パット・バーカーの戦争小説 : 事実と虚構
著者 倉持 三郎
雑誌名 英語英文学研究
巻 2
ページ 1‑18
発行年 1996‑10
出版者 東京家政大学文学部英語英文学科
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009589/
パット・パーカーの戦争小説 一事実と虚構一
倉持三郎
1
イギリス小説のうちの最高の作品に与えられるブッカー賞は、1995年度 はパット・パーカー(Pat Barker)のThe Ghost Roαdに与えられた。
受賞の理由は、戦争という主題をあつかったからのようだ。 『タイムズ文 芸付録」 (1995年9月8日)の書評者は、「決して過去のものにならない戦 争」という見出しで、およそ80年も前の第一次大戦をあつかっているこ の作品の意義を高く評価している。イギリスにとっては、フォークランド 戦争、ボスニヤ紛争、それに戦争とは言えないにしても、北アイルランド 紛争、パレスチナ紛争があり、戦争は、依然として過去のものとはならな いのである。
ここ20年間でも、第一次大戦をあつかった小説が書かれている。Susan Hill: St rαnge Meeting, Jennifer Johnston: How Mαny Miles to Bαbylon(1974),Timothy Findley:The Wαrs(1977),William Boyd:
An Ice一σreαm Wαr(1988)などである。 『タイムズ文芸付録』 には、
小説のほかに、戦争の原因など、戦争に関する著書がしばしば取り上げら れており、日本人が想像する以上に、イギリス人が戦争に深い関心をもっ ていることが分かる。
受賞作はThe Ghost Roαdではあるが、これは3部作の3作目である。
第1作は、Regenerαtion,(1991),第2作は、 The Eye in the Door(1993)
である。第3作だけでは、かならずしもよく分からない。3つの作品を読 むことによって、内容がよく理解できる。ここでは、この3作をまとめて 扱いたい。
パーカーは、1943年、イングランド北東部の州、Cleveland州Thornaby−
on−Teesに生まれている。 London School of Economicsを卒業し、歴 史と政治学を教えてきている。これまで次のような作品を発表した。
Union Street(1982)(映画の題名は Stanley and Iris ) Blow Your House Down (1984)
The Centurツ s Dαughter (1986)
The iレfαn Who VVas nt There (1989)
Regenerαtion (199ユ)
The Eye in the Door(1993)The Guardian Fiction Prize受賞.
The Ghost Roαd(1995)Booker Prize for Fiction受賞.
この作品は、第一次大戦を扱っているが、戦争にたいするひとつの見方 がある。それは戦争批判の姿勢である。現代の時点では、戦争批判は当然 だと言う考えは強い。核兵器の時代においては、本格的な戦争がいかなる 結末になるかは、だれでも分かっている。しかし、このような作品が注目 を集めるということは、逆に言えば、なお戦争肯定の動きが、イギリスに 根強い証拠でもある。
戦争の惨禍は、明からであるにしても、国家主義の力もまた軽視するこ とはできないし、「文明を救う大戦」という当時の大義名分もまた、人々 の心を動かしたことも事実である。当時の新聞を見れば、戦争のために生 命さえ犠牲にしようとする人たちがいかに多くいたかということが分かる。
1914年8月3日に、イギリスはドイツに宣戦を布告したが、 『タイムズ』
(8月7日)は、「軍務に殺到」という見出しで、兵役への志願者が殺到し て「記録」をつくったとして次のように報じている。
祖国に奉仕することを願う人たちの熱意は昨日もグレートスコットラ ンドヤードで、ふたたび、明らかになった。そこでは新兵採用が、これ までよりもいっそう順調に進行した。入隊を希望する長蛇の列が見られ た。一団が検査のため鉄門から中に入れられると、ほかの応募者が後尾 に並ぶのであった。もっとも感動的なことは、いたる所で見られる熱意 であり、長時間待つ忍耐であった。入隊する人たちの多くは、兵役期間 を満了した現役兵であるか、予備役に属しているものであった。(中略〉
中央事務所が4時半に事務を終了したとき、そとには、なお、700人の 志願者が残っていた。新兵募集は、水曜日の記録を、簡単に更新した。
ケンブリッジ大学の副学長によって任命された特別委員会は毎日コー パス・クリスチー学寮の食堂で、午前10時から11時まで、午後は、8時 45分から9時45分まで、大学構成員の正規軍の士官応募を受け付ける。
(構成員は本人が出頭して応募しなければならない)
以上のように、当時においては、戦争を肯定する見方は支配的であった。
他方、後で述べるように、戦争の遂行を批判する動きもあった。パット・
パーカーの作品は、この後者に立場に立つものであり、もし、その当時発 表されていたら、発売禁止処分になるものであった。この作品が小説とし ての最高の賞を受賞したことは、イギリス社会における変化を示している。
現在の戦争批判の雰囲気のなかで、そのような視点から書くことは、ある 意味では書きやすいということはある。時代の流れに乗っているからであ
る。
2
3部作は、時間的には、第一次大戦の2年目の1917年7月ころから、翌 18年のll月までの1年4か月である。
Regenerαtionの冒頭のページは、強烈なインパクトがある。いきな・り
この3部作の主題を示すのである。 それはジーグフリード・サスーン
(Siegfried Sassoon,1886一ユ967)の戦争続行反対宣言である。彼は、
Finishied with the War/Soldier s Declaration (「一兵士の宣言一一 戦争はもうごめんだ」)というタイトルの一文を、署名入りで、1917年、
The Brαdford Pioneerに発表した。
私は、軍当局に対する意図的な批判としてこの宣言を書いています。
なぜならば、この戦争は、それを止める力を持つ人達のよって故意に引 きのばされていると信じるからです。私は一兵士であり、私の行動が 兵士たちのためになると確信しています。私は、この戦争は、防衛と解 放の戦争であると信じて志願しましたが、それは、すでに、攻撃と征服 の戦争に様変わりをしています。私と仲間の兵士たちが参戦した目的は 極めて明白であり、変更の余地はありません。また、もし仮に、その目 的を変更したのなら、われわれが参戦した目的は、今や、交渉によって 達成できると信じます。
私は兵士の苦しみを見たり、また経験してきました。私はもはや、悪 と不正の目的のために、これらの苦痛を引きのばすことを画策する者た ちに与することはできません。私は、戦争という行為に反対している ものではなくて、戦闘する兵士たちを犠牲にしている政治的誤りと不誠 実に抗議しているのです。
現在、苦しんでいる者たちに代わり、彼らに対してなされている欺購 に抗議しているのです。また私は、自分たちとは関係のないとして、果 てしない苦痛を冷淡に自己満足して眺め、それを理解するだけの想像力 もない内地の多数の人達を非難するものです。
S.サスーン 19ユ7年7月1
サスーンは、戦争詩、The Old Huntsmαnαnd Other Poems(1917)
を発表した詩人である。彼は宣戦布告3日後に、志願して兵役についた。
それは、上記の「宣言」の文中にあるように、戦争は「防衛と解放の戦 争である」と確信したからである。裕福な郷士の家に生まれ、ケンブリッ
ジ大学卒業の彼は、noblesse oblige(貴族の義務)という、特権階級は、
いったん緩急あれば、死地に赴くという義務感をもっていたのであろう。
3
イギリス軍は、開戦当時は、常備軍16万人と志願兵士でまかなわれてい た。2しかし、戦闘における兵士の消耗は予想をはるかに越えて、強制的 に徴兵するよりほかに方法がなくなった。徴兵反対は根強かったが、1916 年1月、第一次徴兵法が成立する。これによって、すべての独身男性(子 供のいない男やもめも含めて)は兵役の義務を負うことになった。しかし、
これでも、兵士の数が不足で、1916年5月、第二次徴兵法が成立した。こ れによって、重要な仕事をしていない18歳から41歳までの男子を強制的に 徴兵することになった。他方、戦争に反対し、徴兵制度を拒否する人達が いた。conscientious objector(良心的徴兵拒否者)とよばれる人たちで ある。この作品ではconchies(『再生』 p.4)とよばれている。 戦闘を 拒否することは合法であり、その場合は戦場に行かないで、後方の仕事を
する。
徴兵忌避運動をラッセル(Bertrand Russell,1872−1970)や、オトリー ン・モレル(Ottoline Morre11)が行っている。3ラッセルは、大戦が始 まると、戦争に反対して、「徴兵反対同盟」の指導者になった。 1916年、
ひとりの兵役拒否者が逮捕され、裁判の結果、重労働2年の判決を受けた。
「徴兵反対同盟」はこれに抗議してパンフレットを配った。ところがこれ が不穏文書として、配布した者が逮捕された。そこでラセッルが、自分が その筆者であると名乗り出て、裁判の結果、100ポンドの罰金を科せられ た。このあと、ラッセルは、ケンブリッジ大学講師を解任された。
ラッセルは 『再生』 の3章で言及されている。精神科の医師のリヴァー ズ(W.H.R. Rivers,ユ864−1922、後出)と,サスーンの友人で詩人のロバー
ト・グレーヴズ(Robert Graves,1895−1985)との会話に現れる。グレー ヴズは、リヴァーズに向かって、サスーンは、ラッセルや、オトリーンな どの平和運動家に利用されているのだと言う。
ラッセルは兵役の年齢を越えているし、また、オトリーンは、女性で あるし、彼らは、サスーンが経験したことが分かってはいない。しかし、
彼らは、彼のおかれている立場が分かった。それで、彼らは、事を進め た。彼らは、自分たちの見解を宣伝するために、サスーンを破滅させる ことも辞さないのだ。そのことについては、僕は、彼らを許すことはで きないのだ。(『再生』 23)
グレーヴズは、したがって、サスーンに助言して、「宣言」を書いたの は、精神障害のためということにさせて、彼を陸軍病院に入れてしまうの である。
この間の事情は、作品では説明されていないが、次のようである。4 サスーンは、喉の負傷で帰国した。自分の体験をもとに「戦争は実際はど
ういうものか、内地の人たちに知らせるため、率直な意見を発表し」よ うとThe Nationの編集者と接触したが、編集者は、その結果を恐れて、
サスーンをラッセルに紹介した。ラッセルは、サスーンに面会して、200 語の文章にまとめるようにと言った。1週間後、冒頭に載せたような「一 兵士の宣言」の原稿をもって、サスーンはラッセルを再度訪問したのであ る。ラッセルは、これを公表したことで生じる結果について自信がなかっ た。彼は、友人で、下院議員のうちで少数の平和主義者のH.B.ず一ス=
スミス(Lees−Smith,自由党、ノーサンプトン州選出)5に接触している。
下院における質疑にかかっているからである。また、オトリーンの夫で下
院議員のフィリップも、また、協力してくれることを期待している。サスー ンは決心した。ラッセルは、原稿をメイネルに送り、発表された。
この件についての下院での質疑は『タイムズ』 (1917年7月31日)によ ると次のようである。リース=スミスは、サスーンが自分を訪問して、上 官あてに書いた手紙を渡したと言って、すでに引用した、「宣言」の全文 を読みあげて、これを発表したあと、サスーンが、医務局に呼ばれ、精神 障害によるものとして病院に強制的に入院させられたが、自分の判断する
ところ、精神障害は事実と異なるとする。
彼(リース=スミス)が読んだ書簡は、それに賛成できないにしても、
書き手が精神障害を受けていることを示すものは何ひとつない。下院議 員の多くが知っているこの若い士官(サスーン)は彼(リース=スミス)
の印象では、異常な精神力と稀にみる決断力の持ち主である。医務局の 決定は、健康上の理由ではなくて、ほかの手段を取った場合に生じるで あろう世評を避ける一番簡単な方法に基づくものである。
ここで報じられているように述べたあと、リース=スミスは、19ユ7年7 月28日に起きた平和集会を制服の軍人が妨害したことに触れて、戦争中ずっ
と、このような集会が妨害されてきたと述べ、もし陸軍省次官が、軍人に 賜暇を与えるなら、集会の主催者は、2時間で、95パーセント軍人からな る、集会の支持者を集められるだろうと述べ、いかに軍人が、平和を求め るいるかを訴えている。これに対して、陸軍省次官(マクファーソン)が答 弁している。
軍律は破れた。しかし、処罰は行われなかった。なぜならば、医務局 ひ
は、彼(サスーン)は精神障害のためだから、免責されると報告したから である。軍当局は、当該書簡を読んだとき、前線で功績のあった、この 上なく勇敢な士官に何か問題が起きたと感じた。このような状態で書か
れた書類について議員は云々することをためらうだろうと思う。また、
議i員による懲罰はその士官の友人たちに感謝されないだろうと思う。
(拍手)
医務局に送った件については、リース=:スミスは、すべて軍当局の指示 によるもののように述べ、次官もその点については、同じようであるが、
別の見方もある。精神障害にせいにしたのは、前述したようにロバート・
グレーヴズだという見方である。
サスーンは、「宣言」の切り抜きを、友人で同じ連隊にいたグレーヴズ に送った。グレーヴズの反応は、ラッセルと違っていた。彼は、サスーン が利用されていると考えた。すぐに、サスーンを医療局に回して、軍法会 議で審判されることを避けようとした。しぶるサスーンに対して、もし、
それを拒否すれば、上官の命令で、精神病院に入れるとまで言った。グレー ヴズはある友人に次のように報じている。
詩人のジーグフリード・サスーンは、フランス戦線で勇敢に戦い負傷 したあと、(今、認定され、公的に)精神障害と診断されたとき、平和 運動家のバートランド・ラッセルとリース=スミスに利用されているこ
とを聞いていると思います。彼は、これ以上軍務を遂行することを拒否 する旨、上官に抗議の手紙を書きました。ごたごたがありましたが、私 が、角が立たないようにして、医務局に精神障害と認定してもらい、平 和運動家に、目論みはあてが外れたと書いてやりました。6
グレーヴズは、ラッセルに手紙を書き、サスーンから手を引くように要 請した。
サスーンは医務局の指示を受け入れざるを得ない状況になっており、精 神障害があるとして、地方のある場所に送られました。だれも分かるよ
うに、それが事実なのです。医務局の友人たちの診断は決定的です。彼 の意見は変化していませんが、あなたが、(あなたの主義のために、彼 に対して)することは何もないのです。(アラスにおける戦闘のあとで)
どのような健康状態にあるか知りながら、彼の行為を許す、あなたの無 分別を強く非難いたします。7
この結果、サスーンはエディンバラの陸軍病院に入ることになり、 『再 生』 は、始まる。
このあと、サスーンは、戦争反対を変えるわけではないが、ふたたび戦 場に戻っていく。せめて、戦友と苦しみを共にしたいのである。それは、
作品に書かれている通りであり、死んだ戦友の亡霊に悩まされて、居残る ことはできない。
4
ラッセルには、協力者として、オトリーン・モレルがいた。オトリーン は、自由党の下院議員フィリップ・モレルの妻であり、当時、オックスフォー ド州のガーシントン村の広大な邸宅に住み、そこで兵役忌避者を保護iした。
オトリーンは、パーカーの作品に実名で登場する。オトリーンが、サスー ンを知るのは、作品の時点よりすこし前である。1916年の1月、オトリー ンは『タイムズ』 紙上で、S.S.と署名された、「勝利の女神へ/前線の一 兵卒のよめる」という1編の詩を読んで深い感銘を受けた。8
私のところへもどってこい、かつて私の喜びであった色どもよ。
殺された兵士の悲しみの色ではなくて、
庭園のように輝いて、
雨のあとの夜明けと夕暮れの流れる旗とともに。9
これは、草の生えてない大地の錘壕戦のなかで、咲き誇る花花へのあこ がれをうたったものである。
オトリーンは、『タイムズ』 に手紙を書き、作者がサスーンであり、
実際は、兵卒ではなくて士官であることまで知る。そのあと彼女は、サスー ンに手紙を書き、返事をもらうのである。fgl6年8月、帰国したサスーン は、ガーシントン邸にオトリーンを訪問し、ここではじめて二人は会った。
また1917年6月、サスーンは、ふたたびガーシントン邸を訪問した。そし て、戦争にたいする憤愚をぶちまけて、「兵士たちは、殺されるか、片輪 にされる」と言い、軍当局に抗議すると言った。このあと、「一兵士の宣 言」が書かれた。
陸軍神病院に入っているサスーンを訪問するために、オトリーンは、19 17年ll月9日に自宅を出てエディンンバラに向かった。そして病院でサスー ンに会い食事した。他方、作品の方では、サスーンは、モレルに面会でき なことになっている。その理由は、サスーンが、徴兵拒否運動と結びつく ことを当局が恐れて、許可しないからである。
また、偶然であるが、詩人、ウイルフレッド・オウエン(Wilfred Owen,
1893一ユ918)が登場する。たまたま、オウエンは、参戦し、病気で陸軍病 院に入院しているとき、同じ病院にサスーンが入院したのである。この辺 の事情は、友人の詩人、ブランデンの回想に現れている。
クレイグロックハートで、彼は、病院で積極的に活動した。音楽会で 演奏し、講義し、雑誌、Hydrαを編集していた。8月のはじめにジー
グフリード・サスーン大尉が到着した。彼は、すでにこの詩人の『老い たる狩人』を読んでいた。「サスーンの錘壕生活の描写に比べられるも のはこれまでなかったし、これからもないだろう」ある日、彼は、思い 切って、彼の尊敬する詩人の部屋のドアを叩き、自作の詩を示した。称 賛を受けたものもあり、また批判されたものもあった。ユ゜
オウエンは、サスーンから、測り知れないほど、詩について学ぶが、病 が癒えるとまた戦場にもどって行く。フランス語が出来たので現地の女性 たちと仲がよくなりすぎたという理由で軍法会議にかけられたこともあっ たが、休戦のわずか1週間前、前線で戦死した。
彼(プライアー、後出)はオウエンが戦死するのを見た。彼の体は銃弾 のため地上から投げ上げられ、空中をゆっくりと弧を描き落ちてきた。
永久に落ちないのではないかと思われた。(『亡霊の道』273)
5
プライアー(Prior)という戦傷で帰国して、サスーンと同じ陸軍病院に 入院している架空の人物が、第1作から設定されて、とくに第2部におい ては重要な役割を果たす。実在の人物では事件を起こすには限界がある。
実在の人物は事実にしたがって働かせ、それに架空の人物を交ぜる。実在 の人物については、事実を曲げることはできないので、事実に即して書く 一方では、架空の人物においては、自由な解釈を与えている。前述したよ
うに、オウエンの戦死の様を見るのも、プライアーである。
ラッセルとモレルたちは徴兵反対、反戦運動を展開したが、それとまた 違って労働組合系の反戦運動家として、ローバー(Roper)夫人が登場す
る。毒を塗った吹矢で首相を暗殺しようとしたかどで逮捕された。証拠不 十分だが、スパイの証言だけで有罪になる。スパイのひとりがスプラッグ
(Spragge)である。プライアーは、かつて、ローバー夫人の世話になった ことがあったので、軍需省に勤めるようになると、裁判の記録を調べ、
彼女と接触し、事情を聞き、釈放の運動をする。
ローバー夫人とその事件は、もとになる事件があり、大体、それをもと にしているとう.。(『ドアの目』278)それによると、1917年「毒薬事件」
というものがあった。それはダービー州の裏町に住む古着商人のAlice
Wheeldonという女性が、ロイド・ジョージ、アーサー・ヘンダソンなど を毒殺しようとした。ロイド・ジョージの場合は、クラーレ毒を塗った吹 き矢で殺そうとした。裁判の記録が残っているが、それは、逃走する絶対 平和主義運動家と、それを追う軍需省のスパイの様子を明らかにしている
という。
裁判では、夫人は、毒は番犬を殺すためであったと主張した。スパイの 証言を基にして有罪となり、10年の強制労働の判決であった。戦後、釈放 されたが、刑務所での栄養不足、重労働、繰り返されたハンストによって 衰弱して、1919年に死亡した。この事件をモデルにしてローバー夫人が描 かれた。プライアーは、軍需省に職を得て、夫人に関する記録を読むこと ができ、夫人の冤罪を証明して、釈放する運動をするが、彼を、スパイの スプラッグは嗅ぎまわる。このあたりは、推理小説のようなサスペンスが
ある。
皮肉なことに平和運動家たちを裏切ったのは、プライアー自身なのであ る。信じがたいのであるが、 プライアーは戦傷による記憶喪失にかかっ ており、自分が平和運動家を裏切って、自分が知りえた、反体制の指導者 の隠れ場所を、夢遊病にかかっているような状態で教えてしまう。その結 果、指導者は警察に逮捕されてしまう。裏切り者としてつばを吐きかけら れても、その理由が分からない。彼も戦争の犠牲者のひとりといえよう。
6
『ドアの目』 の4章で、軍需工場側のスパイ、スプラッグについて詳 しい説明がある。裁判における供述書によれば、彼は、労働党と徴兵反対 同盟の反戦運動をさぐる任務を負.っている。19ユ6年の10月から12月にかけ て、軍需工場におけるストライキの指導者であったPatrick MacDowell を探偵した。軍需工場のストライキは戦争遂行にとって重大な妨害になる のである。戦争中の労働者のストライキというのは、ちょっと考えにくい
のであるが、これも事実に近い。
『タイムズ』 は、1917年7月7日の「ストライキによる軍需品の損失」
という見出しの記事で、前日の軍需省政務次官のマンチェスターにおける 労働者の集会での戦争協力をアピールする講演の内容を伝えている。この 集会への出席は、労働組合員証の提示が必要である。ということは、労働 者の集会であるという意味であるが、多数が出席したと『タイムズ』は伝
えている。
政務次官は、ストライキをせずに、軍需品の生産をあげてほしいと次の ように述べている。
最近のストライキは、銃の生産と修理を遅延させた。ストライキが行わ れなかったならば今日は、銃は数百丁多かったであろう。この損失を補 填することはできないであろう。どのように緊急度が高くても、敵に掌 捕されたとまったく同じように、銃は損失されたのである。航空機につ いても同じである。生産高が減少し、その分だけ弱体化した。銃、航空 機、自動車、戦車一そのすべを大量に一前線一帯に多量に集中するこ
とが依然として要求されている。
この演説の記事の下の段には「マンチェスターのストライキ回避」と いう見出しで、マンチェスターの交通労働組合が、賃上げ要求のストライ キを中止したとある。けれども投票の結果は、ストライキ賛成は967票、
反対は687票である。ストを実行するには、票数は不足するというものの、
スト賛成は多数なのである。戦争にたいする労働組合の考え方がよく出て いる。徴兵制度にたいしても労働組合は一貫して反対してきた。政府も頭 を悩まし、指導者を逮捕するために、スパイを送りこむのもうなずける。
プライアーという架空の人物の生活は、反戦運動と密接にかかわってい るが、同時に、.彼の私生活が多く描かれていることに注意しなければなら ない。言葉を換えれば、プライアーの性的経験が、かなり描かれている。
現代文学において、性的生活が多く描かれることと軌を一にしていると言っ てよいだろう。
セアラ(Sarah)という女性との性的交渉はかなり露骨に描かれている。
刺激的に書かないと、読者が喜ばないと考えているかのようである。他方、
同性愛も露骨に描かれている。次の場面は、ひざの負傷で入院してベッド にいる兵士、マニング(Manning)とプライアーが,同性愛関係を結ぶ直 前の描写である。同性愛は1967以来、法律上での規制がゆるんだことによっ て、現代イギリス小説では、あからさまに描かれているが、その1例と言 うことができる。
Prior straightened up, and, since he was in the neighbourhood,
began to rub his face across the hair in Manning s groin. Manning s cock stirred and rose and Prior took it into his mouth, even then,
for a long time, he simply played, flicking his tongue round and round the glistening dome. Manning s thighs tautened。(The ENe in
オんθヱ)oor,13)
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前線の悲惨さの場面は当然ある。墓が爆撃され墓穴から死者が飛び出し てくる場面はその例であるが、ただ、この作家は、場面をできるだけ内地 に絞り、傷病兵の悲惨さを描くことで、戦争の残酷さを表現しようとして いる。一番印象的なのは、 『亡霊の道』 の最後の章の一場面である。
戦傷で頭蓋骨破損してる瀕死の兵士、ハレット(Hallet)を父親のハレッ ト少佐と母親が見舞う場面がある。瀕死の兵士は何かうめいている。父親 にはそれが聞きとれない。
「何と言っているんだ?」ハレット少佐が聞いた。
リヴァーズは、「分からない」と言おうとして口を開いたが、分かる ことに気がついた。
「息子さんこう言っている。 『値いしない』 と」
「値いする、ね」ハレット少佐は、息子の腕を握りしめて言った。少 佐は苦しんでいた。自分で何を言っているのか分からなかった。
「アアイシナ」
話さなかったように、叫びはまた起こった。今や、ほかの患者たちは 落ち着きを失っていた。叫びに反応してざわめきが起こった。叫びに抗 議するものではなくて、損傷した脳と垂れ下がった口からもれる言葉に
ならぬうめきを支持するものであった。
「アアイシナ、アアイシナ」 (『亡霊の道』 274)
「アアイシナ」と訳したのは、Shotvarfetという意味不明の音声である。
それを、リヴァーズは、It s not worth it.(値いしない)と解釈した。
「戦争は生命を捨てるに値いしない」の意味である。これが作者がこの作 品に与えた結論である。
8
作品を読み、当然、戦争の悲惨が描かれていることは予想できたが、予 想外だったのは、陸軍病院の医師リヴァーズの存在である。 彼は、心理 学者、精神科医で、戦時病院で、精神異常を起こした兵士たちの治療にあ たっている。shel1−shock(戦争神経症)(『再生』4)とよばれるものの罹 病者が多く、その治療に当たっている。この作品では、肉体的戦傷という よりも精神障害にかかっている兵士が多く描かれており、リヴァーズの働
きは重要になる。
この戦争という狂気のなかにあって、リヴァーズ医師は冷静に行動レて
いる。医者だから当然かも知れぬが、冷静で、完治しない戦病者を簡単に は戦地に帰さない。プライアーも、はやく戦場に帰りたいといっても許可 しない。おそらく、リヴァーズは戦争全体を愚挙と考えていたのであろう が、そのことは公言しない。ただ、戦傷者を治癒することに全力をあげて
いる。
3部作の最初の作の題名Regenerationは「再生」の意味であり、戦傷 者を治癒する意味である。ところが、これには、大きな皮肉がこめられて いる。医者が完全に直せば、ふつうなら幸福な生活につながるのであるが、
この場合は違う。戦場に戻ることを意味している。「再生」は、生きるこ とではなくて、死ぬことを暗に指しているのである。だから、リヴァーズ のやっていることは本質的には空しい。しかし、リヴァーズは、狂気の世 界に静かな一点をつくっており、理想的な人物として描かれている。
彼は人類学者であり、かつて南太平洋の島Eddystoneを研究調査した。
第3作、 『亡霊の道』 には、リヴァーズがその島のことを思いだす場面が ある。しかし彼は戦争のため、調査の結果をまとめる余裕がなかった。彼 のノートは、現在、ケンブリッジ大学図書館にあると作者は注記している。
ある意味でリヴァーズも戦争の犠牲者であった。
彼は、精神障害の原因を次のように診断している。
戦争精神障害発生の要因は、しばしば、上の階級の人々にたいする嫌悪 と不信の表現の抑圧の必要によるのである。(『ドアの目』257)
ここに戦争の指導者にたいする批判が含まれていることは明らかである。
9
1995年度のブッカー賞の受賞作を取り上げてみた。第1次大戦という80 年前のすでに過去に属する戦争が、これほどの注目されていることに驚き
を感じる。まさに戦争は過去になっていないのである。平和な時代から見 ると異常な世界である。戦争の悲惨は終わっていない。イギリス人の多く がそう考えていることは、パーカーの3部作の受賞で証明されるだろう。
狂気の世界にあって正気な人間の存在は、唯一の救いである。リヴァーズ の存在は、その点で光る。しかし、個人の努力には限界がある。戦傷者を 治療しても、それは将来生きるためではなくて、戦場と死にもどすためと いう皮肉も併せて考える必要がある。
注
lRegeneration(『再生』として表す)p.3パーカーの作品からの引用 は、作品名とページ数でしめす。The Eye in the Doorは、 『ドアの目』
The Ghost Roαdは、 『亡霊の道』と示す。
2 第一次大戦については、拙論、「Kangαroo Nightmare の時代 背景」『英学論考』(東京学芸大学)25号、1994年2月参考。
3 Bertrand Russe11:Autobiograρhy に詳しい。
4 The Life of Bertrαnd Russell による。
5 『タイムズ』 は、Lees Smithと表記している。
6 The Life oノ゜Bert rαnd Russell,402)
7 1bid.,403−4。
8 0ttolineαt Garsington, P.90.
9 Sassoon: Collected Poems,pp.13−4.
10The Collected Poems of VVilfred Oωen, p.168.
参 考 文 献
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