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四国における陸産貝類研究前史-香川大学学術情報リポジトリ

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四国における陸産貝類研究前史

多 田

昭 〒769−2601香川県東かがわ市三本松1766−2

ThehistoryofstudiesonlandmolluscainShikoku,Japan(PartI)

AkiraTada,J乃6一之∫α〝ム0〝椚αわ〟んなα5読αg〃l棚CJ軌たαgα仲α,乃クー26∂J,ノ呼肌 章,高鋭一・らの校修によって,1872(明治5) 年に至って『阿淡産志57巻』を完成した。起 稿から57年後である(安田楓 2003)。その51 巻に陸産貝類が1種掲載されている。幾世留 ガ 介(きせるかい)の図があり(図1),“形寄 ウナ 居轟二似テ大ニシテロ斜二上二向ヒ尾細クシ テ煙管ノ如シ改二名ク色黄褐ニシテ光り殻ウ 摘 要 四国は貝類の宝庫といわれており,海産貝 類,陸産貝類ともに四国在住者はいうまでも なく他県からも多くの研究者が貝類調査を行 い,現在では四国の貝類相がかなり明らかに なってきた。陸産貝類の明治・大正を経て昭 和の30年ごろまでに活躍した高知県生れの黒 岩恒,京都の平瀬輿一・郎,そこで研修を積み 日本貝類学の権威となった黒田徳米,黒田の 指導で多くの業績をあげた徳島県の阿部近− など四国に閲した陸産貝類研究者の跡をた どった。 は じ め に 香川県における陸産・淡水産貝類の1955 (昭和30)年頃までの研究史については既に 記述した(多田,2007)。今回は香川県を除い た四国の陸産貝類に閲した研究史について述 べる。学名については末尾に一・覧としてまと めた。 江戸時代後期一大正時代く1816−1925) 1816(文化13)年,本草学者/ト原春造は徳 島藩の命を受けて阿波と淡路の産物調査をは じめた。親子3代に亘っての調査結果は,『阿 淡産志』にまとめられている。その後長井琳 ︹∴十小+

亜、せ▲魯∴介

執射可泉ユ触,久l ノ¢斜、一−上 −句・、鼠り ぬ ク ′ 戟曙曹′ 心 シ 乳 クと鼻∵褐一一メ丸り乱発ク軋 t二l/●L ・ン疎略ノ 戦こ ′温鳥よ一年 て 図1..幾世留介(きせるかい) 『阿淡産志』巻之五十−・ 安田編(2003)より − 33 −

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キリガヒ スク破レ易シ錯螺ノ類ニシテ漠名東夕詳ナラ ズ’とありその形状や解説からオオギセルと 思われる。この事について阿部(1981)は 「157種の介類が掲載されている。遼憾なが ら,陸産には触れていない」とキセルガイの 図を見落としている。福島(1990)はキセル ガイの種名についてふれシーボルトコギセル に当てた。徳島県・淡路島には分布していな いので誤同定である。 高知県佐川町の黒岩恒(1858−1930)(図2) は領主深尾家の家塾「名教館」に学び19才で /ト学校の教員となる。その後,陶治学校(師 範学校の前身)に入りまた弘田氏の家塾「五 松学舎」で牧野富太郎と共に学び,1891(明 治23)年8月,高知県尋常中学校,高知県農 学校教諭心得となる。博物特に蝶類に興味が あったようで,1890年4月には学問に関する 親睦会「佐川同郷会」を設立している。陸産 貝類をはじめたのは1891年頃ではないかと推 測している(多田,2003,2008)。「土佐に於 ける非海産軟体類の‖勘(農岩,1892)によ ると“動物分布の調査は地方に散在せる動物 学者各自の責務なり。されば余は本職の余暇 事に採集調査に従い漸く蝶類のみ整頓(中 略)その後,調査方法を軟体動物の部に移せ し”とあり,昆虫類から軟体動物に転向して いる。当時,日本の陸産貝類の分類研究は外 国の研究者に依頼して行われていたが,日本 人として初めて貝類に学名を与えた飯島魁が 活躍した頃に当たる。飯島は『動物学雑誌』 に「日本の鯛牛」を5回に亘って連載した(飯 島,1892a,1892b,1893a,1893b,1893c)。そ の中で読者に陸産貝類の生貝採集とその送付 を依頼し,せめて和名だけでも付けておけば 将来,分類に役に立つだろうと述べている (飯島,1892a)。この呼びかけに応じたのが 黒岩恒など,高知県人である。黒岩以外にも 田島千景,山崎治太郎なども送付しているが 黒岩はその中心的な存在であった。石灰岩地 に種類が豊富なことを知っていて多くの種を 送付している。イイジマギセル,ナカムラギ セル,フルトンギセル(シリオレコンボウギ セル),シロマイマイ,ジタロウマイマイ,タ シママイマイ,トサマイマイ,シメクチマイ マイなど高知市近郊の主な陸産貝類はほとん ど送っている。オナジマイマイの解説には “これは本邦中広く産す(中略)黒岩氏が四 国よりして此種を送られざりしは該地には産 せざるの故ならんが’とあり黒岩が送ってこ ないので四国にはオナジマイマイが生息して いないのではないかとまでいっている(飯 島,1893c)。飯島はキセルガイ科などの分類 は苦手であったのかドイツの著名な貝類学者 Heinrich Simrothに送り,Simrothは氏の門下生 のJacobiやEわemannに研究を分担させた(滝, 1938)。イイジマギセルは黒岩が採集したもの であるが飯島がドイツヘ送付したので飯島に 献名された(Ehermann,1900;黒田,1955)。 また,同時に記載されたナカムラギセルは記 載の際には殻口背部の顕著なクレストから 図2.沖縄時代の黒岩 恒(大正12年) 大域編(1969)より 一 34 −

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c血c庇0〃由は“帯が取り巻く頚の意”として命 名,和名は記載後34年め,発見後42年め,第 2発見者である中村定八に献名された(黒 田,1934)。中村定八については後述する。極 わめ付きは黒岩が高知県で採った大型のカタ ツムリに対し飯島は石川県白山(昆虫学者の名 和靖の採集物)などに生息するものと同種とし てクロイワマイマイと命名している。後に高 知県のものはクロイワマイマイとは別種のア ワマイマイであることが判明したが,白山な どの大型のカタツムリにはそのままクロイワ マイマイが使用されている(湊,2001)。和名 の付与に.は悲音こもごもなことがあるもので イイジマギセルやナカムラギセルなどはクロ イワギセルとしてもよいところであるが,そ の分,和名にクロイワマイマイが残ったこと は幸いであった。黒岩は生物相のより豊富な 沖縄に興味をもち,1892(明治25)年2月に 高知県の教職員を退職,沖縄行きを希望す る。そして7月には沖縄県の教員として採用 されている。退職から採用までの5ケ月間は採 集三昧であったとみえ高知県からの資料の送 付はこの時期に集中している。沖縄に行って からも精力的な採集を行い続々と新種を発見 した。7月末に赴任して8月には宮古,石垣 島,西表島などの動植物を採集している(大 域編,1969;波部,1980)。四国の陸産貝類を 語る上で黒岩は忘れてはならない人である。 1892年前後の飯島の記述した四国の陸産貝類 はほとんど黒岩が関係している。 田島まいまい(タシママイマイ)に名を残 す−(記載は1903年)田島千景に陸産貝類を採 集,飯島に送付させたのも黒岩の進言であ る。田島千景は吾川郡の人,高知尋常中学校 の時,黒岩の仲介で飯島に送ったとある。ま た自らも「蛸牛其の他2・3に就いて」を発 表している(田島,1893)。田島については出 身郡と高知尋常中学校の生徒もしくは教員と いうことがわかっているだけで,その他の経 歴は分かっていない。飯島が和名をつけたも ので記載されたのは1900年になってからであ る。 山崎治太郎(理科大学簡易講習科卒業生) も飯島に幾種か送っている。ジタロウマイマ イは飯島が若くして亡くなった山崎に献名し たものである。これも和名が先行,山崎の 送った土佐逆川村(龍河洞)は模式産地とは ならず,後に良く似た形態の淡路島の種で記 載された(多田,2008)。

1895年,Sykesはロンドン貝類学会誌に

「Discript10n Ofnew Clausillia fiomJapan and Yunnan」を掲載,5種のキセルガイ科貝類を

記載,内3種が“Kinnayama Shikoku”を模式

産地としたもので,それらはシマケリレギセ ル,フルトンギセル,そしてCJα〟5〟ぬよ卯0ム∼Jよ5 (アべギセル)である。“mnnayama”は徳島 県剣山と推定している(多田・湊,1981)。こ の3種の入手経路はわかっていない。 Jacobiは高知県“Kamodamur・a”(現:高知市 鴨田)を模式産地とするシロマイマイを記載 (.Jacobi,1898)。これは黒岩らが飯島に送っ たものが巡り巡って記載されたものである (滝,1938)。 杉本龍勝(1888−1934)は宿毛市沖の島,徳 法寺の住職,主として海産貝類の研究で有名 であるが陸産貝類ではスギモトギセル(湊・ 多田,1978),スギモトべッコウ(未記載種) に名を残している。龍勝が47歳の若さで亡く なったため,次男公男(1921−2004)が標本を

受け継ぐと共に,多くの新種標本を追加し

た。また,沖の島における陸産貝類の保護に

も努めた(多田,2001)。 1897年,京都の平瀬興一・郎(1859−1925)は 家禽業を営んでいたが,同志社大学講師ゲイ ンスや宣教師ギュリックと出会い貝類研究に 興味を覚える。『学術標本用介類蒐集案内』と いう小冊子を作り家禽業のネットワークを 使って全国に貝類採集を依頼した。平瀬は送 付された貝類を英国のグードなど海外の専門 家に送り同定を求めていたが,その後は専ら ー 35 −

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フィラデルフィア自然科学アカデミーのピル

スブリ一に送り同定を依頗した(黒乳

1986)。平瀬に協力した四国関係者に高知県後 川村(現:中村市後川)の岡澤伝吾郎がい る。岡澤は後川より採集したとトサギセル, シコクギセル,クマドリオトメマイマイ,ヌ

ノメシロマイマイを送った。これらはグー

ド,ピルスブリー単独,あるいはピルスブ リーと平瀬の共著によって記載されることに なる。平瀬の貝類収集方法は一部では成功し たが効率は良くなかった。そこで平瀬は助手 を雇って採集方法を伝授し,各地に派遣する 方法をとった。 1900年,平瀬輿一郎から派遣された採集 人 中田次平(図3)は陸産貝類の豊富な石 灰岩地帯の高知市付近と固有種の多い離島

部,宿毛市沖の島で陸産貝類を採集した。そ

の時の採集物は1900】1905年にかけ『Nautilus』 誌や『フィラデルフィア自然科学研究所紀 要』に新種記載された。スミスオトメマイマ イ,ヒラコペソマイマイ,ヒメカサキビ,ト クサギセル,オキノシマキビ,ヒラケマイマ イ,オキノシマシロマイマイ,オキノシマナ ミギセル(ナミギセルの同物異名)などがそ れである。 また中ロ次平は1901年,九州採集旅行の帰

途,宇和島付近でも採集している。滑床での

トサギセル(大・/ト2型),シコクケマイマイ (吉田町産)が主な成果である。 1902年,中田次平はもう一人の平瀬の採集 人,東永吉(図3)を伴って再度高知県に来

ている。中田は高知県西部の山岳部へ,東は

安芸から北川村方面に分かれて採集を行って いる。そのときの成果は1903−1904年にかけて 以下の種が『Nautilus』誌などに記哉されてい る。オオツヤマイマイ,タシママイマイ,ヒ ラコウべマイマイ,ハダカケマイマイ,コケ マイマイ,シメクチマイマイの1形,トサキ ビ,カサネシタラガイ,シリオレコンボウギ セル(フルトンギセルの1形),シコクオトメ マイマイ,トサピロウドマイマイ,トサシリ ボソギセル,シンチエウギセル,タビトギセ ル,ノミゴマガイ,ソコカドゴマガイ,クレ ゴマガイ,オオノゴマガイ,シタヅキギセ ル,イノクチギセル(アワジギセルの1形), ヒメトサゴマガイ,トサゴマガイと多種にわ たる。 平瀬のもう一人の採集人,森崎周一ほ淡路 島福良の人,i901一柑05年にかけて6度に亘っ て徳島県加茂谷(現:阿南市)を中心に徳島県 中北部と香川県の東部を採集している。それ ら成果は1902−1903年にかけて『Nautilus』誌な

どに記載された。アワマイマイ,ヒラオオケ

マイマイ,クリキレムシオイガイ,ケショウ マイマイ,ナタネガイモドキ,モリサキオオ ペソマイマイ,アワクリイロべッコウ,デー ルギセル,シコクベッコウ,ナミヒメベッコ ウ,ヌリツヤヤマキサゴ(ヤマキサゴの同物 異名),アワキビ,アワムシオイガイ,アカチ 図3.平瀬輿一郎を助けた採集者 (明治39年1月3日撮影) 右端:中田次平 右から2番目:東 永吉 左端:黒田徳光(19才) − 36 −

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ビギセル(アワジギセルの同物異名)などで ある(黒田,1986)。

黒田徳米(1886w1987)(図3,図4)は兵

庫県南淡町福良生まれ14歳のとき平瀬輿一 郎の助手として京都に転住,貝類販売などの

営業の傍ら英語を学び,貝類学研究を行っ

た。1919年,平瀬輿一郎が貝類に関する営業 を止めた後は京都帝国大学へ招鴎され 地質 学鉱物学教室で貝類分類学の指導に当たっ た。1928年,後述の滝庸らとともに「日本貝

類学会」を設立した。貝類全般の分類に長

け,中でも陸産貝類のキセルガイ科貝類の分

類を好んだ。Pilsbry(1900a,1900b,1901,

i903)。壬)i靂sbけ&Hjrase(1903軋 ま903b,19048, 1904b,1904c,1905)以降の記載は黒田に負う 所が多かった(Callomon&Tada,2006)。後述 の阿部近−とは親しく交流があり,四国の陸 産貝類の多くを記載している。黒田は徳島県 以外に1934年8月11日から22日まで金丸但 馬,杉谷房雄とともに高知県大方町上川口附 近,大月町相島,宿毛市沖の島,佐川町,越 知町,春野町荒倉峠,龍河洞,大豊町大杉, 徳島県大歩危,香川県琴平山を巡っている。 この旅行は若くして亡くなった杉本龍勝の墓 参りを兼ねていた。1945年には黒田は単身で 南国市稲生,土佐山村,高知市五台山。1946 年には高知県物部村大栃へ。また,1959年に は愛媛県長浜町出石寺から宿毛,土佐清水を 巡って高知市へも来ている(阿部,1981;多 田,2007)。 1908年頃,/ト松崎三枝は水戸の水産学校か ら愛媛県師範学校に赴任した。小松崎は海産 動物に興味をもち,中でも貝類研究に熱心で あった。1917(大正7)年,滋賀県師範学校 に転任するまで多くの学生に貝類研究の興味 を教えた。1914年平瀬輿一郎が出版する予定 であった『貝類界』予約申し込み者名簿の申 に小松崎の紹介によると思われる愛媛県籍10 数名の名前がある。その中に1927年,日本貝 類学会創設にかかわった梅暦 名前もある。滝は小松崎の下宿近くに自宅が あり愛媛県師範学校に入学する前から小松崎 の貝類標本をみて大いに刺激を受けたようで ある。滝は京都帝国大学農学部を卒業,中国 南京博物館主任研究員,東海区水産研究所を 経て,晩年は国立科学博物館動物学課長を勤 めた。『天然色写真版日本貝類図鑑』(平 瀬・繚,1951)など多くの著書がある。滝庸 の弟である滝巌も見からの感化もあって貝類 研究の道に進んだ。滝巌(1901−1984)は1918 年,愛媛県高耗山でタキギセルを発見してい る(黒田,1936)。京都帝国大学理学部動物学 科を卒業,広島大学水産・畜産学部教授など 歴任,2000年には日本貝類学会会長に就任し た。大正から昭和前半にかけては愛媛県人の 貝類研究者の活躍が目立つ。滝兄弟以外に今 泉虎雄(タキギセル第2産地の発見者),武智 秀次郎,村上次郎,河野道徳,八木繁−,鈴 図4.阿部近一(右)黒田徳米(左) (昭和18年,徳島県にて撮影) − 37 −

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村竹雄,高島義彰(1896−1975),高島一・臣 (義彰の次男),森井邦夫などがいる。その中 で,高島親子は愛媛県の陸産貝類を熱心に調

査した。高島義彰1967年発行の『愛媛の自

然』に「陸貝採集のために」を3回に亘って 連載,1970年には松山市内で標本展示会も行 い啓蒙活動もした。未記載種であるがタカシ マゴマガイに名を残している(高島,1994; 多乱1994)。 昭和時代前期(1926−1955) 1927年,魚類学者蒲原稔治(190ト1972)は 旧高知高等学校動物科講師として赴任,高知 高校の2学年の生徒に中村定八(ナカムラギ セルに名前を残す)が在籍していた。すでに 中村は貝類を多数収集しており大いに刺激を

受ける。丁度その年,貝類の分類研究に興味

のあった陛下(昭和天皇)より高知県知事に 陸産貝類の希望があり,知事は蒲原に委託す る。蒲原は中村と共に冬の不入山で採集を行 い,他の高知県下の採集物と共に約50種を献 上する(多田,1997b)。蒲原は1933年,鵜来 島(宿毛市)調査の際トサギセルの1型(大 形)を採集,黒田に送付した。1936年,黒田 は新種と判断,カモハラギセルと命名,記載 した(黒田,1936)。中村定八(1907−1945) は高知高校に在学中,1900年にEhT・mannの記載 した和名の無いキセルガイ(学名)を土佐山 村で再採集に成功した。和名を新称するに当 たって,蒲原は黒田に対し再採集者の中村に 献名してくれるよう依頼,黒田は蒲原の意向 を汲んでナカムラギセルと新称した(黒田, 1934;多田,1997b)。 中山橿馬(1898−1966)は1919年高知県師範

学校卒業,その年結婚,妻の中山伊兎(い

と)が最初貝類採集に着手,駿馬は少し遅れ て1934年頃より貝類採集を始める。1929年か ら1942年までは福岡県,岡山県などの旧制中 学校の教諭とし赴任,福岡県ではナカヤママ

イマイを発見している。また,高知県でも各

地を調査して『土佐の博物6号』(1938)には 「陸産貝類採集に就て」,同誌9号(1941)に は「龍河洞の貝類」を載せ七いる。1942年に

地元高知県に帰り高知県を中心に調査を行

う。1950年,昭和天皇巡幸に際しては高知大

学教授であり土佐生物学会会長,蒲原稔治と 共に陛下の宿舎に高知県の陸産貝類を展示し たりして高知県の貝類を紹介した。1960年, 日本貝類学会近畿地区高知例会を主催,1963

年から貝類学会評議員を2期務めた。中山駿

馬の最も大きな業績としては『土佐産貝類総 目録』(中山,1965)を出版したことである。 陸産,海産,淡水産と高知県下の貝類2364種 を掲載(陸産貝類135種)した。これは氏の集 大成で,重病に躍り病床の中で校正をすると いう壮絶な努力の結果成し遂げられたもので ある(渡部,1粥8;多田,1998)。 高知県には1937年頃まで安芸地方で陸産貝 類を集めていた佐々木重治がいたが1941年発 行『土佐の博物9号』の「安芸地方の陸貝」 (遺稿)を残し,若くして病没した。 石川重次郎(1888−1971)は愛媛県生まれ, 日本における洞窟動物研究の先覚者である。 1954年高知女子大教授の時,九州熊本県の洞 窟で新種のキセルガイを発見,イシカワギセ ルと命名・記載された(黒田・湊、1975)。そ の他,未記載種のシロヒメべッコウも見つけ ている。 波部忠重(1916−2002)は兵庫県出身,1938

年12月,1939年1月と2回,延べ13日間に

亘って香川・高知・徳島県の3県の陸産貝類 採集をしている(波部,1940)。そのときの成

果としてムロトキセルガイモドキ(黒乱

1945)がある。また,1939年末には束正雄

(1912−2001)と共に第3回目の四国(主に高 知県)採集を行った。その際,東は高知県横 倉山で新種のキセルガイを発見,渡部はそれ にアズママルクチコギセルと命名記載した (波部,1940)。 束正雄(1912−2001)は神戸市生まれ,1948 ー 38 −

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峰から高知県室戸岬を,1945年1月には鷲尾 とともに牟岐町津島,出羽島に,同年10月に は脇町妙体山に登っている。1946年1月には 4泊5日で波部忠歪,伊藤恒堂と共に大竜寺 山,大井,水井を始め再び出羽島,津島を調 べ,1947年8月には徳島県博物同好会主催の 講師として徳島市籠の海岸や神山町焼山寺を 訪れている。黒田は1937年から10年間で7回

徳島県を訪れていることになる。また,阿部

自身は1950年8月に京都大学動物学教室に出 向き黒田に2日間,直接貝類研究の指導を受 けている(阿部,1986a,1986b,1981)。当時, 阿部の応接室には尊敬する人物として牧野富 太郎と黒田徳米の肖像写真が飾られており親

しく交流していたことがわかる(多田,

1993a,1993b)。1970年までにダイシキセルモ ドキ(黒田,1945),アップタムシオイガイは 黒田(黒田,1951)が,シコクゴマガイは黒 田・波部・阿部の三人共著で記載(波部, 1961),1970年には黒田と共著で陸産貝類16新 種(コウツムシオイガイ,タイリュウジゴマ ガイ,ワシオゴマガイ,カガワゴマガイ,ツ ルギサンゴマガイ,マルクチゴマガイ,ニク イロギセル,アべギセル,モリサキギセル, アワギセル,トクシマコギセル,イヤヤマキ ビ,ヒメヒゼンキビ,ハナレシタラガイ,ツ

ルギサンマイマイ,ミヤマオオペソマイマ

イ)を記載した(黒田・阿部,1980)。また 『徳島県陸産ならびに淡水産貝類誌』(阿部, 1981)を刊行,長年の集大成を行った。その 後もトウゲンムシオイガイを記載した(湊・ 阿部,1982)。 徳島県には外にワシオゴマガイに名を残す 鷲尾寿が,1943年頃から1951頃まで活躍した (多田,1997a)。 年8月にも徳島県を約一・週間調査している。 前述の高知県での採集と合わせて1948・1949 年,謄写刷りの貝類同好会誌『夢蛤』に「四 国陸産貝類の解剖学的知見」を2回に亘って 連載した。1952年−1960年の間に20数回,高知 県など四国各地に足を運び海産・陸産貝類を 採集した。著書には『高知県沖島・相島・足 摺崎沖産貝類目録』(陸産貝類を含む)(束,

1960)や『原色日本陸産貝類図鑑』(東,

1982)がある。 阿部近一・(1908−1993)(図4)は1g30年徳 島県師範学校専攻科を卒業,/ト学校の教師を しながら博物学,特に植物分類に興味を持っ ていた。博物学関係の組織の中心として郷土 の生物学発展に貢献した。多くの生物学者と の出会いの中に黒田徳米がいた。1937年,徳 島県中等学校博物研究会が主催で,徳島市大 神子・阿南市水井を会場に講習会を実施した

際,京都大学の黒田徳米を講師に招聴した。

阿部はこの受講をきっかけに陸産貝類にも興 味を覚え,植物と併行して調査研究を行うこ

とになる。その年アワギセル,マルクチゴマ

ガイ,アべゴマガイを,1938年にはダイシキ セルモドキ,1939年にはアベギセル,1940年 にはニクイロギセル,1g41年にはミヤマオオ ペソマイマイ,ツルギサンマイマイ,1943年 にはイヤヤマキピ,ハナレシタラガイと毎年 のように新種,新亜種を発見した。1944年に は鳴戸市撫養で鹿児島県以南(後に大分県でも 見つかった)に分布するピントノミギセルを採 集,1947年にはアップタムシオイ,1955年に は阿部の次男明士(あきお)がコウツムシオ イを発見した。黒田も1937年の講習をきっか けに再三徳島県を訪れ阿部らと共に徳島県下 を調査している。1943年7月には伊藤恒堂と 共に一・宇村小島峠を経て東祖谷山村菅生,切 谷,見越,木屋平村富士池,山川町高越山, 阿南市大竜寺山へと8日間に亘り台風の中,調 査を行った。1944年1月には伊藤恒堂,鷲尾 寿(後に原田姓となる)とともに宍喰町鈴が 謝 辞 本稿をまとめるにあたり,貴重な写真を提 供いただいた西宮市貝類館研究員大谷洋子 − 39 −

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氏,大原健司氏(図3),徳島県博物館館長大 原賢二氏,学芸員茨木靖氏,北海道大学元教 授阿部永先生(図4),また終始適切なご指 導,ご助言くださった香川大学名誉教授金子 之史先生,同教授末広喜代−・先生に深謝の意 を表します。

引用文献

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参照

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