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國策として見たる我が滿洲農業移民(二)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

賓 次

松 崎

説 鹿〓 序 第二 蒲洲戯染移民の必要性 第三 鵜洲農薬移民の可能性 以上前琉所載 発四 繍洲農薬移民計造樹立の必要と其の大嬰 A 浦洲農薬移民計造機立の必要 お、輪洲農染移民計塞の大要 一式畳移民の迭致をなすこと こ 集細移民を原則とすること ≡ 自家労力本位忙より経済的緩皆成立を員棲とし自給自足を原則とする自作農を設定すること 甲 入相前内地或は現地忙於て移民に特殊の訓練をなすこと 嵐 政府より補助金を交附すること 六 移民は之を農村出易の青壮年申兵隊強健・志挽皇軍なる者より選出すること 観篤として見たる我が瞞洲農薬移民

国策ご丁して見たる我が清洲農業移民 ︵二︶

︵一三ここ 四≡

(2)

第 田 端洲典柴移民計賽樹立の必要と其の大要

A 碗洲農乗移居計審樹立の必要

筆者は本誌前挽に於て我が備洲盈柴移民が日本にとりで、婿叉満洲圃にとりで如何なる鮎に於て必嬰であるか

を種々の角度から考察して其の概要を述べ、更に進んで之を必螢とするも移民の可能性あ宣や否やの問題に論を

進め1其の可能性なしとする詮の諭墟を挙げて之を紹介すると共に若干の批判を加へ、今日に於ては其の成功の

見込は充分あるとの断定を下し、其の理由を列拳して詮明を加へておいたのである。然しながら滞洲農業移民の

成功は決して容身ではない。幾多の困難や犠牲の伴ふことは覚悟しなければならぬのは勿論であるが、政府に於

でも移民の保護助成にカを用ふると共に観民が理解ある後援をなし、移民が確画不動・不挟不屈の精神を持ち眞

面目なる不断の努力を彿ほなければならぬのである。しかしながら政府が移民思想の意俸をするにしても叉移民

の奨励や保謹指導するにしても、将又国民が之を後援するにしても只漠然と之等を行ふのでは効果が薄い。叉移

民自身から見ても只備洲に行け、虞面目に働けとすゝめられても移民とレての将来の見通しもつかゃ叉政府が滴

洲移民に封んて如何なる態度方針を持ってゐるかがわからなければ常に不安が件ふ。それ故に洗づ政府が闘策に

基いて移民計宜を樹立し三般餞民に封しても、叉移民に封しても、政府の劉備移民に裁ての態度方針を開姦し

て、充分し之を理解せしめ、安心して国民甘後場が出来るし移民も活動が出発る様な情態に置いてやるといふこ

劣十二釧松 井 こ班 ︵一∴ニ西︶ 四四

(3)

とが必要であると思はれる。之は翠に剛般囲民や移民にとつて必婁なばかりでなく、政府自牒にとつ々牒必蜜で ある。満洲番摘慧別の満洲毅柴移民が大部分失敗したのは、此の計喜が確嘗に椒てられで々らサロハ漫然と移民を迭 つたといふことが其の〓堅凶であることは識者に依って静かれてゐる桝である。されば我が政府に佼ても革に顧 みる桝が㊦って単著や鷺柴家などを満洲に派迫して、移民適地の選衰・土地の豊彦・気候風土・保健衛生・盈柴 経営法式共伯移民に関する諸事項に就いて調奄研究せしめて英の報告を求め意見を徹し、又民間関係国鰹からも 意見を開陳せしめで之を参考として昭和七年に初めて満洲盤菜移民計茸を立案し其の後も各方簡から凝漆方優に ついで懇談昏を開いたり意見を聞いたりして遂に其の大網を樹立したのであつて、斯る計喜が確定されたといふ ことは、我が満洲盤菜移民発展上越めて意義ある事であり、剖期的な企てでもあつにのである。而して吾々園民 もこの計窒殺表に依りて初めで政府が国策として満洲移民に勤して如何なる態度方針を持って居るかを知り得た 鐸である。而して筆者は政府が切角劃期的計塞を樹立したのであるから、之を徹底的に且つ速に寛行に移し其の 暫應を見て引別宴欒更の必要があれば時勢に連合する様に改め所期の目的達成に退逢せらるゝ葛を切望する次第で ある。従来政策に於て立派な計塞が立てられながら内閣の吏迭・政箆の反封・財泌の欠乏・共催程々の理由によ り計喜が賓顔せられサして止みたるもの、或は極めて不徹底にしか芭施されなかったもの等が砂くないのは遺憾 である。斯くの如きは濁り我が囲に於て然るのみならす、外観に於ても屡々見らる∼斯であるけれども、為政者 は固家蟹展の薦めに必賓であり、園児の稲利増進の蔑めに書いとして樹てた計壷は萬難を排し身命を賭しても之 国衆として見たる我が沌洲農染移民 ︵︼≡五︶ 四五

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を苦行する丈の熱意と努力とがなければならぬと侶するのでぁる。 B 満洲典薬移民計喜の大勢 次に本計宣に就ては既に拓紡省から敬表されてゐるが韮には其の大安を摘録し若干の稔明と卑見とを加へて冠 者緒彦の参考に供する寄とする。 山 大畳移民の迭敦をなすこと 日滴南国の図防的、経臍的不可分輔條や日本観内に於ける人口・農村問題の解決・満洲閣内の靡柴の開教・治 安の維持等の重要性から見て満洲農薬移長の特殊性を認めなければならぬと思ふのであるが、之等の鮎に於て灘 親の目的を達成する蔑めには相笛多数の移民を送ることが絶封に必馨である。従来の我が飼の移民を見るに北米 や禰唾に婿叉ブラジルに農業移民が相首多数出たと云はれTゐるけれども、構ほ薗繁的見地から考察するなれば 甚だ少数であり取るに足らぬ皇一口はぎるを得昔い。即ち昭和十年十河二日甥在に於で北米に約十一萬、布噴に約 十五萬、一ブラジルに約十九萬の邦人在任盾を見るに過ぎや。しかも之等の地溝への移虔は今日既に禁止或は甚だ しく制限されてゐる有様であるから、牌兼之等の地方にたい心て我が移民の畿展を期待することは田来往いので ある。尤もブラジルに封してだけは、我が政府雷局や路傍者が同園の移民制限の榎和方に就いて大いに努力して ゐるのであるから同園の親日的政治勢力が接鎖し釆、且つ同園産業囲故には邦人移民が必要であるといふことぉ 同園民夫衆がよく認知するに至れば、制限催項の改正も決して不可能ではないとも考へられるけれども、現在の 第十三容 第 二 躾 ︵二二大︶ 四六

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朗之等の鮎に閲して大いに望みを抱くわけにはいかぬ有様である。痛洲には本邦人が昭和五年十月=旦現在に於

て約十二萬、同十年十月盲現在に於て約三十二萬に激増してゐるけれども、之を以て筆者を満足せしむるには

妻らない。特に圃策としで移民計喜を櫓立し之を途行することに依って前述の諸問題を解決せ∧とするには之位

の移民では仕方がない。トどうしでも数百萬乃套千数百萬位の移民を滴洲に送る必要がある。率に清洲閥政府常局

も邦人資業移属に封しては好意を持ち、我が滴洲移民開発をよく諒解して粒々の便利を輿へ、我が政府にも協力

しでくれるのであつて、今日の桝我が移民を倣如こそすれ北米・ブラジル・濠洲等の如き移民の禁止或は制限な

どは轟然してゐないのであるから我が移民計喜遜行には最も都合がよい鐸である。それ敵に此の好機を逸するこ

となく大量移民計喜を樹立し之を資行することが緊急事であると考へるのである。そこで政府では党づ第劇期計

婁として最初十年問に十萬戸を満洲に入轍せしむる方針を定め、昭和七年十月第哀移民として五官名を三江省

梓川轡慧還に送り、爾来年三党計董に基いて移民遠敷を蜜行し眈にトニ年迄に第五吹移民を行ったのである

がその詳細については後に移民の沿革を逓ぶるに際して記する考であるから誼には之を省暑する。更に最近に於

で政府は以前の計善が小規模に失することを知り之に欒史を加へ二十ケ年に膏萬戸を送ることにしに。由在満洲

観の人口は大凡三千萬人と解せられるが、二十年後には五千萬人に増加する見込であると推測されてゐそその

時に於て右の計室が完全に昏行され∼ば邦人在滅入ロは石萬戸五首萬人に達し満洲人口の二劉を占むる・に至る誰

であつて、我が政府も滴洲人口の義の邦人移民を迭致することを理想として本案を作成したのではないかと思′

国策として見たる我が蒲洲農染移民 ︵仙三七︶ 四七

(6)

第十三容 第こ躾 ︵ニュ八︶ 四八 ふ・のである。右計婁は徒釆に見ざる大規模なものであつて之が苦行されゝば諸問題解決に相普効果はあると息ふ けれども、之を以でしでも倫ほ筆者をして未だ満足せしむるを得ねいのである。しかし兎も角も斯かゝ名大規模 の計喜を打ち立てたといふことは移民開業上割期的の企閲であり、之が着々賛行に移されて居・り而も移民の成績 が大いに上りつゝある賛情を見て喜び且つ意を強ぐする次第である。貸に将来必翠適切なる修正が行はれ益々大 規模に健賓に移民の敬展を期して止まないのである。 更に政府は昭和十年の秋に至り海外拓殖委員愈に勤して満洲移民の根本策に閲して諮問をなした。之は満洲蕃 麺後政府樹立の計宣に基いて既に節二次移民五首戸、第二次移民五百戸、準l哀移民三百戸、第四攻移民五首戸 合計千八宮戸を試験移民として浦洲に迭致したが概して好成績を碍たので政府も愈々繍洲移民が有望であり且つ 成功可能性が充分にあるとの確信を得にるを以て、之より本格的に大盤移民送致を賓行せんとの腹を定めるに至 ったので、右の如き諮問を敬し其の答申を参考としで具鰭的方繋留打立てんとしたのである。委員倉に於ては直 ちに研究調餐を進めたが関係事項が庶汎であるのみならサ、根本的のものと怒らざるものとあり、叉移民賛簸事 項中にも自ら鮫急の別あること墓相めたるを以て、差常り緊急を要する翼要事頓についてのみ答申をぢ←、根米 問題に就ては厳に時日をかりて研究の上、後日諮問に答へることにしたのである。而して此の答申は大要左の如 きものであるO L 過去に迭った移民の成績を参酌して大恩薬園移民迭致を急速に賛行すること

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2 張力なる公益困鰻を設けて瀾洲移民の健全なる畿展を掛るに努むること。之が薦めに政府は公益圃鰐設立

五臓しで或は共の設立後に於ても充分に援助をなさねばならぬ。

3 政府は移屑国策に基いて設思さる、べき大移民合計せ設嘉すペさであ1るが、之が蟹現には時日を要するか

ら、其の前授として三江省方面に於ゼる既大なる商租地の管埋並に移属に封す息金融の・遣を拓く蔑めに拓殖合祀

を設韮すること。

伺ほ之よりさ逐時渦封兼重点脅に於ても滴洲柴業潜民計憲に踊して調杏研究をなし其の藩見を公表してゐるの

で凍るが、逐の中には政府が移民計姦或は賓行方策確定上取つて以て参考となしうべきものが甚だ多い。叢に述

べんとする移底膚葵の貰行磯路に関するもの一も亦其の.言考へられる。即与甲畢鼻骨は公益的移民機関設置の必

要を強調し∵しの機関をんて浦洲移民の驚行を槍常せしめ、主とし七移住地の設苧移民の住宅・農合・囲壁等

の建築遠路水路等の建学移堪の飴旋・農具・家苧環チ肥料等の配給・∴琴産物の保管並に販聾の斡旋・土地の

改良・農業痙鹿の指導等を行はしめねばなま㌫笥而して其の組織は特殊命敢としても、移民糾合としても、或は

協昏とんてもよいけれども、事業費金・を充賛し兼務の敬治を由る止から見ると特殊合歓組織にするのが最もよ

い。帝も食紅の資本は少くとも年額は致府に於て支出し、他の部分は府願地方自治隈或は其他の公北へ困鰻をして

出資せしめ徒らに営利に流るヽことなからしめー公益機関たるの職安を充分に恕さしめる様に心懸けねば字bぬ。

それには政府が監督を厳寒にすることが必要であると同時に、能く之教保護助成しなければならぬ。例へば畢業

周篤とLて且太る我が繍洲健染移民 ︹〓ニ九︶ 四九

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第十≡番 茶〓祇 ︵〓鱒○︶ 五〇 費を補助するとか、配常利子の補給をなすが如きが之である。移民は後に述べる様に資金不足に因つてゐるので あるから、之に金融の遭を輿へる馬めに特殊の金融機踊の設立が必要である。而して此の種の移民金融機関は移 民事業検閲とは別個に礪宜したものとするのがよいのであるけれども、止むを得す移民摂関に於て術者の仕事を 兼ね行ふ場合には金融本位の磯開となつてしまつて移民啓発の途行を妨げぬ楼特に注意することが肝穿である。 幸に移民金融磯関空早猫に設立するを得るなれば、移民に射して土地を抵普としで信用を給付するのみならや、 短期の農業経螢資金をも貸出すべく、叉移民脅敢に封しても移民に代りて土地代金を速に玄沸ひをなし、以て移 民禽敢の資金の長周回定の虞なからしめ、事柴連行に支障を来さしめぬ様になさしゆることが必要である。移民 金融機関をしてかくの如き職安を果さしめる禿めには、政府に於ても固庫から低利資金の貸出しをなすとか、或 註 は割増側債券費府の特権を輿ふる等の保護をなさねばならぬ。 註 協調曾博局封衆香魚合法行にかゝる浦洲農染移民計凝二三貫−〓幽某及二四貫−ニ六景教鹿 政府は右の港外拓殖委員宙の答申や時局封策委員愈等の意見を参考として、内地に於ける移民助成機関と←て 昭和十一年に満洲移住協倉を設立し、現地に於ける助成機関として満洲拓殖株式脅敢を創設したのである。而し て前著は満洲移民事業の統劇的頚展を助成し並に満潮固の産菜開蟄を目的としでゐるのであつて其の仕事として ま 1 移民寄集長閑する調査・宜停・紹介をなすこと

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2 移住者の訓練並に渡航斡旋をなすこと 3 移住者の宿泊所を設立し之を経営すること 等が其の重なるものであり、後者は験攣毒液洲頗法令により日満両国の協力により設けられた食紅であつて資 本金は叫千五官萬である。而して贅合歓は我が移民の助成並に移住地を確保することが目的であつて、其の仕事 としでは 1 移任用地の取得・管理及分壊をなすこと 2一移住者に必要なる施設をなすこと 3 移住者に封して金融の便を聞ること 4 其他前記各墟に閲聯附帯する事業を行ふこと など 援助するのが茸務である。而して政府は右の如き助成税関を設立すると共に夢二期計立としての十貰戸移民を基 礎移民とし鋳五攻移民として昭和十一年慶に於で濱江省永安屯に三有戸、朝陽屯に三百戸、黒賽に凶富戸、計一 鼓 千戸を造ることゝなし之が鸞規を固つにのである。 謹 繍洲農薬移民概況昭和十〓警二月腋 二 薬園移民を原則とすること 国東として見たる我が蒲洲農乗移艮 ︵こ三︶ 五﹂

(10)

︵仙四一こ 五〓 第十三巻 第二誤 従衆の我が蟄柴移民が失敗に経ったのは個別的。分散的方式を採ったのが其の二鱒因であるといふことに就て は既に前眈に於て述べた朗である。依て政府は過去の失敗に鑑み、移民は原則として集圃的に行ふ計喜を樹て黎 欒後の満洲移民に之を驚行してゐるのであるが其の成績は良好である。尤も特殊なる事情の下にありでは分散的 移民も必ずしも不可ではない。然らば何故集観移民が良いのであるか。叉分散移民の成功可能なるは如何なる場 針如何なる理由に依るのであるか、此の間頓は重嬰であるけれども其の大罪h就ても轟に述べた朗であるから玄 には之を省暑しで論を進める事とする。只故に二言したきは凝固移民を行ふに営りては、張力なる移民困を組織 することが必要であるといふことである?政府の企閲に依ると三十戸を棟準としで移民囲を組織し之を二単位と なして部落を造り、十部落即ち三富戸を合して一村を形成する。但し移民地其の閲備に依って二百戸を以て一村 となすこともみる。而して園長が村長となり村の核心となり、其の周囲に村合議負が屠り、合議制によつて自治 的に村の行政を運行する方針を定紗王のである。 各村落の施設の細部に至つでは異るけれども大憾は仙窟の型を持ってゐる。其の大鰐を示せば次の如くであるd

l、指導員の設雷

各村に指瞥貞を政府から汲過しで鼻糞綻僚上・技術上並に替備上砂指数をなさしむ。而して前者の指導には斯 道の専門家が之に懲りY後者の指導には預後備授戒は退役の軍人が之に常るを故も普通とする。而して満洲の束 候風土・農柴経営方法

(11)

生活域式等が内鞄のそれとは飴程相違してゐる︰のでぁるから、少くとも移民が之等の紹鮎を熟知・修熟し充分に馴

れる疲になる迄は此の坪の′指導員が必要である。叉洒洲圃の治安が充分に継椿されろ遥は・何時蕗賊の製喫を受け

るかも知れぬのであるから、日液輌観の軍隊の替晰もあるけれ′ども各村・部落自身に於せも自轡圃を組織し平常よ

りよ、く訓練を先すと共.に、現苦に警戒の日を見張つでゐることが必要である。之が指導に常るのが前記瞥僻指導員 である。浦洲の匪賊は日浦軍の討伐により連年減少しっ∼あり、しかも現在に於ても討伐が紆けられてゐるのであ

る▲から其の内には彼等も姿を滅するであらうけれども、まだ幾年かの問は瞥備を忽にすることは拇釆ぬ繹である。

2 移民村落の埴方別構成

満洲移民は綿丁次移民募集に於ては、琴準秋川・潜手・両島・宮城・山野群馬・栃木・茨城・長野及新潟の取日本

十〓欺から募集してその中から優秀なる者約五高名を選抜し、攣哀移民募集に於ては、節一次移民募集地域の

外新に東京・千琴埼事山黎神奈川・富山・石川・隔井の各府株を加人﹂府十八願の靡盲に及び、第三次以下漸次

寡褒地域が廉ょり途に金閣に及ぶに至ったのである9而して之等地方から喋った移民は各回毎に出身地方別に↑

圃となつで村落を構成せしむる方針である。例へば第一次移民にありては育垂早秋円筒・岩手院・網島隙・山

形際といふが如くに匿分されて居り、叉第〓爽移民に於ては紳奈川村・宮城村・富山村・石川村等が迫られ多キ

は出身府願名を以て村落名となしてゐる′。しかし中に締爵聯・山梨願出身者を以て造られたる村に開山村、叉高

知・鹿島・新潟・岐阜・馬鹿・島根の六原のm身老に・依って、造られた村に共和村などいふのがあり、叉北大螢 図集として見たる我が緒洲農染移民 ︵T四≡︶ 五言

(12)

村・蒲柴村の如き出身隋願名とは全然無関係の村名もある。然し概して移民の故郷の府懸名を村名としてみるも のが多い。思ふに同じ故郷の者を集めで仙困となし、之に故知に緑故の洗い村落名を興へるといふことは、彼等 をして互に親しみの心を抱かしめ、交友関係を朝鮮囲満ならしめる上に効果があると凰はれる。筆者が嘗てロシ アン、パワー、ベルリン等に遊んだ時、荷頸で全然未知の日本人に逢った丈でも同じ日本人であるといふ寄賛に 伐って親しみを覚えたことを記憶するが、そんな考へを持ったのは只聾者のみではないであらう。農民の如く見 聞の狭い純朴な人々が土地に不案内な、しかも気候風土・生餌株式等の攣った満洲に移住するのであるから、、多 くの者は入植後暫くの問は寂漠の感を起し故郷を思ふの念が強く起って来るであらう。かヽる境遇に於て附沈に 同郷の者が生活し、五に園満親額なる交際をなし、故郷を語り互に慰め合ひ刺俄し合って暮すことは何人も求め てゐる所であらう。か∼る意味からしても同郷出身者が同じ地方になつかしき村名の下に壌囲して生椚すること は精神上よい影響を受けるものである。 3 移氏村の共同事党 政府は移民村落に封しで成るべく共同軍蓋を行はしめんとする方針で進んでゐる。之は薬園移民たる性質から 見ても避雷苧し上である計りで琴て﹁未開拓の新しい士稚に、ん鶉的に村落を迫り上げるのであるから、移民金 牌の⋮柑利増進の為に必馨とする共同施設が可成多い。而して之を比較的智識の程度も低く経臍的にも貧弱である 移民が畢猫では成し途げ得ないのは常然である。依って此の柿の番菓は移民が共同して行ふのが便利でもあり効 苑十≡巻 第 こ 駅 ︵仙四囲︶ 五四

(13)

凍的でもある。一例を馨ぐれば各村落に必蓼な乙組合の如き、叉共同席発砲設・教育・保健施設・生産物の共同放 資や必要品の共同購入・瞥備・道路用水路の建設等の如き事柴が之である。 4 精神的結合の中心 移民が療病的畿展を固各偽めに経済的・政治的・文化的結合を強固にすることが必要であることは諭するまで もない寄であるが、同時に精帥的結合、統仙を囲ることむ忘れてはならぬのである。それには信仰の中心となる べき神政や寺院を建立することがよいと息はれる。内地に於ても各町村には氏神と祀って居る神政を初めとしで 多くの紳敢が設けられてゐる。文章院なり軟骨なりも相雷多数設立されてゐみ。共他岡粂櫨から見ても又各植民 地金髄から見ても信仰の中心となるべき帥敢仲間が填てられてゐる。町村民なり国民なりは之等を中心としで個 々の信仰心を高めるのみならす町村民的或は観民的・集闊的に信仰を深め精神的結合を挽つてゐるのであつて、 此の信仰あるに依って迷ひから救はれることが川来るし、又掛軸な事件にぷつかつたり、不幸な境遇に隋つたゎ しても、矢野落脆・眉暴自棄に仕ることなく、虎世の遇を正しく辿ること析出乗るのである。場合に伐つでは探 い信仰あるが薦めに乱雑を突破し曙黒世界を明朗化する弟乗と努力が湧き出づるのであるから、人間は皆程度の 叢こそあれ、信仰を求めんと欲してゐる繹である。特に満洲に出で荒蕪地を開癒し盈菜総督に傑って立身田世を なさんとして内地各地から集ひ発った移民は、闇路の核心となり信仰の中心となる紳敢や寺院の必要が敷く認め でゐるのである。それ故に移民国では先づ村落の建設に努め、其の内容が充管し照裁が奄ふを待って、紳敢や寺 圃偉と七て見たる我が繍洲農染移民 ︵〓甲立︶.五五

(14)

第十三馨 第 〓班 二四六︶ 箭ごハ 院を建立するのである。第仙次移民固に依って法られた猫柴村でも既に寺院が建てられてゐるし、文節二次移民 園に伐つで迫られた千振村に於ても千振帥敢が建立されてゐるのである。共他夢二次移民掛以下各移民闘に於て も漸次神政俳閣が建立せられるであらう。

5 教 育 施 設

移民の後場着たる子弟の教育が盈安であることば申す迄もないが、移民村落の文化的基本施設として畢校を設 けねばならぬ。▼移民地は皆新しく開附せられるのであるから学校を初めとして其他の教育施設は皆移民に依って 行ひ政府が之を保護助長するのである。児づ扱初の教育権設としで小拳校を必要とする。既に第剛吹移民閣は昭 和九年十劇月に禰柴罫常高等小挙段軒.第二移民囲は同十年四方千振小峯校を開設して兄貴に教育を施してゐるα 其他の村落に於ても漸次小串校は設立せられるであらう、還㌢将来に於では甫規の青年拳校も中等螢校も設立計 れる時代が釆ると思はれるけれどもへ現在では未だ其の線度・に到つて居ないので前蓮の如く僅かに小峯扱が設け られてゐ㌃に過ぎぬのである。而しで経費其他の絡怖から啓伍教師を多数得ることが出来ぬので、移民園長が校 長を乗ね移民者中小軍校数貞の免許状を宿する者が教師と甘つてゐる有様であつて、其の内容はまだ甚だ不備で あるけれとも、兎も角も移民の車梯に叡育を施す焉めに教育機関が迫られてゐるのは寄ぶべきことであつて、村 あ姪臍の充鷺を待りだその完備せんことを望むものである。

6 衛 生 設 備

(15)

保健上から見て満.洲の範候風士は邦人に必やしも通常であるとは冨へない。特に自然的に於で然る・のみなちす

人馬的保健衛生の設備も不完全であるから、政府でも若手の補助金を支出し移民各村落に封して之が設備営準へ

る様に奨励七てゐるのである。現在で適まだ充分冤設備は各村落共に担1釆ては居らぬけれども、既に共同病院な

設け眉資格の撃帥が居り釦料で診察治療投薬をなしてゐる。将舜村落の蟄展に伴って薬剤師・看護婦等も置かれ

諸寄である。共他井戸水の滑轟や保健衛生に関する諸設備も漸突先傭せられる寄と思ふ。

三.自家努力本位に依勺粧解約経営成立を目標とし自給自足を原則と

する自作農を設定サる土と

満洲盛業移民に限らサブラジル移居でも布畦移民でも山般に資力の乏しいこと︰は共通の東軍である。かつて海

外興兼督敵がブラジル移民の所持金を紳戸乗船前に預り、之を上陸地た下船する時に沸ひ渡した金額に関する調

杏を高岡博士が蟄表しで居られるが、それに依るに昭和六年四月から同七年三月までの山ケ年間に、命敢に託迭金

を依頼した者が五首三十三人で、其の金額合計は十七萬九千百七十九園飴であつて、一人平均三百三十六固辞の

小額に過ぎない。尚ほ韮に注意すべきことは右金顧託送者の中には、北海道から移民した者に政府が北海道痕外

協禽の手を経て、癖に支度料として十二歳以上の者に封して一人につき五十園、七歳より十二歳末浦の者に封し

て二十五固、三炭より七歳末洒の者に封して十二園五十鍵を補助してゐることであつで、此の聴補助を受けた者

の中歯敢に託送金を依検し仁者が五十八人、其の金額は二璽ハ千八十園に達し二人平均四召五十⋮型二十八鏡

国策として見たる我が清洲農鞄移民 へ二四尤︶ 五七

(16)

第十=呑 第こ班 ︵蒜八︶ 五八

となり、前述平均額より、も首十飴園多い。従って此の補助金を受けた者を例外となし、之を除去して計算すると

⊥人草均三百二十二囲飴に過ぎぬ結果となる。倍ほ之等の中、千囲以上を託送せる者は倖に十九名、千固未満の

著荘十四名、二百固有浦のものは質に全数の牛分以上であつた。勿論移民の中には合計に託送を依頼せぬ者もあ

う、叉途中必嬰の費用は之を見紛って自ら期待してゐる着もあり、更に叉iE金銀行共の他の校閲を利用して資金

を造る著名あ名号から、右倉敢に託迭ん七金額丈から算出しに結果は正確性に乏しく、其の算出法も決しで安箇

であると暗いへないけれぜも、この奉賛かち考へて我が移民の資金が僅少であるとの推定はなし得ると思ふので

ぁる。誠正移民の資金不足は同情すべきであつて、之を幾分でも助ける意味に於て移民に封しで政府其の他から

の補助が必蟄でぁることを力説せざるを柁ないのである。若し之がなければ我が移民の蟄展は大いに閉止される

に造ひない。補助金の問題は後にも述べる事とするから玄には之位に止めて置くが兎も角我が移民の資金が不足

してゐることはブラジル移民丈ではなく満洲移民に放ても同様である。それ故に移民は椚釆るだけ資金の節約を

開り自家の労力を本位として耕作をなし之を魔力利用することを忘れてはなら偶のである。農兼経常S規模や耕

作面積の決定にも此の鮎を重要祓せねばならぬと考へる。加之如何なる企柴でぁつても特殊の任務を有する牒の

は別として、然らぎるものに於ては企菜の機綬、帝展の薦めには菟づ之が辟療的に成立し得るといふことが必妥

である。我が浦洲移民の盛栄経営に就ても之を目標とせねばならぬのは督然であるかち政府も此の鮎を考慮して

計宜を樹て、ゐる。而して内地に於ても盛典経螢は自作によるのが農兵を費達させる上かち見ても、島民辟済を

(17)

充賓せしめる上からも、婦又農薬政策上から考へでも一番よいといふので政府も自作農設定には力を注いでゐる

のであるが、農民の資金関係や人口と耕作面積との関係などから其の目的が急速に達成せられぬ現状である。満

開移民は撃に農業適地に温まれで屠り且つ土地も安慣であるから、移民自身の努力と政府の抑助・協力とがあれ

ば自作農たるこ上は閤経でないので満洲移民は全部自作農王らんむる計婁にざつてゐる。欝東北政樅時代には邦

人が土地を得ることは勿論、租借することさへも容易でなかったけれども、右政樺が消滅し浦洲囲が成立した今

訂では土地商租問題も解決せられたのであるから、邦人農民にとつては誠に章である。嘗て時局封筒委員愈に

於ても﹁満洲農兵移民は自作農本位の集圃移民を可とす﹂との意見を敬表してゐるのであつて、政符が移民計霧中

に之を加へたのは邁富なる措置である。

以上の諸鮎から見て声普りどれ位打鍵償面積が最も、よいかと云へば、農薬拝螢方式や地勢蛾質や努力・零本

の多少等に依って相違はあるけれども一般的・概括的に言へば瀦洲に於ては二十町歩内外を梗準とすべきである

と識者に依って静かれてゐる。かヽる廉い両税を盈排・牧畜等に山家の努力を以土俵用すると.いふことは内地の

如き集約農黄では不可能であるけれども清洲では粗放農薬であ、り、しかも機械敏轟の使用も盛であるから之が出

来るのである。我が政府常局も此の意見を探も入れて計茸もし寛施もしてゐるのである。劇例を蓼ぐれば後に並

ぶる第五次移民にありては〓戸嘗ら水田山町歩、畑地九町歩、放牧地九町歩、其他叫町歩、合計二十町歩の土地

を獲得せしむるを以て棟睡としたるが如き之である。其他の移民にあつても皆此の標準によつて土地が分譲せら

閣僚として見たる我が酒洲偽染移民 ︵︼四九︶ 五九

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発十≡巻 第二鮮 二五〇︶ 六〇 れ、典柴の経営が行はれてゐる。而しで農業麗螢は畑作を主眼とし約叫町歩を自家糊に要しる焉めに水田を新作 し副発として家畜飼養をも盛に朽はしめるの.であつで所謂有畜混同臭覚経常を其の方針としてゐる。 筆者は昭和十二年の夏沸洲各地を改行する癖禽を得たが朗々.に於て水椙が栽培せられ戚育良好なるものを見る ことを得たが、之等は殆んどすべて我が藤属が排作してゐるのであつーて、其の賓況を見た時には驚に愉快に感じ心 強さを撃見たのである。而して水田の開拓は浦洲拓解合敢が之に常り、畑地の開墾は移民が之に常るを原則とし てゐて、人棉後三年にして完了する複層になつでゐる′。栽礪作物も程々雑多であつで移民圃に依って相違はある けれども大館に於手水栢・.大挙小琴大軍小宴を主要なるものとし栗こ盗竪琴燕琴馬鈴琴東軍高率野菜等牽 配作して居る。叉浦洲は女痢が長くしかも寒菊が甚だしく、田如lに出て農耕に従事し難い事情にあるから、此の 期間を利用心て副菜を盛ならんむる方針である。而して其の主なるものは苧馬・榊草野雉・家鴨・鷲・蜜蜂の飼 育である。之等は自家用に供せらる∼外、春堆を闘って販資をもなし収入々掛るに力めてゐるのであるり右の外 副業としては、伐不製材・儲茨製造去茨揮轡柳條子細エ・馬串曳き等をなし、衣食仕は自給自足を原則とし、 出来る文金銘文出を節約するに力めてゐるめであるが之等の鮎については後に移民の沿革を述べ.るに潜り詳記す る預定である9 四 入植前内地或は現地に於て移民に特殊の訓練をなすこと 協洲事欒以前の移民が失敗し空囚は励民め索密が怒かったことにある。移民史を見るに多くの闘ほ移民後屈

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の初期に於ては所謂﹁喰許者﹂とか罪人昔とを移嫡民としで迭つでゐたゎ例へばロシヤが東部シベリヤ地方へ文 英国が濠洲へ罪人を多数迭ったが如ぎは董である。しかし斯かる素質のわるい著を内地に於で始末する意味で外 に出しにり、内地に居ても層面目に兼務に精励しない様な﹁喰話者﹂を移民せしめても好成績が得られぬのは嘗 然である。斯様なやり方は儀式であり誤りである。我が閲でも浦洲卜南北華南洋等にはかうした﹁喰話者﹂が多く 出たのセあるから失敗者が樺山したのは必然の結果であると言はなければなちぬ。我が政府もこゝに鑑みる研が ぁって、満洲膨民の素質を向上せし潮身心の鍛練をなさし働以て意志の強固なる人士々選出して移民せなさんと する計憲を樹つるに至ったのは毒し督然であると息はれる。而して政府は兜づ内地に於て入植以前に嚢葵移民と しで通常なる人物を養成する薦めに、第仙拓殖訓練所を盛岡高段に、叉第二拓殖訓腰所聖二重商農に、第三拓殖訓 練所を宮崎高桑主唱和八年六月に設思しにのでぁる。此の中前二者に満蒙方面に移住せんと志す者を﹂後者に滴 米方面に移民せんとする者を選抜入所せしめで約一年間官費を以て教育訓練し、その成績優良なる者を虚式に移 民として採用することにしてゐるのである。其の外日本観民高等畢校其他に於て満額朔の訓練が施されてゐる。 叉現地に於ても所々に同様の目的を以て設けられたる教育磯路が設曜せちれ・てゐるのみならや、眈に入植したる 者に勤しても満洲農業者にるに必嬰なる訓練をなす目的を以て設けられたる盛螢移民訓練所むみり、叉移民村落 毎に指導員が居て農薬経営や技術上に於ける指導訓練を行つでゐるのである。それ故に事欒以後に於・ける満洲遜 弟移民の素質は、以前のそれに比しで著るしく向上しで釆たのは吾人の大いに意を強うする所である。 国策として見たる我が浦洲農染移民 ︵−嵐こ 六劇

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策十≡巻 第二沢 ︵鵬吾こ 六こ 更に玄に附言して撞きたいことは、後にも述べるが如くに満洲移民が漸次成功後展するに件ひ、移民村落が重 か、経臍的寒礎もm氷上り、人口も檜加するにつれて、各村落に教育設備が備はる様になって現在の移譲の後場 着たる子弟に特殊なる目的を以て教育が施される様になつて釆にといふことである。例へば第二次移民によつで 作られたる千振村に於ては昭和十年四月二十九日天長節の使節を卜して千振小串校を湖南皆に設立し﹁鼻糞移民 の子弟に封し其の家弟を欄承するに通常なる人物を蕃成する篭めに特に農牧に関する智識並に扱術牽授け且つ愛 好勤労の精神を海養することを目的﹂として村落の子供の教育を始めたるが如きが之である。かゝる小堺校は他 の村落にも既に設立せられてゐるのであつて、之等は何れも移民の経緯的・政治的・人口的顎展に伴ふて麟大盤備 薄れるのは必然である。満洲の地に於て移民の後場者として生れ王子供に浦洲農業者として適切なる教育をなす といふことは、将来我が満洲移民を饗展せしむる基礎を築く蔑めに極めで桑野性を有するものと確信するのであ る。兼に叉移民の妾、或は重たらんとする着に封しても特殊の教育訓練を施すことが必要であると考へる。しか し烏がら長期に亘って之をなすことは困難であるから三ケ月或はそれ以下の期日を以て備洲の衣食住・育軍衛生 等に関する智織を授くると此ルに労働的訓練を克すことが必要であると思ふのである。 五 政府より補助金を交附すること 移民を志す者の大部分は経碑的に澄まれで居らぬ食困着である。従って支慶料・涯航資すら容易に準備し雛き 者が砂ぐない。かゝる貧困者が土地購入琴開墾撃住宅農合等の建築費其他盈具・家畜等の購入費・共同産業施

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設費等に要する多額の資金を白餅するに堪へ得ざるものは常然である。然らば磯等は普通幾何の資金を必要とす

るか。移民が目的地に到着してから必要とする金額丈でも次の如くなるのである。即ち

であつて右は盛少限度に於て必要快くべからざる金額である。移民の中には幾何かの資金を準備してゐる者も勿

論多々あるけれとも、しかも伺ほ之等の資金を充分に有せざる者が決して妙くないのは事鷺である1そめ鶉めに 移民を熱望しながらも資金不足の馬めに途に素意を貫徹することが出来ない弔棟である。之は個人的に見てもy

閑寂的に見ても遺憾管しとである。依つで政府に於ては渡航褒のみならや農業経営に要する固定資金の約三分の

仙即ち約六古瓦十囲を補助する方針を定めたる外、組合等経費・衛生獣鬱費等の共同的粧費を移民圃に封しても

固 定 費 本 内 浄 土 地 勝一入、党 田 費 閥 住宅・殿舎・井戸・固塑造説教

農 具 購 入 数

家 書 購 入 数

共同産弟施設数

流 動 資 本

計 組 閻楽として見たる我が浦洲虚栄移民 四四〇臨 一五〇囲 七四〇随 こ六〇凪 二七〇郵 劃00蘭 九〇〇固 二、八〇〇随 山、九〇〇鳳 ︵山五三︶ 大王

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第十二惑 第こ渋 ︵山五讐 六四 補助することにしたのである。之を個人に剖常てると〓P苫け約千風致補助する計算となり、移民にとづでは誠 に串であるのは勿論、我が浦洲移民を恐展せしめる上からも叉移民固策を途行する上からも必要撃﹂とである。 庸ほ満洲移空戸宛に封ん政府から莞の補助毒すか票せば次の如くであ攣 話山 本衰は拓渉者拓啓周東訪誅教衆の清洲移民概況忙依る 蔓一大人︵細入懲り八〇讐二人分及小人︵一人雷り四〇階︶一人分を基準とす 蔓ニ.一サ月嘗ひ金丸軌としT七ケ月分を基準とす 右の外共同施設に喪する費糊に封しても補助するのであそ即ち傑療施設撃共同宿舎準共同浴場琴・共同 ′合 開 段 丘 破 任 農 家 渡 訓 田 助 合 格 眼 宅 具 蓄 航 錬 成 計 発 覚 後 盈 党 費 費 螢 費 〓00固 七五囲 −五〇圃 こ五〇隠 三〇脚 註五 入五臓 一〇〇凹 脚五〇圃 劇、〇六〇圃

(23)

囲壁建設費・共同井戸掘聾費及び共同産業施設費等を初年度から瓦ケ年に山戸常り三宮囲の祁助をなすのである から、結局政府が二戸蕾りに補助する金額の総計は約千闘首鼠に上るのである。斯くの如き多額の補助金の支給 があつても選に千数百園は移民自身が用意しなければならぬ。然るに基にも既に述べにるが如くに移民は之を持 って居らぬ者が多いのであるから、主として滴洲柘植合計から借入調達してゐる有様である。而して之に封して は年た分の利子を支彿ひ、固定費金として借入れた金は斎ケ年裾憧後二十五ケ年の年斌償還の方法により、流動 賓金として借入れた金額は瓦ケ年据置後十ケ年の年駅償還の便宜が輿へられてゐるから移民にとつては誠に都合 がよいのである。 六 移民は之を農村出身の青壮年中身鰻強健・藩校堅驚なる者より選出すること 移民應募着は原則としで農耕に経験を有する着であり且つ繊兵瞼茶を終っ上溝三十三歳迄の着でなければなら ぬ。只例外として恥殊の技能を有する農村居住者には應寡資格が附興されてゐるのである。尤も以上何れも身博 強健であり末技堅固でなければならぬことに定められてゐるが、特に健庚ド就ては滴洲の風土気候等の関係から 呼吸器病。紳経病・脚気患者等は移民たり得ぎるので斬る。思ふに移民としては活動力。生産力の旺盛なる苛址年 者が混も適んでゐるのは勿論であるが、∴従釆の移民が多く出撃汎分で出かけ、骨を藩洲に哩むるてふ確聞不動の 儲紳に乏しかつに馬めに失敗し烏鷺情に鑑みで、志線の健寛髄国花る者皆野求するに零ったのセあつて、之は箪 に移備に就rのみ必要とするのではなく、閲内の盈民㍍封じても脾欠如何なる柴野に携はる者に封しでも同様に 歯舞として見太る準が蒲洲鹿央移民 ︵一卑車︶ 稟議

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○空ハ︶ 六六 第十≡啓 困難が磯想されるので之に能く堪へ、之を克服せぎれば成功が覚束ないから、罵難を排して所期の目的を達成す るといふ確固たる覚悟と不断の努力をさんとする強い意志とが是非とも必要であると認めた焉めであらうと恩は れる。 ︵昭和十三年四月二十ご里稲︶ ︵泉完︶

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