ベンサムとオースティンの実証主義的法理論
徳永 賢治
Ⅰ . はじめに
西欧の法思想史には、古来より、自然法論(自然的正しさに基づく法秩 序重視)と法実証主義(人工的正しさに基づく法秩序重視)の対立があっ た。自然法とは、一般的には、権力者が自分の都合によって変えることの できる実定法とは違って、人間の本性や理性、神の意志、事物の本性など に基づく不文法であり、実定法規の上位にあってそれを根拠づけたり、そ れが正しいか否かの判別基準となったりするものと捉えられている
(1)。 この考えは、古代ギリシャから現代人権論に至る約
2500年以上もの非 常に長い歴史をもっている。儒教や道教にも類似の発想が見られるが、西 洋法思想に限れば、自然法論は、アリストテレス (BC384-BC322) やトマ ス・アクィナス (1225?-1274) らの古典的自然法論、ホッブス (1588-1679) やロック (1632-1704) の自然権論からカント (1724-1804) の理性法論をへ て現代人権論に至る近代的自然法論を二大潮流とするのが一般的である。
他方、法実証主義という言葉の意味は時代や国によってさまざまであ る。一般に、①実定法規だけが法であるとする実定法一元論、②法と道徳、
ないし 「 在る法 」
(2)と 「 在るべき法 」 の峻別、③法の効力の根拠や法と法
(1)「 自然法 」 の 「 自然 」 には、「 おのずから 」 と 「 みずから 」 の二つの意味があり、論者によ って必ずしも同一の意味内容が理解されているとは限らないことに注意が必要である。
(2) 法律学は、「 在るべき法 」 ではなく 「 在る法を有るがままに認識する 」 ことに限定される という法実証主義成立の背後には、どのような思想があるのだろうか。出来事を在るがまま に知るということは、実は大変難しいことである。なぜなら、対立 ・ 抵触する諸事実を一つ の出来事の諸側面として承認するためには、私という自己の成長・変化を待たなければ、人は、
今の在るがままの出来事を 「 在るがままに 」 直視できないからである。
「 過去 」 は唯一の過去ではなく、その時その場所で私が選択した一つの過去の事実という ことになる。そのたった一つの過去の実在も、その時の私の心の変化で見たものに過ぎず、
何が真実であり、何が過去から現在を一貫して貫いているのかを、私は客観的に知ることは できない。時がすぎ、他人に指摘され本を読み視聴覚教材を通して、初めて出来事の別の姿 を知ることはよくあることである。人は現在の時点で 「 現在の全体像 」 を知ることはできな い。法実証主義は、その意味で限定された法学の一つの学問的立場である。
外規範の判別基準を何らかの超経験的な理念のうちに求めず実定法体系の 内部に求めること、などをおおよその共通分母と見てさしつかえない。
もし①だけで法実証主義の標識とすることができるのであれば、古代ギ リシャの法律中心主義や中国の法家 ( 商鞅や韓非子など ) の思想も法実証主 義と呼んでいいかもしれない。しかし、以上の条件をすべて充たす法実証主 義が明確な形をとるようになるのは 19 世紀以降の西欧社会であろう。なぜ ならその時代背景には、形而上学を排して経験的な探究を重視するコント (1798-1857) 流の実証主義の影響、さらには啓蒙期の近代体系思想を取り入 れた法典編纂の進展等による、実定法の整備があげられるからである。
法実証主義の代表的な理論をあげるなら、19 世紀後半から
20世紀初頭 にかけてドイツ法学全般を支配した 「 概念法学 」 やそれをさらに精密に したケルゼン (1881-1973) の 「 純粋法学 」、革命の成果たる法典の解釈だ けに法律家の仕事を限定した
19世紀フランスの 「 注釈学派 」、イギリス ではコモン ・ ローの雑然たる判例の集積に抗して法の体系化を目指した
J.ベンサム (1748-1832) や
J・オースティン (1790-1859) らの 「 分析法理学 (Analytical Jurisprudence)」 などが挙げられる。
イギリスの法実証主義者は、自然権思想や自然法論の方法論上の誤謬 ( 事実と規範の混同 ) を指摘し、法は主権者の命令であると主張した。特 に、自然権や自然法を批判するベンサム、オースティン等の功利主義法理 論には、その主張が目立っている。本稿は、第Ⅱ章でイギリス法哲学にお けるルター (1483-1546) と言われるベンサムを、第Ⅲ章でイギリス分析法 理学の祖と言われるオースティンの法哲学を取り上げ、第Ⅳ章でベンサム とオースティンを比較して、第Ⅴ章で古典的法実証主義にみられる法の世俗 化の進行とその現代における意義の一端を論じることを目指すものである。
Ⅱ . ベンサム ( イギリス法哲学のルター ?) 1.生涯と主著
(1)生涯
ベ ン サ ム (Jeremy Bentham,1748-1832) は、1748 年
2月
15日、 ロ ン
ドンの法律家の子として生まれた。3 歳のとき、父親からラテン語を習っ た。12 歳のとき、最年少の学生として、Oxford 大学クィーンズ・カレ ッジに入学する。父は、優秀な息子がいつか大法官 (Lord Chancellor of
England) になることを夢みていた。ベンサムは、リンカ-ン法学院を通して
24歳のとき弁護士資格を取得するが、法律実務より法律の原理的研 究に興味を抱いた。そのきっかけとなったのは、ブラックストン (1723 -
1780) の講義を受講したことにあると言われている。
ベンサムは、28 歳のとき、『政府論断片』を匿名で出版した。38 歳の とき、弟の
S.ベンサム (Samuel Bentham、1757 -
1831) と協力して理想的刑務所パノプチコンを設計した
(3)。41 歳のとき、『道徳および立法 の諸原理序説』を出版した。
43歳のとき、フランスの人権宣言の自然法 思想・自然権思想を批判する『無政府的誤謬』を書いた。それまでの自然 法中心の法哲学を、実証主義的法哲学の方向へ転換したことにより、イギ リスの法哲学分野におけるルターとも言われている。44 歳のとき、父が 亡くなり、遺産を相続したベンサムは、以後約
40年間、毎日
10枚から
20枚の原稿を書いたと言われている
(4)。1832 年
6月
6日、84 歳で死去した。
(2)主要著作
An Introduction to the Principles of Morals and Legislation, 1789 Of Laws in General, 1970
ベンサムの死後、John Bowring が編集したベンサム全集 (The Works
of Jeremy Bentham、Edinburgh: Tait, 1843) は 全11巻 で あ っ た が、
1968
年以降進行中の新しいベンサム全集は全
77巻になるらしい (2012 年 末の段階で、27 巻が公刊されている )
(5)。新しい全集の刊行が完結してい
(3) 弟のサミュエル・ベンサムはロシアのサンクト・ペテルスブルクのOkhta川の河口にあっ た刑務所というより学校 ( 技芸万視学校The Panopticon School of Arts) を設計・監督し た。1806年に作られたが、1818年に火事で焼失した。ベンサム兄弟については、Catherine Pease-Watkin, "Jeremy and Samuel Bentham - The Private and the Public", in Journal of Bentham Studies, vol. 5 (2002), pp.1-26が詳しい。
(4) この大量の草稿を基にして、現在新しいベンサム全集 (The Collected Works of Jeremy
Bentham) の編集作業が進められている。ベンサムに関する研究動向や全集出版の進行状況
等については、THE BENTHAM NEWSLETTERが詳しい。
(5) このうち8巻がAthlone Pressから、残りはOxford University Pressから出版されている。
ない現時点では、ベンサムの詳細な全体像は、未知というほかないだろ う。
(3)時代背景
イギリスは、18 世紀に産業革命を経験した。工業化の進展とともに、
人々は、経済的格差の拡大、貧困者の増加、奴隷貿易の諸問題等に頭を悩 まし始めた。ベンサムは、このような状況のなかで、個人の幸福の平等、
幸福の量的比較考量による社会改革の必要性を提案した。その新しい改革 の社会・道徳・政治・法的原理となったのが、功利主義である。ベンサムは、
功利主義に基づいて新しい実証主義的近代法学の樹立を目指した。彼は、
そのために、自然法論をコモン・ローと融合することによってコモン・ロ ーを正当化・体系化したブラックストンの法理論を批判した。ベンサムの 仕事を法学の分野で完成させたのが、J. オースティンと言える。それは、
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世紀イギリスの実証主義的法理論の確立を意味していた。
ベンサムの功利主義思想は、独占に反対し市場開放 ( 重商主義政策 ) を 主張する外務大臣のシェルバーン伯 (William Petty-Fitzmaurice, 1737-
1805、『政治算術』のウィリアム・ペティの曾孫 ) を通して、フランス、アメリカ、アイルランドなどに広まった。1780 年
6月、シェルバーン伯 は、東インド会社とそのベアリング銀行を通して、マラー (Jean-Paul
Marat, 1743-1793)、ダントン (Georges Jacques Danton, 1759-1794)、ロ ベ ス ピ エ ー ル (Maximilien François Marie Isidore de Robespierre,
1758-1794)などのフランスのジャコバン党員 ( 急進的共和主義革命を主張 ) に資金援助した
(6)。それはアイルランド改革の推進に歯止めをかけ るため、ロンドンを混乱させる狙いがあった。
その背景には、アイルランド内部の親米共和国運動を弾圧し、1779 年 に実現寸前にあったアイルランドからの対英攻撃力を弱める意図があっ
(6) ジャコバン派 ( 山岳派 ) の政治は、暴力的な手段を用いる恐怖 (Terreur) 政治であったた め 「 テロ 」 の語源となったとも言われている。ロベスピエール派は、革命反対派、穏健派、
過激派など、反対派の人物を次々と処刑した。そのため、反革命容疑で逮捕拘束された者は 約50万人、死刑の宣告を受けて処刑された者と裁判なしで殺された者を合わせると約4万 人が犠牲になったと言われている。
た。1775 年から始まったアメリカの独立戦争は、1778 年から
1789年にか けて、フランス、スペイン、オランダの対英参戦、さらにイギリスの中立 国船舶の捕獲宣言に対抗する武装中立同盟 ( ロシア、プロイセン、ポルト ガル、スウェーデン、デンマーク ) の結成により、弾みがついた。国際的 に孤立したイギリスは、ついに
1783年パリ条約でアメリカの独立を承認 した。
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世紀イギリスにおける自由貿易推進を正当化する著作として、
1776年の
Aスミスの『諸国民の富 (The Wealth of Nations)』、1787 年の
J.ベンサムの『高利弁護論 (In Defense of Usury)』がある。ベンサムの功 利思想の影響は、Aaron Burr( 後にメキシコを創る )、Simon Bolivar(
後にヴェネズエラを創る ) 等、中南米にも及んでいる。
2.法実証主義者ベンサム
(1)法学の経験科学化
ベンサムは、「 法とは何か 」 という問題に対して、力 (power)、主権 (sovereignty)、制裁 (sanction) という経験的に指示できる事実をもって 答えようとする。そのために、「 ある法 」 と 「 あるべき法 」 とを区別する。
「 ある法 」 を研究するのが説明的法理学 (Censorial Jurisprudence ⇒ベ ンサムは社会科学のニュートン? ) であり、「 あるべき法 」 を研究するの が批判的法理学 (Critical Jurisprudence) である。
実定法こそ法であり、実定法に還元されない他の法は法ではない。
(2)自然権や自然法の批判
経験的に確証されない道徳原則を法的正義と同視することは不合理で ある。自然法や自然権の観念は、単なる言葉に過ぎず、「 何が法であり法 でないのか 」 という法の識別基準として用いることはできない。自然法や 自然権の観念は、感覚的に経験可能な個物の事実ではない。ベンサムは、
1789
年のフランス人権宣言を一種の修辞であり、科学的に正当化されな
い戯言であると批判した。
3.ベンサムの功利主義法思想
(1)功利主義(『道徳および立法の諸原理序説』)とその人間観
①快楽 ・ 幸福を生み出すものが善であり、苦痛・不幸を生み出すものが 悪である。行為の正・不正は、この快苦を増進するか否かによって判断さ れる。快楽と苦痛は人類の二人の主権者である。
②社会の善とは、社会を構成する個人の善の総計である。最大多数の最 大幸福が社会の善である。
③道徳は、道徳家の主観的判断により決められるべきではなく、人間性 (human nature) の客観的法則に基づいて確立されるべきである。
④快苦は数学的に計算可能である。この計算の基準は、快苦の強度、持 続性、純粋性、多産性、確実性、遠近性、範囲の
7基準である。
⑤個人の快苦の感受能力は等しいと見做せるから、社会の善を考える場 合、何人も一人として計算すべきである。
⑥立法すなわち統治の原理も、この道徳の原理と同じである。立法の目 的は、社会における快楽=幸福を増大し、苦痛=不幸を減少させることで ある。
(2)功利主義とその哲学的背景
ベンサムの功利主義には、スコットランドのリード(Th.Reid,1710-
1796)やスチュワート(D.Stewart,1753-1828)の常識哲学、イングランドのロック(J.Locke,1632-1704)の経験主義、アイルランドのバークリ ー(G.Bercley,1685-1753)の主観的観念論、スコットランドのヒューム (D.Hume,1711-1776)の懐疑主義哲学等の影響があると言われている。
ベンサムの功利主義が実現するためには、次の①~③の命題が成立しな ければならない。
①個人の幸福は、彼 ( 女 ) の快楽の総計に付加されたものが、彼 ( 女 ) の苦痛の総計に付加されたものよりも大きい場合に、増大する。
②社会の一般的利益 ( 公共の利益 ) は、この社会の構成員の利益全体か
ら成る。
③社会の集合的幸福は、この社会の個々人の快楽全体が個々人の苦痛よ り増大する場合に増大する。
(3)功利主義の欠点
①人間の行動の予測は困難であり、計算通りではない。
②功利計算には客観的裏づけがない。
③法行動を市場モデルで説明するには困難な場合がある。行動の結果は その原因および動機と常に一致するとは限らない。
④正義は、快楽と苦痛に基づいた善悪と同じではない。
4. 法と権力
(1)法の定義
ベンサムによれば、法とは、「 一定の場合に、主権者 (sovereign) の権 力に服している若しくは服していると考えられる一定の人若しくは一定の 部類の人々によって守られるべき行為 (conduct) に関して、国家の主権 者によって考えられた或いは採択された意思 (volition) を宣言する記号 (signs) の集まり 」 である。
法 と は、 立 法 者 の 意 思 で あ り、 そ の 意 思 は 命 令 (command)、 禁 止 (prohibition)、 非 禁 止 (non-prohibition)、 非 命 令 (non-command) と いう四つの様相により示される。
(2)主権者
「 人若しくは人々の集まりであって、政治的社会全体が、他のどのよう な人ないし人々の意思にもまして、その人若しくは人々の集まりの意思に 服従する傾向があると ( どのような説明があったとしても ) 考えられる
[人若しくは人々の集まり
]」 である。ベンサムの 「 主権者 」 は、道徳的、宗教的制裁によって制限される余地
をもつ。また主権者の意思は、主権者に服従する人々の 「 服従の習慣 」 に
よって機能的に確認され、分割される余地をもつ。その意味で、ベンサム
の 「 主権者の意思 」 は、ホッブスのような無制限で分割不能な意思でもな く、またケルゼンのような思惟上の仮設でもない。
(3)制裁
一次的法は、指令的部分 (directive part: 何をすべきか ) と、制裁的部 分 (sanctional part: 立法者や法執行機関がどのような罰や報酬を用意し ているか ) から成る。制裁には、物理的制裁、道徳的制裁、( 法的制裁を 含む ) 政治的制裁、宗教的制裁の四つの制裁がある。
5.法と言語
ベンサムの言語論は、
1811年 ( または
1807年頃 ) から準備されていて、
1814
年以後形となって現れた。
(1)存在(entity)
存在は、①知覚可能な存在 ( =物体 ) すなわち感覚によって知られる存 在と、②推論上の存在すなわちその存在を信ずることはできても知覚する ことができない存在に区分される。前者の①は、さらに実在的存在 (real
entity) と擬制的存在 (fictitious entity) に、後者の②は、人間的な推論上の存在 ( 魂など ) と超人間的な推論上の存在 ( 神・天使など ) に区分さ れる。
権利、所有、占有などの法概念は、言語の文法上の形式からは、あたか も存在するかのように思われるものの、実際には存在しない存在として、
擬制的存在である。
ベンサムの 「 存在論について (Of Ontology)」 は、Philip Schofield が 英文部分を、そして
Jean-Pierre Cleroと
Christian Lavaが仏文部分を 担 当 し、1997 年 に、Of Ontology(De l'ontologie) と し て、Editions du
Seuilから出版された。
(2)意思論理学
ベンサムは、1814 年から
1816年の間に、論理と言語に関する原稿の大
半を書いた。
ベンサムの意思論理学は、主権者の意思の様相 ( 命令、禁止、許容、義 務など ) の諸関係を研究する論理学であり、現代規範論理学の先行形態の 一つと言える。
(3)権利と義務
主権者は臣下に苦痛や責務を課すことにより、行為を命じる。この苦痛 は、義務ではなく、制裁の威嚇である。義務 (duty) は、常に制裁の威嚇 を伴うが、意図された快楽が生じることは必ずしも確実ではない(ベンサ ムの功利主義法思想においては、権利よりも義務が基本となっている )。
一方、快楽は、「行為の許可」または「不作為の許可」が与えられるとき 生じる。快楽は、命令や禁止すなわち義務の欠如から生じる。
ベンサムによれば、Right は、Rect-um(regitum; 拘束されるもの ) で あり、ラテン語
Regereの過去分詞である。人が自分の権利を主張する場 合、彼 ( 女 ) は自分の立場からみて自分が自分に帰属するものを裁判所も 命じて欲しい、ということを求めていることになる。法的権利は、制裁の 威嚇 ( 苦痛からの回避、快楽への志向 ) を通じて現実と結びつく。
6.私法、刑法、憲法、国際法の目的
(1)私法の目的:生計の確保、豊富さの産出、社会の安全、平等
私法の
4目的のうち、一番大切なのは安全 (security) である。なぜなら、生計の確保、豊富さの産出については、各人の快楽と苦痛という動機に基 づく各人の自発性に委ねるのが良いからである。また、労働成果の安全を 確保すれば、各人は自発的に働き、その労働が生計の確保、豊富さの産出 への道を開くからである。平等については、機会の平等を確保した後、相 続税によって財産の平等化を図ればよいからである。ベンサムによれば、
私法の主要目的は、身体、名誉、金銭その他の財産、権力その他の安全に
ある。
(2)刑法の目的:害悪の排除
刑罰は害悪であるのに刑罰が法的に許されるのは、より大きい害悪を除 去できる範囲において刑罰が正当化されるからである。従って、ⓐ刑罰に 規定が無い場合、ⓑ刑罰に効果が無い場合、ⓒ刑罰の方が犯罪よりも高く つき過ぎる場合、ⓓ刑罰が不必要な場合、には刑罰を科すべきでない。刑 罰の
4目的は、①全ての犯罪を防止すること、②最も悪質な犯罪を防止す ること、③害悪を最小限に食い止めること、④最小限の費用で害悪を防止 することである。
(3)憲法の目的:国家構成員の最大多数の最大幸福
憲法の一般的目的は、国家構成員の最大多数の最大幸福である。国家の 産出した幸福の総量と国家が失わせた損失の総量との差額が、最大多数の 最大幸福である。国家は、国民に対し害悪 ( 納税その他の義務 ) を課さず して、その機能を果たすことはできない。国家は、本来的に害悪である。
害悪以上の善を産出できない国家は良くない国家である。国家は、権力行 使に伴う費用を最小限に止めなければならない。
憲法の三大原理は、①最大多数の最大幸福の原理、②人間本性の自利優 先原理、③諸利益の接合指示原理から成る。政治家の仕事は、幸福を最大 化する個々人の行為の組み合わせを人工的に作り出すことである。
最大多数の最大幸福がその目的と結果でありまたありうるような政治体 制は、民主主義体制である。代表民主主義のみが、外敵の侵略に対して自 衛可能な役割を果たすことができる。
(4)国際法の目的:すべての諸国民の最大且つ共通した功利
国家の内部で、個人間に違法行為があったとき、紛争当事者に共通する 両者の優越者 ( 司法権 ) が存在し、民事・刑事裁判が行われる。しかし、
服従の習慣のない国際社会で、国家間に争いが生じたとき、紛争当事者に
共通する優越者が存在しない。そこでは、ⓐ損害を甘受するか、ⓑ戦争す
るか、ⓒ同盟国と一緒に共通の判定者を任命するか、のいずれかの選択を
せまられる。
戦争は、社会構成員全員にふりかかる害悪である。ⓒを実現するには、
諸国家間に普遍的に妥当する国際法、すなわち各国間の共通の普遍的利益 を互いに承認する法的な社会関係を成立させなければならない ( 但し、自 衛のための防衛戦争は必要の問題である )。
文明諸国民の共通の福祉を増進するためには、①政府機構の簡素化 ( ⇒ 財政支出の削減 )、②国民的節約 ( ⇒戦争に訴えないこと )、③平和の推 進の諸目的の実現を目ざすことが大切である。
ベンサムの普遍的で永久的な平和のための計画については、『国際法の 諸原則 (The Principles of International Law)』がある。
7.ベンサム法哲学の小括
(1)刑務所改革運動
ベンサムによれば、犯罪は、社会の幸福からみて 「 病気 」 である。犯罪 者は病人とも言える。無知と貧困が犯罪の原因である。国家は、犯罪の治 療のため、①予防的治療 ( 犯罪を発生させないこと )、②鎮圧的治療 ( 犯 罪を完成させないようにすること )、③賠償的治療 ( 加害者をして被害者 に犯罪の害悪を賠償させること )、④刑罰的治療 ( 犯罪の再発を防ぐこと ) を行なうことができる。犯罪の再発を防ぐには、犯罪者の犯罪を行なう自 然的能力を除去すること ( 物理的無能力化 )、犯罪を行なう欲望を除去す ること ( 精神的矯正 )、犯罪を行なうことを恐れさせること ( 法的威嚇 ) が必要である。
犯罪治療のために 「 パノプチコン (Panopticon): 一望監視制度 」 が優 れているのは、①都市近郊に設置された施設が一般人への見せしめになる こと 、 ②作業 、 禁煙・禁酒、相部屋 ・ 独房への分離、教育等による受刑者 の矯正が可能となること、③刑務所内犯罪の予防、出獄後の犯罪の予防、
④作業に報酬が伴うため、貧しい囚人でも被害者への賠償の少なくとも一 部分は支払えることなどによる。
ベンサムのパノプチコン思想に基づいて建設されたヨーロッパの刑務
所としてはエディンバラ (Edinburgh) 刑務所 (1788 年
10月~
1793年
12月 )、イタリアのティレニア海に浮かぶ島(ローマの
80マイル南にあり 沖合
40マイルに位置する島)の
Santo Stefano刑務所 (1795 ~
1965)、ポルトガルの
Pavilhão de Segurança( 保安展示館、Security Pavilion、1892-1896、2000
年に閉鎖 )、オランダの
19世紀末に作られた
Arnhemと
Bredaの二つの刑務所、20 世紀初頭に作られた
Haarlem刑務所、1995 年に作られた
Lelystad刑務所、スペインの
1863年に作られた
Mataró 刑務所、スイスのジュネーブ刑務所 (1825 年~
1862年 ) 等がある。北米ア メリカのニュージャージー州のラフウェイ州立刑務所 (1896 年設立、1901
~現在の東ジャージー州立刑務所 )、イリノイ州ステイトビルの刑務所 (
Penitentiary at Stateville, Illinois)、中米のキューバのパイン島 (
Isle of Pines) 国立刑務所 (1932年設立 )、南米コロンビアのボゴタ (Bogota) 刑務所 (1874 ~
1905)、南アフリカのケープ (Cape) 州グラハムズタウンにある旧未決監 (The Old Provost、現在のオルバニー博物館 )、オース トラリアのフリーマントルの
The Round Houseなど、がある
(7)。
ベンサムのパノプチコン思想は、20 世紀になると、法的刑罰施設とし ての刑務所から市民をコントロールする政治的刑務所へとその姿を変え た。1990 年代以降、グローバルな監視社会 ( エシュロン ) の実現とベン サムのパノプチコン思想
(8)との類似性が指摘されている。イギリスは、
世界でも有数の監視カメラ大国であると言われている。
(2)ベンサムと明治日本
早稲田大学の創設者・大隈重信は、1882( 明治
15) 年、小野梓 (1852‐1886) らと協力して立憲改進党を結成するとともに、東京専門学校 ( 後の
(7) http://www.ucl.ac.uk/Bentham-Project/who/panopticon-folder/panopticon-whereによる。
(8) ベ ン サ ム の パ ノ プ チ コ ン 思 想 に つ い て の 単 行 本 に は、Foucault, Michel, Surveiller et punir, naissance de la prison, 1975,( 田 村 俶 訳、『 監 獄 の 誕 生 ― 監 視 と 処 罰 』 新 潮 社、
1977 年 ), Ignatieff, M, A Just Measure of Pain: the Penitentiary in the Industorial Revolution, 1950-1850. Harmondswoth, 1978, Melossi,D. and Pavarini,M., The Prison and the Factory: Origins of the Penitentiary System, Macmillan, 1981, Evans, R., The Fabrication of Virtue:English Prison Architecture, 1750-1840、Cambridge University Press, 1982, Semple, Janet, Bentham's Prison: A Study of the Panopticon Penitentiary, Clarendon Press, 1993等がある。
早稲田大学 ) を創設した。高知県宿毛市出身の小野梓は、ジェレミー・ベ ンサムを研究した英米法研究者であった。1885( 明治
18) 年、 主著『国憲汎論』を書いた。もし小野梓が
34才の若さで死亡せず、その後も健在で 民法典論争 (1889-1892) に参加していたとすれば、ベンサムの法典化運動 と同じように、旧民法典の施行について、断行を主張したであろうか。
(3)「法と経済学」とベンサムの功利主義法理学
アメリカでは、1970 年代から 「 法は効率性を追求すべきである 」 とい う
R.ポズナー (Richard Posner,1938 ~ ) の 「 法の経済学 」 運動に刺激 され、ミクロ経済学の発想を法の分析や制度設計に応用しようとする傾向 が目立ち始めた。独占禁止法、会社法、税法といった元来経済学的知見と 密接な関わりのある分野だけでなく、不法行為法や 「 法の経済学 」 はどん な分野にも適用可能なツールのように受けとめられ、ポズナーの教科書『法 の経済学的分析 (Economic Analysis of Law)』(1972) は有名になった。
しかし、「 法の経済学 」 学派は、法の存在意義を正義や公正に置く、ド ゥオーキン等のリベラリストや批判的法学研究者たちの激しい批判を招 き、1990 年代に入ると、ポズナー自身も含めた 「 法と経済 」 学派の理論 家たちの多くが、経済学的アプローチの有効性を限定的に捉える、よりプ ラグマティックな立場に転向した。
ベンサム流の快楽主義的・量的功利主義法理学は、その後、J.S. ミル
の快楽主義的・質的功利主義からの批判を受けたものの、依然として幸福
を快楽と苦痛との差し引きの総計とする、快楽計算可能の立場に立って
いた。20 世紀になると、その計算は不可能とするヘア (Richard Mervyn
Hare, 1919-2002年 ) やシンガー (Peter Singer, 1946- ) の選好充足型功
利主義立場が出現した。
Ⅲ.J . オースティン ( 分析法理学の創設者 ) 1.生涯と主著
(1)生涯
J. オースティン (John Austin, 1790-1859) は、1790 年
3月
3日、サフ ォーク州の商人の息子として生まれた。16 歳のとき海軍に入隊し、シシ リー島とマルタ島で
21歳までの
5年間、軍役に就いた。この対ナポレオ ン戦争中に、オースティンはマラリアにかかった。1814 年、サラ ・ テイ ラー (Sarah Taylor,1793-1867) と婚約した。1818 年~
1825年のあいだ 弁護士となるが、実務家としては失敗した。1819 年、オースティンはサ ラと結婚した。
1826
年、Oxbridge 以外の都心に位置する新興中産市民階級の子弟のた めの新しい大学としてロンドン大学が創立され、オースティンが初めての 法理学講義を担当することになった
(9)。1928 年、UCL の初代法哲学講座 の教授となる。マラリアの後遺症のため、実際にはオースティンの講義は
1829年に始まったらしい。2 年目の講義は
1832年
1月
11日に始まった。
1859
年に死去した。
(2)主要著作
The Province of Jurisprudence Determined, 1832
Lectures on Jurisprudence or the Philosophy of Positive Law, 1863
オ ー ス テ ィ ン の 法 思 想 に つ い て は、Wilfred E. Rumble, The
Thought of John Austin : Jurisprudence, Colonial Reform, and the British Constitution, Athlone Press, 1985や
Clark, E. C., Practical Jurisprudence: A Comment on Austin, Cambridge University Press.(9) ロンドン大学は、現在のUCL(University College London) の前身大学である。80歳のベ ンサムがこの旧ロンドン大学の創設に直接関与したわけではないらしいが、建学の精神的な 柱として高く評価されている。現在のUCLの図書館本館の入口には帽子をかぶり椅子に座 った着衣のベンサムのミイラがガラスケースに収められている ( 実際に見ると意外に小さい )。ベンサムは、遺言により死後自分の遺体を保存するよう求めたが、遺体 (Auto-Icon) を 容れた木製の箱が現在の場所に移されたのは1850年である。UCLの大学正門前の道路斜め 向かいにはJeremy Benthamという名前のパブ・レストランがある (1993年当時 )。
1883
や
Morison, W. L., John Austin, Stanford: Stanford University Press,1982がある。
2.オースティンの法理論
(1)法実証主義者オースティン
オースティンの法理論には、実定法一元主義、法と道徳の区別、法概 念の論理的 ・ 客観的分析の重視、法学の分野から実定法外的価値判断の 排除、といった法実証主義の特徴が極めて顕著にみられる。特に、彼の 法理学体系の序論的性格をもつ実定法一元主義、法と道徳の区別の部 分については、後に、『法学範囲論』(The Province of Jurisprudence
Determined)という表題のもとに出版された。(2)実定法一元主義
オースティンは、法学の固有の対象は実定法であること ( 実定法一元主 義 ) を主張した。彼は、「 あらゆる法体系は、それぞれ特殊なまた特徴的 な差異をもつけれども、そこには、種々の法体系に共通する原理・概念・
区分が存在し、種々の法体系がそれによって、類を同じくするような類似 があり 」、「 これらの共通の原理の多くは、すべての法体系に共通してい る 」 と考えた。
洗練された社会の成熟した法体系に共通する種々の原理や類似は、一つ の広範囲にわたる学問の対象、すなわち一般法学あるいは実定法の哲学ま たは実定法の一般原理となる。オースティンは、このような一般法学構築 の必要性と有用性を述べるとともに、みずからその体系化を目指す。彼に よれば、一般法学は立法論と無関係ではないけれども、両者は区別されな ければならない。一般法学は、あくまで、より成熟した実定法体系に共通 する原理・概念・区分を説明する学問であって、法の善悪の問題、すなわ ち法に対する価値判断の問題には、なんら関わらない。
彼は、このような一般法学の構想を、ドイツ法学から学んだ。という
のは
1826年にロンドン大学で初めて創設された
Jurisprudenceの教授
となったオースティンは、その講義の準備のためドイツに渡り、そこで 研究を進めたからである。当時のドイツは、歴史法学の全盛期であっ た。
彼は、ドイツ歴史法学の影響下で研究し、ローマ法についての知識 ( ド イツ歴史法学の胎内から生長しつつあったパンデクテン法学の方法 ) をも 修得した。彼はパンデクテン法学のイギリス版の構想を胸に抱いてイギリ スに帰国した。このような事情からも、ドイツ一般法学とオースティンの 一般法学には親近性がある、と言える。しかし、同時に、オースティンの 理論には、一面では、多分にイギリス的特色がみられる。
オースティンは、イギリスの判例法と慣習について、次のように述べて いる。判決により創られた判例法は、判決全体ではなく、判決のレイシオ
・ デシデンダイ (ratio decidendi: 判決理由 ) を指す。このレイシオ ・ デシ デンダイは、主権者が直接または間接に創設する一般的命令に等しい。慣 習は、主権者またはそれに従属する立法者により取り入れられ制定法に転 化する場合に、あるいは、判決の基礎として取り入れられ判例法に転化す る場合に、法としての効力を認められる。
オースティンの理論は、19 世紀
20年代の終わりから
30年代の初めに かけての時期に確立した。しかしながら、オースティンの理論は、彼の生 存中は、不遇であった。彼の理論が脚光をあびるに至ったのは、イギリス 歴史法学の創設者メーンが、19 世紀の
60年代に、オースティン理論の意 義を指摘するとともに、その法概念論の一面性に批判の眼を向けたことに よってであった。オースティンの理論に 「 分析法学 」 という名称を与えた のも、メーンであった。
(3)オースティンの法概念
彼は、法学の対象である実定法を他のものから明確に区別するという動
機から法概念論を始めている。彼がその区別に当たり重視したのは、論理
的 ・ 概念的明断さであった。彼はまず一般に漠然と法と呼ばれているもの
を、「 固有の意味での法 」( 本来的意味での法、Laws properly so-called)
と 「 不 適 当 な 意 味 で の 法 」( 非 本 来 的 意 味 で の 法、Laws improperly
so-called) に区別する。その両者を区別する基準は、それが一般的命令(general command) としての性格をもつか、もたないかということであ る。これが、彼の 「 法命令説 」 の第
1段階である。
一般的命令としての性格をもたない 「 不適当な意味での法 」 のなかに は、「 比喩的な意味での法 (Laws by metaphorical or figurative)―――
人間以外の生物の世界やまた無生物の世界にも法があるといった場合の法
―――と、単に人びとの一般的な意見に基づいてつくられた 「 類推による 法 (Laws by analogy or Laws set by fashion)」 の一群が含まれる。「 類 推による法 」 とは、人間のつくった道徳という意味をもっており、いわば
「 在る道徳 」 であり、これには世論や国際法や慣習が含まれる。
一般的命令という性格をもつ 「 固有の意味での法 」 も、また次のように 分類される。まずその命令の主体が神であるか、それとも人間であるかと いう標識によって、「 神の法 (Laws of God)」 と 「 人定法 」 が区別される。
「 神の法 」 は神が人間に課す命令であるのに対して、「 人定法 (human
laws)」 は人間が人間に課す命令である。彼が 「 神の法 」 を 「 固有の意味での法 」 として位置づけているところには、自然法的思想の残滓が彼の理 論に依然として混入しているかに思われる余地がある。
しかし、彼は 「 神の法 」 を知るための手がかりを 「 功利の原理 」 に求め、
「 神の法 」 についての論述は、結局、彼の功利主義的世界観を表明する結 果となっている。「 神の法 」 は、功利主義の立場に立った 「 あるべき道徳 」 を意味するといってよいであろう
(10)。彼の主眼は、「 あるべき道徳 」
(10) ケンブリッジ大学で倫理学を教えたペイリー (William Paley, 1743 – 1805)によれば、神の 意思は人類の一般的幸福を促進することにある (Paley, William (1809), Natural Theology:
or, Evidences of the Existence and Attributes of the Deity, Collected from the Appearances of Nature, first published in 1802)。神の意思は神の作品または 「 自然の光」に求められる。
人類の幸福を欲する神の意思に遵うため、人々は公共の福祉を目指して行動すべきである。
「有用なもの」、「適切なもの」は、正しい。道徳規則の功利性だけが、この規則を義務づける。
オースティンの「神の法」は、明示的な神の命令と黙示的な神の命令に区分される。前者は、
預言者を介して神が明確に示した命令であり、後者は自然や理性の光を通じて人間に示され た命令である。オースティンによれば、神は万人の幸福を欲している。この神の意思を促進 するものは神が命じたものであり、それらに反するものは神が禁止したものである。神の黙 示的命令が、観察 ・ 帰納の方法により、ルールとして導出されるというオースティンの考え には、ペイリーの影響があると言われている。
(「 神の法 」) や 「 ある道徳 」(「 実定道徳 」) から、実定法を明確に概念的 に区別し、またそれらと実定法とを効力関係において明確に遮断すること であった。
オースティンは、実定法が 「 神の法 」 や実定道徳と混同されるべきでは ないことを強調する。たとえ、実定法が 「 神の法 」 や実定道徳に違反して いようとも、それは実定法としての効力をもつ、と彼は主張する。彼の法 実証主義の立場は貫徹されており、そこでは、法と道徳の効力的分離が明 瞭にみられる。
「 人定法 」 を 「 神の法 」 から分別したオースティンは、さらに 「 人定法 」 を二つに分類する。その一つは人間が人間にあたえた命令という性格をも つ実定道徳であり、いま一つは実定法である。この両者の区別の基準は、
それが非政治的権威に基づく命令 ( ⇒主権者または主権者集団が創設した のではない命令 ) であるか、それとも独立政治社会 ( 独立国家 ) における 最高の政治的権威、すなわち主権者、の命令であるかという点に求められ る。こうして、彼は、「 実定法 (posive law)」 とは 「 独立政治社会 ( 独立 国家 ) における単独の主権者または集団が、その社会の成員に対して、直 接または間接に創設した一般的命令である 」、という実定法概念を確立す る
(11)。オースティンは、このような実定法を 「 厳密な意味での法 (laws
simply and strictly so called)」 と呼び、それのみが法理学の対象であると主張した。
オースティンは、国際法や慣習などの 「 類推による法 」 および 「 主権者 または主権者集団が創設したのではない命令 」 は、実定法ではなく 「 実定 道徳 (positive morality)」 に過ぎないと考えた。
彼によれば、主権者相互の関係を規律する国際法は
international lawと言われているが、実は実定道徳に過ぎず、憲法の一部分も実定道徳に過
(11)「 独立政治社会 (political independent society)」 とは、「 特定の上位者が、同様の上位者 に対して服従する習慣のないまま、特定の社会の大部分の者から習慣的服従を受けている場 合、その特定の上位者はその社会における主権者 (sovereign) であり、その上位者を含めた 社会は政治的独立社会である 」。オースティンは、主権者がおらず、従って服従者もいない 各人が独立している社会は、政治社会と区別された独立自然社会 (independent but natural
society) であると考えた。彼においては、社会は、独立政治社会、従属政治社会 ( 植民地 )、
独立自然社会、従属自然社会 ( ? ) の4つの論理的可能性をもつ。
ぎない。主権者は、法に拘束されないが、道徳には拘束される (「 悪法も 法であ 」 り、「 悪法は道徳的には拘束されない 」)
(12)。
(4)法=主権者命令説
オースティンは、法とは主権者の一般的命令であると考えた。命令 (command) とは、「 甲が乙に対して、ある行為をすべきであるとかすべ きでないという欲求 (wish) を示し、もし乙が従わないときは甲が乙に危 害 (evil) を加えるという場合の、甲の明示もしくは黙示の欲求 」 をいう。
命令された者が不服従の場合、危害を加えられることを免れないとき、命 令された者は命令に従うべき 「 義務 (duty)」 がある。義務を履行しない 場合不履行者に課せられる害を、「 制裁 (sanction)」 という。主権者とは どのような政治的優越者にも従属しない最高の政治的優越者であり、した がって、いかなる政治的優越者の命令にも拘束されない。ここから 「 主権 者は実定法に拘束されない 」 という説が帰結される。
(12) オースティンの 「 主権 」 概念には、「 事実上の主権 (de facto sovereign)」 と 「 権利上の主 権 (de jure sovereign)」 の混同がみられる。
不適当 な意味 での法 固有の 意味で の法
神…神が人間に課した一般的命令 ( 神→人間 );the laws of God
laws of God人定法…人が人に課した一般的命令 ( 主権者→人間 );human laws
laws人々の一般的な意見に基づい て作られたもの…例。国際 法、慣習
比喩的な意味での法…例。自 然法
厳密な意味での法⇒実定法:
「独立政治社会の成員に対 して、その社会における主 権者または主権者集団が、
直接または間接に創設した 一般的命令」
主権者または主権者集団が
創設したのではない命令
法
法は命令であって、この命令は制裁によって担保されねばならず、この 制裁を伴う命令は主権者がこれを発するというオースティンの実定法一元 主義は、実力主義的な決定主義という側面をもつ理論であった
(13)。産業 革命や市民社会の近代が急速に発展していたイギリスにおいては、「法の 支配」の原則の下に発展してきた国会主権の強化と、国会の立法活動の活 発化によって都市と農村、労働者と資本家等の出現しつつあった社会格差 に対応すべき新たな法的安定の維持・確保という時代的要求があった。主 権者命令説も、このような当時のイギリスの時代的要求に応ずるものであ った。オースティンによれば、イギリスにおいては、国王はけっして主権 者ではなく、国会の一翼を担っているにすぎず、主権者はあくまで国会で あった。
(5)オースティンの法命令説の二つの特徴 ①法と道徳の区別と 「 神の法 」
オースティンは、実定法を、「 神の法 」( 在るべき道徳 ) と「実定道徳」
( 在る道徳 ) から切り離した。切り離された 「 神の法 」( 在るべき道徳 ) と「実定道徳」( 在る道徳 ) は、実力主義的な決定主義を緩和する意味を もっていた。オースティンにおいては、主権者がたとえ 「 神の法 」 や 「 実 定道徳 」 に反した実定法を創設したとしても、それは実定法であり、実定 法として法的効力をもつ。と同時に、いかなる実定法にも拘束されない主 権者は、その実定法に拘束されない。しかし、実定法には拘束されない主 権者も、「 神の法 」 や 「 実定道徳 」 には拘束される。「 神の法 」 が課す義 務は、実定法上の義務に優越しており、「 神の法 」 に対する義務違反の場 合に課せられる制裁は最大の苦痛であり、また、「 実定道徳 」 における義 務や制裁も、実定法における義務や制裁に優り得ることがある。
こうして、「 神の法 」 や 「 実定道徳 」 に反した実定法を創設した主権者は、
実定法上の制裁よりも、より厳しい制裁を受けなければならない。その結
(13) オースティンによれば、主権者のいないところに法はない。法の存在、法の創造、法の妥 当の問題は、すべて 「 主権 ( 者 )」 概念と無関係には考えられない。
果、「 神の法 」 や 「 実定道徳 」 は概念的・効力的に実定法と切り離される ことによって、かえって、実定法には拘束されない主権者を拘束する強力 な制約原理としての意義と機能をもつことになった。
オースティンによれば、主権者にとって、憲法の一部は実定道徳に過ぎ ない。オースティンは、主権者の側からみれば、主権者は実定法には拘 束されない。主権者が遵守すべき強力な実定道徳上のルールとして、憲 法を位置づけた。他方、国民の側からみればどうなるか。もし主権者が 「 神の法 」 または 「 実定道徳 」 に反した実定法を創設した場合にも、それ は実定法としての効力をもち、その実定法に違反すれば、法的制裁をう ける。しかし、そこでは国民は義務の選択と決断を迫られる。ここで、
「 功利の原理 」 に従えば、苦痛度のより少ない制裁を選ぶべきであるとい うことになり、したがって、「 神の法 」 や 「 実定道徳 」 に反した実定法に は、国民は従わないであろうし、また従うべきではないという結果が生 ずることになる。
オースティンは、「 神の法 」 や 「 実定道徳 」 の場合においても、義務に 対応する権利が存在することを認めている。こうして、「 神の法 」 や 「 実 定道徳 」 は、国民にとっては、実定法に対する強力な批判の原理、また抵 抗の基礎としての意義と機能をもつことになり、それは宗教的権利または 道徳的権利の行使ということにもなる。
法実証主義が、法と道徳を切断し、実定法外の価値判断の問題を法学の 分野から排除することによって、悪法に対する批判 ・ 抵抗の原理として自 由な道徳的価値判断の余地を実践の世界に留保するという側面をもってい ることが、このオースティンの理論に示されている。
②イギリスの分析法理学とドイツの概念法学
イギリスの法実証主義には、実定法規の自足完結性のドグマ、法的判 断における形式論理的演繹法の強調および裁判官の法創造の拒否という ドイツの概念法学的法実証主義に特徴的にみられる思考が、見られない。
オースティンの比較法学的 「 一般法学 」 は、帰納的・経験的論理である。
彼は、ベンサムに従いコモンローの欠陥に注意を向けてはいるが、ベン
サムのようにコモンローを軽視せず、コモンローの法的性格を承認して いる。
オースティンは、実定法を、「 固有の意味での立法 」 の方法でつくられ た制定法と、裁判という方法を通じてつくられた司法法 (judiciary law 判例法 ) に分けている。彼によれば、司法法とは司法的決定の一般的原理 であるレイシオ・デシデンダイを意味するが、それは裁判官によってつく られた実定法である。レイシオ・デシデンダイは、裁判過程において裁判 官によってつくられたものであるとはいえ、主権者が立法という形式を通 じて、直接または間接に創設する一般的命令と同じように、やはり主権者 の命令としてそれ自身実定法であり、実定法としての効力と機能をもつ。
ブラックストンが判例法について 「 宣言説 」 の立場をとっているのに対し て、オースティンはこのように 「 創造説 」 の立場をとっている。
オースティンの理論は、国会の立法活動による 「 法的安定 」 を求める時 代的要求に対応しつつも、イギリスにおける判例法主義の伝統を受け入れ るものであった。このことは、イギリス法実証主義に 「 弾力性 」 を付与す る一要因となった。
Ⅳ.ベンサムとオースティンの比較
(1)共通点
コモン ・ ローの伝統に反対する点で、ベンサムとオースティンの法理論 は共通する。但し、ベンサムは司法法は議会の立法権を侵害するとし法典 化の必要を説くのに対し、オースティンは司法法 ( 判決理由 ) は法典化の 基礎と成り得ると考えた。
功利主義の立場を採る点で、ベンサムとオースティンは共通する。功利
主義に基づいた法哲学という点で両者は共通するが、ベンサムの功利主義
は心理的功利主義であるのに対し、オースティンの功利主義は神学的功利
主義であった。
(2)相違点
①広い法概念と狭い法概念
ベンサムにおいては、命令は主権者が法を制定する幾つかの方法のうち の一つに過ぎず、主権者の意思の一様相としての「法」には、肯定命令だ けでなく、否定命令としての禁止、また許可も含まれる。
オースティンにおいては、その「命令」には黙示的命令、間接的命令、
契約の無効も含まれるものの、憲法の一部、国際法、慣習法は厳密な意味 での実定法ではないため、 「法」概念は刑法中心の狭い法概念となっている。
②急進主義と保守主義
ベンサムは、裁判官の恣意的権力行使をチェックすることに重点を置き、
民主主義的急進主義の立場に立ち、法典化や刑務所改革運動にも積極的に 取り組んだ。これに対し、オースティンは、中産階級の利益擁護のために 裁判官等のエリートの権力を法によってどのように統制するかという発想 に乏しい。オースティンは、法改革については、どちらかと言えば、反民 主的な保守主義の立場に立つ。
③功利主義
心理的功利主義の立場に立つベンサムは、後に快楽の種類による質的な 区分を求める
J.S.ミル
(14)から、それは量的快楽主義であり質的快楽主 義の必要性があると批判された。オースティンは、神学的功利主義の立場 に立つ
(15)。
④制裁概念
ベンサムは報奨を含む広い制裁概念を採用するが、オースティンはそれ を含まない狭い制裁概念を採用する。
(14)J.S.ミルは、「満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい」と主張し、「 他人に してもらいたいと思うように行為せよ 」 という黄金律に精神の快楽を求めることの重要性を 指摘した。
(15) なお、功利主義は、最大幸福原理を個々の行為の正しさ ( 利益=善 ) の基準とするか一 般的な行為規則の正しさの規準とするかによって、行為功利主義と規則功利主義に区別され る。行為功利主義は行為が利益をもたらすか(「それをすれば利益があるか?」)を基準に し、規則功利主義は「規則」(「皆がそれに従えば利益があるか?」)を基準にする。
Ⅴ . おわりに
古来より、西欧の法思想史には自然法論と法実証主義の対立があった。
法実証主義は、「 法律は法律だ 」 とする立場から、非人道的な法律も含め て法と考える。法実証主義を批判する立場から、そのことが非難される ことは多い。例えば、戦後西ドイツでは、これが、「 ナチス時代の法律 は効力をもっていたか否か 」 をめぐる法実証主義と自然法論の論争に発 展した。しかし、自然法論に与して 「 悪法は法でない 」 としなくても、
H.L.A.
ハートのように 「 それは確かに法であるが、道徳的にあまりに不
正だから、それに従うことはできない 」 という理由で悪法を批判し抵抗す ることも不可能ではない。結局、これは 「 法実証主義か自然法か 」 という 問題でなく、たとえ法律の形をとっていようと、道徳的に許されないもの であれば抵抗のために立ち上がるという姿勢が、個人やその個人が生活す る社会の歴史・文化・伝統等のなかにしっかり根づいているか否かの問題 に繋がる。
(1)法実証主義による法の世俗化の進行と「法の支配」
「法の支配」の意味は、通常、次の4つとされている。
①法律に対する法 ( 憲法の最高法規性 ) の優位。
憲法に反するどのような国家行為も無効となって、初めて、法の支配が 貫徹される。
②基本的人権の保障
国家権力によっても侵されない個人の基本的権利の保障することが民主 政治の目的である。
③司法権の独立 ( 裁判所の違憲立法審査権 )
国家行為が「正しい法」に適合するかどうかを判断する機関は、国家行 為を行う機関とは別個独立の司法裁判所でなければならない。この司法裁 判所が、民事、刑事、行政を含むいかなる訴訟をも審理する権限をもつ。
④適正手続きの保証 ( 法の手続きの適正 )
どれほど実体法を適正に定めてもその手続が適正でなければ、人権保障
は画餅に終わり、法の支配の目的である人権保障は達成されない。その意 味で、「 適正手続の保証 」 観念は法の支配を実現する上で重要な意義を有 する。
これら①~④のうち、①の「法」概念、②の「人権」概念、③の「司法」
概念、④の「適正」概念は、法実証主義者が主張するように、果たしてど こまでも理想・理念としての「在るべき法 ( 自然法 )」概念を援用しなく ても、道具としての法の内容・意味を確定できるのであろうか。
外国人の人権問題などのように、どのような主体の効用を考慮すべき か、また他人(や他地域や他国)を不幸にしたり他人(や他地域や他国)
に不利益をもたらしたりする(過重負担を課す)ことによって得られる効 用などのように、どのような効用を誰がどこまで考慮すべきかという問題 など、解決困難な諸問題が功利主義法理学には付きまとっている。
(2)法命令説批判と
20世紀の法哲学
ハートは、「 法とは主権者の制裁の威嚇を背景とする命令である 」 とい うオースティン説の欠点を、法の内容、法の適用範囲、法の起源、法の永 続性という四つの点で批判した。ハートは、「 命令 」 に替えて、「 ルール 」 を法体系解明の重要な解明項とした。但し、このハートの法ルール説 ( 法
=第一次的ルールと第二次的ルールの結合 ) も、ドゥオーキンの法原理説 によって批判されている。
【参考文献】
J.
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-『憲法典 (Constitutional Code,vol.1>』1983
-『クレストメイシア (Chrestomathia)』1983
-『立法論』( 長谷川正安訳、E. デュモン編『民事および刑事立法論』勁 草書房、1998 年 )
J.H.Burns ed. The Collected Works of Jeremy Bentham, London and Oxford,1968-( 全77
巻予定 )
John Bowring ed. The Works of Jeremy Bentham, 11 volumes(Edinburgh, W.Tait,1838-1843)
山田孝雄著『ベンサム功利説の研究』大明堂、1970 年 山田英世著『ベンサム』清水書院、1978 年
『世界の名著
38』中央公論社、1977年
永井義雄著『人類の知的遺産
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永井義雄著『自由と調和を求めて ベンサム時代の政治 ・ 経済思想』ミネル ヴァ書房、2000 年
永井義雄著『ベンサム』研究社、2003 年
深田三徳著『法実証主義と功利主義ベンサムとその周辺』木鐸社、1984 年
西尾孝司著『ジェレミ・ベンサムの政治思想』人千代出版、1987 年 西尾孝司著『ベンサム『憲法典』の構想』木鐸社、1994 年
西尾孝司著『ベンサム倫理学・教育学論集』御茶の水書房、2002 年 西尾孝司著『ベンサムの幸福論』晃洋書房、2005 年
神成嘉光著『ベンサムの法思想の研究』八千代出版、1993 年
内田博文著「第
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西村克彦著「ベンサムの『道徳および立法の原理への序説』―その第一章 と第一三章から結論まで」(『近代刑法の遺産上』信山社出版、1998 年 所収 )
小林里次著『J. ベンサム研究改革論、そのエコノミカル・ポリティーの 哲学と技術』高文堂出版社、2002 年
小松佳代子著『社会統治と教育ベンサムの教育思想』流通経済大学出版会、
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戒能通弘著『世界の立法者、ベンサム 功利主義法思想の再生』日本評論 社、2007 年
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John Austin,Lectures on Jurisprudence or the Philosophy of Law,2vols.1879
八木鉄男著『分析法学の潮流』ミネルヴァ書房、1962 年
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/カラブレイジ、松浦好治編訳『不法行為法の新世界』木鐸社、
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ポリンスキー、原田博夫・中島巌訳『入門 法と経済学』HBJ 出版 局、1986 年
コース
/カラブレイジ他、松浦好治編訳『「 法と経済学 」 の原点』木鐸社、
1994