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密教研究 Vol. 1933 No. 48 004岩原 諦信「公山貴光氏作「南山進流聲明音譜」に對する一考察 P68-91」

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 六 八

﹁南

公 山 氏 は 宗 旨 の 人 で は 無 い が 、 熟 心 に 吾 が 聲 明 を 研 究 さ れ て 、 南 山 進 流 聲 明 の 洋 樂 音 譜 を 作 ら れ だ 。 こ れ は 氏 が 報 告 の 意 味 で 、 謄 寓 版 刷 を 以 つ て 金 剛 峯 寺 に 提 出 さ れ だ も の で あ る 。 其 の 序 文 に ﹁ 完 全 無 訣 を 期 す る 爲 (﹂ と あ る の を 見 て も 、 此 の 吾 譜 に 樹 す る 氏 の 抱 負 を 知 る こ と が 出 來 る 。 私 は 今 日 迄 の 所 で は 、 三 禮 、 如 來 唄 、 云 何 唄 、 散 華 (已 上 呂 旋 讐 調 ) 。 梵 膏 、 錫 杖 、 樹 揚 、 (巳 卜 律 旋 盤 渉 調 ) 。 佛 名 、 (黄 鐘 調 ) 。 の 音 譜 を 舞 讃 す る こ と を 得 だ の で あ る 。 氏 が 此 の 音 譜 を 作 製 さ れ る に つ い て は 、 吾 が 藤 明 界 に 於 け る 第 一 人 者 で あ る 關 口 僧 正 に つ い て 、 研 究 し て 居 ら れ る と 云 ふ こ と を 耳 に し だ の で 、 宗 寳 と も 云 ふ 可 き 同 檜 正 の 聲 明 が 其 の ま ど 、 公 山 氏 に 依 つ て 、 五 線 紙 上 に 寓 眞 の 様 に 書 き 表 は さ れ る こ と で あ ら う と 期 待 し て 居 つ だ 。 然 る に 出 來 上 つ だ 氏 の 音 譜 を 舞 讃 す る に 、 關 口 僧 正 の 實 際 (の 聲 明 と は 遠 く 離 れ て 全 く 別 な 途 を 行 く も の で あ る 。 恩 師 關 口 僧 正 御 遷 化 の 今 H に 至 つ て 見 れ ば 、 氏 の 音 譜 に 吾 等 の 期 待 が 實 現 さ れ て 無 い こ と は 、 一 層 の 悲 哀 と 失 望 と を 戚 す る も の で あ る 。 宗 内 諸 大 徳 の 中 に は 、 氏 の 音 譜 は 故 關 口 信 正

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の 實 際 聲 明 が 其 の ま 、 書 か れ て あ る も の と 信 じ て 居 る 人 さ へ あ る か に 見 え る 。 私 は 古 義 眞 言 宗 に 籍 を 畳 き 、 進 流 聲 明 の 末 資 に 列 す る 一 人 と し て 、 氏 の 南 山 進 流 聲 明 音 譜 を 讃 む 時 に 、 一 種 の 責 任 を 威 す る も の が あ る の で 、 こ 、 に 其 の 一 考 察 を 披 渥 す る 次 第 で あ る 。 氏 が 此 の 音 譜 作 製 に 當 つ て 、 其 の 方 針 が 那 邊 に 存 し だ で あ ら う か 、 帥 ち 現 在 の 進 流 聲 明 の 實 際 を あ り の ま と 探 譜 す る の が 目 的 で あ つ だ か 如 何 と 云 ふ に 、 音 譜 の 序 文 に 、﹁ 音-樂 實 際 の 必 然 性 を 以 つ て 五 音 七 聲 を 正 し ﹂ と 云 ひ 、-、今 は 巌 に 其 の 五 音 を 正 す こ と に 意 を 用 ひ だ ﹂ と 云 ひ 、﹁ 何 の 爲 め に 徴 角 別 の 音 譜 を 用 ひ だ か と 不 審 が 現 は れ て 來 る ﹂ と あ る の と 、 音 譜 の 内 容 と を 併 せ 考 ふ る に 、 氏 の 方 針 は ﹁ 過 去 の 正 し き 進 流 聲 明 は 如 是 で あ つ だ で あ ら う ﹂ ﹁ 將 來 の 正 し き 進 流 聲 明 は か く あ る 可 き も の で あ ら う ﹂ と 云 ふ を 以 つ て 出 螢 さ れ だ も の で あ る と 解 す る 。 進 流 聲 明 の 過 去 と 云 ふ て も 上 下 一 千 年 の 長 期 間 で 、 此 の 間 既 に 言 語 や 文 字 に 猶 化 が あ り 、 一 般 日 本 音 樂 と し て も 異 常 な る 猶 遷 登 達 を 途 げ 、 今 日 術 日 本 音 樂 史 す ら 完 成 さ れ て 居 な い と 云 ふ 程 の 複 雑 な る 流 路 を な し て 居 る 。 從 つ て 吾 が 進 流 聲 明 も 、 輸 入 時 代 や 作 曲 當 初 の ま 、 で 今 日 に 至 る こ と を 得 す し て 、 種 々 に 憂 化 し た で あ ら う こ と は 理 の 當 然 で 、 口 か ら ロ へ 傳 へ る 間 に 、 音 樂 的 訓 練 を 鉄 い だ 爲 め に 起 つ だ 不 合 理 の 憂 化 も あ ら う 。 所 謂 ﹁ 藝 術 は 時 代 の 子 な り ﹂ で あ る か ら 、 時 代 の 支 配 を 亨 け た 必 然 的 の 鍵 化 も あ ら う 。 今 日 の 進 流 聲 明 が 、 墨 譜 適 り に 唱 へ な い と 云 ふ こ と は 、 一 千 年 間 に 、 何 時 と は 無 し に 、 誰 れ と は 無 し に 、 自 然 に 起 つ て 來 た 猶 化 で あ つ て 、 其 の 養 化 の 中 に は 、 色 々 な 事 情 に 基 く 種 々 の 要 素 が 存 在 す る 筈 で あ る 。 故 に 氏 の 方 針 の 如 き 音 譜 を 作 製 す る に は 、 先 づ 音 樂 的 進 流 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 六 九

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 七 ○ 聲 明 史 を 完 成 し 、 然 る 後 に 、 一 千 年 間 で , 一 番 結 構 で あ る と 云 ふ 時 代 の 聲 明 に 照 合 し 、 中 途 で 結 合 さ れ だ 種 々 の 要 素 の 、 善 悪 を 識 別 取 捨 し て 、 作 譜 す る と 云 ふ の で 無 く て は 、 範 と す 可 き も の に は な ら の 。 大 凡 そ 進 流 聲 明 を 再 現 せ ん と す る 時 に 、 必 要 な る 要 素 は 、 一 、 墨 譜-音 の 比 較 的 の 高 低 を 指 示 す る も の 二 、 補 助 記 號-或 る 程 度 の 音 の 長 短 、 音 の 高 低 の 細 部 、 音 の 強 弱 の 一 小 部 分 を 指 示 す る も の 。 三 . 口 授 -音 の 高 低 、 長 短 、 強 弱 、 等 を 総 合 し て 耳 よ り 入 れ る も の 。 の 三 つ で あ つ て 、 此 の 三 者 は 同 時 に 具 足 せ ね ば 聲 明 を 再 現 す る こ と は 出 來 な い 。 墨 譜 は 聲 ・明 の 骨 組 で あ つ て 、 補 助 記 號 と 口 授 と は 聲 明 の 筋 肉 で あ る 補 助 記 號 は 時 代 に 依 つ て 種 々 に 猶 遷 し 、 明 治 板 魚 山 に 至 っ て 最 も 甚 し く 猶 つ て 居 る 。 故 に 明 治 板 魚 山 は 一 千 年 間 に 於 て 、 聲 明 の 筋 肉 の 攣 化 の 頂 黙 に 居 す る も の で あ る と 云 ふ こ と が 出 來 る 。 口 授 は 過 去 の も の を 其 の ま 、 再 現 す る こ と を 得 な い け れ ど も 、 現 在 同 N 人 の 口 授 を 受 け だ 人 々 の 間 に 於 て 各 々 相 違 を 存 す る こ と か ら 推 す 時 は 、 過 去 の 口 授 と 現 在 の 口 授 と の 問 に は 時 代 と 共 に 、 相 當 の 距 離 を 存 す る で あ ら う こ と は 覆 ふ 可 か ら ざ る 事 實 で あ る 。 故 に 過 去 の 正 し き 聲 明 を 再 現 し よ う と す る 重 大 な る 使 命 を 持 つ た 音 譜 と し て は 、 此 の 三 要 素 を 皆 同 一 程 度 に 其 の 時 代 の も の に 還 元 せ ね ば な ら の 。 若 し 然 ら す し て 、 聲 明 の 骨 格 た る 墨 譜 の み を 、 作 曲 當 時 の 理 論 に 適 合 す る 様 に 還 元 し 、 筋 肉 だ る 補 助 記 號 を 明 治 板 魚 山 の ま 、 用 ひ て 、 音 譜 を 作 製 し だ な ら ば 、 其 の 結 果 は 、 恰 も 頭 に 丁 髭 を 頂 い て 洋 服 を 着 だ る が 如 く 、 頗 る 不 調 和 で あ る で あ ら う 。

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如 是 き 音 譜 に 依 つ て 作 曲 當 時 の 正 し き 聲 明 を 再 現 し よ う と し て も 不 可 能 の 業 で あ る 。 氏 が 憂 化 し だ る 今 日 の 聾 明 を 唯 一 人 の 今 師 に 聞 き 、 而 も 五 音 七 聲 の み を 理 論 に 還 元 し て 、 作 譜 さ れ て あ る こ と は そ れ が 音 樂 的 に 完 全 無 鉄 で あ る と 假 定 し て も 、 進 流 聲 明 と し て は 、 滑 稽 な る 不 調 和 の 黙 を 存 す る こ と は 免 れ な い 所 で あ る 。 高 き 音 樂 的 知 識 を 以 っ て 、 氏 の 音 譜 を 批 評 す る こ と は 別 に 其 の 人 が あ る で あ ら う 。 私 は 唯 宗 旨 の 者 と し て 如 何 な る 態 度 を 以 つ て 、 氏 の 音 譜 を 見 る 可 き か に 關 し 、 氣 の つ い だ 二 三 の 事 項 を 述 べ よ う と す る も の で あ る 。 一 、 墨 譜 に つ い て 墨 譜 は 作 曲 當 初 か ら 見 れ ば 、 其 の 形 態 が 麺 化 し て 居 る け れ ど も 、 現 在 使 用 の も の は 畳 意 師 の 創 意 に か 、 る も の で 、 此 の 登 明 以 後 形 態 と し て は 大 し て 猶 化 し て 居 な い が 、 そ れ が 指 示 す る 音 の 比 較 的 の 高 低 、 帥 ち 、 音 階 は 時 代 に 依 つ て 猶 化 し た ら し い 。 そ れ で も 作 曲 當 初 の 音 階 に 還 元 す る こ と は 敢 へ て 困 難 で は 無 い よ う で あ る 。 然 し 墨 譜 を 作 曲 當 時 の 音 階 に 依 つ て 、 正 し く 五 線 紙 上 に 表 現 せ ん と す る に 當 り 、 吾 々 は 二 の 大 な る 困 難 に 相 遇 す る 。 そ れ は 帥 ち ﹁ モ ド ソ ﹂ の 問 題 で あ る 。 進 流 聾 明 の 墨 譜 は 五 音 表 示 の 外 に 、 ﹁ モ ド リ ﹂ と 云 ふ も の が 存 在 す る 。 こ れ は 五 音 の 外 の 音 か 、 五 音 の 内に 膏 か 、 乃 至 五 音 と 如 何 な る 關 係 に 在 る 音 か 、 其 の 理 論 的 根 擦 が 全 く 不 明 で あ る 。 僅 に 口 傳 に 依 り 、 呂 で は 同 音 、 律 で は 一 位 上 げ る 、 と 云 ふ こ と に な つ て 居 る 。 故 に 作 曲 當 初 に 此 の ﹁ モ ド ソ ﹂ を 如 何 に 唱 へ だ か 、 今 日 か ら は 全 く 不 明 で あ る 。 然 る に 氏 は 音 譜 作 製 に 當 つ て 、 呂 で は 宇 音 上 げ 律 で は 二 膏 上 げ と 定 め 、 而 も 所 に 依 り 種 々 の 高 さ 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 匕 一

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す ろ 一 考 察 七 二 を 用 ひ て あ る 。 郎 ち 、 如 來 唄 の ﹁ 妙 ﹂ の 字 の 第 一 の ﹁ モ ド ソ ﹂ で は 直 前 の 音 よ り 孚 音 上 り 。 第 二 の ﹁ モ ド ソ ﹂ で は 直 前 の 音 と 同 音 。 梵 音 の ﹁ 有 ﹂ の 字 で は 直 前 の 音 よ り 三 音 上 つ て 居 る 如 き で あ る 。 こ れ に 關 す る 氏 の 理 由 は 、 口 傳 に 依 り 呂 で は 同 音 と 云 ふ こ と な れ ど も 、 若 し 然 ら ば 同 じ 譜 を 重 の 可 き で あ る の に 、 其 の 然 ら ざ る は 音 の 高 さ を 異 に す 可 き も の で あ る と 。 然 し 同 じ 譜 を 重 の 可 き で あ る と は 今 人 の 心 理 で あ つ て 、 古 人 の 考 へ は さ う で 無 か つ だ か も 分 ら の 或 は 一 種 の 強 溺 記 號 で あ つ だ の か も 知 れ な い 。 又 假 り に 音 の 高 さ を 憂 へ る 意 味 の 記 號 で あ つ だ と し て も 、 劃 然 と 今 日 の 孚 音 で あ つ だ か ど う か 、 或 は 牟 音 よ り 大 き か つ だ か も 知 れ な い し 、 又 小 さ か つ だ か も 知 れ な い 。 同 音 の 口 傳 を 動 か し て 、 宇 音 上 り と 定 め る に 足 る 程 の 何 等 の 理 由 も 根 擦 も な く て 、 唯 氏 の 一 見 解 に 過 ぎ な い で は 無 い か 。 律 の ﹁ モ ド リ ﹂ は 一 位 上 る と 云 ふ 口 決 な れ ど も ハ ッ キ ソ 一 位 上 つ だ 音 を 、 外 の 場 合 と 同 じ く 登 聲 し だ の で は 、 別 に ﹁ モ ド ソ ﹂ の 譜 を 要 し な い の で 二 音 上 り と 定 め だ 、 と あ る が 、 古 人 の 一 位 と 云 ふ 用 語 の 意 味 は 高 階 の 一 位 か ら 次 の 位 へ 行 く 場 合 も あ れ ば 、 十 二 律 の 二 音 か ら 次 の 音 へ 行 く の を 指 す 場 合 も あ る と 云 ふ 様 に 色 々 で あ つ た ら し い 。 現 に 十 一 位 を 十 二 律 に あ て だ 様 な も の さ へ 二 百 年 も 昔 の も の に 書 い て あ る 。 故 に 最 初 は 一 位 で あ つ た も の が 中 古 二 音 に 憂 化 し だ の か も 知 れ す 。 或 は 叉 最 初 一 律 上 つ だ の が 、 後 世 二 音 に 鍵 化 し だ の か も 分 ら の 。 古 人 に は 一 位 と か 律 と か 云 ふ 用 語 や 観 念 は 早 く か ら 存 し た で あ ら う が 、 二 音 と か 宇 音 と か 云 ふ こ と は 、 昔 に は 無 か つ だ と 見 る の が 要 當 で あ る 。 故 に 律 の ﹁ モ ド リ ﹂ は 一 位 上 る と 云 ふ 口 傳 を 動 か し て 、 二 音 上 り と 定 め る の が 正 し い と 云 ふ 確 然 だ る 根 檬 は 何 虚 に も 無 い 。 況 ん や 前 掲 の 通 り 氏

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の 主 観 に 依 つ て 種 か の 音 高 を 用 ひ ら れ て あ る こ と 其 れ 自 禮 が 、 そ こ に 見 る 可 き 一 定 の 理 路 の 存 し な い こ と を 説 明 し て 居 る も の を や で あ る 。 聲 明 再 現 に 必 要 な る 三 要 素 の 中 で 、 比 較 的 容 易 に 昔 へ 還 へ る こ と の 出 來 る 墨 譜 の 當 面 に 於 て す ら 全 く 不 明 で 手 の つ け ら れ な い 大 な る 困 難 を 存 す る こ と が 分 る で あ ら う 。 ﹁ モ ド ソ ﹂ を 氏 の 如 く 定 め る こ と は 要 す る に 氏 の 想 像 で あ つ て 、 昔 か ら の ロ 傳 と 今 日 の 實 際 聲 明 と を 動 か す に 足 る も の で は 無 い か ら 、 氏 の 説 を 以 つ て 過 去 の 正 し い 聲 明 の ﹁ モ ド ソ ﹂ を 律 し 、 範 を 將 來 に 及 ぼ さ ん と せ ら れ て も そ れ は 進 流 聲 明 と は 自 ら 別 の 途 を 行 く も の で あ る と 云 は ね ば な ら の 。 二 、 補 助 記 號 に つ い て 聲 明 の 墨 譜 は 直 線 の 方 向 に 依 り 、 音 の 比 較 的 の 高 低 を 示 す も の で 、 其 の 他 の 細 部 、 即 ち 、 長 短 、 強 弱 、 ユ リ 、 イ ロ 、 等 の 細 か い 動 き 方 は 、 凡 て 補 助 記 號 を 以 つ て 書 き 表 は し て あ る か ら 、 曲 の 再 現 に は 墨 譜 よ り も 寧 ろ 補 助 記 號 の 方 が 主 膿 を な す も の で あ る 。 歴 代 魚 山 を 比 較 す る に 、 補 助 記 號 が 種 々 に 異 つ て 聲 明 の 猶 化 を 示 し て 居 る が 、 今 其 の 愛 化 の 跡 .を 要 約 す る に 。 (イ ) 同 一 名 蒋 の も の で 数 と か 量 と か い 、 古 今 東 西 相 違 し て 居 る も の 。 ( ロ ) 寛 保 板 以 前 の 諸 魚 山 に 、 凡 て 存 在 す る 記 號 に し て 、 明 治 板 魚 山 に 消 失 し て 居 る も の 。 ( ハ )寛 保 板 以 前 の 歴 代 魚 山 に 、 凡 て 存 在 せ す し て 、 明 治 板 魚 山 に の み 存 す る 記 號 。 で あ る が 、 氏 が 音 譜 作 製 に 當 つ て 、 此 れ 等 の 諸 黙 に 如 何 な る 態 度 を 以 つ て 臨 ま れ だ か を 考 察 し よ う 。 ( イ ) 同 一 名 幕 の も の で 、 古 今 東 西 に 依 り 、 歎 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 七 三

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁南 山 進 流 聲 明 音 講 し に 封 す る 一 考 察 七 四 量 の 相 違 し て 居 る も の 。 こ れ に 薦 す る 重 な る も の は ﹁ ユ リ ﹂ と ﹁ ソ ソ ﹂ と で あ る 。 ﹁ ユ ソ ﹂ の 度 数 の 猶 遷 歴 代 魚 山 を 比 較 す る に 、 各 曲 に 於 け る 凡 て の ﹁ ユ ソ ﹂ の 度 歎 が 、 如 何 に 憂 化 し て 居 る か を 明 か に 見 る で あ ら う 。 ﹁ ユ リ ﹂ の 度 数 は 曲 の 攣 化 で 無 い と 云 へ る で あ ら う が 、 盤 萌 か ら ﹁ ユ リ ﹂ を 除 け ば 何 物 も 残 ら の と 云 ふ 程 、 ﹁ ユ リ ﹂ は 六皿聲 明 の 動 き の 主 禮 で あ る 。 故 に 此 の 度 歎 の 多 少 は 曲 趣 に 憂 化 を 與 へ る こ と は 明 か で あ る 。 若 し 此 の 度 歎 の 多 少 が 、 曲 趣 に 何 等 の 影 響 を 與 へ な い も の な れ ば 、 歴 代 魚 山 が 悉 く と 云 ふ て も よ い 程 、 度 数 を 換 へ て 居 る 筈 が 無 い 。 古 本 が 悉 く 此 の 度 歎 に 猶 化 を 與 へ だ と 云 ふ 事 そ れ 自 禮 が 、 曲 趣 に 憂 化 を 及 ぼ す も の で あ る こ と を 物 語 る も の で あ る 。 故 に 過 去 の 正 し い 聲 明 に 還 へ り 、 未 來 へ の 指 針 だ る 可 き 音 譜 と し て は 、 各 曲 に つ い て 、 ﹁ ユ リ ﹂ の 度 歎 の 多 少 の 適 否 を 察 し て 、 之 れ を 定 め な く て は な ら の 。 理 論 的 に 云 へ ば 明 治 板 魚 山 が ︼ 等 不 合 理 が 多 い 黙 か ら 見 て も 、 明 治 板 魚 山 の ﹁ ユ ソ ﹂ の 度 数 が 凡 て 適 當 で あ る と は 考 へ ら れ な い 。 殊 に 猶 化 し な い 以 前 の 正 し い 聲 明 に 還 へ ら ん と す る に は 、 一 層 古 本 魚 山 の ﹁ ユ ソ ﹂ の 度 藪 に つ い て 、 深 き 考 慮 を 彿 は ね ば な ら の と 考 へ ら れ る 。 然 る に 氏 は 此 の こ と を な さ す し て 、 凡 て 明 治 板 魚 山 に 依 ら れ た こ と は 、 理 想 的 音 譜 作 製 と し て は 訣 隔 の 一 と 云 は ね ば な ら の 。 ﹁ ユ ソ ﹂ の 歎 の 相 違 高 野 山 傳 統 で は 呂 の ﹁ ユ リ ﹂ の 数 は 三 つ と 定 め て あ る が 、 葦 原 僧 正 の 相 傳 で は 必 す し も 三 に 限 ら す 、 四 つ 五 つ で あ つ て 、数 の 多 い こ と は 事 實 で あ る 律 の ﹁ ユ ソ ﹂ は 数 を 澤 山 由 る と 云 ふ 口 傳 で あ る が 、 時 代 に 依 り 人 に 依 つ て 、 五 七 九 等 種 々 で あ る 何 れ を 標 準 と す る と 云 ふ 規 定 の 無 い 以 上 、 省 更 ら

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範 團 を 廣 く 研 究 し だ 上 で 、 初 め て 其 の 取 捨 を 決 す 可 き で あ る が 、 氏 は こ れ に 鯛 れ て 居 ら れ な い 。 ﹁ ユ リ ﹂ の 高 さ と 強 さ 氏 は 普 蓮 の ﹁ ユ ソ ﹂ の 音 程 を 二 音 に し て 居 ら れ る が 、 こ れ も 頗 る 問 題 で あ ら う 。 時 代 と 人 と に 依 つ て 相 違 が あ る 。 現 に 備 中 方 面 の ﹁ ユ リ ﹂ は 高 野 山 傳 統 の も の に 比 べ る と 、 其 の 高 さ と 強 さ と に 於 て 、 相 當 の 距 離 を 存 す る 様 に 思 は れ る 。 前 者 は 進 流 聲 朋 を 明 治 大 正 へ 相 績 し た 唯 一 の 流 れ で あ る か ら 田 含 の 機 と し て 排 斥 し 去 る こ と の 出 來 な い も の で あ る 。 進 流 正 系 の ﹁ ユ ソ ﹂ は 果 し て 何 れ が 是 か 非 か 。 断 定 す る こ と は 容 易 で 無 い 。 萄 も 後 世 へ 範 を 垂 る 可 き 音 譜 と し て は 此 の 黙 相 當 の 研 究 を 要 す る 。 然 る に 氏 の 音 譜 に 於 て は 此 の 黙 に 甚 だ 不 充 分 を 威 す る も の で あ る 。 ﹁ ソ リ ﹂ の 内 容 小 ソ 。 ソ ル 心 、 ソ ル 。 の 記 號 は 用 語 の 意 義 を 劃 然 と 定 め す し て 魚 山 に 使 用 し て あ る か ら 、 人 に 依 り 時 に 從 つ て 、 内 容 が 涯 々 で あ る 。 例 へ ば 或 る 人 は 音 の 高 低 無 し に 、 初 め 弱 く 後 強 く 唱 へ る .も の を 他 の 人 は 絡 り の 聲 を 上 げ て 唱 へ る 。 同 じ 高 い 音 ヘ ソ ソ つ く に し て も 、 雫 昔 位 の 差 、 二 者 位 の 差 、 一 音 宇 位 の 差 、 等 古 今 東 西 相 違 し て 居 つ て 、 強 ち に ` 理 論 の み で 解 決 の 出 來 な い も の も 相 當 に 存 在 す る 且 又 古 へ に 在 つ て 今 無 き も の 、 今 在 つ て 古 へ に 無 き も の 、 等 種 々 の 困 難 を 件 ふ 。 正 し き 進 流 聲 明 と し て 作 曲 當 初 如 何 に 唱 へ だ り し か 、 今 日 か ら は 全 く 知 る 由 も 無 い 。 氏 の 音 譜 は 五 音 七 聲 の み は 正 し て 書 か れ て あ る が 、 此 の 方 面 を 如 何 に 解 決 す 可 き か 頗 る 問 題 を 存 す る の で あ る 。 ( ロ ) 古 本 に 存 在 す る 記 號 で 、 明 治 板 魚 山 に 消 失 し て 居 る も の 。 寛 保 板 魚 山 迄 こ れ を 存 し 、 明 治 板 魚 山 に 至 つ て 全 く 消 失 し て 居 る 記 號 も 随 分 あ る よ う で あ る が 、 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 七 五

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 し に 封 す る 一 考 察 七 六 二 一二 の 實 例 を 墨 げ て 見 る と 。 唱 禮 の ﹁ 畳 ﹂ 。 ﹁ 眼 ﹂ 、 ﹁ 所 ﹂ 、 ﹁ 遠 ﹂ 等 の 宮 の ﹁ 色 ﹂ 理 趣 経 の 頭 の 句 に 存 す る 澤 山 の ﹁ 色 ﹂ 。 等 は 明 治 板 魚 山 に は 全 く 清 失 し て 、 其 の 一 を も 存 し て 居 な い 。 現 在 の 聲 明 が 不 合 理 な る 墾 化 を し て 居 る か ら 、 作 曲 當 初 へ 還 へ ら ん と す る に は . 如 是 く 既 に 全 く 溝 失 し て 、 傳 を 失 ふ て 居 る も の 、 存 在 を 如 何 に 取 扱 ふ 可 き か 。 若 し 今 の 聲 明 の 色 を 其 の ま ど 此 れ 等 の 譜 に 持 つ て い つ て 復 活 せ し む れ ば 、 頗 る 墾 な も の に な る で あ ら う 。 殊 に 此 の 場 合 、 古 人 の ﹁ 色 ﹂ の 意 義 と 今 人 の ﹁ 色 ﹂ の 意 義 と は 相 違 し て 居 つ た ら し い 形 跡 さ へ 見 え る の で あ る か ら 、 現 在 の ﹁ 色 ﹂ を 其 の ま 、 こ y に 復 活 せ し む る こ と は 出 來 な い 。 さ り と て 此 の ま と で は 爾 不 都 合 で あ る 。 又 唱 禮 の ﹁ 我 今 陳 ﹂ の ﹁ 今 ﹂ 、 ﹁ 悉 擬 ﹂ の ﹁ 擬 ﹂ 、 ﹁ 等 集 ﹂ の ﹁ 集 ﹂。 等 は 其 の 墨 譜 の 初 め に ﹁ 朋 ﹂ 或 は ﹁ 反 宮 ﹂ の 聲 を 一 旦 出 し て 、 次 の 徴 の 墨 譜 の 聲 に 移 る よ う に な っ て 居 る 。 こ れ は 唱 禮 の 中 に は 随 分 澤 山 に 存 在 す る 。 明 慮 の 寓 本 に は 上 記 ﹁ 今 ﹂ の 所 に 、 ﹁ 此 打 懸 ハ 反 宮 也 ﹂ 云 々 と あ る 。 こ れ 等 の 記 號 は 皆 寛 保 板 迄 之 れ を 存 し 、 明 治 板 に 至 つ て 全 く 消 失 し て 居 る 位 階 を 正 し て 唱 へ だ 時 代 に は 、 前 後 の 音 の 聯 絡 上 必 要 が あ つ だ か ら 古 本 .の 如 く で あ つ だ で あ ら う が 位 階 を 正 し て 唱 へ な い よ う に な つ て は 、 有 名 無 實 で あ る か ら 、 明 治 板 に 之 れ を 除 い た の で あ ら う 。 故 に 若 し 位 階 を 正 す と す れ ば 、 こ れ 等 も 當 然 復 活 せ し め ね ば な ら の が 、 今 日 既 に 傳 を 失 ふ て 居 る の で あ る か ら 、 長 短 強 弱 の 度 合 等 は 之 れ を 知 る 由 も 無 い 。 こ れ 等 の 吏 實 を 見 て も 氏 の 音 譜 が 補 助 記 號 の 憂 化 を 無 親 し て 、 五 音 七 聲 の み を 理 論 に 合 致 せ し め だ の で は 、 過 去 の 正 し き 聲 明 の 表 現 に も な ら す 、

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未 來 へ の 範 と も な ら の と 云 ふ こ と が 首 肯 出 來 る で あ ら う 。 ( ハ ) 古 今 に 存 在 せ す 、 明 治 板 に の み 存 す る 記 號 前 掲 の 明 治 板 に 清 失 し て 居 る ﹁ イ ロ ﹂ の 外 は 、 寛 保 板 以 前 の 歴 代 魚 山 に は 、 ﹁ イ ロ ﹂ の 記 號 は 一 ケ 所 も 之 れ を 存 し な い が 、 明 治 板 魚 山 に 至 つ て は 舌 本 に 存 し な い ﹁ イ ロ ﹂ の 記 號 が 非 常 に 澤 山 に 現 は れ て 居 る 。 就 中 殆 ど 凡 て の 角 と 云 ふ て も よ い 程 角 に ﹁ イ ロ ﹂ を 存 し て 居 る 。 然 し 角 の 墨 譜 の ﹁ イ ロ ' は 實 際 聲 明 で は 皆 徴 で 唱 へ て 居 る 。 故 に 明 治 板 魚 山 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ は 徴 角 同 に な つ だ か ら ﹁ イ ロ ﹂ 。 が 出 來 だ の か 、 或 は ﹁ イ ロ ﹂ が 出 來 だ か ら 徴 角 同 に な つ だ の か 、 そ れ と も 何 か 他 に 事 情 が あ つ だ か 何 れ に し て も 寛 保 板 以 前 の 諸 魚 山 に は 一 ヶ 所 も 存 し な い 所 で あ つ て 、 角 は ﹁ ユ ラ ズ ﹂ と 云 ふ の が 舌 來 か ら 進 流 聲 明 の 通 則 で あ る 。 進 流 聲 明 の 通 則 を 樵 す る に 、 文 保 、 明 憾 、 の 一 . 寓 本 及 び 天 保 板 は 何 れ も 巻 末 に 其 れ を 載 せ て あ る が 、 各 本 皆 、 呂 律 共 に . ﹁ 角 ス ク ム ベ シ ﹂ と 注 し て あ る 。 然 る に 其 の 他 の 各 魚 山 は 、 巻 末 と 巻 首 と ニ ケ 所 に 通 則 を 載 せ て あ っ て 、 巻 末 の も の は 上 記 三 本 と 全 同 で あ る が 、 巻 首 の そ れ は 、 律 の 角 ﹁ ス ク ム 又 ハ 由 ル ナ ソ ﹂ と 注 し て あ る 。 依 つ て 其 れ 等 の 各 本 の 、 律 の 各 曲 に 於 け る 墨 譜 を 一 一 樵 す る に 角 を ﹁ ユ ル ﹂ 所 を 見 當 ら な い 。 然 ら ば 何 故 に ﹁ 又 ハ 由 ル ナ ソ ﹂ と 注 し だ か 。 子 細 に 其 れ 等 の 各 魚 山 を 見 る に 、 左 記 墨 譜 の 角 に の み ﹁ ユ ﹂ の 記 號 を 糞 見 す る 。 郎 ﹁ち 一、 散 花 の ﹁ 場 ﹂ の 墨 譜 及 び 之 れ と 同 形 の も の 。 同 ﹁ 盧 ﹂ の 墨 譜 及 び 之 れ と 同 形 の も の 。 同 ﹁ 道 ﹂ の 墨 譜 。 以 上 で あ る が 、 こ れ 等 は 所 謂 反 音 曲 の も の で 、 呂 の 中 に 存 す る 律 の 節 で あ る 。 故 に 墨 譜 は 呂 の も の で 、 撃 は 凡 て 律 に な る か ら 、 此 れ 等 の 墨 譜 は 實 は 律 の も の に 書 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 七 七

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 七 八 き 直 し て 見 る を 本 義 と す る 。 然 る 時 は 依 然 と し て 徴 を ﹁ ユ ル ﹂ こ と に な り て 、 角 の 當 位 を ﹁ ユ ル ﹂ こ と に は な ら の 。 故 に 歴 代 魚 山 の 角 に 封 す る 態 度 は 律 に 反 音 し だ 二 三 の 場 合 に は 角 の 當 位 に ﹁ ユ ﹂ の つ い て 居 る 所 が あ る が 、 意 を 得 れ ば 、 呂 律 共 に 角 の 當 位 で ﹁ ユ ル ﹂ 所 は 一 ケ 所 も な い の で あ る 。 明 治 板 魚 山 が 多 歎 の 角 に ﹁ イ ロ ﹂ を つ け た こ と は 墨 譜 や 萢 則 を 離 れ て 猶 (化 し た こ と を 讃 す る 大 な る も の と 一 で あ る 。 氏 の 音 譜 に 於 て は 明 治 板 魚 山 の 角 の 墨 譜 の ﹁ イ ロ ﹂ を 理 論 上 の 角 の 當 位 へ 還 元 し て つ け て 居 ら れ る 。 こ れ は 實 に 大 な る 問 題 で あ る 。 現 在 の 實 際 聲 萌 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ は 凡 て 聲 の 實 質 は 徴 で ﹁ イ η ﹂ し て 居 る 。 と れ 獄 聲 明 が 中 古 か ら 攣 化 し て 、 角 の 當 位 を ﹁ ユ ル ﹂ 様 に な つ だ も の を 音 樂 的 訓 練 を 鉄 い だ 爲 め に 、 自 然 に 徴 で ﹁ ユ ル ﹂ 標 に な つ だ と 見 る 可 き か 、 徴 角 同 に な つ た か ら 、 凡 て の 角 が 徴 に 引 き 上 げ ら れ て 、 角 の 墨 譜 に ﹁ イ ロ ﹂ を 注 す る に 至 っ だ と 見 る 可 き か 、 或 は 外 に 何 等 か の 事 情 が あ つ て 起 つ だ の で あ ら う か 、 全 く 不 明 で あ る 。 若 し 後 世 理 論 上 の 角 を ﹁ ユ ル ﹂ 檬 に な つ だ も の を 、 音 樂 的 訓 練 を 敏 い だ 爲 め に 、 ナ マ ツ テ 徴 に な つ た の で あ る か ら 、 元 へ 還 へ し て 、 理 論 上 の 角 の 當 位 で ﹁ イ ロ ﹂ す 可 き も の で あ る と 云 ふ な ら ば 、 實 に 其 れ は 不 合 理 で あ る 。 音 樂 訓 練 を 訣 い だ 爲 め に 角 を ナ マ ツ タ と 云 ふ な ら ば 、 十 が 十 皆 悉 く 徴 と 同 音 に な る に 限 ら す 、 理 論 上 の 角 よ り 高 い も の も あ る 可 く 、 又 低 い も の も 存 す 可 き で あ る の に 、 事 實 は 然 ら す し て 、 皆 徴 と 同 位 に な つ て ﹁ イ ロ ﹂ し て 居 る と 云 ふ こ と は 、 何 か 道 筋 が あ つ て の こ と ど 思 は れ る 。 假 り に 偶 然 さ う な つ だ と し て も 、 之 れ を 直 ち に 理 論 上 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ と し て 、 少 し も 他 を 顧 み な

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い と 云 ふ こ と は 、 吾 々 の 首 肯 出 來 な い 所 で あ る 。 何 と な れ ば 古 は 絶 樹 に 由 ら な か つ た 角 を 由 る に 至 っ だ と す れ ば 、 其 の 原 因 を 探 求 し て 之 れ を 善 庭 せ ね ば な ら の 。 帥 ち 動 か な か つ だ 角 が 動 き 出 し だ と す れ ば 、 其 の 動 き は 軍 に 角 自 禮 の 動 き に 止 ま ら す 、 必 す 其 の 力 を 他 の 各 音 に 及 ぼ す 筈 で あ る か ら 動 か の 角 を 以 つ て 組 織 さ れ だ 曲 が 、 動 く 角 を 以 つ て 置 き 換 へ ら れ た 時 に は 、 全 面 の 組 織 に 猶 動 を 及 ぼ す 筈 で は 無 い か 。 殊 に 明 治 板 魚 山 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ は 其 の 實 際 は 角 の 當 位 で な く て 、 徴 の 婁 位 で ﹁ イ ロ ﹂ し だ と 云 ふ こ と は 、 明 治 板 の 著 者 で あ る 葦 原 信 正 の 實 際 が さ う な っ て 居 つ だ の で あ つ て 、 其 の 相 傳 を し だ 本 人 が 角 の 墨 譜 に ﹁ イ 官 ﹂ と 注 し だ 外 に は 、 未 だ 曾 て 角 の 墨 譜 に ﹁ イ ロ ﹂ を つ け だ 人 は 無 い の で あ る 。 故 に 明 治 板 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ を 直 ち に 理 論 上 の 角 の ﹁ イ 官 ﹂ と す る こ と は 不 當 で あ る 。 又 若 し 徴 角 同 に な つ た か ら 角 に ﹁ イ ロ ﹂ を つ け る 様 に な つ た も の と 假 定 す れ ば 、 爪何 更 ら 之 れ を 理 論 上 の 角 の 當 位 に 還 元 し て ﹁ イ ロ ﹂ す る こ と は 不 合 理 で あ る 。 此 れ 等 の 理 山 の 外 に 何 か 事 情 が あ つ て こ と に 至 つ だ も の で あ る と す れ ば 、 其 の 理 由 と 根 糠 と を 明 か に し だ 上 で 、 之 れ を 適 婁 に 取 り 扱 ふ 可 き も の で あ る 。 氏 の 音 譜 に 於 て 理 論 上 の 角 の 婁 位 に ﹁ イ ロ ﹂ を つ け て 居 ら れ な い こ と は 、 古 來 の 進 流 猶 明 の 蓮 則 に 反 し 、 歴 代 魚 山 の 墨 譜 の 當 面 を 無 視 し 、 明 治 板 魚 山 の 實 際 に も 合 致 し な い 所 で あ る 。 此 の 一 事 の み に 關 し て も 、 氏 の 音 譜 は 南 山 進 流 聲 明 と は 全 く 別 の 途 を 行 く も の で あ る と 云 は ね ば な ら の 。 其 の 他 明 治 板 魚 山 に の み 存 す る 記 號 は 、 コ 二 禮 ﹂ の ﹁ 常 ﹂ の ﹁ 朋 の イ ロ ﹂ 。 ﹁ 散 花 ﹂ の ﹁ 璃 ﹂ の ﹁ 朋 の イ ロ ﹂ 。 ﹁ 梵 昔 、 錫 杖 ﹂ の 中 の ﹁ 宮 の イ ロ ﹂ の 凡 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 七 九

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 八 ○ て 。 ﹁ 甥 揚 ﹂ の ﹁、 宮 の ッ ヤ ﹂ の 凡 て 。 ﹁ 打 付 ﹂ の 大 部 分 0 ﹁ ハ ル ﹂ 。 ﹁ ヨ コ ヲ ロ シ ﹂ 。 等 で あ つ て 、 寛 保 以 前 の 諸 魚 山 に は 全 く 存 し な い 所 で あ る 。 聲 明 が 憂 化 し て 前 後 の 聯 絡 の 音 高 が 異 つ だ 爲 め に 、 失 は れ だ 音 の 働 き も 現 に 存 在 す る の で あ る か ら 、 其 れ と 反 樹 に 、 鍵 化 し だ 爲 め に 止 む を 得 す 出 來 だ 色 々 な 働 き の あ る こ と は 當 然 で あ る ◎ ﹁ ハ ル ﹂ ﹁ ヨ コ ヲ ロ シ ﹂ 、 ﹁ 打 付 ﹂ 等 全 く 此 の 部 類 に 囑 す る も の と 思 は れ る 。 故 に 五 音 七 聲 を 理 論 上 の 高 さ に 悉 く 引 き 戻 す 場 合 は 、 補 助 記 號 も 從 つ て 猶 化 せ ざ る 以 前 の も の に 復 露 す 可 き で あ る 。 然 る に 氏 の 音 譜 に 於 て は 、 補 助 記 號 を 全 く 明 治 板 魚 山 の ま と に 書 か れ て あ る こ と は 吾 等 の 首 肯 す る こ と を 得 な い 所 で あ る 。 ﹁ イ ロ ﹂ の 音 程 氏 は ﹁ イ ロ ﹂ の 音 程 を 所 に 依 つ て 替 へ て 書 い て 居 ら れ る 。 例 へ ば ﹁ 信 ﹂ の 反 宮 で は 二 膏 程 。 ﹁ 住 ﹂ の 朋 で は 二 音 漕ギ の 音 程 。 ﹁、 花 ﹂ の 終 り の 宮 で は 孚 音 程 。 に な つ て 居 る 如 き で あ る 。 既 に 述 べ た 様 に 、 明 治 魚 山 の ﹁ イ ロ ﹂ は 凡 て 寛 保 以 前 の 歴 代 魚 山 に は 存 し な い の で あ る か ら 、 此 の 所 の ﹁ イ ロ ﹂ は 孚 音 で 由 る と か 、 此 の 所 の ﹁ イ ロ ﹂ は 二 音 で 由 る 等 の 口 傳 も 根 慷 も 全 く 無 い の で あ る 。 偶 然 に 關 口 僧 正 の 唱 へ ら る 、 所 の ﹁ イ ロ ﹂ が さ う な つ て 居 つ た と 云 ふ の か 、 然 ら す ん ば 氏 の 所 謂 音 樂 必 然 性 か ら 來 だ の で あ ら う 。 若 し 前 者 で あ る な ら ば 、關 口 僧 正 一 人 の み の ﹁ イ ロ .﹂ を 聞 い て 、 進 流 聲 明 全 膿 の 古 今 東 西 の ﹁ イ ロ ﹂ の 音 程 を 律 す る こ と は 早 計 で あ る 。 若 し 後 者 で あ る な れ ば 、 見 解 は 人 に 依 つ て 異 る で あ ら う 。 何 れ に し て も 氏 の 音 譜 に 於 け る ﹁ イ ロ ﹂ の 存 在 は 歴 代 魚 山 に 違 し 、 又 明 治 板 の 實 際 と も 符 合 し な い も の で あ る と 云 ふ こ と に 麟 着 す る 。

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﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ 此 の 記 號 も 亦 寛 保 以 前 の 諸 魚 山 に は 全 く 見 な い 所 で あ つ て 、 角 の ﹁ イ ロ ﹂ に 次 い で 重 要 な る 憂 化 の 一 で あ る 。 既 に 述 べ だ よ う に ﹁ モ ド ソ ﹂ 其 の も の が 、 前 後 の 音 と 如 何 な る 關 係 を 取 る 可 き か 、 今 日 と し て は 知 る 由 も 無 い の で あ る か ら 、從 つ て ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ は 其 の 前 後 の 音 と 如 何 な る 關 係 を 持 っ 可 き も の か 、 又 如 何 な る 音 程 を 以 つ て 由 る の が 正 當 で あ る か 、 今 日 全 く 之 れ を 知 る こ と が 出 來 な い 今 日 の 實 際 聲 明 に 於 け る ﹁ イ ロ モ ド ツ ﹂ は 其 の 前 後 の 音 と の 關 係 が 匠 々 に な つ て 居 る が 、 一 三 日 宇 相 違 し て 居 る 場 合 が 多 い よ う で あ る 。 氏 の 音 譜 に も イ ロ ー に な つ て 居 る が 、 勿 論 今 日 の 實 際 と も 相 違 し て 居 る 。 氏 は ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ の 場 合 は 二 音 雫 上 を 孚 音 程 で 由 う 更 ら に 孚 音 上 げ て 持 ち 、 一 三 日 雫 を 下 す 云 々 と 説 明 し て 居 ら れ る が 寛 保 以 前 の 魚 山 に 一 切 見 え な い 記 號 で あ つ て 、 其 の 本 然 の 姿 や 、 其 の 理 論 的 根 擦 如 何 が 、 進 流 聲 明 の 口 決 に も 口 傳 に も 存 し な い の で あ る か ら . こ れ が 取 扱 は 今 日 と し て は 自 由 で あ る が 、 然 し こ の ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ の 存 在 を 認 め る の が 進 流 聲 明 と し て 正 當 か 否 か い 問 題 で あ る 。 前 後 の 音 が 墨 譜 の 指 示 す る 理 論 上 の 音 よ り も 猶 化 し だ 爲 め に 自 然 に ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ が 出 來 た の か も 知 れ な い 。 故 に 前 後 の 音 を 理 論 上 の 正 し い 音 高 に 戻 す 時 は 、 ﹁ モ ド リ ﹂ も ﹁ ツ キ モ ド リ ﹂ に す る の が 正 し い の か も 知 れ な い 。 殊 に 呂 旋 法 の 中 に ﹁ イ ゼ モ ド リ ﹂ の 存 在 す る こ 乏 は 、 ど う も 不 調 和 の 域 じ が 強 い 。 若 し ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ の 存 在 を 認 め る と す る と 、 其 の 姿 は 如 何 な る も の が 正 し い か 、 今 日 の 實 際 聾 明 は 理 論 上 正 し く な い の で あ る か ら 、 實 際 聲 萌 か ら 得 た 材 料 に 依 つ て 之 れ を 決 す る こ と は 不 合 理 で あ る 。 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 樹 す る 一 考 察 八 一

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 罫 す ろ 一 考 察 八 二 氏 の 音 譜 に ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ を 認 め 、 之 れ を 種 々 の 音 程 を 以 つ て 書 い て あ る が 、 之 れ 恐 ら く 關 口 僧 正 の 實 際 聲 明 か ら 得 だ 材 料 を 基 礎 と し て 、 例 の 音 樂 必 然 性 か ら 判 断 し て 定 め ら れ だ も の と 思 ふ が . 如 上 の 吏 實 か ら 考 へ る と 全 く 迷 中 の 是 非 で あ る 。 ﹁ ト メ ﹂ の 記 號 こ れ も 明 治 板 の み に 見 え る 記 號 で あ る か ら 、 中 古 以 來 表 は れ だ も の で あ る 。 氏 の 音 譜 に は 明 治 板 に 依 つ て 之 れ を 認 め て あ る 。 呂 に ﹁ ト メ ﹂ あ り 。 律 に ﹁ ト メ ﹂ 無 し 。 と 云 ふ の が 口 傳 で あ る が 、 呂 の 由 り の 後 に は 凡 て ﹁ ト メ ﹂ が あ る か と 云 へ ば 必 す し も 然 ら す し て 、 寧 ろ ﹁ ト メ ﹂ を 存 し な い 所 の 方 が 多 い 位 で あ る 。 作 曲 の 當 初 か ら ﹁ ト メ ﹂ が 有 つ た か 、 無 か つ た か 問 題 で あ る 。 若 し こ れ を 存 し だ り と す る も 、 高 さ が 同 で あ つ だ か 、 異 で あ つ だ か 。 凡 て 今 日 か ら は 知 る 由 も な い が 、 中 古 以 來 の 一 猶 化 で あ る こ と の み は 看 取 出 來 る 。 萄 も 過 去 の 正 し き 聲 明 に 還 へ り 、 未 來 へ の 指 針 だ ら ん と す る 音 譜 と し て は 、 研 究 題 目 か ら 逸 し て は な ら の こ と で あ ら う 。 三 、 ロ 授 に 就 い て 聲 明 を 再 現 す る に 必 要 な る 第 三 の 要 素 で あ る 所 の 口 授 に 關 し 、 氏 が 音 譜 作 製 に 當 つ て 取 ら れ だ る 態 度 に つ い て 考 察 し よ う 。 若 し 進 流 聾 明 が 墨 譜 適 り に 唱 へ て 居 る も の な れ ば 、 誰 れ の 聲 明 も 大 し て 異 つ て は 居 な い 筈 で あ る が 、 墨 譜 と 遠 く 離 れ て 唱 へ ら れ る 今 日 と し て は 、 人 々 に 依 つ て 異 つ て 居 る こ と は 止 む を 得 な い 所 で あ る 。 高 野 山 傳 統 の 聲 明 と 葦 原 師 相 傳 の 聲 明 と は 異 つ て 居 る 。 同 じ 葦 原 師 に 相 傳 を 受 け た 諸 師 を 比 較 し て 見 て も 、 關 口 師 と 眞 鍋 師 と は 異 つ て 居 る 。 鈴 木 高 橋 の 爾 師 は 前 二 師 と 違 つ て 居 る 。 繹 大 恵 師 は 前 の 諸 師 と 又 相 違 し て 居 る 。 と 云 ふ の が 事 實 で あ る

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が 、 此 の 現 状 か ら 推 す 時 は 、 魁 去 の 口 授 と 今 日 の 口 授 と は 異 つ て 居 つ た で あ ら う 。 其 の 中 に 於 て 現 存 の 諸 師 の み に つ い て も 、 誰 れ の 口 授 を 標 準 と す 可 き か を 決 定 す る こ と は 不 可 能 で あ る 。 唯 現 在 の 聲 明 の 一 般 を 知 る の み に て も 、 少 く と も 前 記 諸 師 の 口 授 を 一 逼 り は 聞 か ね ば な ら の 。 氏 は 關 口 僧 正 一 入 の 口 授 を 聞 い て 、 音 譜 作 製 の 基 礎 と せ ら れ だ こ と は 今 日 の 聲 明 の 一 般 を 知 る と 云 ふ 黙 に 關 し て 尚 不 充 分 で あ る 。 帥 ち 聲 明 再 現 に 必 要 な る 三 要 素 の 中 に 於 て 、 最 も 重 要 な る 一 要 素 に 關 し て 歓 陥 を 存 す る を 免 れ な い の で あ る 。 氏 の 音 譜 を 一 一 拝 見 す れ ば 、 音 の 長 短 に 於 て 、 強 弱 に 於 て 荷 幾 多 の 問 題 を 存 す る 。 且 っ 叉 氏 は 徹 頭 徹 尾 五 音 七 聲 を 正 さ ん と し て 出 登 さ れ な が ら 、 而 も 一 面 に は 現 實 に 囚 へ ら れ て 、 理 論 の 音 高 に 合 致 し な い 諸 黙 も あ る よ う で あ る 。 反 音 曲 を 四 種 反 音 に 依 ら す し て 、 同 じ 主 音 の 他 の 音 階 へ 韓 じ て 居 ら れ る が 、 古 の も の と し て 、 判 然 有 意 識 的 に 之 れ を 使 用 す 可 き か 問 題 で あ ら う と 思 ふ 。 此 れ 等 の 詳 細 は 後 日 に 譲 る こ と と す る が 、 之 れ を 要 す る に 、 氏 と し て は 進 流 聲 明 の 完 全 な る 音 譜 と し て 登 表 さ れ て あ る が 、 氏 の 研 謂 魯尤 全 と 云 ふ 意 味 は 、 音 譜 の 形 態 と し て 完 全 無 歓 で あ る 。 氏 の 主 観 と し て 完 全 で あ る の 意 と 解 す る 。 氏 は 進 流 聲 明 に 封 し て は 全 く 自 由 の 天 地 に 居 ら れ る 方 で あ る か ら 、 其 の 立 論 は 全 く 自 由 で あ る 。 吾 々 も 勿 論 今 日 の 進 流 聲 明 の 現 歌 に 満 足 す る も の で は 無 い 。 氏 の 企 て ら る と が 如 き 完 全 な る 音 譜 作 製 の 必 要 を 充 分 に 認 め る も の で あ る 。 け れ ど も 氏 の 音 譜 に 於 て は 、 聲 明 再 現 に 必 要 な る 諸 條 件 の 中 に 於 て 、 僅 に 高 低 に 關 す る 一 小 部 分 の み は 作 曲 當 初 の も の で あ り 、 長 短 、 高 低 、 強 弱 の 大 部 分 の 動 き は 、 皆 非 常 に 猶 化 し た る 今 代 の 材 料 の み で あ る 。 而 も そ れ を 氏 の 主 観 に 依 つ て 畳 き 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 八 三

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す お 一 考 察 八 四 換 へ ら れ だ も の で あ る か ら 、 奮 い 味 ひ の も の と 新 し い 昧 ひ の も の と の 混 合 で あ つ て 、 そ こ に 不 調 和 を 存 す る こ と は 孚 は れ な い 所 で あ る 。 私 は 徒 ら 仁 攻 筆 の 爲 め に 筆 を 取 つ だ も の で は な い 。 氏 の 聲 明 に 醤 す る 研 究 の 程 度 に 於 て 、 こ 、 迄 突 進 せ ら れ だ こ と は 滋 の 爲 め に 威 謝 す る も の で あ る が 、 宗 内 一 部 の 人 の 考 へ ら る と 様 に 、 そ れ が 直 ち に 理 想 的 進 流 聲 明 音 譜 で あ る と 見 る こ と は 籐 り に も 早 計 で あ る 。 私 の 如 き 素 人 に さ へ 術 且 つ 異 議 を 挾 む に 充 分 な る 籐 地 を 存 す る も の で あ る と 云 ふ こ と を 警 告 し だ い 念 願 に 外 な ら な い 。 帥 ち 、 氏 の 音 譜 は 、 進 流 歴 代 魚 山 に も 一 致 せ す 、 明 治 板 魚 山 に も 符 合 せ ず 、 又 故 關 口 僧 正 の 聲 明 と も 遠 く 懸 け 離 れ た も の で あ つ て 、 全 く 氏 の 自 由 な る 試 の 一 で あ る 。 吾 々 が 他 目 更 ら に 奥 深 く 突 進 せ ん と す る 場 合 に 於 け る 他 山 の 石 で あ つ て 、 こ れ も 亦 氏 の 所 謂 聲 明 憂 欝 時 代 の 一 記 録 と 見 な け れ ば な ら の 。 四 、 私 の 所 論 に 劃 す る 氏 の 提 蜥 に つ い て 氏 は ﹁ 密 教 研 究 ﹂ 第 四 十 六ハ 號 に 於 て 、﹁ 聲 明 音 律 の 科 學 ・的 研 究 ﹂ と 題 し 、 拙 著 ﹁ 聲 明 の 研 究 ︹ の 中 の 、 ﹁ 徴 角 同 の 問 題 ﹂ 、 ﹁ 中 曲 旋 法 の 問 題 ﹂ に 關 す る 所 論 に つ い て 、 懇 切 な る 指 導 を 垂 れ ら れ だ こ と を 深 く 威 謝 す る 。 こ れ に 樹 し て 私 の 所 見 を 述 べ だ い と 思 ふ が 、 其 の 事 は 同 氏 作 の 進 流 聲 明 音 譜 に 封 す る 私 の 考 察 の 一 部 分 を な す も の で あ か ら 此 の 所 に つ け 加 へ て 述 べ だ い と 思 ふ 。 (A ) 徴 角 同 の 問 題 此 の 問 題 は 私 と し て も 理 想 と し て は 、 勿 論 理 論 の 當 面 に 復 蹄 す る を 是 と す る も の な れ ど も 、 上 來 説 き 來 つ た よ う に 、 五 音 七 聲 を 正 す こ と は 容 易 で あ る が 、 此 れ を 正 さ ん と す る に は 、 其 の 前 に 非 常 に 深 き 廣 き 準 備 研 究 の 結 果 、 憂 化 し だ る 補 助 記 號 に 封 し て 、 確 實 に 合 理 的 な る 一 定 の 方 針 を 定 め 、

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取 捨 識 別 の 宜 し き を 得 、 然 る 後 に 五 音 七 聲 を 正 さ ね ば 、 結 果 に 於 て 不 調 和 に し て 不 具 の 者 を 得 る こ と に な る か ら 、 寧 ろ こ れ を 爲 さ や る に 若 か す で あ る 。 既 に 事 情 如 是 で あ る か ら 、 之 れ を な さ ん と す る 努 力 は 、 よ き 聲 明 の 新 作 よ り も 尚 且 つ 困 難 な る 事 業 で あ る 。 故 に 吾 々 と し て 、 今 日 の 實 際 問 題 と し て は 可 能 性 が 乏 し い と 云 ふ 立 場 か ら 出 登 し だ る も の で あ る こ と を 一 言 つ け 加 へ て 置 き だ い の で あ る 。 (B ) 中 曲 の 問 題 此 ﹁の 問 題 に つ い て は 大 山 師 と 私 と の 間 に 異 説 し て 居 る 所 で あ つ て 、 大 山 師 と 私 と は 元 よ り 特 別 の 恩 怨 の 存 す る 間 柄 で は 無 い 。 お 互 に 此 の 問 題 以 外 り に 講 ふ 可 き 何 物 を も 持 つ て 居 な い 。 公 山 氏 は 此 の 間 の 事 情 を 知 ら れ る が 故 に 、 本 誌 前 號 に 於 て 、 爾 説 を 比 較 論 述 し 、 其 の 理 論 的 根 慷 を 説 明 せ ら れ て 、 爾 説 は 必 す し も 別 途 を 行 く も の で な い こ と を 説 か れ だ 。 私 は 音 樂 專 門 家 で な い か ら 氏 の 所 論 の 當 否 を 音 樂 理 論 的 に 含 味 す る 能 力 を 持 だ な い 。 よ し 理 解 出 來 る に し て も 、 此 の 問 題 に つ い て 改 め て 、 大 山 、 公 山 、 爾 君 と 謬 を 重 の る こ と を 欲 し な い 。 然 し 公 山 氏 が 中 曲 の 實 例 と し て 基 げ ら れ た 佛 名 に つ い て 、 少 し 事 實 と 相 違 し て 居 る 黙 が あ る か に 葬 見 す る の で 、 此 の 黙 に 丈 け 鯛 れ て 置 き だ い と 思 ふ 。 公 山 氏 は 中 曲 の 實 際 に 於 て は 、 大 山 師 所 説 の 通 り に 澤 山 の 音 が 出 て 來 る と 云 ふ 實 例 に 封 し て 、 進 流 聲 明 の 中 曲 に 於 け る 佛 名 を 學 げ て 居 ら れ る 。 帥 ち 、 ﹁ こ れ は 中 曲 の 中 の 傑 作 と 思 は る と 佛 名 に 就 い て い あ る が 、 宮 商 (嬰 商 呂 角 律 角 反 徴 々 朋 嬰 朋 反 宮 の 十 音 を 何 の 不 自 然 さ も な く 騙 使 し て 居 る ﹂ 云 々 と 説 い て 、 氏 の 作 ら れ た 佛 名 の 音 譜 を 掲 げ 、 其 の 終 り に 、 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す ろ 一 考 察 八 五

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す ろ 一 考 察 八 六 書 い て 、 聲 明 に 於 け る 氏 の 實 例 に つ い て 考 へ る と 中 曲 に 於 て 、 大 山 師 所 説 の 如 き こ と が 見 ら れ る 旨 を 説 い て 居 ら れ る 。 然 し 私 は 氏 の 作 の 佛 名 の 音 譜 に つ い て 二 之 れ を 樵 す る に 、 不 幸 に し て 次 の 如 き 結 果 を 得 る の で あ る 。 (イ ) 反 宮 の 存 在 氏 の 佛 名 の 音 譜 に 於 て 、 氏 の 所 謂 反 宮 の 音 が 何 所 に 所 在 す る か を 樵 す る に 、 佛 名 の ﹁ 無 ﹂ の 字 の 墨 譜 の 朋 宮 の 間 の ﹁ モ ( ド ソ ﹂ に 一 度 之 れ を 見 る 。 進 流 聲 明 と し て 、 當 然 こ ど に 此 の 音 が 存 在 し だ か 如 何 と 云 ふ に 、 中 曲 は 古 來 か ら 孚 呂 孚 律 と し て 取 扱 は れ て 居 る の で 、 ﹁ ツ キ モ ド リ ﹂ は 呂 の 如 き も あ り 、 律 の 如 き も あ る 。 今 此 の 佛 名 の ﹁ モ ド ソ ﹂ は 作 曲 當 時 何 れ に 依 つ た か 全 く 不 明 で あ る 。 假 り に 現 在 の 聲 明 か ら 推 し て 、 呂 に 依 っ だ も の と す れ ば 同 音 、 律 に 依 つ た も の と す れ ば 約 二 膏 の 差 で あ る か ら . 何 れ に 依 つ だ と し て も 氏 の 所 謂 反 宮 の 音 は 昔 の 聲 明 の こ ど に 存 せ す 。 殊 に 明 治 板 魚 山 に は 長 短 高 下 無 し と 明 記 し て あ る 。 故 に 氏 の 所 謂 反 宮 の 音 が 昔 の 佛 名 の こ 、 に 存 在 し だ と 云 ふ 確 謹 無 く 、 反 封 に 氏 の 所 謂 反 宮 の 音 の 存 在 を 否 定 す る 謹 文 の 存 す る も の を 、 呂 の ﹁ ツ キ モ ド リ ﹂ は 孚 音 上 る と 云 ふ 氏 一 人 の 新 説 に 依 つ て 、 こ 、 に こ の 音 を 介 在 せ し め 、 佛 名 に 反 宮 の 存 す る 謹 糠 と せ ら る 、 こ と は 全 く 理 由 を な さ の 。 呂 の ﹁ ッ キ モ ド ソ ﹂ が 作 曲 當 時 宇 音 上 つ て 居 つ た で あ ら う と 云 ふ 氏 ﹂ 人 の 作 製 し だ 假 設 が 眞 な り と せ ば 、 從 つ て 反 宮 の 存 在 も 肯 定 出 來 る け れ ど も 、 假 設 の 眞 を 誰 す る 何 物 も 存 せ す し て 、 其 の 眞 な ら ざ る を 謹 す る 明 文 す ら 存 す る で は 無 い か 。 然 る に 氏 一 入 の 主 観 に 依 つ て 作 り 出 し だ 音 を 以 て 、 ﹁ 有 る ﹂ と 云 ふ 判 定 を 下 す こ と は 道 断 で あ る 。

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( 二 反 徴 の 存 在 氏 の 所 謂 反 徴 の 音 は 氏 の 佛 名 の 音 譜 の 何 れ に 存 在 す る か 、 氏 の 佛 名 の 音 譜 に つ い て 之 れ を 樵 す る に 、 ﹁ 命 、 日 、 敬 、 法 ﹂ の 徴 の 墨 譜 の 明 治 板 に ﹁ 由 下 ﹂ と 注 す る 所 。 同 字 の 墨 譜 の 第 五 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ の 音 程 に 表 は れ て 居 る 。 又 、﹁ 頂 、 如 、 供 、 大 ﹂ の ﹁ イ ロ モ ド ソ ﹂ に 於 て 之 れ を 見 る 。 ﹁ 命 、 日 ﹂ 等 の 徴 の 墨 譜 に 存 す る 氏 の 所 謂 反 徴 (正 徴 の 孚 音 低 い 音 ) は 如 何 と 云 ふ に 、 此 の 場 合 の ﹁ 由 下 ﹂ は 正 徴 の 牢 音 低 い 音 を 意 味 す る も の と し だ 時 に 、 果 し て 作 曲 當 時 か ら 、 こ ど に 此 の 音 が あ つ だ か 如 何 と い ふ に 、 私 は 無 か つ だ と 断 定 す る に 揮 ら な い 。 何 と な れ ば 、 三 種 の 佛 名 が 三 種 な が ら 、 此 の 徴 に ﹁ 由 下 ﹂ と 注 し だ の は 明 治 板 魚 山 の み で 、 寛 保 以 前 の 諸 魚 山 は 皆 悉 く ﹁ 由 下 し の 記 號 を 存 せ す し て 、 普 通 の ﹁ ユ ﹂ の 記 號 を 存 し 其 の 歎 は ﹁ 一 ユ ﹂ か ら ﹁ 四 ユ ﹂ 迄 墾 化 し て 居 る 。 こ れ こ 、 に 正 徴 よ り 孚 音 低 い 反 徴 が 存 在 せ な か つ た 謹 擦 で あ る 。 つ ま り 正 徴 の 孚 音 低 い 反 徴 と 混 同 す る 故 に 古 人 は 口 傳 を 以 て 傳 へ て 、 直 接 魚 山 に 注 し な か つ た 用 意 を 伺 ふ こ と が 出 來 る 。 實 際 聲 明 で は 、 初 め の ﹁ ユ リ ﹂ よ り も . 明 了 に 一 旦 聲 を 上 げ て 次 に 由 つ て 居 る 。 氏 の 音 譜 で は 一 音 下 げ て 雫 音 程 で 由 つ て 居 る が 、 氏 に 從 へ ば 、 此 の 所 、 正 徴 よ り 牛 音 下 つ だ 音 で あ つ だ も の を . 中 古 以 來 ナ マ ツ テ 上 つ だ の で あ る か ら 、 元 へ 還 つ て 正 徴 よ り 宇 音 低 い 音 と す 可 き で あ る と 云 ふ の で あ ら う が 、 然 し 葦 原 信 正 相 傳 の 實 際 聲 明 に 於 て 、 此 の 所 の 第 二 の 由 り は 約 孚 音 計 り 上 つ て 後 に 由 る よ う に な つ て 居 る 。 此 の 傳 を 相 傳 し だ 葦 原 師 が 初 め て 自 ら ﹁ 由 下 ﹂ と 魚 山 に 注 し だ の で あ る か ら 、 用 語 は 正 徴 よ り 孚 音 低 い 反 徴 と 相 通 す る も の で あ つ て も 、 其 の 意 味 は 下 つ だ も の で な く し て 、 上 つ だ 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 劉 す る 一 考 察 八七

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公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 し に 封 す る 一 考 察 八 八 も の で あ つ だ こ と は 明 か で あ る 。 故 に 古 本 魚 山 に は 凡 て こ 、 に 全 く ﹁ 由 下 ﹂ を 存 せ す 。 明 治 板 魚 山 の 意 は 上 る 意 で 注 せ ら れ だ の が 事 實 で あ る こ と は 今 日 爾 生 き た 謹 擦 が 澤 山 に 存 在 す る 。 假 り に 此 の 所 の 第 二 の 由 り が 、 正 徴 よ り 低 い も の を ナ マ ツ テ 高 く し た と 考 へ て 見 て も 、 正 徴 で 普 適 の 由 り を 一 つ し て 、 同 じ 墨 譜 で 次 の 由 り を 上 げ る と 云 ふ こ と は 自 然 で は 出 來 な い 。 確 か に 充 分 の 意 志 を 用 ひ な く て は な ら な い 。 而 も 此 の 所 は 第 二 の 由 り で 切 る の で あ る か ら 、 次 へ 聯 絡 す る 必 要 上 自 然 に ナ マ ツ タ と 見 る こ と も 出 來 ・な い で は な い か 故 に 作 曲 當 時 の 佛 名 の 此 の 所 に 、 氏 の 所 謂 反 徴 (正 徴 よ り 宇 音 低 い も の ) が 存 し た と 云 ふ 確 謹 は 何 慮 に も 無 い 。 反 封 に 之 れ が 無 か つ た と 見 ら れ る 明 文 や 謹 擦 が 存 在 す る の で あ る 。 少 く と も 有 る か 無 い か 分 ら の も の を 以 つ て 有 る と 云 ふ 護 擦 に 暴 げ る こ と は 無 法 で あ る 。 次 に ﹁ 命 、 日 、 敬 、 法 ﹂ の 第 五 の 角 の 墨 譜 の ﹁ イ ロ ﹂ が 角 と 反 徴 と で 由 つ て 居 る か ら 、 佛 名 に 反 徴 を 存 す る 謹 篠 で あ る と せ ら れ る な ら ば 、 此 の 角 の ﹁ イ ロ ﹂ は 前 述 の 蓮 り 寛 保 以 前 の 諸 魚 山 に は 絶 無 で あ る か ら 、 作 曲 當 時 の 旋 法 を 論 す る 場 合 の 謹 擦 に は な ら の 。 假 り に 昔 に も ﹁ イ リ ﹂ を 存 し だ と し て も 、 果 し て 昔 も 宇 音 程 で 由 つ だ か 、 二 音 程 で 由 っ だ か 全 く 到 然 ー な い 。 現 在 の 聲 明 か ら 推 す 時 は 寧 ろ 雫 音 程 で は 無 か つ だ と 首 肯 せ し め る 材 料 に 富 ん で 居 る 。 次 に ﹁ イ ロ モ ド フ ﹂ も 寛 保 以 前 に は 絶 無 で あ る か ら 角 の ﹁ イ ロ ﹂ と 同 様 に 、 氏 の 所 謂 反 徴 の 存 在 の 謹 擦 に は な ら の 。 故 に 詮 じ 來 れ ば 氏 の 所 謂 反 徴 (正 徴 の 宇 音 低 い も の ) は 聲 明 が 猶 化 せ の 以 前 に も 、 鍵 化 し た る 今 日 に も 、 佛 名 に 存 在 せ す し て 、 反 樹 に 正 徴 よ り 高 い も の と 存 在 を 肯 定 せ し め る 材 料 が 乏 し く な い 。

(22)

現 在 の 實 際 聲 明 が 既 に 正 徴 よ り 高 く 唱 へ て 居 る こ と 。 而 も そ れ は ナ マ ッ タ と 考 へ ら れ な い こ と 。 正 徴 よ り 高 く 唱 へ る 相 傳 を し だ 葦 原 師 の み が 魚 山 に ﹁ 由 下 ﹂ と 注 し だ こ と 。 忠 我 の 記 や 秘 要 鋤 が 如 上 の 事 實 を 裏 書 し て 居 る こ と 。 反 徴 帥 ち 由 下 の 用 語 は 右 人 は 必 す し も 正 徴 よ り 孚 音 低 い 意 に の み 使 用 す る に 限 ら す し て 、 爾 様 に 使 用 し だ で あ ら う こ と は 、 現 に 魚 山 附 録 三 丁 左 に も 、 反 商 、 反 朋 . の 語 を 使 用 し 、 商 の 宇 律 上 る 音 、 朋 の 孚 律 上 る 音 、 と 注 し て 居 る の を 見 て も 、 徴 の 宇 音 上 っ た 反 徴 帥 ち 由 下 の 語 を 使 用 し た と し て も 、 古 人 と し て 決 し て 無 理 で は な い 。 故 に 今 日 の 音 樂 理 論 か ら は 如 何 に 解 鐸 さ れ る に し て も 、 反 徴 (正 徴 の 雫 音 低 い も の ) と 反 徴 (正 徴 の 宇 音 高 い も の ) が 古 人 に 使 用 さ れ だ こ と は 明 か で あ る 。 氏 の 音 譜 に 於 て 、 明 治 板 魚 山 の 由 下 の 記 號 の み に 依 っ て 、 氏 の 所 謂 反 徴 が 佛 名 に 存 し だ 謹 擦 と す る こ と は 不 合 理 で あ る 。 ( ハ ) 呂 角 の 存 在 氏 の 音 譜 に 於 て 氏 の 所 謂 呂 角 が 何 れ に 存 在 す る か を 樵 す る に 、 ﹁ 命 、 日 、 敷 、 法 ﹂ の 墨 譜 の 第 七 の 角 の ﹁ フ ル ﹂ の 次 の 角 の 墨 譜 の 當 位 を 皆 呂 角 に し て あ る G そ し て こ れ が 中 曲 旋 法 の 中 に 呂 角 の 存 在 す る 誰 擦 と し て 居 ら れ る 。 け れ ど も 歴 代 魚 山 の 何 所 を 探 し て も , 此 の 角 が 律 の 角 よ り 宇 音 低 い 呂 角 を 用 ゆ 可 き も の で あ る と の 記 入 は 絶 封 に 無 い 。 又 故 關 口 僧 正 其 の 他 今 師 の 口 傳 に も 無 い 。 或 は 故 關 口 僧 正 の 實 際 が 呂 角 で 唱 へ ら れ だ と し て も 、 正 し い 音 譜 を 書 く 使 命 を 持 つ 公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 八 九

(23)

公 山 貴 光 氏 作 ﹁ 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す ろ 一 考 察 九 〇 だ 氏 の 音 譜 に 、 何 等 の 記 録 も 口 傳 も 存 し な い 音 を 唯 一 人 の 實 際 聲 明 の 聲 に 依 つ て 此 の 部 分 の み 其 の ま ど 認 め る と 云 ふ こ と は 、 氏 の 所 謂 五 音 七 聲 を 正 す と 云 ふ こ と ど 矛 盾 す る も の で あ つ て 、 全 然 理 由 が 無 い 、 依 つ て 佛 名 に 呂 角 の 存 在 す る と 云 ふ こ と は 全 く 氏 の 主 親 に の み 依 つ て 作 ら れ だ る 音 で あ る 以 上 の 如 く 氏 が 中 曲 の 實 例 と し て 畢 げ ら れ だ 佛 名 の 氏 の 音 譜 に 於 け る 、 律 旋 法 の 七 聲 以 外 の 音 は 皆 悉 く 氏 が 音 譜 作 製 に 當 つ て 、 氏 の 主 槻 に 依 つ て 織 り 出 さ れ た 音 で あ つ て 、 魚 山 に も 口 傳 に も 一 切 存 在 し な い も の で あ る 。 然 か す る こ と は 勿 論 氏 の 自 由 で あ る が 、 こ れ を 以 つ て 吾 が 進 流 相 傳 の 中 曲 旋 法 を 論 す る 實 例 と し て 墨 げ ら る 、 こ と は 全 く 無 法 で あ る 。 現 に 本 誌 前 號 所 載 の 佛 名 の 氏 の 音 譜 に 於 け る 礎 換 記 號 が 律 の 黄 鐘 調 で 書 か れ て あ る こ と も 一 種 の 皮 肉 で は 無 い か 。 若 し 氏 の 如 く 云 ふ な ら ば 、 所 謂 氏 の 中 曲 旋 法 は 他 の 唯 呂 唯 律 の 諸 曲 の 中 に も 亦 こ れ を 見 る こ と が 出 來 る の で あ る か ら 、 進 流 聲 明 は 大 部 分 氏 の 所 謂 中 曲 旋 法 で あ る と 云 ふ こ と に 露 着 す る で あ ら う 。 試 に 氏 の 作 の 音 譜 に 依 り 實 例 を 墾 げ て 之 れ を 誰 明 し て 見 よ う 。 帥 ち 、 氏 の 作 の ﹁ 如 來 唄 ﹂ は 唯 呂 墜 調 と し て あ る が 、 此 の 音 譜 の 中 に 表 は れ て 居 る 各 音 を 抽 出 し て 見 る と 、 上 圖 の 如 き 結 果 を 得 る の で あ る 。 氏 が 佛 名 に 於 て な さ れ だ と 同 じ 論 法 を 以 つ て 行 く な ら ば 、 如 來 唄 も 亦 呂 律 各 音 の 中 の 十 二 音 を 取 り 來 つ て 、 何 の 不 自 然 さ も 無 く 騙 使 し て 居 る の で あ る か ら 、 中 曲 の 傑 作 と 云 は ね ば な ら の 。 同 様 に 其 の 他 の 唯 律 曲 の 中 仁 も 中 曲 の 傑 作 が 現 は れ て 來 る で あ ら う 。 輩 に 此 の 結 果 の み か ら 見 だ な ら ば 、 本 誌 前 號 に 於 け る 氏 の 所 論 は 、 爲 め に し だ も の で あ る と 見 ち

(24)

れ て も 致 方 が あ る ま い 。 乃 至 宗 旨 の 入 は 音 樂 常 識 が 低 い か ら 、 如 何 な る 立 論 を し て も 、 敏 黙 を 獲 見 し 得 な い で あ ら う と 云 ふ 見 地 か ら 書 か れ だ も の と 見 ら れ て も 一 言 あ る ま い 。 從 つ て 今 後 吾 が 聲 明 に 婁 す る 氏 の 所 論 は 知 る 可 き の み で あ る 。 け れ ど も 私 は 氏 の 本 意 が そ こ に あ つ だ と は 見 た く な い 。 こ れ は 恐 ら く 、 此 の 問 題 に 關 し 、大 山 師 と 私 と の 間 を 緩 和 せ ん が 爲 め に 、 氏 の 筆 が 思 は す し て こ 、 に 至 つ だ も の で あ ら う と 解 す る も の で あ る (C ) 進 流 聲 明 所 用 の 階 名 及 び 音 譜 の 浩 革 氏 は 叉 進 流 聲 明 の 漱 授 法 其 の 他 種 々 の 瓢 に 於 て 殺 へ ら れ だ 。 漱 授 法 や 階 名 の 改 革 は 實 に 同 戚 で あ つ て 、 私 も 別 に 階 名 を 考 案 し て 居 る が 、 音 譜 を 改 革 し て 五 線 譜 に 改 め よ と の こ と で あ る が 、 こ れ に は 多 少 の 實 行 難 を 俘 ふ と 思 ふ 。 第 } に 音 譜 の 改 革 に は 、 之 れ に 俘 ふ 國 字 の 改 革 が 必 要 で あ る 。 國 字 の 改 革 が 唱 導 さ れ 出 し て か ら 随 分 時 が 経 過 し だ 。 一 時 は 漢 字 屡 止 ロ ー マ 字 探 用 が 今 に も 實 現 さ れ る か と 思 は れ る 位 で あ つ だ 。 然 る に 近 代 の 傾 向 は ロ ー マ 字 よ り も 寧 ろ 日 本 の 片 假 名 が 國 字 と し て 凡 て の 黙 に 勝 れ て 居 る と 主 張 さ れ だ し だ よ う で あ る 。 聲 明 音 譜 の 改 革 に は 先 づ 國 字 改 革 の 方 針 が 定 ま ら ね ば な ら の と 思 ふ 。 第 二 に は 眞 言 宗 の 法 會 の 道 場 の 改 革 が 必 要 で あ る 。 現 在 の 様 な 光 線 の ニ ブ イ 遁 場 で 五 線 譜 を 探 用 し よ う も の な ら 、 青 年 で も 見 る の に 困 難 す る で あ ら う 。 然 し 佛 敏 の 風 格 が ク リ ス ト 数 の 様 な 明 る い 殿 堂 に 調 和 す る か と 云 ふ こ と は 頗 る 問 題 で あ る し 、 探 光 の 必 要 か ら 本 堂 を 凡 て 近 代 式 に 建 て 直 す と 云 ふ こ と も 出 來 な い 所 で あ る 。 氏 の 敏 へ ら る ど 所 は 自 由 な 立 場 か ら 理 想 的 の こ と を 説 か れ る の で あ る が 、 少 く と も 宗 内 の 者 と し て は 、 徹 頭 徹 尾 机 上 の 塞 論 で あ つ て は な ら の と 思 ふ の で 一 言 付 け 加 へ た 次 第 で あ る 。 公 山 慣 光 氏 作 一 南 山 進 流 聲 明 音 譜 ﹂ に 封 す る 一 考 察 九 一

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