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アメリカ文学における東と西

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Academic year: 2021

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(1)アメリカ文学における東と西 石田 敏行. A Study of East and West in American Literature Toshiyuki ISHIDA. アメリカの歌声が聞こえる アメリカの歌声がきこえる、さまざまな喜びの歌が聞こえる、 職工の歌、めいめいが職工らしく陽気に力強くうたっている、 大工は板や梁の寸法を測りながらうたい、 石工は仕事の準備や片付けをしながらうたい、 船頭は小舟で自分の世界をうたい、水夫は汽船の甲板でうたい、 靴屋は仕事台にすわってうたい、帽子屋は立ったままうたっている、 木こりの歌、朝に、昼の休みに、日没に、野道をたどる農夫の歌、 母親や、仕事にはげむ若妻や、裁縫、洗濯にいそしむ娘の、甘く心地よい歌、 めいめいが、ほかの誰のものでもない自分の世界をうたっている、 昼は昼の世界の歌――夜にはたくましく気の良い若者の集団が、 大きく口をあけ、力強く美しい調べの歌をうたっている。 (. ウォルト・ホイットマン;亀井俊介氏訳. ). ウォルト・ホイットマンは彼の理想の姿を上のように高らかに歌いあげた。職工も、大工も、石工も、 船頭も、水夫も、靴屋も帽子屋も、木こりも農夫も、母親も、若妻も、娘も、若者たちもほがらかに歌っ ていると。すべての「とるに足りない」人々が前向きに生きていると。 だが、しかし夢と現実は同じものであろうか。かつて「人種のるつぼ」と語られたアメリカ合衆国は、 今では「サラダボウル」論にとってかわられている。 「人種のるつぼ」論は合衆国南部にはあてはまるかも しれないが、一般的ではない。アメリカ大統領候補にアフリカン・アメリカンが選出されて、注目をあび ていること自体が合衆国全体の偏見の深さを物語っている。 19世紀までは合衆国の文化はイギリスの文化の延長線上にあるものとみなされていた。アメリカの文学 もイギリスの文学の延長線上にあるものとみなされがちであった。 このような偏見は一般大衆の発想の原点にこそ強く反映される。金髪であり、瞳の青い、八頭身の理想 像が「バービー人形」となって未だに人気を持ち続ける理由がここにある。 ともあれ、偏見に対する揺れもどしの動きも確実に存在する。政治的には、アメリカの自由のシンボル となった自由の女神像はフランスから贈られたものであるし、1812年から1815年の米英戦争でのフランス の介入も、アメリカ合衆国のイギリス的なものからの脱却をうながしたものである。アメリカ合衆国移民 の中心をなすWASP(=White Anglo-Saxon Protestant )にも、 「危険的で、うるさいスズメバチ」の意が込 められている。このようなイギリス系の移民の感性には一種の屈折した感情が存在している。.

(2) 2. 石田. ○. 敏行. Henry Jamesの場合. ヘンリー・ジェイムズは常にアメリカ対ヨーロッパ文明を比較して著作活動を繰りひろげた作家である。 1876 年 の Roderick Hudson 以 来 、 1877 年 の The American 、 1878 年 の Daisy Miller, 1879 年 の An. International Episodeとたて続けにアメリカ人とヨーロッパ文明との対峙を描いている。それらの中で最 も評価の高い著作はDaisy Millerである。この作品ではアメリカ人でありながらジュネーブを第二の故郷 とするウインターボーンを視点的人物として描かれ、スイスに現れた生粋のアメリカ娘、デイジーことア ニー・ミラーが主人公である。ウインターボーンはこのアメリカ人の娘の性格が掴めない。奔放なのか、 純粋なのか。イタリア人の男とつきあうデイジーに一時、奔放な娘の姿を見るが、彼女の死後にその純粋 さに気づく。視点的人物であるウインターボーンを設定することで外観と実体との落差を効果的に創り出 している。デイジーの実体はアメリカ世界の純粋さなのである。. ○ Scott Fitzgeraldの場合 1925年に刊行されたThe Great Gatsbyでは典型的な成りあがり者としてギャツビーが登場する。ギャツ ビーは正体不明な大金持ちとして視点的人物ニック・キャラウエイの前に現れる。ギャツビーのねらいは ニックの縁つづきのデイジーとの再会のお膳立てである。ギャツビーが戦争に加わっている間に、かつて の恋人であるデイジーが結婚してしまったことを悔やみ、彼女を取り戻そうというのが彼のねらいである。 彼はニューヨークの高級住宅地のロングアイランドに居をかまえるが、そこはデイジーの住むイーストエ ッグを対岸に臨む、ウエストエッグという岬である。ギャツビーが岬の先端に立ってイーストエッグの岬 の先端の緑の灯りを見つめる姿は彼の希望とあこがれの象徴ともなっている。 だがデイジーの夫であるトム・ブキャナンとのニューヨークでの対決の夜に、事件が起こる。それは取 り乱したデイジーの起こしたひき逃げ事故である。ギャツビーを犯人と思いこんだ被害者の夫に彼は射殺 されてしまう。それと同時にデイジー一家はヨーロッパへと長い旅行に出てしまう。視点的人物をつとめ るニックは中西部からやってきたギャツビーの父親から、アメリカン・ドリームを手に入れるために努力 したギャツビーの青年時代の姿を知らされる。やがてヨーロッパから戻ってきたデイジーたちにニックは 好意を示すことを拒む。 このような展開からは、ヨーロッパ文明に対する絶望と拒絶の心が作者フィッツジェラルドの心に生じ ていることがみてとれるのである。. ○ John Steinbeckの場合 アメリカの大恐慌の後、1939年に刊行されたThe Grapes of Wrath は Steinbeck の代表作と言えよう。 冒頭、トム・ジョードは4年の刑期を終えて、中西部の父の家へ向かう。その際の執拗なまでの亀の歩き 様の描写は物語の展開の伏線となっている。故郷の家にたどりつくとすべてが変わってしまっていた。3 年間にわたる砂あらしのために、銀行家に土地を取り上げられてしまっていたのである。一家は家財を整 理して国道66号を西へと向かう。カリフォルニアまでの途中で祖父と祖母をなくし、天国と信じたカリフ ォルニアも、労働力超過で警察官に追われる状態にある。作者スタインベックの視点は常に虐げられる側 にある。悲惨な労働者の状況は経済的な恐慌をはっきりととらえ、その現実を描ききっている。そこに共 産主義的な世界観が入り込んでくることは当然である。だが作者はわずかばかりではあるが救いの可能性 を残す。それは子供を死産したシャロンが餓えかけた男に母乳を与える場面である。それは、困難な状況 にあっても、何らかの形で生命が引き継がれてゆく可能性である。スタインベックの描いた世界は大恐慌 の時代であると同時に、西へ向かおうとする夢の結末である。.

(3) アメリカ文学における東と西. 3. ○ 結論 アメリカの歴史は、東洋人のアメリカ移住や北欧のバイキングを除けば、常に東を意識し、時には反発 し、時にはあこがれ、時には絶望しながら展開してきたものであるし、アメリカ文学も正直にそれを反映 してきているといえよう。そしてその文学もまさに途上 (=On the Road )にあるといえる。ただし、困難 な時代にあって、かえって文学はその力の源を与えられてきた。この傾向はこの後も続きうるのではない だろうか。.

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参照

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