量
未
略
= . 本
− − 一 ︑
遺 成
目︑賢
事
,,ー・同~ー・・旬、
買 略 話定
警︵
訓軒
︶
﹃﹂一︑評ニ所観事理二二一一一︑糊
︷ 一
︑ 境 二
︷
− 一
︷ 二
︑ 評 コ 所 依 本 隼 一
古ニム
一 −
t 7
・↓﹂
一︑
事観
修否
tEf
−−
︷二
︑事
翻事
行同
異
設 問
,,ーー_.._ーー、 四 一 詳 緋
一 一 ︑ 治
山
休︵詳︶
弓 別 名
許 評
述︵制却制︶
念 丸︑ 空
ヰf
十︑機
賓
七台八︑心
宮 本
弓 手
市して﹁別許﹂の下先づ古師の二組を評するに営り︑草山の一説を詳して
史
j t HFI
線
五五
本 門 事 叡 史
五六
濁﹁
草山
集﹂
最能
殻=
明宗
設二
但概
託=
事於
詩賦
−故
︑於
=一
初島
二茜
借し
難レ
見︑
且以
=色
心一
耕ニ
事理
\立
レ言
通漫
而共
意
未ι審0
︵全
集三
一口
︶
と誠に趨詳である︒弐で慧附燈師︑六店A潮仰に就ては﹁綱要E
議﹂
下︵
全三
一一
一︶
並に
﹃別
詑﹄
を指
し︑
更に
制嬰
導削
を詳して事
〜=
・近
時一
﹁組
書綱
要﹂
悉識
=営
家敬
観一
︑若
=共
政相
−尤
母=
ん一
一小
門梁
津二
五=
閥解
一者
未=
精熟
一者
多突
︑且
如=
﹁五
議﹂
中
許一
︒︵
同上
︶
と判
じ︑
更に
種子
華岡
市︑
一室
牧容
︑
一因
統治
.嚢
中雑
穀︑
一人多喜等の雲を以て事中の具を詑き︑雌不可見︑雌而可
見不雌可見︑不雌不可設︑雄亦可見亦不可見の中︑
一は
理
H世
︑
︑
二三四は果報︑五は縁起になす名同義異となし︑皐立
透制のコニ千義﹂は斯の如き一育詮の事共の故に
若千
高言
談エ
事共
一不
ル的
問=
共相
−︑
則義
終処
⁝=
所師
二蓋
亦智
排之
者乎
︒︵
同上
一一
口︶
と許し︑若し智即日賢の﹁宗名要解﹂は未だ之を見ざるも﹁︷一否日撮要﹂に就ては﹃其見柏過=諸側一﹄と越べて古師を
略許し︑最後組許をなし.諸制ご視に惑ふ根源に就て事理各五義を出し︑先づ理嗣慨に就ては︑とれ台荊二岨の名同義
一に本源云何︑こに本有常住︑三に十界同休︑四に生俳因果︑五に諸法相即を観相に約し理性に
約して五共を論十るが故に︒こに事観に就ては︑ 鼻
︑に
由来
すと
たし
︒
一に難捨情執︑こに九界情見︑三に闘融非等︑問に因果弥一義︑五に
本控
供常
を究
めざ
る故
にと
・な
し
然二
観相
封賓
義方
顕故
︑若
於=
知上
十義
一不
=供
能建
一︑
一翻
狛不
レ可
レ明
︑況
二翻
乎︒
一切
法門
本越
権宜
︑
︑凶
﹃人
トぃ
−
44hL
ごで
τ 1
札義−
岱レ
本れ
而後
方能
耕暁
突︒
︵同
上︶
と越べ︑要するに遮門の理槻は覆相互共融舎の所詮︑本門の事耐慨は有相本有常住の所設なるととを明めざるに依ると
判じ︑戎の所依本共に就では﹁本寧緋﹂を指示し︑最後事観の行法に就て事翻の修否と事観事行の同異を論じ︑修否
に就ては透師の﹁本隼義﹂義師の﹁務葉集﹂︑導師の﹁綱要﹂を掲げて︑粗ぼ同義にして異詮・なしと概判し
今取 レ要 言者
︑制 心修 レ観 者不 レ雌
=営 今機 二但 妙解 修皐 思惟 分別
.以 資レ 信導 レ行 令レ 不
b堕
一一
凡小
樫迩
司︑
随=
順本
門妙
行語 業・ 故︑ 随レ 分修
ι曲
申任
レ力
習臆
.目
疋矯
−−
相謄
事観
40然向非=時機通修一也︒若通機則但信口唱以期=成伸1
但数
聞レ
法親=近三費二以進=相慮信解一也︒叉出家在家上中下根有=不同40
︵ 同
k〜 ︸ 口 ﹀
と越ぷる如く︑諸師その所論全く左右・ないではないが︑事組に就ては妙解修撃と.信口妙行の二詮に分つも︑修墜事
視は時機通修の行でない故に︑道俗機根に依て不同あるも︑末法一同の行法は口唱事翻となす点は全く同一徹である︒
若し事観事行の同異に就ては
口業 唱題 是名
=事 行−
︑妙 解封
=本 隼− 是名
=事 翻﹃
︒然 事観 必粂
=事 行↓
︑事 行不 三必 有− 一事 翻二 亦是 一往 耳︒
︵同 上︶
と一往行相に就て事翻事行と分ち更に四何分別をなし
一︑ 事翻 共= 事行 二是 可レ 知︒ 二︑ 事観 非= 事行
\端 山岨 一思 惟等 是也
︒三
︑事 行非
=事 翻−
︑不 レ封
=本 隼− 唱題 等是 也︒ 四非
=事 翻一 非= 事行 二関 宇問 坐蹄 不レ 共= 事観
−者
H疋
也︒
ハ同
上︶
と分つも︑とれ心用行柑に就て別具を判じたるもので︑若しζれに依れば唱題非観設であるが.三業受持信念日唱は
末法一同の事観たる故に再往唱題即観なるととは
二名通行者観即是行.故翻亦名L行
︒若 口業 以代
=意 業− 封= 向本 隼− 専唱
=妙 法二 任運 成= 不思 議法
−
HP
J二心三翻二HU
則事 行即 事観 也︒ 但組 書中 唱題 則但 一疋
=事 行
1
立名
自在
=用
途一
也︒
︵向
上﹀
本 門 事 観 史
五 七
本 門 事 叡 史
五八
と一位﹁本傘抄﹂に口唱を事行といふも事行は但信の殻露なれば︑信念の存する所に唱あり︑陥って唱題の存する
所必中信念あるべきなれば︑事行の外事組たく︑事視の外事行ないととはいふ迄もない︒即ち三業共円止の不思議の解
行に外ならぬからである︒
右に依て粗ぼ輝仰の事制の意は判然したのであるが︑その意を最も明了に述ぺたのは﹁首題要義﹂の第八行の下で
あ
5
0
即ち
但一切行以=妙経受持一億=共本二市受持日疋意業所謂信力故受念力故持也︒故ム口組専約二心三組↓以持=妙粧品也︒然
未世龍滴鈍根下機︑散心食品不ι能
=自
制−
故︑
宗組
則約
=唱
題一
以令
ロ一
能持
=妙
法\
於レ
是上
根則
唱週
一念
能成
=妙
制二
下
根亦任運舎=正理一也︒而下根雄=念力微弱一︑亦唱題之力能扶=念力↓︑心口相資狛如=念悌唱名真言持呪一︑然一念能
間⁝
−三
一諦
−共
術莫
レ好
一一
↑於
念=
妙悟
五宇
一︑
故唱
題是
一心
三翻
精巣
也︒
然則
共究
立妙
行也
因無
レ論
一斗
︒へ
全集
︑一
=
J
と但信受持一行を以て高行の基本上根一念下根任運妙法となし︑更に正し︿末法の時機を判じて自他宗共に通機
は鈍根の四家となし︑﹁交職功徳抄﹂に依り
今論
=通
機相
一得
レ二
︑初
在家
︑ニ
出家
︑在
家叉
二鈍
機利
機︒
︵同
上一
一二
﹀
3f
e分ち︑二機を機総︑定信正行︑助行︑利径の五科に就て述べ定信の下露量の﹃信等諸根﹄は五枚となし︑五川悦
に依て十信を成就せしめ成伸の決定信を以て行本とたし︑若し正行に就て見るに鈍機は
不L論
=定
心散
心−
︑不
b問=濁行共行\不レ扶=時臨威儀一︑口唱之務多敢得レ貴︒或高聾扶=念心−︑或記数扶=精進二或
鼓節
扶=
定心
二白
聴挟
−主
仙心
−︑
臨修
箆レ
期不
レ起
=余
想−
︑是
箆=
初心
正行
相一
也︒
︵向
上=
一
J
−h﹂述べ︑若し利機に就ては
心念口唱随宜修L之︑口業進退誼レ宜︑意業常念不b預
−一
時底
二宜
レ令
=日
夜増
進−
也︒
︵向
上三
五︶
と鈍機は専修口唱︑利機は唱念供運と分ち︑若し出家に就ては利機と同やるも
集今時僧徒進無=修事護法大志二退無=但信口唱道心\乃至英信心却不b
如一
一在
家二
衆一
︒ハ
向上
﹀
とは今の所論ではたいが三省すべきである︒輝師は右の如く道俗︑利鈍を分つも.末法一同は上根一念︑下根任運と
いふ如く︑受持一行を以て正行とたすコ一一千論﹂の唱題即観の読は全く臨師の法共事観設の如く解せらるも併し乍
ら﹁ 正議
﹂上 に﹃ 営家 立行 不下 以= 意業
−矯 上
L正
︑以
=口 唱− 矯レ 正﹄
︵全 集︑ 三官
﹀と いひ
︑﹁ 首題 要義
﹂の
﹃口 唱之 務多
撒詩レ品目﹄といふに依れば︑口業唱題の事業を以て観念の意.業に劃する口唱事親設と如く解せらるLものである︒要す
るに透師に費した意業中心の事観設は勝劣系に至つては富士寛師の受持設︑願本の受師の口唱増径設となり︑
一致
系
には義師末法信法二行説︑導師の一同の受持事観とたり︑臨師の事観の事理に立つ法共事観読とたし賢智の法共説
を経て輝師の唱題即観読となったのである︒若し同時代の梢後輩に顕本の永昌日鑑︵明治二年伝説六十四歳寂︶あり
﹁心選醍悟論﹂を出して輝師の﹁本謹師宗論﹂を許して
﹃日 誰日 講日 建等 の糟 枇に して 蜜・ 強附 舎の 法門
﹄
と稀し︑叉
﹁断難生信録﹂に日重日乾を﹃本門の三秘名を嫌ふ故に天台宗たり﹄と稿するも︑事観論は受持五行︵=Jに立ち受持
の論を出でぬのである︒
第
宗串の問題としての事観
上越の如く事翻詑は輝師に至って一往その極に封したものであるが︑末法時機相躍の行法とし.叉法華経の所諮
たる信詮の妙行としては︑宗岨の智品川一同唱題事瓶詰を以て末法弘通の主意とし・道俗の皐解事観を要するととは︑
本 門 事 観 史
五 九
本 門 事 観 史
。
白川
曲学
の在
在を
認む
る限
り営
然の
事で
ある
︒
とれ唱題事視の根擦を明にする所以であって︑今日道元折口曲申の興起に見て
も明かなる如く︑本門の背撃に沈静していよ/\問題事親の根祇を究むべきである︒近頃田中智皐氏﹁日蓮主義敬義
大観﹂第五に古来の事観設を評して
日透帥巳後事視の解いよ/\密に︑近世尭山師に至りて尤も措たり︑随て日疋等諸仰の見地︑各々その趣を異にすれ
ども︑要するに事観は相解としての法門・なるが如し︒殊に尭山師に至りでは︑古来の解を陥とし︑透公の﹁事が佳﹂︑
導公の﹁不解の妙莞﹂等並に今時の所用に非やと喝慨し︑以て増勝の深篠を唱へ︑蟻に詮理を談じて︑三皐荘厳を
主強し︑大に法行的宗風を興す.所前営家正義の事税法門︑果して斯の如きものたりや︒乃主事観法門の側面研究
に奔りて︑選に王醇の宗義を揚げざりし事とれなり︒査し本宗の行相は純然たる信行にして︑決して法行の相を取
らや
︑三
曲学
中ハ
度猫
妙行
に属
せや
︑況
んや
共の
他の
諸善
行法
をや
︒︵
五一
一む
ム﹂末法一同の事観は︑観解の法門にあらやして純然たる信行左るととは︑古来の諸師同一徹である︒更に氏は
借末法の信行は全く法行を絶て単純一向に信行なりや︒持叉法行をば其側面にか裏面にかの謹に晶状ね得て︑相資的
行相となすべきは︑正しく一個の問題なるべし︒若し一向信行にして事も法行を粂ね・?とせば︑その法行所念の徒
は束ねて之を弛棄すべきか.又はその一向的信行の中に︑自然法行所有の功徳をも共するものか等の研究は︑今日
の宗
風
T界
には
是非
一た
び通
過せ
で叶
はぬ
開門
左る
べし
︒︵
同一
一叫
︶
と臨師の所謂︑法共事観設に疑問を投じ︑﹃一向信行也︑少身だも法行あらしむべからや﹄とは︑とれ末法一同の正行
弘通の正意の論である︒由来受持法共設は﹁本掌紗﹂の受持議興の文に出づる所であるがその根抵は法華本門の敬
皐たる木魔法門に立脚するととはいふ迄もない︒とれ古師の事観設に台家の六識理組に封して︑営家の事制慨を九識詑