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渡辺潤教授の退任記念号に寄せて

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Academic year: 2021

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渡辺 潤教授の退任記念号に寄せて

 本来このような号はこれまで積み重ねてこられた履歴業績から始まるもののようです。し かしご業績はゆかりの皆さんが,心からの敬意をもって書評としてまとめられ,これ以上の ものはありえません。本学に着任された時期や経緯,人となり,ゼミの様子も田村先生以下 のご寄稿で十分にわかります。コミュニケーション学部,そして渡辺さんらしいスタイルに ならい,残りのご履歴もこの小文に埋め込む形で表現します。  渡辺さんにはじめてお会いしたのは,2011 年度に一年間務められていたコミュニケーシ ョン学部長として関わられた,私の採用面接のときでした(当時のメールのやりとりで, 「柴内さん」で「渡辺さん」だよ,と申し渡されたため,ここでもそれを守ります)。それ以 来,自由闊達で飄々としている渡辺さんは,私にとって憧れの大学教員でした。もちろん組 織人として腹を立てたり,悩まれている姿も見かけたことはあります。しかしその一方で, 渡辺さんが作り上げてきた空間,コミュニティがどれほどのものであったのか,私は本号に 寄せられた草稿を一読したときに,まだ自分の中にこれほど人を羨む気持ちがあったのかと 確認することを通じて,改めて気づかされた気がします。  そんなコミュニティの源流の一つは,渡辺さんが学ばれた京都にあったように思います。 渡辺さんは同志社大学・新聞学専攻の大学院で 1970 年代に学ばれました。私の前任校であ るそこで,同僚であった竹内成明さん(こちらも「さん」です)から渡辺さんは教えを受け られています。成明さんの周りにも,やはりその人柄や学識を慕うたくさんの人がいました。 本学に採用していただくとき「ぼくの同僚になると知ったら,成明さんは喜んでくれるはず だよ」と渡辺さんに言われ,そして私が個人研究室の鍵を事務室に返却し新幹線に乗る日の 夕方,退職されていた成明さん宅に押しかけのご挨拶にうかがうと,「渡辺潤のところに行 くんだな。本当によかった。大丈夫だ,何の心配もせんでええ」と全く示し合わせもなく励 まされたのでした。これを書くいま,やはりまた羨ましい思いに焦がれます。ですから私に とって本学に着任するのは,一つには渡辺さんの近くで働くということでした。渡辺さんが 退職され,今度は学部長職をめぐり合わせでお預かりするいま,何かと寂しさや不安に駆ら れます。しかし,渡辺さんがよしとされた学問や大学のあり方を胸に刻み,一方で今後大き く様変わりするであろう環境のなか,できることに力を尽くしていきたいと思います。  自由と思索の森の生活の中から編み出されるものを,これからも楽しみにお待ちします。 長らくありがとうございました。コミュニケーション学部一同,御礼を申し上げます。 コミュニケーション学部長 柴内康文

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