• 検索結果がありません。

『三四郎』論への一視点

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『三四郎』論への一視点"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

-56-. I

( 注 1 ) 三好行雄民は'越智治雄氏の「﹃三四郎﹄の青春」に関して, 越智氏の論は独創的で'卓抜な三四郎論である。本稿も多くを 負-ていることを断っておかねばならない。 ( 注 2 ) と述べているが'越智氏の論を受け'それを三好氏が発展させた論 に'∧画>の問題がある。 美祢子が「自己空目春をいわば画像の中に封じ込め」たことは, 「7つの未来の決定である。」とする越智氏の論を発展させて,三好 氏は'「青春の見切りないし断念の時期は、美祢子の結婚以前にあ ったはずで」、「肖像画の選ばれたとき」であると指摘している。 ところが'この両説から考えると'美祢子の肖像画は,三四郎と出 会ってすぐに書きはじめられ'その時すでに美祢子は青春を断念し た と い う こ と に な る 。 こ の よ -な 点 に つ い て ' 内 田 道 雄 氏 は , 「 承 ( 往 3 ) 服しがたいものを残す」と指摘している。そして,重松泰雄氏も, 時間的にあまりにも早いその断念は不可解であるし(中略), もしもそうでないとすれば、彼女が三四郎とのみ共有する画の 構図の意味ほど-理解すべきであろ-か。多少の疑問が残る。 ( 注 4 ) と述べている.重松氏は'越智氏の論に対してのみ,先のような指 摘をしているのだが'三好氏の論をも含めて'三四郎との最初の出 会いの時を'画の構図の決定時として'その時を美祢子望円春の断 念した時とするのほ'時間的に早くど-しても納得する^)とがで きない。 そこでまず画の構図について考えることにする。1般的聖二四郎 と美祢子の最初の出会いには、「1日惚れ」があったと考えられて ( 注 5 )                                                       ( 注 6 ) いる。第十章で'画の構図を美祢子は三四郎に確認しており,広田 先生望芸せれば'﹃そんな図はさ-面白い事もないぢゃないか﹄ という画の構図も'美祢子自身- 「当人」_の希望である・美祢子 の希望によって書かれた画は'美祢子の三四郎への気持ちの託され たものであることは'1見疑-余地がないよ-に思われる。 ) . + 'J ・ , I .? . / ' ・ T. ・ T T ' ・ r T , , 甥 。 d T I T -蔓 , r i . 7 -f : I . ? I I . I . r -: r I 千 、 ・ . ( . I : . 表 : ; 肇 . 1 憎 : . 1 L I i . I " 、 慧 可 J J T = 7 湖瑠潤讃瑠璃調凋瑠璃湖濁篭 一 J . ・ . J   ・ 、       l 澗遇欄腰憾湖濁欄潤濁欄碩淵腰涌 ヽ   七       一 ゾ

(2)

- 57 -広田先生の夢の話に即して'美祢子の書かせた画を解釈すれば' 三四郎と美祢子との最初の出会いには、「1日惚れ」があったとし なければならない。しかLt はたして実際の三四郎と美祢子との出 会いには'そのよ-なものがあったのであろ-か.三四郎は岡の上 に立っていた美祢子に「奇麗な色彩」を感じたのであり'この時の 美祢子の姿にひかれたと考えられる。では美祢子ほど-なのか。女 が嘆ぎながら来た花を'三四郎が後で拾って唄いでみるが'「別段 の香もなかった。」とい-ことから判断して'重松氏は'「すでにこ れは'多少とも三四郎を意識したポーズとも取れなくはない」と指 摘している.確かに「別段の香もな」い花を'わざわざ「嘆ぎなが ら来」たとい-のは'不自然である。又'第六章町運動会に来てい ( 注 7 ) た二人の会話や第三章の三四郎と美祢子が病院の廊下で出会った場 ( 注 8 ) 面から判断して'美祢子の「さ-。実は生ってゐないの」とい-言 葉も三四郎を意識してわざと矧いたとも考えられる。これらの行動 を美祢子が'「三四郎を意識した」ものであったと考えたならば' すで聖二四郎が自分をみているとい-ことを知った時∼三四郎と 目が合- l 前 - から'いろいろと三四郎を患識して'行動していた ということになるだろう.三四郎は「岡の上に」いた美祢子をまず 見たのであり'「坂を下りて来る.」のも「矢つ張り見てゐた。」ので ある。1体美祢子はいつ三四郎から見られているとい-ことに気が つき'意識したのであろ-か。その上'なぜ美祢子は三四郎を意識 した行動をとったのであろ-か。三四郎が自分を見ているというこ とを知った上で、先のよ-な行動をとったのであろ-か。それとも' 少な-とも三四郎と目を交わすまでの美祢子の行動は'偶然三四郎 を意識したかのよ-な行為に見えるだけなのであろ-か.三四郎と 美祢子の最初の出会いの場面で'「一目惚れ」が起ったとするなら ば ' 一 体 ど こ で 「 1 日 惚 れ 」 と い -よ -な も の が あ っ た の だ ろ う か。美祢子の言動が、三四郎を意識したものであり'それがなおか つ「一目惚れ」であったと解釈するには'池の縁に坐っていた三四 郎に岡の上に立っていた美祢子が'「1日惚れ」したとしなければ ならない。はたして'. ′美祢子は池の縁に坐っていた三四郎を岡の上 か ら み て ' 「 l 目 惚 れ 」 と い -よ -な 意 識 を し た の で あ ろ -か . そ れとも'自分の方を見ている男性がいるとい--らいの軽い気持ち でいたのであろ-か。もしこの程度の意識しか美祢子になかったな ら、美祢子の言動は'わざと三四郎の気を少しひいてみよ-とい-ような意識的な行動であったと考えられるのではないだろ-か。最 初の出会いの場面における美祢子の行動は'解釈によっては美祢子 の単なる思わせぶりな行動とも受けとれるのである。ところがこの ように考えた場合'画の構図の持つ意味ほどのよ-に考えればよい のであろうか。画を残したのは'三四郎でな-美祢子なのである。 普通'広田先生の夢の話と画の構図は'結びつけて考えられる が'その画の構図となった最初の出会いの場面との結びつきは'あ まり問題にされないよ-だ。しかし'三四郎と美祢子との関係、そ して美祢子とい-女性を考える上で'最初の出会い場面は無視でき なi。画の構図は何といっても画であり,広田先生の夢は何といっ てむ夢なのである。そして、現実は三四郎と美祢子の最初の出会い

(3)

- 58 -における二人の行動である。現実の出会いから判断してみて'三四 郎と美祢子の最初の出会いには必ずしも「1日惚れ」があったとは 解釈できない.その上'後で触れるが'すでに結婚したいと望んで いる野々宮とい-男性がいながら'三四郎に「1日惚れ」したとい うことも全面的に受け入れられないのである。 次に画の構図の決定された時期について触れることにする。三四 郎との初めての出会いに続いて美祢子が画の構図を決定したとい-・)とは'昇祢子の「あの服装で分るでせ-」という三口によって判 断されている。本文中に'登場人物の言葉としてはっきり書かれて いる以上'美祢子のこの言葉を否定することができない限り'一応 この言葉はそのまま受け取らざるを得ない。しかし'ここで考えて おかねばならないのは'この言葉が本文中において画の構図の決定 された時期が'三四郎との出会いに続-ものであると判断できる唯 1 の 手 が か り に な っ て い る と い -こ と で あ る . と い -こ と は ' こ の る。それゆえに'「あの服装で分るでせ-」とい-美祢子の〓呂の みによ1って'画の構図の決定された時を判断することは'少々ため らわれる。そして'前述したよ-に最初の出会いにおいて'「1日 惚れ」ということが美祢子にあったのかとい-ことにも疑問がある 以上'最初の出会いの直後から画を描き初めていたのだとい-美祢 かろうか。 三四郎と美祢子の最初の出会いに'「1日惚れ」があったのかと い-ことには疑問があり'美祢子が野々宮との結婚を望んでいたこ とも事実であろ-。しかし'ここで断っておかねばならないのは' それにもかかわらず三好氏も指摘しているよ-に'「三四郎への愛 は美祢子の中に確実にあった」とい-ことである。(「愛」と表現す るよりも'むしろ重松氏が指摘している「情念のたゆたい」とい-よ^なものであろうが。)だから、いつ・どのよ-な動機によって' 画が描かれたとしても結果的には'重松氏も指摘しているよう紅 「三四郎への愛の形見」にはなったであろう。 画の構図・画の構図の決定時期については'前述したよ-に、そ れぞれ疑問点があるのだが'最も大きな問題は画の構図の決定を下 ′ されたのが'三四郎との最初の出会いの直後で虜り'その時を美祢 子の青春の断念した時とすることなのである。それでは'美祢子が 青春を断念した時期はいつなのかo この問題を考える前に'美祢子 の青春を考える意味で'彼女が結婚を望んでいた野々宮の存在を少 し考えることにする。 三好氏は「三四郎」の三角関係に関する論の中で、野々宮と美祢 子の関係について' 三四郎と野々宮とdライバル関係がたとえ現実に存在したとし ても'(中略)三四郎の想像・美祢子の断片的な暗示・よし子 や与次郎の冗語などによってのみ'綴られるふたしかな妄想と も見え' 、 増 ' ・ 顎 . 欄 . r l : A . I . I . : . / T r . T ' T . -. ( . . . . . . . T ・ T r . T . Y . ぶ . 1 . 議 4 . 3 . U q = 尋 .

(4)

- 59 -と述べている。ここでは'三角関係について考えるのでほない。た だ野々宮と美祢子の関係を本文中から読みとってい-上でのことを 考えて少し触れてお-。三好氏は'野々宮と美祢子の関係は「ふた しかな妄想」だとしているが'必ずしもそ-いえないのではないだ ろ-か。確かに、野々宮と美祢子の関係は'二人の言動'そしてよ し子や与次郎の会話などからのみ判断できるだけである。たとえ ば'「三四郎の想像」とい-点に関しては'.野々宮や美祢子の態度 ・会話などを見たり聞いたりして'三四郎がどのよ-に想像して も、それは三四郎の自由である。それなら読者はどうなのか。この 作品は三四郎の視点を通して描かれている以上へ読者は三四郎の視 覚・聴覚によって'見たり聞いたりされた野々宮と美祢子の言動を 読み、その上で自由な想像ができるはずである。よし子や与次郎の 会話も必ずしもすべて冗語としてほ受け取れない。それゆえに'野 々宮と美祢子の関係をすべて「ふたしかな妄想」であるとは'判断 できないのではなかろ-か。 野々宮と美祢子の関係に関して'三四郎に疑問を持たせることに なる二つの伏線が'三四郎と美祢子が初めて出会った日の帰り、再 び出会った野々宮にすでにみることができる。一つは'野々宮の隠 袋からはみ出していた封筒の手境であり'も-一つは野々宮の買っ たリボンである。この美祢子の結んでいたリボンは必ずしも'野々 宮から贈られたものとは限らない。野々宮が買ったリボンは'もし かするとよし子に買ったものであるかもしれない。しかし'よし子 ∫ のために買ったとい-ことがはっきり読みとれない以上'-ボシを 買って美祢子に贈ったとい-ことも否定できないo 封筒の手鏡も-ボンも単に'三四郎の「ふたしかな妄想」でな-'野々宮の隠袋か らはみ出していた封筒は美祢子からのものであったかもしれない Lt-ボンも野々宮から贈られたものであったかもしれない.両方 とも全くそ-ではないと否定することもできない。 この二つの伏線は'三四郎が野々宮と美祢子にそれぞれ初めて出 会 っ た 日 1 同 日   -  に 起 っ た で き 事 と し て ' 書 か れ て い る こ と は 無視できないのではなかろ-か.この二つの伏線にほど-いう意味 があったのであろうか。.ただ'野々宮への娯拓によって'三四郎の 美祢子への気持ちを現わすためのきっかけとなるものなのか'三四 郎と美祢子が出会-前からの野々宮と美祢子との関係を現わしてい ー るのか。とにか-野々.宮と美祢子との関係は'美祢子の青春の断念 とい-ことも含めて兄のがすことはできないようである。 三好氏は'美祢子の結婚を「かれらへの痛烈な批評がある」と Lt美祢子白身の「主体的な選択」であったと指摘している。これ に対し重松氏は' 野々宮のもとは彼女の「行きたい所」ではなかったのだろう か。(中略)美祢子の暑姫は(中略)'少な-とも美祢子の< 心内Vにおいて,それが1つの挫折であった可能性も大かい. と指摘している。美祢子の野々宮への気持ちは'第五章の菊人形の ( 注 9 ) 帰り'小川の縁で交わされた会話や美祢子の態度にみることができ る。そこには'結婚の決意をはっきり示して-れない野々宮への気 持ちが現われているとみてよいだろ-.そして、第六章の運動会に

(5)

- 60-( 注 1 0 ) 来ていた美祢子の言動は'野々宮を認めながらも、すでに野々宮 への気持ちにあきらめが生じ始めているのではないかと思われる。 野々宮が「責任を逃れたがる人」であり'与次郎の言-よ-に、芙 ・祢子の夫と「なれる」資格のある男性でありながら'美祢子との結 婚から逃避した者である以上'確かに美祢子の結婚はそのよ-な野 々 宮 へ の 批 判 と な り ' 「 批 評 」 と な っ た で あ ろ -0 ( 尤 も ' 「 痛 烈 な批評」とまで呼べるかど-かほ問題だが)はっきりした態度を示 さない野々宮よりも'兄の友人であった男性の方が'そのよ-な意 ( 注 1 1 ) 味では美祢子の夫となる資格があったとい-ことだろ-0 美祢子の結婚は'野々宮への「批評」ともなったではあろ-。し かし'その結婚はやはり重松氏も指摘しているよ-に'彼女の1つ の挫折であったのではなかろうか。野々宮のところは'美祢子の 「行きたい所」であったにもかかわらず'野々宮が逃げたのであ る。美祢子の結婚の相手が'「主体的な選択」1美祢子の自らの 意志によって'決意されたものであっても'それは野々宮を見切ら ざるを得なかった結果でもあり-るわけだ。野々宮を見切らざるを 得なかった結果としての美祢子の結婚は'彼女の1つの挫折である ことは否定できないだろ^。 三 美祢子が野々宮との結婚を断念Lt兄の友人との結婚を決意した のほいつのことなのか。それが、結局美祢子の青春の断念tた時と いうことになるのではないだろ-かoもし'三四郎との初めての出 会い・画の構図の決定・青春の断念が同時に行なわれたとするなら ば'美祢子は三四郎と出会って'すぐに結婚を決意したとしなけれ ばならないとい-ことに,なるのではな.いか.美祢子については'三 四郎の視点を通してみることができるのと'広田先生や与次郎が批 評する言葉などからしか、読者は美祢子を知ることができない。し かし'それにしても三四郎と出会っ、てすぐに美祢子が青春を断念し た'つまり結婚を決意したとい-ことは'本文中からほ読みとると とがで.きない。 美祢子の結婚の話が具体化し'決まったのはいつのことなのか。 第十二章で三四郎を見舞いに来た与次郎は'美祢子の結婚に関して 「よし子の行-所と'美祢子の行-所が'同じ人らしい。」と話し' 「よし子の結婚丈は確である. 。硯に自分が其話を傍で聞いてゐた」 と書かれている。そして'その翌日訪れたよし子は'三四郎に美祢 子の結婚の相手に関して'「私を貰ふと云った方なの。は1㌧可笑 いでせ-。」と言っている。第九章の三四郎が野々宮を訪ねた場面に は,「よし子に縁談のロがあか.」と書かれていて,縁談のことで野 々宮とよし子がやりとりをしている。こめよ-なことから考えて' 第九章の時点では、美祢子の結婚はまだはっきり決まっていなかっ たと考えられる。美祢子の結婚が決まったことは'第十二章で三四 郎を見舞いに来たよし子によって'はじめて明らかにされるo本文 中からほ'正確に美祢子がいつ結婚を決意したのかとい-ことは読 みとれない。ただ'第十章で原口の家からの帰り'三四郎は美祢子 1 T r r 7 f r r ・ . " メ . 7 7 " T T 巧 T T . 当 確 d j J d 頂 ぺ 1 j T n 湖 Y プ : : 頂 T . W . n r . i , . I . Y . J : . , i ( . . i . . ' r j T . . . T I T ; I l l . T T T 「 I : . : _ . / 子 守 ㍉ 宣 . { ∴ I I . . I : . r I . : 二 , _ . _ , I . : ∵ ︰ . . 4 , . . : ∴ ] = . 1 r l L T , , ㍉ 宣 漸 溺 壇 壇 壇 膚 膚 膚 儒 膚 膚 一

(6)

61 -. ) . -∴ . . . -L ・ . I _

_=・t.㌢rL:.,=Ly I...卜_:;_I..,..∼.,_︰ト:.,-.ド"I

-.i-. . . L r ■ 、 . . ■   す . i . . I -ト ■ 一 L u J J I J t _ -. h E I . ト ●   ′ . ∵ J ・ ・ ・ . ・ ・ _ , A 一 A L ト ' 、 _ . 1 . . . . i -の「口を洩れた徽かな溜息」を聞き、そこへ夫となる男性が登場し ているのをみると'この時には結婚は決まっていたかとも思われ る 。 ところがこのよ-に時間的に美祢子の結婚を考えた場合へやはり 問題がある。第九章で三四郎が野々宮の家に行って'よし子の縁談 の話を聞いたのは、前後の文章から判断して'十二月上旬-らいと い-ことになる。とい-ことは'十二月上旬には美祢子の結婚は' まだ決まっていなかったということになる.演芸会は十二月中旬に 開かれ'三四郎がよし子から美祢子の縁談のまとまったことを聞い たのは'演芸会があってから二日後のことである。このよ-なこと から考えて'美祢子の結婚の決まったのは'十二月上旬から中旬の 間ということになる_ 。これは美祢子が二十日はどの問に結婚を決意 したとい-ことにもなる。 美祢子が結婚を決意した時期が'はっきり読みとれない以上'二 十日余りで美祢子が結婚を決意したのだとい-よ-にも必ずしも断 定はできない。しかし'時間的に美祢子の結婚を考えた時'不自然 ( 注 1 2 ) なものを感じ納得のできないもrQが残る。たとえ'野々宮との結婚 `′ を断念せざるを得なかった結果としての結婚であり'その相手が兄 の友人であったとしてもである。 「美祢子の結婚が主体の意志であ」をとする三好氏も'最後の出 会いの美祢子の姿に関しては'「青春自体の挫折である」と述べて いる。「青春自体の挫折」とい-ことばは、かなり漠然としていて 抽象的なのであるが'一体汲石の青春観ほどのよ-なものであった / のだろうかo汲石の青春観に関して'越智氏は「はるかににがい覚 めた想念を抱きつづけてきた」と指摘し'三好氏も「青春の可能性 をいささかも信じていない」と述べている。このよ-な両氏の激石 の青春観に対し'内田氏は「日本の青春の未成熟・虚妄を鋭-認識 しっゝなお青春への期待感を失なわなかった」と述べている。 確かに'本文中に青春の最中にいる人間への激石の批判をみるこ とができる。 三四郎は切実に生死の問題を考へた事のない男である。考へる には'青春の血があまりに暖か過ぎる。(十) ( 注 1 3 ) こ の こ と は ' た と え ば 第 三 章 ・ 第 九 章 ・ 第 十 章 な ど に あ ら われている。しかし、はたして淑石が青春に対して'「にがい覚め た想念を抱き」∴ 「可能性をいささかも信じていな」かったといえ るだろうか。淑石は、三四郎が「切実に生死の問題を考へた事のな い男である。」としながらも'その理由として'「青春の血が'あま りに暖か過ぎるo」とい-よ-にはっきり述べている.それにもかか ● わらず、三四郎を何度か人間の生死に関係する事件や光景に直面さ せている.そして'三四郎はそのたびに「生死の問題を考へ」るこ となく、忘れてしまっている。なぜ'軟石は-り返し三四郎を人間 の生死に関係することに直面させたのであろ-か。軟石の青春に対 する批判というものは'淑石がすでに青春の最中にいる人間が未熟 さゆえに'生死の問題をも忘れてしま-ことがあるのだということ を'承知し認めているのではなかろ-か。そして'そのことが直接 「青春の可能性をいささかも信じていない」とい-ことには'結び

(7)

- 6`2-つかないのではなかろ-か。それよりもむしろ'青春の最中にいる 三四郎を批判しながらも'もっと寛大な目で'より一層高いところ から三四郎をながめているのではなかろ-かと思われる。だからた とえば、「そのうち秋は高-なる。食欲は進む。二十三の青年が到 底人生に疲れてゐる事が出来ない時節が来た.」(四)とい-よ-に ) ではあろう。だが'青春の最中にいる青年の若さ ー たとえ未熟な え な い 。 美祢子が野々宮をあきらめ'他の男性との結婚によって'青春を の挫折は青春の挫折とい-よ-な呼び方に価する挫折とは思えな い。)しかし'三好氏の指摘するよ-な淑石の青春に対する批判や' ではなかろ-か。 ヽ 四 美祢子と別れて数カ月立って'美祢子の肖像画を前にした時'三 四郎の行き着いたところはどこであったのだろ-か。はたして'何 を得たのであろ-か。三四郎のつぶや-「迷羊・迷羊」は何を意味 するのか。 三好氏は'「美祢子を批評できる」とい-ことに「三四郎の青春 が演じた最大の波潤があった」と指摘している。「三四郎」の予告 に'「人間が勝手に泳いで、自ら波潤が甘来るだら-」とい-l節 がある。確かに三四郎にとって'美祢子との出会いと別れは1つの 披潤であっただろう。だが'その波潤は「青春が演王た最大の波 潤」とい-よ-な表現に価するものであ.ら-か。三四郎が美祢子と 初めて出会ってから別れるまで.の期間は'わずか四カ月余りの日々 である。この間聖二四郎の考えていた第三の世界は'その一角が崩 れた」だが'四カ月余りの間に'初めて九州から東京へ出てきて' 大学に入った青年の青春が終ってしま-などとは考えられない.上 京して四カ月余り・の間に起ったことは'三四郎の青春時代の一つの 経験とい-程度のものであったとしか思えない。 三好氏は、三四郎が「森の女」を前にしてつぶや-「迷羊」とい う言葉を'「美祢子への批評」であり'「三四郎は美祢子を批評で きる地点にはじめてたたず」んだと指摘している.そして重松氏も この意見を認めている。はたして'三四郎が「美祢子を批評でき る」よ-な「地点にたたずむ」ことができただろ-か。三四郎が美 祢子と訣別したとい-ことは'越智氏が指摘しているよ-佐'三四 郎にとって「美祢子への囚われを脱した」とい-ことである。三四 郎が青春を断念したとい-ことではない。美祢子は三四郎を第三の ・ ・ J = . ; . : I ー     . ' P 膚 可 . . . .     -; . . . . . . -. I . ∴

(8)

-63 -世界・青春の最中に残して'自ら青春を断念Lt結婚した女性であ 一 る。このよ-な美祢子を'青春を断念などしていない三四郎が'ど ぅしてF批評できる地点」にあるといえよ-。たとえ'三四郎が美 祢子を批評できる地点に立ったとしても'三四郎が批評できる美祢 子は'<画>になった美祢子である。すでに'現実の美祢子は夫に 連れられて展覧会に来ているのである。 三好氏の論を受けて重松氏は'三四郎が「美祢子を批評できる地 点にはじめてたたず」んだとい-ことと'「批評家」とい-ことを 結びつけて'次のように述べている。 三四郎は、かつての「批評家として'未来に存在七や-か」と いう予感を承けて'いやお-なしに'<批評家>としてたたず ′ まざるをえなくなったのだと見られなくもない。 しかし'三四郎がかつて「自分も批評家として'未来に存在しや -かと迄考へ出した。」(三)批評家とは'広田先生の姿をみていて 考えたことである。その上'批評家とは「世の中にゐて'世の中を 傍観してゐる人」 (≡)であると考えている。美敬子と訣別した 時'三四郎はすでに広田先生のように「世の中にゐて'世の中を傍 観」できるような位置にあったといえるだろ-か。美祢子との訣別 によって'急聖二四郎が自分をそのようなところに位置づけるこ.と ができたであろうか。「森の女」を前にした三四郎が'「世の中を 傍観」できるような位置を占めたとは思えない。 こんな三四郎が<画>を前にして行きついたところは'どこであ ( 注 1 4 ) ったのだろ'-か。遠藤祐氏は次のよ-に指摘している. 三四郎は帰省する.第十二のおわりで話はふりだしにもどった かっこうである。.(中略)三四郎だけは'「新しい空気に触れ 」て「色々に動いて来」たにもかかわらず'結局はどこにも定 着すべき場をみいだせず'そこからほじきだされて母のもとに 帰る。つまり完全に「迷羊」としてとりのこされたというべき だろう。 内田氏は、「作品末尾「迷羊・迷羊」のつぶやきは三四郎の愈々 深まった迷妄の自覚であった。」と述べ'遠藤氏の論に対し'「私の 理解も(中略)近い」としている。 わずか四カ月余りの間ではあるが'三四郎は東京の新しい空気に 触れ. '広田先生をはじめとして東京の人間とも接触した.そして' 何よりも巣祢子との出会いと別れがあったのだ。三四郎が帰郷する 時の状態と'初めて上京した時の状態が同じであるわけがない。越 智氏が遠藤氏の論に対し指摘しているよ-に'「ふりだしにもどっ たということにはな」らない。遠藤氏の指摘している「定着」とい -こ と が ' も し 「 1 つ の 未 来 の 決 定 」 と い ㌢ こ と に な る な ら ' 青 春 を断念などしていない三四郎にまだそのよ-なことが迫るはずがな い。わずか四カ月余りで「一つの未来の決定」が下されることの方 が'よほど不自然であり'三四郎にそのよ-なことを強いることの 方がよほど残酷である。又'遠藤氏は三四郎が「はじきだされ」' 「完全に﹃迷羊﹄としてとりのこされた」と指摘していJるが'主四 郎が美祢子への「囚われを脱し」'得たものはこのよ-な絶望的な ものであったとは思えない。なぜならば'「ふりだしにもどった」

(9)

2 3 -64 -ということではないからである。上京する途中'三四郎が「だらし なく考えて」いた未来であり'「三つの世界を掻き混ぜて」得た「 lつの結果」としての世界の一角が崩壊した。上京して'わずか四 カ月余りで自ら作り上げていた世界の虚妄を知らざるを得なかった 三四郎ではあるが'このよ-な挫折によってわずかであっても現実 に近づいたはずである.だが'まだまだ三四郎は青春の最中にいる 「迷羊」である。これからも'ますます行程せねばならないし,挫 4 5 「三四郎」に関しては'多-の問題点があるにもかかわらず'本 論において触れたものはその断片にしかすぎない。その上,紙数のノ 関係で論拠を省略し、問題提起に終ったものも多いことを合わせて▲ 断っておきたい。 註 6 1   冠 へ 立 女 子 大 学 短 期 大 学 部 紀 要 ﹄ 第 九 号 ( 昭 4 0 ・ 1 2 ) なお'本論での越智氏の論文の引用は'﹃淑石私論﹄ (昭46・ 9角川書店)所載「﹃三四郎﹄の青春」に拠った。 ﹃ 作 品 論 の 試 み ﹄   ( 昭 4 2 ・ 6 至 文 堂 ) 所 載 「 迷 羊 の 群 れ   -﹃ 三 四 郎 ﹄ 」 ﹃ 国 文 学   言 語 と 文 芸 ﹄ 7 5 「 特 集 ・ 夏 目 淑 石 」   ( 昭 4 6 ・ 3 ) 所 載「﹃三四郎﹄論∼上京する青年 - 」 7 0 0 9 1 0 日 U H リ ﹃ 日 本 近 代 文 学 大 系 ﹄ 第 2 6 巻 「 夏 目 軟 石 集 Ⅲ 」   ( 昭 4 7 ・ 2 角川書店) 重松氏の注釈による「三四郎」の頭注・補注は'これから論を 展開してい-上で'かなり参考にしている。 注1から注4までの越智氏・三好氏・内田氏・重松氏の論文 は'これから論を展開してい-上で-り返し引用するが'すべ て先に記した注の文献の引用である。以後'注はすべて省略す る 。 ﹃夏目淑石一﹄(昭28・8 岩波書店)所載「初恋」の中で' 小宮豊隆によって迷べられている。叉'内田氏も二人の出会い に関して'「そこには﹃神秘的な1日惚れ﹄があったとしなけ ればならない。」と指摘しており'重松氏も内田氏の論を認め' 「﹃神秘的な一目惚れ﹄があったと見てよいのであろう。」と述べ ている。 本文の引用は'﹃日本近代文学大系﹄第26巻「夏目淑石集Ⅲ」 (昭47・2 角川書店)に拠った。紙数の関係で引用文を省略 する場合は'本文の頁数を注に記すことにする。 第十章・二五六頁

第六章二七八頁

第三章・九七頁 第 五 章 二 五 1 -一 五 二 頁 第六章二七九頁,・1八111八二頁 ここでは触れないが'なぜ野々宮が責任を逃れたがるのかとい

(10)

12 14 13 -65 -単 三 . ▲ ∫/ ぅことと同時に'美祢子の結婚に野々宮への批評があることを 考え合わせることによって'野々宮については,淑石の描いた 男性の1人とい-ことで十分に考える余地が壌るだろ-。 美祢子の結婚の決定に時間的な不自然さを生じた原因として ほへこの作品の描かれた期間にも問題があるだろ-。三四郎が 大学覧迫入るため'上京が八月になり、冬休みが始まり,美祢 子と別れ帰郷するこ.とを考え'十二月下旬までの四カ月余りが 描かれたのであろ-。三四郎が帰郷するまでに'美祢子の結婚 が決定したとせねはならなかったためにへ美祢子の結婚を決意 した時期に、無理が生じたのではなかろ-かo 第三章・九1頁 第九章・二三八頁 第十章・二四三頁 ﹃文学・語学﹄22(昭36・誓所載「軟石文学の展開!﹃虞 美人草﹄ ﹃抗夫﹄ FT二四郎﹄のころ -」 追     記 本論は'百枚余にわたる卒業論文を'三十枚に縮めてもらっ た。従って'論証過程や作品の引用など必要と思われるところ も'殆ど省略されてしまっている。時間的にも'検討し直し書 き改めるだけの余裕がなかったよ-である。例年とやや異なる の で 念 の た め 書 き 添 え て お -次 第 で あ る 。       ( 編 者 )

参照

関連したドキュメント

などに名を残す数学者であるが、「ガロア理論 (Galois theory)」の教科書を

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

1200V 第三世代 SiC MOSFET と一般的な IGBT に対し、印可する V DS を変えながら大気中を模したスペクトルの中性子を照射 した試験の結果を Figure

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

個別の事情等もあり提出を断念したケースがある。また、提案書を提出はしたものの、ニ