沈黙が語る時 : 戦争体験の継承と個別のリアリティ
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(2) 甲南女子大学研 究紀 要第 40号. 104. 人間科学編 (2004年 3月. ). い る年代 が人口の 2割 となった現在 ,戦 争 の何 が どの. る。両親共 に沖縄戦 を経験 してい るはず だが,そ のこ. よ うに伝 え られてい るのか。今後 ,非 体験 者 が非体験. とについてほとんど語 らなかったとい う。 ひろみ さん. 者 に語 り伝 えなければな らな い と した ら,何 を どの よ. は両親 の沈黙 を,「 話せない くらい悲惨 で大変 な経験. うに伝 えて い け ば ょぃの か。 そ の こ とを考 えてみ た い. をした」 と受 け止 めてお り,「 だか ら,今 の平和 な生. と思 う。. 活が いかに大切 なのかが伝 わって きた」 と話 した。 こ. 「沈黙 の語 り」 とい うものがあるのだ とした ら,そ. の点 について も,ひ ろみ さんは後 の作業 で次 の ように. れは何 かを語 り継 いでい くことの中で, とらえ方が最 も難 しい類 の ものである。 これか ら戦争 と平和 の継承. 書 き加 えた。悲惨 で大変 な経験 を した「 と同時 に 『過去 の体験』 として終 わって しまっただけではない. について考 えようとしている私 の前 に,あ る女性 を通. 何 かがあるのだろ う。単 に語 らないのではな く,そ こ. して「沈黙 の語 り」に触れる機会が現れた。私 は,継 承 の問題 を,最 も難 しい様式 か ら始 めることになった。. には両親な りの考 えや思 いがあってのことだろ う」。. 2. ひ ろ み さん との 出 会 い. ひろみ さん と出会 ったの は ,私 が 2003年 3月 末 に. ,. 3カ 月後 の 6月. ,私 に沖縄 を再訪す る機会が訪 れた ので,ひ ろみ さんにファックスで,会 って話 を聞かせ て もらいたい 旨を伝 えた。. 3「 聞 き取 り」 とい う方法 について. 初 めて沖縄 の伊江 島 を訪 れた時 で あ る。阿波根 昌鴻氏 の 反戦平 和 資 料 館 「ヌチ ドゥタ カ ラの家」 を見 学 中. 私が誰 かに対 して聞 き取 りをす る場合 ,そ の人のす. に,友 人 と二人連 れだ ったひろみ さん と出会 った。私. べ てを知 りたいわけではない。私が関心 を寄せ る事柄. たち三人 は ここで しば ら くの 間話 し込 んだ後 ,阿 波根. につい て,語 ってほ しいの で ある。 ここでの 関心事. 氏 と深 く関わ つて きたあ る監 督 の 自宅 に招待 され ,翌. は,「 戦争 の継承」 である。 また,限 られた時間内で. 日もこの監督 の案 内 で一 緒 に島内 を回 つた。. の聞 き取 りである ことも考慮 して,イ ンタヴューの 目. 反戦平和資料館 で話 し込 んで い る時 ,ひ ろみ さん の 二 つ の話 が 印象 に残 った。 一つ は「ヌチ ドウタカラの. 的をで きるだけ具体的 にあ らか じめひろみ さんに伝 え ておいた。. 家」 につい ての言 及 である。 わた しは この 日,午 前 中. 事前 に伝 えた 内容 は,以 下 の通 りで ある。私 は現. か ら資料館 に入 り浸 り,資 料 を書 き留 めた リカメラに. 在,戦 争や平和 について一般 の人たちに知 られてい な. 収 めた りして い た。 か び臭 い匂 い が 少 々気 になった以 外 は特 に感 じる こ ともな く,何 時 間 も居座 って い た。. い現実 を知 らせ伝 えてい く活動 をしようとしてい るこ と,ま た研究 として一般 の人々の戦争 ・平和観 を書 き. ところが ひろみ さんは,「 空 気 が重 くて ,居 られ ない」. 留 めてい きたい と考 えてい ること,ひ ろみ さんと出会. )が あ ったので もっと. と言 う。 この資料館 は,阿 波根氏 と伊江 島住民 が戦 中. った時 に印象 に残 る言葉. ・戦後 に拾 い 集 め た “が ら くた"― 一 血 が つ い た ま ま. 詳 しく聞 きたいこ と,で あ る。実際 の聞 き取 り場面 で. の衣服 や鍋代 わ りに使 っていた鉄 兜 ,爆 弾 ,パ ラシ ュ. は,ひ ろみ さんは こちらの意図をよく理解 して くれて. ー ト,土 地 闘争 の立 て看板 な ど―一 が 雑多 に並 べ られ. い たので,私 か ら発話 を促す必 要 はほ とん どなか っ. て い る。 シ ョー ケ ース に納 め られて い る展示物 は一切. た。 もちろん,よ り踏み込 んだ質問が必 要な場面 もあ. な く,一 つ一つ の 「 もの」 が 直接感 じ取 られ る よ うに. った。それは,社 会 に目を向けるようになった きっか. な ってい る。 しか し,そ れ らの もの と体験 を通 した接. けについて言及 した場面である. (上 記. 点 を持 た な い私 には ,「 展示物」 と しか映 らな い もの. (た だ し,本 稿 ではこ つい マ のテー に ては詳 しく扱 わない)。 ひろみ さんは. たちであ る。 一 方 ひろみ さん には,幼 い 頃使 った生 活. その きっかけについて,は じめは「特 に意識 は してい. 用 品 もあれば,時 折 目に して見 知 っていた もの もあ っ. ない」 と言 っていた。私 は,聞 き取 りの 中でその時点. た。後 の加筆修 正作業 で ,ひ ろみ さんは 「 あ る ものは. までに得 られた情報 か ら,お 母 さんが亡 くなったこと. 黙 ってただ そ こに在 る よ うに感 じ,あ る もの は何 か を. を取 り上げてみた。 さらに,お 父 さんが亡 くなったこ. 語 りかけ て い る よ うに も感 じた」 と書 き加 えた。過去. とを取 り上げてい くうちに,ひ ろみ さんの日か ら一人. の記憶 と直結 して い る「 もの」 たちが ,ひ ろみ さんに. 暮 らしを始めたことが出され,最 終的 に「独立」 とい. 資料館 内 の空気 を重 く感 じさせ て い たのであ る。. うキー ワー ドが取 り出された。. 印象 に残 った もう一つの話 は ,両 親 と戦争 に関す る. 手紙や電話 でのや りと りを含めて,聞 き手 と語 り手. こ とで あ る。 ひろみ さん の 両 親 は す で に他 界 して い. が 「対話」す る手法 を採用す るにあた り,私 は 自分 自.
(3) 105. 身が抱 えてい る課題や個人的な経験 をあえて積極的に. 修 正お よび 2回 目の面談 での 聞 き取 リノー トか ら構成. 自己開示 した。その理由は,今 回の聞 き取 りが 「私 の. されて い る。最終原稿 となった本稿 も,ひ ろみ さん に. 関心事」 を前提 に成 り立 っている ものであ り,そ の文. 目を通 して もらった。 以下 ,ひ ろみ さん の両親 と戦争 に まつ わる語 りを紹. 脈 の中でひろみ さんの語 りが構成 されてい く以上,こ ちらの立場 を説明する必要があると考 えたところにあ. 介す る。. る。「継承」 とい う課題 を探求す るとい う目的 に向け て,ひ ろみ さんが 自分 の記憶や経験 をその課題へ とつ. 5. 語 られ な い 戦 争 一 一 父 と 母 の 記 憶 か ら一 ―. なげてい くために必要な作業 として,私 との対話があ る。 したが って,「 ひろみ さんの語 り」 は,私 とひろ. 十数年前 ,父 が亡 くな ったのが 10年 前 です か ら. みさんの対話 の 中か ら紡 ぎ出されたものである。実際. そ の数年前 の こ とで す。 当時 ,父 はす で に退職 して い. の聞 き取 り場面 は,「 聞 き取 り」 とい うよ りは「対話」. ま した。慰霊祭 に行 く前 だ ったか ,帰 って きてか らだ. であ り,聞 き手 と語 り手 による構成 とい うよ りは二人. ったか ,た ぶ ん帰 って きてか らだ と思 い ます。今 日の. の対話者 による構成 で あ った。そ の よ うな もの とし. よ うに,暑 い 日で した。 一 人で行 ったのか ,誰 か と連. て,こ こでの「聞 き取 り」 を了解 して もらいたい。. れ立 ってい ったのか さえ覚 えて い ませ ん。 ただ ,当 時. ,. 父 は体調 を悪 くして い たので ,な ぜ そ こ まで して慰霊. 4. 祭 に行 くのか気 にな ったの を覚 えて い ます。 そ の こ と. 聞 き取 りの 概 要. 「慰霊祭 は沖縄 の 人 の を父 に問 う と,こ う答 え ま した。. 2003年 6月 22日 ,私 が宿 泊 して い たホテルの ロ ビ. ためだけにあるの じゃない よ。 み んなのため にあ るん. ーで. H時 半 に待 ち合 わせ を し,同 ホ テ ルの レス トラ ンで 昼 食 を摂 りなが ら,1時 15分 ご ろ ま で 会 食 し. だよ」。沖縄 の人だけでな く,日 本 もアメリカもアジア 近隣諸国の人々 も含めて,す べ ての人のために祈 る慰. た。聞 き取 りに要 した時 間 は,約 1時 間半 で あ る。 こ. 霊祭なのだ と父 は言 うのです。それを言 われるまで. の 日は,沖 縄県民が アジア ・太平洋戦争 中 の沖縄戦戦 ° 没者 を弔 う「慰霊 の 日」 の前 日にあたる。. 私 は「沖縄 が」犠牲 になったのだ と思 っていました。. ひろみ さんはプライベ ー トな事柄 に関 して,あ ま り. 愚痴 や不満 をつい 口に した時,父 は言 い ま した。「い. 話 したが らなか った。 テ ー プ録 音 も断 られた。 ひろみ. ろんな人がいていろんな ことが あるけれ ど,戦 争 さえ. さんの プ ロ フ イール として記す こ とがで きる項 目は限. なか った ら人は何で もで きるんだ よ」。そ の時 は言葉. られて い る。 だか らとい って ,聞 き取 りの 目的 に支障. の意味 を深 く意識 してい なか ったのですが,心 に残 り. が あ る わ け で は な い 。 ひ ろ み さ ん は,40歳 代 ,独. ました。 きっと父 自身が体験 し,実 感 した事 なのだろ. 身 ,1人 暮 ら しを始 めて 10年 近 く,父 親 は 10年 前 に. うと思 い ます。今あ らためて考 えると,「 戦争 さえなけ. 亡 くな り,母 親 は 3年 前 に亡 くな ってい る,5人 キ ョ. れば何 で もで きる」 とい う言葉 は,戦 争 は悲惨 であ ら ゆる物 を奪 って しまう,た だそれだけを言 いたかった. ウダイの末子 で ある。. ,. また,こ んなこともあ りました。私が何 かの ことで. 聞 き取 りの後 ,私 が まず 聞 き取 りの 内容 を ノー トか. のではない と思 い ます。逆 の表現 を使 って,「 平和 で. ら書 き起 こ して ひろみ さん に送 り,加 筆 ・修 正 をお願 い してお い た。3週 間後 の 7月 末 ,聞 き取 りの 内容 に. あれ ば,人 はい ろんな可能性 に満 ちてい る」,そ うい うヒン トを与 えて くれていたのではないか。父 は,シ. 考察 を加 えた論考が で きあが ったので ひろみ さん に送. ンプルな物言 い をする人で したが,「 答 え」 を言 う よ. り,こ れ に加 筆 ・修 正 して もらう こ とに した。 同年. 月 ,私 が訪沖 した折 ,ひ ろみ さん と会 う機会 を持 つ こ. うな人ではあ りませんで した。平和であれば希望が持 てることを,父 は私 に伝 えたか ったのだ と思 い ます。. とがで きた。そ の 時 ,ひ ろみ さんは修正原稿 を用意 し. 父 は何 で もよ く知 ってい ま した。テ レビを見 なが. て くれ て い た。6月 の 聞 き取 りか ら 8月 の 面談 までの. ら,私 が 「こ れ は 何 な の ?」 とか「 こ れ は ど う し. 期 間,ひ ろみ さんか らの電話が 1回 ,私 か ら聞 き取 り の感想 ,論 文 の 目的 ,私 自身 の「戦争」 へ の こだわ り. て ?」 とか尋 ねると,い つ も解説 して くれました。父 ヽ と 感 があ りました。 に聞け│ゴ イ 可で もわかる, とい う安′. な どを書 い た手紙 3通 の送付 があ ったが ,原 稿 の 内容 につい て具体 的 な相談 を した のは,こ の修 正原 稿 を前. その父が戦争体験 については,ほ とんど話 しませんで した。話 さないだけに,つ らい体験 をしたのだろうな. に した 2回 目の面談 にお い てのみで あ る。以下 の考察. と想像す る しかあ りません。父 は寝 ていて,時 折 うな. は,初 回 の 聞 き取 りに加 え,ひ ろみ さん 自身 の加筆 ・. される ことがあ りました。そのことを,家 族 はみんな. 8.
(4) 106. 甲南女子大学研究紀要第 40号. 人間科学編 (2004年 3月. ). 知 つてい ました。戦争のことで うなされてい るのだろ. ら,普 遍化 された言葉 は戦争 の リアリテ イを包み込ん. うか ?で も,本 人が話 さない以上 ,誰 も聞 こうとは じ. で しまうか らである。公的にはあ りふれた言葉が,ひ. ませんで した。. ろみ さんに とつて反戦平和 の言葉 として受け止 め られ. 母 もやは り,戦 争 の こ とは話 そ う と しませ んで し た。あ る時,テ レビで戦争 関連 の番組 を して い ま し. てい るのはどうしてなのか,そ のことを問 うてみる必 要があ る。. た。そ ばにいた母 に,私 が 「こん な感 じだ ったの ?」. ひろみ さんによる「父の過酷な戦争体験」 とい う解. と尋 ねると,母 は「どんなテ レビも映画 も,戦 争 は映. 釈 に則 って言えば,父 親が語 った言葉 は戦場 の忌 まわ. し出せない よ」 と答 えました。. しい体験 の沼か ら蒸留 された,い わば「純化 された体. 私 が映 画 『GAMA一一 月桃 の 花』 を観 た 時 も,そ うで した。私 は母 と共通 の話 がで きるかな と思 い. 験」 の しず くで ある。 しか しなが ら,体 験が 「言葉」. ,. として表出される過程 において純化 された として も ,. 「いい映画 だったよ」 と話 しかけ ま した。母 はただ. 体験その ものは純化 されない まま記憶 の淵 に沈殿 して. 「ああ,そ うなの」 と言 うだけで,寂 しそ うな表情 を. い るか もしれない。そ うした体験 の断片が,時 にひろ. 浮かべ てい ました。私 はテ レビや映画や本か ら影響 を 受けて戦争 をイメージ してい る面があ りますが,母 に. み さんの 目に見える形 で立ち現 れる。悪夢 に うなされ. とってそれはきつとまった く違 うもの なので しょう。. が,そ れである。. ,. る姿や暑 い 日差 しのなか を慰霊 祭 に足 を運ぶ父 の姿. 表現 しづ らいいろんな体験や思 いがあって,そ れは母 に限 らず,多 くの人が今 も持 ち続けてい るのだ と思 い. る。5人 キ ョウダイの年長 の姉 は,戦 後す ぐに生 まれ. ます。. てい る。当時 の沖縄 は,特 に首里 (現 那覇市)か ら南. そ して戦争 を具 象す る最 たる ものが,姉 の名 で あ. 部 にかけて,草 木一本生えない までに破壊 し尽 くされ. 6「 み ど り」―一戦争と希望 を具象するもの一一. た。隆起珊瑚礁か らなる一帯 は,焦 土であ りなが ら砕 け散 った珊瑚 のために,あ た リー面灰 白色 の世界 だっ. ひろみ さんの父親が語 つた言葉 は,戦 争体験その も. たと言 われてい る。 ひろみ さんは このような当時 の惨. のについて語 った言葉 ではない。父親の戦争体験 は. 状 を,「 知識」 として知 っている。廃墟 の 中で,ひ ろ. 沖縄戦 について知 られてい るよ うな体験一―「鉄 の暴. み さんの父親 は生 まれ来たるわが子 に「み ど り (美 登. 風」 と称 されるす さまじい数 の砲弾が頭上か ら降 りそ. 里)」 と名づ けた。父の命名 を,ひ ろみ さんは「 目に. そ ぐ様 ,無 差別に砲弾 に食い尽 くされてい く人 びとの. 見 える美 しさだけでな く,人 の心 を潤す もの を求 め. 様 ,強 い られた集団 自決 の様―― なのか,あ るいはそ. た」 のだ と受け止 めている。身近 にいる姉 の名 は,戦. うしたことは体験 してい ないのか,本 人より知 る由は. 争 を乗 り越え,な お生 きようとする人間の希望 の表象. ない。父親 の体験 が どの ようなものであ ったかをここ. としてある。. ,. では問題 にしない し,ま た検証 の しようもない。分析. 一方,か た くなに何 も語ろうとしなか った母親 は. の起点 は,ひ ろみ さんが父の体験 を語れないほど過酷. 娘 と「体験 の共有」 を拒む ことによって戦争 に対す る. な体験 として私 に語 ったことにある。. 拒絶 の姿勢 を見せてい る。そ こには自らが体験 した戦. また,父 親の言葉 は決 して特別な言葉 ではない。沖 縄戦 のことを多少知 る者 であれば,あ の戦争が軍民. 0. ,. 争 を,イ メージによって映 し出された戦争 とはあ くま で一線 を画 し, 日常 に持 ち込む ことを許 さない態度が. 敵味方 を問わず多 くの犠牲者 を出 した ことは周知 の事 実 である。「慰霊祭 はみんなのため にある」 とい う認. ある。母親のこうした姿勢 か ら,ひ ろみ さんは戦争 を. 識 は,特 異 とはい えない。「戦争 さえなければ,人 は. のだ と受け止 めてい る。. 日常か ら隔絶す ることによって平和 な生活が保たれる. 何 で もで きる」 とい う言葉 もまた,沖 縄戦に限 らず戦 争一般 に関 して言える ことであ る。 た しかに,一 公務. 7. 戦 争 を継 承 す る. 員 であ る父親が語 る言葉 としては特異 か もしれない。 彼 が クリスチ ャンである ことが,宗 教的お よび普遍的. ひろみ さんの記憶 の中で,戦 争体験 について沈黙 し. な思想 を表現す る言語的資源 を与 えたか もしれない。. て きた父親は,純 化 された言葉 と日常生活 で垣 間見せ. これ らの言葉 は,私 的な空間ではあま り聞かれない と. る戦争体験 の断片 によって,「 戦争」 を語 って きた。. して も,公 的な言葉 としては耳 にする。ただ し多 くの. そ してひろみさんが学 んだ沖縄戦 に関す る知識が,そ. 場合,反 戦平和 の言葉 として響 い て こない。なぜ な. れ らをつ なぎ合わせる接合剤 となる。個 々の事柄 が一.
(5) 107. 連 の文脈 を構成 した時,「 沈黙」 は「語 る」 口を与 え. か ら,世 界 を見てい たように思 い ます。私 は 5人. られるのである。文脈 を構成す るのは,他 ならぬひろ. キ ョウダイの一 人 ですか ら,問 題 に対 して 「5分. み さんである。父親ではない。父親 は,個 別 の行動 と. の 1」 の責任 で見 てい ればよかったように思 い ま. 沈黙 を見せたにす ぎない。 ひろみ さんが,「 戦争」 と い うキャンバスの上 に父 の言葉や行動 を描 き込んでい. す。 ところが,一 人暮 しになってか らは 1対 1で. く中で,そ こに生 じた空白. (沈 黙)を. 背景 との関連 か. ら読み取 った時,沈 黙 は語 り始 めるのである。この こ. 臨 まなけれ ばな らな くな りま した。 自分 の生 活 が,直 接的 にも間接的 にも,金 銭問題 をは じめ環 境問題 や基地問題 な どと結 びつい てい ます。「独. に,受 け取 る側 の問題 であ ることを示唆 してい る。2. 立心」 とまでは言 えないか もしれませんが,一 人 になったことが社会 に目を向けさせたのだ と思 い. 回目の面談 の時,ひ ろみさんはこう語 った。. ます。. とは,戦 争 の継承が体験 を伝 える佃1の 問題 である以上. ひろみ さんは,「 個」 の視点 で物事 を見 るようにな. 今 か ら思 うと,父 はもっと伝 えようとしていた か もしれません。末 っ子 で遅 くして生 まれた私 の. った今 も,そ の根底 には「父」がある とい う。「今起. ヽ ことがかわい くもあ り,′ 亡 己で もあ ったと思 い ま 酉. きてい ることについて,父 に尋 ねたらどんなふ うに答. す。年老 い,体 調 を崩 してい く中で,な んとか私 に伝 えようとして い たか も しれないので す。で. えるだろうか……。 こんな時,父 だったらどうす るだ ろ うか……。私 はいつ も父 をイメージ して考 えてい る. も, 日々の生活 の中で,食 事中 にご飯 を装 った り 醤7由 を取 った りしなが ら聞いていた り,出 かける. ように思 い ます」。 ひろみ さんに とつて父親 は,戦 争 に限 らず物事 を考 える「足場」 となっている。. 前 の慌 ただ しさに紛れなが ら聞いていた り,父 の. 8. 言葉 をいい加減 にしか聞いてい なか ったように思 い ます。父 を亡 くした今 ,い くつかの短 い言葉 が 心 に残 っているだけです。. 反戦平和の「足場」 を持つ. ひろみさんの語 りを通 して,戦 争体験者である両親 か ら「沈黙 とい う語 り」 によつて反戦平和 の思想が継. 承す るには,そ れを受け止めようとす るひろみさん自. 承 される様 をみて きた。戦争 を継承す るためは,言 葉 や知識が必要であ るが,学 習や想像力 だけでは補 い き. 身の姿勢 も必要である。父親 の言葉 は,個 人的な言葉 として 日常 に埋没 してい る限 り,特 に意識 される こと. れない ものが あ るように思われる。個別 の言葉 と個別 の知識 に個別 の リア リテ イが加 わ り,そ れ らが 「戦. はない。私的な事柄 が,ひ ろみさん自身が加筆 で説明 してい るように「特別 な ことではない私 たちの生活 と. 争」 とい う一連 の文脈 を構成 した時,意 味ある連関が つ くられ る。 このことは「沈黙」 に限った ことではな. 」 とつ なが つた時,そ こに新 た 関連 してい る 『社会』 な意味が見出される。社会へ の関心 について,ひ ろみ. く,直 接 的な言葉 による語 りにお い て も同様 で あ ろ う。戦争体験 が語 られるだけでは,戦 争 は必ず しも継. さんは次 のように語 つた。. 承 されない。 また,個 別 の リアリテ イが継承 にとって 重要な要因であ るとはい え,そ れだけで継承 で きると. ひろみさんが父親 の言葉 を反戦平和 の思想 として継. 私 は最近 ,大 きな活動 はで きない けれ ど,社 会 のことに関心 を持 って見 ていこうと心が けてい ま す。 これ まで,テ レビのことはテ レビのこと,ニ ュースはあ くまでニ ュースで しかな く,自 分 の生 活 と関連づ けて考 えた りす ることはあまりあ りま せんで した。で も,こ こ数年 ,少 しずつ社会 の間 題 を自分の問題 として考 えるようにな りました。 なぜそ う考 えるようになったのか,よ くわか りま せんが,思 い当たることは一人暮 しを始めた こと. い うもので もない。 さらに,ひ ろみ さんの事例 は,戦 争 とい う文脈 を構成す るための視点 として「社会」 と つ なが る個 の視点 が必要である ことを示唆 して くれ る。 戦争 の非体験者 が学習や想像力 に よつて獲得 した 「戦争」 を非体験者 に語 ってい く時,イ メー ジされた 戦争 をみずか らの「体験」 としてそ こへ乗せてい く足 場が必要である。 た とえば,沖 縄 0本 土 を問わず人 々 の琴線 に触れる名曲 『さとうきび畑』 を生んだ寺島尚. 父が亡 くなってか ら,一 人暮 しを始めました。. 彦 は,本 土の人間である。彼 はさとうきび畑 を歩 きな が ら,戦 跡案内者 か ら足元 にい まだ遺骨が眠 つている. それまでは家族 の 中か ら,つ まり「守 られた」中. ことを指摘 され,そ れを意識 した瞬間「 ざわわ」 とい. で しょっか。.
(6) 甲南女子大学研 究紀 要第 40号. 108. 人間科学編 (2004年 3月. ). う音 と共 に戦没者 の怒号 と鳴咽 を聞 い た2。 戦跡案内. み る とい う こ との必 要性 を感 じた。 自分 だ け の体. 者 の語 りとさとうきび畑 とそ こ を吹 き抜 け る風 の音. 験 や想 い に留 まらず ,視 野 をさらに広 げる こ とや. が,「 沖縄戦」 を浮かび上が らせ たのである。私 自身. 自分 で足 を運ぶ ことの大切 さも実感 した。. の体験 の 中では,磨 文仁 の丘 にある「平和 の礎」 がそ. 父が私 に伝 えたか ったのは,希 望 を持 つ こ と. れにあたる。国籍や軍民 を問わず沖縄戦 の犠牲 となっ. 視野 を広 く持 つ こと,何 が大 事 なのか を忘 れ ない. た 23万 余 りの名 が刻 まれた,100基 を越 える墓 碑 が. こ と,そ の他 た くさんの こ と。 お 父 さん ,伝 わ っ. 並 ぶ。私 は,読 みあげられない まで もせめて目に収め. て い る よ。私 も私 な りに伝 えて い くね。 あ りが と. ようと試 みた。端か ら順 に日と足 を使 って 1時 間以上. う。. !. かけてなぞ つたが,そ の一部 しか目的は達成 されなか った。「23万 余 り」 とい う数字が,名 前 をなぞってい. 今回は じめて,意 図的に対話型 の聞 き取 り法 を採用. くごとに人 の命 の重み として心 にの しかか った。 ま. した。「平和 を考 える」 とい うよ り大 きなテ ーマの 中. た,ひ ろみ さんが語 った両親 の「沈黙」 も私 の足場 と. で方法論 を模索 した時,対 象者が持 つ情報 を単 に書 き. なる。私 にとって理念的な言葉 で しかなか った思想. 留 め るので はな く,対 象者 が 所有 して い る「資源」. ,. はこれをひろみ さんへ の手紙 の 中で 「宝」 と表現. 捉 えようがなかった沈黙 は,ひ ろみ さんによって構成. (私. された「戦争」 を通 して具体的な言葉 となった。沖縄 には,こ うした「足場」力れヽ たるところに用意 されて. した)を 用いて平和 に向けて共に考えたい と思 った。 デー タが恣意的に操作 されるとい うデメリッ トを考 え. い る。先 の戦争 で唯一地上戦 を経験 し,現 在 も基地 と. て もなお,聞 き取 りの場が 「参加者」 にとって平和活. い う「戦場」 を抱 えてい るのが沖縄 である。私が,戦. 動 の一環 となるのであれば,こ うした方法があって も. 争 の継承 の問題 を沖縄で考 えようとするのは,そ のた. よいのではないか と思 う。. めである。. 9. 注 1)'中 縄県で は,6月 23日 を「慰霊 の 日」 と し,沖 縄戦 最後 の激戦地 となった南部 の戦跡地で 「沖縄全戦没者. むすびにかえて. たまたまひろみ さんと出会い,聞 き取 りと手紙 ,電 話か ら本稿がで きあが った。二 回目の面談 の時,修 正 原稿 を携 えて きたひろみ さんは 「対話型」聞 き取 りに ついて,次 のような感想 を述べ た。 こうい うや り方が新鮮 だった し,私 にとってう れ しいこ とで した。 これ までにも人か ら意見 を尋 ね られるような ことが あ りま したが,「 私 は, こ う思 う」 と言 いっ放 しで した。 自分 の言 ったこと が相手 にどう伝 わってい るのか,ど う受け止 め ら れてい るのか, どのように理解 されてい るのか. ,. わか らない ままで した。そこに コ ミュニ ケーシ ョ ンと呼べ るものはあ りませんで した。だか らこれ は,原 稿 に書 かれているように「対話」 なのだと 思 い ます。 こうして 自分が言 ったことが文字 にな り読 んでみて,自 分 を客観的 に見 ることがで きま した。 そ して,修 正原稿 の最後 にメモが残 されていた。 門野 さん との 出会 い によって,少 し踏 み込 ん で,ま た少 し異なった視点 か ら物事 に向 き合 って. 追悼式」が行 われる。 この 日は,沖 縄 戦 を指揮 して い た 日本軍 の司令官 。牛島満 中将 と参謀長 ・長勇 中将が 自決 した 日である。 日本軍 の組織的 な戦闘は終結 した とは い え,そ の 後 も各地 で 米軍 と 日本 兵 の 戦 闘 は続 き,多 くの住民 を巻 き込 んだ。 この 日は,県 主催 の追 悼式典 のほか に,団 体や個 人による慰霊祭が各地で行 われる。 2)CDア ルバム『さとうきびナ田』 に, 歌言司カー ドとは男J に添 えられた 「『ざわわ』 の希 い」 と題 された作者の文 章 (2001年 記 )か ら一部引用 した。 付記】 【 私 はひろみ さんに加筆 ・修正作業 を依頼す る手紙 の な かで,本 稿 の 目的 を次の ように説明 した。 ひろみ さんの 経験 を私 一 人に留 めず,よ り多 くの 人に共有 して もらう ために論文 とい う形で まとめ,戦 争 と平和 を考 える手掛 か りに したい とい うこと。そ して,ひ ろみ さんの なか に ある ご両親 の記憶 を,記 録 として残す作業 の手伝 い を し たい とい うこと。本稿が ひろみ さん 自身 の もので もある ことは,最 終稿 に同封 した手紙で も改めて強調 してお い た。 ひろみ さんは最終稿 を姉 の美登里 さんに も見せ ,そ の うえで本名 を掲 載す る方が よい と判断 された。 ご本人 の了解 を得 て,本 名で掲載 させてい ただ くことにする。 ご両親 の記憶 とい うプ ライベー トな事柄 を,こ の よ う な形 で 分か ち合 う こ とを承諾 して くだ さっただけで な く,『 さとうきび畑』 や慰霊 の 日の平和行進 な ど,沖 縄 に つい て「初心 者」 であ る私 の「案 内役」 となって くだ さ ったひろみ さんに,心 よ りお礼 を申 し上げたい。.
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