ギャルブレイスの独占論
白 杉 庄 一 郎
∼・K.ギャルブレイスもまた名著﹃アメリカ資本主義﹄において、シュムペ工事ーの場合とほぼ同様の論拠から、﹁通説が大企業は独占によって社会的非能率と圧制とに導く﹂としたのに反対している。そのさい彼の理論の出発点となって
いるのは、古典学派的競争の消滅と大企業の支配という事実である。それでは、まず古典学派的競争とは何であるか。ギャルブレイスはいっている。アダム・スミスやリカードおよびJ・
S・ミルのごとぎ古典学派の経済学者たちは、競争という言葉の使い方において特に意識的ではなかった。しかし十九
世紀の終りごろになると、著述家たちは、それまでは暗黙のうちに認められていたものを一−競争はいずれの商業または
農業においても相互に情勢を知りあったかなり多数の売手のあることを必要とするということを はつぎりさぜはじめ
た。もっと最近においては、これは、多くの売手が多くの買手と販引するという考えに結晶させられてきた。各入は他の
入々が売買する価格によく通じており、誰でもが知っている相場︵餌σqO同口αq℃HμO⑦︶がある。最も重要なのは、どの売手も買手も、共通の価格を支配したり、あるいはこれに何ほどかの影響を与えたりするに足るほどの大きさをもたない、という
ことである。 ギャルブレイスの独占論︵自杉︶ 四七
四八
ちなみに、多くの売手があるが、そのうちの何人も価格に影響を及ぼすに足るほど大きくない場合には、どの生産者も
価格の引上げその他の操作によって追加的な牧入を獲得することはできないであろう。彼は費用を切下げることによって
のみそうすることがでぎるであろう。しかも彼は生き残るためにそうしなければならない。もし彼がそのための機会を等
閑にするならば、他の人々がそれを捉えるであろう。生産の能率を改善する機会が与えられるならば、それを捉える入々
や、彼らが業界の内外から引きよせる模倣者たちは、生産を拡張し、価格を引下げるであろう。残りのものは、このように して引下げちれた価格で生き残るために、最善の最も能率的な仕方に従わなければならないであろう。このようにして、事業上の生残にたいするダーウィン的斗争は、すべてのエネルギーを費用と価格との引下げに集中させるであろう。
それはとにかく、古典的体系が形をととのえつつあった十九世紀においては、イギリスの擾早しつつある綿業や炭坑業
や金属および金属加工業は、すべて多数の生産者によって分有されていた。各人の生産は、万人の生産にくらべて小さか
った。何人も共通の価格に大した影響を与えることができなかった。かくして十九世紀の古典経済学者の開拓者的構想の
なかに含蓄されていたような種類の競争は、非現実的なものではなかった。それは当時実存した世界を記述したものであ
った。その理論を定式化した人々は、その後一部の人たちの考えてきたごとく、現実を誤断したのではなかった。彼らは
実際的な人々であった。現在においても、ある産業の市場について、いかなる生産者一または売手一も価格に対し何らの影響力をももたな
いとするのは、一見したところで考えられるほど無稽の観念ではない。合衆国の小麦や棉花の栽培者にして、小麦または
棉花市場へのその貢献が、総供給にくらべて云うに足るほどであるようなものはないのである。
しかし現在では、合衆国の生産活動の大部分は比較的少数の会社︵8壱霞巴8ω︶によっておこなわれている。農業生産
や、多くの商業や、レキセィ炭の採掘やA衣料の製造などは、なお小企業の手中にある。しかし、それ以外の一すべて
ではないにしてもーー多くは巨大企業︵σq貯口鉾の支配下にある。私企業の勢力にかんする疑念の表現としてのシャーマン ⑥ 法の存在にもかかわらず、大企業は勝利してきたのである。
それでは、農業や繊維ならびに衣服工業やレキセイ炭坑業や製靴業などを除いた﹁典型的な産業が多数者から少数者の
手に移ってゆく﹂のは、どうしてであろうか。ギャルブレイスはいっている。 ﹁ある産業における所有の集中への傾向をある個人の征服慾︵冒℃霞一廻窪Φ。。一σq昌︶の結.果と見るのは、要点を見おとすものである。実際 は、その原因は深く根本的である。最大の利益が比較的小量の生産で実現されるような産業 農業、ある型の商業、および鉱工業のあ る少数の分野tの場合を別とすれば、ある産業への参入は、それがきわめて新しいものである場合にのみ、容易である。その場合には ⋮⋮どの志望者も組織と経験との利益をもっていない。何人もまだ比較的確実な地歩を築くにいたっていない。みんなが初心者なので、 みんなが小さく、資本必要額は何人にとっても大したものではない。︹ところが︺産業の成長とともに、すでに操業中の企業もまた成長す る。そうするにあたって、それらは大規模生産にともなうあらゆる技術上の節約を実現するし、成功した企業はまた、直接に牧益からか あるいは牧益を稼得することに対する名声から、将来の成長のための新資本を獲得する。これらの企業はまた⋮⋮経験のもたらす節約を 自分のものとする。⋮⋮その結果は、遅参者に対する消極的ではあるが非常に有効なハンディキャンプである。⋮⋮その結果、生産規模 のかなり大きな既成の産業においては、参入の自由といったものはない。反対に﹂時と事情とは結びついて、新企業の参入を阻止する。︹し かも︺参入が困難もしくは不可能になると同時に、既存企業数を減少せしめる傾向のある公力が作用しつづける。虚弱者は依然として、 特に不況時に、失敗し、消滅するであろう。好況は合併のための資金の調達を容易にし、強大な会社が膨脹し、弱小会社が売込むのを魅 ⑦ 惑的にする。かくして不況も好況も馬同様に、一産業におけ.る企業数を減少させる作用をもつ。Lこのようにしてギャルブレイスは、集中が一したがってその限りにおける競争の排除が一.産業進歩の必然的結果で
あると見る。いいかえると、寡占︵。謁8。な︶は産業進歩の必然的結果にほかならないと見るのである。 ① 冒ゲ昌図9器聾O卑町巴汗闇﹀ヨ。沽8昌O碧津呂。。ヨ⋮6冨088℃叶ohO2艮葺く巴ぎαq℃o≦①メ︵一〇認︶−器三ω9巴蘭島oP一8メ唱■。。■ 1この書物の表題に関.連して一言しておくと、ギャルブレイスは﹁資本主義﹂という言葉について次のごとく注意している。 ﹁企業 を所有する人々、または直接ないし間接にその代理者である人々が、決定に対する主要責任をもつということを意味するこの言葉は、 ギャルブレイスの独占論︵自杉︶ 四九五〇
幾年もの闘なんということなしに汚らわしいと見なされてきた。現在では、そのかわりにあらゆる種類の遠望語法が!すなわち自由 企業、個人企業、競争制度、価格制度などが一使用されている。 ︹しかし︺それらのうちのいずれも一層説明的であるという効果は もっておらず、いずれも同様に簡明であるわけではない。L ︵H寓α.も・躯●︶ ② Hげ凱こ℃℃■一Ul竃● ③H三皇署二。。1多 ④H三勉二b二㎝. ⑤H露侮.︸℃9蜀 ⑥H甑匙こや刈● ⑦H三島●噛竈●ωω1呂幽 二寡占は社会的能率を犠牲にするとされてきた。ギャルブレイスは古典学派的寡占批判をおよそ次のごとく要約してい
る。すなわち、生産者は今や自分の価格に対して相当の支配力をもつ。したがって価格は、もはや、能率的な人を選び、彼をして作業の最も能率的な方法と規模を採用させ、非能率的にして無能なものを駆逐する非個人的な力ではない。寡占
価格のもとでは能率的な生産者も非能率的な生産者も、暗黙の同意によって、有利かつ非能率的に生きることができる。したがって、そこにはもはや技術的進歩についての何らの確実性もない。一産業に多くの生産者がある場合には、そのう
ちの誰かが必ず革新に努力するであろう。そして開拓者は必ずや他の人々をして追随者たらしめるであろう。けだし、こ
の場合には進歩に抵抗することは没落することであるからである。しかるに一握りの生産者しかないならば、誰もが先鞭
をつけようとしないということがありうる。すくなくとも、すべてが一致して有利な停滞を選ぶ可能性がある。そのかぎ
り、売手が価格に対する支配力を獲得するに至った場合には、価格はもはや消費者需要の干満を反映しなくなる。すなわ
ち価格が少数の大企業によって暗黙裡に管理される場合には、価格はもはや自運に運動しなくなり、生産はもはや価格の
変化に対する自動的な反応を示さなくなる。需要の増加は旧価格での生産の増加をもたらすかも知れない。しかし、それ
はまた生産を以前のままにしておいて価格と利潤とをつりあげようとする決意にみちびくかも知れない。いずれにせよ、 いかに不完全にであろうと、産業の利潤を眼目として価格は設定され、生産は管理されると考えられなければならない。 そして、そのようにして設定される価絡は競争状態のもとにおけるよりも高く、結果する産出高は小さからざるをえない、 といわれる。このような寡占批判にたいしてギャルブレイスは、まず第一に、寡占価格は必ずしも競争価格より高いとはいえないと
考える。論拠とするところは、およそこうである。たしかに売手が少数である大抵の産業においては、まもなく、一企業
をしてある程度の指導者的地位を引受けさせる暗黙の了解が発展する。このような企業は、多かれ少かれ、当該産業の他
の諸成員に受けいれられるであろうところを考慮して、自分自身にとって適当な価格政策を見当だてる。他の諸成員はそ
の指導についてゆく。しかし、そのさい、需要の非常に強い場合は別であるが、そうでなければ、 一産業におけるどの企業でも価格の引下げに手をつけることができる。これは通常は他の諸企業をして追随するの余儀なきにいたらしめる。し
かるに価格引上げの場合には、これに追随することを強いる同様の強制はない。大シガレット会社のどの一社も、それ自
身の価格を引下げることによって、シガレットの価格を引下げることができる。しかし、それは、その価格を引上げるこ
とによって、同様に確実には、他の会社の価格引上げを期待することができない。独占にくらべて、寡占の利点とさるべ
きは、低い価格に最大の利益を感ずる会社が支配的地位にたっということである。
しかし寡占のこの種の利点は、非常に鳶職な限界内でのことがらにしかすぎない。ギャルブレイス自身もすぐあとに書
いている。 ギャルブレイスの独占論︵白杉︶ 五一 ∂五二 コ産業に少数の企業しかなく、その生産物がいちじるしく代替可能であるならば、一会社による価格の切下げは、いま述べたごとく 他の会社によって競争されざるをえない。さもなければ、より低い価格をもった会社は、短期間に仕事の不釣合に大きな分前を獲得し、 慣習や暖簾 ︵。o窃ロヨ興σqoo匹≦≡︶ の作用によって長期間にわたりそれを保留するであろう。他の企業はこれを妨げなければならな い。したがって攻勢的にして頑固な価格の切下げをおこなうものは、全産業の価格と牧益との水準に影響を与えることができる。もし彼 ががんばって報復行為を挑発するならば、それにつづく価格戦争は全体にとって破静的でありうる。費用あるいは何かその他の考慮によ って設定されて、価格がそれ以下に下りえないような点はない。切下げは競争されざるをえす、もし競争が徹底的に遂行されるならば、 全部が破滅せしめられうるであろう。⋮⋮このような災厄のかげに住む実業家たちは、少数の企業と市場を分けもつすべての企業のなす ごとく、協定によって自己を防衛する。L
寡占は、自己をカルテル化することによって、価格競争を制限ないし禁止するというわけである。してみれば、価格引
下げの期待によって寡占を弁護することは困難になる。もっとも、だからといって、寡占価格は必ずしも反社会的とばか
りはいえないところをもつ。ギャルブレイスは別著﹃価格統制の理論﹄において、価絡の公的統制が可能になるのは市場
の寡占形態を通.じてであることを明らかにしている。しかし価.格の公的統制なるものは寡占価格の欠陥に対応するものであって、寡占価格が価格の公的統制を可能にする側面をもつということは、それを弁護するための論拠たりうるものとは
⑫ いえない。いずにれせよ、寡占価格をもって寡占を弁護することは困難というほかない。 ③O巴訂巴傍ダ£.9叶二窓.心し。1念. ⑨H三負や.蕗. ⑩霧算層署・盆−愈. ⑪○巴耳巴登︾円冨oqoh勺同ざΦ08腫。押お窃N題二〇頃. ⑫ ギャルブレイスは﹃豊富な社会﹄のなかでも寡占価格の引上げが必ずしも容易でないことを強調している。 ﹁農業の場合のごとく多 くの生産者があって経済学者のいわゆる純粋競争の状態に近づいている経済部分においては、個々の売手は価格を支配したり、これに影 響を及ぼしたりすることがない。そこでは価格は需要の増加に対潤して自動的に騰貴するであろう。しかるに典型約な産業市場一鉄鍔.機械.石油、自動車、たいていの非鉄金属、化学製品iに方いては比較的少数の大会社が、あれやこれやの仕方で、価格設定に ついてのかなり大きな自由を享有する。ししかしながら﹁特徴的な産業市場一寡占と管理価格のそれ一においては、需要の増加は会 社の価格を変えようとする特別の決意によって補足されなけれぽならない。ところが、この決意はさまざまの理由からして延引される ことがある。﹂ たしかに﹁管理価格産業の価格は何らかの過剰設備と需要低下とにもかかわらず騰貴しうるけれども、かかる運動の範 囲は誇張されてはならない。過剰設備は、もしそれが著しければ、ある企業が続けることができなくなったり、あるいは後には秘密の 価格切下げに訴えたりするの危険を高めるであろう。この危険は短期利得を極大化するために価格を引上げるの知恵について疑いを強 め、そうすることに対する躇躇を高めるのはたらきをもつであろう。需要か低下しつつある場合には、かかる価格引上げの長期的結果 についての同様の恐らくはより強い恐怖があるであろう。行為は思いとどめられなければならないであろう。﹂ ︵O巴び錘津戸目ゲΦ︾頃1 ﹃Φ三ω09①爵=8c。”℃℃.N区−巴9巴ρΣc。・︶ しかし、ここでもギャルブレイスは寡占価格を単純に肯定しているのでもなければ楽観しているのでもない。彼は寡占経済下におけ るインフレーション的傾向の根因とされるのが普通である﹁賃金と価格との悪循環﹂︵≦自・σqΦ壱旨Φ畳邑︶が虚構であって、生活費の 上昇にともなう賃上げ要求が、寡占価格引上げの口実として利用されるにすぎないと見ている。 ︵H玄山こ署.ΣOl器P︶ 三
ギャルブレイスによれば﹁典型的なアメリカの産業、すなわち一握りの大企業によって先取りされた産業における誘因
は事実において、最低価格による最大産出量という方向にははたらかない。⋮⋮個別企業の市場力は、与えられたいかなる 時点においても、ある産出量に対してより高い価格を獲得するために使用され、その結果、その産出量は理想とされるより ⑬ も小さいのである。しかしながら、このような非能率の多くに対する一大補償がある、そしてそれは技術の変化である。﹂こう塾って彼は、寡占を弁護するための一層重要な論拠として、それが技術の発達に有利であるという事情をもちだして
いる。 ギャルブレイスによれば、 ﹁比較的少数の大企業によって分有される産業においては、価格競争を排除する協定は、抜 ギャルブレイスの独占論︵白杉︶ 五三五四 ⑭ 術革新︵器島巳。覚=言。奉貯隔。巳を抑制しない。技術革新は市場競争の重要な武器として残る。﹂けだし彼の見るところによ れば、﹁少数大企業の近代産業﹂は﹁技術的変化を誘発するための殆んど完全な用具﹂であって、﹁按術的発展の資金を調
達するための美事な装備をもち﹂、かつ﹁その組織は発展を引受け、それを利用するための強い誘因を提供する﹂。そし
⑮て、これにくらべると﹁競争的モデルの競争は殆んど完全に技術的発展を排除する﹂として、彼はおよそ次ぎのごとく書
いている。 技術的変化は、隣人を幸福にするために機智を行使するよう競争によって強制される平凡な人間の比類のない発明力の産物であるとい うほど、愉快な作り話はない。不幸にして、それは作り話である。技術的発展は、すっと以前から、科学者の領分となってきている。廉 価にして簡単な発明は、露骨にいえば、出つくしである。発展はいまや世間ずれして高価であるばかりでなく、さらにそれは成功と失敗 とがある程度平均するに足る規模でおこなわれなければならない。したがって、それは相当の大きさと結びついた資力をもつ企業によっ てのみ実行されうるということになる。そのうえ一企業は、市場を十分に分有しないならば、発展のための大支出を引受ける誘因をもた ない。実際上、秘密や特許保護が開拓者にかなりの刹益を与えて、模倣されえないような革新はきわめて少い。したがって競争的モデル の競争者は、彼の革新がすぐさま復製され模倣されると予期しなければならない。新しい生産物であれ、あるいは旧生産物を生産する費 用を引下げる新しい方法であれ、変化は、彼が無限に小さな分前をもつにとどまる市場に拡散せしめられるであろう。発展のための費用 を負担してこなかった模倣者たちは、開拓者とともに利益を得る。そして、まもなく価格は自己を調整して、革新者の利益を排除するに いたるであろう。彼はかくして彼の模倣者と同じ平原につれもどされる。してみれば、純粋に競争的な市場において何らかの既成の技術 の急速な普及を保証する機構そのものが、技術的発展そのものへの誘因を消去するということになる。それは開拓者に対して、有効な特 許保護のおこなわれる稀な場合を別とすれば、先発にともなう一時的な報酬を残すにすぎない。発展のための費用が多額である場合には 開拓者の牧益がその費用を償うに足ると考うべき理由はない。反対に、発展の費用が増加するにつれて、それの回牧される見込はだんだ ん少くなる。変化に必要とされる科学と技術との水準が高ければ高いほど、競争的モデルに合致する産業はますます静止的になるであろ う。これに反し、比較的少数の大企業によって分有される産業においては、技術革新は市場競争の重要な武器の﹁つとして残る。模倣が予 想さ九なけれ慧ならないが、価格競争を制限する協定は、また、新しい生産物からであ九、費用を低減させる革新からであれ、少くとも一期間、革新麗ならびにその競争者に牧益の生ずるのを保証するであろう。市場力の存在.は、この期間をある程度統御することを可能な らしめる。企業をして価格に対し何らかの影響力をもたせる力は、発展のための支出が回牧される以前に、それから結果する利得が、発 展のための費用を全然負担してこなかった模倣者によって、公衆に移譲され.てしまうことのないように保証する。かくして市場力は技術 的発展への誘因を保護する。これを要約していうと、一産業が進歩的であろうとするならば、そこにはいくらか独占の要素がなければな ⑯ らない、ということになるのである。
ここに導きだされている−1産業の進歩のためにはいくらか独占の要素が前提されなければならないというi−結論は
ギャルブレイスが寡占という形態における独占を肯定する積極的な論拠の中核をなすものと見てよい。それは、すでに早
くシュペーターの示唆していた論拠の一つであった。そして、この点にかんするかぎり、ギャルブレイスの理論はシュム
ペーターの理論の展開と見てよい。彼は進んで述べている。 経済学者たちは長いあいだ単一の企業による一産業の支配を痛罵してきたが、それは、かかる企業は生産ばかりでなく進歩をも抑えつ けるであろうと信じてであった。実際それは革新に金を論うどころか、既存の設備投資を防衛するために特許を抑圧しさえすることがあ る。しかし独占体の行動にかんするこのような見解は全面的な誤りではないかも知れないが、シュムペーター︵ω。げロ旨℃o盆きO⇔官邑一し・旨. ωo。芝蹉日§伍∪Φ日。。冨。∼竈二21δ挿︶が論じているごとく、つねに潜在的な代替物が存在し、技術革新が他のどこかで進行しつつ ある世界においては真実性が乏しい。誤りは、一産業の全産出量を所有する単一企業の行動でありうるものを、一産業の産出量を分有す る少数企業の独占力の帰結にまで一般化することから結果する。たしかに価格競争を禁止する協定が、少数の産業においては、技術革新 にまで拡張されることがある。しかし技術革新を禁止する協定を維持するには、いちじるしく包括的な形態の共謀が必要である。これは 困難でもあれば、法律的に危険でもある。寡占は進歩を保護するといえぱ言いすぎであろうが、企業数が少い場合には技術的発展が商業 的競争の一つの用具であることは肯んど確実である。広告や販売術と同じく、技術的発展は相互に一破壊的というよりはむしろーー安 全な方法であって、それによりどの企業も少数の有力,な競争者に対して自己を前進させることができる。そのうえ進歩を大いに尊重する 社会は、技術革新に対する体系的な抑制にとっては非常に不都合な環境であって、そこでは技術的進歩は企業威信の重要な源泉である。 全くのところ、アメリカの事業会祉は非進歩的であるという評判には堪えられないのである。かくして寡占が理論上も変化への方位を強 ギャルブレイスの独占論︵白杉︶ 五五五六
ぜ くもっているということは、ほとんど疑いのありえないところである、この種の寡占理論はまた、ギャルブレイスによれば、経験の実証するところでもある。ωまず自由競争的生産者の典型
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へに最も近いアメリカの農業者は、自分自身のための調査研究などは殆んどおこなわないといってよい。今日では、農業に
おける技術的発展は主として州立試験所と合衆国農務省とに依存している。もし政府の援助する研究と、それを補足する
大企業のそれとがなかったならば、農業においては技術的発展はなかったであろう。個々の農業者が研究に必要な化学者
の一団を抱えていたりなどできるものではない。また研究費を負担することのないどの農業者も、その成果だけは速かに
これを利用するであろうから、どの農業者も直接研究を試みることによって利得するところは殆んどないであろう。②競
争的モデルに非常に近いことをもって特色とするその他の産業も、殆んど例外なしに、研究と技術的発展とを欠如してい
ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へるに近いといってよい。一握りの非常に大規模の操業者を除くレキセイ炭業、少数の非常に大規模の工場集団を除く綿
へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ業、衣服工業、製材業、製靴業などは、殆んど研究をおこっていない。それらはいずれも抜術的に進歩的な工業とは考え
られていない。㈲競争的な石炭業は危険で不快かつ不健康な産業であるばかりでなく、非能率的な産業である。そして石
炭生産の技術を向上させようとする最近の努力か斯業の協同的努力を要請してきたということ、および石炭液化という重
要事業が政府の後援のもとに進められているということは、競争のもつ技術的制限を証明するものとして重要である。㈲
ヘ ヘ へ最後に建築業には何者という個別企業がある。ほとんどすべてが小規模で、典型的な建築業者の資本は悪罵ドルから数千
ドルというところである。彼らは家屋所有希望者にたいして市場力を対立させることが軽んどない。建築活動が極度に旺
盛な時期を除けば、彼らの間には攻勢的な競争がある。にもかかわらず、アメリカ資本主義のどの部分も住宅建築業ほど
⑳
プライドを喚起することの少いものはないのである。かくしてギャルブレイスは結論している。﹁統計によって確認され
競争的モデルによって非難されるアメリカ産業の市場集中は、詳しく吟味してみると、技術的変化に好都合であることが
分かる。競争的モデルの価格と産出量との理想的均衡を達成するためには、殆んど確実に、その変化を断念しなげればな
ゆ らないであろう。L以上、ギャルブレイスが寡占という形態における独占を肯定する積極的な論拠の一つとして強調しているt寡占はけ
っして産業技術の進歩を阻止するものではなく、むしろそれを促進するものであるという一結論そのものには、さしあ
たり異論はありえないであろう。しかし寡占のもとでの産業技術の進歩は何によって可能であり、何によって保証される
のかと反問してみると、彼の議論にも疑問の余地がないわけではない。なるほど彼もある個所では寡占と技術的発展との
関係について次ぎのごとく述べている。 ﹁寡占によって特徴づけられる産業は、 一企業によって支配される産業よりも進歩的であろうと考えるべき理由がある。⋮⋮市場に一企業以上が存在する場合には、一企業を他の企業と対抗させて漁夫
ゆ
の利を占める機会がある。⋮⋮企業数が減少して一つになる場合には、かかる機会は突如として消失する。﹂ これによって見ると、ギャルブレイメも、少数の大企業が競争するところに進歩が可能となり保証されると考えていたのであろうと
推測される。少くとも、そういう側面にも気づいていたのであろうと推測される。しかし彼の議論の本筋は、少数の・大企 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 業の企業規模の・大きさそのものが、産業技術の進歩の原動力であると考えるところにあるように思われる。しかし企業規模の大きさは、独占段階における技術革新の必要条件ではあるが、十分な条件とはいえないであろう。独占段階における
ヘ ヘ ヘ ヘ へ 必要にして十分な条件は、独占的競争ということにあるのでなければならない。 ⑬Ω巴訂臨登︾ヨ①は。碧09℃臣房β箸.c。α一。。ρ@@@@
同げ達。一や○。c◎■ Hぴ箆.一ワ。。ひ・ 害峯一唱喝・c。㎝一。。c。● H露伽こやや。。c。18。 ギャルブレイスの独占論︵白杉︶ 五七五八 ,aj・@ @ @ @ @ Hげ達こもや810一■ Hび達こやO一. Hげ置こや8・ Hぴ己こ℃■一誤● Hび凱こや譲. 凄賦こや=㎝. 四
以上のごとくギャルブレイスは、寡占としての現代の独占はけっして経済進歩と両立しないようなものではないという
ことを強調している。この議論に対しても我々は、シュムペーターやドラッカーの場合に指摘したと同様の問題を対立さ
せることができる。しかしシュムペーターやドラッカーなどとは異なって、ギャルブレイスは現代の独占の進歩的肯定的
な側面を指摘するだけでは安心でぎなかったもののようである。いいかえると、彼は、寡占が、それのもつ重要な社会的
能率にもかかわらず、それでもやはり現代における私的独占の代表的な形態として、どのようにしても避けることのでき
ない反社会的なところを残さざるをえないということに気づいたもののようである。この推測を根拠づけるものとしてよ
ヘ ヘ ヘ ヘ へかろうと思うのであるが、彼は、他の独占肯定の理論家たちの場合とは異なり、独占の弊害を除去ないし防止しうる事情
をさがし求めている。それは﹁対抗力﹂︵8§湧く巴ぼσq℃。毒目︶とよばれている。対抗力は、その理論の本筋からいえば、 独占弁護の論拠をなすものとはいえない。それはむしろ独占の否定面にかかわるものといわなければならない。ギャルブレイスの見るところによれば、競争を阻害ないし破壊すると同じ集中過程は、市場の反対の側に、すなわち競
争者の澗ではなくて、顧客または供給者の問に、競争にとりかわって、私的な力を抑制する新しい力を出現せしめる。こ
⑳ の力を彼は対抗力と名づける。対抗力の成立過程は一般的には次ぎのごとく説明される。 ﹁比較的少数の企業の手中への産業企業の集中にむかう長期的傾向は、経済学者の考えてきたように、単に強い売手を生みだしてきた ばかりでなく、さらに、彼らの見おとしてきたところであるが、強い買手を生みだしてきた。二つは、寸分たがわぬ歩調においてではな くて、疑いもなく一方が他方に反応するというような仕方において、あいともに発展する。ある売手がある程度の独占力を享有し、その \ 結果としてある程度独占牧益を牧得しつつあるという事実は、彼の買う相手方たる企業、または彼の売る相手方たる企業にとって、搾取 に対し自己を防衛しうるような力を発展させる誘因があるということを意味する。それは、また、それらの企業がそうすることができる ならば、相手方の市場力︵Bp時葺℃。≦霞︶ の分け前の形で報酬が得られるということを意味する。このようにして市場力の存在は、そ ⑰ れを中立化する異なった立場の力の組織化への動因をつくりだす。﹂ ﹁競争の存在しない場合に行便される市場力は、かかる力の行使を除去する競争者を招致するであろうというのが、つねに、競争にか ヘ ヘ へ んする基礎的過程の一つであった。独占的地位の利潤は、競争者を鼓舞して、分け前を得ようと試みさせた。換言すれば、競争は自生的 規制力︵鋤ωΦ嗣−σqΦ⇔Φ鑓凱ロσqおσq信ド8q幽。容①︶ と見なされた。市場が少数の大規模の売手によって先取され、新企業の参入が困難とな り、既存の諸企業が価格競争に対する協定を受容した後も、これが事実そうであるかどうかについての疑問は、規制機構としての競争に対 する信頼を破壊した。⋮⋮市場の一方における力は、他方からの対抗力の行使に対する必要と、これに対する報酬の期待とを作りだす。こ ⑳ れは、一般の準則として、我々は、経済力に対する拘束として現われるべき対抗力をあてにすることができる、ということを意味する。﹂ ﹁ある特定の生産物を生産・加工または配給する過程のどこかで、一企業または少数の企業がます強い市場地位を確立することに成功 するならば、それらは原初的な市場力の所有者であると見なしてよい。それらの支払ったり請求したりする価絡に対するそれらの力の結 果として、それらは正常以上の利鞘と利潤とを獲得することができる。これらの利鞘や利潤は、より弱い供給者や顧客の犠牲によって得 られるものである。これは古くから自由主義者たちによって恐れられてきた、そして同様に盲くから経済学者たちによって非難されてき た独占的地位であるが、彼らの本能は健全であった。対抗力はかかる強力な地位をーーそれが供給者によって保有されるのであれ、顧客 ⑲ によって保有されるのであれ 侵略して、より弱い集団の地位を救済する。﹂
右のごとくギャルブレイスは、寡占による一それのもつ種々の社会的能率にもかかわらず残さざるをえないl−私的
経済力の行使を防止するものとして、対抗力なるものの作用を強調している。彼の見るところによれば、寡占はみずから
ギャルブレイスの独占論︵白杉︶ 五九六〇 ⑳
この力を生みだすことによって ギャルブレイスによれば﹁対抗力もまた自生的な力である﹂∼独占にともないがち
の社会的非能率と圧制とをみずから排除する。対抗力がこうした機能をもつものと見られるかぎり、その理論もまた独占
肯定の理論と見られて不可ないであろう。もちろん対抗力からは独占の積極的な効果が結果するわけではない。それはた
だ独占の否定的な側面を除去ないし防止するにとどまる。そのかぎり、その理論は、独占肯定の理論としては消極的なも
のだといわれなければならない。しかし、それにしても、対抗力によって独占の否定的な側面が排除されるならば、それ
の肯定的な側面が前景に現われてくることになるであろう。そのかぎり、その理論は独占の肯定と無関係ではない。しか
し対抗力理論が独占弁護論に帰着してゆく過程については、稿を改めて若干くわしく検討してみることが必要であるよう
に思われる。 ⑭ 拙稿﹃シュムペーターの独占理論︵最近における独占肯定の諸理論、その一︶﹄ ﹃彦根論叢﹄昭和三十四年三月、 ﹃ドラソカーの独 占論︵最近における独占肯定の諸理論、その二︶﹄同上、昭和三十四年七月。 なお二見昭﹃アメリカにおける資本主義弁護論の批判﹄ ﹃講座近代経済学批判﹄W︵一九五七年︶二六四−五頁参照。 ㊧ ﹃アメリカ.資本主義﹄にさきだつ別の論交でギャルブレイスは反トラスト法に関連していっている。 ﹁反トラスト政策の最後の問 題、そして三〇年代の理論的業績が特に明らかにしてきた問題は、それが寡占に十分に接触することができないということである。⋮ ⋮いかなる場合にも、寡占が単一会社の独占︵。・ぎσqδ丁令日日。口。巳団︶よりも本来的に有利な社会的結果をもつと考えるべき理由は、 アプリオ⋮リにはない。⋮⋮寡占者︵o=σQo℃9聾︶は、 一般市場に影響を及ぼす力を彼に与える事情から逃れることができない。⋮・: このことが認められるならば、反トラスト法が寡占と取りくむようになることが、独占の場合と全く同じように重要である、あるいは 一層重要である。けだし集中にかんする統計からして⋮⋮寡占は合衆国における産業市場の支配的形態と見なされなければならないと いうことが明らかであるからである。寡占的価格政策は、純粋独占のそれと同じような結果を与えるにしても、売手の間の明示的もし くは暗黙の共謀が証明されないかぎり、おそらくは反トラスト干渉をまぬがれる。﹂︵○巴耳茸岳讐ζo o℃oζp口説↓ゴ①08。Φ昌霞餌江090h 国oo8日8勺。毛Φ5諺。っ霞く①畷。︷Ooコ8ヨ唱。餐蔓団88ヨ等∫Φ﹄二∪団甲りQっ.国昭∫くorゴ一〇お︸℃.=。。闇都留重人訳監修﹃現代経済学 の展望﹄理論篇1、一九五一年、九三頁。︶ ・もっとも、彼はここでも次のごとくつけ加えている。 ﹁独占や寡占がつねに老衰や現状︵ω汁㊤けqQ自 ︵門βO︶の保持を育成するというのは 真実ではなく、反対がしばしば実際でありうる。独占的もしくは寡占的な会社は、ほかではなく、ただそれが費消しうる多くの資金か 得られそうたというだけの理由からだとしても、研究により多くの資金を費消しがちである。そのうえ、会社が全産業との関係におい て大規模であるところがら、たとえ革新が産業一般によって専有されても、 ︵例えば︶新製品の市場に対するその分け前は依然として .多大であろうし、また生産費の低下による利益は一同様に一般化されても−新しい寡占的均衡のうちに永久化される機会が多い。 これらの条件はいずれも純粋競争に近い状態のもとでは妥当しない。﹂ ︵H三αこ℃ワ=O一口P訳九五頁。︶ これは﹃アメリカ資本主義﹄において詳しく展開されている思想の繭芽形態である。しかし、この思想が全面的に展開された場合に も、この論文に見られる反トラスト法に対する支持は、著者の意識に少くとも潜在していたわけであろう。 ⑳O巴び冨搾r>ヨφユ。き09。豆或ジβづ.一F