まえがき
本書は、おもに平面上の射影幾何学とその考え方について解説す ることを目的としている。 中学校では、三角形の合同定理や円周角の性質を始めとする初等 的な平面幾何学を学び、高等学校に入ると座標を用いた解析幾何 学や、あるいは円錐曲線の諸性質などの高度な話題が教えられてい る。チェバの定理、メネラウスの定理といった少し複雑な定理とそ の応用なども学ぶだろう。 このように、平面幾何学には相当なれ親しんできているから、本 書のテーマが平面幾何学であると聞くと、なぁんだ、よく知ってい るテーマだなと思ったり、目新しい話題はなさそうだと、失望した 方もいるかもしれない。しかし、本書はそのような高等学校までで 教えられている幾何学とは少し違う観点から平面幾何学を眺めるこ とを目指す。そのキーワードは『射影』である。 数学用語としてはよく知らなくても日常用語で“射影”という言 葉を知らない人はいないだろう。要するに光線によって物体の影を ある面に映すことである。そのような「射影」という考え方を使っ てどのような幾何学が出来上がるのだろうか? それは高等学校ま でに学んだ幾何学とは全く異なるものなのだろうか? 大学や最先 端の数学ではそのような幾何学が使われているのだろうか?viii まえがき なんの準備もなしにこれらの問いにきちんと答えることは難し く、すこし観念的になるが、それらの問いについて考えてみよう。 本書において我々は射影という概念を用いるが、扱う題材はよく 知っている通常の平面幾何学を一般化したものである。そこに現 れる定理は、パップスの定理やチェバの定理・メネラウスの定理な ど、ごく普通の幾何学の本に出てくるような定理かそれを少し発展 させたような定理ばかりである。しかし、その扱い方や証明方法は まったく異なっている。 数学というのは考え方である。そして「射影」もまた、図形をど のようにとらえるのかという考え方であると言ってよいだろう。 いったい『幾何学』とは何なのか、という問いは本書にはいささ か大きすぎるが、射影を通して幾何学がどう“見える”のかという ようなことを紹介してみたいと思う。おそらく、定理そのものはよ く知っていても、射影という思考を通して見える幾何学の景色はま ったく異なったものになるに違いない。本書を読み進めるうちに、 よく知っている定理の別の側面が見えてくるはずであるし、一つの 既知の定理から多数の未知の定理群が自然と浮かんでくるだろう。 もしそこに幾何学の新しい景色が見えてこないようなら、それは著 者の非力に原因がある。 残念ながら、高等学校までで学んだ高度な平面幾何学は、大学で はそれ以上教えられることはなく、大学入学後は微分幾何学とか位 相幾何学といった現代的な高次元の幾何学に取って代わられてしま う。これらの現代的な幾何学は、20 世紀になってから大きく進歩 を遂げ、最先端の数学研究における主要なテーマとなっている。し かし、一方で、古典的なユークリッド幾何学の延長線上にあるよう な幾何学の講義が一つくらいあってもよいのではないだろうかとも
ix 思う1)。 では、射影幾何学は大学の標準的なコースで教えられることもな く、現代数学においては忘れられた古色蒼然たる幾何学なのだろ うか? それはまったく的外れな見方である。射影幾何学は、現代 では高度に発達した、代数幾何学と呼ばれる数論や環論・体論など の諸分野と深く結びついた幾何学の中の、さらに中心的な一分野を 形作っている。実際、日本人数学者のフィールズ賞受賞者、広中平 祐、小平邦彦、そして森重文はすべてこの射影幾何学と深い関係を 持つ人たちであって、射影幾何学は日本数学のお家芸といってもよ い。 そのような高度に発展した数学の紹介は本書ではできないが、こ こで紹介する射影の考え方は現代の射影幾何学を学ぶ上でも必ずや 何らかの役に立つと信じている。 まぁしかし、それはそれとして、たくさんの方に射影幾何学を楽 しんでいただけたらうれしいと思う。 本書を書くにあたって、編集を担当していただいた野口訓子さん には大変お世話になった。また、草稿を読んでコメントをたくさん いただいた編集委員の方々、特に桑田孝泰氏に感謝したい。最初の プロローグの章を加えて、空間内の平面や直線に慣れ親しんでから 本題に入るというスタイルは彼の提案によるものである。 本書の図版は、ほとんどすべてをGeoGebra というソフトウェア を用いて制作した。GeoGebra では主に平面幾何学、中でも直線と 円錐曲線からなる図形を簡単な操作で描くことができる。図形を描 いた後に変形すると、交点や接点、図形の位置関係などを保ったま ま変形される。いわば本書のテーマである射影変換をそのままソフ トウェアにしたような魅力的なツールで、興味のある方はぜひ使っ 1) そのように考えて、複素数と平面幾何を題材に主に文系の方に向けた講義をした経験 もあり、そのときの講義の内容が『よくわかる幾何学』と題して出版されている[4]。
x まえがき てみられたい。学習や研究に使う場合には無償で配布されており、 下記のサイトからダウンロードできる。 http://www.geogebra.org/ http://sites.google.com/site/geogebrajp/ (日本語サイト) このソフトウェアについては北海道教育大学釧路校の和地輝仁 さんに教えていただいた。和地さんには草稿を通読してもらって貴 重な意見をいただいたりもして、たいへん感謝している。ありがと う、和地さん。また、執筆当時に青山学院大学理工学部に在籍して いた西山広徒君にも原稿を精読してもらって貴重な意見を頂戴し た。彼を本書の最初の読者の一人として迎えることができたのは大 きな喜びである。 2013 年 5 月 19 日