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「異本義経記」と「予章記」との関係について

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Academic year: 2021

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(1)(1). 経記﹄﹁ 湛海被斬﹂ の後半部 に、以 下 のよう にあ る。. では、 ﹃ 異 本義 経 記﹄ の本 文 を 見 て いき た いと 思う。本論 にお いて使 用す る の は、叡山文庫蔵本 であ る。ま た、旧字体 に ついては、現行字体 に改 めた。 ﹃ 異本義. 一一 ﹃予 章 記 ﹄ に つ い て. 関係か ら 、 ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ の成 立 に ついて考 察 す る。. る︶、河 野 氏 が 登 場 す る部 分 に つ いて、 これ ま で触 れ ら れ な か った ﹃ 予章 記 ﹄ と の. ﹃ 異本義 経 記﹄ と ﹃ 予章記﹄ と の関係 に ついて. はじめ に. ﹃ 異 本義 経 記 ﹄ は、 ﹃ 義 経 記 ﹄ には 見 ら れな い、 異 伝 や異 説を 多 く 収 め た作 品 であ 異 本 義 経 記﹄は ﹃ る。 ﹃ 義 経 記 ﹄ の異 本 と いう よ り は 、む し ろ 注 釈 書 と いえ る。 本 文 に付 け ら れ て いる注 記 は 、 典 拠 が 明 記 さ れ て いるも のと 、 ﹁ 伝 に 曰く ﹂ や ﹁ 或は 曰く ﹂ な ど 、 典 拠 が不明な も のが あ る。 ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ の成 立 に つ いて は 、先 行 研 究 に よ って、以 下 の通 り 指 摘 さ れ てき た。 ま ず 、 志 田 元 氏 は、 冒 頭 に ﹁ 小 田系 図﹂ を 引 用 す る こと 、 下巻 に蝦夷 渡 海 伝 説 に 関す る記 述 が あ る こと 、更 に ﹃ 山 城名 勝 誌 ﹄ に引 用 さ れ て いる こと か ら 、延 宝 年 間. 中将 の子孫なり。予州桑原寺 にて出家し て、係杖律 師と云 ふ。頼義此 の律師を. ﹃ 異本義経記﹄叡山文庫蔵本 ① ︲ ︲ こddd酬︱ こ川酬引劉詞州明﹁ 吉岡本 に、凋祠剰朝曰針刊引川明日川=徊 の国 ︱ ︱ 同じく七仏薬師 の尊像を七所 に安置し給 ふ。其 の頃宮係杖と云 ふ者あり。実方. つぎ に、 倉 員 正 江 氏   下 巻 に ﹁ 梶 原 景 茂 静 無 礼 ﹂ の章 段 で ﹃ 丹後 海 陸 巡 遊 目 録﹄. ここでは吉岡本から引用した話 しを載せ て いる。内容 は、① 源頼義が伊 予守 であ った時、伊 予国 に七 ヶ所 に八幡 を勧請 し、七 仏薬 師を 七 ヶ所 に安 置 した。② 頼義. ○. り 。 室 家 更 に怖 れず し て、彼 の大 蛇 と密 通 有 り て懐 妊 、男 子 を 産 めり 。 河 野 通. r 、. t u刈湯川硼劇薗凋利樹月日劇呵州。又 祠劃洲Ⅵ判到﹁洲馴﹁引州馴圏q∃測州覇判創利馴. て いる こと か ら 、 延 宝 五 ︵一六 七 七 ︶年 ∼元禄 一六 ︵一七 〇四 ︶ 年 の間 と し た 。 ま た 、大 城 実 氏   士心田 ・倉 員 両 氏 の論 を 踏 ま え て、 ﹃ 異 本義 経 記 ﹄ 原 本 は 近 世 初 期 に成 立 し た も のと し て いる 。 つま り 、注 記 におけ る、 典 拠 が 明 記 さ れ た資 料 の成 立 時期 か ら 、 お お よ そ の成 立 が近 世 ︵一六 〇三 ∼ 一八六 七 ︶ 初 期 と 想 定 でき ると いう こと であ る。 し か し 、本 文 と 注 記 を 同 時 代 に成 立 した と 、 現 段 階 にお いて断 言す る こと は でき な い。 以 上 のこ と か ら 、 本 論 では 、 ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ に引 用 さ れ る吉 岡 本 を 含 む ︵ 以 下、吉 岡 本 と す. ヽ. を 引 用 し て いる こと と 、 元 禄 一六 ︵一七 〇三 ︶年 刊 行 の ﹃ 義 経 記 評 判 ﹄ に引 用 さ れ. ︵一六 七 〇年 代 ︶∼正徳 元年 ︵一七 一一︶と し た 。. ノk.

(2) (2) た 妻 が 、 三嶋 大 社 に参 籠 す る 。⑤ 妻 は 、 三嶋 大 明 神 であ る大 蛇 と 密 通 し 、 男 子 を 産. 親 経 の婿 と し て、 河 野 氏 の家 督 を 継 ぐ 。④ 親 清 には 子 ど も が いな か った こと を 嘆 い. は 、 予 州 桑 原 寺 で出 家 した係 杖 を 八幡 の社 僧 と し た 。③ 頼義 の四男 の親 清 を 、 河 野. し て書 か れ た と さ れ る。. 体 で書 いた も の であ る。 同家 に伝 わ る古文書 や ﹃ 平 家 物 語 ﹄ム 吾 妻 鏡 ﹄ な ど を参 照. 料 と し て、 ﹃ 予 章 記 ﹄ があ る。 ﹃ 予 章 記 ﹄ は、伊 予 河 野 氏 に関す る歴 史 ・由 来 を 編 年. 親 清 を 河 野 氏 の婿 と し て家 督 を 継 が せ て いると いう 話 を 考 え る上 で、 興味 深 い資. 立 国会 図書 館 ・国 立 国会 図書 館 支 部 内 閣文庫 ・国 立 国会 図書 館 支 部 静 嘉 堂 文 庫 ・京. 国 書 総 目 録 ﹄ によ ると 、 写 本 が 国 伝 本 に つ いて は 、活 字 の群 書 類 従 本 の他 に、 ﹃. む 。⑥ こう し て産 ま れ た のが 、 河 野 通 清 で、 通 夜 し て身 ごも った 子 であ る か ら 、 ﹁ 通﹂ の字 を 河 野 家 の通字 にし た 。 以 上 六点 にま と め る こと が でき る。 こ の引 用 部 分 に つ いて、検 討 す べき 点 が 、吉 岡 本 の存 在 、親 経 の出 生 、 通清 の出. り 。 係 杖 律 師 四代 の孫 、伊 予 の吉 岡 に て出 生 、 鬼 一九 と 云う 者 、 法 師 にな り て吉 岡. ﹁ 律 師 祈 祷 の 丹 誠 を 抽 ん ず 。 之 に依 つて 河 野 の祈 り の師 と し て、 親 清 夫 婦 信 心 あ. 鬼 一法 眼 に関 す る 部 分 に集 中 し て いる。 吉 岡 本 に よ る と 、鬼 一法 眼 に つ いて は 、. ま ず 、吉 岡 本 か ら の引 用 は ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ の中 に六 ヶ所も あ る。 そ のほと んど が. 、以 上 、 二十 二本 が紹 貴 堂 文 庫 o天 理 図書 館 ︿江 戸初 期 写 Y 旧彰考 ︵ 戦 災 で消失 ︶. 庫 人 万治 二 写 Y 尊 経 閣 文 庫 ︿上 巻 、延 宝 六年 写 o二巻 一冊 Y お 茶 の水 図 書 館 成. 加 越 能 文 庫 o市 立 刈 谷 図 書館 ・島 原市 立島 原公 民館 松 平 文 庫 o彰 考 館 文 庫 ・神 宮 文. 愛 媛 県 立 図 書 館 伊 予 史 談 会 文 庫 ︿二巻 一冊 ・﹁ 山 之 井 本 予 章 記し ・金 沢 市 立 図 書 館. 料 編纂 所 得 能 通 忠 蔵 本 写 o東 北 大 狩 野文庫 ︿元 禄 六 野釈 写 Y 広 島 大 ︵ 天和 三写 了. 都 大 学 図 書 館 ・慶 応 大 学 図 書 館 ・東 大 教 養 部 o東 大 史 料 編 纂 所 ︿二 冊 本 Y 東 大 史. 憲 海 と 云 ふ﹂ と あ る。 鬼 一法 眼 は 河 野家 の祈 祷 師 を 務 め て いた 、 係 杖 律 師 の四代 の. 介 さ れ て いる 。. 生 に関す る 三点 であ る。. 孫 であ ると し て いる。 す な わ ち 、 ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ に引 用 さ れ た吉 岡 本 にお いて、鬼. 図 書館 聖藩 文 庫 の三本 があ る。 こ の他 に、佐伯 真 一氏 によ ると 、愛 媛 県 立 図書 館 の. ま た、 ﹃ 古 典 籍 総 合 目録 ﹄ には 、群 馬 大学 新 田文 庫 ・今 治 河 野美 術 館 ・加 賀 市 立. ﹃ 義 経 記 ﹄ の異 本 の 一つと さ れ る 吉 岡 本 に つ い て は 、 こ れ ま で、島 津 久 基 氏 が. 旧 伊 達 図 書 館 蔵 本 の写 Y 仮 称 残 閾 本 o得 能 本 の抄 本 ︶な ど を 含 三本 ︵ 上蔵 院 本 ︵. 一法 眼 は 河 野 氏 と 縁 のあ る人 物 と 設 定 し て いる。. ﹃ 義 経 博 説 と 文 学 ﹄ にお いて ﹁ 吉 岡 氏 の こと が 詳 し いか ら 、恐 ら く 吉 岡 流 の剣 道 家. 中 でも 、 原 本 に近 いと 言 わ れ る のが 、高 野 山 上 蔵 院 本 ︵ 旧 伊 達 本 ︶ であ る。 ︵ 以. め ると 、 三 十 二本 と多 く 伝 本 が残 って いる。. 測 し て いる。 し か し 、吉 岡 本 に つ いては 、 ﹃ 国 書 総 目 録 ﹄ にも 記 載 さ れ てお ら ず 、. 下、上蔵 院 本 と す る。︶ ン ︶れ に増 補 を 加 え たも のが 流 布 本 であ る。 流 布 本 に つ いて. が偽 作 又 は ﹃ 義 経 記 ﹄ に添 加 し た 作 であ ろう 。﹂ と 吉 岡 流 の剣 道 家 と の関 わ り を 推 現 在 そ の詳 細 は 不 明 であ る。 つま り 、 ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ で のみ、吉 岡 本 の内 容 を 知 る. は 、長福 寺 所 蔵 本 を 使 用 す る。 ち な み に、群 書 類 従 本 も 流 布 本 の系 統 であ り 、長福. 本 の長 福 寺 本 には 、後 に述 べ る こと にな る が 、 相 違 が 見 ら れ る。 こ の こと に つ い. こと でき る。 さ て、 こ の箇 所 で の吉 岡本 の記 述 は 、 ど のよう なも のを 典 拠 と し た の 河 野 氏 系 図﹄ には 、 ﹁ 親 経 に 一女 有 り 。 源 頼 義 当 国 の国 主 と し て在 国 。 其 まず、 ﹃. て、佐 伯 真 一氏 は 、 ﹃ 平家 物 語 ﹄ の関 連 部 を 検 討 し 、 上 蔵 院 本 と 予 章 記 ﹄ の中 の ﹃. 寺 本 と の相 違 が 少 な いた め 、 ﹁ 長 福 寺 本 ﹂を 使 用 す る こと にし た 。 上 蔵 院 本 と 流 布. 四男 を 一女 に嫁 し て。 家 を 継 ぬ 。 親 清 c 是 にも 男 子 な し 。妻 明神 に 一七 日参 籠 し て. 現 存 上 蔵 院 本 には 一部 に近 世 以 降 の改 作 が 加 え ら れ て い 長 福 寺 本 と の相 違 か ら 、 ﹁. か 考 え てみ た いc. 懐 胎 す 。 其 子 通 清 。 明 神 密 に通 る義 を 以 て。 通 を 諄 の通 り 字 と す 。﹂ と あ る。 吉 岡. るも のと 見 る﹂ と 結 論 付 け て いるc. 上 る。ま た 、 流 布 本 に ついては 、 十 五世 紀 の後 半 と さ れ て いる。 つま り 、 現存 の ﹁. 〇九 ︶と さ れ 、 下 限 は お お よ そ 十 五 世 紀 ︵一四 九 九 ︶ま で に成 立 し た と さ れ て い. ま た 、 ﹃予 章 記 ﹄ の成 立 に つ いては 、先行 研 究 によ り 、 上 限 が応 永 十 六年 ︵一四. 本 と 共 通 な のは 、3 o■ o︵ C であ る。 これ に対 し 、こ の八幡 宮 の勧 請 や七 仏 薬 師 の 安 置 や2 ■・ あ 話 は な い。 つ ま た 、 親 清 に つ いては 、 ﹃ 尊 卑 分 脈 ﹄ を 確 認 し ても 、 源 頼義 の 四 男 に親 清 と いう 人 物 は記 さ れ て いな いc.

(3) 『異本義経記』 と『予章記』 との関係 について 直子 三 八木. (3). 蔵 院 本 ﹂ は部 分 的 に、近 世 に入 つてか ら改 作 さ れ て いるも の の、 原 本 にあ た る ﹃ 予 章 記﹄ は、 ﹃ 異 本 義 経 記 ﹄ よ り 、 以 前 に成 立 し て いる こと にな る。 さ て、 ﹃ 予章 記 ﹄ 上 蔵 院 本 の通 清 に関す る部 分 に つ いては 、 以 下 の通 り であ る。. を かざ し て顔 を 隠 し て いた こと な ど が詳 しく 書 か れ て いる点 で異 な る。. さら に、 ﹃ 予章 記﹄ 長 福 寺 本 では 、 以 下 の通 り であ る。. ﹃ 予章 記 ﹄ 長 福 寺 所 蔵 本. 償 み て背 溝 な し 。 故 に面前 の異 相 を 恥 て常 に手 を 以 て面を か さ し 玉 へば 、時 俗. 後 男 子 を 儲 け 玉 ふか 、其 容 顔 人 に勝 れ 、御 長 ケ 八尺 にあ ま り 、 面 脇 に鱗 あ り 、. の夜半 に長 ヶ十六丈余 の大蠅御枕 下に寄り臥すと夢 の中 に思召 て懐胎あり。其. 三島 の社 へ 一七 日参籠ありけれは、最も 不思議 の御詫 ︵ 託︶宣あり て、第 六 日. ず 。 又親 清 にも 長 子 な し 、 故 に河 野家 系 の沢 絶 せ ん事 を 悲 み、 親 清 の妻 室 氏 神. 垂 ・白 旗 等 を 相 伝 す 。 平 治 二年 には、 後 白 河 院 の宣 旨 に て伊 与 の国 務 職 に任. 河 野 冠 者 伊 与 権 介 と 号 し て家 督 を 続 か し む 。 是故 に頼 義 よ り 赤 地 の錦 の鎧 ・直. 次 男 加 茂 次 郎 、 三男 新 羅 三郎義 光 、 甲斐 源 氏 の始 祖 な り 。 四男 三島 四郎 親 清 を. 聟 にと る。 頼義 の息 四人 あ り 。 長 子 は 八幡 太 郎 義 家 、 源 氏 正 統 陸奥 守 に任 ず 。. を 草 建 せ ら れ 、 最希 有 の善 根 也 。 し か る に親 経 に嫡 子 なき か故 に頼義 の末 子 を. 義 当 国 司 た り し か 、 親 経 と 心 を 合 て国 中 四十 九 ヶ処 の薬 師 堂 、 八 ヶ処 の八幡 宮. 親孝 の御 子親経 [ 河野新 太夫、亦氏長者]、此 ころ清和源氏 の正統伊与入道頼. り け る。 女 中 、然我 身 を 何 と て男 子 と は成 ら し玉 わ ぬ や、 さ ては 子 孫 を 御 絶 し. け れは 、 明神 の御声 に て、 親 清 は異 姓 にし て他 人 也 、努 々不 レ可 レ為 種 姓 と あ. の趣 具 給 へは 、明 神 も 下 ら せ 玉 ふ。 就 レ中 長 子 無 ては誰 に家 を は 可 レ令 レ続 仰 有. て参 玉 へば 、 明神 も 三 階 迄 御 出 有 て御 対 談 有 し事 也 。如 レ其 女 中 参 勤 有 て心 中. 家事 を 祈 請 せ ら る。 其 比 迄 は家 督 た る人 の社 参 には、丑時 に諸 社 燈 明 を 悉 消 し. C 又、親清 にも長子なかりけ れは、女 中 [ 親経之女]、氏神 三島宮 へ参籠あり て. 地 錦 鎧 o直 垂 ・白 旗 等 相 伝 す 。 平 治 二年 後 白 河院 宣 を承 て任 伊 与 国 々務 職 。. 島 四郎 親 清 と 号す 。 家 を 継 て河 野 冠者 伊 与 権 介 と 名 く 。 故 頼義 よ り依 契 約 赤. 子 頼朝 等 是 也 。次 男 賀 茂 次 郎 、 三 男新 羅 三郎 義 光 、 甲斐 源 氏 の元 祖 也 。 四男 三. 相 続す る者 な き 故 に、 頼 義 の末 子 を 聟 に取 家 を 令 レ続。 頼 義 の子 四人 あ り 、嫡 子 は 八幡 太 郎義 家 、 源 氏 之 正 統 任 陸奥 守 、其 子 六条 判官 為 義 、 其 子義 朝 、其. 之薬師堂、八 ヶ所八幡宮建立せらる。毎事知己なり。親経 には女 子 一人計 にて. 予 入道 頼 義 、当 国 の国 司 と し て在 国あ り 、親 経 と 同志 に て、 国 中 に 四十 九 ヶ処. ︱ こ倒 親考 ︵ 孝︶子親経 [ 河野新大夫、又、氏長者と云。 ]話襴□列州州用qコ網 ︱. 河 野 の物 珊 と 称 す 。 其 後 鳥 帽 子 に て手 形 を 付 る事 も 此 人 より 始 む と なり 。 是 を. 可レ 有 哉 と 申 玉 へは 、 明 神 も 道 理 に攻 ら れ 玉 ひ て、然 は今 一七 日伺 候 有 れ と て. ﹃ 玉 澄 子 孫 繁 昌 の事 ﹂ 予章 記 ﹄ 上 蔵 院 本 ﹁. 河 野新 太 夫 と 号 す 。 後 に伊 与 の権 介 通 清 と 改 む 。 か し よ り 通 字 を 家 の嘉 称 と. 神 はあ か ら せ玉 ふ也 。御 託 宣 に任 て又七 ヶ日御 社 篭 有 け る。第 六 日 に当 る夜 半. 0一. す い 所 以 は 何 氏 神 一夜 密 通 の巨益 を 以 て河 野 の家 督 凶 減 せ さ れ ば な り。 然 る に. ほと に、 長 十 六丈余 の大 地 の身 を 現 、御 枕 本 に寄 給 ふ。 本 より 大 剛 な る女 中 な. し て男 子 を 懐 妊 し た点 、⑥ ﹁ 通 ﹂ 字 を 家 の嘉 称 と した点 で共 通 であ る。 ま た 、吉 岡. 頼義 の末 子 であ る親 清 が 河 野 の家 督 を 継 いだ点 、④ 親 清 の妻 が 、 三島 大 明神 に参 籠. 吉 岡 本 と の共 通点 は 、① の薬 師 堂 や 八幡 宮 の創 建 に ついて書 か れ て いる点 、③ の. 河 野新 大 夫 と 云 、後 に伊 与 権 介 通 清 と 称 す 。 是 よ り 通字 を 名 乗 る也 、 其 故 は 明. 手 を 挿 レ頭 給 へは、 河 野 の物 琺 と 申 伝 た り 。鳥 帽 子 に手 形 の有 事 も 此 謂 な り 。. 少 ︶ し凋 て背 溝 無 也 。而 前 の異 相 な るを 珊 給 て人 に向 事 を 慎 み、 常 に り 、小 ︵. 其 形 常 の人 に勝 て容 顔 微 妙 に し て、御 長 八 尺 、御 面 と 両 脇 に鱗 の如 な る物 あ. 0. ︲。 家 来 の雑 人 等 家 の例 な れ は と て己 が苗 字 に用 いる こと 甚 以 て其 謂 れ な し. 本 の記 述 と 比 較 す ると 、 頼 義 の子息 に つ いて の紹 介 があ る こと 、 頼 義 の末 子 であ る. 神 一夜 密 通 の義 を 以 て云 レ爾 、 即 大 通 智 勝 の理 顕 然 た り 。 然 を 今 諸 人 是 を 名 乗. れ は少 も 不 レ騒、其時 より 御 懐 妊 有 て男 子 一人 出 来 給 ふ。. 親 清 が家 督 を 継 いだ た め 、 頼 義 か ら 河 野 氏 へ鎧 ・直 垂 ・白 旗 な ど が贈 ら れた こと 、. る事 太 以 不 レ可レ然 也 。. ⑤. 三嶋 大 明 神 で託 宣 によ つて懐 妊 し た こと 、 通 清 の容 姿 が特 異 であ る た め 、 い つも 手.

(4) (4). 吉 岡 本 と の共 通 点 は① ・③ ・④ ・⑤ ・⑥ であ る。 注 目す べき は 、 ﹁ 本 より大 剛 な る女 中 な れば 少 も 不レ騒﹂ と あ り 、 妻 が 大 蛇 を 見 て驚 か な か った と いう のは 吉 岡 本 明神 と 長 福 寺 本 と にし か な い書 き 方 であ る。 さ ら に、 ﹁ 通﹂ と名 乗 り 出 し た のは 、 ﹁. れ て いる のか 、 確 認 した い。. ﹃ 平家 物 語 ﹄ 延 慶 本. 本 と の記事 を 比 較 し てき た 。 そ の結 果 、吉 岡本 に つ いては 、③ o④ ・⑥ が同 じ点 か. こ こま で、 吉 岡 本 の記 事 に つ い て、 ﹃ 河 野 氏 系 図 ﹄、 ﹃ 予 章 記 ﹄ 上 蔵 院 本 、長 福 寺. を 案 内 者 と し て、後 の 回よ り 押 寄 せ て、時 を ば と つく り て、 竹 林 に火 を かけ 、. は 入 道 殿 の計 也 。 ﹄ と 申 け れば 、西 笏 ゆ る し てけ り。 其 夜 子 剋 計 に、 北 条 三 郎. け れ。  一日違 ゆるし給 へ。 館 の案 内 者 也 。手 引 し て通清 打 落 す べし。 其 後 死 生. 中 略 ︶通経 ︵ 西 笏 が高 直 城 に攻 め た 時 に︶ 通清 が舎 弟 、 北 条 三郎 通経 と 云者 、 ︵. ら、 ﹃ 河 野 氏 系 図 ﹄ と 記 述 が 近 い事 が 分 か った 。 し か し ﹃ 河 野 氏 系 図 ﹄ には な い、. 一時 が ほど 責 け れば 、 城 内 兵 共 、 下 には煙 にむ せび 、上 には敵 責 け れば 、 不懲. 一夜 密 通 の義 を 以 て﹂ と あ り 、 こ の点 にお いても 、吉 岡本 と 共 通 であ る。ま た 、吉. 親 経 の妻 が 三嶋 大 社 で大 蛇 に驚 か な か った と いう 話 が 、吉 岡 本 と 長 福 寺 本 に共 通 で. し て、 取 物 も 取 あ へず 、 落 にけ り c 大 将 軍 河 野介 通清 被 討 け り 。 嫡 子 川 野 四郎. 申 け るは 、 ﹃ 弓 箭 取 習 ひ 、 生 取 る ヽ事 も 常 の習 也 。 同 兄 弟 の間 に無 情 こそ 口惜. あ る こと に つ いて、ど う 考 え た ら よ いだ ろう か 。 そ の手 が か り と 思 わ れ る のが 、. 通 信 は 、 川 野 城 を 落 て、 石見 国 へ引 て渡 る。. 岡 本 と 異 な る点 は 、 上蔵 院 本 で指 摘 し た箇 所 と 同 じ であ る。. ﹃ 屋嶋 合 戦 ﹂ の河 野 通 経 に関 す る記 述 であ る。 異 本義 経 記 ﹄ 巻 一 ﹁. ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 長 門本. と あ る。 つま り 、 河 野 通 経 は 、義 経 の鳥 帽 子 子 で、 兵 法 にお いては 、 義 経 の弟 子 に. 暇を ゆ る し 給 へ、館 の案 内 者 な り手 引き し て、 通清 を 打 落 す べし 、 其 後 生 死 は.   一日 の ら る ゝ事 常 の法 なり 、 同 じ 兄 弟 の中 に、情 け な く も す る こと 口惜 け れ 、. 通経 は義 経 の鳥 帽 子 子 、 軍 法 の弟 子也 。 参 会 の時 、 通 経 、義 経 に語 り しと ぞ 。. 当 た ると いう こと であ る。 こ の部 分 に つ いて、 ﹃ 予 章 記 ﹄ 上 蔵 院 本 に は 、該 当 箇 所. 入道 殿 のは か ら ひな り と 中 け れば 、 西寂 これを 放 し てけ り 、 其 夜 の子 の刻 ば か. 略 ︶ 通 経 中 け るは 、 弓 矢 取 る 習 ひ 、 生 捕 通 清 が舎 弟 北 条 二郎 通 経 と いふ者 、 ︵. がな い。 長 福 寺 本 では 、以 下 のよう に書 か れ て いる。. 竹 林 に火 を か け 、  一時 が 程 攻 け れば 、 こら へず し てと る物 も と り あ へず 落 ち に. り に、 北 条 三郎 通経 を 案 内 者 と し て、後 の渦 地 より 押寄 て、 時 を ど つと 作 り 、 舎 弟 河 野 五 郎 通 経 と 号 す 。 源 九 郎 大 夫 判 官 義 経 の烏 帽 子 子 と し て 経 の字 被 レ. 延 慶 本 も 長 門 本 も 、通 経 は 、敵 であ る西寂 に寝 返 り 、 兄通清 を 裏 切 った 人 物 と し. け り 、大 将 軍 河 野介 通 清 も 討 れ にけ り 、 子息 通 信 は落 ち にけ り 、安 芸 国 へ押 渡. 長 福 寺 本 で は 、 通 経 は 、義 経 の鳥 帽 子 子 であ った の で、義 経 の 一字 を 取 って、. 通 経﹂ が 裏 切 った 話 は 、 出 飛 脚 到 来﹂ では 、 ﹁ て登 場 す る。 ま た 、覚 一別 本 巻 六 ﹁. 五 脱 か ︶と 被 レ称 。 義 経 の兵 書 一流 相 出 、武 芸 の 器 量 勝 た る 故 に 、 甲 曽 郎 ︵. ﹁ 経 ﹂ の字 を 付 け ても ら い、義 経 の兵 法 を 伝 授 さ れ た と し て いる。 こ の、 河 野 五 郎. 源 平 盛 衰 記 ﹄ では 、 通 信 で来 ず 、 百 二十 句 本 では 、 河 野 の名 前 す ら 出 て こな い。 ﹃. り て、沼 田 郷 に引籠 る. 通 経 が義 経 の鳥 帽 子 子 ︵ 元 服 の際 、 鳥 帽 子 親 か ら鳥 帽 子を つけ ても らう 子 ︶ であ る. が 父通 清 の敵 であ る西寂 に討 った 話 はあ るが 、 通 経 の名 前 は な い。 こ の ﹁ 通 経﹂ に. 伝 、 本 よ り 家 の兵 法 を も 存 知 の上 に、義 経 の流 れ を 伝 授 せ ら る。. 原 本 に近 い︶上 蔵 院 本 と いう 話 は 、 ど こか らき た のだ ろう か。 通 経 な る 人 物 は 、 ︵. 異 本 義 経 記﹄ や 長 福 寺 本 の ﹁五 郎 通 つ いて、延 慶 本 ・長 門 本 の ﹁三 郎 通 経﹂ と ﹃. 異 本 義 経 記∵ 経﹂ と が 同 一人 物 と 考 え て み るc そ う す ると 、延 慶 本 ・長 門 本 と ﹃. には 、 見 当 た らず 、長 福 寺 本 では 、 通信 の弟 と し て登 場す るだ け であ る。 では 、 ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ ではど う 記 さ 平家 物 語﹄ や ﹃ 予 章 記 ﹄ が参 考 と し た と さ れ る、 ﹃.

(5) 長 福 寺 本 と では 、 ﹁ 通経﹂ に つ いて、全 く 異 な った 描 き 方を し て いる こと にな る。 次 に、 コ ロ 妻 鏡 ﹄ の記事 に つ いて、考 え て み た い。 コロ妻 鏡 ﹄ に は 、 ﹁ 通 経﹂ は 登 場 せず 、 ﹁ 伊 予 国 の住 人 河 野 四郎 通 清 ﹂ に つ いて は 、 治 承 五年 間 二月 十 二 日条 に ﹁ 越 智 通 清 、 平 家 を 反 か んが た め に、 軍兵 を 率 し て当 国 を 押 領 す る の由 、 そ の聞 え あ り と 云 々。 平 家 物 語﹄ ︵ 覚 一別 本 ︶ ﹂ と 、 通 清 が平 家 に反 旗 を 翻 し た 記事 が 見 え る。 ﹃ では 、 通清 の子 通 信 が 、 屋 島 ・壇 ノ浦 で ︵ 源 氏 側 と し て︶ 活 躍 し た こと が書 か れ て. 0 大 城 実 ﹃ 異本義経記﹄ の検討 ︵一九九七 。一三︶. 0 倉員正江 ﹃ 義経磐 石伝﹄と先行史書 ︵一九 八六 ・六︶. 局橋貞 一 ﹁ 0 一 異本義経記﹂ ﹃ 仏教大学研究紀要﹄ 五七 ︵一九七三 ・三︶から引 用。本文 中. の数字 ・傍線等 は私 に付す。以 下、同じ。. 同 島津久基 ﹃ 義経博説と文学﹄ 貧 九 三五初版   一九七七再版︶. 同 塙保己 一編 ﹃ 続群書類従﹄第七輯 一六七 ︵一九 〇四 。一二発行︶. 0 伊 予史談会編 ﹃ 予章記 ・水 里玄義﹄ 貧 九 八 二 ・八︶解題 による。. 閣 増補版 ﹃ 国書総目録﹄第七巻 ︵一九九 〇 ・六増補版第 一刷発行 ︶. 0 ﹃ 古典籍総合 目録﹄国書総目録続編 第 二巻 ︵一九九 〇 。三︶. ⑩ 佐伯真 一 ﹃ 予章記﹄雑考 ︵一九 八七 ・一三︶. お り 、 通 清 や 通 経 に つ い て は あ ま り 触 れ ら れ て いな い。 つま り 、 ﹃ 異 本 義 経 記﹄ は、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ にあ る河 野 氏 の エピ ソード は載 せず 、 ﹃ 予 章 記 ﹄ と 同様 、通清 や通. 回 佐伯真 一 ﹃ 平家物語﹄と ﹃ 予章記﹄ 2 九 八八 o二︶. 梶原正昭校注 新編 日本古典文学全集 ﹃ 義経記﹄ 含 一 〇〇〇 。一︶. 市古貞次 ﹃ 新編 日本古典文学全集 平家物語① ﹄ 貧 九九 四 ・六︶. 参考文献. 付す。 > 4 語 平 家 長 門 本﹄ ■ 九 〇六 。九︶ 物 ︲ 国書刊行含 ﹃ < 水原慶 二 ・貴志正造校注 ﹃ 的 ヽ 全詳吾妻鏡﹄ 貧 九七七 ・三︶. 田 北原保雄 ﹃ 延慶本平家物語﹄ ■ 九九 〇 。六︶ による。片仮名を 平仮名 に改 め、濁点を. り 上蔵院本 。長福寺本 の本文 は、前掲書注0 による。 [  ] には割注を記し、片仮名を平 仮名 に改 めた。. 経 に ついて載 せ て いる こと にな る。 以 上、 ﹃ 異 本 義 経 記﹄ と 長 福 寺 本 に共 通 の記 事 が あ る こと か ら も 、 ﹃ 異 本義 経 記 ﹄ ︵ 吉 岡本 も 含 め て︶ は 、流 布 本 であ る長 福 寺 本 と 近 い関 係 にも の であ ると 考 え ら れ Z O。. 〓一   おわり に. 最 後 に、 ﹃ 異 本 義 経 記﹄ 注 記 の吉 岡本 を 含 め た 、 河 野 氏 に関 す る 部 分 に つ いて、 ﹃ 予章 記 ﹄ の記 事 を 中心 に考 察 し た 。 ﹃ 異 本義 経 記 ﹄ の本 文 と 注 記 に つ いては 、 同時 期 に成 立 し か ど う か 、ま た 、 同 一作 者 によ るも のか ま で は 分 か ら な か った。 し か し 、 今 回 、検 討 し た 河 野 氏 に 関 す る話 は 、注 記 の吉 岡 本 と 本 文 と の両 方 に 登 場 す る。 こ のこと か ら 、 同 時 期 に 取 り 入 れ ら れ た 話 だ と 考 え ら れ る 。 ま た 、 ﹃ 異本義経 記 ﹄ の河 野 氏 関 連 部 は 、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ と は 異 な った 話 を 取 り 入 れ て いる こと か ら も 、 長福 寺 本 と 近 い関係 にあ ると 結 論 付 け た 。 だ が 、 な ぜ 河 野 氏 の話 を ﹃ 異 本義 経 記 ﹄ が取 り 入 れ た のか に つ い て検 証 す るま で には 至 って いな い。 今 後 は 、 ﹃ 異 本義 経 記 ﹄ の諸 本 を も 視 野 に入 れ 、 さ ら に吉 岡 本 の実 態 に迫 り た い。. 志 田  一 死﹁ 異本義経記 ︿下 運 ﹃ 伝承文学研究 四 ・五﹄ 2 九六 四 ・一︶所収 ﹃ 異 本義 経 記﹄覚書 による。. (1)注. 異本義経記』 と『予章記』 との関係 について :『. 直子 八木. (5).

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