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密教文化 Vol. 1996 No. 193 001米田 弘仁「『聾瞽指帰』『三教指帰』研究の現状と諸問題 P1-34」

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﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題 米 田 弘 仁 緒 言 空 海 に 関 す る 研 究 論 文 は き わ め て 多 い。 こ れ は、 空 海 の 請 来 し た 密 教 の 思 想、 儀 礼、 あ る い は 社 会 活 動 が、 日 本 の 仏 教 界、 お よ び 文 化 史 上 に 与 え た 影 響 の 大 き さ を 示 し て い る。 空 海 の 研 究 は、 思 想、 伝 記 の 解 明 を 目 指 し た も の が 大 部 分 を 占 め て い る。 し か し な が ら そ の 研 究 領 域 は、 密 教 や 仏 教 に 関 す る も の だ け で は な い。 空 海 は 日 本 を 代 表 す る 能 書 家 で あ り、 ﹃笈 隷 万 象 名 義 ﹄ ﹃文 鏡 秘 府 論 ﹄ と い っ た 字 書、 文 学 理 論 書 も 撰 述 し た こ と か ら 幅 広 い 分 野 で 研 究 さ れ て い る。 本 稿 で 取 り 上 げ る ﹃聾 瞥 指 帰 ﹂ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ ( 以 下、 こ れ ら 二 つ を 併 記 し て 両 ﹃ 指 帰 ﹄ と 略 称 す る こ と も あ る ) も そ の 例 外 で は な く、 漢 文 学、 国 語 ・ 国 文 学、 書 道 史 の 分 野 に お い て も 注 目 さ れ、 数 多 く の 論 考 が 発 表 さ れ て い る。 (1) 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 研 究 論 文 は 筆 者 が 探 し 得 た も の だ け で も 百 六 十 点 み ら れ る。 先 行 研 究 が こ こ ま で 増 加 し て し ま う と、 収 集 や 参 照、 活 用 は き わ め て 困 難 で あ る。 と は い え こ れ ら の 論 文 に は、 単 な る 紹 介 に 過 ぎ な い も の や 重 複 し た 内 容 の ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ﹃三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 も の も 少 な く な く、 必 ず し も す べ て が 必 要 と は い え な い。 そ こ で 本 稿 で は、 は じ め に 現 時 点 に お け る 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 諸 研 究 に 取 り 上 げ ら れ た 問 題 を 分 類 し て、 こ れ ま で に い か な る 考 察 が 試 み ら れ て い る の か を 概 観 し、 次 い で 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 根 幹 と な る 成 立 の 問 題 に 焦 点 を 当 て て 考 察 し て い き た い。 一、 問 題 点 の 分 類 と そ の 概 説 (2) ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 関 す る 先 行 研 究 が 扱 っ て い る 問 題 点 を 大 別 す る と、 次 の 五 つ に 分 け ら れ る。 1、 成 立 に 関 す る も の 2、 思 想 に 関 す る も の 3、 文 体 に 関 す る も の 4、 書 法 に 関 す る も の 5、 写 本 ・ 注 釈 書 に 関 す る も の こ の な か、 1 と 5 の 問 題 を 扱 っ た 論 文 は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 両 書 が 研 究 の 対 象 と さ れ て い る。 し か し、 2と3に 関 し て は、 ど ち ら か と い え ば ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ を 対 象 と す る 論 文 が 多 く、 4 に 関 し て は ﹃ 聾 替 指 帰 ﹂ が 研 究 の 対 象 と さ れ て い る。 す な わ ち、 思 想、 文 体 と い っ た 内 容 面 を 取 り 扱 う 場 合、 多 く は ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ が 用 い ら れ て い る。 こ (3) の こ と は、 明 治 四 十 三 年 刊 行 の 祖 風 宣 揚 会 編 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 以 前 に は、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹂ が 容 易 に 閲 覧 で き な か っ た こ と も 関 係 し て い よ う が、 第 一 の 理 由 は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ は 草 稿 本、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ は 改 訂 本、 と す る 宗 学 者 の 説 を、 近 年 の

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(4) 学 者 も 継 承 し て き た こ と に よ る。 つ ま り、 内 容 に お い て は ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ よ り ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 方 が よ り 完 成 度 の 高 い も (5) (6) の と し て 評 価 さ れ て き た の で あ る。 し か し、 第 二 次 大 戦 後、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ の 写 真 版 や 活 字 本 が 普 及 し た こ と に よ っ て、 ﹃ 聾 警 指 帰 ﹄ の 内 容 面 も 注 目 さ れ つ つ あ る。 以 下、 さ き に 大 別 し た 五 つ の 分 野 別 に 先 行 研 究 を 概 観 し て お き た い。 1、 成 立 に 関 す る も の 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 成 立 に 関 す る 問 題 は、 古 く は 平 安 期 の 宗 学 者 達 に よ っ て 論 じ ら れ て き た。 彼 ら が 問 題 と し た の は、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ に 記 さ れ て い る 製 作 の 日 付 と ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 伝 記 部 分 に 記 さ れ て い る ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 撰 述 の 記 述 と が 矛 盾 し て い (7) る こ と と、 同 じ 内 容 を も つ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ と ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ と が い か な る 関 係 に あ る の か と い う こ と の 二 つ で あ る。 こ の (8) 二 つ は、 古 来、 宗 学 者 達 が 常 に 問 題 と し て き た と こ ろ で あ る が、 近 年 で は さ ら に、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 真 偽 問 題、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ の 伝 来、 製 作 ・ 改 作 の 動 機 が 論 じ ら れ て い る。 こ れ ら 一 連 の 成 立 に 関 す る 問 題 は、 以 下 に 述 べ る 思 想、 文 体、 書 法、 写 本 ・ 注 釈 書 に 関 す る 諸 問 題 と も 密 接 に 関 連 し て お り、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ を 考 察 す る 上 で 最 も 根 幹 と な る 問 題 と い え よ う。 ま た、 こ の 問 題 は、 古 写 本、 注 釈 書 な ど の 新 資 料 の 発 見 に よ っ て は 新 た な 展 開 を 期 待 す る こ と が で き、 そ の 結 論 は 今 後 も 流 動 的 な も の と 考 え ら れ る。 2、 思 想 に 関 す る も の 思 想 に 関 す る 問 題 に つ い て は 二 つ の 傾 向 が み ら れ る。 一 つ は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ を 他 の 空 海 の 著 作 と 比 較 し て 後 の 空 海 ﹃聾 瞥 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 (9) (10) の 思 想 的 展 開 を 論 じ た も の や、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 忠 孝 思 想 を 取 り 上 げ た も の で あ り、 も う 一 つ は、 山 上 憶 良 の 詩 文 や 奈 良 平 安 期 の 対 策 文、 中 国 の 古 典、 あ る い は ﹃ 広 弘 明 集 ﹄ 等 に み ら れ る 中 国 三 教 論 争 の 文 献 と 比 較 し、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の (11) 背 景 を な す 思 想 を 論 じ た も の で あ る。 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 駐 傭 体 で 書 か れ て い る。 す な わ ち、 対 句 が 多 用 さ れ、 用 語 も 古 典 の 修 辞 的 な 語 句 が 多 く 用 い ら れ て い る。 そ の た め、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 本 文 の 読 解、 さ ら に は そ こ か ら 思 想 を 読 み 取 る こ と が 困 難 な 文 献 な の で あ る。 そ こ で、 本 文 の 内 容 を 正 確 に 把 握 せ ん と し て、 中 国 の 古 典 や 仏 教 関 係 の 文 献 と 比 較 し、 典 故 を 探 し 出 す 研 究 が 少 な か ら ず 蓄 積 さ れ て き た。 さ ら に、 こ の 典 故 を 探 し 出 す 作 業 は、 空 海 の 読 書 範 囲 を 知 る こ と に も つ な が る の で、 典 故 の 考 察 か (12) ら 成 立 の 問 題 に 論 を 進 め た 研 究 も 多 い。 (13) ま た、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 密 教 色 の 薄 い 著 作 で あ る が、 積 極 的 に 密 教 思 想 を 見 い だ そ う と す る 研 究 も あ る。 3、 文 体 に 関 す る も の 文 体 に 関 す る 研 究 は、 さ き の 思 想 に 関 す る 研 究 に 同 じ く、 ﹃ 文 鏡 秘 府 論 ﹂ や 対 策 文、 中 国 の 古 典 と の 比 較 研 究 が 多 い。 た だ し、 こ れ ら の 研 究 は、 空 海 の 文 体 を 解 明 す る に 留 ま ら ず、 比 較 研 究 に よ る 結 論 を、 成 立 問 題、 真 偽 問 題 に 移 行 し、 ﹃ 聾 警 指 帰 ﹄ や ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 文 章 が 入 唐 前 か 入 唐 後 か、 あ る い は 空 海 在 世 中 か 示 寂 後 か、 と い う 問 題 に ま で (14) 発 展 さ せ た も の が 少 な く な い。 4、 書 法 に 関 す る も の

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こ の 問 題 は、 空 海 真 筆 と 伝 え ら れ る ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ を 主 た る 対 象 と す る も の で あ る。 従 来 で は、 空 海 の 筆 跡 と 王 義 之 (15) 等 の 能 書 家 の そ れ と を 比 較 し、 空 海 の 学 ん だ 書 風 を 探 す 研 究 が 主 流 で あ っ た。 し か る に、 近 年、 春 名 好 重 氏 に よ っ て (16) 空 海 真 筆 が 疑 わ れ て か ら は、 そ の 主 題 が 真 筆、 別 筆 の 考 察 に 集 中 し て い る。 ま た、 真 筆 別 筆 の 問 題 に 関 連 し て、 ﹃ 聾 (17) 啓 指 帰 ﹄ の 書 誌 学 的 研 究 も 発 表 さ れ て い る。 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ が 空 海 真 筆 で な く な れ ば、 そ れ は 写 本 と い う こ と に な る。 現 存 す る の は 金 剛 峯 寺 所 蔵 の 一 本 の み で あ る か ら、 そ れ が ど の よ う な 経 路 で 金 剛 峯 寺 に 伝 え ら れ た の か、 と い う 伝 来 の 問 題 と 同 時 に 真 筆 別 筆 の 問 題 は 考 察 さ れ (18) る べ き で あ ろ う。 5、 写 本 ・ 注 釈 書 に 関 す る も の 写 本 ・ 注 釈 書 に 関 し て は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 原 初 形 態 が い か な る も の で あ っ た か を 推 考 す る 作 業 を 試 み た も の と、 国 語 史、 抄 物 史 の 解 明 を 試 み た も の と に 大 別 さ れ る。 ま ず、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 原 初 形 態 を 推 考 す る 作 業 と は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ や ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 古 写 本、 あ る い は 注 釈 書 に 引 か (19) れ て い る ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 本 文 を 比 較 し て、 現 行 の ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 定 着 す る ま で の 変 遷 過 程 を 考 察 し た 研 究 で あ る。 従 (20) 来、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ と は、 ﹁ 序 文 ﹂ と 末 尾 の ﹁ 十 韻 詩 ﹂ と の み 異 な り、 ﹁ 本 文 ﹂ に 関 し て は ﹁ 大 同 小 異 ﹂ と 判 断 さ れ て い た。 し か し、 諸 写 本 の 綿 密 な 校 合 を 試 み た 太 田 次 男 博 士 の 論 考 に よ る と、 諸 写 本 の ﹁ 本 文 ﹂ に は 各 々 少 な か ら ざ る 異 同 が 認 め ら れ、 し か も、 古 い 写 本 の ﹁ 本 文 ﹂ は、 現 行 の ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ よ り も 比 較 的 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ に 近 (21) い 形 態 を 備 え て い る こ と が 発 表 さ れ て い る。 こ の こ と は、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ か ら ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ が 作 ら れ た こ と を 証 明 す る ﹃聾 替 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 (22) 根 拠 に も な り 得 る こ と か ら、 成 立 の 問 題 に 関 わ る 重 要 な 研 究 で あ る。 ま た、 現 存 最 古 の ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 写 本 は、 天 理 図 (23) (24) 書 館 蔵 仁 平 四 年 ( 一 一 五四)の 書 写 本 で あ る が、 注 釈 書 の 中 に は、 こ れ 以 前 に 成 立 し た も の も 存 す る た め、 単 に 注 釈 (25) と し て だ け で な く 一 写 本 と し て 扱 っ て い る 研 究 も 少 な く な い。 次 に、 国 語 史、 抄 物 史 の 解 明 を 試 み た 研 究 で あ る。 こ れ は、 訓 点、 語 彙、 表 現 方 法、 注 釈 形 式 な ど の 特 徴 や 性 質 を 明 ら か に す る こ と に よ っ て、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 写 本 や 注 釈 書 が、 国 語 史、 抄 物 史 上 に お い て ど の よ う な 位 置 を 占 め、 い (26) か な る 役 割 を 果 た し て き た か を 考 察 し た も の で あ る。 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 注 釈 書 に は、 能 文 家 と し て 著 名 な 藤 原 敦 光 ( 一 (27) (28) 〇 六 二 -二 四 四 )の も の や、 仮 名 交 じ り で 書 か れ た も の も 存 す る の で、 こ の 分 野 に お い て は 貴 重 な 資 料 と な っ て い る。 以 上、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ に 関 す る 先 行 研 究 を 概 観 し た。 次 に、 こ れ ら 先 学 の 研 究 を 踏 ま え て、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ に 関 す る 問 題 の 根 幹 を な す、 成 立 の 問 題 に 焦 点 を 当 て て 考 察 す る こ と に し よ う。 二、 製 作 年 代 の 諸 説 さ き に 分 類、 整 理 し た 五 つ の 分 野 は、 こ と ご と く 成 立 問 題 と 密 接 な 関 係 を も つ こ と が 明 ら か に な っ た。 そ こ で、 一 (29) 連 の 成 立 問 題 を 考 察 し て い く 前 に、 製 作 年 代 に つ い て の 従 来 の 説 を み て お き た い。 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 製 作 年 代 に 関 す る 先 学 の 見 解 を、 発 表 さ れ た 順 に 列 挙 す る と 次 の 八 つ と な る。 1、 二 十 四 歳 製 作 説

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2、 十 八 歳 も し く は 十 九 歳 製 作 説 3、 十 八 歳 草 稿 ・ 二 十 四 歳 改 作 説 4、 十 八 歳 構 想 ・ 二 十 四 歳 執 筆 説 5、 広 略 両 本 説 6、 二 十 四 歳 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ ・ 帰 朝 後 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 改 作 説 7、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ 後 出 説 8、 二 十 四 歳 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ・ 後 人 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 改 作 説 以 下、 こ れ ら 一 一 の 説 の 提 唱 者 と そ の 根 拠 に つ い て 簡 単 に 記 し て み よ う。 1、 二 十 四 歳 製 作 説 ま ず、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は、 空 海 が 二 十 四 歳 の 時 に 製 作 さ れ た と す る 説 で あ る。 文 献 上、 こ の 二 十 四 歳 説 を 明 記 し た 最 初 の 資 料 は、 済 逞 ( 一 〇 二 五 -一 一 一 五 )の ﹃ 弘 法 大 師 御 入 定 勘 決 記 ﹄ 及 び ﹃ 勘 決 抄 ﹂、 ﹃ 釈 摩 詞 術 論 決 疑 破 難 会 釈 抄 ﹂ (30) で あ る。 済 逞 が こ の 二 十 四 歳 説 を 提 唱 し た 根 拠 は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 序 文 に 記 さ れ て い る ﹁ 時 に 延 暦 十 六 年 騰 月 一 日 な (31) (32) り ﹂ と い う 記 述 と、 同 書 下 巻 に、 仮 名 乞 児 が 自 身 の こ と を ﹁ 未 だ 思 う 所 に 就 か ず、 忽 ち 三 八 の 春 秋 を 経 た り ﹂ と 述 べ て い る 記 述 に あ る。 す な わ ち 済 逞 は、 仮 名 乞 児 に 作 者 空 海 が 投 影 さ れ て い る と 考 え て、 延 暦 十 六 年 (七 九 七 )、 空 海 二 (33) 十 四 歳 時 の 製 作 と み な し た の で あ る。 こ の 製 作 年 時 を 推 定 せ し め る 記 述 は、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ に も 同 様 に 認 あ ら れ る が、 済 逞 は ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ に つ い て 全 く 触 れ て い な い。 済 逞 は ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ の 存 在 を 知 ら な か っ た も の と 思 わ れ る。 ﹃聾 瞥 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 ま た 済 逞 は、 ﹃ 弘 法 大 師 御 入 定 勘 決 記 ﹄ に お い て、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 文 を 引 用 し、 そ の 記 述 が ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 記 述 に 矛 盾 し て い る の で は な い か、 と 疑 問 を 投 げ か け て い る。 そ の ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 文 と は、 然 し て 後、 生 年 十 五 に 及 ん で 入 京 し、 初 め て 石 渕 の 贈 僧 正 大 師 に 逢 い、 大 虚 空 蔵 等 井 び に 能 満 虚 空 蔵 の 法 呂 を 受 け、 心 に 入 れ て 念 持 す。 (中略)恒 に 思 わ く、 我 が 習 う 所 の 上 古 の 俗 教 は、 眼 前 に 都 て 利 弼 無 し。 矧 ん や 一 期 の 後、 此 の 風 已 に 止 み な ん。 真 の 福 田 を 仰 が ん に は し か じ、 藪 に よ っ て 三 教 指 帰 三 巻 を 作 っ て 近 士 と 成 り、 号 を 無 (34) 空 と 称 す。 ( 中 略 )朝 暮 に 俄 悔 す る こ と 二 十 の 年 に 及 べ り ( 原 漢 文、 以 下 同 じ )。 な る 一 文 で あ り、 こ こ で は 十 五 歳 か ら 二 十 歳 の 間 に ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ を 製 作 し た こ と が 記 さ れ て い る。 済 逞 は、 こ の ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 記 述 が ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 年 記 に 矛 盾 す る こ と を 指 摘 し な が ら も、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 記 述 を 強 引 に 解 釈 す る こ と に よ っ (35) て、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ と の 間 に 矛 盾 が な い こ と を 主 張 し て い る。 済 逞 が 試 み た 解 釈 の 正 否 は さ て お き、 済 逞 以 降、 多 く の (36) 宗 学 者 が 中 心 に 扱 っ て き た 問 題 は、 や は り こ の ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 如 何 に 解 釈 す る か、 と い う 問 題 で あ っ た。 2、 十 八 歳 も し く は 十 九 歳 製 作 説 (37) (38) こ れ は、 前 掲 の ﹃ 御 遺 告 ﹄ と、 仁 海 (九 五 一-一 〇 四 六 )作 と 伝 え ら れ る ﹃ 金 剛 峯 寺 建 立 修 行 縁 起 ﹄ ( 以 下、 ﹃ 建 立 修 行 縁 起 ﹄。 九 六 八 年 成 立 ) と に も と つ く 見 解 で あ る。 十 八 歳 説、 十 九 歳 説 と も に 根 拠 と し て い る 文 献 に 相 違 は な い も の と 考 え ら れ る。 そ の ﹃ 建 立 修 行 縁 起 ﹄ で は、 生 年 十 八 に し て 思 惟 す ら く、 吾 が 上 古 よ り 学 ぶ 所 の 俗 典 は、 眼 前 に 都 て 利 弼 無 し。 一 期 の 後、 此 の 風 已 に 止 み な (39) ん。 真 の 福 田 を 仰 が ん に は し か じ。 藪 に よ っ て 三 教 指 帰 三 巻 を 作 っ て、 近 土 と 作 り、 無 空 と 称 す。

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と 記 さ れ て お り、 続 い て 二 十 歳 剃 髪 が 述 べ ら れ て い る。 文 章 は 前 掲 の ﹃御 遺 告 ﹄ と ほ ぼ 同 文 で あ る が、 ﹁ 生 年 十 八 に し て 思 惟 す ら く ﹂ と い う 一 文 の あ る こ と が 異 な っ て い る。 こ の ﹃ 建 立 修 行 縁 起 ﹄ の 記 述 を 承 け た も の か、 同 じ く 仁 海 (40) 作 と 伝 え ら れ る ﹃ 秘 密 家 宗 体 要 文 ﹄ に は、 (41) 十 八 歳 に し て 三 教 指 帰 三 巻 を 作 り、 同 門 に 与 え て 永 く 世 を 厭 い 去 り 了 ん ぬ。 と あ り、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 十 八 歳 の 時 に 製 作 さ れ た こ と が 明 記 さ れ て い る。 ま た、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ を 見 て い た に も か か わ ら ず、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 説 を 採 用 し た 学 者 も い る。 清 寿 ( 九 五 九 -一 〇 一 六 )は、 ﹃ 弘 法 大 師 伝 ﹄ ( 一 〇 〇 二 年 成 立 )の な か で、 大 師 の 智 覚 挺 出 す る こ と 最 も 異 標 有 り。 然 る に 年 代 多 く 遷 り て 覚 り 難 し。 之 れ に 因 っ て 末 支 後 葉 委 し く 注 す る こ と あ た わ ず。 僅 か に 三 教 指 帰、 二 教 論、 請 来 の 表、 遺 告 の 文、 貞 観 和 尚 記、 禅 林 僧 正 伝 を 撮 じ、 或 い は 古 老 の 説、 (42) 或 い は 世 俗 の 知 る 所 等 の 事、 只 一 端 を 録 し て 万 代 に 示 す 而 已。 と 述 べ て い る。 こ の 文 に よ っ て、 清 寿 は 明 ら か に ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ を 見 て い た こ と が 理 解 で き る。 し か し、 同 書 の 伝 記 に (43) お い て は、 十 八 歳 か ら 二 十 歳 の 間 に 前 掲 の ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 引 用 し て お り、 二 十 四 歳 説 は 採 用 し て い な い。 こ れ は、 恐 ら く 清 寿 が ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ よ り ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 重 視 し て 二 十 四 歳 説 を 採 用 し な か っ た た あ と 思 わ れ る が、 清 寿 の 見 た ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ が 現 行 の も の と 異 な っ て い た 可 能 性 も 全 く な く は な い。 (44) 次 に 十 九 歳 説 で あ る。 こ れ は、 心 覚 ( 一 一 一 七-一 一 八〇)の ﹃ 鵡 珠 砂 ﹄ に み ら れ る の が 初 出 で あ る。 心 覚 は、 二 十 四 歳 説 の 根 拠 と な っ て い る ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 記 述 を 引 用 し た 後 に、 ﹁ 私 に 云 く、 御 遺 告 に は 二 十 歳 以 前 に 造 る と 見 え た り。 云 何 之 を 会 す 可 き や ﹂ と 述 べ て、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 記 述 と の 間 に 齪 齪 が み ら れ る こ と を 問 題 視 し て い る。 そ し て 心 覚 ﹃聾 嘗 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 は、 ﹁ 或 説 に 云 く、 生 年 十 九 に し て 三 教 指 帰 を 造 る と 云 々 ﹂ な る 一 文 を 引 用 す る。 こ の ﹁ 或 説 ﹂ が 誰 の 説 か は 詳 ら か に し 得 な い け れ ど も、 と も か く ﹁ 或 説 ﹂ 説 者 は、 十 八 歳 か ら 二 十 歳 の 間 に ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ が 製 作 さ れ た こ と を 記 す ﹃ 建 立 修 行 縁 起 ﹄ の 記 述 を 承 け て 十 九 歳 説 を 主 張 し た も の と 考 え ら れ る。 こ れ ら 十 八、 十 九 歳 説 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ と、 そ れ に 類 似 し た 内 容 の ﹃ 建 立 修 行 縁 起 ﹄ に も と つ い て い る。 し か し、 十 (45) 八、 十 九 歳 説 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ 偽 作 説 の 定 説 化 と と も に 信 愚 性 は 低 下 し、 近 年 の 研 究 者 か ら は 全 く 支 持 さ れ て い な い。 3、 十 八 歳 ( 十 九 歳 ) 草 稿 ・ 二 十 四 歳 改 作 説 二 十 四 歳 説 は ﹃ 三 教 指 帰 ﹄、 十 八 歳 ( 十 九 歳 ) 説 は ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 根 拠 と し て い る。 こ の 相 矛 盾 し た 両 説 を 折 衷 し た の が、 十 八 歳 (十 九 歳 ) 草 稿 ・ 二 十 四 歳 改 作 説、 い わ ゆ る 再 治 ・ 未 再 治 説 で あ る。 再 治 ・ 未 再 治 説 も、 心 覚 の ﹃ 鵡 珠 砂 ﹄ が 初 出 で あ る。 心 覚 は、 前 掲 の 十 九 歳 説 を 主 張 す る ﹁ 或 説 ﹂ を 引 用 し た 次 に、 同 じ く 説 者 不 明 の、 (46) 或 る 説 に 云 く、 三 教 指 帰 に 未 再 治 本 有 り。 題 に 聾 瞥 指 帰 と 云 へ り 云 々 彼 の 本 の 序 の 年 号、 之 れ を 尋 ぬ 可 し。 な る ﹁ 或 説 ﹂ を 引 用 す る。 こ こ で は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ と い う 題 名 の 未 再 治 本 が あ っ た こ と が 記 さ れ て い る。 こ の ﹁ 或 説 ﹂ 所 説 の ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ に つ い て 心 覚 は、 ﹁ 彼 の 本 の 序 の 年 号、 之 れ を 尋 ぬ べ し ﹂ と 述 べ て、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ の 年 記 が ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ と 同 日 で あ る の か 確 認 す る こ と を 読 者 に 委 ね て い る。 こ れ は、 未 再 治 本 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ が、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 記 述 を 裏 付 け る 存 在 と な る こ と を 期 待 す る 心 覚 の 言 葉 で あ る。 ま た、 ほ ぼ 同 時 期 に 成 立 ( 一 一 六 一-一 一 七 二 (47) 成 立 ) し た 覚 明 の ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹄ ( 以 下、 ﹃ 覚 明 注 ﹄ )で は、 未 再 治 本 の 存 在 を 説 く ﹁ 心 覚 阿 閣 梨 記 ﹂ ( ﹃ 鵡 珠 砂 ﹄ の 文

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(48) と は 異 な る ) を 引 用 し て、 ﹁ 御 童 形 の 時 御 草 案、 二 十 四 歳 に し て 御 再 治 か ﹂ と 述 べ て い 6。 心 覚 以 降 の 宗 学 者 は、 こ の ﹃ 鵡 珠 砂 ﹄ と ﹃ 覚 明 注 ﹄ を 盛 ん に 引 用 し て、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ は 十 八 歳 の 時 に 製 作 さ れ た 未 再 治 本、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 二 十 (49) 四 歳 の 時 に 製 作 さ れ た 再 治 本、 と み な す 見 解 を 述 べ て い る。 こ の 再 治 ・ 未 再 治 説 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 偽 作 説 が 定 説 化 す る ま で、 宗 学 者 の 間 で 最 も 有 力 な 説 と し て 信 じ ら れ て き た の で あ っ た。 4、 十 八 歳 構 想 ・ 二 十 四 歳 執 筆 説 前 述 の 十 八 歳 草 稿 ・ 二 十 四 歳 改 作 説 は、 宗 学 者 の 間 で 最 も 支 持 さ れ た 説 で あ る が、 こ の 説 に 疑 い を 示 し た 見 解 も な く は な い。 頼 喩 ( 一 二 二 六-一 三 〇 四 )は ﹃ 御 遺 告 釈 疑 抄 ﹂ に お い て、 真 済 の ﹃ 性 霊 集 ﹄ 序 に あ る 次 の 文 を 引 用 し て い 50 る。 夫 れ 其 の 詩 賦 哀 讃 の 作、 碑 諦 表 書 の 制、 遇 う 所 に し て 作 り、 草 案 を 仮 ら ず。 綾 に 了 る に 競 い 把 ら ざ れ ば、 再 び 之 (51) れ を 看 る に 由 無 し。 真 済 は、 師 の 空 海 が 文 を 作 成 す る と き は 草 案 を 書 く こ と が な か っ た、 と 述 べ て い る。 頼 喩 は こ の 文 を も っ て、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 草 稿 本 は な か っ た の で は な い か、 と 疑 問 を 提 示 し た の で あ る。 頼 喩 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 十 八 歳 製 作 説 は 製 作 を 志 し た 時 期 に 約 し た 記 述 で あ り、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 二 十 四 歳 製 作 説 は 正 し く 製 作 の 日 付 を 記 し た も の、 と 解 釈 し た の (52) で あ る。 こ の 説 は、 成 雄 ( 一 三 八 一-一四五一)の ﹃ 御 遺 告 伝 授 頭 書 砂 ﹄、 得 仁 ( 一 七 七 一 -一 八 四三)の ﹃ 弘 法 大 師 年 (53) 譜 ﹄ に も あ げ ら れ て い る。 ﹃聾 嘗 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 5、 広 略 両 本 説 頼 喩 は 再 治 ・ 未 再 治 説 が 真 済 の ﹃ 性 霊 集 ﹄ 序 の 記 述 に 反 す る と 考 え、 十 八 歳 構 想 ・ 二 十 四 歳 執 筆 説 を 提 唱 し た。 し か し、 こ の 頼 喩 の 説 は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 異 本 で あ る ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ を 考 慮 に 入 れ た も の で は な い。 頼 喩 は こ の 過 失 を 補 う た め か、 ﹁ 愚 推 に 云 く、 此 の 記 ( 11前 掲 の ﹃ 鵡 珠 砂 ﹄ を 指 す、 筆 者 注 ) の 如 き は、 指 帰 に 広 略 先 後 の 両 本 あ る か。 (54) 然 し て 御 所 造 の 年 記、 其 の 相 違 更 に 失 あ る べ か ら ざ る や ﹂ と 述 べ て い る。 頼 喩 は 両 ﹃ 指 帰 ﹄ が 広 本 と 略 本 の 関 係 に あ る の で は な い か と 推 察 し て、 自 身 の 主 張 し た 十 八 歳 構 想 ・ 二 十 四 歳 執 筆 説 と ﹃ 聾 警 指 帰 ﹂ と の 矛 盾 を 補 お う と し た の で あ る。 ち な み に 頼 喩 は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 製 作 年 時 に つ い て は 触 れ て い な い。 こ の 頼 喩 の 説 は、 景 巌 (伝 記 未 詳 ) の ﹃ 御 遺 告 勘 註 ﹄ ( 一 五 七 七 年 成 立 ) に 継 承 さ れ て い る。 景 巌 に 至 っ て は、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ は 十 八 歳 の 作 に し て 広 本、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 二 十 四 歳 の 作 に し て 略 本、 と 明 記 し、 真 済 の ﹃ 性 霊 集 ﹄ 序 に つ い て (55) は ﹁ 嘆 徳 門 の 一 片 に 約 す る か ﹂ と 述 べ て い る。 そ の 文 意 は、 ﹃ 性 霊 集 ﹄ 序 の 記 述 は 空 海 の 文 才 を 讃 え た も の で あ り、 ﹃ 聾 警 指 帰 ﹄ は や は り 未 再 治 本 と み な す べ き で は な い か、 と す る 解 釈 で あ る。 ま た、 こ の 宗 学 者 の 主 張 し た 広 略 両 本 説 と は 若 干 意 味 合 い が 異 な る が、 類 似 し た 見 解 に 渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝 両 博 士 (56) の 説 が あ る。 渡 辺 ・ 宮 坂 両 博 士 は、 二 十 四 歳 製 作 の 根 拠 と な っ て い る ﹁ 延 暦 十 六 年 ﹂ ﹁ 三 八 春 秋 ﹂ と い う 記 述 が、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ だ け で な く、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ に も み ら れ る こ と か ら、 両 書 の 間 に 再 治 ・ 未 再 治 と い う 関 係 は 成 立 し な い と 説 き、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ は ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 別 本 で あ る こ と を 主 張 し た。 と は い え、 両 書 を 空 海 の 真 作 と み な し て い る 以 上、 同 時 (57) に 製 作 さ れ た こ と は 考 え 難 く、 結 局 は 再 治 ・ 未 再 治 の 関 係 を 認 め て い る こ と に 変 わ り は な い。

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6、 二 十 四 歳 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ・ 帰 朝 後. ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 改 作 説 (58) 釈 雲 照 が ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 偽 作 説 を 主 張 し て 以 来、 現 在 で は 偽 作 説 が 定 説 と な っ て い る。 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 十 八 歳 説、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ の 十 八 歳 未 再 治 説 も、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 偽 作 説 が 定 説 化 す る に つ れ て 信 愚 性 を 失 っ た。 そ こ で 提 唱 さ れ た の が、 大 同 元 年 (八〇六)に 唐 か ら 帰 朝 し た 後、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ を ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 改 作 し た と す る 説 で あ る。 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に は ﹁ 延 暦 十 六 年 ﹂ の 年 記 が あ る が、 こ れ は、 草 稿 の ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ 製 作 時 の 日 付 を 踏 襲 し た も の で あ り、 実 際 は 帰 朝 後 の 改 作 と み な す 説 で あ る。 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 帰 朝 後 改 作 説 を 最 初 に 提 唱 し た の が 誰 で あ っ た か は 明 確 に し 得 な い け れ ど も、 恐 ら く 中 垣 内 清 貴 氏 (59) で は な い か と 思 わ れ る。 た だ し、 そ れ 以 前 に 発 表 さ れ た 大 西 尭 観 師 や 加 藤 精 神 博 士 の 論 考 に も 似 通 っ た 見 解 が 述 べ ら (60) れ て い る の で、 一 部 の 研 究 者 の 間 で は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ 偽 作 説 が 提 唱 さ れ る と と も に、 帰 朝 後 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 改 作 説 は 囁 か れ て い た も の と 考 え ら れ る。 中 垣 内 氏 の 論 考 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 記 述 が 信 頼 す る に 足 ら な い こ と か ら、 二 十 四 歳 時 に ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ は 製 作 さ れ、 そ の 再 治 本 で あ る ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 帰 朝 後 の 改 作 と 推 察 し た も の で あ る。 さ ら に、 羽 毛 田 義 人 氏 は そ の 改 作 の 時 期 を、 空 (61) 海 の 三 十 代、 も し く は 四 十 代 の 頃 と 推 定 す る ま で に 至 っ て い る。 し か し、 中 垣 内 氏 や 羽 毛 田 氏 の 説 は、 あ く ま で も 推 察 で あ っ て 具 体 的 な 根 拠 は 提 示 さ れ て い な い。 そ こ で、 波 戸 岡 旭 氏、 加 地 伸 行 博 士 は、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 内 容 の 相 違 点、 (62) ﹃ 指 帰 ﹄ 成 立 の 時 代 背 景 と い っ た 観 点 か ら、 帰 朝 後 改 作 説 を 裏 付 け る 考 察 を 試 み て い る。 波 戸 岡 氏 は、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 創 作 意 図 が 異 な る こ と と、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に は ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ に み ら れ な い 鼎 立 論 が 説 か れ て い る こ と を も っ て、 ﹃ 三 教 指 ﹃聾 嘗 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 帰 ﹄ は 三 十 一 歳 以 後 の 作 と 推 定 し た。 一 方、 加 地 博 士 は、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ が 六 朝 時 代 に 盛 ん で あ っ た 駐 文 体 で あ る の に 対 し、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ は 駐 文 よ り も 簡 易 な 表 現 を 旨 と す る 古 文 体 で あ る こ と を 指 摘 し、 さ ら に ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ に 説 か れ て い な い 三 教 調 和 論 が 説 か れ て い る こ と を 指 摘 し て い る。 そ し て、 空 海 入 唐 時 の 唐 の 思 潮 が 駐 文 よ り も 古 文 を 重 視 す る 傾 向 に あ り、 思 想 的 に は 三 教 調 和 思 想 が 盛 ん に 説 か れ で い た こ と を も っ て、 帰 朝 後 改 作 説 を 裏 付 け て い る。 ま た、 波 戸 岡 氏、 加 地 博 士 は、 成 雄 の ﹃ 御 遺 告 伝 授 頭 書 鋤 ﹄ に、 白 楽 天 ( 白 居 易 ) が ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ か ら ﹃ 三 (63) 教 指 帰 ﹄ に 改 題 す る こ と を 促 し た と す る 伝 説 が み ら れ る こ と を 指 摘 し、 こ の 伝 説 が 帰 朝 後 改 作 を 象 徴 し た も の で あ る (64) こ と を 主 張 し て い る。 し か し な が ら 空 海 と 白 楽 天 と の 関 係 を 説 く 最 初 の 文 献 は、 光 宗 ( 一 二 七 六 -一 三 五〇)の ﹃ 渓 嵐 (65) 拾 葉 集 ﹄ で あ り、 そ こ に は 空 海 が 白 楽 天 に ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ を 見 せ た こ と を 説 い て は い る も の の、 白 楽 天 が 改 題 を 促 し た こ と は 記 さ れ て い な い。 白 楽 天 改 題 説 は、 成 雄 が ﹃ 渓 嵐 拾 葉 集 ﹄ の 記 述 を 拡 大 解 釈 し た も の で あ り、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 改 作 に 白 楽 天 が 介 在 し た 史 実 を 象 徴 し た も の で は な い と い え よ う。 7、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ 後 出 説 多 く の 研 究 者 は ﹃ 聾 嘗 指 帰 ﹄ か ら ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ が 作 ら れ た こ と を 主 張 し て い る。 し か し、 そ れ と は 反 対 に、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ か ら ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ が 作 ら れ た こ と を 主 張 し た 論 考 も 発 表 さ れ て い る。 (66) 最 初 に ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ 後 出 説 を 提 唱 し た の は 竹 内 吉 次 郎 氏 で あ る。 竹 内 氏 の 根 拠 は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ の 措 辞 や 押 韻 が ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の そ れ よ り 勝 れ て お り、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ が ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ を 修 正 し た 痕 跡 が 認 め ら れ る、 と い う 点 で あ る。 し か し な が ら 最 近、 太 田 次 男 博 士 に よ っ て、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 原 初 形 態 は ﹃ 聾 替 指 帰 ﹄ に 一 致 す る 点 が 少 な く な い と す る

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(67) 論 考 が 発 表 さ れ て お り、 現 在 で は ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ か ら ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ が 作 ら れ た と す る 推 察 を 認 あ る こ と は で き な い。 ま た、 竹 内 氏 以 外 に も、 川 崎 庸 之 博 士 に よ っ て ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ 後 出 説 が 主 張 さ れ て い る。 川 崎 博 士 は、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ の 方 に は 先 引 の 他 に も 幾 つ か の 自 注 が み ら れ る こ と、 序 文 に 唐 国 の 張 文 成 の ﹃ 散 労 書 ﹄、 本 朝 の 日 雄 人 ( 日 下 部 雄 人 ? ) の ﹃ 睡 覚 記 ﹄ 等 の 書 を 挙 げ て こ れ を 批 判 し ﹁ 拉 び に 先 人 の 遺 美 と 錐 も、 未 だ 後 誠 の 準 的 た る に 足 ら ず ﹂ と い っ て い る よ う な こ と が 問 題 に な る の で は な い か と 思 わ れ、 ま た 両 書 巻 尾 の ﹁ 十 韻 の 詩 ﹂ の 比 較、 た と え ば ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ で は そ の 末 尾 を、 ﹁ 已 に 三 界 の 縛 を 知 り ぬ、 何 ぞ 縷 箸 を 去 て ざ ら ん ﹂ と い う 句 で 結 ん で い る の に た い し て、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ の 方 で は、 ﹁ 庶 幾 く は 擾 々 の 輩、 速 か に 如 々 の 宮 を 仰 が ん こ と を ﹂ と、 よ り 深 め ら (68) れ た 境 地 へ の 誘 い か け を み せ て い る よ う な 点 も、 更 め て 見 直 さ れ る 余 地 が あ る の で は な か ろ う か と 考 え て い る。 と 述 べ て い る。 し か し、 筆 者 が 見 た 限 り、 こ の 川 崎 博 士 の 説 を も っ て ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ 後 出 説 を 首 肯 す る こ と は で き な い。 な ぜ な ら、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ に 自 注 が な い こ と は 単 に ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ に あ っ た 自 注 を 削 除 し た た め、 と 考 え る こ と も 可 能 で (69) あ る し、 さ ら に は ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ を 空 海 の 真 筆 と は み な さ な い 見 解 が 発 表 さ れ て い る か ら で あ る。 川 崎 博 士 の 説 は ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ 真 筆 説 に 立 脚 し て い る 以 上、 別 筆 説 が 完 全 に 否 定 さ れ な い 限 り 成 立 し 得 な い 説 で あ る。 ま た、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ に 張 文 成、 日 雄 人 が 批 判 さ れ て い る こ と も、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ か ら ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ が 作 ら れ た 証 拠 と は な ら な い。 十 韻 詩 の 内 容 の 相 違 に つ い て も 同 様 で あ る。 川 崎 博 士 が こ れ ら を 根 拠 と み な し て い る こ と 自 体、 筆 者 は 理 解 で き な い。 川 崎 博 士 の 説 は 論 拠 が 不 十 分 で あ り、 そ れ を も っ て ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ 後 出 説 を 認 め る こ と は 困 難 で あ る。 8、 二 十 四 歳 ﹃ 聾 聲 指 帰 ﹄ ・ 後 人 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 改 作 説 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 (70) こ れ は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 偽 作 説 に 立 脚 し た 見 解 で あ り、 河 内 昭 円 氏 に よ っ て 提 唱 さ れ た 説 で あ る。 (71) 河 内 氏 は、 貞 観 十 一 年 (八 六 九 ) に 成 立 し た ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ の ﹁ 空 海 卒 伝 ﹂ に、 ﹁ 三 教 論 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と に 注 目 さ れ た。 そ こ に は、 ﹁ 三 教 論 ﹂ が 信 宿 の 間 に 撰 述 さ れ た と す る ﹁ 此 れ よ り 慧 解、 日 に 新 た に し て、 筆 を 下 ろ せ ば 文 を 成 す。 世 に 伝 う 三 教 論 は、 是 れ 信 宿 の 間 に 撰 す る 所 な り と ﹂ な る 文 と、 空 海 が 能 筆 で あ っ た こ と を 記 す ﹁書 法 に あ っ て は 最 も 其 の 妙 を 得 た り。 張 芝 と 名 を 斉 し く し、 草 聖 と 称 せ ら る ﹂ な る 文 と が 対 に な っ て い る こ と を 指 摘 し、 ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹂ に み ら れ る ﹁ 三 教 論 ﹂ と は、 文 章 修 飾 に 凝 っ た ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹂ を 指 す、 と 推 察 し て い る。 す な わ ち、 河 内 氏 の 推 察 に よ る と、 貞 観 十 一 年 の 時 点 で は ま だ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 作 ら れ て お ら ず、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ か も し く は ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ か (72) ら ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 改 変 さ れ る 中 間 的 存 在 の 本 で あ っ た の で は な い か、 と さ れ る。 そ し て、 ﹃ 贈 大 僧 正 空 海 和 上 伝 記 ﹄ (八 九 五 年 成 立 ) は ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 全 く 言 及 し て お ら ず、 さ ら に 成 立 の 遅 れ る ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ ﹃ 御 遺 告 ﹄ に ﹁ 三 教 指 帰 (73) 三 巻 ﹂ と 明 記 さ れ て い る こ と か ら、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹂ ﹃ 御 遺 告 ﹄ が 成 立 す る ま で の 十 世 紀 中 葉 に ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 偽 作 さ れ た と い わ れ る。 ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ の ﹁ 空 海 卒 伝 ﹂ か ら、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄、 も し く は 中 間 的 存 在 の 本 を 読 み 取 っ た 河 内 氏 の 解 釈 に は 少 な か ら ず 強 引 さ が 感 じ ら れ る。 け れ ど も、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 序 文 に は、 ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ の ﹁ 空 海 卒 伝 ﹂ と 同 趣 旨 の 伝 記 が 記 さ れ (74) て お り、 こ の 伝 記 は ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ を 転 用 し た も の と も 考 え ら れ る こ と か ら、 ﹁ 三 教 論 ﹂ が ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ で あ っ た 可 能 性 は 高 い で あ ろ う。 以 上、 両 ﹃ 指 帰 ﹂ に 関 す る 製 作 年 代 の 諸 説 を 概 観 し て き た。 こ れ ら 諸 説 の 中 で も、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に も と つ く 十 八 歳 も

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し く は 十 九 歳 製 作 説、 十 八 歳 草 稿 ・ 二 十 四 歳 改 作 説 は、 現 在 の 研 究 者 達 に は 支 持 さ れ て い な い。 そ の 理 由 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹂ は 空 海 示 寂 後 に 偽 作 さ れ た も の で あ り、 そ の 記 述 は 史 実 に も と つ い た も の と は 考 え ら れ な い か ら で あ る。 一 方、 現 存 の ﹃ 聾 警 指 帰 ﹂ や ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 古 写 本 に は、 一 様 に ﹁ 延 暦 十 六 年 ﹂ ﹁ 三 八 春 秋 ﹂ の 記 述 が み ら れ、 二 十 四 歳 製 作 を 示 し て い る。 単 純 に 考 え て、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ ﹃ 御 遺 告 ﹂ の 作 者 が ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ や ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 序 文 を 見 て い た な ら ば、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 製 作 を 十 五 歳 か ら 二 十 歳 の 間 に 設 定 し な か っ た の で は な い か と 思 わ れ る。 従 来 で は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ は 偽 作 で あ る、 と の 理 由 か ら、 ﹃ 御 遺 告 ﹂ に も と つ く 製 作 年 代 は 簡 単 に 退 け ら れ て き た。 し か し な が ら 今 後 (75) は、 ﹃ 御 遺 告 ﹂ が な ぜ 二 十 四 歳 説 を 採 用 し な か っ た の か を 考 察 す る こ と も 必 要 で あ ろ う。 ま た、 十 八 歳 構 想 ・ 二 十 四 歳 執 筆 説、 広 略 両 本 説、 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ 後 出 説 に 関 し て も、 支 持 す る 研 究 者 は 少 な い。 そ れ は、 こ れ ら の 説 が 単 純 な 推 測 に よ る も の で あ り、 論 拠 が 不 十 分 で あ る か ら で あ る。 最 後 に 残 さ れ た 二 十 四 歳 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ・ 帰 朝 後 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 改 作 説、 二 十 四 歳 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ・ 後 人 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 改 作 説 は、 近 年、 最 も 支 持 さ れ て い る 説 で あ る。 こ れ ら 両 説 の 根 本 的 な 違 い は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ を 空 海 自 身 の 改 作 と み な す か、 別 人 の 改 作 と み な す か の 違 い で あ る。 多 く の 空 海 伝 の な か で、 最 も 早 く ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 言 及 し た の は ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ と ﹃ 御 遺 告 ﹄ で あ る。 確 か に ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹂ と ﹃ 御 遺 告 ﹂ に は ﹁ 三 教 指 帰 三 巻 ﹂ と あ り、 ﹁ 三 巻 ﹂ と い う 巻 数 ま で も 記 さ れ て い る こ と か ら、 こ れ ら が 現 行 の ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ で あ っ た 可 能 性 は 高 い も の と 考 え ら れ る。 し か し、 前 述 し た よ う に、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹂ と ﹃ 御 遺 告 ﹂ は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の ﹁ 延 暦 十 六 年 ﹂ ﹁ 三 八 春 秋 ﹂ の 記 述 を 無 視 し て お り、 さ ら に は ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 序 文 に 記 さ れ た 伝 記 の 影 響 も み ら れ な い。 こ れ は、 長 保 四 年 ( 一 〇 〇二)に 著 さ れ た 清 寿 の ﹃ 弘 法 大 師 伝 ﹄ も 同 じ で あ る。 し た が っ て、 こ こ に 二 つ の こ と が 問 題 と し て 残 る。 一 つ は、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ ﹃ 御 遺 告 ﹄ ﹃ 弘 ﹃聾 嘗 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 法 大 師 伝 ﹄ が ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ を 取 り 上 げ な が ら、 な ぜ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に も と つ く 製 作 年 代 を 採 用 し な か っ た の か、 で あ り、 一 つ は、 こ れ ら に み ら れ る ﹁ 三 教 指 帰 三 巻 ﹂ が 現 行 の ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ と 同 じ も の で あ っ た か 否 か、 で あ る。 こ れ ら は、 い ま だ 定 説 を み る に 至 っ て い な い ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 製 作 年 代 を 論 じ る 場 合 は も と よ り、 ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹂ ﹃ 御 遺 告 ﹄ を 取 り (76) 扱 う 上 に お い て も 重 要 な 課 題 と い え よ う。 注 ( 1 ) 本 稿 の 末 尾 に 掲 げ た 論 文 目 録 を 参 照 し て い た だ き た い。 以 下、 本 稿 の 注 で は、 こ の 論 文 目 録 番 号 を も っ て 示 す こ と に す る。 ( 2 ) ﹃聾 啓 指 帰 ﹂ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 関 す る 先 行 研 究 の 問 題 点 を 分 類 し た 論 考 は 見 当 た ら な い が、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ に 関 す る 問 題 点 を あ げ た も の に、 静 慈 圓 先 生 の 論 考 が あ る。 静 先 生 は 問 題 点 を、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 著 作 年 代、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ と ﹃聾 嘗 指 帰 ﹂ と の 関 係、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 著 作 の 動 機、 文 章 を 構 成 す る 漢 文 語 句 の 典 拠、 儒 教 ・ 道 教 ・ 仏 教 に 対 す る 空 海 の 理 解、 の 五 つ に 分 類 し て い る (静 論 文 鵬、 一 六 頁 )。 し か し、 本 稿 で は ﹃聾 啓 指 帰 ﹂ に 関 す る 問 題 も 扱 う た め、 静 先 生 の 分 類 は 採 用 せ ず、 新 た に 諸 問 題 の 分 類 を 構 成 し た。 ( 3 ) 祖 風 宣 揚 会 編 ﹃弘 法 大 師 全 集 ﹂ の 編 者 で あ る 長 谷 宝 秀 師 は、 ﹃聾 啓 指 帰 ﹂ の 末 尾 に 次 の よ う な 識 語 を 記 し て い る。 ﹁此 書 ( =﹃聾 瞥 指 帰 ﹄、 筆 者 注 ) 唯 有 二 真 蹟 本 一 巻 (而 已。 古 来 不 二 全 写 伝 の 是 以 学 者 見 者 甚 稀 。 ( 中 略 ) 今 幸 遭 二 遇 聖 代 の 得 レ伝 二此 全 巻 於 世 の 編 者 之 歓 何 事 加 レ 焉 ﹂ ( 長 谷 論 文 3、 三 二 三 頁 )。 ( 4 ) 宗 学 者 の 多 く は、 ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹂ は 未 再 治 本 ( 草 稿 本 )、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ は 再 治 本 ( 改 訂 本 ) と す る 説 を 支 持 し て い る。 近 年 の 学 者 の 見 解 も、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 偽 作 説 を 支 持 す る 研 究 者 を 除 く と、 基 本 的 に は 宗 学 者 の 見 解 に 相 違 し な い。 ま た、 渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝 両 博 士 は、 再 治 ・ 未 再 治 説 を 否 定 し、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ は 別 本 で あ る こ と を 提 唱 し た ( 渡 辺 ・ 宮 坂 論 文 47、 一 三 -一 四 頁 ) が、 両 本 を 空 海 作 と み な し て い る 以 上、 暗 に 再 治 ・ 未 再 治 説 を 認 あ て い る こ と に も な る。 渡 辺 ・ 宮 坂 両 博 士 の 別 本 説 に つ い て は 本 稿 一 二 頁 を 参 照 し て い た だ き た い。 ( 5 ) ﹁ 総 じ て 三 教 指 帰 の 方 が 整 然 と し て 備 は つ て ゐ る と 思 ふ。﹂ ( 大 西 尭 観 論 文 9、 四 三 一 頁 )。 ﹁ 之 を 漢 詩 と し て、 単 に 文 字 上 よ り 観 察 す れ ば、 聾 啓 に 載 せ て あ る も の よ り も、 三 教

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に 記 さ れ て あ る 方 が 上 出 来 で、 ま さ つ て を る や う に 想 ふ の で あ る。 ﹂ ( 竹 内 吉 次 郎 論 文 11、 四 五 一 頁 )。 ﹁ 総 じ て ﹁ 三 教 指 帰 ﹂ の 方 が す ぐ れ て い る よ う で あ り、 そ の 措 辞、 ま と ま り と い う 点 か ら 考 え て も、 非 常 に 巧 み で あ る。 ﹂ ( 中 垣 内 清 貴 論 文 51、 二 九 頁 上 )。 ﹁ Both are, in the case of the In-dications, of far greater literary maturity and spiri-tual quahty than in the Case of the draft.﹂(羽 毛 田 義 人 論 文 61、 一 七 頁 )。 し か し、 こ れ ら と は 逆 に、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ よ り も ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ の 方 が 勝 れ て い る と す る 五 十 嵐 力 博 士 の 説 も あ る (五 十 嵐 論 文 25、 一 六 五-一 六 六 頁 )。 ま た、 河 内 昭 円 氏 は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 文 章 に 対 す る 評 価 は、 本 来 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ に 帰 属 す る べ き 評 価 で あ り、 再 治 と い う 名 分 の も と に ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ は 尊 重 さ れ て い た、 と 説 く (河 内 論 文 旧、 一 〇 二-一〇七頁)。 ( 6 ) 長 谷 宝 秀 論 文 3、 野 本 白 雲 論 文 17、 佐 和 隆 研 ・ 中 田 勇 次 郎 論 文 66、 山 本 智 教 論 文 70、 宮 坂 宥 勝 論 文 93、 山 本 智 教 論 文128・論 文138(英訳)、 村 岡 空 論 文 魏、 和 多 秀 乗 ・ 山 陰 加 春 夫 論 文155、 太 田 次 男 論 文160。 ( 7 ) 宗 学 者 に よ っ て 論 じ ら れ て き た 問 題 の 詳 細 は、 本 稿 七-一 二 頁 を 参 照 し て い た だ き た い。 ( 8 ) く わ し く は、 拙 稿 ﹁ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 真 偽 問 題 ﹂ ( ﹃ 密 教 文 化 ﹂ 一 九 四 に 掲 載 予 定 ) を 参 照 し て い た だ き た い。 ( 9 ) 亀 尾 宥 賢 論 文 8、 坂 田 光 全 論 文 23、 牧 尾 良 海 論 文 68、 加 藤 純 隆 論 文 85、 加 地 伸 行 論 文 86、 波 戸 岡 旭 論 文 四、 向 井 隆 健 論 文 雌。 (10 ) 坂 田 光 全 論 文 26、 佐 々 木 憲 徳 論 文 32、 今 井 奉 一 論 文 52。 (11) 鷲 尾 順 敬 論 文 1、 岡 崎 松 濤 論 文 4、 大 屋 徳 城 論 文 15、 川 口 久 雄 論 文 36・論 文 87・論 文133、 吉 岡 義 豊 論 文 37・論 文 62、 小 島 憲 之 論 文 46、 上 坂 喜 一 郎 論 文 56、 加 地 伸 行 論 文 64・論 文 86、 福 永 光 司 論 文 81、 品 田 聖 宏 論 文100・論 文112・論 文114、 静 慈 圓 論 文110。 今 枝 二 郎 論 文124、 手 塚 好 幸 論 文146、 波 戸 岡 旭 論 文149、 和 多 秀 乗 ・ 山 陰 加 春 夫 論 文155、 ( 12 ) 加 地 伸 行 論 文 86、 品 田 聖 宏 論 文114、 波 戸 岡 旭 論 文149。 ( 13 ) 香 川 英 隆 論 文 10、 坂 野 栄 範 論 文 16、 荒 島 聖 宏 論 文123、 岡 村 圭 真 論 文151。 ( 14 ) 川 口 久 雄 論 文 36、 福 永 光 司 論 文 81、 加 地 伸 行 論 文 86、 荒 島 聖 宏 論 文143、 河 内 昭 円 論 文158。 ( 15 ) 上 田 桑 鳩 論 文 27、 神 田 喜 一 郎 論 文 34、 中 田 勇 次 郎 論 文 35、 樫 本 智 照 論 文 71。 ( 16 ) 春 名 好 重 論 文 82・ 論 文 92・論 文142、 細 貝 保 夫 論 文 83、 飯 島 太 千 雄 論 文 95・ 論 文121、 中 田 勇 次 郎 論 文116。 ( 17 ) 太 田 次 男 論 文153。 ( 18 ) 現 存 の ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹂ と は 異 な る 系 列 の 写 本 が 発 見 さ れ れ ば、 現 存 の も の は 空 海 真 筆 で な く、 書 写 本 で あ っ た 可 能 性 が 高 く な る。 現 在、 そ の よ う な 写 本 は 発 見 さ れ て い な い が、 心 覚 の ﹃ 鵡 珠 紗 ﹂、 覚 明 の ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹄ で は、 勧 修 寺 に ﹃聾 嘗 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 空 海 真 筆 の 草 稿 本 が あ る と す る 伝 (﹃ 真 言 宗 全 書 ﹂ ︹以 下、 ﹃真 全 ﹂ ︺ 三 六、 二 八 二 頁 上、 ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹂ 寛 永 六 年 刊 本、 一 八 丁 右-左)、 河 内 国 観 心 寺 に 真 筆 草 稿 本 が あ る と す る 伝 を 引 用 し て お り ( 寛 永 六 年 刊 本、 一 八 丁 左 )、 快 全 の ﹃御 遺 告 秘 訣 ﹄ で は、 ﹃聾 瞥 指 帰 ﹄ の 写 本 が 宝 性 院 に 所 蔵 さ れ て い た こ と が 記 さ れ て い る ( ﹃ 続 真 言 宗 全 書 ﹂ ︹以 下、 ﹃続 真 ﹄ ︺ 二 六、 一 三 三 頁 上 -下)。 ま た、 現 存 の 金 剛 峯 寺 本 に は、 夢 窓 疎 石 の 践 文 が あ り、 そ こ に は 西 芳 寺 に ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹄ を 納 め た こ と が 記 さ れ て い る ( ﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹄ ︹以 下、 ﹃ 定 本 弘 全 ﹂ ︺ 七、 四 四 五 頁 )。 こ れ ら 勧 修 寺 本、 観 心 寺 本、 宝 性 院 本、 西 芳 寺 本 が、 現 存 の 金 剛 峯 寺 本 と 同 じ も の で あ っ た か 一 考 す る 余 地 が あ る。 ( 19 ) 太 田 次 男 論 文 姫 ・ 論 文160。 ( 20 ) 長 谷 宝 秀 論 文 3、 三 二 一二 頁。 ( 21 ) ﹁ 仁 平 四 年 写 本 は ﹃ 聾 啓 指 帰 ﹂ か ら 第 一 次 の 加 筆 の 結 果 生 れ た ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 比 較 的 早 い 時 期 の 実 態 を 伝 え る 一 本 と い え る。 光 明 院 旧 蔵 本 は そ れ に 近 い 善 本 で は あ る が、 既 に 第 二 次 加 筆 の 影 響 を も 蒙 っ た 一 本 と い え よ う。 恐 ら く そ れ よ り 更 に 後 の 加 筆 が な さ れ、 ま た 諸 本 と の 交 流 に よ っ て 生 じ た 影 響 を も 含 め た 上 で 成 立 し た の が 高 野 板 本 で あ り、 仁 平 四 年 写 本 か ら み れ ば か な り 隔 り が 生 じ た。 ﹂ (太 田 次 男 論 文147、 九 〇 頁 )。 ( 22) 本 稿 一 四-一 五 頁 を 参 照 し て い た だ き た い。 ( 23 ) ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 最 古 の 写 本 に 関 し て、 築 島 裕 博 士 は 天 理 図 書 館 蔵 仁 平 書 写 本 よ り 古 い 写 本 と し て 高 山 寺 蔵 本 ( 第 四 部 第 一 一 七 函 第 一 四 号 ) を あ げ て い る (築 島 論 文 鵬、 五 四 八 頁 )。 築 島 博 士 は、 こ の 写 本 を 十 一 世 紀 末 頃 の 書 写 と 推 定 し て い る が、 残 念 な こ と に、 こ の 高 山 寺 本 は 巻 中 の み の 残 閾 本 で あ る。 ち な み に、 高 山 寺 本 に 関 す る 論 考 に は、 訓 点 の 字 体 か ら 加 点 さ れ た 時 期、 加 点 者 の 環 境 を 考 察 し た 松 本 光 隆 氏 の 論 文 が あ る ( 松 本 論 文 蝿 )。 ( 24 ) 仁 平 四 年 ( 一 一 五四)以 前 に 成 立 し た 注 釈 書 に は 次 の 二 つ が あ る。 ・ 藤 原 敦 光 ﹃ 三 教 勘 注 抄 ﹂ 残 閾 二 巻 ( 一 一 四 四 年 以 前 成 立 )。 ﹃ 真 全 ﹄ 四 〇 所 収。 ・ 成 安 ﹃ 三 教 指 帰 注 集 ﹂ 三 巻 ( 一 〇 八 八 年 成 立 )。 佐 藤 義 寛 論 文 燭 所 収。 こ の 注 釈 書 以 外 に 霊 友 会 所 蔵 ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹂ 一 冊 (長 元 二 年 ︹ 一 〇 二 九 ︺ の 奥 書 を 有 す る ) を 最 古 の 注 釈 書 と す る 見 解 (渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝 論 文 47、 二 七-二 八 頁、 稲 谷 祐 宣 論 文 48、 二 七 一 頁。)も 発 表 さ れ て い る が、 太 田 次 男 博 士 に よ っ て、 奥 書 の ﹁ 長 元 ﹂ は ﹁ 長 寛 ﹂ の 誤 写 で あ り、 内 容 は ﹃ 三 教 勘 注 抄 ﹄ か ら 抄 出 さ れ た も の で あ る こ と が 発 表 さ れ て い る (太 田 論 文 50、 二 八 六-二 九 三 頁 )。 現 在 で は、 霊 友 会 蔵 ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹄ が ﹃ 三 教 勘 注 抄 ﹄ よ り 古 い 成 立 で あ る こ と は 認 め ら れ て い な い (太 田 次 男 ・ 稲 谷 祐 宣 論 文 53、

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九 〇-九 一 頁。 和 多 秀 乗 ・ 山 陰 加 春 夫 論 文 燭、 四 四 九 頁 )。 ま た、 現 存 し な い も の も 含 め て 最 古 の 注 釈 書 と 考 え ら れ る の は、 済 逞 ( 一 〇 二 五-一 一 一 五 ) の ﹃ 三 教 指 帰 顕 鏡 砂 ﹄ で あ る。 こ の ﹃ 三 教 指 帰 顕 鏡 紗 ﹄ に つ い て 河 内 昭 円 氏 は、 ﹃ 成 安 注 ﹄ ( ﹃ 三 教 指 帰 注 集 ﹂ ) の 草 稿 か、 も し く は、 ﹃ 成 安 注 ﹄ が ﹃ 三 教 指 帰 顕 鏡 砂 ﹄ の 草 稿、 と す る 推 察 を 述 べ て い る (河 内 論 文 儒、 一 四 〇 頁 )。 (25 ) ﹁ 古 写 本 が な く て も、 注 の 存 在 は 古 写 本 に 匹 敵 す る。 校 合 本 に 敢 え て 注 を 用 い た 所 以 で あ る ﹂ ( 和 多 秀 乗 ・ 山 陰 加 春 夫 論 文 莇、 四 五 〇 頁 )。 ﹁要 す る に 大 谷 本 ﹃ 三 教 指 帰 注 集 ﹄ は、 お よ そ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ に 関 す る 限 り 本 文 ・ 注 釈 を と わ ず、 現 存 す る 完 全 に し て 最 古 の 写 本 と い う こ と に な る の で あ る。 ﹂ (河 内 昭 円 論 文 齪、 一 〇 一 頁 )。 ﹁ 成 安 注 本 は 三 教 指 帰 の 注 釈 書 で は あ る が、 注 釈 文 の は じ め に、 句 を 切 っ て 指 帰 本 文 も 引 か れ、 そ れ ら を 順 次 に 連 ね て ゆ け ば、 全 文 が 得 ら れ、 閾 け た 個 所 は 存 し な い。 そ の 意 味 で、 確 か に、 良 質 の 古 写 本 で し か も 完 本 が 二 本 得 ら れ た こ と に な る。 ﹂ ( 太 田 次 男 論 文160、 一 一 八 頁 )。 ( 26 ) 七 宝 山 人 論 文 20、 小 田 慈 舟 論 文 24、 稲 谷 祐 宣 論 文 41 ・ 論 文 48、 小 島 憲 之 論 文 46・論 文 80・論 文 蜘、 太 田 次 男 論 文 50・ 論 文 99・論 文119・論 文 悩 ・ 論 文141・論 文 即、 太 田 次 男 ・ 稲 谷 祐 宣 論 文 53、 小 林 芳 規 論 文 79・論 文103、 築 島 裕 論 文102、 柳 田 征 司 論 文104、 菅 原 範 夫 論 文105、 佐 々 木 峻 論 文106、 竹 村 信 治 ・ 岸 伸 子 論 文107、 竹 村 信 治 論 文108、 西 崎 亨 論 文109 ・ 論 文113、 佐 藤 義 寛 論 文144 ・ 論 文 燭 ・ 論 文156、 松 本 光 隆 論 文148、 和 多 秀 乗 ・ 山 陰 加 春 夫 論 文155。 ( 27 ) ﹃ 三 教 勘 注 抄 ﹂ ( ﹃ 真 全 ﹂ 四 〇 所 収 )。 (28 ) 仮 名 交 じ り の 注 釈 書 に は 次 の も の が あ る。 ・ 中 山 法 華 経 寺 蔵 ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹂。 築 島 裕 ・ 小 林 芳 規 論 文 血 所 収。 ・ ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹄ 三 巻 (承 久 本 )。 ﹃ 真 全 ﹄ 四 〇、 太 田 次 男 論 文119所収。 ( 29 ) 一 連 の 成 立 問 題 と は、 両 ﹃ 指 帰 ﹄ の 製 作 年 代、 両 ﹃指 帰 ﹄ の 関 係、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 真 偽 問 題、 両 ﹃指 帰 ﹂ の 製 作 と 改 作 の 動 機 で あ る。 ( 30 ) ﹃ 弘 法 大 師 御 入 定 勘 決 記 ﹄ ( ﹃ 弘 法 大 師 伝 全 集 ﹂ ︹以 下、 ﹃ 弘 伝 ﹄︺ 一、 一 二 四 頁 上 )。 ﹃ 弘 法 大 師 御 入 定 勘 決 抄 ﹄ ( ﹃ 弘 伝 ﹂ 一、 一 三 九 頁 上 )。 ﹃ 釈 摩 詞 術 論 決 疑 破 難 会 釈 抄 ﹂ ( ﹃ 大 正 ﹄ 六 九、 五 七 三 頁 中 )。 ま た、 ﹃ 般 若 心 経 秘 鍵 開 門 決 ﹄ に も 同 様 の 記 述 が み ら れ る ( ﹃ 大 正 ﹄ 五 七、 一 九 頁 下 -二〇 頁 上 ) が、 こ こ で は ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ が 二 十 四 歳 時 の 製 作 で あ る こ と は 説 か れ て い な い。 (31 ) ﹃ 定 本 弘 全 ﹄ 七、 四 三 頁。 ( 32 ) ﹃ 定 本 弘 全 ﹄ 七、 七 二 頁。 ( 33) ﹃ 定 本 弘 全 ﹂ 七、 五 頁、 二 七 頁。 ( 34 ) ﹃ 定 本 弘 全 ﹄ 七、 三 五 一-三 五 二 頁。 ﹃ 聾 警 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 ( 35 ) ﹁ 是 不 レ謂 レ述 下 造 二 三 教 論 一已 後 遂 成 二 近 士 一之 次 第 由 緒 上 也。 所 以 無 二相 違 失 一也 ﹂ ( ﹃ 弘 伝 ﹄ 一、 一 二 四 頁 上 )。 ( 36 ) 済 邊 以 降 に、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 年 記 と ﹃御 遺 告 ﹄ の 記 述 と が 矛 盾 し て い る こ と を 指 摘 す る 文 献 に は 以 下 の も の が あ る。 聖 賢 ﹃ 高 野 大 師 御 広 伝 ﹂ ( ﹃ 弘 伝 ﹂ 一、 二 二 五 頁 上 )。 深 賢 ﹃ 弘 法 大 師 行 化 記 裏 書 ﹄ ( ﹃ 弘 伝 ﹂ 二、 一 七 九 頁 下 )。 心 覚 ﹃ 鵡 珠 妙 ﹄ ( ﹃ 真 全 ﹂ 三 六、 二 八 一 頁 上 -二 八 二 頁 上 )。 覚 明 ﹃ 三 教 指 帰 注 ﹂ ( 寛 永 六 年 刊 本、 一 八 丁 右 -左 )。 頼 喩 ﹃ 御 遺 告 釈 疑 抄 ﹄ ( ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 四 三 頁 上 -四 四 頁 上 )。 頼 喩 ﹃ 真 俗 雑 記 問 答 砂 ﹄ ( ﹃ 真 全 ﹄ 三 七、 二 九 一 頁 下-二 九 二 頁 上 )。 賢 宝 ﹃ 弘 法 大 師 行 状 要 集 ﹄ ( ﹃ 弘 伝 ﹂ 三、 八 二 頁 上 -八 三 頁 上 )。 宥 快 ﹃ 御 遺 告 裏 書 ﹄ ( ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 一 四 六 頁 上 )。 快 全 ﹃ 御 遺 告 秘 訣 ﹂ ( ﹃ 続 真 ﹂ 二 六、 一 三 三 頁 上-下)。 成 雄 ﹃ 御 遺 告 伝 授 頭 書 鋤 ﹂ ( ﹃ 続 真 ﹂ 二 六、 一 六 九 頁 上 -一 七 〇 頁 上 )。 景 巌 ﹃ 御 遺 告 勘 注 ﹄ ( ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 二 四 七 頁 下-二 四 八 頁 上 )。 運 傲 ﹃ 三 教 指 帰 刷 補 序 ﹂ ( ﹃ 真 全 ﹂ 四 〇、 二 六 五 頁 上 )。 作 者 不 詳 ﹃ 聾 瞥 指 帰 序 註 ﹂ (﹃ 定 本 弘 全 ﹂ 七、 三 二 九-三 三 一 頁 )。 観 応 ﹃ 御 遺 告 私 記 ﹂ (﹃ 続 真 ﹂ 二 六、 三 三 四 頁 )。 通 玄 ﹃ 三 教 指 帰 簡 註 ﹂ (﹃ 真 全 ﹂ 四 〇、 三 二 頁 下 )。 得 仁 ﹃ 弘 法 大 師 年 譜 ﹄ (﹃ 弘 伝 ﹄ 五、 三 七 頁 上-三 八 頁 上 )。 高 演 ﹃ 弘 法 大 師 正 伝 ﹄ (﹃ 弘 伝 ﹄ 七、 五 頁 下 )。 ( 37 ) 仁 海 の 生 没 年 に は 諸 説 あ る が、 今 は、 ﹃ 密 教 大 辞 典 ﹄ 一 七 六 八 頁 に し た が っ た。 ( 38 ) ﹃建 立 修 行 縁 起 ﹄ に は ﹁康 保 五 年 戊 辰 六 月 十 四 日 ﹂ の 日 付 が 記 さ れ て お り、 当 時、 仁 海 は 十 八 歳 と 若 年 で あ っ た こ と か ら、 作 者 を 仁 海 と す る こ と に 疑 問 が も た れ て い る ( 長 谷 宝 秀 師 所 蔵 明 治 四 十 一 年 書 写 本 の 奥 書、 仁 和 寺 蔵 寛 永 五 年 書 写 本 の 奥 書 に よ る。 ど ち ら も ﹃ 弘 伝 ﹂ 一、 五 六 -五 七 頁 に 掲 載 )。 ま た、 森 田 龍 倦 師 は 雅 真 検 校 の 作 と 説 く ( ﹃ 弘 法 大 師 の 入 定 観 ﹂ 四 三-四四頁)。 ( 39 ) ﹃ 弘 伝 ﹄ 一、 五 〇 頁 下。 ( 40 ) ﹃ 秘 密 家 宗 体 要 文 ﹂ は、 大 日 か ら 第 十 五 代 仁 海 八 十 二 歳 時 ま で の 師 資 の 付 法 と 伝 記 を 記 し た 文 献 で あ る。 こ の 書 は、 仁 海 の 伝 記 が 在 世 中 で 終 わ っ て い る こ と か ら、 そ の 作 者 は 仁 海 と み な さ れ て い る が、 確 た る 証 拠 は 見 ら れ な い の で、 筆 者 は あ え て 仁 海 作 と 断 定 せ ず に お い た。 ( 41 ) ﹃ 弘 伝 ﹂ 一、 七 五 頁 上。 (42 ) ﹃ 弘 伝 ﹂ 一、 六 七 頁 下。 (43 ) ﹃ 弘 伝 ﹄ 一、 六 二 頁 下。 (44) ﹃ 真 全 ﹄ 三 六、 二 八 一 頁 上 -二 八 二 頁 上。 ( 45 ) ﹁ さ て ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 著 作 年 代 は 前 述 の 如 く ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ そ れ 自 身 の 中 に 記 さ れ た る 記 録 の み に よ り て (中 略 ) 大 師 二 十 四 歳 の 時 た る 延 暦 十 六 年 十 二 月 一 日 な る こ と は 何 ら 疑 ふ 余 地 の な い 筈 の も の で あ る。 然 る に 後 世、 こ の 大 師 自 身 の 御 著 作 に 御 自 身 で 記 さ れ た 年 代 を 尊 重 せ ず し て 徒 ら に ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 如 く そ の 前 後 の 相 違 を 来 し、 編 年 史 的 に 価 値

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の 薄 ら い だ も の を 史 実 と し て 重 要 視 し、 こ れ を 手 本 と し て 種 々 雑 多 の 諸 伝 記 が 出 来 上 つ て 居 る の で あ り ﹂ ( 坂 田 光 全 論 文 23、 五 一 -五 二 頁 )。 ﹁ 明 治 の 傑 僧、 釈 雲 照 師 が 遺 告 の 文 は 粗 野 で あ る か ら 真 作 と は 認 め が た い と 唱 導 し て 以 来、 遺 憾 な が ら 遺 告 の 真 作 説 は そ の 内 容 か ら も 今 日 の 学 界 で は 宗 内 で す ら 認 め ら れ な い 現 状 で あ る。 し た が っ て そ の 構 草 乃 至 起 草 の 年 月 は と も か く、 本 書 が 二 十 四 才 の 製 作 で あ る こ と は 一 応 之 を 認 め な け れ ば な ら ぬ の で あ る。 ﹂ ( 堀 内 寛 仁 論 文 78、 一 六 頁 )。 ﹁ 大 師 二 十 四 歳 の 十 二 月 一 日 前 後 の 頃 に 完 成 さ れ た こ と は 確 実 で す。 古 く か ら 十 八 歳 説 そ の 他 が 伝 え ら れ て い ま す が、 今 は 採 り ま せ ん。 ﹂ (加 藤 純 隆 論 文 85、 二 一 九 頁 )。 ﹁ 延 暦 十 六 年 は、 空 海 二 十 四 歳 の 時 に 相 当 す る か ら、 十 八 歳 執 筆 の 説 は 創 作 過 程 の 問 題 と し て は 論 ぜ ら れ る 余 地 が あ る に し て も、 成 立 年 代 論 の 上 で は、 も は や 廃 せ ら れ る べ き で あ ろ う。 ﹂ (波 戸 岡 旭 論 文149、 一 三 二 頁 )。 ( 46 ) ﹃ 真 全 ﹂ 三 六、 二 八 二 頁 上。 ( 47 ) 太 田 次 男 博 士 は、 ﹃覚 明 注 ﹂ が ﹃和 漢 朗 詠 集 私 注 ﹄ ( 一 一 六 一 年 成 立 ) と ﹃白 氏 新 楽 府 略 意 ﹂ ( 一 一 七 二 年 成立)と の 間 に 成 立 し た こ と を 述 べ て い る (太 田 論 文 50、 三 〇 二 頁 )。 ( 48 ) 寛 永 六 年 刊 本、 一 八 丁 右-左。 ( 49 ) 頼 喩 ﹃御 遺 告 釈 疑 抄 ﹂ ( ﹃続 真 ﹂ 二 六、 四 三 頁 上 -四 四 頁 上 )。 頼 喩 ﹃真 俗 雑 記 問 答 妙 ﹂ ( ﹃ 真 全 ﹂ 三 七、 二 九 一 頁 下 -二 九 二 頁 上 )。 賢 宝 ﹃ 弘 法 大 師 行 状 要 集 ﹂ ( ﹃ 弘 伝 ﹂ 三、 八 二 頁 上 -八 三 頁 上 )。 宥 快 ﹃御 遺 告 裏 書 ﹂ ( ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 一 四 六 頁 上 )。 快 全 ﹃御 遺 告 秘 訣 ﹄ ( ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 一 三 三 頁 上 -下)。 運 散 ﹃ 三 教 指 帰 刷 補 序 ﹄ ( ﹃ 真 全 ﹂ 四 〇、 二 六 五 頁 上 )。 得 仁 ﹃ 弘 法 大 師 年 譜 ﹄ ( ﹃ 弘 伝 ﹄ 五、 三 七 頁 上 -三 八 頁 上 )。 高 演 ﹃ 弘 法 大 師 正 伝 ﹄ ( ﹃ 弘 伝 ﹂ 七、 五 頁 下 )。 ( 50 ) ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 四 四 頁 上。 ( 51 ) 密 教 文 化 研 究 所 編 ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ (以 下、 ﹃ 密 弘 全 ﹄ ) 三、 三 八 七 -三 八 八 頁。 ( 52 ) ﹃ 続 真 ﹂ 二 六、 一 七 〇 頁 上。 ( 53 ) ﹃ 弘 伝 ﹄ 五、 三 八 頁 上。 ( 54 ) ﹃ 続 真 ﹂ 二 六、 四 四 頁 上。 ( 55) ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 二 四 八 頁 上。 ( 56 ) 渡 辺 照 宏 ・ 宮 坂 宥 勝 論 文 47、 一 三-一 四 頁。 ( 57 ) 波 戸 岡 旭 氏 は、 渡 辺 ・ 宮 坂 両 博 士 の 別 本 説 に 賛 同 し つ つ も、 同 年 の 年 記 が ﹃聾 啓 指 帰 ﹄ と ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ と に あ る こ と は、 逆 に 再 治 ・ 未 再 治 説 の 一 論 拠 に な っ て し ま う こ と を 指 摘 し て い る (波 戸 岡 論 文 59、 二 一 頁 )。 ( 58 ) 長 谷 宝 秀 師 は ﹃ 弘 法 大 師 全 集 ﹄ 本 ﹃御 遺 告 ﹂ の 奥 に ﹁ 近 頃 聞 二 目 白 僧 園 釈 雲 照 大 和 尚 説 一日。 御 遺 告 一 巻。 文 辞 帯 二 和 習 一太 異 二余 撰 述 の 恐 是 我 大 師 之 口 説。 門 人 之 筆 記 耳。 或 云 レ 有 二 大 師 真 蹟 之 本 の 余 不 レ 信 矣。 ﹂ ( ﹃ 密 弘 全 ﹂ 二、 八 〇 九 頁 ) と 雲 照 の 説 を 紹 介 し て い る。 ( 59) ﹁ 延 暦 十 六 年 に ﹁ 聾 瞥 指 帰 ﹂ と い う か な り ま と ま っ た も ﹃聾 警 指 帰 ﹄ ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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密 教 文 化 の が で き て い た の を、 更 に そ の 後 に-あ る い は 入 唐 後 と も 考 え ら れ る が、 と に か く 相 当 長 い 期 間 に 亘 っ て-序 文 と 十 韻 の 詩、 そ の 他 本 文 の 処 々 の 字 句 を 訂 正 し、 題 名 も ﹁ 三 教 指 帰 ﹂ と 改 め、 草 本 で あ る ﹁聾 瞥 指 帰 ﹂ の 成 立 年 月 を そ の ま ま 同 書 の 成 立 年 月 と し て 誌 さ れ た の で は な か ろ う か と。 ﹂ (中 垣 内 清 貴 論 文 51、 三 三 頁 )。 ( 60 ) ﹁ 自 分 は 或 は 三 教 指 帰 の 方 は 延 暦 十 六 年 よ り も 後 か も 知 れ ぬ と 思 ふ。 ﹂ ( 大 西 尭 観 論 文 9、 四 三 二 頁 )。 ﹁ 但 し 延 暦 十 六 年 は ﹁ 聾 啓 指 帰 ﹂ 御 製 作 の 年 時 な る べ く、 三 教 指 帰 の 御 改 題 は 更 に 其 の 後 年 に 属 す る も の で あ ら う。 ﹂ ( 加 藤 精 神 論 文 19、 六 頁 )。 ( 61 ) ﹁ In a ll probabihty Kukai was in his thirties or forties When he performed the revision﹂(羽 毛 田 義 人 論 文 61、 一 七 頁 )。 ( 62 ) 波 戸 岡 旭 論 文 59・論 文149。 加 地 伸 行 論 文 86。 (63 ) ﹃ 続 真 ﹄ 二 六、 一 七 〇 頁 上。 (64 ) ﹁ 白 楽 天 と の 関 わ り の 有 無 と い う こ の 両 エ ピ ソ ー ド は、 歴 史 的 事 実 と し て と る に た ら な い か も し れ な い。 し か し、 そ の よ う な こ と が ま っ た く な か っ た と 断 言 す る こ と も で き ま い。 空 海 が 渡 唐 し た こ ろ、 白 居 易 は、 す で に 校 書 郎 と し て 任 官 し て お り、 長 安 に い た。 そ し て、 空 海 帰 国 の 八 〇 六 年 四 月 に、 対 策 し て 集 賢 校 理 に 抜 擢 さ れ る。 そ の 間、 両 者 が 面 談 す る 機 会 が ま っ た く な か っ た と は い え ま い。 年 齢 も 空 海 が 二 歳 上 で、 ほ ぼ 同 年 齢 の 青 年 詩 人 同 志 で も あ る。 も し、 両 者 が 面 談 し た と す れ ば、 白 居 易 が 三 教 調 和 説 を 述 べ た で あ ろ う こ と は、 ま ず 疑 い な い。 ﹂ (加 地 伸 行 論 文 86、 八 五 -八 六 頁 )。 ﹁又、 伝 説 で は あ る が、 入 唐 の 際 に 携 え て 行 き、 白 居 易 (或 い は 何某)に 見 せ た 所、 三 教 に 改 め さ せ た と い う 記 事 が 古 い 注 釈 書 に も 見 え て い る こ と 等 も 両 書 に 時 間 的 隔 り が あ っ た こ と の 傍 証 の 一 つ 足 り 得 よ う。 ﹂ ( 波 戸 岡 旭 論 文149、 一 三 一二 頁 )。 こ の よ う に 加 地 博 士、 波 戸 岡 氏 は、 白 楽 天 と の 面 談 が 契 機 と な っ て、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 改 作 が な さ れ た こ と を 述 べ て い る が、 こ れ に 反 し て、 空 海 と 白 楽 天 と は 会 う こ と が な か っ た こ と を 主 張 し た 太 田 次 男 博 士 の 論 考 も あ る ( ﹁ 白 楽 天 と 空 海 ﹂ ﹃ 東 横 学 園 女 子 短 期 大 学 紀 要 ﹂ 二 三、 昭 六 三-八)。 ( 65 ) ﹁ 又 大 師 於 二 本 朝 一所 レ 造。 三 宝 指 帰 随 身 白 楽 天 令 レ 見 給。 楽 天 嘆 云。 和 尚 統 二 百 部 書 一云。 加 之 大 師 於 二 唐 朝 一施 二 威 徳 一 給 事。 不 レ 可 二 称 計 幻 委 在 二 本 伝 -可 レ 尋 レ 之。 ﹂ (﹃ 大 正 ﹂ 七 六、 七 四 四 頁 上 )。 (66) 竹 内 吉 次 郎 論 文 11、 四 五 〇-四 五 二 頁。 (67 ) 本 稿 五 頁 を 参 照 し て い た だ き た い。 (68 ) 川 崎 庸 之 論 文 75、 四 〇 九 -四 一 〇 頁。 (69 ) 春 名 好 重 論 文 82、 細 貝 保 夫 論 文 83、 太 田 次 男 論 文153、 和 多 秀 乗 ・ 山 陰 加 春 夫 論 文155。 ( 70 ) 河 内 昭 円 論 文158。 河 内 氏 以 前 に も、 野 本 白 雲、 向 井 隆 健

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両 氏 に よ っ て ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 偽 作 説 が 発 表 さ れ て い る (野 本 論 文 17、 向 井 論 文 齪 ) が、 詳 細 な 研 究 は 河 内 氏 の も の が 最 初 と 思 わ れ る。 ( 71 ) ﹃ 新 訂 増 補 国 史 大 系 ﹂ 三、 三 八 頁。 ( 72 ) ﹃ 弘 伝 ﹂ 一、 三 七 頁 上-三 八 頁 上。 ( 73 ) ﹃ 空 海 僧 都 伝 ﹄ (﹃ 弘 伝 ﹄ 一、 三 一 頁 上 )。 ﹃ 御 遺 告 ﹂ ( ﹃ 定 本 弘 全 ﹄ 七、 三 五 一 頁 )。 ( 74 ) ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 偽 作 説 が 発 表 さ れ る 以 前 は、 ﹃続 日 本 後 紀 ﹄ の 卒 伝 は、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 序 文 を 参 照 し て 製 作 さ れ た と 考 え ら れ て い た。 し か し、 ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 偽 作 説 を 説 い た 河 内 昭 円 氏 は、 従 来 の 説 と は 反 対 に、 ﹃続 日 本 後 紀 ﹂ の 卒 伝 を も と に ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ の 序 文 が 作 ら れ て い る こ と を 主 張 し て い る ( 河 内 論 文 雌、 一 一 二-一一八頁)。 ( 75 ) ﹃空 海 僧 都 伝 ﹄ ﹃ 御 遺 告 ﹄ が ﹃ 三 教 指 帰 ﹂ 製 作 年 時 を 十 五 歳 か ら 二 十 歳 の 間 に 設 定 し た 理 由 に つ い て、 大 西 尭 観 師 は、 出 家 宣 言 書 で あ る ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 製 作 年 時 を 二 十 歳 剃 髪 以 前 に 位 置 づ け て 符 合 さ せ て い る、 と 説 き (大 西 尭 観 論 文 9、 四 二 六 頁 )、 中 垣 内 清 貴 氏 は、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ は、 空 海 を 聖 人 化 す る 余 り、 求 聞 持 受 法 を 志 学 ( 十 五 歳 ) と し、 そ の 後 の 史 実 を 五 年 程 湖 ら せ た た め、 と 推 測 し て い る (中 垣 内 論 文 51、 三 二-三三頁)。 ( 76 ) 一 連 の 成 立 問 題 の な か、 本 稿 で は 製 作 年 代 の 諸 説 を 概 観 し た に 過 ぎ な い が、 次 号 で は ﹃ 三 教 指 帰 ﹄ の 真 偽 問 題 を 取 り 上 げ、 く わ し く 考 察 す る 予 定 で あ る。 (付 記 ) 本 稿 を 作 成 す る に あ た り、 武 内 孝 善 先 生、 岩 崎 日 出 男 先 生、 前 谷 恵 紹 先 生 に は 多 く の 御 教 示 を い た だ い た。 ま た、 広 島 大 学 の 松 本 光 隆 先 生、 福 島 大 学 の 小 原 晃 先 生、 上 智 大 学 の ロ ボ ア ム ・ テ ィ エ リ ・ ジ ャ ン 氏、 本 学 院 生 の 岩 本 弘 氏 の 御 協 力 に よ っ て、 多 く の 論 文 を 収 集 す る こ と が で き た。 末 尾 な が ら、 こ こ に 甚 深 の 謝 意 を 表 す る。 ﹃ 聾 瞥 指 帰 ﹄ ﹃三 教 指 帰 ﹄ 研 究 の 現 状 と 諸 問 題

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