1.は じ め に
著者らは「ヒロシマ・アーカイブ(図 1)」をはじめ とする,戦災・災害をテーマとしたディジタルアーカイ ブを制作してきた.これらのアーカイブでは,過去の出 来事にまつわる多元的な資料が一元化され,ディジタル アースにマッシュアップされている.このことによって, 出来事の複雑な「実相」を,実感をもって伝えようとし ている.これを「多元的ディジタルアーカイブズ」と呼ぶ. なお,「実相」とは,表面的な言葉では推し量れない「全 体像=真実の姿」を指す語彙であり,特に原爆被害につ いての記述で多用される [湯崎 79]. また,アーカイブの題材の一つである広島においては, 被爆者と地元の若者達を中心とした運動体が形成され, アーカイブを育み,記憶を継承している.これを「記憶 のコミュニティ」と呼ぶ. 過去の出来事の「実相」を伝えるためには,できる限 り正確な資料を多面的に網羅する必要があるだろう.ま た,後世に遺していくためには,資料がもつ価値をわ かりやすくアピールし,現代の人々と社会の裏に,継承 へのモティベーションを形成することも求められるだろ う.これらの要件を満たすコンセプトが「多元的ディジ タルアーカイブズ」と「記憶のコミュニティ」であり, 著者らの取組みの核となっている. 本稿では,著者らの取組みの解説を通して,「多元的 ディジタルアーカイブズ」と「記憶のコミュニティ」の 在り方について述べる.2.出来事の「実相」を伝える
Googleにおいて「Fukushima」というキーワードで イメージ検索すると,爆発する原発の写真や,放射性物 質汚染シミュレーションの画像が上位に表示される.さ らに,原発事故とは直接関係のない,プラント火災や津 波被害の写真も多数表示される(図 2). Webではショッキングな画像が人気を集める.こ の例でいえば,爆発や汚染マップなどの強烈な画像が 「Fukushima」のイメージをつくりだしている.それは 「原発事故で放射能汚染された恐怖の地」といった,単 純かつ一面的なイメージである.さらに,キーワードと 関わりのない「誤った」検索結果は,人々の「誤解」を 身に纏いながら,一面的なイメージをより強固なものに していく. この状況は Web に限ったことではない.被災後 5 年 以上が経過した現在のメディア報道についても,同様の ことがいえる.時が経つにつれて,福島原発事故災害の イメージは一面的になり,その「実相」は伝わらなくなっ ていく.さらに長い時を経た出来事についてはいうまで多元的ディジタルアーカイブズと
記憶のコミュニティ
Pluralistic Digital Archives and Memory Community
渡邉 英徳
首都大学東京Hidenori Watanave Tokyo Metropolitan University.
[email protected], http://researchmap.jp/hwtnv/
Keywords:
digital archives, community, memory, digital earth, disaster, war. 「人工知能と歴史」─歴史を語り継ぐ─*1 https://goo.gl/2PKPOg 図 1 ヒロシマ・アーカイブ
もない.戦後 71 年が経過し,太平洋戦争を体験した人々 はいなくなろうとしている.その「実相」の伝承は,今後, より困難なものとなろう.今は記憶に新しい東日本大震 災と福島原発事故も,数十年経てば「遠い過去の」出来 事となっていく.御嶽山噴火,広島豪雨被害,熊本地震 など,近年起きた大災害も,同じような軌跡を辿ると予 想される.災いから時が経過するほどに,誤解を内包し た一面的なイメージが社会にしみ込んでいき,その「実 相」はおぼろげになっていく. 過去の出来事の「実相」を伝えるためには,できる限 り正確な資料を多面的に網羅する必要があるだろう.ま た,今村らが指摘するように [今村 14],現代に生きる人々 と社会の裏に,それらの資料の利活用・継承に向けたモ ティベーションを形成することも求められるだろう.こ れらの要件を満たすコンセプトが「多元的ディジタル アーカイブズ」と「記憶のコミュニティ」である.
3.「多元的ディジタルアーカイブズ」
さまざまな資料を一元化し,ディジタルアースにマッ シュアップすることで,災害にまつわる複雑な実相を, 実感をもって伝えることができる.著者らはこのコンセ プトを「多元的ディジタルアーカイブズ」と呼んでいる. 以下に「ヒロシマ・アーカイブ」の説明文*2を示す. 「ヒロシマ・アーカイブ」は,広島平和記念資料館, 広島女学院同窓会,八王子被爆者の会をはじめとする 提供元から得られたすべての資料を,グーグルアース 上に重層表示した「多元的ディジタルアーカイブズ」 です.1945 年当時の体験談,写真,地図,その他の 資料を,2010 年の航空写真,立体地形,そして建物 モデルと重ねあわせ,時空を超えて俯瞰的に閲覧する ことができます. ヒロシマ・アーカイブに収蔵されている資料群は,元々 個別に存在したものであり,全体を俯瞰することはでき ない.また,収蔵されている資料を横断的に閲覧・検索 する機能もない.これはいわば,多数の「樹」が,おの おの勝手にそびえているようなイメージであり,別々の 樹に茂る「葉」=資料同士のつながりは把握しにくい状 況にある. それに対して「ヒロシマ・アーカイブ」においては, すべての資料がディジタルアースの仮想空間に収めら れ,一括表示されている(図 3).このことによって,「全 体の概要」と「個別の資料同士の関係」を,いちどきに 表現することができる.ユーザは,スクロールとズーム イン・アウトを用いて「仮想空間に再現されたヒロシマ」 を探索しながら,個々の資料にアプローチしていく. こうした空間移動・場所移動を伴うユーザ体験は,資 料の「文脈」を顕在化するだろう.さらに,異なる時代 の資料を重ね合わせ,現代に生きる我々との位置付けを 示すことで,出来事の「実感」も強まる.例えば,1945 年の広島市街地図に記された「Girls’ High School」(現: 広島女学院中学高等学校)の場所にズームインすると(図 4),多数の証言がひとところに集まっている.そして, そこに表示されているのは,すべて女性の顔写真である. これらのことから「女学校で女生徒達がいちどきに被爆 した」という文脈が表現される. 次いで,被爆直後の航空写真と現在の空中写真を切り 替える(図 5,図 6)と,焼け野原の「ヒロシマ」と復 図 3 全資料がディジタルアース上に一括表示された状態 図 4 多数の女性の証言 図 5 被爆直後の空中写真との重層表示 図 6 現在の空中写真との重層表示 *2 http://hiroshima.mapping.jp/concept_jp.htmlした運動体が形成され,アーカイブを育み,記憶を継承 する活動を展開している.著者らはこれを「記憶のコミュ ニティ」と呼んでいる.
5.「記憶のコミュニティ」の進化
「ヒロシマ・アーカイブ」の公開後,広島の高校生達 はインタビューを担当し,得られたデータをディジタル アースにマッピングする作業は,著者と大学院生チーム が行ってきた.そこには,「データを集める人」,「コン テンツをつくる人」の明確なボーダーが存在していた. しかし 3 章で述べたように,「ヒロシマ・アーカイブ」 は HTML,JavaScript などのオープンな技術で構築さ れている.これらの技術は,高校生にも十分に習得可能 なものである.そこで著者らは,高校生達がアーカイブ を更新するスキルを身に付けるワークショップ(広島女 学院高,2014 年 6 月)を開催した. 著者は,高校生にとっては,Web 技術に触れる初の機 会であることを踏まえ,技術の詳細ではなく,一連の作 業のイメージをつかんでもらうことを重視していた.そ こで,XML ファイルの編集などの作業は,大学院生が 主に担当するように指示した. しかし,ワークショップ会場においては,想定外の状 況が生まれた.生徒達は,大学院生達に質問しながら, 率先して XML ファイルの編集を始めた(図 9).そして 被爆者とともに,被爆地点の推定とマッピング作業を, 和やかな雰囲気のもと行っていた(図 10). 被爆者,高校生,大学院生と著者らの全員が「コンテ ンツをつくる人」となった,進化した「記憶のコミュニ ティ」が現前していた.このワークショップ以来,「ヒ 興を遂げた「広島」が,同じ視野のなかで重ね合わされる. このことによって,遠い過去の出来事と,著者らが今目 にする街との「つながり」が表現され,実感が強まる. 加えて,「ヒロシマ・アーカイブ」は Web 公開されて おり,PC,タブレットやスマートフォンの Web ブラウ ザで,誰でも手軽に閲覧することができる.「ヒロシマ・ アーカイブ」においては,2011 年 7 月から本稿執筆時 点まで,130 か国から約 50 万ページビューのアクセス があった.つまり「ヒロシマ・アーカイブ」は,これま では手に取り難かった多元的な資料をまとめ,身近なデ バイスを通してユーザの手元に届けるという役割も果た しているといえる.4.「記憶のコミュニティ」
前章では「多元的ディジタルアーカイブズ」の技術的 なメリットを説明した.しかし,出来事の「実相」を後 年に伝えていくためには,異なる方面からのアプローチ も必要になる. どの技術にも寿命がある.フロッピーディスクなどの レガシーな記憶メディアが象徴するように,資料をディ ジタル化したとしても,必ずしも永遠に利用できるとは 限らない.「ヒロシマ・アーカイブ」などに用いているディ ジタルアースの技術も,将来において使い続けられると いう保証はない. 技術の寿命を超えて記憶を遺していくためには,その 記憶を「自らの言葉」で語り継ぎ,ミッションを後世に 伝える人々が必要となるだろう.そうした人々が存在し ていれば,時代とともに技術が移り変わったとしても, 記憶は継承されていくはずである. 「ヒロシマ・アーカイブ」の制作において,著者らは 広島女学院高等学校の生徒達と協力関係を築くことがで きた.彼女達はこれまでに,被爆者の証言の収録活動を 担当し,約 40 名にインタビューを行ってきた(図 7). 彼女達のインタビューに応えて,これまで被爆を「他言 したことがなかった」被爆者からも,次々と新たな証言 が得られた.こうした証言は,ヒロシマの「実相」を形 づくる,貴重なパズルのピースである. 高校生のインタビューを受ける被爆者の表情(図 8) は,悲惨な体験を語っているとは思えないほど優しく見 える.次代を担う若者達の真摯な問いかけが,閉ざされ ていた被爆者の心に訴えかけ,信頼関係をベースとして, 語りを生み出したのではないだろうか. アーカイブの制作者として,主体的に被爆者の話を聞 くことによって,証言についての記憶が,若者達の中に, より強く刻まれる.若者達は,自らがつくったアーカイ ブを使いこなしながら,ヒロシマの記憶を語るようにな るだろう.こうして「作り手」は「語り部」となってい くはずである. このように広島では,被爆者と地元の若者達を中心と 図 7 高校生による被爆者インタビュー 図 8 インタビューを受ける被爆者の表情ロシマ・アーカイブ」の記憶のコミュニティは,新しい フェーズに移行したといえる. このワークショップの手法をさらに発展させ,長崎市 民対象のワークショップ(国立長崎原爆死没者追悼平和 祈念館,2015 年 6 月),日本・アメリカの高校生・大学 生対象のワークショップ(国際連合本部・ハーバード大 学・ボストン公共図書館,2016 年 9 月)をそれぞれ開 催した.また,これらのワークショップにおいては,ディ ジタルアーカイブの利活用について参加者がアイディア を出し合い,企画案としてまとめるアイディアソンも実 施し(図 11),多様な企画が提案された. なお,これらのワークショップ実施にあたっては,大 学予算や助成金のみならず,クラウドファンディング*3 で集めた資金も活用した.支援者と資金をいちどきに募 るクラウドファンディングの枠組みは,「記憶のコミュ ニティ」をコミュニティ形成面,資金面の双方において 強化し,事業をより充実させている. 戦争・原爆をテーマとしたイベントは,特定のイデオ ロギーとひも付けられがちであり,ときに社会的な批判 を受けることもある.さらに,参加者の多様性を確保し づらいきらいもあるだろう.そこで著者らは,多様な意 見を包含し得るテクノロジーである「多元的ディジタル アーカイブズ」と,それを用いた共同作業を核に据え, 活動を展開してきた.このことによって,イデオロギー に束縛されず,多様な参加者と支援者を集めることがで きたのではないかと推測している. ここまで述べたように,「記憶のコミュニティ」のネッ トワークは,当初のコンセプトを継承しながら,時代に 合わせて進化し,世界に広がってきている.
6.報道機関とのコラボレーション
「ヒロシマ・アーカイブ」,「ナガサキ・アーカイブ*4」, 「東日本大震災アーカイブ*5」において,報道機関は, あくまで資料提供元の一つである.しかし,前章で述べ たワークショップ開催と前後して,著者らと報道機関の 双方がコンテンツ制作に主体的に関わる,コラボレー ションの機会が増えてきている. 報道機関は,取材内容を蓄積した独自のアーカイブを 保有している.これらのアーカイブには,各機関による 綿密な取材に基づいた資料が収蔵されており,過去の出 来事について検証するための貴重な参照源となっている [放送大学情報化社会研究会震災報道検証プロジェクト 12].さらに「多元的ディジタルアーカイブズ」の手法 を組み合わせることによって,報道機関のアーカイブの 価値を社会にアピールし,アーカイブの利活用のモティ ベーションを生み出すこともできると考えられる. 朝日新聞社との共同研究「東京五輪アーカイブ 1964-2020*6」では,朝日新聞フォトアーカイブが所蔵する, 1964年東京五輪当時の報道写真と,現在の東京の建物 モデルを重ね合わせて表現した(図 12).こうした報道 写真は,時代を独自の視点で切り撮ろうとする,報道機 関のメッセージを内包している.しかし,これらの写真 の文脈と実感は,時間の経過とともに薄れていき,1964 年と 2020 年の「ふたつの東京五輪」は,人々の意識の なかで断絶されているかもしれない.そこで著者らは「多 図 9 大学院生・高校生の共同作業 図 10 被爆者と大学院生・高校生の共同作業 図 11 日米の生徒によるアイディアソン *3 https://www.makuake.com/project/nagasaki-hiroshima-archive/ *4 htttp://nagasaki.mapping.jp/ *5 http://shinsai.mapping.jp/ *6 http://www.asahi.com/special/tokyo1964/元的ディジタルアーカイブズ」の手法を応用し,過去の 写真のリアリティを高め,断絶された二つの時代をつな ぐためのトリガーにしたいと考えた. 図 12 は,1964 年大会当時の五輪コンパニオン達を捉 えた写真である.背景には,現在の代々木競技場の 3D モデルと空中写真が,同じ画角で表示されている.この ように,過去の写真を,現在の同じ場所に同一視点で配 置することで,写し込まれた風景のリアリティを高め, 半世紀前の東京を生きた人々の「時代の気分」を表現し ようとした. さらに,「記憶のコミュニティ」の形成にも取り組ん でいる.「ヒロシマ・アーカイブ」と同じく,高校生達 による 1964 年大会関係者へのインタビュー活動が展開 され,記事がアーカイブに収録されている(図 13).こ れらの記事は,新聞記者のレクチャーを受けた高校生が, 報道記事のスタイルで執筆したものである. このことによって,現代のジャーナリストの報道手法 を,未来の社会に向けて継承することも企図している. プロジェクトへの参加校は徐々に増えており,2020 年 に社会人となる世代の若者達が,50 年前の五輪の記憶 を継承しつつある. 沖縄タイムス・GIS 沖縄研究室との共同研究「沖縄戦 ディジタルアーカイブ∼戦世からぬ伝言*7」においては, 戦況の変化に沿った人々の移動を可視化した.画面下部 のタイムスライダーを操作することにより,1945 年 3 ∼ 6 月における人々の移動軌跡が描かれる(図 14).例 えば,本島の北部・南部へそれぞれ逃れていく人,離島 から別の離島に向けて,米軍の船で移送されていく人, そして米軍に追い詰められ,摩文仁の丘周辺に集まって いく人など,沖縄戦の経過に沿った人々の動きが,ディ ジタルアース上のアイコンの動きで表現される. 岩手日報社との共同研究「忘れない∼震災犠牲者の行 動記録∼*8」では,震災犠牲者 1 326 人の,地震発生か ら津波到達に至る避難行動を可視化した.例えば,避難 所に指定されていた体育館へ避難していく多数の人々, 内陸から海岸に向けて,家族を救うために,車で移動し ていく人など,震災で亡くなった人々の,さまざまな行 動がアニメーションで表現される(図 15). これらのディジタルアーカイブの基盤となっているの は,新聞社の丹念な取材に基づく正確で多面的なデータ である.それらのデータを,人々に強い印象を与え,記 憶に留まるディジタルコンテンツとして公開することに よって,戦災・災害の実相に迫る手掛かりを,多くの人 に提供することができると考えられる. さらに,市民参加によるディジタルアーカイブの体験 会も実施され始めている(図 16,図 17).これらの試み は,参加者の興味を惹き付けるインタラクティブなコン 図 12 代々木屋内競技場とコンパニオン (写真:朝日新聞フォトアーカイブ) 図 14 沖縄戦における人々の移動の可視化 図 13 東京五輪 64 年大会関係者と高校生インタビュアー 図 15 陸前高田市における震災犠牲者の行動軌跡 *7 http://app.okinawatimes.co.jp/sengo70/index. html *8 http://wasurenai.mapping.jp/
テンツを活用した平和教育・防災教育として,好評を得 ており,長期にわたって開催される予定である. 本章で取り上げた事例は,報道機関のアーカイブと「多 元的ディジタルアーカイブズ」の手法を掛け合わせてつ くられたものである.その結果,アーカイブがもつ価 値を社会に向けてアピールし,その利活用のモティベー ションを生み出すことができたと,著者らは考えている. 今後も,こうした報道機関とのコラボレーションを展開 し,「多元的ディジタルアーカイブズ」の手法の確度を さらに高めていきたい.