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はじめに
本稿は、インターネットを通して作られたある グループについての、エスノグラフィックな観 察、調査の結果と、そこに見えるそのグループ独 自の意味世界についての考察を記したものであ る。 1999年 3 月、ア イ ド ル 歌 手「SPEED」の フ ァ ンであった私は、「SPEED」の公式ウェブサイト 内のファンのための掲示板で、「女の子のファン 同士で、SPEED の話題で盛り上がりませんか。」 という書き込みを見つける。私はその書き込みに 興味を持ち、書き込み主に E メールを送った。 これが私とそのグループとの最初の出会いであ る。 私は、そのグループの人達とインターネット上 で交流を重ね、その後、実際に顔を合わせて付き 合うようになる。同時期に、自身の修士論文とし て何かについてエスノグラフィックな調査を行 い、その意味世界に迫るという作業をしてみたい と思っていた私は、インターネットを通して知り 合った人達と、グループとして Face to Face で交 流するほど仲良くなるということは貴重な体験で あり、その過程はエスノグラフィックな調査の格 好の対象になると考えた。 エスノグラフィックな調査の場合、通常であれ ば調査者は調査を行い、そのグループ内で何が起 こっているのか、そのメンバー達にとって何が “make sense”なのか、つまりそのメンバー達独 自の意味世界というものを徐々に探っていき、知 っていくはずである。しかし、グループ内でイン サイダーとしてそれを見てきた私は、すでにメン バーのみが知る何か、を感じていた。それは、言 い 表 し が た い 不 思 議 な「仲 間 感」1)が そ こ に あ る、ということだった。 2000年 6 月ごろ、私はこのグループを修士論 文の題材と決め、その言い表しがたい「仲間感」 というものが何なのかを知るために、外部者の視 点をもってこの集団についてのエスノグラフィッ クな観察と調査を始めた。 まず私は、このグループが初めに誰によってど のように作られたのか、どのようにしてメンバー を集めていったのか、2000 年 6 月の時点までに グループとして(オンライン上で、またオフライ ンで)どんなことをしてきたのか、どのような過 程で Face to Face の関係になっていったのか、と いうことを、グループの一部のメンバーに聞いた り、私自身が関わった部分に関しては私自身が思 い出しながら、書き起こしていった(3 章)。 さらに、2000 年 6 月以降は、多様化してくる グループの集まりを記録しながら、それらに参加 する際には、このグループ内に独自にある意味世 界というものはどういうものかということを意識 しながら、参与観察を行った(3 章)。 そうしているうちに、2000 年 11 月、グループ は、全く参加してこない幽霊メンバーに参加継続インターネットの縁と独特の「仲間感」
──ネットから Face to Face の関係になった
あるファングループのエスノグラフィー──
清水 睦子
SHIMIZU Atsukoの意思を確認する E メールを送り、メンバーを 再確定する。それに際し、私は、このメンバー再 編の仕方を分析し、それがグループにとって持つ 意味について考えた(4 章)。その少し後、2000 年 12 月に、メンバー自身はこのグループについ てどう思っているのかを聞くために、E メールで アンケートを行った(5 章)。 これらの作業と並行するかたちで、インターネ ットを通して作られるグループについての先行研 究とこれに関連する先行研究について調べた。そ の中から、本稿で用いる社会学的な視点を探した (2 章)。
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本稿で用いる社会学的視点
−「情報縁」と「選択縁」の概念
2. 1 「情報縁」Computer Mediated Communication( 以 下 、 CMC)についての研究は、主に社会心理学、社 会学の分野で盛んである。しかし、これらの分野 では、本稿のように CMC を契機と し、Face to Faceに至った関係の中でも、特に Face to Face の部分に重点をおいた研究はあまりない2)。 このグループの事例と関連のありそうな概念と して、「情報縁」(川上善郎ほか 1993;池田謙一編 1997;古川良治 1999など)がある。 集団というのは、これまでなんらかの社会 学的属性を共有していることが多かった。地 縁、血縁、社縁、学校縁のどれもそう で あ る。学校や会社のクラブやサークル(サッカ ーなど)もまた、そうした社会学的境界の外 へでるものではない。ところが電子メディア はそうした属性によるつながりを重要な要件 とはしないという意味で、情報世界の縁、す なわち情報縁を出現させた。(池田謙一・柴内 康文 1997 : 8) 本事例における社会学的属性はどうなっている のか。それはグループ内の関係のダイナミズムや 「仲間感」にどう影響しているだろうか。 2. 2 「選択縁」 もう一つの縁の考え方として、上野千鶴子によ る「選択縁」がある。上野は、「社会集団の組み 方を、「縁」という言葉をキイワードにして、血 縁・地縁・社縁の三つに分類したのは、文化人類 学者の米山俊直氏である」(上野千鶴子+電通ネッ トワーク研究会 1988 : 19)といい、第三のカテゴ リイとしての米山の「社縁」は「血縁・地縁の領 域が縮小し、それ以外の人間関係の領域が大幅に 拡大した今日、それらをすべて「社縁」という言 葉で一くくりにするには無理がある」と述べる (上野[1987]1994 : 136)。 上野によると、米山の「社縁」概念の中には、 磯村英一の言う「第二空間」と「第三空間」が分 けられずに同じカテゴリイに含まれているとい う。磯村の言う三つの空間とは、住居を中心にし た家庭=「第一空間」(または生活空間)、仕事を 中 心 に し た 職 場=「第 二 空 間」(ま た は 生 産 空 間)、そしてリクリエーションのための空間=「第 三空間」(または大衆空間)の三つである(磯村 [1968]1989 : 144)。 そして上野は、血縁、地縁、「社縁」は「選べ ない縁」であるのに対し、「第三空間」は「互い に相手を選び合う自由で多元的な人間関係」とし ての「選択縁」であるという(表 1 参照)。上野 の説明では、「社縁」は本来、加入・脱退の自由 な第二次的な集団を指すために作られた用語だ が、今日における社縁の代表「会社縁」を考える と、企業はいったん入るとなかなか降りられない という拘束性をもっているので、「選択縁」とは 言えない(上野[1987]1994 : 138−9)。 「選択縁」の特徴は、第 1 に自由で開放的な関
係であること。原則として加入・脱退は自由であ る。第 2 に情報媒介型の性格をもつこと。特定の 情報やシンボルを媒介に結び付き合っているの で、コミュニケーションの場を共有しながら匿名 性を保っていられるし、また、深夜放送のオーデ ィエンス同士のように、対面接触がなくても「関 係」が生じる。第 3 に役割からの離脱がある。例 えば無縁的な酒場においてはアイデンティティの 創造やコントロールが可能である(上 野[1987] 1994 : 139−40)。 本事例のグループは、「自由で開放的」、「情報 媒介型」、「匿名性」、「アイデンティティのコント ロール」といった「選択縁」の特徴をもっている だろうか。もっているとすれば、それはどのよう な形で現れているのだろうか。それらの特徴とグ ループ独自の意味世界である「仲間感」はどのよ うな関係があるのか。
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グループのしてきたこと
3. 1 グループはどのようにして作られたのか この 10 代の女の子アイドル歌手「SPEED」の 女性ファンのグループは、1998 年 9 月 1 日に設 立された。設立のきっかけは「くう」さん3)とい う人物の提案だった。 1998年 当 時、イ ン タ ー ネ ッ ト 上 の「SPEED」 公式ホームページには、「SPEED」のプロフィー ルや情報のページの他に、ファンを対象とした 「Net Fun Club(略称 nfc)」と呼ばれるページが あった。「nfc」にはファンが自由に書き込める掲 示板のページがあり、そこに書き込まれる内容は 主に、「SPEED」の番組等の出演情報やその番組 を 見 た 感 想、「SPEED」に 対 す る 想 い、そ し て 「メール友達になりませんか?」といったもの、 また、「SPEED」グッズの情報、交換などについ てのメッセージだった。 「く う」さ ん は、「nfc」の 掲 示 板 の 常 連 で、 「nfc」の常連が開くオフ会4)にも参加していた。 しかし、「nfc」のオフ会に参加する人はほとんど が男性ファンで、女性は「くう」さん 1 人という ことも少なくなかったという。女性 1 人で取り残 されたような感じを受け、そんなオフ会に面白み を 感 じ ら れ な か っ た「く う」さ ん は、同 じ 「SPEED」を 好 き と い う 女 性 フ ァ ン ば か り で 「SPEED」について話し、盛り上がってみたいと 思い、女性ファンを集めることを考えるようにな る。 「くう」さんは、「nfc」の掲示板上でお互いの 書き込みを見て知り合い、メール友達になった 「KANAPi」さ ん に グ ル ー プ 設 立 に つ い て 相 談 し、2 人はグループの設立を決めた。 3. 2 どのようにしてメンバーを集めていったの か 2人 は「く う」さ ん を「会 頭」、「KANAPi」さ んを「広報担当」と決めた。メンバーの勧誘は 「KANAPi」さんが主に、「nfc」の掲示板上への書 き込みを通して行った。 「KANAPi」さ ん は、「周 り に 女 の 子 の SPEED ファンがいないので、一緒に応援できる仲間にな りませんか?」ということを趣旨に、その都度そ 表 1 縁の諸類型 米山俊直 血縁 地縁 社縁 テンニース ゲマインシャフト ゲゼルシャフト マッキーバー コミュニティ アソシエーション クーリー 第一次集団 第二次集団 磯村英一 第一空間 第二空間 第三空間 望月照彦 血縁 地縁 値縁 知縁 上野千鶴子 血縁 地縁 社縁 選択縁 (選べない縁) (選べる縁) 網野善彦 有縁 無縁 (上野[1987]1994 : 138)の時々の思いで、勧誘の言葉を書き込んでいたと いう。 「nfc」の掲示板に訪れ、「KANAPi」さんの書き 込 み を 読 み、興 味 を も っ た 人 は、ま ず「KA-NAPi」さんにメールを送る。そうすると、 「KA-NAPi」さ ん か ら 会 の 趣 旨 を 伝 え る メ ー ル が 届 く。そして、それを読んだ上で参加希望の場合 は、「会頭」の「くう」さんに E メールを送るよ うに伝えられる。「くう」さんに参加希望のメー ルを送ると、「くう」さんから E メールで登録に 必要な情報5)を送るように伝えられる。そして、 Eメールで指示された情報を送ると入会完了で、 そのお知らせのメールが届く。 この最後のメールで、新しいメンバーは会独自 のホームページ(以下、HP)のアドレスを知る ことができる。その HP には、会員名簿や掲示板 があり、どんな人が会に入っているか、掲示板で はそれらの人がどんなやり取りをしているのかが 見られる。そうして、新しい参加者が会の HP に 初めて訪れている頃、それまでの参加者の方には 新しい参加者が増えたことを伝える E メールが 届く。 3. 3 グループとしてどのようなことをしてきた のか (1)Face to Face の関係が始まるまでの活動 1)HP と掲示板 グループ独自の HP は 1999 年 3 月に開設され た。1998 年 9 月のグループ設立からそれまでの 6 ヶ月間、メンバー達は E メールだけでコミュニ ケーションを取っていた。HP 開設を担当したメ ンバーの「いのうえ」さんは、HP 開設以前につ いて、「はっきり言って、活動はしてなかったよ ね。」と言っている。 HP開設以前は、新しいメンバーが入ると、そ のメンバーを加えた新しい名簿がその都度 E メ ールで送られていた。しかし、段々メンバーの数 が多くなり、頻繁に新しいメンバーが入ってくる ようになると、「いのうえ」さんはそれに対して わずらわしさを感じるようになったという。そこ で、HP を開設し、そこに名簿を載せようという 案が持ち上がった。 HP内の掲示板上では、メンバーたちはそれぞ れをハンドルネームで呼び合い、ハンドルネーム の後にかならず「さん」をつけた。そこでは、 「SPEED」に対する思い、テレビ等の出演情報、 雑誌情報、公開収録受け付けの情報など、そして それぞれに対するレス(返答、レスポンスのこ と)が書き込まれた。 掲示板設立当初、よく書き込む人はだいたい決 まっていた。1999 年 4 月までに入会した 30 人ほ どの中で、頻繁に書き込んでいたのは、10 人ほ どであった。その 10 人ほどはその後も活発に活 動し、現在も会に残っている。これに対して、残 りの 20 人ほどは、あまり書き込まなかったか、 まったく書き込むことがなかった。 (2)全体が徐々に Face to Face の関係になっていく過 程での活動 1)オフ会とカラオケ 最初、オフ会は地域ごとに開かれ、そこでメン バー同士が初めて顔を合わせる。1999 年 4 月か ら 7 月の 4 ヶ月の間に、関東と関西で、それぞれ 2回と 3 回、オフ会が開かれた。それぞれの地域 ですべて参加した人もいれば、一部に参加した人 も、まったく参加しなかった人もいる。関東の集 まりは大抵 10 人ほど、関西では大抵 6 人ほどの 参加で行われた。オフ会は、大抵居酒屋で行わ れ、ご飯を食べながらお酒を飲み、話す。そし て、その前か後には、大抵カラオケに行く。 それぞれの地域には、「幹事」担当のメンバー が 1 人ずついる。掲示板または全員への E メー
ルで日程を発表して、参加の希望を聞く。参加人 数がだいたい決まれば、幹事が居酒屋を予約す る。 会は、大抵「会頭」の挨拶と乾杯から始まる。 「会頭」の挨拶では、「SPEED」の最近の 行 事 の こと、メンバーが仲良く集まれたことなどを祝っ て、といった言葉が入り、その後乾杯する。「会 頭」が不在であれば、別の誰かが何か言葉を入れ る。 その後、メンバーはまず自己紹介をする。これ はハンドルネームの紹介である。ハンドルネーム の由来などを話すこともある。そして、「SPEED」 の話が始まる。以前に出演したテレビ番組や掲載 された雑誌などの話、また、どの曲をきっかけに いつ頃ファンになったのか、いつのライブに行っ た こ と が あ る の か な ど、そ れ ぞ れ 個 人 と 「SPEED」の関わり方についても話題になること が多い。 4月から 6 月にかけて 3 回行われた関西のオフ 会では、週末、昼の 2 時ごろ集合し、カラオケに 行 っ た。昼 の カ ラ オ ケ で、4 時 間 ほ ど か け て 「SPEED」の歌を全曲歌う。関東で行われた 2 回 のオフ会でも、お昼に 3、4 時間かけてカラオケ をした後に、飲み会をした。5 月のオフ会では飲 みに行った後の 3 次会もカラオケだった。 その「SPEED」全曲を、リモコンを使 っ て 入 力していくのは、「会頭」の役目である。他のメ ンバーは部屋に入ると、部屋の机を端に移動させ る。机を重ねたりして、部屋に広いスペースを作 り、そのスペースで「SPEED」の踊りを踊るこ とができる人たちは踊る。新しいメンバーは、曲 の中でのジャンプする箇所や手を振る箇所を他の メンバーに教えてもらう。そして、実際ライブに 行った時、そのジャンプや振りが他のメンバーと 同じようにできるようになる。 2)ライブコンサート 1999年 夏、グ ル ー プ 設 立 以 来、初 め て の 「SPEED」のコンサートツアーが行われた。それ まで、メンバー達の多くは一緒にライブツアーに 行く友人が周りにいなかったが、このツアーで は、インターネットを通して知り合ったグループ の仲間が集まって、一緒に参加することが実現し た。比較的多くのメンバー(15 人ほど)が、広 島、横浜、神戸のライブに参加した。メンバーは 関東、関西などから、その距離に関わらず参加 し、その行為を「遠征」と呼んだ。広島では、メ ンバー達のほとんどは、広島在住の 1 人のメンバ ーの自宅に泊まった。広島はツアーの初日だった ため、この日、関東メンバーと関西メンバーの多 くは初めて顔を合わせた。 ライブツアーが始まる 2、3 ヶ月前、メンバー 達はそれぞれの地域のレストランなどで集まり、 誰がどこのコンサートに参加する予定か、何枚チ ケットが必要か、どのようにしてファンクラブで の先行予約で必要な枚数のチケットを手に入れる かを話し合った。しかし、このようにして申し込 んでも、チケットが取れないということもあっ た。そうした時には、メンバー達は一般発売でチ ケットを購入するために、一緒にチケット販売場 所に並びに行った。時には、前の日の晩から並 び、話をしながら一晩を過ごし、次の朝には最前 列でチケットを購入するということもあった。ま た、チケットを購入しに行けないメンバーのため に、他のメンバーが購入しに行くこともあった。 ライブが 8 時か 9 時ごろに終了した後は、オフ 会同様、居酒屋に飲みに行き、その後は朝まで徹 夜でカラオケをする。そのカラオケでも、歌う曲 は全曲「SPEED」であ る。ま た、何 人 か の メ ン バーは、コンサートのために訪れた都市で、一緒 に観光に行くこともあった。1 箇所のコンサート 会場につき、大抵土日などの 2 日間コンサートが
行われるので、日曜日の昼や月曜日の昼などに、 観光に行く。 1999年 10 月、「SPEED」は 解 散 し、そ の 後 ソ ロ活動をしていくことを発表した。そのため、12 月に予定 さ れ て い た ド ー ム ツ ア ー は「SPEED」 としての最後のコンサートとなった。この発表の 後、何人かのメンバーは、名古屋、東京、大阪、 福岡の 4 箇所すべてに参加することを決めた。多 くのメンバーがこのツアーに参加し、1999年の 12 月は、毎週末、名古屋、東京、大阪、福岡と場所 を変えながら、ライブ後の飲み会と徹夜のカラオ ケが行われた。 3)2 つめの掲示板、ICQ、携帯メール 初めてメンバーで揃って参加した夏のライブツ アーの後、何人かのメンバーが ICQ というチャ ットシステムを使って、交流を始めた。そのメン バー達は、毎晩のように夜遅くまで話し、そうし て交流が深まるうちに、そのうちの 2 人のメンバ ーが 2 つめの掲示板を開設した。 この掲示板は 1999 年 10 月に開設された。3 月 に開設された最初の掲示板は「SPEED」につい て話すための掲示板であったが、この 2 つめの掲 示板には、メンバー達は「SPEED」以外のこと や他の日常的な会話も書き込んだ。 もう一つのコミュニケーション手段は携帯メー ルであった。携帯メールは、メンバー達が広いコ ンサート会場で待ち合わせする時に、とても役に 立った。また、コンサートがない時でも、普段の 日常会話、「SPEED」についての情報交換やメン バーの誕生日や正月、クリスマスなどにメッセー ジを送るためにも使われた。 このように、より親密になる過程で、メンバー 達は「ハンドルネーム+さん」という呼び方をや め、ハンドルネームから作られたあだ名で呼ぶよ うになる。 (3)Face to Face の関係になるまでとなっていく過程 での活動に見えるもの 1)CMC とその効用 このグループのここまでの活動の特徴として、 設立からメンバーの仲がより親密になるまでの全 過程において CMC が使われたということが挙げ られる。グループ設立のきっかけとなったインタ ーネット上の「SPEED」公式 HP 内のファンの掲 示板、設立者 2 人のメールでのやり取り、グルー プ独自の HP、グループの仲をより深めた ICQ、 携帯メールなどがそれである。 特に、インターネットというツールを使ったこ とで、「情報縁」の概念がいうように、メンバー 達 の 多 く は 身 近 に は 見 つ け ら れ な か っ た、 「SPEED」という 10 代の女の子達の女性ファン を全国に見つけ、その人達とコミュニケーション を取ることができた。 周りに「SPEED」のことを話す人がいないと いう同じような立場のメンバーの間には、他では 話すことができない共通の話題があった。この事 実は、グループの結束を固める大きな要因となっ たと考えられる。また、他で話すことができない ことを話す時、そこには「アイデンティティのコ ントロール」が生じると思われる。 2)非日常性の共有 上に描写されたこのグループの活動内容から見 て取れることの一つに、「非日常性の共有」があ る。例えば、「カラオケで全曲 SPEED の曲を歌 うということ」、「カラオケで SPEED の曲に合わ せて踊るということ」、「コンサートのために「遠 征」するということ」、「コンサートのチケットを 取るために徹夜をして並ぶということ」、「インタ ーネットで知り合った他人と、見知らぬ土地で一 緒に観光するということ」、「インターネットで知 り合り、初めて会った人の家にその日のうちに集 団で泊まったということ」、「12 月の毎週末に、
全国のいろいろな場所で集まり、飲み会と徹夜の カラオケを行ったということ」などである。 これらの行いは、メンバー達自身、普通の友達 とはしないし、できないことである。しかし、逆 にそういった普段はしないようなことを共に行っ たという感覚が、メンバー間における仲間意識を 増幅させたと考えられる。 3)グループ内の共通の行い、決まりごと カラオケで、新しいメンバーが他のメンバーに 振りを教えてもらい、ライブ会場でグループのみ なが同じ振りをするということは、グループ内だ けに通じる合言葉や暗号のような共通の行いがあ るというふうに考えられる。 また、飲み会において、毎回「会頭」が曲を入 力し、他のメンバーが机を移動させるなど、グル ープ内で暗黙の了解で行われる決まりごとと役割 分担があり、これはメンバーにしかわからないル ーティーン化したものである。 こういった共通の行いや決まりごとをお互いに 暗黙の了解で行っているという事実が、また、こ のグループの結束に影響していると思われる。 4)親密度と情報と「匿名性」 メンバー達は徐々に Face to Face の関係になっ ていき、また、「SPEED」以外の話や日常的な会 話もするようになっていった。これは、関係が単 純な「情報媒介型」の関係から、コミュニケーシ ョン型に変化したと言える6)。 しかし一方で、「匿名性」という観点から見る と、ハンドルネームが使用され続けたことよって 匿名性は保たれていたと考えられる。日常的なこ とを話すようになったと言っても、自分のことで 話したくないことは話さなくても許されるし、話 さなければメンバー達はそれを知らないまま関係 は進んでいった。親密度が上がり、仲間感を育て ていく中でも、顔以外の匿名性は個人の好きなよ うに保っていることができたと考えられる。 上の 3 つのポイントは仲間が次第に絆を深めて いった要因であるとまとめられるが、この 4 つめ のポイントはこのグループ独特の「仲間感」に 「匿名性」という意外な特徴があることを説明し ている。 (4)一通り顔を合わせてからの活動 1)違った形のオフ会 1999年年末の最後のドームツアーが終わって から 2000 年に入り、その後 2000 年 11 月のメン バー再確定まで、多くのオフ会が開かれた。その オフ会は、最後のドームツアーまでのオフ会と異 なり、すでに顔を知り、共に大騒ぎした経験のあ る者同士の打ち解けたオフ会であった。 お酒の量はドームツアーの頃のオフ会からは少 し減り、普通の居酒屋での飲み会という形の他 に、ピクニックに行ったり、ディズニーランドに 行ったり、もんじゃ焼きを食べに行ったり、その 形態も変わってきた。 オフ会と称しきちんとメンバーを招集して行う ものもあれば、もっとラフに、時間の都合がつい たメンバー同士で週末軽く約束して食事に行くと いうことも増えた。後者のようなものを合わせれ ば、この時期、メンバーたちは月に 2 回くらいの ペースで顔を合わせていたという。 他の特徴として、ドームツアーが終わってから は、関西のメンバーが関東のオフ会に 1、2 人参 加したり、関東のメンバーが数人でメンバーの 1 人の車に乗って、関西のオフ会に参加しにやって くるといったことも頻繁に起こっている。 また、SPEED のメンバーやグループのメンバ ーの誕生会を開いたり、新年会や花見などの季節 の行事をメンバーで行うことも多くなり、さらに はメンバーの 1 人の結婚式の 2 次会にメンバーた ちが参加するということもあった。 2)収録 1999年 10 月、SPEED は 2000 年 3 月 31 日 に
解散することを発表した。したがって、その頃か ら 2000 年 3 月 31 日 の 解 散 ま で に 行 わ れ た SPEEDの公開収録は、非常に貴重なものとなっ た。この時期から、メンバーはテレビ番組などの 公開収録に行くことが増えるようになる。 公開収録に参加するには、その番組によって異 なるが、電話で申し込む場合や葉書きで申し込む 場合などがある。公開収録申し込み方法の情報は まず情報に詳しいメンバーが掲示板に書き込むか 携帯メールで連絡して、メンバーに知らせる。電 話での申し込みの場合はなかなかつながらないこ とが多いので、行かない予定の人も行きたい人に 協力して電話する。 収録は大抵ペアや 4 人一組で申し込むようにな っているので、当たった人は当たらなかった人や 他に行きそうな人に携帯メールなどを通して連絡 し、誘い合わせて参加する。収録当日はメンバー で連絡を取り合って、集合する。 解散当日の 3 月 31 日には、テレビ朝日系列の 「ミュージックステーション」という番組が生放 送で SPEED 最後のライブを放映した。そのライ ブ観覧にこのグループのメンバーは 15 人ほど参 加した。その後行けなかったメンバーも含めて、 メンバーの 1 人の家に集まり、録画しておいたビ デオをみなで見た。 解散後 2000 年 4 月以降、SPEED のメンバー 4 人のうち 3 人はソロ活動を始めたので、グループ のメンバーはソロの公開収録に頻繁に行くように なる。さらに、この行事がルーティーン化される と、たいてい誰が収録の情報を最初に入手する か、チケットのために誰がどこにどのように電話 するか、収録当日はどこに集合するか、収録前に はたいてい集まってお茶を飲む、収録後にはたい ていご飯を食べる、などということも決まってく るようになった。 (5)一通り顔を合わせてからの活動に見えるもの 上に見たように、一通り顔を合わせてからのオ フ会は、Face to Face になっていく過程で見た交 流の場としてのオフ会から、共通の感覚をもつ仲 間同士が共に楽しむ場としてのオフ会に変わって いった。「SPEED」の話ができるから集まるだけ でなく、その仲良くなった仲間自体に会いたいか らオフ会に出向いていくというメンバーが増え、 情報のみに縛られない関係になっていく。 また、公開収録は、メンバーにとってせっかく 得た仲間と一緒に「SPEED」を応援する絶好の 機会であった。収録というイベントにメンバーを 誘い、計画して、協力してチケットを取って行く ということは、これまでのライブというイベント と同じようにメンバー間の結束を固めるのに影響 したと思われる。さらに、そこに生まれたルーテ ィーン作業は、仲間関係をより感じさせるものに なったと思われる。
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2000
年 11 月のグループの再編
4. 1 再編とその理由 1998年 9 月 の 設 立 か ら 2000 年 11 月 ま で、さ まざまな人が入会し、メンバー数は 62 人になっ た。しかしその中には、前章で見たように、オフ 会やライブツアーに参加し、メンバーと顔を合わ せて交流している人もいれば、入会したきり HP にも一度も書き込まず、幽霊会員になった人もい た。 HPには幾度か書き込みはしていたが、その後 Face to Faceの活動に参加することなく、書き込 みもなくなっていった人や、オフ会に一度参加し たが、その後姿を見せなくなった人など、さまざ まなパターンがあったが、幽霊会員化しているメ ンバーは 2000 年 10 月 12 日の時点で全 62 人のう ち半分ほどいた。また、顔を合わせていないが HPのみで活発に参加しているという人はいなかった。 そんな幽霊メンバーにも、どのライブに参加す るかやオフ会への出欠確認などの E メールを送 り続けていた「会頭」の「くう」さんは、そうい った無言のメンバーにメール送り続けることはむ なしいと感じ、2000 年 10 月時点で活発に活動し ているメンバーだけでもう一度会を改めて作りな おそうと考える。 そして、2000 年 10 月 18 日、その 時 点 で つ な がりのあるメンバーに対して、会参加継続の意志 確 認 の E メ ー ル を 送 り、そ の 結 果、2000 年 11 月 1 日、このグループは新たな 36 名のメンバー で再スタートすることとなった。 再編の時期は 2000 年 11 月であったが、幽霊会 員となっていた人はもう 1 年近くそういった状態 であったので、実質上、それまで一緒に活動して きたメンバーがそのまま再編後のメンバーになっ ただけであって、活動の表面上にはまったく変化 はなかった。 その時に HP はリニューアルされ、そのアドレ スも変更された。古い方のアドレスには「このホ ームページは移動しました。」と書き、「くう」さ んのメールアドレスを残した。 「くう」さんは、「幽霊会員化した彼女たちの中 に は 実 は も し か し た ら 男 性 が い た か も し れ な い。」と言っている。入会は女性に限定している が、インターネット上では男性が女性を偽って入 会していてもまったくわからない。ただし、残っ たメンバーに関しては、みなすでに Face to Face で顔を合わせたことがあるので、女性であるとい うことはわかっている。メンバーを再確定し、ホ ームページのアドレスを移したのは、そういった 知らないメンバーに今もやり取りが見られている かもしれないと思うと書き込みにくいという声も 出たからだと「くう」さんは言う。 4. 2 メンバー構成の変化 まず、年齢別構成(表 2)を見ると、再編前は 20代後半のメンバーが 22 人で最も多く、35.5% を占め、ついで 20 代前半が 19 人、15∼19 歳が 8 人、30 歳以上が 7 人、15 歳未満が 4 人と散らば っている。これに対し、再編後は、20 代後半は 20 人と 2 人減少し、30 歳以上は 6 人と 1 人減少し ただけであるが、15 歳未満は 4 人すべてがいな くなり、10 代後半は 8 人が 1 人に、20 代前半は 19人が 8 人に減った。20 代後半は大半(55.6%) を占めるようになった。 次に職業別構成(表 3)を見る。これは、メン バー本人が入会の際に自分自身の職業を言い表し た表現をそのまま使い、集計している。再編前を 見ると、小学生から大学院生まで、学生と考えら れ る 人 が 28 人 で 45.2% を 占 め、働 い て い る 人 も、こ れ と 同 じ 28 人 で 45.2% で あ っ た(会 社 員、書店勤務、鍼灸按摩マッサージ師、医療関 係、医 療 事 務、事 務 職、団 体 職 員 な ど)。し か し、再編後を見ると、学生は 22 人がやめ、6 人 だけ残り、会社員等働きに出ている人は、再編前 の 28 人からわずか 4 人減っただけで 24 人になっ た。つまり、学生のメンバーはほとんどやめてし まい、残ったのは働きに出ているメンバーである と言える。 居住地別構成(表 4)では、再編前は、東京都 がもっとも多く 13 人、次に続くのは 7 人の大阪 表 2 グループの年齢別構成の変化 再編前 再編後 15歳未満 15歳∼19 歳 20歳∼24 歳 25歳∼29 歳 30歳以上 不明 4( 6.5%) 8(12.9%) 19(30.6%) 22(35.5%) 7(11.3%) 2( 3.2%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 8(22.2%) 20(55.6%) 6(16.7%) 1( 2.8%) 計 62 36
府、神奈川県、その次が兵庫県の 6 人であった。 首都圏、関西圏の 8 都道府県の他にも、それぞれ 1、2 人ずつと少数ではあっても 11 の都道府県と 1つの海外の国からの参加があり、そういった参 加者が全部で 21 人と、全体の 33.8% を占めてい た。しかし、再編後は、首都圏、関西圏以外の地 域のメンバーはわずか 5 人となり、全体の 13.9% になった。逆に首都圏、関西圏のメンバーが 88.1 %を占めるようになった。 4. 3 再編の仕方の分析 再編後と比べると、再編前は、広い年齢層、学 生から社会人まで、そして、広範囲に居住する人 がこのグループに属していたが、再編後は、20 代後半と 30 歳以上の人で社会人、そして、首都 圏または関西圏に住んでいる人が多く残った。 1999年 4 月以降活発に行われてきた活動とし て、オフ会とライブへの「遠征」がある。オフ会 は、居酒屋で行われ、その交流の仕方は社会人に は参加しやすかったが、学生、ましてや小学生、 中学生には参加しにくかったと思われる。ライブ への「遠征」も、金銭的に余裕がある社会人と比 べると、学生には簡単にできることではなかった と思われる。 また、多くの人が集まり、オフ会が開かれたの は首都圏と関西圏だったので、オフ会に参加でき た首都圏、関西圏の人が多く残った、ということ も考えられるかもしれない。しかし実は、メンバ 表 3 グループの職業別構成の変化 再編前 再編後 小学生 中学生 高校生 大学生 学生 短大生 予備校生 大学院生 3( 4.8%) 5( 8.1%) 3( 4.8%) 5( 8.1%) 8(12.9%) 2( 3.2%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 0( 0.0%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 2( 5.6%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 学生全体 28(45.2%) 6(16.7%) フリーター パート 会社員 会社員(既婚) 書店勤務 鍼灸按摩マッサージ師 医療関係 医療事務 事務職 自由業 団体職員 自営業 3( 4.8%) 1( 1.6%) 14(22.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 2( 3.2%) 1( 1.6%) 3( 8.3%) 0( 0.0%) 12(33.3%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 社会人全体 28(45.2%) 24(66.7%) 主婦 無記入 2( 3.2%) 4( 6.5%) 2( 5.6%) 4(11.1%) 計 62 36 表 4 メンバーの居住地別構成の変化 再編前 再編後 千葉県 東京都 神奈川県 埼玉県 3( 4.8%) 13(21.0%) 7(11.3%) 2( 3.2%) 3(8 .3%) 9(25.0%) 5(13.9%) 2( 5.6%) 首都圏全体 25(40.3%) 19(52.8%) 京都府 奈良県 大阪府 兵庫県 2( 3.2%) 1( 1.6%) 7(11.3%) 6( 9.7%) 1( 2.8%) 0( 0.0%) 6(16.7%) 5(13.9%) 関西圏全体 16(25.8%) 12(33.3%) 北海道 福島県 栃木県 静岡県 愛知県 三重県 福井県 岡山県 広島県 福岡県 熊本県 イギリス 2( 3.2%) 1( 1.6%) 2( 3.2%) 1( 1.6%) 3( 4.8%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 1( 1.6%) 2( 3.2%) 4( 6.5%) 2( 3.2%) 1( 1.6%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 1( 2.8%) 0( 0.0%) 0( 0.0%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 0( 0.0%) 1( 2.8%) 0( 0.0%) 首都圏・関西圏以外 21(33.8%) 5(13.9%) 計 62 36
ーを社会人と学生、首都圏、関西圏とそうでない かで分けてみると、元々の構成が、首都圏、関西 圏に住んでいる人では社会人が多く、首都圏、関 西圏以外に住んでいる人では学生が多かったこと がわかる(表 5 参照)。 首都圏、関西圏に住んでいなくても、社会人で あれば、かなりの確率で残っているし、首都圏、 関西圏に住んでいても、学生であれば半分以上が やめている。したがって、首都圏、関西圏の人が 多く残ったというよりは、社会人が多く残ったと 言える。 学生だけを見ると、首都圏、関西圏の学生の方 がそれ以外の学生よりも多く残ったという点で は、やはり多くの人が集まり、オフ会が開かれた 首都圏、関西圏の方が Face to Face で会いやすか ったからということが要因になっていると思われ る。 4. 4 この再編に見えるもの インターネットを通して作られたこのグループ は、当初、社会的属性に縛られず、多様な人々が 集まるという「情報縁」の特徴を持っていた。し かし、Face to Face の関係を持つようになり、顔 を合わせて活動する、もしくはできるメンバー (主に社会人)のみが集まり、顔を合わせない参 加の仕方やインターネットだけで参加しているの か参加しているのかわからないような状態でつな がっているという関係を認めなくなった。 これは、当初「自由で開放的」だった関係が、 クローズトな関係に変化したと言える7)。また、 もともとは顔が見えないことが前提であったはず の関係が、Face to Face の活動が多くになってく るにつれ、顔が見える安全性を重視し始めた。最 初はインターネットを通してしか知り合えなかっ た人達が、知り合ってしまえば、「情報縁」の特 徴を排除してクローズトな関係を求めるようにな っていったのは興味深い。その閉鎖性と一様性の おかげで、メンバー間の結束はさらに強くなった と思われる。 しかし、クローズトと言っても、この時メンバ ーにはっきりと参加意思表明をさせたこと以外 は、「仲間」という言葉が連想させるような抜け がたい束縛がグループ内であったかというとそう ではない。オフ会参加や掲示板での書き込みは自 由であり、比較的参加が少ないメンバーもいる。 これと関連して、もう一つ重要なことは、一方 で Face to Face の関係と同時にインターネットを 利用した関係も続いていたために、遠隔地に住む 人(首都圏・関西圏以外の社会人)や頻繁にはオ フ会に参加しない人(ただし、最低一度は顔を合 わせている人)もメンバーとして残っていること ができたということである。
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アンケート
5. 1 メンバーの声 これまで捉えようとしてきた、言い表しがたい 「仲間感」は実際にメンバー間にあったのか。そ れをメンバーたちの声で聞くために、2 つのアン 表 5 首都圏、関西圏と社会人、学生別で見た再編の仕方 再編前 再編後(残留率) やめた人 首都圏・関西圏以外の社会人 首都圏・関西圏以外の学生 首都圏・関西圏の社会人 首都圏・関西圏の学生 5人 16人 27人 14人 4人(80%) 1人(6.3%) 25人(92.6%) 6人(42.9%) 1人 15人 2人 8人 計 62人 36人 26人ケートの結果の一部を紹介する。一つは、メンバ ーの 1 人「egg」さんが 2000 年 6 月、当時の中心 メンバー 30 人ほどに対して行ったもの8)で、も う一つは、2000 年 12 月、再編後、私自身が、残 ったメンバー 36 人に対し、E メールでアンケー ト依頼し、行い、23 人から回答を得たもの9)であ る。アンケートの中に出てくる「ソフィガ」は、 このグループの呼称「Sophisticated girl 増強委 員会」 (広報担当の「KANAPi」さんが命名。「So-phisticated girl」は「SPEED」の 曲 の タ イ ト ル。) を略したもので、グループ内で使われていたもの である。 2000年 6 月、「egg」さんのアンケートから 潭ソフィガに入ってどうでした? すっごい良かったって思ってます。今では すごいかけがえのないものになってます。み んなと会ってわいわい騒ぐのってすごい楽し いです。 一 緒 に 応 援 で き る 仲 間 を 得 ら れ た と い [う]事は、SPEED を応援する上で非常に心 強かったです。それに楽しい仲間に入れたこ とは、もしかしたら私の一生の財産になるか もしれません。全国を一緒にツアー出来たの も楽しい思い出です。学校を卒業してから、 心から笑ったり楽しんだりという事が少なか ったので、楽しい時間を過ごせました。仕事 上のつきあいなんてつまらないものが多いで すからね。これからも長く付き合っていきた いと思ってます。 ホント最高!ここまで同じ気持ちの人達が 集まるなんて思ってもなかった。年齢も関係 なく、友達感覚で付き合える、大事な仲間で す。私にとって、一番落ち着ける、居心地の いい場所です。これからもずっと一緒にいら れるといいのになぁ。 SPEEDを思う気持ちが一緒の人がいっぱ いいて嬉しかった。もっと早くから知り合い たかったなぁ。 こんなに楽しい人たちがいるとは思わなか った。それにみんないい人ばっかりだし・・ ・。ソフィガのみんなと仲間になれたことを 心から喜んでます。 SPEEDのみんな、今は寛ちゃん、絵理ち ゃん、多香ちゃん、仁絵ちゃんそれぞれを一 緒に応援していけるみなさんがいて楽しいで す。オフでライブみたいに盛り上がれるのは 最高です!(ˆ−ˆ)今は学校の関係でオフと か参加できない時もあるけど、これからもよ ろしくお願いします! 2000年 12 月、私自身が行ったアンケートか ら 滷あなたはソフィガをどのような場、関係と して利用していますか? 今、あなたにとってソフィガの関係はどうい うものですか? 今までになかった本当の自分をだせる場 所。今まで生きてきた中で失いたくない大切 な友達です邇 肩ひじ張らずに付き合える、大切な仲間。 とにかく、理屈抜きで楽しい場所。み∼ん なが妹分みたいな気分(笑)これからも、ず っと大切にしていきたい関係。 「利用している」という言葉は私にとって 適当ではありませんが、SPEED の曲を聞い て勇気が出たり心が癒されたりするように、 ソフィガのメンバーといると嫌なことを忘れ ることが出来たり楽しい思い出を作ることが 出来ます。ソフィガのメンバーは心暖かい人 ばかりなので、人に対する気配り、心遣いを 見て私も見習わなければいけない、と思うこ
ともあり、そういう意味で自分にはとてもプ ラスになる仲間です。 ファンとして同じ気持ちを共有でき語り合 える場だったり関係と思ってる。また気持ち を共有し合えるだけに安らぎの場でもあった りします。 自分がどれだけ SPEED を好きかという事 を知ってくれている気が置けない人達ばかり なので、みんなが集まるととても楽しく過ご せます(ˆ−ˆ)だから、普段は表に出てこな い部分をさらけ出せる場として利用させても らってるといったカンジでしょうか・・・。 2000年 6 月の段階においても、2000 年 12 月の 段階においても、どちらにもメンバー達の声の中 に「仲間」という表現が見られ、その楽しさとこ の「仲間」と知り合えたことを喜ぶ表現など、こ のグループを大きく評価しているようすが見られ る。しかし、再編後残ったメンバーの一部の人 は、仲間として捉えるよりも情報を得る場や、 「SPEED」ファンの人との交流の場であるという 風に捉えている人もいる。 2000年 12 月、私自身が行ったアンケートか ら 滷あなたはソフィガをどのような場、関係と して利用していますか? 今、あなたにとってソフィガの関係はどうい うものですか? スピードに関する情報の収集と、スピード を一緒に応援できる仲間を作るため。これは 今も変わりません。 むつかしいな。同じものを好きな人達と、 それについて語ったり、情報交換したりする 場。 SPEEDの情報を知る唯一の掲示板かな。 観覧があったんだな、とか新曲が出たんだ な、とかレポ読んで分かるからね。 また、最初は「SPEED」のことを話せ る た だ の「SPEED」ファンの人との交流の場と考えて いたが、一緒に過ごしてきた時間を経て、それ以 上に大切な仲間となっていったというその変化過 程について返答しているものもあった。 2000年 12 月、私自身が行ったアンケートか ら 滷あなたはソフィガをどのような場、関係と して利用していますか? 今、あなたにとってソフィガの関係はどうい うものですか? 最初は SPEED の話しを一緒に出来る人が 欲しくて入ったものだったのが、やっぱり人 と人との付き合いをしていく中でそれ以外の ことも話せたりとか出来る関係になってるの ですっごい大切な存在になってると思いま す。ずっとこの関係が続けば良い・・って思 えるくらいに。でもある一定の距離をおいて る感じもします。だけどメールだけの関係に 出来ない・・会わないと寂しいって思える関 係になってるのは確かです。 最初は、「自分の好きな SPEED の事を一 緒に語ったり、ライブを見たりできる仲間」 だと思ってましたが、何度も会って同じ経験 をしたり、一緒に楽しんだり悲しんだりして るうちに、「自分にとってとても大切な仲間」 に 変 化 し て い き ま し た。「同 じ 価 値 観 を も ち、喜びも悲しみも共有できる仲間」とも言 えます。 初めの頃は自分の中では SPEED で繋がっ ているだけみたいなとこもあったけど、時が 過ぎていくうちにちょっと変わってきたか
な。ちょっとした悩みも受け止めてくれる、 なんだろ?あったかいとこですね。自分の場 合はめったにオフに出てないから、友達とか 親友に例えるのはちょっと 図々しい気もす るけど、今はそれに近い存在になってきて る。 5. 2 アンケートの回答の分析 アンケートの表現の中には、メンバーの仲間意 識を表す言葉が溢れている。一部メンバーの思い 入れの強さは並大抵ではないように感じられる。 インターネットを通して、これほどに思える仲間 が得られたということは特筆すべきことだと思え る。 しかし、アンケートの結果、この「仲間感」は 残留したメンバー全員に共通のことではなかった こともわかった。残留したメンバーにはグループ の関係は単に「SPEED」の情報を得るためのも のであるとする人もいた。 この違いは、グループとの関わり方の違いに表 れている。「仲間感」を訴えるメンバーは、頻繁 に Face to Face で会うなど、活発に活動している メンバーである。情報ということを重視するメン バーは、活発に活動しているメンバーとは言え ず、残留したがオフ会には頻繁に参加せず、イン ターネットを中心に関係を保持しているメンバー である。
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おわりに
このグループの持つ独特の意味世界「仲間感」 はどんなものだったのか。5 章で見たように、メ ンバー達はたしかに仲間としての特別な絆を感じ ていた。 このような仲間の絆ができた要因としては、1) このグループが Face to Face の関係になったこ と10)、2)3 章で見たような独特の活動の結果、 3)4 章で見たように、グループが閉鎖性とそれ に伴う一様性を持ったこと、そして、メンバー達 が自分達の口で言うように、4)同じような価値 観を持つ者同士だったからということが考えられ るのかもしれない。しかし、同じような価値観を 持つ者と知り合えたのは、インターネットを利用 したからである。 しかし一方で、このように築かれた仲間の結束 は、抜けられないような束縛をもつようなもので はなく、「匿名性」も保たれているという特徴を 持っていた。そこには、仲間に対する強い思い と、一方で束縛のない(ある意味希薄な)関係が 共存している。 現在グループは、HP 上でのみ交流するメンバ ー、元「SPEED」のメンバーによるソロ活動の イベント事がある時のみに顔を合わせるメンバ ー、今も定期的に行うオフ会に参加し、グループ と し て 付 き 合 う メ ン バ ー、個 人 同 士 で 完 全 に 「SPEED」を越えた 友 人 と し て 付 き 合 う メ ン バ ー、などに分かれた。5 章で見たこの関係を大切 な仲間としてよりも情報源として捉えていた人 は、ネットでの交流のみになりがちになり、やが ては離れていった。 インターネットと「SPEED」をきっかけにし て集まったグループが、現在では、さまざまな形 で独特の「仲間感」を持ちながら、関係を保持し ている。このように、インターネットを通して出 会い、その後 Face to Face で独特の活動をしてき たことでかけがえのない仲間関係を築いた人達が 現代社会に存在するということは、論文として書 き記すことに値すると私は考える。 〔注〕 1)本文を通して探求していくが、ここでいう「仲間」 は「この語の語感、・・・・・・内輪の情的で固 い結合で結ばれた場ないし人々といった意味」(原 忠彦ほか 1979 : 15)に限らない。2)「コンピュータ・コミュニケーション仲間との対面 活動状況」という調査(川浦康至ほか 1989)を 見ると、パソコン通信で知り合った人に実際に会 ったことがある人は全体の約 7 割を占めているに も関わらず、Face to Face の関係に重点をおく研究 はあまりない。 社会学の分野において Face to Face の関係まで 言及するものは、吉田純の研究(吉田 2000 : 83− 6)と S. Cheung and M. Kawaguchi(2000)による研
究があるが、エスノグラフィックなものではない。 人類学の分野では、粉川一郎(1997)はコンピ ュータネットワーク上に現れる社会はエスノグラ フィックに考察されるべき恰好の素材だと言う。 コンピュータに関して特殊な技能を持つ人たちの 現実世界での生態などについてのエスノグラフィ ックな調査(野田正彰 1994;奥野卓司 1990)は あるが、CMCと現実世界にまたがった研究はない。 3)これはハンドルネームで、コンピュータネットワ ーク上で使うニックネームのようなものである。 4)オフ会というのは、コンピュータネットワーク上 で交流のあった人達が実際に顔を合わせて集まる 会のことをいう。 5)お名前(ハンドル名または、ニックネームなど)、 年齢、生年月日、職業、お住まい、誰のファン、 メールアドレスを他の会員に公表することを許す か否か。 6)桜井哲夫らは「ネットワークを利用して生まれる 自発的に形成される人間集団」を「ネットワーク コミュニティ」と呼び、「情報収集型」から「関係 性型」になるというその発展形態を説明している (桜井ほか 2005 : 95)。 7)新しいメンバーの勧誘活動は、2000 年 3 月 31 日 の「SPEED」解散に伴って「nfc」が閉鎖されたた め、2000 年 4 月以降は行われていない。 8)「 egg 」 さ ん は 「 SPEED 」 フ ァ ン の 人 た ち は 「SPEED」のどのような部分が好きなのかというこ とに個人的に興味を持っていたので、11 問の質問 からなるアンケートを E メールを使って行ってい る。本稿では 11 問めの回答だけを使用した。 9)質問は全部で 5 問あったが、本稿では 2 問めの回 答だけを使用した。 10)近年では、インターネット上での活動の一つとし て、それまでの掲示板、ブログの他に、ソーシャ ル・ネットワーキング・サービスというものがあ る。そこではオフ会はより頻繁に、当たり前のこ ととして行われており、山崎秀夫らは「頻繁に開 かれるオフ会は信頼性を助長する」と言う(山崎 ・山田 2004 : 210)。 〔文献〕
Cheung, Sidney C. H. and Mitsuo Kawaguchi, 2000,“Re-visiting Hong Kong Paradise : A Study of Japanese Net Surfers”, Hong Kong Institute of Asia-Pacific Studies, Occasional Paper No. 108.
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