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WTO衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について

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(1)WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定) に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における 「科学」概念関連規定の解釈について 林 正 德. 1 はじめに. おいて SPS 交渉をとりあげたものは極めてま れであるといってよい.ウルグアイ・ラウンド. GATT ウルグアイ・ラウンドの結果成立し. 農業交渉とは,すぐれて農産物市場アクセス,. 発効 し た WTO 諸協定 の ひ と つ で あ る「衛生. 国内農業補助および輸出農産物補助をめぐる交. 植物検疫措置の適用に関する協定」 (SPS 協定). 渉であった1).. は,動植物検疫,植物検疫および食品安全のた めの諸措置(以下「SPS 措置」という. )を対 象とする.GATT ウルグアイ・ラウンドの大 きな争点となった農業分野では,農産物に関す る市場アクセス,国内農業補助,輸出農産物補 助および SPS 措置が交渉対象としてとりあげ られた. ウルグアイ・ラウンド農業交渉の結果, 農産物市場アクセス,農業関連の国内・輸出補 助についての「農業に関する協定」 (農業協定) と,これと一体をなす各国の約束内容を収めた 「譲許表」がまとめられ,SPS 措置については 対象を農産物に関する SPS 措置に限定しない SPS 協定が成立した. SPS 交渉はウルグアイ・ラウンド農業交渉 の一分野として位置付けられたが,農業交渉に 比べて「目立たない」交渉分野であった.こう したこともあって,SPS 協定の成立に至る交渉 (以下「SPS 交渉」と い う. )に つ い て は,我 が国では通常,ウルグアイ・ラウンド農業交渉 の一部であるとは理解されておらず,ウルグア イ・ラウンド農業交渉について論じた諸著作に. . 1)ウルグアイ・ラウンド農業交渉・合意をとり あげて論じている服部信司[1990] ,大内力[1991, 1995] ,並木正吉[1994] ,筑紫勝麿[1994] ,村田 武[1995] ,今村奈良臣[1997] ,服部信司[2000] , 篠原孝[2000] ,山下一仁[2000] ,遠藤保雄[2004] , 本間正義[2010]は,国境措置,国内支持,輸出 競争 の 3 分野 の み を と り あ げ,SPS 分野 に つ い て 触 れ て い な い.特 に,農政 ジャーナ リ ス ト の 会[1992]は関税化,ことに米の関税化をとりあ げ,高瀬保[1995]は 農業分野 に つ い て は 米保護 の関税化のみをとりあげている.佐伯直美[1990] は農業分野の交渉テーマのひとつが「動植物検疫 規則・障害の改善」であることについて触れてい るものの,もっぱら上記の 3 分野のみをとりあげ て い る(非関税障壁 と し て は 国内農業支持,国家 貿易,残存輸入制限に触れているが,SPS 措置に つ い て は 言及 が な い) (170~218,247~255 ペー ジ) .SPS 協定も合意されたことは認識しているも のの,農産物市場アクセスと農業補助金分野のみ をもっぱら取り扱っているものに食料・農業政策 研究 セ ン ター[1994] ,日本農業市場学会[1995] がある.数少ない例外として,溝口道郎・松尾正 洋[1994]は農業交渉として上記 3 分野について 叙述し, 「ガット・ルール」のひとつとして基準・ 認証制度などと並んで「検疫・衛生措置」につい て触れ,交渉が 「農業交渉の一分野として行われた」.

(2) 58. (254). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). ところが,1990 年代に入って環境問題につ. で あった.英国 で 発生 し て い た 牛海綿状脳症. いての世界的な関心の一層の高まりや,いわゆ. (BSE)について 1996 年に英国政府が人への感. る「食の安全問題」が大きな社会的関心事とな. 染の可能性を公式に認めたこと,2001 年には. るにつれて,SPS 協定が注目されるようにな. 日本でも BSE 感染牛が発見されたこともあっ. り,また批判の対象となった. 「消費者の安全. て「食の安全」問題がクローズアップされるよ. に関する懸念」を背景にとられた EC でのホル. うになり,関連する国際機関の活動や SPS 協. モン剤を使用して肥育された牛肉の禁止措置. 定についての関心も一層高まることになった4).. や,同じく EC による遺伝子組み換え体(GMO). さ ら に,植物防疫 に 関 す る 2 つ の 紛争事案 が. の 認証保留措置 に WTO の 紛争処理手続 が 援. WTO に提起され,ともに「敗訴」したことも. 2). 用され, ともに「敗訴」の結論が出されたこと. SPS 協定についての批判的な見解を助長して. もこうした批判のきっかけとなり,また助長し. いるように思われる5).. た側面があった.反グローバリズムの立場から は,貿易自由化を至上命題とする WTO 制度の もとで SPS 協定によって国民の健康を守るた めの政府の政策的な裁量が掣肘されることにな るばかりでなく,各国の「食文化」の違いを無 視するものであるといった批判がなされ,国際 経済法の見地からは SPS 協定の「調和」や「科 学」に関する規定が論議の的となった3). 我が国では,SPS 協定について関心がもた れるようになったのは同協定の成立以降のこと . ことに付言している(146~171,193~197 ページ). なお,筑紫勝麿[1994]は,「貿易ルール」に関す る章においても SPS 協定について全く触れていな い.わ ず か に,ジョス リ ン ほ か[1996]が「SPS 分野に関する約束」が「市場アクセス,輸出競争, および国内措置の 3 分野における新しい規則と約 束を補完する,農業貿易における UR の成果の第 4 の柱」であるとしている(27 ページ). 2)そ れ ぞ れ European Communities-Measures concerning Meat and Meat Products(hormones) (DS26, 48),European Communities-Measures Affecting the Approval and Marketing of Biotech Products(DS291, 292, 293).「敗訴」は,いわゆる ジャーナリズム的な意味で用いている.国際経済 法上の論点にここでは立ち入らない. 3)ウルグアイ・ラウンド終盤での NGO からの 批判や働き掛けは SPS 協定案テキストの一部修正 に つ な がった(後述).Hudec[2003]は,SPS 協 定 の「科学」概念 が WTO 法制度 に「無差別原則 以後」(Post-Discriminatory)と呼ぶべき変更をも た ら し た と 指摘 し た.Echols[2001]は,SPS 協 定が各国の食文化の違いを無視し,食品安全に関 する国家の主権を制限すると批判している.. . 4)藤原邦達 ほ か[1995]は, 「SPS 協定 は,多 国籍企業がその策定に大きな影響を与えている食 品 の 国際規格(コーデック ス 食品規格)に 各国 の 食品の安全基準などを調和化することを義務付け た」とし,同協定の主眼はこれによって「食品貿 易の障壁をなくすことを目的」としたものである としている(15,26 ページ) .嘉田良平[1997]は, SPS 協定の問題として①国際基準への整合化を義 務付けたこと,②各国の食品安全基準をコーデッ クス規格で統一し,食品貿易上の障害をなくそう とするものであること,③風土条件や食生活の違 いを無視してコーデックスのリスク評価基準に単 純に統一することが食の安全性を脅かしかねない ことの 3 点を挙げている(150~151 ページ) . 5)相 原 延 英[2011]は,三 島 徳 三[2001]が 「各国・地域は自然条件を異にしており,存在する 植物も病害虫も違う.これを一律な国際基準でハー モナイゼーションすること自体,自然の摂理に背 くものである.貿易の論理こそ規制されなければ ならない」 (115 ページ)としていること,小林茂 典[2001]が「WTO 体制 に お け る 自由貿易拡大 の名の下に,食品検疫手続の迅速化・簡素化を図 り,国境保護措置のハードルを低くさせようとす る輸出国側の背景にあるものは,商品価値実現の 「円滑化」の 論理 で あ る.し か し,こ の「円滑化」 の論理は,輸入農産物・食品を使用価値として消 費する輸入国側消費者の観点からのものではない」 (66 ページ)としていることなどを先行研究として 挙げたうえで, 「 SPS 協定によるハーモナイゼー ションが,輸出国に有利に働くことへの批判が一 様になされている」 (56 ページ)とし,リンゴ火 傷病紛争事案では生産者団体が「敗訴に次ぐ敗訴」 により衝撃を受け,失望感や喪失感が生まれるこ とになったとし,WTO のような非公開の当事者不 在の裁判手続の下では十分な情報公開が行われず, 当事者である農業者等の意見が反映されないと批 判している(59 ページ) ..

(3) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (255). 本論文は,SPS 協定に関する批判や論議の焦. 59. 月)10). 点となった「科学」概念を中心に,SPS 協定の. (エ)日本・リンゴ火傷病紛争事案(パネル報. 成立過程の視点から SPS 協定に関する紛争処. 告 2003 年 6 月,上級委員会報告 2003 年. 理事案のパネル・上級委員会報告の検討を行う. 11) 11 月). ものである. これまで SPS 協定に関して紛争処理手続が 援用された案件は,WTO によると 37 件あり,. (オ)EC・GMO 紛争事案(パネル報告 2006 年 12) 5 月). (カ)米国・義務停止継続紛争事案(パ ネ ル 報. うちパネルが設置され,報告がなされるに至っ. 告 2008 年 3 月,上級委員会報告 2008 年. たのは(さらに上級委員会報告がなされたもの. 13) 10 月). を含め)11 件であった 6)が,実質的には次の. (キ)オース ト ラ リ ア・リ ン ゴ 紛争事案(パ. 8 件である7).なお, (カ)は,紛争処理合意お. ネ ル 報告 2010 年 8 月,上級委員会報告. よび GATT1994 の条項に関して争われた事案. 14) 2010 年 11 月). であることから WTO の整理では SPS 協定に 関する紛争処理事案として扱われていないが,. (ク)米国・鶏肉輸入制限紛争事案(パ ネ ル 報 15) 告 2010 年 9 月). (ア)の EC・ホ ル モ ン 牛肉紛争事案 に 関 す る. 周知 の よ う に,交渉 の 際 の 提案・議事録 を. 米国の制裁措置の継続が問題になったケースで. 含 む 条約 の 準備作業(travaux préparatoires). あり,この事案の延長上の問題である.. は,条約規定の意味があいまいまたは不明確で あるか,常識に反し不合理な結果がもたらされ. (ア)EC・ホルモン牛肉紛争事案(パネル報告. る場合には補足的手段として援用することとさ. 1997 年 8 月, 上 級 委 員 会 報 告 1998 年 1. れている(ウィーン条約法条約第 32 条).条約. 8). 月). の交渉経過の記録にこのような位置づけが与え. (イ)オーストラリア・サーモン紛争事案(パ. られた主な理由のひとつは,「条約交渉の記録. ネ ル 報告 1998 年 4 月,上級委員会報告. が多くの場合不完全でミスリーディングであ. 9) 1998 年 10 月). る」ことであった16).条約法条約の起草時にも. (ウ)日本・コドリンガ紛争事案(パネル報告 1998 年 10 月,上級委員会報告 1999 年 2 . 6)WTO のウェブサイト上での検索結果(2011 年 12 日 1 日現在). 7)この 11 件のなかには複数の国が訴えを提起 しているものがあること,また,EC・アスベス ト紛争事案(DS135)はカナダが SPS 協定との整 合性も提起したものの,審理では TBT 協定および GATT1994 との整合性が争われたので SPS 協定に 関する紛争処理事案とは言い難いことから,これ らを除いた. 8)European Communities-Measures concerning Meat and Meat Products(hormones) (DS26, DS48)米国とカナダから提起された.報告 の引用箇所は括弧内で DS26 の報告のパラグラフ 番号を記した. 9)Australia-Measures affecting Importation of Salmon(DS18). 条約文と同等の効力を認めるべきとの主張(米 . 10)Japan-Measures Affecting Agricultural Products(DS76) 11)Japan-Measures Affecting the Importation of Apples(DS245) 12)European Communities-Measures Affecting the Approval and Marketing of Biotech Products(DS291,292,293)こ の 事案 は,米国,カ ナダおよびアルゼンチンから提起された. 13)United States of America-Continued Suspension of Obligations in the EC-Hormones Dispute(DS320) 14)Australia-Measures Affecting the Importation of Apples from New Zealand(DS367) 15)United States of America-Certain Measures Affecting the Imports of Poultry from China (DS392) 16)International Law Commission[1996]220 ページ..

(4) 60. (256). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). 国)があった一方, これを全く否定する主張(英. および暫定措置に関する第 5 条 7 項に規定する. 国,フランス)が対立したとされる17).ここで. 場合を除くほかは十分な科学的証拠(sufficient. は条約の準備作業を条文の解釈の補足的手段と. scientific evidence)なしに維持しないこと(第. しての位置づけ以上の地位を与えるべきか否か. 2 条 2 項) ,② SPS 措置の調和に関し,加盟国は. 18). の議論には立ち入らない .また,パネル・上. 科学的 に 正当 な 理由(a scientific justification). 級委員会の審理の際に実際に交渉経過が参照さ. がある場合またはリスク評価に関する第 5 条の. れたか否かも検討しない19).本論文の関心は,. 関連規定に従って自国の適切な保護水準を決定. これまでの SPS 協定の形成過程に関する検討. した場合には国際基準によるよりも高い保護水. から明らかにした交渉参加者の意図と,実際の. 準となる SPS 措置を導入・維持することがで. 紛争事案に直面したパネル・上級委員会による. きること(第 3 条 3 項) ,③加盟国はリスク評. SPS 協定の解釈とをこれらの報告によって比. 価に当たり,入手可能な科学的証拠(available. 較検討することである.前者の交渉参加者の意. scientific evidence)などを考慮しなければなら. 図を何によって把握するのかという問題は,こ. ない(第 5 条 2 項)等が定められている.. れらの提案とドラフト・テキスト比較,および. な お,第 5 条 7 項 の 暫定措置 を 援用 で き る. 交渉参加者が念頭に置いていたであろう,ウル. のは,関連する科学的証拠(relevant scientific. グアイ・ラウンド当時の SPS 問題によって接. evidence)が不十分な(insufficient)場合とされ,. 近することが可能である.こうした問題の解決. このようなときには加盟国は入手可能な適切な. 手段としての協定テキストを,WTO 紛争解決. 情報(available pertinent information)に基づ. 手続きの問題へ発展してしまった紛争処理事. いて暫定的に SPS 措置をとることができるが,. 案についてのパネル・上級委員会によりどの. 一層客観的なリスク評価のために必要な追加的. ように解釈されたのかが,ここでの関心事で. 情報(additional information)を得るように努. ある20).. めなければならないこととされている.. 2 紛争処理事案パネル・上級委員会報告にお ける「科学」概念関連規定の解釈. SPS 協定発効後の紛争処理案件で「科学」概 念に関して問題になったのは,科学的証拠の意 味,科学的証拠が「十分」ないし「不十分」で. SPS 協定 を 構成 す る 中心的 な 概念 の ひ と つ. あることのメルクマール,SPS 協定のもうひと. は, 「科学」で あった.SPS 協定 は,①加盟国. つの重要な概念である「調和」との関係,そし. の 基本的 な 義務 と し て,SPS 措置 を 科学的原. て SPS 協定には明示的に規定されていない「予. 則(scientific principles)に 基 づ い て と る こ と . 17)山本[1994]615 ページ. 18)WTO 協定附属書Ⅱ紛争解決に係る規則及び 手続に関する了解第 3 条(一般規定)2 項の「解釈 に関する国際法上の慣習的規則に従って対象協定の 現行の規定の解釈を明らかにする」でいう「解釈に 関する国際法上の慣習的規則」とは, 「条約法に関 するウィーン条約」 (第 31 条から第 33 条)が基本 的に該当するとされる(外務省[1996]574 ページ) . 19)WTO 紛争処理手続 に お い て,SPS 協定 の 交渉経過もパネリストに説明されるが,採用する か否かはパネリストの判断にゆだねられるとのこ とである(2009 年 8 月 28 日の WTO スタントン上 級参事官とのインタビュー).. . 20)交渉経過を参照すべきでないとする立場の 論者(Beckett)は,交渉記録に裏取引や交渉団代 表の非公式の発言が含まれていないことから,交 渉参加者 の 真 の 期待(genuine expectations)が 反映されていないとし, 「条約のテキストはいっ た ん 調印 さ れ る と そ れ 自身 の 生命 を 持 つ も の で あ る(The text of the treaty, when once signed, assumes . . . a sort of its own life) .交 渉 中 に 問 題 であった事項の半分は大して重要でなかったこと が判明し,交渉中にほとんど考えられなかった新 たな問題が重要な問題となってくるものである」 としている(McDougal, Lasswell and Miller[1994] 131~132 ページ) ..

(5) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (257). 防原則」との関係であった.. 61. 入手可能 な 科学的証拠 の 集 ま り(the body of scientific evidence)がリスク評価を許さない. ⑴ 「科学的証拠」の意味. ほど質的または量的にリスク評価を許さないと. SPS 協定 に 関 す る 紛争処理事案 の パ ネ ル・. きであるとした(179).この文章の原文で “the. 上級委員会報告 で, 「科学的証拠」の 意味 そ の. body of” がないとリスク評価との関連を述べ. ものを正面からとりあげたものはない. しかし,. た以外は同義反復になるので,この表現は重要. 「科学的証拠」をはじめとする「科学」関連概. な意味をもつが,意味するところは明確ではな. 念についてパネルや上級委員会報告書でふれた. い.仮に「集まり」と訳したが,厳密には「あ. ものはかなり存在する.. る集合の大部分」ないし「主要部分」と理解さ. 「科学的証拠」がひとつのものではなく,多. れ,とすればパネルの科学的証拠についての理. 数意見と少数意見からなるものであることは,. 解を踏まえ,リスク評価のために使用できる,. 早い段階から注意されていた.リスク評価に. 科学的方法によって入手した情報に限定する趣. 関 す る 第 5 条 1 項 に 関 し,EC・ホ ル モ ン 牛. 旨で用いたと解することができよう.つまり,. 肉紛争事案 の 上級委員会報告 は リ ス ク 評価 が. パネル,上級委員会ともに「科学的証拠」は「科. 「関連 す る 科学集団 の 多数意見(the view of a. 学的方法によって入手された情報」から構成さ. majority of the relevant scientific community). れると理解したと見られるのである.. のみを体現する必要はない」とし, 「資格があ. し か し な が ら,米国・義務停止継続紛争事. り,尊重 す べ き 出所(qualified and respected. 案に関するパネル報告では,この点に混乱が. sources)からの,ある時点では異論に属する. あるように見受けられる.パネルは,ある科. 意見」に基づき責任ある政府が行動することが. 学的問題についての理解の変更をもたらすもの. 21). ありうる,とした(194) .. という文脈で「新たな科学的情報および証拠」. 「証拠」と「情報」との関係にも注意が払わ. ( new scientific information and evidence)と. れた.日本・りんご火傷病紛争事案のパネル報. い う 表現 を 用 い る(6.141)一方,「既存 の 科. 告では,証拠(evidence)と情報(information). 学的証拠 は 新 た な 研究 や 情報(new studies. は区別され,第 2 条 2 項の「科学的証拠」でい. and information)に よって 疑問 が 呈 さ れ る こ. う証拠とは科学的方法によって入手した証拠で. とがあり得ることに同意する」 (7.620)とし,. なければならず,科学的方法によらずに入手し. さらにこれまで十分とされてきた科学的証拠. た情報は除外され,十分に実証(substantiate). が不十分とされるためには「十分な量の科学. されていない情報だけでなく,立証されていな. 的証拠 お よ び/ま た は 科学的情報(a critical. い 仮 説( non-demonstrated hypothesis)も 除. mass of scientific evidence and/or scientific. 外されるとし,交渉者たちはいかなる材料でも. information)」が必要であるとした(7.648).. 使用できると考えたのであれば第 5 条 7 項と同. 二番目の「新たな研究や情報」は科学的なも. 様に「証拠」ではなく「情報」という言葉を使. のでなければ意味をなさないから,一番目と三. 用したであろう,とした(8.92~93) .. 番目の「科学的情報」と同義と考えられるが,. この事案に関する上級委員会報告は,第 5 条. 「科学的情報」 (scientific information)がなぜ「科. 7 項に基づく暫定措置の要件のひとつである. 学的証拠」と並列ないし「および/または」の関. 「関連 す る 科学的証拠」が 不十分 で あ る と は,. 係にあるのかパネルは説明していない.こうし. . 21)当該パネルまたは上級委員会報告書のパラ グラフ番号を示した.以下同じ.. た点について上級委員会は判断を行っておら ず,その報告でも特に説明を行うことなく「国 際基準の基礎をなす科学的情報」 (the scientific.

(6) 62. (258). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). information underlying the international. ラダイム」の変化であろう23).. standard) (708)といった表現を用いている.. し た がって,整理 す べ き は「科学的証拠」. 「科学的情報」 (scientific information)は ウ. (scientific evidence),「科学的 に 正当 な 理由」. ルグアイ・ラウンドの終盤に米国から提起され. (scientific justification),「情報」 (information). た「科学的に正当な理由」の定義問題を解決す. そ し て「科学的情報」(scientific information). る方策として考え出された現行第 3 条 3 項の脚. との関係である.. 注で用いられている.パネルが「科学的証拠」. すでに見たように,「科学的証拠」は「科学. (scientific evidence)とあわせて「科学的情報」. 的情報」の集合体であると考えることができる.. (scientific information)を 用 い た の は, 「科学. 「科学的情報」は定説を構成する場合もあるが,. 的証拠」として提出された個別の証拠にはさま. 多数意見と少数意見から構成されているかもし. ざまなものがあり,また学会の少数意見を反映. れない.新しい科学的情報がもたらされ,古い. するものもあるといった現実と,英文法でいう. 科学的情報が置き換えられることによって多数. 不可算名詞 で あ る「証拠」 (evidence)と の 表. 意見と少数意見の関係が逆転し,定説が修正さ. 現上の折り合いをつけることが難しかったこと. れあるいは覆されるかもしれない.科学者によ. によるものと考えられる.しかしながら,その. り,科学的方法により得られた情報という意味. 過程 で SPS 協定第 5 条 7 項 の「情報」は「科. で科学的情報と呼べるが,確認されていないも. 学的」との形容詞を付さないことが特別の意. のや仮説の段階に止まっているものは科学的証. 味 を 持って い る こ と,第 2 条 2 項 や 第 5 条 2. 拠とはいえない.その意味で科学的証拠は科学. 項 の「科学的証拠」が い わ ば 集合概念 で あ る. 的情報の部分集合であるといえよう.科学の進. ことが看過された結果,「科学」概念について. 歩という動態プロセスの中で,この隙間部分は. の表現に混乱をもたらすことになったと考え. 科学的証拠へと絶えず狭められてゆく一方,新. られる22).. たな未確認の情報が供給され続けるであろうか. SPS 協定のテキストで用いられた用語に忠. ら,科学的証拠を構成する科学的情報の集合体. 実に,また以上に記したようなパネルや上級委. の内容は絶えず変化し続けることになる.リス. 員会の表現とできるだけ整合性をとりつつ「科. ク評価は入手可能な科学的証拠をもとに行われ. 学」概念に関する再整理を行うとすれば,次の. るが, 「入手可能な」に示されるような科学の. ようになるのではないかと思われる.. 動態的な性格から,ある科学的情報が科学的証. まず, 「科 学 的 原 則」 ( scientific principles). 拠の範疇に含まれるかどうかの線引きを機械的. とは,現時点で科学者により共有される科学的. に行うことは難しいであろう.. 原理であり,科学者間で理解の相違が存在しな. ここで重要な意味をもつのが「科学的」との. い.これが覆されるとすれば,それこそがクー. 形容詞を冠さない「情報」である.科学的証拠. ンがその著書「科学革命」で用いた意味での 「パ. たるだけの科学的情報が不十分な状況下では,. . 22)中川ほか[2003]は,第 2 条 2 項に関して, SPS 協定が「科学的決定の多くがさまざまな科学 的見解のなかから価値判断の問題であるという事 実を認識している」としたうえで「各加盟国がそ のような価値判断を行う能力を持つべきことを承 認するものである」としている(175 ページ).措 置の決定には主観や価値観が入ることは排除され ているから,「価値判断」ではなく「評価」とすべ きであろう.. 科学者により,科学的方法によって得られた情 報以外の,何らかの情報によって対応措置をと らねばならないことがありうる.その意味で は,情報は,科学的情報を含む,より広い概念 である.単なる一片の新聞報道の形をとる情報 であっても,将来科学的証拠であることが実証 . 23)Kuhn[1962]10 ページ..

(7) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (259). 63. 情報(information) 科学的情報(scientific information) 科学的証拠(scientific evidence). 未確認の ものなど. 少数意見. 多数意見. 図. されるかもしれない,重要な科学的情報の片鱗. トが限定的なものであることが判明すれば,そ. であることがありうる.. れ以外のロットについて輸入制限措置を解除す. 一例として,1989 年のチリ産ブドウへの青 24). るべきであろう.これが第 5 条 7 項で「科学的」. 酸カリ混入事件が挙げられる .この事件の場. 情報であることを要しないこととしたひとつの. 合,問題は青酸カリの毒性の程度ではなく,チ. 重要な理由であると考えられるのである.. リからすでに輸出された,また今後輸出される. 「科学的に正当な理由」は単なる情報ではな. 生鮮果実への毒物混入リスクの程度と範囲が不. く科学的情報でなければならない.しかし,リ. 明なことであった.米国が輸入した生鮮ブドウ. スク評価を行うことが前提であるから,科学的. に混入の事実が発見されたこと(科学的情報で. 証拠と認知されるような科学的情報でなけれ. ある必要はない)をもとに,その他の国々もチ. ば,SPS 協定に整合的とされる可能性はないで. リからの生鮮ブドウの輸入停止措置をとること. あろう.. は,許されるであろう.しかし,そのような措. 以上を図示すると,図のようになる.. 置をとった国々は,混入の原因と範囲に関する 情報(これも科学的である必要はない)を得る. ⑵ 科学的証拠の「十分性」と「不十分性」. よう努力し,リスク評価の結果汚染されたロッ. 紛争事案の審理において,科学的証拠が十分 であるか否かのテストは異なった物指しで行わ. . 24)1989 年 3 月,米国等向けの生鮮ブドウに青 酸カリを混入したとの通報があり,米国でチリか ら輸入されたブドウを検査したところ青酸反応を 示すものがあったことから,米国,日本等はチリ 産ブドウの全面的な輸入禁止・積戻し措置をとっ た.こ の 事件 を きっか け に,同年 10 月 の GATT 理事会で人,動植物の生命・健康を守るための措 置は必要以上に厳しく,また長期にわたるもので あってはならないこと,速やかに通報・協議する こと等を内容とするガイドラインが採択された. GATT 理 事 会 議 事 録 C/M/232(24 ペ ー ジ),C/ M/236(6~7 ページ)参照.. れた.すなわち,SPS 措置を「十分な科学的証 拠なしには維持しない」との第 2 条 2 項におけ る「十分性」は,SPS 措置 と 科学的証拠 と の 間の「合理的な関係」の存在の有無によって判 断された一方,第 5 条 7 項の「関連する証拠が 不十分な場合」の「不十分性」に関しては,紛 争事案ごとに検討が深められてゆくことになっ た. ア 「十分性」に関する判断基準 科学的証拠の「十分性」は,証拠それ自体の.

(8) 64. (260). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). 量ないし品質よりも,問題となった SPS 措置. 提であったからこそ,1990 年の成文化プロセ. と(リスクに関連する)科学的証拠との間の「合. スの際に輸入国により重い立証責任を負わせた. 理的な関係」の有無が問題とされた.. い米国とケアンズ・グループが SPS 措置は科. 第 2 条 2 項 と の 整合性 が 争 わ れ た 日本・コ. 学的証拠に「基づくべき」(be based on)と主. ドリンガ紛争事案で,パネルは十分な科学的. 張する一方,この逆の立場から EC,北欧グルー. 証拠「な し に 維持 されている」とは,措置と. プは SPS 措置を科学的証拠に「反して維持し. 科学的証拠 と の 間 に「客観的 ま た は 合理的 な. て は な ら な い」(not be maintained against). 関 係 の 欠 如」 ( a lack of objective or rational. との対立があった.また,SPS 協定交渉の最終. relationship)が 見 ら れ る こ と で あ る と し た. 段階であった 1993 年 12 月,米国からなされた. (8.29)上 で,日本 の 品種別試験 の 要求 と パ ネ. 本条項 の 修正提案 は「(当該措置 の)科学的基. ルに提出された科学的証拠との間に「実際の因. 礎がもはや存在しなくなった場合には維持され. 果関係」 (actual causal link)が認められないと. な い」(not maintained if its scientific basis no. して第 2 条 2 項に不整合と判断した(8.42~43) .. longer exists)とされていた.ある時点で採用. 上級委員会も, 「十分性」とは 辞書的に「量,. された SPS 措置の根拠となった科学的証拠を. 広がりまたはスコープがある目的・事項に照. 構成する科学的情報の集合が,その後の科学的. らし十分であること」であるから「関係的な. 知見 の 進歩 に よって 少数意見 と なった 場合 で. 概念」 (relational concept)で あ る と し,本条. も,科学的情報の集合として存在する限りは,. 項 の「十分性」は SPS 措置 と 科学的証拠 と い. その SPS 措置がチャレンジされることのない. う二つの要素間に「十分な関係」 (a sufficient. ようにするというのが,この提案のテキストに. or adequate relationship)を 必要 と す る と し. 込められた意図であった.. て(73)パネルの判断を支持するとともに,措. ウルグアイ・ラウンド交渉最終局面で,第 2. 置 と 科学的証拠 と の 間 に「合理的 な 関係」 (a. 条 2 項のテキストがこの米国案のような直接的. rational relationship)があるか否かは措置の性. な関係性ではなく「第 5 条 7 項に規定する場合. 格や科学的証拠の質および量を含め個々のケー. を除くほか,十分な科学的証拠なしに維持しな. スごとの状況をもとにケース・バイ・ケースで. い」との表現で決着した結果,日本・コドリン. 決定されるべきであるとした(84) .. ガ紛争事案や日本・りんご火傷病紛争事案のよ. この「合理的な関係」 (a rational relationship). うに,質的・量的に相当程度の科学的証拠が存. の判断基準は,日本が国内に存在しない火傷病. 在しているなかで,措置の妥当性が問題になっ. 菌の侵入を防止するため,米国産りんご果実の. たケースについて判断が下しやすくなったとい. 輸入に際して課している検疫要件について米国. うことができよう.. が提訴した日本・りんご火傷病紛争事案でも適. なお,これら両事案で被提訴国となった日本. 用された.パネルは日本の要求する緩衝地帯の. は,十分な科学的証拠の存在について,矛盾し. 要件と園地検査の要件は入手可能な科学的証拠. た主張を行っている.日本・コドリンガ紛争事. と合理的関係を有していないとし(8.191) ,上. 案におけるパネル審理では,日本政府はその. 級委員会もパネル判断を支持した(162) .. 措置が十分な科学的証拠に基づくものであり. このような「合理的な関係」の概念は,交渉. (4.60),総合的なリスク評価を行った(4.145). 時には当然の前提であり,問題は量的・質的な. と 主張 す る 一方,品種別 テ ス ト は 暫定措置 で. 十分性をどう表現するかであった.SPS 措置と. あると考えることができるとした(4.187) .す. これをとる基礎となった科学的証拠との間に関. な わ ち,日本政府 は 論理的 に 両立不能 な は ず. 係性があることは交渉関係者にとって当然の前. の SPS 協定第 2 条 2 項 と 第 5 条 7 項 の い ず れ.

(9) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (261). 65. でも正当化できると主張した.暫定措置として. きる証拠がほとんどないかまったくない(little,. の正当化がパネルにより「30 年以上継続して. or no, reliable evidence was available)状況 で. いるにもかかわらず追加的な情報を求める努力. 援用されるよう意図されている(designed)こ. を行っていない」として否定された(8.57)の. とは明らか」であるとし,本件については「科. ち,上級委員会で日本政府は「予防原則」を援. 学的研究と実際的経験が 200 年にわたり蓄積さ. 用した(10) .日本・リンゴ火傷病紛争事案に. れてきており,明らかに第 5 条 7 項の適用が意. ついても,同様であった.日本政府は,パネル. 図された状況ではない」として日本の主張を退. に対して措置が科学的証拠により支持されてお. けた(8.219).. り,措置 を 科学的証拠 と の 間 に 合理的・客観. 上級委員会ではパネルの第 5 条 7 項解釈が狭. 的関連性があるとする(8.72)とともに,パネ. きに失するとして日本が主張した次の 3 点が争. ルが科学的証拠不十分と判断した場合には日本. 点となった.. の措置は暫定措置として考えることができると. ①「関連する科学的証拠」が不十分か否かの検. した(8.203) .パネルにより「火傷病に関する. 討は科学的証拠に関する一般的な検討に限定さ. 知見が過去 200 年間蓄積されている」ことを理. れるのでなく, 「特定の措置」または「特定の. 由に本件が第 5 条 7 項の問題ではないとされた. リスク」との関連での「特定の状況」について. (8.219)ことから,日本が上級委員会で科学の. 検討しなければならない.. 「不確実性」を提起することになったことはよ. ②「新 た な 不確実性」と「未解決 の 不確実性」. く知られている.. は区別して検討すべきである.日本のケースが. この科学的不確実性はさまざまな論議のテー. 該当するのは後者であるが,パネルは前者のみ. マとなったが,日本政府がその措置が「科学的. を検討した.. 証拠」に基づくのか否かという基本的な点につ. ③科学的発見が進行中で証拠の量が少なからず. いて,論理的に両立しえない立場をとったこと. (more than little)あるにもかかわらず,入手. に注意する必要がある25).. 可能な科学的証拠が決定的ではない場合にも第. イ 「不十分性」に関する判断基準. 5 条 7 項に基づく措置は発動できるようにする. 他方,第5条 7 項の「関連する証拠が不十分. べきである.. な場合」の「不十分性」に関しては,紛争事案. 上級委員会は,①については入手可能な科学. ごとに検討が深められてゆくことになった.. 的証拠の集まりでは量的または質的に第 5 条 1. 第 5 条 7 項が援用された最初の紛争処理事案. 項が要求し付属書 A で定義される十分なリス. である日本・コドリンガ紛争事案では,第 5 条. ク評価を遂行できない場合に第 5 条 7 項の意味. 7 項の適用のための条件について確認された. 26). で「関連する科学的証拠」が「不十分」である,. にとどまり,第 5 条 7 項の「十分な科学的証拠」. 「一般的」であれ「特定的」であれ関連する証. がない状況が初めて争点となったのは日本・リ. 拠が火傷病の日本への侵入,定着,蔓延の可能. ンゴ火傷病紛争事案においてであった.パネル. 性の評価を許すほど十分かどうかが問題なので. は,「第 5 条 7 項は明らかに入手可能な信頼で. ある(178~179),②については第 5 条 7 項が. . . 25)また,リスク評価らしい評価を行っていな い点でも後のオーストラリア・リンゴ紛争事案と 著しい対照を見せている. 26)パネルは,第 5 条 7 項に基づき正当化され るためには同第 1 文((ア)関連する科学的証拠が 不十分な状況のもとで,かつ(イ)入手可能な適. 切な情報に基づきとられた措置であること)と第 2 文( (ウ)より客観的なリスク評価のための追加情 報を得るよう努力し, (エ)合理的な期間内に再検 討する)の 4 つの累積的な要件が満たされなけれ ばならないとし(8.56~58) ,上級委員会もこれを 確認した(80) ..

(10) 66. (262). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). 不確実性の存在により発動されるのではなく,. EC が EC・GMO 紛争事案でとりあげた.この. 科学的証拠の不十分性によってである(183~. 事案では,EC が加盟国によるセーフガード措. 184) ,③についてはパネルが第 5 条 7 項は「入. 置を暫定的な措置であるとして第5条 7 項を. 手可能な信頼できる証拠がほとんどないかまっ. 援用し,第 5 条 7 項と第 5 条 1 項,さらに第 2. たくない状況に援用されることを意図されてい. 条 2 項との関係が争点となった.科学的証拠の. る」と述べたのは信頼すべき証拠の入手可能性. 「不十分性」については争点とならなかったが,. についてのことであり,入手可能な証拠が量的. EC の一般的モラトリアムに基づく措置に関す. に極めて少ないよりまし(more than minimal). るパネル検討に際して,「科学的不確実性」が. だが,信頼すべきまたは決定的な結果に導いて. ある場合のリスク評価が問題となり,パネル. いない場合を除外しているとは考えられない,. は,リスク評価のための科学的証拠が仮に十分. パネルが述べているように多くの科学的研究が. であったとしても,その結果についての不確実. なされているが信頼すべき証拠を示すに至らな. 性を免れるものではない,政府はこのような状. い場合にも第 5 条 7 項は適用可能である(185). 況のもとで可能な選択肢の幅の中から,もっと. との判断を示した. パネルの「不十分性」とは単純に科学的証拠. も適切と思われる措置を選択するものである (7.1525)との判断を示した.. が「ないかほとんどない」状態であるとの判断. 更 に,EC は EC・ホ ル モ ン 牛肉紛争事案 の. が,上級委員会によって科学的証拠がリスク評. 延長上 に あ る 米国・義務停止継続紛争事案 で,. 価を行うために十分かどうかの問題であると修. 形を変えてこの問題を提起した.EC は,関連. 正されたわけである.確かに,情報が極めて限. する科学的証拠が相当程度あり,ある時点でリ. られたなかで政府当局が人,動植物の生命・健. スク評価の基礎となったとしても,科学的知見. 康を守るために難しい決断を迫られる場合が第. の動態的な性格から,新たに入手可能となった. 5 条 7 項で想定された典型的なケースであると. 証拠によって「矛盾し,決定的でなく,不完全. いうことはできよう.. な」( contradictory, inconclusive, incomplete). 問題は,第 5 条 7 項の援用が許されるのはこ. ものとなる場合がありうると主張した.パネル. のようなケースだけなのか, 「不十分性」は絶. は,新たな研究や情報によって既存の科学的証. 対的な概念なのかどうかということであった.. 拠に疑問が生じ,かつては十分とされた科学的. SPS 交渉の過程では,具体的にどのようなケー. 証拠が不十分となることがありうることに同意. スまで認めるのかについて議論されなかった.. しつつ,科学的に不確実性があることがかつて. しかし,SPS 協定第 5 条 7 項でいう「不十分性」. 十分とされた科学的証拠を不十分とし,またこ. とは,政府当局がどのような SPS 措置を, いつ,. のことが第 5 条 7 項の適用可能性を正当化する. どの範囲でとるのかの判断をするための準備作. ものではない,とした(7.614~7.637).. 業としてのリスク評価が直接的な目的であった. 確かに,科学的証拠の「不十分性」がリスク. から,絶対的な不十分性を含むものの,相対的. 評価を行う見地からの相対的な概念であるとす. な概念であることは否定できないことであっ. ると,問題となるのは,相当程度の量の科学的. た.. 証拠が存在する場合でもリスク評価の見地から. 「不十分性」が相対的な概念である以上,紛. は不十分な場合がありうるのかという問題と,. 争事案ごとにさまざまなケースについての議論. 高い保護水準を設けている国がリスク評価にお. が発生することになった.. いて科学的証拠が不十分と判断することは許さ. まず,日本・リンゴ火傷病紛争事案で日本が. れるのかという問題である.. 上級委員会 に 提起 し た「科学的不確実性」は,. 前者については,「不十分性」という量的な.

(11) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (263). 67. 概念を「不確実性」という質的な概念に置き換. であった.. えて日本が日本・りんご火傷病紛争事案で,ま. ア 「調和」と「科学」の優先関係. た EC が EC・GMO 紛争事案 と 米国・義務停. 国際基準 へ の「調和」に つ い て,EC・ホ ル. 止継続紛争事案でとりあげたことはすでに見た. モン牛肉紛争事案のパネル報告書で,パネルは. とおりであるが,論議が抽象的な次元に止ま. 義務であるとの解釈を示し,上級委員会はこれ. り,深まらなかった.前者を量的な問題として,. を 覆 し た.パ ネ ル は,SPS 協定第 3 条 3 項 は. また後者の論点がとりあげられたのが米国・義. 国際基準に基づくすべての措置は原則として国. 務停止継続紛争事案であった.この事案で,こ. 際基準と同じ保護レベルを達成しなければなら. うした 2 つの論点は国際基準との関係で問題と. ないことを求めているとするとともに(8.72),. なった.. SPS 協定前文(パラ 6)を根拠に同協定の目的 のひとつは国際基準に基づき加盟国間で調和. ⑶ 「科学」と国際基準との関係. のとれた SPS 措置をとることが促進されるこ. SPS 協定のもうひとつの重要な概念は「調. とであるとし,第 3 条 1 項は加盟国に対して. 和」で あ る.SPS 協定 は,①前文 で 国際基準. 特に第 3 条 3 項などの例外を除いて措置を国. に基づき,加盟国間で調和のとれた SPS 措置. 際基準に基づかせることを義務付けていると. がとられることを希望するとし(パラ 6) ,②. し た(8.86).こ れ に 対 し,上級委員会 は,パ. SPS 措置をできるだけ広範に調和させるため. ネルの第 3 条 1 項の解釈は国際基準を強制規範. に国際基準がある場合には特別な場合を除くほ. (binding norms)へと変質させるに等しいが,. かは自国の SPS 措置を国際基準に基づいてと. SPS 協定にそのような根拠は見当たらない,ま. ること(第 3 条 1 項)を定めている.この「特. た主権国家がそのような義務を自らに課した. 別な場合」とは,加盟国が科学的に正当な理由. と軽々に断ずることはできないとした(163~. (a scientific justification)がある場合またはリ. 166)うえで,調和の究極的な目的は,加盟国. スク評価に関する第 5 条の関連規定に従って自. が人の生命・健康を守るために必要な科学的原. 国の適切な保護水準を決定した場合に,国際基. 則に基づく措置をとることを妨げることなく,. 準によるよりも高い保護水準となる SPS 措置. またその適切な保護水準の変更を求めることな. を導入・維持した場合とされている(第 3 条 3. く,恣意的ないし不当な差別的手段としてある. 項) .なお,自国の措置を国際基準に基づかせ. いは国際貿易に対する偽装された制限とならな. たことの法的意味としては,国際基準に適合す. いようにすることである(177)として,パネ. る SPS 措置 は 人,動植物 の 生命・健康 の 保護. ルの解釈を覆した.. に必要な措置と見なされるとともに,SPS 協定. 国際基準への「調和」が義務であるとの紛争. および GATT1994 の関連規定に適合している. 処理パネルの見解は,前文と第 3 条 3 項の規定. と推定されることとされている(第 3 条 2 項) .. の文理解釈にもっぱら依拠するものであったの. 紛争事案で問題となった論点は,そもそも「調. に対し,上級委員会はパネル判断の法的な含意. 和」と「科学」のいずれが優先するのか,国際. と実際上の効果に着目して判断を行ったといえ. 基準が存在する場合にあえてこれよりも厳しい. よう.確かに,パネルの見解は SPS 協定の成. 措置をとるときに必要とされる「科学的正当化」. 立過程における議論の経過からしても,意外な. とは何か,国際基準よりも高い保護水準をとる. 判断であった.交渉過程を通じて「調和」を義. ことがリスク評価に影響を与えうるのか,そし. 務的なものとすべきであるとの提案や発言がな. て国際基準が存在する場合であっても「関連す. かっただけでなく,条文テキストの論理構成の. る科学的証拠が不十分な状況」がありうるのか,. 見地から「科学」概念との整理が困難であり,.

(12) 68. (264). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). ひいては SPS 措置に関するルールの条文化そ. スク評価を行わねばならないとした(175).す. のものに破綻をきたす可能性があった.実際. なわち, 「科学的に正当な理由がある場合」と. 上の問題としても,当時の国際基準の状況から. 「当該加盟国が第 5 条 1 項から 8 項までの関連. みて,これに準拠することの義務化は問題外で. 規定に従い自国の保護水準を決定した場合」と. あった(だからこそ消費者団体は国際基準への. の間には実質的な違いがないことが紛争処理事. 「下方調和」に反対した) .. 案についての判断により確定した.. このような判断をパネルが行ったのは,本事. ところで,リスク評価の際には「入手可能な. 案 が WTO 協定発効後間 も な い 時期 に 行 わ れ. 科学的証拠」を考慮しなければならない(第 5. た紛争処理事案であった事情が反映していたの. 条 2 項)から,リスク評価が行われているかが. ではないかと思われる.GATT 時代において. 極めて重要な意味をもつことになる.EC・ホ. は,紛争処理 パ ネ ル の 審理 は,GATT の 原則. ルモン牛肉紛争事案のパネルは,SPS 措置が第. に対する例外条項を援用している被提訴国が挙. 5 条 1 項および 2 項で求められているリスク評. 証責任を果たしたか否かが鍵であった.パネリ. 価に基づかない場合には,当該措置は科学的原. ストは,SPS 協定においても GATT における. 則に基づかないか十分な科学的証拠なしに維持. こうした審理の方法論を単純に適用しようと. されている,すなわち第 2 条 2 項に反している. したのではないかと思われる.しかしながら,. と推定されるとするとともに,第 2 条 2 項は一. SPS 協定はもはやこのような単純な方式の適. 般的性格を有していることから,すべての第 2. 用を許すような構成や内容ではなくなってい. 条 2 項違反が第 5 条 1 項および 2 項によってカ. た.この事案は,パネルが審理の過程で SPS. バーされているわけではない,とした(8.52).. 協定案のドラフトを参照していればこうした誤. こ の 論理構成 は そ の 後 の SPS 協定関係紛争. 27). りを犯さずに済んだケースといえよう .. 事案に適用され,「科学」そのものよりもリス. イ 国際基準より厳しい措置をとる場合の「科. ク評価の有無に審理の重点が置かれることに. 学的正当化」とリスク評価. なった.SPS 協定に関する次の紛争事案となっ. SPS 協定第 3 条 3 項は,国際基準よりも高い. たオーストラリア・サーモン紛争事案では,パ. 保護水準の措置をとることができるのは「科学. ネルは問題となったオーストラリアの措置が. 的に正当な理由がある場合または当該加盟国が. 第 5 条 1 項に一致したリスク評価に基づいてお. 第 5 条の 1 項から 8 項までの関連規定に従い自. らず,したがって当該措置が維持されている限. 国の保護水準を決定した場合」であると規定し. りにおいて第 2 条 2 項にも不整合であるとし. ている.ホルモン牛肉紛争事案のパネルは,第. (8.101,9.1),上級委員会もこの判断を支持す. 3 条 3 項ではなく第 3 条 1 項に不整合との解釈. るとともに,オーストラリアが第 5 条 1 項に反. をしたこともあって,この条文について注意を. して措置を維持していることの含意として第 2. 払わなかった.しかし,上級委員会報告は「起. 条 2 項と不整合に行動しているとした(138) .. 草と伝達の明確さの模範ではない」としつつ,. EC・GMO 紛争事案においても,パネルは加盟国. 第 3 条 3 項本文と脚注の文理解釈に基づいて国. のセーフガード措置について,第 5 条 1 項と不. 際基準を採用しない場合には第 5 条に基づくリ. 整合であり,その含意として第 2 条 2 項の「科. . 27)スタントン上級参事官によれば,パネリス トに対して SPS 協定テキストの制定経緯の説明を 行ったが,パネリストはテキスト解釈のみにより 判断を行うことを選択したとのことである(2009 年 8 月 28 日のインタビュー).. 学的原則に基づき」,「十分な科学的証拠なしに 維持しない」との要件を満たさない,とした (7.3399).オーストラリア・リンゴ火傷病紛争 事案でも,パネルはオーストラリア政府の措置 は適切なリスク評価を行っていないと判断した.

(13) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (265). 69. 結果,SPS 協定第 5 条 1 項および同条 2 項と不. るものの,リスク評価それ自体に影響するもの. 整合とし,さらにその含意として第 2 条 2 項に. であってはならない,とした(7.604~7.612).. 不整合であるとし(7.905) ,上級委員会もこの. 上級委員会は,高い保護水準を設定している場. 判断を支持した(261─262) .. 合にはリスク評価の範囲や方法に何らかの影響. 最新の米国・鶏肉輸入制限紛争事案のパネル. をもつはずであり,国際基準の前提となったリ. で は,第 2 条 2 項不整合 の す べ て の ケース が. スク評価とは異なった要素や方法による検討を. 第 5 条 1 項および同条 2 項によりカバーされる. 行うことがありうるとして,パネルの判断に同. わけではないとして,米国がリスク評価を行っ. 意しなかった.ただし,リスク評価のための. たか否かおよび「十分な科学的証拠」なしに維. 科学的証拠の十分性の検討は厳格な客観的プロ. 持されているか否かを区別して審理した.パネ. セスであり,保護レベルの選定が関連する科学. ルは,中国の衛生状況に関して懸念があるとの. 的証拠の十分性の検討結果を先取りするもので. 国際機関や米国農務省報告,新聞報道はあるも. あってはならない,とした(682~687).. のの,中国からの鶏肉輸入制限措置を導入する. エ 国際基準が存在する場合の「関連する科学. に当たりリスク評価を行ったとの証拠を提示し. 的証拠が不十分な状況」. なかったことから,第 5 条 1 項および同 2 項に. 国際基準があるような場合でも「関連する科. 不整合であるとしたうえで(7.192) ,科学的証拠. 学的証拠が不十分な状況」が生じうるのか否か. はリスクの存在を証明するために十分なだけの. の問題が,同じく米国・義務停止継続紛争事案. 「合理的な関係」をもたねばならないところ,. で提起された.米国が国際基準はリスク評価を. 米国は中国からの鶏肉の輸入に関するリスクに. 行うための科学的証拠が十分かどうかの指標た. ついて,「いかなる特定的な科学的に正当な理. りうると主張したのに対し,EC は国際基準が. 由」も提示しなかったとして,米国からの中国. 存在していても科学的情報が不十分な場合があ. における食品安全の状況に関する証拠は第 2 条. ることは米国も認めており,問題のケースにお. 2 項の意味において「十分」ではなく,同条項. いては新たな証拠が既存の前提のバランスを変. に不整合であるとした(7.202) .しかしながら,. 更させるものとなった,と主張した.パネルは,. 区別して審理しているとはいえ,決め手となっ. 「これまで十分とされてきた関連する科学的証. たのはリスク評価が行われたか否かであった.. 拠が不十分とするためには知識や証拠の基本的. ウ 国際基準よりも高い保護水準の設定とリス. な教え(fundamental precepts)を覆すだけの. ク評価. 十分な量の新たな証拠・情報(a critical mass. 米国・義務停止継続紛争事案 で,EC は 国際. of new evidence and/or information)がなけれ. 基準よりも高い保護水準を設定している場合に. ばならない」とし,本件についてはリスク評価. は国際基準が前提としている科学的証拠では. がなされてきており,多くの証拠が蓄積されて. 「決定的なリスク評価」を行うことができない. いることから,過去のリスク評価の結論を支持. と主張した.これに対し,パネルは第 5 条 1 項. するだけの証拠がもはや十分ではないとするだ. が「決定的なリスク評価」を行うことを要求し ていない,また実際上もリスク評価は「進化」. けの科学的証拠がなければならない,とした (7.638~7.648).. (evolve)するものであり 「決定的なリスク評価」. 上級委員会は,①第 5 条 7 項は国際機関や他. は存在しない, 「十分な科学的証拠」とはリス. の加盟国がリスク評価を行った場合に暫定的措. ク評価を行うために必要なだけのものであり,. 置をとってはならないとはしていない,国際機. 十分かどうかの判断は客観的なプロセスである. 関からの情報が第 5 条 7 項でいう「入手可能な. から,保護水準は措置を決定する際には関連す. 関連する情報」であるとはいえようが,リスク.

(14) 70. (266). 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). 評価のために十分とは必ずしもいえない,国際. と上級委員会の基本的な見解であった.. 機関が依拠した科学的証拠はその後の科学的発. ウルグアイ・ラウンドで SPS 措置に関する. 展により有効ではなくなったり,十分でなくな. 規則・規律を検討していた際,交渉当事者には. る可能性があり,国際基準の存在は科学的証拠. 関連する国際基準は絶対的なものと考えられて. が第5条 7 項の意味で不十分であることを意味. いなかった.制定されてから見直しをされてい. するものではない(688~698) ,②科学の進歩. ないものも多く,国際基準として存在する以上. は十分な客観性をもつリスク評価を行わせるこ. はこれに準拠していれば適合推定とすべきもの. とになるかもしれないが,逆の場合もあり得,. の,準拠しないからといって必ずしも貿易制限. その場合には第5条 7 項の範疇となる,パネル. 的とはいえない,というのが交渉当事者の理解. も認めているように科学は常に進歩し続けてい. であった.こうした理解に照らし,本紛争事案. るものであるが,かつて十分と考えられた科学. における上級委員会判断は,実際に即した判断. 的証拠が不十分となる限界領域から, 「パラダ. として評価できよう.すでに触れたが,パネル. イム・シフト」に導くほどの根本的な科学的な. は第 5 条 7 項の適用に関してとかく必要以上に. 変化まで幅が存在する.パネルの見解のように. 制限的な態度をとる傾向があるといえよう.. 科学的証拠が不十分と判断されるためにパラダ イム・シフトに相当するような科学的知見の進. ⑷ SPS 協定と「予防原則」. 歩を求めるのはあまりに柔軟性に欠け,国際基. 「予防原則」は,1970 年代にドイツの環境政. 準より高い保護レベルを採用する場合の第5条. 策において生まれ,1980 年代には環境保全と経. 7 項の科学的証拠の不十分性に関する法的テス. 済発展の両立のための基本原理として確立し,. トはより厳しいものであってはならないとし,. 1992 年 6 月のリオ宣言の原則 15 の「予防的ア. パネルの判断を覆した(699~712) .. プローチ」 (precautionary approach)をはじめ,. このように,新たな科学的知見によってかつ. 同年の気候変動条約,生物多様性条約などの国. ては十分とされた科学的証拠が不十分となるこ. 際条約で採用されることになり,さらに「その. とがありうることが認められた.相当量の科学. 適用領域も環境法の枠を越え,遺伝子組み換え. 的証拠が存在する場合でもリスク評価の見地か. 作物 や BSE 規制等 の 食品衛生,HIV や 肝炎汚. らは不十分な場合がありうるのかという問題に. 染の恐れのある血液製剤の規制など医事法の領. ついては,国際基準も科学的証拠とこれに基づ. 域など,人間の生命や生活にかかわる広範な領. くリスク評価の結果であり,そうである以上国. 域に広がりつつある」とされている28).この言. 際基準であるというだけの理由でその基礎と. 葉は,EC・ホルモン牛肉紛争事案において EC. なった科学的証拠が不十分とするためのハード. が自己の措置を正当化する根拠として援用した. ルを高くするべきではないことが上級委員会に. ことで,「食の安全」のための理念としても広. より認められた.. く知られるところとなった.. 高い保護水準を設けている国がリスク評価に. ア EC・ホルモン牛肉紛争事案での提起. おいて科学的証拠が不十分と判断することは許. この紛争事案のパネル審理において,EC は. されるのかという問題については,高い保護水. 米国も含めすべての国で家畜へのホルモン剤の. 準を決めること自体は当該国の主権の問題であ. 使用が制限されているなかで EC がより厳しい. るが,高い保護水準はリスク評価の結果として. 措置をとっているのは,EC が農業生産者や薬. 考えられるさまざま措置の中からの措置の選択 に反映されるものであって,リスク評価それ自 体に影響するものではない,というのがパネル. . 28)中山竜一[橘木ほか 2007]106 ページ..

(15) WTO 衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS 協定)に関する紛争事案パネル・上級委員会報告における「科学」概念関連規定の解釈について(林) (267). 71. 品業界の利害よりはむしろ高い水準での消費者. EC はパネルが予防原則について第 5 条 7 項. 保護 の 達成 を 目指 す「予防的 ア プ ローチ」 (a. にのみ関連しているとしたのは誤りであり,予. precautionary approach)をとっているからで. 防原則が国際法の一般的慣習法ないし少なくと. あると主張し,消費者の保護のために「予防的. も法の一般原則となっていると主張したのに対. アプローチ」をとることが望ましいことが実証. し,上級委員会 は,「予防原則」そ れ 自体 に つ. されたケースとして食品の大腸菌汚染と BSE. いては「重要ではあるが抽象的な問題について. を挙げ,特に BSE については 250 年以上前か. 判断することは不必要であり,また不用意であ. ら知られていた羊の類似の病気(scrapie)が. ろ う」と し つ つ,①予防原則 が SPS 協定 に 不. 人の健康に害を生じる証拠が知られていなかっ. 整合な措置を正当化する根拠として協定の中に. たことから,BSE についても人への健康への. 書き込まれていない,②予防原則は第 5 条 7 項. 影響は不確かないしきわめて少ないというのが. だけでなく,前文 6 パラおよび第 3 条 3 項にも. 一般的な見解であったが,早期にこのアプロー. 反映されている,③パネルは加盟国がある措. チをとるべきであった,とした(4.202~4.203) .. 置 に つ い て「十分 な 科学的証拠」が あ る か 否. これに対し,米国は EC が禁止措置を正当化. か を 検討 す る 際 に は 当然,責任 あ る,代表制. するために持ち出した「予防原則」は EC のみ. のある政府ならば通常,人の生命にかかわる. に特有のアプローチではなく,これを闡明した. リスクが関係している場合には慎重さと予防. 「リオ宣言」の原則 15 に大多数の国々が署名し. (precaution)の見地から行動するであろうこ. たところである,EC は「予防原則」を誤解し. とを念頭において行うだろうしそうすべきであ. ており,地球温暖化問題への対応のように,争. る,④予防原則はテキスト上の明示的な指示な. う余地のない科学的結論が存在しない場合でも. しにそれ自体ではパネルが SPS 協定の条文の. 行動することが重要な場合には予備的ないし決. 解釈に当たって通常の慣習国際法の原則を適用. 定的でない科学的情報に基づいて行動すること. することから解放しない,とした(120~125).. を呼びかけているのが「予防原則」である,第. イ その後の紛争事案における援用. 5 条 7 項はこの原則を反映しているが,EC は. すでに見たように, 「予防原則」は日本が日. 第 5 条 7 項を援用していない,とした(4.207) .. 本・コドリンガ紛争事案で措置を正当化する根. こうした両者の主張について,パネルは①予. 拠として援用した.パネル審理において,日本. 防原則 が 慣習国際法 の 一部 と なって お り,リ. はその措置が科学的証拠に基づいており SPS. スク評価に関する SPS 協定第 5 条 1 項および. 協定第 2 条 2 項により正当化できるとするとと. 2 項の解釈にあたりこれを考慮すべきであると. も に(4.60),同第 5 条 7 項 の 暫定措置 と し て. の EC の主張について,予防原則は第 5 条 7 項. も考えうると主張した(4.187).パネル報告内. に組み込まれ特定の意味づけを与えられている. 容を不服として上級委員会に上訴した際,日本. ( incorporated and given a specific meaning). はパネルが「予防原則」に然るべき注意を払っ. が,EC はこの条項を援用していない,②予防. ていないと主張した(10).これに対して,上. 原則はリスク評価を義務付ける第 5 条 1 項およ. 級委員会はホルモン牛肉紛争事案に関する上級. び同 2 項 の 明示的規定に優先しない,として. 委員会報告で「予防原則」は前文,第 3 条 3 項. EC の主張を退けた(8.157~8.158) .. および第 5 条 7 項に反映されていると指摘した. この判断は上級委員会でも争われた.上級委. 通りとした(81).. 員会 は SPS 協定 に「予防原則」が 反映 さ れ て. EC は米国との EC・GMO 紛争事案で「予防. いるとのパネル判断を拡張するとともに,その. 原則」を再度正当化の根拠として援用した.こ. 他の点についてもパネル判断を支持した.. の 事案 で は,1999 年 6 月 の EC 環境相理事会.

(16) 72. 横浜国際社会科学研究 第 17 巻第 2 号(2012 年 8 月). (268). 宣言以降 EC で GMO に関し新たな承認が行わ. しない措置をとるか,同じリスクに対して他の. れない状態が継続する EC レベルの措置(一般. 加盟国よりも厳しい措置をとることがありうる. 的モラトリアム)と, 「新規食品に関する理事. ことを認めたうえで,そのような場合でも措置. 会規則」 (258/97/EEC)及 び「GMO の 環境 へ. がリスク評価に「基づく」 ,すなわち「十分に. の 意図的放出 に 関 す る 新指令」 (2001/18/EC). 保証される」 (sufficiently warranted)ないし「理. のセーフガード条項. 29). に基づく加盟国による. にかなったものとして支持される」 (reasonably. GMO の流通・輸入禁止という加盟国レベルの. supported)ことが求められる,換言すれば第. 措置の 2 つが問題となった.. 5 条 1 項に整合する必要があるとした(7.3065. パネルは,この 2 つの問題それぞれにおいて. ~7.3066).. 「予防原則」に関する見解を表明している.. GMO 紛争事案 に お け る EC の「予防原則」. EC レベルの一般的モラトリアム措置につい. に関する主張は,ドーハ・ラウンドの準備交渉. て,パ ネ ル は SPS 協定附属書 C ⑴(a)の 規定. に 際 し 2001 年 に EC が WTO 農業委員会 に 提. は関連する SPS 要件が満たされていることを. 出した後述する文書の内容と比較して目新しい. 十分な確信をもって決定するために合理的に必. 点がなかっただけでなく,積極的でもなかった.. 要とされる時間をかけることを許容しており,. その理由としては,EC が EC レベルの措置に. 「慎重で予防的なアプローチ」 (a prudent and. ついて,一般的モラトリアムなるものはそもそ. precautionary approach)の適用を排除するも. も存在しないとの立場をとったこと,加盟国レ. のではない(7.1522)とし,この規定の義務の. ベルの措置について積極的に弁護すべきインセ. 遵守とこのアプローチの適用との間に内在的な. ンティブが EC 委員会になかったこと,が挙げ. 緊張関係があるとは考えられないが,このアプ. られる.問題となった加盟国による禁止措置は,. ローチも合理的な限界の下に適用されねばなら. EC 委員会による人の健康または環境に対して. ず,加盟国が注意と慎重さの必要を理由に際限. いかなるリスクもないとの評価結果に反してと. なく決定を引き延ばせるのであれば,この規定. られ,維持されていたから,EC 委員会として. の意味は失われることになる(7.1523)とした.. は右のような主張を行う以外選択肢がなかった. 加盟国レベルのセーフガード条項に基づく措. であろう.別の見方をすれば,加盟国に対す. 置については,EC は加盟国が EC レベルでの. る EC 委員会の権限を強化する見地からも,加. GMO に肯定的なリスク評価において反映され. 盟国による独自の判断に基づくこうした措置を. ている主流の科学的意見とは異なる見解および. WTO の場で否定されることは,EC 委員会の. 「予防原則」に基づきセーフガード措置をとっ. 利益に合致していた.. た,ホルモン上級委員会報告によれば主流の科. ウ SPS 協定と「予防原則」. 学的意見でなく異なる科学的意見(少数意見). ホルモン牛肉や GMO をめぐる問題は一般消. に基づくことができるとしていると主張した.. 費者にとって関心のある,したがってジャーナ. パネルは,予防原則を採用している加盟国はリ. リズム的に注目を浴びやすいテーマであっただ. スクの評価に当たって不確実性や制約に直面し. けに,EC が WTO の紛争処理手続きでその措. て,同一のリスク評価の結果他の加盟国が採用. 置の正当化の根拠として提起した「予防原則」 は,消費者団体のみでなく国際経済法研究者も. . 29)加盟国が人の健康または環境に対するリス クを構成すると考える正当な理由がある場合,暫 定的に自国領域内においてその使用または販売を 制限または禁止できるとの規定.. 関心を寄せた.総じて,この原則に照らし SPS 協定に批判的な評価を下すものが多いように見 受けられる30). ところで,これらに共通していることは,「予.

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