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岡山大学埋蔵文化財調査研究センター報 第61号

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Academic year: 2021

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(1)

岡山大学

61

2019 Spring

中世∼近世の漆製品

日本列島では、古くは縄文時代から漆を利用した製品が認められてい

ます。漆製品は、古代以降は神社・仏閣等の建築物の装飾や、貴族の身

の回りの用具、宝飾品等に多用されるなど、専門職人によって製作され

た特別な物として広まります。

一方、庶民が日用品や食器に漆製品を使い始めたのは中世からで、さ

らに広く普及したのは近世になってからと言われています。発掘調査で

も中世∼近世の漆製品が数多く出土しています。 

岡山大学構内遺跡では、縄文時代の櫛、古墳時代の短甲等注目される

ものもありますが、出土量が増えるのは中世∼近世です。特に鹿田遺跡

では漆塗り椀が多くみられます。この漆塗り椀を例に、同時期の漆塗り

技法に注目してみましょう。      

(岩 志保)

中世の漆塗り椀 (鹿田9次調査) 近世の漆塗り椀 (鹿田14次調査)

(2)

鹿田遺跡ではこれまでに12点の漆塗り椀が出土しています。その時期別内訳は中世前半が2点、中世後半が 4点、近世が6点です(表1)。 漆塗り椀の製作過程は、A.木地加工→B.下地塗り→C.上塗り→D.加飾に大きく分けられます。そのうち漆 に関わる工程にあたるB∼Dについ て表1に記しています。B.下地塗り にはいくつかの種類があり、主なも のを表2にまとめています。もとも と本堅地(漆に地の粉を混ぜたもの) が 主 体 で す が、中 世 後 半 か ら 炭 粉 渋下地(柿渋に炭粉を混ぜたもの)が 増加します。炭粉下渋地は本堅地に 比べると価格が安く、手間もかかり ません。またC・Dの工程で、漆に混 和する顔料にはベンガラ・水銀朱・藍・ 煤等が知られています。このうちCに用 いる赤色漆の顔料としては、朱が主体 ですが、近世に入るとベンガラが多用 されるようになります。Dの文様を施す 工程の赤漆には、時代を通じ朱が用い られています。中世後半∼近世にみら れる下地や顔料の変化は、安価な品 の製作を可能とし、漆製品の普及に一 役買っていたのでしょう。

中世前半

(写真1) 写真1は13世紀後半の墓から出土 した椀です(表紙右・表1-①)。木胎 は朽ちており、下地は不明です。椀は 内面の塗膜のみが残っており、黒色の 上に赤色の文様を施しています。文様 は内面の見込みと立ち上がり部に、植 物文様が赤色漆で描かれています。 塗膜の構造をみると、黒色部分(塗 膜構造写真①)には褐色漆(生漆)層1 層がみられます。赤色の文様部分(塗 膜構造写真②)には褐色漆層の上に、 朱漆層1層が認められます。いずれ も緊密に塗布されています。 表1 鹿田遺跡の漆塗り椀 番号 時期 下地(B) 色(C) 文様(D) 調査次 内面(顔料) 外面(顔料) 内面 外面 ① 中世 前半 13C後半 不明 黒 黒 朱 朱 9 ② 不明 黒 黒 朱 朱 9 ③ 中世 後半 14C後半 炭粉渋下地 赤(朱) 黒 ー 朱 7 ④ 15−16C 炭粉渋下地 赤(朱) 赤(朱) ー ー 25 ⑤ 炭粉渋下地 赤(朱) 黒 ー ー 26 ⑥ 炭粉渋下地 赤(朱?) ー ー ー 20B ⑦ 近世 17C 炭粉渋下地 赤(ベンガラ) 黒 ー 朱 14 ⑧ 18−19C 本堅地(?) 赤茶(ベンガラ) 赤茶(ベンガラ) ー ー 14 ⑨ 本堅地 赤(朱) 赤(朱) ー ー 17 ⑩ 炭粉渋下地 赤(ベンガラ) 黒 ー ー 18 ⑪ 炭粉渋下地 赤(ベンガラ) 黒 ー ー 18 ⑫ 炭粉渋下地 黒 黒 ー 18 * 塗膜分析は元興寺文化財研究所(①・②)、 田生物研究所(③∼⑫)に よる。下地・色・文様の表記はそれぞれの報告書に従っている。 表2 主な下地の種類 種類 膠着剤 混和材 説明 本堅地 (ほんかたじ) 漆 地の粉 (じのこ) 生漆に「地の粉」という土の粉を混ぜたものを下地として木 地に塗り、乾いたら研ぎ、また塗るという作業を繰り返すもの 錆地 (さびじ) 漆 砥の粉 (とのこ) 生漆に水で練った「砥の粉」という土の粉を混ぜたもの(錆漆) を、木地固めの上から数回塗るもの 渋下地 (しぶしたじ) 柿渋 炭粉 生漆のかわりに柿渋汁、地の粉の代わりに炭粉を使う下地 写真1 中世前半の漆塗り椀 写真上は椀を上から 撮影したもの。塗膜の みしか残っておらず土 と一 緒に切り取り保 存処理をした。 内面植物文 塗膜の色、文様をトーンで示したものである。褐色漆・ 黒漆は生漆で、塗膜の残り具合の差で色が異なる。 ■ 黒漆  ■ 朱漆  ■ 褐色漆 ①黒色部分:a褐色漆1層 厚さ50μm  ②赤色部分:b朱漆層  厚さ60μm        a褐色漆層 厚さ50μm  内面の塗膜構造 *写真提供:元興寺文化財研究所 実測図 a b a

(3)

中世後半

(写真2) 写真2は14世紀後半の溝から出土した椀です(表1-③)。内面 は赤色、外面は黒色で、赤色の文様を施しています。下地は炭 粉渋下地です。内・外面ともその上に透明漆(生漆)を薄く塗って います。内面はさらに朱漆を厚くしっかりと施しています。

近世

(写真3・4) 写真3は17世紀のため池から出土した椀です(表1-⑦)。トチ ノキを材とし、内面は赤色、外面は黒色で赤色の植物文様を施 しています。塗膜構造をみると、下地は炭粉渋下地です。その 上に内面はベンガラ漆を1層厚めに塗布しています。外面は下 地の上に透明漆(生漆)を塗布し、文様は朱漆で描いたものです。 写真4は 18∼19世紀の溝から出土した椀です(表1-⑧)。ク リを曳いて形をつくり、内面・外面ともに赤茶色を呈しています。 下地は、漆(?)に炭化物を混和したもので、本堅地の可能性があ ります。両面ともその下地の上にベンガラ漆を重ねていますが、 断面をみると薄く均一性に欠けています。内面にはさらに透明 漆を重ねていますが、それを合わせても、塗膜の厚みは薄いも のです。 中世∼近世の漆塗り椀を塗りの技法に注目し てみてきました。下地は、中世前半の資料の下 地が不明であるため確実なことは言えませんが、 中世後半からは安価な炭粉渋下地が使われるよ うになっています。顔料では、ベンガラが近世 になると多用されています。下地や顔料の組み合 わせはものによってさまざまな選択がなされ、質 の善し悪しは一概には言えませんが、中世から 近世にかけて安価な製品が増えていく流れを、 鹿田遺跡の資料にもみることができるでしょう。 塗膜構造断面(上:内面、下:外面)(提供: 田生物研究所) 写真3 近世の漆塗り椀 写真2 中世後半の漆塗り椀 内面  a朱漆層  厚さ45μm  b透明漆層 厚さ 7μm  c炭粉渋下地 外面  a朱漆層  厚さ10μm  b透明漆層 厚さ10μm  c炭粉渋下地 内面 外面 塗膜構造断面(上:内面、下:外面)(提供: 田生物研究所) 内面  aベンガラ漆層 厚さ113μm  b透明漆層   厚さ 12μm  c炭粉渋下地 外面  a朱漆層  厚さ10μm  b透明漆層 厚さ43μm  c炭粉渋下地 内面 外面 内面の塗膜構造断面(提供: 田生物研究所) 写真4 近世の漆塗り椀 内面  a透明漆層   厚さ14μm  bベンガラ漆層 厚さ 7μm  c下地(漆?+炭化物) b c a b b c c a a b b c c a a

(4)

2019年3月29日 発行 岡山大学埋蔵文化財調査研究センター 〒700-8530 岡山市北区津島中3丁目1番1号 TEL・FAX (086)251-7290 [ホームページ] http://www.okayama-u.ac.jp/user/arc/archome.html

編 集 後 記

 今回は漆の塗りに注目してみました。椀の場合は、材質 の選び方と漆塗りの組み合わせを詳しくみると、おもしろ そうです。また、椀以外の漆製品との比較等についても、 ほりさげて考えてみたいと思います。       (岩﨑) 鹿田遺跡の烏帽子の墓 は、どんな人の墓なので しょうか。同時代の最も 豪華な墓と、最も粗末な 墓を、文献史料にもとづ いて紹介し、考えてみよ うと思います。 鎌倉時代後期、13世紀後半から14世紀前半にかけて の時期の、最も豪華なお墓といえるのは後嵯峨上皇の 墓です。後嵯峨は長年にわたり院政を行った、公家政 権の最高権力者でした。彼の墓は自身が営んだ院御所 (別荘地)の亀山殿に設けられました。正妻が建てた法 花堂の中に遺骨が納められたのです。これは、後嵯峨 よりも前の院政時代の上皇の例にのっとっています。 自らが造った院御所の堂が墓になる、という形です。 次に最も粗末な墓を見てみましょう。レジュメに 「墓?」としたように、墓とも言えない形状です。12世 紀の絵巻物「餓鬼草紙」には共同墓地を描いた場面があ り、土饅頭の間に、置かれたままの骸骨や棺に入った 遺体が見えます。土葬される人がいる一方で、墓地に 棄てられた状態の人がいるわけです。このように葬送 される人というのは、血縁のない人、家族が弱小で葬 送を行えない人など、当時の社会的弱者であったと推 測されています。 では、最も豪華な墓と最も粗末な墓をふまえ、鹿田 遺跡の烏帽子の墓を考えてみます。この墓は屋敷地内 に作られた屋敷墓です。実は、一遍上人絵伝の信濃国 小田切の里の場面に屋敷墓が描かれています。屋敷の 庭に区画された場所があり、中に土饅頭があって、上 に木が植えられています。亡くなった人を庭に埋葬し ているのです。屋敷墓には、その屋敷の祖にあたる人、 あるいは夫妻・家族を祀り、以後の子孫は共同墓地に 葬られたのではないかと考えられています。 鹿田遺跡の墓の場合、墓上に施設があったかは不明 ですが、烏帽子を被って葬られていた人が、この屋敷 にとって特別な人物だったのは確かでしょう。屋敷を 建てた人、屋敷に附属する土地を開発した人と思われ ます。烏帽子や副葬品によっても、一般の農民ではな く、鹿田庄という荘園の中で一区域を任されるような 人物、当時の言葉でいえば、名主あたりではないかと 考えられます。 2018年7月29日(土)に開催した講演会から 岡山大学大学院社会文化科学研究科 准教授  

徳永 誓子

公開講座「考古学と関連科学」開催報告

第19回キャンパス発掘成果展 「The 鹿田庄」講演会

「中世のお墓の格差事情」

2016年度から始めた公開講座を、今年度も継続しています。 年度後半に3回の開催です。次年度もご期待ください。 第7回 貝と貝塚の考古学(2018.11.17) 福田宏(岡山大学大学院環境生命学研究科)  「貝を知り、世界を知る」 山口雄治(本センター)  「岡山県の縄文貝塚」 第8回 最新技術でみる青銅器(2019.1.16) 増田浩太(島根県立古代出雲歴史博物館)  「出雲の弥生青銅器」 南健太郎(本センター)  「青銅器の授受からみた吉備の弥生社会」 第9回 縄文時代の知恵と工夫(2019.3.16) 水ノ江和同(同志社大学)  「低湿地貯蔵穴と縄文人」 山本悦世(本センター)  「岡山県域における貯蔵穴の調査から」 第7回公開講座風景 しかたん 」 しか

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