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求められる 領土問題はとりわけナショナリズムを煽る手段として利用されやすいので なおさら冷静かつ客観的な対応 が必要なことは言うまでもない 琉球国には 尖閣 は含まれていない 魚釣( うおつり ) 島 という名称は中国の 釣魚島 を日本語風に言い換えたもの 尖閣諸島 というのもイギリス海軍が付けた

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Academic year: 2021

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日中国交回復40年の日本と中国 「不惑」の関係をどう築いていくか

村田 忠禧

(むらた ただよし)

1 発展する中国にどう向き合うのか

日本の貿易シェアで見ると輸入ではすでに02 年段階で米国 17.1 を中国 18.3 が上回り、以後その差は拡大する一方で、 11 年現在、米国からの輸入は 8.7 に下がったが、中国からの輸入は 21.5 に増えている。われわれの身の回りに Made in China が溢れている。 日本の輸出先としては01 年の段階での中国のシェアは 7.7、それに比して米国は 30.0 と対米輸出がトップを占める時 期が長く続いたが、その差は次第に縮まり、09 年には米国 16.1 に対し、中国は 18.9 となりトップを占めるにいたった。 11 年には米国 15.3、中国 19.7 となっている。輸出入総額でも 11 年では米国 11.9 に対し中国 20.6 であり、中国が日本の 貿易相手国として最大となっている。 購買力平価にもとづく世界各国のGDPにおける米国、日本、中国のシェアを見ても、1980 年には米国 24.6、日本 8.8 に対し中国は2.2 に過ぎなかったが、00 年には米国 23.5、日本 7.7、中国は 7.1 と日本にかなり接近してきた。11 年にな ると米国19.1、日本 5.6 といずれも下がったが、中国は 14.3 と躍進ぶりが顕著である。IMFの予測では 2017 年には米 国17.7 を抜いて中国が 18.3 と世界のトップになるとのこと。はたしていつ中国が世界最大のGDP大国になるかは不明 だが、そう遠くない将来に実現するであろうことは間違いない。13 億もの人口を抱えた国が人口 3 億の米国よりもGDP で下位、ということのほうが問題である。一人当たりGDPで見れば中国はいまだ発展途上の国、という現実を忘れては ならない。 改革開放政策に転じて以来の中国の経済発展の目覚ましさは周知の事実であるが、日本人の中国に対する意識は近年悪 化の一途をたどっている。 内閣府が 1978 年以降、米国、ソ連・ロシア、韓国、中国に対する日本人の意識調査を行なっている。この「外交世論 調査」結果によれば、80 年代の日本人の対中イメージは米国へのそれに劣らないほど中国に親近感を持つ人が多かった。 1989 年「天安門事件」発生以後、日本人の対中イメージは急激に低下したが、それでも 90 年代半ばまでは韓国に対する 親近感よりも高かった。それに変化が生じたのは98 年以降で、韓国から金大中大統領、中国から江沢民国家主席とそれぞ れのトップが来日したが、日本人の対中国、対韓国の親近感に逆転現象が発生し、韓国優位になった。小泉首相の靖国神 社参拝問題などで、日本側の対中、対韓イメージも揺れ動く時期もあった。しかし全体としての傾向は日本人の対韓国イ メージは改善されたが、対中国イメージは双方の努力によって改善されるかに見えることもあったが、毒入り餃子事件や 尖閣・釣魚島問題などの発生でいっそう悪化してしまい、とりわけ10 年は最悪なものとなった。今年も 10 月に外交世論 調査は行なわれるだろう。国交正常化40 周年にふさわしい結果が出てくるのか、かなり悲観的にならざるを得ない。 経済のグローバル化および世界経済における中国の役割の増大とともに、日本の発展が中国との関係を抜きにしては考 えられない、という事態が進行しつつあるのに、国民感情レベルでの嫌悪感の増大は深刻な問題である。どうしたらこれ を改善することができるのか、日中友好協会の存在意義が問われている。

2 相互理解の増進による信頼関係を強化することが課題

石原慎太郎東京都知事が4 月 16 日にワシントンで、尖閣諸島を都が購入しようとしている、と発言したことから、政府・ マスコミには賛否両論、さまざまな反応が見られる。しかしいずれにも共通しているのは「尖閣諸島は歴史的にも国際法 的にも日本の固有の領土」、「中国(台湾も含む)との間には領土問題は存在しない」という立場である。 はたしてその通りなのだろうか。それでは中国は何を根拠に中国の領土だと主張しているのだろうか。争いごとが発生 した場合には必ず双方の意見を聞き、それが事実を即しているか、道理にかなっているか、公平・公正に判断することが

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2 求められる。領土問題はとりわけナショナリズムを煽る手段として利用されやすいので、なおさら冷静かつ客観的な対応 が必要なことは言うまでもない。 琉球国には「尖閣」は含まれていない 「魚釣(うおつり)島」という名称は中国の「釣魚島」を日本語風に言い換えたもの。「尖閣諸島」というのもイギリス海軍 が付けた「Pinnacle Islands」を翻訳したもの。いずれも琉球古来の呼称ではなく、外来の翻訳語である。それだけ琉球 には縁遠い存在なのだ。なぜならこれらの島々と南西諸島との間には沖縄トラフ(沖縄海槽)という、ところによっては 2000mを越す深い海が存在し、琉球の漁民は容易に行くことができなかった。しかし 200m未満の大陸棚の縁に位置して いるので、福建や台湾の漁民たちにとっては身近な存在であったし、今でもそうである。かつて福建省福州から皇帝の使 節である冊封使を乗せた船が琉球の那覇に向かうには、これらの島々を目標にして大陸棚の浅い海が続く西側を北東方向 に進み、最後に黒潮の流れる深い海(黒水溝)を渡った。それは危険を伴うため、黒水溝を無事に渡り切り久米島が見え て来ると、福州から冊封船に伴航してきた琉球船の船員たちは、無事に故郷に帰れた喜びを歌と踊りで表現した。 琉球国は三省三十六島からなるとされてきた。仙台藩の林子平の『三国通覧図説』「琉球三省並三十六島之図」は中国、 琉球、日本を色分けしているが、釣魚台、黄尾山、赤尾山は中国の色で描かれている。江戸幕府は「国絵図」という共通 した尺度による地図を全国に作らせたが、琉球国を支配した薩摩藩も正保、元禄、天保と三回にわたって「琉球国絵図」 を作って幕府に提出している。国絵図はいわば公式地図。江戸時代の日本の測量技術の高さに驚くとともに、琉球国の範 囲を明確に知ることができ、そこには「尖閣諸島」が含まれていない。倭寇討伐や切支丹禁制が敷かれていた時代に国境 意識が曖昧であったわけがない。琉球国の西端は久米島、というのは当時の中国、琉球、薩摩の共通した認識であった。 日本は戦勝に乗じてこっそりと手に入れた 明治維新によりアジアで最初に近代国家の道を歩み出した日本は 1879 年の「琉球処分」で琉球国を沖縄県として併合 した。日ごとに弱体化する清国の実情を知るに及び、さらに触手を朝鮮や台湾へと伸ばしていった。動力船による航海が 可能となり、釣魚島などの島を開拓しようとする人々も現れてきた。明治政府は沖縄県令(のちの知事)に福州との間に 散在する無人島の調査を命ずるが、県令の西村捨三は『中山伝信録』に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一と 思われるので、清国を刺激することになりはしないか、との懸念を表明した。外務卿(のちの外務大臣)も、日本の行動 に警告を発する上海『申報』の記事を紹介し、「不要なコンプリケーション(紛糾)を避け」、とりあえずは調査のみに留 めるべき、との意見を提出した。内務卿も最終的にそれに同意し、国標建設の儀は「目下見合わせる」こととした。1885 年のことである。その後も沖縄県から明治政府にたいし国標建設の上申が何度か出されるが、政府は取り上げなかった。 ところが日清戦争での日本の勝利が確実になった1894 年 12 月になると、もはや清国政府の反応を恐れる必要はない。 「其の当時(1885 年)と今日とは事情も相異候に付き」として内務大臣は標杭建設について外務大臣に伺いを立て、外務 大臣も「別段意義なし」と回答し、翌95 年 1 月に標杭建設の閣議決定を行なった。つまり戦争での勝利に乗じて日本の版 図に組み入れたのであり、まさに火事場泥棒である。実際には標杭建設はすぐには行なわれず、周辺海域での石油資源の 可能性が指摘された1969 年 5 月に始めて琉球政府が行なった(これらの経緯については井上清『「尖閣」列島-釣魚諸島 の史的解明』が詳細に分析している)。 ポツダム宣言受諾の持つ重み 1895 年 4 月の下関での日清講和条約締結で、台湾全島及びその附属島嶼、澎湖列島は永遠に日本に「割与」され、台湾

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3 は大日本帝国の一部分になった。釣魚島等はこの条約締結前にこっそりと沖縄県八重山郡に編入されていたので、講和条 約締結時には取り上げられていない。かねてから魚釣島等の開拓を求めていた民間人(古賀辰四郎)は同島で羽毛の採取 やカツオ節工場などの事業を始めることになった。中華民国政府駐長崎領事も民国九年(1920 年)5 月 20 日に、福建省 恵安県の漁民31 名が尖閣列島周辺で遭難した時に沖縄県石垣島の人々に救助されたことのへ感謝状を出すとともに、日本 政府側から請求のあった救護経費を支払っている(山本晧一『日本人が行けない「日本領土」』)。明らかに当時、中華民国 政府は尖閣列島を沖縄県に属するものと見なしていた。 問題は日本が「支那事変」と称して中国への全面的な侵略戦争を行い、さらにはアメリカ等連合国をも敵にした第二次 世界大戦に突入し、最終的には日本軍国主義の敗北で幕を閉じたことから始まる。日本が1945 年 8 月に「ポツダム宣言」 受諾を連合国側に表明し、戦争は終結した。「ポツダム宣言」第八項には「カイロ宣言の条項は履行されるべき」とある。 「カイロ宣言」(1943 年 11 月)には「満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に 返還すること」とある。日清戦争で敗北した中国(清国)は、台湾を条約にもとづき日本に永久的に割譲したが、日本の ポツダム宣言受諾によって台湾は中国に返還された。この点については日本政府も1972 年の日中共同声明においても「ポ ツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」と明確に表明している。 では「清国人より盗取したる一切の地域」の中に釣魚島等の島嶼が含まれるのだろうか。清国との戦争での勝利が明確 になった時点で「其の当時(1885 年)と今日とは事情も相異候に付き」と判断して国標建設を決定したのだから、「清国 人より盗取した」ものであることが確認できよう。 したがってポツダム宣言受諾をもって釣魚島等の島嶼は中国に返還されるべきであった。しかし1895 年 1 月の沖縄県 への編入は閣議決定のみでこっそりとなされたこと、しかも開拓を申し出る民間人に間もなく貸与され、後に払い下げら れたため、中国、日本双方ともこの島々を、台湾と同様に中国に返還すべきもの、という認識にいたらなかった。 アメリカの琉球支配下で ポツダム宣言第八項はさらに「日本国の主権は本州、北海道、九州及四国竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」 と規定しており、沖縄はアメリカ軍の支配下に置かれた。尖閣諸島はもともと沖縄県八重山郡に組み入れられていたので、 アメリカもそれを引き継いだ。 『人民日報』1953 年 1 月 8 日の「琉球群島人民のアメリカの占領に反対する闘争」という資料記事には「琉球群島はわ が国台湾の東北と日本の九州の西南の海上に散布し、そこには尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、トカラ諸島、 大隅諸島という七組の島嶼が含まれる」という記述があり、尖閣諸島は沖縄に属するものと見なしていた。したがって米 軍が黄尾嶼、赤尾嶼を射爆場として使ってきたことに抗議したこともない。沖縄返還後も黄尾嶼、赤尾嶼は米軍の射爆場 に供されているが、1978 年 6 月以降、米軍は使用していないとのこと(2010 年 10 月 22 日 内閣総理大臣 菅直人の答 弁書)。 エカフェ(ECAFE 国連アジア極東経済委員会)が 1968 年に周辺海域に膨大な石油資源が埋蔵されている可能性があ るとの調査結果を発表してから、尖閣諸島・釣魚島の存在が急にクローズアップされ、日本も中国(台湾も含む)も領有 権を主張するようになった。日中両国政府はいずれも「固有の領土」と主張するが、双方とも自分に都合の悪い事実は覆 い隠している。もっと歴史と現実への謙虚な気持ちを持つべきである。 日本と中国との最も重要な課題 中国封じ込め政策の張本人である米国のキッシンジャー大統領特別補佐官が1971 年 7 月に密かに北京を訪れたことが 明らかになるや、国連における中国代表権問題は一挙に決着がつき、中華人民共和国が代表権を獲得した。日本国内には

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4 中華人民共和国との国交樹立を求める国民運動が澎湃として巻き起こり、日中国交回復が日本の最重要政治課題となった。 田中角栄は総理に就任するや、公明党の竹入義勝委員長に北京入りをしてもらい、周恩来総理との会談が実現した。1972 年7 月 28 日の二回目の会談で、周恩来は竹入に次のように語った。(竹入メモによる)。 「尖閣列島の問題にもふれる必要はありません。竹入先生も関心が無かったでしょう。私も無かったが、石油の問題で歴 史学者が問題にし、日本でも井上清さんが熱心です。この問題は重く見る必要はありません。平和五原則に則って国交回 復することに比べると問題になりません」。 この周恩来の発言のなかで注目すべきは、尖閣・釣魚島の問題についてこれまで「関心がなかった」ことを率直に語っ ていることである。相手への信頼がなければこのようなことは言えない。すでにこの時点で公明党を含む日本の議会政党 は押し並べて尖閣諸島は日本の領土、という立場を表明していたし、中国政府は中国の領土と表明していた。しかし領土 の争いで国交回復の実現を遅らせてはならない、という点で双方は一致していた。もう一点、注目すべきは歴史学者・井 上清の名前をあえて挙げていることである。はたして竹入義勝はその後、井上清の著書を読んだのだろうか。 領土をめぐる主張の違いは日中国交正常化の障害にはならなかった。その後、平和友好条約締結交渉においても鄧小平 が領有権問題の棚上げを主張したことは周知の通りである。 「尖閣列島をわれわれは釣魚島と呼ぶ。呼び名からして違う。確かにこの問題については双方に食い違いがある。国交正 常化のさい、双方はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉のさいも同じくこの問題に触れないことで一致 した。 中国人の知恵からして、こういう方法しか考えられない。というのは、この問題に触れると、はっきりいえなくなる。 確かに、一部の人はこういう問題を借りて中日関係に水をさしたがっている。だから両国交渉のさいは、この問題を避け るのがいいと思う。こういう問題は一時タナ上げしても構わないと思う。十年タナ上げしても構わない。 われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話し合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと 知恵があろう。その時はみんなが受け入れられるいい解決方法を見いだせるだろう」。 鄧小平が1978 年に期待を込めて語ったように、われわれ 21 世紀に生きる人間は彼らよりもっと知恵をもち、よい解決 方法を見いだそうと努力しているのだろうか。 疑問だらけの漁船と巡視船との「衝突」事件 ここで2010 年 9 月 7 日に発生した中国漁船と日本の巡視船の「衝突」事件について簡単に紹介しておく。 事件発生当初、メディアはいずれも「接触」と報道しており、「衝突」という表現を用いていない。漁船(166 トン、推 定速度10~15 ノット)は「よなくに」(1300 トン、30 ノット)に接触したあと、「みずき」(197 トン、35 ノット)にも 接触したが、その後、中国人船長は海上保安官に対する公務執行妨害容疑で逮捕された、と報道されている。 事件発生当時、国土交通大臣であった前原誠司は9 月 10 日に衆議院国土交通委員会で「DVDを見ておりまして、完全 に中国の漁船が体当たりをしてきているということで、これはもう明確」であると発言し、外務大臣になって以降の9 月 28 日の外交防衛委員会では「漁船が海保の巡視船に対して体当たりをしてきたということでありまして、ともすれば沈没 をしたかもしれないという悪質な事案」と中国漁船の危険極まりなさを強調した。その後、巡視船の撮影した映像が Sengoku38 によってネット上で公開されると、メディアはその人物を特定することにのみ関心を注目させ、漁船と巡視船 との「衝突」の真相究明を、明らかにされた映像にもとづいて客観的に解明する作業をまったく放棄している。 編集された、きわめて断片的なビデオ映像ではあるが、子細に見てみると前原誠司が強調する「悪質な事案」とはかな り異なる事実が浮かび上がってくる。 巡視船「みずき」に漁船が「体当たり」している「証拠」としてよく取り上げる場面があるが、「みずき」と漁船のこの 「衝突」の模様を、別の巡視船「はてるま」が記録している。これはきわめて重視すべき映像なのだが、管見ながらこの

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5 点について分析した記事や文章を目にしたことがない。撮影者の音声も入っているので、当時の雰囲気がよく分かる。「み ずき」は漁船の回りを旋回するように動いており、その速さは漁船をはるかにしのぐ。巡視船だから当然である。漁船の 前を遮るかのように「みずき」が進むのを「はてるま」は「現在、『みずき』により停船命令、停船命令、停船警告を実施 中である」と解説している。その後「『みずき』が該船左舷方に着いて停船する様子あるものと思われる」と「はてるま」 の撮影者は解説しているが、実際にはこの時「みずき」と漁船との「衝突」が発生しているのである。「みずき」が撮影し た映像から見ると、漁船が急に方向を変えて「みずき」に接近して衝突しているように見える。われわれは太陽や月が東 から昇り、西に沈む光景を毎日目にしているが、これは自分が位置している地球そのものが自転していることから発生す る一種の錯覚である。「みずき」の撮影した漁船の動きも地上から見た太陽の動きと同様に、客観的に見れば、漁船が方向 を変えて「みずき」に「衝突」して来たのではなく(そもそも漁船は巡視船より能力的に劣っている)、「みずき」が漁船 を停船させようと接近したことで発生した接触であることがわかる。「はてるま」の撮影した映像解説がそれを明確に証明 している。感情的にではなく、冷静かつ科学的に分析する視点が非常に大切である。 事実の共有化から始めよう これまで私が紹介した事実からだけでも、日本にしろ、中国にしろ、政府・政党の見解は自国・自党に都合のよいこと だけを取り上げ、不利・不都合な点には触れず、隠していることが分かるであろう。これではかえって相手への不信感を 増大させ、摩擦・対立を激化させるだけである。狭隘なナショナリズムを煽る動きにたいしては冷静に対処し、客観的、 科学的、多角的、総合的に判断する視点が必要である。見解の対立する相手の意見・主張にも耳を傾け、冷静かつ平和的 に問題を解決しようとする精神はいついかなる時でも必要である。対立が発生したらただちに交流停止、というのは実に 大人げない対応である。「領土問題は存在しない」として、そもそも相手の主張に耳を貸すことすらしない日本政府の対応 もまったく正しくない。 真剣な対話を通して可能な限り共通認識に到達しようとする努力が必要である。認識の共有化を実現する前提は事実の 共有化である。認識の共有化には時間がかかるが、事実の共有化は難しくないはず。自国にとって有利か否かという目先 の利害に囚われてはいけない。あくまでも事実であるのなら、しっかりそれを受けとめ、それまでの自分の判断基準を再 検証し、誤っていたり認識不足の点があることが判明したら、修正すればよい。既存の枠に囚われず、あくまでも真実、 真理を探究する「実事求是」の科学的精神を持つべきである。 それを実現するためには国家利害に囚われない、事実を尊重する人々が中心になって、この問題に関する歴史事実の共 有化の作業を行なうことを提唱したい。さらには共有化された資料を双方の言語に翻訳し、書籍やウェブデータとして広 く世界に公開することが必要である。事実の共有化が進めば、認識の共有化に向かって前進することが可能となる。これ は地道で時間のかかる作業だが、このような努力の積み重ねのなかで、お互いの信頼関係は深まり、知識は増大し、問題 を平和的、友好的に解決するための知恵が生まれて来るであろう。また資料の共有化作業をするなかで、真に相互理解の ために奮闘する人材が育っていく。いろいろな意味で日本と中国との明るい未来を開拓することになると思われる。 争いごとがあることを恐れてはならない。それは世界の当然の現象である。むしろそれを平和的、理性的な対話によっ て解決しようとする知恵と努力があるかどうかである。国交正常化交渉の時に、毛沢東は「もう喧嘩はすみましたか。喧 嘩をしないと仲良くなれませんよ」と語ったという。実に奥深い言葉である。

3 日本と中国が共同して人材育成をすることの大切さ

中国の存在感が高まる一方、日本の政治的、経済的地盤の沈下傾向が指摘されて久しい。将来を担う若者の内向き志向 はグローバル化時代にふさわしくない。中国語学習者の増大は、必ずしも中国への留学者数の増大に結びついていない。

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6 それどころか中国語を選択しながら中国に関心を抱かない学生が増える一方である。しかしこのような情況を作り出して いる要因は学生たちにあるのではない。何のために外国語、とりわけ中国語を学ぶのか、中国語を学ぶことの大切さを自 覚させる機会を提供せず、ただ卒業に必要として単位で学生を縛りつけている日本の大学の外国語教育のあり方そのもの に問題がある。 私は大学で中国語を教えるなかで、どうしたら学生たちに中国への関心を高めさせることができるか、自分なりの試行 錯誤を重ねてきた。現行の教育体制には手をつけない改善策に過ぎないが、一つの教育スタイルを見つけ出すことができ た。それは通常の大学での学習と現地中国での短期集中学習とを連結させ、相互補完的に実施するもので、学生たちに現 実の中国を体験する機会を提供することを通して、学ぶ意欲を喚起し、現実世界への関心を高めさせる方法である。以下 にその概要を紹介する。 対象者は初級学習者、つまり基本的に一年生とする。なにごとも最初が肝心である。これまで学生交流と社会見学に重 点を置いた研修旅行も実施したが、語学学習に重点を置いたほうが効果が大きいし、発展性、将来性があることが判明し た。学生からも語学力レベルアップを望む声のほうが多かった。それだけ意欲ある学生たちがいるのだ。集中授業の形式 をとり、夏休みの3週間、中国の大学で午前中みっちり中国人教師から学び、最後に試験を実施し、及第点に達した学生 は秋学期から、通常なら翌年度春学期に学ぶ中級の履修が可能となる。つまり夏休みを含む半期で一年分の授業を受講で きるという学習スタイルである。 春休みにも同様の集中学習を実施する。実施校は夏休みとは異なる大学とし、中国の多様さを実感してもらう。 この中国語集中学習プログラムにはもう一つの特徴がある。それは中国側の実施協力校には日本語科がある大学を選ん でいることだ。午前は中国人教員から中国語を学ぶとともに、午後は日本語を学ぶ中国人学生との相互学習、さらには共 通テーマ(たとえば自分の故郷)を分かりやすく紹介しあう交流活動を行なっている。中国側にとっても日本の若者との 交流ができることは大歓迎である。実際の中国を自分自身の眼で体験すれば、彼らの中国イメージが大きく変わることは 間違いなしである。日本側教員も、学生の中国滞在中に引率として訪中し、学生たちの学習情況を把握するとともに、中 国側の実施している授業への協力や講演を行なう。学生とともに教員の研修と交流をも実現しているのである。 昨年度から日本学生支援機構による「留学生交流支援制度(ショートステイ・ショートビジット)」がスタートした。こ の制度では1 カ月以内の相互の学生交流活動に参加する学生に 8 万円の奨学金が支給される。われわれは「日本と中国と のハイブリッド型教育による人材育成プログラム」というプログラムを申請し、認められ、実施中である。 この支援制度でとりわけ歓迎すべきことは、これまでは日本側の派遣のみによる交流であったのが、中国側からの派遣 にも奨学金が支給されることになったことである。このため日本側が中国で対応してくれる大学の学生たちを、日本に招 いてお世話することができる。中国からの来日学生にたいしては、語学学習よりも日本社会の体験に重点を置いたプログ ラムを実施している。これにより相互交流の良性循環現象が発生しつつある。しかも中国側教員に引率の役割を担っても らうことで、教員研修にもなるし、今後の双方の教育・研究面での大学間の協力関係が発展しつつある。 解決すべき課題もいろいろある。宿泊費や渡航費の敷居が低くなれば、奨学金に依存せず、それぞれ自力による交流が できるようになるだろう。そのほうがはるかに持続的で発展的な交流が可能になるだろう。この面で政府や企業の積極的 措置・支援を呼びかけたい。また家庭訪問や交流活動などで日中友好協会のみなさんのご協力がいただければ大変ありが たい。 40 年経って中国の総合的な力は確かに増強したが、まだまだ「育ち盛り」である。そのような中国ときちんと向き合い、 真剣な交流を展開するなかで、共に協力、進歩、発展していく関係を確立していく必要がある。大切なことは現実をしっ かり見ることであり、そのためには自己の観念を固定化させず、常に新鮮な感覚で中国と向き合っていくことが必要なの ではなかろうか。 2012 年 6 月 17 日 西湘日中友好協会 総会講演会にて

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