本質的慾望であるとは主張しなか

った︒彼は暗比其そ推定してゐたかも知れ向︒然し彼は﹁慾望﹂といふ科皐の問題に鰯れずじて

政治単に於ける経済至上主義八五

(10)

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﹁財産擢﹂といふ法皐上の問題に議論の焦結を置いた︒そ乙にロヅクの経済至上主義がマキアペq

後民連ベるマ

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クスやエングY

3

ロヅクの経済至上主義をもっと組織化したのが猫逸のプイヒアである︒フイヒアの皐説は先づ個

人の﹁自由且つ合理的自我意識に﹂出接する︒個人の﹁自由且つ合理的自我意識﹂は必然的に他の

個人の同様なる意識を承認する︒其れがアイヒアの所謂法叉は枇曾統制︵出︒勺﹃ごの根底をなす︒

その鮭合統制が図家の本質である︒然しその自由且つ合理的自我意識が観念の世界を超えτ︑戚畳

の世界に共れ自らを賃現する時は︑共れは財産といふ形態をとる︒ t財産とは戚賓の世界に於ける

自由行動の樺利である﹂叫プイヒアはホヅプスやロヅクの契約読の公式を用び℃彼の財産論ゲ−次の

如くは説明する︒

吐合同契約は三段階よら成ってゐる︒第一は財産契約国警EFZE君︒三円高で共れに依つ℃各個人は他

の個人が皆その各々の臆分の範国外の物に封する要求を放櫛する健件の下に︑自己の臆分の範圏外

の物に封する要求をも放擁する乙とを約する︒第二は保護契約

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2 ぬであって其れに依つg

て各肖その介氏臆じて第一の契約を維持す可く必要なるだけ力を提供する︒第三は聯合契約

42

HH日 ぬ 口

口 ぬ E

4 2 各自は第一及び第三の契約を維持するため一聯合躍を組織す常国慌であっ℃共れに依つτ

ろ之﹀手一約する︒而して乙の第三の契約乙そ同家形成の契約である︒その説明を逆にしてジロシズ

(11)

ムにするとアイヒアの経済至上主義はロヅクの共れよbもずっと明瞭比我々に把握ぷれる︒即ち困

家は契約によって形式芯れる︒契約は財産を保護するために結ぼれる︒故に岡家の目的は財産を保

護するに在

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勿論フイヒアの経済至上主義にもロヅクの共れと同様の批判がな3

れねばならね︒共れは論理

的︑哲皐的であるが科皐的ではない︒ブイヒアは経済を小川︑形而上皐の立場から眺めてゐる︒

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極涛を哲皐の雲上から科皐の地上に引きをろし︑その立場から岡家の本質を根本的民批判しゃう

としたのはカ

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クスは枇合進化の原則を生産関係の特使化に求めた︒人類生活に於て最も本質的なのは経済生

活であって︑其れを充すもの︑即ち生産手段が枇曾の下部構造をなし︑主︿の麓化に依つ℃政治︑雲

術︑宗教︑その他凡℃の上部構造が決定詰れる︒

﹁過去の一切の歴史はーーー原始時代は別として

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階級闘争の歴史である︒而し℃乙の相闘争す

る階級は常に生産及び交換手段の産物︑即ち一時代に於ける経済保件の産物である︒祉曾の経済機

構は常に我

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k 一世曾に於ける法律︑政治︑宗教︑哲皐その他一切の上部構造の最後的説明をな芯

政治壊に於ける経済至上主義

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じめる其の某礎を典える﹂川ロヅクやブイヒアに依り℃法又は自然躍の保護といふ形而上皐的衣ど

着せられτ

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Yクスに依つ℃全然歴史の立場からのみ観察された︒そし℃政治が金品川⁝

歴史の立場からのみ観察当れる時︑界︑はも早﹁自由且つA

でもなく︑其は躍に一階級がその共通の経節的慾望充足のため他階級と闘争する一形態に過ぎ友く

﹁今日までの一切の歴史は階統闘守の歴史である︒自由人と奴隷︑貴族と平氏︑諸侯と農奴︑親

方と職人

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b殺生せる近代プYヂヲア一枇曾は階級闘事を終総せしめなかった︒共れは口ハ︑古い物民代ると乙λ

の新しい階級︑新しい犀迫保件︑新しい闘事形態を遣ったに過ぎない︒﹂川従って︑

に依つ℃﹁最高の善﹂をその存在憤値と3れてゐた岡家は︑

一機関左されるに至った︒国家はも早︑﹁菩の保護者﹂でも﹁契約の維持者﹂でもなく︑主パれは只︑

7 u

yクス比依℃は闘争︑歴迫︑搾取の

﹁支配階級がその搾取を安全にするための聯合﹂例に過ぎなくなった︒岡家が搾取の一手段であると

したら階級の存在する聞は岡家の存在は必然である︒故にレニンは言ふ︑﹁岡家は階級闘争の産物

であら叉その表現である︒何底に︑何時︑そしτ如何在程度に於℃岡家が殺生するかは︑直接に︑

何庭に︑何時︑そし℃如何なる程度比於て︑一枇曾の階綾闘争が客観的に融和芯れぎるかに依つ℃

(13)

決定3

マキアペ廿ノの経済至上主義は仰人の経済的懲望にその焦結を置いた︒ロックは経済的慾望の問題

には童結を置かなかったが︑矢張λ

7

Yクスの経梼は個

人の経済でなく階級の経済である︒国家はロ吋ノクやプイヒアの観たやうに佃人の経済の集会を保護

するのでなくして︑階級の経消を保護増準するのである︒

岡家の存在意義を経済に求める駄に於て︑

y

皆同一の部類比属する︒然じその経済を︑一は個人とその全集合たる吐曾に︑他は個人の一部的集

会に過ぎゴる階級に蹄せしめる姑に於て︑Yクス及その継承者の経擁至上主義は︑以前の共れと

匝別されねばならね︒

然しマキアベリズムとマクキシズム

︿

v I

ニズム﹀とは不思議なる類似結が

ある︒プラトI

ン ︑

IYアイヒァ︑共他の政治串者又は枇命日哲皐

者は悉く道徳法を認め︑政治や経済を共れに従属せしめ︑又は少なくとも共れと政治や経済とを融合

政治療に於ける経済至上主義

(14)

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せしめゃうとしてゐる︒然るにマキアペリとレニンは共れを悉︿轄倒Lた︒彼等にとっては経済は

道徳法のためにll例へば﹁自由且つ合理的自我意識の賞現﹂

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℃債植を要求し得る︒経済は最高叉は結臆の債値︵もし債値といふ言葉を使ム乙とを詳3れるとす

れば﹀であっτ︑経済の直接の手段が政治

11

6即ち同家に依って代表3れる力ーーであb

番街︑その他一一切の丈化は政治の手段であb︑終局のと乙ろ凡τが経済に従属すること︑︑なる︒

凡でが経済の手段である︒この政治は経済の直接の手段であるといふ結を最も卒直に表したのがオ

A

Z・マーである︒彼は言ム﹁到る所同所にはたらく生活欲の衝動に動かヨれる人聞は︑二個

の根本的に封立する手段ど以て︑必要な慾望満足の資料を獲得する乙とが出来る︒持働と掠奪︑換

言すれば︑自ら勢働すること︑︑他人の勢働の某買を暴力的に奪取する乙とが即ちこれである︒﹂そ

して彼は﹁自ら勢働することL他人の勢働に封して自らの等債勢働を提供して交換する乙と︑を慾

﹃経済手段﹄と名付け︑他人の勢働を無償で奪取する之とを慾望満足の﹃政治手段﹄と名望満足の

付ける乙とにしたよそして彼は岡家とは揖くの如3﹁政治手段﹂の組織苫れたものであると主張す

om3

うすれば図家︑と強盗固との直別が無くなるわけであるが︑強盗の善悪を定める道徳法その

ものをも経済の一手段と見る者にとってはそんな乙とは問題にならない︒

その意味に於℃マキアペη

ν I

−一ズム乙そ経済主上主義の最も徹底せるものと言ふ乙とが

(15)

3れねばならぬ︒之れからな遣れんとすると乙ろの経漕至上

主義の批剣に封して︑我々は一つの批難を預想し得る︒即ち︑今まで弦で遮べて来た︑所謂経済至

上主義はその名に依って代表3れると乙ろの皐設の一部に過ぎない︒その一部も要一知を外れたと乙

λがあるかも知れない︒毛のやうに僅かな一部分のみを代表とし︑北んを基礎として批剣するのは不

私は設で紹介し向型設は決して本稿のろちに敷行を以て言以者せるものでない乙とゲ認める︒又

本稿の説明で如何なる頼度設で共らの皐読の要勅を杷握し得たかに就い℃飴b

し︑少君く左京次の乙ーとは認容せらる可きもの正思ふ︒即ち︑最も徹底せる経済至上主義者はその

形式論開の如何を問はず︑その読者の心裡に深く経捧至上主義の印象を残す可く努力した︒若しそ

の貼が認容される花ら形式論理の正否は第二次的問題に過ぎない︒

一経済至上主義を庚狭の雨義に分つ之とを得る︒慶義に於℃は︑ア9ストアレスやモンアスキュー

等の如︿経済の政治に及ぼす第一序的影響を主張せる者を合U︒然しとの意味に於τ

政治穫に於ける認済至上主義

(16)

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合 世 瓦え

L

設︵少なくとも近代に於ける︶が経済至上主義となb得る︒問慨令我々が強調するにせよ︑しないに

せよ︑経済が︑即ち︑所謂生存の問題が︑最も永久的にし℃且つ普遍的影響を︑政治︑宗教︑事

術︑道徳等に及ぼすことは既に我冷の常識である︒共れは仮設として人類の経験を説明す可く齢b

に明瞭︑飴b

次は官ヅクやアイヒアの如く粧蹄と倫理との融令を企てた者をも我ムザは長義の経済至上主義に分

類し得る︒彼らは岡家の本質を二方面から観台︒即ち︑一面に於て闘家は﹁自我の宣明﹂のため︵倫

開的︶に存する︒然しその乙とは︑とbも直吉ず財産主保護する︵鰹梼的︶乙とである︒ロックや

アイヒテにとっ℃は倫珂と経済は何れが何れに従属するといふ乙とは無い︒

1

を会ふする乙となのである︒然し︑ロヅクやプイヒアの経済至上主義は常比倫却に依件づけられる︒

経済を倫理と融和せしめる底に既に経済の絶針性の否定がある︒

故比我ι町は右のやうな広義の終消至上主義を批判の範固から除外し専ら狭義の共れに我々の注意

を向けねばならね︒

狭義の経済至上主義の特異性は経済を以℃政治の宜腰︑又は政治を経済の一手段となす黙に存

(17)

す︒主︿は経済の政治に及ぼす重大なる影響を指摘するに止らない︒或は経済を以て政治に輿へる諸

AVの決定要因のうち最大なるものと主張するに止まらない︒主︿は買に政治は終局に於℃経済の一手

段に過ぎずと主張する︒故に共は必然的に政治共れ自鰹の固有の存在債値を否定する︒

我々は先づ恨誌とし℃の経済至上主義の有利なる黙を承認しなければならない︒経済は人類の生

活のうち最も自然的︑現宜的部分に関山県する︒故に科皐的取扱以に最古便利である︒帝王紳擢説︑

契約説等は紳皐又は哲皐としては興味があ0得るが︑その根底をなす﹁紳﹂とか﹁契約﹂とかの概念

は決してそのまL科皐の課題となb得ない︒然し︑経済は人類の生物皐的方面に闘し℃ゐるから︑

極めて不完全乍らも科皐の課題とな歩︑自然科堕の準歩と共に共れの研究にも科墜性を増加せしめ

得る可能性を持つ︒その鈷は確かに経消至上主義の正営に要求し得る強味である︒

然し︑その結は︿重要ではあるが︶枇曾科皐たる政治皐の立場から見℃第二次的問題である︒間

政治皐は自然科皐の意味比於ける厳正性を要求し℃ゐない︒政治的阜の立場よbの第一次的問題

l l

そし℃政治撃に於ける仮設の科皐性の試金石lーは突の二黙にあらねばならぬ︒ト一の仮設は如何

なる耗皮まで歴史に残当れたる人類の経験を全面的に説明し得るか︒ニ共れの説明し得ぎるところ

を如伺なる程度で明瞭に承認し℃ゐるか︒

乙のご貼から経済至上主義の科串性を批判しゃう︒

2

政治事に於ける結済至上主義

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(18)

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マキアペヲは政治の要素を個人の経済的動機に求めた︒倍︑経済は本質上︑人類生活の分離力で

あって結合力ではない︒同一の財貨を一個以上の個人が所有し又は消費することは出来ない︒

人が一の財貨の債値を享受する乙とは必然的民他の凡℃の個人の享受を排斥する︒共れは自然の鍛

別である︒故にマキアペ

u r の所謂︑経済が岡家形成といふやうな結合力を持つためには︑我ん咋は個

人が躍に経済的欲望を有するのみならず︑共れを充足せしむる方法を知ってゐること︑即ち知能を

有する三︑どを想定しなければならない︒人類は本質上︑協調とか協力とかを好まぬものであるが︑

自己の経済的慾望充足の必要手段Lしして︑ある程度までの協力を飴儀なく遣れる︒共れが習慣とな

るにつれ︑人類は・次第に協力の苦痛を戚ぜねやうになb︑途には協力が常態で闘争が援態であるか

3印象を持つに至った︒新︿し℃闘家が形成され維持されるのである︒

然し絃に疑問が起る︒人類の政治的結合︑即ち凶家か現在までの強度の結合力と統制力主持ち︑

共れに所属する個人の経済的慾望を現在の程度まで充足せしめ得るに至るまでに︑幾多の個人がそ

の経済的利盆︿生命をも含む︶を自殺的且つ意識的に犠牲にした乙とを我冷は歴史に依つτ

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ゐる︒人類の政治的結合は彼らの反経済的行魚︵彼ら個人の立場から見℃︶無くし℃は不可能であ

った︒菅に過去に於℃のみならず︑政治的結合は常に其れに属する幾多の個人の反経済的行潟を要

求し℃ゐる︒一個人経済の犠牲は園臆経蹄の必要僚件である︒誌に至つ℃マキアペηノの個人的経済至

(19)

上主義は破綻せぎるを符ない︒

経済至上主義を︑よb合理的基礎に置くためには︑経済的慾望の車位を個人に求めずして階級に

求める必要がある︒個人を草位としたる経済至上主義は決して政治主説明し得ないことを我冷は現

た︒其れは既にその出費黙から人類の経験を裏切ってゐる︒然し階級本位の経済至上主義はそのや

うな困難を具有してゐない︒人類がその太古の原始生活を部τ︑分業に依る生活を開始した時以来

常に階放は存在してゐる︒階級は分業の産物である︑分業が営初の草純なる仕事の分携であった時

には未だ階紋は存在し℃わなかったが︑共れが次第に礎遣し℃︑ある者は土地を耕し︑ある者は外

敵を防ぐ党め戦争を分携し︑ある者が行政を分携するやうになった時比︑始めて階級が出現し︑有利

な地位に在る少数の階殺が他階級の勢働の某買を掠奪すること︑即ち階級的搾取時代を現出した︒

そし℃その支配階級が彼らの経済的慾望を満足せしむる手段とし℃岡家といよ強力圏躍を結成し

た︒勿論︑乙の場合にその階級に属する個人の経済と階級の一般的経済とは一致せぬ乙ともあb

る︒然し︑その個人は必ずしも被の階級のため彼の利盆を犠牲に供せずと言よ乙とは出来ない︒何

となれば︑彼の属する階般の経済的利害︵即ち物的現象︶はその階部帆所属の全員に階級意識といム

心的現象を生ぜしめ︑其れが彼の心理を︵彼一個の経済とは濁立的に︶支配するから︒

乙の意識的反経済行潟は車に支配階級の成員に限った乙とではない︒共は恒常的に搾取を持緩さ

政治事に於ける結決至上主義

(20)

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bる被支配階級の聞にも︑しばしば設見される︒其れは何故であるか搾取階綾はその搾取のQ

直接手段とし℃政治を溺占する︒政治は勿論支配階級の経済の一手段なのであるから︑政治はその

Lの形態では直ちにその賞躍を被支配階級に殺見さ札︑従ワ℃搾取を非致果的にする︒故に政治

は宗教︑襲術︑道徳などの美しい衣を着せられねばならない︒被支配階級は共れらの衣に陪惑守口

れ︑易々とし℃搾取に甘んずるのである︒

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レニン︑オヅペイ川イマI等の階級的経済至上主義であるQ

との仮説には二つの本質的な困難を件ふ︒

第一ーに︑乙の般論は階級ど経済の草位とするが︑その乙とは終局に於℃何ど意味するか︒階級が

如何にその賓在性を主張しゃうとも︑経済債値認識の主躍は個人である乙主に麗bはあb

経済債値の枇曾的又は階級的享受といよのは要するに抽象であって貫在ではない︒個人の肉艦に戚

受せらる一︑経済的債値のみが宣在である︒故に階級が階級としての経漕債値を賃現せんがためには

次の二つの僚件を要する︒第一は個人の経済が原則上彼の階級の共れと一致する乙と︒第二は個人

が﹁第一﹂とは濁立的に階級の経済債値を認識する之とに依&夕︑或種の満足を得るものなる乙と︑

そしてその第二の傑件が承認3れる時は経済至上主義はその程度だけ譲歩する時である︒間

第二の困難は﹁階級﹂の正確な匡劃の一敏如である︒﹁今日までの一切の歴史は階級闘争の歴史で

(21)

然し︑人類史は決し℃そんなに

草純ではなかった︒階級の賞在は承認せねばならぬ︒然しその針立は︑決し℃

7

Yクスの描いたや

うにそえなに明瞭な︑そして劇的在ものではなかった︒印度のキャストのやうな︑護態的現象を除・

く左︑所謂階級なるものは要するに程度の差︵其の差の重要性を承認しつ﹂︶なる之どが解る︒資

本主義がプ

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ヂヨアとプロレタリアの雨階級の卦立を刺戟した乙とは事費である︒然し︑政治能力

の最も普遍し℃ゐる英闘は︑政治に依℃その封立を緩和した乙とも亦事責である︒貫際︑階級野立

の深刻性と図民の政治能力左は逆比例すると言つ℃もよい︒共れを平迂る備繭と昆るのは︼︵純然だ

る偽騎の場合もあるが︶我々の経験ど無視するものである︒

政治は草なる階総経済の一形態在る場合もある︒その時はその限bに於℃経済至上主義は承認さ

れる︒然し︑その他幾多の場合に︑政治は階級経蹄と無関係であb︑叉時には正面からそれと相衝

突す忍︒その範閏に於ては︑経済至上主義は人類の経験を全面的に説明し得なかったのであるから

自ら退く可きである︒材料涛至上主義を立てるために人類の経験の方を偽一蹴なbとするのは誤ってゐ

政治事に於ける耗持至上主弱

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(22)

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ιザは経済至上主義を虞義と狭義に分類し︑庚義の其れは常識的に認容し特らるるものか︑さも

無くば現在の我々には目下の所問題にならね乙とを述べた︒そして︑狭義の経済至上主義はマキア

ペリズムと

7

キジズムに依つ℃代表されてゐる︒Y

何れも経済ど以て政治の買瞳となしてゐる︒彼らは︑政治の外︑宗教︑事術︑道徳その他一切の文 一は個人を車位とし︑他は階級を草位とするが

化債値を経済に従属せしむる鮎に於ても亦一致してゐる︒その姑を強調し︑其を寅践に移した劫に

就い℃レニンが最も代表的である︒

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乙の四百年飴を隔てkゐる二人が何故にかくまで一致してゐるか︒理想と

現賓との飴bに大なる距離︑賞在の絶望肢謡︑其は人をしτ凡℃物を破壊し℃︑その上に新しい物

を建てさせゃうε

マキアペヲは闘民主義勃興時代に生れ︑其れの賀現不可能のイタ9

ν−一ンはデモクラシー︵政治的及び枇曾的︶勃興の時代に生れ︑其れの質調の不可

能に近かったロシャを故闘とした︒

そ乙に彼らの経済至上主義が不思議に符合する理由がある︒

経擁至上主義は皐誌のための皐説ではない︒其は賞践のための皐誌である︒︵勿論凡ての皐設は︑

ある程度までの官践的要素を含むが原則上其れを避けゃうと努力する︶共れは一一極的戦術である︒

我々は仮説が経験を説明し科ね時は其般設を郵て新しい般設を迎へる︒経験の賞在牲を否定すお之

(23)

とはその仮誌の科皐性を否定する之とである主する︒然し︑共れは麗擁至上主義に正つ℃は問題に

ならない︒何となれば彼らの問題は決してその仮設が正しいか否かではない︒彼らの問題は如何に

共れが人を動かすかである︒

その意味に於て︑政治皐に於ける経済至上主義は他の皐読とは杢然別個の債値範轄に属す可きも

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Hobbes '1器二い:!;!Leslie Stephen: Hobbes chap. HI. ehap. IV総監(

Treatises of Government, IL sec. 87. 

Ibid II. Sc.27. 

Ibid II Sec. 19.

Werke, III, 195. 

Engels: Socialism, Utopian and Scientific. 

Communist Manifesto. 

Bukharin, Communism by Laki, p. 129. 

Lenin, Communism. p. 129. 

Oppenheimer: Der Staat, AbshnittI, II,準装:'!$;11ι 

II. Rickert Der Gegenstand der Erkenntnis. 5.Anfl. -1921一丸唆t苦悩P昔話:l2i(~選結Ill.;.i,t;-1く十」く,Irr;秘宝j

Hocking ])fan and the State, chap. XIX~Ei

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参照

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