• 検索結果がありません。

解 説 正 解 を 得 るために 必 要 な 知 識 の 難 易 度 が 絶 対 暗 記 レベルなら 初 級 G MARCH( 学 習 院 明 治 青 学 立 教 中 央 法 政 )で 差 がつくレベルなら 中 級 早 慶 上 智 で 差 がつくレベ ルなら 上 級 受 験 生 が 明 確 な 解

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "解 説 正 解 を 得 るために 必 要 な 知 識 の 難 易 度 が 絶 対 暗 記 レベルなら 初 級 G MARCH( 学 習 院 明 治 青 学 立 教 中 央 法 政 )で 差 がつくレベルなら 中 級 早 慶 上 智 で 差 がつくレベ ルなら 上 級 受 験 生 が 明 確 な 解"

Copied!
27
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

― 慶應義塾大学 ―

2月 16 日 法学部 世界史

問題Ⅰ

(1)(2)13 (3)(4)67 (5)(6)60 (7)(8)47 (9)(10)61

(11)(12)07 (13)(14)15 (15)(16)65 (17)(18)43 (19)(20)08

(21)(22)14 (23)(24)35

問題Ⅱ

(25)(26)23 (27)(28)02 (29)(30)46 (31)(32)57 (33)(34)12

(35)(36)49 (37)(38)10 (39)(40)58 (41)(42)43 (43)(44)01

(45)(46)30 (47)(48)44 (49)(50)19

問題Ⅲ

(51)(52)04 (53)(54)02 (55)(56)02 (57)(58)04 (59)(60)03

(61)(62)02 (63)(64)03 (65)(66)02

問題Ⅳ

(67)(68)09 (69)(70)19 (71)(72)22 (73)(74)26 (75)(76)36

(77)(78)44 (79)(80)08 (81)(82)20 (83)(84)31 (85)(86)03

(87)(88)12 (89)(90)04 (91)(92)03

その他の大学・学部の解答解説はコチラ

解 答

PC 用 解答速報ページ

スマホ用 解答速報ページ

(2)

正解を得るために必要な知識の難易度が絶対暗記レベルなら初級、G・MARCH(学習

院、明治、青学、立教、中央、法政)で差がつくレベルなら中級、早慶上智で差がつくレベ

ルなら上級、受験生が明確な解答根拠を持って正解を導くのが困難なレベルなら難問と表

示しました。なお、解説で掲載されているまとめは全て、著者(増田塾・世界史・鈴木靖則)

が作成し、授業で使っているオリジナルテキストの抜粋です。太字は基礎・標準、☆はハイ

レベル、★は合否に関係のないマニアックな知識、下線部は正誤判定問題の選択肢によく登

場する一文という意味です。また、解答の根拠となった情報を

赤字

で示しました。

問題Ⅰ【ビザンツ帝国史】

(1)(2)初級(3)(4)初級「ビザンツ帝国は,(1)(2)朝のアラブ軍にコンスタンティノー

プルの二度の包囲を許してしまった。二度目の包囲の際にアラブ軍を撃退し,帝国の危機

を救ったのが,小アジアの軍管区長官出身の(3)(4)であった。彼は,アラブ軍を撃退する

とコンスタンティノープルにやってきて,みずから皇帝の座についた。

」とありますが、

以下の通り、(1)(2)には13の「ウマイヤ」

、(3)(4)には67の「レオン(レオ)3世」を入

れるとピッタリです。

イ サ ウ ロ ス 朝

8C

ビザンツ帝国 レオン(レオ) 3世 (717~741) ※教皇レオ3世 と区別しよう ★軍管区(テマ) 長官から反乱を起 こして即位 ① 718 イスラーム教(アラブ軍)のウマイヤ朝による都コンスタンティノープル 包囲 but 新兵器ギリシア火でウマイヤ朝を撃退 ② コンスタンティノープル教会の総主教の任免権を掌握して、宗教上の指導権を も兼ねる皇帝チ ェ ザ教皇レ パ ピ主義ズ モを採用し、政教一致へ ③ 726~843 聖像禁止令を発布 =イエスや聖母マリアなどの聖像画(イコン、ギリシア正教会ではそれ自身が信 仰の対象)の製作・崇拝を禁止。国内的には修道院に対抗、対外的には偶像を 否定するイスラームに対抗して発布。ゲルマン人への布教に聖像を必要として いたローマ教会と対立。 → 結果、東西教会(コンスタンティノープル教会とローマ教会)の聖像崇拝論 争を招き、相互破門で 1054 教会の東西分裂へ

(5)(6)中級「(5)(6)朝は第一次ブルガリア帝国を併合」とあるので、以下の通り、60の「マ

ケドニアです。

解 説

解答根拠を 赤字で明示

(3)

マケドニア 朝(第2の最盛 期・繁栄期) 867~1056 バシレイオス1世 王朝の創始者 バシレイオス 2世 “征服皇帝” ① “ブルガール殺し”の異名 → 1018☆第1次ブルガリア帝国を征服 ② 妹☆アンナがウラディミル1世(ロシアのキエフ公国)と結婚 → ギリシア正教会がロシアへ伝播し、☆ロシア正教会が誕生 ドゥーカス 朝 ☆ロマヌス・デ ィオゲネス帝 1071 マンジケルト(マラーズギルド)の戦い vs セルジューク朝(☆アル プ・アルスラーン)→ アナトリア(小アジア)を喪失 コムネノス 朝 アレクシオス 1世 (主に11C) ① 有力な貴族層に軍事奉仕の代償として国有地の管理権を与える封建的 制度=プロノイア制 → 地方分権化と大土地所有が進展 ② セルジューク朝の圧迫に苦しみ、教皇ウルバヌス2世に救護を要請

細かいと感じた人もいるかもしれませんが、以下の通り、

マケドニア朝のバシレイ

オス2世による第1次ブルガリア帝国征服は、2011早稲田(教育)

、2001関西

学院(法)

、2002慶応(法)

、2012中央(経済)

、2006立教(経済 観光 コミ

ュニティ福祉)も出題

しています。証拠として、著者(増田塾・世界史・鈴木靖則)

の復習課題(演習問題)を以下に掲載します。

1. 中級 9~10 世紀のビザンツ帝国とイベリア半島のイスラーム勢力に目を向けるならば,それらの隆盛 に驚かされる。この時期,ビザンツ帝国は東地中海域をイスラーム勢力から奪回し,ブルガリアを征服 するなど積極的に対外遠征を行った。この時期のビザンツ帝国の王朝はどれか。11 早稲田(教育) a マケドニア朝 b ヘラクレイオス朝 c テオドシウス朝 d アンゲロス朝 解答=a(マケドニア朝のバシレイオス2世が第1次ブルガリア帝国を征服し、ブルガール殺しの異名をとった。) 2. 中級 ビザンツ(東ローマ)帝国の領土は,東方や北方からの諸民族の進出によりしだいに縮小してい くが、 が開いたマケドニア朝時代のように,勢力が一時的に拡大した時期もあった。01関西学院(法) a.ヘラクレイオス1世 b.レオン3世 c.バシレイオス1世 d.ミハイル8世 e.ロマノス=ディオゲネス 解答=c 3. 上級 ビザンツ帝国は,1018 年に( )を併合した。02 慶應(法) 解答=第1次ブルガリア帝国(実際には 50 個の語群から選ぶ形式。) 4. 中級 ビザンツ帝国は,9 世紀後半から 11 世紀半ばまでのマケドニア朝の時代に,再び繁栄をむかえ ることになる。特に,( F )人殺しという異名をもつバシレイオス 2 世は 1014 年の決定的な戦闘で 大勝利を収め,第 1 次( F )帝国を征服・支配し,バルカン半島を制圧した。12 中央(経済) 解答=ブルガリア 5. 中級 ビザンツ帝国がドナウ=ブルガール=ハン国(いわゆる第1次ブルガリア帝国)を併合した 1018 年の時点での,ビザンツ帝国の王朝はどれか。06 立教(経済 観光 コミュニティ福祉) a.アンティゴノス朝 b.セレウコス朝 c.プトレマイオス朝 d.マケドニア朝

(4)

(7)(8)中級「

(ビザンツ)帝国で用いられた(7)(8)金貨」とあるので、以下の通り、47の

「ノミスマ」です。

(・_・?) …ん?

世界の貨幣史

(正誤判定では銀貨と金貨を書き換えてくるので区別が必要)

国家

使用された通貨

ポイント

古バビロニア王国

大麦

by ハンムラビ王

リディア王国

☆エレクトラム(琥珀金)貨幣

世界最古の鋳造(金属)貨幣

ポリス時代

アテネの☆ドラクマ銀貨

(金貨 ×)

※ポリスごとに独自の貨幣を鋳造

マケドニア

アッティカ貨幣

by アレクサンドロス大王

ローマ帝国・

ビザンツ帝国

ソリドゥス金貨(ノミスマ)

by コンスタンティヌス帝

ウマイヤ朝

☆ディナール金貨

☆ディルハム銀貨

(9)(10)中級「1071年,小アジアの(9)(10)の戦いでビザンツ軍がセルジューク朝のトルコ

軍に惨敗」とあるので、以下の通り、61の「マラーズギルド」が入ります。

マケドニア 朝(第2の最盛 期・繁栄期) 867~1056 バシレイオス1世 王朝の創始者 バシレイオス 2世 “征服皇帝” ① “ブルガール殺し”の異名 → 1018☆第1次ブルガリア帝国を征服 ② 妹☆アンナがウラディミル1世(ロシアのキエフ公国)と結婚 → ギリシア正教会がロシアへ伝播し、☆ロシア正教会が誕生 ドゥーカス 朝 ☆ロマヌス・デ ィオゲネス帝 1071 マンジケルト(マラーズギルド)の戦いvs セルジューク朝(☆アル プ・アルスラーン)→ アナトリア(小アジア)を喪失 コムネノス 朝 アレクシオス 1世 (主に11C) ① 有力な貴族層に軍事奉仕の代償として国有地の管理権を与える封建的 制度=プロノイア制 → 地方分権化と大土地所有が進展 ② セルジューク朝の圧迫に苦しみ、教皇ウルバヌス2世に救護を要請

(11)(12)中級「1095年,時の皇帝(11)(12)は,ローマ教皇を通して西方に援軍を求めた。」

とあるので、以下の通り、07の「アレクシオス1世」です。

十 字 軍 の 直 接 的 原 因 イスラームのセルジューク朝(トルコ系)がビザンツ帝国領のアナトリア(小アジア)に侵入 ↓ 1071 マンジケルト(マラーズギルド)の戦い → アナトリア(小アジア)のトルコ化、イスラーム化の契機に =ビザンツ帝国(☆ロマヌス・ディオゲネス帝)vs セルジューク朝(☆アルプ・アルスラーン) ※小アジアに分立したセルジューク朝分派=ルーム・セルジューク朝(都ニケーア → ☆コンヤ) ※シリアに分立したセルジューク朝の分派=☆ザンギー朝 ※↑ルーム=ローマの意 ※↑15 慶法 ↓ 1095 ビザンツ皇帝アレクシオス1世が教皇ウルバヌス2世に救護を要請 ↓ ※↓フランス中南部の都市 1095 クレルモン公会議=教皇ウルバヌス2世が十字軍(聖地回復運動)提唱 ☆神はそれを欲し給う

(5)

(13)(14)中級「この事業(330年に首都がビザンティウムに移転し,コンスタンティノープ

ルと改称)を行った皇帝の伝記を執筆し,さらに,

『年代記』を書いた人物は誰か。

」とあ

りますが、ここでいう「皇帝」とは、以下の通り、コンスタンティヌス帝です。

“西の正帝”コンスタンティヌス帝 (306~337、324 単独皇帝に) (キリスト教を公認) 都=330 コンスタンティノープル at ローマ帝国東部(MAP!) ※元ギリシア人植民市のビザンティ オン(ローマではビザンティウム と呼称)at☆ボスフォラス海峡西岸 ① 313 ミラノ勅令 with 東の正帝リキニウス=キリスト教を含む すべての宗教の信仰の自由を公認 ② 325 ニケーア公会議=教義統一のためキリスト教の正統と異 端を決定 → 正統=アタナシウス派、異端=アリウス派 ③ コロナトゥス制定着、☆コロヌスの土地緊縛令 → 小作人コ ロ ヌ スの 移動禁止、職業と身分の固定化 → 中世農奴制の起源 ④ ☆ソリドゥス金貨(ノミスマ)鋳造 → 米の$ドル記号へ ⑤ ☆サン・ピエトロ大聖堂(バシリカ式)を建立

さて、

「コンスタンティヌス帝の伝記を執筆し,さらに,

『年代記』を書いた人物は誰か。

ということになりますが、以下の通り、15の「エウセビオス」です。

キ リ ス ト 教 の 発 展 ① 中心的な教会=五本山(総大司教座教会)※↓シリア地方だが、現在トルコ領内 → ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、イェルサレム、アレクサンドリア教会 ※後者3つは7Cにイスラームに占領される。よって、前者2つが首位権を巡り対立。 ② BC10~BC1C旧約聖書=ヘブライ語 → 元来ユダヤ教の聖典 AD2~4C新約聖書=コイネー(ギリシア語)→ 4つの福音書(後にカルヴァンが重視するイエスの言行録、 ☆マルコ、マタイ、ヨハネ、ルカ福音書)、使徒 し と 行 伝 ぎょうでん (ペテロ・パウロの伝道録)、書簡、☆黙示録も く し ろ くを含む 27 書 ③ 教父(アタナシウス派キリスト教の学者) ↓絶対主義時代の王権神授説へ影響を与える ☆エウセビオス =“教会史の父”「教会史」「年代記」、☆神寵帝理念でコンスタンティヌス帝を理想視 アウグスティヌス=“最大の教父”「告白録(マニ教から回心)」、「神の国(410 西ゴート人のローマ侵入)」、☆「三位一体」 ※前者はパレスチナのカイサリアの司教、後者は北アフリカ(ヌミディア)のヒッポ出身

なお、

エウセビオスは2008慶應(商)

、2012立教(社会、コミュニティ福祉、

現代心理)

、2013法政(経済、社会、現代福祉)も出題

しています。証拠として、

著者(増田塾・世界史・鈴木靖則)の復習課題(演習問題)を以下に掲載します。

1. 中級 後の王権神授説の根拠にもなった 1 を唱えた 2 をはじめ,多くの教父が正統教義の確立 に努め,後の神学の基礎を築いた。08 慶應(商) 解答:1=神寵帝理念 2=エウセビオス 2. 中級 使徒の時代から 4 世紀初めまでを扱った歴史書『 』で知られる教父エウセビオスは,皇帝 位は神の恩寵によって与えられるとした。12 立教(社会 コミュニティ福祉 現代心理) 解答=教会史 3. 中級 教父による著作活動も,教会の権威と教義の正統性を確立するために貢献した。代表的なものと しては,皇帝は地上における神の代理人とする神寵帝理念を打ち出した 19 が書いた『教会史』や, 中世スコラ哲学に多大な影響をもたらした 20 の『神の国』などがある。13法政(経済 社会 現代福祉)

(6)

(15)(16)初級「サン=ヴィターレ聖堂が所在する地」とあるので、以下の通り、65の「ラヴ

ェンナ」ですね。

ビザンツ様式 ※ビザンツ文化=ギ リシア正教の規制が 強く、独創性欠落 but ギリシア古典文 化を継承・保存、イ タリア・ルネサンス に影響 ① ドーム(丸屋根)、モザイク壁画(石、貝殻、ガラスなどの細片を漆喰の壁には め込んだもの)、イコン、ギリシア十字型 ② イスタンブル(旧コンスタンティノープル)のセント(ハギア)・ソフィア聖堂 by ユスティニアヌス ※1453 オスマン帝国(メフメト2世)の征服で☆ボスフォラス海峡に望む 首都コンスタンティノープルをイスタンブルと改名して遷都。ユスティニ アヌスが再建したビザンツ様式のセント(ハギア)・ソフィア聖堂をイス ラーム教のモスク(礼拝堂)に変え、ミナレット(尖塔)を付設。 ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂 ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂 ※6C半ばに建築(14 上智) ※ユスティニアヌスと随人たち、妃テオドラのモザイク壁画

(17)(18)上級「551年,ビザンツ帝国はある国から領土を奪って,帝国領の大半を回復する。

この領土を奪われた国が,6世紀後半から8世紀初頭まで首都としていたのはどこか。

とありますが、551年にビザンツ帝国はどの国から領土を奪ったのでしょうか? 以下の通

り、551年(6世紀)といえば、ユスティニアヌス大帝ですが、彼が領土を奪った国はヴ

ァンダル王国、東ゴート王国、西ゴート王国が挙げられます。

6C

ビザンツ(東ロ ーマ)帝国 ユスティニアヌ ス大帝 (527~565) 最大版図 ① 534北アフリカのゲルマン人国家ヴァンダル王国征服 by☆ベルサリオス → カルタゴ get ② 555北イタリアのゲルマン人国家東ゴート王国征服 by★ナルセス → ラヴェンナ get ③ ☆イベリア半島(スペイン南部)get from☆西ゴート王国 15 早教 ④ 南イタリアの☆シチリア島も版図に入る ※↓14 上智 → 上記①~④により、最大版図を達成、地中海帝国(ローマ帝国)の復活 but 国力 疲弊、死後衰退 編集の都合上、以下省略

ただし、

「この領土を奪われた国が,6世紀後半から8世紀初頭まで首都としていた」

とあるので、

少なくとも8世紀までは存続していた国でないといけませんね。以下の通り、

ヴァンダル王国は534年(6世紀)

、東ゴート王国は555年(6世紀)に滅んでいますが、

西ゴート王国は711年(8世紀)まで存続しています。よって、

「西ゴート王国が,6世紀

後半から8世紀初頭まで首都としていたのはどこか。

」ということになるので、以下の通

り、43の「トレド」が正解になります。

(7)

最終建国地 部族名(それぞれ王国を建国) 族長 ☆都 大ブリテン島(ブ リタニア)南部 449~829 アングロ・サクソン人(アングル人 とサクソン人と☆ジュート人) スペイン(ヒスパニ ア・イベリア半島) 418~711 西ゴート人 ※5C初に南仏で建国、6Cにイベリア半島に移動 (スペイン北部はカトリックの☆スエヴィ人) アラリック王 → 415~ワリア イベリア半島 中央部の トレド 北アフリカのチュニジア 429~534 ヴァンダル人(最も長距離移動) ガイセリック カルタゴ フランス東南部 443~534 ブルグンド人 リヨン 北フランス・ドイツ フランク人 クローヴィス パリ、アーヘン 北イタリア (西ローマ滅亡後 の興亡順序は絶対 暗記!) 西ローマ帝国 ↓ オドアケルの国 ↓ 493~555 東ゴート人 ↓ ビザンツ帝国(ユスティニアヌス大帝) ↓ 568~774 ランゴバルド(ロンバルド)人 ↓ フランク人 ※↑最も遅い時期に移動 テオドリック大王 ラヴェンナ パヴィア

(19)(20)中級「いくつかの地に総主教座が置かれていたが,このうち,かつてセレウコス朝

シリアの首都であったのはどこか。

」とありますが、以下の通り、セレウコス朝の都だっ

た都市はセレウキアとアンティオキアです。

アレクサンドロス帝国が3分裂

→ ヘレニズム国家成立 ★リュシマコス朝トラキア王国はセレウコス1世が征服 ① ギリシア:★カッサンドロス朝マケドニア → BC276~BC168(146)アンティゴノス朝マケドニア(都☆ペラ) ※アンティゴノス1世が小アジアを本拠としたが、ディアゴコイ戦争で戦死後、孫がギリシアで建国 ② エジプト:BC304~BC30プトレマイオス朝エジプト(都アレクサンドリア)by プトレマイオス1世 ③ 西アジア:BC312~BC64セレウコス朝シリア(都☆セレウキア → アンティオキア)by セレウコス1世 ↓

さらにセレウコス朝シリアから4国が独立

①ペルシア :BC248~AD224(アルサケス朝)パルティア(イラン系)→ ササン朝ペルシア ②アム川上流:BC255~BC139 バクトリア(ギリシア系、都バクトラ or バルフ、ギリシア人サトラッ プのディオドトスが建国)→ 大夏ト ハ ラ(スキタイ系)→ 大月氏 → クシャーナ朝 ③小アジア :☆アッタロス朝ペルガモン王国(12 明治商、羊皮紙の産地、彫刻「瀕死のガリア人」出土) ④パレスチナ:BC166~BC63☆ハスモン朝(ユダヤ系、☆マカベア戦争でセレウコス朝シリアから独立)

さて、

「総主教座」が置かれていたのはどちらでしょうか? 以下の通り、08の「アンテ

ィアキア」ですね。

(8)

① 中心的な教会=五本山(総大司教座教会)※↓シリア地方だが、現在トルコ領内 → ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、イェルサレム、アレクサンドリア教会 ※後者3つは7Cにイスラームに占領される。よって、前者2つが首位権を巡り対立。 ② BC10~BC1C旧約聖書=ヘブライ語 → 元来ユダヤ教の聖典 AD2~4C新約聖書=コイネー(ギリシア語)→ 4つの福音書(後にカルヴァンが重視するイエスの言行録、☆マ ルコ、マタイ、ヨハネ、ルカ福音書)、使徒し とぎょうでん行 伝(ペテロ・パウロの伝道録)、書簡、☆黙示録も く し ろ くを含む 27 書 ③ 教父(アタナシウス派キリスト教の学者) ↓絶対主義時代の王権神授説へ影響を与える ☆エウセビオス =“教会史の父”「教会史」「年代記」、☆神寵帝理念でコンスタンティヌス帝を理想視 アウグスティヌス=“最大の教父”「告白録(マニ教から回心)」、「神の国(410 西ゴート人のローマ侵入)」、☆「三位一体」 ※前者はパレスチナのカイサリアの司教、後者は北アフリカ(ヌミディア)のヒッポ出身

(21)(22)初級「アラブ勢力の侵攻により,ビザンツ帝国は,636年にシリア属州の,642年に

エジプト属州の支配権を相次いで喪失した。

「この間アラブ勢力を率いたカリフは誰か。

とありますが、

「636年にシリア属州の,642年にエジプト属州の支配権を相次いで喪失」

したビザンツ皇帝は、以下の通り、ヘラクレオイス1世です。というわけで、

「この間ア

ラブ勢力を率いたカリフ」とは、以下の通り、14の「ウマル」ということになります。

7C

ビザンツ(東ロ ーマ)帝国 ヘラクレイオス1世 (610~641) 610 イスラーム教成 立と同年に即位 ① ★ササン朝ペルシアのホスロー2世に勝利、一時エジプト・シリア奪還 ② 636★ヤルムークの戦いvs×○イスラーム(アラブ)軍(第2代正統カリフのウマル) → シリア・パレスチナ(聖地イェルサレム含む)、エジプト喪失 ※後、十字軍(聖地回復運動)で聖地奪回を目指すことになる ③ 配置地域の長官に軍事面だけでなく、行政権も与えて統括させる中央集権的な地方 統治制度=軍管区(テマ)制 → イスラームに対抗するため ④ 兵士や小農民層に土地を与え、その代わりに兵役義務を課した兵農一致の制度=屯 田兵制 ⑤ 7C公用語がラテン語からギリシア語に

(23)(24)上級「ティマール制において徴税権を認められた者は誰か。

」とあるので、以下の

通り、35の「シパーヒー」です。

(9)

オスマン帝国 第3代 ムラト1世 ① 1362 アドリアノープル get from 東ローマ(ビザンツ)帝国 → 1366 エディルネと改称し、遷都 ※現在もトルコ領 ※本来、五賢帝の三人目ハドリアヌス帝が建設した都市(ハドリアノポリス) ② 1389 コソヴォの戦い → セルビア(キリスト教のギリシア正教国)に勝利(併合×) ※オスマン帝国(ムラト1世)vs○×セルビア・ボスニアなどのバルカン半島スラヴ勢力 ※意義=ドナウ川以南のバルカン半島が 19Cまでオスマン帝国の支配下に ③ 二つの軍隊=イェニチェリは歩兵、☆シパーヒーはトルコ系騎兵 ※イェニチェリ=スルタン直属 ...... の奴隷身分 .... 兵士からなる常備歩兵軍団。デウシルメ (官僚・軍団兵士を強制的に徴用する制度)によって徴用されたキリスト教徒の子 弟をイスラーム教に改宗させ、その中から兵士にふさわしい者に軍事訓練を施し てメンバーに(容姿端麗・頭脳明晰ジャニーズ軍)、トルコ語で新しい兵士の意。 ☆シパーヒー=トルコ系騎兵、軍役の代償としてティマール(分与地での徴税権)を 与えられる(イギリス東インド会社が雇ったインド人傭兵シパーヒーと区別) → ティマール(制)=シパーヒーに対して軍役の代償に付与した分与地での徴税 権。ブワイフ朝のイクター制、ビザンツ帝国のプロノイア制と酷似。 ④ ミッレト=オスマン帝国の非イスラーム教徒(非改宗者=ズィンミー。ex.ギリシア 正教徒、アルメニア教会徒、ユダヤ教徒)の共同体 → 納税を条件に自治を承認

(10)

問題Ⅱ【戦後の中国・台湾の歴史】

(25)(26)初級「1949年」

「中国共産党(中共)」

「(25)(26)を開催」とあるので、以下の通り、

23の「人民政治協商会議」が入ります。

中 華 民 国 43☆不平等条約撤廃=日中戦争中、米英が大部分の租借地の治外法権を撤廃、法的平等実現 ↑14 上智 ※なお、ロシアとの不平等条約は 1919 カラハン宣言で撤廃 45 日中戦争、WWⅡ終了 → 抗日のための第2次国共合作が崩壊 45 年 10 月 10 日☆双十協定=毛 ∽ 蔣 → 内戦回避、政治協商会議の開催に合意 13 青文、12 中法 46☆国共停戦協定=☆米マーシャルの仲介(13 上智)で双十協定を確認 46 政治協商会議 at 重慶=中国統一のために開催、「施政綱領」を採択、平和に基づく建国を議論 but 中国国民党が国共停戦協定を破棄し、内戦(国共内戦)が再開。47○新中華民国憲法を施行。 ↓ 中国国民党(蔣介石)=米ソ両国から中国を代表する政党をされる but インフレへの無策、内部腐敗 vs 中国共産党(毛沢東)=40☆新民主主義、47☆中国土地法大綱(地主の土地所有廃止)発表 ※↑☆当時の中国は共産主義を実現できるレベルにはなく、まずは帝国 主義勢力や封建勢力からの解放が必要で、そのためには共産党 (労働者階級)が指導しながらも、農民階級や他の民主主義勢力 と協力して革命を進めなければならず、しばらくの間は純粋な社 会主義的政策や共産党一党独裁を行うべきではないとした理論。 ↓ 敗者の中国国民党(蔣介石)=49 台湾で中華民国政府(台湾国民政府)を継続 at 台北 ※国連代表権(常任理事国としての立場)を獲得 勝者の中国共産党(毛沢東)=49・10・1中国で中華人民共和国を建国 at 北京 ※49 人民政治協商会議にて建国(内戦の勝利目前に開催)

(27)(28)初級「1950年」

「国連軍による(27)(28)上陸」とあるので、以下の通り、02の「仁

川」が入ります。

1950~53 朝鮮戦争(冷戦の中の熱い戦争)

① 50 北朝鮮が韓国に侵入、釜山プ サ ンまで侵攻 ② 50 国際連合の安全保障理事会は北朝鮮を侵略者と認定、米軍主体の国連軍出動 ※ソ連は中国の国連代表権問題で安全保障理事会を欠席しており、拒否権を行使できず ③ 50米マッカーサー率いる国連軍が仁川に上陸、北朝鮮と中国の国境の☆鴨緑江付近まで侵攻 ④ 50中華人民共和国の人民義勇軍(中国人民志願軍)派遣 → 北朝鮮側で参戦、国連軍大敗 ※↑☆援朝抗米を標語とした ※51 米トルーマン大統領は中国領への爆撃と核兵器使用を主張したマッカーサーを解任(50☆スト ックホルム・アピールの影響)→ 退任演説の名言“老兵は死なず、ただ消え去るのみ” ⑤ 51 戦争が膠着、泥沼化 but 米から繊維・自動車・石炭などの発注を受けた日本は特需で急速に景気回復へ

(11)

⑥ 53 朝鮮休戦協定 at 板門店=北緯 38 度線付近の軍事境界線での朝鮮の南北分割を固定 ※51 ソ連の☆マリク国連代表の停戦提案を受け、米はアイゼンハワー、ソ連はフルシチョフが調印。 韓国は調印せず。なお、終戦ではなく、現在でも依然として「休戦」状態。07 青学(国政) ⑦ 53 米韓相互防衛条約を締結(反共軍事同盟)

(29)(30)中級「1957年からの(29)(30)によって中共(中国共産党)への批判が封じ込められ」

とあるので、以下の通り、46の「反右派闘争」が入ります。

中 華 人 民 共 和 国 ・ 都 北 京 1949・10・1建国(都北京)※各国の承認=49 ソ連・東欧・印、50 英、64 仏、70 加・伊、72 日・米 国家主席=毛沢東、中国共産党主席=毛沢東、首相(総理)=周恩来 人民解放軍=朱徳 50 土地改革(法)=大地主から土地没収、農民の土地所有を推進、☆52 年までに全国で実現 50 朝鮮戦争で人民義勇軍(中国人民志願軍)派遣 ※↑14 上智 50~80 中ソ友好同盟相互援助条約 at☆モスクワ=仮想敵国 .... を日本(&アメリカ)とみなす軍事同盟 51☆三反さんはん五反ご は ん運動=官僚の腐敗などを摘出 53~57 第1次五カ年計画=ソ連の援助、重工業を優先、農業の集団化、☆合作社を創設、成功 54☆中華人民共和国憲法=★全国人民代表大会が権力の最高機関とされる 54ネルー・周恩来会談=平和五原則を発表 at インドのデリー ※平和五原則=領土保全と主権の尊重・相互不侵略・内政不干渉・平等と互恵・平和的共存 55 アジア・アフリカ(バンドン)会議=周恩来が出席 56☆百花ひゃっか斉放さいほう・百家ひゃっか争鳴そうめい=あえて中国共産党批判を奨励、欠点を投書させる 57☆反右派闘争 =あまりに痛烈な中国共産党への批判が多かったので、批判者を摘出 58 第2次五カ年計画(大躍進運動・政策)=米英を抜かす大躍進が目標、58~82(85)人民公社創 設 ※人民公社=農村部 ... における生産活動と行政・教育活動などを一体化した組織。共産主義社会建設 の基礎 56 ソ連フルシチョフのスターリン批判と平和共存政策に中華人民共和国は反発、中ソ論争の原因に 59 中ソ論争(中ソ対立)激化 → アルバニアの☆ホジャは中国を支援(アルバニアの対ソ断交) 59 ソ連が一方的に中ソ技術協定破棄、60 ソ連の技術者が全員帰国し、資材の供給も停止 編集の都合上、以下省略

(31)(32)中級「毛沢東や軍事指導者であった(31)(32)らは,劉少奇や鄧小平らを資本主義の

復活を図る者と非難」とあるので、以下の通り、毛沢東の後継者とされ、国防部長だった

57の「林彪」が適切でしょう。

(12)

1966~76 プロレタリア文化大革命 ★動乱の十年間 ※内容=毛沢東の権力奪回闘争 with66 学生中心の紅衛兵こうえいへい&林 彪りんぴょう(毛沢東の後継者、国防部長) ※構図 劉 少 奇 りゅうしょうき 鄧 とう 小平 しょうへい 華国鋒か こ く ほ う vs 毛沢東 林彪 紅衛兵 周恩来 朱徳 四人組(毛沢東の妻江青、☆ 張 春 橋ちょうしゅんきょう、☆王洪文、☆姚よう文元ぶんげん) ※1965「新編歴史劇『海瑞罷官か い ず い ひ か ん』を評す」↑ ※標語=造反有理(意味=謀叛には道理がある。反抗するにも理由がある) ※経過=68毛沢東が国家主席の劉少奇と鄧小平を走資(実権)派として失脚させる ※備考=66~76 プロレタリア文化大革命以降、中ソ論争が激化し、公開論争へ(中国はソ連を修正主義・社 会帝国主義と批判、ソ連は中国を教条主義・極左日和見主義と批判) 編集の都合上、以下省略

(33)(34)初級「権力闘争に動員された(33)(34)」

「青年」とあるので、上記の通り、12の「紅

衛兵」が入りそうですね。

(35)(36)初級「中国は,カンボジアをめぐって(35)(36)と対立し,1979年には同国に対する

懲罰を主張して攻撃」とあるので、49の「ベトナム」です。

1976~ ベトナム社会主 義共和国 (都ハノイ) 76 南北統一で建国 ※大統領 =★トン・ドクタン(ホー・チ・ミンは 69 死去なので、×) ※副大統領=★グエン・フー・ト 77 国際連合に加盟 78ベトナム軍のカンボジア侵攻、79 カンボジアの都プノンペンを軍事占領 ※中ソ論争を背景に、79 カンボジアの親中国のポル・ポト政権を打倒し、79 親ソ 連・ベトナムのヘン・サムリン政権を樹立 → 中国はベトナムに対する懲罰で攻 撃、79 中越戦争へ → ☆ベトナム・カンボジア難民(インドシナ難民)の発生へ ベトナム社会主義共和国 ∽ ソ連 ↓カンボジア侵攻 中越戦争 vs 中ソ論争 カンボジア 親中のポル・ポト政権 ∽ 中華人民共和国 86 ドイモイ(刷新) =改革開放路線、生活消費財の生産拡大、市場経済の導入、外国資本の導入 89ベトナム軍のカンボジア撤退 95 アメリカと国交樹立、ASEANへ加盟(共に 07 青学国政が年号まで出題)

(37)(38)難問「彼(鄧小平)は改革・開放政策を深化させた。1980年に深圳

し ん せ ん

に設けられた

(37)(38) は対外開放の先駆けとなった。

」とありますが、以下の通り、10の「経済特区」

が適切です。

(13)

77鄧小平が再び復活、77 四つの現代化 by 鄧小平と華国鋒(元来は☆周恩来が提唱) ※農業・工業・国防・科学技術の現代化を指す 78~改革・開放..政策 by 鄧小平 =外国資本・技術導入による解放経済を実行、☆農業生産の請負制(生産責任制、農地の私有化)を導入 80★経済特区を指定 at深圳しんせん 81社会主義市場経済(共産党の独裁の下で社会主義を追及しつつ、資本主義を導入)を実施by鄧小平 82 鄧小平が人民公社解体(85 消滅)→ ☆万元戸ば ん げ ん こが出現 84香港返還協定=鄧小平 ∽ 英サッチャー 89 ゴルバチョフ訪中=第2次天安門事件の直前、中ソ論争終了、国交正常化 89胡耀邦こ よ う ほ う死去 → 民衆の民主化要求デモを李鵬り ほ う首相(総理)・鄧小平が弾圧(6月4日第2次天安門事件) → ちょう趙紫陽し よ う共産党主席(総書記)が失脚、江沢民が共産党主席(総書記)に 92★南巡講話 by 鄧小平 97香港返還(江沢民 ∽ 英ブレア)、99マカオ返還(from ポルトガル)→ 一国二制度を採用 ※一国二制度=社会主義国の中で資本主義体制を保証する枠組み 13 慶商 ※香港 =1842 南京条約でイギリス領になったが、155 年ぶりに返還 ※マカオ=1517 ポルトガル人来航、1557 ポルトガルが居住権 get、1887 正式にポルトガル領になった が、約 450 年ぶりに返還(これにより、西欧諸国のアジア植民地が消滅) 00江沢民の西部大開発プロジェクト(13 慶法)、01☆世界貿易機関(WTO)に加盟(16 慶商) 08四川大地震、北京オリンピック、“21Cの世界の工場”の立場揺らぐ 10劉暁波が中国人初のノーベル賞(平和賞)12中央法、★レアアース(希土類元素)産出

(39)(40)難問「1989年4月~胡耀邦の死去を一つのきっかけにして,学生らによる民主化要

求運動が起きたが~武力で鎮圧された。この事件は「(39)(40)」ともいわれる」とありま

すが、上記の通り、第2次天安門事件を指しますが、なんと語群にありません! よって、

第2次天安門事件の別名を問うているわけですが、上記の通り、6月4日に発生したこと

から、58の「六四事件」が正解です。難問と言えば難問ですが、語群にある事件・運動の

いずれもが不適切なので、正解を導けなくもありません。

(41)(42)難問「1992年,鄧小平は~「(41)(42)」を発表」とありますが、上記の通り、43の

「南巡講話」が入ります。受験レベルを逸脱した難問であり、合否には関係ありませんの

で安心して下さい。

(43)(44)中級「香港」

「マカオ」

「この両地域では「(43)(44)」によって50年間は資本主義体

制が維持」とありますが、上記の通り、01の「一国二制度」が入ります。

香港とマカオ

の一国二制度は2013慶應(商)も出題

しています。

(45)(46)中級「毛沢東と蔣介石との間で1945年に成立した,内戦の回避や協議の実施に関す

る取り決め」とあるので、以下の通り、30の「双十協定」が入ります。

双十協定は2013

青山学院(文)、2012中央(法)も出題

しています。

(14)

中 華 民 国 43☆不平等条約撤廃=日中戦争中、米英が大部分の租借地の治外法権を撤廃、法的平等実現 ↑14 上智 ※なお、ロシアとの不平等条約は 1919 カラハン宣言で撤廃 45 日中戦争、WWⅡ終了 → 抗日のための第2次国共合作が崩壊 45 年 10 月 10 日☆双十協定=毛 ∽ 蔣 → 内戦回避、政治協商会議の開催に合意 13 青文、12 中法 46☆国共停戦協定=☆米マーシャルの仲介(13 上智)で双十協定を確認 46 政治協商会議 at 重慶=中国統一のために開催、「施政綱領」を採択、平和に基づく建国を議論 but 中国国民党が国共停戦協定を破棄し、内戦(国共内戦)が再開。47○新中華民国憲法を施行。 ↓ 中国国民党(蔣介石)=米ソ両国から中国を代表する政党をされる but インフレへの無策、内部腐敗 vs 中国共産党(毛沢東)=40☆新民主主義、47☆中国土地法大綱(地主の土地所有廃止)発表 ※↑☆当時の中国は共産主義を実現できるレベルにはなく、まずは帝国 主義勢力や封建勢力からの解放が必要で、そのためには共産党 (労働者階級)が指導しながらも、農民階級や他の民主主義勢力 と協力して革命を進めなければならず、しばらくの間は純粋な社 会主義的政策や共産党一党独裁を行うべきではないとした理論。 ↓ 敗者の中国国民党(蔣介石)=49 台湾で中華民国政府(台湾国民政府)を継続 at 台北 ※国連代表権(常任理事国としての立場)を獲得 勝者の中国共産党(毛沢東)=49・10・1中国で中華人民共和国を建国 at 北京 ※49 人民政治協商会議にて建国(内戦の勝利目前に開催)

(47)(48)上級「台湾」

「外省人と内省人との対立を背景に,1947年に台北で生じた官憲に対

する大規模な抗議運動」とあるので、以下の通り、新課程用語の44「二・二八事件」です。

中華民国政府 (台湾国民政府) 台湾総裁 ∥ ~75 蔣介石 78 蔣経国 88李登輝 00陳水扁 08☆馬英九 WWⅡの敗戦で日本は台湾を撤退 47○新二・二八事件 at 台北=外省人(戦後、台湾へ移住した人びと)の警官が暴力的 にヤミタバコを摘発したことを契機に発生した民衆の抗議デモ but 弾圧 48~87☆戒厳令=☆本省人(戦前からの先住台湾人)の言論を弾圧 49 台湾で中華民国政府(台湾国民政府)を継続 by 中国国民党(蔣介石)at 台北 ※国連代表権(常任理事国としての立場)を獲得 ☆外省人=戦後、台湾へ移住した人びと(対義語=本省人) ※台湾の標語=☆大陸反攻(武力による中国大陸奪還)08 慶文 52~72☆日華平和条約 at 台北=日本が台湾放棄、台湾が日本に対する賠償請求権放棄 54~79(80)米華相互防衛条約=アメリカ ∽ 台湾(中華民国) ※↑13 上智 70年代中ソ論争により、中華人民共和国が日米に接近 → 日米は台湾を捨てる 71 中国の国連代表権交代=常任理事国の立場が台湾(中華民国)から中華人民共和国 へ → 72☆日華平和条約が終了、79(80)米華相互防衛条約が終了 ※↓13 上智

(15)

88~00李登輝り と う き(台湾出身)=中国・台湾は別個の国家とする「二国論」を主張 92☆中韓国交樹立=韓国(盧泰愚)∽ 中華人民共和国 → 韓国が台湾と断交 00陳水扁ちんすいへん(民進党)=中国国民党による政権独占に終止符 15 慶法 02★世界貿易機関(WTO)に加盟 08☆馬英九(中国国民党)=三不政策 → 中国に対して不接触・不談判・不妥協

(49)(50)難問「馬英九政権が掲げた中台関係に関する方針」とあるので、上記の通り、19の

「三不政策」です。しかし、これも受験レベルを超えた難易度ですから、正答率は低いで

しょう。

(16)

問題Ⅲ【グローバリゼーションの歴史】

(51)(52)初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、04の「中国で海上貿易を管理する役所で

あった市舶司は,唐の中期,泉州に初めて開設された。

」が誤文です。以下の通り、

「泉州」

ではなく、広州ですね。なお、

2016上智(2月4日 総合人間・経済・外国語・

神)が全く同じ正誤判定問題を出題

していました。

唐 第6代・最盛期 玄宗 (李隆基) (712~756) 玄宗が創設、宋 で完成した画院 =☆翰林かんりん図画院と が い ん ① 韋后一派を倒し、武韋の禍を平定、父睿宗から禅譲を受けて即位 ② 治世の前半=713~741 開元の治=玄宗の治世の開元年間を称えた言葉 ・兵制=749 西魏以来の府兵制(性質=徴兵制)から募兵ぼ へ い制(性質=傭兵制)へ ・節度使(募兵制で集まった辺境に設けられた軍団の指揮官)一般化(創始×) → 最初の設置は 710☆河か西せい節度使 by 第5代☆睿宗 ※広東省↓ ・(堤挙)市舶司し は く し設置(海上貿易全般の管理を扱う役所)at珠しゅ江こう下流の広州 → 宋代では秀州・明州・杭州・温州・泉州・密州にも設置、明代まで存続 編集の都合上、以下省略

(53)(54)初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、02の「バルトロメウ=ディアスは,かつ

て「航海王子」と呼ばれたエンリケの治世下で,

アフリカ南端の喜望峰に到達した。

」が

誤文です。以下の通り、

「航海王子」と呼ばれたエンリケの治世下」ではなく、ジョアン

2世の治世下です。

ポルトガル 都=リスボン ※テージョ(タホ)川の河口 1479~スペイン 都=マドリード ※フェリペ2世時代から 1143 カスティリャ王国から自立 → ブルゴーニュ朝ポルトガル王国成立 1385 アヴィス朝成立 ①ジョアン 1 世(1385~1433) 第3子「航海王子」エンリケが航路開拓奨励 ☆快速帆は ん船導入、天文台・航海探検センター開設 1415 セウタ(アフリカ西北端)攻略 ※同時期に1414~18 コンスタンツ公会議 1431 アゾレス諸島を発見 1445 ヴェルデ岬(アフリカ最西端)発見 1460 シエラレオネ到達、航海王子が死去 ②ジョアン2世(1481~1495)=貴族弾圧 1488嵐の岬到達 by バルトロメウ・ディアス ※↑アフリカ南端、王が喜望峰と改名。インド へ進むコースの可能性 up ← 1640~現在までポルトガル領 ①フェルナンド&イサベル(1474~1504)共同統治 1469 結婚 1479 スペイン王国成立 1492 レコンキスタ完了=ナスル朝の都グラナダ征服 ※イサベルの援助↓ 1492 サンサルバドル島に到達 by コロンブス ※↑現バハマ諸島上の島、聖なる救世主の意

(17)

(55)(56)初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、02の「1830年にストックトン~ダーリン

トン間で,鉄道の本格的な営業運転が開始された。

」が誤文です。以下の通り、

「ストック

トン~ダーリントン間」ではなく、マンチェスター~リヴァプール間です。

交 通 革 命 ① 1790 年代:無軌道蒸気機関車=炭鉱で使用 ② 1804軌道式蒸気機関車の発明 by トレヴィシック → 性能が低く、故障も多く、実用化には至らず ③ 1814、25 蒸気機関車の実用化 by スティーブンソン with 息子★ロバート ※1825 ストックトン・ダーリントン間で試験走行(☆ロコモーション号で客、貨物を輸送) 1830 マンチェスター・リヴァプール間で営業運転(☆ロケット号) ※1830 アメリカではボルティモア・オハイオ間 ☆鉄道建設順序=1830 英・米、32 仏、35 独・ベルギー、37 墺、38 露、1839 伊・蘭 ④ 1807 外輪式蒸気船で渡航=フルトン(米)→ 1830 年代後半以降スクリュープロペラ採用 ※1807ハドソン川渡航は☆クラーモント号、1819 大西洋横断はサヴァンナ号 ⑤ ☆運河=18C後半は運河時代と呼ばれ、1830 年代に鉄道が実用化するまで、輸送の中心だった

(57)(58)中級 誤っているものを選ぶ問題ですが、04の「イギリスは,19世紀末に世界一周

の海底ケーブル電信網を完成させた。

」が誤文です。以下の通り、

「世界一周」ではなく、

イギリス・インド間です。

第 2 次 産 業 革 命 期 モールス(モース) (米) (1791~1872) ① モールス信号を考案 ② 1837リレー式電信機を発明 ③ 1844(有線)電信機 → ☆ワシントン・ボルティモア間に世界初の電信線を敷設 ベル(米) (1847~1922) 1876 磁石式電話機を発明、1877★ベル電話会社(現ATT)を創設 マルコーニ(伊) (1874~1937) ① 1895無線..電信機を発明 ② 1899 英仏間の無線 .. 交信、1901 大西洋横断の無線 .. 交信に成功 ☆ロイター(英) 15 慶應(経済) ① 1851 ドーヴァー海峡に海底電信ケーブルを敷設(1866☆大西洋間、1870 ☆英・インド間、情報を通じての世界の一体化が促進) ② 1851 ロイター通信社(世界最初の通信社 at ロンドン)を創設、各地に派 遣された特派員が情報収集、1858 年にインド大反乱をいち早く伝達

(59)(60)初級 正しい順番のものを選ぶ問題ですが、03の「東インド会社の中国貿易独占権

廃止(1834年)━ 反穀物法同盟の結成(1839年)━ 穀物法廃止(1846年)━ 航海法廃

止(1849年)

」が正解です。

(61)(62)上級 誤っているものを選ぶ問題ですが、02の「1870年代以降の世界的な不況は,

第一次世界大戦まで続いた。

」が誤文です。以下の通り、

「第一次世界大戦まで」ではなく、

1890年代半ばまでです。

(18)

帝 国 主 義 時 代 の 単 発 知 識 ①株式会社が発展(世界初の株式会社=1602~1799 オランダ東インド会社) ②☆産業資本+☆銀行資本=☆金融資本(単なる公式だと思って単発暗記! 14 慶商) ③☆1870 年代以降の世界的な不況(1873 年恐慌)=1873 年、ウィーン証券取引所で発生した株の大 暴落と金融危機によって始まり、1890 年代半ばまで続いたとされる不景気。当時、アメリカからの 安い穀物の流入が原因となって慢性化していた農業不況も重なり、不況の長期化によって、企業の 集中・独占が徐々に進み、独占資本の成立につながった。 ④☆福祉国家=治安の維持や国防のためのみならず、一般国民の教育・衛生などにも政策の重点をお く国家。19C末以降、多くの国で労働組合や社会主義政党が合法化されたなどが原因で、政府も労 働者らの生活に配慮して成立。20Cに本格的に出現。 ※↓ex.仏の第三共和政 ⑤☆ベルエポック=WWⅠ以前の豊かな生活を享受できた楽観的な“素晴らしい(古き良き)時代”

(63)(64)上級 誤っているものを選ぶ問題ですが、03の「1980年代後半には,チリでGAT

Tの多角的貿易交渉が開始された。

」が誤文です。以下の通り、

「チリ」ではなく、ウルグ

アイだと判断できます。

1944 ブレトン・ウッズ 会議 at 米ニューハンプシ ャー州 ① ブレトン・ウッズ協定に基づく戦後の国際通貨体制 ※↓09 青学国政 =45~73 ブレトン・ウッズ(国際経済)体制(IMF・GATTガ ッ ト 体制)成立 ※備考=国際通貨制度は世界恐慌前が金本位制、世界恐慌後が☆管理通貨制 度、WWⅡ後がブレトン・ウッズ国際経済体制 ※性質=アメリカドルと各国通貨の交換比率を金 1 オ ン ス = 3 5 ド ル に 固定した固定相場制(金・ドル本位制)。ドルが基軸通貨に。 ※目的=国際貿易・為替の安定、世界経済の建て直し・発展 ※崩壊=米ニクソン大統領の金・ドル交換停止で崩壊 ② 45 国際通貨基金(IMF)を設置 by 英ケインズ(文化p.124) ③ 45 国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行)を設置 → IMFを補完 ④ 47 関税と貿易に関する一般協定(GATTガ ッ ト )成立 → 23 カ国が調印 ★国際貿易機関(ITO)計画に基づいて成立 ★“自由”“無差別”“多角”の三原則を持つ ※関税の引き下げ、各種の輸出入規制の撤廃に合意、自由な貿易を促進 → 86~94☆ウルグアイ・ラウンドで 95 世界貿易機関(WTO)に改編

(65)(66)難問 誤っているものを選ぶ問題ですが、02の「1946年に開発されたコンピュータ

にはトランジスターが使われていた。

」が誤文です。以下の通り、コンピュータは1946年

に開発が完成しましたが、トランジスターの開発は1948年です。よって、使われていたは

ずがありません。なお、

新課程の山川出版社の教科書p.400にも「第二次世界大

戦中のアメリカ合衆国で始まったコンピュータの開発は,1946年に実現した。

その後,トランジスターや集積回路(IC・LSI)などの開発で~」と明記

れています。

(19)

情報社 会・電子 工学(エ レクトロ ニクス) ラジオ放送 1920 アメリカ大統領選挙の開票放送が最初 06 慶商 → ハーディング大統領の当選を伝達 01 学経、13 中法 ※WWⅠ(1914~1918)の戦況を伝達× テレヴィジョン放送 (慶應、國學院) 1926☆ベアード(英)が発明 1929BBCと共同で実験放送 03 関西学院(商) 1936 ロンドン放送局が正式に放送 ※↑13 早社、10 明治(全)、12 松山、00・04 神戸学院 マス・コミュニケーション 新聞やラジオ・テレビなどのマス・メディアを用い、大衆に大量 に情報を伝達すること ☆トランジスター 1948 米で開発、真空管に変わり、電子機器の主要部品に コンピュータ 超高速で計算・記憶・情報管理を行う装置。1946 アメリカで初の コンピュータが完成(開発は第二次世界大戦中、弾道の自動計算 から)。IC(集積回路)・LSI(超大規模集積回路)・ULSI (超々大規模集積回路)の開発で飛躍的に発達 ※集積回路=多数の電子部品を狭い基盤に組み込んだ回路 ※パソコン=高性能化、小型化、低価格化で個人用に普及 ※コンピュータ・ウイルス=正常な機能を阻害するソフト ※情報技術(IT)革命=コンピュータやインターネット(軍事 目的で開発)の普及で発生した社会の急激な変化。生活レベル の飛躍的な向上と共に、ハイテク犯罪の増加が懸念される → 携帯電話もIT革命を推進

また、01の「アメリカにおける,弾道計算などを目的とするコンピュータ(電子計算機)

の開発は,第二次世界大戦中に始まった。

」と、03の「今日,インターネットと呼ばれる

通信網は,当初,軍事開発と関係があった。

」も、上記の通り、正文です。なお、

新課程の

山川出版社の教科書p.400欄外にも「コンピュータの開発は,第二次世界大戦

中の弾道の自動計算などのために始まり,インターネットもアメリカ合衆国

で軍事技術開発にあたっていた科学技術者間の通信手段として発展したよ

うに,当初は軍事開発に連関(教科書に「関連」ではなく、連関と書いてあります。

)して

いたが,その後は民間にも転用されていった。

」と明記

されています。

(20)

問題Ⅳ【ポーランド史】

(67)(68)初級「ポーランド」

「この王朝は14世紀前半には(67)(68)大王のもとで繁栄」とあ

りますが、

「この王朝」とは、以下の通り、ピアスト朝を指しています。よって、09の「カ

ジミェシュ」が入りますね。

ポ | ラ ン ド ポーランド人 (西スラヴ人の 一派★ポラニエ 族に由来) ☆ピアスト朝 840~1370 ※カトリック受 容は960(966) 年 ① 1241ワールシュタットの戦いで国土が荒廃 =ポーランド・ドイツ連合軍(☆シュレジエン侯ハインリヒ) vs モンゴル人のバトゥ ※ワールシュタット=“死人の山”、現リーグニッツ(レグニ ツァ) ② 1333~70 最盛期=カジミェシュ(カシミール)大王(3世) ※クラクフ大学を創設、ドイツ騎士団の入植やユダヤ人の移 住を奨励、農民の待遇を改善、法律を整備、ピアスト朝最 後の国王でもある ヤゲウォ (ヤゲロー)朝 正式名称=リト アニア・ポーラ ンド王国 都=クラクフ (1386~1572) ① 1386 ポーランド女王の☆ヤドヴィガと 14C成立のリトアニ ア大公国のヤゲウォが結婚して成立した同君連合国家 ② 貴族(☆シュラフタ)による身分制議会が発達 ③ 1410 タンネンベルクの戦い vs ドイツ騎士団 ④ 1543「天球回転論(天球の回転について)」 by クラクフ大卒のコペルニクス(地動説、地球球体説を主張) → 死の直前に発表 選挙王制時代 (1572~1795) ① 国王選出権、身分制議会での拒否権などを掌握する貴族(☆ シュラフタ)と結んだ外勢力の選挙干渉を招き、国力衰退 ② ☆1610 モスクワ大公国のイヴァン4世死後、モスクワ侵攻 ③ ☆1655 スウェーデン王☆カール 10 世がポーランドに侵攻

(69)(70)初級「

(ポーランド)分割に抵抗」とあるので、19の「コシューシコ」ですね。

【アメリカ独立革命(一部のみ)】 1778 米仏同盟 by 米フランクリン(駐仏公使)→ 1778 フランス参戦(ルイ 16 世)※14 世は× ☆フランス参戦の理由=1763 パリ条約で失った北米植民地(カナダなど)の回復を狙ったから ※フランクリン=代表的なアメリカ人、米仏同盟を結成、科学者としては避雷針を発明 ※外国人義勇軍参戦(徴兵ではなく、自発的に参加する兵、軍もアメリカ側で参戦) ①ラ・ファイエット=仏人、フランス革命のフイヤン派の指導者、ワシントンの参謀としてヨークタ ウンの戦いの勝利に貢献、七月革命の国民軍司令官 ②サン・シモン =仏人、空想的社会主義者 ③コシューシコ =ポーランドの愛国者、サラトガの戦いや要塞建設で功績を認められ、アメリカ市民 権を獲得、ワシントンの副官、帰国後に第2回ポーランド分割に抵抗 ④☆ミランダ =ベネズエラの独立運動指導者

編集の都合上、以下省略

(21)

(71)(72)初級

増田塾ホームページの「直前特別講義(映像授業)

:テーマ史(音

楽史)が的中!

「ポーランド人作曲家(71)(72)は民族音楽を用いて~作曲」とあるので、以下の通り、

22の「ショパン」ですね。

ロマン主義音楽 ショパン (ポーランド) “ピアノの詩人” ①1830~31ポーランド反乱(露ニコライ1世の支配に対する反乱)での☆ワルシ ャワ陥落を演奏旅行中に知り、ピアノ練習曲「革命(のエチュード)」を作曲 ②ポーランドの民族舞踊のメロディーをもとにピアノ曲を作曲 ③「ノクターン(夜想曲)」「別れの曲」

(73)(74)初級「ヴェルサイユ条約」

「(73)(74)が国際連盟管理下の自由市となった」とある

ので、以下の通り、26の「ダンツィヒ」です。

1919 年6月 28 日:独に対する

ヴェルサイユ条約

atヴェルサイユ宮殿(バロック様式)の☆鏡の間 ① アルザス・ロレーヌ をフランスに返還(独は普仏戦争で獲得していた) ② ポーランド回廊 をポーランドに割譲 → 東プロイセンとドイツ本土の間に位置、ポーランドがバルト海へ出 られるようになった ③ ☆(北)シュレスヴィヒ をデンマークに返還(独はデンマーク戦争で獲得していた) ④ ザール地方 は国際連盟管理下に置き、15 年後に住民投票で帰属決定とする ⑤ ダンツィヒ(現グダニスク)は国際連盟管理下の自由市とする(ポーランド唯一の海港) 編集の都合上、以下省略

(75)(76)初級「ポーランド=ソヴィエト戦争」

「この時にポーランド軍を率いた」とあるの

で、以下の通り、36の「ピウスツキ」です。

1918~1922 対ソ干渉戦争(内戦に対する外国軍の軍事干渉戦争) =連合国(資本主義の最高段階=帝国主義)はソヴィエト政権(社会主義)打倒のため、反革命軍(白 軍)を支持 ※↓目的=★東部戦線の維持 ・1918 イギリス軍の☆ムルマンスク上陸を皮切りに、宣戦布告もなしにロシアに侵入 ・1918~1922 アメリカの提案を受けた日本軍主力のシベリア出兵 by 寺内正毅まさたけ ※契機=大戦中ロシア軍に投降していたチェコ軍団の反乱 ※詳細=チェコ兵捕虜の救出を口実に、米、中、英、仏も出兵 but 米、中、英、仏が撤兵後も、日 本は 1922(☆北樺太は 1925)まで駐兵(南樺太は 1905 ポーツマス条約で日本領)、☆尼港 (ニコライエフスク)事件をまねき、内外から非難 ・1920~1921 ソヴィエト・ポーランド戦争(ポーランド・ソヴィエト戦争) =ポーランドが領土拡大(第1回ポーランド分割以前の領土回復)を目的に、ソヴィエト・ロシア に侵入、その後ロシアが巻き返したが、最終的に 1920 ワルシャワでポーランド(国家元首=ピウ スツキ)が大勝 →“★ヴィスワ川の奇跡”、★リガ条約 ↓ ソヴィエト・ロシアはイギリス、日本、ポーランドなどに苦しみ、勝利できず .....

(22)

立」とあるので、以下の通り、44の「ホルティ」です。ホルティは基本的ですが、なぜか

受験生は意外とできません。

ハンガリー共和国 ↓ ハンガリー王国 (都=☆ブダペ スト) 1918 オーストリア・ハンガリー二重帝国の解体で分離独立 → 共和政を採用し、ハンガリー共和国に 1918~1919ハンガリー革命 by☆ベラ・クン(クン・ベラ)07 学習院(文) =WWⅠ敗戦と独立の混乱期に、ハンガリーの社会党・共産党がロシア革命になら ってソヴィエト政権(☆ハンガリー・ソヴィエト共和国)を樹立した共産主義革命 butホルティとルーマニア軍の侵入で打倒された 1920ホルティが王政を復活し、ハンガリー王国に → 国王不在のまま、摂政ホルティの権威主義体制が成立、トリアノン条約締結 ○新権威主義体制=民主主義体制と全体主義体制の中間に位置する体制。スペインの フランコ体制、東欧の強権体制、戦後の発展途上国の開発独裁などが該当する

(79)(80)初級「ポーランド」

「ドイツ」

「国境」

「(79)(80)線」とあるので、08の「オーデル

=ナイセ」が入ります。

ポーランドとソ連の国境線 =☆カーゾン線(カーゾンライン) ※1905~11ベンガル分割令(カーゾン法)のインド総督☆カーゾン (英)に由来 ポーランドとドイツの国境線=オーデル・ナイセ線 ※オーデル川と支流のナイセ川に由来 フランスとドイツの国境線 =☆マジノ線 ※マジノ要塞を建設した仏マジノに由来

(81)(82)初級「1956年6月にはポズナニで生活改善と民主化を要求する民衆の暴動が起こ

り,軍や警察と衝突した。これに対して共産党は,失脚していた(81)(82)を第一書記とし

て復権させることで国民の不満を抑え」とありますが、以下の通り、20の「ゴムウカ」が

適切です。

1952~1989 ☆ポーランド人 民共和国 2011 立命館 (都ワルシャワ) ※1978~2005 ポーランド人初 の教皇☆ヨハ ネ・パウロ2世 が就任 45★統一政府が成立、国際連合の発足時の元加盟国に、47 総選挙で反共勢力を一掃 52★人民共和国憲法を採択 56ポーランド反政府反ソ暴動(☆ポズナニ暴動)at ポズナニby 労働者・学生 =生活改善と民主化を要求する大衆(労働者・学生)と、軍・警察が衝突 → 共産党は指導者をゴムウカ(ゴムルカ)に交替させて自由化路線へ ※共産党第一書記に返り咲いたポーランド政府のゴムウカ(ゴムルカ)が暴動を鎮圧 し、自主解決 .... (失脚×)したので、ソ連は介入せず ....... 70☆ポーランド反政府運動=政府による生活必需品の一方的な値上げ発表に、労働者ら が反発。ゴムウカ政権が崩壊、70~80★ギエレク政権へ。 80 合法的で画期的なポーランド自主管理労組ろ う そ「連帯」by ワレサ ※政府の食料品価格の大幅な値上げに対する全国的なストライキの発生で、政府が譲 歩を迫られて設立を承認、★ギエレク政権打倒 81 党、政府、軍の三権を握る☆ヤルゼルスキ(12 中央法)首相が☆戒厳令を発布し、 「連帯」を弾圧、89 大統領に 90ワレサが大統領に就任

(23)

(83)(84)初級「(83)(84)川沿いの都市キエフ」とあるので、以下の通り、31の「ドニエプル」

が適切です。

882~1240 キエフ公国 (キエフ・ル ーシ) 都=キエフ ① リューリクの後継者オレーグが北ロシアのノヴゴロドからドニエプル川を南下して、 現ウクライナのキエフで建国、ノルマン系だったがスラヴ化 ② 988最盛期ウラディミル1世がギリシア正教に改宗、国教化 ※ビザンツ帝国(マケドニア朝)のバシレイオス2世“ブルガール殺し”の妹☆アンナ と結婚した影響。ビザンツ化と農奴制を推進。 ③ 黒海とバルト海を結ぶ交易ルートを支配、ビザンツ文化を受容して繁栄

(85)(86)上級 正しいものを選ぶ問題ですが、01の「16世紀末,ロシアではイヴァン4世が

死去しミハイル=ロマノフがロマノフ朝を開いたが,その後社会は混乱し,動乱時代と呼

ばれた。

」は誤文です。以下の通り、

「動乱時代」らしき内紛が発生したのは、ミハイル=

ロマノフがロマノフ朝を開いた後ではなく、開く前です。なお、

新課程の山川出版社

の教科書p.222にも「イヴァン4世の死後しばらく内紛が続いたが,1613年ミ

ハイル=ロマノフを祖とするロマノフ朝が成立し,専制支配と農奴制が強化

された。

」と明記

されており、やはり「動乱時代」らしき内紛が発生したのは、ロマノ

フ朝の建国前になっています。

モ ス ク ワ 大 公 国 最盛期 イヴァン4世 “雷帝” 1533~1584 ※大貴族を弾圧す る恐怖政治、農奴 制再強化 ① 1547 親政開始、称号ツァーリを正式に使用 ※以後のロシア皇帝の専制政治=ツァーリズム ② 1552 キプチャク・ハン国系のヴォルガ川中流の☆カザン・ハン国、1557 キプチャク・ハ ン国系のヴォルガ川下流の☆アストラハン・ハン国を征服 ③ 1581 シビル・ハン国を征服 → シベリア経営開始 by コサック族長のイェルマーク(イヴァン4世からシベリア開発の許可を 得た豪商★ストロガノフ家に仕えた) ④ ☆聖ワシリイ大聖堂を建立(11 早教) ⑤ ☆死後、内紛。1610 ポーランドがモスクワに侵入。 ロ マ ノ フ 朝 ミハイル・ロマノフ 1613 建国、父親が実権を握ったが、1633 から親政、農奴制を強化 ☆アレクセイ 1667(70)~71 ステンカ・ラージンの乱を鎮圧 ※コサック出身、農奴制強化に対し反発、ドン川・ヴォルガ川流域を占領、カ スピ海南岸まで拡大、ツァーリからの独立を唱えたが、処刑された ピョートル1世 (大帝) (1682~1725) ①1689 ネルチンスク条約 ∽ 清(康熙帝) ※国境=スタノヴォイ山脈(外興そとこう安嶺あんれい)&☆アルグン川 ※対等条約 but 清に有利な内容 ★清にアルバジン割譲、露を朝貢国扱い 編集の都合上、以下省略

また、02の「ポーランド人の天文学者コぺルニクスは1543年に『天球回転論』を著し地

動説を唱えたが,カトリック教会によって異端とされ,公開処刑された。

」も誤文です。以

下の通り、コペルニクスは死の直前に地動説を発表したので、処刑されていません。

(24)

ヤゲウォ (ヤゲロー)朝 正式名称=リトアニ ア・ポーランド王国 都=クラクフ (1386~1572) ① 1386 ポーランド女王の☆ヤドヴィガと 14C成立のリトアニア大公国のヤゲウ ォが結婚して成立した同君連合国家 ② 貴族(☆シュラフタ)による身分制議会が発達 ③ 1410 タンネンベルクの戦い vs ドイツ騎士団 ④ 1543「天球回転論(天球の回転について)」 byクラクフ大卒のコペルニクス(地動説、地球球体説を主張) → 死の直前に発表

さらに、04の「この時期のスウェーデンはバルト海に進出し,1648年のウェストファリ

ア条約でケーニヒスベルクを得てバルト帝国と呼ばれた。

」も誤文です。以下の通り、

「ケ

ーニヒスベルク」ではなく、西ポンメルンとブレーメン大司教領です。よって、残った03

の「ポーランド国王ヤン3世は,1683年にウィーンを包囲したオスマン帝国軍を撃退する

のに貢献した。

」が正文だと判断できます。もちろん、

「ヤン3世」を知っている受験生は

誰もいないと思いますが、消去法で正解を得られるように作られていますね。

1648 ウェストファリア条約 at 独ウェストファリア地方の都市☆ミュンスターと☆オスナブリュック ① 世界初の主権国家間会議(イギリスは1642~49ピューリタン革命中で三十年戦争自体に不参加) ② 勢力均衡に基づく主権国家体制(ウェストファリア・システム)を確立 ③ カルヴァン派公認(カトリック or ルター派のみの 1555 アウクスブルクの和議の欠点を解消) ④ 神聖ローマ帝国内の領邦国家の主権を承認、神聖ローマ帝国の有名無実化 → 神聖ローマ帝国は 300 以上の領邦(国家)に事実上解体し、1つの帝国としての機能を喪失(名目 のみ 1806 年まで存続、滅亡は 1806 年 by ナポレオン1世)、ウェストファリア条約は“神聖ローマ 帝国(ドイツ帝国)の死亡診断書”と言われる) ⑤ ブルボン家 > ハプスブルク家(フランスのブルボン家の優位が決定的に) ⑥ スイス・オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の独立が国際的に承認 ※前者は神ロ国(ハプスブルク朝)、後者はスペイン(ハプスブルク朝)から独立 ⑦ ★帝国議会へのフランス・スウェーデン代表の出席・議決権の承認 ⑧ 仏がアルザスとロレーヌ(ヴェルダン・メッス・トゥール3司教領)地方 get from 神(ハプ家) ⑨ スウェーデン(☆クリスティナ女王)がバルト海沿岸(北ドイツ)の西ポンメルン、☆ブレーメン大司 教領 get → ☆バルト帝国と呼ばれる繁栄へ ※12 青学(総合)、法政(法、経営、文)

(87)(88)初級「1905年には「血の日曜日事件」が起きたが,この時民衆のデモを率いた司祭」

とあるので、以下の通り、12の「ガポン」です。

1904~05日露戦争中に1905血の日曜日事件at 都ペテルブルクbyガポン(聖職者)、労働者 ※日露戦争の戦況が不利になる中、ペテルブルクの冬宮への平和請願のデモ隊に対して軍隊が発砲し、 多数の死傷者が出た事件。各地で都市労働者を中心とした暴動が発生。民衆は皇帝ニコライ2世への 信頼を失った。

(89)(90)上級「この年(1939年)イタリアは,かねてより保護国としていたバルカン半島の

ある国に対して軍事行動」とあるので、以下の通り、04の「アルバニア」ですね。

参照

関連したドキュメント

支援級在籍、または学習への支援が必要な中学 1 年〜 3

一貫教育ならではの ビッグブラ ザーシステム 。大学生が学生 コーチとして高等部や中学部の

明治 20 年代後半頃から日本商人と諸外国との直貿易が増え始め、大正期に入ると、そ れが商館貿易を上回るようになった (注

 文学部では今年度から中国語学習会が 週2回、韓国朝鮮語学習会が週1回、文学

その1つは,本来中等教育で終わるべき教養教育が終わらないで,大学の中

Mercatoriaが国家法のなかに吸収され, そし として国家法から

以上の検討から,ひびの起点が高温割れであると仮定すると,実機で確認された最終的 なひび形態の中で,少なくとも 45% 以上を占める Type A ~