日本労働社会学会年報第30号〔2019年〕
橋本健二著
『新・日本の階級社会』
(講談社、2018年、新書判、305頁、定価900円+税)鎌田 哲宏
(静岡大学名誉教授) 社会学の中心テーマは社会構造と社会変動である。しかし、戦後の日本社会学 会では、農村や都市や家族などの部分社会の研究が大半を占め、全体社会を実証 的に分析する研究がほとんどなかった。我々は戦後ようやく解禁されたマルクス 主義の方法を日本社会の構造分析に適用し、日本経済の二重構造を踏まえた階級 構造を設定して、実証的な調査研究を継続的に展開した。それが室蘭調査である。 室蘭調査の問題提起、理論仮説、具体的な調査票の作成、集計方法、分析等の一 連の作業内容はすべて注1に詳述してあるので、ここでは触れない1。 同じ頃、富永健一をリーダーとする東大グループが全国の大学の協力を得て、 日本社会の階層構造を解明すべく大規模調査を行い、当時華々しく登場した大型 コンピュータで集計・分析するという画期的な実証研究を行った。これがSSM 調査である。しかし、この調査には明確な理論仮説がなかった。仮説を立てない ことが社会の「科学的分析」であると富永健一は主張する。しかし、八木正は 「不鮮明な計量社会学的階層論」と批判し、マルクス主義に基づく「科学的分析」 の範例として、『社会諸階層と現代家族』を上げている2。こうして、室蘭調査と SSM 調査が宿命的に対立する調査研究と位置づけられていく。 その後、SSM 調査は10年ごとに継続調査されるが、中澤秀雄はこの調査を主 導した富永健一、盛山和夫、佐藤嘉倫らが、室蘭調査を一切無視したことを指摘 し、「残念ながら二つの学派が切磋琢磨しながら階級・階層理論が形成されてい く空間は成立しなかった」と批判し、「教育達成を過剰に重視して日本社会が 『総中流』に向かうという機能主義的理論を組み立てた」「肘掛け椅子の階級理論 家からは、日本における階層とは操作的に設定するしかないような、グラデーションをなし分断線を持たないのっぺりした集合に見えたのだろう」と厳しく糾 弾している。しかし最後に「しかし近年ではSSM 調査の一員である橋本健二が 鎌田らの室蘭調査の成果を自らの理論化につなげていこうとする試みなど、新た な研究空間を構築する動きも見られる」3として、橋本健二に大きな期待をかけた が、彼は見事にその期待にこたえることになった。 著者にはこれまでいくつかの著作があるが、この『新・日本の階級社会』がそ の頂点をなしていると思われる。以下、目次の章別構成を見ると次のようになっ ている。 「格差社会」から「新しい階級社会」へ―序にかえて 第一章 分解した「中流」 第二章 現代日本の階級構造 第三章 アンダークラスと新しい階級社会 第四章 階級は固定化しているか 第五章 女たちの階級社会 第六章 格差をめぐる対立の構図 第七章 より平等な社会を 全編を通して平易で明快な文章なので、誰でも一読して十分理解できるので、 内容の紹会は省略する。代わりに、本書の特色をいくつか検討したい。 まず第1にマルクスの階級理論を導入したことである。1989年のベルリンの壁 崩壊以後、マルクスの理論は社会科学のなかで後景に退く傾向があった。しかし、 ソ連や東ヨーロッパの共産主義、社会主義の崩壊は決して資本主義の勝利ではな かった。その後のグローバル経済の進展は世界中を資本主義の熾烈な競争の坩堝 のなかに投げ入れることになっていく。その結果、ごく一握りの人間に巨大な富 が握られ、日本でも次第に格差が広がっていった。それにもかかわらず、日本の 社会科学は「格差社会」と言うだけにとどまっていた。だからマルクスの理論を 取り入れて、日本社会を真正面から「階級社会」と断定した本書はきわめて衝撃 的であり、日本の社会学だけでなく、社会科学に大きな一石を投じたことになる
だろう。 10年ごとに実施されたSSM 調査は膨大で貴重な資料を堆積したはずである。 これまで多くの統計数理社会学者が、難しい専門用語と手法で諸変数間の計量的 関連性を展開してきた。しかし、日本社会の階層構造を明確に示すことはなかっ た。そもそも現実社会は混沌としているもので、明確な理論仮説もなしにいくら 調査をくりかえしても明確な階層構造が抽出されることはないのである。そうし た状況のなかで、もともと理系出身でコンピュータにも統計数理にも強い著者が、 SSM 調査をはじめさまざまの官庁統計などを縦横無尽に加工処理し、実証デー タをともなった明快な階級理論を展開したことは、読むものに爽快感を与えるも のである。SSM 調査の使用については「管理委員会」の許可を得たと書かれて いるが、調査データ収集の方法に照らして、今後、SSM 調査データはすべて公 開し、誰もが自由に利用できるようにするべきではないだろうか。多くの研究者 がさまざまの仮説を実証するために利用できれば、日本社会学の発展に大いに役 立つはずである。 さて、本書の最大の功績は、資本家階級、旧中間階級、新中間階級、労働者階 級の下に「アンダークラス」を設定したことである。これまで労働者階級の中の 一つの階層と考えられてきた非正規労働者を、独立した一つの階級としたことで ある。この階級はどの規模の企業、どの職種にも広く分布し、労働時間はフルタ イムとほとんど変わらないのに年収は極端に低い。そのため生活水準も低く 、 男 子は結婚できず、女子も夫と離死別するとこの階級に入ってくるものが多い。し かもその数は増えつづけている。こうして労働者階級は二つに分裂し、この悲惨 な状態の「アンダークラス」の犠牲の上に他の四つの階級がそれなりに安定した 生活を可能にしているという。 さらにこの階級構造とさまざまの意識調査をクロスし、「意識の構造」を剔出 していることも本書の優れた功績である。特に最近の「自己責任論」が、この 「アンダークラス」の悲惨な状態に対する他の四階級に責任逃れの免罪符を与え、 「アンダークラス」の人々をも縛っており、自民党は支持しないが、排外主義が 強いという事実はきわめて重要である。 最後の章で、格差縮小のための方策を列挙している。賃金格差の縮小のために、
均等待遇の実現、最低賃金の引き上げ、労働時間短縮とワークシェアリング、所 得の再配分のために、累進課税の強化、資産税の導入、生活保護制度の実効性の 確保、ベーシックインカム、所得格差を生む原因の解消として、相続税率の引き 上げ、教育機会の平等の確保などを上げている。そしてこの格差縮小を実現する ために、詳細な支持政党の分析から、アンダークラス、パート主婦、専業主婦、 旧中間階級、新中間階級と正規労働者のなかのリベラル波が結集し、支持できる 格差是正を掲げる政党の出現をあげている。可能性の実現を追求した点でも優れ た考察である。 本書は近年まれに見る優れた研究業績である。強いて疑問点を一つあげると、 それは階級の定義のなかにある。「階級とは、収入や生活程度、そして生活の仕 方や意識などの違いによって分け隔てられた、いくつかの種類の人々の集まりの ことをいう。そして各階級の間の違いが大きく、その違いが大きな意味をもつよ うな社会のことを階級社会という」(11-12頁)。たしかに「あたらしい」考え方 である。しかし、終焉が近づきつつあるとはいえ資本主義社会である以上、資本 の論理は貫徹しようと働くのであり、一見複雑に見えても現実はシンプルに方向 付けられている。たとえば、北海道でも大量の季節労働者を雇い、年商一億円を 超える農業資本家が出現しているが、大手流通資本に低価格で買い上げられ、 24時間営業を強いられているコンビニ経営者は高い「ロイヤリティー」に苦し められているといった具合である。非正規労働者はこれからも増え続けるが、外 国人労働者の流入も増大するであろう。各階級の具体的な存在形態を実態調査に よって明らかにする必要を痛感するが、それは労働社会学会全体の研究課題であ ろう。 本書を読みながら、たえず念頭にあったのはスウェーデン社会であった。「同 一労働同一賃金」が徹底され、職種間の賃金格差も小さい。例えば医師の賃金は 看護師の2倍でしかなく(日本は7倍)、土日や平日5時以降は通常の2倍の賃金 が支払われる。医療費と教育費は無料で、公共料金が低いので、高校生になると 親の家を出て自活する。失業すると賃金の9割が支給される等々―。「より平等 な社会」の範例としてスウェーデンが今一度考慮されるべきではないだろうか。 最後にSSM 調査の一員でありながら、逆方向へ走ると、強い逆風を受け、孤
独な戦いを強いられたに違いない。しかし決してぶれることなく完走した著者に 心から拍手喝采を送りたい。 〔注〕 1 鎌田とし子・鎌田哲宏(2005)「社会構造分析の方法―室蘭調査を中心に」札幌学院大学 社会情報学部『社会情報』 Vol.15。 鎌田とし子(2000)「実証主義社会学の伝統を受けつぐ」 北海道社会学会『現代社会学研究』第13巻。 2 八木正(1985)「不鮮明な計量社会学的階層論」『現代社会学20』アカデミア出版会。 3 中澤秀雄(2012)「『貧困』の社会学」書評 北海道社会学会『現代社会学研究』 25号。