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〈寄稿〉 教職教育部成立までの歩み

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Academic year: 2021

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太平洋戦争の敗戦によって、日本は占領アメリカ軍の占領政策下に置かれたが、占領政策は 日本社会の民主化を名として、多くの変革を求めるものであった。教育界もその例外ではなく、 占領アメリカ軍最高司令部(GHQ)は日本の教育改革推進のために、アメリカ本国に教育専門 家の派遣を要請し、その調査報告書をもとに、いわゆる六・三制度の実施を指示したことは広 く知られている。この一連の指示によって GHQ は、日本の高等教育機関にも大きな改革を要 求した。すなわち従来の日本の高等教育機関は、エリート教育を目標とする色彩が濃厚である として、民主的教育を目標とする高等教育機関への改編を指示したのである。 この指示を受けた文部省は、昭和21年(1946)に大学設立基準改定協議会を発足させて検討 を行ない、翌年には大学基準協会を設立させて検討し「大学基準」を採択した。この「大学基 準」によって従来の旧制大学・旧制高等学校・旧制専門学校等は、教育組織等の改革を実施し て、新制大学として再出発することが求められたのである。 東大阪の地でもこれに従って、大正14年(1925)設立の大阪専門学校と昭和18年(1943)設 立の大阪理工科大学を母体として、昭和24年(1949)に世耕弘一先生を総長とする新制近畿大 学が発足したことは広く知られている。 近畿大学は発足時には商学部(後に商経学部)と理工学部の二学部のみであったが、世耕先 生は近畿大学をして総合大学そして大衆大学へという理想を掲げられ、学部・学科の増設拡大 に努められるとともに、教育方針として人格陶冶・実学志向を強く標榜されていた。この実学 ということから、在学中に各種の資格取得が可能なように留意されたと伝えられる。その一環 として教員免許資格認定にも及ばれたことはいうまでもない。 新制大学の大きな特色は、学部在学の四年間の間に、一般教養科目(後に一般教育科目)と 専門科目の両者を学ぶという制度であった。すなわち四年間の前半の一年ないし一年半を教養 課程として、一般教育科目・外国語科目及び保健体育を学び、後半の二年半ないし三年間で専 門科目をという教育組織とされた。この教養課程を巡っては、比較的規模の大きな大学では学 17 ―  ― 教職教育部成立までの歩み

教職教育部成立までの歩み

木 健

一*

*元近畿大学教職教育部教授

(2)

部縦割りを崩して、教養課程のみを横割りとし、全学部共通の総合的組織とする所が見られた。 このために文部省も昭和38年(1963)には、教養課程を総合した組織として教養部あるいは一 般教育部とする存在を公認するにいたった。しかし『近畿大学1986要覧』32頁によると、近畿 大学ではすでに昭和35年(1960)に教養部を創設したと有るので、文部省よりも先取りしてい たものと思われる。 新制大学のもう一つの特色は、教員免許資格認定の問題であった。旧制大学・旧制専門学校 時代には、各校の講座内容・施設設備等を文部省が審査した上で、適当と認められた学校の卒 業生には、無条件で中等学校教員免許・実業教員免許の認定資格が認められる制度であった。 文部省の審査はかなり厳格なものであったと伝えられるが、因みに旧大阪専門学校・旧大阪理 工科大学では資格認定が認められていた。新制大学の発足に当たって GHQ は、「専門学校・大 学を卒業しただけで、教員免許状を授与すべきではない」と文部省に指示し、従来の審査認定 校制度を否定して、大学四年間の間に教職教育科目の履修の必要性を指示した。 この指示を受けた文部省は、教育刷新委員会を中心に検討を重ね、昭和24年(1949)に「教 育職員免許法」を公布するにいたった。同法によると新制中学校・新制高等学校の教員免許取 得の条件として、「学士の称号を有すること」が基礎資格とされており、 大学卒業者であるこ とが前提条件とされたことが分かる。そして大学において教科専門科目と教職教育科目の規定 単位を修得することが条件とされ、いずれの大学でも必要条件を満たせば、教員免許取得は可 能であるという、いわゆる開放免許制度が採られたのである。このために教員免許取得の可否 は、大学の対外的評価の一要素ともなり、教職教育関係講座の設置に努める所が多く見られた。 近畿大学でも旧大阪専門学校・旧大阪理工科大学での実績をもとに、教職教育関係講座の充実 に努めたことはいうまでもない。 しかしこの開放免許制度は、教員免許状の乱発による教員の質の低下に繋がるとの批判が生 じ、文部省は昭和28年(1953)に「教育職員免許法」の一部改正を実施し、教職教育課程の設 置には文部大臣の認定を要することとした。この改正によって教員免許取得のための教職教育 課程設置には、文部大臣に「教員養成課程認定申請書」を提出し、教育職員養成審議会の審査 を受けて認定されることが条件とされることとなった。いわゆる課程認定制度である。近畿大 学では早速に教職教育課程を整えて、認定申請書を文部省に提出し、無事にその認定を得たこ とはいうまでもない。その後も昭和29年(1954)の薬学部設置、昭和33年(1958)の農学部設 置等々の学部増設ごとに、教職教育課程を充実して文部省に認定申請書を提出し、医学部以外 18 ―  ― 近畿大学教育論叢 第31巻第1号(2019・9)

(3)

の学部ではすべて教員免許取得を可能としていった。 この課程認定の申請に当たって近畿大学で配慮されたのは、学生達の就職問題をも考慮して、 複数免許の取得を可能にするということであった。例えば商経学部では商業科免許の取得が可 能であるがさらに努力すれば社会科免許の取得も可能となる。しかしこのためには商経学部開 講の専門科目のみでは、免許法に規定する教科専門科目を満たし得ないので、学部とは別に教 職教育課程内に日本史概論・外国史概論・地理学概論・哲学等の、免許法に規定する教科専門 科目を開講して、社会科免許もということが実施された。同様の方法で商経学部では英語科免 許の取得も可能となっている。複数免許取得は法学部では社会科免許と英語科免許、農学部で は所属学科により多少相違があるが、農業科免許と理科免許、理工学部では所属学科により多 少相違はあるが、工業科免許と理科免許と技術科免許のように認定を得て、学生達には出来る だけ複数免許を取得するように指導を加え、教職を希望する多くの学生に、複数免許取得の傾 向が見られるようになった。 課程認定制度の確立は、教職教育関係の充実に繋がったことはいうまでもない。このために 大学によっては教職教育部とか教育センターとして、教職教育課程を独立の組織とする所も見 られたが、近畿大学では教職教育課程系列として、教養部内に位置づけられた。毎年度当初に 学生に配布された『教職課程履修案内』には、「教職課程は近畿大学学則第15条および近畿大 学短期大学部学則第12条に基づいて開設され、教養部に属しています」と記され、教職教育関 係の事務事項は各学部とは別に、教養部で扱うことが指示されている。この結果、教養部は一 般教育課程・外国語課程・保健体育課程・教職教育課程の四系列から構成されることとなった。 教職教育課程を教養部内にという構成は、近畿大学独自の発案ではなく、近隣の京都産業大学 や神戸学院大学等の諸大学にも見られたと伝聞される。 しかし教養部はその名称通り教養科目を扱う部であり、専門科目を扱う教職教育課程を入れ ることには、疑問も生じたことと思われるが、近畿大学では別段の問題もなく、昭和50年代に はまったくの安定期となっていた。すなわち教養部は部長中平良一先生の下に充実の一途を辿 り、また教職教育課程も主任教授世古口一夫先生の下に教育基盤を確立していた。両先生とも に温厚篤実な先生で、好く教養部そして教職教育課程を纏められ充実させられたが、奇しくも 両先生ともに明治42年(1909)の御出生で、昭和60年(1985)には揃って御定年退職されるこ ととなった。 次期の教養部長には一般教育課程の綱沢満昭先生と、教職教育課程の曽我部亮雄先生のお二 19 ―  ― 教職教育部成立までの歩み

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人の名が挙がり、教養部所属の教授の先生方五十名程による選挙が実施されることとなった。 綱沢先生・曽我部先生ともに人格識見の優れた先生で甲乙を付けがたく、敢えて色分けをする ならば、綱沢先生は昭和16年(1941)生まれで若手の新進気鋭な先生であり、曽我部先生は大 正11年(1922)生まれで老練な経験豊富な先生ということになろうか。活発な選挙戦が展開さ れたが、結果は僅差で綱沢先生が選出された。 教養部長選挙の後遺症というべきか、教養科目を扱う教養部内に専門科目の教職教育課程が 存在するのは、異質ではないかとの不協和音が囁かれるようになり、教職教育課程内にもこれ に同調される動きも見られ、学校当局も不協和音を感じ取ったのか、教職教育課程の独立の動 きが高まり、平成元年(1989)4月に教養部から独立して教職教育部と成り、初代部長には曽 我部亮雄先生の就任を迎え、教職教育の益々の充実を誓って動き出したのであった。 教職教育部も創設三十周年とのことを伺い、真に慶賀にたえません。心よりお祝い申し上げ ます。現部長戸井田克己先生から「教職教育部設立までの歩み」をとの御依頼を戴きましたの で、僭越ながら筆を執らせて戴きましたが、何分にも定年退職後二十年近くなりますので、記 憶も曖昧となり、思い違いも有るかと存じますので、関係の方々の御叱声を戴ければと存じま す。 20 ―  ― 近畿大学教育論叢 第31巻第1号(2019・9)

参照

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