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『徒然草』と『国歌八論』 : 和歌は政治の役に立たないという認識をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)Title. 『徒然草』と『国歌八論』 : 和歌は政治の役に立たないという認識をめ ぐって. Author(s). 杉浦, 清志. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 44(1): *1-11. Issue Date. 1993-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4281. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 』. 論. 脚 国. 『 と. 北海道教育大学紀要 ( 第 一部 A)第 四十 四巻 第 一号 平成 五年七月. 『徒 然草 と 『国 歌 八論 』 』. 杉. 浦. 清. . 志. 兼 好 と在満 の主 張 は細 かく見れ ば違 いもあ る。 たとえば兼 好 が話. 益な く、 ま た日用常行 にも助 く る所 なし。. 歌 の物 たろ、 六 芸 の類 にあ ら ざれ ば、 も とより 天下 の政 務 に. さ て兼好 が徒然草 を書 いてから およ そ四百年 の後、 荷 田在 満 は ^ 3Y 『 国 歌 八論』第 二 「翫歌論L に次 のよう に書 いた。. ら 君 子 が身 に つけ る必要 はな いと いう のであ る。. ーー和 歌 は 政 治 の役 に立 たな いと いう 認 識 を めぐ って ーー. - 徒然草 百 二十 二段 と国歌 八論第 二 「 翫歌論」 『 徒 然 草』百 二十 二段 は 「人 の才能 は、 文あ きら か にし て、聖 の教 ( 1). へを 知 れ ろを第 一とす」 と始 ま り、 人 の才能 を論 じ た段。 兼好 は儒 教 の聖典 に精通す る こと、書 ・医 術 ・弓射 ・乗 馬 ・食 ・細 工 の計 七 つの才能 を挙げ てそ の必要性 を論じ た上 で、 そ の段を 次 のよう に結 ん で いる 。. みに、 糸竹 に妙な る は、 幽玄 の道 、 君 臣 これを重 くす と い へど. に及 ぶ べき」 と、 むし ろ和 歌 より も 現実的 効 用 のあ る ことを 述 べて. し て いると か、 兼好 が文学 ととも に否定 し た音 楽 に対し て、 在 満 は 和歌 が 「 勇士 の心 を慰 む る事 は いさ さ かあ る べけ れ ど、 いか でか楽. 題 にし て いる のが詩歌 ・管 弦 であ る のに対 し て在満 は和 歌 を 中 心 に. も 、今 の世 には、 これをも ち て世を治 む る事、 漸 く おろかな る. いると か、兼 好 が詩歌 ・ 管弦 に ついて、 「 今 の世 には ーi漸 く お ろ か. この外 の事 ども、多能 は君 子 の恥 づると ころな り。詩歌 に巧. に似 たり。金 はすぐ れ たれ ども、 鉄 の益多 き にし かざ るが ごと. か のよう であ る のに対し て、在満 は 「 も とより」 と、 元 々和 歌 に政 治 的 ・実 用的効 用はな か った のだ と述 べて いるとか。 し かし 彼 ら が. な る に 似 た り 」 と 、 か つて は そ う で は な か った と 言 わ ん と し て い る. 前 半 で述 べた七 つの現実的 ・実 用的才能 に対 し て、 詩歌 ・糸竹、. 向 き合 って いた同時 代 におけ る和 歌 の意義 に対す る認 識、す な わち. し。. 現代語 に直せば文学や音楽といった芸術は、政治 の役に立たな いか.

(3) . . 杉 浦 清 志. 和 歌 が政治 の役 に立 たな いとす る認 識 は同じ であ ると見 てよ いであ ろう 。 さ て在満 の こ の主 張 は田安宗武 の猛烈 な反発 に遭 い、 同時 代 にお. 二. 柳 か懐 ひを詠 め情 を汗 べ、 そ の幽惨 無 馴 の心 を 発 く、 固よ りよ. あ てはめ たも のではな いかと いう も ので、 そ の指摘 はそれ とし て納. 在満 の政治 に対す る和歌無 用論 は、 この仁斎 の詩無 用論を和歌 に. し。公 卿将相学 士大夫、身 に職務あ る者 、 荷も 心 を詩 に溺 れし 下巻第 三 十九章 ) む、則 ち志 は荒 れ業 は堕 つ。 戒 む べし。 (. も かく大 きな論争 を呼 び起 こす ほ ど の問題発言 と受け 取 られ た のは. 得 でき る。 し かし在満 の主 張 の先 巌 とし て指 摘 され たも のが これ だ. いては必ず しも 好意 的 に迎え ら れ たわけ ではな か ったけ れ ども 、 と 確 か だし、現代 にお いては、「文化 の 一斑 とし て の和歌 を 政治 や思想. け とす ると、 和 歌 が政治 の役 に立 たな いと初 めて主 張 し た のが在満. し かしそう ではな か った。在 満 よ りも 四 百年も前 に、 中 世 二条 派 の 歌 人兼好 が、既 に同じ認 識を 示し て いた のであ った。こ の事 実を我 々. であ った、 と の印象 を受 け る人 が いたとし て仕 方 がな いであ ろう 。. な いし生 活 の実 用 とし て の意義 から解 放 し て、 言語表 現 によ って生 ^ 4). じ る美 的 快感 に消極 的 な がら 独自 の価値 を 認 めよう とす る」「かな り. 6) (. 徹 底し た文学 の自律 性 の肯定 とし て注 目 さ れ ており、 それ によ っ 」 { 5) 国 文学 真 の近世歌 論 は これ に始 ま る」 とか、 「 国 歌 八論』 は、 「 て 『. 書 が、 和 歌 が政治 の役 に立 たな いと いう 認 識を 示 し た史上最 初 の書. 中 にあ る歌論史 上或 いは重 大 とも考 えら れ る発言 が、 な ぜ今 ま で歌. ぐ ら いの研究 ・注 釈充 満す る 日本 の代表 的 古典 の 一つであ る。 そ の. 徒 然草 は誰 も が省 みな い片 々たる古文書 ではな い。 数 え 切れな い. はどう 考 え たら よ いのか。. であ ったか のよう な印象 を受け てしまう のだ が、 それ は私 だけ のこ. 論 史 の中 で問題 にされ た こと がな か った のか。 ま た真 の近 世歌論 の 国 歌 八論』 の中 心的主 張 が、本 当 に中世 か 始 発 とも目 され て いる 『. 史 上 にう ち た てた金字塔 」 とま で評価 さ れ て いる。 国 歌 八論』 に対す る言及 に接す ると、 あ たかも こ の このよう な 『. 国 歌 八論』を論 じた先学 の論 の中 で、 こ の主 張 の先 巌 とだろう か。 『. ら飛 翻し た真 に近 世的な主 張 であ った のかどう か、 或 いは十 分 に検. { 7). 節 であ った 。. に言 及し て いる のは、見 ると ころ宇 佐美 喜 三八氏ぐ ら いのよう であ 童 子間』 の 一 り、 指摘 され て いる のは伊藤 仁斎 の影響 と、 そ の著 『. 証 さ れな いま ま に、 そ の新 し さ ば かり が 強 調 さ れ て来 た の で はな. 古 人 六芸を 以 て人を教 ふ。甚 だ意 志あ り。人 とし て芸無 け れ ば、. 情 を吟ず 、これを作 る こと固よ りよし。作 らず し てまた害 なし。. はとりあえず 、兼好 の発言 の真意 を 探 った上 で、兼 好 ・在満 の主 張 を それ ぞれ歌 論史 上 ど のよう に位 置 づけ ればよ いのか、 と いう 問題. ここから は様 々な 問題点 が浮 か び上 が って来 る だろう が、 本 稿 で. か った か 。. 必ず 材 と成 る こと能 はず 。そ の人ま た知 る べし。医書 に云 はく、. に探 りを 入れ る こととし た い。. 問 ふ、学者 好 みて詩を作 る、道 に害 無 き や否 や。 日く、 詩 は性. 五菓 は以 て輔け とな る。 然 れ ども多 く食す れ ば必ず 害あ り。 詩 は芸中 の雅 翫な り と錐も、 然り と て甚 だ暗 めば、 則 ち必ず 害あ り。もし それ 山林 の隠士、世 に遺 され た ろ営 むと ころ無 き の徒 、.

(4) . 『徒然草』 と 『国歌八論. - - 徒然草第 一段と百 二十 二段 の問題. 発言 は矛盾 し て いる のだとす る論証 がな い。. 実 は近 世、北村 季 吟 は これを矛盾 と は考 えず 、 な ぜそう 考 え る の. 来 た段 ではな い。第 一段末 尾 と の関係 が近 世以来 注目 され、特 に近. イ ヘルト此 ノ段ト ノタ ガ ヒメ如 何。答 、初 段 ハ大 カタ 人 タ ルモ. ○ 間、初 段 ニアリタキ事 ハマコト シキ 文 ノ道作 文和歌管 絃 ナ ド. か を 説 明 し て いた。. 年は徒然草 の長期執筆を主張する人 々の間で、その説の根拠 の 一つ. ノ ノ世 ニ出 ツカ ヘ人 ニマジ ハルウ ヘニテ ノネ ガ ヒライ ヘルナ レ. 徒然草 百 二十 二段 とは、徒 然 草 の研究史 の中 で決 し て無 視 され て. とし て何度 も 引き合 いに出 さ れ て来 た段 であ った。 比較 さ れ て来 た. バ其 ノ外 有 職 ニ公事 ノカタ声 ラ カシクテ拍 子ト リ下戸ナ ラ ヌ コ. 第 一段 で列 挙 され た様 々な願望 と は、 貴族 男性 とは い っても 範 囲. 多 能 は君 段 で問題 とな る人と は政治 に携 わ る君 子 であ る。 兼好 は 「 子 の恥 づると ころ」と書 き、 「これをも ち て世を治 むる事L云 々と書 いて いた。 し かし こ の点 を 除け ば、季 吟 の説 明は納得 でき る。. こ のう ち百 二十 二段 で問題 にされ て いる人 が 「只 一分 ノ身 ノ上」 であ ると いう 表 現 はよくわ からな い。 私 の読 みに従え ば、 百 二十 二. 違 いであ る。. 論旨 は二点 に要 約 できよう か。 す な わち 一つは対象 とな る 人 の違 い、 もう 一つは、 一方 は願 いもう 一方 は要 ・不要 の論 と いう 文脈 の. 中 ニカ ケ リ 。 ヨク 其 ノ 段 々 ノ 本 意 ヲ 味 ヒ ワ キ マ フ ベ シ 。. ^ 9). ラナ ス所 ノ才能 ライ ヘル故 ニ詩歌 管絃 ラサ ヘ君子 ノ恥 ル多 能 ノ. ソナ ド マデ書 ケリ。 此 ノ段 ハ只 一分 ノ身 ノ上 ニサ シアタ リ テ 用. 第 一段末 尾 とは次 の個所 であ る。 あ り たき事 は、 ま ことし き文 の道 、 作 文、 和歌、管 絃 の道。 ま た、有 職 に公事 の方、人 の鏡なら ん こそ、いみじか る べけ れ。 手な ど つたな からず 走 り かき、 声 を かしく て拍 子 とり、 いたま しう す るも のから、 下 戸なら ぬ こそ、 を の こはよけ れ。 こ こ で 「あ り た き 事 」 の第 一に 挙 げ て い る 「ま こ と し き 文 の道 」. と は、百 二十 二段 でも真 っ先 に必要 な才能 とし て挙 げ てあ る、「 文あ きら か にし て、聖 の教 へを 知 れ る」 ことを指す と考 え てよ いであ ろ 作 文、和 歌、管 絃 の道」 と う 。 と ころ がそ の次 に列挙 さ れ て いる 「 は、 百 二十 二段 では君子 に無 用 の才能 とし て列挙 された詩歌 ・糸 竹 のこと であ る。 同じ詩歌 ・管弦 を第 一段 では 「 あ り たき事」 の 一つ 君子 の恥 づ る」 無 用な に挙 げ な がら、兼好 はな ぜ百 二十 二段 では 「 こ の違 いの理由 を安良 岡康作 氏 や宮 内 三 二郎 氏 は、 それ ぞれ の段. 「ほ ど に つけ つ つ、時 に あ ひ、し た り が ほ な る も 、 み づ か ら は い み じ. は広 く、 「た だ人」 と称され る中 下 級貴族 のう ち舎 人を賜わら な い、. の執 筆時期 の違 いによ ると考 え、 だから こそ徒 然草 は長期 に亙 って. と思 ふら め ど、 いとくちを し」 ( 第 一段)と評 され る程度 の身 分 の者 をも含 む男達、 にと って の願望 であ った。 それ に対 し て百 二十 二段. 才能 とし た のか。. 書 き継 がれ た のだと主 張し ており、 現在 そ の説 に従う 人 が多 いよう. で問題 にされ て いる のは、 あくま でも 世を治 め る君子 であ る。 対象. ( 8). であ る。 し かし安良 岡氏 や宮内 氏 の論 には、第 一段 と百 二十 二段 の. 三.

(5) . . 杉. 浦 清 志. 思 い思 いに自 ら の興味関 心 に即し て読 んだと いうも のであ った。 た とえ ば宗 武 の 『 徒 然草 評論』 は、徒 然 草 の有 職故実 に関す る記 述を. 四. 抜 き出 し て批 判 し た書 であ った。 こ の事情 はし かし、 中 世 から現 在. . いたとし て当 たり前 であ ろう 。 し かも 百 二十 二段 で問題 にされ て い. とな る人物像 が異な れ ば、 両者 に必要 とさ れ る才能 の種類 が違 って る のは必要 か不 必要 かと いう こと だ が、 第 ÷段 はそう ではな く、あ. う書 が極 め て多 様 な話 題を盛 り込 み簡単 な要 約を 許 さな い、 言 い換. ”) {. く ま でも願 望 とし て の才能 であ った。あ る才能 を持 つこと が望 ま し い、 し かし実 際 に必 要 な才能 はそ れ とは違う 、 と いう ことも いく ら. えれ ば いかよう な読 みをも許す とらえ ど ころ のな い書 物 だから であ. ろう 。 そ こから歌 人兼好 の歌 論を読 み取 ると いう よう な読 み方 も、. に至 るま で余 り変 わ っては いな いとも見 ら れ る。 そ れ は徒 然草 と い. でも あ りう る であ ろう 。 安良 岡氏を始 め こ の二段 の間 に矛盾あ り とす る人 々の論 の中 に、. し かし徒 然草 に対す る様 々な視 点 から の読 み の中 で、 歌 人兼 好 の. つと 言 え な く も な い。 思 え ば そ の バ リ エー シ ョ ン の 一・. 有 無 に対す る検討 も な い。 私 は季 吟説 に賛成 し た いが、 ただ季 吟も. 和 歌 の素養 や思 考 が盛 り込 ま れ た書 と見 て の読 みは いささ か遅 れた. こ の季 吟 の説 に対す る反論 は見 当 たらず 、季 吟 がし たよう な矛盾 の 百 二十 二段 の歌 論史的 な意義 にま では論 及し て いな い。 季吟 が こう 0} {. 1 国 歌 八論 』 の約 八十年前、 そ れ は当 然 のこと だ ったろ 書 いた のは 『. おも し ろく、 おそろし き猪 のし しも、 「ふす 猪 の床 」と い へば、 や さ 今 の世 しく な り ぬ」 と書 き、 古今集 の歌暦 と言わ れ る歌 を挙 げ て 「. 山 が っ の し わ ざ も 、 い ひ出 で つれ ば の ま ま 引 い て 、 「あ や し の し づ ・. 八雲 御 抄』に載 る寂蓮 の言葉 を ほ ぼそ たとえ ば十 四段 で兼好 が、 『. ま る十 四段 の分析 から、 さし て足を 踏 み出 し ては いな い。. と言 え そう であ る。徒 然草 の中 から兼好 の歌論 を読 み取 る作 業も 既 和歌 こそな ほを かし きも のな れ」 と始 に行 われ ても いるが、 ま だ 「. 『徒 然 草 』 十 四段 に つ いて. う か。. 三. 国 歌 八 論 論 争 が起 こ った 一七 四 二 年 以 後、 こ の論 争 に加 わ った. の人 の詠 みぬ べき こと がら と は見えず」 と書 いて古 今集 を尊 重す る 姿 勢 を 見 せ た こと、昔 の人 の歌 が 「やす くす な ほ にし て、 姿も き よ. げ に、 あ はれも 深く見 ゆ」 と述 べた ことな ど から、 久 松 潜 一氏 は兼. 好 の歌 論 が古 今集 を 理想 とし、 中世的 な余情 と 二条 家 の平淡美 を重 5) { 1 んじ、 要す る に二条 派 の歌 論 をう け ついで いる のだと述 べて いる。. 人 々はまず 基本 的 な 古典 とし て徒 然草 を知 っており読 ん でも いたは n) ( 玉勝間』 徒 然草評 論』 があ り本居 宣 長 は 『 ず であ る。 田安 宗 武 に 『 で兼 好 を批 判 し た。 し かし誰 も が在 満 の発 言を 問題 にし た際 に、 在. 兼好 は歌 人 ・ 歌 論 家 の領 域 に止 久松 氏 は徒 然 草 の全体 の印象 から、 「. 満 と同じ主 張をし て いた兼 好 のことは取 り上げ て いな い。 これ は或 いは徒 然草 が、 こ の頃 既 に注 釈書 を手 掛 かり に読 み解 く古典 であ っ. ま らず 、 広 い意 味 の人生 評論家 と いう 傾向 を有す る ため に、 歌 論 も. 人生 論的 な裏 付 のも と に行な われ て いる。 兼好 は為 家 以来 の二条 家. た こと、ま たそれ が歌 論書 と は考え ら れ て いな か った ことな ど によ. 近世の徒然草享受は、仏家はその仏教的側面に儒者は儒教的側面. の歌 論 を技術 的 に細撤 にし てゆくより は、 そ の歌論 を 人生 論 や社会. る のであ ろう か。 に注 目 し、或 いは神 儒仏 それ ぞれ の思 想 を盛 り込 ん だ書 とし て等、.

(6) . 『徒然草』 と 『国歌八論. 的背 景 と結 び つけ て い った点 に独自 の性格 があ る。」 とも 述 べた が、 百 二十 二段を 始 めとし て、徒 然草 の中 にほか にも見 ら れ る歌 論的記 述 には注 目し な か った。 し かし そ れを取 り上げ る前 に、 十四段 の分析を 私 なり に補 足し て お こう 。 そ の冒 頭 で兼 好 は 「 和歌 こそな ほを かし きも のな れ」 と述 べた のだ が、 な ぜ ここで兼好 が和歌 を 「 を かしきも の」 と捉え た の か、 と いう こと にも注 目す る必要 があ る。 百 二十 二段 と の関 連も あ ると思 え るから であ る。 こ の段 の前 後 を見渡す と、 一段 お いて前 の第 十 二段 は、「おな じ心 なら ん人 と、 し め やか に物語 し て、 を かし き ことも、 世 のはかな き 事も、う ら な く いひ慰 ま ん こそう れし かる べき に、 さる人あ るまじ け れ ば 、 つゆ 違 は ざ ら ん と 向 ひ ゐ た ら ん は 、 ひ と り あ る こ こ ち や せ. ん」 と始 ま り、 自 分 と思 いを等しくす る心 から の友 が欲 し いと望 み な がら、 そ のよう な友 が現実 にはあ りえな いことを 「わ びし」 と嘆 く段 であ った。 続 く 十 三段 は、 「ひとり燈 火 のも と に文を ひろげ て、. そな ほを かしきも のな れL と いう のも、 和 歌 を十 二段 で述 べた寂 し い心 を慰 めるも の の 一つ、 と位置付 け て いたと考 え る のが自 然 と思. われ る。こ のあ と徒 然草 は、「いづく にもあ れ、し ばし旅 だち た る こ. そ、 目 さ むる心 ちす れ」と旅 の効 用を述 べる十 五 段、 「 神楽 こそ、 な まめ かしく、 おも し ろけ れ」と音楽 の面 白 さを述 べる十 六段、 「 山寺 にかき こも り て、 仏 に仕う ま つる こそ、 つれづれも なく、心 の濁 り. も清 ま る心 ちす れ。」と いう わず か 一文 から成 り、 山寺 への参 寵 の効. 果を述 べる十七 段 へと続 き、 それぞれ が第 十 二段 の、 心 から の友 の いな い 「わ びし」 さを 打 ち消す も のと位 置付 け られ て いた のだ と読. む こと が可能 であ る。 第 十四段 とはそう いう 文 脈 の中 に位 置 し て い る。 和 歌 が 「 を かし きLも のであ る のは、 漢籍 の読書 によ って 「 見 ぬ世 の人を友 とす る」 ことと同 じく、 現実 に心 から 理解 し合 え る友. が いな い 「わ び し 」 さ を 慰 め る も の だ か ら だ 、 と いう こ と な の で あ. 思 われ る。第十 四段 で和 歌 が個 人的な心 の慰 め にな るも のと いう 考. ろう 。 友 が いな い 「わ びし」 さを慰 めるも のと は、 言 い換 え れば 私的 な 慰 みと いう こと であ ろう 。 このよう な和 歌 の捉 え方 は、 和歌 が政治. 見 ぬ世 の人を友 とす るぞ、 こよ なう 慰 むわ ざな る」と始 まり、 「 見ぬ 世 の人を友 とす る」 ため の具体 的 な方 法 とし て、文選 ・白氏 文集 を 始 めとす る漢籍 、 ま た 「こ の国 の博士 ども の書 け る物」 を読 む こと. 的 な意 味合 いを持 つも のではな い、 と補 足し た のであ る。 そし てそ. に勝 ち たる心 に同 じ」 と精神 的な慰語作 用を認 め て いる のであ る。. れ は、 在満 の翫歌 論 とも似 て いる。 在満も ま た、 そ こで政治 的 ・実 用的効 用 のな い和歌 に、「たと へば、画者 のゑ がき得 たろ、突 者 の碁. えを 示 した兼好 は、 百 二十 二段 で、 し かし政治 の役 に立 つよう な 公. の役 に立 たな いとす る百 二十 二段 の主 張 と見事 に響 き合 って いると. を挙げ た段 であ る。 現実 の世界 に心 から通じ合 え る友 が いな いこと を嘆く第 十 二段 と、漢籍 を読 む こと によ って 「 見 ぬ世 の人を友 とす る」こと が 「こよ なう 慰 むわざLであ るとす る十三段を対比す れ ば、 こ の二 つの段 が密 接 に関 連 し て いる こと は疑 いよう も な いであ ろ う。兼 好 は現実 の友 が いな い寂 し さを慰 めるも のとし て 「 見 ぬ世 の 人を友 とす るL ことを挙 げ た のであ り、 そ の具体的 な方法 が漢籍 を 読 む こ と だ った の で あ る 。. そ の次 に来 る のが問題 の十 四段。 とす るとそ の十 四段 で 「 和歌 こ. 五.

(7) . . 杉 浦 清 志 、. 六. これら五首 に共通す る のは、 いず れも私的 性格 の歌 だと いう こと. 人 の語 り出 でた る歌 物 語 の、 歌 のわ ろき こそ、 本意 なけ れ。. 兼 好 の歌 論を窺う に足 る段 は ほか にもあ る。 たとえ ば五十 七 段。. 、 る思 いを 託 し たも の。 六十七 段 の歌 は慈 円 の歌 とな って いる が 他. ときな く お はしま しけ る時」 に、言 葉遊 び の中 に父後 嵯峨院 に対す. 段 の歌 は退位 し た花 園院 が、 在 位中 と は打 って変 わ って参 上す る人 がな く な った寂 し さを詠 ん だも の。 六十 二段 の歌 は 「延 政門院 、 い. 四 兼好 の歌論と歌 人活動. す こし そ の道知 ら ん人 は、 いみじ と思 ひては語 ら じ。 す べて、. であ る。 二十 六段 の 一首を 除 き、 後 は全 て私的 な場 にお いて創 作 さ れ たか、も し く はそう 伝承 され たと考 え られ る歌 であ った。 二十 七. いとも知 ら ぬ道 の物 語 し たろ、 かた はら いたく、聞 き にく し。. の資料 には見えず 詠ま れ た経緯 はわ からな い。 但 し 「ここにあ り は ら」 と い った表 現 から、 実際 に慈 円 が賀茂神 社 に参詣 し た際 に詠 ん だも のであ ったと推測 でき る。 百三 十八 段 は周防内侍 の歌 で、 家集 によ れ ば同輩 への贈歌 であ る。. それら に対 し て 一首 の例外 とも 見 なしう る 二十 六 段 の歌 は、 堀 川 百首 で藤 原 公実 が詠 ん だも のであ った。 これ が堀 川百首 の歌 であ る. 中 心 とな る べ 歌物 語) をす る時 に、話 の. 兼好 は和 歌を めぐ る話 ( き歌 が 「わ ろき」歌 であ ったら お話 にな らな いと言う 。 では兼好 に は少な くな いが、 こ こで言う 歌物語 に相当す るも のは、 部 分的な引. 、 こと は本 文 に明記 され ており、こ の初 の応製 組 題百首 の公的 な 性格. と ってよき歌 と はど のよう な歌 であ ったか。徒 然草 に引 用 され た歌 き歌 ではなく、 一首 そ のも のを 引く話 であ ろう 。 そ のよう な歌 は次. ま たそれ ぞれ の歌 が題詠 歌 であ った こと は、 当然兼 好 も知 って いた. ぱ、 あ はれ と聞 き し言 の葉 ごと に忘 れ ぬも のから、 わ が世 の外. 風も吹 きあ へずう つろ ふ人 の心 の花 に、 な れ にし年月 を 思 へ. はず であ る。 し かし そ の歌 を兼好 は、 次 のよう な文脈 の中 に投 げ 込 ん だ。. の五首 であ る。 む かし 見 し 妹 が 垣 根 は荒 れ にけ り っぱ な ま じ り の重 の みし て. 二十六段) (. にな り ゆく なら ひ こそ、 な き 人 の別 れよりも ま さり て悲 しきも. 殿 守 のとも の みや っこよ そ にし て はら は ぬ庭 に花 ぞ散 り しく ふた つ文字 牛 の角 文字 す ぐ な 文字 ゆ が み文字 と ぞ 君 は覚 ゆ る. 二十七段) (. のな れ。. さ びしきけ しき、 さる こと侍 りけ ん。. むかし見 し妹 が垣根 は荒 れ にけり っぱなま じり の童 のみし て. れ ん ことを歎 く 人も あ りげ ん かし。 堀 川院 の百首 の歌 の中 に、. さ れば、 白 き糸 の染 ま ん ことを かなし び、 路 のちま た のわ か. ( 六十二段) 月を め で花 をな が めし いにし へのや さしき 人 は ここにあ り はら. 六十七段) ( かく れ ども か ひな き 物 はも ろ とも に みす の葵 の枯 葉 な り け り. 百三十八段) (.

(8) . と. . 草 然. 『国歌八論』. 8) ( 1. ず )を挙げ て いる。. 頼 長 は鉦畿蔵政治家 とし て、 自 ら の後 継者 とな るはず の子孫 に対 し. 公的性格を持 つ応製組題百首歌中 のこの歌を、兼好は作者 の体験 が反映し た歌 とし て取 り上 げ た のであ る。 兼好 が歌物 語 の中 に取り. 思う 。通常 歌論 史 は歌論書 ・歌学書 によ って辿 る のが普 通 だ が、中. て こう書 いた のであ ったろう が、 では歌 人達 はどう であ った か。 こ. こう し た徒 然草 に窺 われ る兼好 の和歌 の捉 え方 は、 兼好 自身 の歌. 古 ・中世 に影し いそ の種 の書 物 のほと んどは、 技 術論 に終始 し て こ. 入れ る べきよき歌 とし て引 用し た歌 が全 て私的 性格 の和歌 であ った. 人活動 にも反 映 し て いたと見ら れ る。 『 兼 好 目 撰家集 』には同時代 の. う し た本 質論 に触 れ て いな い。 そ れ に対 し て勅 撰集 序 は国家 事 業 と. こではそれを確 認す るため に、 勅 撰和歌集 の序 文を 覗 いて みよう と. 他 の専門歌人達 の家集と比較して、圧倒的に高 い比率で私的性格 の. し て選ばれ る集 に付 け ら れ たも のだから、和 歌 と政治 と の関 わ り が. ことを、 この例 はむし ろ 一層 雄 弁 に物語 って いる であ ろう 。. 歌 ( 独詠 歌や贈答歌、 或 いは偶成歌な どと呼 ば れるも の) が収 めら. 比較的 明確 に説 かれ て いる はず だと予想 され るから であ る。 が、必. 6} ( 1. れ ており、 二条 良基 の百首和 歌 に頓阿 ・慶 運 と とも に合 点し た いわ. ず しも そう ではな か った。. ば、. 「 えず、藤 平春 男氏 の言 われ る通 り、 「 あ はれ と思 はせ」 「や はらげL 「 慰 むる」と、 真名 序 よ りも さら に 『 毛 詩』大序 の儒教的 政教主 義 を. の中を和 らぐ るはさ る事 な れ ど、却 り て淫奔 の媒 とやな る べか ら んL と批判し て いる箇所 な のだ が、 「 あ め つちをう ごかしLや 「お に神を もあ はれ とおも はせ」 が和 歌 の政治 的 ・実 用的効 用を説 いた と は見. と いう 部 分 は、 在満も 翫歌 論冒 頭 で、 「 古 今 の序 に 「天地を動 かしL 「 鬼 神 を感 ぜし むる」と い へる は、妄談 を信 ぜるな る べし。 勇 士 の心 を慰 むる事 は いささ かあ る べけ れ ど、 いか でか楽 に及 ぶ べき。 男女. け きも ののふ の心 を も なぐ さむる はう たな り. . をもあ はれ とおも は せ、 を と こを むな のな かをも や はら げ 、 た. ち からをも いれず し てあ め つちをう ごかし、 め に見 え ぬ お に神. を述 べた か のよう に思 わ れ て いるよう だがそう は思 えな い。 た とえ. ( 博). たとえ ば古 今集 の真名 ・仮名 両序 は、 しばし ば和 歌 の政治 的 効用. 後普 光 園院百首」 への合点 にお いても、 兼好 がよ り私的 な傾 ゆる 「 ( ”) 向 の作 品 に高 い評価 を与え て いた こと が窺 え る。 『 徒然草』百 二十 二 段 に示 された、和 歌 が政治 の役 に立 たな いと いう 認 識、 十 四段 から 窺 わ れ る和 歌 は私的 な心 の慰 みと いう 認 識 は、 こう し て いか にも兼 。 った しい であ 好 好ら らし い認 認識 識な なの ので た。 あっ. 五 和歌は政 治 の役に立たな いと いう認識 の歴史 和 歌 が政治 の役 に立 たな いと いう 認 識 が荷 田在満 に始 ま るわけ で はな か った こと、 それより 四百年も前 に兼 好 が同じ 認識 を示 し て い た事 実 は、 以上 により最 早疑 いよう も な いと言 え る であ ろう 。 そ こ で次 の間 いは、 では こ の認 識を初 めて示し た のは兼 好 だ った のかと いう ことだ が、 実 はそう ではな か った。 久 保 田淳 氏 は兼好 の発言 の 前例 とし て、藤 原頼長 の台記康 治元年 十 二月 三 十 日 の条 にあ る子孫. への教訓の 一節、「 至千綜竹和歌者、錐非所勧、不可強禁」 ( 糸竹 ・ 和歌 に至 り ては、勧 むる所 にあ らず と い へども、 強 ち に禁ず べから. 七.

(9) . . 杉 浦 清雪 志. のよう に国 政 の輔け にな る、 とま では公言 出来 な い段階 だ った ので. に思 え る古 今集 撰集時、 し かし そ の撰者 達 はま だ、和 歌も ま た漢詩. 八 離 れ て慰 籍作用を 強調 し て いるL と見 る べき であ ろう 。 仮名序 で和 あ ろう 。. . 歌 と政治 と の関 わ りを語 った部 分 とし てより注 目す べき は、 次 の箇. 古 今集 以後序 文を持 つ中 古 の勅 撰集 は後拾遣 と千載 の二 つ。 どち. 所 ではな いかと思 わ れ る。. ほかま でな がれ、 ひろき お ほ むめぐ み のかげ つく ば 山 のふも と. 名 を 世 世 に のこし、 これをまな び たづ さ はら ざ るはおも てを かき に. よそ こ のことわ ざ わがよ の風俗 とし て、 これを こ のみも てあ そ べば. 「つひ にお ほむあ そび のあ ま り に、しき しま のやまとう たあ っめさ せ たま ふ ことあ り」 とあ って遊 び の産物 と いう 把 握、 後者 には 「お ほ. らも 仮名 序 のみだ が、事情 は古今集 と さし て変 わらな い。 前 者 には. よ りも しげく お はしまし て、 よ ろ づ のま つり ごとを き こし めす. し てた てら む がごとし」 と述 べて名 を 後代 に残す徳 と、 日本 古来 の. います べらぎ のあ め のし たし ろし めす ことよ っの時 こ こ のか へ. いとまも ろも ろ のことをす てたま は ぬあ ま り に、 いにし への こ. 風俗 とし て和歌 を 詠 めなけ れば恥ず かし いのだと いう 主 張 があ る だ. り にな むなり ぬ る、 あ ま ねき お ほ むう つくし み のな みやし ま の. とを も忘 れじ ふり にし ことをも お こし たま ふと て、 いまも みそ. 論治 世 の太平 の証 とし て撰 ばれ る こと にな ったと いう のだから、 政. る に ふけ り、 こころを のぶるな かだち とし、 世を を さ め、 た みを や. と ころ が新 古 今 と風雅 は違う 。新 古今 の仮 名序 は冒頭付 近 に、「い. いな か った 。. 事業 であ りな がら、 政治 と結 び付 くも のだと いう 認識 は特 に示し て. け であ る。 こう し て平 安時代 の勅 撰集 序 の筆者 達 は、 そ れ が国 家 の. 以下 略) な はし のち の世 にも つたはれ と て ( 醍 醐天皇 が万機 の政治 を執 り行う 暇 に、様 々な事 を お捨 て にな ら. 治 と の関 係を全 く否定 し て いるわけ ではな い。 し かし少な く とも 表. な いそ の余 り、 こう し て古今集 の撰集 を命 じ たと いう のであ る。 勿. 現 とし ては、和 歌 を詠 む ことや勅 撰和 歌集 を編 む こと が醍 醐 天皇 の 政治 に貢献す る、 な どとは述 べてはおらず 、 天皇 にと ってはあ く ま. 、 代 明時、 集 而録 之」と続け た。 風雅集 は真名序 に 「一心 為訓 諭 之本 吟詠 性情 、 美 刺 政教」 と書 き、 仮名 序 には 「ま こと に人 の心 を た だ. 或採艶色而寄言、誠是理世撫民之鴻徽、賞心楽事之亀鑑也、是以聖. はらぐ る みち と せり、 か かりけ れ ば、 よよ のみかども これをす てた 夫和 歌者、 群徳 之祖、 百福 之宗 也」 と ま はず 」 と書 き、 真名序 は 「 或 軒下情 而達闇、 或宣 上徳 而致化、 或属 遊 宴 而書懐 、 書 き起 こし て「. で も 政 治 の 「い と ま の」 「あ ま り に 」命 じ た こ と だ と 書 い て いる の で. し つべし、 下を を し へ上 を いさ む、 す な はちま つり ごと のも ととな. あ る。 の歌 を詠 んだり額 田王 が斉 明 天皇 にな り代 わ って詠 ん だり、 人麿 が. 思う に和歌 の政治的意義は、万葉集 の 一期二期、解明天皇が国見 行幸 に従駕 し て詠 ん で いた頃 にはま だあ ると認 識 され て いたかもし. る 」 と 書 い た。. 喜貞永 の いま、 世を さま り、 人 やす く た のしき こと のはを し らし め. 寛 これ に対し て他 の中 世 の勅撰集 のう ち、新 勅 撰 はやや腕曲 に、「. れな いが、 憶良 や旅 人 の第 三期 以降 は、 個人的 な精神 的慰 籍 の具 と し て の性格を 強 め て いたも のと思 われ る。 文章 経国 思 想 の興 隆し た 所 謂国 風暗黒時 代を 経 て、 漸 く和歌 が漢 詩 と対 等 の地位 を占 め た か.

(10) . 『徒然草』 と 『国歌八論』. 常 葉 駿 河守、 此歌 ヲ見 テ感 歎 肝 ニ銘 ジ ケ レバ、 沼 ヲ流 シテ理 ニ. ど には旗色鮮 明とは言 えな いであ ろう 。 続 古 今も そ の真名序 に 「 皇 沢治者 此道 作、此道 作者 其国 昌」 と歌道 と皇沢 の密 接な関 わり にも 聴政事 之次」の下命 だとも書 く。新 後拾遣 仮名序 、新 言及す る が、 「. 此歌 一首 ノ感 ニ依 テ、 吸 問 ノ責 ヲ止 メ ケ ル、東 夷 ノ心中 コソヤ. 詩 歌 ハ朝 廷 ノ翫処、 弓馬 ハ武家 ノ噌 ム道ナ レバ、其 慣 未 必 シ モ、六義 数奇 ノ道 ニ携 ラネ ド モ、物 相感 ズ ル事、皆 自然 ナ レバ、. 伏 ス。東 使 両 人 モ是 ヲ読 テ、諸 共 ニ袖 ヲ浸 シ ケ レバ、 為 明 ハ水. 続古 今 の真名 ・仮名 両序 も、 それ が天皇 治 世 の証、或 いは時代 を 反. サ シ ケ レ。 カ ラ モ入ズ シテ、 天地 ヲ動 シ、 目 ニミ ヘヌ鬼 神 ラ モ. むため に、 ことさら にあ っめえら ば る るな らし」 と書 いて いる。 平 和な治 世 の証 とし て の撰集 だと いう のであ ろう が、新 古 今 や風雅 ほ. 映し て将 軍 の功績を褒 め讃 え たり はす るも のの、 和歌 がそう し た政. 哀 ト思 ハセ、 男女 ノ中 ラ モ和 ゲ、 猛キ武士 ノ心 ラ モ慰 ル ハ歌也. と続 く。 二条 良基 の 「近来 風体」にも、 「 元 弘 の乱 の時 よ みて、 人 の 口にあ りしよ り名誉 せられ侍 りき」 とあ るから ほぼ実 話 と考 え てよ. ト、紀貫 之 ガ古 今 ノ序 ニ書 タリ シ モ、 理ナ リト覚 タ リ。. 火 ノ責 ヲ遁 レテ、 筈ナキ 人 ニ成 ニケリ。. 治 の世 界 に何 ら か の力を持 った のだ、 とま では述 べて いな い。 以上勅 撰和歌集 の序 文 の歴史を辿 ると、平安時 代 の三勅 撰集 では、 政治 の役 に立 たな いとま では書 かな いがあ くま でも政治 の世界 と は 別物 の遊 びであ ると の認 識を示し て いた のであ った。 そ の時代 に子 孫 に和 歌 を 勧 めな か った頼 長 の認識 は、 同時 代 の歌 人達 と特 に異 な って は いな か った の だ と 考 え て よ い で あ ろ う 。 ま た 中 世 に 入 って. ここで太 平記 に載 る有 名な事 例を 一つ挙 げ てお こう 。御 子左 の嫡. な るし、 こ の歌 に感 動し た六波羅 の役 人達 も、 同じ認 識を持 って い. を 「 敷島 ノ道」 の人 であ る自分 が聞 かれ ると は思 いも よらな か った と いう のだ から、 為 明も ま た和 歌 と政治 は別物 と考 え て いた こと に. いのであ ろう 。 この歌 で 「浮 世 ノ事」 と は直接 には元 弘 の変 を 指す が、 そ れ は正 に政治 に関 わ る大事 であ った。 そ の政治 に関 わ る大 事. 流 二条 家 の人 とし て兼好 とも交 渉 のあ った為 明 は、 後 醍 醐天皇 が元. 文 にも 明ら かな よう に和歌 の政治的効 用を認 め ており、『 為兼 卿 和歌. 新 古 今 と風 雅 の序 文 は激 越 に和 歌 と 政治 の密 接 な 関 わ りを 述 べた が、 それ はむし ろ特 殊 な事例 と考 えら れ る。. 弘 の変 を 起 こし た際 側 近 の 一人 とし て六波羅 に捕 らえ ら れ、 あわ や 拷 問 に及 ぼう とし て いた。 為 明 が 「硯 ヤ有 」 と言う ので、 白 状 のた めかと硯 と紙を渡 し たと ころ、 白状 ではな く 一首 の和 歌を書 いた。. 抄』にも 、 「天地を動 かし、鬼 神 をも感 ぜし め、世 ヲ治 ム ル道 とも な. 発言 し たとし てそれ は当然 のこと。京極 派 はとも かく、 圧倒 的多 数. り、 群徳 之祖 、 百福 之宗也 とも定 めら れ、 邪 正を た ゞす 事 是 よ り近 き はな し、 な ど候 にや」 とあ る。古 今集 を尊重す る二条 派 の歌 人兼 好 が、 和 歌 が政治 の役 に立 たず そ れはあく ま でも 私的な心 の慰 みと. ついでに言え ば二条 家 に対抗 し た京極家 ・京極 派 は、 風雅集 の序. た こと にな ろう 。. 日く . 思 キ ヤ我敷島 ノ道 ナ ラデ浮 世 ノ事 ヲ問 ルベシト ハ こ の後 太平記 は、. を占 め た中 世 二条 派 の歌 人達 にと って みれ ば、 当 たり前 の思 いを 口. 九.

(11) . . 杉 浦 清 志. にした に過 ぎ な か ったよう な のであ る。. 六 徒然草 と国歌 八論 の新しさ. す べき新 し い発言 と は見 な されな いまま に、 時 は過ぎ 近 世 に入り、 徒 然草 は古典 とな った。 そ の近 世 にお いてまず 思 想 界を 支配 し た の. は朱 子学 であ り、 それ は文学 にお いても道徳 を優先 さ せるも のだ っ. たと いう 。 元禄 頃 に起 こ った仁斎 の古義 学 は文学 は人情 を 言う も の. とし・ 在 満も そ の影響 下 にあ った施・朱 子学 は幕府 の奨 励 し た学 問. まず 兼好 に ついて言う なら ば、 たとえ ば頼 長 が子孫 に和 歌 を勧 め. な い。 実 は とも に、 あ る意 味 で新 し さ があ った のだと考え ら れ る。. いて初 め て現 れ た認 識 であ ったか のよう に扱 われ て来 た理由 は解 け. それ では在満 の発 言 があ れ だけ の反響を 呼 び、 今 の今ま で近 世 にお. 最 後 に誤解 を 避け るため に言 い添 え る が、 本 稿 で問題 にし た のは. 説 いた こと、 そ れらも 在満 の主 張 の新 し さと考 え てよ いであ ろう 。. のみ主 題 とす る歌 論書 にお いて、 堂 々と政治 におけ る和歌無 用論を. 質 論 を展 開 し た こと、 歌論書 ではな か った徒 然草 に対 し て、 和 歌を. そ のほ かに技術論 に終始 し た中 世歌論 の多 く に対 し て、 堂 々と本. だから、 そ の影響 は強く、 特 に大名 の 一人 であ った 田安宗 武 は和 歌. な いが禁 じも しな いと書 いた時、 当 然 そ こにはそ んなも のに上達 し. あ く ま でも 和 歌 と 政治 の関 係 に対 す る歌 人達 の認 識 の問 題 であ っ て、 現 実 に和 歌 が政治 の役 に立 ったか立 たな か った かと いう 現象 で. こう し て和歌 が政治 の役 に立 たな いと いう 認 識 は、 既 に兼好 の時. ても 政治 の役 には立 たな いと いう 認 識 があ ったはず だと は考 えられ. はな か った。国 家事 業 とし て勅 撰和 歌集 が編纂 され ると いう こと自. をも 政治 を輔け るも のと考 え た。 在満 の発言 が宗 武 の激 し い反発 を. るも のの、 頼 長 はそう は書 かな か った。勅 撰集 序 や為 明 の歌 も そう. 体 が、 この国 におけ る政治 と和歌 と の密接 な関 係を 物 語 るし、 たと. 代 にお いてす ら特 に目新 し いも のではな か った。 ではそう し た歌論. であ る。 文学 におけ る新 しさ と は何 か、答 え は様 々あ ろう が、 そ の. え ば皇 統 の交 替 や将軍 の代 がわ り に応 じ て、 短 期間 に いく つも の勅. 呼 ん だ のは当然 であ ったし、 ま たそ こに在満 の新 し さ の 一つもあ っ. 思 想 自 体 は特 に新し いわけ ではな いが、多 く の人 がそう 思 っ 一つに、. 撰和歌集 が撰進 され た鎌倉 末 期 から南 北朝 期 にかけ ては、あ る意 味. 史 の中 で、彼 ら の認 識 は遠 い昔 から の歌 人達 が当 然 の事 とし て抱 い. ては いるも ののう まく表 現出来 な か った事、 或 いは暗 黙 のう ち に了. で政治 と和歌 が極 め て密 接 に結 び付 いた時 代 であ った。 思 え ば為 明. たと考え る べきな のだろう 。 古来 の歌 人達 の認識 が、忘 れら れ て い. 解 し て いる がゆえ に敢 え て発 言 はしな か った ことを、 言葉 によ って. が歌道 家 の人間 に政治 のことな どわ かるわけ がな いと いう 歌を詠 ん. た認識 を追 認し た だけ の、 旧態 依然 た る認 識 に過 ぎな か った のだろ. 見事 に表 現し お お せ た、 と いう も のを そ の 一つに挙げ てよ いのでは. で拷問を免 れ た事 件 は、 和歌 によ って政治的危 機 を 回避出来 たと い. た時 代 だ った のであ る。. な いか。 そ の意 味 で兼 好 の発言 は、 中 世 にあ って新 しか ったと言え. う か。前 節 の考察 によ れば そう 考 え るし かな さ そう であ る。 し かし. る のではな かろう か。. う意 味 で、和 歌 が政治 の役 に立 った顕著 な事 例 の 一つとも 見 なしう る。 こ の問題 に対す る歌 人達 の認識 と、 彼 ら が置 かれ て いた現実 と. . と ころ が中 世 にお いてそ の認 識 は余 り にも 当 た り前 過 ぎ た た め か、 は たま た徒 然 草 が歌論書 ではな か った ため か、特 にそれ が注 目.

(12) . 『徒然草』 と 『国歌八論』. の間 には、 な お複雑 な 問題 が潜 んで いると言え そう であ る。. よ る。以下同じ。. 昭和五十二年三月)に 徒然草』( ① 本文は木藤才蔵校注、新潮日本古典集成 『. ◎. ② 寛保二年 (一七四二). ④ ◎. ◎ ⑦ ◎. 国歌八論』は藤平春 日本古典 文学全集 『 歌論集』 ( 昭和五十年四月小学館。 『 男校注) によ る。 注◎ の書 の藤平氏解説二 一ペー ジ。 8 宇佐美喜三八 『 近世歌論 の研究 ーー漢学 と の交渉 ー1』( 和泉書院研究叢書 3 昭和六二年 : 月)序説四 ペー ジ。 『 日本古典 文学大辞典第 一巻』 (一九八三年 一〇月岩波書店) の 「 荷田在満L 。 の項 ( 吉野忠) 。『 注◎ の書第 一章 「 童子間』 の引用もそれ による。 荷田在満 の歌論」 昭和四十三年五月角 川書店)「 徒然草概説」 安良岡氏 は 『 徒然草全注釈下』 ( とはず がたり ・徒然草 ・増鏡新見』 ( 昭和五十 五七二ペー ジで、宮内氏は 『 徒然草三 一〜 一七五段の執筆 二年八月十五 日発行明治書院)第 二篇第三章 「 鹿児島大学教育学部研究紀要』二四巻昭和四十八年三月所収 年代L ( 初出 『 。 「 工 ・n) 徒然草 の執筆年代 に ついて ( L)三四三 ページで. 昭和六十 一年五月有精堂七 ◎ 三谷栄 一・峯村文人編 『 増補徒然草解釈大成』(. 七八 〜七八二 ペー ジ。但し初版は昭和四十 一年六月岩崎書店)より引用。. 回 寛文七年 (一六六七)刊。. る と あ り が た い。. 昭和十八年五月 日本評論社刊) による。 回 土岐善麿著 『 田安宗武』第 二冊 ( 兼好 と宣長 ーーそ ◎ 宣長 の兼好批判 に ついては既 に諸家 の論 があ るが、拙稿「 『 国文学言語と文芸』 一〇四号平成元年三月)をご参照願え の理想 と現実」 (. 斎藤清衛 ・岸上慎二 ・冨倉徳次郎編著昭和五二年 一〇月三省堂刊)等を参 (. 枕草 子 徒然草』 ⑩ 詳し い様相 は注◎ の書 や増補国語国文学研究史大成 6 『 照。 回 注回 の書参照。 同 「 国文学』 徒然草を構成す る時代 の思想 ーー二条派歌人としての兼好 ーー」『. 第二巻二号昭和三十二年二月 ‐特集 「 徒然草の総合探求」. 兼好目撰家集 の 既 に何度も指摘されて いることだが、論文とし ては斎藤彰「 語文』第三十六 日本大学 『 考察 ーー登場人物 ・撲集素材 の吟味を通し てL ( 輯昭和四十六年十 一月)、最近 の成果 とし て岩波新 日本古典文学大系 『 中世 和歌集室町篇』 (一九九〇年六月。兼好家集 は荒木尚校注)が参考 になる。 後普光園院殿御百首』合点考」 『 拙稿 「『 北海道教育大学紀要第 一部A』第三. 昭和五十八年九月)や注圃の新大系本 ( 十四巻第 一号 ( 良基百首は伊藤敬校. 注)を参 された い。 照 方丈記 徒然草 (一九八九年 一 岩波書店)脚注。 新 日本古典 文学大系 9 『 月 』 3 徒然草 諸注集 例を挙げ るには及ばな いかもしれな いが、 たとえ ば田辺爵 『 昭和三十七年五月初版右文書院。五十四年十二月 の三版による)は 一 成』 ( 古今集 の序 は いう までもなく、新古今 の序 にも、礼楽 が 二二段 の注 の中 で「 詩歌ととも に、治政 の要諦 であることは綾述されており、後 の風雅集 の序 に もまた堂 々と述 べられては いる」 ( 三七八 ペー ジ)と書き、久保 田淳 『 新古. を考え、 ( 中略) ニュア ンスの差 はあ るが、 ほぼ 一致して いる。以て、 いか に古今集 の影響力 が強か ったかを知 ることができるL ( 五六 ペー ジ)と書く。 勅撰集 から の引用は全て新編国歌大観第 一巻 ( 角川書店) による。 『 歌論 の研究』 ( 昭和六三年 一月 ペリかん社)四六 ペー ジ。. の中 で、古今集以来 の真名序 が 「( 和歌 の)本質や効用とし て政教的なも の. 今和歌集全評釈第 一巻』( 昭和五 一年 一〇月講談社)は新古今真名序の鑑賞. ( 1 の( 1 勃. 二. 一二月岩波書店) におけ る中村幸彦氏 の解説 に拠 った。 中世和歌集室町篇』におけ る伊藤敬氏 の解 この点 に関 しては注⑩ に挙げた 『 説 が詳し い。. 近世初期の思想史の把握は日本古典文学大系 『 昭和四 一年 近世文学論集』(. 一』 一九六〇年 一月) による。以下同じ。 日本歌学大系第五巻 による。 日本古典文学大系 『 歌論集 能楽論集』 ( 昭和三六年九月岩波書店)による。. 『 太平記』巻第二 「 岩波古典大系 『 太平記 僧徒六波羅召捕事付為明詠歌事」(. 0 縫の乾 1 )縫 り.

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