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「家庭的」であることと児童養育責任 今日的「社会的養育」としての児童福祉施策の枠組み検討

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立教女学院短期大学紀要第 50 号(2018)抜刷

「家庭的」であることと児童養育責任

所  貞之

Sadayuki TOKORO

Home-Like Environment and Responsibility for Child Rearing

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はじめに

 子育ての社会化がいわれて久しい。これは、家庭での家族による子育てが何らかの理由で困難 となった際、第三者の手によって委ねられることを意味する。付言すれば、「本来」的には家族 が担うべき子育てという機能が、何らかの生活上の課題の出現により維持もしくは継続不可能と なった際に、子どもの成長発達への影響を鑑み、専門的、非専門的な技術・方法により「家庭 的」な環境を設定し、より家族的な雰囲気をもって子育てが補完的、代替的になされることだと いえよう。ここで、確認すべきは、子育ては家族の持つ 1 つの機能であり、それは「家庭」とい う環境において実践されるものだということである。ところで、家族の機能の 1 つである子育て を家族以外の者が担っていくことの根拠や、子どもの子育てに対する責任はだれにあるのだろう か。本論では、子どもの子育て責任の所在をどこに求めるべきか、社会化された子育ての主体は いかなる理念や方法をもっていわゆる施策として実践されているのか、この 2 点について、主に 児童福祉法の諸規定から探っていくことを目的とする。特に、今日の児童福祉施策の枠組みが、 子育ての社会化による子育ての責任をいかなる様態で体現しようとしているのかを示していきた い。既に本論の中で、「子ども」や「子育て」という表現を用いているが、展開上、「子ども」は 「児童」、「子育て」は「養育」、「育成」、「監護」、「育児」と同義として扱うことを断っておく。

1.法令上の児童養育責任

1-1 児童福祉法における児童養育責任  まず、児童福祉法において児童の養育の責任がどのように規定され、解釈されているのかを整

─今日的「社会的養育」としての児童福祉施策の枠組み検討─

Home-Like Environment and Responsibility for Child Rearing

所  貞 之

Sadayuki TOKORO

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理していこう。児童福祉法は第 1 条及び第 2 条第 1 項で、「児童の権利条約の精神」にのっとって、 児童が「適切に養育」され、生活保障がなされること、また、児童は「適切な環境で生まれ」、 成長発達の中で能動的な権利が尊重される旨が明記されている。これらは、児童の福祉を保障す る原理的規定であることを同法第 3 条でうたっている。  児童福祉法の第 2 条第 2 項は、下のように児童の養育の責任について規定している。 児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号) 第 2 条 2 児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う。 3 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責 任を負う。  児童の育成の責任つまり子育ての責任は、「第一義的」には保護者にあることが明記されてい る。さらに、同法第 2 条第 3 項において、国や地方公共団体の児童の養育責任ついて、児童の保 護者「とともに」負うことが記されている。このように、児童の養育責任が保護者に対して「第 一義的」にあることが明記され、国等がいわば「第二義的」な責任があると解釈されている。  しかし、児童の養育の責任が「第一義的」に保護者にあることが法律の上で明文化に至るの には、2016(平成 28)年の児童福祉法の大幅改正を俟たなければならなかったのである。では、 改正前の児童福祉法は、児童の養育責任について、どのように規定し、そして解釈されたのだろ うか。まずは、旧児童福祉法を見てみよう。  旧児童福祉法 第 2 条 国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成す る責任を負う  このように旧児童福祉法では、児童の養育責任について明確に記していない。これを古川孝順 は、「『とともに』というのは、共有や分担を意味するよりもまえに、『第一義的責任』の所在を 意味している」(古川;p6)と指摘した。さらに、「その内容は、第一義的には、親に児童養育の 責任が果せられ、第二義的ないし補充的に国が児童養育の責任を負う」(古川;p8)としている。 そして児童福祉と家族、家庭とのかかわり方について、「保護者が児童の養育に無関心であった り、失敗したり、不適当であったり、存在しないというような条件があるときに、前者が後者を 補充ないし代替するというものである」(古川;p8)と述べている。この見解は、時代的な変 遷があるとしても、今日の児童福祉法上の条文、そして解釈として変わっていないものと捉える

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ことができることを示唆しているのではないだろうか。  そして、2016 年改正法によって、児童福祉の理念は、その存在意義及び根拠を「児童の権利 に関する条約」に求めるとともに、児童が権利の主体であることが明記されたのである。  2016 年改正法は、児童の養育における「家庭」の存在を重視している。同法第 3 条の 2 は、 児童福祉施策が「子育て支援・保育」と「社会的養護」の 2 本柱で構成されているとしたとき、 それぞれの養育責任のいわば果たし方について言及している。 児童福祉法 第 3 条の 2 国及び地方公共団体は、児童が家庭において心身ともに健やかに養育されるよ う、児童の保護者を支援しなければならない。ただし、児童及びその保護者の心身の状況、 これらの者の置かれている環境その他の状況を勘案し、児童を家庭において養育することが 困難であり又は適当でない場合にあつては児童が家庭における養育環境と同様の養育環境に おいて継続的に養育されるよう、児童を家庭及び当該養育環境において養育することが適当 でない場合にあつては児童ができる限り良好な家庭的環境において養育されるよう、必要な 措置を講じなければならない。  まず、同条の 1 文目で、「家庭」での児童の養育を国や地方公共団体、要するに社会が支援す ることが義務化されており、児童福祉施策でいうところの「子育て支援・保育」についての実施 責任が規定されている。  一方で、同条 2 文目以降については、「社会的養護」の実施について触れている。つまり、「家 庭」での児童の養育が困難または不適当な場合は「家庭における養育環境と同様の養育環境」や 「できる限り良好な家庭的環境」を社会が用意しておかなければならず、その具体的な取り組み が「社会的養護」として括られるところの里親制度であり、いわゆるグループホームや、乳児 院等の施設であろう。  同条の規定から、児童福祉施策を児童の「養育」の方法論的な整理をすると、「子育て支援・ 保育」は「養育支援」あるいは「協働養育」、「社会的養護」は「代替養育」と表現できる。 1-2 児童の権利に関する条約と児童養育責任  こうした児童福祉施策による児童の「養育」は、児童福祉法第 3 の 2 の規定に表れているよう に、「家庭」での養育を基点とし、それが困難である場合などにおいて、「家庭的」な養育の確 保、保障が求められているといってよい。このような考え方は、同法第 1 条にあるように、児童 の権利に関する条約の精神に沿うものとなっている。特に児童福祉施策における「社会的養護」 については、下の同条約の第 20 条を根拠としていることがわかる。

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児童の権利に関する条約第 20 条 1 一時的若しくは恒久的にその家庭環境を奪われた児童又は児童自身の最善の利益にかん がみその家庭環境にとどまることが認められない児童は、国が与える特別の保護及び援助を 受ける権利を有する。 2 締約国は、自国の国内法に従い、1 の児童のための代替的な監護を確保する。 3 2 の監護には、特に、里親委託、イスラム法の力ファーラ、養子縁組又は必要な場合に は児童の監護のための適当な施設への収容を含むことができる。解決策の検討に当たって は、児童の養育において継続性が望ましいこと並びに児童の種族的、宗教的、文化的及び言 語的な背景について、十分な考慮を払うものとする。  当然のことながら、ここでも児童の養育において「家庭的」であることを重視している。この 考え方自体を遡れば、1909 年に開催された第一回児童福祉白亜館会議の宣言のなかで、『家庭生 活は、文明の所産のうち、最も高い、美しいものである』と謳われている。この「宣言の中で、 このようなかたちとしてはおそらくは初めて明瞭に述べられている『家庭』の重要性は、第二次 大戦後にボウルビィ,J の W.H.O.に対する報告書によってさらに裏打ちされ、一層強調される ようになった」(古川;p27)と古川は指摘する。また、大谷は「家庭は『文明の産んだ至高最善 のものである』ことを確認した上で、家庭の安全を守るために必要な場合の、親に対する経済的 援助を強力に要請した。次に、孤児は施設に収容するよりは、可能な限り里親家庭に措置すべき であることを要請した」(大谷;p1)と、現代のわが国の児童福祉施策の展開理念と同様の主張 が当時からなされていたことは、先見の明なのか時代や社会に囚われない普遍的なものなのか、 いずれにしろ驚きに堪えない。  「子育て支援・保育」においては、例えば 1963(昭和 38)年 7 月の国の中央児童福祉審議会の 保育制度特別部会が、「こどもの精神的、身体的発達にとっては、両親による愛情に満ちた家庭 保育が、もっとも必要なものであり、これを保育の第 1 原則と考えたい」とし、「家庭」での児 童の養育を強く勧めた。その中にあって、保育所の利用要件を「保育に欠ける」状態にあること であると強調した。この「保育に欠ける」という要件は旧児童福祉法第 39 条に規定されていた ものだが、同審議会は「保育に欠ける」状態を、「こどもの心身の発達にとって不可決なものを 与えなくする状況」(原文ママ)だとし、「家庭内、それも特に両親の状況のみに限定されるこ となく、広くこどもの生活の場全体を考慮すべき」ものだとしている。また、「保育に欠ける」 児童が利用できる保育所以外の制度として、「家庭的処遇を与えうるという点で家庭保育委託制 度、訪問保母制度を検討する」必要性についてふれている。つまり、保育所以外のより「家庭保 育」に近い「家庭的」な養育環境を提供する必要性は当時から示唆されていたのである。  こうした 1960 年代の「家庭保育」の重要性の強調を経て、高度経済成長期以降、「世界的に発

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展してきた子どもの権利思想に逆行するかたちで保育政策、あるいは児童福祉政策は展開してき た」(中村;p188)と中村は指摘する。さらに、「子どもの権利という視点が前面に出ることはな く、親の養育責任が長らく強調されてきた」とし、児童の権利に関する条約の「第 18 条『親の 養育責任と国の援助』規定を曲解し、『働く母をもつ子の養育施設の利用権保障』を矮小化して きた」(中村;p188)ものだと分析している。  当時、こうした「家庭」外の養育環境の整備に対する消極的な姿勢を象徴する『母親よ家庭に 帰れ』という主張に対して古川は、「名実ともに児童を社会的に養育するような方策がとられな ければならない。児童を『家庭』に回帰させるのではなく、むしろ、児童を『家庭』から解放し なければならない」(古川;p30)と指摘している。換言すれば、既にこの時期から児童の養育の 社会化(子育ての社会化)、「家庭」外の「家庭的」な養育環境が求められているのではないだろ うか。

2.家族主義・実子主義と「家庭的」であること

 それでは、この「家庭的」な養育を、社会学的にはどのように分析、整理されるのかを見るこ とで、児童の養育責任を再考し、「養育者」として現れる「家族」を今日的な児童福祉施策のな かの位置づけについて探ってみよう。本論の展開において注視したいのが松木洋人による論考で ある。松木らは『ハイブリッドな親子関係』という概念を用いて、「育児の社会化」を再構想す る試みを精力的に行っている。『ハイブリッドな親子関係』とは、「出産・子育てに生みの親以 外の担い手が関わる親子関係」(野辺・松木;p11)のことを指し、今日的な子育てが、子どもが 「実親以外の多様なケア提供者と横断的に関係を形成する可能性がある」(野辺・松木;p12)場 となっていることに着目し、「『普通』とされている家族への疑問の高まり」(野辺・松木;p10) のなかで、家族や血縁といったものがどのように立ち現れてくるのかを描き出すための概念であ る。  松木は、実子を血縁がない子どもよりも優位に置くことを規範とする「実子主義」と、子育て の責任を家族に帰属させるものとする「家族主義」というそれぞれの位相に焦点を当て、「育児 の社会化」を再構想している。その中で松木は、「特に子育てについては、その責任を家族に帰 属する家族主義の根強さが、日本社会での『育児の社会化』を阻んでいることが批判的に指摘さ れてきた」(松木;p20)とし、「福祉的ケアがなされる場合には、戦後家族論が批判したのとは 異なる家族の擬制、すなわち『家族主義』が存在する」(松木;p20)ことを挙げて、「実親以外 による子どものケアも実の親子関係になぞらえられることが多い」のがわが国の子育てだと主張 する。その上で、松木は、子どもにケアを提供するさまざまな実践とそれを支える諸制度を「実 子主義」と「家族主義」との関係性を四象限図に示している。ここでその図の各象限が表すもの

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について、少々紙幅を費やすが、説明しておこう。  第 1 象限は、「生物学的親」と「社会学的親」が一致している状態であり、母親などの家族が その子どもに育児という名のケアを提供している。つまり「実親による実子の養育」である。  第 2 象限は、実子主義的ではないが家族主義的な養育環境を指す。具体例として養子縁組が挙 げられている。  第 3 象限は、実子主義的でも家族主義的でもない養育環境であり、児童福祉施策のなかの「社 会的養護」が該当するとしている。「社会的養護」の施策の中でも、里親制度に代表される「家 庭養護」については、より「家庭的」な環境であり「しばしば家族の擬制が生じる」(松木; p24)ことを指摘している。「家庭養護」は「施設養護」よりも第 2 象限に近いところに位置づけ られるとも述べている。  第 4 象限は、実子主義的ではあるが家族主義的ではない。「家庭的」な養育環境が求められて いることには違いないが、「家族によって実子にケアが提供されるだけでなく、保育所による福 図1 実子主義 × 家族主義の 4 象限 実親による実子の養育 養子縁組による子育て 生殖医療技術による妊 娠・出産への第三者へ の関与 家族外のケア資源を利 用した実子の養育 家庭養護 施設養護 実 子 主 義 非 実 子 主 義 非家族主義 家族主義

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祉的なケア・サービスなどを利用することによって、子どもへのケアが家族以外の担い手も委ね られているような状況」(松木;p24)である。いわば、子どもの養育の補完的、側面的な制度と もいえ、「家族によるケアに比べてごく周辺的な位置づけにとどまっているのであれば、非家族 主義的だとは言えない」(松木;p24)という特徴を有するものと指摘している。  このように松木は、「育児の社会化」は「子どもがこれらの各象限を必要に応じて縦断的かつ 横断的に移動する多元的な可能性を開いている」(松木;p25)ことを意味していると述べる。  今日の「社会的養護」が、かつて孤児といわれたような「家庭」のない児童から、被虐待児童 のような「家庭的」養育環境のない「家庭」の児童への施策対象軸を変化させたことは、「実親 に育てられることが必ずしも子どもの幸福を保証するものではない」(松木;p27)ことを見事に 示唆している。とはいえ、「社会的養護」の施策上の本質は、「高度成長期から現在に至るまで、 養護施設がより『家庭的』な場所になることを求められたり、施設よりも『家庭的』であること を理由に里親委託が推奨されたりと、施設養護であれ家庭養護であれ、実親以外による子どもへ のケアは家族になぞらえ続けている」(松木;p27)ところにある。さらに松木は、「社会的養護」 が「非実子主義的で非家族主義的なケア提供を家族に近づけようとする持続的な指向も見て取る ことができる」(松木;p28)とも述べている。  第 4 象限に示される「子育て支援・保育」について、「子どもへのケア・サービスが提供され る状況では、子育てを福祉的な支援の対象にする論理と子育ての責任を家族に帰属する論理とが 交錯」(松木;p28)していることを指摘している。  松木は、「育児の社会化」の批判されるべき点が、「実子主義と家族主義の組み合わせ、すなわ ち、実子主義的かつ家族主義的な子育てを最上位におく序列」(松木;p31)とするところにある と分析している。その上で、「社会的養護」にせよ、「子育て支援・保育」にせよ、「その環境や 行為を『家庭的』あるいは『実子のように』と表現することは、それらのオプションを『模倣』 におとしめる含意がある」(松木;p.32)とした警告的な指摘も行っている。要するに、安易な「家 庭的」な養育環境への追求は、「ハイブリッドな親子関係」の構築とは逆行する、第 1 象限を最 上位におく序列への安易な賛同であり、「実子主義的かつ家族主義的な子育てがもつ引力」(松木; p.30)に抗うことのできない、単なる「家庭」の「模倣」(松木;p.32)と化してしまうというこ とである。  それでもわが国の児童福祉施策は、児童福祉法制定以来、保護者を児童養育の「第一義的責任」 者とし、国や地方公共団体が児童に「家庭的」な養育環境を提供することで、児童の生活を保障 し、今日的にいえば児童の権利を擁護することを企図してきた。

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3.今日の児童養育責任と児童福祉施策の枠組み

3-1 児童福祉施策の枠組みの変化  松木の「家庭的」なるものへの適確な指摘は、今日的な児童福祉施策の中で、改めてどのよう に解釈していけばよいのだろうか。ここでは、松木による象限図に、2016 年改正法以降の児童 福祉施策の枠組みを、2017 年の『新しい社会的養育ビジョン』や 2015 年度に開始された子ども・ 子育て支援制度の考え方を試的に載せることで、本論の目的である児童福祉施策における児童養 育責任について考えていきたい。  かつて筆者は、児童福祉施策の枠組みの変化を、2 つの施策カテゴリーを用いて示した。その カテゴリーとは、図 2 のように「健全育成」と「社会的養護」である。本論では、近年の児童 福祉施策の主要な展開を考慮し、これらカテゴリーを「子育て支援・保育」と「社会的養護」の 2 つとしたい。「健全育成」と「子育て支援・保育」とはケアの内容の類似性ではなく、施策対 象が「すべての子ども、子育て家庭」という点での近似性に注視したい。 3-2 実子主義・家族主義と児童福祉施策の枠組み  これまでの論述内容を基に、児童の養育責任について、「家庭的」な環境(家族主義)と家族 体験(実子主義)の 2 つの軸からなる象限図に、今日の児童福祉施策の枠組み及び施策種別を配 置したのが図 3 である。  第 1 象限は、松木が示していたように「実親による実子の養育」がなされ、そこにはいわゆる 「家庭」という環境があり、児童が実親のもとで家族を体験し、成長発達していく。児童福祉法 でいう児童の養育の「第一義的責任」を実親が果たしていくという意味で、施策を置くことは適 当でないと思われるかもしれない。しかし、1990 年代以降の児童虐待の問題が深刻化するなかで、 図2 児童福祉施策の枠組みの変化(筆者作成) 従来の児童福祉 1990年以降の児童福祉 主サー ビス間 の関係 健全 育 成 社会的 養護 健全 育 成 社会的 養護 対象 範疇 すべての子どもと子育て家庭 「3つのS」への回帰 一般児童 「3つのP」 要保護児童 「3つのS」

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特定の児童が犠牲になり、特定の親が加害者となるということではなく、すべての児童や子育て 家庭が、「家庭」を失い、家族体験を破綻させる可能性が広まった。つまり、すべての児童や子 育て家庭が児童福祉施策の対象化し、「子育て支援」という名の施策が「予防的な」視点から展 開されていったのである。  ただし、「子育て支援」施策の対象範囲は第 1 象限の実親にとどまるものではない。第 4 象限 において、児童の養育の補完や側面的支援など先に示した「協働養育」により、「家庭的な」養 育環境を保障するほか児童の家族体験を支援するなどの取り組みが展開される。その意味で、第 1 象限と第 4 象限に広がるカテゴリーが「子育て支援・保育」ということになろう。  一方で、第 2 象限から第 3 象限に広がる児童福祉施策のカテゴリーが「社会的養護」である。 2016 年改正法では、子どもが権利の主体であることを明確にし、家庭への協働養育、養育から 図3 「実子主義 × 家族主義」分類に基づいた児童福祉施策の位置づけ (松木洋人, 2016, p22 の図 1 を援用、筆者加筆) 子育て支援・保育 社会的養護 家庭養護 (特別養子縁組) 家庭養護(里親) 家庭的養護 施設養護 実 子 主 義 非 実 子 主 義 非家族主義 家族主義 子育て支援 実親による実子の養育 保 育

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代替養育までの社会的養育の充実とともに、「家庭」での養育優先の理念を規定した。それらを 実現すべく『新しい社会的養育ビジョン』が策定されたところであり、これからの「社会的養 護」は、実親による養育が困難であれば、先述の特別養子縁組による永続的解決や里親による養 育を推進することが明確にされた。換言すれば、児童が何らかの理由で「家庭的な」環境に恵ま れない状況におかれ、家族体験がままならない児童への「代替養育」として施策提供が行われ る。  そのうち第 3 象限では、「社会的養護」のうち里親制度に代表される「家庭養護」や従来の施 設養護が含まれる。厳密にいえば、施設養護のうち小規模グループケア等の「家庭的養護」が、 より第 2 象限近くに位置づく。児童に対していかにして家族体験の機会や環境を提供していくか が課題となるが、先述したように、児童福祉法第 3 条の 2 に拠れば、「家庭養護」を「家庭にお ける養育環境と同様の養育環境」と位置づけ、より「家庭的な」養育環境を児童に提供できるも のとされている。ただし、それが困難であったり不適合を起こしたりする場合には「できる限り 良好な家庭的環境」としての「家庭的養護」の施策提供がなされる。それら施策に控えるかたち で施設養護、つまり児童養護施設等でのケアが提供される。  第 2 象限では、「家庭養護」のうち特別養子縁組が該当する。これまで児童福祉施策の範疇 としては強調されてこなかったが、児童が実親のもとへの家庭復帰や家族再統合の可能性が低 く実親のもとで養育ができない児童の場合などは、児童福祉法第 3 条の 2 における家庭養育原 則に基づき、特別養子縁組は有力、有効な施策となる。その意味で特別養子縁組は、永続的解決 (パーマネンシー保障)を実現する「代替養育」の施策として「社会的養護」のカテゴリーに加 えられる。さまざまな施策の中でも家族主義が際立つものであり、新たに永続的な「家庭」環境 を用意するものとして、今日、非常に注目されている。 3-3 「社会的養護」の範囲拡大  因みに、第 3 象限と第 4 象限は非家族主義の範囲であるが、「家庭的」な養育環境を整備する という共通項はあっても、それが実親による家族体験を備えたものであるのか、親子分離の状態 で、実親の存在はあっても、代替としての家族による体験となるかの違いが生じる。  さらに、主に第 2 象限、第 3 象限を範囲とする「社会的養護」について、「新たな社会的養育 ビジョン」は従来の対象範囲を広げる内容を盛り込んでいる。つまり、親子分離が必要な事情 があって、分離した後の「代替養育」を公的に保障しサービスを提供する場合は、措置・契約の 形態に関わらず「社会的養護」としている。具体的施策としては、里親・施設等への措置に加え て、在宅指導措置、一時保護の児童相談所の行政処分などが「社会的養護」に含まれるという。 それならば、本論の象限図(図 3)の上では、「社会的養護」の対象範囲は第 1 象限、第 4 象限 まで拡大されるものと認識することが自然であろう。ただし、本論では「家庭養護」、「家庭的養

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護」、「施設」の範疇とされる施策の集合体を狭義の「社会的養護」として捉えておきたい。 3-4 今日的な児童福祉施策の枠組みと児童の養育の特徴  図 3 における「(狭義の)社会的養護」と「子育て支援・保育」の特徴を整理し、児童福祉法 における児童養育責任の所在を示したのが表 1 である。  たとえば、児童福祉法における児童の養育責任が「第一義的」には保護者にあり、その保護者 が何らかの要因で児童に対して「家庭」環境を提供できない場合、国や地方公共団体が責任をもっ て、さまざまな主体によるケアのサービスが提供されることになる。その際の児童の養育は、補 完・予防・支援・代替といった特徴を呈して実施されることを示している。

おわりに

 ここまで、松木の象限図を援用して今日の児童福祉施策におけるサービス提供時の対象を示し てきた。かつて筆者が提示した児童福祉施策の枠組みを本論において「児童養育責任」を実子主 義-家族主義の関係の中から捉えなおしの作業を行うことによって多少ではあるがみえてきたも のがある。  ともすれば児童相談所の権限強化など公権力の介入強化ばかりが児童養育責任を果たす手段と なるかのような言説は不要である。すべての児童や子育て家庭を対象化することは、児童福祉施 策が「第一義的な」養育責任を担う保護者に対する管理的・抑圧的な態度をみせつけることでは なく、現代において脆く崩れそうな「家庭」という養育環境を維持していくこと、「家庭的」な 養育環境を整備し「協働養育」を行うこと、家族体験の乏しい児童への「代替養育」を行ってい くことであり、養育を多面的・複相的に捉えるための必要条件なのである。このことが、児童の 最善の利益を図る効果的・効率的な手段であることを信じたい。  本論が児童の養育責任を追究するものであったため、いわゆる養育主体に偏った論理展開と なってしまったこと、これまで筆者が児童福祉施策の 2 大カテゴリーの交錯・融合についての論 表 1 今日的な児童福祉施策の枠組みと児童の養育の特徴(筆者作成) 子育て支援・保育 社会的養護(狭義) 養育の形態 協働養育・養育支援 代替養育 養育の特徴 補完・予防・支援 代替 養育の環境 「家庭」環境を基盤として より「家庭的」なケア環境 法的根拠(児童福祉法) 2 条、21 条の 8 ほか 2 条、3 条の 2 ほか 図 3 での象限 第 1・4 象限 第 2・3 象限

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理的言及に乏しいことなど残された課題は多い。今後、児童福祉施策の史的展開を丁寧に踏まえ た分析を行っていきたい。 [注] ⅰ ここでいう「保護者」は、児童福祉法第 6 条で規定されているように、本来であれば、「親権を行う者、未成 年後見人その他の者で、児童を現に監護する者」であって、いわゆる親の範疇を超えている。本論では、狭 義ともいえる「親権を行う者」要するに、「親」、さらには分析のうえで「実親」とすることを断っておく。 ⅱ 和泉は、「家族とは何かという問いに対して、里親家族の事例を通して見えてくるもう一つの点は、『「家族」 という枠への想像力』である」(和泉;p250)と今日の「社会的養護」の動向を見据えた指摘がなされている。 ⅲ 「保育に欠ける」具体的な状況として、1.1.父母の欠損によるもの、2.父母の労働によるもの、3.父母や 同居の親族の疾病または精神,身体障害によるもの、4.父母の人格的欠陥によるもの、5.児童の心身の障 害によるもの、6.保護者以外の家庭状況によるもの、7.地域の状態が不適当であるものを挙げている。 ⅳ 三は「児童は家庭において養育されることが最も望ましいという思想は、児童福祉法に里親制度を採用した 理由であろう」と指摘し、「家庭的」な環境の必要性を唱える。 ⅴ 松木は「われわれが普通に『子育て』という言葉を使うときに想定しているのは、たいていこのような営み」( ; p23)だと述べている。 ⅵ 松木は、1990 年代以降の日本の福祉政策で台頭してきた「子育て支援」における『家族の子育てを支援する』 という論理が、「家族主義的な子育てのあり方を問題化すると同時に、それを前提にして成立してもいる」と 述べている。 ⅶ 特別養子縁組は、民法で定める養子縁組制度の 1 つである。他に普通養子縁組があるが、特別養子縁組は養 子はいわゆる児童であったり、実親との関係が切れ、養親は戸籍上「父、母」と記載されたりするなどの違 いがある。 ⅷ 「新しい社会的養育ビジョン」では、「社会的養護」を「サービスの開始と終了に行政機関が関与し、子ども に確実に支援を届けるサービス形態」と提供主体による定義を示している。さらに、保護者と子どもの分離 が必要な事情があり、分離した後の代替養育を公的に保障しサービスを提供する場合は、措置・契約の形態 如何に関わらず、社会的養護に含める。具体的には、在宅指導措置、里親・施設等への措置、一時保護の児 童相談所の行政処分、自立援助ホームや保護者と施設の契約で入所している障害児施設やショートステイも 「社会的養護」に含める。また、母子生活支援施設もそのサービスの開始や終了には行政機関が関与して入所し、 生活全般に当たる支援を行っていることから「社会的養護」に含める。厳密な意味で、「新しい社会的養育ビジョ ン」が定義する「社会的養護」の根拠(対象)と本論の著者が用いてきた「社会的養護」のそれとは合致し ないことを断っておく。 [参考文献] 野辺陽子・松木洋人(2016)「はじめに」野辺陽子ら『<ハイブリッドな親子>の社会学 血縁・家族へのこだわ りを解きほぐす』青弓社 松木洋人(2016)「『育児の社会化』を再構築する―実子主義と『ハイブリッドな親子関係』」野辺陽子ら『<ハイ ブリッドな親子>の社会学 血縁・家族へのこだわりを解きほぐす』青弓社 和泉広恵(2016)「『家族』のリスクと里親養育─『普通の家庭』というフィクション」野辺陽子ら『<ハイブリッ ドな親子>の社会学 血縁・家族へのこだわりを解きほぐす』青弓社

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土屋敦(2016)「『施設養護』での育児規範の『理想形の上昇』─ 1960 年代後半から 70 年代前半を中心に」野辺 陽子ら『<ハイブリッドな親子>の社会学 血縁・家族へのこだわりを解きほぐす』青弓社 園井ゆり(2013)『MINERVA 社会学叢書㊷ 里親制度の家族社会学─養育家族の可能性─』ミネルヴァ書房 中村強士(2009)『戦後保育政策のあゆみと保育のゆくえ』新読書社 和泉広恵(2006)『里親とは何か 家族する時代の社会学』勁草書房 水口千歌子(1988)『幼き生命ありて生きる 京都昼間里親 30 年・小林延代の半生』二期出版 大谷嘉朗監修(1973)『社会変動下における児童福祉の展望─第 7 回 児童福祉白亜館会議報告書(抜萃)─』社 団法人国際社会福祉協議会日本国委員会 古川孝順(1969)「親の児童養育責任と児童福祉」『熊本短大論集』38, 1-44, 熊本学園大学 三吉明編(1963)『里親制度の研究』財団法人日本児童福祉協会 中央児童福祉審議会保育制度特別部会(1963)中間報告書『保育問題をこう考える』 新たな社会的養育のありかに関する検討会(2017)『新しい社会的養育ビジョン』

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参照

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