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本門事觀史

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Academic year: 2021

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(1)

本 事 現 史 門

日 守 S H F B

u~ ~~ 一 線 論 二 事 翻 史 前 期 事 理 未 分 時 代 第 一 期 事 調 融 通 時 代 一 地 符 不 二 の 事 観 設 二 天 良 湖 朗 の 事 親 設 第二期事四四分権時代 一 明 題 事 行 の 事 親 設 二 事 理 不 二 の 事 叡 設 三 事 親 分 離 の 事 観 設

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第 後 期 事 観 確 立 時 代 第 三 期 事 翻 分 陸 時 代 一 草 山 一 家 の 事 制 創 設 二 叡 如 透 耐 の 事 現 説 三 富 士 寛 附 等 の 受 持 事 観 設 問 合 掌 受 師 等 の 但 信 事 観 設 第 四 期 事 磁 確 立 時 代 一 義 導 二 郎 の 二 種 事 親 設 ニ臨賢智三郎の法具市中貌設 三 優 陀 那 日 輝 の 口 唱 事 叡 設 宗皐の問題としての事観 本門の事制とはいふ迄もなく迩門の理観に封する語であり、天台の﹁説己心中所行法門﹂たる観念修詮の法華行法 視に封ずる、宗岨の﹁受持譲興﹂の唱題信詮の法華行法観であり、像法過時の止観に封する末法臨時の受持妙行をい

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ふ の で あ る 。 由来天台の止観は受持等の五種妙行を説いた法華の行法を解するに、営時大陸に於ける伸哉観たる、般若等に誌か れた菩薩の行法たる六度の行訟をしたものである。換言すれば三乗等賜の大白牛車を解するに、長者誘引の羊鹿牛の =一車の中の牛車を以でしたものである。故に此の点より見れぽ倖殺が﹁守護章﹂に慈恩の﹁法華玄賛﹂を評して、﹃雄 賛法華還死法華心﹄といへる認は‘移して以て法華の行法として天台の止観を評する語ともすべきである。それのみ ならや今の事観は﹁日女紗﹂に﹃五種頓修の妙行﹄︵

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と構し、偉殺が道遼相承の五種妙行具足の受持一行で‘正し く 一 脚 力 別 付 の 末 法 の 行 法 で る る 。 今 と れ を 内 一 市 組 の 一 代 の 弘 通 に 見 れ ば 、 開 市 一 京 営 初 よ り の 題 目 は 正 し く こ れ で あ る が 、 そ の 解 阻 停 に 就 て は 佐 前 佐 後 の 進 退があって、佐前には或は棋に利鈍を分って上根には止視の親解を許す謹もあるが、佐後は題目を以て利鈍順逆一同 の行法と説き、剰へ ﹃ 末 法 に は 余 経 も 法 華 ・ 経 も 詮 な し 、 但 南 無 妙 法 蓮 華 経 な り ﹄ ︵ 一 抗 ︶ と も 、 ﹃ 題 目 を は た れ て 成 俳 あ り といふ人は、僻説なりとも用ゆべからや﹄︵勾︶とも判じて、題目受持の一行を以一て末法の妙行とせられたのである。而 して此の妙法受持の一行を以て末法の事観となし、天台の理観を以て像法過時の去謄咋食の法左りと判ぜられたので ある。即ち﹁治病紗﹂に 一 念 三 千 の 視 法 に 二 あ り 、 一には理、こには事なり。天台侍救の御時には理也。今は事也。胡念すでに勝る L 故 に 大難又色まさる。彼は遮門の一念三子、此は本門の一念三千也。天地はるかに殊也 0 ︵ 主 ︶ と述べられた此の事理の別乞以て、天台の一念三千の理観に封して‘︷一京岨の唱題の妙行乞以て末法一同の事観と解す るのが通誕の意である。然らば今の事組と﹁本隼紗﹂に所謂 本 門 事 叡 吏 九

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事 観 史

像 法 中 末 観 音 薬 玉 、 一 不 一 一 現 南 岳 天 台 一 出 現 、 以 = 謹 門 一 得 レ 表 、 以 = 本 門 一 得 レ 裏 、 百 界 千 如 一 念 三 千 謹 ニ 共 義 − 。 但 論 コ 理 具一事行南無妙法蓮華経五字、並本門木等未=慣行− L 之 、 所 詮 有 = 闘 機 一 無 = 固 時 4故 也 。 ︵ 杭 問 ︶ とある今の事行との同異如何といへば、此の交に依れぽ事行、とは、正しく三踏の二法の中本門の本傘に封する題目を 指して居る如く、三副の中口唱の題目を以て、三柑具足の妙行たる事視に封して事行といふのも‘とれ且らく問単なる 口唱の題目を以て、蛙嶋蛸・喋に比した一往の分別である。占ハ組が﹁輔行﹂に 椛 便 殻 心 不 = 員 貫 一 者 、 縁 = 於 正 境 ↓ 功 徳 猪 多 、 故 知 若 非 = 正 境 ↓ 、 縦 無 = 妥 協 − 亦 不 レ 成 レ 種 ︿ 一 ノ 四 FJ といへる如く、的の無き矢、目的のなき行は徒勢に師するからである。かくの如く能信の因と所信の境のなき題目は 行法とはなら歩、勿論成悌の因たる

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行を成ぜぬからである。而し乍ら末法に於ける唱題の行は、若し﹁四信五口叩紗﹂ に依れば﹁以信代慧の妙行﹂であり、﹁営休義紗﹂に﹃信=法華経 4唱=南無妙法蓮華経一﹄の信唱の行であり、叉﹁本隼 紗﹂に﹃受持謹輿﹄の妙行に外ならぬのである。併し乍ら事観の展胡史に見れば‘聖減四百年頃に至って,次第に口唱 の事行の外に接解的事観を認めて、車なる口唱の事行と簡ぽんとした故に、事観と理観と矛混同するに至った様であ る。勿論事視の製解的説明は重要であるが、此の方面の説明はとれ哲接的事翻であり、宗教的行法即ち末法一同の法 華の行法に封しては事観の根操ではあるが、有智無智一同の行法たる所謂事観の妙行とは別に研究すべきである。随 って庚く営家の事観には事観の哲皐’ t 宗教との雨面があるべきであるが、通詮に従へぽ末法一同の妙行たる宗教事観 を以て営家の事観とすべきであらう。今日庫一・界に問題になりつ L ある道元哲島?なるものは、他の皐解的本莞の方面を 指したものであらう。 随って宗皐の設展の上にも自ら此の二商が錯綜して居る故に、最密には雨者分って研究すべきである。此のととは

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﹁ 諸 法 貨 相 紗 ﹂ に は 行由宇の二道をはげみ候ペし。行撃たへなば僻法はあるべから歩、我もいたし人をも敬化候へ。行撃は信心よりをと るべく候。力るらば一文一句なりともかたらせ給ペし

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と宗凪自ら宗義にも行と畢との二途のある乙とを明し.信心 bL 以 て そ の 根 本 と し 、 一同は他事を捨て主唱題即観の行 を修すべきであるが、カあらば皐解の事翻も研むべきことを勧奨されて居るに依ても知ることが出来る。宗岨の弘通 も行の事観 b L中心とせられて居る故に、今も行の事翻を中心として述べ、由宇の事観をも平行して述べたいと思ふが、 史的叙越の性質上混靖的記越は菟れないであらう。更に遺文に於ても前越の如く位前にあっては、上根に理観を許容 せる、例へぽ﹁持法華問答紗﹂の 一切衆生皆成伸遣の敬・なれば、上根上機は観念観法も然るペし、下根下機は唯信心肝要也。

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の文、並に﹁十章紗﹂の 毘貰に園の行に順じて‘常に口宇さみにすべき事は南無妙法蓮華経なれ。心に存すべき事は一念三千の観法たり。 とれは智者の行解たり。日本園の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととたへさすペし。会

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等の如く、上根智者は観念観法とある文に依て、末法に於ても上根観念の意あるより・古来上越の事観ならざる理観 も亦末法の行法・なりとの設をたし、就中上掲の二文に依てとれを主張した先師も多 k あったのである。故に宗祖弘通 の事観とは﹁報恩砂﹂等に﹃一同に他事を捨て L 南無妙法蓮華経と唱ふペし﹄︵信︶等といへる、末法一同の行法とし ての信心唱題即ち受持一行を以て事観とすべきである。随って﹁本隼紗﹂に所謂事行も右の意を得れば末法一向。事 観の意と解すべきであり、﹁治病紗﹂の事観と今の事行と同義とも解すべきである。若し末法に一同の妙行事観以上に 本 門 事 観 史

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本 門 事 観 史 態解の事観ありとすれば‘且らく三副の一般的妙解たる信以上の根本的の皐解事視と一般的信唱妙行の事組とに分つ べきであって、今且らく前者を妙解といへば妙併は撃の事翻・妙行は行の事視で、此の妙行事問は事行即事視でとれ を天台の理視に釘して末法一同の事視とし、末法弘通の行法とするのである。併し事視に就て皐解と信唱の二種事制 を分つことは、﹁得受職人功徳法門﹂に 於 ニ 今 経 受 職 濯 頂 之 人 二 一 人 、 一 道 一 俗 、 於 ι道復一二正修事解了之受職、二只信行之受職也。於 b 俗 又 二 例 レ 道 司 レ 知 ︵ 一 一 J の文に依て、道俗各皐解信行の二人ある中、正しく道の墜解を以て今の皐解事観人 E な し 、 俗 の 車 十 解 も 勿 論 こ れ を 許 す べ き で あ る 。 かくの如く遺文に於ける事視の所明は一様ではない。併し往土日に於ては今日の如く容易に遺交が題視し得られなか った故に、聖減二三百年頃までは勤もすれば、或一文に執して全体を解樫せんとしたる視がある。且つ聖減二百年頃 までは一般に法華宗といへば‘天台宗のことで本宗の如きも天台の一抵の如く見倣されたのであった。且つ折伏とい へば何時も四筒格言を振姐して、営るべからざるものがあったにしても、その宗義に於ては比較的幼稚で、恰かも天 台

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延長の如き観があったのである。随って事翻 bL 解するに境智不二、事理不二、天民猫朗等の語を使用し時に事共 の妙朗、事行の三千等の語を以でしたのであるが、輝師が天台の理観を解するに、所前無相不可見の語を以でしたる に封し.営家の事視は∼ハ組の有相不可見の見解を出でぬが如き視があったのである。市して漸くその説明をなすに至 って﹁本傘妙﹂の事行の請を以て営家の事視を解賭せんとするに至ったのである。されば事担の民相を明らにするに 至ったのは、全く近世の事に属するのである。且つ前越の如く事視の解に墜解、妙行の雨様の別を分ち得る内容を有

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する故に、自ら雨解が錯綜して多種多様の解を見、蘭菊の美も菅ならぬものがあったのである。 右犠の前提の下に今事観の展開史を謹ぷるに営って、且く大別して事理未分と、事観確立の前後二期に分つととに する。而して聖減六百五十八年の今日迄の聞を二分して、聖減後四百年国までを前期の事理未分時代、その後今日迄 を後期の事翻確立時代とする。今斯く翠滅後を雨期に分つ所以の根本の理由として‘我等は遺文刊行の事を以てすべ きである。遺文の最初に刊行せられたのは、天和八年聖減三百四十一年の功徳通師の﹁録内﹂四十巻で、その後寛永 年間に於ける録内の三版を粧て、聖誠三百八十一年即ち寛文二年に於ける﹁録外﹂二十五巻の刊行を見るに至ったの である。更に同年銭外の再版並に録内の第四版の刊行を見、此に録内外整来して公刊せらる L に至ったのである。此 にその封象を得て、宗撃の研究も始めてその本筋に入ったといふべきであらう。此に於てか妙解事組の命題ともいふ ペき﹁事がま L ﹂の語を以て事翻を就いたのが、聖減四百三十五年に入寂した翻如透帥であった。師は録内四十巻を 研鎖すること貨に前後四回、遺文に依て宗撃の中心問題を研討し、従来の所謂六十容時首の官官套を枕した、後期に於 ける事翻確立の素地は、全く遺文刊行の結果といふも過言ではない。 斯の如く遺文の刊行を劃して宗属一主に前後二期を劃すのであるが、更に使宜上之を各二期に八刀って、事脱皮を述べ んとするものである。前期事理未分時代の四百年を且く第一第二の二期に分ち、最初の二百年聞を第一期事現融通時 代、後の二百年を第二期事理分離時代とする。第一期は六老借を始めとして、照本の什師に至る約二百年間で、宗祖 を台岨に簡んで本門大師と呼び、第三法門、三大秘法、事行の一念三千、事行の南無妙法蓮華経等の語を附ゐて居る が、事制を説くに天真調朗、境知 H の妙法、九識の元意.本地果分の内誰等の台家附順の語を用ゆるのみならや、事理 融通に立ち有相不可見の意を出でぬ故に、思想的にも天台踏襲時代といふべきである。 本 門 事 観 史

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本 門 事 貌 史 四 若し第二期の事理分離時代に至つては、﹁治病紗﹂に依て事理二視を分たんとした時代で、八品の隆師の如きは事制 とは本畳の信行、易行間心等と述べ、唱表問一裏の信唱事行設を・なした。然るに日疋等の勝劣抵の主張に封し、 一 般 抵 の 日耀等は事理の別は不二の翻心の上の越本、罷折、心色等の別と解し、全く前期の融通思想を脆し得なかったのであ る。更に此の時代には右の思想と相平行し、﹁問答紗﹂の上観下唱、﹁十章紗﹂の智者解行、在家唱題の佐前営分の詑に 支哩せられて、事理不二の上に上根は三島一具足の翻心、下根は一同信唱の妙行と解し、叉砕蒙講師等は﹁五品紗﹂に 依り、再往末法一同下根信唱と判じ、事問事行而二不二の解を見たのである。故に本期を且く事理分離時代と稿した の で あ る 。 若し後期事観確立時代の二百六十年間の中、前の約百年間を第三期事観分離時代、後の百六十年の初期を第四期事 観確立時代とする。而して第三期分離時代の幕は、全く草山の即心之色の語に開かれ、観如透帥の﹁事がま L ﹂の主 張に依て、漸く堂家の事観の調自性を見るに至り、唱題非観、修観共許等の問題が提供されたが、未だ﹁問答紗﹂の 拘束を院し得なかった時代である。然るに富士の日寛は受持事観設を左し、合掌日受は口唱は信心を増谷すてふ但信 事観設 b 1見たるを第三期の事親分離時代とする。 然るに嘗時中村檀林の皐徒に宗阜大成の聯盟を見、就中上最日義は末法に信法二行を分って、信唱皐解二種事観の 別 を 主 張 し 、 一妙日導は佐前後法門の異相を判じて信唱事観設を力説した。若し本妙日臨は事観に事理を分って日義 の二種設を分明ならしめ、且つ法具事観設をなし、智朗日賢、桓容日知日は共に臨師設に立ちて信解二種事観読を究め 絡に優陀那日輝の唱題事観の口唱事観設を以て‘且らく本門事観の最後第四期事観確立時代とする。かくて明治に至 つては泰西の科壊輪入に依り、宗庫一も再吟味の時代に入ったが事観も亦同一一過程に−あるといふべきである。

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第一期

一、境知日不二 の 事 観 読 事理融通時代とは事視理観の融通を意味し、強ていへぽ理観の中に事観を立てんとした時代である。若し事観の上 から見れば事観確立の前提を在す未分時代で.聖減二百年頃までをいふのである。との時代に在ては境智不二、事理 不二、天真調朗の上に立って、題目を以て事具の妙観、事行の一一一千等の語を以て表し、随って事視といふも六組の有 相不可見の意を出でなかったのである。故に事観といふも天台の理観の延長の如きもので、斯の如き時代を事理融通 時代と稀するのである。 此の時代に在ては六老借を初として、但宗祖弘通の妙法元字を以て直ちに末法の要法とたし、その解に至つては、 諸門流中中山門流の日常、目前・ 日排の如きは、本地難思の境智を以て事視と判じ、宮士門流の日興、日順、日浦、 日叡等の如きは、天真濁朗の事行を説き、且く境智不二、天員猫朗の上に事観を説かんとしたものである。 宗岨御入減営時に於ては、干ハ老借等を初めとして一般に宗祖所弘の妙法五字を以て、末法底時の攻法と解して、準ん で敬皐的に解四押せんとする要を認めなかったのである。されば六老借中日朗︵文隈元年七十六歳寂宗一−

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の如きは弘 安八年の﹁巾欣﹂に、﹃天台沙門﹄と補して営時の権一一貫雑乱を札明し、後五百歳の金言を仰いで妙法五字を弘通するを 以て、その使命とせられた公示会主︶のである。叉身延第二組日向︵正和三年六十二歳寂事一一訓﹀も、嘉暦四年の﹁申 本 門 事 観 史 一 五

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本 門 事 観 史 一 六 欣 ﹂ に 安 閣 諭 に 依 り 、 妙 法 流 布 を 以 て 所 期 と た し ︵ ︷ 一 不 全 一 日 持 \ 叉 日 頂 ︵ 嘉 牌 三 年 干 一 定 引 七 十 七 歳 寂 ︶ は ﹁ 本 傘 紗 得 意 紗 副 香 し に 本門事行が要中之要.下種之市

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艇 な り 。 ︵ 宗 全 町 時 ︶ と越ぺ、中山の日高︵正和三年五十八歳寂︶も、亦﹁安岡論﹂の主張に依り妙法弘通を以て‘その行事としたととは つ巾蹴﹂に附かなる如く、円疋等の諸師は妙法の弘通を以て弘通の眼目とし、此の妙法以外に事視は・なかったのである。 とれ聖減四五十年間の紋態である。 併し乍ら右の如き箪訟る擁質論に立つ漫然たる正法主義では、全く事制の何物かを解するととは出来ぬ。若し宮木 日常は弘安六年の﹁翻心木等紗私見聞﹂に於て 抑天台宗並法華宗諸人廃立‘繭前掛一円本門翻心立=間保五重勝劣二本語有=浅深三木分翻心 H E 也 一 E 々。営家相承正意 不 L爾、繭前救相也。本数三五塵点敬相也。此上即妙

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経翻心也。然題名外求=翻心二破二代敬ア破=翻心一。若別 零=親心二連麿偏観.車心檀那親心なるペし。本地難思境智妙

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経 之 置 = 事 観 二 別 尋 = 求 親 心 − 者 育 目 者 以 レ 杖 指 レ 月 、 犬の木玉の音に吠るに似たり云 k 。 ハ 円 示 会 誌 哨 ﹀ と越べて、本地難忠境智の妙法たる題目を以て事視の法としたのである。若し中山第三阻耐師︵臨安七年主詰七十 七歳寂﹀はその著と稀する﹁重住記﹂︵啓蒙十六一むには誼門は記四に﹃位撮理性﹄とも、畿六に﹃ユ一千布理同名無明﹄ とある如く・方便品の﹃是法住法位、世間相常住﹄の交に依る、理性の三千なれぽ無明の謹域也。然るに本門は畿六 に﹃三千並常倶体供用﹄とある如く、書量品の﹃我此土安穏、天人常充満﹄の園土世間常住の文に依る、世間を体とし 理性を用とする倶体倶用の常住の三千也。故に彼は凡心所具の三千観たれば理観、此は九識本法の三千観・なれば事観

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︵取意︶と説くも、六組の有相不可見三千常住観を出てぬもので、旦らく原始的の妙解事観の意と解すべきである。 若し上掲耐師より前曾て熱原牒泉寺の島一・徒たりし、越後阿闇梨日輪開︵臆長元年主主七十三歳寂︶は先に日興、後に 日乗と共に日頂に師事し、その著﹁固極貧義紗﹂下に於て宗祖を本門大師と践し、その所弘を第三法門たる本門の三 大秘法となし、天台の理視に封し本門書量の肝心たる妙法五字を事具三千の妙観とたし‘その修行に二種を分ち 修 行 有 ︼ 一 二 意 \ 一匪ニ行住坐臥川戚憐\不 L = 故 心 一 奉 ι コ 題 名 一 、 是有相行也、有相安繁行 H 疋 也 ‘ 妙 禦 散 心 諦 ニ 法 華 一 不 レ 入 = 締 三 味 二 山 川 ↓ 一 立 行 一 心 念 ニ 法 華 文 字 \ 行 若 成 就 即 見 ニ 普 賢 身 一 等 一 五 々 。 二 有 = 解 義 − 入 、 口 奉 レ 唱 ニ 妙

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経 二 山 。 。 直視二念三千妙理二是川県相行也、無相安禁日疋也。所以不 L ニ 有 智 無 知 H ・ 貴 賎 上 下 、 破 戒 無 戒 二 賭 レ 得 = 散 心 一 念 = 諦 題

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五 宇 一 、 行 若 成 就 者 即 見 ニ 普 賢 身 、 若 有 = 智 解 ↓ 者 就 = 妙

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経 五 円 十 一 、 凝 = 三 千 妙 観 一 、 妙 視 成 就 者 又 即 見 = 普 賢 身 一 、 雄 レ 分 = 二 行 一 互 通 同 五 ニ 伸 巣 一 、 故 其 妙 誰 之 時 捨 息 者 敗 。 ︵ ︷ 一 子 会 川 型 ︶ と述べ、事共の三千妙観たる唱題に就て、末法一同の散心念請の題目たる有相行と.智者の三千妙観たる無想行とを 立て、二行は五通して仰果に五り z r e 説くも、共に念諦題目、三千妙視の安禁行となし、且つ普賢身視と説くに及んで は仮令五字を以て末法の行法となすも.上掲二師の如く本地難思の境智読を出でぬのである。若し﹁問答紗﹂に依らざ る知日者妙観訟は、原始的事視の皐解説と見るべきである。然れども今の三説は共に天台の﹃妙。経本地甚深之班、義也﹄ 等と説ける.本控不二の境智有相不可見の糟意を山内でねのである。 − 一 、 天 真 調 朗 の 事 規 説 克に何時代に日興門流に於ける宗祖の御作と得する﹁本因妙抄﹂には 本 門 理 野 観 史 ー じ

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本 門 事 観 史 F

信 心 強 盛 唯 無 = 余 念 一 奉 レ 唱 = 南

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経 一 凡 身 即 伸 身 也 。 日 疋 名 目 一 天 真 猫 朗 之 即 身 成 伸 一 。 公 一 不 全 現 時 ︶ と越ぺ、唱題の行を以て﹃直建止規﹄、﹃事行一念三千南

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経 ﹄ ‘ ﹃ 自 性 不 思 議 体 、 我 内 詮 書 量 品 ﹄ 位 一 す と 樟 し て 居 る が 、 その思想は全く止観の天真猫朗の意で‘随って先の木地難思の境知日にあらざれば、中古天台の本魔法門の別語である。 而して此の意を敷街したのが、興門流の組日興︵疋度三年苧一信=一八十八歳寂︸の﹁五重囲記﹂である。同記に依れば樫 ︿昔︶、述、本、親心、元意の五重の翻心を詑き、﹁開目紗﹂﹁十法界抄﹂等に依て本門間顕の固を倶宜の本固とし、観 心の国立不には惑檀の異議があり、即ち遮門の理聞、本門の事国の不同友りとし。最後元意の固は五大院安然の所立 であるが、とれに封し前四重の聞は機情昇進並に周頓の固で、之を根本法華の固とするも、本遺未分、模資未分、敬 外別偉不立文字の蹄天魔の邪法と破し、常家は斯の如き本遺未分の翻心の上に更に一犬台が本地甚深の奥義と樟せる本 地の固を以て元意と立て、 とれを上行所停の妙法本因妙所修の法休となし 営 流 は 親 心 の 上 立 = 一 冗 意 二 夫 者 上 行 所 倖 妙 法 本 門 自 行 要 法 日 疋 也 。 樟 一 民 此 妙

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経本地甚深之奥義也。本地者元意と同 事也。本国妙所修法体也。故上本地問者在世本門一品二学也。本門観心園者事一念三千固也。本門一冗意同者事行妙

O

経是也。今営家固宗者事行妙

O

経宗也 D 本地自行唯興レ固 A 口国是也。固と合とのこ字事三千事行妙法二重不問、唯 授 一 人 口 倖 有 レ 之 。 ︿ ︷ 一 不 全 靖 集 ︶ と本門翻心の事閣の上に更に元意の事行を立て、先の本門観心の事観を唯興の園、今の事行を合の固とたし、とれを 以て上行所停の題目としたのである。併し乍ら既に天台の本地甚探の奥義を以て題目の内容とする故に、今の元意は 翻心の上に立つといふも、本因妙抄所明の天真調朗の意と同義と解ずべきである。 叉三位日順︵文和三年辛苦六十一歳寂︶の﹁本因妙口決﹂も妙法五字を以て具臆本種の正法、体玄義に於ける内詮

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観心の行事と名づけ、乙れを天台倖敬未弘上行所停の法体となし.﹁立正翻紗﹂﹁三秘紗﹂等に依り 妙 法 蓮 華 経 ,.−ーー」ーーーー、 本 建 門 門 ____,.__ー「 F・_,、ー『 事 下 理 院 行 種 具 徒 一 唯 一 唯 念 本 念 控 三 法 三 法 千 華 千 華 .、ーー...−−− 、恒国『{』J 内 外 詮 用 止 JI: 観 観

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I

賞 天 家 台 、『-、~ーー〆 天 真 満 開 ﹁ 本 因 妙 口 決 ﹂ ︵ 宗 会 理 J 叫 ﹀ と右の如く五字に就て二意を分ち、 一念三千に事理を分つも、とれ四重興麿に依り背控本三款の上の不思議賞理たる 観心に本迩事理を分つものである。とれ正しく興師の観心中の本門の事観と元意の事行と同じく、︷一京岨所弘の題目は 事行の一念三千と稿するも、その法体 b L 天民猫朗の内詮止観とするものである。若し佐渡阿闇梨日浦︿正文五年駐日叩 七十七歳寂︶は、その著﹁日満紗﹂に誼本二門を色心宜相、事理三千、不費随縁、従因至果、従果向因等に配し、且 つ宗祖所弘の三大秘法は天台の口倖法門七箇の大事の中虞停四簡の第四法華深義の下に立つる、蓮華因果、固敬三身. 常寂光土義の所謂略倖三箇の旨を相侍して共上に得意すべき事と友し。公一子会開か一長︶三秘と時停三簡との思想的類似を ほのめかし、﹁行者値難事迫巾﹂の 本門本隼興=四菩薩二戒壇、南無

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経五字也、云 k 、︵お︶此三大事故、敢難 ι = 短 底 二 然 而 粗 於 ニ 前 後 一 有 = 此 義 一 思 惟 立 レ 知 也 。 ︵ ︷ 一 万 全 暗 号 と述べ、先づ本門の本等を説くに逃本翻の三重に約し、謹門は不麗虞如理融通上建立の三身、本門は随縁真如理融通 上建立の三身。観心の三身は所詮随縁不麿未分の一心法界上に浮ぷ所の三身なりと詑き 線十回作三千高法亙取柄無鹿也。夫随ニ機得様一従因至果厄従果向因記設也。然者我等一念心九識固備自体‘無作常位、 本 門 事 親 史 九

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本 門 事 審理 史

境智不二、自受用身体也。本控取柄付事向六識重也 0 ・ ぇ 識 民 如 霊 能 観 所 観 境 無 之 . 調 一 法 界 自 受 用 身 自 体 也 習 也 。 乃 至 天 昆 調 朗 誰 不 レ 由 レ 他 也 。 ︿ 向 上 問 。 J と述ペて、題目、戒壇の説明を献くが、一二秘はムハ識本越の所設でたく、観心九識真如の重の所詮とするも、天国県潤朗 無作常住の法体と解する点は、前の諸説と同工異曲である。叉同門流の日向開山日叡︵臨安三年 F M M 竺 ハ 十 一 歳 寂 ︶ の ﹁後信紗﹂には、矢張本越を不費随縁、事到一二翻の別と判じ.妙法五字を以て慶事ハ五度﹀存理︿受持︶本門受持の理 善 根 な り と 解 し 、 ︵ 宗 金 忠 明 ﹀ 五度の事善根に釣して、妙法受持を理善根、叉題目を以て天真調副本有の止観たる本兜 の避と解せるは、彼白理規に劃して且く事行の題目を以て事翻と解したのみである。 上越の如き諸帥の解樺は或は天台の理視に封して事行の唱題を以て事翻と解し、或は境智不二‘天真調朗等の境智 未分の親心を以て事観と解したのでるるが、とれ隼舜の﹁止観見聞﹂ 一 の 中 に 法繭天然云=天民二自受用本魔法体云=調朗九叉一念不生本源云=天国民一、念 K 縁 起 自 受 用 照 了 一 疋 = 濁 朗 二 天 民 本 法 理 体 、 猫 朗 三 千 智 用 。 ︵ 悌 金 二 九 肯 O ︶ と 稗 せ る 、 一体の境智、或は境智未分の本莞の理に体建する易行翻心を以て題目の事行と解したかの観がある。斯の 如く聖滅後約一百五十年頃までは、概ね境智不二、天民調朗の法体たる本地法然の事理に体建する所以の易行翻心‘ 棋言すれば天台の六識陰安の理観以上の、天由民猫朗の本莞観心を以て事観と解したものである。随って事理融通の上 に立つ妙解を以て事観と解し‘とれに封して唱題の妙行たる事行を易行翻心と糟せんとするが如き気分が見られぬの ではたいが、大旨は事理融通の本質翻心を以て事観と解する故に、とれ等の諸師を概括して前期の第一期事理融通時 代と稀した所以である。

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第二期

一 、 唱 題 事 行 の 事 観 説 前の事理融通時代の後を受けて、営家の行法は天台の理観に封して、末法時機相臆の唱題の事行なりと解したのが 即ち事行分離時代である。此の時代は正しく﹁治病紗﹂の事理二観に立脚して、唱題を以て末法跨節の行法たる事行 の法と解したのである。此の時代は日建の事理遠近棒、八品の隆師の信心唱題に依る易行観心設に起り、中頃勝劣祇 の 本 勝 設 に 反 動 し て ‘ 一致抵の日耀‘日重等の台営不二の事翻読に堕し‘後に日生日講に至って﹁同窓口抄﹂に依る上 観、下唱解行折衷誌に依る、事理正助末法一同信唱の読を見たのである。との聖減百五十年より四百年頃に亘る、約 二百五十年聞を事行分離時代と呼んだのである。 此の時代の先駆と見るぺきは、﹁昏蒙﹂十六ハ所引の日建︵﹁章琉目録﹂さに日蓮宗日建、康正一二年缶詰著﹁本建勝劣 問 答 記 録 ﹂ 一巻?︶の﹁古抄﹂に見ゆる三詑である。その第一の或設は﹁治病抄﹂に依て台営を事理二固に分ち 本門事者諸法事々の営体を共佳本有常住と談やるは、陰生土の三世間が常住なる事也。如レ此本門の事闘を聖人は本 傘と顕して不レ斥ニ有智無智一、向=本傘一題目を唱させ巾は自然と題目の功徳として、共事の三千が一心の具徳と顕 は る L を 、 事 の 一 念 三 千 と 習 也 。 ︿ ﹁ 啓 蒙 ﹂ 一 六 九 所 引 ︶ と述べてこれ信唱事行に依る、妙解事観詮入の解行融調設である。第二の日源︵﹁章疏目録﹂

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妙畳寺日蹴﹁本隼抄御 談﹂二巻?︶相停の設も 理は冥伏して共休還し、営家事迭の本隼は共固形手に取る如にして近し。其能親身心如=止観行者\経=解行一切瑳 琢磨する修視には非十。但合掌して本隼に向て題目を奉レ唱底が能観の姿也。︵﹁啓蒙﹂二ハ一。所引︶ 本 門 事 事 見 史

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本 門 事 現 史 と謹ペ、智愚一同に唱題に依て事遣の三千が行者一心に頴はるを、事行とも事の一念三千ともいひ、或設と粗ぽ同一 義である。日建は此の南義に依り天台の理観に劃して依正二報に豆つての、唱題の事行を以て一向事具の三千観ハ﹁昏

二ハ二︶と述べ、唱題の妙行即ち事行は事観詮入の行と解したのである。 以上の事観設に次でその意を更に明にしたのが‘八品即ち本門法華宗の阻日隆ハ寛正五年出話八十一歳寂﹀で三千 帖の述作中、﹁四帖紗﹂四巻﹁私新紗﹂十三巻等に見ゆる、所謂易行観心設がそれである。﹁私新紗﹂第十には 一 念 三 千 の 止 観 修 行 は 智 者 善 人 の 行 儀 た る 故 に 、 未 代 営 時 の 非 = 所 行 − 。 高 租 出 世 の 本 意 は 事 行 の 一 一 一 千 ・ 口 唱 の 南

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経是也。日本因の在家の者には一向に南

O

経と唱へさすぺし。名は必十自然に理具の体理に至る功徳ありと云へり。 口唱の営体は唯事行にして意業の止観は不レ寄 b思事也。故に知自営宗の本意は経王の議=他力二口唱題目計りにし て 、 一念三千の観門を不 L矯=正意−、患者多き世たれば一念三千の観門を不レ矯レ前と云へり。是れ蓮師出世の大綱 也。乃至逆縁は題目、順縁者三業相醸の三千理具翻心也。是れ傍正表裏の不同左るぺし。︵宗−全当 J m 叫 部 ︶ と述べて、正行は事行の妙

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経、助行は理具の三千観と事行理観を以て正助、傍正、表裏、顕密と判じ‘且つ宗祖一代 の弘通を身延前後の二十年と九年とに大別して、その弘通の前後を判歩るに題目、理観。折伏、罷受。逆縁、順縁。 化他、自行。要法、貴略。事、理。身口、意業、等十二僚に分って越ペて居るが、要するに事正理傍の事理並行に立 ち‘末法は逆縁下種の時なる故に、唱題の事行を修して任運に理体と詮得すと注し、﹁本掌紗﹂の舎理師事樺相とは逝 に合事師理白轄をなし理体事用の揮を−なしたのである。併し乍ら﹁四帖紗﹂第四には本門の観心を説いて 末代相臆本門翻心者.観心本掌抄翻心是也、此観心者如=天台止観−非=自力観二唯是経力信力翻心也。︵刊行本店

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と謹べ、更に﹃天台の止観は始畳の観心.営宗の信心は本門信行﹄︵向上信

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と判ヒ‘﹃此信者以二念信心二南

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唱 即 本 魔 親 心 也 ﹄ ︵ 向 上 回 口 ﹀ ﹃ 日 蓮 所 立 本 門 宗 易 行 翻 心 者 唯 是 信 心 也 ﹄ ︵ 向 上 一 一 。 ﹀ 等 と 信 心 を 以 て 末 法 の 易 行 観 心 と な し、事行の唱題を正行、理観を助行と述べつ L 、理勝事劣、理本事末で事行の唱題は全く理親を成就する所以の信心 に依る易行規心の舎事師理の事行唱題読に外ならぬのである。とれ恐らく﹁問答紗﹂の上根理問下根信心と同義とい はんより﹁十章抄﹂の智者解行、在家唱題の文意に依る事理の判で、隆師は一向唱題の事行を以て、末法に於ける在 家一同の易行翻心となし、とれを三秘の妙行とし、妙解の事観を天ム口の理観と一同視した事理不封の末法解行観と見 るべきである。此の点より見れば日建等の妙解事観詮入設に 1 封し一歩退歩せる観がある。併し乍ら信唱の事行を以て 木畳翻心即ち事観の妙行と強調した点は注意すべきである。 更 に 同 時 代 の 陳 門 即 ち 本 成 寺 仮 の 待 従 日 現 ︵ 永 正 十 年 生 ∼ 一 訓 五 十 六 歳 寂 ︶ は 、 ﹁ 本 述 高 償 義 曾 樺 抜 書 ﹂ に 矢 張 ﹁ 十 章 紗 ﹂ に以て、出家智者と在家患者を分つ文となし 譜 代 信 者 等 一 向 不 レ 排 ニ 是 非 一 者 、 既 従 = 往 古 二 へ = 本 門 正 路 一 致 = 信 心 − 故 、 任 蓮 可 = 成 伸 一 也 。 ︵ 宗 全 花 一 一

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と判やるも以上の諸師と粗ぼ同・義 E C 解すべきである。又明障の頃︵出品?︶頂妙寺玉日院に居って﹁木等抄宏記﹂︵﹁勝 蒙 ﹂ 一 六 六 所 引 ﹁ 古 抄 ﹂ 訓

3

を出した日宏の、事視は天台六識理観より一重超過すとなし 末 法 臨 時 行 者 起 不 起 不 = 取 ム 口 一 、 只 事 行 南

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経を唱れば貴賎傘卑共に即身成伸で.下種を得る鹿が即営家の立行是観 心 云 也 。 故 に 虞 宣 流 布 と 云 も 題 目 の 五 字 を 弘 む る ま で 也 。 ︵ ﹁ 昏 蒙 ﹂ 二 ハ ム ハ 所 引 ﹀ 百r ,越ぷるに依れば、亦前の諸師と同義と見るべきである。土地の諸師の解には多少一左右の別はないではないが大体に 於て事行分離の読といふべきである。 本 門 事 華E 史

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本 Fヲ 事 叡 史 三 四 三 、 事 理 不 の 事 組 詑 以上の諸説の中にも隆師の如きは‘理体乞以て事行の蹄紡と見た様であるが、同時代に於ける一致振の諸師は、本 述事理不二の上に一設を主張した故に、事視をも同様に不一一の上に説いたのである。先づ此の読の先駆と見るべきは 宗岨の再来と稀せられた、身延十一世行墜日朝︵川底九年出芯七十七歳寂︶である。﹁木傘抄見聞 L 第八の﹃事行の南

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経﹄の下に於て‘天台の止視は越両本裏の瑚湖、要法の題目は本門書量の所詮’そなし、﹁立正問砂﹂に依り南岳天台 も霊山の内詮は今と同であるが、像法の時なれば止視と名を替へて弘通すと箆し、﹁顕本紗﹂︵治病紗︶に依てとれを事 理二視に分ち 然則天台宗以=誼門理一念三千\本控不二法体巴心所行法門と成也。事一念三千者妙法五字末法相障の修行なるぺ し 。 此 御 抄 は 題 名 よ り 以 = 五 宇 一 得 ニ 観 心 一 。 ︵ ﹁ 木 等 紗 見 聞 ﹂ ・ ︷ 一 不 全 二 一 一 年 ︶ と本建不二の上の事理二視となし、更に三業の上に就て理観は意業、事行唱題は口業と事理を判じ、口唱の事行を以 て如詑修行の行となし。叉﹁三秘紗﹂に依て題目に事理を分ち﹃事行と云ふに二意可レ有し之殿、口業の透と化他の謹 な る べ し ﹄ ︵ 同 上 回

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と口業化他を以て事行の内容とするが、合営共に本述不二の内設と談やるは、恐らく一致設に立 つ矯めである。延山上古三塁の他の意倖二師等も粗ぽ同義と解すべきである。 叉同時代に弘粧品寸日健.立本寺日蹄‘妙顕寺日能等と共に京都に御堂百を講じ︵﹁健紗考﹂宗金本下巻初参照︶﹁御堂司 紗﹂二十五巻を残した中山門流の常寂日耀︵大永二年包店八十一歳寂︶は、永正十七年の﹁本傘紗見聞﹂︵二容﹁御堂百 抄﹂第八所牧、奥書の大永七年は後博寓の時の加筆か︶に依れば、﹁治病紗﹂に依て台営の翻心と本語事理、像末、睡 折 等 ︵ ﹁ 御 堂 同 紗 ﹂ 八 同 宗 会 サ ︶ の 別 と 判 じ て 後

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天 台 は 控 化 後 身 な れ ば 此 分 約 レ 理 約 レ 如 、 談 − − 不 思 議 不 可 得 法 体 司 、 日 疋 一

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−観不思議境−、妙禦結成理観消理画。営家本 化意約レ事約レ相談レ之、去聞彼迩門理観‘日疋本門事翻包。営家台家不二中事観正。是又明三千、色三千とも、事一 念 三 千 一 耳 也 。 ︵ 八 売 、 宗 全 日 J と述べて‘営家の事観 b L 以て事理不一一の中の事視といふが、とれ師の﹁本語一致封論用紗﹂の不一二致設と合致する 不二の事制設と見るぺきである。その後約五十年日昭門流の本国寺日栖︵天正十一年トむ豆八十三歳寂︶はその著﹁本 遮問答紗﹂に矢張﹁治病紗﹂に依て台営を本遮事理に分ち、末法の事観を唱題の義となし 本 化 は 五 字 を 持 て の 上 の 謹 門 な れ ば 、 本 越 共 に 成 伸 也 。 ︿ ﹁ 啓 蒙 ﹂ 一 三 二 三 一 所 引 ﹀ と判じて、矢張本控不二の上の五宇と躍して居る。若し同じく不二の上に立って慧の事翻に封して信唱事行の設をな したのが、本隆寺祇即ち本門法華宗の組承慧日修︿文藤三年包諸六十三歳寂︶である。師は﹁民流正偉抄﹂九巻を出 し‘更に﹁宗要活套築﹂に於て﹁治病抄﹂に依て、昔越本の翻心を以てとれを法行規と名づけ、之を﹃彼は理也﹄と 判 ・ ? と ・ な し 、 , 弐 に 理 者 逃 門 十 如 理 母 レ 本 、 本 門 上 迄 一 疋 レ 理 者 、 河 一 喝 = 遮 門 十 如 一 借 地 一 疋 = 理 三 千 − 也 。 扱 本 門 意 此 三 千 理 令 = 理 極 事 控 二 事 瑚 不 二中本門事顕本正意故、成=事三千三牛門上翻心也。是蓮師轄下天台倖散時現也、今日蓮時事也、 彼 述 門 一 念 三 千 . 是本門一念三千天地造妹也上。此上営流意向口停事有レ之。言=事三千−者本門事行迄翻心引材併行也。然観行五日間位 中 第 二 品 己 下 、 事 三 千 行 者 也 如 = 分 別 日 間 一 。 乃 至 末 法 営 時 云 = 予 門 弟 順 紘 一 時 、 共 事 三 千 向 不 = 相 出 一 故 、 円 正 牧 = 総 名 妙 法 ↓ 口 ハ 一 向 令 L 唱 = 妙 法 一 、 日 蓮 一 門 弘 通 也 。 是 蓮 帥 判 下 一 念 三 千 如 意 珠 裏 = 妙 法 五 字 袋 一 、 令 レ 懸 巾 末 法 幼 稚 頭 上 。 一 ’ 念 一 ニ 千如意珠者事三千事也。然此事三千向智者分費、智者解行故末法幼稚我等不=相催、是判=以レ信代

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慧。信者末法 本 門 事 視 史 一 五

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本 門 事 観 史 一 一 六 幼稚妙法口唱事也。慧者事三千事也随分義也可レ信云々。以ニ此信行制一捨=官向上視一陣二信心一弘、末代下種翻心理 得 意 也 。 ︵ ︷ 一 不 全 立 引 き ム﹂趨ぺ、但信口唱は事行、本門事頴本たる事の三千視は慧の事視なるも、これ末法不相躍の行なる故に、穂名の丘学 を口唱せしむるを末法一同の事行と判じたのである。かくの如く本門事期本の妙解を事硯、妙行を事行と.なすことは 匂皐勧奨の安一判に一致するものであるが、今は﹃事理不二中本門事顕本﹄といへば、とれは本門の顕本をも誼理と同 やる故に、今は本門顕本の事の三千を事硯といふではなく、掛一門理中の事を以て不二本門の事視の慧と・なしたるもの で、随って今の事の三千とは畢寛天台理視に外ならぬのである。故に今の詑も事理不二の天台理械に封して、唱題を 事行とする事行分離設に外左らぬ。 更に同時代にあって事理並用の事行分離設をなしたのは一致誠に属する諸師の解である。即ち堺の三光無師舎の舎 下より山川でたる身延二十世一如日重︵元和九年ヒ主七十五歳寂︶の﹁思案記﹂二十四巻に見るに、第一容には﹁問答紗﹂ の﹃上根観法﹄、﹁唱題砂﹂の﹃共志有者習撃して﹄等の交に依り事理並用設をなし、第三巻には﹁治病紗﹂を引て 事理といへばとて一念三千に替る事は無也。唯観念様が不同なる計也。事の一念三千で観念が勝る L 故に、臨絡に 障碍が多からんほ

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に、用心せよと御救誠殊勝也。臨絡の際難を防がん秘術は唯南

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経 な る ぺ し 。 ︵ 三 七 ︶ と二観は﹃替るととなき﹄事理不二の一念三千となし且つ唱題を以て﹁修蹄寺決﹂の臨終の一念三千観と轄するに至 つては、全く敬光の﹁山家墜則﹂に﹃修蹄寺の相偉によりて、日蓮の一一概も分祇せりと見ゆ﹄へ﹁回交東方併殺叢書﹂ 時 培 部 ︶ といへると問ぷ所はない。叉師に弐で同一義を唱へたのは、恐らく小間正法寺の慈眼目慧︵元藤十二年綜立六 十八歳寂﹀である。師はその著﹁本隼抄慧抄﹂︵﹁啓蒙﹂二ハ三所引︶に台営の十異を分ち‘天台一は遮門六識理具の三

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千、営家は本門九識事共の三千、 唱題の事行を以て立行となすも、 勤もすれば﹃二門難思の一部﹄﹃本語一念の受茶 羅﹄等の設ハ向上一ちをなすに至つては以て知るべきである。以上の如き諸師を以て、且く事理不二の上に立つ事行 分離の誌となすのである。 三 、 事 理 分 離 の 事 観 設 叉同時にるって若し機棋に就ては或は上下利鈍の説をなすも、理観に封して事行を以て正しく末法一同の妙行とな し、且つ理視に封して、妙解事視を立てたのは次の諸帥である。即ち重帥と何時代の先輩に京都立本寺に救蔵日生︵文 椋 四 年 民 主 四 十 三 歳 寂 ︶ あ り 、 ﹁ 啓 蒙 ﹂ 二 七 所 引 の ﹁ 敬 誠 の 書 札 ﹂ ︵ ﹁ 章 疏 目 録 ﹂ 九 三 一 に ﹁ 典 佐 屋 常 光 書 ﹂ ? ︶ に は 、 先 づ ﹁ 持 法 華 問 答 抄 ﹂ の 御 文 一 マ 一 日 未 代 に 二 機 有 り 、 上 棋 は 可 ニ 観 念 一 、 下 根 は 信 心 と 被 し 立 様 供 。 此 の 観 念 と 一 五 は 戒 定 慧 の三皐整束して各行する事にて候。さて﹁四信五品抄﹂の心は一重引下して.戒定二法を制止して慧の一分を専に すと遊して、慧計を定め夫より下したる機には、慧も不レ堪間以レ信代レ慧被レ遊候。日疋は打同ける屈は末法にも、二 機有様に候へ

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も、高血の御意は上機無し、只下機計りと思召し定められたる様に畳候。諸御堂日可レ有=御覧↓候。 ︵ ﹁ 砕 蒙 ﹂ 二 七 芸 、 二 九 三 一 所 引 ︶ と述べて﹁問答抄﹂には上下二機を分つも﹁五品抄﹂に依って、末法一同の下根と持されたととは諸御堂百に徴して明 かである o 故に理視に簡んで以信代芸の唱題の妙行たる事行を以て末法の行法としたのである。此に始めて末法の妙 行の確立を見たのであるが‘とれ全く﹁報思抄﹂に所詣﹃有知日無智一同の妙行﹄とせる躍に合致するものである。斯 の如く事行を以て末法一同の妙行となすに封しては‘重師の如く上根理硯北ハ許説に立ちて、正しく理視に封して別に 本 門 事 観 史 七

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本 r~ 事 現 史 二八 妙鮮事制を立てたのは.重仰に弐で延山の法灯を共いだ、鷹峰談林の組寂即日乾︵寛永十二年生自七十五歳寂︶の﹁宗 円綱格﹂の事問説である。即ち同書は末法の上根に現視を許し、円以後の行者用心に於て 常 仰 ニ 例 詑 一 唯 信 ニ 山 河 太 地 自 他 親 疎 一 皆 H U 妙 法 而 非 一 − 他 物 一 、 起 店 勤 時 恒 川 町 一 一 妙 題 二 閥 下 乗 ニ 此 功 力 ↓ 自 他 共 到 中 寂 光 L 川 、 日 疋 最初心者の用心也。︵二五

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ム﹂最初心に唱題の妙行を示すに先ちて。山河大地皆妙法と詑けるはとれ先の修仰の﹃事理不二の中の事の三千﹄とは 永く別で、正しく天台の理組に釘する営家の妙解喜朗と見るべきである。 山火に同時代に於て此の意を尤も明にしたのは、不受不施を主張して中山を除匪せられた、寂静日賢︵正保元年ト説明訓 七十六歳寂︶の﹁本骨子紗私記﹂の誌である。即ち事視の妙境たる長茶維に封して、口唱の妙行を修するを以て末世相 陸の事行とたし、再往は.陶らや 事成樹後法々共催無作完体事々回融、乃烹不レ顕コ本書一而約二心三瓶↓談 L ム 口 家 也 。 約 ニ 本 門 事 成 因 果 色 心 − 談 レ 之 宮家所立也。乃至此事成本畳因果色心約せば、法士官三身帥体‘物 L H 皆 自 受 用 身 、 定 ニ 此 義 一 ト 一 法 々 営 位 約 自 在 可 レ 詑 一 一 三 身 一 。 詞 如 ニ 無 作 三 白 河 口 偉 抄 一 、 松 竹 体 質 法 身 、 松 竹 自 体 制 制 限 の 姿 報 身 . 四 季 の 作 用 は 陸 身 也 。 乃 至 柳 織 な る も 花 紅 な る も 皆 目 疋 真 如 の 相 貌 、 一 法 不 レ 可 己 改 輔 、 ︿ ﹁ 啓 蒙 ﹂ 一 六 二 月 ︶ と口唱の妙行事制︵事行︶に封して、疋しく妙解の事視を説いたのである o 即ち末法一同の事行の妙視に封して能化 師門事解の事視を説いたものと見るべきである。叉臆峰談林の第三世一一耳目日暁︵寛永七年伝説六十三歳寂︶の﹁法華 安心録﹂に止翻所談惟具三千六識妄心といひ、事とは本果詮得無作三身の極果の三千にして伎正色心自在無碍と詑く も、今の賢師の詑と大同小異でるる。

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更にその後五十年生師の法孫脅師の弟子にして、後世不受不施講門流の極たる安同日講︵元藤十一年十附設七十一二歳 寂 ︶ は 、 ﹁ 録 内 勝 出 家 ﹂ 三 十 六 倉 中 、 本 傘 紗 の ﹁ 啓 蒙 ﹂ 十 九 百 に ﹁ 治 病 紗 ﹂ .

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依て理具事行の異を排じ、彼の理観は述門の 賞相九界迷中の真如伸性、此の事観とは本門久遠所詮の不改妙法、随って彼は在纏民如、此は出掘胸中県如にして、その 直建一止観の行を一念三千事行の南

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経となし、更に勝劣抵の詑に針して、 宗家の一部唯本の上の不思議の本述の事にはあら歩。共旨を了せやして勝劣抵は僻見を起せり‘山門古来の約束に も本法を本受始畳に配し、或は随縁不援に配せる事.遁誌の所詮也 o Z 口組共趣にのっとりて、右の深旨を詮じ玉へ る大判也 o さればム口家に所レ明型共事用の三千は供に理具に麗し。営家に所ノ詮理共事用は供に事行を成する意也。 ︵ ﹁ 砕 蒙 ﹂ 一 九 六 歪 ﹀ と﹁治病砂﹂の事理二嗣慨を判じ、且つ什師の﹁請菰前事﹂に事視を﹃妙法五字性海果分内詮、是本写本体也﹄と問視 の本門本隼を解するに釘し、﹃日正併不可思議り題目の規挟也﹄と能視の題目と解し、事の一念三千を以て三秘の二法と 友し、台営の別を判じて 台家の所詮は今約二法華謎理因分可設の心地一、営家の所修は鹿点本史の果分を語末も勤ぜ歩、直ちに信行する故に 明題の事行、即九芳成仰の位回日也、乃五回目即本傘、本傘即題目にして一法の二義二而不二也。︵向上主︶ と四押せる如く、事視は三秘の二法たる本傘と題 N U の信唱に外たらぬ故に、事の一念三千たる妙境を事視の妙解たる本 傘.妙視を事視の妙行たる題目と解し、事視の妙解妨行を三秘の二法と解せるが、講師の事視の解である。併し乍ら ﹁問答抄﹂の﹁啓蒙﹂に 日生曾得の義尤も岨意に相契すぺき敗。︵二九=

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事 現 史 二 九

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事 現 史

とあるに依れば、とれ全く生師の末法一同下機なれば以信代慧の妙行を正意とせる設に依るもので、 一 往 妙 解 妙 行 融 ム口の設と見るべきである。とれ事観の二法に依る妙行論で、妙行の外に更に師門能化の惑解事視ありとすれば、とれ 自ら妙解妙行即ち事観事行混請と解すべく、随って今の設を以て亦事行分離設となすものである。

第三期

一、草山 家 の 事 観 詮 上越の如く聖誠後約四百年間は、未だ理観に封して蛍袋の事翻は確立したかった、勿論とれには皐解と妙行の雨向 があるのであるが、執れも判然したかったのみなら守、唯事行を以て事観と思惟したのであった。由来宗祖の減後日 像の京都惇導に依て、宗門の中心が西方に移り着々とその進展を見たが、天文法乱.安土問答‘不受不施問題に苦杯 を筈めた宗門は、此に内面的興撃に力を用ゆるに至り、永正年間合豆勾側﹀日健、日時、日能等京都に御書を講じ、﹁御 量 百 紗 ﹂ ︵ 健 紗 ﹀ 二 十 瓦 巻 を 捜 し た の は 、 ﹁ 録 内 ﹂ 初 版 刊 行 の 元 和 八 年 ︵ 宗 ︶ よ り 貰 に 百 年 前 に 属 し た の で あ る 。 か く て 五 十 年後には一時興撃の中心が京都より泉州堺に移り、永藤十一年

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油屋日珠、山光日詮、常光日諦に依て、所謂三 光 無 師 曾 が 此 に 聞 か れ 、 台 風 一 ・ 中 心 の 研 究

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なり身延中興重乾建三師等の輩出を見たが、堂時の事観論は日耀.日草等 に見る如き事理不二の上にある有様であった。併し乍ら後年に及んで生講諸師等に見る事理二観分離の設を見るに至 っ た 。 元和八年功徳通師に依て初めて﹁録内﹂四十巻の刊行を見、弐で寛永三版を見るに至って、﹁鎌内﹂中心の御堂国研究

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欝然として各地に起り、宗撃の中心たる事観義に就ても漸く蘭菊の美を見るに至ったのである。此の秋に営って事観 確立の聾を揚げたのは、賓に我が草山の一円であった。 聖域三百五十年草山元政︵寛文八年生設四十六歳寂︶出づるに及び、深く営時の台曲学心酔の勢を歎巳 凡 吾 宗 之 畢 者 幼 而 習 = 名 目 問 教 儀 二 梢 渉 = 救 観 ↓ 而 暗 = 首 子 六 十 巻 之 中 − 突 、 只 記 二 化 始 終 一 窺 = 理 観 之 門 一 而 巳 。 至 = 所 謂久遠徴旨事観妙慮一、則芭乎不 b 者 衆 実 。 偶 聞 = 祖 師 徴 言 − 如 レ 醇 如 レ 眠 如 L 如 b 怪 . 乃 謂 其 義 迂 遠 而 靖 = 一 於 天 台 之

設 一

日 用 而 不 レ 信 者 泊 々 一 皆 是 也 。 乃 至 本 化 姥 化 位 有 b 、 事 観 理 観 遺 不 レ 向 。 ︵ 草 山 集 ‘ こ 九 、 金 書 本 芳 ︶ と謹ぺて営時の皐弊を指摘し、宗門の表をぽ諸山の官借に任せ、自ら表具の裏打を以て任巴、有名たる 観 = 即 し 色 心 − 是 篇 = 理 観 − 。 親 − 一 即 レ 心 色 − 是 需 = 事 観 一 。 ︵ 向 上 一 二

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‘ 同 盟

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とご観の別を説き、信を以て行首と悲し、即心色を以て事観とし、恰かも宗祖の﹁延山紗﹂に於ける如く詩歌に寄せ て事観を趨ぺたのである。若し﹁草山集﹂廿六に牧むる﹁立本寺日審上人行吠﹂に依れば 先 ι 是 諸 師 専 以 − 一 敬 相 一 詩 − 一 弘 化 要 一 、 至 = 師 出 一 恢 開 討 巴 心 之 妙 二 而 不 レ 堕 = 天 台 関 門 − 、 直 取 − − 禽 法 日 目 師 二 事 観 − 。 賞 末 世 唱 導 本 化 宗 師 也 。 ︿ 金 者 本 勺 ︶ 左 越 ぷ る に 依 れ ば 、 日 審 ︿ 寛 文 六 年 生 誤 六 十 八 歳 寂 ﹀ の 事 観 義 に 私 淑 す る 所 で あ る が 、 ﹁ 同 行 朕 ﹂ に ﹃ 親 一 一 夫 日 賢 − 徒 働 = 所業 4﹄ ︵ 向 上 自

J

とあるに徴するに、前掲寂静日賢の事観の流と知るべきである。然らぽ草山の所調即心色の事観と は如何、先の﹁示=行首乙即色心等の十六字の下に 観 = 即 レ 心 色 − 只 此 一 ・ 句 我 家 頂 門 上 一 針 也 。 有 得 = 是 旨 − 山 内 世 本 懐 制 那 排 成 人 、 不 レ 知 レ 人 甘 露 = 凡 夫 − 自 致 = 沈 論 二 在 家 之 入量見 L 哉 、 於 = 袈 裟 下 一 品 へ = 人 身 一 者 往 々 皆 然 可 レ 不 ι傷乎。乃至縦雄=所謂智信不

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具 、 若 有 レ 信 者 以 レ 信 需 レ 智 、 不 レ 本 門 事 観 史

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本 門 事 叡 史 失 = 人 身 ↓ 心 営 ニ 作 伸 一 。 五 口 組 逢 L 人 先 救 以 レ 信 、 乃 云 若 人 能 知 = 即 身 成 伸 一 不 レ 生 = 疑 惑 六 下 根 行 者 向 於 二 生 一 入 = 妙 莞 位 一 、 翻 ニ 即 レ 心 色 ↓ 意 在 レ 斯 央 。 ︵ 向 上 田

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と述べて‘出家は智の妙解事視、在家は但信の妙行事視を以て、﹁問答紗﹂の上下二機に t c ら ざ る 、 ﹁ 宜 相 紗 ﹂ の 行 皐 の 二機に即心色の事制に就て道俗の二類を分ち、且らく口唱妙行の事視を以て末法一同の事視となしたのである。 右 の 如 き 即 心 色 の 事 削 慨 を 末 法 一 同 の 行 と た し 正 し く 口 唱 の 妙 行 と し て 述 べ た の が . 弟 子 話 明 日 燈 ︵ 一 弘 保 二 年 位 ∼ − 町 七 十六歳寂︶の﹁ん一不門緊要集﹂である。帥に依れば先づ妙法に針して聞悟.修習、結縁の三根を分ち 即間即詮者不 L = 修 習 一 、 共 未 レ 入 者 陪 下 深 信 唱 = 妙 法 二 以 修 以 詮 上 也 。 等と述べて信唱を以て事視の妙行と定め、更に口唱の妙行を反覆して 不 L = 前 際 後 際 一 口 ハ 就 = 現 今 利 那 − m 情 − 一 市

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経\唱来唱去念去念来、 一 時 相 績 即 一 時 伸 、 一 日 相 積 即 一 日 輔 、 乃 至 千 高 年相績即千高年伸也。 乃 至 行 性 感 一 語 獣 作 々 、 心念日唱、乃至戯乎要中要易中易徹上徹下之妙門也、只須二心一念 唱 念 相 績 ↓ 也 。 ととれ元政の妙行事観を、止視の常行三味の槌念供運の法に則った信唱倶運に依る事組設である。これを以て草山の 一家事観説となし・且つ事観分離の唱矢とする所以である。 こ 、 観 如 透 師 の 喜 朗 詮 草山一家に依て台営の親心は蔵然国別せらる L に至ったのであるが、慧明日燈と同年六十五歳を以一て寂せる、奥羽 若松浮光寺の観如日透は、早くより草山政公に私淑し‘六十四歳に至るまで﹁録内’一四十巻を研鑓するとと前後四回

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絡 に 組 青 に 立 脚 し て ﹁ 需 品 里 山 制 本 義 ﹂ ﹁ 営 家 本 寧 義 ﹂ 一 t 事 一 念 三 千 義 ﹂ 等 を 著 し て ︷ 一 京 撃 を 大 成 し た 。 就 中 ﹁ 事 一 念 三 千 義 ﹂ 二容は﹁治病砂﹂に依て台営の事四二視を分ち 本遮供一五二念三千瓶二 一 念 三 千 是 事 法 也 。 故 知 油 門 理 観 云 非 下 捨 = 置 事 一 観 上 レ 理 也 。 所 詮 遮 門 従 レ 理 観 = 事 兵 一 故 名 = 理一念三千二本門直事がま L の 視 し 共 故 名 = 事 一 念 三 千 4 也 。 ︵ 上 初 乙 と二矧の大旨を述べて居る。かく本門の事翻を以て﹃事がま L の具を視や﹄といふより、古来透帥を事がま L 上 人 と 呼ぶに至ったのである。師は更に事視を一説いて 夫れ本門顕はれては久遠所読の十界の依正、事相のま L にして五共自在三世常住也。共の互具の十界全く巳心の法 たりと視するは、我身即ち本畳無作三身也。如レ此親達するを一五=事一念三千観一也。然るに無始巳来諸法甚だ寅く、 甚 だ 遠 く し て 未 レ 便 = 蹴 境 ↓ 故 、 話 レ 令 し 易 し 観 共 庚 遠 諸 法 一 紙 面 園 、 頴 = 十 回 仲 依 正 玄 共 一 一 妙 法 \ 待 日 一 之 修 観 境 司 自 疋 名 一 一 親 心 本傘一也。如レ此事一念三千妙境たる本等友る故、下根下機不レ堪=修朗一者、唯奉レ向ニ十界一妙法木骨骨二唱題する者 は勿論、縦未レ五ニ唱題一何意もなく、奉し向蹄拝合掌する者まで、悉く随ニ共善業分費二自然兵一一修制功能一十界瓦具 妙用自然顕得する故通名=之翻心本傘−也。︵下 F J ・と越べて、十目立吊位我山河即仰の事視を上根の修視となし、此の修観の境を一一幅紙上闘して本傘となし‘之に向。て但 信口唱するを下根の修視となすのである。故に上根は直ちに十界の依正を翻やる妙解の事槻であり・下根は同制本隼 を信唱する妙行事翻といふのである。されば末法一同の行法たる信唱妙行の事問の外に‘更に単解修視の事視を立。 るのである。斯の如く透師は解行二種の事視を立て、且つその同異を分別して 営家所立本門事一念三千輿=唱題立行一同異如何。答翻心は意業、明也は口業分明に別たる事なれども、否。不の先背 本 門 事 親 史

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事 観 史 四 一同に嘗家の本門事の一念三千者唱題立行是也。不 ι = 一 別 修 = 翻 心 − と 一 疋 へ り 、 此 義 茜 不 審 也 、 但 唱 題 混 一 一 吾 宗 正 行 ﹃ 白 兵 ニ 親 心 功 能 − 故 、 末 法 営 世 身 分 下 根 不 レ 及 = 修 観 ユ ﹄ 云 は ど 共 許 勿 論 也 。 然 云 ︸ = 唱 題 直 是 観 心 故 一 向 不 レ 許 訂 修 翻 − 者 他 宗 不 レ 及 レ 云 . 白 宗 に で も 吾 等 は 無 信 力 故 欺 、 一 向 得 心 な き 也 。 ︵ 上

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↓ ﹀ と事制に就て妙解の意業と.唱題の口業を分ち‘且つ光背一同に口業の唱題事行を事観とたし‘末法一同は下根なれ ぽ妙解修視に及ぼやとは、唱題の外に修観を許すとと明である。随って末法に修︵事︶視を許さ L る義なしと‘口唱 妙行事観以外に皐解の事翻を強調したのである。且つとれ b L許さ L る所以に就て 下根観念却妨=信心−縁となるべし。散心にも.定心にも、喜にも‘悲にも但南

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経と唱ふペし。名必至 a体故口業成 就すれば叉粂=意業二以信代慧故三業具足。ハ下空︶ と 設 い て 、 一往事視の解行を意口二業に分つも、再往三業具足の上の義と注し、三業具足の故に下根口唱の事行も、 三 業 成 就 の 義 を 成 主 γ と な し ‘ 恐古来師﹁翻心本隼紗﹂始絡趨=翻心趣 4 .而鹿々題目五字七字と遊ばし・結簡にも題目五字に結し玉へるに迷へる 者敗。紋結文の事の一念三千の珠を納=妙法五字袋二末代衆生頂受せしむるに、自ら唱題共=翻心功能−義を遊ばす 私 。 非 レ 調 = 唱 題 直 是 翻 心 − 也 。 乃 至 非 み 嗣 ニ 唱 行 直 是 概 念 4也 。 茸 橡 守 二 諾 筆 端 − 不 レ 見 = 前 後 − 乎 。 ︵ 上 ι r と述ペて‘唱題は直に親心にるらざるも.唱題に翻心の功能を具すといふ後年臨師の所謂法具事観の設をも仏すは‘こ れ全く三業具足の意に立つがためである。若しそれ 須 レ 知 行 者 依 = 本 門 経 旨 − あ り の ま a a の 、 正 直 の 妙 法 唱 レ 之 名 = 本 門 事 行 妙 法 二 観 レ 之 名 = 事 一 念 三 千 − 也 。 若 得 下 心 末 代 下 根 下 機 故 に 勧 = 易 行 事 唱 事 観 − 而 巴 上 、 甚 失 = 本 化 立 行 元 意 て な る ペ し 。 ︿ 同 上 ﹀

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といふに至つては、とれ恐らく天台の理視に劃して、営家の事唱事翻を易行となすのであるが、易行とは勿論天台の 意業理観に封して、営家の三業具足の事観を簡ふ語であって、若し営家の事観は妙解も妙行も島一も行も共にご一業具足 の上の意業中心と口業中心と解すべきである。且つ営家の事翻は三業具足の事観念る故に、意業中心の修翻を妙解事 観、口業中心の信唱を妙行事観と知るべきでるる。故に透師は弐に此の意を述べて さ て 配 = 上 下 根 ↓ 必 々 不 L 可 一 r 封 ニ 上 根 観 念 下 根 唱 行 司 、 宗 家 大 綱 上 下 根 一 同 用 組 局 レ 正 、 於 レ 中 随 − 一 意 繁 一 上 根 傍 修 己 規 念\下根但信心唱題也、持法華問答抄意繭也。︵上

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一 − d ム﹂末法の皐解事観を上根に限らや意壊の行として、 一同は妙行事翻を宗家の大旨と判やるも、﹁問答紗﹂の上根理視の 意を以一て判守るは‘事理二観を混靖せる謬様である ο 此の点は下巻に﹁報恩抄﹂の﹃有知日無智一同﹄の文に就て 興 一 一 一 ト 一 根 許 = 観 念 一 相 違 一 足 何 。 答 上 根 下 根 有 智 無 智 唱 行 常 レ 正 一 家 大 綱 也 。 故 正 意 た る 正 行 を 純 一 に 勤 め 下 ふ 意 を 以 て 一 五 レ 拾 ニ 他 事 一 也 。 例 如 レ 云 ニ 諸 経 法 華 経 無 ﹃ レ 詮 也 。 非 一 一 一 一 向 遮 = 制 助 行 傍 修 一 也 。 ︵ 下 J と述べて、事観の硯唱二行の中に就ては上下を分たや、意喚に任すとなすも末法一同は唱行を正意とするを一家の大 綱となし、師も観唱二行の中には唱行即ち信唱の妙行を以て末法の正意と解したのである o 且つ師は台営事理二視に 就 て 」品、 fl 家 理 合 千 { 伝

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下 上

手 足 営 家 事 一 念 三 千 / 修

日 時 S 苛 R a と同示して、末法一向に唱行を正意とし 本 「 守 事 叡 重工 五

(29)

本 門 事 董見 史 」 . ノ、 雄 レ 勤 = 唱 題 正 行 一 何 遮 信 事 観 需 ニ 町 行 − 4 ・4 0 叉 随 = 行 者 意 禦 時 勢 司 、 唱題観念可 L = 踊 均 一 協 異 \ 乃至何筋にでも一向子 生ともに、観念ばかりにて唱題せざるは背ニ宗祖立義一可レ制レ之。︵上 P = 一 ︶ と述べて、唱也

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行事観助行の読をなすに至ったのである。とれ﹁問答紗﹂に迷ひ並に﹁十八回湖抄﹂等の理問助行 の意に反し、叉﹁治病紗﹂の台営事理の大判にも背く謬躍である。とれ師か先に末法に解行二種の事視を分って唱題 非視設をなし O L 、何時しか唱題事観論者となり、事理二観を混請して絡に事観助行の謬沿をなすに至った需である。 併し若し事観史上より見れば師は事観に封し種々の問題を提供し、事観確立に就ては重要なる過程をなしたる、唱題 非観論者といふべきであり、且つ事視の二回を判然と確立した点は事観史上設すべからざる功績といふべきである。 又同時代の梢後輩に玉津に開智日好︵享保十九年伝奇八十八歳寂︶があったが﹁扶老﹂十五位倍、﹁拾遺﹂八巻を出し て﹁録内﹂を註し、﹁扶老﹂の﹁治病紗﹂の下に於て 事理勝劣案理勝事劣分明、今以=事一念三千一得レ勝、以=理一念三千一矯レ劣 o 叉 末 法 山 口 国 代 行 者 所 修 行 法 、 時 機 相 陸 修 行 ‘ 尤 易 行 順 = 時 機 一 也 。 ︵ ﹁ 扶 老 ﹂ 一 一 一

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、 金 書 下 一 一 九 ﹀ と事観を以て一往理観に劣るとせるも再往末法時機相躍の易行たれ勝となし、若し﹁問先日沙﹂の上根観念の下に於て は 此観念等共末法なるべしo乃玄故謹レ機日上根観念ある故、如レ此判じ玉ふ也。然といへども諦機日疋信心口行の機也。 ︵ 同 一 一

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向 上 吋 ﹀ と述べて居るが、此の観念も透師同じく事翻の意と解すべきは、次下に﹁延山紗﹂の﹃翻念の掠﹄位一すの交を躍して、 ﹃末法永く翻心なしと一五ふぺからや﹄︵同上﹀といふに徴して明かである。随って大体に於て透師の事朗読の縮園の如

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︿見るべきでるる。 −−一、富士寛等の受持事朗読 以上の如き一致抵の複雑なる事観設を受けて、信唱受持の事観詑をなしたのが、同時代に於ける勝劣祇諸師の事視 設 で あ る 。 最初に富士の堅樹日寛︵享保十一年位京六十二歳寂︶に就て見るに、師は﹁六巻砂﹂﹁本館紗文段﹂﹁寛詑撮要﹂各 一一巻を出して居る。即ち﹁本傘紗文段﹂に﹃受持譲輿﹄の文を蜘伸して 此 交 正 日 疋 受 持 即 親 心 義 也 。 乃 至 滅 後 末 法 我 等 衆 生 受 = 持 此 五 字 本 律 一 即 名 一 一 規 心 − 也 。 凡 営 家 意 唯 叫 コ 信 心 口 唱 一 即 名 = 翻 心 一 、 市 受 持 者 正 営 − 一 信 心 口 唱 ↓ 故 云 コ 受 持 即 翻 心 一 也 。 ︵ ん 示 会 f 白4J と信心口唱の受持妙行を以て直ちに事視と述べ、更に受持に穂別の二義ありとなし‘ 今 謹 案 ニ 経 文 一 受 持 有 − − 二 義 一 ‘ 一一穂休受持、二別休受持也。総体受持者五種妙行組名=受持−也。是則受持通ニ五種妙 行一故也。今経底々能持日疋経文、及受持無行余行徒然文意能々可レ思 ι 之 G 二別体受持者即五間妙行中第一受持是也。 信力故受念力故持、看交錯レ讃不忘篤し諦等是也 D 所以結要付嘱之文、若長行中約=別体一及、 故 一 予 一 躍 営 一 心 受 持 讃 話 解 説 書 寝 如 説 修 行 一 也 。 日 疋 則 要 法 五 種 妙 行 也 。 至 ニ 得 制 中 ↓ 約 = 棉 体 一 設 、 故 但 一 予 一 謄 受 持 斯 経 一 也 。 是 則 所 謂 受 持 一 行 可 = 成 悌 − 者 日 正 也 。 ︵ 向 上 一

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と二種受持の中受持成悌は組体の受持となし、而して今の﹃受持議輿﹄の受持に就ては 然営抄意正榛=偶文一、故今受持者即是偶中総体受持也。故通ニ五種妙行一組=五積妙行一也。然今受持医常=信心口唱− 本 門 事 叡 史 七

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本 門 事 観 史 A 者、信心即受持家受持也。口唱即是受持家讃調也。営レ知受持家受持講話、 H 疋 即 向 行 也 。 今 以 = 自 行 観 心 一 故 但 取 = 自 行 設 ﹃ 也 。 ︿ 向 上 − 一

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と述べて、受持が家の受持とはとれ受持が家の信受でとれを信心五悶をい弘、受持が家の讃諦はとれ別の五積の中讃 諦である故に、とれ受持が家の念持即ち唱持の意でとれ口唱の正行である。斯の如く閃行共足の受持を以て事観とい ふのである。且つ受持謹奥の文には問カを具すと左し 謂 我 等 受 持 者 即 是 信 力 行 力 也 。 此 五 字 者 即 是 法 力 也 。 自 然 譲 興 茸 非 = 悌 力 一 乎 。 ︵ 向 上 ﹀ と四力合成不思議の所設を本門の事観とするのである。 若し﹁寛記撮要﹂上の﹁報恩抄文段﹂には‘更に・﹃智恐一同﹄の文に就て、信行具足の必要を説いて 本門題目必具=信行−、信是行始即本悶妙‘行是信格即本果妙、是則剥那始格一念悶果也。乃亘書量品云﹃一心欲見 僻﹄是信心也。﹃不自惜身命﹄是修行也。乃至叉﹃是好良繋−本門本掌。﹃今情在此﹄本門戒壇、﹃汝等可服﹄本門題 目 、 取 是 信 心 ‘ 服 是 修 行 也 。 若 不 レ 信 = 本 門 本 隼 − 唱 行 不 = 取 服 一 也 。 故 知 設 雌 レ 唱 = 題 目 − 不 し 信 = 本 門 本 隼 ﹃ 而 唱 行 ・ 但 日 疋 費 山 忠 一 手 也 。 故 ﹁ 法 蓮 紗 ﹂ 一 足 ﹃ 無 レ 信 行 = 此 経 二 如 下 無 レ 手 入 = 賓 山 一 、 無 レ 足 企 巾 千 里 上 ﹄ 云 k 。 故 事 信 = 本 門 本 隼 − 可 レ 唱 一 一 行 之 一 也 ﹁ 営 体 義 抄 ﹂ 日 蓮 一 門 讃 = 得 賞 体 蓮 華 − 、 顕 = 寂 光 営 体 妙 理 − 、 信 = 本 門 書 量 殺 主 金 言 一 唱 = 南

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経 一 故 也 。 今 文 捨 = 他 事 一 者 是 信 心 也 。 唱 = 南

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経 ↓ 者 修 行 也 。 故 三 大 秘 法 若 合 一 大 秘 法 也 。 ︿ 向 上 自 = ︶ と本門の題目は必・予信行具足で、信は行因の本因妙、唱は本果妙への妙行と述べて信行具足を以て正しく営家の事観 と た し 、 一つを献くも事観を成ぜざるとと無手費山の意に依て明かである。かくの如く寛師は事観に解行のこを分た や宗祖弘通の正意たる末法一同の宗教たる妙行に立って‘信唱即ち受持事概の設を−なしたのである。且つその説誠に

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