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出会いと挨拶の相互行為論

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Academic year: 2021

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出会いと挨拶の相互行為論

Social Interaction in Encounter and Greeting

木村大治

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京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科

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Graduate School of Asian and African Area Studies, Kyoto University

Abstract: “Encounter” is a place where new interaction is launched. In other words, in the place of encounter, “relationship prior to the encounter” is not exist among participants. Both instability and possibility are enfolded there. “Greeting” is a tool for concealing such atypicality of encounter and stably managing social interaction. Greeting has aspects such as ceremoniality, trans-animal nature, etc. that cannot be grasped by the normal framework of interaction theory. In this lecture, I hope to provide hints to consider the on-site nature, liquidity and openness of interactions by considering the essence of encounter and greetings.

私は昨年度から,「出会いと挨拶の相互行為論的研究 —人間と動物の共通の基盤から」と題した科研費挑戦 的萌芽研究を主催している。本講演では,この研究プ ロジェクトを立案するにあたって考えたことと,研究 会を進める中で浮かび上がってきた問題についてお話 しすることを通じて,インタラクションの現場性・流 動性・開放性を考察していくためのヒントを提供でき ればと思う1

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出会いの特異性

「出会い」の瞬間は,相互行為の連なりの中でもあ る種特別のものだと言える。「シクラメンのかほり」に 歌われているように,「出会い」という言葉は,新たな 可能性を予感させるが,同時に,不安,逡巡といった形 容も似つかわしい。それは,出会いが相互行為の「そ れ以前」のない,始まりに位置することに起因すると 考えられる。 相互行為において,それぞれの行為は通常,滑らか に「前」と「後」に接続されている。会話分析におい て「接線的応答 tangential response」という概念があ るが,それは「相手の言うことに合わせて応答を始め るが,そこから徐々にトピックをずらしていくやり方」 などと説明されている。たしかにそのような形で,あ る話題について語っていたはずが,知らず知らずのう ちに別の話題にずれていくといったことは日常会話で 連絡先:京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 〒 563-0059 京都市左京区吉田下阿達町 46 E-mail: [email protected] 1本予稿の一部は,私が以前『文化人類学事典』に書いた「挨拶」 の項目の内容 (木村 2009) を書き直したものであることをお断りし ておく。 よく起こっている。この「接線的」という言い方は,会 話というものがそもそも接線が引ける,つまり局所的 には直線で近似できる滑らかな曲線である,というこ とを含意している。「接線的応答」とは,その曲線にお いて一瞬相手と同じ方向に進んだ後,別の方向にハン ドルを切るという操作なのである (図 1)。このように, 相互行為の中核は「これまでやってきたように,これ からもやっていくこと」なのであり,情報伝達性や社 会関係の調整といった機能は,いわば後付け的な余剰 物であると考えてよい。 図 1: 接線的応答のイメージ しかし出会いにおいては,その枠組みを定める「そ れ以前のいきさつ」が存在しない。そのような意味で, 出会いは相互行為の特異点であると言え,このことが 「期待」と「不安」の源となっているのである。そこで, どのようにして新たな相互行為の方向を定めるのか,と いうことが問題になってくる。 招待講演 人工知能学会研究会資料 SIG-SLUD-B507 - 12 ー

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挨拶の位置

「挨拶」は,こういった出会いの不安定さを隠蔽し, 定型的に相互行為を立ち上げていくための道具である と考えることができる。ここで,挨拶の持つ性質につ いて考えてみる。

2.1

ファティック・コミュニオン

そもそも挨拶は,コミュニケーション論の中で,特 異な存在であり続けてきた。コミュニケーションの過 程の中で重要な位置を占めるにもかかわらず,実際に そこで交わされるのは,空疎で形式的な行為だからで ある。たとえば「お早うございます」という挨拶は,相 手が早く起きたという事実を伝達するものではないし, 「いい天気ですね」と言うとき,いい天気であること は,すでに相手も十分知っているのである。このこと を最初に明確にしたのが,マリノフスキーの「ファティ ク・コミュニオン (phatic communion)」の概念である (Malinowski 1923)。この「据わりの悪さ」は,挨拶が 「何らかの情報を伝達すること」という狭義のコミュニ ケーション概念の外部に位置する,相互行為論上ので きごとであることを示している。

2.2

通動物性

一方,挨拶は,哺乳類や鳥類といった人類以外の生 物の社会においても見られることが知られている。「通 動物性」とでも言えるだろうか。そこでおこなわれて いるある種の相互行為を,我々はほぼ躊躇なく「これ は挨拶だ」と認識することができるのだが2,このこと は,挨拶が人類に固有な文化や認知機構に裏打ちされ たものではなく,(サルのそれであろうと鳥のそれであ ろうと) 相互行為の過程そのものに内在する現象だとい うことを示している。

2.3

出会いと挨拶

上記の考察から,挨拶がある種の空疎性・形式性を 持っていることが示唆されるのだが,このことと,挨 拶が出会いにおいて使われることはどう関係している のだろうか。 まず具体的な「出会い」から考えてみよう。道を歩い ているとき,向こうから知人がやってくる場面を想定 する。しかし相手に気づいた瞬間に「出会い」が起こる というわけではない。その次に「相手が自分に気づい 2たとえば,夏目漱石の顔が印刷された,前の千円札の裏には,タ ンチョウヅルのオスとメスのダンスが描かれているが,これも非常 に儀礼的な挨拶だと思える。 たことに気づく」という段階が続き,やがて対面して 挨拶が交わされるのである。(通常「出会い」と呼びう るのは,この最後の段階だろう。) このように,「相手に 気づく」という認知的な事態と,「出会っている」とい う相互行為的な事態の間には,明らかな「ずれ」が存 在する。このずれが挨拶に,「社会的に構築された,仮 のもの」であるという性格を付与している。 しかし,出会いが「仮のもの」であるからこそ,そ こには何らかの,出会っているもの同士の共通の基盤 を構築することが必要となってくる。そのような基盤 なしには,相互行為は,パーソンズの言うダブル・コ ンティンジェンシー double contingency3に陥り,次な る行為の決定ができなくなってしまう危険性が生じる からである。それを回避するには,相手の行動の認知 —「向こうからやってくる相手に気づく」といった— だけでは明らかに不十分であり (そこにはまだ「共通の 基盤」は形成されていない),「『お互いがお互いを認知 していること』をお互いが認知している」という,一 段高階の了解が必要である。こういった了解の形成は 「基盤化 grounding」と呼ばれており,これがまさに, 「これまでやってきたこと」がない出会いの場で,「これ からやっていく」方向を定める資源となるのである。

2.4

挨拶と儀礼性

挨拶においてなされる行動には,文化の違いによっ て,さらには動物種の違いによって,さまざまなパター ンがある。現在,科研費プロジェクトでそのパターン の多様性を調べているところだが,おそらく「これこ れの行動パターンは挨拶である」という形の一般的な 定義はほとんど不可能ではないかと考えられる。つま り挨拶を特徴づけるのは,個々の行動そのものではな く,「相手の行動との関係性」なのである。 挨拶にはたとえば「こんにちは」という挨拶に対し ては「こんにちは」という返事,お辞儀に対してはお 辞儀,握手に対しては握手といった,「相手と同じこと をする」という相称的なパターンがみられることが多 い。また相称性が見られない場合でも,「相手の行動に 合わせた適切な行動を行う」という意味での「相補性」 は存在する。結局そこで必要なのは,両者の行動に,両 者が認知可能な規則性が存在することだと言える。「同 じことをする」というのは,その規則性の構築におい て,一番単純で使いやすいパターンなのである。その ような偶然にはあり得ないパターンを,両者が協力し て生じさせたという事態こそが,基盤化の資源となる のである。 そのような相称性を,出会いにおいて「素早く」「確 実に」形づくるためには,そこでなされる行動はどの 3互いの行為が相手の行為に依存してしか決まらない状態。 - 13 ー

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ようなものである必要があるだろうか。もしもそれが 「本気の」行動, —たとえば,「真剣な攻撃」「夢中な 摂食」といった— であるならば,それを素早く相手と 一致させることは非常に困難だろう。つまり本気の行 動は,相称性という仮のものを表わすには「重すぎる」 のである。挨拶という仮のものを表わすには,もうひ とつの仮のものを持ってこなくてはならない。それは, 「本気でない」行動を,大げさに目立つように示すこと であり,それがまさに,挨拶のもつ儀礼性なのだと言 えるだろう。

3

出会いと挨拶研究のために

今後も,私の科研費プロジェクトも含めて,さまざ まなフィールドにおいて出会い,挨拶研究が進められ ていってほしいと思う。 そこで注意すべきは,まず,相互行為研究者には言 わずもがなのことだが,そこで起こっていることを予 断なしに記述するという態度である。もう一点書いて おきたいのは,その形式の分類に耽溺しすぎないこと だと考える。なぜなら,先に書いたように,挨拶の本 質とは個々の行動のパターンではなく,そのパターン の間の関係性にあるからである。

参考文献

Malinowski, B. 1923. The problem of meaning in primitive languages In: C.K. Ogden and I.A. Richards. The Meaning of Meaning. Harcourt, Brace and Company, New York. (マリノウス キー,B. 1967. 「原始言語における意味の問題」 C・オグデン,I・リチャーズ『意味の意味』(石 橋 幸太郎 訳) 新泉社) 木村大治 2009 「挨拶」『文化人類学事典』(日本文化 人類学会編) pp.492-493 丸善。 - 14 ー

参照

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