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高松市下笠居地区における複合果樹作経営に関する研究 I その実態と成立要因-香川大学学術情報リポジトリ

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第11巻 通巻第29替(1959) 59

高給市下笠居地区における複合果椅作

経営に関する研究

Ⅰ そ の実態 と 成立要因

喜 田 莫 登,森 和 男

Studies on the diversified fruit・・grOWingfar・min Shimokasai

WarId,Takamatsu city

I The actualcondition and the main causes of the development

YoshinorIiKITA and Kazuo MoRI

(Labor・atOry Of FarIm Management) (ReceivedJuly13,1959) 1 は し が き 果樹作経営の展開に.おいてみられる経営塾態には,柑橘。準果・梨・葡萄等の著名産地におけるが如き,単一の果 樹作に中心を置いた専業化の進んだ型態と.,西日本特に瀬戸内の香川・岡山県におけるが如き,水田経常尊から出発 した副業的なものや数種の果樹作を複合した専業壁の高い多角的なもの(複合果樹作経常)とがあるい 特に香川県下 に展開されている果樹作経営についてみると,比較的に気象条件に恵まれ,また社会,経済的な諸条件からして,−・ 股的に戯業生産の技術水準が高く,商業的農業が早くから発展をみている等の審情により,果樹の栽培種類が多くわ が国の主要果樹の殆んどすぺてのものが栽培されており,果樹産地の地域性にもよるが,現状では副業的乃翠複合的 果樹作経常が比較的に多い.. しかし最近における果樹重層の一腰的動向や市場関係等の変化に.閑適して,果樹生産の実績ほ必ずしも伸質してい るとはいえず,むしろ停滞的な様相を露呈しつつあり,岩片教授(1)等によっても指摘されている如く,凍絡的に果樹 生産・経営・販売等の各分野から綜合的な再換討を行い,近代的な果樹産地としての生産乃至経餞体制を確立し,生 産性の向上を図ることが強く望苦れているわけである. 凍稿ほ,かかる複合果樹作経常の実態を把適し,その成立要因の解明を通じて,果樹作経営の合理化問題の換討に 資すること.を目的と.して,替川県下で最も代表的な複合果樹作経営地区として知られる,高松帯下笠屠鞄区を採り挙 げて陪和33年3月より試みた実態調査の結果に.基き若干の考察を行ったものである… なお実態調査の実施に際して,高松市連発部長樋口近一成,下笠屠文明長高橋璧氏,同虚業協同組合長平石字太郎 氏,同園芸組合長谷沢清氏の御高配を頂き,特に県盛業改良課明石義尊技師に・ほ多大の御援助を,また調査部落の戯 家の力々の全面的な御協力を頂いた.さらに東学農業経営学専攻生(昭和33年皮卒業)にほ部落調査の−・部について 協力を得た,こ.こに言己して厚く謝憩を表するい Ⅱ 複合果樹作経営の概念規定 まず本研究で採り挙げた複合果樹作経営と.ほ如何なる経営塾(塾態)を称するかの疑問が生じるので,その概念親 定について述べておきたい.、これは腰林省統討調査部が実施している「虚業経営調査」における経営塾儲の概念乃至 類別汲(2)に準じて待ったものであり,農家の農業経営体の径常総緻構造,就中農業収益部門構成の如何によって捉え て嘩純に類別を窮みたものである.. すなわち,そこでは嘩−・経営(経常の露点が嘩−・な生産部門に署かれている経儲)と複合経営(各種の部門が主副 の別なく複合するいわゆる多角盛業経営)の二つに頗別されているが,東研究での複合果樹作経営とは前者の単一・経 営に属する果樹作経営(経営耕地両脚こ対する果樹園面積の割合が50%以上の経営)をさらにその下位部門をなす果 樹作の積弊数によって,単一・果樹作経営と複合果樹作経常とに類別した場合の概念である“ すなわち,複合果樹作経営とは,「農家の経営桝地面積における果樹園両横の割合(果樹園率)が50%以上でありこ 種類以上の巣横作部門を複合する経営」と規定したのである..かように農業経営における土地利財部門の組織構造の 一・面から捉えた類別法であって,農業経営以外の兼業等の農外部門ほ対象としておらず,また果樹の同{種類内にお

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いても品種。系統によっては,経営的性格をかなり相異する点もあるが,その組合せの如何ほ一応論外とした Ⅱ 複合果樹作経営の実態 (り香川県における複合果樹作経営の概観 替川原全体の果樹栽培両脚こついてみると,昭和32年の統封(3)でほ重要果樹の全栽堵席積3768町のうち,温州蜜瀾 34小8%,桃23‖3%,柿159%の3積弊が圧倒的に多く栽増され,次いで葡萄7.4%,和覇皆3.8%,枇杷29%,平果2い8 %,靂蜜柑2.8%を占め,以上が重要な栽培種類であって,これに加えて小豆島を中心と.した島唄部にほオサーブ栽 培がある.. 次に有川県における果樹の種類別戟増両横の分布を町村別にみ.ると第1表に示す如ぐであり,果鵜飼全面積が30甲J 以上を箱するものほ21簡町村を数え,その栽培種類は数多く,地域によってかなり著しい相異がみられるが,一腰象 の果樹作経営においても数種の果樹を複合した.経営が行われていることは容易に推測されうる. 第1衆 香川県主要果樹作町村の種類別果樹栽培面積(反) 度方田田 田 麻 318420 365454 989899 848047 0︵‖01︵O PJ8 3つん3356 055フ 0508 09︵︰09 1 ︵uU﹁ノ69 つム12︵∠ 33︵J3 1 0へソ︼0 586 1 1 9 . 68 98 ■ 0 3 76

80】528l56い48】」1033】95∴3

6 【上 笠 屑i 853! 329

53169】 85

51】 826J 96小9 仙

可Tl三間「㌫

7 」下 笠 贋1947】 3242(〕3

23603】9326j 636ト41フ7【1368」445車両 949」 香 川 715≦ 23243r 98.5 表註1)香川県農業試験場‥「農業国説_l,(1956)P46∼47の市町村別果樹作付面積(昭和28年度)より 作成した. 2)果樹園全面租が30町歩以上の町村を抽出し,更に一億類の作付面積が5町歩以上のものを抽出した. 果樹が一囁類に集中している町村は,温州蜜柑の仁尾,五郷,高室,主題,善通寺及び葦果の池田と討6箇町村が ある.これ等の地域では月圭一・果揖作経営(野山果横車業経営)を行う戯凍の割合も比較的に多いようである,.これに 反して,ニ種類のものは6箇町村,三種類のものは4簡村,四種類以上のものは5箇村であるい むしろ香川県下でほ 後者に属する町村が果樹栽培の歴史も古く,かつ指導的乃至先進地的な存在をなして広く知られ,頸在もなお主要な る果樹作の地位をもつ生産地なのである. このように木県では果樹作経常が単一1果樹に専業化し発罠している地域もみられるけれども,誤肢平野に点在する 沿岸香りの小丘陵地帯を中心に,いわゆる複合果樹作経営が発襲成立をみているところが多いのであり,教場種類数

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第11巻 通巻第29啓1(1959こ) 61 の多い経営塾態が香川の果樹作の一穴特徴をなすものと考えられる. そこでこのような果樹作経営は地域的にあるいは個別頗家においては如何なる実態を表しているか,またその展開 成立ルこ関与している主要な要因は何か,について若干の分析と換討を試みる (2)高松市下笠居における複合果樹作経営の実態 i調査地区(下笠眉)の概況 (イ)本調査研究の対象と.した下笠眉唾区ほ第1図 に示す如く,高松市筒西部約8kmの所に位置し,通 ●●●● 称五色台地の麓に・発達した近郊農相で,陪和31年9 月に旧香川部下笠屠村から高松市に∴合併した地区で ある.田和31年の統計では農家戸数805戸,水田134 町,畑370町のうら果樹園約240町であり,耕地の畑 率は73.4%,畑地の果樹園率は64い9%を占めるとこ ろの果樹作地帯なのである.農家の平均1戸当耕地 面積は6..26反で少なく,また兼業農家率51..6%ど高 く,地区内の産業篠済構造や農業儲造がすこぶる複 雑である小 (ロ)次に本地区の果樹作を第2表によってみると, 革具が最も広■く栽培され(菅リソゴの産地として著 名)次いで温州蜜柑,柿,雑用(童と.して真相), 和梨,無花果,桃,枇杷が主要なものであり,その 栽培種類ほ10数瞳に・及び,全く,わが国に栽増され ている果樹の殆んど給ぺての種類を網羅していると いっても過言でほない.勿論地区内において若干の 地域性はあるが,早くより果樹栽培技術指導者等によって,近代的 な果樹産地として発展すべく,種類や品種の統一が指摘唱導されて いたと思われるにも拘らず,最近に至ってようやくそれ等の点が認 識されて強力な果樹生産体制の樹立の気運が高まりつつある現状で ある.また一腰的にいって,多くの果樹産地が辿った発展過程等を みるにり(4∂)謬作的な選択親を経て適地適作にかなった稜類や晶程 を見出し,飛躍的に統一・発展するいわゆる安定期に入る場合が少な くないのであるが,本地区は果樹導入の歴史が相当に.■古いにも拘ら ず,その栽培種類の画期的な統一せみないことは,以下に考察する 果樹作経営の立地条件からしても地域的な特殊性が強く存在してい ることを洗わすものである. ii調査部落(尾路)における複合果樹作経営の実態 次にこれらの特殊性を最も強く反映していると思われる集団的・ 専業的果樹作部落として,犀路部落をとりあげ33戸の戯家を対象と して,また暗和33年3月1日現在を調査時点として,聴硬調査法に よる悉皆実態調査を実施した.その個別農家の調査結果から,東部 落に展開されている複合果樹作経営の実態に.ついて考察しよう. (イ)まず本部落調査虔家を経営耕地面積親模別(A′−F)に分・類 第2表 下笠屈地区の果樹栽増両横 (昭和31年:下笠居支所調) し,各階層別及び全戸(T)の比較検討からその実態を紹介したい.(第:3表)東部落は専業農家部落とはいえ小親模 階層では兼業化が進み,全戸の兼業袋家率は36い4%である、.また戯家平均1戸当り経営耕地両税は,水田1.、79反,普 通畑0‖06反で殆んどなく,果樹園7..50反,合せて9‖35反で下笠居地区及び県平均よりも大きい.部落は菅峰山麓の東 北部の傾斜地帯にあって,水田や普通畑では水稲。麦類・所業作が自給生産の範囲で,もしくはそれ以下の状態で行

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第3未 調査部落(尾路)の農家の経営概況 ※1950年世界農業セソサスの数字に・よる。 なわれているけ しかしそれだけに農家の水田耕作に・対する関心が強い.傾斜地に発達した畑地は殆んどすぺてが果樹 園化されており,果樹作が農家経濱・経営の主体をなしている.その果樹園率は帽層(A)の外はいずれも70%以上 を占め,全戸平均80..2%である. また,経営規模別にみて上掛まど,家畜や軌力磯城が増加し,将に帽層(E)と(F)の農家は酪農部門を宿し, 「酪農・果樹作経営」の典型をなすものとして注志されるとともに,凍部落でほ虚業経営自体の労働雇傭力が高いに も拘らず雇僻労働が極めて少ないことが注目されるい なお調査対象と.した複合果樹作経営の猥塾に該当しない農家は,帽層(A)の全戸と階層(B)の1戸があるのみ で,他の29戸(87い8%)がその類型に帰院するのである。 匝)次に果樹作部門が如何なる下位部門によって複合,組織されているかを,栽堵の種猥数や面積構成からみると 弟4表に示す如くである.すなわち,栽培果樹は常緑果樹4種,落葉果樹4槙であって,中でも準巣・柿・蜜柑・真 相・枇杷が主要なものであり,また果樹園両横が大となる程種類数が増加し,全戸平均4・2種類であるい しかし各栽 培面積の構成比は,最近柑橘の増穂によって変動しつつある=さらに種類数の多いことと関連して,種々な園地の交 錯や分散が著しく,1枚当面硫も狭小で,作業能率の向上や生産費但瀬上の欠格を露呈している また1戸当りの栽培種類別両税の広狭については第5表に荒す如くで,坪果・蜜柑・柿が比較的に規模の大きい農 家も存在するが,複合果樹作経営として∵大将勧をなす種類別面積配分上からも一囁類当り面積は小成模化している 農家が多いことが指摘される. なお地区内の山菜部落で実施された果樹作経営に・関する調査資料(6)により,当部蕗農家の地目梅成や果樹作部門の

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63 第11巻 通巻第29苧(1959一) 第4表 調査部落県家の果樹作部門構成(1戸当■) ▼」】 ̄ ̄ ̄一■Ⅷ ここここ====

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(C)l わ)l 匿)l(F)

項 目

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3反未満l3−′5」5∼10llO{−15l15∼20」20反以上

(−)内ほ比率を示す. 第5表 調査部落農家の果樹種類別栽培親模 \\ 穣類 みかん庭っみかん】はつさく も も か き ぴ わ り ん ご う め 項 冒 ㌧\、、、、 非栽培農家(戸) 平均1戸当栽培両横 (反) 穣類別構成について検討したが,そこでも,若干の地域性はあるものの類似した傾向のあることが考察された. M さらに当該農家の果樹生産力について(産出の一側面から),慣和32年産の反当収量及び反当粗収入について 調査した結果は第6表に示す如くである.本表によれば反当収量はいずれの種類についても,階層(中)が高く,階 層(上)・(下)はそれよりも共に低下していることが指摘されたし,階層(中)には蜜柑・露和・革具・枇杷では

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比較的高い農家があると.はいえ, 農林省の生産費調査(7)等に・よる生 産水準からみて,反当収盈そのも のがかなり低位守こあることが指摘 される1.さらに.果樹の反当収盈は 年度による相異もかなり大きいの で長期的にみなければならない. この点本地区㌢こ設定された農林省 の「農業経営調査」遵家の実績(8) を参照しても,同様に.反収水準が 僻く,将に.柿・桃の反収の推移は 横這い傾向を示し,蜜柑・平泉で は幾分か漸増傾向を示して−いる. しかしこれは特定農家の事例から いえることで客観的な代表性をも ったものではない. 勿論こうした果樹の低位塵i盈力 の問題を解明するた削こは,当該 経営の歴史的な展開過程を分析し, 経営立地の諸条件の換討と共に, 経営経済的な調査研究に・待たねば ならない点が多い.特に凝営部門 相互就中複合された果樹作部門相 互の土地・資永財・労働力利岡の 諸関係を解明し,適正なる果樹作 部門の結合,配置を換討して,良 家経営の主体をなす果樹作部門の 経済的合理性乃至生産性の向上を 図らなければならない一.なおこれ 第6表 調査部落農家の主要果樹の平均反当収量と平均反当粗収入 (昭和32年安産) 註1い B:成園面積当り, G:激増面横当りを示す。

2。平均農家手取増価ほ,kg当り,みかん=37∴33円,なつみかん

=26い67円,りんご=32‖00円,かき=29.33円,びわ=3467円で ある。 3… 反当収盈は各室産物総生産盈を成園面積,栽培面積で除した。 らの点に・ついて,本研究独自の立

4い 反当粗収入は反当収盈×@をもって潮沌に算出した0

場から招和34年2月より,尾路部 落農家10戸を対象として,農家経済符に・よる符記調査を紫苑中なので,静記資料の裏付を待ってかかる経営経済的観 点から当該経営の実態分析を行う所存である. Ⅳ 複合果樹作経営の成立要因の考察 次に上述の如き複合果樹作経営の成立を促し,あるいはその発展に関与したる諸要因に・ついて考察を進めたい−・一・ 肢的な成立要因・因子の体罪的な解明(91011)に留憩したのであるが,承稿では下笠属地区の果樹作の発展をして複合 果樹作経営の形成として特徴づけたと思考される地域的な特殊性をもった成立要因についてのみ載賃する小 (り自然的要因 i気候的因子 果樹栽培の立地条件について菊池博士は,種類及び品種と気候と・の関係,地形及び土質と栽培法と の関係のこ蔚こ帰着する(12)と述べており,また小林博士は,果樹の適地を大きく決める環境襲素は,気温と降水盈 であることを指摘し,凍邦主要果樹の主産地における平均気温と裳半期(4∼10月)の降水畳を検討されている.(1$) ところでその種類別にみた主産地の気候条件と東地区のそれを代表する高松の気候条件(14)を対比してみ・ると,森地 区では冷涼地帯に忠地する早生葦果(視・旭)ですら,「膏リソゴ」として栽培が可静であり,その外どんな程類で も,致命的な気象的災害(近時,凍県では,霧雨な乾燥期の果樹園の早害・湛水問題が高まって采■ている)も少なく,

●●● 栽培の可能性をもっていることがわかる.すなわち,こうした東地区の気候的因子の無制約性が,栽増踵類の増加

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第11巻 通巻第29旨:(1959) 65 をもたらし,複合果樹作経営成立の基本的前提条件となり,またその成立を助長しているのである. ii土地的因子 第1因に・示す如く瀬戸内沿岸の小丘陵地背に位置し,地形が極めて複雑であり,平坦地′(備に水 田)が少なく,傾斜地が良く発達し,綬傾斜地が比較的に.多い..また傾斜方向もー屈しておらず,畑地は海抜200m 以下の地点笹分布し,農道も早くから発達して適作もかなり良好であるい土壌条件は安山岩の風化した礫質壌土が多 く,特定果樹に.限定するような土地的因子が少ない. (2一)経済的要因 i市場と交通地位 東地区は粗方都市高松市場まで8kmという恵まれた地点に位置し,竜くから陸・海の交通上 に優位な地位を有していることである∩果樹我噂の初期の段帽では,高松市場を目的とした近郊果樹産地としての有 利性(15)をもっており,市場機構や消按構造に・もよるが,市場の側からみれば,年間を通じて種々な果実を供給され ることが好まれたと思考せられ,反面袋家の立場からすれば,どんな果物もいつでも有利に.販売することができたこ とである.また農家の販売形態と.しては,原始的な「持参販売」の形態を伝統的に維持して諦た.すなわち,毎日少 塵の果物を三輪自転単に.積んで個人出荷する方法が長期間に.わた・つてとられたこと.である..(高松近郊−−・現在は市 域袋村−の園芸は「■サイド・カー・農業」として発達したものである.)このような販売形態では,1日当りの出荷盈 は制約され,−囁類犬両横の栽培ほでき難く,出荷が時期的にも分散するような数種溝の果樹が導入される契機とな ることが指摘されうる. さらに.海上交通が靡なるため,地l茎.腰衣は明治2〇年頃から対岸の玉野市(当時日比町)等から,人糞尿を「肥糖」 で地区の生島・神在港に潜け,果樹園等に・施用し来たったことである.将に・この都市の人糞尿利用の慣行は本地【茎の 果樹栽増の発展や農家経済(殊に戦時中の肥料不足の時代r)に.大きな貢献をなしている.(16) ii果契価格の変動 袋家が果樹の新穂・増反・改植・更新・滅反等を行う場合の栽培塩類の選択条件としては, 理論的に.は長期的な見越囁格を前提とすべぎものではあるが,現実としては農家白身が経験せる数年間の市場価格 (備に典家手囁価格)の変動に対して,最も強い関心が払われ,その価格変動の如何が導入すべき種類の価値評価乃 至選択条件(17)をなす場合が多い.それ故に,栽増する種類に・もよるが自然的要因や販売関係等の経済的,経営的要 因に制約されることが少ない場合には,・一層,市場の果実価格の高僧如何がその栽増産類の消長(果樹作部門の経営 変動)に対して強く反映していることが指摘できるのである. 第7表 調査部落虔家の主要果樹の樹令構成 未成園(真 カソ14年未満 こ/ゴ9 〝 キ 9 〝 %.4 .6 月 .5 .2 .3 .1 .9 .〇 ︻〇 7▲ 4 0 7 1 1 ︵∠ 0 2 2 2 1 10 未 満 ∼14(憫20以降) 15 ∼19(昭15∼19) 20 ∼ 24(昭10′−14) 25 ′− 29 し盾5ノー 9) 30 ′・一 34(大14∼情4) 35 ′・一 39(大9∼大13) 40”二以 上(大8以前) 計 例えば第2図の調査部落K農家の種類別・年次別販売果実の平均事項価格(日銀卸売物価指数換算)の推移を示し たものと,鶴7表の調査部落果樹園の種類別・樹令別面積構成比を示すものとを対比すれば,平泉では閻和8∼12年の 好況期に増穂されていることや戦後数年間の「膏リソゴ」の価格ブ−ムに・よって新穂周の著しい増加をみせており, また価格の僻下傾向を示す塩近には全く新穂する農家がみられず,反対に比較的に高価格を示す柑橘夙に,平菜園か らの転換が行われている等の事情からも指摘しうる.

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香川大学農学部学術報告 66 (3■)社会的要因 i人口増加と傾斜地の開発 利用 人口増加就中農家戸数の 増加は一面に・おいて経営親模の 零細化が強襲せられ,喪家はそ の経営の弱体化を克服する一億 として,未開発の傾斜地の開墾 桝作を促進し,果樹作を中心と した集約的多角経鴬の方向がと られたことであるい これ等の事 情は勢8表に.よって明らかにさ れうる”すなわち,山林開墾が 盛んに行われた時期は,大正末 期から昭和12,3年までであり 特に.開墾助成法による助成金を 受けて居・公有林の耕地整理を 共同施行の形で強力に推進し, この間に88=7呵という大きな契 統を親している.また戦後ほ国 営開墾地区々こ指定せられ146.5 呵の開拓実績で,地区内の傾斜地の開墾可能地は開墾し尽した観がある小 弟8表 下笠属地区の耕地面穏と農家戸数 \ \ → 年 \\ (1) 項 、 水 田(反) 畑 (反) 討 (反) 1333。.1 1261…2 2594い3 1352.3 2673..1 4025..4 1340い0 3フ000 5040…0 1429−0 3013..0 4442.0 1321り6 2729.6 4051い2 耕 地巨 頭 積

(内) 果 樹 園 面樟(反) 402.31 1240.O1 1945.O1 1694..O1 2400‖0

註(1)下笠居村役場:明治43年調「村長調査習」による。 (2)香川県‥「香川県農業調査」昭和4年9月調査による。 (3)農簡省:秋冬作給合作伺英抗調査票昭和20年2月調査に.よる。 (4)農林省:1950年政界農業センサス市町村統計表(NoJ37香川県)による。 (5)下笠居支祈‥昭和31年11月調,‘高松市下笠属地区概況報墓智による。 次にその間墾の実施形態についてみると,個々の集団的賢墾地(農家)の実情は,名目的には山林地主等は請負開 墾(18)の形式によって施行したものの,実質的には,既耕地の高額の甘土料や小作料の存在(192りあるいは山林の開墾

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第11巻 通巻第29啓(1959) 67 小作慣行の強い制約を受け,資力の乏しい多数の小作農家の宇によって ,その実置がつくられたのである.すなわち 集団的開墾と.い.え.ども,個別農家からみれば小規模な開墾が,機会的・漸次的に行われたのであり,これ等の事情は また果樹栽培種類数の増加の要因となる… ii農民の性格(住民性) 県民の性格として注意される∈・と(gりは,個人的,保守伝統的な色彩が鎗く,発作的

であって模倣性も強く「卑や惚れの早や投げ」的な生酒態澱もみられ,凍藻現金への執着牲が強い上に.都市的な坐滴

・●●●● の影響も加わり,現金収入(換金作物)に対する関心が高く,そのために・ほ過激な労働もいとわず,また上笠屠の盆

栽栽堵にみられるが如き勤勉性とも相まって,いわゆる園芸的技術の熟達寒が高いことであるり さらに.集約的経営発 展の可能性があることに・もよるが,宿命論的であり従来よりニ・三男は村内に留まり「分家」をする風習が強く存在

していること.が考察される.こうした農民の性格が直接・間接に当該経営の成立と関連性をもっているのである.

(4一)経営的要因 i果樹作労働と家族労働配分 単位当り果樹作の所要男働乃至投下労働量の月別労働配分状況を種類別にみる と.,(2223)およそ一億の塾乃至傾向を宿し,特に季節的労働の集中をもたらす収笹労働等の盈的・質的配分関係の如 何が,当該経営成立を親御し,あるいほ合理的な家族労働力利周を因る要因をなしているといえる.普通作その他の 部門の少ない専発駅な果樹作経営では,労働酎分の性格を異にする(すなわち相対的にみて労働集約的な果樹一箪 果・和梨・桃・葡萄−と労働粗放的な果樹−一棟・枇杷・粟・貫和一一−あるいは労働集中的な果樹一軍果・柿・ 和梨・桃−と労働分散(平均)的な果樹丁蜜柑・葡萄)槌類の複合(組合せ)することによって,労働の競合が 幾分強化されても年間の家族労働の利周渡を高め,労働所得乃至蟄家所得の増加が図られるが故に.,複合果樹作部門 の組織構成を親窯する要因となりうる小樽に労働の季節性や集約性の高い種類では嘩…果樹作経営(専門化)の方向 をとることは困難であるし,資衆力に乏しい農家や季節的に扇傭労働の得難い地域餞家では,その唾類と親機に著し い制約を加えることとなり,かえらて家族労作的小農経営では,有機度の高い家族労働日托の限界内において,果樹 作部門をある程蟹多角化する方が相対的な肩利性をもつ場合が少なくないと.思考せられる… かような複合果樹作農家の労働配分の契腰を爵林省の「顔業経営調査」幾家の一番例についてみると,時期的に部 門間における労力競合が激しいようであるが,さらに微視的に旬別・半句別・日別・時刻別に男働配分の関係をみれ ばむしろ補合的関係に立つ部門もかなりあるようである.(なおこの点については先述の符記調査農家の戯家労働配 分の分析を通じて解明せねばならない一つの課題でもある′)、. ii農家経済と資金循環 川 農家経済に・おける営農・生澗黄金の調達・運用を円滑化するために,果樹作部門が ますます複合化される関係にあることが指摘できる..一腰的に小袋の者する資本力や資金運用の拙劣乃至無討画性か らして,あるいほ現契の所得的支払や家割安出の月別支出状況からしても,果樹の収入機会の分散していることが, 年間の時期的な資金の澗潟状態を克服するための仙策でもある∩ またこのことは,反面において喪家経済のもつ収益 (部門)の危険分散を図ることとなる、殊紅最近における凝衆生清水準の上昇は月別家計安闇の増大となって現れ,戯 家経済の安定や円滑な運営のためにも,かような経営塾態の発展を高めた要因をなしていることが窺われたのである. 何 次に果契の市場価格条件のもつ相対的薦利性が著しく低下したといえども,急速には戟増種類を更新す・ること

が,農家経済上から制約されていることである.すなわち既存の投下固窯餐水の未償却部分の価値現失の程度や他の

有利な収益部門の有無あるいは有利な間作物の右鰍こもよるが,その更新によって生ずる無収益期間の存在が戯家経 済上の大きな抵抗要因となりうるいそこで萩野種類の更新巧法として,全面的な改植ほ行なわず,一時的に泥砥形式 をとる更新方法が従来よりとられていることが注意される.現在調査部落の果樹詞申の4,.9%が混構形式の賓新中の 園である小平果・柿園の申に盛んに柑橘が植込まれている実状からも,その点を指摘しうる. (5)政策的要因 明治44年より実施をみた香川県勧業七年討画(2425),−二11でも柑橘栽培計画にもとずく柑橘栽増の奨励政策が,現在 県下の相橘産地と同様に,東地区の柑橘我堵を飛躍的に・発展せしめる契機をなしたこと,大正8年に開墾助成法が公 布され,凍地区では大正14年から暗和18年までの助成開墾乃至耕地鞋理事業の推進に・よって,特に山林傾斜地の開発 利用が伸展したこと,昭和初期の農村恐慌後の昭和8年に経済更箆詔画胴の指雫をうけて−,将に果樹生産腰興対策の 強化が図られたこと,さらに戦後昭和21年国営開墾咄区の指定を受け,可及的最 ̄大隈の残存傾斜地が開拓され,卓食 糧の緩和と共に果樹作への転換が図られたこと等ほ,水魔脾一■の果樹園芸の歴史的な発達史上からも,欠くことのでき ぬ政策的要因をなしているのである.

(10)

(なお人的要因としては,柿栽培と高橋弘道民,「膏リソゴ」栽増と谷沢官五郎虎等の如く,機能的要因としては, 三笠出荷組合以来の紆余曲折等,その外,技術的,作物的要因についても芳千明らかに・された点もあるが割愛する・) Ⅴ む す び(成立要因の綜合的考察) 以上は複合果樹作経営の親思を行い,調査地区にみられたその実態を概観し,地域的な特殊性を示す署干の成立要 因について個別的に磯討したのであるが,次にそれらの成立要因相互の関連性について幾分総合的・体系的な考察を 行って,凍稿のむすびと.したい. 虔村人口の増加は,一一席に淑、て農家の経営親機の零細化を促進し,生産経済基盛の弱体化を惹起するものであ る..この点森地区に.おいて分家の多いことは注目されなければならない.ところでこのような場合,農家は高度な商 品作物(果樹)を取り入れ経営を集約化する・山方,外延的な経営親横拡大の方向に・も多大の関心をもつように・なるの である.かかる場合,特に.農村不況期に推進されることの多い耕地拡張政策を契機として,地区内の広大な山畝傍料 地の開発が助長されて釆たのである.また資力の乏しい家族労作的小農経鴬では,既耕地の地価や小作料あるいは開 墾小作慣行の強い制約を受けながら,機会的・漸次的にその開墾桝作が進められて爽たのである. 他方,森地区の開墾嘘は傾斜畑であったが故に栽培作物としては,歴史的にみて,甘葡・大根・桑樹・除中箱作等 の栽培時期を経て,傾斜地利用作物としてかなりの適格性(2¢)をもち,相対的に収益性の高い集約的作物として果樹 作が見出されるに至ったのである.この場合当然に.,如何なる種類の果樹を教場するかの問題が生ずるが,特にその 気供的・土地的条件の無制約性や交通地位乃至市場地位■の優位性が基木的に看利な条件として作用し,従って殆んど すべての果樹が栽確の可能性を有し,かつ逢沢の範囲に入りうる条件に・ある森地区において,しかも生産費の重体を なす労働その他の多くを自給する家族経営においてほ,経営部門の選択に当り考慮すべき競合部門(雁目)間に・おけ る代替率,費用比率及び価格比率の関係(27)において,価格関係が最も大きく作用するものと考えられる上に,当地 区農家の賓金循環その他の経済的事情や地区り漁民牲からしても,果実の市場価格の動きに最大の関心が払われるこ ととなり,開墾が行われたその時々において相対的に届価格を示す唾類が選択栽培されるというように威しい開墾地 に新しい種類の果樹が栽植されるという傾向を示したのである〃その上果樹は永年生作物であり,生産の固定性が強 いだ桝こ,価格変動に対する適応としての転換が容易でなく,しかも高度の技術と集約度を要する作物であるだけに 家族労働の年間配分の調整多投に・よる所得の増大と危険分散に・よる安定性増大の経営的要因が,東地区農家に・与えら れた経営条件と.の関連において果樹作親模の拡大と同時に・種猥数を増加し,ますます果樹作部門が複合化されること を許容したものと考え.られる.もっと.も開墾の余地も少なく,栄樹作親模をかなり拡大された現在では,すでに相場 制用に.おける果樹作部門の適正な複暑乃至結合の限界を越.えており,果樹生藍力の停滞乃至経営不臍を招粛するが如 き経営構造を形成していると考えられる 特に全国的な果樹生産の動向(28),就中産地間における販売競争が激化しつつある今日では,かかる経営をささえ る要因は当然変容を釆たしていると考え.られる,従って新しい諸条件に適応した合理的な経常構造の究朋と.その確立 が望まれる段階に.あるといえよう”これらの点については今後の調査研究において換討すること.とする (なお凍報宅の要旨は,昭和33年10月19日,愛機大学農学部における関西虚業経済学会第8回大会にて発表した..) 参考文献と資料 (1)岩片磯雄:戯及園,30 88∼90,359∼360(1955)い (2)戯林省統計調査部:昭和28年度農業経営調査報告, 2∼3,戯杯省(1955).. (3)農林省統計調査部‥第34次農林省統計表,86∼92, 農林統計協会(1959). 極)東相,磯辺編:農業生産の展開構造,250∼294,東 京,岩波書店(1957■)‖ (5)農業発達史調査会編:日東農業発達史5250∼294, 東京,中央公論杜(1955). (6)香川県農業改良普及檀紙地区事儲斬‥昭和28年度習 及罰画調査資料(1953) (7)戯林省:昭和29年皮蛋要農産物生産費調査年報, 614∼658,農林省(1956). (8)戯林省香川統計調査事務所:蟄業経営調査年報(自 昭和25年至昭和30年),香川戯林統計協会(1957). (9)石川武彦:果樹生産の立地的研究,1∼フ3,東京, 養賢堂(1942) 仕ゆ 新妻雄:京都府立高農講・農試,農業経済研究報告 集(3),(195フ) (用村上節太郎:愛媛大学紀要,弟四部,2(3),467′−

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第11巻、通巻第29診(1956■) 496(1956). 佳句 菊池秋雄:蟄及園,23(1),45(ユ948) ㈹小林茸:果樹園芸総論,1∼2,97,東京,義賢望 (’1954). (切 替川選評:爵菜園説,8∼10,圃場,(195飢. 個 安藤万寿男:地理学評論,引(9),536∼547(19581 ㈹ 下笠居村:下笠居村史,210∼211同村(1956). 仕切 三沢嶽郎:農業経済研究,21(9),206∼218 (1950). 脚 下笠居支所保存資料‥下笠屈和桑崎耕地整理共同施 行区事業讃類綴(1928∼1938) 佃 野村岩夫:慣行小作権に.関する研究,東京,協調会 (1937). 位ゆ 香川県:昭和11年田畑反当売買価格と小作料,昭和 27年農地年報所収 291∼300,香川県(1952) 但1)木村胎一・:讃肢袋村経済の解剖,408∼491,高松, 四国教育国賓(1935) 69 紺 平野蕃=落葉果樹の経常,「落莫果樹」,93∼98, 東京,朝倉書店(1953) 銅沢村,森編:あたらしい戯業経営,初版,162∼172, 東京,朝倉書店(1954). (2切 替川県:香川県勧業七年刊画,32∼33,68■・・′74, 同県,(1910) 但剖 香川県戯業改良課:同課印刷物第1ユ8辱,22∼33 (二1953). 陰樹 萩和男‥傾斜地利周作物としての果樹の適性に.つい て,「農業径常在済学の研究」,381∼398,東京,養 賢堂(1958). (27)E・0。HEADY,H..R.JENS>EN‥FarmManagement

Economics,4th Ed”80∼86,New York,Prentice− Ha11(。1958).

佗8)畏林省損興局阻:園芸の現状と問題点,東京,虔林

協会(19S9)

R占s u m占

Thi$paperisbasedontheresults thatwehaveobtained from surveyingthefruit−grOWingfarmin “Shimokasaiwardり,locatedonabout8kmtothe west from the center of Takamatsu city.In the

fo工merpartOfthepaperwedealwiththe definitionofa diversifiedfruit−grOWingキarmandtheactual

COndition of the fruit・farmsin the ward,eSPeCial1yin“Oro−buraku,’.Inthelatter one we considerthe maincausesofthe development ofthe diversified fruit−grdⅣing farminthe ward.As the result,the

main causes pointed out are a$follow$:

1)Undertheclimatic conditionin the ward,almost a王1kinds of fruit−treein our country are

Capable to growing.

2)There wasplentyofthe sIopingland suitabIeto orchard untiIarecent date。

3)でhefruit−grOWerShavebeenabletoselltheirfmits,ea$ily andprofitabIy,because they10Cated

CIose to Takamatsu markets.

4)Therefore,underthefluctuationoffruitpriceinthe mar・ket the fruit−grOWerS u$ed to prefer andtopIantthe mostprofitabIefruit・tree Wheneverthey reclaimedthe slopingland.

5)Moreover,itmightbepointedoutasthefactorsofthedevelopmentofthediversifiedfruit−farm

thatthefamilyfarmersintendtogetmorethechanceof their cashincome,theal10Cation of farm

参照

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