• 検索結果がありません。

縦01-堀先生・他-四.indd

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "縦01-堀先生・他-四.indd"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

一 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶

凡例

一 、 本 稿 は 、 服 部 南 郭 ﹃ 大 東 世 語 ﹄﹁ 豪 爽 ﹂ 篇 の 本 文 と 原 注 に 関 す る 注釈 である 。 一 、 注 釈 は 、 早 稲 田 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 科 二 〇 〇 九 ・ 二 〇 一 〇 年 度 科 目 ﹁ 国 文 学 演 習 ﹂︵ 堀  誠 担 当 ︶ の 受 講 生 ︵ 石 本 波 留 子 、 趙 倩 倩 、 上原菜摘子 、 松本豊 、 雨宮紗希 、 橋本麻美 、 菅本慈子 、 橘和 久 、 丹治麻里子 、 岸川俊太郎 ︶ が 講読担当話 の 発表資料 に 基 づい て 原稿化 した 。 一 、 底本 は 、 早稲田大学図書館蔵本 ﹃ 大東世語 ﹄︵ 寛延三年 ︿ 一七五 〇 ﹀ 刊 ︶ に 依 り 、 ま た 典 拠 に 関 し て は 同 館 蔵 本 ﹃ 大 東 世 語 考 ﹄︵ 方 寸 菴漆鍋稿 、 寛延四年 ︿ 一七五一 ﹀ 序 ︶ を 参考 にした 。 一 、 ﹁豪爽 ﹂ 篇 の 都合十四話 を 、︹ 豪爽 1 ︺ のように 順次表記 した 。 一 、 注釈 は 本文 の ︹ 書 き 下 し 文 ︺・ ︹ 訳文 ︺、 原注 の ︹ 書 き 下 し 文 ︺・ ︹ 訳 文 ︺、 および ︹ 語釈 ︺、 ︹ 典拠 ︺ から 構成 される 。 一 、 ︹書 き 下 し 文 ︺ は 、 原 則 と し て 底 本 の 訓 点 を 尊 重 し つ つ 、 適 宜 こ れを 改 めた 。

豪爽

承平東征 。 朝議擇 二 討元帥 欲 下 藤元方①拜大將軍 元方曰 。 閫 外 之 任 。 一 事 以 上 。 國 家 無 レ 用 一 如 有 二 必 二 相 ②子一人爲 レ 。 而後受 レ 。 朝議乃寢③ 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 承平 の 東征 に 、 朝議 して 討 の 元帥 を 擇 ぶ 。 藤元方 を 以 て 大將軍 に 拜 早稲田大学大学院教育学研究科紀要   第二十二号   二 ○ 一二年三月

﹃大東世語﹄

﹁豪爽﹂篇

注釈稿

堀   

誠・松本

  

豊・雨宮

紗希・橋本

麻美

上原菜摘子・菅本

慈子・橘

  

和久・丹治麻里子

岸川俊太郎・石本波留子・趙

  

倩倩

      

(2)

二 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ せ ん と 欲 す 。 元 方 曰 く 、﹁ 閫 こ ん 外 の 任 、 一 事 以 上 な り 。 國 家  聽 用 せ ざ ること 無 し 。 如 し 我 を 用 ふる 有 ら ば 、 必 ず 丞相 の 子一人 を ひて 副 と 爲 して 、 而 して 後 に 命 を 受 けん ﹂ と 。 朝議乃 ち 寢 や む 。 ︹ 訳文 ︺ 承平 の 乱 ︵ 平将門 の 乱 ︶ の 東征 について 、 朝議 で 追討軍 の 総大将 を 選 んだ 。 藤原元方 に 総大将 を 拝命 させることになった 。 元方 が 言 うこと に は 、﹁ 東 征 の 任 務 と い う も の は 、 そ の 一 事 以 上 を 担 う 大 任 で す 。 朝 廷 はその 任 にある 者 の 意見 をお 聞 き 入 れなさらないことはないはずで す 。 もし 私 を 任用 なさるのであれ ば 、 必 ず 丞相 ︵ 藤原忠平 ︶ の 御子一 人 に 副将 となっていただいた 上 で 、 ご 命令 を 拝受 いたしましょう ﹂ と 。 かくして 朝議 は 取 りやめになった 。 ︹ 原注 ︺ ①參議菅根之子 。 大言民部 。 ②貞信公時爲 レ 。 ③於 レ 忠文 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①參議菅根 の 子 にして 、 大言民部 なり 。 ②貞信公時 に 相 爲 た り 。 ③是 に 於 ひて 忠文 を はす 。 ︹ 訳文 ︺ ①参議菅根 の 子 で 、 大納言民部卿 である 。 ②貞信公 は 、 その 時丞相 ︵ 摂政 ︶ となっていた 。 ③ そこで 追付元帥 には 藤原忠文 を 遣 わすことになった 。 ︹ 語釈 ︺ 承平   年号 。 九三一 ∼ 九三八 。 平安前期 、 朱雀天皇 の 時 。 朝議   朝廷 で 議 すること 。 また 、 その 会議 。 元帥   兵 を 率 いる 将軍 の 統率者 、 総大将 。 藤元方   藤原元方 。 八八八 ∼ 九五三 。 藤原 菅 すが 根 ね の 次男 。 正三位 。 式部 大輔 、 参議 を 経 て 大納言 まで 昇進 した 。 また 、 議政官 として 左 代弁 、 備前権守 、 民部卿 などを 兼帯 した 。 女 が 村上天皇 の 女御 となり 、 広平親王 を 産 んだため 、 元方 も 一時 は 宮廷内 で 注目 さ れたが 、 藤原安子 ︵ 藤原師輔女 ︶ の 産 んだ 憲平親王 ︵ 後 の 冷泉 天皇 ︶ が 皇太子 に 立 てられたことにより 、 これを 恨 み 憤死 した とされる 。 後 に 元方 は 怨霊 として 喧伝 され 、 師輔 の 子孫 である 冷泉 ・ 円融 ・ 三条天皇 に 祟 ったと 伝 えられる 。 閫 外之任   朝廷外 、 城郭外 の 任務 のこと 。 軍隊 を 率 いて 境外 に 出征 す る 将軍 の 任務 をいう 。﹁ 閫 ﹂ は 、 門 のしきみ 、 城郭 の 門 の 意 。 一事   一 つの 出来事 。 一 つの 事件 、 事柄 。 聽用   言 うことを 聞 き 入 れ 用 いること 。 丞相   官名 。﹁ 丞 ﹂ は 承 、﹁ 相 ﹂ は 助 の 意 で 、 君主 を 承 け 助 ける 意 。 執 政 の 大臣 。 ここでは 摂政 の 職 を 指 す 。 菅根   藤原菅根 。 八五六 ∼ 九 〇 八 。 藤原黒麻呂 の 孫 、 右兵衛督藤原良 尚 の 子 。 字 は 右生 。 文章博士 。 従四位上 ・ 参議 。 贈従三位 。 容 姿 美 し く 武 芸 に 優 れ 、 ま た 才 人 で 歌 を 能 く し 、 学 問 に 通 じ た 。

(3)

三 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 菅原道真 の 推挙 で 従五位下 に 叙 せられたが 、 延喜 の 初 め 、 菅原 道真 の 排斥 に 介入 し 、 道真救済 のため 清涼殿 に 赴 いた 宇多上皇 の 行 く 手 を 阻 み 、 左 遷 さ れ た 。 間 も な く 中 央 政 権 に 返 り 咲 き 、 延 喜 八 年 ︵ 九 〇 八 ︶ に は 参 議 に 任 ぜ ら れ た が 、 こ の 年 に 病 死 。 道真 の 祟 りと 伝 えられる 。 貞信公   藤原忠平 。 八八 〇 ∼ 九四九 。 藤原基経 の 四男 。 太政大臣 、 摂 政 、 関白 などを 歴任 した 。 朝議 ・ 故実 に 通 じ 、 中 でも 日記 ﹃ 貞 信公記 ﹄ は 重用 され 、 その 説 は 子孫 の 規範 とされた 。 忠文   藤原忠文 。 八七三 ∼ 九四九 。 藤原良枝 の 三男 。 右少将 や 摂津 ・ 丹 波 ・ 大 和 守 を 歴 任 し た 後 、 天 慶 二 年 ︵ 九 三 九 ︶、 修 理 大 夫 と して 参議 に 列 した 。 翌年平将門 の 乱平定 のため 征夷大将軍 に 任 命 される 。 天歴元年 ︵ 九四九 ︶ に 七十五歳 で 没 し 、 中納言正三 位 を 贈 られた 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 江談抄 ﹄ 巻二 ﹁ 雑事 ﹂ 第九十三話 。 ︵ 岸川   俊太郎 ︶

豪爽

源 滿 仲 ① 驍 悍 。 晩 年 歸 レ 。 二 心 一 戒 。 家 私 男 女 三 十 餘 人 。 同 倶 入 レ 。 乃 受 二 第 一 不 生 戒 一 。 滿 仲 坐 睡 。 如 レ 不 二 肯 受 一 餘 悉 奉 受 。 已 而 私 │ 二 戒 師 一 曰 。 第 一 戒 。 心 已 聽 信 。 但 防 三 將 來 家 奴 輩 稍 生 二 輕 意 一 乃爾② 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 源 滿 仲 驍 悍 な り 。 晩 年  佛 に 歸 す 。 慧 心 を ひ て 受 戒 す 。 家 私 男 女 三 十 餘 人 、 同 じ く 倶 に に 入 る 。 乃 ち 第 一 不 生 の 戒 を 受 く る と き 、 滿仲坐睡 し 、 肯受 せざるが 如 し 。 餘 は 悉 く 奉受 す 。 已 にして 戒師 に 私 語 し て 曰 く 、﹁ 第 一 の 戒 、 心 已 に 聽 信 す 。 但 だ 將 來  家 奴 の 輩 稍 く 輕 の 意 を 生 ぜんことを 防 ぎて 乃 ち 爾 り ﹂ と 。 ︹ 訳文 ︺ 源満仲 は 猛々 しい 男 であったが 、 晩年 は 仏門 に 帰依 した 。 慧心 に 請願 し て 戒 律 を 受 け 、 身 内 の 男 女 三 十 人 あ ま り も 、 一 緒 に 仏 門 に 入 っ た 。 かくして 第一不殺生 の 戒 を 受 けたとき 、 満仲 は 居眠 りをし 、 進 んで 受 け 入 れる 様子 ではなかった 。 残 りの 戒律 は 全 て 謹 んで 受 け 入 れた 。 ほ ど な く し て 人 知 れ ず 戒 師 に 話 す こ と に は 、﹁ 第 一 の 戒 は 、 心 に か た く 受 け 入 れておりますが 、 ただ 将来家人 たちが 段々 と 私 を 軽侮 する 思 い を 抱 くこと 避 けるため 、 こうしたのです ﹂ と 。 ︹ 原注 ︺ ①淸和帝孫 。 源經基之子 。 歷任諸州 。 鎭守府將軍 。 治部太輔 。 ②滿仲子源賢爲 。 常憂父剛暴 。 陰慧心 。 來於多田居 。 修小佛事 。 因便勸勉 。 滿仲忽發心歸依 。 卽日放去鷹三百 。 悉燒獵具 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①淸和帝 の 孫 にして 、 源經基 の 子 なり 。 諸州 を 歷任 す 。 鎭守府將軍 にして 、 治部太輔 たり 。 ② 滿 仲 の 子 源 賢 は 爲 り 。 常 に 父 の 剛 暴 を 憂 ひ 、 陰 か に 慧 心 に 、

(4)

四 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 多田 の 居 に 来 りて 、 小佛事 を 修 めんことを ふ 。 因 りて 便 ちす 。 滿 仲忽 ち 發心歸依 し 、 卽日   鷹三百 を 放去 し 、 悉 く 獵具 を 燒 く 。 ︹ 訳文 ︺ ①清和天皇 の 孫 で 、 源経基 の 子 である 。 諸州 を 歴任 し 、 鎮守府将軍 にして 、 治部太輔 であった 。 ② 満 仲 の 子 の 源 賢 は 僧 侶 で あ っ た 。 常 々 父 の 剛 暴 さ を 憂 慮 し て お り 、 密 かに 慧心 に 頼 んで 多田 の 居 に 来 て 小法会 を 催 してくれるよう 頼 んだ 。 熱心 に 仏 の 教 えをすすめると 、 かくして 満仲 は 発心帰依 し 、 その 日 のうちに 鷹三百羽 を 放生 し 、 狩猟 の 道具 を 全 て 焼 いてしまっ た 。 ︹ 語釈 ︺ 源滿仲   九一二 ∼ 九九七 。 平安中期 の 武将 。 清和源氏 。 賜姓一世経基 の 嫡男 。 摂津多田 ︵ 現在 の 兵庫県小西市 ︶ の 地 に 居 したことか ら 多田満仲 、 出家後 は 満慶 、 新発意 とも 称 された 。 知略 に 富 み 、 安和 の 変 で 陰謀 を 密告 して 正五位下 に 叙 され 、 官界 に 知名度 を 高 めた 。 摂政藤原家 に 仕 え 、 武蔵国 、 摂津国 、 越後国 、 越前国 、 伊予国 、 陸奥国 などの 受領 を 歴任 、 後 に 左馬権頭 、 治部大輔 を 経 て 鎮守府将軍 に 至 る 。 多 くの 家子郎党 を 養 い 、 清和源氏 の 基 礎 を 固 めた 。 驍悍   気 が 荒 く 強 い 。 猛々 しい 。 慧心   源信 の 通称 。 恵心 とも 。 九四二 ∼ 一 〇 一七 。 平安中期 の 天台宗 の 僧 。 父 は 占部正親 、 母 は 清原氏 。 九歳 で 比叡山 に 登 って 良源 に 師事 し 、 論義 ・ 因明学 を 能 くしたが 、 後年万縁 を 絶 って 横川 に 隠 棲 し た と い わ れ る 。 二 十 五 三 昧 会 を 主 導 し 、﹃ 往 生 要 集 ﹄ を 著 して 浄土教 の 理論的基礎 を 築 いた 。 他 に ﹃ 一乗要決 ﹄、 ﹃ 大 乗対倶舎抄 ﹄ などの 著作 がある 。 家私   身内 。 第一不生戒   十戒 の 一 で 、 狩猟 ・ 漁労 なども 含 め 生 き 物 を 殺 すこと を 戒 める 戒律 。 十戒 は 、 沙弥 ・ 沙弥尼 が 受持 する 十条 の 戒律 で 、 在家 が 守 るべき 五戒 、 すなわち 不殺生 ・ 不偸盗 ・ 不邪淫 ・ 不妄 語 ・ 不飲酒 に 、 不塗飾香鬘 ・ 不歌舞観聴 ・ 不坐高広大牀 ・ 不非 時食 ・ 不蓄金銀宝 を 加 えたもの 。 坐睡   いねむり 。 戒師   出家 を 望 む 者 などに 戒律 を 授 ける 師僧 。 淸 和 帝  八 五 〇 ∼ 八 八 〇 。 平 安 前 期 の 天 皇 。 在 位 は 八 五 八 ∼ 八 七 六 。 名 は 惟仁 。 水尾天皇 とも 称 する 。 文徳天皇 の 第四皇子 で 、 母 は 藤原明子 。 清和源氏 の 祖 。 生後八 ヶ 月 で 皇太子 となり 、 九歳 で 即位 。 幼少 のため 外祖父 である 藤原良房 が 摂政 を 務 めた 。 二七 歳 で 譲位 して 太上天皇 となり 、 元慶三年 ︵ 八七九 ︶ に 落飾 、 翌 年円覚寺 で 崩御 した 。 源經基   ?∼ 九六一 。 平安中期 の 貴族 、 武人 。 清和天皇 の 第六皇子貞 純親王 の 子 であることから 六孫王 と 称 されたが 、 源姓 を 賜 り 清 和源氏 の 祖 となる 。 平将門 の 乱 に 際 してその 謀反 を 奏上 し 、 後 に 西 国 で 起 き た 藤 原 純 友 の 乱 で は 追 捕 次 官 と し て 小 野 好 古 に

(5)

五 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 従 って 鎮定 にあたった 。 源 賢  ?∼ 一 〇 二 〇 。 平 安 中 期 の 延 暦 寺 の 僧 、 歌 人 。 源 満 仲 の 三 男 で 、 母 は 近 江 守 源 俊 女 。 幼 名 は 美 女 丸 。 多 田 法 眼 ・ 摂 津 法 眼 な ど と 号 す 。 天 禄 三 年 ︵ 九 七 二 ︶ に 僧 籍 に 入 り 、 良 源 ・ 恵 心 らに 師事 した 。 長和元年 ︵ 一 〇 一二 ︶ に 元慶寺別当 、 翌年二年 ︵ 一 〇 一 三 ︶ に 法 橋 、 寛 仁 元 年 ︵ 一 〇 一 七 ︶ 法 眼 に 至 っ た 。 和 歌 をよくし 、 家集 ﹃ 源賢法眼集 ﹄ が 現存 する 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 古事談 ﹄ 第三 〇 七話 。 ︵ 上原   菜摘子 ︶

豪爽

藤 將 軍 忠 文 。 爲 二 衛 司 一 乃 每 二 夜 一 。 必 取 二 廏 馬 一 置 二 枕 上 一 曰 。 終夕聽 二 齕 レ 物嚼嚼然 乃警 二 我眠 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 藤將軍忠文 、 衛司 爲 た るとき 、 乃 ち 直夜每 に 、 必 ず 御廏 の 馬 を 取 りて 、 枕 上 に 置 立 す 。 曰 く 、﹁ 終 夕  馬 の 物 を 齕 か み て 嚼 嚼 然 た る を 聽 け ば 、 乃 ち 我眠 を 警 す ﹂ と 。 ︹ 訳文 ︺ 将軍藤原忠文 は 、 近衛 の 司 であった 時 、 宿直 の 夜 の 度 に 、 必 ず 厩 の 馬 を 連 れ て き て 、 枕 元 に 立 た せ た 。 言 う こ と に は 、﹁ 夜 通 し 馬 が 草 を 食 は んでいる 音 を 聞 いていると 、 私 の 眠気 は 醒 まされる ﹂ と 。 ︹ 語釈 ︺ 忠文   藤原忠文 。 八七三 ∼ 九四七 。 平安時代中期 の 公卿 。 藤原枝良 の 三男 。 平将門 の 乱 で 征東大将軍 となり 、 藤原純友 の 乱 では 征西 大将軍 となる 。 民部卿 を 兼 ね 、 宇治民部卿 と 称 される 。 正四位 下 。 平将門 の 乱 の 恩賞 を 藤原実頼 に 反対 され 、 得 られなかった ために 、 死後 も 実頼 とその 子孫 を 祟 ったとされ 、 末多武利神社 に 祀 られる 。 衛   近衛府 。 令 りょうげのかん 外官 の 一 つ 。 天平神護元年 ︵ 七六五 ︶ までは 授 じゅとうえい 刀衛 と 呼 ば れていた 。 齕    かむ 、 かじる 意 。 嚼嚼然   物 を 嚙 みくだくさま 。 警   いましめる 、 はっとさせる 意 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 古事談 ﹄ 第三一三話 。 ︵ 松本   豊 ︶

豪爽

廷 尉 藤 朝 成 。 有 レ 二 淸 水 廟 一 功 勞 一 辭 一 廷 尉 曰 。 我 決 二 强 盗 百 人 一 曰 。 神 誓 禁 レ 。 如 レ 恐 應 レ レ 。 廷 尉 曰 。 神 誓我固識 レ 。 而誓末云 。 爲 レ 國除惡非此限 奈何 。 不 レ 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 廷尉藤朝成 、 石淸水 の 廟 に ること 有 り 。   功勞 を 問 して 告辭 を

(6)

六 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 爲 つく らんとす 。 廷尉曰 く 、﹁ 我  强盗百人 を 決 す ﹂ と 。 曰 く 、﹁ 神誓 に を 禁 ず 。 是 の 如 きは 、 恐 らくは 應 に 告 し かるべし ﹂ と 。 廷尉曰 く 、﹁ 神誓   我固 より 之 を 識 る 。 而 るに 誓 の 末 に 云 ふ 、﹃ 國 の 爲 に 惡 を 除 くは 此 の 限 りに 非 ず ﹄ と 。 奈 い か ん 何 ﹂ と 。 答 ふること 能 はず 。 ︹ 訳文 ︺ 廷尉藤原朝成 は 、 石清水八幡 の 廟 に 祈 ることがあった 。 神主 は 朝成 の 功労 を 尋 ねて 、 神 に 祈 り 告 げる 文 を 作 ろうとした 。 廷尉 は 言 った 、﹁ 私 は 強 盗 百 人 を 殺 し ま し た ﹂ と 。 神 主 は 言 っ た 、﹁ 神 の お 告 げ に 、 殺 す ことを 禁 じております 。 こうしたことは 、 恐 らくは 祈 り 告 げることは 難 し い で し ょ う ﹂ と 。 廷 尉 は 言 っ た 、﹁ お 告 げ の こ と を 私 は も と か ら 知 っ て い ま す 。 し か し 、 お 告 げ の 末 尾 に こ う あ り ま す 、﹃ 国 の た め に 悪 を 排除 するのはこの 限 りではない ﹄ と 。 いかがでしょう ﹂ と 。 神主 は 返 すこと ば がなかった 。 ︹ 語釈 ︺ 廷尉   検非違使佐 ・ 検非違使尉 の 唐名 。 朝成   藤原朝成 。 九一七 ∼ 九七四 。 平安時代中期 の 公卿 。 藤原定方 の 六 男 。 従 三 位 、 中 納 言 と な り 、 皇 太 后 宮 大 夫 を 兼 ね た 。 三 条 中納言 と 呼 ば れる 。﹃ 今昔物語 ﹄ の ﹁ 三条中納言 ﹂ の 箇所 には 、 医者 が 逃 げ 出 すほどの 大食 で 、 肥満 であったと 記 されている 。 石淸水   京都市八幡市 の 男山山頂 に 鎮座 する 石清水八幡宮 。 日本三大 八幡宮 の 一 つで 、 伊勢 ・ 賀茂 と 共 に 三社 と 言 われ 、 朝廷 と 民間 の 崇敬 を 集 めた 。 また 、 伊勢神宮 に 次 ぎ 、 国家第二 の 宗廟 とさ れる 。 廟   御霊屋 、 霊廟 、 霊屋 。    神主 。 はふり 。 決   犯罪者 を 打 ち 殺 す 。 神誓   神託 、 託宣 の 意 。 爲 國 除 惡 非 此 限  ﹃ 八 幡 宇 佐 託 宣 集 ﹄ 宝 亀 八 年 ︵ 七 七 七 ︶ 五 月 十 八 日 の 託宣 の 末尾 にある 字句 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 十訓抄 ﹄ 第十 ― 第七十五話 。 ︵ 松本   豊 ︶

豪爽

四 條 亞 相 ① 。 初 有 二 盛 稱 一 法 興 相 國 。 顧 二 諸 子 一 曰 。 家 兒 輩 。 欲 レ 履 二 伊 人 影 一 且 可 レ 得 乎 。 御 堂 公 最 少 。 越 二 二 兄 一 曰 。 影 不 レ 可 レ 履 。 面或可 レ 。 後竟居 二 上相 四條公終 二 亞相 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 四 條 亞 相 、 初 め 盛 稱 有 り 。 法 興 相 國 、 諸 子 を 顧 み て 曰 く 、﹁ 家 兒 輩 、 伊 こ の 人 の 影 を 履 ま ん と 欲 す と も 、 ほ 且 つ 得 べ け ん や ﹂ と 。 御 堂 公  最 も 少 わか し 。 二 兄 を 越 え て み て 曰 く 、﹁ 影 は 履 む べ か ら ず 。 面 或 いは 履 むべし ﹂ と 。 後  竟 に 上相 に 居 る 。 四條公   亞相 に 終 る 。 ︹ 訳文 ︺ 四條亞相 ︵ 藤原公任 ︶ は 、 元来 、 絶大 なる 称賛 を 得 ていた 。 法興相國

(7)

七 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ ︵ 藤原兼家 ︶ が 、 自分 の 子 ども 達 の 方 を 振 りむいて 、﹁ お 前達 は 、 この 人 ︵ 藤原公任 ︶ の 影 を 踏 もうとしても 、 それはできようか ﹂ と 言 った 。 御堂公 ︵ 藤原道長 ︶ はその 中 で 最年少 であるが 、 二人 の 兄 をさしおい て い う こ と に は 、﹁ 影 は 踏 む べ き も の で は あ り ま せ ん 。 顔 面 こ そ 踏 ん でやるべきです ﹂ と 。 その 後 、 道長 はついには 太政大臣 の 位 にのぼり つめたが 、 公任 は 大納言 の 位 で 終 わった 。 ︹ 原注 ︺ ①公任 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①公任 なり 。 ︹ 訳文 ︺ ①藤原公任 である 。 ︹ 語釈 ︺ 四 條 亞 相  藤 原 公 任 。 九 六 六 ∼ 一 〇 四 一 。 平 安 中 期 の 歌 人 ・ 歌 学 者 。 通称 は 四条大納言 。 和歌 の 他 に 漢詩 、 音楽 にも 長 じていた 。 公 任 は 、 正二位権大納言 の 地位 にまでしかつけず 、 官位 の 不遇 に 不 満 を 抱 い て は い た が 、 藤 原 斉 信 、 藤 原 行 成 、 源 俊 賢 と と も に 一条朝 の 四納言 と 称 されるように 、 多才 で 有能 な 政務家 でも あ っ た 。﹃ 和 漢 朗 詠 集 ﹄﹃ 拾 遺 抄 ﹄﹃ 三 十 六 人 撰 ﹄ の 選 者 で 、 著 書 に ﹃ 新撰髄脳 ﹄﹃ 和歌九品 ﹄﹃ 北山抄 ﹄ がある 。︹ 言語 10︺︹ 語 釈 ︺﹁ 藤公任 ﹂ 参照 。 盛稱   絶大 なる 称賛 。 また 、 盛 んに 褒 めたたえること 。 法興相國   藤原兼家 。 九二九 ∼ 九九 〇 。 平安中期 の 廷臣 。 兄 の 兼通 と 対立 していたが 、 兄 の 死後 、 外孫 の 一条天皇 をたて 、 摂政 ・ 関 白 となり 、 権勢 をふるった 。︹ 雅量 2 ︺︹ 語釈 ︺﹁ 法興相公 ﹂ 参照 。 相國   宰相 のこと 。 家兒輩   自分 の 家 の 子 どもたち 。 御堂公   藤原道長 。 九六六 ∼ 一 〇 二七年 。 兼家 の 第五子 。 御堂関白 な どと 称 される 。 長女彰子 をはじめ 、 四人 の 娘 を 次々 と 入内 させ 、 外戚 として 藤原氏全盛時代 を 現出 した 。 その 後 、 子 の 頼道 に 摂 政 を 譲 り 太政大臣 となった 。︹ 雅量 1 ︺︹ 語釈 ︺﹁ 藤長 ﹂ 参照 。 上相   宰相 を 尊敬 していうこと ば 。 亞相   大納言 の 異称 。 宰相 に 次 ぐ 意 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 大鏡 ﹄ 巻五 。 ︵ 雨宮   紗希 ︶

豪爽

承 保 帝 。 欲 レ 喜 中 征 奧 之 事 一 。 藤 則 明 。 往 日 從 二 源 將 軍 一 親 歷 二 攻 戰 一 時 老 尙 存 。 帝 召 令 レ 言 二 其 事 一 則 明 曰 。 爾 時 臣 等 從 レ 將 。 已 發 二 鎭 府 一 朔 初 下 。 軍 容 肅 然 。 便 欲 二 云 云 一 帝 止 レ 之 曰 。 事 體 悲 壯 。 餘已可 レ 。 不 レ 詳聞 乃賜 二 衣襲 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 承保帝 、 天喜中   征奧 の 事 を 聞 かんと 欲 す 。 藤則明 なる 、 往日   源

(8)

八 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 將 軍 に 從 ふ 。 親 し く 攻 戰 を 歷 す 。 時 に 老 い て 尙 ほ 存 す 。 帝  召 し て 其 の 事 を 言 は し む 。 則 明 曰 く 、﹁ 爾 の 時  臣 等  將 に 從 ひ 、 已 に 鎭 府 を 發 す 。 朔 初 め て 下 ふ り 、 軍 容 肅 然 た り ﹂ と 。 便 ち 云 云 せ ん と 欲 す 。 帝  之 を 止 め て 曰 く 、﹁ 事 體 悲 壯 な り 。 餘 は 已 に 想 ふ べ し 。 詳 ら か に 聞 くことを 須 もち ひず ﹂ と 。 乃 ち 衣襲 を 賜 ひて 罷 む 。 ︹ 訳文 ︺ 白 河 天 皇 は 、 天 喜 年 間 に 起 き た 奥 州 征 伐 の 様 子 を 聞 き た い と 思 っ た 。 藤原則明 という 者 は 、 かつて 源頼義将軍 につき 従 っており 、 直接 その 戦 を 経験 していた 。 当時老 いてはいたがまだ 健在 であった 。 帝 は 則明 を 召 し 出 して 当時 のことを 語 らせた 。 則明 は ﹁ その 時 、 私 どもは 将軍 に 随従 し 、 鎮守府 を 出発 しました 。 北地 の 雪 が 初 めて 降 り 、 軍隊 の 士 気 は 大 いに 引 きしまりました ﹂ と 言 った 。 そのまま 続 けて 語 ろうとす るや 、 帝 は 則明 を 止 めて ﹁ 事態 は 悲壮極 まりないことだ 。 残 りはもう 想像 できる 。 詳 しく 聞 かずともよい ﹂ と 言 って 、 衣 を 賜 ってそれまで になさった 。 ︹ 原注 ︺ ① 天 喜 中 。 二 軍 源 賴 義 一 征 二 賊 一 夷 賊 蟠 結 。 城 寨 棊 峙 。 久 乃 克平 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①天喜中 、 將軍源賴義 を はして 奧賊 を 征 せしむ 。 夷賊蟠結 し 、 城 寨棊峙 す 。 久 しくして 乃 ち 克平 す 。 ︹ 訳文 ︺ ①後冷泉天皇 の 治世 の 天喜年間 に 、 将軍 であった 源頼義 を 派遣 して 奥州 の 蝦夷 を 征伐 させた 。 蝦夷 たちは 結集 し 、 砦 は 拮抗 し 対峙 した 。 やがて 平定 することができた 。 ︹ 語釈 ︺ 承保帝   白河天皇 を 指 す 。 一 〇 五三 ∼ 一一二九 。 第七二代天皇 。 在位 は 一 〇 七二 ∼ 八六 。 承保 は 白河天皇 の 治世 の 年号 。 天喜   後冷泉天皇 の 治世 の 年号 。 一 〇 五三 ∼ 五八 。 奧   奥州 。 陸奥 の 国 。 源賴義   九八八 ∼ 一 〇 七五 。 平安中期 の 武将 。 清和源氏 。 鎮守府将軍 頼 信 の 一 男 で 、 母 は 修 理 命 婦 。 判 官 代 と し て 敦 明 親 王 に 仕 え 、 相模 ・ 常陸等 の 受領 を 歴任 し 、 東国武士 の 多 くを 召抱 え 組織 し ていた 。 永承六年 ︵ 一 〇 五一 ︶ にかつて 相模守 であった 頼義 は 陸奥守 に 登用 され 、 その 後 、 鎮守府将軍 を 兼 ねた 。 前九年 の 役 において 多大 な 功績 をあげ 、 奥州平定 に 尽力 した 。 則明   藤原則明 。 生没年未詳 。 平安後期 の 武士 。 則経 の 子 。 中務省 に 属 す 内 舎 人 で あ り 、 朝 廷 の 宿 直 や 雑 役 に 従 事 し 、 行 幸 の 警 備 を 行 った 。 前九年 の 役 において 、 天喜五年 ︵ 一 〇 五七 ︶ 十一月 黄海 の 戦 で 頼義 ら 率 いる 官軍 が 大敗 した 時 、 主従七騎 となりな がらも 奮闘 し 、 馬 を 射 られた 頼義 の 長男 である 義家 に 敵 の 馬 を 奪 っ て 与 え る こ と で 窮 地 を 逃 れ さ せ た 。︹ 豪 爽 6 ︺ に お い て 白 河天皇 が 則明 に 求 めたのはこの 黄海 の 戦 の 時 の 話 である 。 鎭府   鎮守府 のこと 。 平安時代 、 東北地方 の 蝦夷 をしずめるために 陸

(9)

九 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 奥 の 国 に 置 かれた 役所 。 朔   北地 に 降 る 雪 。﹁ 朔 ﹂ は 北方 の 意 。 軍容   ここでは 軍隊 の 士気 。 肅然   おそれて 身 の 引 き 締 まる 様子 。 蟠結   聚 まり 、 集 まること 。﹁ 蟠 ﹂ は 聚 まること 。 棊峙   碁石 のように 並 び 立 つこと 。 また 、 碁石 を 敷 くように 英雄 や 豪 傑 が 割拠 すること 。 克平   平定 すること 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 十訓抄 ﹄ 第六 ― 第十七 。 ︵ 橋本   麻美 ︶

豪爽

白 河 帝 豪 邁 。 事 好 二 壯 一 當 レ 二 盛 服 一 尙 侍 或 從 レ 。 整 │ 二 衣 冠 一 便 叱 使 レ 曰 。 不 レ 須 レ 二 紈 絝 子 態 一 又 嘗 起 二 塔 一 建 二 寺 一 陳 │ 二 設 百 燈 一 令 三 一 人 主 二 一 燈 一 向 レ 暝 齊 レ 手 點 發 。 以 爲 二 盛 觀 一 或 不 レ 得 二 其意 前後點 レ 。 怒令 二 更作 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 白河帝   豪 ごう 邁 まい にして 、 事  勇壯 を 好 み 、 盛服 を き るに 當 りて 、 尙侍或 い は 側 に 從 ひ て 、 衣 冠 を 整 正 し 、 便 ち 叱 し て か し め て 曰 く 、﹁ 紈 がん 絝 こ 子 し の 態 を 學 ぶことを 須 もち ひず ﹂ と 。 又 た 嘗 て 塔 を 起 こし 、 大寺 を 建 て 、 百燈 を 陳設 し 、 一人 をして 一燈 を 主 つかさど らしむ 。 暝 に 向 ひて 手 を 齊 しくし て 點發 せしめ 、 以 て 盛觀 と 爲 す 。 或 ひは 其 の 意 を 得 ず 。 前後 に 之 を 點 ずれ ば 、 怒 りて 更 あらた め 作 な さしむ 。 ︹ 訳文 ︺ 白河帝 は 豪気 ですぐれていた 。 物事 は 勇壮 なことを 好 み 、 おごそかな 装束 を 著 き るときに 、 尚侍 が 側 にかしずいて 、 衣冠 を 正 しく 整 えようと すると 、 やにわに ﹁ 貴族 の 子弟 のような 姿態 は 真似 る 必要 がない ﹂ と 叱呵 して 退出 させた 。 またかつて 層塔 を 造 り 、 大寺 を 建 てた 時 に 、 百 灯 を 並 べ 、 一人 ずつ 一灯 を 担当 させた 。 日暮 れにさしかかって 、 いっ せいに 手 を 揃 えて 灯明 をつけさせて 、 見事 な 景観 があらわれた 。 ある 者 がその 意図 を 理解 せず 、 相前後 して 灯明 に 火 をつけると 、 白河帝 は 怒 って 、 改 めていっせいに 点火 させた 。 ︹ 語釈 ︺ 白河帝   一 〇 五三 ∼ 一一二九 。 在位一 〇 七二 ∼ 一 〇 八六 。 第七十二代 天皇 。 後三条天皇 の 第一皇子 。 諱 は 貞 さだ 仁 ひと 。 六条帝 とも 。 応徳三 年 ︵ 一 〇 八六 ︶ 譲位 、 上皇 となり 、 初 めて 院政 を 開 き 、 堀河 ・ 鳥羽 ・ 崇徳 の 三代四十三年 にわたって 実権 をにぎった 。 永長元 年 ︵ 一 〇 九六 ︶ 出家 して 法皇 となり 、 法勝寺 など 多 くの 寺 を 建 立 し 、 造 仏 を 行 な っ た 。︹ 言 語 12・ 文 学 15・ 16   政 事 7 ・ 6 ︺ ︹ 語釈 ︺ 参照 。 豪邁   ﹁ 豪 ﹂ はすぐれ 秀 でていること 。﹁ 邁 ﹂ はすぐれ 勝 っていること 。 ﹁ 豪邁 ﹂ ですぐれてえらい 、 英邁 。 勇壯   いさましくさかんなこと 。

(10)

一〇 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 服   ﹁ ﹂ で 着 るの 意 。﹁ 服 ﹂ で 、 きものをきる 。 盛服   さかんな 服装 、 おごそかな 正装 。 尙侍   古 の 後宮 の 女官 。 内侍司 の 長官 。 ないしのかみ 。 整正   正 しく 整 うさま 。 須   用 いる 。 必要 とする 。 助 けとする 。 紈絝子態   ﹁ 紈絝 ﹂ は 白 い 練 り 絹 のはかま 。 貴族子弟 の 服 。﹁ 紈絝子弟 ﹂ で 貴 族 の 子 弟 を い い 、 軽 蔑 の 意 味 も 含 む 。﹁ 態 ﹂ は す が た 、 あ りさま 。 ここでは ﹁ 紈絝子態 ﹂ で 貴族 の 子弟 のような 服装 の 姿 態 をあらわすか 。 塔  幾 重 も 重 な っ た 高 い 塔 。 典 拠 と 推 測 さ れ る ﹃ 今 鏡 ﹄ で は 、﹁ 法 勝寺九重塔 ﹂ とされる 。 大 寺  典 拠 と 推 測 さ れ る ﹃ 今 鏡 ﹄ で は ﹁ 白 河 の 御 寺 ︵ 法 勝 寺 ︶﹂ と さ れる 。 陳設   並 べ 設 ける 。 陳列 。 百燈   百 の 灯明 、 たくさんの 灯明 。﹁ 燈 ﹂ は 、 ともしび ・ あかり 。 暝   くらい 。 くれる 。 齊手   手 を 揃 えること 。﹁ 齊 ﹂ は 、 ひとしくする 、 同 じくする 。 點發   ここではともしびをつけるの 意 。 盛觀   立派 な 見物 、 みごとなながめ 。 また 立派 に 飾 る 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 今鏡 ﹄﹁ すべらぎの 中 ﹂ 第二 ﹁ もみぢのみかり ﹂。 ︵﹃ 今鏡 ﹄﹁ みこたち ﹂ 第八 ﹁ 花 のあるじ ﹂。 ︶ ︵ 石本   波留子 ︶

豪爽

法 性 藤 公 ① 善 書 。 有 下 榜 一 上 率 書 與 レ 之 。 而 聞 二 基 衡 所 レ 捨 寺 榜 一 怒 二 人 於 奥 一 取 。 基 衡 豪 悍 恃 レ 。 欲 不 肯 。 其 妻 諫 乃 レ 。 使 勇 而 有 レ 計 。 慮 二 其 復 一 。 取 輙 破 。 齎 歸 。 時 人 謂 不 レ 减 二 睨柱之氣 一 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 法性藤公①善書 なり 。 寺榜 を 乞 ふ 有 り 。 率 にはか に 書 して 之 を 與 ふ 。 に して 奧 の 基衡 が 捨 する 所 の 寺榜 なりと 聞 く 。 怒 りて 舍人 を 奧 に はし て 取 り らしむ 。 基衡豪悍 にして 勢 ひを 恃 みて 、 すを 肯 んぜざらん と 欲 す 。 其 の 妻諫 めて 乃 ち 之 を す 。 使勇 にして 計有 り 。 其 の 復 た まんことを 慮 り 、 取 りて 輙 ち 破 り 、 齎 して 歸 る 。 時人謂 へらく ﹁ 睨 柱 の 氣 を 减 ぜず ﹂ と 。 ︹ 訳文 ︺ 法 性 藤 公 ︵ 藤 原 忠 通 ︶ は 能 書 家 で あ っ た 。 寺 の 榜 額 を 乞 い 願 う 者 が あ っ た の で 、 す み や か に 書 い て 与 え た 。 さ る ほ ど に 、 奥 州 の 藤 原 基 衡 が 喜捨 する 寺 の 榜額 であったと 聞 いて 、 怒 って 舍人 を 奥州 に 遣 わし て 、 取 り 還 させようとした 。 基衡 は 豪気 で 猛々 しく 、 威勢 を 恃 みにし て 、 還 す こ と を 承 諾 し よ う と は し な か っ た 。 し か し 、 そ の 妻 が 諌 め てこれを 還 した 。 その 使者 は 勇敢 で 、 計策 があった 。 基衡 がまた 悔 や むことを 配慮 して 、 ただちに 壊 して 持 ち 帰 った 。 当時 の 人 は ﹁ 和氏 の

(11)

一一 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 璧 を 手 にした 藺相如 が 柱 を 見 すえて 打 ちつけ 壊 そうとしたのに 劣 らな い ﹂ といった 。 ︹ 原注 ︺ ①法性寺大政大臣忠 。 知足院忠實之子 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①法性寺大政大臣   忠 なり 。 知足院忠實 の 子 なり 。 ︹ 訳文 ︺ ①法性寺大政大臣   忠通 である 。 知足院忠実 の 子 である 。 ︹ 語釈 ︺ 法性藤公   藤原忠通 。 一 〇 九七 ∼ 一一六二 。 平安末期 の 公卿 。 摂政関 白 ・ 太政大臣 。 法性寺殿 と 号 す 。 書家 としての 評価 も 高 く 、 法 性寺流 を 開 いた 。︹ 識鑑 15︺︹ 語釈 ︺﹁ 藤原忠 ﹂ 参照 。 知足院忠實   藤原忠実 。 一 〇 七八 ∼ 一一六二 。 平安後期 の 公卿 。 藤原 忠 通 の 父 。 忠 通 と 不 和 で 、 次 子 の 頼 長 を 偏 愛 し た と 言 わ れ る 。 ︹ 識鑑 15︺︹ 語釈 ︺ 参照 。 寺榜   ﹁ 榜 ﹂ は 、 かけふだ 、 扁額 のこと 。 率   すみやかに 。 にわかに 。 基衡   藤原基衡 。 一一 〇 五 ∼ 一一五七 。 平安時代後期 の 豪族 。 奥州藤 原氏第二代当主 。 久安六年 ︵ 一一五 〇 ︶ から 、 毛越寺 に 大規模 な 伽藍 を 建立 した 。 その 際 、 金堂円隆寺 に 掲 げる 額 を 忠通 に 依 頼 したと 言 われる 。 豪悍   ﹁ 悍 ﹂ は 気 が 荒 いこと 。 たけだけしいこと 。 恃勢   勢 いをたのむ 。 勢力 をたのむ 。 睨 柱 之 氣  ﹁ 睨 柱 ﹂ で 柱 を に ら む こ と 。 趙 の 使 者 と し て 秦 の 昭 襄 王 と 対 面 し た 藺 相 如 が 、 献 上 し た 和 氏 の 璧 を う ば い 返 し た 場 面 で 、 ﹃ 史 記 ﹄ 藺 相 如 伝 は ﹁ 睨 柱 、 欲 以 撃 柱 ︵ 柱 を 睨 み 、 以 て 柱 に 撃 たんと 欲 す ︶﹂ と 記 す 。 いわゆる ﹁ 完璧 ﹂ の 故事 の 一節 である 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 今鏡 ﹄﹁ ふぢなみの 中 ﹂ 第五 ﹁ 御笠 の 松 ﹂。 ﹃ 古事談 ﹄ 第二 ― 第二十四 ﹁ 菊方高名 ﹂。 ︵ 石本   波留子 ︶

豪爽

征 奧 之 役 。 人 皆 服 二 源 將 軍 義 家 驍 勇 一 淸 武 則 聚 二 堅 甲 三 領 一 爲 レ 的 。 レ 弓 力 一 將 軍 一 發 二 三 甲 一 武 則 曰 。 神 也 。 非 二 所 一レ 。 畏 │ 二 憚之 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 征奧 の 役 に 、 人  皆  源將軍義家 の 驍勇 に 服 す 。 淸武則   堅甲三領 を 聚 めて 的 と 爲 す 。 其 の 弓力 を 試 すことを ふ 。 將軍一發 にして 三甲 を く 。 武則曰 く 、﹁ 神 なり 。 人 の 及 ぶ 所 に 非 ず ﹂ と 。 ます 之 を 畏憚 す 。 ︹ 訳文 ︺ 奥州 を 征伐 する 戦 い ︵ 前九年 の 役 ︶ で 、 人々 はみな 源将軍義家 の 勇猛 さ に 心 服 し た 。 清 原 武 則 は 堅 牢 な 鎧 三 領 を ひ と と こ ろ に 集 め て 的 と し 、 将軍 に 願 い 出 て 弓 を 射 る 力 を 試 した 。 将軍 は 三 つの 鎧 を 一発 の 弓

(12)

一二 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 矢 で 貫 い た 。 武 則 が 言 う こ と に は 、﹁ 神 業 で す 。 人 が と て も 及 び つ け ないものです ﹂ と 。 より 一層将軍義家 を 畏服 した 。 ︹ 語釈 ︺ 征 奧 之 役  ﹁ 奧 ﹂ は 奥 州 。 陸 奥 の 国 。 こ こ の ﹁ 征 奧 の 役 ﹂ は 前 九 年 の 役 の こ と で あ る 。 鎮 守 府 の 統 治 下 に あ る 俘 囚 の 地 ・ 奥 六 郡 を 領有 した 俘囚長安倍氏 による 反乱 である 。 勢力 の 拡大 を 図 る 安 倍氏 に 対 し 、 永承六年 ︵ 一 〇 五一 ︶ 朝廷 は 、 武家 の 棟梁 の 源頼 義 ・ 義家父子 を 討伐 に 向 かわせた 。 出羽 の 豪族清原氏 の 助力 に より 、 康平五年 ︵ 一 〇 六二 ︶ 厨川柵 で 貞任 を 破 った 。 服   したがふ 。 おそれる 。 ここでは 心服 する 意 である 。 源將軍義家   源義家 。 一 〇 三九 ∼ 一一 〇 六 。 平安後期 の 武将 。 頼義 の 長 男 。 文 武 に 秀 で 、 騎 射 を も っ と も よ く し 、﹁ 天 下 第 一 武 勇 の 士 ﹂ と 評 されるとともに 、 和歌 を ﹁ 千載集 ﹂ に 一首 を 残 してい る 。 前九年 の 役 で 父 とともに 活躍 。 黄海 の 戦 において 頼義 の 軍 は 大敗 を 喫 するが 、 義家 の 奮戦 により 危地 を 脱 する 。 のち 陸奥 守兼鎮守府将軍 となり 、 後三年 の 役 で 清原氏 の 内紛 を 鎮圧 、 東 国 に 源氏勢力 の 根拠 を 固 めた 。 通称 は 八幡太郎 。 驍 勇  つ よ く 勇 ま し い 。 勇 猛 。 又 、 そ の 人 。﹁ 驍 ﹂ は 良 い 馬 。 又 、 た けだけしい 、 つよい 、 いさましい 意 である 。 淸武則   清原武則 。 生没年未詳 。 平安時代後期 の 武人 。 出羽山北 ︵ 秋 田県 ︶ の 豪族 。 前九年 の 役 で 、 苦戦 をしていた 源頼義 を 一万 の 援軍 を 派遣 してたすけ 、 安倍氏 の 柵 をつぎつぎと 攻略 した 。 功 により 康平六年 ︵ 一 〇 六三 ︶ 鎮守府将軍 に 任 じられ 、 出羽三郡 にくわえて 安倍氏 の 旧領 の 奥六郡 を 領有 した 。 聚   一所 に 寄 せ 集 める 、 かたまるように 一 つにする 意 。 堅甲   堅 いよろい 。 領   衣服 や 甲冑 などのひとそろい 。 畏憚   恐 れは ば かる 、 畏敬 し 憚服 する 意 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 前太平記 ﹄ 巻三十二 ﹁ 八幡殿弓勢事 ﹂。 ︵ 趙  倩倩 ︶

豪爽

10︺

小 松 平 公 拜 二 府 一 賀 夕 。 番 長 佐 伯 國 方 ① 試 レ ② 。 始 出 二 馬 一 國 方 二 左 右 一 曰 。 今 夕 之 試 。 僕 圉 屬 二 目 國 方 一 以 必 當 レ 制 │ 二 御 駻 馬 一 如 レ 斯 善 柔 。 恨 其 無 レ 觀 。 願 更 命 レ 之 。 公 曰 。 萬 一 傷 敗 。 賀 夕 不 祥 。 國 方 重 曰 。 卽 有 二 墮 失 一 國 方 當 二 其 不 祥 一 若 以 │ 下 爲 不 レ 足 レ 制 二 驍 騰 一 上 則 令 三 人 爲 二 長 一 公 不 レ 得 レ 。 命 出 二 惡 馬 一 。 國 方 喜 。 而騎 廽 縱横 。 無 レ 如意 公亦悦賞 レ 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 小松公   内府 に 拜 す 。 賀夕 、 番長佐伯國方   馬 を 試 む 。 始 めに 馴 じゅん 馬 ば を 出 す 。 國 方  左 右 に ひ て 曰 く 、﹁ 今 夕 の 試 み に 、 僕 ぼく 圉 ぎょ   目 を 國 方 に 屬 す 。 以 へ ら く 、 必 ず 當 に 駻 馬 を 制 御 す べ し と 。 斯 く の 如 き 善 柔 、 恨 む ら く は 其 の 觀 る 無 し 。 願 は く は 更 か へ て 之 を 命 ぜ よ ﹂ と 。 公 曰 く 、

(13)

一三 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ ﹁ 萬一   傷敗 せ ば 、 賀夕不祥 なり ﹂ と 。 國方   重 ねて ひて 曰 く 、﹁ 卽 も し 墮失有 ら ば 、 國方   其 の 不祥 に 當 たる 。 若 し 驍騰 を 制 するに 足 らざ る 者 と 以 お も 爲 は ば 、 則 ち ふらくは 、 他人 をして 番長 に 爲 さしめよ ﹂ と 。 公  已 むことを 得 ず 、 命 じて 惡馬 を 出 す 。 國方   喜 ぶ 。 而 して 騎 廽 縱 横 す 。 如意 ならざること 無 し 。 公 も 亦 た 悦 びて 之 を 賞 す 。 ︹ 訳文 ︺ 小松殿 ︵ 平重盛 ︶ は 内大臣 に 任官 された 。 その 拝賀 の 夜 、 番長 ︵ 近衛 府 の 舎人 の 長 ︶ となった 佐伯国方 は 馬 を 乗 りこなしてみせた 。 始 めは 、 よく 馴 れたおとなしい 馬 を 出 したので 、 国方 は 小松殿 の 近習 に 申 し 出 た 、﹁ 今夜 の 試馬 では 、 馬飼 い ︵ 近衛府 の 舎人 ︶ たちは 国方 に 注目 して 、 必 ずや 荒 い 馬 を 乗 りこなすはずだと 思 っていよう 。 しかし 、 このよう によく 飼 い 馴 らされた 馬 では 、 残念 ながら 、 観 るべきものがなかろう 。 どうか 別 の 馬 に 替 えるようご 命 じください ﹂ と 。 小松殿 が 言 うことに は 、﹁ 万 が 一 、 負傷 すれ ば 、 この 祝 いの 夜 が 忌 わしい 事 になる ﹂ と 。 国 方 は 重 ね て 請 願 し て 言 っ た 、﹁ も し 落 馬 し た な ら ば 、 国 方 が そ の 不 祥 の 責 めを 負 います 。 もし 、 私 が 強 く 勇 ましい 馬 を 乗 りこなすのに 不 十分 な 者 だとお 思 いなら ば 、 他 の 者 に 番長 をお 命 じください ﹂ と 。 小 松殿 はやむをえず 、 悪馬 を 出 すよう 命 じた 。 国方 は 喜 び 、 そして 馬 を 自由自在 に 乗 りこなし 、 思 いのままにならぬことはなかった 。 小松殿 もまたご 満悦 で 国方 に 褒美 を 与 えた 。 ︹ 原注 ︺ ①重文之子 。 ②故事 。 大臣拜賀 。 使番長試馬 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①重文 の 子 なり 。 ②故事 にいふ 、 大臣   拜賀 するに 、 番長 をして 馬 を 試 ましむ 、 と 。 ︹ 訳文 ︺ ①重文 の 子 である 。 ②故事 に 、 大臣 は 拝賀 の 時 に 番長 に 馬 を 試 させたとある 。 ︹ 語釈 ︺ 小 松 公  平 重 盛 。 一 一 三 八 ∼ 一 一 七 九 。 太 政 大 臣 清 盛 の 長 男 。 保 元 ・ 平 治 の 乱 に 功 が あ り 、﹃ 平 家 物 語 ﹄ に は 鹿 ケ 谷 事 件 後 、 清 盛 が 後白河法皇 を 幽閉 しようとした 際 に 諌止 したことが 描 かれ る 。 内府   内大臣 の 別称 。 うちのおとど 。 番長   近衛府 の 舎人 の 長 。 佐 伯 國 方  ﹃ 玉 葉 ﹄﹁ 承 安 四 年 ︵ 一 一 七 四 ︶ 三 月 二 九 日 の 条 ﹂ に よ れ ば 、 番長中臣重長 の 祖父重近 の 外孫 。 右近府生 となる 。 元暦二 年 ︵ 一一八五 ︶ 六月二一日 の 競馬 で 、 左方 の 下毛野厚澄 に 勝 つ など 、 騎馬 に 長 じていた 。 重文   ﹃ 玉葉 ﹄﹁ 承安四年三月二九日 の 条 ﹂ によれ ば 、 後白河院 の 院庁 に 仕 えた 下臈 。 試 馬  こ こ で い う ﹁ 試 馬 ﹂ は 、 典 拠 と な る ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ に よ れ ば 、 供奉 の 際 、 乗 り 換 えに 用 いられる ﹁ 移 し 馬 ﹂ を 指 すと 考 えられ

(14)

一四 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ る 。 移鞍 を 置 いて 引 いた 。 拜賀   任官 の 御礼 を 申 しあげるために 宮中 に 参内 すること 。 僕圉   馬 を 飼 う 人 。 圉 は 馬飼 いのこと 。 ここでは 近衛府 の 舎人 たちを 指 す 。 屬目   目 をつける 。 注目 して 見 る 。 嘱目 。 駻馬   荒 い 馬 。 駻 と 悍 は 同意 。 善柔   ここでは 馬 がよく 飼 い 馴 らされて 、 おとなしいことを 指 してい う 。 墮失   ここでは 落馬 することを 指 す 。 驍騰   馬 が 勇 ましくて 強 いこと 。 惡馬   駻馬 に 同 じ 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ 巻 第 十 ﹁ 馬 芸 ﹂ 第 十 四 ﹁ 平 重 盛 内 大 臣 拝 賀 の 夜 、 番 長 佐伯国方悍馬 に 乗 る 事 ﹂︵ 第三六一話 ︶。 ︵ 菅本   慈子 ︶

豪爽

11︺

源 廷 尉 將 レ 襲 二 八 島 一 修 二 船 攝 濱 一 平 三 景 時 爲 二 軍 監 一 レ 策 曰 、 設 二 艣 一 廷 尉 曰 。 艣 何 。 平 三 曰 。 陸 馬 之 用 。 如 意 。 至 二 於 戰 艦 一 。 不 レ 克 レ 。 不 レ 克 レ 。 今 常 艣 之 外 。 交 二 設 二 之 舳 艫 一 前 却 自 便 。 廷 尉 曰 。 軍 令 有 レ 無 レ 。 恐 レ 驅 。 況 預 二 方 一 奚 可 。 今 日 治 兵 之 初 。 聞 二 不 祥 一 倒 千 萬 。 於 二 等 一 任 レ 意 。 於 レ 我無 レ 。 平三起 レ 色曰 。 見 レ 可而 。 知 レ 而 。 是爲 二 良將 若 レ 公豬武耳 。 廷尉曰 。 豬乎不 レ 。 軍唯奮擊克勝 。 莫 レ 於是 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 源廷尉   將 に 八島 を 襲 はんとす 。 船 を 攝 の 海濱 に 修 す 。 平三景時   軍 監 た り 。 策 を め て 曰 く 、﹁ ふ 艣 を 設 け ん ﹂ と 。 廷 尉 曰 く 、﹁ 艣 と は 何 ぞ や ﹂ と 。 平 三 曰 く 、﹁ 陸 馬 の 用 は 、 如 意 な り 。 戰 艦 に 至 り て は 、 み て く こ と を 克 よく せ ず 、 き て む こ と を 克 よく せ ず 。 今  常 艣 の 外 に 、 なる を 交互 して 、 之 を 舳艫 に 設 け ば 、 前却 する こ と 自 おのづか ら 便 な り ﹂ と 。 廷 尉 曰 く 、﹁ 軍 令 に む こ と 有 る も く こ と 無 し 。 ほ 恐 らくは 驅 り し 。 況 や 預 あらかじ め ぐる 方 を しめ すは 、 奚 ぞ 可 なら んや 。 今日治兵 の 初 め 、 此 の 不祥 を 聞 く 。 倒千萬 、 等 に 於 いては 意 に 任 せよ 。 我 に 於 いては 用 ふること 無 し ﹂ と 。 平三   色 を 起 こして 曰 く 、﹁ 可 を 見 て み 、 を 知 り て く 、 是 れ を 良 將 と 爲 す 。 公 の 若 ごと き は 豬 武 の み ﹂ と 。 廷 尉 曰 く 、﹁ 豬 か は 知 ら ず 。 軍 いくさ は 唯 だ 奮 擊 し て 克 く 勝 つ 、 是 れより 快 なるは 莫 し ﹂ と 。 ︹ 訳文 ︺ 源廷尉 は 屋島 を 襲撃 しようとしていた 。 そこで 、 船 を 摂津 の 海辺 で 修 理 し て い た 。 平 三 景 時 は 軍 監 の 職 に あ り 、 策 を 献 じ て 言 う こ と に は 、 ﹁ ど う か 船 に 逆 櫓 を 設 け て く だ さ い ﹂ と 。 廷 尉 は ﹁ 逆 櫓 と は 何 で あ る か ﹂ と 聞 い た 。 平 三 が 言 っ た 、﹁ 陸 上 に お い て 兵 馬 を 操 る な ら 、 進 む も 退 くも 思 うがままです 。 しかし 、 軍船 となると 、 前進 すると 容易 に 後退 できず 、 後退 すると 容易 に 前進 することが 出来 ません 。 もし 通常

(15)

一五 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ の 櫓 のほかに 、 逆 さ 向 きの 櫓 を 交互 に 船尾 と 船首 に 設 けてやれ ば 、 前 進 も 後退 も 自在 になります ﹂ と 。 廷尉 は ﹁ 軍 の 命令 には 、 前進 はあっ ても 後退 はない 。 それでも 兵士 を 駆 りたて 進軍 させるのは 難 しい 。 ま して 、 あらかじめ 逃 げる 方法 を 示 すことなど 、 どうして 認 められよう か 。 今 日 の 出 陣 に あ た っ て 、 こ の よ う な 縁 起 の 悪 い こ と を 聞 い て し まった 。 戦 の 常道 にまったくもって 反 するものだ 。 あなた 達 は 自分 の 意 に 任 せなさい 。 私 には 無用 のものだ ﹂ と 言 った 。 平三 が 色 をなして 言 う こ と に は 、﹁ 機 を 見 て 進 軍 し 、 難 を 見 抜 い て 退 く 、 こ れ が 良 い 将 軍 というものです 。 あなたのような 人 は 、 向 こう 見 ずな 猪武者 に 他 な りません ﹂ と 。 廷尉 は ﹁ 猪 かどうかは 知 らない 。 いくさではただ 力 を 奮 って 敵 と 戦 い 打 ち 破 る 、 これに 勝 る 痛快 さは 無 い ﹂ と 答 えた 。 ︹ 原注 ︺ ① 廷 尉 將 レ 發 レ 。 其 日 大 風 。 船 人 不 レ 可 。 廷 尉 怒 曰 、 兵 法 擊 二 敵 不 虞 一 今 日 彼 無 レ 必 矣 。 謂 レ 不 レ 可 斬 。 船 人 懼 相 謂 曰 。 發 亦 死 。 不 レ 發亦死 。 齊死不 レ 馳死 乃發 。 集 レ 船本五百艘 。 發者唯五艘而已 。 人不 レ 滿 。 海上三日程 、 未 レ 二 三時 。 襲 二 八島大勝 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ① 廷 尉 將 に 船 を 發 せ ん と す 。 其 の 日  大 風 な り 。 船 人 可 よ し と せ ず 。 廷 尉 怒 り て 曰 く 、﹁ 兵 法 に 敵 の 不 虞 を 擊 つ と い ふ 。 今 日  彼  備 へ の 無 きこと 必 せり 。 可 よ しとせざると 謂 ふは 斬 らん ﹂ と 。 船人懼 れて 相 謂 ひ て 曰 く 、﹁ 發 せ ば 亦 た 死 す 、 發 せ ざ る も 亦 た 死 す 。 齊 し く 死 な ば 馳死 に 如 かず ﹂ と 。 乃 ち 發 す 。 船 を 集 むること 本 は 五百艘 なり 。 發 する 者 は 唯 だ 五艘 のみ 。 人  百 に 滿 たず 。 海上   三日 の 程 なるも 、 未 だ 三時 を ぎざるに 渡 るを 得 たり 。 に 八島 を 襲 ひて 大勝 せり 。 ︹ 訳文 ︺ 廷尉 は 今 にも 船 を 出発 させようとした 。 その 日 は 大風 であり 、 船人 達 は 船 出 を 承 知 し な か っ た 。 廷 尉 は 怒 っ て 言 っ た 、﹁ 兵 法 に 、 敵 の 備 えのない 時 に 攻撃 をかける 、 とある 。 今日 のような 日 は 、 平氏 は 必 ずや 油断 して 何 の 備 えもしていない 。 言 うことを 聞 かない 者 は 斬 る ﹂ と 。 船 人 は 恐 れ お の の き 、﹁ 舟 を 出 せ ば 死 ぬ し 、 出 発 し な く て も 死 ぬ 。 同 じく 死 ぬのなら ば 敵 に 向 かって 船 をこいで 死 んだ 方 が 良 い ﹂ と 言 って 、 出発 することになった 。 もともと 船 を 五百隻集 めた が 、 出発 したのは 五隻 のみで 、 人員 は 百名 に 満 たなかった 。 屋島 ま では 船 で 三日 の 行程 だったが 、 未 だ 六時間 も 経 たないうちに 渡 りき ることができた 。 かくして 屋島 を 襲撃 し 、 大勝 をおさめた 。 ︹ 語釈 ︺ 源 廷 尉  一 一 五 八 ∼ 一 一 八 九 。 源 義 経 。 廷 尉 は 検 非 違 使 の 佐 の 唐 名 。 源 義 朝 の 子 。 兄 で あ る 源 頼 朝 の 武 将 と し て 戦 い 、 源 義 仲 追 討 、 平氏滅亡 に 貢献 。 後 に 頼朝 と 不仲 になり 、 奥州藤原氏 をたよる も 、 藤原泰衡 に 襲 われて 自殺 。 八島   屋 島 を 言 う 。 文 治 元 年 ︵ 一 一 八 五 ︶ 二 月 、 源 平 の 合 戦 が 行 わ れ た 。 攝   摂津 のこと 。 現在 の 兵庫県南東部 と 大阪府北西部 に あたる 。 平三景時   梶原景時 。 平三 は 通称 。 梶原景清 の 子 。 石橋山 の 戦 いで 源 頼朝 の 窮地 を 救 い 、 信任 される 。 頼朝 の 死後 、 討伐 を 受 けて 戦

(16)

一六 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 死 。 軍監   軍事 の 監督役 。 監軍 。 艣   通常 のものとは 逆向 きにつけた 櫓 。 舳艫   船尾 と 船首 。 前却   前進 と 後退 。 軍令   軍中 の 命令 、 また 軍律 。 ここでは 前者 の 意 だと 考 えられる 。 治兵   軍隊 を 調練 すること 。 出陣 に 際 して 兵士 が 勢揃 いすること 。 ま た 、 軍隊 の 装備 や 人員 を 整 えることを 指 す 。 ここでは 、 出陣 に 際 して 兵士 が 勢揃 いするの 意 でとった 。 倒   逆 らうこと 、 道理 にそむくこと 。 豬武   向 こう 見 ずの 武勇 。 また 、 その 人 。 奮擊   力 をふるって 敵 をうつこと 。 克勝   勝 ちがたき 相手 に 勝 つこと 。 齊死   一様 に 死 ぬ 。 同 じく 死 ぬ 。 馳死   敵 にむかって 船 を 漕 ぎつけて 死 ぬ 意 か 。 三時   六時間 。 一時 は 二時間 。 兵法擊敵不虞   ﹃ 孫子 ﹄﹁ 謀攻篇 ﹂ に ﹁ 以虞待不虞者 、 勝 ︵ 虞 を 以 て 不 虞 を 待 つ 者 は 、 勝 つ ︶﹂ とあるのに 依拠 するものと 考 えられる 。 ﹁ 兵 法 ﹂ と は 、 所 謂 孫 子 兵 法 を 指 す の で あ ろ う 。﹁ 虞 ﹂ は 備 え 、 準備 の 意 。 今 日 彼 無 備 必  こ の 一 文 も ﹃ 孫 子 ﹄﹁ 計 篇 ﹂ に ﹁ 攻 其 無 備 、 出 其 不 意 ︵ 其 の 無備 を 攻 め 、 其 の 不意 に 出 づ ︶﹂ とあるのに 依拠 すると 考 えられる 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 平家物語 ﹄ 巻第十一 ﹁ 逆櫓 ﹂。 ︵ 橘  和久 ︶

豪爽

12︺

承 久 之 變 ① 。 京 師 。 有 下 討 二 倉 一 之 議 上 平 義 時 先 興 レ 甲 。 使 二 子 泰 時 將 西 上 一 。 父 曰 。 朝 廷 不 明 。 讒 構 無 レ 極 。 汝 盡 レ 敵 而 歸 。 不 レ 克 死 レ 。 勿 レ 見 二 面 一 發 。 明 日 泰 時 獨 騎 馳 。 問 曰 。 軍 政 。 謹 已 領 レ 。 若 或 一 有 二 軍 親 征 一 不 レ 圖 二 行 一 。 如 何 處 置 。 父 默 思 良 久 曰 。 善 乎 汝 問 。 君 不 レ 可 レ 抗 。 萬 一 有 レ 爾 。 汝 唯 當 三 脫 レ 冑 斷 レ 。 歸 二 司 敗 一 。 不 レ 。 徒 有 下 長 安 輕 兒 輩 妄 藉 二 威 一 來 上 殺 レ 千至 。 戰殲無 レ 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 承 久 の 變 に 、 京 師 し て 、 鎌 倉 を 討 す る の 議 有 り 。 平 義 時 あらかじ め 先 づ 甲 を 興 す 。 子 の 泰 時 を し て 將 と し て 西 上 せ し む 。 父 曰 く 、﹁ 朝 廷 は 不明 なり 、 讒構極 まり 無 し 。 汝  敵 を 盡 くして 歸 れ 。 克 か たずん ば 之 に 死 ね 。 復 た 我 が 面 を 見 ることを 望 むこと 勿 かれ ﹂ と 。 に 發 す 。 明日 泰 時  獨 騎 も て 馳 せ て り 、 問 ひ て 曰 く 、﹁ 軍 政 の は 、 謹 み て 已 に 命 を 領 す 。 若 し 或 いは 一 も 六軍 の 親征 すること 有 りて 、 圖 らざるに に 啓行 に は ば 、 如 い か ん 何 が 處置 せん ﹂ と 。 父  默思 すること 良 や や 久 し く し て 曰 く 、﹁ 善 き か な 汝 の 問 ひ は 。 君 に は 抗 す べ か ら ず 。 萬 一  爾 しか

(17)

一七 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ ること 有 ら ば 、 汝唯 だ 當 に 冑 を 脫 し 弦 を 斷 ちて 、 命 を 司敗 に 歸 すべき のみ 。 爾 らずして 、 徒 だ 長安 の 輕 の 兒輩妄 に 天威 に 藉 りて 以 て 來 る こと 有 ら ば 、 千 を 殺 して 一 に 至 るまで 、 戰 ひ 殲 くして くこと 無 かれ ﹂ と 。 ︹ 訳文 ︺ 承久 の 変 の 際 に 、 都 では 激 しくさわぎ 立 てて 、 鎌倉幕府 を 討伐 しよう という 謀議 が 起 こった 。 平義時 ︵ 北条義時 ︶ はそれを 見越 して 真 っ 先 に 兵 を 集 め た 。︵ 義 時 は ︶ 息 子 の 泰 時 を 大 将 と し て 西 の か た 都 に 上 ら せ る こ と に し た 。 父 が 言 う こ と に は 、﹁ 朝 廷 は 道 義 を 欠 い て 、 人 を 罪 に 落 とすこと 甚 だしい 。 お 前 は 敵 を 掃討 して 帰 ってこい 。 勝 てなけれ ば この 戦 いに 命 を 捨 てて 、 再 び 私 の 顔 を 見 ることを 望 むことのないよ う に ﹂ と 。 す ぐ さ ま ︵ 泰 時 は ︶ 出 発 し た 。 翌 日 泰 時 は 単 騎 馳 せ 帰 り 、 ︵ 父 に ︶ 尋 ねて 、﹁ 戦 に 関 する 進退 の 措置 は 、 謹 んですでにご 命令 を 承 知 しております 。 もし 仮 に 朝廷軍 を 上皇自 らが 率 いてくるということ があって 、 予期 せず 道中 でそのさき ば らいに 行 き 会 ってしまったなら ば 、 どのように 処置 したらよいのでしょうか ﹂ と 言 った 。 父 はし ば ら く 黙 っ て 思 案 し て か ら 次 の よ う に 言 っ た 、﹁ よ い も の だ 、 お 前 の そ の 問 いは 。 上皇 には 反抗 してはいけない 。 万一 そのようなことがあった なら ば 、 お 前 はただ 冑 を 脱 ぎ 弓 の 弦 を 断 ち 切 って 、 命 を 刑罰 を 掌 る 官 に 任 せるだけだ 。 そうではなくて 、 ただ 都 の 軽佻浮薄 な 輩 が 分別 もな く 上皇 の 威光 を 笠 に 着 てやってきたなら ば 、 千人 を 殺 して 最後 の 一兵 に 至 るまで 、 戦 いつくし 兵 を 退 いてはならない ﹂ と 。 ︹ 原注 ︺ ① 承 久 中 。 元 曆 上 皇 。 躁 而 好 レ 。 專 聽 二 政 事 一 上 垂 拱 而 已 。 鎌 倉 北 條 時 執 權 。 天 下 大 小 事 。 在 二 其 掌 握 一 上 皇 多 不 レ 得 レ 縱 焉 。 漸 積 二 猜忌 一 乃欲 下 北條氏 收 中 其權制 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①承久中 、 元曆上皇 は 、 躁 にして 勇 を 好 み 、 專 ら 政事 を 聽 き 、 上 は 垂拱 するのみ 。 鎌倉 の 北條 は 時 に 執權 たり 、 天下 の 大小 の 事 は 、 其 の 掌握 に 在 り 。 上皇 は 多 く 縱 いままにするを 得 ず 。 漸 く 猜忌 を 積 め ば 、 乃 ち 北條氏 を 滅 ぼして 、 其 の 權制 を 收 めんと 欲 す 。 ︹ 訳文 ︺ ①承久年間 のこと 、 元暦上皇 ︵ 後鳥羽上皇 ︶ は 、 せっかちで 武勇 を 好 み 、 ほしいままに 政務 を 執 り 行 っていたので 、 天皇 は 上皇 のなす がままに 任 せていた 。 その 時 、 鎌倉 の 北条氏 は 執権 の 職 にあり 、 天 下 の 大事 から 小事 に 至 るまで 、 掌握 していた 。 上皇 は 思 い 通 りに 行 え な い こ と が 多 か っ た 。 そ の 妬 み が 次 第 に 積 み 重 な っ て い っ た の で 、︵ 上 皇 は ︶ 北 条 氏 を 滅 ぼ し て 、 そ の 権 力 を 手 中 に 収 め よ う と し た 。 ︹ 語釈 ︺ 承 久 之 變  承 久 の 乱 の こ と 。 承 久 三 年 ︵ 一 二 二 一 ︶、 後 鳥 羽 上 皇 が 討 幕 の た め に 北 条 義 時 追 討 の 宣 旨 を 発 し た こ と か ら 起 こ っ た 戦 乱 。 結果 としては 、 朝廷軍 は 幕府軍 によって 一戦 のもとに 敗 れ 、 後鳥羽上皇 は 隠岐 へ 配流 となった 。

(18)

一八 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶   やかましく 言 い 合 うさま 。 平義時   北条義時 。 一一六三 ∼ 一二二四 。 鎌倉幕府 の 執権 。 父 は 時政 。 後鳥羽上皇 によって 義時追討 の 宣旨 が 発 せられると 、 義時 は 都 進撃 の 軍 を 整 え 、 嫡子泰時 を 大将 、 弟時房 を 副将 として 東海 ・ 東山 ・ 北陸 の 三道 から 軍 を 進 ませ 、 都 を 制圧 させた 。 この 勝利 によって 幕府 は 威力 を 確立 し 、 その 勢 は 全国 に 及 ぶようになっ た 。 泰 時  北 条 泰 時 。 一 一 八 三 ∼ 一 二 四 二 。 鎌 倉 幕 府 の 執 権 。 父 は 義 時 。 承久 の 乱 には 、 叔父時房 とともに 幕府軍第一陣 として 東海道 よ り 進撃 し 、 朝廷軍 を 破 って 都 に 入 った 。 乱後 の 処理 のために 時 房 とともに 六波羅 に 駐留 して 、 六波羅探題 の 任 に 就 いた 。 讒構   讒言 して 、 無 いことを 作 り 上 げること 。 六軍   天子 の 軍 。 一軍 は 一万二千五百人 。 親征   天子 が 自 ら 征伐 すること 。 啓行   みちをひらくこと 。 さき ば らいすること 。 司敗   官名 。 刑罰 を 掌 る 。 春秋時代 、 陳 と 楚 では 司寇 を 司敗 と 呼 んだ のによる 。 天威   天子 の 威光 。 元曆上皇   後鳥羽上皇 。 一一八 〇 ∼ 一二三九 。 元暦 は 後鳥羽天皇朝 の 年号 。 建久九年 ︵ 一一九八 ︶ 土御門天皇 に 譲位 して 院政 を 始 め た 。 躁   せっかちで 落 ち 着 きがないこと 。 垂拱   手 をこまねいていて 、 何事 もしないこと 。 漸積   次第 に 積 み 重 なること 。 猜忌   疑 いねたむこと 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 増鏡 ﹄ 第二 ﹁ 新島守 ﹂。 ︵ 丹治   麻里子 ︶

豪爽

13︺

承 久 之 亂 。 鎌 倉 檄 二 州 一 發 レ 向 レ 都 。 甲 人 武 田 五 郎 ① 將 レ 發 。 或 曰 。 此 日 凶 。 宜 二 而 行 一 。 問 何 謂 レ 。 曰 。 是 謂 二 死 一 生 一 武 田 曰 。 擐 レ 甲 執 レ 兵 。 固 卽 レ 死 也 。 且 出 レ 軍 以 二 喪 禮 一 。 是 於 レ 我 吉 日 耳 。 乃發 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 承 久 の 亂 に 、 鎌 倉  諸 州 を 檄 し て 兵 を 發 し て 都 に 向 すす む 。 甲 人 武 田 五 郎  將 に 發 せ ん と す 。 或 る ひ と 曰 く 、﹁ 此 の 日  凶 な り 。 宜 し く 吉 を 擇 びて 行 くべし ﹂ と 。 問 ふ 、﹁ 何 をか 凶 と 謂 はん ﹂ と 。 曰 く 、﹁ 是 れ 十 死 一 生 と 謂 ふ ﹂ と 。 武 田 曰 く 、﹁ 甲 を 擐 つらぬ き て 兵 を 執 る は 、 固 よ り 死 に 卽 つ くなり 。 且 つ 軍 を 出 すに 喪禮 を 以 て 之 を 處 す 。 是 れ 我 に 於 いて 吉日 のみ ﹂ と 。 乃 ち 發 す 。 ︹ 訳文 ︺ 承久 の 乱 の 際 に 、 鎌倉 が 諸州 に 檄 を 飛 ば して 兵 を 起 こし 都 に 向 かわせ た 。 甲斐 の 武田五郎 ︵ 武田信光 ︶ は 、 兵 を 進発 しようとした 。 ある 者

(19)

一九 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ が 言 う こ と に は 、﹁ こ の 日 は 凶 で す 。 吉 日 を 選 ん で 向 か う べ き で す ﹂ と 。 武 田 が 、﹁ ど う し て 凶 と い う の か ﹂ と 聞 く と 、 そ の 者 は ﹁ 十 死 一 生 の 日 と い う か ら で す ﹂ と 答 え た 。 武 田 は 、﹁ 鎧 に 身 を つ つ み 武 器 を 持 つということは 、 もともと 死 にいくようなものである 。 かつ 、 軍 を 出 すには 喪儀 の 礼法 で 対処 するのである 。 だからこの 日 は 私 にとって 吉日 に ほかならない ﹂ と 言 って 、 兵 を 起 こした 。 ︹ 原注 ︺ 伊豆守信光 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 伊豆守信光 なり 。 ︹ 訳文 ︺ 伊豆守武田信光 である 。 ︹ 語釈 ︺ 承久之亂   承久三年 ︵ 一二二一 ︶ に 、 後鳥羽上皇 らが 鎌倉幕府打倒 の ためにおこしたクーデター 。 北条義時 を 中心 とする 幕府軍 に 鎮 圧 された 。︹ 豪爽 12︺︹ 語釈 ︺﹁ 承久之變 ﹂ 参照 。 檄   軍書 を 発 する 。 甲人   甲斐 の 人 。 武田五郎   武田信光 。 一一六二 ∼ 一二四八 。 鎌倉前期 の 武将 。 甲斐源 氏 。 石和 ︵ 伊沢 ︶ 五郎 と 称 する 。 治承四年 ︵ 一一八 〇 ︶ 父 の 信 義 らと 共 に 駿河 に 挙兵 し 、 文治五年 ︵ 一一八九 ︶ 安芸国守護 と して 国内 の 武士 を 召集 し 、 頼朝 の 奥州進出 に 参加 。 その 後 、 こ の 職 からは 離 れることとなったが 、 承久 の 乱 で 東山道 の 大将軍 として 活躍 し 、 再 び 同国 の 守護職 に 就 いた 。 十死一生   陰陽道 の 説 で 、 挙兵 しても 生還 の 見込 みがない 大凶日 をい う 。 擐 甲執兵 。 固卽死也   ﹃ 春秋左氏伝 ﹄ 成公二年 に 出典 する 字句 。﹁ 擐 兵 ﹂ は 、 鎧 を 着 る 、 甲 冑 を つ け る 。﹁ 擐 ﹂ は 、 つ ら ぬ く 、 身 に ま と う 意 。﹁ 執兵 ﹂ は 、 兵器 を 手 に 執 る 。﹁ 卽死 ﹂ は 、 ここでは ﹁ 死 に 即 つ く ﹂、 死 におもむく 意 。 喪禮   葬式 または 喪 に 居 る 礼法 。 ︹ 典拠 ︺ ﹃ 承久記 ﹄ 巻上 。 ︵ 雨宮   紗希 ︶

豪爽

14︺

陸 原 武 士 、 拘 二 藤 亞 相 爲 一 以 去 ① 。 藤 資 朝 ② 在 レ 路 見 レ 之 曰 。 大 丈 夫乃至 レ 。 志願足矣 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ 陸原 の 武士 、 藤亞相爲 を 拘囚 して 以 て 去 る 。 藤資朝   路 に 在 りて 之 を 見 て 曰 く 、﹁ 大丈夫乃 ち 斯 かく の 如 きに 至 る 。 志願足 んぬ ﹂ と 。 ︹ 訳文 ︺ 六波羅 の 武士 は 、 藤原為兼 を 捕 らえて 連 れて 行 った 。 藤原資朝 は 路上 で こ の 様 子 を 見 て 、﹁ 男 お の こ 子 た る も の が こ う し た 最 後 に 至 っ た の は 、 本

(20)

二〇 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ 望 そのものだろう ﹂ と 言 った 。 ︹ 原注 ︺ ① 京 極 中 將 爲 敎 之 子 。 官 大 言 。 永 仁 中 有 下 告 二 謀 反 一 上 陸 原 。 北條氏 レ 。 更 二 親兄弟二人 護 二 衛京師 ②日野大言俊光次子 。 中言 。 ︹ 書 き 下 し 文 ︺ ①京極中將爲敎 の 子 。 官 は 大言 。 永仁中   爲 の 謀反 を 告 ぐる 有 り 。 陸 原 は 、 北 條 氏 が く な り 。 更 つ ぎ て 親 兄 弟 二 人 を は し 、 京師 を 護衛 す 。 ②日野大言俊光 の 次子 。 中言 。 ︹ 訳文 ︺ ①京極中将為教 の 子 。 大納言 の 官 にあった 。 永仁年間 に 、 為兼 は 謀 反 を 企 てていると 密告 する 者 があった 。 六波羅探題 は 、 北条氏 が 設 置 し 、 執権 の 肉親 である 兄弟二人 を 派遣 し 、 京 を 護衛 した 。 ②日野大納言俊光 の 次男 で 、 中納言 であった 。 ︹ 語釈 ︺ 陸原   六原 。 六波羅探題 をさす 。 六波羅探題 は 鎌倉幕府 が 京都 の 六波 羅 に 置 いた 機関及 びその 長 をいう 。 承久 の 乱 ののちに 朝廷 、 京 の 監視 、 警備 の 目的 で 北条氏 が 乱後 の 処理 などにあたったこと が 起源 で 、 北方 と 南方 を 置 いた 。 六波羅探題 の 職務 はおもに 治 安維持 、 朝廷 との 交渉 、 西国 に 関 する 裁判 であった 。 爲   京極為兼 。 一二五四 ∼ 一三三二 。 鎌倉時代後期 の 歌人 。 為教 の 子 。 康元元年 ︵ 一二五六 ︶ 叙爵 、 侍従 ・ 右少将 を 経 て 建治元年 ︵ 一 二 七 五 ︶ 左 少 将 、 弘 安 元 年 ︵ 一 二 七 八 ︶ 正 四 位 下 に 至 り 、 延慶三年 ︵ 一三一 〇 ︶ 権大納言 に 至 る 。 応長元年 には 権大納言 を 辞 し 、 正和二年伏見上皇 の 出家 に 殉 じ 出家 した 。 法名 は 蓮覚 、 の ち 静 覚 。 一 七 の 頃 よ り 祖 父 で あ る 藤 原 為 家 に つ き 歌 道 を 学 び 、 弘安一 〇 年 ︵ 一二八七 ︶ ごろからは 伏見天皇 らに 和歌 を 指 導 し 、 京極派歌壇 をなした 。 院宣 を 受 け 、 正和元年 ︵ 一三一二 ︶ には ﹃ 玉葉和歌集 ﹄ を 撰集 した 。 同四年 、 一門 を 率 いて 奈良 で 奉納 した 歌 と 鞠 が 派手 であったため 反感 を 買 い 、 翌五年土佐 に 流 さ れ た 。 こ の 段 は そ の 件 に つ い て の 記 事 で あ る と 思 わ れ る 。 晩年 は 河内 に 帰 った 。 爲敎   京極為教 。 一二二七 ∼ 七九 。 鎌倉時代中期 の 歌人 。 京極家 の 祖 。 藤原 ︵ 御子左 ︶ 為家 の 次男 。 非参議従二位 。 永仁   伏見 、 後伏見天皇 の 治世 の 年号 。 一二九三 ∼ 九九 。 正応六年八 月五日 、 天変 により 改元 された 。 資朝   日野資朝 。 一二九 〇 ∼ 一三三二 。 鎌倉時代後期 の 公卿 。 権大納 言正二位日野俊光 の 子 。 俊光   藤原俊光 。 前権中納言 。 花園天皇 の 年号 である ﹁ 延慶 ﹂ の 改元 について 勘申 した 。 大 丈 夫 乃 至 如 斯  ﹃ 史 記 ﹄ 巻 八 高 祖 本 紀 に あ る 、 劉 邦 が 始 皇 帝 の 行 列 を 実際 に 目 にして 発 した ﹁ 大丈夫當如此也 ﹂ を 踏 まえた 表現 か 。 ﹁ 大丈夫 ﹂ は 立派 な 人物 をさす 。

(21)

二一 ﹃ 大東世語 ﹄﹁ 豪爽 ﹂ 篇  注釈稿 ︵ 堀 ・ 松本 ・ 雨宮 ・ 橋本 ・ 上原 ・ 菅本 ・ 橘 ・ 丹治 ・ 岸川 ・ 石本 ・ 趙 ︶ ︹ 典拠 ︺ ﹃ 徒然草 ﹄ 第一五三段 。 ︵ 橋本   麻美 ︶

参照

関連したドキュメント

Satomi : The evergreen broad-leaved forest of Isle Aoshima in Obama City, Fukui Prefecture. : Rare species and their conservation,

[r]

[r]

Also, people didn’ t have to store food at home if they ate their meals at these restaurants.. Later, restaurants began to open in

* 4 CEO Tim Cook introduced Wakamiya as“the oldest * 5 developer.”The day before the meeting, she had a chance to talk with him.. After she finished high school, she

8) de Tommaso M, et al:The puzzle of fibromyalgia between central sensitization syndrome and small fiber neuropathy:a narrative review on neurophysiological and

キーワード:感染症,ストレスマネジメント,健康教育,ソーシャルネットワーキングサービス YOMODA Kenji : Concerns and stress caused by the novel coronavirus disease

口腔の持つ,種々の働き ( 機能)が障害された場 合,これらの働きがより健全に機能するよう手当